30年のときを超えて蘇るふたつの『犬神家の一族』の音楽──大野雄二による貴重なボーナス・トラックも追加された新旧スコアのダブル・フィーチュア盤
谷川賢作 − 大野雄二 / 犬神家の一族 オリジナル・サウンドトラック (2006)
Today’s Tune : 那須の金田一耕助
日本映画の常識を覆すエポックメーキング的かつエヴァーグリーンな音楽
音楽家、大野雄二がこの世を去ったことはこのブログでもお伝えしたが、昨日のことのように思えてならない。大野さんは2026年5月4日午前6時8分、老衰のため東京都の自宅で永眠された。直前まで普段と変わることなく過ごされていて、就寝中に苦しむことなく安らかに旅立たれたとのこと。享年84歳だった。大野さんの誕生日である5月30日に開催されたライヴ公演「Lupintic All Stars Produced by YUJI OHNO」も、まだ記憶に新しい。そしてその会場となったフード&ドリンクの提供とライヴ公演とが組み合わされたクラブ&レストラン、東京都港区赤坂のビルボードライブ東京において、去る9月1日、2日の両日、大野さんのお別れの会が開かれた。関係者から一般のファンまで多くのひとたちが、それぞれの思い出を胸に大野さんを偲んだ。
云うまでもなく大野さんは、ジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせ、テレビアニメ『ルパン三世』第2シリーズ(1977年 – 1980年)をはじめとする、テレビや映画のテーマ曲やアンダースコアを数多く手がけ、作曲家として広く知られるようになった音楽家だ。その出世作といえば、1970年代の中ごろから1980年代半ばにかけて隆盛を極めた、角川映画の初作品『犬神家の一族』(1976年)だろう。市川崑監督、石坂浩二主演による金田一耕助シリーズの第1作でもある。主人公の私立探偵、金田一耕助をはじめて原作どおりの着物姿で登場させたことも当時は画期的だったが、大野さんが作曲したテーマ曲「愛のバラード」のハンガリーの打弦楽器ハンマード・ダルシマーとシンセサイザーとがユニゾンした独特の音色で奏でられる流麗なメロディは、一般大衆だけでなく各界にも爽やかな衝撃を与えた。
それまでの日本映画の主題曲や劇伴といえば、西洋芸術音楽の流れを汲んだものが主流だった。たとえばクラシック音楽だと、伊福部昭、眞鍋理一郎、芥川也寸志、佐藤勝、林光、現代音楽だと湯浅譲二、武満徹などがすぐに思い浮かぶのだが、これは個人的に好きな作曲家である。ただ当時小学生だったぼくにはどう贔屓目に見ても、それらの大作曲家たちのペンによる数々の名曲よりも、大野さんの「愛のバラード」のほうが新鮮に感じられたのだ。ヘンリー・マンシーニが作曲した『シャレード』(1963年)のテーマ曲を彷彿させる、モダンな3拍子のメロディック・ラインといい、デイヴ・グルーシンが『コンドル』(1975年)のテーマ曲で試みたハンガリーの民族楽器、ツィンバロンとモーグ・シンセサイザーとをミックスする手法に倣ったサウンドいい、とにかく新しかった。

それまで映画音楽を1、2本しか手がけたことがなかった大野さんを大作映画『犬神家の一族』の音楽制作に起用したのは、映画の製作総指揮を執った角川書店の当時の青年社長、角川春樹。角川さんは、日本テレビのサスペンスドラマ・シリーズ『火曜日の女』(1969年 – 1973年)および『土曜日の女』(1973年 – 1974年)の劇伴や、NHKのニュース番組『ニュースセンター9時』(1974年 – 1988年)のテーマ曲を聴いて、大野さんがクリエイトするフレッシュなサウンドに注目したのだという。氏の狙いは、映画、書籍、音楽のメディアミックスだったわけだが、そういう戦略が意欲的に行われ成功した例としては、おそらくこの映画が最初だったのではなかろうか。映画は空前の大ヒットを記録。原作本は、異例の売り上げを達成。映画公開前に発売された「愛のバラード」のEPレコードも、スマッシュヒットとなった。
