The Three Sounds / Introducing The Three Sounds (1958年)

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ブルーノート・レコードが生んだ不世出のピアノ・トリオ・スタイルのジャズ・アンサンブル、ザ・スリー・サウンズの記念すべきデビュー・アルバム『イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ』

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The Three Sounds / Introducing The Three Sounds (1958)

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サウンドに偏りがなくトリオ・プレイは一様に過不足なく調和がとれている

 

 ぼくはいわゆるレコード・コレクターではないので、大好きなジャズに関してもあまりディープな知識はもち合わせていない。それでも名門ブルーノート・レコードのアルバムには、主に発売時期によって割り当てられたカタログ番号というものがあり、そのモダン・ジャズの黄金期を築いた歴史的名盤は、大まかに1500番台と4000番台といったシリーズに分けられることくらいは、ぼくでも知っている。そして、なんとなくだけれど、1500番台と4000番台といったふたつのシリーズには、異なるイメージをもっている。簡単に云うと、1500番台は1950年代のジャズ、4000番台は1960年代のジャズといった印象を与えるのだ。さらに云えば、1950年代はモダン・ジャズの草創から成熟への時期、1960年代以降はその大衆化から爛熟への時期と感じられる。

 

 具体的には、1500番台は、12インチLPレコードの本格的なスタートとなったシリーズ。マイルス・デイヴィスジョン・コルトレーンアート・ブレイキーソニー・ロリンズなどの作品が集中するが、そのカタログにはいわゆる歴史的名盤がズラリと並ぶ。それに対して4000番台は、ハード・バップからモード・ジャズ、さらにフリー・ジャズへと向かう時代のシリーズ。ハンク・モブレーウェイン・ショーターハービー・ハンコックなどの個性的なラインナップは非常に魅力的で、一般的にも人気が高い。なぜならこの4000番台のカタログには、モダン・ジャズといってもハードルの高い作品ばかりではなく、ビギナーからディガーまでカジュアルに楽しめるようなアルバムがたくさんあるからだ。それは、ブルーノート作品が世代を超えて聴き継がれる理由のひとつでもある。

 

 ところで、ブルーノートのカタログにはBLP-1600という番号をもつレコードがある。むろん1600番台というシリーズは存在せず、このアルバムは1500番台の最後を飾る作品とされている。面白いな。ただこのアルバム、1500番台のシリーズに組み込まれる場合、確かに数字的には不整合なのだが、その特例である1600というカタログ番号から、いみじくも1500番台のその他の作品とは明らかに異なるコンテンツを抱えているということを暗示するに至った。このBLP-1600は『イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ』(1958年)というレコードだが、云うまでもなくピアノ・トリオ・スタイルのジャズ・アンサンブル、ザ・スリー・サウンズのデビュー・アルバムである。このグループ、実は4000番台のカタログにおいては、最多出場アーティストとなっている。

ピアノを弾く犬とテーブルでカクテルを飲む猫のイラスト

 ザ・スリー・サウンズといえば、ブルーノート・レコードが輩出した、押しも押されもせぬモダン・ジャズの人気グループ。ピアノのジーン・ハリス、ベースのアンディ・シンプキンス、ドラムスのビル・ダウディと、メンバーはみな確たる実力の持ち主だが、我田引水なプレイを展開するものはいない。そのサウンドは極端に偏ることがなく、3人の演奏は一様に過不足なく調和がとれている。そして、このバランスのとれたコンビネーションが、ジャズという音楽の楽しい部分を自然に引き出している。こういうピアノ・トリオは存外少なくて、ブルーノートがこのトリオを“ジーン・ハリス・トリオ”ではなく、敢えてグループ名義でデビューさせたのも、大いに得心がいく。しかもブルーノートがこのグループを積極的に売り込もうとしていたのは、明々白々である。

 

 ザ・スリー・サウンズは、1958年9月16日、28日に『イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ』の吹き込みを行ったあと、大手のヴァーヴ・レコードに引き抜かれ1962年10月13日にアルバム『ブルー・ジーンズ』(1962年)のレコーディングを行うまでの4年間、ルー・ドナルドソンスタンリー・タレンタインとのコラボレーション・アルバムを含めると、ブルーノートから9枚ものリーダー作を発表したことになる。しかも驚くなかれ、その吹き込みのうちの40曲以上が、シングルカットされているのだ。この間、ザ・スリー・サウンズはアメリカ国内で頻繁に演奏ツアーを行い、各地のジャズ・クラブにおいて多くのファンを獲得した。そのサウンドが孕んだポピュラリズムは、一部の有識者からは批判を受けたが、一般的には広く歓迎されたのである。

