Lars Jansson Trio / More Human (2016年)

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きわめてスペシャル、これまでになくハートウォーミング、ラーシュ・ヤンソン初のセルフ・カヴァー・アルバム『モア・ヒューマン』

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Album : Lars Jansson Trio / More Human (2016)

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芸術、精神世界、それに思想といった音楽以外の世界にも精通

 

 前回に引きつづき、北欧最高峰と謳われるジャズ・ピアニスト、ラーシュ・ヤンソンについてお伝えさせていただく。おなじアーティストをつづけて採り上げるのは、このブログでははじめてのケースだ。そうなったのは、ぼくにはヤンソンについて、語りたいことがまだまだ山のようにあるからだ。それにもともとオッサンの拙い備忘録とはいえ、前回の叙述では客観的にはもちろんのこと、主観的に見ても十分とは云えない。まあ原因はいつも見切り発車で記事を執筆している自分にあるのだけれど、あいにくぼくは計画的に健筆を振るうスキルも、ちゃんと草稿を作成する時間ももち合わせていないので、ただ思いついたことをしたためることに専念せざるを得ないのである。あらためてここに、お詫び申し上げる。

 

 ところで前回ぼくは、ヤンソンのベーシックなピアノ・トリオ作『インヴィジブル・フレンズ』(1995年)をおすすめした。彼にとっては5枚目のリーダー作にあたるけれど、それ以前のアルバムといえば『サーダナ』(1981年)『トリオ 84』(1984年)『ジ・エターナル・ナウ』(1987年)『ア・ウィンドウ・トワーズ・ビーイング』(1991年)となるが、すべてラーシュ・ヤンソン・トリオの名義でリリースされた。ただ確かに演奏しているのは3人だが、ヤンソンはこれらのレコーディングにおいてアコースティック・ピアノのほかに、フェンダー・ローズ・エレクトリック・ピアノ、ミニモーグをはじめとするシンセサイザー、彼自身がプログラミングしたデジタル・シーケンサーなどを導入している。

 

 ぼくが『インヴィジブル・フレンズ』をベーシックなピアノ・トリオ作と云い表したのは、このアルバムにもシンセサイザーがオーヴァーダブされた曲が2トラックほどあるとはいえ、シンセはハーモニーに彩りを添えるストリングスのような使われかたにとどまっており、演奏の主幹をなすのは飽くまでアコースティクなピアノ・トリオだからだ。ジャズと並行してフュージョンに親しんだ世代であるぼくにはまったく差し障りないことなのだが、昔から黄金時代のモダン・ジャズをこよなく愛してきたかたのなかには、ピアノ・トリオという編成に電子楽器や電気楽器を導入するという意匠に、抵抗を感じる向きも多いと思われる。その点で『インヴィジブル・フレンズ』は、だれでも心安く楽しむことができるアルバムと思われる。

スウェーデンの湖の風景と桃色のピアノ

 前回このことには触れなかったが、実は『インヴィジブル・フレンズ』のいくつかの楽曲は、ヤンソンが敬愛する人物にデディケートしたものなのである。楽曲を献じられたひとたちの内訳は、スイスの精神科医で心理学者のカール・グスタフ・ユング、アメリカの心理学者であるロロ・メイ、アメリカの画家で版画家のスティーヴン・ソーマン、スウェーデンの作家でありジャーナリストでもあるスティーグ・ダーゲルマン、禅文化を海外に紹介した仏教学者の鈴木大拙、やはりアメリカの現代美術家であるデヴィッド・シャピロ、そして実験音楽で知られる作曲家のジョン・ケージとなっている。なおアルバム・ジャケットにあしらわれた、素朴なトーンと豊かなテクスチュアがなんとも美しいアートワークはシャピロの作品である。

 

 このことからも、ヤンソンの楽曲が独創的なのは、実は彼が芸術、精神世界、それに思想といった音楽以外の世界にも精通していることが大きな要因となっている──というのは想像に容易い。ヤンソンの作曲や演奏におけるフレキシブルな表現は、豊富な知識と鋭い洞察力、そして豊かな感性に裏打ちされたものだからこそ、リスナーに絶えずポジティヴなイメージを湧かせるようなエナジェティックな力強さをもつのである。そんなヤンソンの音楽性どころか人間性までがありありと見てとれる『インヴィジブル・フレンズ』は、やはり彼の代表作のひとつであると、ぼくは思う。ちなみにアルバムのタイトルにもなっている軽やかなスウィング・ナンバー「インヴィジブル・フレンズ」は、ヤンソンが自らの人生観に大きな影響を与えたユングにインスパイアされて書いた曲だ。

