ザ・クルセイダーズと並行してソロ活動を展開したピアニスト、ジョー・サンプルの自由闊達な作品『ヴォイセス・イン・ザ・レイン』
Album : Joe Sample / Voices In The Rain (1981)
Today’s Tune : Shadows
1981年のフュージョン作品にはライヴ盤の傑作が目白押し
ちょっと調べてみたら、明らかになったことがある。なぜかこれまで意識に上らなかったのだが、ぼくが1981年に購入したフュージョン系のレコードにはライヴ盤が多かった。まあ、たまたま自分の関心をもつアーティストが、たまたまおなじ年にライヴ盤をリリースしただけのことなのだけれどね──。それでもちょっと挙げてみると、ボブ・ジェームスの『ニューヨーク・ライヴ』デイヴ・グルーシン&GRPオール・スターズの『ライヴ・イン・ジャパン』クインシー・ジョーンズの『ライヴ・アット武道館』ザ・クルセイダーズの『音楽会 – ライヴ・イン・ジャパン』などがある。どれもスタジオ・レコーディングのときとはひと味違うエキサイティングなパフォーマンスと、それでいて鑑賞用作品として聴き応えのある巧妙なサウンド・メイキングが際立つ好盤ばかりである。
これは偶然にしてもちょっと出来過ぎのように思える。しかしいまになってみれば、当時の音楽シーンにおいてフュージョン・ミュージックは隆盛を極めていたわけで、それが当然の現象ではないかと指摘されれば、ぼくももっともなことであると同意するのにやぶさかでない。それでは彼らのスタジオ・アルバムのほうはどんな状況だったのかといえば、コンスタントにリーダー作を発表していたボブ・ジェームスは、同年に『サイン・オブ・ザ・タイムス』という新機軸を打ち出したアルバムをリリースしている。彼はこの作品で、ロンドンの多国籍バンド、ヒートウェイヴのキーボーディスト、ロッド・テンパートンをプロデューサー、ソングライターとして迎え、ジャズを要とする自己のサウンドにポップ・ミュージックやディスコ・ファンクを大胆に導入した。
またこの年のデイヴ・グルーシンは、『黄昏』『スクープ 悪意の不在』『レッズ』といった映画音楽を3本手がけたり、盟友であるアルト奏者、渡辺貞夫の『オレンジ・エクスプレス』のレコーディングを全面的にサポートしたり、自己のレーベルGRPレコードにおいて、キーボーディスト、バーナード・ライトの『バーナード』や、ギタリストのボビー・ブルームの『クリーン・スウィープ』といった当時の新人アーティストのデビュー・アルバムを制作したりで、とにかく多忙を極めていた。どの仕事もクオリティの高さを誇るところは、さすがグルーシンである。ということで彼のリーダー作は、翌年にリリースされた『アウト・オブ・ザ・シャドウズ』(1982年)までオアズケとなった。
多忙といえば、クインシー・ジョーンズがもっとも過密なスケジュールを抱えていたのではないだろうか。この年の3月にあの大ヒット・アルバム『愛のコリーダ』がリリースされたのだが、おなじ年の極月にライヴ盤まで発売されるとはだれが想像しただろうか。日本限定発売のこのレコードは、“サントリービール・サウンド・マーケット81”と銘打たれた同年7月の日本公演の実況録音盤。異例のスピードでのリリースとなったが、内容的には1969年にはじまる彼のA&Mレコード時代の作品を総括するものであり、同時にマイケル・ジャクソン、ルーファス&チャカ、ザ・ブラザーズ・ジョンソン、ジョージ・ベンソン、パティ・オースティンらのヒット作、そして自身の『愛のコリーダ』において定式化したクインシー・サウンドを締めくくるものでもあった。
