ユーロ・ジャズの雄、ティエリ・ラングがピアノで織り成す究極の耽美的世界
Album : Thierry Lang Trio / Private Garden (1993)
Today’s Tune : Giant Steps
なにも考えずにリラックスするのに最適な音楽
こう猛烈な暑さがつづくと、さすがに老体には堪える。カラダはだるいし、やる気も出ない。まあ、もう歳だから、体力の低下や疲労感は致しかたないが、精神的な不調を引き起こすのはちょっとマズイ。ぼくの場合は云わずもがなだが、冷房のよく効いた部屋で、これまたよく冷えた柑橘系の飲み物をおともに、いい音楽を聴いてリフレッシュするくらいしか思いつかない。でも、ほんとうは冷え性なので、エアコンはちょっと苦手。余計にカラダがだるくなったり、冷え過ぎたりしないように注意している。それこそ、自律神経に障害でも起こしたら厄介だ。なにせ、歳だから──と、自ら老け込む、なんとも情けない日々は、いつまでつづくのだろう。
いささか調子は出ないし、ネガティヴ思考になりがちだが、気を取り直して、まさしく老骨にペシペシと鞭打って、こんなときだからこそ聴くべき癒しの一枚をご紹介しよう。ビル・エヴァンスやキース・ジャレットの流れを汲みながらも、彼らとはひと味もふた味も異なるイマジナティヴな音世界を繰り広げるジャズ・ピアニスト──その稀に見る映像的な作曲のセンスと、リリカルでエスセティックなフレーズを紡ぎ出す演奏スタイルに、多くのリスナーが魅了されるだろう。そんな世にも稀なるアトラクティヴなミュージシャンとは、ユーロ・ジャズの雄、ティエリー・ラングである。勝手に“雄”と云ったが、それは、べつに業界において強い勢力を誇るという意味ではなくて、抜群に優れた音楽性を有するということ。
ティエリー・ラングは、1956年12月16日、フランスに近いスイスのラモントという小さな町に生まれた。5歳からクラシック・ピアノのレッスンを受け、2年後には作曲の勉強をはじめた。カウント・ベイシー楽団のレコードを聴いてジャズに興味をもち、15歳で自分のジャズ・コンサートを開催し、その際ジャズ・スタンダーズに加え、自ら作曲したオリジナル・ナンバーも披露したという。ロンドンのロイヤル・アカデミー・ミュージックを卒業後、プロのジャズ・ピアニストとして活動を開始。ジョニー・グリフィン、チャーリー・マリアーノ、アート・ファーマー、トゥーツ・シールマンス等と共演を果たす。1987年にスイスのプラニスフィア・レーベルから、ピアニストのダニエル・ぺランとのデュオ作『ピアノ-アウシ』を発表した。
ラングとぺランはその後、1996年にふたたび共演を果たすが、そのときの音源は、プラニスフィアから『ツシタラ』(1996年)『マカラ』(2002年)という2枚のアルバムとしてリリースされた。ここでふたりは、アコースティック・ピアノのほかに、フェンダー・ローズやハモンド・オルガンも弾いており、ジャズというよりは、ポスト・フュージョンあるいはニューエイジ・ミュージックとでも称すべき、実にユニークな音楽を展開している。欧州ジャズのストライクゾーンをキープするようなティエリー・ラング・トリオの演奏に馴染んだリスナーにとっては、ちょっと意外かもしれない。しかしながら、その特徴ともいうべき──美しいメロディ、透明感に富んだハーモニー、流麗なフレージング、哀愁が漂うムード──すべての原点は、確かにそこにある。
それこそラングがピアノで織り成す究極の耽美的世界は、そんな彼の音楽性の幅の広さから出来するものと思われる。そのあたりが、エヴァンスやジャレットの演奏とは似て非なるものなのである。ラングの演奏は、彼の書いた曲と同様に、実に映像的。彼の創造する音楽からは、いつも色彩豊かな風景が見えてくる。しかもそれには、リアルな空気を支配するような圧倒的な臨場感と、時間を超越するような宇宙的な広がりがある。いくばくか大仰な云いかたになったが、実際ラングの音楽をプレイしているとき、ぼくは、こころが静まり無心になることがよくある。だから猛暑の日、冷房のよく効いた部屋で、なにも考えずにリラックスするのに、ラングの音楽は最適なのである。
慧眼の士ともいうべきバイヤーによって選び抜かれた音楽
