キーボーディスト、プロデューサーとして、もはや大御所の域に達したジェフ・ローバーが1970年代の後半から率いていたバンド、ザ・ジェフ・ローバー・フュージョンのファースト・アルバム『ザ・ジェフ・ローバー・フュージョン』
The Jeff Lorber Fusion / The Jeff Lorber Fusion (1977)
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30年近くものときを経て復活したザ・ジェフ・ローバー・フュージョン
ジェフ・ローバーといえば、フュージョン、スムース・ジャズといった音楽ジャンルにおいて、キーボーディスト、プロデューサーとして、もはや大御所の域に達した存在。その圧倒的なキャリアと実績も然ることながら、古希を過ぎた現在も第一線で活躍しつづけているのだから、敬服するばかりである。2024年の夏には、ジャズ専門のレーベル、SRG Jazzにおいて、ヴェテランR&Bシンガー、ブライアン・マックナイトをゲストに迎えたリーダー・アルバム『エレヴェイト』を発表した。その後2025年1月、ローバーは南カリフォルニアの大規模な山火事により、ロサンゼルスのパシフィック・パリセーズに構えていた自宅とスタジオ、そして多くの楽器や機材を失うという災難に見舞われたが、2026年現在もアメリカはもちろんのこと、ヨーロッパでもライヴ公演を継続させている。
そんなローバーを、ぼくはほぼリアルタイムで追いかけてきた。ぼくが最初に手にした彼のレコードは、ザ・ジェフ・ローバー・フュージョンのセカンド・アルバム『ソフト・スペース』(1978年)で、日本フォノグラム(現ユニバーサル ミュージック)から発売された国内盤である。オリジナル盤は当時ニューヨークで設立されたばかりのジャズ専門のレーベル、インナー・シティ・レコードからリリースされたのだが、このころ日本フォノグラムはすでにインナー・シティ作品を何枚か発売していた。ジャズとフュージョンを並行して聴いていた中学生のころ、ぼくはレコード・ショップの店頭でこのレコードを発見したとき、そのタスキに記載されていたチック・コリアの推薦の辞を見て、まったく未知のアーティストのアルバムだったが購入を決めた。
云うまでもなくザ・ジェフ・ローバー・フュージョンは、ローバーが24歳という若さでリーダーとなり、結成したフュージョン系のバンド。活動期間は1977年から1981年までと短いが、5枚の非常に優れた出来栄えのアルバムを発表した。その後ローバーはソロ活動に専念するが、2010年にベーシストのジミー・ハスリップらとともにバンドをリユナイトし、ジャズをメインに取り扱うレーベル、ヘッズ・アップ・インターナショナルにおいてアルバム『ナウ・イズ・ザ・タイム』を発表した。以降このバンドは『ザ・ドロップ』(2023年)まで、都合9枚のアルバムをリリースしている。リユナイテッド・バンドのメンバーには、ドラマーのゲイリー・ノヴァック、サクソフォニストのエリック・マリエンサルやアンディ・スニッツァーといった、スムース・ジャズの人気プレイヤーが名を連ねている。

ただし、このリユナイテッド・バンド、正確にはリヴァンプド・バンドと云うべきだろう。なぜならこの再結成は、元のメンバーによる活動再開を意味するものではなく、ローバー以外のメンバー全員が入れ替わった新体制を執るものだったからだ。しかも2010年から2023年までの間にメンバーは何度か替わっているし、そもそもバンド・サウンドに特化しているわけでもない。たしかにローバーとともに、ハスリップ、ノヴァック、マリエンサル、スニッツァーらは、ジャケットに写っていることがあった。しかしながら、実際に中身のほうを聴いてみると、ほかのアーティストがフィーチュアされていることが、ままあったのである。その点このバンド名義、再編成においてはバンド名ではなく、セルフプロジェクト名というニュアンスで使われていたのかもしれない。
ではなぜローバーは30年近くものときを経て、デビュー当時のバンド名をふたたび使いはじめたのだろうか。これは飽くまでぼくの想像だが、ローバーがいまさらフュージョンの旗を掲げたのは、現在コンテンポラリー・ジャズの主流となっているスムース・ジャズに対して、暗にアンチテーゼを唱えるためだったからではなかろうか。スムース・ジャズは、フュージョン・ブームがすっかり衰退した1990年代に音楽ジャンルとして定着した。一般的にそのルーツはフュージョンと観られているけれど、ぼくにはこのふたつが似て非なるものに思われてならない。スムース・ジャズでは、フュージョンの特色である白熱するような長尺の即興演奏、複雑なリズムや緊張感をもったハーモニーなどが、意識的に避けられているからだ。
