Henry Mancini / Mancini Plays The Theme From Love Story (1970年)

シネマ・フィルム
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ヘンリー・マンシーニのもっともマンシーニらしくもっともイージー・リスニングなリーダー・アルバム『ある愛の詩/マンシー二 最新スクリーン・ヒット曲集』

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Album : Henry Mancini / Mancini Plays The Theme From Love Story (1970)

Today’s Tune : Whistling Away The Dark

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マンシーニの音楽を端的に云い表すとオシャレのひとことに尽きる

 

 何度となく云ってきたけれど、ヘンリー・マンシーニはある意味で映画少年だったころのぼくにとって、もっとも影響力のあったアメリカの作曲家と云える。というのも、彼が1960年代にオードリー・ヘプバーン主演の映画作品をいくつか手がけたからだ。ぼくは小学校高学年のころから池袋の有名な名画座、文芸坐(現在の新文芸坐)に頻繁に足を運んでいたが、すぐに映画館のスクリーンに映るヘプバーンのチャーミングな魅力にこころを奪われた。この文芸坐ではヘプバーンの特集が組まれたこともあり、そのとき劇場ではオリジナルのパンフレットまで販売されていて、ぼくも映画を鑑賞したあとに購入したもの。たぶん、ぼくはヘプバーンの出演作品をほとんど観ていると思うけれど、アカデミー主演女優賞を獲得した名作『ローマの休日』(1953年)のときよりも、どちらかというと30代のころの彼女が好きだった。

 

 云うまでもないが、マンシーニは1960年代に『ティファニーで朝食を』(1961年)『シャレード』(1963年)などをはじめとする、ヘプバーン主演作品で注目を浴びた。特に『ティファニーで朝食を』ではヘプバーンが劇中で歌った「ムーン・リヴァー」が、スタンダードとなった。また同作の監督であるブレイク・エドワーズのほとんどの作品の音楽を、マンシーニが手がけている。そして上記の2作品に加え、マンシーニが多忙を極めていたため弟子にあたるジョン・ウィリアムズが代わりにアンダースコアを手がけた『おしゃれ泥棒』(1966年)、そしてマンシーニ自身が音楽を担当した『いつも2人で』(1967年)と『暗くなるまで待って』(1967年)は、ぼくの好きなヘプバーン主演作品。まさにヘプバーン、32歳から38歳までの作品である。

 

 当時すでにクラシック・ピアノのレッスンを受けていたぼくは、それと並行してポピュラー・ピアノも弾くようになっていた。最初に弾いたポピュラー・ソングは、忘れもしない「サウンド・オブ・ミュージック」──1965年の映画音楽だ。いま思い返すと、リチャード・ロジャースという作曲家の名前を知ったのはこのときのことで、ジャズを聴いたり演ったりするまえの出来事だったわけだ。まあそれはともかく、この曲を弾いたことからぼくは、映画作品のほうにも興味をそそられたのだった。とすると、ぼくが映画少年になったキッカケはこの曲ということになる。いずれにしても、そのころからぼくは隔週土曜日、4時限授業を終えて下校すると必ずと云っていいほど文芸坐に赴き、なにがしかの映画を鑑賞するようになったのである。

映画撮影のカチンコ(緑色)と映画館の座席で泣いているウサギ

 のべつ幕なしに、しかも手当たり次第に映画を観ているうちに今度は逆に、ぼくは映画音楽の虜になる。あげくの果てには分をわきまえず、将来は映画音楽の作曲家になると決心したほど(ならなかったけれど)。当初よく聴いていた映画音楽の作曲家といえば、ジョルジュ・ドルリューフランシス・レイミシェル・ルグランエンニオ・モリコーネアルマンド・トロヴァヨーリなど。ヨーロッパの作曲家ばかりだが、たまたま観ていた作品が欧州映画に集中していたからだろう。しかもレイとルグランは1960年代から1970年代にかけて、日本でも高い人気を誇っていた。たとえば、このころポピュラー音楽のジャンルとして耳目を集めていたイージー・リスニング(当時は一般的にムード音楽と呼ばれていた)において、彼らの楽曲は積極的に採り上げられていた。

