ジャズ/フュージョンにおける従来の表現形式や素材、あるいは概念に縛られず、積極的に新たなアプローチが試みられたデヴィッド・ベノワのデビュー・アルバム『ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ』
Album : David Benoit / Heavier Than Yesterday(1977)
Today’s Tune : I Wish Right Now Would Never End
日本では音楽界に颯爽と現れたピアニストの新星というような扱いをされた
デヴィッド・ベノワといえば、ジャズ/フュージョン系のピアニスト、コンポーザー、音楽プロデューサーとしては、もはや重鎮と云える。近年、その外見からずいぶんとお年を召されたなと思っていたら、1953年8月18日生まれというから彼ももう72歳になっていたのだった。ほんとうに月日が経つのは、早いものである。思えば、ベノワの日本でのデビュー・アルバム『サマー』(1986年)がリリースされてから、ちょうど40年ものときが流れていた。あのころのベノワといえば、日本では音楽界に颯爽と現れたピアニストの新星というような扱いをされたもの。ルックス的にも、30代とはいえまだ可愛らしい顔をしていた。なお『サマー』は、日本のキングレコード傘下のフュージョン系レーベル、エレクトリック・バードのプロジェクト作品だった。
近年のベノワといえば、スタインウェイ・アンド・サンズ・レーベルから『スタインウェイ・アフター・ダーク』(2025年)というアルバムをリリースしたことが記憶に新しい。2024年11月13日、カリフォルニア州ロサンゼルスにおいて吹き込まれたソロ・ピアノ集である。ベノワ自身のオリジナル・ナンバーや彼が長年敬愛しつづけているヴィンス・ガラルディの曲をはじめ、ジャズ・スタンダーズ、映画主題歌などを寛いだテイストと美しいタッチとで聴かせる、珠玉のバラード・アルバムだ。長年の音楽生活において得た経験と実力に基づいた威厳や風格はともかく、このレコーディングのときベノワは70歳を超えていたのだが、それをまったく感じさせないピアノ・サウンドの、あたかも採れたての果実のような瑞々しさに驚かされた。
そんないまも健在なベノワにちょっと嬉しくなったりもするのだが、若き日のプレイに観られた鋭角的なテクニック、リズミックなエナジー、そして未完成ながらも独自の解釈を模索するパッションなどは、さすがにいまは鳴りをひそめている。そんなベノワはぼくにとってさきに挙げた『サマー』が発売される以前から、その作品の日本国内発売を切望していたアーティストのひとりだった。当時の彼は、前述のように日本ではニューフェイスのような扱いをされたが、実はそのときの年齢は32歳で、すでに音楽家としてのキャリアをかなり積んでいた。具体的には、ベノワは13歳からピアノを弾きはじめ、18歳からはすでにプロのミュージシャンとして仕事をしていたのである。いずれにしても、ぼくは早い段階から彼の音楽に親しんでいた。

この『サマー』が発売された年のことだが、こんなこぼれ話がある。おそらくこの出来事を記憶に留めているひとはあまりいないだろうから、ここにご紹介しておく。その年のある日、ぼくが見るともなしに見ていたテレビから、聴き覚えのある曲が流れてきた。画面には当時の人気フリーアナウンサー、楠田枝里子が映っている──。それは、花王のヘアケア商品「エッセンシャル」のCMだった。問題はその背景で鳴っているインストゥルメンタルだが、アコースティック・ピアノによって奏でられ、清涼感に溢れながらもちょっと愁いを含んだメロディック・ラインが印象的な「ステージズ」という曲だった。ほかでもない、リリースされたばかりの『サマー』に収録されていたトラックである。このときぼくは密かに、いよいよベノワ・サウンドも本格的に日本上陸かと嬉しく思ったもの。