 

 ぼくはこの「インヴィジブル・フレンズ」という曲が大好きなのだけれど、テーマのたった8小節を聴いただけで、まるでこころの扉が開かれて自分のなかに新鮮な空気が流れ込んでくるような──そんなポジティヴな感情が湧いてくるのだから、これはミラクルと云うしかない。その気分をさらに高揚させられるようなピアノとベースとのユニゾンによるシンプルなコーラスもまた、目の覚めるような鮮やかさを放つ。ヤンソンのオリジナルのなかでも愛らしく親しみやすいブライト・トーンの曲という点では、港区南青山のジャズ・クラブBODY&SOULでのライヴが収められた『アット・イーズ』(2002年)や、スタジオ・アルバム『ウィットネッシング』(2002年)に収録されているサンバ調の「ジャスト・ビーイング」も大好きな曲だ。

 

 さらに云えば、上記の2曲と比較すると小品ではあるが『ホープ』(1999年)に収録されている、やはりサンバのリズムが軽快な「ザ・トゥリー」なども、ハッキリ云ってぼくの大好物だ。どうやらヤンソンのオリジナル・ナンバーでは、明るく澄んだ鮮やかな色合いのなかにも、そこはかとなく愁いを帯びるような曲に、ぼくの気持ちは華やぐようだ。つまりそれはヤンソンの音楽の素晴らしさのひとつなのだけれど、その美しい旋律には聴くもののこころをありのままの自分に還らせるような作用があるのである。あわせて彼が創造するセンシティヴでトランスペアレントな音世界には高い芸術性が感じられるけれど、決してリスナーに大きな精神的な要求を行うようなことはなく、至ってわかりやすくどこまでも優しい。

 

 これはいささか余談になるけれど、日米を股にかけて活躍するジャズ・ピアニスト、山中千尋がトリオで吹き込んだデビュー・アルバム『リヴィング・ウィズアウト・フライデイ』(2001年)のラストで「インヴィジブル・フレンズ」を演奏している。山中さんはオリジナルの風合いをしっかり活かしながらも、よりメロディック・ラインの輪郭を浮き彫りにし、アドリブ・プレイではストレートに突き進んでいる。ぼくはそのひたむきさにまんまと絆されてしまったし、即興演奏の推進力にすっかり惚れ込んでしまった。ぼくがこの澤野工房が大プッシュするアルバムを手にとったキッカケは「インヴィジブル・フレンズ」が収録されていることだったけれど、いまではトップを飾る山中さんのオリジナル「ビヴァリー」も愛聴曲となっている。ヤンソンに似た質感をもつ曲である。

 

(『インヴィジブル・フレンズ』については、下の記事をお読みいただければ幸いです)

 

およそ17年間つづいたラーシュ・ヤンソン・トリオの終結

 

 ときにぼくの親友のNくんが、早い時期から山中さんのファンだったのだけれど、やはり彼女が演奏した「インヴィジブル・フレンズ」が大のお気に入りだった。それならと、ぼくがNくんに原曲が収録されたアルバム『インヴィジブル・フレンズ』を聴かせたところ、彼はたちまちヤンソンの魅力の虜囚になってしまった。そして、同い年だけれど精神年齢的にはぼくよりずっとオトナなNくんは、こういうときは実にオトナ気ない行為に出る。折しも前述の『アット・イーズ』をリリースした日本のレーベル、スパイス・オブ・ライフが、スウェーデンのイモゲーナ・レーベルのディストリビューターとなり、ヤンソンの過去のリーダー作をまとめて再発売していた。Nくんは、それをぜんぶ大人買いしてしまったのだ。

 

