ブラジル出身のアレンジャー兼キーボーディスト、エウミール・デオダートのクロスオーヴァー・サウンドとブラジリアン・テイストとが首尾よくディスコビートに載った『ナイツ・オブ・ファンタジー』
Eumir Deodato / Knights Of Fantasy (1979)
Today’s Tune : Knights Of Fantasy
クロスオーヴァーのはじまり──デオダート、ボンファ、テイラー
エウミール・デオダートは、リオデジャネイロ生まれのイタリア系ブラジル人だけれど、アメリカへ渡ってからレコーディングした、クロスオーヴァー作品でその名を轟かせたひと。というか、クロスオーヴァーという当時のトレンドの先陣を切ったのは、ほかでもないデオダートだったように思われる。1970年代前半に流行したクロスオーヴァーは、もともとジャズから派生した音楽。1960年代の終わりからトランペッターのマイルス・デイヴィスがエレクトリック・ジャズを演りはじめていたが、彼のサウンドはどちらかというとファンク色が強くてリズムが強調されたスタイルだった。それに比べてクロスオーヴァーは、電気楽器や電子楽器が積極的に採り入れられるのはおなじだが、ロック、ソウル、ラテン、クラシックといった様々な音楽のエッセンスが盛り込まれているところが独特である。
まさにジャンルの垣根を乗り越えた音楽、クロスオーヴァーのはじまりは、ABCパラマウント・レコード、インパルス! レコード、ヴァーヴ・レコードといったレーベルで多くのジャズ作品を手がけた名プロデューサー、クリード・テイラーが1967年にA&Mレコード内に発足したCTIレコードの作品であると、ぼくは観ている。1970年代の前半にはチック・コリア、キース・ジャレット、ハービー・ハンコックといったジャズ・ピアニストたちも、新しいジャズ・スタイルを模索するような作品を吹き込んでいるけれど、それらはどちらかというとエレクトリック・ジャズ、あるいはジャズ・ファンクといった印象を与える。まあ、のちにエレクトリック・ジャズもクロスオーヴァーも、一括りにされてフュージョンと呼ばれるようになるのだけれど──。
ではCTIレコードの作品の特徴とはどんなものかというと、ひとことで云うとエンターテインメントなのである。プロデューサーのクリード・テイラーは、ヴァーヴ時代から度々ジャズのポピュラリゼーションを図っていた。アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、アストラッド・ジルベルトといったブラジルのミュージシャンを起用して、ボサノヴァをアメリカで普及させたことは、その好例と云える。さらにジャズに盛り込まれる音楽ジャンルの幅は広がり、同時にバンド編成も次第に大がかりになっていき、独特のCTIサウンドが定着する。ジャズ本来の即興性は薄まったものの、当時のポップスやイージー・リスニングと同様に、だれもが気軽に楽しめる心地いいサウンドは、多くの音楽ファンから受け入れられた。

CTIの作品では、当時のポップスやソウル・ミュージックのカヴァー、それにクラシック・ミュージックのパラフレーズ・ナンバーが積極的に採り上げられていた。しかも、リズム・セクションのバックに規模の大きなオーケストラが加えられるケースが、次第に定式化されていく。そんな趣向が凝らされるのだから、当然まとめ役が必要となってくる。さもありなん、現にクラウス・オガーマン、ドン・セベスキー、ボブ・ジェームス、デヴィッド・マシューズといったCTIレーベルのハウス・アレンジャーや、GRPレコードを立ち上げるまえのデイヴ・グルーシン、アルゼンチ出身のラロ・シフリンといった錚々たる顔ぶれが、ソロイストが繰り出す熱いプレイにスウィートな響きを加えていた。デオダートもそのひとりである。
デオダートは1960年代の後半から、ヴァーヴ・レコードにおいてアレンジャーとしていくつかの作品を手がけていたが、テイラーとはアストラッド・ジルベルトのアルバム『ビーチ・サンバ』(1967年)でコンビを組んでいる。さらにCTIレーベルではA&M傘下時代から、ジャズ・ギタリスト、ウェス・モンゴメリーのリーダー作『ダウン・ヒア・オン・ザ・グラウンド』(1968年)を手はじめに、ブラジルのジャズ・オルガニスト、ワルター・ワンダレイの『ホエン・イット・ウォズ・ダン』(1969年)、MPBを代表するブラジルのシンガーソングライター、ミルトン・ナシメントの『太陽の歌』(1969年)、20世紀のブラジル音楽を代表する作曲家で、ピアニスト、ギタリスト、シンガーでもあるアントニオ・カルロス・ジョビンのインストゥルメンタル・アルバム『潮流』(1970年)といった、印象的な作品を制作している。