それと同時に、まさかベノワの曲が日本のテレビCMで使われるなんて思いもよらなかったので、ぼくはちょっとした衝撃も受けた。それは正確に云えば、驚きを感じるというよりは、ある種の爽快感を覚えるような出来事だった。なにしろ、それまで輸入盤でしか聴けなかったベノワの音楽が、日本の企画で気軽に楽しめるようになったばかりでなく、ときを移さずCMソングとしてお茶の間に届けられたのだから──。いま思い返せば、こんなこともまた時代を映し出す鏡のようなものと捉えられる。当時の日本の音楽業界、それに消費者のキャパシティは、いまと比較すると圧倒的に甚大だったのだろう。当時の日本はバブル景気の時代にあり、音楽に関してもまさにバブルだったと云える。なにしろ当時の音楽のトレンドといえば、ジャンルにおいては非常に幅が広かったのだから──。
そんな状況にあったからか以降、日本でのベノワの人気は急上昇した。さらにつけ加えるとそれより少しまえになるが、ベノワの7枚目のリーダー作『ディス・サイド・アップ』(1985年)が輸入盤を扱うショップを賑わせていた。ぼくもすかさずこのレコードを入手したのだが、それから間もなく収録曲の「ライナス・アンド・ルーシー」と「ビーチ・トレイル」がそれぞれ、ニッポン放送のラジオ番組『斉藤由貴 ネコの手も借りたい』(1986年4月19日 – 1995年4月9日)のOPとEDで使用され、さらに本盤の人気に拍車がかかった。アメリカはテキサス州オースティンのマイナー・レーベル、スピンドルトップ・レコードからリリースされたこのアルバムは、モノクロームの地味なジャケットとはウラハラに、中身のほうはメジャー・レーベルの作品にまったく引けをとらない贅沢で華やかな出来栄えだった。
ちなみに、このスピンドルトップ・レコードは、当時はまだ無名だったスムース・ジャズ・シーンの雄、サクソフォニストのボニー・ジェームスを『トラスト』(1992年)でアルバム・デビューさせたレーベルでもある。ベノワとの関係が深いキーボーディスト、ビル・マイヤーズや、当時ベノワのバンド・メンバーでもあったサックス&フルート奏者、サム・ライニーのリーダー作も何枚かリリースしている。爽やかなウエストコースト・サウンド作品や、洗練されたコンテンポラリー・ジャズ・アルバムを世に送り出すレーベルとして、音楽通のあいだでは早くから注目を集めていた。なおこのレーベルで多くの作品を手がけたグラミー賞受賞経験のあるプロデューサー、ジェフリー・ウェーバーは『ディス・サイド・アップ』以降のベノワ作品にも大きく関わっている。
ときにこの『ディス・サイド・アップ』だが、西海岸の名うてのミュージシャンにストリングスが加えられた豪華な編成も然ることながら、チャールズ M. シュルツのアニメ『ピーナッツ』の音楽、ブレイク直前のダイアン・リーヴスをフィーチュアしたヴォーカル・ナンバー、ビル・エヴァンスのカヴァーなど、ベノワの音楽を形成するファクターが渾然一体となったサウンドスケープが、とにかく魅力的だった。それまでのフュージョンといえば、どちらかといえばジャジーでファンキーなサウンドが主流だったが、彼のアコースティック・ピアノを中心に据えた音の景観は、とにかく明るく透明感に溢れている。メロディ、ハーモニー、リズムと、どこをとっても明快で、その点ではのちのスムース・ジャズの源流となるサウンドと云える。
ぼくがベノワの名前をはじめて知ったのは、この『ディス・サイド・アップ』を手にしたときよりもおよそ10年ほどまえで、ウェザー・リポートの初代ドラマー、アルフォンス・ムザーンの4枚目のリーダー作『ザ・マン・インコグニート』(1976年)でのこと。ぼくがこのポップでダンサブルなブルーノート盤を手にしたのは、自分の敬愛するデイヴ・グルーシンがお目当てだったから。そしてグルーシンとともに、曲によってアコースティック・ピアノとエレクトリック・ピアノを仲良く交代しながら弾いていたのが、誰あろうベノワだったのである。ちょうどこのころ、ベノワは女優でシンガーのレイニー・カザンのミュージカル・ディレクター兼コンダクターを務めていたのだが、おそらくそれが彼にとってショー・ビジネスのキャリアとしては第一歩だったのだろう。
AVIレコードとアーティスト契約を結びリーダー・アルバムを制作
