セルジオ・メンデス&ブラジル ’99で活躍したシンガーソングライター兼ギタリスト、クレベール・ジョルジがケヴィン・レトーやドリ・カイミを迎えて放ったソロ・デビュー・アルバム『ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)』
Kleber Jorge / Voltar Pro Rio (Back To Rio) (1999)
Today’s Tune : Assim Nao Dá (It Doesn’t Work This Way)
アダルト・コンテンポラリー系シンガー、ケヴィン・レトーとの結びつき
藪から棒だが、クレベール・ジョルジというミュージシャンをご存知だろうか。知っているとすれば、相当な音楽通のかただろう。かく云うぼくも、実はこの音楽家のことをあまり詳しくは知らないのである。ブラジル、リオデジャネイロ出身のシンガーソングライター兼ギタリストなのだが、ぼくの知るかぎり彼のリーダー・アルバムといえば、ソニック・イメージズ・レコードが発売した『ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)』(1999年)、そしてジェサナ・ミュージックという未知のレーベルからリリースされた『メウ・リオ』(2020年)と、たったの2枚しかないのである。どんなジャンルの音楽かというと、ブラジリアン・フュージョン系のニュー・アダルト・コンテンポラリーといったところだろうか。
この際だから、最初にジョルジのプロフィールをわかる範囲で記しておく。音楽活動の拠点をロサンゼルスに構えるクレベール・ジョルジは、1960年3月1日、リオに生まれている。父親がシンガー兼ベーシスト、祖父がカヴァキーニョとバンドリンを弾くという、音楽一家に育った。8歳から父親の手ほどきでギターを弾きはじめ、10代のころにはすでにプロのミュージシャンとして活動していた。その後リオデジャネイロ州立大学において、音楽理論の学位を取得している。ジョルジは1980年代半ばに故郷を離れ、世界各地をツアーするようになる。1984年にマイアミを訪れたあと彼は、1985年にパリの屋内アリーナ、パレ・デ・スポールにおいて1か月間、演奏活動を行った。リオに戻ったあとは、ブラジルでもっとも歴史のあるビッグ・バンド、オルケストラ・タバジャラに参加。
ジョルジはこのビッグ・バンドでシンガー兼ギタリストとして2年ほど活躍したあと1988年、ロサンゼルスに移住を決意。渡米後には、ギターについてフィンガースタイルのギタリスト、テッド・グリーンに、アレンジに関してはソングライター兼マルチ・インストゥルメンタリストのモアシール・サントスに師事した。同時に彼は自己のグループを結成し、カリフォルニア周辺で仕事をするようになる。さて、ここからである。1990年代に入ると、ジョルジは西ドイツ西ベルリン出身の女性シンガー、ケヴィン・レトーのレコーディングに関わるようになる。当時レトーは、西海岸のフュージョン、スムース・ジャズ、ブラジリアン・ジャズのスタイルで、もっとも人気を博していたアダルト・コンテンポラリー系のヴォーカリストだった。

ハナシがいささか脇道に逸れるが、ここでぼくがレトーに関心を寄せる経緯について触れておく。もしレトーのアルバムを手にとることがなかったら、ぼくはクレベール・ジョルジというミュージシャンに、永遠に出会うことがなかったかもしれないからだ。そもそもぼくがケヴィン・レトーという名前を知ったのは、フュージョン・ギタリストの雄、リー・リトナーのアルバム『ポートレイト』(1987年)において。ブラジリアン・テイストの「ウィンドミル」という曲で、チャーミングなバッキング・ヴォーカルを披露していたのがレトーだった。そのあとすぐ、ぼくはリオデジャネイロ出身のピアニスト、セルジオ・メンデスのアルバム『アララ』(1989年)において、今度はリード・ヴォーカリストとしてのレトーに巡り合うのであった。
爽やかで明るい透明感と、どこかアンニュイな陰影を併せもつ声のトーンから、ぼくはすっかりレトーのことが気に入ってしまった。そんなとき、ロサンゼルスとブラジルとの混合メンバーによるフュージョン・グループ、ヴェラスのアルバム『イーリャ・ドス・フラージス』(1989年)が日本のレーベル、ポニーキャニオンからリリースされた。ぼくがこのアルバムを手にとった最大の理由は、日本人アーティストではもっとも敬愛する音楽家のひとり、横倉裕がプロデューサー、アレンジャー、そしてキーボーディストを務めていたこと。横倉さんは短期間ではあるが日本において、ブラジリアン・テイストのポップ・グループ、NOVOのキーボーディスト兼ヴォーカリストとして活動したのち、1970年代の中ごろに音楽制作の拠点をロサンゼルスに移した。
