Novo / Love Is There – Novo Complete Works – (2013年)

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世界にただひとりの音楽家──横倉裕の貴重な青春の日の軌跡

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Album : Novo / Love Is There – Novo Complete Works – (2013)

Today’s Tune : Guanabara Bay

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際立って個性的な知るひとぞ知る存在

 

 あなたは、横倉裕という音楽家をご存じだろうか?彼の音楽にたまたま触れることができたひとは、ほんとうに幸運だと思う。というのも、彼が紛れもなく日本人アーティスト(基本的には鍵盤奏者)であって、そのキャリアも相当長いのにもかかわらず、いまもって知るひとぞ知る存在だからである。しかしそれは、彼のプロフィールを鑑みれば、無理もないことなのだが──。

 

 早熟にして16歳でプロデビュー、その後の活躍が期待されたが、突然、大学を中退して単身渡米、活動の拠点をロサンゼルスに移す。2006年以降は、なんと「カルロス・“ユタカ”・デル・ロザリオ」という別名で活動するようになり、いまとなっては日本語を使うことがままならないくらい、あちらのひとになっている。

 

 しかしながら、ずっと横倉さんの音楽を追いかけてきたものからすれば、ひとりでも多くのひとに彼のことを知ってもらいたいと思うのは、ごく自然なことなのだ。なぜなら、彼は世界にただひとりの音楽家であり、彼が創造する音楽は際立って個性的で、誰にも真似することができないものである──ということを、ちゃんと知っているからだ。

 そして、もしもあなたが横倉裕の音楽に偶然出会ったとしたら、きっと、それまでに味わったことのないような鮮烈な幸福感を覚えることになるだろう。たぶん、その唯一無二の響きにこころを奪われたあなたは、まるで依存するかのように反復的にそれを聴くようになるだろう。もしかすると、新たに彼の作品を探し求めて、あちこち歩きまわることにさえなるかもしれない。

 

 横倉裕の代表的なアルバムは以下のとおり──

  1. 4TH ALL JAPAN LIGHT MUSIC CONTEST – GRAND PRIX FOLK & ROCK – (1971年)
  2. LOVE LIGHT / YUTAKA (1978年)
  3. DE NOVO / L.A. TRANSIT (1986年)
  4. YUTAKA / YUTAKA (1988年)
  5. ILHA DOS FRADES / VELAS (1989年)
  6. A GRP CHRISTMAS COLLECTION (1989年)
  7. BRAZASIA / YUTAKA (1990年)
  8. ANOTHER SUN / YUTAKA (1993年)
  9. NOVO COMPLETE / NOVO (2003年)
  10. LOVE IS THERE – NOVO COMPLETE WORKS – / NOVO (2013年)

 ※1は邦題が『第4回 全日本ライト・ミュージック・コンテスト・グランプリ1970』(CD化済み)で、高校生の横倉さんがザ・マザーズ・ウォーリーというグループでヴォーカル・ナンバー「ジャスト・アフター・ザ・レイン」を演奏している。また、6はオムニバス盤で横倉さんはダニー・ハサウェイのカヴァー「ディス・クリスマス」一曲のみの参加。

 

自己のアイデンティティをワン・アンド・オンリーの音楽として表現

 

 ぼくがはじめて横倉さんに強い関心を抱いたのは、上記の『ラヴ・ライト』(ソロ名義ではファースト・アルバム)が発売されたときのこと。これは、1976年から1978年にかけてリリースされた、アール・クルー(g)、ノエル・ポインター(vln)、パティ・オースティン(vo)、リー・リトナー(g)、デイヴ・グルーシン(key)等のアルバムと同様に、グルーシン/ローゼン・プロダクションによって制作された作品である。

 

