岩代太郎が手がけた映画&テレビドラマの劇中音楽がノンストップMIXで収録されたオリジナル・サウンドトラック・アルバム『アナザヘヴン コンプレックス – SCORE 』
Album : 岩代太郎 / アナザヘヴン コンプレックス – SCORE (2000)
Today’s Tune : #7 Welcome To Another Heaven (For TV)
オカルト、サブカルチャー的な終末感のブームが意識されて制作された作品
ちょっとまえのことになるが、Amazonプライム・ビデオのコンテンツのなかに、おすすめ映画として『アナザヘヴン』(2000年)が表示されているのに気がついた。とても懐かしく思うと同時に、たいへん失礼な云いかたになるが、いまさらこの映画を観たいと思うひとがどれだけいるのだろうと疑問に感じてしまった。この映画、飯田譲治と梓河人との共著であるホラー小説『アナザヘヴン』を映像化したもの。小説は1995年から角川書店(現KADOKAWA)が刊行していた『小説ASUKA』において連載され、1999年に文庫化(上下巻)された。ふたりの刑事が正体不明の犯人を追うという内容だが、刑事ドラマという手垢のついたジャンルに、SFホラーの要素が加えられたことから、当時はなかなかの人気を博したと記憶する。
ときに新たなミレニアムを目前に控え、世のなかには1999年のノストラダムスの大予言に代表される世紀末ブームみたいなものがあった。当時、あの大ヒットしたテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年 – 1996年)をはじめ、映像作品にも1990年代のおわりに対する終末感や不安感、そして2000年への高揚感を煽るようなものが散見された。正直云って、当時のぼくにはそういう時代の趨勢に辟易するところもあったのだが、単純に面白いと思われる作品もあった。たとえば、これまた大ヒットしたアメリカのテレビシリーズ『Xファイル』(1993年 – 2018年)の製作総指揮で知られる、クリス・カーターが脚本と演出を手がけた『ミレニアム』(1996年 – 1999年)というサイコ・サスペンス・テレビドラマは、大好きで観ていた。
ところで『アナザヘヴン』もまた世紀末の香りが漂う作品だが、原作者のひとりで映画版のシナリオライターと監督を務めた飯田譲治といえば、カルト的な人気を博したSFテレビドラマ『NIGHT HEAD』(1992年 – 1993年)の原作、脚本、演出を手がけたひと。当初はサイコキネシスやリーディングといった超能力を扱った、サスペンス・タッチのSFドラマという印象を与えたが、物語の後半では、前半から仕込まれていた超古代文明や精神世界などの要素が前面に押し出されていき、ストーリーラインはついに人類が築いた物質文明と精神文明における変革という壮大なテーマにまで及ぶ。そういう意味ではこの『NIGHT HEAD』もまた、オカルト、サブカルチャー的な終末感のブームが意識されて制作された作品のように思われる。

いささかわき道に逸れるが、この『NIGHT HEAD』は個人的に思い出深いテレビ番組でもあるので、少し作品について言及させていただく。当時まだ20代だったぼくは、心身ともにそれなりに充実していて、もっともバリバリ仕事をこなしていた時期にあたる。毎日のように残業していたぼくの帰宅時間といえば、いつも日付が変わる直前だった。そして仕事の疲れを癒やすために一献傾け、どちらかというと夜食というべき夕餉を楽しみながら、なんとはなしに観ていたのがこのテレビドラマだったのである。毎週木曜日の深夜、具体的には金曜日の0時40分から1時10分までの30分間だが、あのころのぼくといえばいつの間にか、この番組をチェックするのがお決まりになっていた。当初は、まさかのちに映画化までされるとは、思いもよらなかった。
あらかじめ云っておくと、ぼくは1970年代のオカルトブームを、少年時代に体験した世代である。五島勉の著書『ノストラダムスの大予言』(1973年)も手にとったし、日本テレビ系列局のバラエティ番組『木曜スペシャル』(1973年 – 1994年)における、ユリ・ゲラーのスプーン曲げ、矢追純一のUFO追跡、謎の動物オリバー君の正体解明といった特集をリアルタイムで観たし、なかでも初代引田天功の大脱出シリーズは欠かさずチェックしていた。いっぽうテレビ朝日系列局で放送されていた『水曜スペシャル』(1976年 – 1986年)における、川口浩の探検隊シリーズは毎回放送をこころ待ちにするほど、大好きな番組だった。ずっとあとのことになるが、このシリーズのDVDをまとめてレンタルしてきて、ひとりで晩ごはんを食べながら鑑賞していたら、妻に大笑いされた。