実はデオダートをテイラーに引き合わせたのは、マルセル・カミュ監督による映画『黒いオルフェ』(1959年)の主題歌「オルフェの歌」の作曲者として知られるルイス・ボンファ。リオデジャネイロ出身のボンファは、ジャズやボサノヴァをプレイするギタリストで、そのリーダー作は50枚以上にも上る。特にボンファは技巧派のポリフォニック・スタイルのソロイストとして知られるが、メロディック・ラインをハーモナイズさせたりリードとリズムの両パートを同時に弾いたりするのが得意な、レジェンダリーなギタリストだ。ボンファとデオダートとは、レコーディングにおいて度々共演を果たしているのだけれど、そのコラボレーションでもっとも有名なのは、バート・バラバン監督による映画『ザ・ジェントル・レイン』(1966年)の音楽だろう。
映画公開にさきがけて、1965年にマーキュリー・レコードからリリースされたサウンドトラック・アルバムは、単なるサントラ盤では終わらない名盤である。プロデューサーを名曲「蜜の味」の作曲者として知られるピアニスト、ボビー・スコットが務めていることが目を引くし、ボンファ・スタイルのメランコリックなつま弾きも圧倒的だ。しかしながら本作の最大の魅力は、デオダートによるオーケストラのアレンジとコンダクティングだ。ボンファのペンによるサウダージ感覚に溢れたメロディック・ラインも然ることながら、デオダートのオーケストレーションが織りなすアーバンなサウンド・タペストリーが素晴らしい。その点、このアルバムには、“エウミール・デオダート・オーケストラ・フィーチュアリング・ルイス・ボンファ”といった趣きがある。
それはさておき、デオダートとボンファは、さきに挙げたアストラッド・ジルベルトのアルバム『ビーチ・サンバ』の制作で再会する。デオダートはソングライター、アレンジャー、そしてコンダクターとして参加。ボンファはソングライティングを手がけている。このアルバムが制作される際、プロデューサーのテイラーにデオダートを紹介したのが、ボンファだった。さらに云うと、このアルバムがリリースされた1967年、デオダートはリオデジャネイロからニューヨークに移住しているのだが、彼をアメリカに呼び寄せたのはだれあろうボンファだった。いずれにしてもこれを機に、デオダートの音楽性を気に入ったテイラーは、彼をCTIレコードのハウス・アレンジャーとして雇い、前述のようにヒット作を次々と世に送り出していくのである。
「ツァラトゥストラはかく語りき」の大ヒットとそれ以前のブラジル時代
CTIレコードは1970年に独立するが、デオダートは同レーベルで、アントニオ・カルロス・ジョビンの『ストーン・フラワー』(1970年)、アストラッド・ジルベルトとテナー奏者のスタンリー・タレンタインとのコラボレーション・アルバム『ブラジルのつづれ織り』(1971年)といった作品を手がけたあと、いよいよリーダー・アルバムを制作する。彼が1973年に発表したCTIレコードにおける第1作『ツァラトゥストラはかく語りき』(原題は『Prelude』)は、あまりにもインパクトが大きかった。なにせアルバムのA面1曲目の「ツァラトゥストラはかく語りき」は、シングルカットされ500万枚以上のセールスを上げたのだから──。これは当時のアメリカ国内でのレコード販売数としては、驚天動地の天文学的数字である。
一世を風靡した「ツァラトゥストラはかく語りき」は、広く知られるリヒャルト・シュトラウスが作曲した交響詩の「アインライトゥン(序奏)」が、ファンキーでエレクトリックなインストゥルメンタルにアレンジされたもの。この曲の大ブレイクの背景に、1968年公開の映画『2001年宇宙の旅』のヒットがあることは否定できないだろう。スタンリー・キューブリックが監督したこの叙事詩的SF作品は、賛否は分かれたものの、とにかく世界中で大きな話題を呼んだ。キューブリックの記号体系が晦渋を極めたこの映画、何度観てもよくわからないのだが、何度でも観たくなる変な作品である。特にリヒャルト・シュトラウスの原曲が使用された、ヒトザルが骨を武器にするシーンは、観客に強烈なインパクトをを与えた。
これは余談だが、この映画で使用された演奏はアンクレディテッドだが、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるものである。いずれにしてもこのキューブリック作品の影響で、当時「ツァラトゥストラはかく語りき」はとてもポピュラーな曲になっていた。この人気曲をジャズ・ファンクの先駆けのようなサウンドで売り出してしまうところに、クリード・テイラーのプロデューサーとしてのしたたかさが感じられる。デオダートのほうも以降、自己のグループに“2001スペース・バンド”なんていう名前をつけてしまうのだから、まったく抜け目がない。とはいっても、実はそういう屈託のなさが、エウミール・デオダートという音楽家の魅力にそのままつながると、ぼくは思うのである。

