1970年代のデイヴ・グルーシンの残した偉大なる成果であり、彼の原点ともいうべきサウンドを収めたエポックメイキングなアルバム『ワン・オブ・ア・カインド』
Album : Dave Grusin / One Of A Kind (1978)
Today’s Tune : Modaji
グルーシンの多様な側面における各々の能力がトータル的に発揮されている
ぼくがもっとも影響を受けた音楽家は、間違いなくデイヴ・グルーシンである。このブログでも何度となくそう明言してきたし、ことあるごとに彼のことを引き合いに出してきた。それはぼくのなかに、あらゆる音楽について思索する際の基準のようなものとして、グルーシンの音楽が常に潜在するからだろう。いわばぼくには、グルーシンの目をとおして音楽を見つめるようなところがあるのだ。いずれにしてもぼくは、彼が創出した多くの作品から強い影響を受けている。それはコンポジションをはじめ、アレンジメント、キーボード・ワーク、それにコンダクティングに至るまで、そのマナーのすべてがぼくにとって、音楽を演る上での手本となっているほどだ。思えばスコアの書きかたも、ぼくはグルーシンの譜面を観て覚えたのだった。
ぼくはこれまでにグルーシンが関わった多くの音楽作品を聴いてきたけれど、今回ご紹介する『ワン・オブ・ア・カインド』(1978年)というアルバムは、個人的にはバイブルのようなものなのである。その理由は偶然にも、かつてアメリカの人気ポップ・シンガー、アンディ・ウィリアムスのバンドにおいて、グルーシンとおなじ釜の飯を食った元ドラマー、ラリー・ローゼンによって的確に説明されている。当時ローゼンはグルーシンとともにGRPレコードを立ち上げ、同レーベルでプロデューサー兼レコーディング・エンジニアとして活躍していたが、もとはポリドール・レコードからリリースされた『ワン・オブ・ア・カインド』をGRPレーベルでリイシューする際にライナーノーツを執筆している。1984年のことだ。
ときにそのライナーにあるローゼンのアルバム・コンテンツに対する評価は、ぼくがこの作品を拠りどころとする所以とたまたま合致するものである。そういうわけで、ここにその要所をそのまま引用させていただく。彼は『ワン・オブ・ア・カインド』が包含する音楽について「デイヴ自身によるキーボード演奏、フィルム・スコア、テレビ映画のテーマ曲、編曲、演出に至るまでの溢れんばかりの音楽の流露」(訳:小山さち子)と、云い表している。つまりこのアルバムでは、ジャズ・ピアニスト、映画音楽の作曲家として知られるグルーシンの、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、プロデューサーといった多様な側面における各々の能力が、トータル的に、しかも遺憾なく発揮されているというわけである。

そんなグルーシンの幅広い音楽性の一端にぼくがはじめて触れたのは、かなり昔のこと。それは、セルジオ・メンデス&ブラジル ’66の6枚目のアルバム『イエ・メ・レ』(1969年)を聴いたときのことだった。セルジオ・メンデスは、ブラジル南部リオデジャネイロ出身のピアニスト、コンポーザー、アレンジャー、バンドマスターだけれど、1970年に大阪で開催された日本万国博覧会において来日公演を行った。テレビ放送で彼の演奏を観たとき、まだクラシック音楽しか知らなかった幼いころのぼくは、いたく興奮していたらしい。その様子を見た父親が気をまわして買ってきてくれたのが、このアルバム(当時の邦題は『モーニン』)だった。そしてぼくは、このゲートフォールド仕様の来日記念盤のジャケットに、グルーシンの名前を発見する。
グルーシンは『イエ・メ・レ』において、オーケストラのアレンジと指揮を担当していたのだが、日本語のクレジットが“グラシン”となっており、当時の彼の知名度がいかに低かったかがよくわかる。まあそれはともかく、グルーシンは1967年から1979年ごろまで、メンデスのレコーディングにおいてオーケストレーションをずっと担当していた。セルメン・サウンドをスウィートなものにしていたのは、彼のソフィスティケーテッドなアレンジメントだったと云っても過言ではない。それからというもの、ぼくはメンデスのレコードを買い漁るようになるのだけれど、いちばんのお目当てはグルーシンによるオーケストラ・サウンドだった。そしてぼくは次第に、グルーシンのクレジットが表記されたレコードを見つけると、迷わず購入するようになっていった。
