マッコイ・タイナーがコルトレーンの人脈から外れたサイドメンとともに吹き込んだジャズ・スタンダーズ中心のトリオ作『リーチング・フォース』
Album : McCoy Tyner Trio / Reaching Fourth (1963)
Today’s Tune : Reaching Fourth
20世紀のジャズの巨人、ジョン・コルトレーンとの出会い
振り返ってみると、20世紀のジャズの巨人のひとりであるのにもかかわらず、ジョン・コルトレーンを俎上に載せる機会といえば、なぜかこれまであまりなかったように思う。いまもジャズ好きの友人と音楽について談笑するときも、彼のことをまな板の上に載せることはほとんどない。べつに隠しているわけでもないのだけれど、こんなぼくにもコルトレーンの音楽に心酔していた時期がある。具体的にそれは、高校時代から大学時代にかけてのことだ。理由はいろいろある。ジャズを愛好するものの嗜みとして、コルトレーンの演奏を聴き見識をもつことは、ある種の礼儀でもある──なんてわけはないのだが、当時そんな空気があったこともまた事実である。いまはそんなことはないと思うけれど、もしそんな主張があるとすればまったくのナンセンスだ。
そうはいっても、かく云うぼくのコルトレーンを聴きはじめるキッカケは、そういう無稽な説に踊らされたこと。なんともお恥ずかしいハナシだが、あのころのぼくはジャズを聴くものとして、あるいは演るものとして、承認欲求が強かったのだろう。まさに若気の至りとはこのことなのだが、それでも若さゆえの血気の多さ、あるいは経験不足から、無分別にコルトレーンのレコードを聴きまくったことが自分にとって無駄だったのかというと、一概にそうとは云えない。ぼくは高校時代から本格的にジャズ・ピアノを独学しはじめたのだが、ジャズという音楽において不可避であるインプロヴィゼーションを理解する上で、コルトレーンが構築したイノヴェイティヴな方法論は非常に役立った。また自分にとっては、コルトレーンの演奏を聴くことから、音楽に対して多角的な視点をもつようになったことが大きい。
当時ぼくが聴いていたコルトレーンのレコードといえば、彼がモダン・ジャズの帝王、トランペッターのマイルス・デイヴィスの名作『カインド・オブ・ブルー』(1959年)のレコーディングに参加したあとに発表した作品に集中した。すなわち彼がアトランティック・レコードに移籍してすぐに発表した『ジャイアント・ステップス』(1960年)からである。アルバムを手にとる動機となったのは、当時ぼくがもっとも関心をもっていたピアニストのふたり、トミー・フラナガンとウィントン・ケリーが参加していたことだった。それはともかく、このころのコルトレーンといえば、ハード・バップのテナー奏者から脱却すべく、様々な試みをするようになっていた。ことに積極的な自作曲の作成、そして革新的な即興演奏の展開は、独自の音楽性を打ち出すこととなった。

自分にとって『ジャイアント・ステップス』は、はじめて手にしたコルトレーンのレコードだったのだが、確かにあのころのぼくには、高校生の若輩者とはいえジャズの素晴らしさを理解するものとして他者から認められたいという気持ちがあった。進学と同時に吹奏楽部に入部したぼくは、フルート奏者を志望するもオーディションの印象がよくなかったのだろう、あえなくサックス・パートにまわされた。それまでピアニストのアルバムばかりを聴いていたぼくは、思いがけず自分がサクソフォーンを吹くことになったものだから、あたふたとレコード店に足を運びサックス奏者の作品を購入。そのとき浅学なジャズ少年はさしあたり、ジャズの名盤と誉れ高い『ジャイアント・ステップス』を手にとったというわけである。
ただ本来ならいのいちばんにサクソフォーンに注目するべきところなのだが、そのころのぼくといえば、ちょうどジャズ・ピアノを独学していたところで、どうしてもピアノに耳がいってしまう。その結果サックスそっちのけで、フラナガンにハマってしまったのだった。テンションの高い状況においても、決してバランスを崩さない彼のプレイに強く惹かれた。それでもコルトレーンの前進志向の音楽性には、目を見張った。云うまでもなく『ジャイアント・ステップス』はコルトレーンにとって、モーダル・ジャズに傾倒する直前の、コード進行に基づく即興演奏の限界を極めた作品である。超難曲のタイトル・ナンバーは、ハイテンポで目まぐるしくコードが変化する(10回転調する)。そんな強烈な緊張感のなかでも、バンドに均衡を保った演奏を展開させたコルトレーンのリーダーシップは、やはりスゴい。
