逆輸入されたDJ御用達の“和モノ”サウンドトラック盤
Album : 山本邦山&今井裕 / 悪魔が来りて笛を吹く オリジナル・サウンドトラック (1978)
Today’s Tune : 火焔太鼓
ぼくもこのサントラ盤だけは廃盤にしてほしくなかった
「私はこの恐ろしい小説だけは映画にしたくなかった」──この名文句!──わが国が誇る本格ミステリー小説の巨匠、横溝正史先生がテレビCMに出演されたときに、発せられたセリフ。それは、1979年公開の映画『悪魔が来りて笛を吹く』の予告スポットで、原作小説の作者自身のアイロニカルな物言いが、当時はけっこう話題になったもの。
まあ、横溝先生はとてもお茶目なかただったようで、この映画の本編にも雑炊屋の役で出演されている。ちなみに、そのほかの自著の映像化作品でも、ホテルの主人、老推理作家、横溝先生本人……と、もはや常習犯とでも云うべき活躍ぶりを見せている。そんな憎めない様を、多くのひとが目撃した1970年代──世の中には、社会現象と云っても過言ではない、空前の横溝ブームが巻き起こっていた。
その仕掛け人は、当時の角川書店の青年社長、角川春樹氏──出版業にとどまらず映画製作に乗り出して、莫大な利益をあげた──その映画と書籍を同時に売り出す手法は「メディアミックス」と云われたけれど、当時はまだ耳新しいことばだったな。ちなみに映画『悪魔が来りて笛を吹く』は、一連の角川映画ではなくて、東映が製作費を全額出資した作品──角川氏は雇われプロデューサーだった。よほどその手腕が買われたんだね。
そして──いわゆる「角川商法」では、音楽もまた、ほかのメディアを補完し相乗効果をあげる重要なファクターと見られていた。たとえば、サウンドトラック・アルバムや主題歌ないしテーマ曲のシングル盤は、たいがい映画の公開前に発売されていた。しかもそれらは常に、単なる劇伴ではなくて、鑑賞用音楽として成立するものばかり。それは明らかに、消費者に「レコード=広告」という意識を持たせることなく、映画の宣伝効果をあげる──という手法だ。
ところで、この『悪魔が来りて笛を吹く』のサウンドトラック盤も例外ではなくて、しっかりおカネと時間をかけて吹き込まれた作品で、とても充実した内容となっている。LPレコードは例によって映画公開前、1978年にリリースされたが、ときを経てCDは、1996年にアナログ盤の発売元である日本コロムビアから、2001年にはカルチュア・パブリッシャーズから、それぞれ(ジャケットは異なるが)発売された。残念ながら、現在はすべて廃盤となっている。しかしながら──。
日本のみならず海外の音楽ファンにも高く評価された
2021年──このサントラ盤が三度目のCD化と相成ったのは、ぼくにとっても、思いも寄らない嬉しい出来事だった。しかも驚いたことに、リリース先はロンドンのヒップホップ系レーベル、ミスター・ボンゴで、今回わが国にとっては逆輸入というかたちになった。よくよく考えてみると、これまでジャズ、ファンク、ソウル、ワールド・ミュージックの名盤やレアなアルバムの再発売にも力を入れてきたレーベルだから、本作に白羽の矢を立てたのも、ごく自然なことなのかも知れない。
つまり、このレーベルとしては本作で展開されている音楽を、ジャズファンク、ディスコ、そしてブレイクビーツとして捉えているのだろう。さらに云うと、本作はいわゆる「和モノ」として、日本のみならず海外の音楽ファンにも、高く評価されたということになる。現代において、わが国のDJがプレイしたレコードが、インターネット配信で世界中のひとたちのハートをわしづかみにする──なんてことは、日常茶飯事だからね。
正直に云うと、ぼくの場合、その点をあまり意識していないのだけれど、本作が聴き応えのあるアルバムである──ということは間違いない。そしてその成功は、やはり前述の「角川商法」に起因すると思われる。もちろん、きっかけは話題作りということなのだろうが、それが結果的にサウンドに新風を吹き込んだり、商業音楽を高い次元に持っていったりしているのだ。
具体的に観てみると、まず、プロデューサーが、過去にキャプテンひろ&スペースバンドのベーシストを務めていた、四方義朗さんであることが目を惹く。ファッション・プロデューサーでもある氏のセンスのよさが、本作をサントラ盤とはいえ、どんなポピュラー・ミュージックにも引けを取らない鑑賞用作品に仕上げている。
つづいて、音楽を担当した山本邦山&今井裕というコンビネーションもユニーク。かたや都山流尺八奏者、かたやサディスティックミカバンドおよびサディスティックスのキーボーディスト──この組み合わせは、まさにクロスオーヴァーと云える。また、主題歌を、現役の女子高生でまったくの新人歌手、榎本るみさん(オトナっぽいいい声!)に歌わせているのも、大きな話題づくりの一環?さらに、フルート演奏を、原作を執筆中の横溝先生にインスピレーションを与えた、NHK交響楽団の植村泰一さんが担当──とは、念が入っている。
鑑賞用音楽としてのレベルがぐんと上がっている
吹き込みは、いわゆるアフターレコーディングではなくて、映像の束縛を受けることなく、通常の音楽作品と同様の手法で、自由に行われた(あとで録音されたテープが編集されて映像につけられる)。そのため、鑑賞用音楽としてのレベルがぐんと上がっている。この点もまた、音楽重視の「角川商法」のひとつ。
楽曲のほとんどをアレンジした今井さんは「本を読んだ段階で、割とスムースにイメージは固まっていきました」と、おっしゃっている。もしかすると、氏にとってこの仕事は、ある種のイメージ・アルバムを作るようなものだったのかもしれない。そんなふうにアーティストの創造性が十分に活かされたからこそ、本作は映像と切り離してもちゃんと聴けるアルバムに仕上がったのだろう。
そんなことからか、収録曲はすべて、原作小説のチャプター・タイトルがそのまま冠せられている。テーマ曲と主題歌を山本さんが作曲し、編曲と付随音楽を今井さんが担当するという、分業スタイルがとられている。全体のサウンドは、当時流行しはじめていたクロスオーヴァー/フュージョンを、少しポップにした感じだ。ジャズ作品を多くリリースしている山本さんの尺八以外は、即興演奏もほとんどない。
アルバムは──弦楽器によるアンサンブルのアレンジが素晴らしい「笛鳴りぬ」からスタートし、テクノポップ風のリズムに乗って尺八がアドリブしまくる「火焔太鼓」へとつながる展開に、意表を突かれる。ビートの効いた「天銀堂事件」からシンコペーションが気持ちいい「金田一耕助西へ行く」へのくだりは、エレピやシンセの音色も含めて、フロアで重宝されそう。ほかにも──途中のメトリック・モジュレーションがカッコイイ「黄金のフルート」(名曲!)、キーボード類の重奏がやたらと美しい「指」、ブルースハープがよくうたう「a=x b=x ∴a=b」など、聴きどころ満載だ。
ときにその昔──ぼくは、この映画を劇場ではじめて観たとき、西田敏行さん演じる人情味あふれる金田一や、斉藤とも子さん演じるやたらと可愛い美禰子に、自分のイメージしていたキャラクターとのズレを感じたり、クレジット・タイトルのバックに登場する悪魔の人形や水子地蔵に違和感を覚えたりしたもの。すっかり意気消沈して帰宅したぼくは、それでもこのサントラ盤をまた聴いたっけ……。そして、なぜか音楽だけ聴いていると、映画のほうも「あれはあれでアリだな」と思えてくるから不思議だ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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