Lee Ritenour & His Gentle Thoughts / Gentle Thoughts (1977年)

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ジェントル・ソウツ──フュージョンの歴史、レコーディングの歴史にその名を残す

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Album : Lee Ritenour & His Gentle Thoughts / Gentle Thoughts (1977)

Today’s Tune : Gentle Thoughts

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フュージョンが市民権を得るきっかけ

 

 フュージョンと呼ばれる音楽の発生時期は、かりそめにも明瞭に断定することはできない。おそらく1960年代後半から1970年代初頭あたりだろう。しばしば、マイルス・デイヴィスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』(1969年)や『ビッチェズ・ブリュー』(1970年)がルーツである──という謦咳に接することがあるが、ぼくにはどうも通り一遍の解釈に思えて仕方がない。たとえば、クリード・テイラーアントニオ・カルロス・ジョビンクラウス・オガーマンによる名作『イパネマの娘』(原題は『The Composer Of Desafinado, Plays』──1963年)は、それらよりもまえに誕生しているし──。

 

 そのクリード・テイラーといえば、クロスオーヴァー・ブームに先鞭をつけたCTIレコードの創設者。A&Mレコード傘下でCTIレーベルがスタートしたのは1967年。ウェス・モンゴメリーの『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』(編曲/ドン・セベスキー)や、ジョビンの『』(編曲/クラウス・オガーマン)がリリースされた年だ。クロスオーヴァーとは、もともと──ジャンルの枠を超えた音楽性を融合させる──という意味。そういうニュアンスを鑑みると、ぼくには、こちらのほうがフュージョンの源流のように思えてしまうのだが、いかがなものだろう。

 

 いずれにせよ、フュージョンは、幅広い音楽性を抱えているがゆえに、様式的に曖昧なところが多いので、音楽のジャンルのひとつとして市民権を得るまでに、それなりに時間を要した。それに当時、仮にジャズという名の宗家が存在していたら、モード・ジャズやフリー・ジャズ、あるいはポスト・バップは本家、フュージョンは飽くまで分家と呼称されていたかもしれない。そんな扱いだった。いや、もっと無慈悲に、モダン・ジャズやロックは硬派な音楽、フュージョンは軟派──みたいな空気が、確かにあった。ぼくもまだ、ちょっと世間体をはばかるようにフュージョンを聴いていた。いまから考えると、思慮に欠けていた。

 そんな状況下のわが国において、フュージョンの音楽的志向が広く理解されるようになり、ジャンルとしても一般的に根付くようになったのは、この作品がベストセラーを記録してからではないだろうか。そういう意味では、1977年にリリースされた『ジェントル・ソウツ』というアルバムは、歴史的名盤の名に相応しい。リーダーのギタリスト、リー・リトナーは、1973年にセルジオ・メンデスのサポーターとして、すでに来日を果たしていたし、リーダー作も『ファースト・コース』(1976年)『キャプテン・フィンガーズ』(1977年)──と、2枚ほど発表していたけれど、人気のほうはまだまだだった。

 

 それもそのはず、リトナーがファースト・アルバムを吹き込んだのは、彼がまだ25歳になったばかりのとき。そういえば、まだあどけない顔をしていたな。それまでにフランスのシンガーソングライター、ミシェル・ポルナレフのバック・ミュージシャンを務めたり、スタジオワークをそれなりに経験していたけれど、日本では無名に近かった。そんな彼が、一気にスターダムに駆け上がることになったのは、やはり『ジェントル・ソウツ』がきっかけ。そこでは、その若齢からは想像し難いくらい、卓越した高度なテクニックのギター・パフォーマンスが披露されていた。

 

伝説のダイレクト・ディスク──それって、なに?