 

 あのころを振り返ると、ポール・モーリア・グランド・オーケストラレイモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラのレコードが、どこの家庭でも必ずといっていいほど所持されているような時代だった。モーリアなどは、日本産高級ワイン、シャトー・メルシャンのテレビCMのために「そよ風のメヌエット」(1977年)という曲を作曲し、自らCMに出演しチェンバロを弾いていた。ジャズを愛好するものがこんなことを云うと失笑を買うかもしれないが、だれがなんと云おうと、ぼくは可憐で軽快なあの曲が好きだ。いかにもフランス人らしいエスプリの効いたエレガントかつリズミカルなアレンジは、とにかくモダンでスタイリッシュに感じられた。むろんレイやルグランの楽曲も原曲のメロディが活かされつつ、華麗な味つけがなされていたもの。

 

 そういうことも影響して、レイとルグランの楽曲は映画音楽としては、当時の日本においてもっとも親しまれている部類だったのである。楽譜においてもポピュラー・ピアノの曲集には、必ずと云っていいほどふたりの曲が収録されていた。そういう時代の趨勢のなかで、ぼくが聴くにしても演るにしても、いち早く親しんだのはやはりヨーロッパの映画音楽だった。ところが前述のように、ヘプバーンの出演作品を観るうちに、自然とマンシーニの音楽に導かれていった。むろん彼の曲も、ポピュラー・ピアノの曲集では頻繁に採り上げられていた。マンシーニの音楽を端的に云い表すと、それこそ『おしゃれ泥棒』ではないけれど、オシャレのひとことに尽きる。しかもどちらかというとサッパリとした、あるいは音の芯がハッキリした音楽と受けとられる。

 

 レイやルグランの音楽は大好きなのだけれど、いささか湿っぽいというか、メランコリックというか、概ねどこか空間的な余韻のようなものを感じさせる。云うまでもなくその点が魅力となっているのだが、マンシーニ・サウンドが与えるようなストレートでポジティヴな印象は希薄で、敢えて云うならいささかウエットである。それがわるいわけではないし、感傷的な気分に浸るには極上の音楽と云える。マンシーニの曲にも悲愴感が横溢するクラシカルで重厚なイメージをもった作品があるにはあるが、総じて彼の音楽は優美でさわやかな雰囲気を醸成する。ときにそれは、思い切りリズミカルでポップ、あるいはキャッチーでアクセシブルだったりする。その得も云われぬ軽やかさが、そのおオシャレな印象につながっていると、ぼくは思う。

 

 そんなスタイリストのマンシーニのオリジナルにも、珍しく哀切きわまりない曲がある。ヴィットリオ・デ・シーカ監督による映画『ひまわり』(1970年)のテーマ曲である。不適切な云いかたになるかもしれないけれど、その旋律はストレートにお涙ちょうだいの音楽に類するものだ。たとえばレイの『ある愛の詩』(1970年)や、ルグランの『シェルブールの雨傘』(1964年)などのテーマ曲も、同じ類いの音楽と云える。まあ映画自体が悲恋の物語を扱った作品だから、作曲家が観客を泣かせにかかるのは当然のこと。実際どちらの曲も、涙を誘うどころか胸が締めつけられるような悲哀感さえ横溢する。そして「ひまわり 愛のテーマ」もまた、思い切り泣ける曲だ。とはいっても実のところ、ぼくはそういう直情的な音楽がちょっと苦手だったりする。

 

即興演奏よりもアンサンブルが主軸に据えられたスウィンギーなサウンド

 