スムース・ジャズは確かにジャジーな雰囲気が醸し出されているけれど、そのサウンドスケープは飽くまでラジオ用のフォーマットに従ってデザインされている。ひとことで云えば、聴きごこちのよさが第一の音楽。極端な云いかたをすれば、イージー・リスニングということになる。ローバーは器用なひとだから、音楽プロデューサーとしても大いに敏腕を振るう。ラジオ・ステーションの要望に応えるくらいは、彼にとって容易いことだろう。たとえばソロ活動に専念していたころのローバーは、ドラマーでありソングライターでもあるスティーヴン・デュービンとの共同プロデュースで『キッキン・イット』(2001年)をはじめとする3枚のリーダー作を吹き込んでいるが、それらがスムース・ジャズのマナーに則って制作れているのは明らかだ。でもそういう方向性は、彼にとってちょっと窮屈だったのかもしれない。
ローバーは賢いひとだから、音楽作品だって収益化できてこそ価値があると認識しているのだろう。それに彼ほどの才能をもったひとだったら、ビジネスライクに音作りをしても、ハイクオリティな音楽を提供することができるのだ。それでもコマーシャルな音楽ばかり演っていて、ローバーが満足するはずはない。彼本来のエッジの効いたサウンドとインクレディブルなキーボードのテクニックを知っているファンとしても、なんともやりきれない。商業主義に対する反動か、ローバーはブルーノート盤『ヒー・ハド・ア・ハット』(2007年)では、あのブラッド・スウェット・アンド・ティアーズのドラマー、ボビー・コロンビーをプロデューサーに迎え、従来どおり電気楽器を使用していながらも、4ビートを含むこれまでにないアナログでアコースティックなサウンドを展開し新境地を開いた。
このアルバムでは、コロンビーとブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ所縁のふたりのトランペッター、テディ・ミュレとランディ・ブレッカー、さらにトム・スコット、それにローバー自身がホーン・アレンジを担当。さらに英国の作編曲家で指揮者でもあるジェレミー・ラボックがシンフォニックなスコアを提供している。コロンビー自身の稀代のセンスに溢れたドラミングを聴くことができないのはちょっと残念だが、本作は水準の高い作品に仕上がっている。ところが、ローバーはその後この路線を継続しない。彼にとっても会心の1作だったはずだが、本作は飽くまで通過点であり自己の存在証明をなすものではなかったのだろう。音楽の完成度はすこぶる高いけれど、そのいっぽうでローバーらしさが薄味であることは否めないのである。
第1世代であるチック・コリアから影響を受けたローバーは第2世代
ただこの『ヒー・ハド・ア・ハット』の収録曲をよくよく吟味してみると、唯一「ハドソン」という曲でローバーのクールネスがストレートに現れているのを確認することができる。この曲が、すごくいい。ユニークなコードチェンジによるファンキーなサウンドと、シンコペーテッドなリズムとが交錯する。往年のザ・ジェフ・ローバー・フュージョンのグルーヴを彷彿させる、キャッチーな曲だ。個人的には、こういうハートをぐっとつかまれるような曲を切望するのである。ついでに云うとローバーは、キーボード・プレイのテクニックに比重が置かれて語られる機会が多いミュージシャン。その点も含めてスムース・ジャズという音楽は、ローバーが自己の音楽性を遺憾なく発揮するには、いささかその受け皿が小さいように思われる。
ということでハナシを戻すが、往年のザ・ジェフ・ローバー・フュージョンの演奏は、ジャズの即興性や複雑なハーモニーを軸に、ロック、ファンク、ソウルなどのリズムと、エレクトリックかつエレクトロニックなサウンドが交錯する、まさにフュージョンと呼ぶに相応しいものだった。ぼくは『ソフト・スペース』をはじめて聴いたとき、チック・コリア(synth)やジョー・ファレル(fl, ss)といったゲスト・プレイヤーによるヴァーチュオシックなプレイも然ることながら、まったく未知の、しかしながら凄腕のバンド・メンバーたちによる、緻密で複雑なアンサンブルやキレのある高速プレイなど、その高度な演奏技術に驚かされた。なおコリアとファレルは云うまでもなく、人気フュージョン・バンド、リターン・トゥ・フォーエヴァーのメンバーである。
