Herbie Nichols Trio / Herbie Nichols Trio (1956年)

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モダン・ジャズの隠れた天才、あるいは早すぎた奇才と称されるハービー・ニコルスのリーダー・アルバム『ハービー・ニコルス・トリオ』

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Album : Herbie Nichols Trio / Herbie Nichols Trio (1956)

Today’s Tune : Mine

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大衆に受け入れられなかったが、のちに高い評価を得た。

 

 ハービー・ニコルスというピアニスト、好きか嫌いかと問われれば、好きと答えるだろう。ただし好きなタイプのピアニストかというと、決してそうではない。なにせニコルスといえば、世間でハード・バップがもてはやされていた時代に、それとはかけ離れた個性的なプレイをしていたひとなのだから。そういう意味では、セロニアス・モンクエルモ・ホープと似たような存在感を放っている。まあ実際にその演奏を聴いてみればよくわかるのだけれど、ブルーノート・レコードからリリースされたレコードだったら、ニコルスのアルバムよりもホレス・シルヴァーのそれのほうが断然人気があっただろう。そのことにとどまらず、結局のところニコルスは生前は過小評価されつづけたと云わざるを得ない。つまり彼は、不遇のジャズ・ピアニストだったのである。

 

 ぼくがジャズを聴きはじめたのは小学校高学年のころで、最初に耳にしたピアニストはバド・パウエルビル・エヴァンスだった。特にエヴァンスは、ぼくが当時もっとも夢中になったプレイヤーで、いまもいちばん好きなピアニストである。また、自分でもジャズ・ピアノを弾くようになった高校時代にぼくは、ソニー・クラークウィントン・ケリー、そしてトミー・フラナガンなどのレコードを集中的に聴き、彼らの即興演奏を採譜したりしていた。まあエヴァンスは別格だけれど、どちらかというとオーソドックスなスタイルでよくスウィングするピアニストが好きだったのだ。その後、マッコイ・タイナーレイ・ブライアントなどの高度なテクニックに衝撃を受け、様々なタイプのピアニストのアルバムを手にとるようになった。

 

 そんなときに出会ったのが、ニコルスのレコード。大学生のころのことだが、最初に手に入れたのはアル・マッキボン(b)、テディ・コティック(b)、マックス・ローチ(ds)をサイドに従えたトリオによる、ブルーノート・レコードからリリースされた『ハービー・ニコルス・トリオ』(1956年)だった。初っ端から、マッキボンが弾き出す安定したビートとスウィング感、そしてローチのオーソドックスなプレイのなかにもとき折見せる鋭敏なタッチに胸がスッとした。ところが、肝心のニコルスのピアノにはなんとなくモヤモヤしてしまった。当初ぼくのなかで彼のプレイが、あたかも霧がかかったように実体がはっきりしないまま、レコードは終焉を迎えたのである。だが、なんとはなしにもう一度はじめから聴いてみると、不思議なことにニコルスの演奏がとても洗練されたものに感じられたのである。  

桜を背景にしたグランドピアノ(グリーン)

 ニコルスはニューヨーク市マンハッタンのサンファン・ヒル地区に生まれ、ハーレム・エリアで育ったのだが、望むと望まざるとにかかわらず生涯の大半をディキシーランド・ジャズのミュージシャンとして活動した。当初、ほとんど大衆に受け入れられなかった彼の演奏スタイルは、いまはリスナーに想念や心象風景を喚起させるようなもの、いわゆる標題音楽の一種と捉えられ高い評価を得ている。むろんぼくは、はじめて『ハービー・ニコルス・トリオ』を聴いたときは、そんなことは知る由もなかった。ただこのアルバムを繰り返し聴くうちに、直感的にニコルスが創出するサウンドが、同時代のハード・バップのそれときわめて異なる、クリエイティヴでイマジナティヴな貴重なものであると感じるようになったのである。

 

 これもあとで知ったことだが、ニコルスの独創的なスタイルの原点は、実はディキシーランドだったのである。この20世紀初頭にニューオーリンズを中心に発展したポリフォニックなマーチング・スタイルの音楽に、彼はビバップ様式、西インド諸島の民俗音楽、そしてエリック・サティバルトーク・ベーラといった近現代音楽の作曲家の作品がもつ独特のハーモニー感覚をかけ合わせたのだった。構成するひとつひとつの音を丁寧に発するところ、緊張感のある不協和音を奏でるところは、セロニアス・モンクに似ている。とはいってもモンクのプレイが予定不調和であるのに対し、ニコルスのそれは独自のテンションを醸成しつづけながらも、ちゃんと整合性がとれているのだ。それゆえ彼の演奏は、リスナーに心理的な負担を与えることはほとんどない。

