Sonny Clark / Sonny Clark Trio (1958年)

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短い生涯をハード・バップで一気に走り抜いた人気ピアニスト

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Album : Sonny Clark / Sonny Clark Trio (1958)

Today’s Tune : I Didn’t Know What Time It Was

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凛とした雰囲気をもつカッコイイ演奏

 

 ソニー・クラークは、ぼくがいっとき集中的に聴いていたピアニストのひとり。あれは、自分でもジャズを弾いてみようかな──なんて思いはじめた時期だから、たしか高校に入学したころのことだな──。ほかのピアニストにくらべて演奏のテクニックに格別スゴさは感じなかったのだけれど、ブルージーでどこか凛とした雰囲気のある、彼のセンスのいい演奏にこころ惹かれたもの。ひらたく云えば、ぼくにとってソニーはとてもカッコイイひとだったわけ。

 

 この「カッコイイ」ということは、ジャズを演るうえで非常に大切なことなのだ!──当時のぼくは、ソニーのレコードを聴きながら、そんな目から鱗が落ちる思いだった。たとえば、マラソンだったらいちばん先にゴールのテープを切ったひとが、めでたく一等賞だけれど、ジャズという音楽の場合、途中で転倒してもその転びかたがカッコよければ、こちらが覇者になったりするんだよね。そんなニュアンスで、彼のプレイはすごくクールだった。

 

 これまたぼくの経験したことで恐縮なのだが、ジャズ・ピアノをはじめたとき、いくら教則本のとおりに練習してもいっこうに上手くならなかった。コードやスケールのこと、基本的な演奏テクニックのことをアタマでは理解しているのだけれど、いざ演奏してみようと思うとぜんぜんホンモノのように弾けないわけ。ハノンのジャズ版みたいなものにもチャレンジしてみたけれど、ただただ退屈なだけに終わって、がっかりさせられたもの──。

 これではらちが明かないと、プロのジャズ・ミュージシャンたちはどういうふうに演奏しているのか(どのようにアドリブしているのか)、手持ちのレコードをかけて、耳をそばだてて音に意識を集中させてみた──。すると、即興演奏のなかにおなじような楽句が何度も出来することに気がついたのだ。これだ!──と、ぼくは気に入ったフレーズを楽譜に転記するようになった。そして、そのとおりに弾けるようにひたすら練習しまくる──しかも、これは案外楽しい。

 

 結果的にマスターした楽節をたくさんストックしておいて、いざ実戦に臨んだとき、(様々な曲で)それを引用するというわけ。この方法はけっこう上手くいったので、ぼくとおなじ悩みを抱えているかたは、ぜひお試しあれ──。そしてそんなふうに、ぼくがずいぶんコピーさせてもらったのが、実はソニーのレコードだった。自分の演奏が音楽仲間に「いまのちょっとソニー・クラークっぽくない?」なんて云われたときは、ぼくは「そうかな?」と、とぼけていたのだけれど──。

 

本国では評価されなかったが日本では愛される存在に……

 

 ところで、ソニー・クラークといえば『クール・ストラッティン』(1958年)。いやいや、それにとどまらず、ブルーノートといえば『クール・ストラッティン』──かな?このレコード──日本のジャズ喫茶史上最大のヒット作で、ぼくがジャズを聴きはじめたころ、世間ではすでにその名や評判が轟き渡っていた。なんだか、これを知らないなんてトーシローと、ビギナーをからかうような気運さえあって、ぼくも慌ててショップへ赴いた覚えがある(バカだねぇ)。

 

 そんな超有名盤──多くのひとがそうであるように、ぼくもまずはリード・マイルス(デザイン)&フランシス・ウルフ(撮影)によるジャケットに、こころを躍らせたもの。例の女性のおみ足がクローズアップされたアートワークだね。その被写体を眺めながらぼくは、“オードリー・ヘプバーン as ホリー・ゴライトリー”みたいな女性を勝手に想像したのだけれど、実はこの美脚の主──のちにブルーノートの創始者アルフレッド・ライオンの二番目の奥さまになるルース・メイソンというひとと、あとになって知った。

 

 それはともかく、中身のほうもとてもよくて、特にどの曲も長尺であるのにもかかわらず、すべてがメロディアスなせいか、全体的にとても聴きやすかった覚えがある。(この作品でファンになった)ジャッキー・マクリーン(as)とアート・ファーマー(tp)のホーン・セクションによる、哀愁に満ちた響きをもった即興演奏にも、強い親近感を覚えた。それには、ハード・バップを象徴するするような熾烈なプレイとはひと味違う、ちょっと知的というか、抑制のきいたグルーヴが感じられた。

 リーダーであるソニーさえもここでは、その場の雰囲気に合わせて沈着冷静で、アグレッシヴな演奏は一切していない。その点がネガティヴに捉えられたのか、実はこのアルバム──アメリカではじめてリリースされたとき、かのダウンビート誌から二つ星半という酷評を受けた。それに反して、日本からはレコードの注文が殺到するばかりなので、ライオン氏も首を傾げざるをえなかったようだ。これは、文化の違いだね。考えてみると、マイナー・チューンが並ぶ仕様に奥ゆかしささえ漂うこの作品──まさに、日本人好みではないか!

