ビル・エヴァンス・トリオにおける音楽的表現力の到達点、そしてもっとも泣ける作品『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』
Album : Bill Evans / You Must Believe In Spring (1981)
Today’s Tune : Theme From M*A*S*H (aka. Suicide Is Painless)
もっとも衝撃的な音楽家、エヴァンスとの出会い
ビル・エヴァンスは間違いなく、ぼくの人生においてもっとも衝撃的な音楽家だった。はじめて聴いたのは、小学校高学年のころ。むろんそれ以前にもジャズには触れていたのだろうけれど、意識的にジャズを聴くようになったのは、エヴァンスとの出会いからだ。おさないころからクラシック・ピアノのレッスンを受け、ときにポピュラー・ピアノを弾いていたぼくにとって、エヴァンスのピアノ演奏はほんとうにセンセーショナルなもので、一時的にそれまで弾いていたクラシック・ピアノが退屈なもののように思えるほどだった。エヴァンスと同時にバド・パウエルのレコードも聴いたのだけれど、もしパウエルしか体験しなかったら、そんな気持ちにならなかったと思う。せいぜい超絶技巧の鍵盤捌きに感動する程度だったろう。
いやいや、それだけでも本来はスゴいことだと思うのだけれど、ぼくにとってエヴァンスのピアノ演奏はそれ以上に驚異的に感じられたのである。10歳以上も歳の離れた従兄の家で、はじめてエヴァンスの演奏に触れたときの衝撃をぼくはいまだに忘れることができない。ビルが隣接していたため雨戸が閉めっぱなしになっていた薄暗い部屋、それも一間半四方の座敷。部屋の一隅には結構立派なオーディオ装置が鎮座していたが、残りの三方には本やレコードがところ狭しと山積みされていた。奇跡的に残された小さな空間にぼくは座り、世にも美しい音楽に包み込まれた。ターンテーブルに載っていたレコードは、マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』(1959年)。云うまでもなく彼の代表作であり、モダン・ジャズの歴史に残る名盤でもある。
マイルスの技巧に走ることなく、叙情性に重点を置くようなプレイに、ぼくは好感を覚えた。とにかく音楽全体が美しい。これほど耽美的なジャズ作品はほかにないのではなかろうか。そして、なんといってもピアニストだ。ぼくはこのアルバムでは「ソー・ホワット」と「フラメンコ・スケッチ」が特に好きなのだけれど、はじめて聴いたときは「ソー・ホワット」のイントロのピアノ演奏にシビレた。当時ぼくがクラシック・ピアノの先生に無理を云って弾かせてもらっていた、モーリス・ラヴェルやクロード・ドビュッシーのピアノ作品に通じるものを感じた。この曲のピアノの序奏がなんとも幽玄で、その後も宙に浮いたような感じを与えながら、ところどころに美しいイディオムが交えられる。その空気感に、フランスの印象主義音楽を連想させられた。

ぼくはピアノの個人レッスンを大学1年まで受けていたのだけれど、そちらではもっぱらクラシック・ピアノを教わるばかり。ジャズ・ピアノのほうは、独力で学んだ。中学生のころから教則本を手に入れて練習しはじめたのだが、エヴァンスのピアノ演奏に触れるまえからポピュラー・ピアノを弾いていたぼくは、もともとコードやスケールについての知識はそれなりに身につけていたので、ジャズを演奏するための体系的な手順や方法はすぐに理解した。でも結論から云うと、エヴァンスのような演奏をすることはできなかった。彼が当時2歳だった姪のために作曲した有名な「ワルツ・フォー・デビイ」の楽譜を買ってきて、実際に弾いてみると存外それほど難しくはない。でも、その美しいハーモニーと煌めくようなフレーズを即興的に創出するなど、到底できることではない。
ぼくは高校時代に本格的にジャズ・ピアノを独学しはじめたのだが、主にレコードを聴いて気に入ったフレーズを楽譜に転記し、あとはそれを弾けるようになるまでひたすら練習するという方法をとっていた。マスターした楽節をどんどんストックしていき、いざ実戦に臨んだときそれを引用するのである。このアプローチは、思いのほか有効かつ愉快痛快だった。そしてこのときぼくが集中的に聴いていたレコードといえば、ソニー・クラークとウィントン・ケリーのアルバム。さらにそれから少し遅れてのことになるが、トミー・フラナガンのリーダー作も自分にとって重要な教材となった。だがこのときのぼくは、もっとも影響を受けたはずのエヴァンスの演奏を、もはや真似しようなどとは思わなくなっていたのである。