 

 ときにブルーノート・レコードといえば、一般的にどんなアーティストが思い浮かべられるのだろう。ぼくは音楽に関しては偏食家なので参考にはならないかもしれないけれど、狭量な見識で恐縮だがここに独断と偏見で、ぼくにとってのブルーノート・アーティスト・ベスト5を挙げておく。このレーベル、モダン・ジャズの黄金時代、そしてハード・バップを象徴するだけに、管楽器のスター・プレイヤーを多く抱えるという印象が強い。しかしながら自分は幼いころからピアノを弾いていたし、それ故ピアニストの作品を多く聴くので、ここはピアニストに絞り込んでみたい。したがって、比類なき名盤を数多く残したという点で、まずホレス・シルヴァーハービー・ハンコックは、文句なくベスト・アーティストに入るだろう。

 

 つづいてレーベルへの貢献度からすると、ソニー・クラークデューク・ピアソンもまた然りである。では残りのひとりはというと、これがちょっと逡巡してしまうのだ。ケニー・ドリューウィントン・ケリーはとても好きなのだけれど、いささかアルバムが少ない。マッコイ・タイナーは、圧倒的にインパルス! レコードの作品のほうが好み。チック・コリアセシル・テイラーも、私感ではブルーノートのひとではないように思われる。ビバップ・スタイルの第一人者であるバド・パウエルの場合、ブルーノート作品に芸術的かつ神がかったかつての彼は、もういない。アルバム単位だったら、ウォルター・デイヴィス・ジュニアユタ・ヒップハービー・ニコルスなども注目の的なのだが、なにぶんリーダー作が少ないのでランクインは見送られる。

 

 それにしても、改めてブルーノートにおけるピアニストのリーダー作を思い浮かべていくと、案外たくさんあるものだ。それでも、ホーン奏者の作品がパッとイメージがひらめくのに対して、ピアニストのそれとなるとにわかにチョイスするのはなかなか困難と云える。そんなわけで、最後のひとりはやはりホレス・パーランあたりに落ち着くのだろう。彼のレコードをはじめて聴いたときは、ぼくもその独特のピアノ・スタイルに目からウロコが落ちるような気持ちにさせられた。それはコンプレックスを克服して可能にしたというか、制限があったからこそ生み出すことができた、パーランならではの斬新な演奏法。ぼくも彼のブルーノート作品は、いまも愛聴しつづけている。と、ここまでで、ふとジーン・ハリスが入っていないことに気がつくのだ。

 

ブルーノート復帰後はかつてのコンビネーションの魅力がすっかり薄まる

 

 ハリスのピアノ・スタイルをひと言で云うと、それは中庸ということになる。ソウルフルではあるけれど、ラムゼイ・ルイスほどアーシーではない。ハッピー・フィーリングが際立つが、オスカー・ピーターソンほど弾きまくらない。また、しばしばブロック・コードを使用するけれど、レッド・ガーランドの弾きかたほどユニークではない。つまりハリスのピアニズムは、いま挙げた3人のように一極集中するようなことはなく、常に過不足がなく調和がとれているのである。それを無個性と云ってしまえばそれまでなのだが、3人のもつスピリットを兼ね備えたハリスのスタイルは、裏を返せばリスナーにモダン・ジャズの楽しさのエッセンスを満遍なく与えるものとも云える。その点、気軽にジャズを楽しめるというところが、最大の魅力となっている。

 

 そういうハリスの音楽性は、ザ・スリー・サウンズのもつ固有の性質にそっくりそのまま当てはまる。このトリオは、いわばブルーノートきっての愉快な音楽隊。どちらかというと硬派なレーベルという印象を与えるブルーノートにおいて、このトリオはひときわ異彩を放っている。彼らがプレイするのは、レイドバックでエンジョイアブルなモダン・ジャズ。おそらくブルーノートにおいて、これほど鷹揚で楽しげにスウィングするジャズを聴かせるアーティストは、このトリオをおいてほかにいないだろう。ザ・スリー・サウンズには、前述のヴァーヴをはじめ、マーキュリー、ライムライトといったレーベルにも吹き込みがあるのだけれど、どれもブルーノートでの諸作には到底およばない。それらの点を踏まえると、このトリオは異形でありながら、ブルーノートならではの存在とも云えるのである。

