The Players Featuring Hiromasa “Colgen” Suzuki / Galaxy (1979年)

スタジオのバンド
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鬼才キーボーディスト、鈴木宏昌のもとに凄腕ミュージシャンが集まった伝説のフュージョン・グループ、ザ・プレイヤーズの記念すべきデビュー・アルバム『ギャラクシー』

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The Players Featuring Hiromasa “Colgen” Suzuki / Galaxy (1979)

Today’s Tune : Kaleidoscope

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ジャズ・ピアノやアレンジのマナーはレコードを聴いて独習したもの

 

 前回、ぼくが敬愛する数少ない日本のジャズ・ピアニストに関してお伝えした際、少しだけ鈴木宏昌さんについて触れた。ぼくが長年愛聴しつづけているピアノ・トリオ作品といえばごく限られるのだが、佐藤允彦の『パラディウム』(1969年)、大野雄二の『ミスター・ハピゴン』(1973年)、菅野光亮の『ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング』(1978年)、そして鈴木宏昌の『コルゲン・ワールド』(1976年)が挙げられる。これらのアルバムをぼくは、小学校高学年から中学に入学したばかりのころに入手したのだが、実は意識的に国産のジャズ作品を聴こうとしたわけではない。それ以前に体験したテレビドラマやテレビアニメの音楽のなかで、気になる劇伴を手がけた音楽家の作品を深掘りした結果、たどり着いたのが上記のアルバムだったのである。

 

 そしてその作曲家たちが、期せずしてみなジャズ・ピアニストだったのである。すなわちぼくは、ジャズをジャズと知るまえから、その響きに惹かれていたことになる。鈴木宏昌という名前は、氏がTBS系列のテレビアニメ『海のトリトン』(1972年4月1日 – 9月30日)の音楽を手がけたことで、なんとなくだが、ぼくの記憶に残っていた。ヒデ夕樹杉並児童合唱団が歌うオープニング・テーマ「海のトリトン」もキャッチーだったけれど、どちらかというと本編で流れる洗練されたアンダースコアに、ぼくは年端もいかないのに強く惹かれていた。ただ佐藤さん、大野さん、それに菅野さんの場合もそうだったのだが、あとで鈴木宏昌という音楽家がジャズ・ピアニストであると知って、意外な発見と深い納得とが入り混じった心境に至ったものである。

 

 東京市日本橋区(現在の東京都中央区)生まれの鈴木宏昌(1940年5月26日 – 2001年5月21日)は、作曲家、編曲家として数多くの作品を手がけているが、もともとはジャズ・ピアニストである。“コルゲン”というニックネームで親しまれているので、以降コルゲンさんと呼ばせていただく。ぼくがコルゲンさんがジャズ・ピアニストであると知ったのは、日本コロムビアからリリースされた『エレクトロ・キーボード・オーケストラ』(1975年)というアルバムにおいて。このアルバムでは、8人の鍵盤奏者が20台のシンセサイザーをプレイするという、現代ではあり得ないプロジェクトが実現されている。この8人のなかに、佐藤さん、大野さん、そしてコルゲンさんがいた。しかも、作曲やアレンジ、それにシンセサイザーの操作にもっとも意匠を凝らしていたのは、この3人だった。

犬のジャズ・ピアノ・トリオ(イラスト)

 コルゲンさんは、このアルバムでクインシー・ジョーンズの「鬼警部アイアンサイドのテーマ」をカヴァーするいっぽうで、オリジナル・ナンバー「ヒーテッド・ポイント」を提供している。これらの曲では、ジャズにファンク、ソウル、あるいはリズム・アンド・ブルースなどのエッセンスが加えられた、いわゆるジャズ・ファンクの流れを汲むサウンドが展開されている。なお「ヒーテッド・ポイント」は、本作とおなじ年にリリースされた石川晶とカウント・バッファローズの『ゲット・アップ!』(1975年)でも採り上げられている。日本のジャズ・ロックやレア・グルーヴの先駆者である石川晶のリーダー作だが、ソングライティングをコルゲンさんが一手に担っており、サウンド的には鈴木宏昌のアルバムといった印象を与える。