 

 確かにニコルスがもつ独自の世界観は、なにかとモンクのそれと比較される機会が多いし、実際にふたりの間には親交があったようだ。とはいってもニコルスの演奏は、モンクのそれよりも遥かに聴きやすい。アヴァンギャルドだけれどフリー・ジャズのように完全に自由なわけではなく、綿密に計算された構成のなかでフリーキーなインプロヴィゼーションが展開されるのである。そのダスティカラーのようなトーンが、モンクに軽視される原因だったのかもしれないけれど、ぼくにはその明るさと暗さが混ざったような深みのある色合いが、とてもスタイリッシュなものとして受けとめられた。そのプレイにおける非正統的なアプローチと正確無比なタッチとを兼ね備えたモンクは天才ではあるが、いささか一聴では理解しにくい部分も多々ある。その点、ニコルスはきわめてわかりやすい。

 

 さらにぼくは『ハービー・ニコルス・トリオ』を聴いて、ニコルスは作曲家としてもなかなかいいセンスをしていると思った。いくぶん斜に構えたようなメロディック・ラインと、ひとクセもふたクセもあるユニークなコード・ワークとが生み出す、予測不可能な展開を見せる彼のオリジナル・ナンバーは非常に魅力的だし、ひとたびその心地よさに気がつくと病みつきになるようなところがある。聴き込んでいくと、若干アイロニカルでそれでいてどこかメランコリックなその旋律は、ユーモアやペーソスさえ感じさせる。そういうところが逆にジャズ・ピアニストとしてのニコルスに、落ち着いた感じというか知的で静かな印象を与えているのではなかろうか。いずれにしてもぼくには、彼の創出するサウンドがすこぶるクールに感じられたのである。

 

 ニコルスは1919年1月3日、セントクリストファー島出身者とトリニダード島出身者との両親の間に生まれた。彼のピアノ・スタイルに西インド諸島の民俗音楽からの影響があるのは、このことからだろう。9歳からピアノをはじめた彼は10代のときすでに、1930年代後半から1940年代初頭にかけて活動したジャズ・バンド、ザ・ロイヤル・バロンズで演奏していた。ニコルスの最良の理解者であるベーシスト、ジョージ・デュヴィヴィエとは、このバンドで知り合った。1937年ごろのことである。1941年に徴兵されて歩兵連隊に入隊、退役後は作曲活動およびハーレム・エリアでの演奏活動に従事した。当時、トランペッターのラッセル・ジャケー、その実弟でテナー奏者のイリノイ・ジャケー、バリトン奏者のレオ・パーカー、トロンボニストのJ. J. ジョンソンなどと共演した。

 

“レディ・デイ”が歌った「ザ・レディ・シングス・ザ・ブルース」は有名

 

 さらにニコルスはジョン・カービー・オーケストラエドガー・サンプソン・オーケストラなどでも演奏したが、その後マンハッタン西54丁目のジミー・ライアンズ・ジャズ・クラブを中心にディキシーランドを演奏するかたわら、グリニッジ・ヴィレッジ地区のバロウ・ストリートにできたばかりのジャズ・クラブ、カフェ・ボヘミアにおいて自己のトリオでプレイした。このころのニコルスといえば、すでに1952年、不世出の女性ピアニスト兼作編曲家のメアリー・ルー・ウィリアムズが、彼の書いた曲をいくつかレコーディングしていたことから、その名前はそれなりに知れわたっていた。その間二コルスは、ずっとアルフレッド・ライオンにブルーノート・レコードとの契約を哀願しつづけたという。念願叶って彼は同レーベルで、1955年の5月6日と13日、待望のリーダー作を10インチ盤で吹き込んだ。

 

 そのアルバムとは、アル・マッキボン(b)、アート・ブレイキー(ds)をサイドに従えたトリオ編成による『ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 1』(1955年)と『ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 2』(1955年)である。ぼくはすでに社会人になっていたが、東芝EMIが「ブルーノート LPコレクション・オリジナル“5000”」において復刻した際、逡巡することなく2枚とも入手した。ともにニコルスのオリジナル・ナンバーで埋め尽くされているが、想像していたとおり伝統的なスタイルと前衛的なアプローチとが鮮やかに交錯している。比較的軽快なテンポがつづくなか、ニコルスならではの異彩を放つフレーズが次々と、淀みなく繰り出されていく様がことのほか爽快である。

 