 この「ひまわり 愛のテーマ」は、戦争によって引き裂かれた男女の悲哀が直線的に表現されている。ところがどっこい、ぼくはこの曲が狂おしいほど好きなのだ。その理由を敢えて説明すると、一聴、この曲は通俗的かつ情緒的にも響くのだけれど、実はマンシーニらしく現代的で新しい感覚もしっかり鏤められているのだ。実際にピアノで演奏してみるとよくわかるのだけれど、たとえばテーマのトップ・ノート(メロディ)がコードに対して、3小節の3拍目がフラットファイヴ(♭5)に、6小節のアタマがテンション・ノート(♭9)になっていたりする。これらの音が入ることによって、曲がとてもモダンに聴こえるのだ。マンシーニのセンスのよさも然ることながら、大して演奏技術もない小学生のぼくがピアノで弾いても、なんとなく瀟洒に響くという構造がスゴい。

 

 実を云うと、ぼくがもっとも影響を受けたアメリカの映画音楽の作曲家というと、デイヴ・グルーシンを真っ先に挙げる。ただ、もともとジャズ・ピアニストだった彼が、映画音楽の作曲家として脚光を浴びるのはマンシーニよりもあとのこと。グルーシンは1960年代の後半からフィルムスコアを手がけていたけれど、ぼくが彼の映画音楽に注目するようになったのも『コンドル』(1975年)からだった。ということで、ぼくがポピュラー・ピアノを弾きはじめたころもっとも多く聴いていたアメリカの映画音楽は、マンシーニの作品ということになる。ちなみにグルーシンは、もともとマンシーニをリスペクトする作曲家であり、名匠トミー・リピューマのプロデュースのもと『酒とバラの日々~ヘンリー・マンシーニに捧ぐ』(1997年)という素晴らしいアルバムを吹き込んだりしている。

 

 ただしよりモダンでソフィスティケーテッドなグルーシン・サウンドと比較しても、マンシーニの音楽のほうが格段にオシャレだ。オシャレであるが故に、彼の音楽はエレベーター・ミュージックと呼ばれることもある。欧米ではエレベーターのなかで音楽が流されるのは、一般的なこと。そこでかかるような音楽だから、エレベーター・ミュージック。つまりそれは、ショップ、レストラン、ホテル、あるいは病院などで流されるBGMの呼称である、ミューザックとおなじようなニュアンスで使われるコトバである。そしてその云いかたは、BGMにしかなり得ない平凡で無個性な音楽というスラングでもあるのだが、ぼくはその観かたには、まったく賛同しかねる。むしろ一聴でそれとわかるようなマンシーニの音楽を、個性的とさえ云いたいくらいだ。

映画撮影のカチンコ(紫色)と映画館の座席で泣いているウサギ

 そんなマンシーニは1924年4月16日、アメリカ、オハイオ州クリーブランドに生まれ、ペンシルベニア州で育った。フルート奏者だった父親の影響で、8歳のときからフルートとピッコロを吹いていた。12歳になるとピアノとオーケストレーションを学びはじめる。ハイスクールを卒業したあとには、一度はピッツバーグのカーネギー工科大学(現在のカーネギー・メロン大学)に入学したが、間もなく名門ジュリアード音楽院のオーディションに合格し転校。その際、尊敬するベニー・グッドマンの勧めでニューヨークへ移住、同音楽院で本格的に音楽理論を究めた。彼は第二次世界大戦中、アメリカ陸軍航空隊に入隊し空軍音楽隊での演奏経験をもつ。それが縁でグレン・ミラー楽団にピアニスト兼アレンジャーとして採用された。ミラーもまた、陸軍航空隊のひとだった。

 