 

 とはいえ、ザ・スリー・サウンズが最初に契約を結んだのは、ブルーノート・レコードではなくオリン・キープニュースビル・グラウアーが設立したリヴァーサイド・レコードだった。初レコーディングは、奇しくも『イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ』のそれとおなじ1958年の9月のこと。コルネティストのナット・アダレイをリーダーとするセッションで、テナー奏者のジョニー・グリフィンとともにザ・スリー・サウンズが参加した。このときの音源はアダレイのアルバム『ブランチング・アウト』(1958年)としてリリースされた。このアルバム、発売されたのがなんと『イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ』とおなじ、1958年の12月のことである。アダレイとグリフィンとの刺激的なフロントラインも然ることながら、ザ・スリー・サウンズのファンキーなプレイが軽妙だ。

ダブルベースを弾く犬とテーブルでカクテルを飲む猫のイラスト

 ザ・スリー・サウンズは、もともと1956年にミシガン州ベントン・ハーバーで結成されたフォー・サウンズというバンドだった。メンバーには、ハリス、シンプキンス、ダウディのほかに、サクソフォニストのロニー・ウォーカーがいた。1957年にウォーカーが脱退すると、残りの3人はまずワシントンD.C.に、次いでニューヨーク・シティに移動し、ザ・スリー・サウンズとして活動を開始した。前述のように一時的にリヴァーサイドと契約していたが、1958年、ニューヨークのオフビート・クラブに出演中、来店していたブルーノートの創設者、アルフレッド・ライオンに見初められた。なんとその場で、ブルーノートとの契約が成立。そしてその数日後には、早くもデビュー・アルバム『イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ』が吹き込まれたのである。

 

 なお、ザ・スリー・サウンズをライオンに薦めたのは、ホレス・シルヴァーだったという。云うまでもなくシルヴァーは、ジャズの黄金期を支えた音楽家のひとり。彼のグループが奏でるサウンドには、従前のバップ・スタイルをより上のステージにもっていったような感じがある。そういう意味では、ハード・バップの立役者のひとりとも捉えられる。さらに云えば、シルヴァーは単なるジャズ・ピアニストではなく、音楽の方向性を明確にし、それに沿って楽曲をハイスペックなものに仕上げるという、卓越した才能をもつ音楽家なのだ。彼が制作したアルバムは、リスナーが充分に楽しめる作品として、いつでも高い水準に達している。大衆がなにを望んでいるかをを見抜く鋭い見識をもつシルヴァーの推薦があったからこそ、ライオンもザ・スリー・サウンズを積極的にアピールしたのだろう。

 

 実のところザ・スリー・サウンズは、ハード・バップ、ファンキー・ジャズ、モーダル・ジャズ、あるいはフリー・ジャズなどが混沌とした1960年代において、常にフレッシュなリラクゼーションをリスナーに提供していた唯一のバンド。肩肘を張らないプレイを展開するピアノ・トリオという点では、右に出るものはいないだろう。ソフィスティケーションやポップ性に関しても、同時代のピアノ・トリオのなかでも、もっとも先を行っていたように思われる。当時のジャズ・シーンにおいて、オリジナル・チューンで勝負するアーティストが多いなか、逡巡せずジャズ・スタンダーズをまえ向きに演奏していたのもザ・スリー・サウンズだった。しかもそのサウンドは、ファンキーでありながらエレガントでもある。それゆえ彼らのレコードは、いま聴いてもとても新鮮に響くのだ。

 

 そんなザ・スリー・サウンズは、前述のように一旦ブルーノートを離れたあと、所属レーベルをヴァーヴ、マーキュリー、ライムライトといった具合に転々とし、1966年に古巣に舞い戻る。しかしながら、このころからドラマーがカリル・マディドナルド・ベイリーカール・バーネットと交替し、ベーシストもアルバム『ソウル・シンフォニー』(1969年)から、長年トリオのボトムを支えてきたシンプキンスに替わりヘンリー・フランクリンになる。ブルーノート復帰後のザ・スリー・サウンズは、ハリスがオルガンを弾いたり、オリヴァー・ネルソンモンク・ヒギンズらのアレンジによるオーケストラと共演したり、サウンド的にもソウル・ジャズへ傾倒する。作品のクオリティは決して低くはないのだが、かつてのコンビネーションの魅力はすっかり薄まったと云える。

 