ところで、このヴェラスというグループのヴォーカリストがレトーだった。しかも『イーリャ・ドス・フラージス』のレコーディング・メンバーのクレジットをよく見ると、バッキング・ヴォーカリストとしてジョルジの名前が記載されているのである。これがキッカケかどうかは定かでないが、その後ジョルジとレトーとの結びつきは強まる。レトーのセカンド・アルバム『シンプル・ライフ』(1992年)では、ジョルジが自作曲「ナナン・ダス・アグス」を引っ提げて、ギタリストとしてレコーディングに参加している。レトーは基本的に英語歌唱のシンガーだが、この曲においては前半をポルトガル語で歌っている。明るく軽快な感じのフロウが、とてもフレッシュに響く。この曲、実はのちにジョルジ自身によってセルフ・カヴァーされる。
つづくサード・アルバムの『アナザー・シーズン』(1994年)では、ジョルジはレコーディングには未参加だが、タイトル・ナンバーの「アナザー・シーズン」を作曲している。この曲はのちにジョルジ自身によって、ポルトガル語で歌われる。さらにジョルジは、レトーのフォース・アルバム『風の言葉〜ユニヴァーサル・ランゲージ』(1995年)でも、自作曲「アンダーニース・ザ・フェイス・オブ・ザ・ムーン」を提供している。この曲もまた、後年ジョルジ自身によってセルフ・カヴァーされる。ただこの曲に関しては、ジョルジもレトーのペンによる英語の歌詞をそのまま歌っている。以上、3曲はさきに挙げたジョルジのリーダー作『ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)』に収録されている。詳細はのちほどお伝えする。
おなじころジョルジは、セルジオ・メンデスのリーダー作で、グラミー賞の最優秀ワールド・ミュージック・アルバム賞を獲得した『ブラジレイロ』(1992年)に、レトーともどもバッキング・ヴォーカリストとして参加している。その後ジョルジは、アルト奏者、渡辺貞夫の『インテンポ』(1994年)、リオデジャネイロ出身のギタリスト、ドリ・カイミの『イフ・エヴァー』(1994年)、ベーシスト、ジョン・パティトゥッチの『ファイン・ミキスチャー』(1995年)といった、メジャー・アーティストのレコーディングを経て、ふたたびセルメンのアルバム『オセアーノ』(1996年)に参加。以降ジョルジはそのままセルメンのグループに加入し、ヴォーカリスト、ギタリスト、そしてアレンジャーとして、大いに腕を振るった。
ブラジル音楽がアメリカ西海岸のミュージック・シーンでトレンドとなる
ということで、クレベール・ジョルジというミュージシャンが、セルジオ・メンデスもそうだが、ロサンゼルス在住のボサノヴァをベースとしたブラジリアン・ミュージックに特化したアーティストであることは、おわかりいただけただろう。そして1990年代以降、アメリカ西海岸のラジオ・フォーマットとして人気を博したニュー・アダルト・コンテンポラリーは、ブラジル音楽との関係が密接だけれど、そういうミクスチュアをクリエイトしていたのが、横倉裕やケヴィン・レトーだった。そしてジョルジの音楽もまた、その流れを汲むものである。云ってみれば、ウェストコースト・フュージョンの躍動感と、ブラジリアン・ミュージックの清涼感とを併せもつ、爽やかで耳に馴染みやすい音楽。気軽に楽しめるものだ。
もともとぼくは、幼いころからブラジル音楽に親しんでいた。テレビ放送で、1970年の大阪万博におけるセルジオ・メンデスのライヴ・パフォーマンスを観て感激したクチだが、思えばあれがブラジル音楽との出会いだった。ただ、ブラジリアン・ミュージック特有の味わいに強く惹かれたのは、20世紀のブラジル音楽を代表する作曲家、アントニオ・カルロス・ジョビンの曲を聴いたときが最初だったと思う。もちろんそのときのぼくは、ジョビンの音楽がボサノヴァというもので、ショーロ、サンバ、ノルデスチとともにブラジルの音楽のひとつであるなどとは、まだ知る由もなかった。ただ、その簡素で美麗なメロディック・ラインと心地いいテンション・コードとに、ぼくの感性がいたく刺激されたことはハッキリ覚えている。
ジョビンの音楽をじっくり味わうなら、まずはなんといっても初リーダー作の『イパネマの娘』(1963年)だろう。“The Composer Of Desafinado, Plays”という原題からもわかるようにジョビンのセルフ・カヴァー・アルバムで、曲目はすべて彼のアコースティック・ピアノが主軸に据えられたインストゥルメンタル・ナンバーで構成されている。このアルバムに収められたジョビンのペンによる1ダースのマスターピースにしても、そのなだらかで麗しいメロディック・ラインを綴るピアノ演奏にしても繊細で優美なもの。たとえば、晴れ渡った青空のもとそよそよと吹く風、はたまた波立つことのない穏やかな海といったイメージが喚起される。そんなサウンドをよりスウィートなものにしているのは、クラウス・オガーマンのアレンジとコンダクティングによるストリングスだ。