 マンシーニがミラーの楽団に在籍したことは、のちの彼のサウンドに大きな影響を与えたと思われる。親しみやすいエレガントでロマンティックなメロディック・ラインと、ダンス・ミュージックとしても重宝されるような、即興演奏よりもアンサンブルが主軸に据えられたスウィンギーなサウンドは、ミラーの楽曲と共通する。ただこれはぼくの個人的な感想だけれど、マンシーニの音楽にはジャズのエッセンスが溢れているものの、情熱的なジャズ・スピリッツのようなものは感じられない。アクの強さなど毛ほどもないのだ。それは彼がイタリア系アメリカ人であることが関係しているのかもしれない。つまりそのサウンドは、あたかもジャズを異国の音楽として俯瞰しているかのように聴こえる。そのちょうどいい塩梅にジャジーなところが、オシャレに響くのではなかろうか。

 

 その後マンシーニは1952年、ユニバーサル・ピクチャーズに入社する。当時同社の音楽部門の責任者を務めていた、指揮者で音楽監督のジョセフ・ガーシェンソンのアシスタントとして働くようになる。初期のキャリアを観ると、マンシーニはカルト的人気を誇るSFホラー映画『大アマゾンの半魚人』(1954年)や、お笑いコンビのアボットとコステロの本邦未公開コメディ映画『凸凹キーストン・コップスに会う』(1955年)などのアンダースコアを手がけていたりする。彼が頭角を現したのは、アレンジャーを担当したジェームズ・ステュアート主演の『グレン・ミラー物語』(1954年)や、全面的に音楽を手がけたオーソン・ウェルズ監督によるフィルム・ノワール『黒い罠』(1958年)あたり。忘れることができないのは、1958年から1961年までNBCとABCで放映されたテレビシリーズ『ピーター・ガン』のテーマ曲だろう。

 

 このシリーズ、僚友であるブレイク・エドワーズが原案と脚本を手がけたアクション・ミステリー。当時のテレビドラマの劇伴といえばクラシカルなサウンドが定番だったが、マンシーニのスコアはモダン・ジャズのエッセンスがふんだんに採り入れられたものだった。特にロッキッシュなリズムとビッグ・バンド・スタイルのブラス・サウンドが際立ったあのテーマ曲は、ひとたび聴いたら忘れられない名曲だ。グルーシンも前述の『酒とバラの日々~ヘンリー・マンシーニに捧ぐ』において、アルバム・オープナーとしている。マンシーニは1958年の8月から9月にかけて、ハリウッドにおいて音盤用のレコーディングを行ったが、ロサンゼルスを拠点に活躍するジャズ・プレイヤーを採用。門弟のジョン・ウィリアムズも、ピアニストとして参加している。

 

 ウィリアムズはレコーディングにおけるピアノのアドリブ・パートを担当しているのだが、テーマ曲のあの特徴的なバッソ・オスティナートでギターとユニゾンしているのもまた彼である。音源はアルバム『ミュージック・フロム・ピーター・ガン』(1959年)として、RCAビクターからリリースされた。このレコードはぼくも大好きな1枚で、特にモダンなウォーキング・ナンバー「ナイト・クラブの事件」ハートウォーミングなバラード「ドリームスヴィル」といった曲からは、大きな影響を受けた。この2曲を聴くだけでも、マンシーニ・サウンドがいかにオシャレかが、おわかりいただけると思う。なおこのアルバムは、第1回グラミー賞において年間最優秀アルバム賞を獲得。間もなく『モア・ミュージック・フロム・ピーター・ガン』(1959年)も発売された。

 

映像作品のスコア盤、サントラ盤以外のリーダー・アルバム

 

 以降マンシーニは1994年6月14日、膵臓および肝臓癌のためビバリーヒルズの自宅にて、70歳でこの世を去る寸前まで、映像作品にスコアを提供しつづけた。ぼくも実際に数えたことはないが、生涯で彼が手がけた作品は100本以上に上ると云われている。映画の音盤もたくさん存在するが、アルバムには“MUSIC FROM……”と表記されていることが多い。つまり、それらは厳密にはサントラ盤ではないのである。これはマンシーニ・マナーとして広く知られていることだが、マンシーニは音盤にフィルム用に録音された音源をそのまま使わずに、わざわざ新たにスタジオ・レコーディングを行い、鑑賞用音楽と同等のレベルのトラックを仕込むことが多かった。そういう仕様だから、彼の映画音楽のレコードは、映画から離れても良質のイージー・リスニング作品として楽しむことができるものばかりだったのである。

