Paul Smith / Cool And Sparkling (1956年)

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ポール・スミスの人気シリーズ、“リキッド・サウンド”の代表作『クール・アンド・スパークリング』を聴く

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Album : Paul Smith / Cool And Sparkling (1956)

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リスナーにリラックス感をもたらすようなテクニックが駆使された音楽

 

 藪から棒で恐縮だが、みなさんは“リキッド・サウンド”というコトバをお聞きになったことがあるだろうか?ドイツ、フランクフルト在住のミュージシャンというかメディア・アーティスト、ミッキー・レマンが考案した、スイミング・プールなどで照明効果とともに音楽や瞑想的な音響を水中で再生するというイヴェント(一種の水中コンサート)があるのだが、それの名称がまさに“リキッド・サウンド”という。しかし、ぼくがこれから述べる“リキッド・サウンド”は、それではなくてアメリカ西海岸で活躍したジャズ・ピアニスト、ポール・スミス(1922年4月17日 – 2013年6月29日)のクインテットが演奏するポップ・ジャズのこと。1950年代初頭、彼はハリウッドでもっとも忙しいミュージシャンのひとりだった。

 

 ポール・スミスが演っていた音楽は、モダン・ジャズでもあり、カクテル・ミュージックでもあり、イージー・リスニングでもある。つまり、それを特定のジャンルで云い表わすことは、なかなか難しいのだ。 そこで“リキッド・サウンド”というネーミングが、創案されたのだろう。スウィンギーでスタイリッシュ、エレガントでウィッティな音楽は、当時の音楽ファンから多くの支持を得た。その一連のヒット・アルバムといえば『リキッド・サウンズ』(1954年)『カスケーズ』(1955年)『クール・アンド・スパークリング』(1956年)『デリケート・ジャズ』(1958年)といった、4枚が挙げられる。すべてハリウッドのキャピトル・レコードからリリースされた。

 

 ぼくはジャズを長年聴いているけれど、決してレコードのコレクターではない。好きなものばかり賞味しつづける偏食家と云える。そんなぼくも社会人になったばかりのころ、それこそ驚異的コレクターの勤め先の上司に連れられて、総合店から専門店まで数多の中古レコード店を行脚したもの。まあそのおかげで、ジャズの愛好家の間にその名がとどろく名盤や、(本来そんなものはないと思うのだけれど)所持していないと見下されるような定番レコードを、ひととおり押さえることはできたのだけれど──。実はスミスの作品は、ちょうどぼくが、飽くなきジャズ魂とコレクター美学をもつ上司の気迫に押されていた時代に、なんとなく手にした。それまでスミスのことは、まったく知らなかった。

グランドピアノと小さな滝

 当時、スミスのレコードといえば、ショップで『ソフトリー・ベイビー』(1957年)というアルバムが面陳列されているのを、よく見かけた。ソフトフォーカスで撮影された見目麗しい女性のクローズアップがあしらわれたジャケットが、やたらと目を引く。このモヤがかかったような美女の近接写真にやられて、個人的には中身のほうにもモヤがかかった状態だったのだが、うかつにも今度は自分の思考にもモヤがかかってしまい、ぼくはあっさりこのレコード購入してしまった。バーニー・ケッセル(g)をはじめ、ジョー・モンドラゴン(b)、スタン・リーヴィー(ds)といったウエストコースト・ジャズの名手が参加した、軽快なスタンダード集。私的愛聴曲「インヴィテーション」も収録されているが、演奏は上品というか控えめで、ありていに云えば幾分もの足りなかった。

 

 ずっとあとになって気づいたのだけれど、最初このアルバムになにか満たされない感じがしたのは、ぼくの聴きかたに原因があったから。ポジティヴなインプレッションとシャープなスウィング感は爽快だが、いやにデリカシーを湛えたプレイが、却って無味乾燥に感じられた。しかしこれは、ぼくがこのセッションをモダン・ジャズとして聴いたからだろう。このクァルテットに、ブルース・フィーリングを求めることはもちろんのこと、息もつかせぬ緊張感を期待するようなことは、決してしてはいけない。肩の力を抜いて、聴くべきものなのである。ここにある楽曲や演奏には実ははじめから、リスナーにリラックス感をもたらすようなテクニックが駆使されている。つまり細かいところまで配慮されたアレンジなどは、意識的なものなのだろう。

 