ということで『ジャイアント・ステップス』は、個人的には複数の因果性をもったアルバムということになるのだが、そういう理由からも本作は実にすそ野が広い魅力を有する名盤と、ぼくは思っている。それはさておき、ぼくはその後もコルトレーンのレコードを次々に手にとっていくのだが、彼の音楽に夢中になったのは、やはり『マイ・フェイヴァリット・シングス』(1961年)を聴いたときから。1959年の4月、5月、そして12月と長いスパンのレコーディングによって完成させた、さきの『ジャイアント・ステップス』で大きな名声を得たコルトレーンは、1960年の春、マイルス・デイヴィスのバンドを脱退する。新たに結成したバンドのリーダーとして、積極的に活動することを優先させたからだ。
コルトレーンは、早速レギュラー・バンドでツアーを行い、同年の10月には大規模なレコーディングを敢行した。このときのセッションが『マイ・フェイヴァリット・シングス』そして『ジョン・コルトレーン・プレイズ・ザ・ブルース』(1962年)『夜は千の目を持つ』(1964年)といった3枚のアルバムとして、音盤化されたことは周知のとおり。なかでもアルバム『マイ・フェイヴァリット・シングス』のタイトル・ナンバーは、コルトレーンの最初のヒット曲となった。この曲でのスリー・フォー・タイム、マイナー・メロディ、そしてソプラノ・サックスというコンビネーションは、それ以降コルトレーンの定型パターンとして繰り返し用いられた。またジャズやフュージョンにおいてソプラノ・サックスが定番アイテムとなったのは、本作からの影響が大きいと思われる。
ところで「マイ・フェイヴァリット・シングス」という曲だが、もとはリチャード・ロジャース作曲、オスカー・ハマースタイン2世作詞による、1959年のブロードウェイ作品『サウンド・オブ・ミュージック』のなかの1曲だ。このミュージカル、1965年にロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース主演で映画化され、第38回アカデミー賞において数々の賞に輝いたが、そのことからも一般的には映画版のほうが有名と云える。ぼくは小学校高学年のときからクラシック・ピアノの個人レッスンと並行して、ポピュラー・ピアノも弾くようになっていたのだが、最初に演奏した曲が「サウンド・オブ・ミュージック」だった。映画の冒頭でアンドリュース演じるマリアが、山々に囲まれた緑の大地で踊りながら朗々と歌い上げるあの曲だ。
コルトレーン作品で得た収穫、マッコイ・タイナーとの出会い
ぼくはこの曲を演奏したのを機に映画のほうも鑑賞するに至ったのだが、マリアが雷鳴に怯えて自室に集まってきた子供たちに向けて歌う「マイ・フェイヴァリット・シングス」も、しかと記憶に留めている。彼女がオーストリアの家庭生活のささやかな日用品のなかから、“私のお気に入り”を次々に挙げていく可愛らしい歌詞の美しいワルツだが、コルトレーンのカヴァー以来、国の内外を問わず多くのアーティストによって採り上げられつづけている人気曲だ。コルトレーンにとっても、音楽の方向性がモード・ジャズからフリー・スタイルへと変化していく晩年に至るまで、ライヴでの定番曲となっていた。そしてこのカヴァーでは、モード手法が用いられたことで原曲のもつ明るいムードが消え去り、演奏は終始ヒプノティックでパッショネートな表情を湛える。
ビバップ以来モダン・ジャズでは、コード進行やコードの分解に基づくインプロヴィゼーションが行われてきたわけだが、ハード・バップに至っては、メロディック・ラインがより洗練されたことによってコードの構成も複雑化したため、即興演奏に対する制限がさらに増した。そのため目まぐるしくコードを変化させて、アドリブ・ソロの進行感を演出したのが、まさにコルトレーンの「ジャイアント・ステップス」だったわけだ。しかしながら、それにも限界というものがある。モードに基づく旋律による進行において、コードの劇的な変化は抑制されてしまったものの、インプロヴィゼーションは飛躍的に自由度が増した。イオニアンやドリアン・モードのなかで同一のモティーフを提示し、コード進行を主体とせず特定のスケールのなかで即興演奏を展開するというのがコルトレーンの解釈だ。
