Lars Jansson Trio / Invisible Friends (1995年)

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北欧最高峰と謳われるジャズ・ピアニスト、ラーシュ・ヤンソンのベーシックなトリオ作『インヴィジブル・フレンズ』

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Album : Lars Jansson Trio / Invisible Friends (1995)

Today’s Tune : Invisible Friends

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新しい音楽を体験したいという欲求から手にしたヤンソンのアルバム

 

 ぼくがラーシュ・ヤンソンのピアノ演奏にこころ惹かれたのは、大学生のころ。1980年代の中ごろのことで、クラシック・ピアノと並行してジャズ・ピアノを弾いたり、バンドを組んで演奏活動をしたりしていた。ぼくは高校時代にソニー・クラークウィントン・ケリートミー・フラナガンなどのレコードを徹底的に聴いて独力でジャズ・ピアノを学んだのだけれど、考えてみればみな1950年代から1960年代にかけてリリースされた作品ばかりだった。リアルタイムで聴いていたのは、フュージョンをはじめ、ロック、ソウルそれにMPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)など。ハービー・ハンコックマッコイ・タイナーの当時の新譜を聴いたりもしたけれど、あまり面白さが理解できなかった。

 

 そういえば、ジャズ・レコード史上空前の大ベストセラー『ザ・ケルン・コンサート』(1975年)にアレルギー反応を起こすようなぼくでも、キース・ジャレットのいわゆるスタンダーズ・トリオの作品はまあまあ聴くことができたので、自分でも驚いた覚えがある。それでもジャズのレコードといえば、相変わらずビル・エヴァンスのアルバムや往年のモダン・ジャズ作品ばかりターンテーブルにのせていた。そのいっぽうで自分のバンドでフュージョンのようなことを演っていたぼくも、実は当時のフュージョンに閉塞感を感じはじめていた。GRPレコードの諸作のように良心的であり高品質でもあるフュージョン作品は継続的に聴いていたけれど、日本人アーティストともなると渡辺貞夫のアルバムくらいしか手にとることはなかった。

 

 思えば、コルゲン・バンド時代から長いあいだ愛聴しつづけてきた、キーボーディストの鈴木宏昌がリーダーを務めるザ・プレイヤーズが解散したのも、ちょうどこのころだった。そう考えると、ぼくのフュージョン離れにしてもモダン・ジャズへの回帰にしても、そんな因果関係があるなかで起こった必然的なこととも思えてくる。いずれにしてもラーシュ・ヤンソンのレコードをショップで手にとったのは、なにか新しい音楽を体験したいという欲求からだった。この『サーダナ』(1981年)というレコードは、カプリース・レコードという未知のレーベルからリリースされたものだった。ぼくがこのレーベルがスウェーデンのストックホルム市に拠点を構えるレコード会社であると知ったのは、それより少しあとのことだった。

グランドピアノ、日本とスウェーデンの国旗

 ただ“カプリース”という単語は知っていた。クラシック音楽の一形式である奇想曲(イタリア語では“カプリッチョ”となる)を意味するものだからだ。とはいっても奇想曲に特定の音楽技法や形式はないわけで、本来“カプリース”がもつ“気まぐれ”という意味から、形式に縛られない音楽のことをそう呼称したのだろう。“カプリース”はもともとフランス語だけれど、スウェーデン語には多くの借用語が存在するから、このスカンディナヴィア半島に位置する森と湖に恵まれた小さな国の公用語においても、一般的な語彙のなかのひとつなのだろう。まあぼくはスウェーデン語に詳しいわけではないので、これについては飽くまで推測の域を出ないのだけれど──。

 

 ただ当時のぼくはラーシュ・ヤンソンのことはまったく知らなかったけれど、スウェーデンのピアニストであるということは容易に見当がついた。なにせ“ヤンソン”は、まずもってスウェーデン系の姓だ。たとえば小説家であり画家でもあるトーヴェ・ヤンソンは、フィンランドのヘルシンキ市の生まれだけれど、スウェーデン系のフィンランド人。それはぼくも知っていた。ご多分にもれず小学生のころぼくも読みあさった『ムーミン』シリーズは、原書はスウェーデン語で書かれている。ちなみに「ムーミンは動物?それとも人間?」と訊かれたトーヴェ・ヤンソンは「ヴァーレルセルです」と答えた。これはよく知られたハナシだ。スウェーデン語の“ヴァーレルセル”は、確実に存在するが名状しがたいものという意味。妖精ではなかったのだ。

