2021年突然この世を去ったチック・コリアの名曲の数々がピアノ・トリオで録音された、オランダのピアニスト、ロブ・ヴァン・バヴェルによるコリア・トリビュート・アルバム『500マイルズ・ハイ〜チック・コリアに捧ぐ』
Album : Rob Van Bavel / Rob Van Bavel Plays Chick Corea (2022)
Today’s Tune : Bud Powell
アメリカで才能と実力を認められながら日本では10年以上も放って置かれた
オランダを代表する実力派のジャズ・ピアニスト、ロブ・ヴァン・バヴェルといえば、いまでは日本でもすっかり広く知られるようになったが、初リーダー・アルバムがリリースされたころは、わが国のジャズ・ファンのなかに彼のことを知るものはほとんどいなかったのではなかろうか。かくいうぼくもヴァン・バヴェルの演奏にはじめて触れたのは、2000年代に入ってから。彼はビバップをはじめ、モダン・ジャズ、フュージョン、さらにはクラシックの影響を感じさせるスタイルまで幅広くこなすプレイヤーだが、そのピアノ演奏は、センシティヴなタッチとリッチなリズム感を有し、一部からは“ピアノの詩人”とも称されるような叙情的な表現が際立つ。国際的にも高い評価を得ているヴァン・バヴェルだけに、日本でもさらにスポットライトが当てられることを期待したい。
ロブ・ヴァン・バヴェルは1965年1月16日、オランダ南部のブレダに生まれた。現在61歳、バリバリ現役である。ピアノの教師である父とギターとオルガンの教師である母をもつ。両親は当時楽器店も経営しており、ヴァン・バヴェルの周囲には、生まれたときから音楽が溢れかえっていた。そんな環境のもと、彼は3歳からクラリネットやハーモニカを吹き、7歳からはピアノのレッスンを受けるようになる。はじめはクラシックのピアニストを目指していたが、中学時代にジャズに開眼。ディキシーランド・ジャズのバンドでも演奏したことがあるという。その後、ロッテルダム音楽院で学び、1987年に同院を主席で卒業している。なお息子のセバスチャンもピアニストで、ジャズに現代音楽の要素を採り入れたトリオで活動中だ。
ヴァン・バヴェルは、新人ジャズ・プレイヤーの登竜門として知られる、セロニアス・モンク国際ジャズ・コンペティションの記念すべき第1回のピアノ・コンペで第2位を獲得している。彼がロッテルダム音楽院を卒業した、1987年のことである。審査員はローランド・ハナ、バリー・ハリス、ハンク・ジョーンズ、ロジャー・ケラウェイが務めたが、その顔ぶれのスゴさも然ることながら、彼らからその才能と実力を認められたヴァン・バヴェルも伊達ではない。なんといったって、アルバム・デビューすら果たしていない20代前半のオランダの若者が、400人以上の応募者がいるアメリカのジャズ・コンペで上位に入賞したのだから、これを快挙と云わずしてなんと云おう。ちなみに、このとき第1位を獲得したのは、当時ウィントン・マルサリス(tp)のグループのピアニストを務めていたマーカス・ロバーツだった。

さらにヴァン・バヴェルはこれとおなじ年に、オランダのもっとも主要なジャズ賞であるヴェッセル・イルケン賞を受賞。翌年の1988年には、ドイツの有名なジャズ・フェスティヴァル、レーヴァークーゼナー・ジャズターゲにおいて、ヨーロピアン・ヤング・ジャズ・アーティスト賞を獲得。さらに1990年には、オランダのグラミー賞とも云われるエジソン賞を受賞している。ヨーロッパだけでなくジャズの本場であるアメリカにおいても、ひとかどのジャズ・ピアニストとしてのオーソライズを得たヴァン・バヴェルが、なぜ日本では10年以上も放って置かれたのか、ぼくは不思議でならない。おそらく当時のわが国のレコード産業において、オランダのジャズ・プレイヤーは、まだマーケティングの対象外だったのだろう。