コルトレーンは、明るく愛らしいミュージカル・ナンバーである「マイ・フェイヴァリット・シングス」を、モード・ジャズの手法を用いることで、非常に深みのある現代的なムードを漂わせたジャズ・ナンバーに変えてしまった。その音世界といったら、ある意味で精神的かつ神秘的で、いささか退廃的で陰鬱な雰囲気すら醸し出している。端的に云うと、とてもシックでジャジーなのだ。おそらくこの曲、コルトレーンのアレンジと演奏を超えるようなオリジナリティ溢れるヴァージョンは、これまでにもなかっただろうし、今後もお目にかかることは困難だろう。いずれにしてもコルトレーンは、1960年代をとおしてモーダルな即興演奏を、ほかの誰よりも深く追究したジャズ・プレイヤーと云っても過言ではないだろう。

さて、ハナシがいささか長くなってきたが、ぼくにとってコルトレーンのレコードを聴いて得たいちばんの収穫といえば、前述のように音楽に対して多角的な視点をもつようになったことである。そしてさらに有益だったのは、ピアニストのマッコイ・タイナー、ベーシストのジミー・ギャリソン、ドラマーのエルヴィン・ジョーンズといった革新的なプレイヤーの演奏に触れられたことである。タイナーとジョーンズは『マイ・フェイヴァリット・シングス』からすでにコルトレーンのグループのメンバーだったが、ぼくの好きな『バラード』(1962年)『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』(1963年)『インプレッションズ』(1963年)『至上の愛』(1965年)といった、インパルス! レコード移籍後のコルトレーン作品では、この3人がリズムやハーモニーを支えていた。
特にぼくにとって衝撃的だったのは、タイナーの演奏である。ぼくがジャズを独学する際に参考にしていたピアニストは、ソニー・クラーク、ウィントン・ケリー、そしてトミー・フラナガンだった。みなどちらかというと、ハード・バップを中心としたモダン・ジャズの王道を行くようなピアニストだ。タイナーはハード・バップにアプローチすることもあるが、なにせぼくは『マイ・フェイヴァリット・シングス』ではじめて彼の演奏に触れたものだから、彼はクォータル・ハーモニーとドリアン・モードとを活かした次世代のピアニストという印象を受けた。1コード・セクションにおいてモード・スケールで敏捷に駆け抜けるソロ、そしてハンマー奏法のようなダイナミックなコンピングを、当時のぼくは羨望の眼差しで観ていた。
またこれはちょっとあとで知ったことだが、コルトレーンは1955年ごろからタイナーと知り合いだったらしい。ところでコルトレーンのアルバムに、1958年にプレスティッジ・レコードにおいて吹き込まれた音源が、あとから1枚にまとめられた『ザ・ビリーヴァー』(1964年)というのがある。ハード・バップ時代のレコーディングということでピアノをレッド・ガーランドが弾いているのだけれど、このアルバムのトップを飾る表題曲、実はタイナーのオリジナルなのだ。この曲を聴くと、コルトレーンのコードの構成音をすべて使いきるようなプレイ、いわゆる“シーツ・オブ・サウンド”と呼ばれる奏法も然ることながら、録音時期を鑑みると信じられないほどモーダルな響きを放っていることに、とにかく驚かされる。コルトレーンの陰に、すでにタイナーありだ。
すでにこのころからタイナーは、コルトレーンにとって必要不可欠な存在だったのかもしれない。タイナーは1955年の夏、当時演奏活動をともにしていたフィラデルフィア・ブラック・ジャズの導師とも称されるトランペッター、カル・マッセイからコルトレーンを紹介されたのだという。考えてみれば、タイナーは17歳の誕生日を迎えるまえだった。13歳からピアノをはじめたとのことだから、単に早熟と云うよりも神童と呼ぶに相応しいずば抜けた才能の持ち主である。おそらくコルトレーンは、出会ったときからタイナーの天賦の才に注目していたのだろう。そしてタイナーのほうも、レッド・ガーランド(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)とともに、マイルス・デイヴィスのバンドで堂々とプレイするコルトレーンに、さぞや尊敬の念を抱いていたことだろう。