 

 なお、あとになったが、“コルゲン”というニックネームはもともと佐藤允彦につけられたものだった。石川晶とカウント・バッファローズの前身である、カウント・バッファローとジャズ・ロック・バンドの『ソウル・アンド・ロック』(1969年)や『神に愛と祈りを』(1969年)といったアルバムに、鈴木、佐藤の両ピアニストが仲よく参加している。バンド・リーダーの石川さんと佐藤さんとは1960年代の中ごろから知り合いだったが、石川さんが佐藤さんのことを顔立ちや雰囲気がカエルに似ていることから、かぜ薬「コルゲンコーワ」のカエルをモティーフにしたキャラクター(ケロちゃんとコロちゃん)にちなんで、“コルゲン”と呼んでいた。ところが、佐藤さんがバークリー音楽院(現バークリー音楽大学)に留学してしまったため、おなじピアニストの鈴木さんが、2代目“コルゲン”を襲名することとなった。

 

 歯科医の息子として生まれたコルゲンさんは、子どものころに短期間クラシック・ピアノのレッスンを受けたが、その後正統な音楽教育を仰いだことはないという。それでも慶應義塾大学経済学部に進学すると、マイルス・デイヴィスビル・エヴァンスの演奏に触れてジャズに関心をもち、名門ビッグ・バンド、慶應義塾大学ライト・ミュージック・ソサイェティーに参加する。そのジャズ・ピアノやアレンジのマナーは、ほとんどがジャズのレコードを聴いて独習したものだった。それでも埒が明かないので、コルゲンさんはジョージ川口のビッグ・フォア・プラス・ワンのメンバーとして活躍していたピアニスト、八木正生にジャズ・ピアノの手ほどきを受ける。八木さんは、前述の『エレクトロ・キーボード・オーケストラ』において、リーダー格としてメンバーを牽引していた。

 

 また、コルゲンさんは慶應義塾大学在学中は、佐藤允彦大野雄二とともに“慶應三羽烏”として名を馳せたことはあまりにも有名だが、3人はプロ・ミュージシャンとして活躍するようになってからも、緊密な関係を築いていた。特にコルゲンさんと佐藤さんとは絆を深める機会が多く、たとえばコルゲンさんの唯一のソロ・ピアノ・アルバム『ウィズ・マイ・ホール・ハート』(1996年)では、佐藤さんがプロデュースを手がけている。キッカケは1994年1月15日、医師の藤井修照が設立した岐阜県多治見市のプライヴェート・コンサートホール、スタジオ Fにおいて、コルゲンさんと佐藤さんとがピアノ・デュオを行ったこと。ピアノ2台だけのライヴ演奏において、佐藤さんはコルゲンさんの正統的なピアノ・プレイにあらためて感銘を受けたのだという。

 

 一般的に当時のコルゲンさんというと、どちらかというとフュージョン・タイプの音楽を志向するミュージシャンという印象を与えていた。しかもリーダー作といえば『ザ・プレイヤーズ・ライヴ』(1985年)以来、10年以上もご無沙汰となっていた。ぼくもこのアルバムがリリースされるとはじめて聞いたこときは、いささか驚きを禁じ得なかったのだが、フタを開けてみるとコルゲンさんのギミックとは無縁な、それでいてエモーションとダイナミクスが溢れんばかりのピアノ・プレイに、激しくこころを揺さぶられた。コルゲンさんは当初、独学で習得した自己のピアノ・テクニックでは、バランスのとれたオーケストラルなソロ演奏をすることができないと、だいぶ二の足を踏んだらしい。結果的には、佐藤さんの判断が正しかったのだが──。

 

プロデビューしたころからジャズ・ファンクの流れに身を投じていた

 