ティエリー・ラング・トリオのファースト・アルバムは、スイスのTCBレコード(TCB=Take Care of Businessの略)からリリースされた『チャイルズ・メモリーズ』(1990年)だ。イヴォール・マレヴェ(b)、マルセル・パポー(ds)をサイドに据えたトリオは、4枚目の『ザ・ブルー・ピーチ』(1995年)まで不動(その後ベーシストが鬼才ハイリ・ケンツィヒにかわる)。トリオ作品といっても、曲によってはチェロやトランペット&フリューゲルホーンなどが加えられている。楽曲は、トランペット奏者のマシュー・ミッシェルによる1曲以外は、すべてラングのオリジナルで構成されている。最初のソロ名義のアルバムということもあり、ラングのピアノ・プレイが時折、まるでチック・コリアのようにアウトしながら力強く進行するシーンも観られる。
詩情豊かなピアニズムが大いに発揮されるのは、セカンド作の『ビトゥイーン・ア・スマイル・アンド・ティアーズ』(1991年)から。そして、リスナーのこころを揺さぶる究極のリリシズムが全編にわたって横溢するのは、今回ご紹介するサード・アルバムの『プライヴェート・ガーデン』(1993年)だ。グリーンを基調に、まさにどこぞの個人庭園で撮影されたのだろうか、トリオのメンバーが「はいチーズ!」と写された、モノクロームの写真があしらわれたこのジャケット──カヴァーアートとしては、まるで芸術性に欠ける。だが不思議なことに、緑と庭園からイメージされる、リラックスしたナチュラルなムードにシンパシーを感じてしまうのである。少なくとも2002年に発売されたフランス盤の、暗闇に浮かぶラングの面輪のアップよりはマシだ。
それはともかく、このアルバムがリリースされた1990年代初頭といえば、日本ではオンラインショッピングが一般化していなかった。Amazon.co.jpも、まだ本やCDのストアをオープンするまえだった。ぼくは、国際郵便為替証書を利用した国際送金(外国の住所宛に送金するサービス)で、海外のアーティストから直接CDを購入したこともあるけれど、これがメールしたり郵便局で書類を記載したりで、けっこう面倒くさい(現在このサービスは終了している)。云うまでもなく国内発売されない作品は、輸入盤を入手するしかないのだが、頼りになるのはやはりリアル店舗ということになる。実店舗では、売り場スペースに限りがあるから、当然のごとく商品は厳選される。つまり、慧眼の士ともいうべきバイヤーによって選び抜かれたCDが陳列されるているのだ。
そこで、どうしてもこの場で触れておきたいことがある。当時ぼくは、池袋のCDショップをよく利用していた。あのころの池袋といえば、たくさんの大手レコード販売店がしのぎを削っていた。たとえば、東武百貨店にはHMV(現在はEsola内で営業)、マルイシティにはヴァージン・メガストアーズ(2009年閉店)、PARCOにはオンステージヤマノ(2003年閉店)、P’PARCOにはタワーレコード、サンシャインシティアルタには新星堂(2021年閉店)、そして西武百貨店にはWAVE(2009年閉店)と、音楽を愛好するものにとっては、選り取り見取りだった(総合型中古CD店なども含めると、まだまだあった)。もちろん、競合するところもあったのだろうが、私感では、どこも独自のマーチャンダイジングが展開されていて、ある程度は住み分けができていたように思われた。
そのなかで、個人的にバイヤーのセンスにもっとも驚きを覚えたのが、子どものころからディスクポート西武の名称で親しんできたが、残念なことにCD販売というビジネスモデルの衰退とともに完全消滅してしまったWAVEだ。廃業を機に出版社の営業マンに転身した元バイヤーのかたの談話よると、WAVEでは品揃えについては、ほとんど売り場のスタッフに任されていたという。なるほど、ほかのショップではなかなか見かけないCDがレコメンドされていたのは、優れた耳と研ぎ澄まされた感性をもった店員さんたちの尽力が大きかったわけだ。そういえば、クラブシーンにも影響を与えたノルウェーのピアニスト、ブッゲ・ヴェッセルトフトが立ち上げたジャズランド・レーベルの一連の作品を、早々に揃えていたのもWAVEだった。
迷宮をさまよい歩くような、霊妙な感覚を覚える音楽
ぼくが、ブッゲや、おなじくノルウェーのピアニスト、ヴィグレイク・ストラース、それにオランダの女性シンガー、フランシエン・ヴァン・トゥイネンのファンになったのは、WAVEのおかげだ。そして、ティエリー・ラングとの出会いも、WAVEでのことである。コマーシャリズムはもとよりプロモーション・アクティヴィティとはまったく無縁のラングの作品を、いち早く支持していたのはWAVEなのである。ここで改めてWAVEに感謝の意を込めて告白する──店員さん、あのときラングの数々のリーダー作や、彼が参加したハイリ・ケンツィヒの『グレース・オブ・グラヴイティ』(1996年)をオトナ買いしたのは、実はぼくです。まあ、それはべつにして、マスメディアでろくに宣伝もされなかった『プライヴェート・ガーデン』が格別に人気を集めたのは、ショップで働くバイヤーたちの力添えあってのことである。