エヴァンスのピアノ演奏でぼくがまず気になったのは、なんといってもハーモニー。当時のぼくにはルート音を省略して弾くことにすら、目からウロコが落ちる思いだったのだが、彼が9th, 11th, 13thといったいわゆるテンション・ノートを多用していることに、もっとも衝撃を受けた。ジャズ・ピアノをかじったひとなら、そんなの当たりまえと云うのだろうが、なにせこのころのぼくといえば、ちゃんとレッスンを受けたのはクラシック・ピアノのみだったものだから──。それでも『カインド・オブ・ブルー』を聴いたときはなんとなくだけれど、ぼくはエヴァンスが奏でる色彩豊かな印象派的なハーモニーに、ラヴェルやドビュッシーからの影響を感じたのである。それにはじめて彼のピアノ演奏に触れて、その透明感のある繊細な響きに憧れるのは、なにもぼくだけではあるまい。
またエヴァンスのプレイの特徴としては、流動的で広がりのあるリズム感が挙げられる。彼は8分音符を敢えて均等に弾かない。その3連符を弾くようなニュアンスが、バップ系のプレイヤーのフレージングとは明らかに違う。しかも彼の場合、右手で3連符のラインを作りながら、左手のコンピングは2拍のコードをキープしていたりする。そのポリリズムが生み出す浮遊感が、一般的なスウィング感とはかなり違った印象を与える。しかもベースやドラムスとともに一定のリズムを刻まず、自由にリズムを崩しながら弾く場面が散見されるのだ。そんなタイム感はいわゆるブロークン・タイムというものなのだけれど、このスタイルを確立したのはエヴァンスと云ってもいいのではなかろうか。むろんその点に注目するようになったのは、彼のレコードを何枚か聴いたあとのことである。
さらにつけ加えると、エヴァンスはバップならではスタッカートの効いたアグレッシヴな奏法をほとんど用いることがなく、レガート・タッチで音を羅列する。しかもクロマティックなアプローチで、より滑らかなラインを形成させる。それは彼のピアノ演奏に抒情性が生み出される要因のひとつと、ぼくには思われる。右手がそんな感じで進行するなか、かたや左手のほうがときに単なる伴奏ではなく美しいメロディを奏でるときもある。これはヴォイス・リーディングという手法なのだけれど、クラシック音楽で云うところの対位法的なアプローチだ。そういえば細かいことだが、インプロヴィゼーションにおいて、トリルやターンといった装飾音が頻繁に鏤められるのも、エヴァンスのプレイにクラシックからの影響が感じられるところである。
まあ、いまだからエヴァンスのピアノ・テクニックについていっぱしの口を叩いているけれど、はじめて彼の演奏に触れたときのばくがそんなことを認識するはずもない。たぶん単純に途轍もなくあか抜けた音楽と、感じたくらいのものだろう。でも同時に自分が聴きたかった音楽、そしてほんとうに演りたい音楽はこれだと思ったのも確かだ。繰り返しになるが、エヴァンスの音楽は、抒情的なメロディック・ライン、緻密なハーモニー、そして洗練されたインタープレイと、どこをとっても理知的である。一般的にはジャズ・ピアノの詩人と称されるほど。彼が1961年にヴィレッジ・ヴァンガードで行ったライヴ演奏が収録されたアルバム『ワルツ・フォー・デビイ』(1962年)は、ふだんジャズを聴かないという若い女性からも人気があるという。それには、大いに得心がいく。
だれにも真似することができない、エヴァンスの演奏
エヴァンスのアルバムは、まあ例外もあるけれど、そんなに聴きにくいものはない。彼がどんなにスゴいことを演っているかを理解しなくても、雰囲気だけ楽しむこともできる。これまでにエヴァンスのピアノを一度も聴いたことがないというひとでもご安心あれ、彼が奏でるあたかも水晶のような音色と琴線に触れる流麗な旋律とに、魅了されること請け合いである。もし『ワルツ・フォー・デビイ』のジャケットを目にして気に入ったら、ぜったいに手にとるべき。黒と紫を基調とした、女性の横顔とおぼしきぼんやりしたシルエットが浮かび上がった、あの美麗なデザインのジャケットは、アルバム・コンテンツをそのまま表している。それくらいエヴァンスの音楽は美しい。クラシックの技法の導入とか、洗練されたヴォイシングの確立とかは、ひとまず置いておこう。