折に触れて実感するのだが、角川さんはまったく型破りというか、虚心坦懐なひとだ。なにせ『犬神家の一族』の音楽の制作費に、当時の日本映画の相場50万円に対し、500万円以上を投じたというのだから──。氏が音楽メディアを、原作本や映画の収益向上を補完するものであり、相乗効果をもたらす重要なファクターと見ていたことは明らかだ。というのも、角川映画のサウンドトラック・アルバムや主題曲を収録したEPレコードといえば、概ね映画の公開前に発売され、しかもそれらは常に単に劇伴を記録したものではなく、鑑賞用音楽として成立する作品に仕上げられていからだ。その手法は当初、メディアミックスの一環だったのだろうが、それが結果的に日本映画のサウンドトラックに新風を吹き込み、延いては商業音楽を高い次元にもっていく足がかりとなったことは事実である。
日本の映画音楽の高品質化に先鞭をつけた『犬神家の一族』のサウンドトラックの吹き込みは、通常の音楽作品と同様に撮影所以外のレコーディング・スタジオにおいて、当時としてはスタンダードだった16トラックのMTRが使用されて行われた。映画公開直後に発売されたサウンドトラック・アルバムには、サントラ盤というよりもどちらかというと、大野雄二/プロジェクトによる情趣に富んだ上質のクロスオーヴァー/フュージョン作品といった風情がある。このサウンドが現代においてもリスナーに爽やかな衝撃を与えるのは、まず間違いないことと思われるのだが、それと同時にこのサントラ盤のコンテンツとフィルム用ソースとにイメージのズレを感じる向きも非常に多いと想像される。そしてそれには、合理的な根拠があるのである。
もともとビクター音楽産業からLPレコードとして発売されていた『犬神家の一族』のオリジナル・サウンドトラック・アルバムを、1998年にカルチュア・パブリッシャーズがはじめてCD化した際、フロントブックレットに市川崑監督のコメントが掲載された。それには「サウンドもフレッシュな音楽をと角川春樹君の推薦で大野雄二君を起用した」という一節がある。しかしながら実際は、市川監督は当初、大野さんがクリエイトしたサウンドに難色を示したのだ。大野さんの証言によると、氏はまず選曲を担当した大橋鉄矢に「大野さんの作った曲は一切受け付けられません」と云われ、監督からも「大野君、悪いけど僕の映画にはちょっと合わないなぁ」とダメ出しを食らったとのこと。監督はそれこそ西洋芸術音楽の流れを汲むような楽曲、ことに現代音楽的な音を求めていたのだ。
ところが、音楽ライターである不破了三の取材によると、レコーディングで指揮を担当したコンダクターの吉澤博(市川監督より年長者)が、大野さんの音楽に異を唱える市川監督に「あんたねぇ、大野さんに任せたんなら現場でごちゃごちゃ言いなさんな!」と一喝したそうだ。吉澤さんは、映画音楽指揮の第一人者。小津安二郎監督の諸作をはじめとする日本映画の黄金期を音楽面で支えた名コンダクターである。大野さんとはその後も『人間の証明』(1977年)や『野生の証明』(1978年)などで一緒に仕事をしている。以上、たいへん興味深いエピソードではあるが、結局のところ大野さんは、フィルムスコアリング手法(出来上がった映像の尺に合わせて音楽をつける方法)で、ふたたびレコーディングに臨むこととなった。
映画と切り離しても独立した音楽作品として大野サウンドをたっぷり味わうことができる『犬神家の一族』のオリジナル・サウンドトラック・アルバムが、映画を鑑賞したひとに思い描いていたものと異なる印象を与えるのは、そんな事情があるからだ。ちなみに多少なりとも大野さんに影響を与えたヘンリー・マンシーニは、フィルム・ヴァージョンとは別に、商品化のためのフルレングス・ヴァージョンをレコーディングすることで有名。映像から離れても鑑賞するに足る音楽をリスナーに提供するという、映画音楽の名匠のこだわりである。とにもかくにもこのサントラ盤の音源は、それまでの日本映画の常識を覆すようなエポックメーキング的かつエヴァーグリーンなもの。その楽曲といえば、ゼロ年代の音楽シーンにおいてDJ MUROがレア・グルーヴとして採り上げるくらい、キャッチーなのである。
リメイク版『犬神家の一族』はキャスティングの時点でつまづいている
