Eumir Deodato / Very Together (1976年)

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クロスオーヴァー時代の大スター、エウミール・デオダート

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Album : Eumir Deodato / Very Together (1976)

Today’s Tune : Amani

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クロスオーヴァーとは、なんだろう?

 

 ご存知のとおり、フュージョンは、音楽のジャンルとして類型化する以前は、クロスオーヴァーと呼ばれていた。1960年代の後半から1970年代の半ばくらいまでのことだったと記憶する。ぼくは、ほぼリアルタイムで、その過程を見聞している。年の離れた従兄からモダン・ジャズを指南されたのも、おなじころだった。ところが、ぼくがクロスオーヴァーに興味をもっていると知るやいなや、従兄はアニキカゼを吹かせて「あれは軟弱でダメだね」と、すげなくはねつけた。そして、まるで不甲斐ないものでも見るように、ぼくに一瞥いちべつを投げたのだ。

 

 まあ、そんな状況でも、どちらかといえばコセコセしないコドモだったぼくは、口惜しがったりもせず「へえ、そういうものなのか。でも好きなんだもん」くらいに、軽く流していたな。でもそのいっぽうで、従兄の云うこともなんとなく理解した。モダン・ジャズでも、マイルス・デイヴィスが電気楽器を使ったり、ロックのリズムを採り入れたりしていたけれど、行き着くところ、その音楽の根幹をなすのは即興演奏。イージーリスニングでダンサブルな娯楽音楽とは、魂の入りかたが違うということなのだろう。確かにジャズ・スピリッツは素晴らしい!でも、それがすべてではない。このころから、ぼくはそう思っていたのだね。

 

 ぼくは、音楽でいちばん大事なのは、明解であるか難解であるかの違いはあるにしても、ちゃんと心地よさを有する──ということだと思う。聴くにしても演るにしても、やはり気持ちよくならないとね──。そんな信条みたいなものが、小学校高学年のぼくにも、すでに芽生えていた。とはいっても、特別に早熟だったわけではなくて、単純に音楽が好きだったのね。勉強は全然できなかったけれど、ピアノのレッスンに行くのはとても楽しかった。あと、妹がヤマハの音楽教室でエレクトーンを習っていたのが、刺激になった。彼女は幼いころから、ロックやボサノヴァや映画音楽の名曲を弾いていたからね──。

アメリカの国の形

 そんなわけで、本格的にジャズを聴きはじめるまえに、ぼくはクラシックはもちろんのこと、様々なポピュラー・ミュージックに親しんでいた。だから、クロスオーヴァーが流行りはじめたのは、これはもう願ったり叶ったりのことだったわけ。手練れのスタジオ・ミュージシャンたちによってクリエイトされる、ジャズ、ロック、ラテン、クラシックなどなど、あらゆるジャンルを超えた快然たるサウンドに、ぼくはやにわに惹きつけられたもの。そこには、モダン・ジャズほど先鋭的ではないけれど、確たる即興演奏があり、それを引き立たせるための意匠が凝らされたアレンジメントがある。

 

 実は、ぼくがアレンジというものに興味をもったのは、クロスオーヴァーを聴きはじめたときのこと。特にCTIレコードの作品からは、とても影響を受けた。CTIとは“Creed Taylor Incorporated”の略で、音楽プロデューサーのクリード・テイラーの名にちなんだジャズ・レーベル。テイラーといえば、ABCパラマウント、インパルス!、ヴァーヴといったレーベルにおいて、ジャズの名作をたくさんプロデュースしてきたひと。百戦錬磨の彼は、まずA&Mレコードの傘下でCTIレーベルを立ち上げ、ほどなくして独立。レーベルのコンセプトは、ジャズをポピュラライズするというものだった。そして、出来した音楽は結果的に、クロスオーヴァーと呼ばれるようになったのである。

 

デオダートはどんな音楽家?