いずれにしても、オランダのサークル・プロダクションというマイナー・レーベルと通商関係を最初に切り拓いたのは、あの澤野工房だった。大阪市浪速区にある履物屋の4代目店主、澤野由明は、趣味が高じて日本のジャズ・アルバムをヨーロッパに輸出したり、逆にヨーロッパのジャズ作品を輸入販売したりしていた。そのうち澤野さんはCD制作にも乗り出すようになり、自己のレコード・レーベルを立ち上げた。それが独立系ジャズ・レーベル、澤野工房である。その影響は日本に止まらず世界中に波及した。ことにヨーロッパを中心とした、世界中の知られざる実力のあるアーティストの発掘において、その功績は非常に大きいと云える。また、入手困難な過去の名盤を、可能な限りオリジナルに近い形で復刻するという姿勢も、多くのジャズ・ファンに歓迎された。
ということで、サークル・プロダクションにヴァン・バヴェルがトリオ編成で吹き込んだ、彼の初リーダー・アルバム『ジャスト・フォー・ユー』(1988年)は、澤野工房によってリイシューされた。ジャケットにおいても、オリジナル盤のそれに近いアートワークが採用されている。世界ではじめてのCD化となったが、オリジナル盤が発売されてから12年後の2000年のことだった。というかこのアルバム、現在もオリジナルのLPレコードと澤野工房のCD盤しか存在しない。いずれにしても、ヴァン・バヴェルが日本で最初に注目されるキッカケを作ったのは、澤野工房である。思えば当時の澤野工房は、旧ソ連、レニングラード出身のピアニスト、ウラジミール・シャフラノフ・トリオの新作『ムーヴィン・ヴォーヴァ!』(2000年)をリリースしたことで、注目を集めていた。
そんなんこともあって、ほとんどの大手CDショップにはすでに澤野工房の特設コーナーが設けられており、ヴァン・バヴェルのアルバムも一緒に陳列されていた。ぼくもそんな状況で『ジャスト・フォー・ユー』を手にしたのだが、一聴で彼の演奏が気に入ってしまった。ロブ・ヴァン・バヴェル(p)、マーク・ヴァン・ローイ(b)、ハンス・ヴァン・オーステルハウト(ds)といったトリオが、このアルバムでプレイするのはヴァン・バヴェルの自作曲が中心。彼のペンによる曲はどれも奇を衒うようなところがなく、まるで有名なジャズ・スタンダーズのように親しみやすい。それでいて、モダン・ジャズには収まり切らないポップなテイストを、そこはかとなく感じさせるようなところがある。前述のようにヴァン・バヴェルは、様々の音楽スタイルを幅広くこなすプレイヤーなのである。
ヴァン・バヴェルのピアノ演奏といえば、けっこう躍動感に溢れていながら、まったくといっていいほど外連味がない。むしろタッチはいい意味で軽い。しかも随所にほどよいリリシズムの片鱗をうかがわせるような、上品な美しさがある。なんといっても、小難しさのない鷹揚な演奏に好感がもてる。とにかく気軽に楽しめるところが、ぼくは大好きなのだ。ただ『ジャスト・フォー・ユー』を聴いた多くのジャズ・ファンが、その後ヴァン・バヴェルのことを追いかけたのかというと、ちょっと疑わしい。日本の音盤業界にしても、相変わらず彼の音楽に食指を動かされることはなかったようだ。というのも、その後に国内発売されたヴァン・バヴェルのリーダー作というと、『オールモスト・ブルー〜トリビュート・トゥ・チェット・ベイカー』(2005年)まで待たなければならない。
このアルバムは、オランダのミューニック・レコードによって制作されたものだが、むろん澤野工房の手引きによってヴァン・バヴェルのファンになったぼくが、本作がトランペッターであるチェット・ベイカーの最後のピアニストという謳い文句とともに国内発売されるまでのおよそ5年間、ただ手をこまねいているはずもない。ジャズを愛好するかたであれば、きっとお解りいただけることと思う。はじめて出会ったミュージシャンのプレイが気に入れば、そのひとの演奏をもっと聴きたくなるのが人情というもの。その期間、わが国のジャズの専門誌においてヴァン・バヴェルについて触れられることは皆無だったけれど、そんな残念な状況を指をくわえて見ているわけにはいかないのである。結局、輸入盤を探さざるを得なかった。
