映画音楽畑でも一流の作曲家として活動したコンテンポラリー・ジャズの旗手、デイヴ・グルーシンの魅力が詰まった秀作──映画音楽としてはもちろんのこと、映画を離れた音楽作品としても楽しむことができるプロフェッショナルな才能が発揮された『シネマジック』
Dave Grusin / Cinemagic (1987)
Today’s Tune : Condor
その映画音楽とコンテンポラリー・ジャズ作品とには一貫した音楽性がある
デイヴ・グルーシンは、ぼくのもっとも敬愛する音楽家のひとりだが、コンテンポラリー・ジャズ・シーンにおいて、コンポーザー、アレンジャー、コンダクター、キーボーディスト、そしてプロデューサーとして目覚ましい活躍をするいっぽうで、60本以上もの映像作品にスコアを提供している。グルーシンはもともとジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせた音楽家だけれど、彼にはジャズ・ミュージシャンが副業的に映画音楽の仕事をしているという印象がない。グルーシンは間違いなく卓越したフィルム・コンポーザーである。しかも、彼が作曲したテーマ曲やアンダースコアには、映像から離れてもこころに残るものがきわめて多い。さらに云えばグルーシンの場合、映画音楽とコンテンポラリー・ジャズ作品とには、一貫した音楽性がある。
グルーシンのオリジナル・アルバムのコンテンツといえば、ほかのアーティストのコンテンポラリー・ジャズ作品とはひと味もふた味も違い、きわめて映像的なのである。むろんグルーシンのペンによる楽曲のメロディやリズムは心地いいし、単純に彼のピアノ・プレイを楽しむこともできる。しかしながらグルーシン・サウンドはそれにとどまらず、リスナーの脳裏に鮮烈な情景、感情、あるいは物語を思い浮かべさせる力をもっているのだ。ひとことで云えば、イマジナティヴな音楽ということになる。そしてそのテクスチュアは、ときにソフトでありときにシャープでもある。そうはいっても、どんなタイプの楽曲であっても、そのサウンドからは一貫して彼の温かなひと柄が伝わってくる。音楽に素朴な面と洗練された面が共存しているところが、グルーシンらしさなのである。
だからグルーシンの音楽は、映像とのマッチングがすこぶるいい。では逆にグルーシンのフィルム・スコアはどうかというと、ハリウッドの伝統を汲みながらも、いささかそこから逸脱するような多様性と革新性をもっているのだ。それは彼が1963年から1966年まで、テレビの音楽番組『アンディ・ウィリアムス・ショー』において、ミュージカル・ディレクターを務めたこと、1967年から1979年ごろまでブラジル出身の音楽家、セルジオ・メンデスのオーケストレーションを担当したこと、あるいは1973年から1978年ごろまでクインシー・ジョーンズのレコーディングにおいて、キーボーディスト兼アレンジャーを務めたことなどで培われた、ヴァーサティリティに富んだ音楽センスによって生み出されたものだろう。

グルーシンがフュージョンの全盛期である1970年代後半に残した偉大なる成果であり、彼の原点ともいうべきサウンドが収められたエポックメイキングなアルバム『ジェントル・サウンド』(1978年──原題は『One Of A Kind』)のバック・カヴァーには、クインシー・ジョーンズによるエンドースメントが掲載されている。当時のジョーンズのレコーディングでは、グルーシンのキーボード演奏とアレンジとがオーケストラの中核をなしていた。また彼の初来日は1973年4月で、クインシー・ジョーンズ・オーケストラのメンバーとしてのことだった。ジョーンズはこのときA&Mレコードにおける4枚目のアルバム『バッド・ガール』(1973年)を発表する間際だったが、レコーディングにはグルーシンも参加していた。
ちなみに、その来日公演の際のクインシー・ジョーンズ・オーケストラは、ウッドウィンズにジェローム・リチャードソン、アンソニー・オルテガ、ルー・タバキン、ビル・フッド、ハーマン・ライリー、トランペットにボビー・ブライアント、オスカー・ブラッシャー、トロンボーンにフランク・ロソリーノ、ベニー・パウエル、ギターにフィル・アップチャーチ、ベースにレイ・ブラウン、ドラムスにグラディ・テイト、そしてキーボードにデイヴ・グルーシンと、錚々たるメンバーによって構成されていた。ところが、この来日公演は当時新宿5丁目にあった東京厚生年金会館をはじめとする全国各地のホールで開催されたが、オーディエンスの大半にとってグルーシンはまったく未知のミュージシャンだったようである。