ではここで、その音源の吹き込みについて具体的に触れておく。EPレコードとして発売された「愛のバラード」とそのB面に収録された「憎しみのテーマ」は、1976年8月に東京都中目黒に所在するモウリスタジオ(現モウリアートワークススタジオ)において録音された。大野雄二とファンタスティック・ブルーと銘打たれたバンドのクレジットには、杉本喜代志(g)、高水健司(b)、市原康(ds)、穴井忠臣(perc)、中川昌三(fl)など、その後の大野サウンドに欠かせない敏腕プレイヤーの名が連なる。なおアルバムのほうに収録されたそのほかの楽曲では、日本を代表するファーストコール・ミュージシャン、岡沢章がベースを弾いている。しかも、レコーディング&ミキシング・エンジニアは、あのナイアガラ・トライアングルの作品を手掛けた吉田保。名作には名作たる所以があるのだ。
アルバムのほうのレコーディングは1976年9月、主に港区麻布十番に所在するアオイスタジオにおいて行われた。こちらでは、大野さんと長年コンビを組んだ伊豫部富治がエンジニアを務めた。むろんアルバムにもEP盤の2曲は収録されたのだが、それらは若干ミックスが異なる。特に「愛のバラード」は、EP盤ではダルシマーのリバーブレーションが深くされたり、ストリングスが前面に押し出されたり、パートごとに強調されるところがあった(映画ではこちらのヴァージョンが使用されている)。ところが、アルバムではそれらの効果が若干弱められている。また、22小節ほど新たなイントロも付け加えられている。おそらく、アルバムとしての均衡維持が優先されたのだろう。機会があれば、ぜひ聴き比べていただきたい。
さらに『犬神家の一族』のオリジナル・サウンドトラック・アルバムの収録曲について、お伝えしておく。オープナーの「愛のバラード」につづくのはプログレ風の「怨念」だが、長尺の混成曲でアルバム中もっとも聴き応えのあるナンバーだ。ダルシマーと琵琶も使用されているが、ハモンド・オルガンの猛演やストリングスのトレモロも効果的。そして、なんといってもエレクトリック・ギターのソロがダイナミックで秀逸。途中、劇中で金田一耕助のテーマ的に使われている曲のモティーフも現れる。3曲目の「呪い住みし館」は、大橋鉄矢により加工されフィルムでも使用された曲だが、エキサイティングなドラムスのソロが白眉。冒頭のギターを床に叩きつけて出した衝撃音もインパクトが強いが、このサウンドエフェクトは大野さんが音楽を手がけた劇場アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)で流用された。

ミッドテンポのフュージョン・ナンバー「仮面」は、エキゾティックなアコースティック・ギターが素晴らしい。フェンダー・ローズのコンピングも効果的だ。フリー・ジャズが全開する「終焉」は、映画でも使用された。ローズとウィンドチャイムのデュオ「愁いのプロローグ」は、透明感が際立つインタールード。8分の6拍子のロック・チューン「憎しみのテーマ」は、アコースティック・ピアノの内部奏法とブルージーなアドリブがビターな味わいを醸し出している。本編でも使用されたコード進行の美しい「瞑想」は、アコースティック・ギターとフェイズシフトされたローズの音色が清涼感を生んでいる。その後、チェンバー・ミュージック風の「湖影」テーマ曲のスローなヴァリエーション「祈り」アコースティック・ギターがフラメンコからジャズへ転換するクールな「受難の血」とつづく。
これらの3曲は劇中音楽とは異なるトラックだが、作品の世界観はしっかり伝わってくる。さらに、オーボエ、ハープ、ストリングスが重厚でありながら爽快な感動を喚ぶ「幻想」は、映画の終盤でアウトロの一端のみが使用された。そしてアルバムは「愛のバラード」の別ヴァージョン、主旋律を奏でるダルシマーがピアノ演奏に差し替えられた「孤独」で締めくくられる。全体的な印象は大野さん自身も述べているとおり、サントラ盤というよりは横溝正史の世界観が音で再現されたイメージ・アルバムといった感じだ。そういえばオリジナルのLPレコードには、サウンドトラックという記載がどこにもなかった。この不朽の名作、多くのファンから長年愛されつづけ、2018年にはビクターエンタテインメントから、紙ジャケットが採用されオリジナルのLPレコードが忠実に再現された仕様のCDが発売された。