インターネットを駆使して探し求めたヴァン・バヴェルのリーダー作
とはいってもヴァン・バヴェルのアルバムは、リアル店舗でまったく見かけることがなかった。仕方なくぼくは、インターネットを駆使して彼のアルバムを探し求めた。いささか偏執的な愛情を注いだ甲斐あって、ぼくは何枚かのヴァン・バヴェル作品を入手することができた。比較的簡単に手に入ったのは、オランダのチャレンジ・レコードからリリースされた『ソロ・ピアノ – ジャズ・アット・ザ・パインヒル』(2000年)というアルバム。これはオランダのピアニストたちがソロ・ピアノをスタジオ・ライヴ形式で披露するシリーズの1枚。吹き込みは1999年5月7日で、肩肘を張らずに聴くことができる楽しい演奏となっている。ここでのヴァン・バヴェルはけっこうダイナミックにピアノを弾いているのだけれど、それがまったく慌ただしさを感じさせない、リラックスした素晴らしいプレイなのだ。個人的には、ますます彼のことが好きになった作品でもある。
ヴァン・バヴェルのアルバムでなんといってもお薦めしたいのは、初期のトリオ作品。メインストリームの伝統が継承されたモダン・ジャズが展開されているが、彼の魅力が全開している。結局のところ個人輸入するしか方法はなかったのだが、なんとか入手することができた以下の2枚のアルバムでは、ヴァン・バヴェルを実力派のピアニストと評価するに相応ふさわしい、ファンタスティックな演奏を聴くことができる。そのアルバムというのは、ミラサウンド・プロダクションからリリースされたセカンド作『ロブ・ヴァン・バヴェル・トリオ』(1989年)、そして自主制作盤のフォース作『ジ・アザー・サイド』(1991年)である。個人的には、この2枚と『ジャスト・フォー・ユー』とをあわせて、初期のヴァン・バヴェル作品のベスト・スリーとしたい。
上記の2枚はともにピアノ・トリオによる吹き込みだが、レコーディング・メンバーは『ジャスト・フォー・ユー』と同様に、ロブ・ヴァン・バヴェル(p)、マーク・ヴァン・ローイ(b)、ハンス・ヴァン・オーステルハウト(ds)の3人。なお前者にはフェルディナンド・ポヴェル(ts)が、後者にはベン・ヴァン・デン・ドゥンエン(ts, ss)とピーター・グイディ(fl)が、それぞれゲスト参加している。個人的な好みになるが『ロブ・ヴァン・バヴェル・トリオ』が、もっともよく聴く1枚となっている。なぜかというと、このアルバムでのヴァン・バヴェルのピアノ・プレイが、その魅力のひとつである小難しさのない鷹揚さがもっとも際立ったものと感じられるから。全編にわたって肩の力を抜いて聴くことができて、とにかくこころが弾む。

いずれにしても上記の3枚は、ヴァン・バヴェルの終始優美なピアノのタッチはもちろんのこと、極上の味わいをもつオーソドックスなジャズのスタイルを、気軽に楽しむことができる。もしこれらのアルバムをどこかで見かけたら、ジャズははじめて──というかたも、遠慮しないで手にとっていただきたいものである。あらためて云うけれど、ヴァン・バヴェルのピアノ演奏には、メインストリームの伝統が受け継がれているのが顕著に見てとれる。残念なことに、一部のジャズ・ファンのなかには、そういうオーソドックスな演奏形態には興味や関心が湧かないという向きもある。そういうひとは、驚天動地の斬新な趣向が凝らされたプレイのほうに、視線を向けるのだろう。もちろん、緊張感や高揚感を求める気持ちは理解できるし、そういう演奏もそれはそれで素晴らしい。