ベノワはカリフォルニア州のベーカーズフィールドに生まれ、前述のように13歳のときからピアノを弾きはじめた。ファンキーなジャズ・ピアニスト、ラムゼイ・ルイスのジャズ・ロックの名盤『ジ・イン・クラウド』(1965年)を聴いて感銘を受け、音楽家への道を志すようになったという。高校時代はもっぱらピアノのレッスンに打ち込み、ロサンゼルスのエル・カミノ・カレッジにおいて音楽理論と作曲を専攻し、さらにカリフォルニア大学ロサンゼルス校で映画音楽の作曲や指揮法を学んでいる。そしてその間、18歳の誕生日のことだが、ベノワはトレンド・ビーチの桟橋の近くにあったポリネシアン・ルームという店ではじめてステージに立った。その1年後に彼は、ジャズ・ピアニストのドン・ランディが経営する、ロサンゼルスの名門クラブ、ベイクド・ポテトにも出演するようになった。
そんなベノワのピアノのテクニックといえば、フレージングやレンディションの選択に実に細やかな配慮がなされている。彼が敬愛するビル・エヴァンスとスタイルこそ違うが、一音一音を丁寧に紡いでいくような真摯なスタンスには、同種のジャズ・スピリッツが感じられる。その点は『ディス・サイド・アップ』を聴いただけでも、よくわかる。そんな確固たる実力に早くから注目していたのが、当時、青山にあったミュージック・カフェ「Paul’s Bar」のオーナーで、ベイクド・ポテト・レーベルのエグゼクティヴ・プロデューサーも務めたポール森田と、音楽雑誌「ADLIB」(2010年に休刊)の編集長、松下佳男だった。ふたりがそれぞれ、エグゼクティヴ・プロデューサー、スーパーヴァイザーとして尽力し、完成させたアルバムがまさに『サマー』だったのである。
実はこの『サマー』の収録曲、上記のふたりとエレクトリック・バードのプロデューサー、川島重行によって、ベノワの過去のアルバムからチョイスされたものだった。むろん本作はコンピレーション・アルバムではなく、全曲ハリウッドのオーシャン・ウェイ・レコーディングで新たに吹き込まれた、オリジナル・アルバムだ。レコーディングでは、ボブ・フェルドマン(b)、トニー・モラレス(ds)、サム・ライニー(sax)といった、当時のベノワのグループのレギュラー・メンバーが中心となり『ディス・サイド・アップ』にも参加したロサンゼルス・モダン・ストリング・オーケストラがサポートを務めた。特筆すべきは、本作が2トラック・デジタル・レコーディング方式で吹き込まれたということ。つまり本作は、ある種のスタジオ・ライヴ盤なのである。

当然のことながら、ミキシングもオーヴァーダビングもないので、通常の録音よりも演奏に躍動感と臨場感が増している。そのせいか本作では、ベノワの旧作のリメイクという体裁がとられていながらも、どのトラックもオリジナルよりサウンドにエッジが効いていて新鮮な印象を与える。ベノワにとっては慣れた曲ということもあり演奏は極めて安定しており、アレンジも細かい修正が施されていて楽曲の完成度はぐんと上がっている。それはともかく、このアルバムに収められている9曲は、ベノワが『ディス・サイド・アップ』を発表する以前に所属していたロサンゼルスのマイナー・レーベル、AVIレコードからリリースされた彼のリーダー作からセレクトされたものだ。実を云うと、ぼくはのちにGRPレコードと契約してスターダムにのし上がったベノワよりも、AVI時代の彼が好きだったりする。
AVIレコードは、1968年にアメリカン・ヴァラエティ・インターナショナル傘下で設立され、1977年からは自社配給が開始されたインディペンデント・レーベルだ。初期は派手なコスチュームで大衆の人気を博したピアニスト、エンターテイナーのリベラーチェの、クラシックとポップスとを融合したような作品をリリースしたりしていたが、1970年代の半ばからはエレクトロニック・ディスコのソングライティング・デュオ、エル・ココの数々のアルバムを制作して成功を収めた。このデュオのサウンドにはジャズからの影響が感じられるのだけれど、そのせいかAVIレコード自体もジャズ・ミュージシャンに興味を持ったようで、その後カナダ出身のサクソフォニスト兼フルーティストのダグ・リチャードソンと契約している。