 実を云うと(横倉さんの名前はすでにラヴ・マシーンの1977年発表の『恋のショック』というアルバムで知っていたが)、最初ぼくはこのアルバムをショップで発見したとき、購入をためらった。というのも、そのジャケットにかけられたタスキに「これ程、洗練された東洋音楽と西洋音楽の融合があったであろうか」というセールス・メッセージが記されていたからだ。つまり、ディスカヴァー・ジャパン的な単に一時的な流行を当て込んで作られた作品と疑ってしまったわけ。あとになってみれば、それはまったくの杞憂に過ぎなかったのだけれど──。

 

 そもそも、この作品のプロデューサーを務めたデイヴ・グルーシンは、キワモノみたいな音楽に関わるようなひとではない。出来したサウンドは、決してオリエンタルではなくてむしろアーバンな雰囲気!つまるところ──ここで横倉さんは、アメリカの名うてのスタジオ・ミュージシャンだけではなく、LA在住の日本人ミュージシャン──喜多嶋修(ギター、琵琶、琴)、松居和(尺八)や、日系アメリカ人三世によるバンドHIROSHIMAのメンバー──ジューン・クラモト(琴)の協力を得て、異国に身を置く日本人としての自己のアイデンティティを、アメリカ人にも日本人にも違和感を与えることのない、ワン・アンド・オンリーの音楽として表現していたのだ。

 ちなみに、ぼくはこのアルバムに収録されている、横倉さん自身が歌った「ラヴ・ライト」という曲が大好きなのだが、グルーシンはこの曲を、この後すぐに当時彼の秘蔵っ子シンガーだったアンジェラ・ボフィルにカヴァーさせている。まあそれはともかく、この名作をものしたあとの横倉さんの音楽活動は、大京観光のCMに(後年上記の『YUTAKA』でリメイクされた)「ドリームランド」という曲を提供したり、増尾好秋さん(g)やグレッグ・フィリンゲインズ(key)のアルバムに参加したり──と、なにかと、ぼくの目をひくものだった。

 

 それでもその知名度はほとんど上がらず、それなりに横倉さんの名前が日本のリスナーに知れ渡ったのは、彼が1988年にグルーシンのレコード会社GRPレコードと契約してからのこと(この頃からYUTAKA名義を使うようになる)。それを機に、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、琴奏者、シンガー、レコーディング・エンジニア、そしてプロデューサーとして、様々なレコーディングでそのクレジットが発見されるようになる。とはいっても、彼はもともと、音楽に対する姿勢がストイックというか、妥協知らずのひとだから、その仕事量は決して多くはなかった。そのぶん手がけた作品は、どれも極めて完成度が高い。

 

 そのなかでも、フィリピンのシンガー、チャド・ボルハの二枚のアルバム『ショウ・ミー・ザ・ウェイ』(2000年)と『イカウ・ラン・サ・ハバン・ブハイ』(2013年)は注目にあたいする出来栄えで、三度の飯を抜いても聴いてほしいもの。それらの作品では、楽曲の個性的なコード進行、テンション・ノートを多用した絶妙なハーモニー、効果的なモジュレーション、リズムに対する独特なバランス感覚……と、チャドの柔らかな声質が相まって、横倉裕の音世界そのものとも云えるサウンドがクリエイトされている。

 

(『ラヴ・ライト』については、下の記事をお読みいただければ幸いです)

敬意を表し再評価すべき音楽

 

 さて、ここで時計の針を戻す──ときは、横倉さんがセルジオ・メンデスに出会いブラジル音楽の影響を受け、ロサンゼルスに渡りカーペンターズの師であるフランク・プーラーに合唱の手ほどきを受け、デイヴ・グルーシンにアレンジとオーケストレーションを学ぶ──それ以前のこと。すなわちそれは、前述したように横倉さんが早熟にして16歳でプロデビューしたときのことである。彼は成蹊高校在学中にすでにボサノヴァ・テイストのバンド、ザ・マザーズ・ウォーリーで活動していたが、その後より幅広い音楽性をもったNOVOを結成し、1972年からレコーディングを開始した。

 