CTIのハウス・アレンジャーといえばみな、その音楽的装飾の技法にアートオリエンテッドなところがあるのだけれど、デオダートにはそれがない。また、その巧みなアレンジメントも然ることながら、キーボーディストとしての腕前もなかなか達者である。衒いのないゴージャスなアレンジと、自由闊達なエレクトリック・ピアノの演奏が彼のもち味と云える。そんな臆することもなくキャッチーなサウンドをクリエイトしてしまうようなところに、ぼくはとても惹かれるのだ。名高いクラシック・ナンバーをファンキーでポップなエレクトリック・ジャズにアレンジした「ツァラトゥストラはかく語りき」は異例のヒットとなったけれど、それは芸術性や装飾性よりも単純にキャッチーなサウンドを重視するデオダートだからこそ成し得た結果と云えるのではなかろうか。
ちなみに、デオダートの「ツァラトゥストラはかく語りき」はその後、ピーター・セラーズ主演の映画『チャンス』(1979年)で使用された。主人公がワシントンの中心街に向かうシーンで流れるのだけれど、確かにこの場面では原曲よりもデオダートのプログレッシヴなサウンドがよく似合う。ところで、あっという間にスターの座へ駆け上がったデオダートは、同年にCTIレコードにおける第2作『ラプソディー・イン・ブルー』(原題は『Deodato 2』)を発表。ジョージ・ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」モーリス・ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」ザ・ムーディー・ブルースの「サテンの夜」などがデオダート流に料理されていて楽しい。いずれにせよ、このアルバム・リリースの異例のスピード加減からも、彼がときのひとだったことがわかる。
デオダートは日本でもたちまち人気者となり、CTI作品の当時のディストリビューター、キングレコードが『白いピューマ』(原盤はブラジル時代の『Os Catedráticos 73』/1973年)や『アランフェス協奏曲』(原盤はイタリアのシンガー、マッシモ・ラニエリの『Meditazione』/1976年)といった、奇妙奇天烈なレコードまで発売するほどだった。ただお断りしておくが、デオダートが全米規模の大スターになったのは確かにCTI時代だけれど、彼の才能はそれよりもずっと以前に開花していたのである。しかしながら、日本でその全貌が知られるようになるのは、1990年代の後半になってからのこと。デオダートが、ブラジルの音楽プロデューサー、アルナルド・ジ・ソウテイロの協力を得て、自身がブラジル時代に制作した9枚のアルバムをCD盤としてリイシューしたのが契機となった。
その9枚を具体的に挙げると、3枚のデオダート本人名義のアルバム『無意味な風景』(1964年)『イデイアス (着想点)』(1964年)『サンバ・ノヴァ・コンセプサォン』(1964年)、5枚のオス・カテドラーチコス名義のアルバム『インプルソ!サンバ』(1964年)『トレメンダォン』(1964年)『アタッキ』(1965年)『オ・ソン・ドス・カテドラーチコス』(1970年)『オス・カテドラーチコス 73』(1973年)、そして最後の1枚、オルケストラ・ロス・ダンセーロス名義の『ロス・ダンセーロス・エン・ボレロ』(1964年)となる。ちなみに『オ・ソン・ドス・カテドラーチコス』は、前3作をまとめたコンピレーション・アルバムなので要注意。この9枚はすべて日本でもCD化されたので、ご存じのかたも多いだろう。
また『オス・カテドラーチコス 73』は、前述のキングレコードから1974年にリリースされた『白いピューマ』と同一内容。このアルバムでは『ツァラトゥストラはかく語りき』に収録されている「カーリーとキャロル」の原曲「カルロッタとカロリーナ」そして『ラプソディー・イン・ブルー』に収録されている「スカイスクレイパーズ」の原曲「摩天楼」を聴くことができる。つまり『オス・カテドラーチコス 73』は1972年に吹き込まれた作品だが、デオダートは本作ですでにCTIレコードにおけるクロスオーヴァー・サウンドのプロトタイプを展開しているのである。その点、彼のディスコグラフィにおいて、きわめて重要なアルバムと云える。さらに『ロス・ダンセーロス・エン・ボレロ』あたりを聴くとよくわかるのだが、デオダートは間違いなく、映画音楽の大家、ヘンリー・マンシーニから強く影響を受けている。