 ちなみに、ハリスはバンド名を冠した最後のアルバム『ザ・スリー・サウンズ』(1971年)を吹き込んだあと、ついに個人名義の純然たるソロ・アルバム『ジーン・ハリス・オブ・ザ・スリー・サウンズ』(1972年)を発表する。アルバム・タイトルには相変わらず“ザ・スリー・サウンズ”が付されているが、同グループのメンバーは一切参加していないので、まさしくハリスのリーダー作と捉えられる。初期のモータウン・サウンドを支えたウェイド・マーカスをアレンジャーとして迎えた本作は、かなりソウル色が強くなってはいるものの、まだ4ビートを演っていたりする。おなじブルーノート作品でも、BNLAシリーズの『イン・ア・スペシャル・ウェイ』(1976年)のようなジャズ・ファンク・アルバムではない。面白いのは、本作がブルーノート4000番台、最後の作品に当たること。なんだか、運命めいたものが感じられる。

 

3人の構造的かつ機能的に繋がるプレイの妙味がすでに充分発揮されている

 

 ザ・スリー・サウンズの演奏は1970年まで、そしてジーン・ハリスのソロ・アーティストとしての吹き込みは1998年まで音盤で聴くことができるのだが、ハード・バップ、ポスト・バップ、ソウル・ジャズ、ジャズ・ファンクと、時代の趨勢とともに装いが変わっていても、それらのなかに出来損ないの作品が1枚もないのに驚かされる。それは、ハリスの柔軟な音楽性に依るところが大きいのではなかろうか。彼は9歳からまったくの独学でピアノを弾きはじめ、地元べントン・ハーバーのバンドで初舞台を踏み、1951年から1954年までアメリカ陸軍の第82空挺師団の軍楽隊で演奏し腕を磨いた。除隊したあとはふたたび地元で演奏活動を行い、前述のようにフォー・サウンズを結成する。ソウル志向でありながらエレガントな雰囲気をもつピアノ・スタイルは、不思議なことにどんなジャンルにもフィットした。

 

 そんなハリスの風格を漂わせるプレイは、間を活かしたコンセプト、軽快なタッチ、そして控えめなエクスプレッションから来るのだろうが、そういうところは、ちょっとアーマッド・ジャマルを彷彿させる。ただ個人的には、ピアノ・トリオのコンビネーションが最大に発揮された、ザ・スリー・サウンズでの演奏が好きだ。そしてやはり、1958年から1962年までの第一次ブルーノート時代の吹き込みがいい。移籍後にも1959年から1962までの吹き込みが『ヘイ・ゼア』(1962年)『イット・ジャスト・ガット・トゥ・ビー』(1963年)『ブラック・オーキッド』(1964年)『アウト・オブ・ディス・ワールド』(1966年)『ベイブス・ブルース』(1986年)『スタンダーズ』(1998年)と、どしどし音盤化されたが、どれも及第点に達するアルバムだ。

 

 いささか余談になるが、ぼくにとってザ・スリー・サウンズのアルバムのなかで、特に思い入れがあるのはデビュー作の『イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ』である。個人的なハナシで恐縮なのだけれど、(せいぜい校内放送レベルだが)高校時代に生徒会長のNくんと制作したラジオ番組で、このレコードに収録されている「テンダリー」をテーマ曲として使っていた。チャチャチャ調のリズムが心地よくて、番組の気さくな雰囲気にピッタリだった。ただこのアルバムが出色の出来なのかというと、そういうわけではない。繰り返しになるが、1958年から1962年までに吹き込まれたブルーノートの作品群は佳作揃いで、いわゆるハズレがない。云いかたを変えると、それらにあまり大差はないということになる。

ドラムスを叩く犬とテーブルでカクテルを飲む猫のイラスト

 というわけで、ザ・スリー・サウンズのアルバムを手にとるとき、たとえばお気に入りのジャズ・スタンダーズが収録されている──というような理由で、気軽に選んでみてはいかがだろう。おそらくもっともポピュラーなのは、やはり(ルー・ドナルドソンとの共演盤を入れると)5枚目のアルバムに当たる『ムーズ』(1960年)だろう。人気の理由の半分は、麗しく艶やかな女性のお顔があしらわれたジャケットの恩恵による。このご婦人、ラジオ番組のDJでのちにライオン社長の2番目の奥さまになるルース・メイソンというひと。ソニー・クラークの『クール・ストラッティン』(1958年)のジャケットに写っている、あの有名な美脚の主も彼女である。そして残りの半分は、収録曲がジャズ・スタンダーズばかりであるということだろう。お馴染みの曲にエスプリの効いた味付けがなされているところが、一段と楽しい。