ダグ・リチャードソンのアルバム『ナイト・トーク』(1977年)は、いまもクラブ世代から支持される名盤だが、実はこのアルバムにベノワがキーボーディストとして全面的に参加している。DJたちの間ではフロア・ボムとなっている「サルサ・ママ」という曲で、キャッチーなラテン・タッチのピアノを弾いているのは、ほかでもないベノワなのである。当時ベノワは、リチャードソンとともにクラブでギグを行ったりしていたのだが、AVIレコードがデイヴ・グルーシンとビル・エヴァンスとをかけ合わせたようなピアニストを探していたことから、リチャードソンによってレコード会社のプロデューサーたちに推薦されたのだった。そして彼は、リチャードソンのレコーディングを訪れたAVIの社長、レイ・ハリスのお眼鏡に適ったのである。
AVIレコードとアーティスト契約を結んだベノワは、ときを移さずリーダー・アルバムの制作にとりかかる。ベノワが最初に吹き込んだトラックは「ライフ・イズ・ライク・ア・サンバ」という彼のオリジナル・ナンバーだったが、この曲はのちに2000年代のブラジリアン・ジャズ・グルーヴの再評価の流れのなかで、クラブ・シーンで注目を集めた。軽快なサンバ・リズムに、エレガントなアコースティック・ピアノのフレーズが重なるという、ソフィスティケーテッドなサウンドは、DJによってラテン・ジャズ・クラシックスとしてミックスされたり、ヌー・ジャズ系あるいはブロークンビート系のアーティストによってサンプリング・ソースとして使用されたりしたのである。その点ではこの曲、ベノワの最初期の代表曲と云ってもいいだろう。
当然のごとく「ライフ・イズ・ライク・ア・サンバ」は、前述の『サマー』でも採り上げられた。ただ個人的には、この曲に関してはオリジナル・ヴァージョンのほうが断然いいと思う。このトラックは、さながらエクスクイジット・タッチとでも云いたくなるような美しいアコースティック・ピアノ、グルーヴィーなエレクトリック・ベース、よくドライヴするブラシを使ったドラムス、そしてアップビートなパーカッションといった、どちらかというとシンプルな編成で軽快さが際立っている。興味深いことに、この演奏のプレイバックを聴きながら、プロデューサーのマイケル・ルイスとローリン・リンダーはベノワ対して、残りのトラックにおいてシンセサイザーの大規模な導入と、アレンジによりアグレッシヴネスを加味することを要求したのだという。
スタジオに戻ったベノワは、見事にプロデューサーの意向を汲みアルバムを完成させる。まあ、ルイスとリンダーとは、AVIレコードで流行りのエレクトロニックなディスコ・サウンドを世に送り出していたクリエイティヴ・ユニットだから、シンセサイザー志向のトラックをリクエストするのも当然のことだろう。ところが面白いことに、西海岸のラジオ・ステーションで実際にパワープレイとなったのは、プロデューサーの目論見に反して、シンセドリヴンなナンバーではなくリズム・セクションにストリング・オーケストラが加わったメロディックなコンポジションだったという。ベノワ本人が証言していることだが、この出来事がその後の彼のサウンドの方向性を定めるキッカケになったのだという。そしてそれこそが、さきに述べたスムース・ジャズの源流となるものである。
ベノワの熱意や挑戦が感じられる作品群、その嚆矢となるアルバム
いずれにしても、このレコーディングは、親しみやすいメロディと洗練されたグルーヴを特徴とするサウンドで、のちにスムース・ジャズ・シーンで確固たる地位を築くことになるベノワの出発点。このときの吹き込みは、アルバム『ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ』(1977年)としてリリースされた。その後もベノワはAVIレコードにおいて『キャン・ユー・イマジン』(1980年)『ステージズ』(1982年)『ディジッツ』(1983年)『クリスマスタイム』(1983年)『ウェイヴズ・オブ・レイヴズ』(1984年)を制作、デビュー作も含めると計6枚のリーダー・アルバムを発表した。これらはすべて、海外盤のみだがCD化済みとなっている。しかしながら、どれもアナログ盤とともに、現在ではなかなか入手が困難らしい。もしショップで見かけたら、迷うことなく手にとっていただきたい。