ただぼくの場合、進取の気性に富んだアーティストも大歓迎だけれど、どちらかというと伝統的で穏健な表現方法で極上の演奏を聴かせてくれるプレイヤーのほうに、こころ惹かれる傾向がある。そしてまさにヴァン・バヴェルは、明らかに後者のタイプのピアニストなのである。繰り返しになるけれど、彼のピアニズムに面倒な理屈っぽさはまったくない。ビギナーのかたも、まったく逡巡することはない。ヴァン・バヴェルの音楽は、きわめてわかりやすいのだから。そんな気やすさが、ぼくにはとても魅力的に感じられるのである。しかしながら裏を返せば、そんなヴァン・バヴェルの音楽性こそが、センスとテクニックにおいて申し分のない力量をもつ彼を、長らく知るひとぞ知る存在のままにした、最大の原因と云えるのかもしれない。
さらにヴァン・バヴェルの作品には、正統派ジャズ・ファンの心証を害するようなものもあった。正直に云うと、ぼくもこのアルバムには肩透かしを食らわされた。それは、ヴァン・バヴェルの自主制作盤『デイドリームス』(1991年)である。おそらくこのアルバム、河合楽器製作所が開発したデジタル・シンセサイザーのデモンストレーションのために作られたアルバムなのだろう。本作には、ヴァン・バヴェルのトリオの当時のレギュラー・メンバーであるハンス・ヴァン・オーステルハウト(ds)も参加しているのだが、どちらかというとKAWAIのシンセサイザーやコンピュータが駆使されたフュージョン作品といった趣がある。確かに彼の作曲や編曲の才能が光るところもあるのだが、どうひいき目に見ても、そのピアニズムにおける本来の能力や特性が引き出されているとは、ぼくには到底思えない。
そういう意味では、ミューニック・レコードからリリースされた『クァランティーン』(2002年)にもおなじことが云える。このアルバムは、ザ・ピッチ・パイン・プロジェクトというグループ名義で吹き込まれた、バリバリのフュージョン作品。メンバーは、ロブ・ヴァン・バヴェル(key)、マルティン・ヴァン・イテルソン(g)、ウド・パンネケート(elb)、クリス・ストリック(ds)、トム・ベーク(sax, bcl)。ヴァン・バヴェルは、アコースティック・ピアノのほかにフェンダー・ローズやシンセサイザーも弾いている。ウェザー・リポートを彷彿させるサウンドはなかなか聴き応えがあるが、やはりヴァン・バヴェルにフュージョンは似合わない。なおこのグループ、チャレンジ・レコードからセカンド作『アンプレセデンティド・クラリティ』(2008年)もリリース。ランディ・ブレッカー(tp, flh)が、ゲスト参加している。
そんななか、やはりミューニック・レコードからリリースされた『ピアノ・グランド・スラム』(2003年)は、ぜひともお薦めしたい1枚である。澤野工房が埋もれていたオランダ屈指の逸材を発掘してからの5年間、その存在が高く評価される機会はほとんどなかったが、このアルバムだけは日本のCDショップをいくぶん賑わせた。本作では、レニー・トリスターノ、ビル・エヴァンス、ハービー・ハンコック、バド・パウエル、マッコイ・タイナーといった、ヴァン・バヴェルが敬愛するピアノ・レジェンズの楽曲が、彼なりの新しい解釈で演奏されている。不躾ながら、おそらくショップのバイヤーさんも多くのジャズ・ファンのかたも、まずはヴァン・バヴェルの名前よりも、彼が採り上げた5人のビッグネームに視線を向けたのではなかろうか。
というのも、思うところがあるからだ。実は『ピアノ・グランド・スラム』は、ザ・ニュー・ロブ・ヴァン・バヴェル・トリオ名義でリリースされている。このトリオのサイドメンは、クレメンス・ヴァン・デル・フィーン(acb)、クリス・ストリック(ds)だが、このトリオをベースとした2作品、華やかなゲスト・プレイヤーで彩られたミューニック盤『ジェネレーションズ』(2006年)、そして2008年にトリオのみで吹き込まれ、5年後にR&M ミュージックからリリースされた『ダッチ・ジャズ』(2013年)などは、一部の熱心な愛好家を除くジャズ・ファンの間では、口の端にも上らなかった。ちなみにR&M ミュージックは、ヴァン・バヴェルと彼の妻である韓国出身のピアニスト、ミハン・ホンとが立ち上げたプライヴェート・レーベルである。
チック・コリアの音楽の素晴らしさをフレッシュな感覚で伝える
