キャリアの早い段階でジャズ・ピアニストのポジションから身を引いたレジェンダリー・ミュージシャン、デイヴ・グルーシンのピアノ・トリオによるモダン・ジャズの王道を行くようなデビュー・アルバム『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』
Dave Grusin / Subways Are For Sleeping (1962)
Today’s Tune : Ride Through The Night
本盤の当時の価格といえば、中学生の財布にはいささか厳しいものだった
ぼくのもっとも敬愛する音楽家のひとり、デイヴ・グルーシンのジャズ・アルバムをご紹介する。このエピック・レコードからリリースされた『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』(1962年)は、ジャケットに「イントロデューシング・デイヴ・グルーシン・アット・ザ・ピアノ」という表記があるとおり、正真正銘グルーシンのデビュー・アルバムだ。さらに「ア・ジャズ・ヴァージョン・オブ・ザ・ブロードウェイ・ヒット」という記載もあるのだが、これはこのアルバムが、1961年に初演された同名のブロードウェイ・ミュージカルの楽曲集であることを示すもの。云うまでもなくオリジナル・キャスト・レコーディングのレコードとは別物で、グルーシンによってオリジナルのアレンジが施された、純粋なジャズ・アルバムである。
なおこの「地下鉄は寝るためのもの」という意味のタイトルをもつミュージカルは、ベティ・コムデンとアドルフ・グリーンとが脚本と作詞を、ジュール・スタインが作曲を手がけたもの。原案はエドマンド G. ラヴによるノンフィクションで、ラヴ自身が1950年代をとおして地下鉄の車内で寝泊まりし、数多くの個性的なひとびとと出会った経験が綴られている。ミュージカルは、ニューヨークの地下鉄で暮らす、きちんとした身なりをした独特なホームレス・グループのリーダー、トム・ベイリーと、潜入取材を行う雑誌記者の女性、アンジー・マッケイとのロマンスが描かれたコメディ作品となっている。この作品、概ね否定的な批評を受けて開幕し、興行的にも成功とはならなかった。ニューヨーク市の交通局が、市内のバスや地下鉄の車内、駅構内への広告掲出を拒否したことが影響したとも云われている。
ヒットしなかったわりにはこのミュージカル、1962年にオリジナル・キャスト・レコーディングによるレコードが、コロムビア・レコードによって発売されている。ジュール・スタインの作曲の上手さも然ることながら、50以上のブロードウェイ・ミュージカル作品のオーケストレーションを手がけたアレンジャー、フィリップ J. ラングによるゴージャスかつエレガントなオーケストラ・サウンドがなかなかのもの。2001年にボーナス・トラックが追加されてCD化もされているので、興味のあるかたは手にとってみてはいかがだろう。特にグルーシンのジャズ・ヴァージョンしか聴いたことがないかたは、オリジナルを体験することによって、彼のペンによる小規模編成のアレンジがいかに原曲のいいところを引き出しているかを、はっきりと知ることができるだろう。

この「地下鉄は寝るためのもの」というユニークな題材を扱ったミュージカルは、アメリカの映画および舞台の振付師、ダンサー、そして俳優として有名なマイケル・キッドの演出によるもの。2回のプレビュー公演を経て1961年12月27日、トニー賞の聖地とも云われるセント・ジェームズ劇場で開幕し、計205回上演されたという。そのトニー賞において、キッドは振付賞にノミネート、出演者のオーソン・ビーンはミュージカル助演男優賞にノミネート、フィリス・ニューマンはミュージカル助演女優賞を受賞している。劇中の楽曲においても「カムズ・ワンス・イン・ア・ライフタイム」は、ジュディ・ガーランドがカヴァーしたことで広く知られるようになった。このガーランドの歌唱は、1962年にキャピトル・レコードによって7インチ・シングル盤として発売され、スマッシュヒットとなった。
それにもかかわらずこのミュージカル、初演時は主要劇評家から厳しい評価を受け、興行的にも苦戦した。さらにさきに触れたニューヨーク市の交通局による広告ボイコットもあり、本作は当初から宣伝不足にも悩まされていたのだ。ところで、グルーシンによるジャズ・ヴァージョンだが、1961年11月8日、9日の2日間にわたってニューヨークの某所でレコーディングが行われている。つまりこのレコード、発売は1962年だが、制作はミュージカルの本公演どころかプレビュー公演よりもまえに行われていたのである。その点を考慮すると、グルーシンのアルバムは飽くまでミュージカルのプロモーションの一環として企画されたものと推測される。これはよくあるタイアップの手法であって、ミュージカルがヒットすればレコードのほうも一定の売り上げが期待できるというわけだ。