グルーシンの日本での知名度は、1970年代後半から一躍高まった。むろん映画音楽の作曲家として一部では知られていたけれど、彼が日本で爆発的な人気を獲得した背景には、当時わが国で巻き起こった一大フュージョン・ブームがあった。そしてその最大のキッカケは、日本を代表するサクソフォニスト、渡辺貞夫とのコラボレーションで、大ヒットした渡辺さんのリーダー作『マイ・ディア・ライフ』(1977年)『カリフォルニア・シャワー』(1978年)にグルーシンが参加していたことである。また同時期にグルーシンは、ギタリストのリー・リトナーら新進気鋭のミュージシャンを支えるキーボーディスト兼アレンジャーとして活躍。彼が参加したリー・リトナー&ヒズ・ジェントル・ソウツのアルバム『ジェントル・ソウツ』(1977年)などは日本でも高い評価を受けた。
グルーシンは、このころから日本においてコンテンポラリー・ジャズの旗手として認知されるようになり、前述のリーダー・アルバム『ジェントル・サウンド』も大きな話題となった。ところで、さきにも触れたクインシー・ジョーンズがこのアルバムに寄せた推薦文がグルーシンの音楽性を見事に云い表しているので、その一部をご紹介しておく。彼は「このオトコのこころは大きく開いている。彼はプレイヤー、コンダクター、アレンジャー、コンポーザー、プロデューサーといった、360度の側面を完璧にこなしている。わたしは人生において、これほど音楽的な状況に敏感なひとは、ほかに出会ったことがない。デイヴ・グルーシンは、まさに唯一無二(One of a Kind)の存在だ」と綴っているが、実に上手い云いかたである。
そんなグルーシンのフィルモグラフィをあらためて見つめ直してみると、バド・ヨーキン監督のコメディ映画『ディヴォース・アメリカン・スタイル』(1967年)を皮切りに、2000年代まで銀幕にたくさんの印象的なスコアが残されてきたわけだが、その作品数が圧倒的に多いのは1970年代である。次点は1980年代で、つづいて1960年代が多い。1990年代からは減少の一途をたどり、2000年代に彼が手がけた作品はたったの3本となっている。なおその後は、当時のウェールズ公(チャールズ3世)による環境問題への取り組みが扱われたドキュメンタリー映画『ハーモニー』(2010年)と、5人のティーンエイジャーの冒険が描かれたチャールズ・ミンスキー監督の青春映画『スケーティング・トゥ・ニューヨーク』(2013年)の、2本のみとなっている。
唐突だが、グルーシンのオリジナル・アルバムに『酒とバラの日々~ヘンリ-・マンシ-ニに捧ぐ』(1997年)というのがある。文字どおり、グラミー賞やアカデミー作曲賞に幾度となく輝いた映画音楽の作曲家、ヘンリー・マンシーニへのトリビュート作品だ。ぼくは当初、グルーシンがマンシーニの音楽を採り上げるとはまったく予想していなかったけれど、そのいっぽうでこの件には、実は得心がいくところもあった。というのも、ぼくはかねてよりテレビシリーズ『0022アンクルの女』(1966年)、テレビドラマ『さそり暗殺命令』(1967年)、映画『ディヴォース・アメリカン・スタイル』あるいは『卒業』(1967年)といったグルーシンの初期のフィルム・スコアに、どこかマンシーニの音楽に通じるものを感じていたからだ。それはひとことで云えば、ラウンジ・ミュージック的なフィーリングである。
マンシーニが手がけたフィルム・ミュージックには、スウィング・ジャズやビッグバンド・サウンドをはじめ、ボサノヴァ、チャチャチャ、マンボ、ポリネシアンといった音楽の要素が盛り込まれている。その点で彼がクリエイトするサウンドは、ラウンジ・ミュージックというジャンルの音楽に直結する。そしてそれには、従来のヨーロッパの伝統的な作曲技法や演奏法によるスコアとはひと味もふたも違う心地よさがある。マンシーニはグレン・ミラー楽団でアレンジャー兼ピアニストとして活躍しただけあって、いち早くそのスコアにジャズやラテンを採り入れていた。そんな彼が柔軟思考で創出する軽妙なフィルム・スコアは、それまで単なる劇伴だった映画音楽の既成概念をあっさりと打ち破ってしまった。つまりマンシーニ・サウンドは、スクリーンから離れても鑑賞音楽として成立する上質のものなのである。
映画音楽では1970年代に存在感が増し1980年代に確固たる地位を築いた