 なお1994年1月15日にスタジオFにおいて行われたデュオ・ライヴの模様は、のちにコンサートホールのオーナーである藤井さんのプロデュースで、佐藤允彦・鈴木宏昌フォルテ – ピアノ・デュオ・ライヴ・アット・スタジオ F』(2007年)としてリリースされた。コルゲンさんがこの世を去ってから、およそ6年後のことだった。佐藤&鈴木の息はピッタリで、その絶妙なコンビネーションが生み出すエキサイティングな演奏、特にディジー・ガレスピーの「チュニジアの夜」でのアグレッシヴでスリリングな展開に、ぼくも手に汗を握りながら聴き入ってしまった。コルゲンさんは晩年、がんを患い壮絶な闘病生活を送りながら、死の直前まで音楽活動をつづけていた。1990年から入退院を繰り返しながら、ピアノを弾きつづけたのである。

 

 そんななかコルゲンさんは、一時的に体調が安定していたこともあり、2000年7月16日にスタジオ Fにおいてライヴ・レコーディングを行った。メンバーは、鈴木宏昌(p)、桜井郁雄(b)、関根英雄(ds)、原朋直(tp)で、コルゲンさんが敬愛するジョー・ザヴィヌルハービー・ハンコックの楽曲から有名なジャズ・スタンダーズまで、ニュー・メインストリーム風な演奏が繰り広げられる。ライヴの模様は、やはり藤井さんのプロデュースによりアルバム『ラスト・ライヴ・アット・スタジオ F』(2010年)としてリリースされた。闘病生活を送っていたとは思えないほど、コルゲンさんのピアノ演奏は美しく軽快。病気の進行よりもピアノを弾けなくなることを懸念していたコルゲンさん、まさにジャズをプレイすることに最後まで命を燃やし尽くしたと云える。

 

 そんなコルゲンさんは、慶應義塾大学在学中からピアニストとして参加していたジョージ川口のバンド・メンバーとして、プロ・ミュージシャンのキャリアをスタートさせている。小俣尚也とドライビングメン小原重徳とブルー・コーツ石川晶のカウント・バッファローとジャズ・ロック・バンドを経て、日野皓正クインテットに参加。日野さんのアルバム『ハイノロジー』(1969年)において、すでにアレンジャーとしての才能を発揮している。最初期のレコーディングは、ジョージ川口とビッグ・フォア・プラス・ワンでの演奏で、白木秀雄クインテット稲垣次郎クインテットの演奏も含むオムニバス・アルバム『世界ポピュラー音楽大全集 VOL. 4』(1963年)で聴くことができる。なおメンバーは、ジョージ川口(ds)、鈴木順(b)、鈴木宏昌(p)、村岡建(ts)、林鉄雄(tp)となっている。

犬のピアニスト、サクソフォニスト、ギタリスト(イラスト)

 このアルバムはすこぶるレアなアイテムだが、ジョージ川口とビッグ・フォア・プラス・ワンによる「死刑台のエレベーター」「ウォーキン」といった2曲は、幸いなことに同バンドのアルバム『ビッグ・フォア・プラス・ワン登場!』(1958年)が2006年にCD化された際、ボーナス・トラックとして収録された。興味のあるかたは、聴いてみてはいかがだろう。ただコルゲンさんがいかに優れたジャズ・ピアニストであるかを知るには、個人的にはピアノ・トリオ作品をお薦めしたい。とはいっても、そのキャリアにおいて早い時期からジャズ・ファンク寄りのサウンドを志向していたコルゲンさんだけに、ストレート・アヘッドなジャズ・アルバム、ことにピアノ・トリオで吹き込んだアルバムはきわめて少ない。実際ぼくの手もとには、たったの3枚しかない。

 

 コルゲンさんは、非常に人気の高いファンキーなフュージョン・アルバム『ハイ・フライング』(1976年)を発表した直後に、稲葉国光(b)、日野元彦(ds)をサイドに据えた『コルゲン・ワールド』(1976年)、さらにその2年後に井野信義(b)、スティーヴ・ジャクソン(ds)と組んだ『プリムローズ』(1978年)といった、ピアノ・トリオ作品をリリースしている。どちらも、初期のチック・コリアを彷彿させる躍動感のあるピアノ・プレイと、オリジナリティに富んだ洒落たソングライティングが際立っている。この2枚を聴いて感じられるのは、コルゲンさんが繰り出す力強く淀みないラインから、氏が正統な音楽教育を受けず独学でピアノ・テクニックを身につけたプレイヤーとは、とても想像できないということである。それほどその演奏は、圧倒的な鮮やかさを放っているのだ。