いかなる事情があるとはいえ、当時27歳だったグルーシンにとって『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』のレコーディングは、ミュージック・シーンに躍り出る千載一遇のチャンスだったと云える。まったく無名だったのにもかかわらず、当時コロンビア・レコードにおいてアレンジャー兼レコード・プロデューサーを努めていたロバート・マージーに注目されたのだから。マージーは、当時グルーシンがバッキング・ピアニストを務めていたポップ・シンガー、アンディ・ウィリアムスのプロデューサーでもあった。むろんすでにグルーシンがジャズ・ピアニストとして卓越した才能をもっていたからこそ、知名度の低さをよそに彼に白羽の矢が立ったのだろうし、その軽妙なタッチと豊かなエクスプレッションは、実際にこのアルバムを聴いていただければおわかりいただけると、ぼくは思う。
いずれにしても、グルーシンのデビュー・アルバム『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』は、マージーのプロデュースによりコロムビア・レコードのジャズおよびクラシック音楽を専門にとり扱うレーベルとして創設されたエピック・レコードから、目出度くリリースの運びとなった。なおあらかじめお伝えしておくが、この作品、実は2種類のレコードが存在する。演奏は同一なのだが、カタログ番号がLN 3829のモノラル盤とBN 622のステレオ盤とが同時発売された。ジャケットのアートワークに微妙な違いがあるので、要注意である。なおステレオ盤のほうは、フロント・カヴァーに“ステレオ”と明記されるとともに、レコードのセンター・ラベルに“ステレオラマ”と記されている。“ステレオラマ”とは、“ステレオ”と“パノラマ”とがかけ合わされた造語で、エピック・レコードが標榜したものだ。
ぼくが最初に手に入れたのは、ステレオ盤のほうだった。すでにグルーシンの音楽に心酔していた中学生のぼくは、彼の3枚目のアルバム『カレイドスコープ』(1965年)の国内盤に付属していた、ジャズ評論家の岩浪洋三によるライナーノーツを読んで、はじめて『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』の存在を知った。だがこのアルバム、日本国内では発売されていなかったため、やっとのことでとある中古レコード店で見つけたときのぼくといえば、思わず小躍りして喜んだものである。ただこのレコードの当時の価格といえば、中学生の財布にはいささか厳しいものだった。それだけレアな音盤でもあったし、そのころのグルーシンはギタリストのリー・リトナーやサクソフォニストの渡辺貞夫との共演などで日本での人気が急上昇していたので、需要の高いレコードでもあったのだろう。
ミュージック・シーンの表舞台に現れるまでのグルーシンの経歴
それ以降も長い間、この『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』はリイシューされる機会がなかったため、内外の中古レコード市場においてコレクターズ・アイテムとして価格が高騰するばかりだった。モダン・ジャズの王道を行くようなそのコンテンツから、グルーシンに特別な関心を寄せるファンだけでなく、貴重なレコードを探し求める蒐集家からも注目を集めるようになってしまったからだ。そういう意味ではこのアルバム、グルーシンのディスコグラフィーにおいて、もっともファン泣かせの1枚だった。しかしながらそんな幻の名盤も2021年、アメリカのジャズ作品の復刻を専門とするスペインのレーベル、アメリカン・ジャズ・クラシックスによってついにCD化され、日本国内でも手軽に入手できるような状況になった。
このアメリカン・ジャズ・クラシックスというレーベルのリリース作品は、貴重な写真や引用文を掲載したブックレットが付属されたり、ボーナス・トラックが追加されたりすることが多く、なかなか好評を博しているようだ。その大半は2枚のLPが1枚のCDに収録されるという仕様なのだが、この『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』の場合も、グルーシンのセカンド・アルバムでやはりエピック・レコードからリリースされた『ピアノ・ストリングス・アンド・ムーンライト』(1962年)とのカップリング、リマスタリング、デジパック仕様でリイシューされた。なおこのアメリカン・ジャズ・クラシックス盤に収録されている『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』の音源は、モノラル盤のマスターが採用されている。