ぼくがグルーシンの音楽にゾッコンになったのは、彼が作曲を手掛けたロバート・レッドフォード主演、シドニー・ポラック監督による映画『コンドル』(1975年)を観たとき。映画はいかにもポラック監督らしいポリティカル・サスペンスだが、グルーシンのスコアは非常に客観的で、決して感情に流されたり余計な先入観を与えたりせず、都会のサスペンスが淡々と表現されるものだった。しかもコンテンポラリー・ジャズが実験的かつ本格的に採り入れられていて、映画音楽としてはかつてない成果が上がっていた。思えばそれは、そいうスタイルのサウンドが、音楽ジャンルのひとつとしてフュージョンと呼ばれる以前のことである。それ故キャピトル・レコードからリリースされたサウンドトラック・アルバムを、フュージョンの名盤に挙げる向きも多い。
ぼくが最初に購入したグルーシンのレコードがまさにこのサントラ盤で、とにかく当時は夢中で聴き込んだもの。そうこうしているうちに発売されたのが『ワン・オブ・ア・カインド』で、当時は『ジェントル・サウンド』という邦題が付されていた。中学生になったばかりのぼくにとっては、ジャズはもちろんのことフュージョンにも関心をもちはじめたころの出来事だが、吉祥寺のレコード店でボブ・ジェームスの『BJ4』(1977年)とともに『ワン・オブ・ア・カインド』を購入したときのことは、いまもぼくの脳裏に焼きついている。これは余談だけれど、ぼくは最初『BJ4』と併せてジェームスの『ヘッズ』(1977年)を買うつもりだった。でも結局『ワン・オブ・ア・カインド』を選んで正解だった。なぜなら本盤が、そのあとすぐに廃盤になったからだ。
前述のように『ワン・オブ・ア・カインド』は、もともとポリドール・レコードから発売されていた。アコースティック・ギターをメインにしたギタリスト、アール・クルーの『フィンガー・ペインティング』(1977年)、ジャズ・ヴァイオリニスト、ノエル・ポインターの『ホールド・オン』(1978年)、R&B系シンガー、パティ・オースティンの『ハヴァナ・キャンディ』(1977年)、そしてギタリスト、リー・リトナーの『キャプテンズ・ジャーニー』(1978年)と並ぶ、グルーシン/ローゼン・プロダクションの制作作品としてリリースされた。また、すべてニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにある、有名なエレクトリック・レディ・スタジオにおいてレコーディングされた音盤でもある。
グルーシンの『ワン・オブ・ア・カインド』は、一連のアルバムのなかではいちばん最後に制作された作品である。もちろんすべての作品において、ラリー・ローゼンがレコーディング・エンジニアを務めている。ただしレコード・レーベルは、ブルーノート、ユナイテッド・アーティスツ、CTI、エレクトラ、そしてポリドールといった具合に、それぞれ異なる。ところで上記のアルバムがリリースされて間もなく、グルーシン/ローゼン・プロダクションは、そのころ音楽プロデューサーのクライヴ・デイヴィスが主宰していたアリスタ・レコードと長期開発契約を結んだ。こうして1978年に伝説的レーベル、GRPレコードはアリスタ傘下で誕生したのである。これを機に『ワン・オブ・ア・カインド』の原盤権はGRPによって買い戻され、ポリドール盤は発売から1年足らずで生産中止となった。
『ディスカヴァード・アゲイン!』と併せて血眼になって探す向きが……
これより少しまえのことになるが、グルーシンの前作にあたる『ディスカヴァード・アゲイン!』(1976年)が、日本でもちょっとした話題になっていた。このアルバムは、カリフォルニアに拠点を構えるダイレクト・トゥ・ディスク専門レーベル、シェフィールド・ラボからリリースされたものだが、日本では株式会社メースによって、日本語ライナーノーツが付属された直輸入盤が販売された。ただ輸入された枚数は非常に小量だったようで、ぼくもこのレコードを探し求めて当時、秋葉原にあった石丸電気3号店(レコードセンター)まで、足を延ばしたのだった。とにもかくにも、この『ディスカヴァード・アゲイン!』と併せて『ワン・オブ・ア・カインド』を、血眼になって探す向きが多かったのは事実である。
以上のことからも当時、グルーシンの音楽がすでに日本でも人気を集めていたことがわかる。振り返ってみると、グルーシンが参加したフュージョンの歴史的名盤リー・リトナー&ヒズ・ジェントル・ソウツのダイレクト・ディスク『ジェントル・ソウツ』(1977年)、あるいはのちに彼の莫逆の友となる日本を代表するアルト奏者、渡辺貞夫とのコラボレーションの嚆矢となった『マイ・ディア・ライフ』(1977年)といったアルバムが、わが国で好評を博したのはこのころのことだった。そういったことを踏まえると、グルーシンは実に短期間のうちに知名度を上げたことになる。それと同時にこのころは、彼が音楽家としてもっとも脂の乗っていた時期にあたると云っても過言ではないだろう。