それはさておき、ぼくが『カインド・オブ・ブルー』を聴くやいなや、エヴァンスのピアノ演奏に夢中になったのは確かなこと。特に「フラメンコ・スケッチ」のバラード演奏の美しさに、ぼくは得も云われぬ心地よさを覚えた。そこにはまるでエリック・サティの作風のように、旋法が扱われることで独特の清澄な雰囲気が醸し出されている。一般的に『カインド・オブ・ブルー』はモード・ジャズの傑作との呼び声が高いけれど、もちろんこのときのぼくはモード手法がどういうものかは知らなかった。管楽器の静謐を湛えるソロの連鎖から、直感的にモードを感じていたのだと思う。そしてなによりもピアノが奏でる美しいハーモニーから、ぼくはこころの安らぎさえ得ることができた。平たく云ば、すごく気持ちがよかったのである。
さらに云えば同時に、エヴァンスのコード感覚こそが『カインド・オブ・ブルー』というアルバム全体のサウンドに大きな広がりをもたせていると、小学生のぼくでもなんとなく感じていたのである。にもかかわらず、いざ自分がジャズ・ピアノを独学しはじめたとき、ぼくが彼の演奏を模範とすることはなかった。決してソニー・クラーク、ウィントン・ケリー、あるいはトミー・フラナガンのテクニックやアーティキュレーションがイージーというわけではないけれど、モダン・ジャスにおいては広く認められている確実な技法というか、きわめてオーソドックスな様式だ。それに対してエヴァンスのスタイルは、ビギナーが独学するのに手本とするにはあまりにも独特というか革新的だった。なにごともそうだが、まずは基本を固めることがいちばんの近道なのである。

ここでハッキリ断言するけれど、エヴァンスのピアノ・テクニックはきわめて高度で難しい。ぼくが演ったように単に楽譜をなぞるだけなら、ちょっとでもピアノ演奏の心得があるひとならラクに弾けるかもしれない。でも自分であの特有のサウンドやニュアンスを再現するとなると、相当繊細なテクニックと音楽理論への深い理解が必要だろう。エヴァンスが紡ぎ出す音が醸し出す、あの抒情的な雰囲気を彷彿させるものを漂わせるピアニストはたくさんいるけれど、ぼくにとってそれは似て非なるもの。プロのピアニストでもエヴァンスに近づくのが難しいのだから、ぼくのようなヒヨッコが真似しようなんておこがましい、というか不可能。エヴァンスのピアノ・プレイのスゴいところは、物理的な速弾きよりも、ハーモニーの知的な構成、絶妙なタッチのコントロール、そしてリズムの独自の解釈なのである。
そんなわけで、ぼくはエヴァンスに関しては、もっぱら聴くほうに徹している。それ故か彼は、いまもぼくにとってもっとも好きなピアニストのままでいる。ハナシが戻るが、ぼくが『カインド・オブ・ブルー』につづいて聴いたエヴァンスの演奏といえば、彼のリーダー作『フロム・レフト・トゥ・ライト』(1971年)だった。むろん本作は、間違ってもエヴァンスの代表作とは云い難い。やはりぼくはこのアルバムを従兄に聴かせてもらったのだが、彼はこのレコードをターンテーブルに載せるときに「面白くないぞ」と、ひとこと添えた。でもぼくにしてみれば、少しも興ざめするようなところはなく、楽しんで聴くことができる作品だった。もともとフェンダー・ローズの音色は好きだったし、マイケル・レナードによるストリングスとウッドウィンズもなかなかいい。
実はジャズ好きの従兄は、エヴァンスのことがあまり好きではなかったようで、彼のレコードはほんの数枚しか所持していなかったのだ。ではなぜよりによってこのアルバムなのか、いま思えばちょっと謎なのだけれど、あるいはくわえタバコに右手でフェンダー・ローズ、左手でスタインウェイという、キャッチーなジャケットにこころ惹かれたのかもしれない。イージーリスニングと云ってバカにする向きもある『フロム・レフト・トゥ・ライト』ではあるが、ぼくにとっては案外いいことづくめだったりする。たとえば、冒頭にぼくが当時から好きだったミシェル・ルグランの「これからの人生」が収録されているのにも、親近感が湧いた。また、エヴァンスと関係の深いアール・ジンダースの曲が「ソワレ」「ララバイ・フォー・ヘレン」と、2曲も採り上げられている。