そんな気の利いたアメリカン・ジャズ・クラシックス盤、実はすでに廃盤になっている。近年のCDは生産中止になるのが早いから、うかうかしていると呆気なく購入し損ねてしまう。ぼくにもそういうことがよくあるのだが、そういうときは自分には縁がなかったとあっさり諦めてしまう。そういう気ままさゆえ、ぼくはレコード・コレクターになれないのである。それはともかく、アメリカン・ジャズ・クラシックス盤を買い逃して悔しがっているかたに、朗報があるので一応お伝えしておく。稀少盤の復刻でお馴染みのバルセロナを拠点とするスペインのジャズ・レーベル、フレッシュ・サウンド・レコードが2023年、単体で『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』をCD化。ステレオ盤のマスターが採用された24ビット・デジタル・リマスター盤で、こちらは現在(2026年8月)も入手が可能のようだ。

さてすっかりあとになったが、グルーシンといえば、もはやフュージョン、スムース・ジャズ、アダルト・コンテンポラリー及び映画音楽を代表するキーボーディスト、コンポーザー、アレンジャー、そして音楽プロデューサーとして、世界に名だたる存在。かつてはコンテンポラリー・ジャズ、アダルト・コンテンポラリー系のレーベル、GRPレコード創設者のひとりとして社長も務めていた。2000年代以降はピアニスト、作曲家としてソロ活動に身を置いており、さすがに仕事量は減ったものの92歳になったいまも現役である。長年の盟友であるギタリストのリー・リトナーとともに制作した、ブラジル現地録音のコラボレーション・アルバム『ブラジル』を2024年5月に発表し、それに伴い同年11月には来日公演も果たし健在なプレイを披露した。
そんなレジェンダリー・ミュージシャンがデビュー・アルバム『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』によって、ミュージック・シーンの表舞台に現れるまでの経歴を、簡単にまとめておく。デイヴ・グルーシンは1934年6月26日、アメリカ、コロラド州のリトルトンに生まれた。父親はラトビアからの移民でヴァイオリニストのアンリ・グルーシン、母親はピアニストのロザベル・グルーシン、7歳年下の弟は、やはりジャズ・キーボーディスト、コンポーザー、アレンジャー、そして音楽プロデューサーのドン・グルーシンである。そんな音楽一家に育ったグルーシンは、幼いころから音楽を学んでいる。ちなみに“グルーシン”という珍しい苗字は、スラヴ語においてジョージア人を指す民族名。その家系は、ジョージア王国を統治したバグラティオニ王朝のグルジンスキー公爵家に、ルーツをもつとのこと。
少年時代のグルーシンはピアノ演奏を継続しながらも、高校生までは獣医になるつもりだった。大学へ進むにあたって、音楽の道へ路線変更。コロラド大学ボルダー校で音楽を学び、1956年に卒業している。グルーシンは、当時作曲科の主任教授だったクラシック音楽の作曲家、セシル・エフィンジャーや、同大学のジャズ・バンド、CU ジャズ・バンドを創設した、ジャズ・ピアニストでアレンジャーのウェイン・スコットに師事した。大学を卒業したあとはアメリカ海軍に入隊し、航空業務に携わった。1958年に除隊したあと、1959年にニューヨークへ移り、マンハッタン音楽学校の大学院に進学し音楽の勉強を再開。当時は音楽教育の指導者を目指していたとも云われている。そうはいってもグルーシンは、ナイトクラブなどで継続的にジャズをプレイしていたのだが──。
コロラド大学在学中からヴィブラフォニストのテリー・ギブスやギタリストのジョニー・スミスなどと共演していたグルーシンではあるが、本格的なプロデビューはやはり『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』のレコーディングにおいて。さきにも触れたが、グルーシンはそれ以前に1959年ごろからアンディ・ウィリアムスのバッキング・バンドで働いており、ウィリアムスのコンサートツアーやレコーディングに参加している。彼は実際、ウィリアムスのケイデンス・レコード時代のヒット・アルバム『淋しい街角』(1959年)や、シャンソンを中心としたアルバム『パリの空の下』(1960年)などの制作に関わっているのだが、アンクレディテッドでの参加となっている。グルーシンは実力はあるものの、まだ世間に名が知られていないミュージシャンだったのである。