そういう絶妙なタイミングで制作された『ワン・オブ・ア・カインド』は、いまでは一般的にもフュージョン・ミュージックのエポックメイキング的作品として高く評価されている。また当時、このアルバムの収録曲「カタヴェント」が、レコードが発売されるやいなや、ラジオ大阪の深夜番組『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』のテーマ曲に使用され話題になった。にもかかわらずこのアルバムは前述のように、契約上の理由でポリドール・レコードからリリースされて以来、たったの1年足らずで入手困難な状況に陥ったわけで、もどかしい思いをした音楽愛好家も多かったようだ。まあ冒頭でも触れたとおり、のちにGRPレコードから装いも新たにリイシュー盤が発売されるのだが、それまで多くのファンが7年ほど待たなければならなかったのである。

ポリドール盤とGRP盤とでは、いくつかの違いがある。まずジャケットのアートワークがまったく異なる。ぼくはすっかりポリドール盤のほうに慣れてしまっているのだけれど、こちらでは鼻の下にシェブロン髭を蓄えるグルーシンのフェイスフォトがあしらわれている。時代の空気が感じられるが、この見事な写真を撮影したのは、タイム誌の表紙を飾る刺激的なポートレイト作品で知られるフォトグラファー、グレゴリー・ハイスラー。彼はアール・クルーやノエル・ポインターのアルバム・ジャケットも手がけた。またライナーノーツは、音楽プロデューサーで作編曲家のクインシー・ジョーンズによって執筆された。グルーシンは1973年から1978年まで、ジョーンズのオーケストラでキーボーディスト兼アレンジャーとして活躍した。
なおアンディ・ウィリアムスのシャンソンを中心としたアルバム『パリの空の下』(1960年)において、ジョーンズがオーケストラのコンダクターを務め、グルーシンがピアノを演奏している。ジョーンズはライナーのなかで、そのあたりのことにも触れているが、なによりもグルーシンの音楽性について的確に云い表しているのが注目される。彼は「このオトコのこころは大きく開いている。彼はプレイヤー、コンダクター、アレンジャー、コンポーザー、プロデューサーといった、360度の側面を完璧にこなしている。わたしは人生において、これほど音楽的な状況に敏感なひとは、ほかに出会ったことがない。デイヴ・グルーシンは、まさに唯一無二の存在だ」と綴っているが、実に上手い云いかたである。
いっぽうGRP盤のほうはどんな具合かというと、新たにデジタル・リマスタリングが行われており、いくぶん音質がクリアになっている。ジャケットは新調され、GRPレコードのアート・ディレクター、アンディ・ボルティモアがデザインを手がけた。原野を疾駆する馬のシルエットが捉えられた躍動感と格調に富んだ写真があしらわれているが、多重露光撮影の先駆者として知られるニューヨーク出身のフォトグラファー、ミッチェル・ファンクによるものだ。輪郭、光、色彩にこだわった独自の作風は、もはや芸術と云うしかない。彼の写真はCTIレコードのアルバム・ジャケットでよく見かけるけれど、GRP作品ではフルーティストのデイヴ・ヴァレンティンのリーダー作でグルーシンも参加した『カラハリ』(1984年)のジャケットにファンク作品が使用されている。
ぼくの場合、音楽作品では概ねオリジナルのジャケットを支持するのだけれど、この『ワン・オブ・ア・カインド』については新旧ともに好きだ。まあ2026年の干支は丙午だから、まさに勝ち馬に乗るように縁起をかついで、GRP盤のほうをレコード棚の上に飾るとしよう。と、これは冗談(ゴメンなさい)。なおGRP盤では楽曲収録のレコード面(A面、B面)が、ポリドール盤とは逆になっている。レコーディングとミキシングは、さきに述べたように1977年、エレクトリック・レディ・スタジオにおいてラリー・ローゼンによって行われた。このレコードが日本で発売されたあとの1978年10月、グルーシンはリー・リトナー&フレンドシップのメンバーとして2度目の来日を果たす。アルバムと併せて話題になった。
なお1度目の来日は1973年4月で、クインシー・ジョーンズ・オーケストラのメンバーとしてのことだった。ジョーンズはこのときA&Mレコードにおける4枚目のアルバム『バッド・ガール』(1973年)を発表する間際だったが、レコーディングにはグルーシンも参加していた。来日公演でのオーケストラは、ウッドウィンズにジェローム・リチャードソン、アンソニー・オルテガ、ルー・タバキン、ビル・フッド、ハーマン・ライリー、トランペットにボビー・ブライアント、オスカー・ブラッシャー、トロンボーンにフランク・ロソリーノ、ベニー・パウエル、ギターにフィル・アップチャーチ、ベースにレイ・ブラウン、ドラムスにグラディ・テイト、そしてキーボードにデイヴ・グルーシンと、錚々たるメンバーによって構成されていた。