 

 CTIの作品では、当時のポップスやソウル・ミュージックのカヴァー、それにクラシック曲のパラフレーズ・ナンバーが積極的に採り上げられていた。リズム・セクションのバックにオーケストラを加えるのも、定式化していた。そんな趣向が凝らされるのだから、当然まとめ役が必要になる。さもありなん、現にクラウス・オガーマンドン・セベスキーボブ・ジェームスデヴィッド・マシューズといったハウス・アレンジャーや、GRPレーベルを立ち上げるまえのデイヴ・グルーシン、アルゼンチ出身のラロ・シフリンといった錚々そうそうたる顔ぶれが、ソロイストが繰り出す熱いプレイに、スウィートな響きを加えていたのだ。

 

 そんななかにもうひとり、ブラジル出身のエウミール・デオダートの存在を忘れるわけにはいかない。なんといっても、1973年にリリースされた彼のCTIでの第一作『ツァラトゥストラはかく語りき』(原題は『Prelude』)は、あまりにもインパクトが大きい。しかも、アルバムのA面1曲目の「ツァラトゥストラはかく語りき」は、シングル・カットされ500万枚以上のセールスをあげた。当時のアメリカ国内でのレコード販売数としては、驚天動地の天文学的数字!誰もが知る、リヒャルト・シュトラウスが作曲した交響詩の「アインライトゥン(序奏)」が、ファンキーでエレクトリックなインストゥルメンタルにアレンジされている。

 

 この曲の人気の背景には、1968年公開の映画『2001年宇宙の旅』のヒットがあることは、否定できないだろう。スタンリー・キューブリックが監督した、この叙事詩的SF作品は、賛否が分かれたが、とにかく世界中で大きな話題を呼んだ。キューブリックの記号体系が晦渋かいじゅうを極めたこの映画、何度観てもよくわからないのだが、何度でも観たくなる変な作品だ。特にR.シュトラウスの原曲が使用された、ヒトザルが骨を武器にするシーンは、強烈な印象を残した。なお、この演奏はアンクレディテッドだが、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるものであることは、あまりにも有名。

ブラジルの国の形

 というわけで「ツァラトゥストラはかく語りき」は、とてもポピュラーな曲になった。この人気曲をジャズ・ファンクの先駆けのようなサウンドで売り出してしまうところに、テイラーのプロデューサーとしてのしたたかさが感じられる。デオダートのほうも、自己のグループに“2001スペース・バンド”なんていう名前をつけてしまうのだから、まったく抜け目がない。とはいっても、そういう屈託のない性質が魅力でもある。CTIのハウス・アレンジャーたちはみんな、その音楽的装飾の技法にアートオリエンテッドなところがあるけれど、彼にはそれがない。てらいのないゴージャスなアレンジと、自由闊達なエレピの演奏が、彼の持ち味。そんな臆することもなくキャッチーなサウンドをクリエイトしてしまうようなところに、ぼくはとても惹かれるのだ。

 

 あっという間にスターの座へ駆け上がったデオダートは、同年にCTI第二作『ラプソディー・イン・ブルー』(原題は『Deodato 2』)を発表。このアルバム・リリースの異例のスピード加減からも、彼が時のひとだったことがわかる。日本でもたちまち彼は人気者になり、CTIの当時のディストリビューター、キングレコードなどは『白いピューマ』(原盤はブラジル時代の『Os Catedráticos 73』/1973年)や『アランフェス協奏曲』(原盤はイタリアのシンガー、マッシモ・ラニエリの『Meditazione』/1976年)といった、奇妙奇天烈なレコードまで発売している。

 

 ちなみに、デオダートの「ツァラトゥストラはかく語りき」はその後、ピーター・セラーズ主演の映画『チャンス』(1979年)で使用された。主人公がワシントンの中心街に向かうシーンで流れるのだけれど、確かにこの場面では原曲よりもデオダートのプログレッシヴなサウンドがよく似合う。そんな大ヒット作を彼が制作し得たのも、先ごろ他界したアストラッド・ジルベルトをはじめ、ワルター・ワンダレイアントニオ・カルロス・ジョビンミルトン・ナシメントウェス・モンゴメリージョージ・ベンソンスタンリー・タレンタインなどの、初期のCTI作品でのアレンジャーとしての仕事ぶりが認められたからだろう。

 

MCA時代の作品がオススメ

 

 ただお断りしておくが、デオダートが全米規模の大スターになったのは、確かにCTI時代だけれど、彼の才能はそれよりもずっと以前に開花していた。彼は1967年にリオからニューヨークに移住したが、ブラジル時代にすでにコンポーザー、アレンジャー、キーボーディストとして大活躍していた。12歳でアコーディオンを手にした彼が、初リーダー作『無意味な風景』(1964年)を発表したのは、22歳のとき。その後1973年まで彼は、ソロ名義のリーダー作や、“オス・ガトス”、“オス・カテドラーチコス”といったグループ名義の作品、さらに映画のサントラ盤など、たくさんのアルバムをリリースしている。そのサウンドはいかにも、ポップでグルーヴィーなボサノヴァといった風情。そうはいっても、日本でその全貌が知られるようになったのは、1990年代の後半になってから──。