1952年11月4日にペンシルヴェニア州フィラデルフィアの北西部に接するチェルトナムに生まれたローバーは、4歳でピアノをはじめ、9歳でジャズを演奏、バークリー音楽大学で演奏技術と音楽理論によりいっそう磨きをかけた。特にピアノのテクニックは神業的で、それは現在もまったく衰えを知らない。特筆すべきは、青春時代に尊敬するチック・コリアの即興演奏を完全に採譜し、その譜面を本人に送ったということ。それが縁でコリアは、ザ・ジェフ・ローバー・フュージョンの2作目『ソフト・スペース』(1978年)、そして4作目『ウィザード・アイランド』(1980年)に、ミニモーグを引っ提げて参加することになったのだった。興味深いのは、ローバーには下積み時代がないということ。彼にはジャズ・バンドのサイドメンやスタジオ・ミュージシャンの経験がないのである。

ローバーは、10代のころにいくつかのリズム・アンド・ブルースのバンドで活動したり、バークリー音楽大学在籍中にはギタリストのジョン・スコフィールドと出会い、共演も果たしたと云われているけれど、プロのミュージシャンとしてのキャリアは、ザ・ジェフ・ローバー・フュージョンでの活動が最初だ。このバンドのパフォーマンスには、ウェザー・リポート、リターン・トゥ・フォーエヴァー、ザ・ヘッドハンターズといった、フュージョン・バンドの先駆者たちから影響を受けた、ファンキーなサウンドが反映されているが、若き日のローバーにとって憧れの対象といえば、チック・コリアとハービー・ハンコックだったという。ローバーはジャズ・ピアニストではないが、コリアやハンコックのように演奏する方法を学ぶため、ジャズ・ピアノの歴史を遡って研究したのだった。
ちなみに、ローバーは1972年にワシントン州バンクーバーへ移住しており、隣接するオレゴン州ポートランドを拠点に音楽活動を開始した。その後、1986年からロサンゼルスに生活拠点を移している。また彼は、マサチューセッツ州のボストン大学で数年間、化学を学んだ経験もあるという。彼が創出する音楽における構造、波動、調和、そして創造性は、あるいは化学と深いところで繋がっているのかもしれない。それはともかく、ローバーは端からフュージョンを目指したキーボーディストだから、ピアノはもちろんのこと、フェンダー・ローズ、アナログ・シンセサイザーなど、複数の鍵盤楽器を同時に演奏するのが得意。特に当初からミニモーグとシーケンシャル・サーキットのプロフェット5といったシンセを好んで使用していた。
かつてローバーは、自己の音楽性ついてセカンド・ジェネレーションのフュージョンと表現していた。つまり、ジャズをフュージョンに進化させたチック・コリアは第1世代。コリアの音楽から影響を受けたローバーは、第2世代ということになる。そいう意味では、ジャズ・プレイヤーとしてのキャリアをもたず、フュージョンを聴いて育ったローバーがクリエイトするサウンドは、より純度の高いフュージョンと云える。さらに云えば、プロ・ミュージシャンとして船出を切る際に、いきなりフュージョンを旗印にした彼からは、まるで高潔の士のような風情さえ感じられるのだ。ぼくも前述の『ソフト・スペース』で、ザ・ジェフ・ローバー・フュージョンというバンド名をはじめて目にしたときは、ずいぶん思い切ったことをするなと思ったものである。
いささか余談になるが、このザ・ジェフ・ローバー・フュージョンがアルバム・デビューした翌年の1978年、人気フュージョン・グループ、スパイロ・ジャイラがファースト・アルバム『スパイロ・ジャイラ』を発表している。このバンドは、サクソフォニストのジェイ・ベッケンスタイン、キーボーディストのジェレミー・ウォールによって結成された。ふたりは1974年からニューヨーク州バッファロー市のジャズ・クラブ、ジャック・ダニエルズにおいて、店の休業日である毎週火曜日の夜にジャム・セッションを主催していた。そして1977年、そこに集まったローカルの腕自慢たちをメンバーとした、スパイロ・ジャイラがついに旗揚げする。もともとベッケンスタインは地元の大学で生物学を学んでいたのだが、音楽にのめり込んで専攻を音楽に変更した。なにやら、もと理系学生のローバーと共通する。
それはともかくこのスパイロ・ジャイラも、バンド名にこそフュージョンは付されていないが、結成時からフュージョンの旗を掲げていた。アルバム『スパイロ・ジャイラ』のトップには「シェイカー・ソング」というトロピカル・フルーツのような甘口の曲が収録されている。ビルボード誌のアダルト・コンテンポラリーのシングル・チャートにおいて16位を獲得した。しかしながら実はこの曲、アルバムの中でもっとも異彩を放っている。というのも、この作品の全般において、革新性に富んだハードなパフォーマンスが繰り広げられているからだ。それには云ってみれば、ニューヨーク産のジャズ・ファンクといった趣きがある。そんな音楽スタイル、メンバーがまったく無名という点、そして日本においてセカンド・アルバムが先行発売されたことなどは、奇しくもザ・ジェフ・ローバー・フュージョンと重なり合う。