オガーマンはドイツのラーティボーア(現在のポーランド領ラチブシュ)生まれの音楽家で、もともとはクラシック畑のひと。1959年にアメリカへ渡り、ニューヨークに活動の拠点を置いた。1963年からヴァーヴ・レコードのミュージカル・ディレクターを務めるようになり、プロデューサーのクリード・テイラーとコンビを組む。純音楽の作曲をしながらも、ポップス、ロック、ジャズ、ラテン、リズム・アンド・ブルースなど、生涯にわたりあらゆるジャンルの音楽のオーケストレーションを手がけた。オガーマンはこの『イパネマの娘』でも、効果的に弦楽器群を鳴らしている。ジョビンが創造した美しいメロディと心地いいハーモニーに、背後から彩りを添えているのだ。彼のスゴいところは、奥ゆかしいほどに音の無駄使いをせず、いつも適宜適切な入れかた、重ねかたで、高品質のオーケストラ・サウンドを提供するという点である。
ハナシが本筋から大きく外れてしまったが、とにかくブラジル音楽がぼくに与えた影響は大きい。それを年代別に俯瞰すると、1960年代のジョビン、1970年代のミルトン・ナシメント、1980年代のイヴァン・リンスからは、特に刺激を受けたと云える。リオ出身のナシメントは、MPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)の代表的なシンガーソングライターだが、ジャズ・サクソフォニスト、ウェイン・ショーターのアルバム『ネイティヴ・ダンサー』(1975年)でフィーチュアされたことから、ぼくは彼に関心を寄せるようになった。このアルバムにおけるショーターとナシメントとのコラボレーションは、2種類の芳醇なミュージカリティがよくブレンドされた上質の音楽を生み出している。それを端的に云えば、ジャズとブラジル音楽とが溶け合ったフュージョン・ミュージックとなる。
ぼくはショーターのアルバムを体験したすぐあと、偶然にもふたたびナシメントがフィーチャリング・アーティストとして迎えられた作品に出会う。それは、キーボーディストであるジョージ・デュークの『ブラジリアン・ラヴ・アフェア』(1980年)というアルバム。ブラジル原産の素材がデューク流に味つけされ、ワン・アンド・オンリーなブラジリアン・サウンドが創出されたフュージョンの名盤である。このアルバムに収録されている、タンボーリス・ジ・ミナスのリズムが活かされた「クラヴォ・イ・カネーラ」やラテン・エッセンス溢れるフォルクローレ調の「アオ・キ・ヴァイ・ナセール」といったナシメントの自作曲では、彼のヴォーカルがまさに独擅場でその存在感の大きさと影響力の強さを、あらためて感じさせられる。
そして最後にイヴァン・リンスだが、ブラジル音楽において、ぼくがもっともこころを打たれたのは、実は彼の曲なのである。1980年代に彼の曲を積極的に採り上げていたのは、グラミー賞をはじめとする音楽賞を多数受賞する音楽プロデューサー、クインシー・ジョーンズだ。ジョーンズが当時、ソングライター兼アレンジャーとしてイングランド、リンカンシャー出身のキーボーディスト、ロッド・テンパートンを起用していたことはよく知られている。多国籍バンド、ヒートウェイヴのメンバーでもあるテンパートンが書くソウルフルかつソフィスティケーテッドな楽曲はすこぶるスタイリッシュなのだけれど、ぼくにとってはリンスのペンによる浮遊感のあるコード進行が際立ったナンバーのほうが、ずっと魅力的に感じられたものである。
リンスはやはりリオ生まれのシンガーソングライター。むろんぼくは、ポルトガル語の歌詞の内容を理解する言語スキルをもち合わせていなかったけれど、それでも高度なジャズ・ハーモニーを孕んだ洗練されたアダルト・オリエンテッドな音楽として、深く寄り添うようにリンスの音楽を熱心に聴いていた。あとでぼくは、ソフィスティケーテッドでアーバンなブラジリアン・サウンドと、こころもちアーシーな香りを放つヴォーカル・パフォーマンスが交錯するリンスの楽曲の歌詞の内容を知って、それがハーモニーやメロディック・ラインから想像していたものとまったく違っていたので愕然としたもの。リンスのパートナー、ヴィトール・マルティンスの書いた歌詞は、実は社会的なメッセージを発信するものだったのである。