比較的入手しやすいのは、ヒップ・オー・レコードからリリースされた『アーティスツ・チョイス』(1998年)というCDで、本盤は日本国内でも発売された。AVIレコードにおいて吹き込まれた音源のなかから、ベノワ自身がチョイスした14トラックで構成されたベスト・アルバムである。本盤を聴いただけでも、AVI時代のベノワがいかに自己投影的かつ意欲的に音楽制作に取り組んでいたかがわかるし、前述の『サマー』と7曲共通するその楽曲の素晴らしさを、あらためて知ることもできる。また、ライノ・レコードから『ロスト・アンド・ファウンド』(1994年)というCDがリリースされているが、こちらはダグ・リチャードソンのレコーディングを含む、AVI時代の未発表音源がまとめられたコンピレーション・アルバム。ベノワの初期の音楽性が、より深掘りされた1枚である。
なお、最後にリリースされた『ウェイヴズ・オブ・レイヴズ』は、既発の作品に収録されていた8曲と新たに録音された1曲がコンパイルされたベスト・アルバムである。新録の「アイ・オブ・ザ・タイガー」は、シルヴェスター・スタローンが監督、脚本、主演の3役を務めた映画『ロッキー3』(1982年)の主題歌のカヴァー。原曲はスタローン自身の依頼で制作された、ロック・バンド、サバイバーのビルボード誌のチャートにおいて6週連続1位を記録した大ヒット曲だ。ベノワはこの有名な曲に、まったく異なるグルーヴのアレンジを施している。アコースティック・ピアノが主軸に据えられたインストゥルメンタルだが、アドリブ・パートではフェンダー・ローズへのもち替え、後半では4ビートへのスウィッチとハードなピアノ・プレイとが際立つ。

ベノワのアレンジのマナーといえば、のちにGRPレコードにおける数々の作品において本領が発揮されるわけだが、この「アイ・オブ・ザ・タイガー」などを聴くと、すでにそのポテンシャルの高さが感じられる。もはやどこを切ってもベノワ・サウンド一色のクオリティの高いカヴァーとなっているので、機会があればぜひ聴いていただきたい。また、あわせて補足させていただくが、AVIレコードにおけるベノワの6枚のアルバムのうち『ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ』と『ディジッツ』は、レコードとCDとではジャケットが異なる。前者では浜辺を歩くベノワの写真が顔写真(実は『ディジッツ』で使用されたもの)に、後者では手のアップ写真から手のイラストレーション・デザインに差し替えられている。CD化は1990年のことだが、おそらく時代に即したリパッケージングなのだろう。
AVIレコードからリリースされたベノワのリーダー作は、ある程度自由な制作が制限されたであろうメジャー・レーベル時代のアルバムとは違い、どれも彼の熱意や挑戦が感じられる作品ばかりである。個人的な好みでは、ジャズ/フュージョンにおける従来の表現形式や素材、あるいは概念に縛られず、積極的に新たなアプローチが試みられた『ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ』と、ベノワ本人が認めているように、ピアニスト、コンポーザー、アレンジャー、そしてプロデューサーといった、彼の音楽性が全面的に浮き彫りになった『ステージズ』が好きだ。のちにベノワは『ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ』におけるシンセサイザー・サウンドを振り返って、非常に時代遅れとセルフレヴューしているが、いまではむしろヴィンテージというひとつの完成されたブランドと捉えてもいいのでは──。