そういえばスパイロ・ジャイラは、よくライヴでソニー・ロリンズの『ザ・ウェイ・アイ・フィール』(1976年)の冒頭を飾る「アイランド・レディ」を演奏していた。ロリンズは早い時期からジャズにカリプソを採り入れていたけれど、この曲はカリブ海の音楽のスタイルが反映されたジャズ・ファンク・ナンバー。モダンなテイストとハッピーなフィーリングとが共存するような雰囲気が、スパイロ・ジャイラによく似合っている。ところで『ザ・ウェイ・アイ・フィール』というアルバムは、当時のアメリカ西海岸を代表する若手ミュージシャンがバックを固めたフュージョン作品。こういうサウンドからストレートに影響を受けていると思われるベッケンスタインやウォールの音楽性もまた、セカンド・ジェネレーションのフュージョンと云い表わすことができるのではなかろうか。
本来の「リヴァー・ウィンズ」はどちらなのか、謎は深まるばかり
いずれにしても、当時のぼくにとってザ・ジェフ・ローバー・フュージョンは、このスパイロ・ジャイラと並んで次代を担うフュージョン・バンドとして目が離せない存在となった。ビルボード誌のトップ・ジャズ・アルバム・チャートで最高13位を記録した『ソフト・スペース』は、日本でも予想を上回る好評を博した。その経緯からかインナー・シティ・レコードのディストリビューターだった日本フォノグラムは、ときを移さずにザ・ジェフ・ローバー・フュージョンのデビュー・アルバム『ザ・ジェフ・ローバー・フュージョン』(1977年)を国内発売した。あろうことか『ソフト・スペース』が発売されたのとおなじ年、1978年のことである。手際のいいアレンジのスマートさや磨き抜かれたサウンドの美しさは、セカンド作に一歩譲るものの、デビュー作のほうもきわめてクリエイティヴな魅力を放っていた。
今回は記念すべきローバーのデビュー作である『ザ・ジェフ・ローバー・フュージョン』の詳細について、ご紹介したいと思う。このアルバム、アメリカで発売された当初は、あまり話題にならなかったようだ。ところが発売から3年後の1980年、ビルボード・トップ・ジャズ・アルバム・チャートで最高30位を記録しているのだ。なお同年のチャートにおいて、当時の新作である『ウィザード・アイランド』が堂々の1位を獲得している。この現象から、そのころザ・ジェフ・ローバー・フュージョンの人気や知名度が一気に加速していたことがわかる。むろん『ウィザード・アイランド』のサウンドも、ジャズの高度な演奏技術や即興性がベースにはなっている。だがこのアルバムでは、従来よりもアップビートなムードとキャッチーなメロディをもった楽曲が際立っている。
そんなポップなフィーリングを放つ『ウィザード・アイランド』に、多くのリスナーが親しみを覚えたのではなかろうか。いずれにせよその機に、ザ・ジェフ・ローバー・フュージョンは多くのファンを獲得し、そのデビュー作もあらためて注目を集めることとなったのである。ところで『ザ・ジェフ・ローバー・フュージョン』の吹き込みは1977年、ワシントン州ヴァンクーヴァーのリップコード・レコーディング・スタジオにおいて行われた。収録曲はすべてローバーのオリジナルである。バンド・メンバーは、ジェフ・ローバー(key)、レスター・マクファーランド(b)、デニス・ブラッドフォード(ds)、テリー・レイン(fl, as, ts)の4人。追加ミュージシャンとして、トッド・カーヴァー(g)、ロン・ヤング(perc)、ブルース・スミス(perc)、ジェフ・ウーシタロ(tb)がレコーディングに参加している。

つづく『ソフト・スペース』では、レギュラー・メンバーが上記の4人にロン・ヤングを加えた5人体制となる。さらにバンドはアリスタ・レコードに移籍し、3作目の『ウォーター・サイン』(1979年)を発表。ローバーとブラッドフォード以外のメンバーはバンドを脱退し、新たにベーシストとしてダニー・ウィルソンが参加。つづく『ウィザード・アイランド』では、フルーティスト兼サクソフォニストとしてケニー・ゴアリックがバンドに加入。4人体制でバンドは完全復活を遂げたかのように思われたが、5作目の『ギャラクシアン』を発表するやいなや敢えなく解散となった。以降ローバーは、ソロ・アーティストとして活動の幅を広げる。なおゴアリックはバンド解散後、ケニー・Gとしてローバーのプロデュースで『シティ・ライツ』(1982年)をリリース。その後、人気アーティストとなった。