 それは確か2003年ごろのことで、一連のイモゲーナ盤のリイシューは、その前年に当時のヤンソンの最新作『ウィットネッシング』の国内盤をスパイス・オブ・ライフが発売したのが契機となったと、ぼくは記憶する。ヤンソンは1994年にスウェーデン在住のベーシスト、森泰人とともに初来日を果たして以来、毎年のように日本を訪れていたけれど、日本で多くのファンを獲得したのはスパイス・オブ・ライフが彼のアルバムをリリースしはじめてからのことだったように思われる。あのIKEAが日本に進出したのは2006年のことだけれど、それに端を発する北欧ブームもヤンソンの人気にいくばくかの影響を与えたのかもしれない。ぼくが彼のピアノ演奏にこころ惹かれたのは1980年代の中ごろのことだから、そう考えるとホント長かった。

 

 それまでのヤンソンの関わったアルバムといえば、リーダー作や彼がソングライティングを手がけたボーヒュースレン・ビッグ・バンドの『ザ・ブルー・パール』(1996年)『ワン・ポエム・ワン・ペインティング』(1998年)は、簡単に入手できた。しかしサイドを務めたアルバムともなると、すんなり見つけられたのはウルフ・ワケーニウス(g)の『ファースト・ステップ』(1993年)、オーヴェ・イングマールソン(ts)の『ハート・オブ・ザ・マター』(1995年)、スカンディナヴィアン・ジャズ・クァルテットの『ア・ナイト・イン・ビルバオ』(1996年)、カトリーヌ・マッドセン(vo)の『ドリーム・ダンシング』(1997年)、スカンディナヴィアン・サミットの『ザ・チャイナ・コンサーツ』(2000年)くらいのものだった。

スウェーデンの湖の風景と黄緑色のピアノ

 こうして振り返ると、ぼくがよく聴いていたヤンソン関連のアルバムといえば、1990年代の作品に集中していることがわかる。ヤンソンは1970年代から活躍するピアニストだけれど、そのころのアルバムといえば、ノルウェーの自治体であるリレストレム出身のベーシスト、アリルド・アンデルセンの2枚のリーダー作『シムリ』(1977年)と『グリーン・シェイディング・イントゥ・ブルー』(1978年)しか、ぼくは聴いたことがない。どちらもECMレコードからリリースされたアルバムだけれど、日本でも人気のレーベルだったことが幸いし、容易に手にすることができた。そういえばヤンソンはすでにこのころから、ピアノに加えてシンセサイザーを弾いていた。透明感のあるコンテンポラリーなサウンドは、なかなかセンスがいい。

 

 もっとも古い吹き込みは、スウェーデンのフュージョン・グループ、マウント・エヴェレストの『マウント・エヴェレスト』(1972年)で、ヤンソンはここでフェンダー・ローズを弾いている。1980年代のヤンソンの吹き込みでは、なんといってもスウェーデンのレクサンド市出身のトランペッター、ウルバン・アイナスの『ラーン・トゥ・ラヴ』(1985年)を外すことはできないだろう。というか、ぼくはこれくらいしか聴いていない。アイナスはもともとクラシック畑のひとだけれど、その鮮明なトーンと溌剌としたプレイはなんとも痛快だ。スウェーデンのフォー・リーフ・クローヴァー・レコードからのリリースだが、ちょうどぼくがヤンソンのアルバムを聴きはじめた当時の新譜で、大した、たまげたことに日本のショップにも入ってきていた。

 

 このアイナスのアルバムはいわゆるワンホーン作品で、全編にわたってトランペットをメインに据えたクァルテットで演奏される。主役を支えるのは、ラーシュ・ヤンソン(p)、ラーシュ・ダニエルソン(b)、アンデシュ・シェルベリ(ds)の3人。つまり、およそ17年間つづいたラーシュ・ヤンソン・トリオなのだ。しかも全7曲中4曲は、ヤンソンのオリジナル・ナンバー。いかにも当時の彼らしいリリカルでコンテンポラリーな曲が連なる。それにもまして注目に値するのは、チャーリー・パーカーの「シェリル」やクリフォード・ジョーダンの「トイ」といった曲での、ハード・バップの本流を往くようなプレイ。ストレート・アヘッドなジャズを繰り広げるヤンソンを聴くことができるという点で、本作はたいへんな貴重盤と云える。

 

