オリエンタルなメロディと日本固有のグルーヴとが融合されたサウンドとして、海外のクラブ・ジャズ界隈で高く評価される、菅野光亮が残した唯一のピアノ・トリオ作品『ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング』
菅野光亮トリオ / When The World Was Young (1978)
Today’s Tune : I Wish You Love
どういうわけか日本のジャズ作品を聴く機会があまりなかった
ぼくは音楽に関しては、どちらかというと偏食家と云えるだろう。とはいっても、特定の音楽を極端に避ける傾向があるわけではない。単に視野が狭いだけなのだろう。まったく甲斐性がないもので、ぼくには敢えてまだ見ぬ世界を深く知ろうとするような、原動力がないのである。ただ自分には、意識的にアンテナを張り巡らせるような習慣はないけれど、音楽だけでなくアートなどの場合もそうなのだが、こころに響くものに出会うと、それに対して深く掘り下げるようなアプローチをするところがある。しかも年を追うごとに、そういう気質が強くなっているようだ。その結果、自室の棚に並ぶレコードといえば、きわめて偏ったラインナップとなっている。むろん、自分の意見に固執したり、他者の視点を考慮しなかったりすることはないけれど──。
世のなかには、ジャズ・シーンで多大な貢献をした熱心な愛好家や、ジャズの歴史や音楽理論に精通した有識者がたくさんいるし、1万枚以上の貴重なレコードや膨大なプライヴェート録音テープなどを集めたコレクターも存在する。そこまでではないにしても、幅広くジャズを聴いているリスナーは星の数ほどいる。まったく羨ましい限りだが、本来ジャズ・ファンとはそういうものであり、ぼくのようなヤツのことはジャズ・ファンとは云わないのかもしれない。ということで、さらに浅学非才の身であるが故、あまり偉そうには云えないのだが、勇気をもって今回もお薦めのレコードをご紹介したいと思う。しかもこの際だから、いつも以上に腹をくくって日本のジャズ作品を採り上げてみようと思った次第である。
ぼくにはこれまでに、どういうわけか日本のジャズ作品を聴く機会があまりなかった。だから、日本のジャズ・プレイヤーのことをあまりよく知らない。お恥ずかしい限りだが、たとえば現在ぼくが好んで聴きつづけている日本のジャズ・ピアニストというと、山中千尋くらいのものである。ぼくが山中さんのファンになったキッカケは、その初リーダー・アルバム『リヴィング・ウィズアウト・フライデイ』(2001年)で、スウェーデンのジャズ・プレイヤー、ラーシュ・ヤンソンのオリジナル・ナンバー「インヴィジブル・フレンズ」が演奏されていたこと。ヤンソンは当時のぼくにとって、もっとも敬愛するジャズ・ピアニストだったのである。ちなみに、ぼくの知人に桐朋学園大学音楽学部出身の女性がいるのだけれど、彼女はスゴい下級生として山中さんのことを鮮明に覚えていた。

山中さんは、桐朋女子高等学校音楽科に在籍していたころから、ピアノ演奏において格別な技巧や能力をもった生徒として注目の的となっていたとのこと。それも山中さんがその後、バークリー音楽大学を首席で卒業したこと、同大学在学中には音楽家というよりも理論家といった印象が強い巨匠、ジョージ・ラッセルから絶賛されたことを鑑みれば、大いに得心がいくというもの。クラシックで培ったその確かな基礎に裏打ちされた華麗な速弾きには、いつもウットリさせられる。そんな卓越したテクニックとパッションを兼ね備えたアグレッシヴなタッチが、山中さんのピアノ・プレイの最大の魅力と思われるが、さらにぼくが惹かれる点といえば、彼女が楽曲に施す大胆かつ緻密なアレンジメント。その既存の枠にとらわれないリズムやハーモニーの解釈が、常にフレッシュな音楽を創出している。