本筋に立ち返るが、ここでひとつ少々気になるところがある。この『ザ・ジェフ・ローバー・フュージョン』は、2008年に1960年代から1980年代初頭までのロックやジャズ、フュージョンの名作の復刻で知られるレーベル、ウーンデッド・バード・レコードによってCD化されたのだが、その際オリジナルのセレクション10曲にボーナス・トラックが1曲追加された。この曲、アルバム・クレジットには「ポッピン」と記載されているのだが、実際に聴いてみるとオリジナルのインナー・シティ盤および日本フォノグラム盤(ともにジャケットにローバーのバストアップ写真があしらわれている)においてB面の4曲目に収録されている「リヴァー・ウィンズ」だった。ではウーンデッド・バード盤で「リヴァー・ウィンズ」と銘打たれたトラックはどうかというと、個人的には初聴の曲だった。
ローバーのオフィシャル・ウェブサイトによると「ポッピン」は、ジャケットが異なるレコードに収録されているとのこと。おそらくジャケットに白地にユニークな黒文字のタイトルロゴのみがあしらわれたヴァージョンのことを指しているのだろうが、不思議なことにバックカヴァーに記載されたトラックリストのなかに「ポッピン」のタイトルはなく、表向きはオリジナル盤と同様に「リヴァー・ウィンズ」が収載されていることになっている。ただぼくは、このカヴァー違いのほうは未聴なので、実際に収録されているのが「ポッピン」なのか、いまだに確認できていない。そもそも本来の「リヴァー・ウィンズ」はどちらなのか、謎は深まるばかりである。というわけで、慣れ親しんだ「リヴァー・ウィンズ」が「ポッピン」と記されたウーンデッド・バード盤ではあるが、曲目については便宜上このCDに従ってお伝えする。
アルバムは、高揚感のあるハーモニーと躍動感に富んだシャッフル・ビート「ファンキー・ゴスペル」でスタート。ファンキー・ジャズをより現代的にした感じだが、テナーのアーシーなソロに対しローズがコードチェンジを活かしたソフィスティケーテッドなアドリブを展開する。運指の鮮やかさにため息が出る。クラシカルなムードとシンコペーテッドなリズムが交錯する「閃光」では、ゆったりしたテンポからベースのリフを契機にメンバー全員によるインタープレイが盛り上がりを見せる。つづく「デーヴァ・サンバ」は、軽快なサンバ。ミニモーグとアルトとのユニゾン、ローズのシンコペーションが心地いい。インタールード的な「リファンク」は、ややアブストラクトな印象を与えるが、それ以上にファンクの推進力が光る。
レコードではA面のラストとなる「テリーのラメント」は、リズム・アンド・ブルースから4ビートへ移行する哀愁を帯びた6拍子。ピアノのモーダルなルバート演奏、トロンボーンによるブルージーな調べ、アルトのスムースなソロと、甘美な世界が演出される。レコードではB面のトップとなる「リフト・オフ」は、アップビートなフュージョン・ブギー。ドラムスによるファンク・グルーヴがクセになる。7拍子のラテン・ナンバー「不思議な特効薬」は、リズムにポリメトリックな感覚が冴えわたるが、まさにローバーならではの1曲と云える。ピアノとシンセとのユニゾンも彼らしい。ジャジーなギター・ソロもなかなかのものだ。コード進行がユニークな「ウォーター・ミュージック」では、リラックスした雰囲気のなかアルトとローズがソロを繋いでいく。
疾走感のある6拍子の「リヴァー・ウィンズ」は、途中でクロス・リズムになるスリリングなナンバー。ローバーのキーボード捌きの素晴らしさをあらためて感じさせられる。ギターもエキサイティングなプレイを展開する。ボサノヴァ調の「いとこのステュ」では、2拍子をベースにした滑らかなレガートと静かなグルーヴのなかで、ピアノがエレガントに歌う。5拍子からはじまる可変拍子の「ポッピン」は、浮遊するリズムと強烈なビートとが循環するキャッチーなナンバー。ピアノとシンセの粒立ちのいいソロ、ギターのマイルドで滑らかなアドリブがフィーチュアされる。以上、どの曲もハードコアなフュージョンでありながら、存外メロディアスだったりする。それがこのバンドの特徴とも云えるし、そのサウンドにより特色をもたせているのは、実はブラッドフォードのファンキーなドラミングであると、今回あらためて感じさせられた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。






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