 ところが、後に作詞家として活動することになるヴォーカリストのダイアン・シルヴァーソーンが突然グループを脱退。新たに藤川あおいというシンガーを迎えてプロジェクトを再開した。なんとか1973年にシングル盤二枚をリリースするも(新し過ぎたせいか)セールス的に振るわず、トラックダウンまで済ませていたアルバム用の音源もお蔵入りとなった。その後横倉さんは、すでに述べたとおり、たまたまカーペンターズとともに来日していたプーラーにコンタクトをとって、単身渡米。NOVOは自然消滅の憂き目を見た──まさにまぼろしのグループである。そしてその後、NOVOが高い音楽性を有するのにもかかわらず、その存在について触れられることは、ほとんどなかった。2003年までは──。

 

 それはまったく不意の出来事だった──ジャンルに囚われない音楽を提供するというコンセプトで立ち上げられた、キングレコード傘下のPOP SHOPレーベルが、上記の既発音源をリマスターした4曲とお蔵入りした未発表音源8曲をすべて収録した『NOVO コンプリート』をリリースしたのだ。楽曲の内訳は、カーリー・サイモンミシェル・ルグラン、そしてジョアン・ドナートといったジャンルを超えた3曲のカヴァー、コンポーザー、プロデューサー、そして後のアルファレコードの創立者でもある村井邦彦さんのペンによる2曲、(詳細は不明だが)A.アドルフというひとの曲、そして横倉さんのオリジナル6曲となっている。ついにベールを脱いだそのサウンドは、歌謡曲全盛時代にはひときわ異彩を放っていたであろう、本格的ブラジリアン・グルーヴのJ-POPだった。

 このとき、ぼくの大好きなオレンジ・ペコーのギタリスト、藤本一馬さんが「大先輩に大きなリスペクトの気持ちを感じています」と、DJでプロデューサーの須永辰緒さんが「今ここできっちりと再評価してあげよう」と、それぞれコメントを寄せていらっしゃる。ぼくも、まったくそのとおりだと思う。そしてその完成度の高さは間違いなく、ひとえに横倉さんの音楽を創造するうえでの、尋常ではないこだわりによるもの。たとえば、そのリズム・セクションのアレンジやオーケストレーションの秀逸なマナーは、おそらく独学によるもので、その後実際に出会うことになる(前出の)メンターたちへの憧憬と敬意が生み出した青春の日の軌跡なのだ。

 

 刹那的な需要に応えるだけの音楽が粗製濫造されるいまのネット時代において、このNOVOの音楽はまるで限りなく硬度が高く光を失わない宝石のように、ぼくには思われて仕方がない。そんな勝手な思いを裏づけるように、このPOP SHOP盤が廃盤になったあとも名盤発掘で定評のあるウルトラ・ヴァイヴさんがリイシュー(曲順はメンバーの意向により変更)──それが『ラヴ・イズ・ゼア – NOVO コンプリート・ワークス –』だ。特筆すべきは、この再編にあたり2012〜2013年の新規録音二曲が追加収録されたこと。そのうち「ラヴ・イズ・ゼア」(前掲のシングル「愛を育てる」の英語ヴァージョン)では、原曲を歌った藤川あおいさんが参加──これは奇跡というしかない!

 

 そしていまひとつ「グアナバラ・ベイ」はまったくの新曲──ミッド・テンポのサンバのリズム、凝りに凝ったコード進行、横倉さん自身の独特なソフト・タッチの歌声──特別に明るいわけでもなく逆に哀しみに浸るわけでもない──ポジティヴなムードのなかにそこはかとなく哀愁が漂うような、それは云ってみれば“都会のサウダージ感覚”──これこそ横倉裕の世界!この素晴らしい音楽を、多くのひとに知ってもらいたい。そして、この新曲の吹き込みからもう十年が経過したいま、ぼくは声を大にして云いたい──横倉さん、世界はあなたの音楽を必要としている!──と。


 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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