クラシックやジャスの世界にヴィルトゥオーソは、それこそ星の数ほどいるのだろうが、山中さんのように技術偏重に陥らず一貫して音楽性の深みや傑出した解釈を押し出すピアニストはなかなかいない。山中さんの音楽が、ぼくの志向性と完全に一致するわけではないけれど、それが自分の感性を刺激するものであることは紛れもない事実。この感覚はある意味で、恋愛感情に似ているかもしれない。いずれにせよぼくは、ヴィブラフォニスト、ベン・アダムスの『ザ・フィギュアド・ホイール』(2000年)、ジャズ&ポップ・シンガー、マーリーン・ヴァー・プランクの『イッツ・ハウ・ユー・プレイ・ザ・ゲーム』(2004年)といった、山中さんが参加したマイナーなアルバムにまで手を出すほど、彼女の大ファンなのである。
そんなわけで山中さんは、いまのぼくにとって、新譜がリリースされるとそれを必ず手にとるという、数少ない日本人ジャズ・ピアニストのひとりとなっている。とはいっても今回ご紹介するのは山中さんのアルバムではなくて、ぼくがジャズを聴きはじめたころの年代モノの名盤である。引き合いに出してしまった山中さんにはたいへん申し訳ないけれど、彼女の作品についてはひとまず見送らせていただく。もちろん、いつか必ずこのブログで採り上げることをお約束する。ついては今回の話題に関して早速、ずっと過去に遡ることにする。それはぼくが小学校高学年生だったころのこと。従兄の家ではじめてジャズのレコードを聴き、その魅力にとり憑かれて間もなく、ぼくは早々に日本人ジャズ・プレイヤーのレコードを手にする。
それは過日(2026年5月4日)他界された作曲家でありジャズ・ピアニストでもある、大野雄二のアルバム『ミスター・ハピゴン』(1973年)だった。大野さんが1971年に池田芳夫(b)、岡山和義(ds)をサイドに据えたピアノ・トリオで吹き込んだ、初リーダー作である。云うまでもなく大野さんは、ジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせたのだが、のちに映画『犬神家の一族』(1976年)やテレビアニメ『ルパン三世』第2シリーズ(1977年 – 1980年)の音楽を手がけ、作曲家として広く知られるようになった音楽家だ。ぼくもはじめは、大野さんがジャズ・ピアニストであるとは思いもよらなかった。ぼくと大野サウンドとの出会いが、石立鉄男主演による、日本テレビ系列で1970年代に放映されたホームコメディドラマ・シリーズの第1作『おひかえあそばせ』(1971年)だったからだ。
その後ぼくは、やはり日本テレビ系列のドラマシリーズ『火曜日の女』(1969年11月4日 – 1972年3月27日)を観るようになるのだけれど、そのころはまだ大野さんの名前を覚えていなかったかもしれないが、氏の音楽には強く惹かれていたと思う。要するにぼくは、まだ年端もいかない子どものころから、知らず知らずのうちに大野サウンドを刷り込まれていたわけだ。それは同時に、そうと知らずにジャズという音楽に接していたことにもなる。いずれにしても、大野雄二という音楽家がもともとジャズ・ピアニストだったということを知るのは、もう少しあとのこと。具体的には1976年に公開された、映画『犬神家の一族』を鑑賞したとき。鑑賞後に購入したパンフレットの巻末に、サントラ盤の宣伝広告のページがあったのだが、そこに大野さんのプロフィールが掲載されていたのである。
大野さんがジャズ・ピアニストと知ったぼくはときを移さず、父親に頼み込んでわざわざ銀座の山野楽器まで連れていってもらい、ついに『ミスター・ハピゴン』を手に入れたのだった。いまでもそのときのことをよく覚えているのだけれど、象牙色のジャケットの下のほうに着色されたモノクロームの写真の大野さんがすごく小さくて、どことなく怪しくて気が許せないように感じられた。鮮やかな真紅のタスキに“RCAモダン・ジャズ・シリーズ”と記載されているのを見たとき、小学生のぼくははじめてオトナのアイテムを手にするウレシさみたいなものを感じたりもした。その反面、ジャケットの裏面に写る長髪にラフな格好の大野さんからちょっと赤軍派をイメージしてしまい、恐る恐るレジにもっていった覚えがある。