 ニコルスの独特のピアノ・スタイル、そしてユニークなコンポジションは、この2枚の10インチ盤ですでに完成されているように思われる。彼の音楽的ルーツである西インド諸島の民俗音楽のエッセンスも感じられる。たとえば『ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 1』の冒頭を飾る「ザ・サード・ワールド」の、どこかエキゾティックな響きとカリビアン調の跳ねるようなリズム感などがまさにそれだ。コード進行も異色の展開を見せる。この曲以外にも、デューク・エリントンの軽妙さに捻りをきかせたり、レニー・トリスターノ風にアヴァンギャルド・ジャズへアプローチしたり、そしてやはりセロニアス・モンクへのリスペクトを感じさせたりもする。まだまだ興味深い点は多々あるのだが、推し並べて、ニコルスの演奏と楽曲は構築美を感じさせる。

桜を背景にしたグランドピアノ(ピンク)

 いろいろ書いてしまうと、ニコルスの音楽は小難しいもののように受けとられてしまいそうだが、決してそんなことはない。確かに彼の楽曲は一聴風変わりではあるが、聴き込むほどにその緻密な構造がクセになるのだ。そのピアノ・プレイの味わいにしても、噛めば噛むほど味が出るところは、さながらスルメイカやビーフジャーキーのようだ。まったく発想が貧困で申し訳ないが、彼の音楽に特有の奥深さがあることは確かである。前述のように、はじめてニコルスのアルバムを聴いたときは、ぼくのようになんだかモヤモヤしてしまうかもしれない。そんなときは、ぜひもう一度はじめから聴いてみていただきたい。ひとたびその良さを知ってしまったら、その魅力や刺激から抜け出せず、何度も繰り返し聴くようになること請け合いである。ああ、これはぼくのことだ。

 

 まあ、そんな複雑な構成とキャッチーなメロディやフレーズが同居するようなニコルスの不思議な世界観は、すこぶる魅力的であると同時に理解されにくいものでもある。生前はほとんど正当な評価を受けず、商業的にも成功はしなかったニコルスだが、後年モダン・ジャズの隠れた天才、あるいは早すぎた奇才として高く評価されるようになる。不遇のなかで彼が残したレコーディングは、どれも貴重と云える。その先見性と精神性に富んだ演奏と楽曲は、再評価されて然るべきものである。ぼくは書き出しで、ニコルスの演奏を好きか嫌いかと問われれば好きと答えるが、ただし好きなタイプのピアニストかというとそうではないと云った。彼の音楽的価値は認めるし、聴いていて心地よさを感じる。しかし自分でピアノを弾くとき、それを模倣しようとは思わなかった。いや、できなかったのだ。

 

 ちなみに『ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 1』と『ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 2』そして『ハービー・ニコルス・トリオ』といった3枚のブルーノート盤は、のちに2枚組のレコード『ザ・サード・ワールド』(1975年)としてリイシューされたが、その際ライナーノーツを執筆したのが、トロンボニストのラズウェル・ラッドだった。彼もまた若いころディキシーランドを演奏していたとのことだが、一般的にはフリー・ジャズやアヴァンギャルド・ジャズの作品で知られる音楽家だ。ラッドは1960年代にニコルスと共演を果たしたばかりでなく、自己のリーダー作においても彼の楽曲を積極的に採り上げた。おそらくニコルスのことをもっとも早い時期から高く評価していたのは、ラッドではなかろうか。

 

 ニコルスの書く曲は実に風変わりだけれど、そのどれもが独創的なアイデアや表現によって、とてもフレッシュな響きが生み出されている。現代においてもまったく色褪せることのない、しかも流行とは関係のないタイムレスなナンバーばかりである。そのうえ存外親しみやすくて、個人的には彼の曲が大好きだ。ぼくがニコルスのアルバムを聴きはじめたころの日本では、たとえ嗜好の多様性を踏まえたとしても、推し並べて彼のことを高く評価するというか、ジャズ・シーンにおける貴重な存在と観る傾向があったと記憶する。その点ではいつも感じることなのだけれど、わが国のジャズ・ファンはほんとうに慧眼の持ち主が多いと思う。前述の東芝EMIによる「ブルーノート LPコレクション・オリジナル“5000”」の復刻も含めて、こういうときは日本に生まれてよかったな──なんて、調子よく思ったりするのだ。

 

 ついでに云っておくと、ニコルスの自作曲で一般的にもっとも広く知られているのは、やはり「ザ・レディ・シングス・ザ・ブルース」だろう。有名になるキッカケは、ほかでもない“レディ・デイ”の呼称で知られる、アメリカを代表する女性ジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイによって歌われたこと。ニコルスが作曲した「セレナーデ」に、ホリデイ自らが歌詞をつけて「ザ・レディ・シングス・ザ・ブルース」となった。ヴァーヴ・レコードからリリースされた『ビリー・ホリデイ物語 – 奇妙な果実』(1956年)に収録されている。こちらでは、ウィントン・ケリーがピアノを弾いていた。これに先立つインストゥルメンタル・ヴァージョンは、さきに挙げた『ハービー・ニコルス・トリオ』に収録されているので、ぜひ聴き比べていただきたい。