これはあとになって知ったのだが、グルーシンは映像の仕事に関わるようになるまえにマンシーニと出会っており、映画音楽のマナーについて手ほどきを受けたことがあるという。グルーシンがちょうど前述の『アンディ・ウィリアムス・ショー』にレギュラー出演していたころのことだ。以来、彼にとってマンシーニは尊敬する師範であり、よき友人となったのである。グルーシンの初期のスコアがマンシーニのそれを彷彿させるのには、そういう理由があるのだ。彼のフィルム・スコアがもつ推進力のあるメロディック・ライン、ウイットに富んだエクスプレッション、聴き手の琴線に触れる温かみのあるテクスチュアなどは、マンシーニから承継されたものなのである。そして、マンシーニに対するグルーシンの愛情がたっぷり詰め込まれたアルバムが、まさしく『酒とバラの日々~ヘンリ-・マンシ-ニに捧ぐ』なのである。
そんなにグルーシンの音楽とマンシーニのそれとが相似するのかと疑問を呈する向きもあると思われるけれど、ぼくの感覚ではグルーシンのなかにマンシーニを感知する機会がしばしばある。さきに述べたように、グルーシンの1960年代のフィルム・スコアにおいては、そのアンダースコア(劇伴)からストレートにマンシーニっぽさが感じられることがある。1970年代以降の作品では、見たところマンシーニはどこにもいないように思われるかもしれないが、たとえばソース・ミュージック(劇中音楽)に意識を傾けてみると、その極上のラウンジ・ミュージック的なフィーリングは、まさにマンシーニ・タッチである。いずれにしてもグルーシンは、マンシーニからポジティヴな影響を受けた音楽家であり、そのサウンドの最大の理解者のひとりであると、ぼくは思う。
グルーシンが映画音楽の作曲家として頭角を現すのは1970年代の中ごろだが、そのサウンドの根幹をなすのはオリジナル作品と同様にコンテンポラリー・ジャズだった。なかでも彼がフィルム・ミュージックにフュージョン・サウンドを実験的かつ本格的に採り入れて、かつてない成果をあげた作品といえば、やはりシドニー・ポラック監督、ロバート・レッドフォード主演によるポリティカル・サスペンス『コンドル』(1975年)だろう。グルーシンはこの映画の音楽を手がけたあと、オリジナル・レコーディングにおいても『ディスカヴァード・アゲイン!』(1976年)『ジェントル・サウンド』(1978年)『マウンテン・ダンス』(1980年)といった、優れたフュージョン作品を次々に発表する。そしてこれらの作品で展開されるサウンドの嚆矢となったのが、映画『コンドル』のスコアなのだ。

この『コンドル』のサウンドトラック・アルバムで最初に注目されることといえば、なんといっても秀逸を極めたレコーディング・メンバーだろう。主要なミュージシャンを挙げると、デイヴ・グルーシン(key)、リー・リトナー(g)、ヒュー・マクラッケン(g)、チャック・レイニー(b)、レイ・ブラウン(b)、ハーヴィー・メイソン(ds)、ラルフ・マクドナルド(perc)、ジェローム・リチャードソン(fl)、トム・スコット(ts)、チャック・フィンドレー(tp)、フランク・ロソリーノ(tb)、イアン・アンダーウッド(synth)、エミール・リチャーズ(cymbalom) と、当時のフュージョン・シーンではおなじみの敏腕プレイヤーたちが並び連なる。その点、本作をフュージョンの名盤に挙げる向きも多いのだが、フィルム・ミュージックとしてもグルーシンの代表作と云える。
かく云うぼくもグルーシンのフィルム・スコアでは『コンドル』がもっとも好きなのだけれど、次点を選ぶとなるといささか思案に余る。しかしながら、終始緊迫感が漂う『コンドル』とはずいぶん雰囲気が違うけれど、ジャズのイディオム、ファンキーでリズミカルなグルーヴ、リズム・アンド・ブルースのテイストなどが、渾然一体となってひとつの音世界を構築しているという点、平たく云えばグルーシンならではの上質のフュージョン・サウンドが繰り広げられているというところでは、1979年に公開されたアル・パチーノ主演の法廷ドラマ『ジャスティス』あたりが、同系列に属するものと云えるのではなかろうか。メガホンをとったのはカナダの映画監督、ノーマン・ジュイソンだが、グルーシンとは『ディナー・ウィズ・フレンズ』(2001年)において、20余年のときを経てふたたびコンビを組んだ。