 

 またマンシーニは、映像作品のオリジナル・スコア盤ないし純然たるサントラ盤以外にも、自己のリーダー作を数多く吹き込んでいる。今回はそちらのほうにスポットを当てるつもりなのだが、まずはぼくの自室のレコード棚にあるアルバムのなかから目を引くコンテンツを抱えた作品を何枚かご紹介しておく。手はじめに1960年6月、ハリウッドにおいて録音された、ジャズ・アルバム『コンボ!』(1961年)をお薦めしたい。ウェストコースト・ジャズの名うてプレイヤーが顔を揃えたビッグ・コンボによるジャズ・スタンダーズ集だが、マンシーニらしいスマートなアレンジは相変わらず。アルト奏者のアート・ペッパーがクラリネットを吹いていたり、ジョン・ウィリアムズがピアノのほかにチェンバロを弾いていたりする。世にも稀なる、オシャレさが際立ったジャズ・アルバムだ。

 

 ちなみに、ビッグ・バンド・スタイルのアルバムならば『マンシーニ ’67!』(1967年)がお薦め。このレコード、日本で最初に発売されたときは『ニュー・サウンド・オブ・ヘンリー・マンシーニ』というタイトルだった。曲順も変更されているのだが、彼のリーダー作の国内盤では当初、ジャケットも含めてこういうオリジナル仕様のものが散見された。さらに本作はCD化の際、曲順とジャケットは米国のオリジナル盤の仕様に戻されたものの、邦題は『ビッグ・バンド・サウンド』と改められた。まあそれはともかく、形はどうあれしっかり国内盤が発売されるのだから、本作はなかなかの人気盤なのかもしれない。レコーディングは1966年の2月、やはりハリウッドにおいて行われた。マンシーニの自作は1曲のみで、残りのセレクションは11曲、すべてカヴァーである。

映画撮影のカチンコ(桜色)と映画館の座席で泣いているウサギ

 それでもこのアルバム、一聴でマンシーニのリーダー作とすぐにわかる。クインシー・ジョーンズラロ・シフリンデューク・エリントンレイ・ノーブルといったビッグ・バンド・ミュージシャンのレパートリーが採り上げられているが、どの曲も劇的にマンシーニ・サウンドに変わっている。ジャズ色は薄いけれど、ライト・アンド・エアリーなリズムとハーモニーとの調和が、なんともオシャレだ。ジャズのコアなファンのなかには、所詮イージー・リスニングと冷笑する向きもあるかもしれないが、個人的にはマンシーニならではの粋で瀟洒なジャズ・サウンドを大いに歓迎する。アルト・フルート、バス・フルート、はたまたフレンチ・ホルンといった、既存のスタイルにとらわれない独創的な楽器使用にも注目したい。なおこのバンドでピアノを弾いているのは、あのジミー・ロウルズである。

 

 マンシーニのリーダー作には上記の2枚とは趣きを異にする、シンフォニックな作品もある。なかでも自信をもってご紹介したいのは『スクリーン・コンサート・オブ・ヘンリー・マンシーニ』(1976年)で、原題は『In A Concert Of Film Music』というが、海外では単体および2in1仕様でCD化されている。マンシーニ自身の指揮によるロンドン交響楽団が、メドレーないしスイート風にアレンジされた映画音楽を豪華で厚みのあるサウンドで表現。マンシーニの自作曲をはじめ、レイとルグラン、弟子のウィリアムズ、そしてイタリア出身のニーノ・ロータらの名曲が採り上げられている。壮大なオーケストラ・サウンドは、見事と云うしかない。リリースは1976年の4月だが、レコーディングはそれより少しまえにロンドンのアビー・ロード・スタジオで行われた。