さらに、その後ぼくが影響を受けることになるブラジルの音楽家、ルイス・エサの代表曲「ザ・ドルフィン」も2パターンで収録されている。これもまたぼくの好きなジミー・ヴァン・ヒューゼンが書いた名曲「ライク・サムワン・イン・ラヴ」のバラード演奏などは、ちゃんとエヴァンスらしさが出ているし、彼に寄り添うようなオーケストラのアレンジもなかなか味わい深い。なぜ多くのジャズ・クリティックから酷評されるのか、ぼくには理解できない。オーケストラとの共演だからか、それともエレクトリック・ピアノやエレクトリック・ベースが入るからか、はたまたオーバーダブのせいか若干音質が劣化しているからか、いずれにしてもぼくにとっては、一向に目くじらを立てる理由にはならない。敢えて云うけれど、不朽の名盤『ワルツ・フォー・デビイ』だけがエヴァンスではないのだ。
結局、従兄の部屋でジャズにというよりもエヴァンスという音楽家に強い関心をもったぼくは、彼のリーダー作を手当たり次第聴いていくことになる。もちろん、ピアノに対して高音域のカウンターメロディを繰り出す、25歳という若さでこの世を去った天才ベーシスト、スコット・ラファロと、まるでエヴァンスに真っ向から向き合うかのようなブラシ&シンバル・ワークを展開するポール・モチアンとを従えたトリオによる、いわゆる“リヴァーサイド4部作”もほどなくして手にとった。云うまでもなく『ポートレイト・イン・ジャズ』(1960年)『エクスプロレイションズ』(1961年)『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』(1961年)『ワルツ・フォー・デビイ』(1962年)といった4枚だが、押し並べて旧来のピアノ・トリオのスタイルを打ち破った傑作である。
でも、それはエヴァンスのひとつの側面が捉えられたもので、いくら空前絶後の傑作とはいえこの4作品を聴いただけでは、そのピアノ・プレイの醍醐味を堪能し尽くしたことにはならないように、ぼくには思える。エヴァンスが創出する音世界に足を踏み入れる端緒を開いた作品が、たまたま『フロム・レフト・トゥ・ライト』だったせいかぼくの場合、一般的に高く評価されるリリカルでデリケートなピアノ・トリオ編成による作品でなくても、それほど抵抗感なく受け入れられた。たとえば、フェンダー・ローズが大胆に導入されエヴァンスの自作曲ばかりが採り上げられた『ザ・ビル・エヴァンス・アルバム』(1971年)は、だれがなんと云おうとぼくにとって、彼の音楽を俯瞰するときマイルストーンのような役割を果たす重要なアルバムだったりする。
うっかり“リヴァーサイド4部作”だけでは、エヴァンスの音楽を味わい尽くすことができないと、大口を叩いてしまったが、かく云うぼくにも彼の作品に苦手なものがないわけではない。多くのエヴァンス・ファン延いてはジャズ・ファンからそしりを受けるアルバムといえば、なんといってもクラウス・オガーマンがオーケストレーションを担当した『プレイズ・V.I.P.s・アンド・グレイト・ソングス』(1963年)、そしてジョージ・ラッセル・オーケストラとの共演作『リヴィング・タイム』(1972年)だろう。確かにエヴァンスのリーダー作としては、かなり厄介なアルバムだ。前者はクリード・テイラーがプロデュースを手がけたイージー・リスニング作品、後者はジャズとロックとがブレンドされた意欲作である。
これを聴かずして、エヴァンスを語ることはできない
確かにこの2枚には、それこそトリオ編成のときのリリカルでデリケートなタッチのエヴァンスはどこにもいない。ところがぼくの場合、たまにまったく脈絡なく突然聴きたくなることがあるから不思議だ。前者はジャズらしさはまるで感じられないのだけれど、BGMとして聴くぶんにはけっこう心地いい。ときにエヴァンスがオガーマンによるオーケストラ・サウンドの波に乗って、張り切って弾いている場面に出くわすこともあり、なかなか楽しい。後者はラッセルのすべて自作曲でまとめられているが、いかにも彼らしく既存の枠にとらわれない前衛的なサウンドが展開されている。デリカシーというコトバとは無縁のアグレッシヴなアプローチが繰り広げられるなか、エヴァンスが別の意味でカッコいいパフォーマンスを披露。そんな彼を満喫するのも、また一興かと──。