さて、ここからは少しハナシを変えさせていただく。1976年に製作された『犬神家の一族』は、ミステリー映画史、延いては日本映画史に残る傑作として現在も非常に高い評価を受けているが、公開から30年後の2006年におなじ監督、主演コンビで再映画化されている。市川崑といえば、生涯にわたりセルフリメイクを繰り返した映像作家として知られる。もっとも有名なのは『ビルマの竪琴 第一部・第二部』(1956年)を『ビルマの竪琴』(1985)として再映画化したケースだろう。ほかにも映画『恋人』(1951年)を1959年に日本テレビ系列でドラマ化、やはり映画『足にさわった女』(1952年)を1960年に日本テレビ系列でドラマ化、さらに映画『黒い十人の女』(1961年)を2002年にフジテレビ系列でドラマ化、逆に日本テレビ系列のテレビドラマ『破戒』(1961年)を1962年に映画化している。
市川監督がセルフリメイクを繰り返すのは、むろん自作への思い入れの強さからなのだろうが、同時にいくばくかの不満も抱えていて、それが監督にとってスッキリと諦められない心残りとなっていたのだろう。市川崑というひとは、観客にとっては些細なことでも、自分が納得していなければ、それを修正したいという思いを常に抱いていたのではなかろうか。そういう気持ちはよくわかる。映像作家に限らず意識の高いクリエイターは、多かれ少なかれ自作の細部をブラッシュアップしたいと、絶えず思うものなのである。おそらく市川監督は、文句のない箇所ではオリジナルを忠実に再現し、気の済まない箇所には新たなアプローチを加えていたのだろう。そして、実は監督がその作業を楽しんでいるかのようにさえ、ぼくには思われて仕方がないのである。
とはいっても、セルフリメイクが成功しているかどうかはハナシが別で、結論から云うと、市川作品のファンであるぼくでも『犬神家の一族』のリメイクは失敗だったと思う。監督は折に触れて「キャスティングが終わったとき、演出は70パーセント終わっている」というような言及をするのだが、2006年版『犬神家の一族』は、そもそもキャスティングの時点でつまづいているように思われる。再映画化に際してプロデューサーを務めた一瀬隆重の意向がかなり反映されているように思われるのだが、率直に云って、1976年版よりも2006年版のほうがいいと思われる配役は皆無である。たとえば、原作では「この世のものとは思えない」と描写された美しさを誇るヒロイン、野々宮珠世といえば、なんといっても旧作の島田陽子だろう。
あの透き通るような美しさと凛とした上品さを漂わせる珠世役は、申し訳ないが新作の松嶋菜々子にとって少々荷が重過ぎたのではなかろうか。また、両作で金田一耕助を演じた石坂さんでさえ、卓越した表現力の持ち主であるとはいえすでに65歳、かつての軽快さは失われ、いささか動作が鈍い。旧作で金田一にほのかな恋ごころを覗かせる那須ホテルの女中、はるを新作では深田恭子が演じたが、金田一との関係性はもはや祖父と孫娘のようなものにさえ映る。そういえば、劇場でぼくのまえの席に座っていた10代の女の子が、一緒に来た母親に「金田一を演っているひとって、武田鉄矢?」と訊いていた。確かに、そう見えなくもない。おそらく1976年版は未見であろう彼女にとって、2006年版『犬神家の一族』は果たして面白い映画だったのだろうか。訊いてみたくなる。
1976年版のフィルムスコアリング手法で録音したトラックの一部を収録
