Bill Evans Trio / Explorations (1961年)

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ビル・エヴァンスらしさが自然な形で顕現した傑作『エクスプロレイションズ』

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Album : Bill Evans Trio / Explorations (1961)

Today’s Tune : Elsa

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エヴァンスとの出会い──それは一間半四方の座敷でのこと

 

 いちばん好きなジャズ・ピアニストは──?と訊かれたら、ぼくは躊躇することなくビル・エヴァンスと答える。昔は違った。一時期はカッコつけて、マッコイ・タイナーレイ・ブライアントの名前を挙げていたこともある。高校時代にジャズ・ピアノを独学していたころは、ソニー・クラークウィントン・ケリートミー・フラナガンらのレコードを徹底的に聴いていた。彼らからは、スウィングすること、アドリブすることを学んだ。成人してからは、レッド・ガーランドを再評価するようになったし、ティエリー・ラングラーシュ・ヤンソンなどのヨーロッパのピアニストに強く惹かれたりもした。そしてコンテンポラリー・ジャズも含めて考えると、ぼくはいまもボブ・ジェームスデイヴ・グルーシンを敬愛しつづけている。

 

 しかしながらただひとりといえば、やはりエヴァンスなのである。ぼくは高校の卒業文集のなかの文章で、もっとも影響を受けたピアニストはエヴァンスであると断言している。そのあとさらにぼくは、エヴァンスのピアノ演奏に触れて自分の人生が大きく変わったとまで書いている。多感な時期でもあり、多少はもったいぶってもいたのだろう。それでもいま思えば、小学生のころクラシック・ピアノの個人レッスンを受けていたぼくは、エヴァンスのピアノ演奏にはじめて触れたとき、したたかカルチャーショックを受けたことは間違いない。ただそれだけでは、ひとの生きかたは変わらない。ぼくがエヴァンスという音楽家に出会ってもっとも変わったのは、それまでになく興味や関心が自己の内部に向かうようになったという点なのである。

 

 ビル・エヴァンス(1929年8月16日 – 1980年9月15日)は、ある意味で内向的なジャズ・ピアニストだ。そうでなければ、彼が音楽と向き合ったとき、あれだけ芯の強さを見せたり集中力を高めたりすることはないだろう。一見それはネガティヴとも捉えられかねないが、エヴァンスの芸術的とも云えるピアニズムがほとんどのジャズ・ピアニストの追随を許さないのは、実は彼が非常に内省的な音楽家であるからとぼくは観ている。エヴァンスには、常に過去の音楽を客観的に振り返りながら、そこから窺える自己の音楽について見つめ直し、ジャズという音楽を新たな音響芸術の高みにまで導こうとしているような、そんな風情が感じられるのである。それにはいささか耽美主義的傾向があるようにも思われるけれど、実際エヴァンスのピアノ演奏のマナーはとこしえに美しい。

ビル・エヴァンスと青色のグランドピアノ

 ぼくのエヴァンス初体験は、小学5年生のとき。なんだかドキドキするような云いまわしになってしまったが、云うまでもなく艶っぽい出来事はなにもない。むしろ色気とはまったく無縁の場所で、ぼくはエヴァンスの音楽にはじめて出会った。当時ぼくの父かたの伯父さんが中央本線の武蔵小金井駅まえで、ささやかな生鮮食料品店を営んでいたのだけれど、店の2階が住居になっていた。昭和ならではの間取りなのだが、わりと大きめなダイニングと4畳半くらいの個室が6部屋くらいあった。そして正月ともなると、親戚たちはそこに集い酒宴を張るのである。そんなときまだ小学生だったぼくは、上機嫌な酔っ払いたちに囲まれていたたまれない気持ちになっていたもの。そんなぼくに気を遣ってくれたのが、伯父さんの長男だった。

 