ちなみにクインシー・ジョーンズはその後、マイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』(1982年)と『バッド』(1987年)のプロデューサーを務めた。またスティーヴン・スピルバーグ監督の映画『カラーパープル』(1985年)の音楽を手がけたりもした。そしてこの映画が公開された1985年のはじめには、当時深刻化していたアフリカの飢餓を救済するためのプロジェクト、USAフォー・アフリカにおいて、チャリティソング「ウィ・アー・ザ・ワールド」のプロデュースも手がけている。この多事多端の状況では、リーダー作など期待するだけ無駄というもの。クラシック音楽が採り上げられた『至上の愛』(1985年)というアルバムも制作されたが、これは番外編。正式なリーダー作は、1989年の『バック・オン・ザ・ブロック』まで待たなければならなかった。
そんななかもっとも活動が順風満帆だったのは、ザ・クルセイダーズではないだろうか。さきに挙げたライヴ・アルバムは1981年の年末に発売されたのだが、音源は同年の1月18日にNHKホールで行われた日本公演の模様が収録されたものだ。やはりおなじ年、このレコードが発売される以前に、イングランドのシンガー、ジョー・コッカーが2曲でフィーチュアされたスタジオ・アルバム『スタンディング・トール』もリリースされていた。このアルバムは、コッカーのほかにもグループの元メンバーだったギタリストのラリー・カールトンをはじめ、マーカス・ミラー(b)、ルイス・ジョンソン(b)、ビリー・プレストン(org)、パウリーニョ・ダ・コスタ(perc)といった豪華なゲストが参加したことから、大変な人気を博した。
順調にヒット作を世に送り出してきたザ・クルセイダーズとしては、このあたりで新機軸を打ち出したかったのだろう。この『スタンディング・トール』では、それまでのアルバムと比較すると、サウンドに相当作り込まれた形跡が窺える。それには成功している部分も多々あるのだが、個人的にはなんとなくしっくりしない感じもあった。しかも結果的にはこの作品、ウィルトン・フェルダー(ts, b)、ジョー・サンプル(key)、スティックス・フーパー(ds)といった、グループが結成されたときのメンバーが3人揃って参加したザ・クルセイダーズの最後のアルバムとなった。1983年にフーパーがグループを脱退し、ザ・クルセイダーズは実質的にフェルダーとサンプルとによるユニットになったのである。
ブルース・フィーリングが脈々と流れるクルセイダーズ・サウンド
その点、発売はあとになったが『音楽会 – ライヴ・イン・ジャパン』は、耳によく馴染んだ。このアルバムでセレクトされている楽曲を観ると、実に興味深い。フーパーのオリジナルでは『ストリート・ライフ』(1979年)からの「ハスラー」と『ラプソディ&ブルース』(1980年)からの「スウィート・ジェントル・ラヴ」といった、新しめの2曲が収録されている。残りの5曲はすべてサンプルのオリジナルだけれど、そのうち「虹の楽園」と「野性の夢」は『虹の楽園』(1978年)、さらに「カーメル」は『渚にて』(1979年)といった具合に、グループのアルバムではなくサンプル個人のリーダー作から選曲されたナンバーだ。これは当時、サンプルがソロ・アーティストとしてもめきめき頭角を現していたことの、なによりの証拠である。
ということで、上記のアーティストたちには各々いろいろな事情はあるのだろうが、とにかく1981年はライヴ盤が目を引く年だった。そんなフュージョン・シーンの成り行きにおいて却って印象に残ったスタジオ・アルバムといえば、やはりクインシー・ジョーンズの『愛のコリーダ』やボブ・ジェームスの『サイン・オブ・ザ・タイムス』であるというのは自明のことなのだが、個人的にはもう1枚、思いのほかよく聴いていたレコードがある。それはあいにくザ・クルセイダーズの『スタンディング・トール』ではなくて、同バンドのキーボーディスト、ジョー・サンプルのソロ・アルバム『ヴォイセス・イン・ザ・レイン』のほうだった。このアルバムも1981年にリリースされた1枚だが、レコーディングは1980年に行われており『スタンディング・トール』に先立つ発売となった。