 この『ソフトリー・ベイビー』は、とりたててジャズに関する知識や興味がなくても、あるいは特に音楽の愛好者でなくても、気軽に聴くことができる。だからぼくのようなジャズ・ファンだったら、いい意味で適当に聴き流しながら、ときおりジャケットの写真に目を遣りニヤニヤしていればいい。それが正しい聴きかたかどうかはわからないが、たとえばイギリスのジャズ・ピアニスト、ジョージ・シアリングのレコードについても、ぼくはおなじような楽しみかたをしている。ヴィブラフォンとギターを導入した彼のクインテットが奏でるユニークなサウンドは、イージーゴーイングな聴きかたをしたほうが間違いなく心地いいと、ぼくは思う。そういえばシアリングもまた、スミスと同時期にキャピトル・レコードのアーティストだったな──。

 

 これはまったく私的な価値判断になるが、スミスのアルバムは実はぼくにとって、ニューヨーク出身のピアニスト、マーティン・デニーの作品群と同格だったりする。デニーといえば、エキゾチカと呼ばれるラウンジ・ミュージックの代表的なアーティスト。ジャズとはほとんど関係ないけれど、ぼくは彼の音楽をスミスと同じような感覚で享受している。デニー・サウンドは、ヴィブラフォンをはじめとする鍵盤打楽器、ラテン・パーカッション、アフリカやアジアの民族楽器、それに(擬似的に鳥や動物の鳴きごえを発声する)バード・コールなどがミックスされた、それこそエキゾティックなムードが横溢する独特のもの。しかしながら、スミスの音楽がもつリフレッシングな感覚は、この特異なリゾート・フィーリングに通じるものがある。

 

実は由緒正しいウェストコースト・ジャズの流れを汲むピアニスト

 

 このように述べてくると、ポール・スミスがまるでまやかしのジャズ・プレイヤーと勘違いされてしまうかもしれないが、冒頭でも触れたとおり由緒正しいウェストコースト・ジャズの流れを汲むピアニストである。カリフォルニア州サンディエゴ生まれの彼のピアノ・プレイといえば、クリアでエレガントなタッチがもち味だ。8歳からピアノをはじめ、ハイスクール時代にはジャズ・バンドを組み、19歳にして作編曲家のジョニー・リチャーズのバンドで、プロのミュージシャンとして演奏するようになった。1943年から1945年まで軍隊で過ごしたあと、1946年からは伝説のギタリスト、レス・ポールと行動をともにし、1947年から1949年まではトロンボニスト、トミー・ドーシーのオーケストラでピアニストとして活躍した。

 

 その後間もなく、スミスはハリウッドに移り、スタジオ・ミュージシャンとして多忙を極めるようになったのである。1951年にディスカヴァリー・レコードから『ポール・スミス・クァルテット』という10インチ盤をリリースしているが、これが初リーダー作となるようだ。トニー・リジー(g)、ノーマン・シーリグ(b)、アルヴィン・ストーラー(ds)といった、お得意のクァルテットで吹き込まれているが、これがムード満天な演奏でなかなかいい。さらに翌年、おなじくディスカヴァリーの10インチ盤として『ポール・スミス・トリオ』(1952年)を発表。こちらは、サム・チェイフェッツ(b)、アーヴィング・コトラー(ds)を従えた、トリオによる吹き込みだ。明るく切れ味のいいセッションに、好感がもてる。

 

 きっとスミスは、器用な音楽家だったのだろう。派手さはないが堅実にスウィングするピアノ・プレイと、斬新なアイディアによるフレッシュな楽曲解釈とによって、実にポピュラリティ溢れる作品をたくさん世に送り出した。これは余談になるが、ヴァーブ・レコードから『ザ・ベスト・オブ・アーヴィング・ガーナー』(1957年)という、ピアノ・トリオ作品がリリースされている。このアーヴィング・ガーナーというピアニスト、実はポール・スミスなのだ。まあ、この変名がアーヴィング・バーリンエロール・ガーナーの名をもじったものと容易に見当がつくのだが、驚くべきはスミスがガーナーの特徴的な演奏スタイルをパロディにしていること。本来は、ジョークとして捉えるべき作品なのだろうが、スミスがいかに巧妙というか達者なピアニストであるかがわかる貴重な吹き込みとも云える。

グランドピアノと向日葵

 そんな才気煥発なスミスは、のちに多くの辣腕プロデューサーや有名ミュージシャンたちからひっぱりだことなるのだが、なかでもよく知られているのは、彼が20世紀の代表的女性ジャズ・シンガーのひとり、エラ・フィッツジェラルドを長年サポートしたこと。スミスは、1956年から1978年にかけてフィッツジェラルドのオーケストラのコンダクター兼ピアニストを担当し、その後も1990年代初頭までしばしば彼女と共演した。純粋な音楽作品以外にも、1950年代から1960年代にかけて人気を博した昼のトーク番組『ザ・ダイナ・ショア・ショー』や、1967年の夜の音楽番組『ザ・スティーヴ・アレン・コメディ・アワー』といった、テレビ・プログラムでミュージカル・ディレクターを務めた。