 ぼくとは10歳以上も歳の離れたその従兄はすでに成人していたから、酒席にも参加してちゃんとオトナの会話にもついていくことができた。それでも彼は、その場から逃げ出したいという気持ちでいっぱいのぼくに気づいてくれて、自分の部屋に連れて行って相手をしてくれたのである。従兄の部屋は一間半四方の座敷だったが、(ビルが隣接していたため)雨戸は閉めっぱなしになっており採光がまったくとれないので、視覚でものを認識するには天井にある吊り下げ式の照明器具だけが頼りだった。そしてその部屋の一隅には結構立派なオーディオ装置が鎮座しており、残りの三方には本やレコードがところ狭しと山積みされていた。そして従兄は、奇跡的に残された小さな空間にぼくを座らせ、ターンテーブルにレコードをのせたのである。

 

 実は従兄は酒盛りの席でぼくの父から、息子がピアノを弾き、ちょうどジャズがどんなものか興味津々であると聞いていたのだ。そして彼はぼくにまったく逡巡することなく、2枚のジャズ・アルバムを振る舞ってくれた。1枚は『バド・パウエル・トリオ』(1962年)というレコードだった。タイトルだけではよくわからないだろうから、一応説明させていただく。それはバド・パウエル(p)、チャールス・ミンガス(b)、マックス・ローチ(ds)による、1953年5月15日カナダのトロント市にあるマッセイ・ホールでの演奏が実況録音されたもの。パウエルの技巧的なピアノ・プレイも然ることながら、ミンガスとローチのダイナミックな演奏に感動させられた。ジャズはやはりカッコいい音楽だった──と、ひとりで嬉しくなったもの。

 

 念のために付け加えておくとこのレコード、その昔デビュー・レコードが発売した10インチ盤の音源に、バド・パウエル(p)、ジョージ・デュヴィヴィエ(b)、アート・テイラー(ds)によって別のナイトクラブで吹き込まれた4曲の未発表音源を加え、ファンタジー・レコードが新たにリリースしたもの。もちろん当時のぼくは、そんな事情は知る由もない。あとから考えると、このころのパウエルといえば、刑務所から出てきたばかりだった。統合失調症を患い日常生活や社会参加が困難な状態にあったわけで、すでにその演奏はいささか精彩を欠いていたはずだ。それでもジャズといえば父の所持するスウィング・バンドのレコードしか聴いたことがなかった当時のぼくには、パウエルのアドリブ演奏は小気味よく歌っているように思えたのである。

 

 ところでもう1枚のレコードのほうだが、それはマイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』(1959年)だった。こちらはいちいち説明する必要はないだろうが一応云っておくと、マイルスの代表作でありモダン・ジャズの歴史に残る名作でもある。パウエルの演奏もすごくカッコよく思えたのだけれど、ぼくにとってはマイルスの演っている音楽のほうがそれより数段衝撃的だった。まずはマイルスの技巧に走ることなく、叙情性に重点を置くようなプレイに好感を覚えた。とにかく音楽全体が美しい。いまでもこれほど耽美的なジャズ作品はほかにないと、ぼくは思っている。そうかといってマイルスの作品群には、スタイルに一貫性がないからか、ぼくが彼の音楽にのめり込むことはなかった。それでも本作だけは、いまに至るまで繰り返し聴いている。

 

酷評されるエヴァンスの作品とエヴァンスらしからぬ演奏

 

 つぎに『カインド・オブ・ブルー』で気になったのは、ピアニストだ。ぼくはこのアルバムでは「ソー・ホワット」と「フラメンコ・スケッチ」が特に好きなのだけれど、はじめて聴いたときは「ソー・ホワット」のイントロのピアノ演奏にシビレた。ピアノの個人レッスンを受けていたぼくは、そのころモーリス・ラヴェルクロード・ドビュッシーのピアノ作品が好きで先生に無理を云って弾かせてもらっていた。そして「ソー・ホワット」におけるピアノの序奏には、そういったフランスの印象主義音楽と共通するものが感じられたのである。その後も宙に浮いたような感じを与えながら、ところどころに美しいイディオムが交えられるようなところに、センスのよさが感じられた。そういう空気感を作り出すことに比重が置かれた様式は、まさに印象主義的だ。

 