 

 さらに、マンシーニの作品群でもとりわけ異彩を放つ作品として『シンフォニック・ソウル』(1975年)を、お薦めしておく。録音は1975年に従来どおりハリウッドで行われたのだが、セレクトされた楽曲がユニーク。本作でのマンシーニは、ディスコ、R&B、クロスオーヴァーといったジャンルの当時のヒット・ナンバーを、ソウルフルなリズムと、華やかで清涼感溢れるオーケストラ・サウンドで聴かせる。自作の「ピーター・ガン」や「スロー・ホット・ウィンド(ルージョン)」も、グルーヴィーな味つけがなされている。リズム・セクションに、ジョー・サンプル(key)、リー・リトナー(g)、デヴィッド T. ウォーカー(g)、エイブラハム・ラボリエル(b)、ハーヴィー・メイソン(ds)らが参加していることから、フュージョンの隠れ名盤と云えるかもしれない。

 

 そして最後に、個人的には小学生のころからずっと親しんできた『ある愛の詩/マンシー二 最新スクリーン・ヒット曲集』(1970年)についてお伝えする。原題は『Mancini Plays The Theme From Love Story』で、1970年にハリウッドで吹き込まれたアルバム。もっともマンシーニらしくもっともイージー・リスニングなアルバムだ。しかしながら本作におけるマンシーニのアレンジには、押し並べてユニークなアイディアとスタイリッシュなセンスが窺える。ぼくはいまもこのレコードをごろ寝しながら聴くのが好きなのだけれど、ときおり予期せぬ発見に気づく瞬間があったりする。なお国内盤は、ぼくが所有する海外盤とはジャケットと曲順が異なるのだが、各曲については原盤の順番に従わせていただく。また、説明のないものは同名映画のテーマ曲である。

 

 オープニングを飾るのはフランシス・レイの「ある愛の詩のテーマ」だが、テーマをピアノとストリングスが切なく歌い上げるところは原曲どおり。しかし女性コーラスとグルーヴィーなベース・ラインはマンシーニ調。ジョニー・マンデルの「マッシュのテーマ」は、軽快なジャズ・ロックにアレンジされている。主旋律にオカリナを採用しているのが独特。マンシーニの「ナイト・ヴィジターのテーマ」では、シンセサイザーによるメロディと、チェンバロのアルペジオとが不穏な空気を作り出す。おなじくマンシーニの「大洋のかなたにのテーマ」は、そのまま明るいフラ・タッチの曲だが、どこか垢抜けて聴こえるのはマンシーニ・サウンドならでは。やはりマンシーニの「トゥモロウ・イズ・マイ・フレンド」は、映画『シカゴ・シカゴ/ボスをやっつけろ!』(1969年)のなかの1曲。モダンなアカペラをご堪能あれ。

 

 A面のラスト、エンニオ・モリコーネの「復讐のバラード」は、映画『ウエスタン』(1968年)のテーマ曲。ハーモニカがアンニュイに鳴きまくる。B面のトップ、マンシーニの「暗闇にさようなら」は、映画『暁の出撃』(1970年)の主題歌。口笛と女性コーラス、そして心地いいリズムとノスタルジックなメロディック・ラインと、マンシーニ節が全開。クロード・ボリングの「ボルサリーノのテーマ」では、チアフルかつユーモラスなアルト・サックス、ホンキートンク・ピアノ、シロフォンなどが楽しい。マンシーニの「三人のテーマ」は映画『暗くなるまで待って』(1967年)からの1曲。ピアノの調律を敢えてずらす手法は有名だ。「ロス・オブ・ラヴ(ひまわり 愛のテーマ)」は、前述のとおり、永遠の名曲。レスリー・ブリカッスの「どうもありがとう」は、映画『クリスマス・キャロル』(1970年)からの1曲。陽気なマーチングでアルバムを締めくくるところにも、不世出のスタイリストであるマンシーニの機知が感じられる。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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