 

 意外なところでは、シドニー・ポラックが監督した映画『ひとりぼっちの青春』(1967年)のフィルム・スコアにおいて、スミスのピアノ演奏が聴けたりもする。なにしろ彼は、ビジネスライクに仕事をこなすプレイヤーであり、どんなアーティストにも的確なサポートを提供するミュージシャンでもあるから、あらゆるエンターテインメント・ビジネスにおいて、すぐにお呼びがかかるひとだったのだ。そういう意味でスミスのことを、ファーストコール・ミュージシャンと呼んでも差し支えないだろう。ちなみに、グローヴァー・ワシントン・ジュニアの1981年のヒット曲「クリスタルの恋人たち」を歌ったシンガーソングライター、ビル・ウィザースをサポートしたキーボーディストのポール・スミスは、同姓同名の別人なのでご注意を──。

 

 いずれにしてもスミスは、自己の存在を証明するがごとき入魂の即興演奏を繰り広げるようなジャズ・プレイヤーではない。彼はエクスペリメンタルなジャズはもちろんのこと、アートオリエンテッドな音楽とはまったく無縁のひと。彼の音楽は、常にリスナーに心地よさを与えることが念頭に置かれてクリエイトされたものなのである。だから、ぼくのように誤った聴きかたをすると、もの足りないなどと早計に失する場合もあるわけだ。敢えて繰り返すが、スミスはコマーシャルな作品を多数制作しているが、決してまやかしのジャズ・プレイヤーではない。スミスの名誉のために言及するが、彼が自己レーベル、アウトスタンディング・レコードからリリースした『ヘヴィ・ジャズ』(1977年)は、味わい深い立派なジャズ・アルバムだ──。

 

 このアルバムにおいてスミスは、レイ・ブラウン(b)、ルイ・ベルソン(ds)といった名手をサイドに迎え、心地いいスウィング感と絶妙なリラクゼーションをもった鮮やかなピアニズムを披露している。曲目がよく知られた、リチャード・ロジャースジョージ・ガーシュウィンコール・ポーターなどのスタンダーズばかりなのもいい。その素晴らしい出来映えからか、日本のRVC株式会社が1980年に『ザ・ジャズ・トリオ』というもっともらしいタイトルに改変して発売したこともある。そのレコードのタスキには「百万弗のピアノ・トリオの決定盤!」というコピーが記されているのだが、これは意味がよくわからない。おそらく「100万ドルの夜景」をもじったのだろうから、目がくらむほどの素晴らしさ──とでも解釈しておこう。

 

スタイリッシュかつエレガントなマナーで吹き込まれたシリーズ

 

 自分で云うのもなんだが、ここまで述べてきたことを踏まえると、前述の『ソフトリー・ベイビー』でのスミスのプレイにしても、風格さえ感じられるてくるから不思議である。まったく節操のないヤツで、申し訳ない。しかしながら、巧妙に考え抜かれたアレンジのわずかな空間で、丁寧にスウィングするスミスのピアノにあらためて耳を傾けてみると、それが実に味わい深いものと認識されるのもまた事実。いかにもハリウッド作品らしい、スタイリッシュかつエレガントなマナーで吹き込まれたジャズ・アルバムを、まえ向きに捉えるリスナーならば、間違いなくスミスの音楽を楽しむことができるだろう。そして、その作法がもっとも顕著に現れ、独特のスタイルとして確立されたのが、“リキッド・サウンド”のシリーズだ。

 

 ところで、この“リキッド・サウンド”というネーミング──“liquid”は「液体の──」という意味の形容詞だけれど、おそらく「なめらかで流れるような響き」というニュアンスが含まれているのだろう。ピアノやギターによる小気味いいフレージング、ベースとドラムスが打ち出す軽快なリズム、それらを色彩豊かに装飾するウッドウィンズによるアンサンブルといった具合に、この“リキッド・サウンド”のシリーズでは、まさに淀みなく流れるような魅惑のチルアウト・ジャズが繰り広げられている。特に木管楽器の重奏が特徴的で、その組み合わせといえば、フルート&クラリネットにはじまり、その後フルート&アルト、さらにフルート&テナーといった変遷を経る。

 

 そう、“リキッド・サウンド”で重要なのは、フルートだ。ご存じのとおり、フルートは主にクラシック音楽で使用される木管楽器だが、ジャズやロックでもしばしば使用される。しかしながら、ジャズ専門のフルーティストは、サクソフォニストと比べたら圧倒的に少ない。もちろん例外もあるが、基本的にはパワフルでインプレッシヴなパフォーマンスには向かないからだろう。確かにフルートは音量の小さい楽器だが、ブリリアントでクリアな音色を奏でることから、どんなアンサンブルにおいても水際立つという、なんとも魅力的な利点をもっている。そこへもってきて、ジャズにおいてはレアな存在だけに、ひと味もふた味も違うエクスペリエンスを創出するのに有用な楽器なのである。