 さらに「フラメンコ・スケッチ」のバラード演奏の美しさに、ぼくは得も云われぬ心地よさを覚えた。ここではまるでエリック・サティの作風のように、旋法が扱われることで独特の清澄な雰囲気が醸し出されている。一般的に『カインド・オブ・ブルー』はモード・ジャズの傑作との呼び声が高いけれど、もちろんこのときのぼくはモード手法がどういうものかは知らなかった。管楽器の静謐を湛えるソロの連鎖から、直感的にモードを感じていたのだと思う。そしてなによりもピアノが奏でる美しいハーモニーから、ぼくはこころの安らぎさえ得ることができた。さらに云えば同時に、このピアニストのコード感覚こそがアルバム全体のサウンドに大きな広がりをもたせていると、小学5年生のぼくはなんとなく感じていたのである。

 

 このピアニストが云うまでもなく、ビル・エヴァンスだった。従兄の部屋というあの狭い空間で味わった実に心地いい時間を、ぼくはいまも忘れることができない。なにせぼくにとってこの体験は、ジャズとの長年のつき合いの出発点であり、自分の人生を大きく揺さぶったエヴァンスとの出会いであもあるのだから──。なおこのハナシにはもう少しつづきがある。くだんの2枚を聴いたあと、今度はぼくのほうから従兄にエヴァンスのレコードをリクエストした。ところが彼はエヴァンスのことがあまり好きではなかったようで、レコードはほんの数枚しか所持していなかった。そこでぼくが手にしたのは『フロム・レフト・トゥ・ライト』(1971年)だった。くわえタバコに右手でフェンダー・ローズ、左手でスタインウェイという、ジャケットがキャッチーなあれだ。

ビル・エヴァンスと赤色のピアノ

 結局ぼくが最初に聴いたエヴァンスのリーダー作は、奇しくも『フロム・レフト・トゥ・ライト』ということになってしまった。むろん本作は、間違ってもエヴァンスの代表作とは云い難い。ぼくの従兄もこのレコードをターンテーブルにのせるときには「面白くないぞ」と、ひとこと添えた。でもぼくにしてみれば、少しも興ざめするようなところはなく、楽しんで聴くことができる作品だった。もともとローズの音色は好きだったし、マイケル・レナードによるストリングスとウッドウィンズもなかなかいい。アルバムの冒頭に、ぼくが当時から好きだったミシェル・ルグランの「これからの人生」が置かれているのにも、親近感が湧いた。そういえば、エヴァンスと関係の深いアール・ジンダースや、その後ぼくが影響を受けることになるブラジルの音楽家、ルイス・エサの曲も入っている。

 

 そんなわけで、イージーリスニングと云ってバカにする向きもある『フロム・レフト・トゥ・ライト』はいまになってみると、ぼくにとっては案外いいことづくめだったりする。なぜ多くのジャズ・クリティックから酷評されるのか、ぼくには理解できない。オーケストラとの共演だからか、それともエレクトリック・ピアノやエレクトリック・ベースが入るからか、はたまたオーバーダブのせいか若干音質が劣化しているからか、いずれにしてもぼくにとっては、一向に目くじらを立てる理由にはならない。まだクラウス・オガーマンがオーケストレーションを担当した『プレイズ・V.I.P.s・アンド・グレイト・ソングス』(1963年)が、エヴァンスらしくない作品としてそしりを受けるのはわかるのだけれど──。

 

 エヴァンスらしくないといえば、ぼくが真っさきに思い浮かべるのは西海岸で活躍したドラマー、シェリー・マンとの共演作『エンパシー』(1962年)かな──。これはなかなかやっかいな作品だ。アルバムの滑り出しで、いきなりコケる。アーヴィング・バーリンのブロードウェイ・ナンバー「ワシントン・ツイスト」でのエヴァンスのプレイが、まるで彼らしくない。ユーモラスにスウィングするブルージーな展開は、まえにも云ったように内省的な音楽家とも観られるエヴァンスとは、まるで別人のパフォーマンスだ。さらにリチャード・ロジャースの映画音楽「我が心に歌えば」では、それまでスムースに進行していた演奏が後半でいきなりエスプリを効かせたアヴァンギャルド風になる。こういうアソビは、エヴァンスには似合わない。

 