ということで、デオダートがスターダムにのし上がったのは確かにCTI時代だけれど、彼の才能はそれよりもずっと以前に開花していた。前述のようにデオダートは1967年にリオからニューヨークに移住したわけだが、その時点ですでに、故郷のブラジルではコンポーザー、アレンジャー、キーボーディストとして、高い評価を得ていたのである。1942年6月22日、リオデジャネイロで生を受けた彼は、12歳でアコーディオンを手にする。14歳のときにピアノを弾きはじめると同時に、管弦楽法や指揮法を独学で習得。特にアレンジについては、ヘンリー・マンシーニの作法を通信教育で学んだという。その影響はさきにも述べたとおり、ブラジル時代の作品に色濃く反映している。そんなデオダートは17歳にして、プロのアレンジャーとしてのキャリアをスタートさせている。
ディスコやソウルのカラーが強まり、ジャズやブラジル音楽の風味は薄まる
その後デオダートは、1960年の初頭に自己のバンドを結成。メンバーは、セルソ・ブランド(g)、セルジオ・バローゾ(b)、ジョアン・パルマ(ds)、ウーゴ・マロッタ(vib)、アンリ・アクセルルード(fl)といった、錚々たる顔ぶれで占められている。なお1962年にはギタリストが、ボサノヴァのパイオニアでありMPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)のシンガーソングライターとして有名なホベルト・メネスカルに交替している。前述の初リーダー・アルバム『無意味な風景』を発表したのは、22歳のとき。その後1973年までデオダートは、さきに挙げたソロ名義のリーダー作や、オス・カテドラーチコスやオス・ガトスといったグループ名義の作品、さらに映画のサントラ盤など、たくさんのアルバムをリリースしている。そのサウンドにはいかにも、ポップでグルーヴィーなボサノヴァといった風情がある。
さて、ハナシをCTI時代に戻すが、デオダートは「ツァラトゥストラはかく語りき」が大ブレークしたあと、意外にもその1年後、ブラジルのパーカッショニスト、アイルト・モレイラとのスプリット・アルバム『イン・コンサート』(1974年)を残して、早々にCTIレコードを去る。デオダートはときを移さず大手のMCAレコード(現在のユニバーサル ミュージック)に移籍するのだが、このあたりにも、いかにも彼らしい抜け目のなさが感じられる。むろん移籍の目的は、利益追求だけではない。ブラジル時代から大らかで明瞭なサウンドを繰り広げていたデオダートのことだから、より自由に自分の音楽をクリエイトしたかったのだろう。クリード・テイラーのプロデュース、ルディ・ヴァン・ゲルダーのレコーディングと、レーベル・カラーが濃厚なCTIレコードでは、多少なりとも制約があったと思われる。
実はぼくは、デオダートの作品では、もっともナチュラルにその音楽性が表出していることから、MCA時代のアルバムが好きだ。彼がMCAレコードで制作したアルバムは『旋風』(1974年)『アーティストゥリー』(1974年)『ファースト・クックー』(1975年)『ヴェリー・トゥゲザー』(1976年)の計4枚。すべてデオダート自身が、プロデュースを手がけている。それ故これらのアルバムでは、メロディアスなテーマ、タイトでステーブルなリズム、そしてブラジリアン・テイストと、どこを切ってもデオダートらしさが飛び出してくる。しかも、アルバム・コンセプトにしても、サウンド・プランにしても、CTI作品よりも鷹揚さが増している。カヴァー曲においては、クラシック音楽のパラフレーズ・ナンバーがぐっと減り、かわりにジャズ・スタンダーズや同時代のロックやレゲエのヒット曲が目につく。

その後、デオダートはワーナー・ブラザース・レコードに移籍し、そのサウンドはさらに進化する。もしかすると、デオダート自身もCTI時代からルーティン化していたクロスオーヴァー・サウンド対し、いささか閉塞感を覚えていたのかも知れない。ワーナー・ブラザース時代の彼は、過去の成功体験を見直しながら、自己の音楽性のステージを一段高い次元へ引き上げようとしているかのようにも映る。その作品は『ラヴ・アイランド』(1978年)『ナイツ・オブ・ファンタジー』(1979年)『ナイト・クルーザー』(1980年)『ハッピー・アワー』(1982年)『モーション』(1984年)と、5枚を数える。サウンドの変革、クオリティの向上という点では、1枚目の『ラヴ・アイランド』がもっとも際立つ。一般的にも『ツァラトゥストラはかく語りき』と並んで、デオダートのマスターピースと観られている。