 

 以上の2枚は、全曲コルゲンさんのオリジナル・ナンバーでまとめられているということもあり、鈴木宏昌という音楽家の、ジャズ・ピアニスト、作曲家、編曲家としての魅力が凝縮された作品と云ってもいいのではなかろうか。そしてもう1枚、前述のソロ・ピアノ・アルバム『ウィズ・マイ・ホール・ハート』の上々の出来映えに気をよくしたのか、コルゲンさんは久々にピアノ・トリオ・アルバムを吹き込んでいる。坂井紅介(b)、村上寛(ds)をサイドメンに迎えた『コルゲン・カラー』(1997年)というアルバムで、インディペンデント・プロダクションだったがけっこう話題になった。オリジナル・ナンバーはないが、選曲にコルゲンさんのこだわりが感じられる。なによりも、そのピアノ・プレイに一段と磨きがかかっているところが素晴らしい。文句なしの名盤だ。

 

 そんなコルゲンさんの全盛期といえば、1970年代半ばから1980年代の中盤までのおよそ10年間であると、ぼくは観ている。むろん1950年代の後半から亡くなられる前年の2000年まで、氏は一貫して圧倒的なテクニックと表現力豊かなパフォーマンスを披露してきた。そんななかでも、もっともコルゲンさんの個性的なスタイルが堅持されていたのは、上記の期間であるように思われる。サウンド的には、クロスオーヴァーないしフュージョンを志向していた時代だ。そもそもコルゲンさんは、前述のようにプロデビューしたころからすでに、ジャズ・ファンクの流れを汲むサウンドに身を投じていた。たとえば前田憲男が編曲と指揮を手がけたオール・スターズ・オーケストラの『ジャズ・ロック・リラックス』(1968年)というアルバムで、コルゲンさんはバリバリのジャズ・ロックをプレイしている。

 

 このセッションには石川晶も参加しているが、コルゲンさんともども、そのグルーヴ感のあるプレイには気宇壮大なものがある。石川さんとコルゲンとさんはこのアプローチを、カウント・バッファローとジャズ・ロック・バンドカウント・バッファローズといったバンドで徐々にアップデートさせていくのだが、1970年に結成したジャズ・コンボ、フリーダム・ユニティにおいて急成長させる。石川晶(ds)、稲葉国光(b)、鈴木宏昌(key)、村岡建(ss, ts)、鈴木弘(tb)といった5人編成のこのグループは、マイルス・デイヴィスを象徴とするエレクトリック・ジャズを展開しながらも、ジャズ・ロックとフリー・ジャズとの間隙を縫うような音楽性を、日本人アーティストならではの感覚で提示している。その創意と緊張感が横溢するパフォーマンスは、いま聴いてもイノヴェイティヴに響く。

 

 フリーダム・ユニティは、鈴木弘の渡米を機に5か月の活動をもって自然消滅したが、石川晶のリーダー作『パワー・ロック・ウィズ・ドラムス – キリマンジャロのへの道』(1971年)、伝説のソウル・シンガー、サミーこと茅野雅美のアルバム『朝日のあたる家』(1971年)、大野雄二の作品でお馴染みの女性3人組コーラス・グループ、シンガーズ・スリーのアルバム『フォリオール #2』(1971年)、当時のオーディオ技術の歴史的遺産として知られる、ディスクリート4チャンネル・ステレオ録音のデモンストレーション盤として、東芝音楽工業(現EMIミュージック・ジャパン)が制作した『ダイナミック・ロック』(1971年)『CD-4』(1971年)といったレコードで、その先駆的なサウンドを確認することができる。

 

コルゲン・バンドはバンド名をザ・プレイヤーズに変更

 