 このアルバムの一風変わったタイトルが示唆するのは、滅多に見られないエヴァンスの共感力のことだったのだろうか。ひねくれた見かたをすると、それはレゾンデートルを二の次としシェリー・マンのパーソナリティとテクニックに感情移入するようなエヴァンスのプレイを、臆面もなく新機軸として作品の呼びものにしているようにも思われる。変なスカルプチュアがあしらわれたジャケットも、奇を衒っているように思われる。とはいえこのアルバム、繊細な語り口で描き出される美しきノスタルジーが光る「ダニー・ボーイ」や、リリカルでモダンなフレーズが淀みなく綴られていき都会的なムードを醸し出す「アイ・ビリーヴ・イン・ユー」といったエヴァンス屈指の名演もあり、まったくやっかいである。

 

 ただウワサによると、このアルバムに観られるユーモアのセンスが発揮された(?)パフォーマンスを、当のエヴァンスはけっこうノリノリで演っていたらしい。そう聞くとなにやら彼のひょうきんとも云いたくなるようなネアカな一面が伝わってくる。よく紳士然としたひとが意外にも下ネタをかましたりすることがあるけれど、感受性が繊細で敏感だったであろうエヴァンスにも、テンションが高まり饒舌になるときがあるのだ。一見矛盾しているようにも思われるけれど、演奏家として実は自己の一貫性と相反するような表現力も具えていて、ときにアサーティヴなプレイを繰り広げる彼に、ぼくは人間らしい温かみさえ感じるのである。これは一例に過ぎないが、エヴァンスの作品にはそれ相応とは云えないものがままある。

 

これぞエヴァンス、これこそぼくにとってのジャズ

 

 それはともかく、従兄の部屋でジャズにというよりもエヴァンスという音楽家に強い関心をもったぼくは、彼のリーダー作を手当たり次第聴いていくことになる。最初に購入したのは『ザ・ビル・エヴァンス・アルバム』(1971年)だった。偶然にもフェンダー・ローズが導入された作品だが、そのせいか一般的にはあまり人気がないようだ。だが実は傑作だ。このレコードをぼくがいちばんに手に取った理由は、タイトルどおり収録曲がすべてエヴァンスのオリジナルだから。とにかく彼のことを知りたいという一念からの選択だった。幸いなことにこの作品では、エヴァンスの音楽家としての輪郭が余すところなく浮き彫りになっていた。クリエイター、インプロヴァイザーとして圧倒的な彼を、ぼくはこのアルバムで目の当たりにしたのである。

 

 この『ザ・ビル・エヴァンス・アルバム』は、ぼくがエヴァンスの音楽を俯瞰するときマイルストーンのような役割を果たす。つまりエヴァンスの作品を遡るとき、常にこのアルバムが起点となる。逆にリアルタイムで彼のアルバムを聴いたときがそうであったように、順行して彼の作品に触れていくときもまた、本作が基準となるのである。本作でのエヴァンスの演奏が彼の音楽性の全容とまでは云わないが、ここまでエヴァンスらしさが見極められる作品はほかにないのではないだろうか。なにせ金太郎飴ではないが、どこを切ってもエヴァンスの顔が現れるのだから──。特にあまり着目されることのないエヴァンスのサウンド・クリエイターとしての側面も、ここでは明らかになっている。

 

 たとえば、1曲目のピアノがエッジの効いたフレーズを放出させまくる「ファンカレロ」の出だしに注目していただきたい。後半のブルース・フィーリングが溢れるスタインウェイ・ピアノのドライヴ感も然ることながら、テンポ・ルバートでのフェンダー・ローズのひずんだ音色がもたらす緊張感がクール過ぎる。また、あまりにも有名な「ワルツ・フォー・デビイ」は、まるで水面に映る朝靄の光のように美しいアコースティック・ピアノによるイントロから、リリカルというよりもめちゃくちゃラヴリーなエレクトリック・ピアノによるテーマへと円滑に進行する。途中ベース・ソロを挿んでふたたびアコースティック・ピアノが登場し、正面からアクティヴでスウィンギーなイディオムを並べていく。実に独創的かつ生産的な発想による、構成力の妙である。

ビル・エヴァンスと緑色のピアノ

 