むろんぼくが『犬神家の一族』のリメイクが失敗と捉えるのは、キャスティングのミス以外にも理由はある。ここでそれをいちいち列挙する余地はないが、これだけは云っておきたい。それはラストシーンの違いについてだが、事件を解決した金田一が皆から見送られることを厭い発車寸前の汽車に飛び乗るという、旧作の潔い幕切れがいかにも市川作品らしくて、ぼくは大好きなのだ。ところが新作は、金田一が田園風景のなかを徒歩で去っていく場面で終わる。おまけに彼は一度振り返り、あたかも観客へ向けて別れの挨拶をするかのごとくお辞儀をする。これは、甚だ野暮ったく感じられた。そしてこのときぼくは、監督の公私にわたるパートナー、脚本家、そして演出に対する生産的な助言者でもあった和田夏十亡きあとの市川作品が、ことごとく精彩を欠いていることを、あらためて実感したのだった。
市川崑は日本映画においてぼくのもっとも敬愛する監督だが、結局のところ91歳の視点で修正された『犬神家の一族』については、結果的に趣味の域を出ることができなかった作品と捉えられた。ただブラッシュアップされた箇所もある。それはオープニング・クレジットで流れる「愛のバラード」についてなのだが、1976年版では不自然というより無惨と云うべき編集が施されていたのに対し、2006年版ではスムースなトリミングが講じられていた。この新作における大野雄二のクレジットは、“テーマ音楽”となっているが、実際は「愛のバラード」以外にも、映画の序盤にあたる珠世が湖で危機に瀕するシーンで大野さんのスコアがそのまま使用されている。また、それよりまえの金田一が那須市に現れるシーンで流れるトラックは、本人のアレンジではないが大野さんの曲のモティーフが採用されている。
きっと市川監督も30年のときを経て、比類なき旧作の音楽が映画本編だけでなく映画史にさえ及ぼした波及効果を実感し、大野サウンドを是認するに至ったのではなかろうか。とはいっても2006年版の音楽は、作曲家でピアニストの谷川賢作が担当している。谷川さんは『鹿鳴館』(1986年)以降『かあちゃん』(2001年)を除く、すべての市川作品の音楽を手がけたひと。ジャズ・ピアニストの佐藤允彦に師事したということだが、氏の音楽にジャズっぽさはあまり感じられない。どちらかというと、ニューエイジ・ミュージック系のミュージシャンと云えるかもしれない。シンセサイザーを主軸とした、ある意味で背景音楽あるいは環境音楽のような谷川さんのスコアは、アートオリエンテッドな市川監督にとって、理想の映画音楽なのだろう。

ただ谷川さんのアンダースコアは、飽くまで情景描写および心理描写に徹しており、ハッキリ云って大野サウンドのような推進力をもたない。それでもエピックレコードジャパンからリリースされた2006年版『犬神家の一族』のサウンドトラック・アルバムは、十二分に購入する価値のある音盤である。この2枚組CDアルバムは、DISC 1には谷川さんによる2006年版のスコアが、DISC 2には既発の大野さんによる1976年版のトラックが、それぞれ収録されている。なおこの商品化にあたり、DISC 2には新たに8曲のボーナス・トラックが追加されたのだが、実はこの点がもっとも意義深い。この件に関しては後述するので、まずは「愛のバラード」のメロディが音楽全体の軸に据えられ構築された、谷川さんのスコアについて触れておく。
DISC 1に収録されている谷川さんによるスコアは、全部で46曲。よってどのトラックも短尺であり、飽くまで背景音楽としてシーンごとの雰囲気を醸成する役割を果たすことに終始。いわば典型的かつ及第点のサウンドトラックではあるが、鑑賞用音楽の水準には達していない。谷川さんのソロ・ピアノで演奏された「松子のテーマ (ピアノスケッチ)」と「珠世のテーマ (ピアノスケッチ)」は、比較的長めのリリカルなトラックだが、フィルムスコアではなくアルバムの体裁を整えるために用意されたものだろう。このピアノ演奏は新宿区西早稲田のアバコクリエイティブスタジオにて録音された。それ以外のほとんどのトラックは、杉並区成田東に所在する谷川さんのアトリエ、TAMスタジオで吹き込まれた。