 フリーダム・ユニティではメンバーの5人が対等な立場にあり、リーダーは選任されていなかったようだが、実際に音を聴くと、バンド・アンサンブルでの音作りにおいては、やはりコルゲンさんがイニシアティヴをとっていたように思われる。この不世出のジャズ・コンボの正式なリーダー・アルバムは『サムシング』(1971年)『ダウン・バイ・ザ・ネイキッド・シティ』(1971年)といった2枚にとどめを刺す。クラブ・シーンでもサミーのアルバムとともに高く評価される2枚だが、ぼくにとっても、いまもって自室のオーディオに向かって新鮮な気持ちにさせられるレコードとなっている。なお、鈴木弘が一時帰国した際に吹き込んだ『キャット』(1976年)のレコーディング・メンバーは、実はフリーダム・ユニティの5人。こちらも名盤である。

 

 フリーダム・ユニティが解散してからも、コルゲンさんは数多くの音楽作品を発表していく。鈴木宏昌とナウという名義でリリースされたイージー・リスニング・アルバム『スクリーンのサウンド・クリエイターたち』(1972年)を筆頭に、様々な企画アルバムを手がけている。ちなみにこのアルバムも、マトリックス方式4チャンネル・ステレオという、立体的な音響効果が狙われた特殊なレコードである。オリジナル・アルバムとしては、稲垣次郎とビッグ・ソウル・メディアを従えた『バイ・ザ・レッド・ストリーム』(1973年)と、ソロ名義のリーダー・アルバム『ハイ・フライング』(1976年)が広く知られている。前者はジャズ・ロックやフリー・ジャズのエッセンスが採り入れられた作品だが、後者はクロスオーヴァー時代の到来を強く感じさせるアルバムだ。

 

 この『ハイ・フライング』は、コルゲンさんの全盛期の幕開けとなった、重要な作品である。このアルバムで一貫して生み出されているグルーヴ感は、明らかに従来のジャズから脱却したもの。杉本喜代志(g)、岡沢章(b)、村上秀一(ds)などが放つヴァイブスは、まさにフュージョン・サウンドだ。そしてこのアルバムが発表された1976年3月に結成されたのが、日本のフュージョン・バンドの草分け、コルゲン・バンドだった。コルゲンさんはこのバンドで『スキップ・ステップ・コルゲン』(1977年)『トリトン』(1979年)『ア・ロンリー・フォーリング・スター』(1981年)といったアルバムを発表。なお『ア・ロンリー・フォーリング・スター』は1977年11月21日に吹き込まれた音源がレコード化されたもので、コルゲン・バンド名義の使用は実のところ1979年に終止符が打たれている。

犬のピアニスト(イラスト)

 このコルゲン・バンドのメンバーは、鈴木宏昌(key)、松木恒秀(g)、岡沢章(b)、市原康(ds)、穴井忠臣(perc)、山口真文(ss, ts)といった顔ぶれ。なお1977年の終わりごろからはドラムスが渡嘉敷祐一に替わっている。いずれにせよ彼らは、ポピュラー・ミュージックを演奏させたら、演奏技術から、即興力と応用力、音感やリズム感に至るまでどこをとってもトップクラス。それ故、彼らは日本のミュージック・シーンで引く手あまたの人気。バンド活動を継続しながらも、いわゆるファーストコール・ミュージシャンとして、様々なアーティストのレコーディングに参加している。彼らを積極的に起用したのだが、実は大野雄二だった。それはともかくコルゲン・バンドは、バンド名をザ・プレイヤーズに変更し、さらなる飛躍を遂げる。フュージョン系のバンドでは日本最高峰と、ぼくは信じてやまない。

 

 ザ・プレイヤーズは、伝説的な音楽プロデューサー、伊藤八十八が、1978年にCBS・ソニーレコード(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)内に設立したレーベル、オープンスカイからレコード・デビュー。1年に1枚と安定したペースで『ギャラクシー』(1979年)『ワンダフル・ガイ』(1980年)『マダガスカル・レディ』(1981年)『スペース・トラベル』(1982年)『ジャック・ア・ダンディ』(1983年)『アップ・トゥ・ユー』(1984年)『ザ・プレイヤーズ・ライヴ』(1985年)といった7枚のアルバムを発表。ただし穴井忠臣が1枚目をもって脱退。4枚目でサクソフォニストが山口真文からボブ斉藤に交替。6枚目からバスクラリネットとサックスで中村誠一が加わる。どのアルバムも高品質だが、今回は衝撃のデビュー作『ギャラクシー』について、具体的に触れてみたい。

