Michel Colombier / Michel Colombier (1979年)

ピアノの鍵盤
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現代音楽とヴァリエテ・フランセーズをつなぐミッシングリンク

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Album : Michel Colombier / Michel Colombier (1979)

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第三の男(とはいってもハリー・ライムではない)

 

 ミシェル・コロンビエは、ぼくにとって第三の男である。もちろん、キャロル・リード監督によるあの不朽の名作とは、なんの関係もない。コンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、そしてプロデューサー……と、総合的に活動する音楽家は数多存在するが、ぼくがもっとも敬愛するのは、デイヴ・グルーシンボブ・ジェームスのふたり。では、それに次ぐアーティストはというと、ミシェルということになる。どうしてそうなるの?しかもフランス人じゃないか──と、思うかたもいらっしゃるだろう。

 

 確かに上記のふたりはいっとき、クロスオーヴァー(のちのフュージョン)というスタイルに先鞭を着けた、あのCTIレコードで活躍したミュージシャン。そして、CTIの系譜を念頭に置くと、クラウス・オガーマンドン・セベスキーデヴィッド・マシューズ……といったハウス・アレンジャーや、ブラジル出身のエウミール・デオダート、アルゼンチ出身のラロ・シフリンなどの名前のほうが、先に思い浮かぶのだ。

 

 でも、ぼくにとって第三の男といえば、やはりミシェル・コロンビエ以外は考えられない。いちばんの理由は、そのミュージカリティの幅の広さ。それは、ジャズ、ロック、ポップス、クラシックそれに現代音楽に至るまで、様々なジャンルの音楽に対応している。また、彼は通常のスタジオ・ワークのほか、映像作品や舞台舞踊にも、たくさんのスコアを提供した。そんなヴァーサティリティに富んだ音楽性が、デイヴ・グルーシンボブ・ジェームスとよく似ているのだ。

 ついでに付言すると、ボブの『BJ4』(1977年)、デイヴの『ワン・オブ・ア・カインド』(1978年)、そして今回採り上げるミシェルの『ミシェル・コロンビエ』(1979年)は、当時なんとなく音楽家になりたい──なんて思っていたぼくにとって、バイブルのようなものだった。作曲やアレンジについて、ひとから教わったことがなかったぼくには、大いに役立った作品であり、いまとなっては自分でもあきれるほど何度も聴き込んだレコードということになる。

 

 ちなみに、このミシェルのアルバム──日本ではじめて発売されたときは『スーパー・フュージョン!』という邦題が冠せられていた。しかもセールス・メッセージには「音楽は楽しい仲間を作る。鬼才ミッシェル・コロムビエ(←当時の表記)がその仲間と創り出す超豪華セッション・アルバム!」とあり、リーダーよりも参加した名うてのミュージシャンたちのクレジットで売ろうとされているのが、よくわかる。おまけに「〔演奏〕ミッシェル・コロムビエ・ウィズ・ビッグ・フレンズ」と記されている。けっこう好き勝手にやられていたのね。ミシェルの当時の知名度が低かったのはわかるけれど──。

 

音楽スタイルの境界を撤廃しようとする、理想主義者の作曲家

 

 ところで、ぼくがミシェルの名前にはじめて注目したのは、リー・リトナー(g)の『キャプテン・フィンガーズ』(1977年)というアルバムでのこと。リーのオリジナル曲「ドルフィン・ドリームス」のストリングスのアレンジャー&コンダクターとして、ミシェルのクレジットを発見した。同アルバムにはデイヴ・グルーシンもアレンジャーとして参加しているが、ミシェルのストリングスはデイヴのそれよりもよりシンフォニックな編曲が施されていて、楽曲の印象を壮大なものにしていた。

 

 このレコードのクレジットにおいて、ミシェルはA&Mレコードの所属と表記されていた。そのことを記憶に留めて彼のレコードを探し求めていたら、ちょうどその頃リイシューされたセカンド・アルバム『ウィングス』(1971年)を発見!ベルギーの芸術家、ジャン・ミシェル・フォロンのイラストがジャケットにあしらわれたLPを手にしたとき、ぼくは狂喜乱舞したもの。ちなみに、ファースト・イシューのジャケットは、悲しくなるくらい味気ない仕様なのだ。

 

 それはさておき、内容のほうはというと──A&Mの社長でトランペッターのハーブ・アルパートのプロデュースのもと、その奥様のラニ・ホールライチャス・ブラザーズビル・メドレー、シンガーソングライターのポール・ウィリアムズシスターズ・ラヴヴァーメッタ・ロイスターなどのシンガーがフィーチュアされながらも、オーケストラルなサウンドが際立つ一大組曲。無理矢理カテゴライズすれば、プログレッシヴ・ロック──いやいや、ちょっと違うな。間違いなく、実験的であり革新的でもあるのだけれど──。