 

 しかも、このレコード、伝説のダイレクト・ディスクなのだ!ネット世代のひとには馴染みのないコトバだと思うけれど、ひとことで云えば、ダイレクト・カッティング(正式名称は“Direct-to-disc Recording”)という手法で製作されたアナログ・ディスクのこと。ああ、それでもわからないよね。かいつまんで説明すると、その手法は、いままさに演奏されている音楽がマイクで拾われ、その信号が直接カッティング・マシンに入力され、ラッカー盤に溝が刻まれる──つまり、レコーディングしながら、同時に原盤(レコードを複製するためのスタンパー)も製造してしまうというもの。

 

 その利点といえば、通常のレコーディングのように、マスター音源をいったんテープに録音したり、それを編集したりしないということ。テープを使用しないのだから、当然それによるノイズなどもなくなるわけで、音質は格段によくなるのだ。そのぶん、ミュージシャンにはもちろん、レコーディング&ミキシング・エンジニア、それにカッティング・エンジニアには、高度な技術が要求され、精神的負担までかかる。まだライヴ・レコーディングのほうが、差し替えや編集ができるぶん伸びやか。ダイレクト・カッティングは、少なくともレコードの片面はぶっ通しで録音。失敗は許されない。みな、冷や汗のかき通し──。

 

 そんなハラハラ、ドキドキのダイレクト・カッティングの草分けは、カリフォルニアに拠点を構えるシェフィールド・ラボというダイレクト・ディスク専門のレコード会社。コンポーザー、アレンジャー、そしてキーボーディストのリンカーン・マイヨーガと、マスターリング・エンジニアのダグラス・サックスによって設立された。当時、日本でも株式会社メースによって、日本語ライナーノーツが付属された直輸入盤が販売された。ただ輸入される枚数は非常に小量だったようで、ぼくもレコードを探し求めて、むかし秋葉原にあった石丸電気3号店(レコードセンター)まで、足を延ばしたもの(懐かしい)。

 そのとき入手したレコードは、ぼくのもっとも敬愛する音楽家のひとり、デイヴ・グルーシンの4枚目のリーダー作『ディスカヴァード・アゲイン!』(1976年)。サントラ盤の『コンドル』(1975年)、5作目の『ワン・オブ・ア・カインド』(1978年)といった名作にはさまれてリリースされた作品だから、わるいはずがない。オーディオファイルを唸らせるであろう、高音質で再現される空気感や臨場感の素晴らしさも然ることながら、グルーシンの感性とその音楽の芸術性がまざまざと感じられる、晶瑩玲瓏とでも云いたくなるような美しさと輝きが、得も言われぬ感動を喚ぶ。

 

 結局、シェフィールド・ラボの影響力は、日本のレコード会社にも多大な影響を与えた。たちどころに、様々なレコード・レーベルが、ダイレクト・ディスクの制作に乗り出したのだ。たとえば、ジョー・サンプルレイ・ブラウンシェリー・マンの『ザ・スリー』(1976年)や、ハービー・ハンコックの『ダイレクトステップ』(1979年)といった名盤は、日本サイドのプロデュース作品。昔から、日本人の音へのこだわりには、並々ならぬものがあるな。そういえば、近年のレコード・ブームから、山本剛トリオによる『ミスティ・フォー・ダイレクト・カッティング』(2021年)というアナログ盤がリリースされたのも、記憶に新しい。

 

 そのなかでも、JVCが制作した『ジェントル・ソウツ』は、インパクトの強さ、レコーディング手法の有効性という点で、至高の一品と云える。本作のリーダーであるリー・リトナーは、実は前述の『ディスカヴァード・アゲイン!』にも参加している。さらに、ほかにも『シュガー・ローフ・エクスプレス』(1977年)『フレンドシップ』(1978年)『セッションⅡ』(1979年)『オン・ザ・ライン』(1983年)といった、ダイレクト・ディスクを吹き込んでいる。彼は、まさしくダイレクトのオニだね。ちなみに『セッションⅡ』は、YAMAHAのデモンストレーション盤(非売品)。

 

フュージョンの歴史に、いまも燦然と輝く

 

 当時リトナーは、ジャズ・ピアニストのドン・ランディがロサンゼルスでオープンさせた、ベイクド・ポテトというクラブの常連で、毎週火曜日の夜にギグを行っていた。本作のレコーディング・メンバーは、そのときの気心の知れたミュージシャンたちが中心となっている。ハーヴィー・メイソン(ds)、スティーヴ・フォアマン(perc)、アンソニー・ジャクソン(b)、デイヴ・グルーシン(key on Side-A)、パトリース・ラッシェン(key on Side-B)、アーニー・ワッツ(sax, fl)、そしてリー・リトナー(g)、さらにレコーディング・エンジニアは名手フィル・シアーと、いまとなってはレジェンドばかりだが、当時は皆まだ若かった。