好んで聴いていた日本のジャズ作品は“慶應三羽烏”のアルバムだった
当時の大野さんは、評論家たちの間では主流派に属するジャズ・ピアニストと目されていたようだが、確かに氏のプレイは本質的な部分ではナチュラルでホットに響く。それでも決してそのスタイルは旧態依然としたものではなく、フレッシュな感覚に満ち溢れたもの。その点、いま聴いてもまったく色褪せておらず、ぼくは現在も本盤をとき折ターンテーブルに載せている。それはともかく、ぼくはジャズを本格的に聴くようになるまえは、クラシック、ポップ・ミュージック、映画音楽、それにブラジルの音楽などに親しんでいた。もし大野さんがテレビドラマや映画の音楽を手がけていなかったら、ぼくは『ミスター・ハピゴン』を手にとることはなかったかもしれないし、おそらく日本人ジャズ・プレイヤーの作品とはもっと縁遠くなっていただろう。
そして、おなじようなケースで手にしたのが、佐藤允彦のアルバム『パラディウム』(1969年)。サイドに荒川康男(b)、富樫雅彦(ds)を従えたトリオによる吹き込みだが、奇しくもこの作品もまた、佐藤さんの初リーダー・アルバムだった。実は前述のドラマシリーズ『火曜日の女』の音楽を最初に担当していたのが、佐藤さんだった。氏は番組がスタートした1969年から1972年までの3年間、計20作品の音楽を手がけている。そして1972年から大野さんが助っ人として登板するようになり、放送時間が変わり『土曜日の女』(1973年4月7日 – 1974年3月30日)になってから番組が終了する1974年まで、すべての作品を手がけている(計17作品)。大野さんのリリーフは、この番組のプロデューサーで、石立鉄男主演によるホームコメディドラマ・シリーズも手がけていた、小坂敬の肝煎りによるものだろう。
なおこの『火曜日の女』は、サウンドトラック・アルバムが発売されている。東宝レコードがリリースした『佐藤允彦 女を奏う – 火曜日の女 –』(1970年)というレコードだった。おそらく日本のテレビドラマのサウンドトラック・アルバムとしては、草分け的な作品になるのではないだろうか。アルバム・タイトルからも分かるとおり、収録曲はすべて佐藤さんのスコアである。大野さんの楽曲はいまだに商品化されていないが、ぼくとしては今後日の目を見ることを切望する。レコーディング・メンバーは、佐藤允彦(key)、石川晶(ds)、荒川康男(b)、稲葉国光(b)、杉本喜代志(g)、後藤芳子(vo)といった、当時の一流のジャズ・プレイヤーたちで固められている。クレジットの記載はないが、曲によっては弦楽器、管楽器、打楽器なども加えられている。

思い返せば、この『火曜日の女』の音楽は、佐藤さんの曲にしても大野さんの曲にしても、のちにふたりが手がけた映像作品の音楽と比較すると、かなりジャズのトーンが強めだった。それは1970年代前半という時代を反映するもので、フリー・ジャズ、ジャズ・ロック、ボサノヴァ、イージー・リスニングといった1960年代の音楽を発展させたようなサウンドだった。特にリズムの面では、のちのフュージョンのように16ビートが主体となることはない。しかしながら、ふたりの紡ぎ出す流麗なメロディック・ラインや捻りを加えたソフィスティケーテッドなハーモニーからは、すでにそれとわかる強烈な独自性が感じられる。いずれにせよ大野さんの場合と同様に、ぼくはこのドラマシリーズを観ていなかったら、佐藤さんの『パラディウム』を手にしなかったかもしれない。
この『パラディウム』のコンテンツは、バークリー音楽院(現バークリー音楽大学)への留学から帰国したばかりの佐藤さんの、はじめてのレコーディング・セッションである。曲目はザ・ビートルズの有名な曲「ミッシェル」以外は、すべて佐藤さんのオリジナル・ナンバー。かつて氏がバークリー入学の際にデモンストレーション用に作曲した曲も含まれており、本作では終始アートオリエンテッドなサウンドが展開される。ときにはフリー・フォームのインタープレイや、プリペアード・ピアノの演奏も飛び出してくる。そんな前衛的なスタイルがエナジェティックに展開されるシーンもあるのだが、小学生のぼくでも存外この作品に拒否反応を示すことはなかった。そういう音楽には『火曜日の女』のアンダースコアで、すでに親しんでいたからだろう。
