The Billy Taylor Trio / A Touch Of Taylor (1955年)

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ジャズ・ピアノ・マスターの異名をとるビリー・テイラーの佳作『ア・タッチ・オブ・テイラー』

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Album : The Billy Taylor Trio / A Touch Of Taylor (1955)

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日本での人気はそれほど高くないが、アメリカでは売れっ子ピアニスト

 

 ビリー・テイラーのアルバムは、いまはあまり聴かれないのだろうか。アマゾンで検索してみたけれど、気軽に購入できるものは、あまりないようだ。ぼくが幅広くジャズを聴いていたころ(まだ20代だった!)は、1950年代から1960年代にかけてのテイラーの諸作は、わりと人気があったと記憶するのだけれど──。すっかりCDが主流となっていた1990年代においてさえ、テイラーのアナログ・レコードは国の内外を問わず、いろいろと復刻されていたもの。まあもともと、日本ではそれほど人気の高いピアニストではなかったのかもしれないけれど、そのわりにはリーダー作の枚数はかなり多い。きっとアメリカでは、売れっ子だったのだろう。モダン・ジャズの場合、こういうことはままある。

 

 ジャズは世界中に広まったし、その国の音楽文化と融合して多種多様のスタイルを確立した。でもジャズは、やはりアメリカ人の音楽なのかな──。思いがけずテイラーのような扱われかたをするジャズ・ピアニストに出くわしたりすると、ぼくは返すがえすそんなふうに思ってしまうのだ。アメリカ人にとって、ジャズはポピュラーな音楽。日常的に聴かれる音楽。彼らにとってジャズは、ライフスタイルの一部でもある。それに反して日本では、ぼくのように寝食と同じようにジャズが生活に欠かせないものとなっているようなヤツは、まだまだ圧倒的にマイノリティ。ジャズでも聴いてみようかな──というひとは、それなりに多いと思うけれど、そういうときは、いわゆるジャズの巨人に傾くのが人情というものだ。

 

 それでも“アニメ大国”を誇る日本、なにやらポジティヴな印象を与える“1億総オタク社会”の日本である。“ジャズオタ”という呼びかたが登場する以前から、ジャズの熱心な愛好家は存外多かった。昔から存在した。そうでなければ、たとえば東芝EMIが“コレクターズLPシリーズ from オリジナル10インチ ALBUMS”などという企画を実施するわけがない。それは1997年のことだから、前述のようにときはCD時代。珍しい10インチ・レコードの音源が、CDではなくアナログ・レコードで、しかもわざわざ12インチ盤の仕様に変更されて復刻。そんなマニアックなものが売れるのだから、まったくもって、日本のジャズ・ファンを侮るなかれ!──だ。その熱狂ぶりには、ぼくのように気ままな人間でも、ちょっとそらおそろしくなる。

店頭でお目当てのレコードを探す男の子

 ぼくはそれこそコレクターではないから、魅惑のLPシリーズとはいえ、ぜんぶ買ったりはしない。ただこのとき、テイラーのアルバムを何枚か聴いていたぼくにとって、彼はすでにフェイヴァリット・ピアニストとなっていた。このシリーズのラインナップのうち2枚のテイラーのリーダー作については、迷うことなく購入した。それは『テイラー・メイド・ピアノ』(1952年)と『ジャズ・アット・ストーリーヴィル』(1953年)といった、ともにルースト・レコードからリリースされたレコード。このレーベルは、ニューヨーク市マンハッタンのブロードウェイにあった有名なジャズ・クラブ、ロイヤル・ルーストから生まれた。だがしかし、当時のぼくといえば青二才。そんなことは知る由もない。

 

 ルースト・レコードについては、バド・パウエルのレコードからレーベル名くらいは知っていたけれど、ぼくの知識といえばその程度の浅薄せんぱくなものにとどまるばかり。テイラーの2枚のレコードについても、あとでジャズの愛好家にとって垂涎のレア作品であると知り、たいへん驚いたもの。繰り返すけれど、ぼくはジャズの貴重盤の蒐集家ではないし、どちらかといえば元来モノに対する執着は淡白なほう。2枚のルースト盤に関しても、ぼくは単純に、オーソドックスだけれど非の打ちどころのない、テイラーのピアノ演奏に惹かれていたことから手にしたのである。ただグラフィックデザイナーのバート・ゴールドブラットによるカヴァーアートは大好きなので、いまもって正規のCD化が実現されないことを考慮すると、買っておいてよかったと思う。

 