グルーシンはその後、1963年から1966年まで、テレビの音楽番組『アンディ・ウィリアムス・ショー』において、ミュージカル・ディレクターを務めた。なおGRPレコードのもうひとりの創設者、ラリー・ローゼンもまた当時、ウィリアムスのバンドでドラマーを務めていた。その後グルーシンは、ジャズ・ピアニストからアレンジャーに転身。1967年から1979年ごろまでブラジル出身の音楽家、セルジオ・メンデスのオーケストレーションを担当した。またグルーシンが、彼のもうひとつの側面である映画音楽の作曲家として活動しはじめたのもこのころのこと。バド・ヨーキン監督のコメディ映画『ディヴォース・アメリカン・スタイル』(1967年)が、その記念すべき第1作である。またグルーシンは1973年から、アメリカのポピュラー音楽界の巨匠、音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズの楽団に参加している。
どこまでもスマートな、無駄な音がない、実に肩の力が抜けた名演
1975年から1978年ごろまでのジョーンズのレコーディングでは、グルーシンのキーボード演奏とアレンジとがオーケストラの中核をなしている。ちなみにさきに挙げたウィリアムスの『パリの空の下』(1960年)の吹き込みにおいて、オーケストラのコンダクターを務めているのはジョーンズである。ここではグルーシンがピアノを弾いているわけだが、このパリでのレコーディングがふたりの出会いだったのかもしれない。それはともかく、トラディショナル・ポップ、ブラジリアン・ミュージック、映画音楽、そしてソウル・ミュージックといった、様々なフィールドにおけるキャリアが、グルーシンのヴァーサティリティに富んだ音楽性を深めたことは間違いない。彼が後年、次々と上質のフュージョン作品を世に送り出すようになるのも、大いに得心がいくというものだ。
ということで、キャリアの早い段階でジャズ・ピアニストのポジションから身を引いたグルーシンにおいては、数ある音盤のなかでもモダン・ジャズの王道を行くようなアルバムはきわめて少ない。公式にリリースされた作品は、ロバート・マージーがプロデュースを務めた3枚しか存在しないのである。具体的には、まずエピック・レコードからリリースされた2枚、トリオ編成による『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』と、トリオにストリング・オーケストラが加えられたカクテル・ミュージック風の『ピアノ・ストリングス・アンド・ムーンライト』がある。さらにコロムビア・レコードから、クインテットによるハード・バップ作品『カレイドスコープ』がリリースされた。なおこの吹き込みでは、ラリー・ローゼンがドラマーを務めた。
その後グルーシンは、1960年代の後半まで、西海岸のギタリスト、ハワード・ロバーツのグループで演奏していたこともあるが、早々にジャズ・プレイヤーとしての活動に終止符を打ち、アレンジャーとして名を馳せるようになるのだった。ついでに云うと、1977年にヴァーサタイル・レコードから『ドント・タッチ』というアルバムがリリースされている。グルーシンのスウィンギーなトリオ演奏を聴くことができるのだが、実はこのアルバムは著作権者に無断で発売されたものだった。すなわちいわゆるブートレグで、有名なジャズ・スタンダーズの扱いにおいても原題が架空の曲名や作曲者名に変更されていて、本盤の製造販売には明らかに恣意的なものが感じられる。ただその音源は、1960年代にエピック・レコードにおいて吹き込まれたデモテープがもち出されたものだった。

だからこの『ドント・タッチ』というレコード、一部ピッチがフラットする箇所があるものの比較的音質はいい。しかもグルーシンのプレイが、正規のエピック盤よりも力強く鮮やかに聴こえるから、まったく厄介だ。皮肉なことに本作は、彼が優れたジャズ・ピアニストであることを証明するものとなったのである。いずれにせよ、このレコードがブート盤であるのは紛れもないこと。今後、著作権者の許可のもとで正規品としてあらためて発売されることは、かなり見通しが低いと思われる。そんなわけで、グルーシンの長いキャリアにおいてオフィシャルな純然たるピアノ・トリオ・アルバムといえば、デビュー作の『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』1枚しか存在しないのである。そう云う意味でも、貴重な吹き込みと云える。
