クレート・ディガー垂涎のアイテム、最新のリマスターで復活!
Album : Yutaka Yokokura / Love Light (1978)
Today’s Tune : Love Light
日本よりもアメリカの西海岸で人気を博した
2000年代にはいってから、イギリスやアメリカで、日本のシティ・ポップが注目されるようになった。当然のごとく、このことは、インターネット環境の普及が大きく影響している。音楽に国境がなくなるというのは、実に有意義なことだ。まあシティ・ポップは、もともと欧米の音楽から影響を受けた日本のアーティストたちが、洗練されたアーバンなサウンドを志向して作った音楽だから、海のむこうのリスナーにウケるのも、当たりまえといえば当たりまえ。そのいっぽうで、どんなに洋楽に倣っても日本人の作った音楽には、どこか和の風味が香るわけで、それが却ってあちらのかたには魅力的に映るのだろう。
とにかく、シティ・ポップが海外において、ダンス・ミュージックとして使われたり「AORの秘境」とまで云われたりするのは、とても愉快なこと。そんなブームが逆輸入されたのか、日本でもここ数年、1970年代後半から1980年代にかけて制作されたシティ・ポップの作品が、世代を超えて再評価されている。そんななか、ソニーミュージックが企画する「アルデライト・シティポップ・コレクション」は、多くのファンを魅了することだろう。なぜなら、そのラインナップを見ると、国内外で注目を集めている名盤のなかでも、ちょっとまえまで入手困難となっていた作品がズラリと並んでいるからだ。
そして、シティ・ポップの秘宝の数々が、最新のリマスターで高品質Blu-spec CD2としてリイシューされるこのシリーズ──よく見ると、カタログのなかに、横倉裕『Love Light』のタイトルを発見!しかも、ジャケットがオリジナルの仕様になっているではないか!実はこのアルバムには、二種類のジャケットが存在する。(フィリピンや香港でも販売された)国内盤とUS盤とでは、装丁がまるで違うのだ。特に1978年に国内で発売されたオリジナル盤のほうはとても貴重で、その三年後に国内でレコードが再発売されたときも、さらにそのあとの二回のCD化の際にも、US盤のアートワークが採用されるばかりだった。
ということで、このアルバムがオリジナルのジャケット仕様でCD化されるのは、今回がはじめて。国の内外を問わず、大きな話題になりそうだ。というのも本作は、リリースされた当初、日本よりもアメリカの西海岸において、ラジオ・ステーションでヘヴィ・ローテーションとなり、人気を博したのだ。まもなくレコードが廃盤になると、未使用盤はもちろんのこと、中古盤でさえ高額で取り引きされるようになったという。ただ、それが日本で話題になりはじめたのは、GRPレコードから横倉さんのセカンド・ソロ・アルバム『YUTAKA』(1988年)がリリースされたころと記憶する。悲しいかな、当時のわが国では、それだけ彼の知名度は低かったのである。
それには、よんどころない事情がある。横倉さんは、日本ではまだ歌謡曲が全盛だった1972年から、本格的なブラジリアン・グルーヴをサウンドの主軸にすえたポップ・グループ、NOVOを結成し、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、そしてシンガーとしてプロ活動を開始した。ところが、シングル盤二枚をリリースするもヒットに恵まれず、ほどなくしてバンドは自然消滅。彼は、単身渡米し活動の拠点をロサンゼルスに構えた。その後、NOVOあるいは横倉さんが発信した、その新し過ぎた高い音楽性について触れられる機会は、ほとんどなかったのである。
(NOVOと横倉裕については、下の記事をお読みいただければ幸いです)
オリエンタルではなく、むしろアーバンなムードが横溢する
実は、この『ラヴ・ライト』──もともとは、アルバム・コンセプトがクロスオーヴァー/フュージョンとして掲げられた作品で、今回シティ・ポップと捉えられたことに、にわかに日本のミュージック・シーンの現況が感じられた。いまは、フュージョンよりもシティ・ポップなのだ。それに、DJがフロアでシティ・ポップをまわすように、フュージョンをシティ・ポップとしてエンジョイするというのも、なんだか心が浮き立つではないか。いずれにしても、その内容の素晴らしさをたくさんのひとが体験する機会が設けられるのだから、それがどんなカテゴリーに分類されても構わないというわけだ(ソニーミュージックさんに感謝)。