確かに佐藤さんの作品には、ジャズを高みへ誘うような風情がある。しかしながら、高いステージや水準を見据えた音楽ばかりを創出しているわけではない。たとえば1980年代には、佐藤允彦&メディカル・シュガー・バンクというグループを組んで、ドープなフュージョン・サウンドを繰り広げたり、リチャード・デューセンバーグ III世という変名で、ザ・ベルエア・ストリングスという弦楽器をメインに据えたプロジェクトを率いたりもした。特に後者の一連の作品には、ジャズやフュージョンというよりもハイグレードなイージー・リスニングといった趣きがある。このプロジェクトで佐藤さんは当初、本名を隠していたのだけれど、ストリングスの特徴的なカウンターメロディなどから、ぼくはすぐにこの謎の人物が氏であると気がついたものである。
またそのいっぽうで、佐藤さんは自己のプロデュース・レーベル、バージ・レコードから『リフレクションズ』(1997年)という、カジュアルなソロ・ピアノ作品集を発表している。佐藤さんのアルバムには、新しい趣向や表現方法、あるいは未知の領域に挑むような作品が多々ある。でもこのアルバムにはそういうムードはなく、いささかハーモニーに捻りがきいているとはいえ、飽くまでリラックスして浸ることができるような極上の味わいがある。そんな佐藤さんの懐の深い音楽性に、ぼくは惹かれるのである。なお佐藤さんと大野さんとが共演した作品に、日本コロムビアからリリースされた『エレクトロ・キーボード・オーケストラ』(1975年)というアルバムがある。8人の鍵盤奏者が20台のシンセサイザーをプレイするという、現代ではあり得ないプロジェクトが実現されている。
このレコードでぼくが新たに興味をもったジャズ・ピアニストが、“コルゲン”こと鈴木宏昌(2001年5月21日 60歳没)だった。コルゲンさんはこのプロジェクトに参加したあと、日本のフュージョンの草分けとして、自己のグループ、コルゲン・バンド結成し『スキップ・ステップ・コルゲン』(1977年)『トリトン』(1979年)『ア・ロンリー・フォーリング・スター』(1981年)といったアルバムを発表。さらにバンド名をザ・プレイヤーズに変更し、さらなる飛躍を遂げた。このバンドは、演奏技術から、即興力と応用力、音感やリズム感に至るまでどこをとってもトップクラス。日本のフュージョン・バンドの最高峰に位置すると云っても、過言ではないだろう。かたや氏は、ストレート・アヘッドなジャズ・アルバムも吹き込んでいる。
鈴木宏昌という名前は、氏がTBS系列のテレビアニメ『海のトリトン』(1972年4月1日 – 9月30日)の音楽を手がけたことで、なんとなくだが、ぼくの記憶に残っていた。大野さんの場合と同様に、あとでコルゲンさんがジャズ・ピアニストと知って、意外な発見と深い納得とが入り混じった心境に至ったものである。コルゲンさんはファンキーなフュージョン・アルバム『ハイ・フライング』(1976年)を発表した直後に、稲葉国光(b)、日野元彦(ds)をサイドに据えた『コルゲン・ワールド』(1976年)、さらにその2年後に井野信義(b)、スティーヴ・ジャクソン(ds)と組んだ『プリムローズ』(1978年)といった、ピアノ・トリオ作品をリリースしている。どちらも、初期のチック・コリアを彷彿させる躍動感のあるピアノ・プレイと、オリジナリティに富んだ洒落たソングライティングが際立っている。
クラシック音楽を学び大学卒業後はジャズ・ピアニストとして活躍