 なお、トリオ編成の『ジャズ・アット・ストーリーヴィル』は、タイトルどおりマサチューセッツ州ボストンの名だたるジャズ・クラブ、ストーリーヴィルにおける実況録音盤。レコーディングは1952年の秋となっているが、1951年11月にリリースされた同名の12インチのエアチェック盤が存在するとのことなので、それが正確なデータであるかどうかは定かでない。チャールス・ミンガスのベース・プレイに触発されたのか、ここでのテイラーの演奏はいつもよりテンションが高い。彼はよく知られる数々のスタンダーズにおいて、変幻自在のピアノ・プレイを奔放に展開している。いつもは正統的なスタイルで流暢に鍵盤を駆けていく彼の両手から、熱いフレーズが紡ぎ出される。むしろ、そんなパフォーマンスが聴けるということのほうが貴重だ。

 

 かたや『テイラー・メイド・ピアノ』には、A面に1951年11月1日の録音、B面に1952年5月2日の録音といった具合に、ふたつのセッションが収録されている。演奏はどちらもピアノ・トリオが主軸となっているが、ギターとパーカッションが華を添えている。A面の吹き込みでは、テナー奏者のズート・シムズがマラカスを振っているというのが面白い。なによりもこのアルバムでは、テイラーがアフロキューバン・ジャズに積極的にアプローチしていることが興味深い。実はテイラーは1940年代に、キューバ、ハバナ出身のマラカス奏者、マチートの楽団でピアノを弾いていたことがある。おそらくその影響だろう、彼はその後もときおりラテン志向の作品を吹き込んでいる。本作はその出発点で、肩の力を抜いて楽しむことができる愛すべき1枚だ。

 

ロックもリズム・アンド・ブルースも、ものともせず弾きこなす

 

 いずれにしても、これらのアルバムはビリー・テイラーの初期のピアノ・プレイを知るという点で有意義な作品と、ぼくは思う。ハードバップにしてもラテンにしても、彼のピアノ・プレイのテクニックがいかに完璧なものであるかは、この時点ですでに明らかで疑う余地がない。しかしそのわりにテイラーは、一般的には知名度が低い。たまにジャズを聴くひとだったら、もっと有名なひとの演奏を聴きたいと思うのだろう。その気持ちは、よくわかる。たとえば、同世代のピアニストだったら、エロール・ガーナーレッド・ガーランドバド・パウエルなどのほうが、あまねく知られているし、みな強烈なもち味を出しているからね──。その点、テイラーの人気がイマイチなのは、巧妙過ぎるのが却ってネックになっているからかもしれない。

 

 ということで、ぼくは敢えてテイラーを推すことにしよう。お断りしておくが、べつにへそを曲げているわけではなくて、ほんとうに彼の演奏が好きなのだ。実際、彼は一部の愛好家から、ジャズ・ピアノ・マスターという敬称で云い表わされることもあるしね──。繰り返しになるが、テイラーのプレイはオーソドックスだけれど、まったく非の打ちどころがない。卓越したテクニック、横溢するジャズ・フィーリング、自在なコード・ワーク、即応性の高いインプロヴィゼーションなどなど、その美点を挙げるとキリがない。トータル的に観ると、テイラーの奏でるピアノは、上品なスウィング感とポジティヴな雰囲気に溢れていて、実に心地よく聴けるものである。でも日本のリスナーは、もっとこころに染みるような音楽が好きなのだろう。

 

 ジャズ・ピアノの達人ともいうべきテイラーのアルバムのなかには、こんな面白い作品もある。それはキャピトル・レコードの傍系レーベル、タワー・レコードにたった1枚残された『アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー』(1968年)というライヴ盤。原題は『I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free』と、やたらと長ったらしい。ジャケットにあしらわれたテイラーの笑顔のイラストも、なんか笑える。ところがどっこい、中身のほうは笑えない。聴いて驚くなかれ、ここでのテイラーは逡巡の色などまったく浮かべることなく、グルーヴィーにソウル・ジャズを弾きまくっている。バックのベン・タッカー(b)、グラディ・テイト(ds)も8ビートを全開。たいていこういう作品は退屈なのだけれど、これはヤバイくらいイケている。

店頭でお目当てのレコードを見つけた男の子

 アルバム・タイトルにもなっている自作曲では、オーディエンスのクラップハンドまで出来。テイラーのピアノのタッチは、ラムゼイ・ルイスもビックリするほど力強い。ロックだろうとリズム・アンド・ブルースだろうと、彼はものともせず弾きこなす。それどころかテイラーのプレイのほうがルイスのそれよりも、ファンキーさにエレガントな味わいが加味されていて、貫禄たっぷりだったりする。個人的には、R&Bシンガー、ボビー・ヘブの1966年のヒット曲「サニー」が好き。小学生のころポピュラー・ピアノを弾きはじめたころ、ぼくにとっては大の愛奏曲だった。テイラーのヴァージョンは、低音域を活かしたダイナミックなプレイとアドリブ・パートでの転調がクール過ぎて、ほんとうに惚れ惚れする。