 

 ちょっとわき道に逸れてしまったけれど、実際ぼくはショップで『サーダナ』を手にしたとき、いささか滑稽に映るかもしれないが、そんなふうに未知の音楽に思いを巡らせていったもの。こんなときは帰宅の途上も、買ったばかりのレコードのことでアタマがいっぱいになる。ぼくの勝手な想像は、膨らむばかりだ。ただしこのレコードを購入する気になったのは、ラーシュ・ヤンソンがスウェーデンのジャズ・ピアニストだったからで、ではなぜスウェーデンのジャズ作品にぼくががぜん興味を示したのかというと、ちゃんと理由がある。ぼくにはそれより少しまえに、すでにスウェーデンのジャズ作品を衝動買いして、それが思わず顔がほころぶほどまぐれ当たりだった経験があったのである。

 

 それはレッド・ミッチェル・トリオの『ワン・ロング ・ストリング』(1969年)というアルバムで、マーキュリー・レコードからリリースされたものだった。ミッチェルはニューヨーク出身のベーシストだけれど、1950年代からウェストコースト・ジャズのプレイヤーとして名を上げたひと。しかしながら彼は、1968年にストックホルム市に移住してから1992年にアメリカに帰国するまでのあいだ、長きにわたりスウェーデンで活躍した。その点でぼくにとってミッチェルは、ヨーロピアン・ジャズのヴィルトゥオーソというイメージが強い。それはもとはといえば、このストックホルムで吹き込まれた逸品の存在が大きいからだ。ぼくが手に入れたのはフランス盤だけれど、中古レコード店で捨て値同然で販売されていた。

 

ヤンソンは虚心坦懐的──音楽に対してすこぶるオープンマインド

 

 投げ売りされるくらいだから、そんなに期待はしていなかったのだけれど、フタを開けてみれば、このアルバムは予想外にきわめて優れた作品だった。ベーシストとしてはリーダー作の多いミッチェルだが、本作は間違いなく彼のスウェーデン時代の代表作であろう。あとで知ったのだが、本作はそのころ甚だ入手困難な激レア盤だったらしい。とはいっても一般的には渇望されるようなことはなかったらしく、当時いかにヨーロッパのジャズ作品の人気が低かったかがよくわかる。ヨーロッパは芸術音楽を生み発展させてきた土壌だけに、本場アメリカ産とは異なるテクスチュアをもったジャズを生み出しつづけている。しかしながら、流麗なメロディと心地いいハーモニーをもったヨーロピアン・ジャズが人気を博すようになるのは、まださきのことである。

 

 この『ワン・ロング ・ストリング』でピアノを弾いていたのが、ボボ・ステンソンだった。スウェーデンのヴェステロース市出身のステンソンは、いまでさえスウェーデンを代表する実力派ピアニストとして広く知られているけれど、当時のぼくは彼のことをまったく知らなかった。その後、彼はノルウェーのオスロ市出身のサクソフォニスト、ヤン・ガルバレクとクァルテットを組んで活動したり、自己のトリオでECMレコードにリーダー作を吹き込んだりして名声を手に入れた。また何度も来日していて、現在では日本にも多くのファンがいる。そんなステンソンのピアニズムの本質は、リリカルでトランスペアレント。しかもほどよい刺激と緊張感、そしてクラシカルなインテリジェンスをもちあわせている。

 