 

 ホリデイもそうなのだが、一般的には真価を認める向きが少なかったのに対し、ジャズ・プレイヤーのなかには当初からニコルスの音楽性を高く評価するものもそれなりに存在していた。だが、実際にリーダー作のレコーディングに彼を採用するミュージシャンは、あまりいなかったのである。おそらく自己のバンドのスタイルや方針を維持するプレイヤーにとっては、ニコルスの個性があまりにも強すぎたからだろう。彼が参加したアルバムといえば、当時はジャズトーンからリリースされたレックス・スチュワート・アンド・ヒズ・ディキシーランダーズの『ディキシーランド・フリー・フォー・オール』(1955年)や、アトランティック・レコードからリリースされたヴィック・ディッケンソン&ジョー・トーマスの『メインストリーム』(1959年)ほか、数枚しかなかった。

 

ニコルスのリーダー作では、これがマスターピース

 

 まあ、ニコルスが参加した音盤が少ないのは当然のことながら、彼が1963年4月12日、ニューヨーク市において白血病のため44歳という若さでこの世を去ったことも影響している。なおニコルスは、ニューヨーク州ファーミングデールにあるロングアイランド国立墓地に埋葬された。そんなわけで、ニコルスの吹き込みはきわめて貴重である。最初期の演奏を聴くことができるのは、サヴォイ・レコードからリリースされた『アイ・ジャスト・ラヴ・ジャズ・ピアノ!』(1957年)というアルバムで、ザ・ハービー・ニコルス・クァルテットによって1952年に吹き込まれた3曲が収録されている。トリオにギターを加えた編成だが、主役は飽くまでニコルス。力強いタッチはその後のプレイと変わらないが、オーソドックスにスウィングしているところは彼の場合、むしろ稀と云える。

 

 そしてもう1枚、さきに挙げた『ハービー・ニコルス・トリオ』のレコーディングからおよそ1年と7か月後の1957年11月に吹き込まれた『ラヴ・グルーム・キャッシュ・ラヴ』(1958年)というアルバムがある。ジョージ・デュヴィヴィエ(b)、ダニー・リッチモンド(ds)をサイドに従えた、ベツレヘム・レコードからリリースされたニコルス最後のリーダー作である。わが国でも1974年にポリドール・レコードから発売されていて、ぼくは学生時代、これを幸いなことに中古レコード店において安価で入手した。本作でも相変わらず彼の非凡な才能が発揮されており、予測不可能で複雑なメロディック・ラインとインプロヴィゼーションは健在。デュヴィヴィエとリッチモンドもエナジェティックなプレイを展開。ニコルスとの息もピッタリ合っている。

 

 それでもブルーノート・レコードの3枚と比較すると、アヴァンギャルドな味わいはかなり薄くなっている。逆にジミー・ヴァン・ヒューゼンが作曲した映画『抱擁』(1957年)の主題歌で、主演のフランク・シナトラが歌ったあまりにも有名な「オール・ザ・ウェイ」などでは、フレッシュなフレージングとユニークなハーモニーをまといながらも、ニコルスはオーソドックスなバラード・プレイを披露。個人的にも彼のリーダー作のなかでは、もっとも想定外のコンテンツが含まれたものだった。一部にはブルーノート盤に比べると活気に欠けるという向きもあるようだが、ぼくとしては、前衛的なスタイルも含めて様々な演奏経験を重ねたことによる深み、あるいは渋みと捉えたい。軽くハイパー、きわめてスタイリッシュなサウンドは、やはりニコルスらしい。そして、なによりも聴きやすいのがいい。

桜を背景にしたグランドピアノ(ブルー)

 この『ラヴ・グルーム・キャッシュ・ラヴ』というアルバム、発表された当初は3枚のブルーノート盤と同様にセールス的にはまったく振るわなかったのだという。ベツレヘム・レコードといえば、大衆に広く親しまれるような作品を制作する傾向がある。型破りなプレイヤーであるニコルスが珍しく難解な表現を控えめにしているのも、レーベル・カラーを尊重したからかもしれない。ざっくりとした見かたをすれば、カジュアルで軽やかな作品と捉えられる。にもかかわらず本盤が売れなかったのは、ニコルス自身が大衆からそっぽを向かれていたことを物語っているように思われる。それでもわが国の熱心なファンたちの間では、過去にコレクターズ・アイテムとして重宝されていたこともある。でもいまは、安価なアルティメット・ハイ・クオリティCDで、気軽に聴くことができる。まったく、いい時代になったものだ。

