Sylvia Striplin / Give Me Your Love (1981年)

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ロイ・エアーズの推しの子、シルヴィア・ストリプリンの唯一のソロ・アルバム

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Album : Sylvia Striplin / Give Me Your Love (1981)

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2023 / 涼感スムース・ジャズにマニアックなソウル・ミュージック?

 

 ぼくの職場では、株式会社USENが提供する音楽放送サービスを利用している。勤務時間のほとんどを、音楽を聴きながら働くことができるのだ。このところ猛暑がつづいていることもあり、夏向けのBGMが流されている。なかでも「涼感スムース・ジャズ ~波の音入~」というチャンネルが、ちょっと気になった。このチャンネルの選曲、スムース・ジャズといっても、フュージョン、R&B、AOR、それにワールド・ミュージックなど、実に幅広いジャンルの音楽が盛り込まれている。アメリカ西海岸のラジオ・ステーションを意識したのか、スムース・ジャズというコトバが、広義に解釈されている。

 

 こういう音楽の捉えかたが、ぼくは大好きなのだが、選曲屋さんのほうは、音楽の知識やセレクションのセンスが問われるから、さぞご苦労されていることと思う。もちろんクラブDJのように、フロアでターンテーブルやミキシング・コンソールを使って様々な音楽をクロスさせていくような特殊な技能は無用だろうけれど、少なくとも曲から曲へのツナギにおいて、軽妙洒脱さは要求されるだろうからね──。このチャンネルは、その点がちゃんと押さえられている。おまけに、爽快で心地好い音楽のバックに、涼しさを感じさせる波のサウンド・エフェクトまで入っていて、実に気が利いている。機会があったら、ぜひ聴いてみてほしい。

 

 念のために云っておくと、スムース・ジャズは現在、音楽ジャンルのひとつとして、しかと認知されている。ただ前述のように、アメリカ西海岸のラジオ・ステーションに向けて作られるようになった音楽だから、日本ではあまり馴染みがないと思う。基本的なスタイルはフュージョンから派生したものだが、明らかにそれと異なるのは、白熱するような長尺な即興演奏、複雑なリズムや緊張感をもったハーモニーが、意識的に避けられているというところ。つまり、それ以前のニュー・アダルト・コンテンポラリーと同様に、そのサウンドスケープは飽くまでラジオ用のフォーマットに従ってデザインされている。ひとことで云えば、聴きごこちのよさが第一の音楽なのだ。

波の音が聞こえる浜辺

 そんなことからスムース・ジャズは、よくモダン・ジャズの愛好家から羊頭狗肉のような扱いを受ける。つまり、ジャズの看板を掲げていながら、実際はイージーリスニングを売っている──というような見方がされるわけだ。確かに、ネーミングには問題があると思われる。でも、音楽の聴きかたに決まりはない。たとえば、ドライヴしながら音楽を楽しむひとはたくさんいると思うけれど、そんなときにアセンションを祝うコルトレーンはもちろんのこと、エレクトリックなマイルスも、フュージョンとはいえウェザー・リポートだって、BGMとしては相当キツイ。というか、ぼくにはあり得ない。スムース・ジャズのような音楽のほうがフィットするのだ。

 

 はなしを戻すけれど、ある日、くだんのUSENのチャンネルになんとなく耳を傾けていると、意表を突かれることがあった。爽やかなスムース・ジャズにまじって、突然マニアックなソウル・ミュージックが流れたのだ。ぼくにとってはとても懐かしい曲だったので、ひとりで嬉々として、しばしの間、密かに足拍子をとっていた。だがしかし、すぐにわれに返った。なぜ、この曲が……?この選曲、あまりにもレア過ぎないか?──という疑問が、にわかに湧いたのである。なぜなら、この「オール・アローン」という曲、よほどソウル・ミュージックに精通しているひと、あるいはダンス・クラシックの熱狂者でもないかぎりは、知らないと思われたからだ。

 

1980 / ディスコ・ミュージックという産業カルチャーを視野に──

 