ときに『ピアノ・グランド・スラム』では上記のトリオに加え、のちにオランダの有名なプログレッシヴ・ロック・バンド、フォーカスのメンバーとなるウド・パンネケート(elb)が、フレットレス・ベース・ギターでコンテンポラリーなプレイを披露。さらに当時11歳のヴァン・バヴェルの息子、セバスチャン・ヴァン・バヴェル(p)も1曲だけ参加している。本作はタイトルからもわかるように、クール・ジャズ、ビバップ、モーダル・ジャズなど、モダン・ジャズのスタイルをすべて制覇するというような内容で、ヴァン・バヴェルの飽くなき探求心の結晶とも云うべきアルバム。彼の3曲のオリジナル・ナンバーでも、いつになく叙情的なムード、現代的なハーモニ、シンコペーションを効かせたリズムなどが際立っていて、作曲家としての本領が発揮されている。
曲によってはその様式に則って、ボトムがアコースティック・ベースからエレクトリック・ベース・ギターに替わるわけだが、そのことが1枚のアルバム・コンテンツとして、不自然な印象や場違いな感じを与えたりすることはない。まずはその音楽性の幅広さとセンスのよさに、感服させられる。ヴァン・バヴェル自身もアコースティック・ピアノのほかに、フェンダー・ローズ・エレクトリック・ピアノも弾いている。楽曲のアレンジもトリオの演奏も素晴らしいし、彼の高度なピアノ・テクニックも冴えわたっている。ただこのアルバムは、楽曲の扱いかたが巧妙であるという点から、全体的には実験作の印象が強い。そのぶん、前述したような本来ヴァン・バヴェルがもつ大らかな魅力は、いささか薄まっていると云えるかもしれない。ぼくは、好きだけれど──。
いずれにしても、この輸入盤『ピアノ・グランド・スラム』や、前述の国内盤『オールモスト・ブルー〜トリビュート・トゥ・チェット・ベイカー』あたりから徐々にではあるが、ヴァン・バヴェルの人気もようやく日本のジャズ・ファンの間に浸透しはじめた。ただ彼が澤野工房によってはじめて国内で紹介されて以来、多くのジャズの愛好家から高い関心や評価を得るのは、2020年代に入ってからのこと。特に『タイム・フォー・バラッズ〜ザ・マーネ・セッションズ』(2021年)『タイム・フォー・バラッズ〜ザ・スタジオ・セッションズ』(2022年)といった、2枚のトリオ編成による極上のバラード集は、多くのリスナーのハートを鷲づかみにした。なおこのときのサイドメンは、フランス・ヴァン・ヘースト(b)、マーセル・セリールセ(ds)が務めた。

このふたりは、オランダが誇るビッグ・バンド、ジャズ・オーケストラ・オブ・ザ・コンセルトヘボウのメンバーとして、2度ほど来日したこともある。2008年の公演ではジェシ・ヴァン・ルーラー、2012年の公演ではリー・リトナーといった大物ギタリストがゲスト参加したこともあり、このバンドのことを記憶に留めているかたは存外多いのではなかろうか。それはともかくヴァン・バヴェルは、上記の2枚のバラード集と同時期に吹き込んだ、2021年に急逝したチック・コリアのトリビュート・アルバム『500マイルズ・ハイ〜チック・コリアに捧ぐ』(2022年)と、ファンキーかつソウルフルなピアニスト、ホレス・シルヴァーのソング・ブック『ホレス・シルヴァーに捧ぐ』(2022年)を、立てつづけにリリースして大きな話題になった。
まあジャズ・ピアニストなら多かれ少なかれ、コリアやシルヴァーから影響を受けるのだろうが、ヴァン・バヴェルの場合、これまで作品を通じてそれを明らかにしたことはなかった。このタイムレス・レコードからリリースされた2枚のアルバムが素晴らしいのは、リスペクトの対象がしっかりイメージされながら、同時にヴァン・バヴェルの解釈に独自性が認められること。特にコリアのトリビュート作は、欧米のピアニストのなかではもっとも早い発表となったが、ヴァン・バヴェルの姿勢に最大限の敬意が感じられる。コリアのファンのかたはもちろんのこと、そうでないかたもコリアの偉大さ、ヴァン・バヴェルのきわめて高い表現力をあらためて確認できる名盤なので、最後に要点だけ記して本作をぼくのイチオシとさせていただく。