それはともかくリンスは、コンテンポラリー・ジャズの大御所キーボーディスト、デイヴ・グルーシン、そして前述のギタリスト、リー・リトナーによってロサンゼルスに招聘され、彼らのコラボレーション・アルバム『ハーレクイン』(1985年)のレコーディングに参加。既存の自作曲をポルトガル語で歌った。その都合3曲はどれも、グルーシンのペンによってセンシティヴなアレンジが施された。リンスのアーシーなヴォーカル・パフォーマンスと、グルーシン&リトナーによるソフィスティケーテッドなオブリガートとのコントラストが得も云われぬ美しさを生んでいる。このアルバムは、多くのミュージシャンに影響を与えた歴史的作品であるし、1990年代以降アメリカ西海岸のミュージック・シーンでトレンドとなった、ニュー・アダルト・コンテンポラリー作品の礎となったと、ぼくは思う。
横倉裕やケヴィン・レトーのアルバムと並び称される、あの時代の名盤
さらに補足すると、このグルーシンにアレンジの手ほどきを受けたのが、前述の横倉裕だった。横倉さんが渡米し、カリフォルニア州立大学で作曲とピアノを専攻したのちのことである。そのグルーシンといえば、1967年から1979年ごろまで、セルジオ・メンデスのレコーディングにおいてオーケストレーションを担当していた。セルメン・サウンドをスウィートなものにしていたのは、グルーシンのソフィスティケーテッドなアレンジメントだったと云っても過言ではない。また、横倉さんもNOVO時代に来日中のセルメンと運命的な出会いを果たしており、それが縁でのちに1991年から2011年まで、セルメンのグループのキーボーディストを務めることになる。さきにも述べたがレトーとジョルジも、セルメン所縁のミュージシャン。なにか偶然とは思えない、強い導き、あるいは引き合わせが感じられる。
そしてもうひとこと加えておきたいのが(ひとことでは済まないのだが)、レトーと横倉さんとのパートナーシップについて。ふたりの関係は、さきに触れたフュージョン・グループ、ヴェラスのレコーディングのあともしばらく継続する。レトーのソロ・デビュー・アルバム『ユア・スマイル』(1991年) では、横倉さんがソングライティング、アレンジ、バッキング・ヴォーカル、キーボード、そして箏を担当。さらに4枚目の『風の言葉〜ユニヴァーサル・ランゲージ』(1995年)では、ソングライター、レコーディング・エンジニアとして、7枚目の『リトル・シングス』(2001年)では、ソングライター、レコーディング・エンジニアとしてアルバム制作に関わっている。ちなみに横倉さんは、以上のアルバムの吹き込みが行われた、ロサンゼルスのアルハンブラにあるダブル “Y” スタジオの所有者でもある。
その間、横倉さんがプロデュースを手がけたピノイ・ポップ・シンガー、チャド・ボルハのアルバム『ショウ・ミー・ザ・ウェイ』(2000年)に、レトーがデュエット・シンガーとして参加している。そんななかでも、ふたりがもっとも蜜月の関係を示した作品といえば、レトーの5枚目のアルバム『ランゲージ・オブ・フラワーズ』(1998年)だった。横倉さんはこのアルバムの全面で、レトーの公私にわたるパートナー、マイケル・シャピロと共同で、プロデュースを手がけている。むろん横倉さんは、ソングライティング、アレンジ、プログラミング、キーボード演奏、そしてレコーディングまで、八面六臂の活躍を見せる。なお、シャピロはワシントンD.C.出身のドラマー、パーカッショニストで、20年以上に及んでセルジオ・メンデスのライヴおよびレコーディングをサポートした。

そんな西海岸のコンテンポラリー・ジャズのセンシティヴィティとブラジル音楽の複雑なリズムとが融合した、軽快で心地いいサウンドが花咲かせたブラジリアン・フュージョン・ムーヴメントにおいて、クレベール・ジョルジもまた注目すべき存在。彼は2001年、山口県で開催されたEXPO YAMAGUCHI 2001(山口きらら博)に出演したが、それに先駆けて日本でもその初リーダー・アルバム『ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)』が、国内仕様盤として発売された。このアルバムのバックインレイには「セルジオ・メンデス&ブラジル ’99で活躍する才能溢れるギタリスト兼ヴォーカリストが、世界中を旅して生み出した楽曲の数々を、リオデジャネイロのフレーヴァーとスタイルを込めてお届けします」と記されている。本作のコンテンツは、まさにそういうサウンドでまとめられている。