 そういうステンソンのプレイはいかにもヨーロッパ的だけれど、ぼくが偶然手に入れた『ワン・ロング ・ストリング』での彼のパフォーマンスは、若き日の吹き込みということもあり、なんとも瑞々しく響く。さらにスゴいのは、ステンソンがすでにバップ、モード、そしてフリーと、あらゆるスタイルを消化した独自のスタイルを築いているということ。彼が“北欧のチック・コリア”の異名をとるのも、よくわかる。ちょっと長くなってしまったが、要するにステンソンはぼくにとってはじめて聴いた北欧のジャズ・ピアニストで、もし彼の演奏に触れていなかったら、まったく素性の知れないラーシュ・ヤンソンのレコードを、ぼくが手にとることはなかったかもしれないのである。

グランドピアノとスウェーデンの民族衣装を着た猫

 ところでラーシュ・ヤンソンの『サーダナ』についてだが、自宅に帰って速やかに購入したばかりのアルバムの封を切り、レコード盤にドキドキしながらを針を落とすときの緊張感、そしてピアノの凛とした音が鳴り出して一気に清澄な空気が広がりはじめたときの感動を、ぼくはいまも忘れることができない。直感的というかほとんど一発勝負で購入したレコードが、これほど大当たりとなるケースには、ぼくもなかなか遭遇したことがない。そしてぼくにとっては、ヤンソンのピアノ・プレイの素晴らしさは、ステンソンの比ではなかった。彼の生命力溢れる運指としなやかな感性は、常人の域を超えていると、ぼくには感じられた。それから10年くらいあとに、ある批評家がヤンソンのことをステンソンに取って代わる逸材と云っていたが、いまさらなにを仰る──と、ぼくは思った。

 

 ちょっと偉そうな云いかたになってしまったけれど、調子に乗ったついでに云わせてもらうと、やはりおなじころ、ヤンソンのことをこれみよがしにビル・エヴァンスチック・コリアキース・ジャレットなどになぞらえるクリティックがしばしば見られたが、正直云っていいかげん嫌気がさした。むろんヤンソンは、それらの先達から幾ばくかの影響を受けているのかもしれない。しかしながら、ぼくは『サーダナ』をはじめて聴いたときからいまのいままで一度たりとも、ヤンソンのことを上記のピアニストたちに重ね合わせて考えたことはない。ぼくからすれば、エヴァンスは内省的、コリアは超絶的、ジャレットは自己陶酔的──ざっくり云うと、彼らはそんなふうに名状されるのである。

 

 ではヤンソンはどうかというと、本来そんな表現はないかもしれないけれど、語法を無視して強引に云わせてもらうと、虚心坦懐的ということになる。彼のピアノ・プレイからぼくがイメージしたコトバは、寛容、柔軟、開放的、無私無偏など。ひとことで云うと、ヤンソンは音楽に対してすこぶるオープンマインドなひとなのである。その圧倒的なエクスプレッションには、聴くものに絶えずポジティヴなイメージを湧かせるようなエナジェティックな力強さがある。それはエヴァンスにしても、コリアにしても、はたまたジャレットにしても、常にもち得るものではないと思われる。あとで知ったのだが『サーダナ』は、ヤンソンが30歳のときの吹き込みで初リーダー作でもある。スタートラインにあってこの貫禄とは、まったく驚異的である。

 

 この『サーダナ』は1981年4月13日から15日までノルウェーのオスロ市において、ラーシュ・ヤンソン(p, elp)、アンデシュ・ヨルミン(b)、アンデシュ・シェルベリ(ds, perc)といったトリオ・スタイルで吹き込まれた。楽曲はすべてオリジナルで、メンバー各々が個別に作曲し共作もしている。このトリオの興味深い点は、即興演奏においてときに衝突しときに和合するのだが、それらに偏りや矛盾が感じられないところ。アルバムを通して聴くと、きわめて統一感のある美しい音景が観えてくるのである。しかも彼らの演奏からは、ジャズにとらわれることのないフレキシブルな音楽性が伝わってくる。そしてラーシュ・ヤンソン・トリオが創造する広がりのある音楽には、まるでリスナーのこころをありのままの自分に還らせるような作用さえある。

 