思えばぼくが好きなグルーシンのフィルム・スコアといえば、むろん『コンドル』は別格の扱いになるのだけれど、それ以外では図らずも1970年代の最後の3年間の作品に集中している。具体的には、映画の公開順に挙げると『ボビー・デアフィールド』(1977年)『グッバイガール』(1977年)『天国から来たチャンピオン』(1978年)『チャンプ』(1979年)『ジャスティス』(1979年)『出逢い』(1979年)といった作品だ。これらのスコアは、グルーシンのディスティンクティヴな音楽性がもっとも存在感を放ち、自ずと魅力的に映るものと、ぼくは思う。なお『ジャスティス』のスコアのなかに「バラード・フォー・ゴッド」という、リラックスした4ビートと転調が心地いい曲がある。素早い指遣いでスウィングするグルーシンのピアノ・プレイが際立っているが、トータル・サウンドにはマンシーニからの影響も感じられる。
それはともかく、グルーシンの音楽性をもっとも理解していた映画監督といえば、シドニー・ポラックだろう。ポラック作品といえば、社会的にはリベラル、政治的にはモデレート、そしてストーリーラインはとてもリアル。ラヴ・ストーリーを描いても甘口にはならないし、サスペンス・スリラーをとり扱っても過剰な演出はしない。そして多くの作品において、ポラックが創造する物語は決してハッピーエンドで完結せず、観客にその後のエピソードを予感させるような余韻を残すのである。そんなハリウッドの商業主義とは一線を画すような作風は、グルーシンの既存の枠組みにとらわれない独自の文脈をもつスコアと、すこぶる相性がいい。もともとポラックは、自己の作品をクリエイトするとき、常に音楽を重要なファクターと考える監督。そんな彼がもっとも厚い信頼を寄せていたのは、ほかならぬグルーシンなのである。
ポラックとグルーシンとのコラボレーションをあらためて列挙すると『ザ・ヤクザ 』(1974年)『コンドル』(1975年)『ボビー・デアフィールド』(1977年)『出逢い』(1979年)『スクープ 悪意の不在』(1981年)『トッツィー』(1982年)『ハバナ』(1990年)『ザ・ファーム 法律事務所』(1993年)『ランダム・ハーツ』(1999年)と、都合9作品となる。なおポラックがメガフォンはとらず製作総指揮を手がけた『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』(1989年)でも、グルーシンが音楽を担当した。これらの作品はすべてサウンドトラック・アルバムが発売されているが、2026年現在『ボビー・デアフィールド』(原盤=カサブランカ・ミュージック)のみが未CD化のまま。グルーシン/ローゼン・プロダクション(のちのGRPレコード)の作品だけに、はなはだ遺憾である。
ということで、1970年代に映画音楽の作曲家として存在感が増したグルーシンであるが、その後の彼の活躍にも触れておこう。グルーシンがアカデミー作曲賞を受賞したのは、1988年のこと。ロバート・レッドフォード監督のニューメキシコを舞台にしたファンタジックな社会派映画『ミラグロ/奇跡の地』のスコアが、これまでになく高く評価されたのである。実はそれ以外にも、オリジナル・スコアのノミネートは6回を数える。内訳は『天国から来たチャンピオン』(1978年)『チャンプ』(1979年)『黄昏』(1981年)『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』(1989年)『ハバナ』(1990年)『ザ・ファーム 法律事務所』(1993年)となる。それはさておき、この『ミラグロ/奇跡の地』はグルーシンの20余年にわたる映画音楽の仕事ぶりのなかでも、殊に異彩を放つものだった。
当時コンテンポラリー・ジャズの人気アーティストとして活躍していたグルーシンはこの作品において、映画音楽作家としても確固たる地位を築いたと云える。野暮なことを云うようだが、音楽家にとっても賞や栄誉の影響力は大きいのだ。スコアのモティーフとなっているのは、スペイン文化の強い土地であるニューメキシコ固有のリズムやメロディで、それまでのグルーシンのキャリアにおいて、こういうアプローチははじめてだった。せんずるところこの作品では、アコースティック・ギターやアコーディオンが効果的にフィーチュアされたチェンバー・オーケストラによって、ノルテーニョとヨーロッパの芸術音楽、そしてコンテンポラリー・ジャズがブレンドされた、実にユニークな音楽が繰り広げられている。しかも、その異色のサウンドからは、ちゃんとグルーシンのヒューマン・カインドネスが伝わってくるのである。