 

 もしこの拙文をお読みいただいて、はじめてニコルスに興味をもったかたがいたら、この『ラヴ・グルーム・キャッシュ・ラヴ』を最初に手にとってみるのもいいかもしれない。そして、もし一聴では簡潔で明快な印象を与える本作でのニコルスのピアノ演奏に、幾何学的に観ると鋭い角度からのアプローチ、いささか逆説的なエクスプレッションなどを見出したら、さらにそれがクールかつソフィスティケーテッドなものと感じたら、そこから時間を逆行して『ハービー・ニコルス・トリオ』『ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 1』と『ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 2』を聴くことを、ぼくは推奨する。個人的には『ハービー・ニコルス・トリオ』を、マスターピースと観ている。ということで最後に、あらためてこのアルバムについて触れておくとしよう。

 

 パーソネルをあらためて記すと、ハービー・ニコルス(p)、アル・マッキボン(b)、テディ・コティック(b)、マックス・ローチ(ds)。レコーディングはニュージャージーにおいて、レコードのA面分が1955年8月1日、7日に、そしてB面が1956年4月19日に行われた。なおベーシストは、A面をマッキボン、B面をコティックが担当。エンジニアは云うまでもなく、ルディ・ヴァン・ゲルダーである。楽曲は1曲を除いて、すべてニコルスのオリジナル・ナンバーとなっている。アルバム冒頭の「ザ・ギグ」では、インパクトのあるイントロとアウトロ、捻りのきいたメロディック・ラインが印象的。変動するリズムをローチが見事にサポート。ニコルスは力強いタッチで、小気味よく跳ねまくる。都会的な雰囲気とスリリングな構成力とが際立った曲だ。

 

 つづく「ハウス・パーティ・スターティング」は、ややグルーミーなムードが醸し出されたミッドテンポの曲。ハーモニー感覚が独特で、リラックスした気分のなかにもニコルスの先進性が感じられる。アップテンポの「チット・チャッティング」では、しっかり4ビートがキープされながらも、既存の枠組みを打破するようなインタープレイが展開される。完成度の高いニコルス・サウンドの典型と云えるかもしれない。前述の「ザ・レディ・シングス・ザ・ブルース」では、ブルージーな心地よい揺らぎのなかで、ニコルスがモダンでアンニュイなフレーズを綴りつづける。短尺ながら、ベース・ソロもアクセントになっている。先鋭的だけれど軽快な「舞踏の女神」では、よくバウンスするニコルスも然ることながら、変幻自在のリズムを打ち出すローチが素晴らしい。途中ラテン・タッチになるのも実にスマートだ。

 

 B面の最初の「スピニング・ソング」では、明と暗とが相互に循環するような曲調によって独特の空気が生み出されている。ローチのタム・ワークも面白い。こういう佇まいが、病みつきになるのだ。ファストテンポの「クェアリー」では、クラシカルなメロディック・ラインとソフィスティケーテッドなコード進行とが絶妙に絡み合う。そこには、ある種の爽快感さえある。アルバム中もっともアヴァンギャルドな「ワイルドフラワー」では、ニコルスがシンプルでヴィヴィッドな旋律と即興演奏を展開。耳を澄ませると斬新なシークエンスのなかにも抒情性が感じられる。これもまた、ニコルスの魅力だ。躍動感溢れる「ハングオーヴァー・トライアングル」では、本作のハイライトともいうべきプレイが繰り広げられる。ことに流れるように奇抜な楽句を繰り出すニコルス、高く舞い上がるローチに胸がすく。

 

 アルバムのラストを飾るのは、ジョージ・ガーシュウィンの「マイン」である。はじめてこのレコードを聴いたとき、なぜこの曲なの?と思った。でもあとからこの絶妙な選曲が、ぼくの本作に対する親しみをより強くさせる要因となったことに気づいた。決してガチガチになって聴く必要はないと思うけれど、どちらかというと常に張り詰めた空気に満ちているようなこの作品において、この寛いだ感じはまさに一服の清涼剤。ほっとひと息ついて感性がリフレッシュされたら、もう一度最初から聴いてみようかなと、ぼくはレコードの盤面をひっくり返すのだった。そういうポジティヴな気持ちにさせられるからか、度々聴きたくなるのがニコルスのアルバムなのである。もともとジャズという音楽にはそういう魅力があるのだろうけれど、ニコラスのそれはその最たるものと云えるかもしれない。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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