前置きがかなり長くなったが、今回はこの『ヴォイセス・イン・ザ・レイン』についてお伝えしようと思う。個人的には思い入れの強い作品というよりは、ある意味で気分転換に最適なアルバムだった。いずれにしても、ぼくはこのレコードを入手した当時、とにかくよく聴いていた。そもそもサンプルは、ぼくにとってそれほど愛着のあるピアニストではなかった。中学生のころジャズ好きのクラスメイトが貸してくれた2枚のレコード──『虹の楽園』と『ラプソディ&ブルース』を聴いて、ぼくははじめてサンプルの演奏に触れた。彼の第一印象は、ときにファンキーときにリリカルなピアニスト。ただフィンガリングは躍動的でタッチも力強いのだけれど、あまり秩序立てて弾くプレイヤーではないと思われた。
概していえばサンプルは、ぼくの好みのタイプのピアニストではなかったということになる。テキサス州ヒューストン市出身のジョー・サンプル(1939年2月1日 – 2014年9月12日)は、5歳からピアノを弾きはじめていて、学位は取得していないけれどテキサス・サザン大学でもピアノを学んでいる。そのわりには彼のピアノ演奏にセオレティカルなニュアンスは、あまり感じられない。高校時代からすでにウィルトン・フェルダー、スティックス・フーパーとともにスウィングスターズというバンドを組んで、ジャズに明け暮れていたサンプルは、どちらかといえば実地で音楽のなんたるかを知り実力をつけたタイプなのかもしれない。なおサンプルは大学時代にトロンボニストのウェイン・ヘンダーソンと出会い、彼をバンドに誘った。
つまりスウィングスターズはザ・ジャズ・クルセイダーズの原型であり、のちにザ・クルセイダーズへと進化するバンドだった。要するにザ・クルセイダーズはおよそ半世紀もの間、テキサス生まれのラフなブルース・フィーリングが脈々と流れるサウンドを、時代とともに発展させてきたことになる。そういう環境に身を置くサンプルがアーシーなピアノ・プレイを繰り広げるのは、当然至極のことと云える。ちなみにスウィングスターズは、さらにヒューバート・ロウズ(fl)とヘンリー・ウィルソン(b)が加わりモダン・ジャズ・セクステットと改名される。その後1958年、彼らはロサンゼルスに進出し、ザ・ナイト・ホークスとしてパシフィック・レコードからシングル盤をリリース。小粋なジャズ・ロック「バニー・ライド」は、サンプルのオリジナルだ。
サンプルのピアノ・スタイルは、ハード・バップ期の流れを汲む奏法にリズム・アンド・ブルースのフィーリングが採り入れられたもの。強靭なタッチとほとばしるようなフレージングは、ライヴ向きと云えるかもしれない。まるで大地の香りを放つようなアンサンブルや人間の本能がむき出しになったようなビートが際立つ初期のクルセイダーズ・サウンドのなかにあってこそ、サンプルのいくばくかの知性を感じさせるファンキーなプレイは一段と映えるのでは──。クラスメイトから借りた『虹の楽園』と『ラプソディ&ブルース』を体験したあと、ザ・ジャズ・クルセイダーズ時代の『フリーダム・サウンド』(1961年)や『ストレッチン・アウト』(1964年)といったアルバムを聴いて、漠然とだがぼくはそんなふうに感じていた。
よくザ・ジャズ・クルセイダーズはジャズ、“Jazz”がとれたザ・クルセイダーズはフュージョンというような観られかたをするけれど、ぼくにはそんなふうに単純に線引するのはいかがなものかと思われる。ビートやアレンジの違いこそあれ、バンド・サウンドにテキサスの風土のなかで育まれたブルースやゴスペルの風合いが息づいているところは、まったく変わらない。サンプルのピアノ・プレイにしても、ハード・バップ、ジャズ・ロック、あるいはコンテンポラリー・ジャズと音楽のスタイルは変化しても、そのソウルフルでパワフルなパフォーマンスに大した差異はないのである。それでもサンプルの演奏と各々のグルーヴとが違和感なく互いに溶けこむのは、彼のピアニズムに同時代のジャズ・ピアニストとは一線を画す独自性があるからだろう。