個人的に苦手なアルバムでは、西海岸で活躍したドラマー、シェリー・マンとの共演作『エンパシー』(1962年)が筆頭に挙げられる。アーヴィング・バーリンのブロードウェイ・ナンバー「ワシントン・ツイスト」でのユーモラスにスウィングするブルージーな展開や、リチャード・ロジャースの映画音楽「我が心に歌えば」の後半におけるエスプリを効かせたアヴァンギャルド風のパフォーマンスは、エヴァンスらしくない。どちらかというと内省的な音楽家の彼に、こういうアソビは似合わないように思われる。とはいえ、繊細な語り口で描き出される美しきノスタルジーが光る「ダニー・ボーイ」や、リリカルでモダンなフレーズが淀みなく綴られていき都会的なムードを醸し出す「アイ・ビリーヴ・イン・ユー」といったエヴァンス屈指の名演も収録されており、それこそ厄介なアルバムと云える。
さらにもう1枚、クインテットで吹き込まれた『クロスカレント』(1978年)は、エヴァンス贔屓のぼくでもついつい避けてしまうアルバムだ。リー・コニッツのアルト、ウォーン・マーシュのテナーがフロントに置かれたプロジェクト自体はわるくない。1966年から長年エヴァンス・トリオのベーシストを務めてきたエディ・ゴメス、1976年からレギュラー・ドラマーとなったエリオット・ジグムンドといったリズム隊も、ぼくは好きだ。しかしながらいざフタを開けてみると、アルバムはコンセプトが明確化されていないコンテンツで埋め尽くされている。平たく云えばなにを演りたいのか、まったくわからない。方向性に一貫性がないのもそうだが、各々のプレイにも熱意やモチベーションが感じられず、ハッキリ云って1枚とおして聴くのはちょっとしんどい。

では逆にぼくが特別に親しみを覚えるアルバムといえば、実はワーナー・ブラザース・レコードからリリースされた4作品だったりする。具体的にはオーヴァーダブとソロ・ピアノとで吹き込まれた『未知との対話 – 独白・対話・そして鼎談』(1978年)、ジャズ・ハープのパイオニア、トゥーツ・シールマンスとの共演作『アフィニティ』(1979年)、エヴァンスにとって最後のスタジオ・レコーディングとなったクインテット編成の『ウィ・ウィル・ミート・アゲイン』(1980年)、彼の死後に発売されたトリオ作『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』(1981年)といったアルバム。さらに同一のトリオによるアルバムで、ワーナー・ブラザース移籍直前に吹き込まれたファンタジー盤『アイ・ウィル・セイ・グッドバイ』(1980年)も、好きな1枚である。
これらのアルバムはすべて、ぼくがエヴァンス存命中の期間にリアルタイムで聴いたもの。どれもこれまでになく、エヴァンスの創作意欲に溢れた作品である。ところがアルバム制作への熱意とは裏腹に、彼の肉体は徐々に深く蝕まれていった。そして『ウィ・ウィル・ミート・アゲイン』がリリースされたあと、1980年9月15日15時30分、エヴァンスはこの世を去った。まだ51歳だった。訃報は日本の新聞にも、さほど大きくはなかったが写真入りで掲載された。肝硬変と出血性潰瘍による失血性ショック死ということだったが、もとをただせば長きにわたる飲酒と薬物使用が大きく影響したことは容易に想像がつく。このとき、衝撃的な出会いから4年足らず、ぼくはこころの拠りどころをひとつ失ったような、そんな喪失感に見舞われたのであった。
なおワーナー・ブラザース盤のうち最初にリリースされた3枚では、ことごとくフェンダー・ローズが使用されている。トレンドとはまったく関係のない、エヴァンスのこだわりが感じられる。個人的に出会いの1枚となった『フロム・レフト・トゥ・ライト』以来、しばしば実施していたエレクトリック・ピアノの導入は、明らかに彼の音楽において有効な手段だったと、ぼくは信じてやまない。前述の『ザ・ビル・エヴァンス・アルバム』と同様にこの3枚では、ローズによるサウンド・エフェクトが、各楽曲に新鮮な空気を与え、その展開をよりドラマティックなものにしている。そんなエヴァンスのサウンド・クリエイトへの意欲が晩年に再燃したのは、それらよりもまえに吹き込まれた『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』が、トリオ・スタイルの最終的な段階に達する作品となったからかもしれない。