当初からタイナーは、スタイルこそ未完成だったが、コルトレーンのインプロヴィゼーションに対するアプローチに心服していたと思われる。というのもコルトレーンがマイルスのもとを離れると、まるで吸い寄せられるように彼が新たに結成したバンドに加入したタイナーは、およそ5年半もの間、コルトレーン・サウンドを支えつづけたからだ。しかもタイナーは、即興演奏において高度なテクニックを有しながらアカンパニストに徹することを心がけていたような節がある。たとえば『インプレッションズ』のなかの表題曲などを聴くと、コルトレーンの奔放なソロがはじまるとタイナーが早々に手を休めているのを確認することができる。これは飽くまで一例で、タイナーにはコルトレーンのプレイが白熱すればするほど、バッキングを控える傾向があるのだ。
マッコイ・タイナーのアルバムを聴くならインパルス!盤にかぎる
むろん、ここぞという場面では、歯切れのいいリズムを刻んだり、美しいハーモニーを奏でたりするタイナー。ときにはソロの合間に、ドラムスのエルヴィン・ジョーンズと呼応するように、強靭なバッキングを披露することもある。ファストテンポの曲だけでなくバラード・プレイにおいても、リッチなコードワークとモーダルでオープンなフレージングで、浮遊感のある響きを生み出している。どちらかというとパワフル・タッチなのにもかかわらず、そこからデリケートなフィーリングが伝わってくるのは、タイナーがコルトレーン・バンドのピアニストに抜擢されたときから、常に伴奏者としての責務を果たそうとこころがけていたことが、影響しているのではなかろうか。いずれにしても彼は、どういうアプローチをするべきか達観していたように思われる。
ところが1965年12月、長年コルトレーンに敬意を払ってきたタイナーも、ついにバンドから離脱する。理由はコルトレーンが、1964年にオーネット・コールマンらと共演したことからフリー・ジャズの可能性に注目し、自己のバンドでも集団即興作品である『アセンション』(1965年)を吹き込んだことに端を発する。以降コルトレーンがフリー・ジャズに傾倒し、大きな足跡を残したことは周知のとおり。タイナーは無調の世界、そして長大化する即興演奏に方向性の違いを感じただろうし、なによりもコルトレーンのバンドにおけるアカンパニストとしてのレゾンデートルをもはや見出すことができなくなったのだろう。その証拠に、バンド在籍中にタイナーがインパルス! レコードに吹き込んだ6枚のリーダー作では、コルトレーン作品では観られない彼の歌ごころが横溢している。
タイナーがインパルス! レコードに残したリーダー作を具体的に挙げると『インセプション』(1962年)『リーチング・フォース』(1963年)『バラードとブルースの夜』(1963年)『トゥデイ・アンド・トゥモロウ』(1964年)『ライヴ・アット・ニューポート』(1964年)『プレイズ・エリントン』(1965年)となる。ずっとあとに吹き込まれた『ブルース・フォー・コルトレーン/トリビュート・トゥ・コルトレーン』(1988年)という、MCA傘下時代のインパルス!盤もあるが、当然のごとくこれは対象外。しかも個人的には、話題性ばかりが先行した甚だ残念な作品と観ている。まあ、さらなるバッシングを受けることを覚悟の上で云わせてもらうと、タイナーのアルバムを聴くならインパルス!盤にかぎる。純粋にピアニズムを探求していたころの彼が、ぼくはもっとも好きなのだ。

当時、忠犬のようにコルトレーンに寄り添っていたタイナーが、上記の6枚のリーダー作では、あたかも師匠の呪縛から解放されたかのように、トラディショナルなジャズ魂を発揮している。とはいってもタイナーは間違いなくコルトレーンをリスペクトしていたわけで、これはぼくの想像だけれど、テクニカルな上手さだけでなく、エモーショナルかつナチュラルな表現が際立った自身の演奏を、彼が真っさきに見せたかったのは、まさにコルトレーンそのひとだったのではなかろうか。あいにくタイナーは、のちにジャズが複雑多様なものへと変化していくなかで、時代の波に翻弄される。ときにはフュージョンやアフロ・キューバンを演ったりもした。そう、コルトレーンが不帰の客となった1967年以降のタイナーは、まるで自らの音楽を育む指標を失ったかのようだった。ぼくの目には、そう映ったのである。