デイヴ・グルーシンの音世界を1枚で堪能することができるアルバム
ついで1990年代にグルーシンが手がけた映画音楽は10本ほどあるが、俳優のクリストファー・リーヴが監督した『フォーエヴァー・ライフ/旅立ちの朝』(1997年)では、どちらかといえばハートウォーミングなクラシカル・チューンが際立つ。しかしながら、それ以外の作品ではなにかしらの形で、ジャズの要素が盛り込まれている。なかにはマーク・ライデル監督の『フォー・ザ・ボーイズ』(1991年)のように、ストレートにモダン・ジャズが扱われた作品もあるし、俳優のフォレスト・ウィテカーが監督した『微笑みをもう一度』(1998年)のように、AKAIのウィンド・シンセサイザー、EWIがフィーチュアされたアダルト・コンテンポラリー風の曲が印象に残る作品もある。ジャズはジャズでも多岐にわたるのが、またグルーシンらしい。
さらに2000年代に入ると、グルーシンのフィルム・ミュージックはぐっと減る。それと引き換えにというのもなんだが、オリジナル・アルバムのコンテンツは、濃密というか従前に増して充実している。とりわけリー・リトナーとのコラボレーションが生んだ『トゥー・ワールド』(2000年)『アンパロ〜トゥー・ワールド Vol. 2』(2007年)といった2枚のクラシック・アルバムは、グルーシンの長いキャリアにおける作品群のなかでも、出色の出来と云える。これらは月並みなクラシック音楽のパラフレーズ・ナンバー集ではなく、飽くまでトラディショナルな作曲法や演奏法を基調として制作されたクラシカル・ミュージック作品。トランスクリプション、アダプテーション、そしてアレンジメントと、クラシックの名曲をグルーシン流に料理しているし、オリジナル曲も書き下ろしているのだ。
そんなわけで、2000年代では自ずと映画音楽の仕事も減り、グルーシンが音楽を手がけた映画は、ノーマン・ジュイソン監督の『ディナー・ウィズ・フレンズ』(2001年)、マーク・ライデル監督の『ザ・ゲーム』(2007年)、ジェイ・ローチ監督の『リカウント』(2008年)と、3本に止まる。ということで、ここまでグルーシンのフィルモグラフィを駆け足で振り返ってきたが、なかには彼らしからぬスコアもある。それはフランスの俳優、クリスチャン・マルカンが監督した『キャンディ』(1968年)という作品。サイケデリック・ロックのなかにグルーシンらしいフレーズを発見するのは、もはやマニアックな楽しみと云えるだろう。逆にグルーシンらしいフィルム・スコアばかりがまとめられた、稀有なオリジナル・アルバムがある。GRPレコードからリリースされた『シネマジック』(1987年)である。

GRPレコードは、グルーシンと相棒のレコーディング・エンジニア、ラリー・ローゼンとによって創設された、コンテンポラリー・ジャズにおける最大級のレコード会社。同レーベルで制作された『シネマジック』は、グルーシンの通算12枚目のリーダー・アルバムだ。彼のオリジナル・アルバムにおいて、そのフィルム・コンポーザーとしての足跡を辿るという趣向が凝らされたのは、これがはじめて。キッカケは“サントリービール・サウンド・マーケット 82”と銘打たれた、ホテルオークラ東京、福岡の九電記念体育館、大阪のフェスティバルホール、そして東京の日本武道館などで開催された、1982年7月のグルーシンの来日公演。総勢40名を超えるデイヴ・グルーシン・アンド・ドリーム・オーケストラのコンサートの後半では、彼の映画音楽が大々的に採り上げられ好評を博した。
同コンサートでは『愛すれど心さびしく』(1968年)『コンドル』『天国から来たチャンピオン』『チャンプ』から各1曲『黄昏』から2曲、計6曲のフィルム・スコアが演奏されたが、すべて『シネマジック』に収録されている。むろんこのアルバムの音源はサウンドトラックではなく、1987年にドン・マレー、キース・グラントといった名匠エンジニアの手による、ロサンゼルスのサンセット・サウンドとロンドンのオリンピック・サウンド・スタジオとを股に掛けて吹き込まれた、オリジナル・レコーディング。曲によっては原曲のイメージを損なうことなくエクステンデッド・ヴァージョンに仕上げられており、全体的にはグルーシンの映画音楽を俯瞰しながら1枚のオリジナル・アルバムとして楽しむことができる仕様となっている。