 そういうある意味でジャズっぽくないところが、ヨーロピアン・ジャズの特徴でもあり、日本においてその音楽的な存在意義が広く認知されるまでしばし時間を要した原因でもあるのだろう。ヤンソンはアコースティック・ピアノだけでなくフェンダー・ローズ・エレクトリック・ピアノを好んで弾くし、おなじメンバーで吹き込んだセカンド・アルバム『トリオ 84』(1984年)では、積極的にシンセサイザーを使用している。なかでもヤンソンの自作曲「イン・メモリー・オブ・ビル・エヴァンス」における、ミニモーグによるしなやかなインプロヴィゼーションは、いまもぼくの脳裏から離れない。なんにせよ気ままに音楽生活を送るぼくには、端からそういう音楽を全面的に享受するようなところがあるので、ヤンソンの音楽はすぐにかけがえのないものとなった。

 

おすすめの1枚は、基本的には純然たるピアノ・トリオ作品

 

 ヤンソンのアルバムは、そのほとんどがラーシュ・ヤンソン・トリオ名義になっているが、一筋縄ではいかない。彼はレコーディングに臨むとき、むろん奇を衒っているわけではないのだが、まるっきり従来のピアノ・トリオの定石を踏むようなことはしない。ヤンソンは音楽を創造するとき、きわめて自由闊達なのである。たとえばサード・アルバムの『ジ・エターナル・ナウ』(1987年)では、まさに印象主義的な「ドビュッシー・ピース」という曲で、明鏡止水の境地に達したかのようなソロ・ピアノが披露されたあと、アブストラクトな美しさが光る「ジ・エターナル・ナウ」で、ローズとシンセ、チェロ、それにタブラー・バーヤの溶け合うようなアンサンブルによって、イマジナティヴな音世界が繰り広げられたりする。

 

 さらにフォース・アルバム『ア・ウィンドウ・トワーズ・ビーイング』(1991年)の中盤の1曲「ジ・アイ・オブ・コンシャスネス」では、デジタル・シーケンサーが打ち出す疾走感溢れるビートに乗って、オーボエが郷愁を誘うようなメロディック・ラインを奏でたあと、ピアノによるアドリブ・プレイがときにアウトしたりしながら躍動的に飛びまわる。またアルバムのラストを飾る「アトランティコ」では、ゆったりしたサンバのリズムとコンテンポラリーなハーモニーが交錯するなか、オーボエとピアノとがともに幻想的な風景を描いていく。この格調の高さを湛えたオーボエを吹いているのは、ノルウェーの自治体、オルクダル出身のブリンヤル・ホフ。彼はクラシック音楽の世界では著名な演奏家だけれど、そんな畑違いのアーティストを連れてくるところもヤンソンらしい。

 

 ヤンソンはピアニストとしてはもちろんのこと、コンポーザー、アレンジャーとしても卓越した才能の持ち主である。それ故か彼がジャズ・シーンにその名が轟きわたるようなスタンダード・ナンバーを採り上げることは、無きに等しい。ヤンソンが積極的にジャズ・スタンダーズに取り組んだ作品といえば、2010年にリリースされた『ホワッツ・ニュー』くらいのもの。この作品にしたって彼はジャズの伝統を継承するような演奏はしておらず、まるで過去を断ち切るようにジャズ・スタンダーズに新鮮な解釈を与えている。そこにある美しい旋律と和声、繊細さと躍動感とを兼ね備えた運指、そしてそれらが渾然一体となって生み出すほどよく緊張感のある清澄な空気は、従来のヤンソンの作品となんら変わりのないものだ。彼は揺るぎない独自の音世界をもったアーティストなのだ。

スウェーデンの田舎の風景

 アレンジャーとしては、スウェーデンの最有力ジャズ・オーケストラであり、海外ツアーを活発に推進し国際的にも高い評価を得ているボーヒュースレン・ビッグ・バンドにおいて、ヤンソンがこれまたスウィング・ジャズとはまったく異なるインプレッションを与える現代的なスコアを提供したことは、いまとなっては周知の事実である。また彼は自己のリーダー作『ワーシップ・オブ・セルフ』(2008年)においても、ピアノ・トリオに4名のストリングスと5名のウッドウィンズからなる、デンマークのチェンバー・オーケストラ、アンサンブル・ミッドヴェストを加え、ロマンティシズムとインプレッショニズムが交錯するような新しいジャズを披露した。その静謐を湛えた美しいスコアには、たいへん感服させられた。