 

 さてさて、前述のように「ツァラトゥストラはかく語りき」の大ヒットで一躍スポットを浴びたデオダートは、その一年後、早々にCTIを去る。大手のMCAレコード(現在のユニバーサルミュージック)に移籍したのだが、このあたりも、なかなかチャッカリしているね。でも、ブラジル時代から大らかで明瞭なサウンドを繰り広げていた彼のことだから、より自由に自分の音楽をクリエイトしたかったのだろう。なにせCTIは、テイラーのプロデュース、ルディ・ヴァン・ゲルダーのレコーディングと、レーベル・カラーが濃厚だからね。それなりに制約もあったことだろう。

 

 確かに、MCAにおける彼の作品は、アルバム・コンセプトにしても、サウンド・プランにしても、それまでより鷹揚さが増している。カヴァー曲においては、クラシック曲のパラフレーズ・ナンバーがぐっと減り、かわりにジャズ・スタンダードや同時代のロックやレゲエのヒット曲が目につく。MCAで制作されたアルバムは『旋風』(1974年)『アーティストゥリー』(1974年)『ファースト・クックー』(1975年)『ヴェリー・トゥゲザー』(1976年)の計4枚で、すべてデオダート自身がプロデュースを手がけた。だから、メロディアスなテーマ、タイトでステーブルなリズム、そしてブラジリアン・テイストと、どこを切っても彼らしさが飛び出してくるのだ。

リオデジャネイロの夕暮れ時の風景

 実はぼくは、デオダートの作品ではMCA時代のものが、もっともナチュラルにその音楽性が表出していて、好きなのである。その後のワーナー・ブラザースの一連のアルバムも決して悪くはないけれど、徐々にディスコやソウルのカラーが深まり、逆にジャズやブラジル音楽の風味は薄まるという、いささかコマーシャルにはしるキライがあった。そのサウンドには、女性ヴォーカル、フォー・オン・ザ・フロア、ハンド・クラッピングなどが溢れかえっていて、そこに彼らしいフェンダー・ローズのアドリブ・ソロが登場する余地は、もはやなかった。そんなことを、アッケラカンとやってしまうところもまた、彼らしいといえば彼らしいのだけれど──。

 

 ということで、ぼくのオススメは、MCAの最終作『ヴェリー・トゥゲザー』だ。アルバムの完成度は、本作がダントツ。選曲にしてもアレンジにしても、非常にバランスがいい。ニューヨークの名うてのスタジオ・ミュージシャンたちの使いかたも、適材適所だ。A面──ヘンリー・マンシーニの名曲「ピーター・ガン」は、ディスコ・チューンに様変わり。迫力満点のブラス・アンサンブルとソウルフルな女性コーラスがクール。デオダートのオリジナル「スパニッシュ・ブギ」は、躍動感あふれるベースが強力なアップテンポのジャズ・ファンク。やはりオリジナルの「アマニ」は、一転してミッドテンポのブラジリアン・ナンバーで、これぞデオダート!といった感じ。モーグ、トロンボーン、フルートとソロもいい。さらにオリジナルの「ブラック・ウィドウ」は、オフビートなドラムスのパターンが独特な、アーバン・ムードの曲。

 

 B面──デオダートのオリジナル「ワニータ」は、ファンク・グルーヴが強調されたダイナミックな曲。テナーのソロが、やたら鳴きまくっていて印象に残る。ボブ・マーリーの有名曲「アイ・ショット・ザ・シェリフ」は、見事にクロスオーヴァーに変身。デオダートのローズのソロにもR&Bテイストが横溢。アレクサンダー・カレッジ作曲の「宇宙大作戦のテーマ」は、テレビ番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」で使用された、メイナード・ファーガソンによるカヴァーが有名。ぼくは、どちらかといえばスペーシーなデオダートのヴァージョンのほうが好き。デオダートのオリジナル「ユニヴァク・ラヴズ・ユー」は、サウダージ感覚に富んだエレクトリックなバラード。やはり、原点はブラジル!この独特なコード進行こそ、案外デオダートの音楽性を象徴するもののように、ぼくには思われるのだけれど、いかがだろう。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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