その後、ラングはブルーノートに移籍したが、その第一作『ティエリー・ラングの世界』(1997年)は、日本国内でもリリースされた。その際、ラング=新世代のビル・エヴァンスみたいな売り文句が流布したが、戸惑いを感じつつも、胸の奥が小さな幸福感で満たされたもの。まあ、ラングにとってはそれまでとは勝手が違い、メジャー・レーベルからのリリースだけあって、選曲などにおいても制約があっただろう。ひょっとするとブルーノートはほんとうに、このスイスの無名のピアニストをエヴァンスのニュージェネレーション版として売り出したかったのかもしれない。現にエヴァンスのオリジナル「コムラード・コンラッド」や、彼の代表的なレパートリーである「マイ・フーリッシュ・ハート」が採り上げられている。
いずれにしても、日本でのデビューを果たしたラングの人気は急上昇。その影響で、輸入盤の『プライヴェート・ガーデン』も、異例のロングセラーとなった。この出来事にもっとも驚いたのは、だれあろうラングそのひとだ。彼はまだ訪れたこともない地球の反対側の国で、まさか自分の音楽が熱烈に支持されているなんて、思いもよらなかった。それを知った彼は、非常に嬉しく思ったという。それ以上に喜んだのは、きっとユーロ・ジャズの新たな鉱脈を掘り当てたWAVEのバイヤーさんだろう。ぼくの小躍りなど、足元にも及ばない。とにもかくにも、その人気は衰えることを知らず、本国で廃盤になった後も、日本では2003年に、ポリスター・ジャズ・ライブラリーによって、24bitデジタル・リマスター盤/ダブル紙ジャケット仕様で発売された。
本作には、ラングのオリジナルが5曲、ジャズ・スタンダーズが3曲、計8曲が収録されている。オリジナル曲では、ピアノの第一音から静謐な世界に引き込まれるオープニング「ア・スター・トゥ・マイ・ファザー」と、まるで聖歌のように厳かでありながら、そのいっぽうで牧歌のように素朴で悠々としたエンディング「ナン」といった2曲に、ラングのマナーの特徴と風格が顕著に現れている。まるで音が呼吸するようなピアノのタッチが、感動を喚起する。この2曲は、トリオにサックスとチェロが加えられた『ナン』(1999年)でも再演された。つづいて、愁いを帯びた主旋律とボサノヴァの律動が瞑想世界に誘う「ヌンツィ」と、繊細で感傷的なワルツ「ブルヴァール・ペロール」では、ラングの洗練されたセンスが光る。この2曲も、ヴァイオリンやハーモニカが加えられたヴァージョンが『リフレクションズIII』(2004年)に収録されている。
ときにリリカル、ときにエモーショナルな「プライヴェート・ガーデン」は『リフレクションズI』(2003年)や『セレニティ』(2014年)でも採り上げられた、ラングの代表曲。ピアノによる流麗なテーマと小気味いいアドリブを中心に、ベース、ドラムスがフリーフォームの演奏を大きく展開する。タイトル・ナンバーになっているだけあって、三位一体のプレイにおいて、聴きごたえという点では、この曲が断然トップ。いっぽうスタンダーズといえば──ヴィクター・ヤングの「星影のステラ」では、メロディの大胆なフェイクと、インプロヴィゼーションのアブストラクトな進展が観られる。反対にディック・ガスパールの「アイ・ヒア・ア・ラプソディ」でトリオは、比較的オーソドックスな4ビートに乗って、よくスウィングしている。
そして、本作の最大の聴きどころといえば、ジョン・コルトレーンの「ジャイアント・ステップス」である。おなじみのコード進行に基づく即興演奏の限界が極められた作品。従来、高速なテンポで演奏されることがほとんどだが、ここでは意外にも思いっきりテンポが落とされている。目まぐるしく変化するコード進行(10回転調)のみが活かされ、ひたすらピアノによる美しいフレーズが紡ぎ出されていく。そんな状況に、リスナーはメディテーションとリラクゼーションの深みに導かれるばかり。まるで緑が生い茂る迷宮をさまよい歩くような、霊妙な感覚を覚えるのだ。まさに奇跡的な名演であり、エヴァーグリーンな一作。そして、はじめに触れたように、本作はこんなときだからこそ聴くべき癒しの一枚でもある。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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