 

 1951年2月25日スウェーデンのエーレブルー市に生まれたヤンソンは、7歳からピアノを弾いていたが、イェーテボリ大学歯学部に入学した当初は歯科医を目指した。しかしその2年後、彼の音楽に対する情熱は薄れることがなく結局、同大学音楽学部に編入した。その類まれな才能が埋もれずに済んだことは、音楽シーンにおいて非常に幸いだったと云える。そんなヤンソンによる感動的な音世界を多くのひとに知ってもらいたいのだけれど、最後に1枚、ぼくのおすすめを挙げておく。それは彼が長年所属することになるイモゲーナ・レコードからリリースされた、5枚目のリーダー作『インヴィジブル・フレンズ』(1995年)。一部シンセサイザーも挿入されるが、基本的には純然たるピアノ・トリオ作品なので、頑固一徹なジャズ・ファンのかたも入りやすいだろう。

 

 レコーディング・メンバーはラーシュ・ヤンソン(p, synth)、ラーシュ・ダニエルソン(b)、アンデシュ・シェルベリ(ds)。このトリオは前述の『トリオ 84』から『アイ・アム・ザット』(2004年)まで、およそ17年間つづいた。全14曲中1曲のみが3人の共作で、残りはすべてヤンソンのオリジナルだ。なんといってもオープナーの「インヴィジブル・フレンズ」がいい。軽やかなスウィング・ナンバーで、テーマはシンプルだが、にわかに部屋に新鮮な空気が入り込んでくるようなポジティヴなムードは絶品だ。ゆったりしたボッサ風の「ラーン・トゥ・リヴ」は、まるでヤンソンの優しいこころが伝わってくるかのよう。ベースのソロもたおやかだ。閑寂で柔らかな「ザ・グレート・ビロンギング」は、郷愁を誘う温もり感が素晴らしい。ベースのアルコ奏法にも癒される。

 

 シンセとアルコ・ベースによる「フリーダム・アンド・デスティニー I」は、幻想的なインタールード。そしてつづく「フリーダム・アンド・デスティニー II」では、情感のこもったピアノ演奏によってメランコリックな気配を帯びた美しいフレーズが綴られる。グルーヴィーな「アット・リースト・オフン」では、ドラムスが打ち出すバウンスするビート感と、ときにアウトするピアノの躍動感とに胸がすく。つづく「フリー・フォー・スリー」は、3人によって即興的に作られた曲。トリオは激しいフリー・ジャズを展開する。このあたりが前半のクライマックスとなっている。雰囲気を一転させる「ザ・ホワイト・クリフ」は、ややビターでコクのあるバラード。ピアノとベースの深みのある表現力を堪能することができる。つづく「オータム・ブルース」では、トラディショナルなブルースに革新的な解釈が与えられているのが面白い。

 

 ブルージーな4ビート「プレゼンス」では、3人の臨場感あふれるダイナミックなプレイが素晴らしい。アルバムのなかでは第2のハイライトとなっている。いささか緊張感をともなったボサノヴァ「ザ・クワイエット・マインド」では、張り詰めた空気が一瞬にして霧散するようなパートが美しい。いかにも、ヤンソンらしい曲だ。やはりおなじようなテンポの「ザ・リターン・トゥ・ゼロ」では、透きとおるような繊細さのなかに、ゴスペル・タッチが鏤められているのが妙味だ。アブストラクトな「アイ・ハヴ・ナッシング・トゥ・セイ・アンド・アイ・アム・セイイング・イット」では、フレキシブルなベースとリリカルなピアノとが緻密な美の世界を描く。シンセがオーヴァーダブされた瞑想的なピアノ・ソナタ「菩提樹の下で」は、高い芸術性と精緻な美的感性を感じさせる。この開放的な余韻は、並大抵のジャズ作品にはない。ヤンソンならではのものである。

 

(引きつづき『モア・ヒューマン』について、下の記事をお読みいただければ幸いです)

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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