このアルバムでサイドメンを務めているのは、ベーシストのミルト・ヒントンとドラマーのドン・ラモンド。ミシシッピ州ヴィックスバーグに生まれ、イリノイ州シカゴで育ったヒントンは、1930年代の中ごろから1950年代のはじめまで、ジャズ・シンガー兼バンドリーダーとして人気を博したキャブ・キャロウェイの楽団に在籍したことで知られる。1950年代半ばからは、ハンク・ジョーンズ(p)、バリー・ガルブレイス(g)、オシー・ジョンソン(ds)とともに、星の数ほどのスタジオ・ワークをこなした。この4人は、俗にザ・ニューヨーク・リズム・セクションと呼ばれほどの、ファースト・コール集団。ヒントンはある意味で、アメリカのジャズ・ベーシストのトップランナーとも云える。テクニックの高さにしても、リズムの正確さにしても傑出している。
ヒントンは『ピアノ・ストリングス・アンド・ムーンライト』においても、僚友のオシー・ジョンソンとともにグルーシンをサポートした。かたやオクラホマ・シティ出身のラモンドは、1940年代の中ごろにクラリネッティスト、サクソフォニスト、そしてシンガーでもあるウディ・ハーマンのビッグ・バンドのドラマーを務めていたひと。おなじころ、アルト奏者のチャーリー・パーカーとともにビバップ・スタイルの演奏を繰り広げてもいた。グルーシンとの共演と同時期に、ピアニストのディック・ハイマン、ギタリストのトニー・モットーラ、ベーシストのボブ・ハガート、トランペッターのドック・セヴァリンセンらを擁したドン・ラモンド・アンド・ヒズ・オーケストラ名義のアルバム『オフ・ビート・パーカッション』(1962年)を吹き込んでいる。その演奏スタイルは、多岐にわたる。
では最後に『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』の収録曲について、簡単にメモしておく。アルバムのオープナー「アイム・ジャスト・テイキング・マイ・タイム」では、ピアノによるややファンキーなイントロから、テーマに入るとトリオによる落ち着いたテンポと寛いだ雰囲気のパフォーマンスが展開されていく。グルーシンによるシングル・トーンとブロック・コードを織り交ぜたアドリブのバウンス感が心地いい。ヒントンのソロも軽妙だ。流麗なジャズ・ワルツ「ライド・スルー・ザ・ナイト」では、サイドの表情豊かなバッキングも然ることながら、グルーシンによるドラマティックなアレンジとセンシティヴなピアニズムが絶品。スタイリッシュなサウンドは、のちのフィルム・スコアに通じる彼ならではのもの。個人的にはこのトラックがいちばん好きだ。
やはりリリカルなイントロがグルーシンらしい「ナウ・アイ・ハヴ・サムワン」では、彼のソフィスティケーテッドでハートウォーミングなバラード・プレイを堪能することができる。エレガントなタッチのなかにもとき折ブルージーなテイストが垣間見えるのが、なんとも味わい深い。ハッピーなアップテンポ「ウェン・ユー・ヘルプ・ア・フレンド・アウト」では、グルーシンのファンキーでウィティなピアノ・プレイが全開。アルバム中もっともグルーヴィーなナンバーだ。B面のトップを飾る「ゲッティング・マリード」では、軽快なワルツのリズムに乗って、グルーシンによるストライドのヴァリエーションのような奏法が際立つ。かたやシングル・トーンでの疾走するスウィング感も、また心地いい。ノスタルジックなバラード「ハウ・キャン・ユー・デスクライブ・ア・フェイス?」では、余白が活かされたピアノ演奏が絶品だ。
軽妙洒脱な「フー・ノウズ・ワット・マイト・ハヴ・ビーン?」では、グルーシンの紡ぎ出すフレーズが、スマートでセンスのいいユーモアを感じさせる。ヒントンのリズム感はしなやか。ラモンドのブラシとスティックとのもち替えも効果的だ。シックな雰囲気の「アイ・セッド・イット・アンド・アイム・グラッド」では、ゆったりとした律動と感傷的な響きのなかにも、グルーシンの深い表現力や間のとりかたに、知的なものが感じられる。アルバムを締めくくるアップテンポの「カムズ・ワンス・イン・ア・ライフタイム」では、トリオが息の合った連携プレイを展開。3人の緩急をつけた豊かな表現力が、楽曲をタイトなものにしている。特にグルーシンの感情や立体感を与えるピアノ・プレイが素晴らしい。それにしてもこのピアノ・トリオ、どこまでもスマート。無駄な音がない、実に肩の力が抜けた名演である。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。






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