そういえば、ぼくが一時期通っていたジャズ喫茶のマスターが、いつだったか『渚にて』を立派な作品と盛んに褒めていたことがある。そのかたは、ハービー・ハンコックの『ヘッド・ハンターズ』(1973年)やスタッフの『スタッフ!!』(1976年)などは、いくら人気の高い作品だからといって絶対認めることはできないというような、頑固一徹なジャズ・オヤジだった。そんなひとがザ・ジャズ・クルセイダーズ時代のアルバムならいざ知らず、まったく4ビートが出来することのない、スタインウェイのみにとどまらずフェンダー・ローズまでもち出されるような作品を高く評価するとは、思いも寄らなかったもの。ぼくはいまでもマスターの耳を信じているけれど、とどのつまりサンプルはジャズ・プレイヤーとしてホンモノということなのだろう。
圧倒的な魅力を放つジョー・サンプルのロマンティクな自作曲
そしてこれだけは云っておきたい。サンプルは当代きっての名コンポーザーである。しかも彼が書く曲は、いつもロマンティックだ。彼がそういう情緒たっぷりのオリジナル・ナンバーをものするのは、自分の感情や感覚、あるいは直観にもとづいて作曲しているからではないだろうか。サンプルの自作曲には、一瞬たりとも楽式の構造を維持するようなパートが出てくることはない。その流麗で力強いメロディック・ラインは、至って簡潔明瞭でひたすら詩情豊かだ。むろんアンエクスペクテッドなコード進行など、あり得ない。そういう点ではジャズらしくないのだけれど、こころに内在するイメージを自由に拡大するようなサンプルの語法は、ジャズを聴かないひとの胸さえ熱くさせる。そのいっぽうで、頑固一徹なジャズ・オヤジのハートをもとろけさせるのだ。
これは飽くまで一例に過ぎないけれど、サンプルが作曲したザ・クルセイダーズのレパートリーのなかにも極めてジェントルでドリーミーな曲がある。たとえば『旋風に舞う』(1977年)のラストを飾る「たびだちの日」には、悠久の美しさのようなものが感じられる。ギタリストのリー・リトナーがわざわざカヴァーするほどの名曲だ。さらにサンプルの曲には『ラプソディ&ブルース』の表題曲のように、神々しいまでの壮麗さを放つ存在感のあるピースもある。それに対して『南から来た十字軍』(1976年)のオープナー「渦巻」や『ストリート・ライフ』のタイトル・ナンバーのように、はじけるようなビート感が痛快なファンキーでグルーヴィーな楽曲もあるが、いずれにしてもその直情的なエクスプレッションが感動を呼ぶ。
そんなサンプルのオリジナルでは、ときにリリカルな文脈とファンキーな揺動とが絶妙に交錯することもある。やはりザ・クルセイダーズのアルバムのなかの曲で例を挙げると『イメージ』(1978年)に収録されている「メリーゴーランド」や『ラプソディ&ブルース』所収の「ラスト・コール」などが、それに該当する。どちらもグルーヴィーなソウル・ジャズ・ナンバーだが、テンポのいい流れのなかで当然の成り行きのようにリリカルな場面がインサートされる。それ故、ファンキーだけれど至極メロウに響く。しかも極めてメロディアスであり、そこはかとなくメランコリックなものだから、聴き手のこころはどうしようもなく惹きつけられてしまうのだ。サンプルの書いた曲では、ぼくも大好きな2ピースである。
一部の頑固一徹なジャズ・オヤジを唸らせたサンプルではあるが、一般的にはコアなジャズ・ファンからエセ者扱いをされていたこともある。ところが保守的なジャズの愛好家たちから賛辞を贈られたアルバムがある。レイ・ブラウン(b)、シェリー・マン(ds)といったモダン・ジャズの名手と吹き込んだ『ザ・スリー』(1976年)がそれだ。しかしながら、ぼくの評価はまったく逆。ブラウンもマンもいいプレイをしている。サンプルも強靭なタッチと抜群のスウィング感を発揮している。でもなにか食い足りない。理由は簡単、曲目がジャズ・スタンダーズばかりだからだ。ラストに3人の共作が1曲収録されているが、即興的に作られたブルース・ナンバー。自作曲のないサンプルのアルバムは、いわば“クリープを入れないコーヒー”(古い!)なのである。