レコーディングは2021年10月18日、オランダのザイスト市にあるスタジオ・スメデレイで行われた。メンバーはロブ・ヴァン・バヴェル(p)、マリウス・ビーツ(b)、エリック・イケネ(ds)。ビーツとイケネとはともに、オランダを代表するモダン・ジャズ・ピアニスト、レイン・デ・グラーフのグループで活躍したことで知られる。最初の2曲「ライザ」と「トーンズ・フォー・ジョーンズ・ボーンズ」は、コリアの初リーダー作『トーンズ・フォー・ジョーンズ・ボーンズ』からの選曲。ヴァン・バヴェルのリズミカルかつスピーディなフレージングがコリアのそれを彷彿させる。トリオ全員がフィーチュアされるが、その一体感が見事。スタン・ゲッツの『スウィート・レイン』(1967年)のためにコリアが書いた「ウィンドウズ」では、ビーツのベース・ソロが随一。
リターン・トゥ・フォーエヴァーの『ライト・アズ・ア・フェザー』(1973年)からの「500マイルズ・ハイ」では、ややテンポが落とされより上品で感傷的な印象を与える。ライヴ盤『チック・コリア&ゲイリー・バートン・イン・コンサート』(1980年)に収録されていた「バド・パウエル」では、ヴァン・バヴェルのビバップ・プレイを堪能するのみ。最高だ!もっとも新しい解釈で演奏されたのは『ザ・チック・コリア・エレクトリック・バンド』(1986年)からの「ゴット・ア・マッチ」で、高速で駆け抜けるブルージーでモーダルなピアノのアドリブは、ヴァン・バヴェル入魂のプレイと云える。ディジー・ガレスピーの「コン・アルマ」は、前述の『スウィート・レイン』の収録曲。本来のヴァン・バヴェルらしい、オーソドックスなスタイルでの演奏となっている。
コリアがデイヴ・ブルーベックに捧げた「ワルツ・フォー・デイヴ」は『フレンズ』(1978年)からの選曲。ベースのソロも含めて叙情的な音世界が展開される。コリアがブルー・ミッチェルの『ザ・シング・トゥ・ドゥ』(1964年) に提供した「チックス・チューン」では、その魅力といえばビーツによるエレクトリック・ベースの独擅場となっている。とにかく心地いい。セロニアス・モンクの「パノニカ」は、名作『ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス』(1968年)のアルバム未収録曲(CDボーナス・トラック)。リラクゼーション溢れる、美しいバラード演奏となっている。アーヴィング・バーリンの「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」は、チック・コリア・アコースティック・バンドの『ラウンド・ミッドナイト』(1991年)に収録されていた。ヴァン・バヴェルは、コリアとは異なる解釈で、王道を行く。
アルバムのラストを飾る「ブルース・フォー・アルマンド」は、ヴァン・バヴェル、ビーツ、イケネの共作。というか、コリアとスタンリー・クラークとが演奏したベースラインをもとにした即興演奏である。こういうファンク・グルーヴは、ヴァン・バヴェルのアルバムではあまりお目にかからない。ただ本作では、彼の終始優美なピアノのタッチを確認することができるし、一部ではあるが極上の味わいをもつオーソドックスなジャズのスタイルも窺い知ることができる。ヴァン・バヴェルがコリアからどれほどの影響を受けたのかは定かでないが、少なくとも彼はチック・コリアの音楽の素晴らしさをフレッシュな感覚で伝えることに成功している。その点からも、ヴァン・バヴェルが懐の深い音楽家であると、ぼくはあらためて感じた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。







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