まあ、個人的には霊能力や超能力、あるいは幽霊などの現象を科学的証拠に基づいて否定するようなつもりはないのだけれど、そうかといって論理的な説明がなされないハナシを鵜呑みにすることもない。それでもぼくがそういった類のテレビ番組を観ていたのは、単純に面白いと感じたからだろうし、同時に飽くまでバラエティ番組として、本気ではなくからかい半分、遊び感覚で楽しんでいたからだろう。ファンのかたからはひんしゅくを買うかもしれないが、正直に告白すると実は『NIGHT HEAD』についても、ぼくは当初そんな受けとめかたで観ていた。つまりぼくは『NIGHT HEAD』を、本来SFテレビドラマとして制作された作品と認識しながらも、突っ込みどころ満載のストーリーラインを面白がって鑑賞していたのである。
この『NIGHT HEAD』の主人公は、サイコキネシスを使う青年、霧原直人と、その弟でリーディングやプレコグニションの能力をもつ霧原直也のふたり。超能力者であるが故、15年まえの幼いころから両親と離れ、人里離れた山中にある研究所に隔離されていた。研究所には絶大な超能力をもつ岬老人によって結界が張られていたが、老人の死によって結界が解かれ、霧原兄弟は研究所を脱走することに成功する。物語はそういった過去には触れられず、いきなり逃亡中の兄弟が車で移動しているところからはじまる。そういう細かい説明をあとまわしにした演出が、却って視聴者の興味をそそるわけだ。ただあとになって、ドライヴァーの直人はいつどこで運転免許を取得したのか、それとも無免許のままサイコキネシスで車を動かしているのか──そんなバカな疑問を、ぼくはもってしまった。
この霧原兄弟は毎回さまざまな場所に赴き、さまざまな人物と出会う。そういう点でこのドラマは、ふたりの異能者をメインキャラクターとしたバディ・ロードムービーと捉えることもできる。しかもその全21話は、概ね1話完結のストーリー展開を見せるのだが、演出家が度々入れ替わることもあり、基本的にはサイキック・サスペンスでありながら、ディストピアもの、ホラー、刑事もの、恋愛ドラマ、ヒューマンドラマというように、その都度テイストを変える。そういう多様性がこのテレビドラマを、飽きずに楽しむことができるものにしている。演出を手がけているのは、原作者の飯田譲治をはじめ、落合正幸、土坂浩輝、土方政人、本広克行、と、当時は無名だったがのちに世間から非常に注目されるようになる、錚々たる顔ぶれである。
オカルトやホラーといったジャンルを究めつづけるブレないスタンス
ところで、主人公である霧原兄弟はようやく束縛のない外の世界に出てきたのにもかかわらず、毎度のごとくトラブルに巻き込まれてしまう。なぜかふたりは、厄介なひとと関わってしまうのだ。むろん超能力者同士の戦いもあるのだが、悪意をもった一般人との諍いも目立った。たとえば他人の利益や公の場での責任を無視して、自分の利益や欲望だけを追求する人間、あるいは自己中心的で感情的、あるいは無意識に他人を傷つける言動をとるひとなどが大勢登場する。そんななか、霧原兄弟に次々と襲いかかる過酷な運命は、あたかもふたりが自由な一般社会に出てきたことがキッカケで生み出されているように見えてくる。軽率にもぼくは当初、それがなんとも滑稽に思われて、この兄弟を笑いの対象にしてしまっていた。
そんなぼくも、ドラマを最後まで鑑賞して偏った見かたを改めさせられた。というのも実は霧原兄弟がもつ超能力こそが、外の世界に溢れているマイナスのエネルギーを引き寄せている──ということが、次第に明らかにされていくからだ。おそらく原作者の飯田さんは、超能力をもつことで苦しみ、悲しみ、不幸になっていくような、ペシミスティックなヒーローを創造しようとしたのだろう。超能力をもつことがネガティヴに描かれるような作品はそれまでなかったように思われるが、その逆説的なリアリティのなかに精神世界の未来が構想されているところが、当時は斬新に感じられた。とはいっても、いまもぼくは『NIGHT HEAD』が突っ込みどころ満載の作品であると信じている。その点で個人的に、大ヒットとは関係なく、好きなテレビドラマとなっている。