 このウルバン・アイナス&ラーシュ・ヤンソン・トリオ名義のアルバムのバック・カヴァーには、アイナスの写真とともにトリオのスリーショットがあしらわれている。3人ともすごく若々しい。現在も躍動感と透明感が横溢するエモーショナルなピアニズムは変わらないヤンソンだけれど、振り返ってみると若き日の彼の演奏には先鋭的な印象を与えるところもあった。もちろんいい意味でのことだけれど、しばしばヤンソンが自己の音楽に対する確固たる考えを、敢然とパフォーマンスに反映させるシテュエーションが、ぼくの耳にとまることもあった。そんな彼も、もう御年74歳。その音楽性は十分に熟成し、表現力は極めて熟達している。いまのヤンソンの音楽には、まるで芳醇な果実酒のように高い香りと深い味わいがあるのだ。

 

 ヤンソンは禅の探究者としての閃きをナチュラルに音景化した『アイ・アム・ザット』(2004年)をリリースしたあと、古巣のイモゲーナ・レコードを離れ、かねてよりスウェディッシュ・ジャズに高い関心をもつ日本のレーベル、スパイス・オブ・ライフにおいて、より自由闊達にこころの欲するところに従って音楽作品を創作していく。これはまったくの私感だけれど、このあたりがヤンソンにとって長い音楽人生のひとつの節目だったのではないだろうか。2005年1月に彼と長年行動をともにしてきたベーシストのラーシュ・ダニエルソンがついにトリオを離脱する。結果、かつてヤンソンとともにクリスタル・イーグルというグループで『ファースト・フライト』(1989年)というアルバムを吹き込んだ、クリスチャン・シュペリングがその後釜に座った。

 

フレッシュなメンバーシップが発揮された新生トリオ

 

 ところが、互いに阿吽の呼吸をはかるようなこの3人のプレイが聴けるのも、束の間のことだった。デンマークのチェンバー・オーケストラ、アンサンブル・ミッドヴェストを加えた『ワーシップ・オブ・セルフ』(2008年)と、フランスの小説家、マルセル・プルーストの畢生の大作『失われた時を求めて』の作品構造にヒントを得た『イン・サーチ・オブ・ロスト・タイム』(2009年)を吹き込んだあと、ヤンソンはこのトリオを解散する。それは彼にとって、デビュー作『サーダナ』以来、その音世界の最上の理解者として長年アンサンブルの節奏を支えてきたドラマー、アンデシュ・シェルベリと袂を分かつことでもあった。だがそれは彼にとって、恒常化する音楽表現を一旦リセットすることにもなり、結果的にはサウンドに新たな息吹がもたらされた。

 

 それはまさに新生ラーシュ・ヤンソン・トリオと呼ぶに相応しい、フレッシュなメンバーシップが発揮されたジャズ・コンボとなった。ベーシストは、デンマーク、ヘルシンゲル市出身のトーマス・フォネスベック。ヤンソンは1998年にデンマーク政府の要請を受け王立音楽アカデミーの音楽教授に就任したことがあるのだけれど、実はフォネスベックはその当時、ヤンソンの生徒だった。かたやドラマーは、スウェーデン、ストックホルム市出身のポール・スヴァンベリーで、彼はなんとヤンソンの息子である。1977年生まれのフォネスベックと1981年生まれのスヴァンベリーといった、ふた回り以上年下のサイドメンを迎えて、御大ヤンソン(1951年2月25日生まれ)も創作と演奏において、自ずとフレッシュなイメージを生み出さざるを得なかったことだろう。

 

 超絶技巧のベース・ワークを弾き出すフォネスベック、気韻生動なドラミングを展開するスヴァンベリー、そしてそんな追い風に吹かれてよりリリカルに、よりエモーショナルにピアノ・プレイのエクスプレッションを拡大させるヤンソンといったこの新生トリオは、もはやコンプレックスなハーモニーやシンコペーテッドなリズムが瑣末なもののように思われるくらい、神韻縹渺たる音楽を繰り広げる。まさにヨーロッパのジャズ・シーンの最前線をいく現行のラーシュ・ヤンソン・トリオは、これまでに6枚のアルバムを世に送り出している。なおフォネスベックの2枚のリーダー・アルバム『サウンド・オブ・マイ・カラーズ』(2013年)『ホェア・ウィ・ビロング』(2015年)も、同一のトリオで吹き込まれている。