ということで、大野雄二、佐藤允彦、鈴木宏昌の3人は、ぼくが長年敬愛してきた数少ない日本のジャズ・ピアニスト。そしてこの3人は、当時から単なるジャズ・ピアニストではなく実にクリエイティヴな音楽家だった。前述の『エレクトロ・キーボード・オーケストラ』でも、作曲やアレンジ、それにシンセサイザーの操作にもっとも意匠を凝らしていたのは彼らだった。そういう音楽性をもったジャズ・プレイヤーだったからこそ、ぼくは彼らに惹かれたのだろう。なお奇しくもこの3人は、名門ビッグ・バンド、慶應義塾大学ライト・ミュージック・ソサイェティーの出身で、俗に“慶應三羽烏”と呼ばれている。と、ここまで長々と偏食家であるぼくが敬愛する日本人ジャズ・ピアニストについてお伝えしてきたが、最後にもうひとり、どうしてもご紹介したいプレイヤーがいる──。
これまで述べたとおり当時のぼくは、意識的に国産のジャズ作品を聴こうとしたわけでなく、琴線に触れた映像作品の劇伴を手がけた音楽家の作品を深掘りしただけ。そしてその作曲家たちが、期せずしてジャズ・ピアニストだったのである。すなわちぼくは、ジャズをジャズと知るまえから、その響きに惹かれていたのだろう。さきに挙げた3人と同様に、ぼくが菅野光亮のレコードを手にとるキッカケは、氏が音楽を担当した映像作品を体験したことだった。その作品とは、1974年10月19日に公開された松竹映画『砂の器』で、松本清張の社会派ミステリー小説が橋本忍と山田洋次との共同脚本、川又昂の撮影、そして野村芳太郎の演出によって映像化された不朽の名作だ。音楽監督を務める芥川也寸志が劇伴の作曲を依頼したのが、氏の東京藝術大学音楽学部の後輩にあたる菅野さんだった。
この映画において、熊谷弘が指揮する東京交響楽団と、自らピアノ演奏を務めた菅野さんとの共演による「ピアノと管弦楽のための組曲『宿命』」は、多くの観客のハートを鷲づかみにした。ピアノと3管編成のオーケストラとによって演奏されるこの曲には、確かにセルゲイ・ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」を彷彿させるところがあるけれど、それは単に甘美なメロディをもつという点において。それよりも菅野さんのスコアには、純粋なクラシック作品の枠に収まらない音楽性が感じられる。西洋音楽にはないに日本的情緒が強く伝わってくるのも然ることながら、電子楽器が使用されたミュージック・コンクレートのエッセンスや、ピアノのカデンツァに現れるジャズのマナーが与える衝撃が、なんとも新鮮に映るのである。

そんな菅野さんは、クラシック音楽の作曲法を学びながらも、大学卒業後はジャズ・ピアニストとして活躍するという変わり種。映像作品も多数手がけたが、残念なことに過労による体調急変のため1983年8月15日、44歳という若さでこの世を去った。日本の美意識をジャズで表現した『詩仙堂の秋』(1973年)、唯一のピアノ・トリオ作『ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング』(1978年)、ゲイリー・フォスター(as, ss)をゲストに迎えたダイレクト・ディスク『ビューティフル・フレンドシップ』(1979年)、森寿男とブルーコーツとの共演盤『ドン・キホーテの詩』(1980年)、大野三平こと大野肇(p)、小説家とは別人の菊地秀行(as)も参加した『冬の終わりに A LA FIN D’HIVER』(1981年)といった、数少ないジャズ作品は、どれも出色の出来栄えである。
菅野さんの書く曲は、映画『砂の器』の音楽がそうであるように、叙情味に溢れていて淀みなく美しい。しかも難解なところがなく、一度聴いただけで口ずさめるようなメロディをもつ。そしてそれは、ピアノ演奏にもおなじことが云える。テディ・ウィルソンを敬愛する菅野さんのピアノ・プレイは、メロディアスでタッチが力強く、聴くものに鮮烈な印象を与える。ジャズ作品においては、モダンなコードとフレーズとを次々に繰り出して、よくスウィングする。シングル・ノート、オクターヴ、ブロック・コードを上手く使い分けて徐々に盛り上げていく展開には、それこそスウィング・ピアノの巨人ともいうべきウィルソンのプレイを連想させるものがある。そのブリリアント・ピアノは、ジャズ・シンガー、上野尊子のデビュー・アルバム『グッド・モーニング・ハートエイク』(1977年)でも、大いに発揮された。