 

 このアルバムのレコーディングでは、6人のバンド・メンバーのほかに、新田一郎(tp)、兼崎順一(tp)、岡田澄雄(tb)、平内保夫(tb)、三田治美(tb)らによるホーン・セクション、前田昌利(vlc)率いるトマト・ストリングスがサウンドに彩りを添えている。曲目はすべてコルゲンさんのオリジナル。なお「ギャラクシー」「ヘヴンリー・メイデン」「ミスティー・ムーンライト」は、当時は未発売だったコルゲン・バンドの『ア・ロンリー・フォーリング・スター』の収録曲。アレンジの違い、市原さんと渡嘉敷さんとのドラミングの違いを楽しむことができるので、ぜひ聴きくらべていただきたい。また「カレイドスコープ」の原曲は、コルゲンさんが音楽を手がけた映画『サーキットの狼』(1977年)のなかの1曲「小さな箱の中で」である。

 

 アルバムはアップビートな「ギャラクシー」からスタートする。コルゲンさんが敬愛するウェザー・リポートからの影響を感じさせるスペーシーなシンセサイザー、ファンキーなベースライン、そしてタイトなドラミングが躍動感溢れるフュージョン・サウンドを演出。トライバル・ビートに乗ったソプラノ、そのあとのグルーヴィーな展開に乗ったシンセといったソロが痛快だ。つづくバラード「イン・ユア・マインド」では、ファンタスティカルなローズ・ピアノをバックに、テナーがメロディアスでピースフルなソロを繰り広げる。ベースのオブリガートも絶品だ。インタールード的な「アンスウィーテンド」は短尺ながら、このバンドの卓越したユニゾン、そしてインタープレイを堪能することができる。彼らの演奏技術がいかに優れているかが、よくわかる。

 

 A面ラストの「カレイドスコープ」では、メランコリックなゆったりとしたソプラノによるテーマが、パーカッシヴなホーン・セクションが挿入されたあと、一気にテンポアップする。ここでのハイライトはなんといっても、ロッキッシュなギターの白熱するソロ。サンバ・ビートになってからのローズのソロも軽やかでいい。ドラムス、ベース、そしてパーカッションのバッキングも圧巻だ。B面のトップはシンコペーテッドなフュージョン・ブギー「ヘヴンリー・メイデン」からスタート。シンセのソウルフルなソロも然ることながら、シネマティックなブラス・サウンドとキレのあるギターのカッティングが爽快だ。エキゾティックかつミステリアスな「マジック・ランプ」では、ファンクとラテンとがほどよくミックスされたビート感のなか、ソプラノが悠然と美しいメロディを歌い上げる。ストリングスも効果的だ。

 

 アルバム中唯一晴れやかなムードの「サニー・サイドウォーク」では、転調が効果的な爽やかなメロディック・ライン、軽快にバウンスするリズムが心地いい。テナーによるテーマ、そしてアコースティック・ピアノによるソロもさっぱりしていて、コルゲンさんのソングライティングのセンスのよさが窺われる。アルバムのラストを飾る「ミスティー・ムーンライト」では、神秘的で繊細なサウンドがやはりウェザー・リポートのそれを彷彿させる。とはいっても後半がメロウな展開を見せるところは、コルゲンさんらしい。夜の静寂に溶け込むようなソプラノとシンセの柔らかで美しい音色が、深い余韻を残す。本作は、メンバー個々のフィーチュアリングが少なめな構成となっているが、逆にコルゲンさんの音楽性がもっとも発揮された1枚とも云える。そういった意味も含めて『ギャラクシー』は、輝かしき幕開けの作品なのである。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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