グランドピアノとシャンパングラス

 なお“リキッド・サウンド”のセッションでは、すべてにおいてジュリアス・キンスラーがフルートを吹いている。キンスラーは、ビッグバンドの名アレンジャーであるビリー・メイの楽団や、フランク・シナトラのオーケストラでの演奏経験をもつ、れっきとしたジャズ・プレイヤーだ。彼は1956年にキャピトル・レコードから『フランティック・フルート』という、ラテン・タッチのシングル盤もリリースしているが、それ以外の活躍はほとんど知られていない。その点、“リキッド・サウンド”のシリーズにおけるキンスラーのプレイは、彼のキャリアにおいて重要なものと云えるだろう。とにもかくにも、この“リキッド・サウンド”と呼ばれる音楽を、具体的にご紹介していこう。

 

 さきに挙げた4作はどれをとっても遜色ないが、人気の点でいうと3作目の『クール・アンド・スパークリング』がベストだろう。綺麗な女性が手にするグラスにいままさにシャンパンがなみなみと注がれている──そんな粋なジャケットのアートワークも、本作のヒットにつながったと思われる。肝心の中身のほうも、ジャケットのバック・カヴァーに記載されたコピーにもあるように、ヴィンテージ・シャンパーニュとおなじくらい信頼のおける上質さ、そして確かな清涼感と弾けるようなきらめきが、サウンドから溢れ出ている。なおソロを執るのは、ほとんどがスミスのピアノ。ときおりブルージーなアドリブを聴かせるギターは、スミスのデビュー当時からの僚友である、トニー・リジーによるもの。彼もまた、このシリーズすべてに参加している。

 

 そのほかのレコーディング・メンバーは、サム・チェイフェッツ(b)、アーヴィング・コトラー(ds)、ロニー・ラング(as)となっている。冒頭のヴィクター・シャーツィンガーの「アイ・リメンバー・ユー」から、メロディとオブリガートにおいてフルート、アルト、ギターをパートごとに上手く組み合わせた、“リキッド・サウンド”ならではのアレンジの妙が光る。途中3拍子になるところが優雅。スミスの「ケンピー・ザ・ペインター」では、スウィングとバロックの融合がこれまた優美。上品に舞うピアノとギターもいい。ミルトン・エイジャーの「ア・ヤング・マンズ・ファンシー」では、スミスの小ざっぱりとしたリリカルなピアノがいい感じ。スミスの「ダンディ・ランディ」では、リズム隊と木管楽器によるクール&クラシカルの交錯、その反転が楽しい。

 

 アーサー・シュワルツの「アローン・トゥゲザー」では、原曲の寂寥感をそのままに落ち着いた演奏が展開される。木管楽器のアンサンブルが都会的なムードを醸し出している。スミスの「ザ・グランプ」では、テンポが上がりピアノのアドリブもいささか饒舌になる。後半の1曲目はやはりシュワルツの「あなたと夜と音楽と」だが、アレンジといいピアノ・プレイといい、バランスのいいスウィング感が横溢していて、アルバムのなかでは白眉。ベン・オークランドの「アイル・テイク・ロマンス」では、鮮やかな木管アンサンブルとリズミカルで爽快なピアノ&ギターとのコントラストが際立つ。スミスの「リトル・イヴィル」では、軽快なテンポと効果的な転調に乗って、各楽器が楽しげにソロを交換する。もっとも痛快な瞬間でもある。

 

 ジェローム・カーンの「キャント・ヘルプ・ラヴィン・ダット・マン」では、スミスのアレンジの妙義が冴えわたる。典型的なトーチソングがムードいっぱいに奏でられながら、中盤では感動的な展開を見せる。じっくり味わうべき1曲だ。スミスの「マーフィーズ・ライト」では、2分足らずのあいだ、しばしスミスの高速で流暢な指遣いに集中するのみ。そしてラストを飾るリチャード・ロジャースの「ジョーンズ嬢に会ったかい?」では、しっかりおつなクール・ジャズを披露。リラックスした軽やかなサウンドとすわりがいい各々のプレイが、澄み切った青空のような爽快感を残す。こうして本作をあらためて聴いてみると、スミスの采配の振りかたにオトナの嗜みさえ、ぼくは感じる。案外“リキッド・サウンド”を楽しむことは、オトナの贅沢だったりするのかもしれない。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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