ただなぜか日本では、菅野さんのジャズ作品が取り沙汰される機会が非常に少ない。オリエンタルなメロディと日本固有のグルーヴとが融合されたサウンドとして、菅野さんの音楽を高く評価しているのは、実は海外のクラブ・ジャズ界隈で、特に『詩仙堂の秋』と『ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング』は、DJやレコード・コレクターのあいだでマストハヴなアイテムとされている。特に大野さんや佐藤さんとも共演歴のある福井五十雄(b)、スタジオジブリの楽曲が本格的にジャズ化された『ジャズ・フォー・チルドレン』(2009年)というリーダー作が話題となった野口迪生(ds)をサイドに迎えた後者は、前述のように菅野光亮唯一のピアノ・トリオ作品ということもあり、たいへん貴重な吹き込み。ぼくにとっても、長年の愛聴盤である。
このピアノ・トリオ作品は、菅野さんの優れた音楽性に基づくピアノ・プレイがもっとも際立ったアルバムであると、ぼくは信じている。現代においても色褪せるどころか、ますます輝きを増しているように思われる。オープニングの「ノー・モア・ブルース」を聴いただけでも、その魅力がお分かりいただけるだろう。原曲はアントニオ・カルロス・ジョビンの「想いあふれて」だが、ここではボサノヴァではなく軽快なサンバにアレンジされている。ブラシとベースとが打ち出す強力なリズムに乗って、ピアノがなんとも雄弁に歌いまくる。つづく「ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング」は、もともとフィリップ・ジェラールのシャンソン「パリの騎士」だった。リリカルなイントロから瀟洒なジャズ・ワルツへと移行する。ベースのソロもなかなかだが、ピアノのドラマティックな展開が絶品だ。
ガス・アーンハイムの「スウィート・アンド・ラヴリー」は、ピアニストの名演が数多く存在する有名曲。落ち着いた感じの演奏だが、途中ダブルタイムになる展開が素晴らしい。この曲で、疾走感が演出されるというのは稀かもしれない。菅野さんのオリジナル「パストラル」は、ベースがフィーチュアされたモーダルなナンバー。緊張と緩和とのサイクルがゆったりと繰り返される、あたかも映画音楽のような曲だ。B面トップの「ユー・アー・マイ・ハーツ・ディライト」は、フランツ・レハールのオペレッタ『微笑みの国』のなかの有名なアリアが原曲。ベース・ソロ、ピアノのブロック・コード、4バースでのドラムス・ソロと、アルバム中もっともスウィンギーでダイナミックな演奏が繰り広げられる。
菅野さんのオリジナル曲「ティアドロップス・オブ・ジ・エンジェル」は、リリカルでセンチメンタルなメロディック・ラインが『砂の器』の音楽を彷彿させる。とはいってもアドリブ・パートではテンポが上がり、菅野さんならではの華麗なピアノのエクスプレッションが全開。メロディアスで力強いタッチが、痛快無比である。数多くの歌唱で知られる「アイ・ウィッシュ・ユー・ラヴ」は、シャルル・トレネのシャンソン「残されし恋には」が原曲。ぼくはこの曲が、歌詞も含めて大好きなのだけれど、菅野さんの繊細な味つけが光るこのヴァージョンもまたお気に入り。後半の転調が泣かせる。そしてラスト、デヴィッド・マンの「イン・ザ・ウィ・スモール・アワーズ・オブ・ザ・モーニング」では、情感たっぷりのソロ・ピアノが温かな余韻を残す。いやはや、何度聴いても感動するな──このアルバム。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。






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