ということで長々と語ってきたが、最後にベノワの記念すべきデビュー・アルバム『ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ』について、具体的にお伝えしようと思う。レコーディング・メンバーは、デヴィッド・ベノワ(key)、マイク・ミラー(g)、デヴィッド・ウィリアムス(b)、ゲイリー・ファーガソン(ds)、ローリン・リンダー(perc, vo)、ヘクター・アンドラーデ(perc)、デヴィッド・シャー(ob, fl)、マイケル・ルイス(synth prog)、ジェリ・ボッキーノ(vo)。さらに8名からなるストリング・セクション(vln ×4, Vla ×2, Vc ×2)が加わるが、アレンジと指揮はベノワ自身が手がけている。楽曲はすべてベノワのオリジナルだが、ヴォーカルが入る2曲ではビル・ラヴィングというひとが作詞を担当している。
アルバムの冒頭を飾る「ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ」は、シンセサイザーがテーマを奏でるグルーヴィーなナンバー。途中サンバ調になったりテンポ・チェンジされたりするところはいかにもベノワ・サウンドらしいのだが、ファンキーなリズム・フィギュアは初期の楽曲ならでは。ピアノやフェンダー・ローズも使用されているが、アドリブ・パートではハモンド・オルガンが使用されている。これもまたレア。2曲目の「アイ・ウィッシュ・ライト・ナウ・ウッド・ネヴァー・エンド」は、爽やかなメロウ・ソウル。ベノワの楽曲としては非常に稀なスタイルだが、個人的には好きな曲。リード・ヴォーカルをとるボッキーノは、名音楽プロデューサー、フィル・スペクターの秘蔵っ子。ウィスパー・ヴォイスとスキャットがキュートだ。いっぽうベノワは、ここでもオルガンでソロをとっている。
3曲目の「96-132」では、ベノワによるフェンダー・ローズとシンセサイザーとがダイナミックなソロを展開。ミステリアスなムードとファンキー・タッチはデイヴ・グルーシンの名曲「モダージ」を彷彿させる。グルーシンは、ハーヴィー・メイソンのデビュー・アルバム『マーチング・イン・ザ・ストリート』(1976年)でこの曲をはじめて披露しているから、ベノワはすぐに影響を受けたのだろう。ただベノワの曲は途中から高速サンバに変化する。A面最後の「ゲッティング・アウトサイド」は、レナード・バーンスタインのブロードウェイ・ナンバーを連想させるクラシカルかつアコースティックなナンバー。ベノワのピアノがリズミカルかつエレガントなフレーズを綴る。途中で4ビートになるが、シャーがジャジーなフルート・ソロを繰り広げる。
B面の1曲目「ロサンゼルス」は、おそらくアルバム中もっとも精魂込めて作られた楽曲だろう。シンセサイザー・サウンドが主軸に据えられたファンキーな序盤、アコースティック・ピアノがリリカルな世界を演出する中盤、そしてリズム・セクションとオーケストラとが一体となりアップテンポで走り抜ける終盤と、アーバンでドラマティックな展開を見せる、実に聴き応えのあるナンバーだ。前述の人気曲「ライフ・イズ・ライク・ア・サンバ」は、ダンサブルなブラジリアン・フュージョン。軽快なサンバのリズムに乗って、ベノワのピアノが哀愁漂う美しい旋律を奏でていく。サビでシャカタク風にソフィスティケーテッドなコーラスが挿入されるが、実はベノワのほうが先を越していた。いずれにしても、彼の初期のマスターピースと云える。
アルバムのラストを飾る「シーガルズ・パラダイス」では、まずテンポ・ルバートでベノワのロマンティックでエモーショナルなピアノ・プレイを堪能することができる。その後インテンポしてからは、ゆったりとしたリズムとソフトなストリングスとが交錯しながら、詩的な情緒や美しい情景を描いていく。そんななかでもベノワはメロディアスなフレーズを次々と紡ぎ出していき、爽やかな余韻を残す。以上のように本作は、緩急がつけられた楽曲構成となっており、終始リスナーを飽きさせることはないだろう。むろん冒頭で云ったように、現在のベノワも瑞々しいピアノ演奏を聴かせてくれているわけだが、このデビュー作にはいまのサウンドにはない、若さゆえの音楽に対するひたむきさが強く感じられる。これを聴かずして、ベノワを語るべからずである。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。







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