 みなさんは、シルヴィア・ストリプリンというソウル・シンガーをご存知だろうか?おそらく、彼女の名前を知るひとは、それほど多くはないと思う。なぜかというと、問題の「オール・アローン」という曲は彼女の曲なのだけれど、この曲が収録されている『ギヴ・ミー・ユア・ラヴ』(1981年)というレコードは、当時まったく世間の口の端に上ることのないものだったからだ。アメリカのウノ・メロディック・レコードというインディペンデント・レーベルからリリースされたこのアルバムは、もちろん日本では発売されなかった。ぼくも偶然、新宿の輸入盤取り扱い店で投げ売りされているのを見つけて、安価という理由だけで特別な思惑もなく購入した。いわゆる“ついで買い”だ。

 

 ただ、ぼくは、シルヴィアの名前を知っていた。というのも、ロイ・エアーズの『ラヴ・ファンタジー』(1980年)というレコードで、彼女がリード・ヴォーカルを執っていたのを、記憶していたからだ。そしてさらに、アルバムのバックカヴァーにプロデューサーとして、エアーズの名前を確認。その時のぼくは、すでに彼の音楽に親しんでいたので、それなりに面白いことをやっているのではないかな──くらいの期待を寄せてはいたのだろう。いやいや、そう取り澄ましてもいられない。ウノ・メロディック・レコードが、エアーズ自身が立ち上げた新規レーベルであるということはもとより、その名称すら知らなかったのだから──。

 

 ロイ・エアーズといえば、もともとジャズ畑のヴィブラフォニストで、1960年代にキャピトルやアトランティックに、モダン・ジャズ作品を何枚か残している(とはいっても、すでにポップな感覚が芽生えていた)。しかしながら、1970年代に入ると早々にジャズ・ファンク・スタイルに路線変更する。彼が率いるグループ、ユビキティは当時、フュージョン・ミュージックの先鋒せんぽうを務めるような存在だったので、ぼくも密かに注目していた。ちなみに、この“Ubiquity”という馴染みのないコトバは、哲学や神学で使われる“遍在性”のこと。つまり、いたるところに存在する──という意味。そのころ辞書で調べて、ミーハーなぼくは、単純にカッコイイと思ったもの。

ディスコのダンスフロア

 まあ、ポリドールからリリースされたユビキティの作品群(1978年からエアーズのソロ名義となる)といえば、フュージョンとはいってもはじめから、そのジャジーでポップなサウンドのなかに、濃厚なファンキーでソウルフルなグルーヴが含まれていた。そういう音楽性を強調しながらエアーズは、徐々に自己のヴァイブ・プレイを前面に出すことを控え、ほかのミュージシャンのパーソナリティをうまく引き出すことに比重を置くようになっていく。つまり、トータル・サウンドをクリエイトする、プロデューサー・タイプの音楽家という印象が強くなるのだ。そして1980年代を目前にして、自己のサウンドの幅を広げていた彼は、ディスコ・ミュージックという産業カルチャーを、その視野に入れていた──。

 

 当時、高校に入学したばかりのぼくは、ちょっと浮世離れした少年でもあったし、インターネットもない時代だったから、海外はもとより日本のディスコティーク事情など知る由もない。なにやら、六本木スクエアビルがスゴイことになっているというのは、噂には聞いていたけれど、人生経験が少ないばかりか、音楽に対して真摯さを求めていたぼくは、フロアがどういう状況なのか、まったく関心がなかった。それでも、多くのジャズ・ミュージシャンたちが、ダンス・ミュージックを手がけるようになっていたので、ディスコ・サウンドに対して、リスナーやアーティストの興味が著しく高まっているというのは察した。たとえば、ハービー・ハンコックジョージ・デュークパトリース・ラッシェンなどの作品は、その傾向が強かった。

 

2023 / 時を経てもエヴァーグリーンな作品 

 

 なかでもクインシー・ジョーンズは、日本でもとても人気を博した。高校で吹奏楽部に所属していたぼくは、ブラバンというものがいわゆる吹奏楽曲やスウィング・ジャズ以外に、アニソンや聖子ちゃん、そしてファンクやディスコまで採り上げるのに、半ばあきれ、半ば感心した。そして実際、アース・ウィンド・アンド・ファイアの「宇宙のファンタジー」とか、クインシーの「スタッフ・ライク・ザット」は、定番曲となっていた。余談になるが、そのころクインシーの『愛のコリーダ(原題“The Dude”)』(1981年)が大ヒットしていたのだが、まだブラバン用の楽譜がリリースされていなかった。そんな時ぼくは、同級の部員の依頼を受けて、表題曲のコピー譜を作成したことがある。

 