 確かにエヴァンスの場合、意欲的な作品ほど彼らしくなかったりする。ただしこのフェンダー・ローズの採用に関しては、明らかに彼の音楽において有効な手段だったと、ぼくは思う。ローズによるサウンド・エフェクトが、楽曲に新鮮な空気を与え、その展開をよりドラマティックなものにしているからだ。もしジャズ・ハープのパイオニア、トゥーツ・シールマンスとの共演作『アフィニティ』(1979年)においてローズが使用されなかったら、あれほど美しい音世界を創造することはできなかっただろう。なおエヴァンスは最後のスタジオ・レコーディングである『ウィ・ウィル・ミート・アゲイン』(1979年)においても、ローズを使用している。こういうフレキシビリティもまた、エヴァンスらしさなのである。

 

 ではもっともエヴァンスらしさが自然な形で顕現しているのはどの作品かといえば、ぼくの個人的な見解では彼の自作曲は皆無だが『エクスプロレイションズ』(1961年)ということになる。まさにここにある音楽に触れて、自分の人生は大きく変わった。なんといっても本作は、ものおじせずインナー・トリップの壮途に就くことの大切さを教えてくれたのだから──。早世の天才ベーシスト、スコット・ラファロが参加した俗に云う4部作のうちの2作目。ドラムスはポール・モチアンで、1961年2月2日ニューヨークにおいて一気に吹き込まれた。お断りしておくが、ぼくは4部作かつラファロの崇拝者ではない。各々の作品をエヴァンスの才能の一部が最良の形で発揮されたものと捉えるばかり。既存の風評とは関係なく『エクスプロレイションズ』は素晴らしいと、ぼくは思うのである。

 

 本作はジョン・キャリシの「イスラエル」に漂うスモーキーな気配を味わうだけでも極上の作品と云える。そこには主観的表現もなく熱い情緒や感動的なストーリー性もない。エヴァンスはまさに印象主義音楽のように、静と動のコントラストで淡々と美しい空気を作っていく。だが彼の内面世界では、静かで激しい炎がメラメラと燃えているのだ。それはマイルス・デイヴィスの「ナーディス」においても同様。ラファロにしてもモチアンにしてもエヴァンスに寄り添うように、無彩色の世界を描き出している。こういうムードこそ、ジャズそのものだ。そういった空気を保持しながらチルアウトしたのがアーヴィング・バーリンの「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」であり、軽妙なスウィング感を加味したのがガス・アーンハイムジュールス・ラメアとの共作「スウィート・アンド・ラヴリー」だ。

 

 本作でエヴァンスは、バラード・プレイにおいても真骨頂を発揮している。以下の2曲は、素朴でありながら絶品。ハリー・ウォーレンの「アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー」では、洗練されたリハーモナイズと玲瓏なフレージングにより、直接的な情景描写はされず雰囲気を示唆することにとどめられている。そこが都会的だ。アーサー・シュワルツの「魅せられし心」では、いささかセンチメンタルにはなるがピアノの訥々とした語り口が優しい香りと深い味わいを引き立てている。ぐっとテンポを落としたなかでのトリオの調和も絶妙である。唯一ヴィクター・ヤングの「ビューティフル・ラヴ」では、トリオによるシンプルなバウンスとインタープレイが繰り広げられる。ピアノのブロック・コードが疾走。メロディの崩し具合もいかにもエヴァンスらしい。

 

 前曲からのつなぎが素晴らしい──。このアール・ジンダースの「エルザ」こそ、ぼくの人生を変えた1曲。不安さえ抱かせるような繊細なイントロからそれを払拭するような艶やかさと軽やかさをもつテーマへの移行が、得も云われぬ感動を呼ぶ。静謐を湛えた官能的なワルツの律動がリスナーの身体を軽くする。アドリブ・パートでは、それまでの夢見心地な気分から突然都会的な空気がなだれ込む。エヴァンスによる右手のシングル・ノートと左手のコンピングとのタイム感覚、そしてブロック・コードのシンコペーションが、どこまでも洗練されたムードを高めていく。これぞエヴァンス、これこそぼくにとってのジャズ。この圧倒的な存在感──やはりエヴァンスは、ぼくにとってただひとりのピアニストなのである。

 

 記事の更新は、今年はこれが最後。1年間お付き合いいただき、ありがとうございました。また2025年にお会いしましょう。みなさんに素晴らしい1年が訪れますように──。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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