 

 結局のところ、本国では知るひとぞ知る名手以上になり得なかったソニーではあるが、わが国では、その演奏にしても出来上がった作品にしても本来質の高いもの──と、きっちり評価されている。そういった意味では、稀有な存在と云えるかもしれないが、日本のジャズ・ファンはみんな彼のことが大好きなんだよね。ぼくの場合も、バド・パウエルの影響を受けていながら決して超絶技巧に走らない、彼の中庸をいくようなスタイルに、むしろ愛着さえ湧いてくるのだ。

 

いまも愛されつづける永遠のハード・バッパー

 

 それはそうと、ソニーのアルバムのなかで、ぼくがもっとも愛聴しているのは、実は『クール・ストラッティン』ではなくて、おなじくブルーノート・レーベルの『ソニー・クラーク・トリオ』のほう。カッコよさでは、こちらのほうが上だと思う。というのも、ビバップの流れを汲んだアドリブ・ソロが、よりスリリングに展開されているから。そうはいっても、ソニーのピアノ・プレイは(パウエル派でありながら)パウエルのようにとんがってはいない。そのあくせくしない感じになんとも云えない風情があって、惹かれるのだ。

 

 ちなみに1960年にタイム・レコードから同名のアルバムがリリースされているけれど、まったくの別もの。全曲ソニーのオリジナルで構成されていて、そのせいかいつもよりモチベーションが高めのソニーを聴くことができる(こちらも大好き)。おもしろいことに、ブルーノート盤のほうは全曲スタンダード・ナンバー──オリジナルが一曲も収録されていないのは、ごく稀なことだ。そのぶん、ソニーのアレンジの妙が浮き彫りになった──とも云える。つまり、どの曲もまるでソニーが書き下ろしたオリジナルと聴き紛うほど、自分のものになっているのだ。

 

 ポール・チェンバース(b)とフィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)を従えたこのトリオ──まるで三匹の侍とでも云いたくなるような風格がある(古い例えだねぇ)。聴いていて、ことのほか胸がすうっとするのだ。三人はオープナー、ディジー・ガレスピーの「ビ・バップ」から高速で飛ばしまくる。長尺のピアノのインプロヴィゼーションには、ソニーらしいイディオムが満載だ。後半にはポールのお家芸、アルコ奏法のオマケもついてくる。つづくブロードウェイ・ミュージカルの名コンビ、ロジャース&ハートの「時さえ忘れて」は、原曲よりも速めのテンポで演奏されていて、ソニーのピアノも軽快に飛翔する(案外ぼくはこの曲がいちばん好きだったりする)。

 A面ラストは、またもやディジーの曲「トゥー・ベース・ヒット」──やはりアップ・テンポで、(お待ちかね)ポールのドラマティックなドラムスが、ソロ→4バース→ソロと、大活躍する。ちなみに、ここでのソニーのアドリブには、ぼくが耳コピーしたフレーズがいっぱい出来する。つづいてレコードをひっくり返してB面へ──ビバップ時代の最有力アレンジャー、タッド・ダメロンの「タッズ・ディライト」は、本作中もっとも明るく澄んだ曲で、気分がリフレッシュされる。次のあまりにも有名なオスカー・ハマースタイン二世の「朝日のようにさわやかに」は打って変わって、まるで愁いの気配がしのび寄るような情緒を湛えていて、いかにも日本のファンの琴線に触れそう。

 

 そしてラスト──もともと映画の挿入歌だった「四月の想い出」は、ソロ・ピアノで演奏──ソニーのバラードの語り口は、パウエルの鋭角的な演奏をまろやかにした感じで、さりげなくやすらぎと優しさが伝わってくる。このリリシズムは、永遠のもの。単に甘い感傷に流されることもなく、それでいて飾り気も誇張もない、そのピアノ・プレイは、彼が特に音楽教育も受けず実戦で身につけた稀有なもの。しかしながら残念なことに、そんなユニークな音楽性も長くはつづかなかった。彼もまた、当時のジャズメンが陥りがちな悪癖により、31歳という若さでこの世を去る。そんなわけで、ぼくが彼のことを想うとき、ハード・バップ時代を一気に走り抜いた──という印象が強くなるばかりなのである。


 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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