ちなみに、ジョルジのもう1枚のリーダー作『メウ・リオ』はインディーズ・アルバムで、彼の出演するライヴ会場などで販売されたようだ。内容的には信仰、希望、そしてインスピレーションといったテーマが反映された、コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック。メロディアスなコンポジションと、こころを揺さぶるような歌詞がその特徴ではあるが、そのサウンドは『ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)』と同様に、ブラジリアン・フュージョンとして楽しめるものだ。こちらはなかなか入手が困難と思われるけれど、アップル・ミュージックやアマゾン・ミュージックなどで気軽に聴くことができる。個人的なお薦めは『ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)』である。横倉さんやレトーのアルバムと並び称される、あの時代の名盤だ。
では最後に『ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)』について、具体的にメモしておく。レコーディング・メンバーは、クレベール・ジョルジ(g, vo)、ビル・カントス(key, vo)、ビル・ブレンドル(key)、ラリー・ウィリアムズ(key)、ヘナート・ネト(p)、カール・バーネット(g)、リカルド・シルヴェイラ(g)、ランディ・ティコ(b)、キース・ジョーンズ(b)、マイケル・シャピロ(ds, perc)、ケヴィン・ウィナード(ds, perc)、ケヴィン・リカード(perc)、ルイス・コンテ(perc)、メイア・ノイチ(perc)、カッシオ・ドゥアルチ(perc)、ペドロ・ユスターシュ(fl)、スコット・マヨ(fl, ts, vo)、フスト・アルマリオ(fl,ss)、ロイス・アルベス(vo)、ドリ・カイミ(vo)、ジュリー・ラギンズ(vo)、ケヴィン・レトー(vo)、ヘナータ・ゲバラ(vo)、キャロル・ロジャース(vo)。
プロデュースは、シャピロ、カイミ、そしてジョルジ自身が手がけている。全編でジョルジのヴェルヴェット・ヴォイス、ポップでスムースなサウンドが展開される本作、オープナーはアルバム・タイトル・ナンバー「ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)」で、軽快なサンバのリズムによってその世界に一気に引き込まれる。アルマリオのソプラノも風のように軽やか。つづく「ダンサ・ド・オウロ (ゴールデン・ダンス)は、もっともアーシーでトロピカルなナンバー。ゼー・ヘナート率いるMPBコーラス・グループ、ボカ・リヴリのカヴァー曲で、この曲以外はすべてジョルジのオリジナルだ。個人的には特に好きな「アシン・ナォン・ダー (イット・ダズント・ワーク・ディス・ウェイ)」は、小気味いいビートと洗練されたコードが魅力的。オシャレだ。
英語で歌われる「カメラ」は、ブラジリアン・グルーヴとメロウ・フュージョンのマリアージュ。マヨのテナーもムードいっぱい。ルンバ風の「トロヴァドール」では、リラクゼーション溢れるサウンドに乗って、ジョルジのギター・ソロも飛び出す。レトーのアルバムに収録されていた「ナナン・ダス・アグス (ナナ・オブ・ザ・ウォーター)」は、スピード感のある心地よさが際立つ。アルマリオのフルートも清涼感を弾けさせる。シンコペーテッドな「セン・パラール (ハンギング・ゼア)」は、まさにブラジリアン・フュージョン。シルヴェイラのブルージーなギターがよくフィットしている。バラードの「ジ・ヘペンチ・オ・アモール (サドン・ラヴ)」は、コード進行がイヴァン・リンスのそれを彷彿させる美しいナンバー。レトーのヴォーカルもフィーチュアされる。この曲も特に好き。
英語で歌われる「クライ・フォー・ジョイ」は、ジョルジのギター・ソロも跳ねるハッピー・チューン。バイーア州サルヴァドール出身の伝説的シンガー、ドリヴァル・カイミにインスパイアされた「デスクルピ・カイミ (フォー・ギヴ・ミー・カイミ)」は、落ち着いた感じのピュアなボサノヴァ。レトーのアルバムに収録されていた「アンダーニース・ザ・フェイス・オブ・ザ・ムーン」は、オリジナルどおり英語で歌われる。レゲエ風のリズムが楽しい。アルマリオのソプラノも上手く絡んでいる。アルバムを締めくくる「マンゲイラ」は、レトーの「アナザー・シーズン」のポルトガル語ヴァージョン。ジスフィーレ風のアレンジにこころが踊る。個人的には、ウィリアムズのシンセ・ソロに、懐かしさを感じる。以上、本作は間違いなくブラジリアン・フュージョンの傑作。見かけたら、絶対に手にとるべき作品だ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。







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