その要因は、名プロデューサー、トミー・リピューマの手腕によるところが絶大。フュージョンの名盤とさえ云われる『ラヴ・アイランド』では、リピューマの得意とするシティ・ソウル系のテイストが加味され、全般的にメロウ・ファンク・サウンドが横溢する。それに反して、従来の鷹揚なデオダート・サウンドは、かなり鳴りをひそめる。そしてそれは作品を重ねるごとに、徐々にディスコやソウルのカラーが強まり、逆にジャズやブラジル音楽の風味は薄まるという、いささかコマーシャルなものになっていく。行き着くところ、女性ヴォーカル、フォー・オン・ザ・フロア、ハンド・クラッピングなどが溢れかえり、フェンダー・ローズによるブラジル風味のアドリブ・ソロが登場する余地はなくなる。そんなことをアッケラカンとやってしまうところもまた、デオダートらしさではあるのだけれど──。
デオダートがダンス・ミュージックに傾倒するようになったのは、彼がスマッシュヒットとなった『レディーズ・ナイト』(1979年)をはじめとする、ニュージャージー出身のファンク・バンド、クール&ザ・ギャングのアルバムをプロデュースするようになったことと無関係ではないだろう。いずれにしてもワーナー・ブラザース時代のデオダートは、ディスコライクなマナーにのめり込み、ファンク・モードに入っていた。そういう時期において、もっとも成功している作品といえば、ぼくは『ラヴ・アイランド』ではなく『ナイツ・オブ・ファンタジー』を真っ先に挙げる。本作では、トータル的にディスコ、ファンクのカラーが濃厚だが、そんななかにも従来のデオダートの音楽性が明確に見てとれるのである。名盤の呼び声が高い『ラヴ・アイランド』は、ある意味でリピューマの作品なのだ。
一般的にあまり評価する向きが多くない『ナイツ・オブ・ファンタジー』だが、CTI、MCAにおけるクロスオーヴァー・サウンドや、それ以前のブラジリアン・テイストが、首尾よくディスコビートに載っかっているという点では群を抜いている。最後にこのアルバムについて、簡単ではあるが具体的に触れておく。プロデュースはデオダート本人が担当、ソングライティングのほうも1曲を除いて、すべて彼が手がけている。レコーディング・メンバーは、エウミール・デオダート(key)、ジェフ・レイトン(g)、ジョン・トロペイ(g)、レイ・ゴメス(g)、クリフ・モリス(g)、ニール・ジェイソン(b)、フランシスコ・センテーノ(b)、ジョン・サスウェル(ds)、スコット・シェリアー(elds)、クラッシャー・ベネット(perc)、ルーベンス・バッシーニ(perc)、ルー・マリーニ(fl)。さらに、ホーンズ&ストリングスが加わる。
アルバムはゆったりしたダンスビートの「スペース・ダスト / シャーロック」からスタート。フォー・オン・ザ・フロアにハンド・クラッピングといった、いかにもフロアライクなナンバー。しかしながら、転調が活かされたコード進行やオーケストラ・サウンドは、いかにもデオダートらしい。後半の熱いシンセのソロも、なかなかのもの。アップテンポの「シャザム」もまたディスコライクな曲だが、ベースのリフやコンガのラテン・タッチ、そしてブラスのアンサンブルがアクセントとなっている。スラップ・ベースのソロも効果的だ。次の「バッハマニア」だけが、カヴァー曲。というか、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」フランスの作曲家、アンドレ・ポップの「恋はみずいろ」デオダートのオリジナル「ウィッスル・バンプ」といった3曲の組曲。
この曲、ディスコビートがキープされながらメドレーで演奏されるというところが、あたかもDJミックスのような計らいだ。サイナーというエレクトロニック・ドラムスの音色が、なんとも懐かしい。B面のトップを飾る「ナイツ・オブ・ファンタジー」は、ハンド・クラッピングも入ってくるが、どちらかというと16ビートの躍動感溢れる爽快なフュージョン・ナンバー。ホルン、フルート、ストリングスなどのアンサンブル、そしてトロペイによるギター、デオダートによるローズのソロと、これぞデオダート・サウンドといった感じだ。ラストの「ラヴリー・レディ」は、ディスコ抜きのブラジリアン・テイストのメロウ・フュージョン。ローズのソロが、得も云われぬリラクゼーションを生んでいる。そんな本作、全体的にはよくバランスのとれた1枚で、飽きのこない佳作と云える。ぜひ、お試しあれ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。







コメント