 

 そう、本作には若さゆえの輝きがある。失敗は許されないけれど、ミュージシャンたちはそれを恐れることなく、スリリングな演奏を繰り広げている。部分的には粗削りに聴こえるところもあるけれど、そんな些事に拘泥する余地などないほどに、フレッシュな魅力に溢れている。何度聴いても、やはり握った手がじっとり汗ばんでくるほど、ときに興奮させられたり、ときに緊張させられたり、とにかく楽しい時間を過ごさせてくれるのだ。なお、このときのレコーディング(1977年5月28日、29日)は、サイドA、サイドB、それぞれ数テイクずつ行われており、それが振り分けられて2種類のレコードとして発売された。2枚目は便宜上“TAKE-2”となっているが、実際の吹き込み順を示唆すものではない。

 

 初回盤もTAKE-2も、収録曲、曲順は同一。当然のことながら、演奏はかなり違う(ドラムスとパーカッションはかなりフリーなのね)。ただ、2枚を聴き比べることによって、それぞれの楽曲が、マスターリズム譜がどの程度書かれていたのか、それがいかばかりのヘッドアレンジだったのか、類推するような──そういう楽しみかたもできる。演奏に優劣の差はそれほどないので、あとは好みかな。ぼくの場合、サイドAはTAKE-2、サイドBは初回盤のほうが好き。それらの音源は、ダイレクト・カッティングと同時に、2トラック・アナログ・テープに記録されていたので、そのテープから20bit K2マスタリングによるCD化が実現した。

 最後に収録曲について簡単にメモしておく。フュージョンにスタンダードというものがあるとすれば、この曲がそれ。グルーシンの曲「キャプテン・カリブ」──オリジナルはアール・クルーの『リヴィング・インサイド・ユア・ラヴ』(1976年)に収録。グルーシンも『マウンテン・ダンス』(1980年)でセルフカヴァーしている。ピアノの両手のコンビネーションによるバッキング、ギターのファンキーなソロ、テナーのジャジーなブロウと、初っ端から熱く展開。その後、パーカッションによる間奏が入る(初回盤ではドラム・ソロ)。つづいて「ゲッタウェイ」──アース・ウィンド・アンド・ファイアの『』(1976年)からのカヴァー。やはりギターとテナーが豪快に歌いまくる。

 

 グルーシンの曲「シャンソン」──もともとアート・ファーマーの『クロール・スペース』(1977年)に収録。グルーシンらしいヒューメインなナンバー。フルートとローズが美しくも軽快なフレーズを紡いでいく。メイソンの曲「瞑想」──原題は「リキッド」といい、本人の『ファンク・イン・ア・メイソン・ジャー』(1977年)に収録。もの柔らかなメロディ・ライン、情熱的なメインモチーフも然ることながら、後半のビスにおけるソリのなかで、ベースのフリーフォームのプレイがひと際クール。──ここまでがサイドA。

 

 つづいてサイドB──。リトナーの曲「キャプテン・フィンガーズ」は前述の同名のアルバムに収録──テンポ、テンション、スリル、どれもグレードアップしている。「愛のためいき」──ロバータ・フラックの1975年にリリースされた同名アルバムからのカヴァー。というか、どちらかというと、同じメンバーで吹き込まれた、ボブ・ジェームスの『はげ山の一夜』(1974年)に収録されているヴァージョンで広く知られているかな。レイドバックなムードのなかに、ピアノとテナーが沁み込むようなソロを綴る。

 

 そして「ジェントル・ソウツ」──ハービー・ハンコックの『シークレッツ』(1976年)からのカヴァー。原曲よりテンポが落ちているが、そのぶん重厚感が出来。ラッシェンのローズがハンコックのそれを彷彿させるのが面白い。メイソンのドラムスに牽引されて、バンドは一体となり、心地いいグルーヴは最高潮に達する。この曲の出来栄えの素晴らしさから、バンド名がジェントル・ソウツとなった。その名は、フュージョンの歴史に、いまも燦然と輝く。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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