1977年8月23日から25日にかけてハリウッドのキャピトル・スタジオにおいて吹き込まれた『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』は、なぜか当初リリースが見送られたが、エヴァンスの逝去を機に追悼盤として発売された。ぼくはこの作品を一聴して、彼の音楽的表現力の到達点と感じた。きわめて音楽全体が美しい。その点では、“リヴァーサイド4部作”よりも上。すこぶる耽美的、しかもオンリーワンの味わいという点では『カインド・オブ・ブルー』に匹敵する。およそ3か月まえに録音された『アイ・ウィル・セイ・グッドバイ』とは、エディ・ゴメス(b)、エリオット・ジグムンド(ds)といったサイドメンこそ共通するものの、まったく印象を異にする。前作は久しぶりのトリオ作品ということでフレッシュに響いたが、音楽としての深い味わい、エヴァンスの精神的な奥行きという点では、まだまだだった。
この『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』でのエヴァンスは、いつになく感傷的だ。前述したハーモニー、タッチ、リズムなどにおける彼独自の高度なテクニックが十分に成熟しているが故か、むしろ稀に見る心情の吐露が際立っているように、ぼくには思われる。そういう意味で本作は、もっとも泣けるエヴァンス作品と云えるかもしれない。冒頭のエヴァンスが12年間内縁関係の末、不幸な死を遂げた女性、エレイン・シュルツへの思いを綴った「Bマイナー・ワルツ」では、リリカルなタッチとエモーショナルな転調に泣かされる。つづくミシェル・ルグランの「ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング」でも、原曲以上に哀愁と懐かしさに浸りながらエヴァンスは泣きつづける。ゴメスがそっと寄り添ったあとの、畳み掛けるようなエヴァンスの熱いソロが素晴らしい。
エヴァンスと共演歴のあるヴィブラフォニスト、ゲイリー・マクファーランドの隠れた名曲「ゲイリーのテーマ」では、ワルツ・タイムによるモダニズムを感じさせる抒情性が美しい。都会的なムードは、ふたりの共通点。そして38歳という若さで悲劇的な最後を迎えたマクファーランドの早すぎる才能の喪失は、少なからずエヴァンスにも寂寥感を与えたことだろう。エヴァンスが兄のハリーに捧げた「ウィ・ウィル・ミート・アゲイン」は、やはりセンティメンタルなワルツ。この録音から1年と9か月あと、ハリーは動機不詳の拳銃自殺を遂げる。エヴァンスはなにか胸騒ぎを感じていたのか、サイドとともに激しくも悲哀に満ちたインタープレイを展開。エヴァンス本人の死、意味深長なタイトルも含めて、ただただ泣けてくる。
盤面を裏返すと、ピアニストであり、ヴォーカリストであり、そしてコンポーザーとしても才覚のあったジミー・ロウルズの「ピーコックス」のマイナー調の美しいメロディが流れ出す。エヴァンスのリリシストとしての一面が、遺憾なく発揮される。その詩的な美しさを湛えたバラード・プレイは、ため息の出るような深い哀感を漂わせる。アルゼンチン出身のジャズ・ピアニスト、セルジオ・ミハノヴィッチの「サムタイム・アゴー」は、サウダージ感覚に溢れたブライトトーンのワルツ。エヴァンス、そしてゴメスによる繊細かつ流麗なソロに、こころが温まる。ラストのジョニー・マンデルによる映画音楽「マッシュのテーマ」では、エヴァンスにしては珍しくラテン・タッチの演奏が展開される。転調を活かしたインタープレイで、トリオは静かで激しい情動を燃やす。この清涼感は、きわめて稀有。やはり本作を聴かずして、エヴァンスを語ることはできない。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。







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