スウェーデンの湖の風景と紫色のピアノ

 どれも甲乙つけがたい素晴らしい作品だが、最後にそんななかから敢えてこの1枚をおすすめしておく。それは2016年3月26日と27日との2日間にわたって吹き込まれた『モア・ヒューマン』(2016年)である。本作はヤンソンのリーダー作では、きわめてスペシャルなアルバムであり、これまでになくハートウォーミングな作品だ。というのもこの作品が、ヤンソン自身が厳選した15曲を収めた、彼にとって初のセルフ・カヴァー・アルバムだからだ。トータル的にはヤンソン自身、本作では特に気持ちが入っているせいか、熾烈なプレイは皆無だ。でも、問題ない。ヤンソンをはじめて聴くかたはその美旋律に胸が熱くなるかもしれないし、コアなファンのかたは単なる再演に終わることのない彼のプレイに、なんとも新鮮な気持ちにさせられること請け合いである。

 

 収録曲を古いアルバムから順に挙げていく。まず『ア・ウィンドウ・トワーズ・ビーイング』(1991年)から4曲も採り上げられているのがちょっと意外だったが、ヤンソンにとっては思い入れのある作品なのだろう。特に「モア・ヒューマン」は、彼のオリジナルではもっとも有名かもしれない。クラシカルで愁いを帯びた美しい旋律は、一度聴いたらこころに刻まれること間違いなしだ。ドリーミーな「マリオネット」は、明るく澄んだ鮮やかなトーンがなんとも清々しい。エキゾティックなワルツ「マザーズ・イン・ブラジル」は陰影に富んだ筆致が見事。原曲ではドラムスの代わりにパーカッションが使用されていた。ブルージーな「ザ・インナー・ルーム」はオリジナルよりも骨太の演奏が際立つ。また『ホープ』(1999年)の瞑想的な表題曲は、ここではまるで眼前の世界に戻るかのようなリアルなものとなる。

 

 これまた意外にも『ウィットネッシング』(2002年)からは「ザ・ウンデッド・ヒーラー・キャン・ヒール」がチョイスされた。寛いだ雰囲気のバラードに、ここでは軽妙さが加味されている。『アイ・アム・ザット』(2004年)からは表題曲が収録された。青白い炎が静かで激しく燃えるようなムードには至高の味わいがあるが、そんな楽想の輪郭がここではより浮き彫りになった。いっぽう『イン・サーチ・オブ・ロスト・タイム』(2009年)からは2曲がセレクトされた。ピアニスティックなサンバ「ゼア・イズ・ア・バタフライ・イン・マイ・ルーム」と、哀愁が漂うボッサ「シンプル・ソング・シンプル・ライフ」である。前者はよりグルーヴィーに、後者はよりラティニッシュになったが、いずれにせよこのようにリズムが強調されるところが、現行のトリオの特色のひとつである。

 

 さらに『ホワッツ・ニュー』(2010年)からの「ヒルダ・スマイルズ」と『エヴリシング・アイ・ラヴ』(2013年)からの「ヒルダ・プレイズ」は、ともにヤンソンの孫娘、ヒルダ・スヴァンベリーにちなんだ曲。本作のバック・カヴァーに写っているお絵描きに夢中のヒルダちゃんは、ジャケットのイラストも担当している。それはともかくこの2曲からは、ヤンソンのフランス人形を愛でるような優しいこころが伝わってくる。こういうテクスチュアもまた、現行トリオならではだ。そして『コーアン』(2012年)からの「トゥー・グッド・トゥ・ミー」はオーソドックスなバラードだが、そこはかとなく漂うノスタルジックな香りが絶品だ。個人的には、近年のヤンソンの作品のなかでも特に好きな曲だったので、今回の再録は嬉しい。

 

 本作のセレクションには、今回はじめてレコーディングされたナンバーが3曲ほどある。ポール・スヴァンベリー夫妻に捧げられた「ア・ビューティフル・スマイル」は、流麗なメロディック・ラインと柔らかい神聖なムードをもった曲。ヤンソンの温かい人柄が伝わってくる。ヤンソン自身失念していたが、友人が演奏しているのを動画配信で発見し思い出したという古い曲「サマー・ソング」は、晴れやかで軽やかなボサノヴァ調の曲。ノルウェーのベルゲン・ビッグ・バンドのために書かれた「フリーダム・オブ・ハート」は、おなじボッサでもヤンソンにしては珍しく都会的でブルージーな曲だ。以上のように本作では、ヤンソン自身の思い入れたっぷりの美しくもあり楽しくもある音世界を、高品質の録音で堪能することができる。ぼくらは、その響きに身を委ねるだけでいい。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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