粛々と演出意図を効果的に補完するような楽曲がつづくなかにも、疾走感に富んだ「金田一走る」緊張感が漂う「車中にて」瞑想的な「碧瑠璃の湖面」透きとおるような色彩感をもつ「国破れて山河あり」形而上的な静謐を湛えた「観音岬の朝」牧歌的な「事件解決」飄逸な「一本道」といった、印象的なトラックもいくつかあるのだが、なぜか映画本編では積極的に使用されていない。そんななか「金田一の休日」では、大野さんの「愛のバラード」のメロディが正弦波のシンセ・サウンドによって静かに奏でられる。いちばんの聴きどころは、ラストシーンからエンドクレジットにかけて使用された「エンディング」で、大野さんの「愛のバラード」や「怨念」に谷川さんの「松子のテーマ」が挟み込まれたアレンジの妙味、そして生演奏の臨場感が際立つ。
この「エンディング」は、かつて渋谷区桜丘町にあったYAMAHAの伝説的なレコーディング・スタジオ、渋谷エピキュラスで録音された。なお、DISC 1の掉尾には、女性シンガーソングライター、アンジェラ・アキの作詞作曲および歌唱による「On&On (サウンドトラックversion)」が収録されている。いい曲なのだけれど、飽くまでイメージソングであって、映画本編とはなんの関連性ももたない。そしてなんといっても、この2枚組CDの最大の目玉といえば、DISC 2に新たに追加された8曲のボーナス・トラックだろう。これらはさきにも触れたとおり、大野さんが市川監督の意向に沿って、あらためてフィルムスコアリング手法で録音したトラックの一部。レコーディングは1976年9月16日、18日に、前述のアオイスタジオにおいて行われた。
まず「愛のバラード (Movie Version~Main Title)」は、オープニング・クレジットの尺に合わせて演奏されたせいか、原曲よりテンポが微妙に速い。アレンジのエラボレートネスとサウンドのダイナミクスという点でも、きわめて劣る。結果的に本編では、EPレコードのヴァージョンがトリミングされ使用された。つづく「那須の金田一耕助」は、劇中で金田一耕助のライトモティーフとして使われた曲、未使用のアップビートな曲、そして金田一が那須ホテルから湖を眺めるシーンなどで使用された曲のメドレーとなっている。3曲目の「惨劇」では、不穏な空気を生み出すいくつかの背景素材に交じって「愁いのプロローグ」「呪い住みし館」の別ヴァージョン、さらに犬神佐清の帰還シーンのショッキングなキューなどが展開される。
さらに「愛と憎しみの狭間」は「瞑想」の別ヴァージョンだが、映画の後半で犬神松子と佐清とが対面するシーンで使われた。5曲目の「憎しみのテーマ (Movie Version)」は、青沼静馬が松子に正体を明かすシーンで使用された。ロッキッシュなテーマ部は未使用である。後半は佐清が珠代に別れを告げにくるシーンで使用された主題曲のヴァリエーション。短いながら、チェロのソロとストリングスとによるドラマティックな展開に胸が熱くなる。6曲目の「祈り (「愛のバラード」より・Movie Version)」は、金田一が那須市を去る日のシーンで使用された曲。哀愁を帯びながらも爽やかさを感じさせる。7曲目の「妄執の果て」では、冒頭の犬神佐兵衛の臨終シーンをはじめ随所で使われた重厚で緊迫感のある曲から、終盤の松子と珠世との会話シーンで使用された「湖影」の別テイクへ──。
さらにこのトラック、ソロ・ピアノによる「愁いのプロローグ」へとつづくのだが、なぜかこの曲は、シンプルかつトランスペアレントな印象深いナンバーであるのにもかかわらず、LPレコードのヴァージョンともどもまったくの未使用となっている。8曲目の「孤独 (「愛のバラード」より・Movie Version-Finale)」は一部分だけだが、さきの「祈り (「愛のバラード」より・Movie Version)」とミックスされて、エンディングで使用された。以上は、1976年版『犬神家の一族』の音楽を立体的に楽しむための非常に貴重な音源と云えるが、2006年版でも使用された珠世が湖で危機に瀕するシーンで流れる音楽をはじめ、いまだ日の目を見ない曲もある。不世出の音楽家、大野雄二の出世作品ということもあり、今後の掘り起こしを期待する次第である。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。






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