それはそうと、6枚のインパルス!盤でどれがお薦めかというと、たまたま最初に手にとった作品ということもあるのだろうが、個人的にもっとも衝撃を受けた『インセプション』をいのいちばんに挙げる。コルトレーンの門下生、エルヴィン・ジョーンズのポリメトリックなドラミングが、タイナーに終始刺激を与えつづけている。それを受けてタイナーのほうも、気持ちよさそうに鮮明で力強いフレーズを息つく暇もなく繰り出している。また、コルトレーンの『オーレ!コルトレーン』(1961年)で共演済みのアート・デイヴィスによる歯切れのいいソロも然ることながら、軽快なウォーキングベースが印象に残る。そんなエキサイティングな演奏とは対比的なリラックスしたプレイを堪能するのなら『バラードとブルースの夜』をセレクトするべきだろう。
ベースにスティーヴ・デイヴィス、ドラムスにレックス・ハンフリーズ(ds)を据えたトリオが、ゆったりとした時間を演出してくれる。とはいってもタイナーのピアノ・プレイは、控えめな優雅さと優しさを湛えながらもけっこう刺激的だったりする。ぼくは大学時代、このアルバムの冒頭を飾る「サテン・ドール」のコピー譜を入手して実際にタイナーの演奏をなぞったことがあるのだけれど、その煌びやかなフレーズを再現するのはなかなか難解だった。そんななか、よくバランスがとれていて作品の完成度がもっとも高いのは『リーチング・フォース』だろう。ベーシストのヘンリー・グライムス、ドラマーのロイ・ヘインズといった、コルトレーンの人脈から外れたサイドメンが採用されているのが興味深い。管楽器やパーカッションを入れたリーダー作の多いタイナーのトリオ盤という点でも、貴重な1枚である。
レコーディングは1962年11月14日、ニュージャージー州のヴァン・ゲルダー・スタジオにて行われた。アルバム冒頭のタイナーのオリジナル「リーチング・フォース」は、疾走感に富んだモーダルなナンバーだが、コルトレーンからの影響が強く感じられる。タイナーの右手が鍵盤を縦横無尽に駆けめぐる。左手のコード・ワークも力強く色彩豊かだ。グライムスのアルコ・ベース、ヘインズのドラム・ソロも実に小気味いい。ヘインズのドラミングは、いつも軽やかで気持ちがいい。しかもタイコの音が、最高に綺麗。たぶんチューニングのせいなのだろう。シンバルも含めてドラムスのセッティングでは、ぼくはこのひとのがいちばん好きだ。チック・コリアの『ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス』(1968年)でのプレイも、本作と併せてお薦めする。
ゴードン・ジェンキンスの「グッドバイ」は、もともとメランコリックな味わいをもった曲だが、タイナーのモードを採り入れたエクスプレッションが甘美な心地よさを生み出している。なんとも聴き飽きるのが難しい、名バラード・プレイである。テナー奏者のフレッド・レイシーの「アーニーのテーマ」では、タイナーの軽妙なタッチと機知に富んだフレージングを堪能できる。彼はただ力強いだけのピアニストではないのだ。師匠のほうも『ソウルトレーン』(1958年)で採り上げているが、そちらはストレートなバラード。レッド・ガーランドがピアノを弾いている。ぼくは、瀟洒で爽やかなタイナーの解釈のほうが好きだ。グライムスのソロもスマートで、好感度が高い。B面トップの「ブルース・バック」はタイナーによるブルース・ナンバーだが、彼のモーダル・ブルースへのアプローチが都会的なムードを醸成している。
バートン・レーンのブロードウェイ・ナンバー「オールド・デヴィル・ムーン」では、タイナーによる意匠の凝らされたアレンジが光る。一聴、なんの曲だかわからなかったりする。グライムスとヘインズとが打ち出す足取りの軽いテンポ感、タイナーによる弾むようなフレージングにこころが躍る。こういう楽しげな演奏は、コルトレーンのバンドでは、ほとんど聴くことができない。さらにアルバム・ラストのリチャード・ロジャースの「ジョーンズ嬢に会ったかい?」では、テンポが高速になるがやはり軽やかなプレイが展開される。タイナーの流麗なアドリブも然ることながら、グライムスとヘインズとによる堅実なリズム・キープが素晴らしい。特にヘインズのブラシ・ワークが、自らを目立たせようとはせず、タイナーを上手く乗せているのがいい。やや緊張感が漂うのは表題曲のみの本盤、タイナーのアルバムではもっとも爽やかと云えるかもしれない。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。







コメント