一般的に『NIGHT HEAD』は、ワンシーズン終了後、放送が深夜の時間帯だったのにもかかわらず、女性層を中心に圧倒的な人気を得た。ドラマの主演において、霧原直人に豊川悦司、霧原直也に武田真治という、ちょっとミステリアスな美形俳優が起用され、終始シリアスでトラジックな演技が披露されたことが、女性層を中心とした多くのファンのこころをつかんだのだろう。思えば主演俳優のふたりはまだ無名に近かったが、それが却ってフレッシュな魅力を放っていたように思われる。いずれにしても『NIGHT HEAD』は、再放送の視聴率もよく、その後『NIGHT HEAD 劇場版』(1994年)として映画化もされ、さらには小説、コミック、写真集、ゲーム、アニメなど、メディアミックス展開されるという社会現象を巻き起こした。

これを機に飯田譲治の名前は一躍世に知れ渡ったのだが、近年あまりその名前を聞かないなと思っていたら、和田雅成主演のサヴァイヴァル・マーダー・ミステリー『神様のサイコロ』(2024年)というテレビドラマをこっそり制作していた。BS日テレで放送された全8話のテレビドラマは、やはり飯田さんが原作、脚本、演出を手がけている。それはともかくこの作品、相変わらず劇中で超常現象が頻繁に起こる、オカルト的な要素の強いドラマだ。やはり飯田さんはそちらのかたなのかと、ぼくは大いに腑に落ちてしまった。ただ新感覚のマーダー・ミステリーという触れ込みだった『神様のサイコロ』は、大ヒットした『NIGHT HEAD』と比較すると、かなりスケールが小さく、ストーリーラインにしても演出にしてもハッキリ云って精彩を欠いていた。
これは個人的な感想だけれど、近年オカルトやホラーといったジャンルにおいて、申し分のない仕上がりの映像作品といえば皆無のように思われる。そもそも、前述のようにオカルトブームを少年時代に体験した世代であるぼくは、現代において超常現象という題材自体が、はなはだアナクロニズム的なものと感じているのだ。それでも時代錯誤やときの逆転を問題視せず(少しは意識しているのかな?)、このジャンルを究めつづける飯田さんのブレないスタンスには敬服させられる。こういうタイプの映像作家は、日本のメディア制作業界にはなかなかいないかもしれない。長野県諏訪市出身の飯田さんは、明治大学在学中に自主制作した8ミリ映画『休憩』(1981年)で、ぴあフィルムフェスティバルに入選して以来、映像の道を邁進してきた。現在67歳である。
飯田さんの監督デビュー作は『キクロプス』(1987年)というSFホラー映画だが、ぼくが最初に触れた飯田作品といえば、フジテレビ系列で1990年から現在まで断続的に放送されているオムニバス・テレビドラマ『世にも奇妙な物語』のなかの何本か。特に脚本と演出を手がけた「常識酒場」(1992年) と「トラブルカフェ」(1992年)は有名なタイトルだが、実際ぼくにとっても強く印象に残った2本である。このふたつの作品が『NIGHT HEAD』の原点であることは、広く知られている。なおこの2作では、霧原直人を今井雅之が、霧原直也を東根作寿英がそれぞれ演じている。また『世にも奇妙な物語』の長い歴史のなかでも、続編が制作されるケースはごく稀。むろん評判がよかったからだろうが、確かに当時の映像作品としては、ちょっと先進的に感じられたものである。
ついでに云っておくと、この『世にも奇妙な物語』の2本の放送から『NIGHT HEAD』の制作に至るまでのスパンが、きわめて短いことに驚かされる。まず「常識酒場」が1992年4月30日に放送され、好評につきときを移さず続編の「トラブル・カフェ」が制作され、同年9月3日に放送された。さらにそのほぼ1か月あとの10月8日には『NIGHT HEAD』の第1話「REAL PSI -念力-」が放送されているのである。しかもこの短期間のうちに、オトナの複雑な事情もあるのだろうが、配役が一新されている。そして、オリジナルの映像コンテンツがリノヴェーションされるなかで、このキャスティングの変更こそがもっとも作品に新しい風を吹き込んでいるし、のちの爆発的ヒットに直結したと云っても過言ではないだろう。