 

 このアルバムでテイラーは、ボサノヴァも演っている。しかも、ぼくの敬愛するクレア・フィッシャーのオリジナルを2曲も採り上げるなんて、まったくしたたかだ。ラテン・サイドのフィッシャーのアルバム『ソ・ダンソ・サンバ』(1964年)から「ペンサティヴァ」そして『マンテカ!』(1965年)から「モーニング」をチョイス。どちらものちにフィッシャーの代表曲と云われ、多くのミュージシャンによって演奏されているが、テイラーはこの2曲をオリジナルを凌駕するほど見事に料理している。その点、前述の「サニー」からも一目瞭然ならぬ一聴瞭然なことなのだけれど、彼はピアノ・マスターというだけではなくアレンジにおいても抜群のセンスを身につけたアーティストなのである。

 

 実はこのアルバム、1998年に東芝EMIによってCD化されている。“寺島靖国選 ザ・ピアノ・トリオ・コレクション”と銘打たれたシリーズの1枚として発売された。帯には堂々と「超コレクターズ・アイテム!」と記述されているけれど、ぼくはなんの苦もなくこのレコードを手に入れた。もしかすると本作は、ジャズは4ビートに限るというひとからは端から見向きもされないだろうから、いつの間にか希少品となってしまったのかもしれない。それにしても、この作品が辛口批評でおなじみの寺島さんの推挽にあずかるとは、意外や意外。ぼくはこのCDを所持していないので、氏によるライナーノーツは未読なのだが、その内容への興味は尽きない。なんにしても、本作のようなある種の珍品もしっかり評価する寺島さんのことを、ぼくはまた好きになってしまった。

 

 なお、英国のヴァージン・レコードからリリースされた『ザ・ベスト・スムース・ジャズ…エヴァー!』(2003年)という4枚組のコンピレーションCDがあるのだけれど、本作から「アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー・ハウ・イット・ウッド・フィール・トゥ・ビー・フリー」(やはり長いね)がセレクトされている。スムース・ジャズとはね──そういう解釈もアリなのかもしれない。確かにDJプレイやサンプリングのネタとして重宝するような、グルーヴィーでキャッチーなトラックなのだから──。とにもかくにも、テイラーのピアノ演奏は、ソウル・ジャズにおいても天下一品。帰するところ、彼はジャズ・ピアノ・マスターなのである。テイラーのプレイをバド・パウエルセロニアス・モンクと比較して、迫力不足という向きもあるようだが、なんだか釈然としない。

 

特徴的なピアノのタッチ、作曲とアレンジのセンスのよさが傑出した佳作

 

 そんなビリー・テイラー(1921年7月24日 – 2010年12月28日)は、ノースカロライナ州グリーンヴィルに生まれた。5歳のときにワシントンD.C.に移住。音楽一家に育った彼は、幼いころからドラムス、ギター、サクソフォンなども学んだが、結局ピアノ演奏に集中する。13歳のときにひとまえで演奏し、はじめて報酬を得たという。その後、あのデューク・エリントンも師事したダンバー・ハイスクールの音楽教師、ヘンリー・グラントからクラシック・ピアノの手ほどきを受けた。またテイラーは、ヴァージニア州立大学に入学し社会学を専門分野として学びはじめたが、まもなく専攻を音楽に変更し学位を取得した。大学卒業後はニューヨークに移住し、1944年からいよいよプロのピアニストとして活動を開始する──。

 

 まずテイラーは、テナー奏者、ベン・ウェブスターのクァルテットに加入。さきにも触れたが、彼はときを移さず、マチートの楽団でもピアノを弾くようになる。つまりスウィングとラテンを同時に演っていたわけだ。また、テイラーは、ドン・レッドマン楽団の8か月にわたるヨーロッパ・ツアーにも参加した。ニューヨークに戻るとブロードウェイにおいて、“レディ・デイ”ことビリー・ホリデイをサポートし成功を収めた。その後まもなく、彼はマンハッタン52番街の有名なジャズ・クラブ、バードランドのハウス・ピアニストとなる。そこでの共演者といえば、チャーリー・パーカー(as)、スタン・ゲッツ(ts)、J.J. ジョンソン(tb)、ディジー・ガレスピー(tp)、そしてマイルス・デイヴィス(tp)と、錚々たる顔ぶれである。