 まあ、ミシェル本人が自分自身のことを「音楽スタイルの境界を撤廃しようとする、理想主義者の作曲家」と云っているくらいだから、そもそも彼の創造するサウンドを、なにかひとつの音楽に結びつけて考えようとすること自体、ナンセンスなのだろう。そういった意味では、純粋にフュージョンしている──と、云えるのかもしれない。たとえ既成概念ではぶつかり合うような複数の音楽でも、彼の手にかかってしまうと、説得力のある感動的なミクスチュアとなるのだから──。

 

 たとえば、あとになって入手したミシェルの手掛けた2枚のアルバム──バレエと現代音楽とのコラボレーション『現代のためのミサ/ピエール・アンリ・コレクション』(1968年)と、ヴァリエテ・フランセーズ(日本でいうところのフレンチ・ポップ)が特色となっているファースト・アルバム『カポ・ポアンチュ』(1969年)は、同時期に制作されているが、本来まったく異なる音楽にカテゴライズされるもの。そして、このふたつをつなぐミッシングリンクこそ、ミシェルの音楽性なのである。

 

その実力と魅力のきらめきがはっきりと確認できる

 

 ときに、ミシェルにとって三枚目のリーダー作となる『ミシェル・コロンビエ』について──実はこのアルバム、どのような経緯だったのかさだかではないが(もしかして音楽的に分類不可能だったから?)、ニュー・ウェイヴやパンクも含めた英国のロック系のレーベル、クリサリス・レコードからリリースされた。そのせいか、セールス的には振るわなかった。もちろん内容は、上出来なのだが──。ただ、この傑作が生み出されるキッカケのひとつは、ブラジル出身のシンガー、フローラ・プリンのアルバム『エヴリデイ・エヴリナイト』(1978年)の成功であると、容易に想像される。

 

 この作品、実質的にはフローラとミシェルのコラボレーション・アルバムと云っても過言ではない。全11曲中8曲をミシェルが作曲しているし、オーケストレーションもすべて彼が務めているのだ。また、このときのレコーディングの主要メンバーが『ミシェル・コロンビエ』のそれと共通する。ハービー・ハンコック(key)、マイケル・ボディッカー(synth)、リー・リトナー(g)、アイアート・モレイラ(perc)、ロンドン交響楽団、そしてジャコ・パストリアス(b)!──以上のミュージシャンは、どちらのアルバムにも参加している。

 

 そして、後者において新規に参加したのは、ラリー・カールトン(g)、ジェリー・ナイト(b)、スティーヴ・ガッド(ds)、ピーター・アースキン(ds)、トム・スコット(lyricon)(トムは『ウィングス』に参加していた)。特にラリーは、このプロジェクトに構想段階から関与していたためか、ソロイストとしてフィーチュアされる場面が多い。フローラのアルバムでもやっていた「オーヴァーチュア」、マイケルのテナーが鳴きまくる「ラヤス」、ジャコのベースも美しいシンフォニックな「スプリング」などで、一聴でラリーと判るよく歌うギター・プレイが聴ける。ちなみに「オーヴァーチュア」ではパラディドルを含めたガッドらしいドラミングが聴けるが、フローラ版のほうではハーヴィー・メイソンが(まったく違ったグルーヴで)叩いているので、東西名ドラマーの聴き比べをおすすめする。

 ほかにも──ミシェルによるピアノのポリメトリックなイントロからジャコ&アースキン(ウェザー・リポートのリズム隊)によるパワフルでジャジーなグルーヴへと進行するなか、ハービーのミニモーグがアドリブしまくる「サンディ」、いかにもジャズ・ファンクといったリフがつづくなか、リーのギターとやはりハービーのミニモーグの音色が印象的な「テイク・ミー・ダウン」、ジャコのベース、ラリーのギター、マイケルのシンセ、そしてストリングスが静謐で美しい世界を描き出す「ドリームランド」、ポップでありながらクラシックの形式を彷彿させる複数のパートからなる「クイーンズ・ロード」(いかにもミシェルらしい曲だ)、マイケルのテナーとストリングスの共演が味わい深い「バード・ソング」、トラボルタも踊り出しそうなディスコ・ナンバー「ドゥ・イット」、トムのリリコンの音色が懐かしい「ダンシング・ブル」、ロベルト・シューマンのピアノ・コンチェルトが意識された「オータム・ランド」──と、聴きどころ満載だ。

 

 そんななかで、ミシェルの適材適所のキーボード・ワークとジャンルに囚われないアレンジのマナーは、たとえ主役ではなくても、その実力と魅力のきらめきがはっきりと確認できて、本来いちばん高く評価すべきものであると、ぼくは思う(やはりバイブルなのだ)。そして本作には、確かに全体的にジャズ/フュージョンのテクスチャーが感じられるけれど、ひとつのジャンルには収まり切らない音楽のファクターがたくさんミックスされている。これほど様々な音楽を熟知し、それらをフレキシブルに採り入れて新しいものに昇華させることができるサウンド・クリエイターを、ぼくはほかに知らない。

 

 ミシェルはその後、二枚組LP『ふぁんたじい』(1983年)で、その音楽世界を拡大(前述のフォロンによるイラストとドローイングも増強)──さらなる飛躍を予感させたが、がんを患い2004年に65歳で鬼籍に入った──ほんとうに惜しまれてならない。


 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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