 さらに横道にそれるが、吹奏楽部でアルトとテナーを担当していたぼくは、文化祭のプログラムに選ばれた「愛のコリーダ」の後半で、ソロを吹くことになった。身のほど知らずのぼくは、アーニー・ワッツ先生にならって、テナーでフラジオ奏法に挑んだものの、本番になると緊張してまったく上手くいかない。音が出ない!それも、2回も失敗した。いまでも、その悪夢を思い出すと、背中あたりに汗がジットリにじみ出てくるような気さえするのだ。はい、かなり脱線してしまったが、閑話休題、本題に戻ろう。当時のディスコは、世代や音楽体験によって捉えかたが異なると思うけれど、ブカツで青春しているヒヨッコたちが真似して演奏するくらい、影響力があったのは確かだ。

 

 常に新しいことにチャレンジするというスタンスといい、サウンドをトータル的に見つめるキャラクターといい、ロイ・エアーズは、クインシーによく似ている。ジャズからスタートし、徐々にファンクやソウルのテイストを自己の音楽に加味していき、ブギーやディスコに積極的にアプローチしたところも、共通する。ただ日本では、エアーズの名前は一部の熱心なファン以外には、あまり知られていなかった。まして、前述の『ラヴ・ファンタジー』のセッション・シンガーの名前を記憶にとどめているひとなど、ほとんどいなかっただろう。でもエアーズの作品に親しんでいたぼくは、パティ・オースティンがクインシーの秘蔵っ子だったように、シルヴィア・ストリプリンはエアーズにとって、当時いちばんの推しの子──と、推測したのである。

ディスコで踊る女性

 偶然入手した、シルヴィアの『ギヴ・ミー・ユア・ラヴ』は、予想以上に素晴らしい出来で、女性シンガーによるソウルフルなディスコ作品としては、テイスト・オブ・ハニーの『シーズ・ア・ダンサー』(1980年)と並んで、いまでもぼくの愛聴盤となっている。そんなちょっとレアな作品の収録曲が、40年以上のときを経てUSENでプレイされるなどとは思いも寄らない。しかし、それにはちゃんと理由があって(あとで知ったのだが)、このレコード、1990年代からサンプリング・ソースとしてグングン人気が高まったていき、いつの間にかクレート・ディガーたちの間では垂涎の一枚となっていたのだ。すでに何度かCD化されていて、ぼくもこの度、遅ればせながら購入に至った。なにせレコードが、かなり危うい状態におちいっていたので。

 

 ということで、ぼくは最近本作を(安心して)繰り返し聴いている。改めて、時を経てもエヴァーグリーンな作品と感じた。チャック・アンソニー(g)、ピーター・ブラウン(b)、オマー・ハキム(ds)など、当時のエアーズのグループ・メンバーや、フスト・アルマリオ(ss)、フィリップ・ウー(synth)など、ユビキティ時代のミュージシャンが、がっしりバックを固めている。なかでもハキムについては、ぼくのバンドでドラムスを務めてくれた、故人のKくんがよく「ハキムる」といってそのプレイを真似していたのが思い出され、ノスタルジックな気分になった。あと、ベーシストのウィリアム・アレンによるストリングスのアレンジも、エアーズの作品ではお馴染なじみだが、相変わらずいい仕事をしている。ああ、それが前述の「オール・アローン」という曲で、ぼくのイチオシでもある。

 

 肝心の本作の主役、シルヴィアといえば、いまやサンプリング・ソースの定番となった「ユー・キャント・ターン・ミー・アウェイ」や「ギヴ・ミー・ユア・ラヴ」などの、まだアナログなディスコの大海原おおうなばらを、キュートな声音こわねで、しっかりソウルフルだけれど、どこか可憐な感じで、スイスイ泳いでいく。強烈なビートを打ち出すドラムス、スラップ・ベース、ハンドクラップ、アタックを強調したソリッドで透明感のあるエレピ──といった、いわゆるブギー・サウンドと、どこかミニー・リパートンを彷彿させる、そのコケティッシュなヴォーカルとの絶妙なマッチングが極上の音世界を作り出している。そんなシルヴィアはすでに、2013年に58歳で他界している。アクエリアン・ドリームエイティーズ・レディーズ、エアーズの諸作、そして本作でしか、彼女の歌声は聴けない。そう考えるとぼくは、一抹いちまつの淋しさを覚えるのである。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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