 

 実はこのころ、テイラーはすでにレコーディングを行なっていて、1945年3月20日、ニューヨークにおけるトリオでの吹き込みが事実上もっとも古い。1949年の11月20日の演奏とあわせて、日本でも発売されたサヴォイ盤『セパレート・キーボーズ』(1955年)で聴くことができる。ただこのアルバムは、テイラーのトラックはB面のみで、A面にはエロール・ガーナーのトリオによる吹き込みが収録されている。まあ、一種のコンピレーション・アルバムというべきものだが、1940年代のテイラーの演奏を知り得るという点では貴重なレコードと云えるのかもしれない。このあと、さきに述べたルースト盤を経て、テイラーは1952年にアール・メイ(b)、チャーリー・スミス(ds)とともに自己のトリオを結成する。1954年には、ドラムスがパーシー・ブライスに替わった。

レコードを聴きながら次にかけるレコードを選ぶ女の子

 テイラーのアルバムに歴史に残るような大傑作があるかというと、ぼくにはちょっと思い当たらないのだけれど、どれも高水準を保っているように感じられる。個人的には所持するアルバムに、苦手な作品は1枚もない。一般的にも彼の代表作を選ぶことになると、ひとによって見解が分かれるから面白い。無責任な云いかたになるけれど、どれを聴いてもいいわけだ。ということで、独断と偏見で1枚、おすすめしておこう。実にバランスのいい演奏をしていて好感がもてるのは、テイラー、メイ、ブライスといった、およそ2年間にわたる固定トリオ。この気ごころの知れたメンバーによるトリオ作品は、プレスティッジ・レコードとABC パラマウント・レコードに4枚あるが、ぼくはこれが好き──。

 

 ぼくがいちばんに推す『ア・タッチ・オブ・テイラー』(1955年)は、上記のレギュラー・メンバーによる最初のアルバム。吹き込みは、ライヴ録音の『ビリー・テイラー・トリオ・アット・タウン・ホール』(1955年)のほうが4か月ほどまえだが、リリースは順序が逆になった。ぼくが『ア・タッチ・オブ・テイラー』が好きな理由は、よくスウィングしながらも決して熱くなり過ぎない、端正で上品なテイラーのピアニズムがもっとも自然に顕現しているから。タイトルにあるように、彼の特徴的なピアノのタッチが全編に横溢する。全12曲中10曲がテイラーの自作曲というのもいい。彼の作曲とアレンジのセンスのよさが、本作では顕著に現れている。グラフィックデザイナーでフォトグラファーのフラン・スコットによるジャケットも、スタイリッシュで好きだ。

 

 A面、冒頭の「エヴァー・ソー・イージー」からトリオは軽快なテンポと寛いだムードで、リスナーを居心地のいい音空間にいざなう。つづく「レディオアクティヴィティ」は、転調と躍動感の効いた軽妙なナンバー。ピアノによる円転自在のフレージングが素晴らしい。一転して「ア・ビアント」では、テンポがスローになる。ララバイ風の曲想が、哀愁を帯びた美しい陰影をたたえる。ラテン調のブルース「ロング・トム」では、アルバム中もっともリズミカルなシークェンスとハッピーなムードが高まる。リリカルなバラード「デイ・ドリーミング」では、ただただ静寂に沈む音世界に浸るのみ。ピアノの繊細な風合いをご堪能あれ。 軽やかな「リヴ・イット・アップ」では、尺は短いがテイラーの独自のバップ・スタイルを楽しむことができる。総じてメイとブライスはサポートに徹しているが、トリオとしての機能は抜群に発揮されている。

 

 B面1曲目、ディスク・ジョッキーでもあるアル・コリンズの「パープル・ムード」では、リラックスした空気に気持ちがリフレッシュされる。高速の「アーリー・バード」では、テイラーがビバップをプレイしても一流のピアニストであることが証明される。それに対して「ブルー・クラウド」では、バラード演奏の優れた腕前を披露。ラテン調のブルースでは2曲目となる「イッツ・ア・グランド・ナイト・フォー・スウィンギング」では、マイナー調の曲想にあわせてテイラーはややビターな味わいのシックなフレーズを繰り出す。ラジオ・パーソナリティのウィリス・コノヴァーの「メモリーズ・オブ・スプリング」は、魅惑のバラード。ラストの「ダディ・オー」は快適なテンポと朗らかなイメージのなか、テイラーのピアノがインヴェンション風になるのが興味深い。そして、心地いい。そう、彼のピアニズムからは高い知性が感じられるけれど、それはまことに快然たるもの。そういうところが、テイラーのいちばんの魅力なのである。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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