ことに主人公の霧原兄弟に関しては、まことに失礼ながら率直に云わせてもらうと、今井雅之と東根作寿英よりも豊川悦司と武田真治のほうが、どう見ても容姿端麗である。テレビドラマにしても映画にしても『NIGHT HEAD』が女性層を中心に圧倒的な人気を得るに至った大きな要因は、この新たなキャスティングであることは明らかだ。かつてマガジン・マガジンから発行されていた耽美系の小説、漫画雑誌『JUNE』(1995年に休刊)の1993年5月号において、豊川さんと武田さんのインタビューやグラビアの掲載を含む『NIGHT HEAD』の特集が組まれたことも、そのことを裏づけている。この雑誌はいわゆるBL(ボーイズラブ)文化の萌芽期において独特の存在感を示していたが、霧原兄弟の関係性(美しい男性同士の関係)が当時の読者に激しく響いたのだろう。
オーケストラルなスコアとポップなトラックとが融合した上質の観賞用音楽
むろん飯田さんにとって、豊川さんと武田さんがそういうスポットライトの浴びかたをしたのは、想定外のことだったのだろう。特に豊川さんがのちにTBS系「金曜ドラマ」枠で放送されたテレビドラマ『愛していると言ってくれ』(1995年)において耳の不自由な青年画家を演じ、そのミステリアスでトランスペアレントな存在感から人気を不動のものにし、いわゆるトヨエツ・ブームを巻き起こすほど爆発的ブレイクを果たすとは、氏も想像だにしなかっただろう。なにせ『NIGHT HEAD』の直前に制作された、実相寺昭雄監督によるオリジナル・ビデオ作品『堕落 ディアローグ「對話」より ある人妻の追跡調査』(1992年)のなかの豊川さんといえば、コトバを選ばずに云うと、女性が生理的に受けつけないような印象を湛えていたのだから。
豊川さんが女性層から注目を浴びるようになったのは、やはり『NIGHT HEAD』から。とはいってもドラマがスタートしたころの豊川さんは、いささか野暮ったく映る。おそらく飯田さんも、霧原直人を精神的な弱さや孤独を抱えた、どちらかというとダークなキャラクターとして設定するばかりで、端から特別にスタイリッシュな風貌の人物として描くつもりはなかったのだろう。実際全話をとおして観ると、回を重ねるごとに霧原直人が徐々に垢抜けていくのがわかる。不思議なことに豊川さん自身も、どんどん男まえになっていくように見えるのだ。はじめて登場したときの直人は髪にパーマをかけていて、あの時代にしても野暮ったく見えた。ぼくなどは、おいおい結界のなかにもヘアサロンがあるのかと、思わず突っ込みを入れたくなったほどだ。
長々と語ってしまったが、そういう懸念材料も多々ある『NIGHT HEAD』は、同時に多彩な要素が詰まった作品でもある。つまり、多種多様な魅力が混在しているからこそ、最初から最後まで視聴者を惹きつけつづけるのだろう。単刀直入に云うと『NIGHT HEAD』は目下のところ、映像作家、飯田譲治の最高傑作となっている。その後、飯田さんが脚本と演出を手がけた作品というと、オリジナル・ビデオ『東京BABYLON 1999』(1993年)、テレビドラマ・シリーズ『飯田譲治Presents 幻想ミッドナイト』のなかの1本「夢の島クルーズ」(1997年)、映画『らせん』(1998年)などがあるが、どれもブレない軸をもってはいるものの、上質のコンテンツとは云い難い。そういうわけで、飯田さんが中心となってメディアミックスの手法で展開された『アナザヘヴン』に当初期待したのは、ぼくだけではあるまい。

映像作品としては、まず大沢たかお主演のテレビドラマ『アナザヘヴン〜eclipse〜』が2000年4月20日に、テレビ朝日系列の「木曜ドラマ」枠で放送が開始された(同年6月29日まで全11回が放送された)。その後、江口洋介と原田芳雄とがバディを組んだ映画『アナザヘヴン』が2000年4月29日に公開された。テレビドラマと映画とは連動する形で展開されているのだが、各々では前後する形で起こる別の事件が扱われている。原作小説に沿って脳味噌料理にはじまる猟奇殺人が主題とされた映画版に対し、テレビ版のほうはオリジナルのストーリーラインとなっており、女性の連続失踪事件がテーマとなっている。ただ映画版のキャラクター、江口さん演じる早瀬マナブ、原田さん演じる飛鷹健一郎といったふたりの刑事、岡元夕紀子演じる事件のカギを握る女子大生、柏木千鶴などは、テレビ版にも登場する。