ところが、このときのコンサートでピアノを弾いていたのがグルーシンだったことを記憶にとどめている日本のファンは、あまりいないかもしれない。ということでハナシを『ワン・オブ・ア・カインド』に戻すが、レコーディング・メンバーは以下のとおり。リズム・セクションは、デイヴ・グルーシン(key)、ロン・カーター(b)、フランシスコ・センテーノ(b)、アンソニー・ジャクソン(b)、スティーヴ・ガッド(ds)、ラルフ・マクドナルド(perc)、ラリー・ローゼン(tri)、デイヴ・ヴァレンティン(fl)、グローヴァー・ワシントン Jr.(ss)、ドン・エリオット(mello, vo)、エドワード・ウォルシュ(synth-prg)となる。さらにコンサート・マスターのポール・ガーシュマン(vln)、ノエル・ポインター(vin)を含む15名のストリングスが加わる。
『マウンテン・ダンス』とは正反対の手法──オーヴァーダブが駆使された
このレコーディングでグルーシンが使用している楽器は、アコースティック・ピアノ、フェンダー・ローズ・エレクトリック・ピアノ、ミニモーグ・シンセサイザー、オーバーハイム・ポリフォニック・シンセサイザー、そしてパーカッションと、いたってシンプル。オーバーハイムのプログラミングをエドワード・ウォルシュが担当しているが、彼はグルーシンの次作『マウンテン・ダンス』(1979年)でも起用された。このアルバムでは、オーヴァーダブが駆使された『ワン・オブ・ア・カインド』とは正反対の手法、2トラック・デジタル・レコーディングが採用されている。ダビングのないある種のスタジオ・ライヴ録音ということで、グルーシンは自分以外にシンセシストを2名起用。彼いわく、ウォルシュはもっとも信頼できるシンセサイザー奏者のひとりとのこと。
なおドン・エリオットが吹いているメロフォンとは、マーチング・バンドなどでフレンチホルンの代わりに使用される金管楽器。トランペットのマウスピース、そして指遣いでホルンのような音色を出すことができるのだが、メロウな響きのわりには音の立ち上がりがすこぶるいいというユニークな楽器だ。エリオットはトランペッター兼ヴィブラフォニスト、そしてヴォーカリストでもある。彼はクインシー・ジョーンズのレコーディングでは常連だったけれど、メロフォンは高校時代から吹いていたという。エリオットは『ワン・オブ・ア・カインド』のレコーディングに参加したころ、ちょうど自己のスタジオでエンジニアとして映画音楽のレコーディングを行なっていた。その映画とは、フランスの映画監督アラン・コルノーがメガホンをとった『メナース』(1977年)というアクション作品だった。
この映画の音楽を手がけたのはバリトン奏者のジェリー・マリガンだが、タイトなスケジュールに苦慮していた彼を助けたのは、だれあろうたまたまエリオットのもとを訪れていたグルーシンだった。マリガンとグルーシンとはこの機に親交を結ぶが、のちにコラボレーション・アルバム『リトル・ビッグ・ホーン』(1983年)、マリガンの最後のリーダー作『ドラゴンフライ』(1995年)をともに制作することになる。少し本筋から逸れてしまったが、ここからは『ワン・オブ・ア・カインド』の収録曲について具体的に触れていく。曲順はオリジナルのポリドール盤に準ずるので、アルバムのオープニングを飾るのはグルーシンのオリジナル・ナンバー「モンタージュ」となる。実は全5曲中、この曲だけが新曲。そしてアルバム中、この上ない渾身の1曲でもある。

この「モンタージュ」は、前述のファンクによるジャケット写真ではないけれど、云ってみれば音楽の多重露光という印象を与えるポリメトリックなナンバー。リズミカルなメロディック・ライン、ペダルポイントが上手く使われたディヴェロップメントと、実に意匠が凝らされた曲である。なんといってもガッドのタイトでダイナミックなドラムスと、ジャクソンのファスト・ウォーキングなベースとが打ち出すリズムが素晴らしい。個人的には、フュージョン・シーンにおける無敵のコンビネーションと捉えている。両手のコンビネーションによるローズによるファンキーなバッキングと、ミニモーグによるはじけるようにアウトするアドリブは、まさにグルーシン・タッチ。ストリングスが入ってくるクロスリズム的な中間部のミスティカルなムードも秀逸である。