 

 そういう経緯から、今回は最後にブルーノートが生んだ不世出のピアノ・トリオ・スタイルのジャズ・アンサンブル、ザ・スリー・サウンズの記念すべきデビュー・アルバムであり、個人的にも最初に聴いた彼らのレコードとなる『イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ』について、具体的にご紹介したい。そのまえに付け加えておくと、実はこのアルバムには続編が存在する。タイトルはズバリ『イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ Vol. 2』(1985年)といい、1958年9月16日、28日のセッションの未発表曲集である。ただしハリスのオリジナル「MO-GE」だけは、シングル盤で発表済み。デビュー作のジャケットがオレンジ色であるのに対しイエローグリーンのこの続編、ぼくは大学生のときに購入したのだけれど、あとにもさきにも日本国内でしか発売されていない。

 

 なお同日のセッションのうち残りの3曲は、3枚目のアルバム『ボトムス・アップ』(1959年)に収録されている。また、日本独自の続編『イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ Vol. 2』の6曲は、レコードが発売された翌年にデビュー作の8曲とともに、東芝EMIが発売したCD『イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ+6』(1986年)に収録された。いずれにしても、このときのセッションには一聴の価値がある。3人の構造的かつ機能的につながるプレイの妙味は、すでに充分発揮されている。ハリスはここで、1950年代に流行ったジャズ・スタンダーズにヒップなアレンジを施したり、リラクゼーションに富んだ自作のブルース・ナンバーを提供したりしている。そんな彼のブルース志向を、シンプキンスとダウディは見事に汲み取っている。その一体化したサウンドを、ぜひお楽しみいただきたい。

 

 アルバムはウォルター・グロスの「テンダリー」からスタート。ピアニストからシンガーまで数多くのアーティストが採り上げている名曲だが、ぼくはザ・スリー・サウンズのチャチャチャ調のアレンジが昔から大好き。モダンな感じのイントロ、ピアノのブロック・コードによる軽快なメロディック・ライン、そして4ビートでのほどよくブルージーなソロと、総じて肩の力の抜けた演奏が絶妙だ。つづくアン・ロネル「ウィロー・ウィープ・フォー・ミー」では、スローテンポでピアノがややアンニュイな感じでテーマを歌ったあと、ダブルタイムになって歯切れのいいフレーズを綴っていく。エンディングもきわめて爽快だ。ハリスの「ボス・サイズ」では、ゴスペル調のグルーヴに乗って、ハリスのブルージーだけれどライトなピアニズムが全開する。アップビートな感覚に胸が弾む。

 

 A面最後の曲となるハリスの「ブルー・ベルズ」は、落ち着いたブルースフィール溢れるナンバー。ハリスはピアノとともにチェレスタも弾いているが、それ故口当たりのいいタッチに上品さと軽やかさが増している。短尺ながらベース・ソロも、打ち解けた雰囲気をあと押ししている。B面はハリスの「イッツ・ナイス」からスタート。シャッフルするリズムと洗練されたコード進行が都会的。冒頭の「テンダリー」と同様に、ブロック・コードやコンピングの小気味よさが際立ったハリスの特徴的なスタイルが顕著に現れている。つづくハリスの「ゴーイング・ホーム」は、カジュアルなブルース・ナンバー。ピアノとチェレスタがともにかなりソウルフルなフレーズを綴っているが、極端にアーシーにならないところが、ザ・スリー・サウンズならではのサウンドである。

 

 ディジー・ガレスピーの「ウッドゥン・ユー」では、三位一体のバップ然としたプレイが展開される。アルバム中唯一のアップテンポで、スウィンギーなピアノのアドリブ、俊敏なランニング・ベース、勢いよく降り注ぐようなドラム・ソロと、どこをとっても痛快である。アルバムを締めくくるアルフレード・マッツッキの「オー・ソレ・ミオ」は、ジャズ史上に残る名演と云ってもいいのではなかろうか。原曲のもつ地中海ならではの明るく情熱的なムードが維持されながらも、軽快なキューバ起源のリズムが採り入れられており、ハリスのピアノも一段とファンキーな装いを彩っている。この鷹揚というか、ゆったりとしながらも品格を感じさせるサウンドこそ、ザ・スリー・サウンズならではのもの。南欧風のリフによるフェードアウトも、爽やかな余韻を残す。この感じが、最高なのだ。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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