レコーディング・メンバーは、デイヴ・グルーシン(key)、ドン・グルーシン(syth)、リー・リトナー(g)、エイブラハム・ラボリエル(b)、ハーヴィー・メイソン(ds)、エミール・リチャーズ(cymbalom)、マイク・フィッシャー(perc)、エディ・ダニエルズ(cl)、トム・スコット(ss, ts)、アーニー・ワッツ(ts)、チャック・フィンドレー(tp)、チャーリー・ローパー(tb)、アシュリー・アーバックル(conm)、ハリー・ラビノウィッツ(cond)、ロンドン交響楽団。なおアレンジはグルーシンが手がけているが、追加のオーケストレーションをアルゼンチンの作曲家、ホルヘ・カランドレリが担当している。なおアナログ・レコードは全10曲、CDは全14曲と収録数が異なるうえ、曲順も相違するので要注意。ここではCDに従って、曲目をご紹介するとしよう。
まず『黄昏』からピアノとオーケストラとによるリリカルな「オン・ゴールデン・ポンド」と、軽快なケベック・トラディショナル風の「ニュー・ハンプシャー・ホーンパイプ」との2曲が選曲されている。静と動のコントラストが鮮やかな構成で、ニューハンプシャー州スクアム湖の美しい風景が描き出される。『天国から来たチャンピオン』からの「ヘヴン・キャン・ウェイト」は、アップテンポでユーモラスなサーカス・マーチ調のテーマと、ノスタルジックな哀愁が漂うアダージョとのメドレーになっている。『トッツィー』からは16ビートのシンコペーションが軽妙なフュージョン・ナンバー「ある俳優の生活」と、ピアノとオーケストラとによるバラード「君に想いを」との2曲を収録。後者はもともとスティーヴン・ビショップが歌ったAORだったが、ここではしっとりとしたインストにアレンジされている。
グルーシンのフィルモグラフィでは稀な大冒険活劇『グーニーズ』(1985年)からは、オープニング・テーマの「フラッテリ・チェイス」がチョイスされている。ベートーヴェンのスケルツォを彷彿させる、疾走感と力強さに満ちたシンフォニックなナンバーだ。もっとも古い『愛すれど心さびしく』からの「ザ・ハート・イズ・ア・ロンリー・ハンター」は、叙情的なピアノ演奏と流麗なストリングスとが交錯する3拍子のバラード。後半における半音下への転調は、サウンドトラックにはなかった意匠である。『恋におちて』(1984年)からの「マウンテン・ダンス」は、もともとグルーシンが1980年に発表した同名オリジナル・アルバムの収録曲。ここではオリジナルの音源がそのまま流用されている。メジャーのペンタトニック・スケールによる、フォーキーかつクラシカルなメロディック・ラインは、グルーシンならではのものだ。
多くの観客の涙を誘った『チャンプ』からは、ソロ・ピアノによる「レッティン・ゴー(T.J.のテーマ)」と、オーケストラによるアダージョ「ザ・チャンプ」との2曲がセレクトされている。後者のそこはかとなくヨーロッパの香りが漂う哀愁を帯びた旋律と現代的な美しい和声には、エンニオ・モリコーネからの影響が感じられる。『コンドル』からはオープニング・テーマの「コンドル」と、ラヴ・テーマの「グッドバイ・フォー・キャシー」が収録されている。前者ではハンガリーの打弦楽器ツィンバロン&ミニモーグ、そしてストリングスによって歌われるシンプルで爽快なメロディ、ベースやホーンズのアンサンブルによるアップビートのR&Bグルーヴが、マンハッタンの雰囲気をリアルタイムで描き出す。後者では、ストリングスがロマンティックに、テナーがクールに流麗なメロディを歌いあげる。
サウンドトラック・アルバム未発売の『リトル・ドラマー・ガール』(1984年)からは、中近東のエキゾティックなハーモニーと複雑なリズムとがミステリアスなムードを高める「PLO キャンプ・エントランス」と、沈み込むような重厚感と瞑想的な空気感をもつスケールの大きな「リトル・ドラマー・ガール・エピローグ」との2曲が選曲されている。後者のサウンドからはそれこそグルーシンの温かなひと柄が伝わってくるが、ヨーロッパ的な奥行きのある響きのなかにも現代的な解釈が含まれているところが、いかにも彼らしい。以上、本作ではまさに唯一無二の存在、デイヴ・グルーシンの音世界を1枚で堪能することができる。グルーシンの手がけた映画音楽に興味のあるかた、あるいは彼の音楽をまったく聴いたことがないかた、まずはこのアルバムを手にとっていただきたい。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。






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