2曲目の「プライェーラ」は、スペイン近代音楽の作曲家、エンリケ・グラナドスのピアノ曲「スペイン舞曲 第5番 アンダルーサ」のパラフレーズ・ナンバー。当時のクロスオーヴァー/フュージョンでは、クラシックのアダプテーションがちょっとした流行りになっていたが、そんななかでもグルーシンの選曲には奥深さが感じられる。ちなみに曲のタイトルは、スペイン語で“祈り”を意味する。グルーシンのアコースティックな響きとグレイッシュな色合いとが際立つアレンジが、高雅かつ現代的な世界を描き出す。グルーシンのピアノのリリカルなタッチ、ガッドのセンンシティヴなシンバル・ワークとロール、ワシントン Jr.のソプラノの深みのある音色、そしてストリングスの哀愁を帯びたアンサンブルなども然ることながら、ここではカーターの表現力豊かなベース・プレイが第一等だろう。
B面はグルーシンのオリジナル「モダージ」からスタート。曲のタイトルは聞きなれない響きをもつが、どうやら南アフリカのロベドゥ族のコトバで、降雨をつかさどるいわゆる雨乞師、“雨の女王”のことらしい。確かにこの曲、どこかミステリアスなムードを醸し出している。初出はドラマーであるハーヴィー・メイソンのデビュー・アルバム『マーチング・イン・ザ・ストリート』(1976年)においてだが、むろんこの作品にはグルーシンも参加している。メイソンによるリズム・パターンがガッドのそれとまったく違う印象を与えるので、聴き比べるのも一興かと思われる。グルーシンのフェイズを深くかけたローズ、ワシントン Jr.のソウルフルなソプラノ、センテーノのしなやかなベース、そしてガッドの切れ味のいいドラムスが創出する、ファンキーなグルーヴが心地いい。
なお、とき折聴こえてくるホーンズはエリオットによるメロフォンを多重録音したもので、それに重なって聴こえるヴォーカルも彼によるものだ。個人的には、リズム・セクションの躍動感も然ることながら、シンプルでエフェクティヴなストリングスのアレンジにこころ惹かれる。ぼくはこの曲から、編曲の作法について多くを学んだ。またこの曲は、ライヴ・アルバム『デイヴ・グルーシン&GRPオール・スターズ・ライヴ・イン・ジャパン・ウィズ・スペシャル・ゲスト渡辺貞夫』(1980年)にも収録されているが、そちらのスコアは『ワン・オブ・ア・カインド』のスタイルが踏襲されている。しかしながら、マーカス・ミラーのはじけるようなスラップ・ベースとボビー・ブルームの燃えるようなファンキー・ギターが聴き応えがあるので、ぜひともご一聴いただきたい。
2曲目の3拍子のバラード「愛すれど心さびしく」は、アラン・アーキン主演、ロバート・エリス・ミラー監督による1968年公開の同名映画のテーマ曲。グルーシンのが手がけた映画音楽では、初期の代表作と云える。この曲、グルーシンがプロデューサーを務めた、ジャズ&ポップ・シンガー、ペギー・リーのアルバム『レッツ・ラヴ』(1974年)でも採り上げられているが、そのときにリーによって歌詞が付された。さらに注目すべきは、このヴァージョンが後半で半音下に転調するということ。サウンドトラックにはなかった意匠だが、これ以降この転調は定番化した。もちろん『ワン・オブ・ア・カインド』のヴァージョンも、また然りである。ここではグルーシンの叙情的なピアノ演奏と流麗なストリングスのアンサンブルとを、じっくり堪能するばかりだ。
アルバムのラストを飾る「カタヴェント」は、ブラジルのシンガーソングライター、ミルトン・ナシメントの曲。タイトルはポルトガル語で、“風車”を意味する。ナシメントのデビュー・アルバム『トラヴェシーア』(1967年)や、彼がCTIレコードに吹き込んだ『太陽の歌』(1969年)などに収録されている。原曲では鷹揚さが際立っていたが、グルーシンのヴァージョンは、おなじサンバでもリズムがタイトになっている。ガッドの軽快なドラミング、センテーノのフレキシブルなベース、そしてグルーシンの小気味いいローズと、とにかく爽やか。でももっとも軽妙なのは、ヴァレンティンのフルートによるグロウル奏法。彼はノエル・ポインターの『ファンタジア』(1977年)でレコーディング・デビューを果たしたばかりだったが、のちにGRPの看板ミュージシャンとなる。そういう点でも、本作はグルーシン・サウンドの原点と云えるだろう。
あとになりましたが、あけましておめでとうございます。2026年も変わらぬお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。







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