この小説、テレビドラマ、映画、そのサウンドトラック・アルバム、さらにゲームソフトも含めた作品群は、“アナザヘヴン・コンプレックス”と称され、複数のメディアを複合的に楽しむという仕掛けが施された意欲的な試みとして注目されたが、そのコンテンツはハッキリ云って斬新さに欠けるものだった。テレビドラマと劇場映画が同時に相互連動するという企画は画期的だったが、ホラー、サイコ・スリラー、そしてSF要素が混ざったその作品世界からは、たとえば『羊たちの沈黙』(1991年)『ボディ・スナッチャーズ』(1993年)『セブン』(1995年)『スピーシーズ 種の起源』(1995年)といった、1990年代の既存の映画作品を連想せざるを得なかった。ひとの意識や身体がなにかに乗っ取られるというテーマには、個人的にもいささか食傷気味だった。
ただ、“アナザヘヴン・コンプレックス”のプロジェクトにおいて、唯一サウンドトラック・アルバムはクオリティが高かった。まず、テレビ版と映画版共通の主題歌として、人気ロック・バンド、LUNA SEAの12枚目のシングル「gravity」が採用されたことが、大きな話題となった。いっぽうサウンドトラック・アルバムは『アナザヘヴン・コンプレックス – VARIOUS』(2000年)と『アナザヘヴン・コンプレックス – SCORE』(2000年) との2枚が同時発売された。前者はBUGY CRAXONE、LUNA SEA、MIO、SAKURA、UNITED JAZZY、wyolica、吉田美奈子といった7人のアーティストによる劇中曲に、岩代太郎による5曲のアンダースコアが加えられた、オシャレなコンピレーション・アルバム。むろん主題歌の「gravity」も、収録されている。
後者は岩代太郎によるスコアがまとめられた、正真正銘のオリジナル・サウンドトラック・アルバム。このCDでは映画版とテレビ版両方のトラックがミックスされ、19曲が途切れることなくプレイされる。なおアルバムのラストには「gravity」のオーケストレイテッド・ヴァージョンが収録されており、LUNA SEAのRYUICHIこと河村隆一(vo)とSUGIZO(g)が参加している。劇伴を担当した岩代さんは、もともと東京藝術大学音楽学部作曲科を首席で卒業したクラシック畑の作曲家だが、それに留まらない幅広い音楽性を身につけた音楽家で、純音楽をはじめとするオリジナル作品以外にも、多くの映像作品の音楽を手掛けている。このサウンドトラックでは岩代さんの壮大なオーケストレーションに加え、やはり作編曲家の深澤秀行によるシンセサイザーが駆使されたポップでリズミカルなアレンジが、スコアに彩りを添えている。
レコーディング・メンバーはすこぶる豪華で、岩代太郎(key, vib)、千代正行(acg)、松下誠(elg)、高水健司(b)、ペッカー(perc)、小池修(as)、中西俊博(vln)、河井英里(vo)、深澤秀行(synth prog)といったリズム・セクションに、相馬充(fl)、西沢幸彦(fl)、山根公男(cl)、石橋雅一(ob)、藤田乙比古(hr)、小林祐治(hr)、大石真理恵(perc)、山城純子(tb)、中川英二郎(tb)、清岡太郎(tb)、杉山康人(tub)、朝川朋之(hp)、加藤高志(vln)率いるJOEストリングス、篠崎正嗣ストリングスといったオーケストラが加わる。前述のヴォーカルもののコンピレーションもスタイリッシュだけれど、個人的にはこのスコア盤のほうが好きだ。映画版のオーケストラルなスコアと、テレビ版のポップなトラックとが見事に融合。アルバムは、上質の観賞用音楽作品に仕上がっている。
重厚なオーケストラによるミステリオーソなサウンド、ダーク・アンビエントな世界も然ることながら、リズム・セクションを主体としたキャッチーな楽曲が耳につく。時代の趨勢ということもあるのだろうが、ヒップホップやスムース・ジャズのエッセンスが散見される。岩代さんのピアノ、高水さんのフレットレス・ベース、中西さんのヴァイオリン、小池さんのアルトなどのソロ演奏も際立っている。ドラマーは不在でビートを刻んでいるのはコンピュータだが、却ってブレイクビーツをベースにしたグルーヴがカジュアルな空気を生み出している。なかでも中西さんのソロがフィーチュアされた「#7 Welcome To Another Heaven (For TV)」での、クラブ・ミュージックとニューエイジ・ミュージックとの出会いが爽やか。ほかにも軽やかでリラックスしたトラックが満載の本作を、不満が残る映像作品のサントラ盤として封印するのは、あまりにももったいない。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。







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