トリオ作品だったらスウェーデンのストックホルムで吹き込まれた『トライ・アス』(1969年)のほうが断然いい。収録曲はすべてサンプルのオリジナルだ。そこにはレッド・ミッチェル(b)とJ. C. モーゼス(ds)に触発され、いつも以上にジャムアウトするサンプルがいる。パワフルなプレイが目立つけれど楽曲の美しさから、トータル的にはリリカルでトランスペアレントなピアノ・トリオ作品といった印象を与える。個人的にはこのアルバムと『ヴォイセス・イン・ザ・レイン』が、ターンテーブルにのる機会がもっとも多いサンプルのリーダー作となっている。もちろん『ヴォイセス・イン・ザ・レイン』の収録曲も、すべてサンプルの自作曲となっている。すっかり最後になってしまったが、このアルバムの中身について具体的に触れておく。
レコーディング・メンバーは、ジョー・サンプル(key)、ディーン・パークス(g)、ジョン・コリンズ(g)、エイブラハム・ラボリエル(elb)、レイ・ブラウン(acb)、スティックス・フーパー(ds, perc)、パウリーニョ・ダ・コスタ(perc)、ニカ・レイト(fl)、ジェリー・ヘイ(tp, flh)、ラクシュミナラヤーナ・サブラマニアム(vln)、ジョシー・ジェームス(vo)、フローラ・プリン(vo)、ポーリン・ウィルソン(vo)、そしてシド・シャープ(vln)をコンサートマスターとするストリングスとなっている。1曲目の「ヴォイセス・イン・ザ・レイン」は、クラシカルなピアノ・ラプソディ。サンプルのピアノがこれまでになくセンシティヴ。愁いを帯びたテーマと歓喜に満ちたコーラスとのコントラストが鮮やか。作曲家サンプルの真骨頂が発揮された名曲だ。
2曲目の「燃えるカーニヴァル」は、ジョシー・ジェームスがリード・ヴォーカルを務めるファンキーなサンバ。フーパーが打ち出すよく弾むビート感は、まさにザ・クルセイダーズのサウンドそのもの。サンプルのピアノもアーシーに歌う。3曲目の「グリーナー・グラス」は、サンプルにしては珍しくエレガントでポップなナンバー。レイトとヘイによるウッドウィンズも爽やか。しかしここはなんといってもサンプルのローズによる、ややタッチは強めだが明るさが際立つソロが随一だ。4曲目の「アイ・オブ・ザ・ハリケーン」では、ボサノヴァとサンバが交錯する軽快なリズムがなんとも心地いい。サンプルのピアノは小気味よく楽句を綴っている。5曲目「ドリーム・オブ・ドリーム」は、オリエンタルなムードとバウンシーなリズムが入り混じった楽しい曲。サンプルのシングルノートとブロックコードとの使い分けが巧妙だ。
6曲目の「シャドウズ」は、フローラ・プリンの独特のヴォーカリーズが活かされたナンバー。陰影に富んだメロディック・ラインが、こころに染みる。哀感のなかにも爽やかさが感じられるところが、いかにもサンプルの曲らしい。彼のピアノ・プレイもそんな情緒を豊かに表現している。ラストの「ソナタ・イン・ソリチュード」では、ブラウンのしなやかなアコースティック・ベース、コリンズのジャジーなギターも然ることながら、サンプルのピアノとサブラマニアムのヴァイオリンとのデュオが青天白日のごとき透明感と爽快感を生み出している。思えばこのアルバム、総じてジャズらしさがないな──。だからこそ却って、よく聴いてしまうのかもしれない。クレオールとして生まれたサンプルは、人種的な差別に苛まれた。彼が音楽を為すとき創作にしても演奏にしても自由なのは、そういう生い立ちが影響しているのかもしれない。いずれにしても、それが彼の最大の魅力となっているのは確かである。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
コメント