はなしを戻そう。横倉さんは、NOVO時代にセルジオ・メンデスと実際に会い(のちに横倉さんは1991年から2011年まで、セルメンのグループのキーボーディストを務めることになる)、その後、カーペンターズとともに来日していた、クワイアマスターのフランク・プーラーとコンタクトをとり、その伝手で1973年に渡米。プーラーが教授を務めるカリフォルニア州立大学で作曲とピアノを専攻。やがて、当時セルメンのオーケストレーションを担当していた、デイヴ・グルーシンに師事するようになる。さらに、グルーシンの仲立ちで、ジャズからポップスまで歌う人気シンガー、ペギー・リーのアレンジャーとして6年間働いた。
それから数年後のこと──横倉さんは、当時、海外向けの戦略としてフュージョン作品を活発にリリースしていたアルファレコードと契約する。アルファの創始者で、それこそシティ・ポップの先駆的メロディメーカーでもあった村井邦彦氏は、NOVOがカヴァーした、トワ・エ・モア の「愛を育てる」と赤い鳥の「窓に明りがともる時」の作曲者だ。そして『ラヴ・ライト』は、歴史的な観点からもハイクオリティなジャパニーズ・フュージョンのエクスプローラーとも云える、村井氏が自らエグゼクティヴ・プロデューサーを務める、アルファレコードからリリースされたのである。
それと同時に本作は、もとはデュオ・クリエイティクス(グルーシンのペンによる同名曲あり)という名称の原盤制作会社で、当時アリスタ・レコード傘下でGRPレーベルを立ち上げる直前だった、グルーシン/ローゼン・プロダクションによって制作された作品でもある。プロデューサーのデイヴ・グルーシンと元ドラマーでレコーディング・エンジニアのラリー・ローゼンは、すでにアール・クルー、ノエル・ポインター、パティ・オースティンをデビューさせており、横倉さんの場合もそれに追随する形となった。先蹤同様、本作は素晴らしい出来映えとなったが、まさか将来、クレート・ディガー垂涎のアイテムになるなんて、当時は誰も想像しなかっただろう。
本作のレコーディングは、1978年の6月から7月にかけて行われた。ベーシックなトラックは、ロサンゼルスのラスク・サウンド・スタジオにおいて名手フィル・シアーが録音。ストリングスなどのオーヴァー・ダブやリミックスは、ニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオにおいてラリー・ローゼンが担当。ミュージシャンの顔ぶれを観ると、グルーシンのほか、スタッフ在籍時のスティーヴ・ガッド(ds)、ハリウッド映画のファーストコール、スティーヴ・シェーファー(ds)、ジャズからクラシックまで幅広くこなすスー・エヴァンス(perc)、フレンドシップにも参加したエイブラハム・ラボリエル(b)など、グルーシン所縁のアーティストが目立つ。
ただ、このプロジェクトのいちばんの特色といえば、NY/LAの敏腕ミュージシャンだけではなく、ロサンゼルス在住の日本人ミュージシャン、喜多嶋修(ギター、琵琶、琴)と松居和(尺八)、さらに日系アメリカ人三世によるバンドHIROSHIMAのメンバー、ジューン・クラモト(琴)が参加したことだろう。横倉さんは、コンテンポラリー・ジャズのサウンドに和楽器の音色を加えることによって、異国に身を置く日本人としての自己のアイデンティティを表現したのである。とはいっても、それはキワモノ的なオリエンタル・ミュージックではなく、むしろアーバンなムードが横溢する洗練された音楽なのだ。
楽曲について──時代を超えて愛される良質な音楽
オープナーの「夜気/やき」は喜多嶋さんの曲で、リズムを横倉さん、ストリングスをグルーシンが、それぞれアレンジしている。ガッド&ラボリエルの打ち出すシンコペーションに乗って、パーカッシヴなカッティングをする琵琶と、歪んだ音像を奏でる尺八がとても印象的。ストリングスの駆け上がりやトレモロも、スリリングな雰囲気をより強化している。ちなみにこの曲、喜多嶋さんは自己のリーダー作『素浪人』(1980年)で、セルフ・カヴァーしている。そちらは、クレア・フィッシャーがアレンジを担当。喜多嶋ヴァージョンは、1983年のTVドラマ『本陣殺人事件』のテーマ曲として使用され、横溝ファンの間では人気曲となっている。
2曲目の「蜻蛉/あきつ」は、横倉さんのオリジナル。サビの部分が、ちょっとグルーシンの1975年の映画音楽「コンドル!」を彷彿させる。シェーファーとシーウィンドのベーシスト、ケン・ワイルドによる気持ちよくバウンスするリズムをバックに、横倉さんのフェンダー・ローズ、喜多嶋さんの琴、グルーシンのミニモーグが鮮やかなソロを展開する。つづく「ザ・レスト・オブ・マイ・ライフ」は、横倉さんが作・編曲、HIROSHIMAのリーダー、ダン・クラモト(ジューンのご亭主)が作詞を担当。横倉さんのヴォーカルとローズがフィーチュアされる。イントロは、グルーシンの名曲「モダージ」にインスパイアされたかな?蛇足だが、やはりグルーシンに師事したデヴィッド・ベノワの「96-132」という曲のメロディ・ラインも「モダージ」に似ていて、面白い。
横倉さんの作・編曲にセッション・シンガーのマルティ・マッコールが歌詞を付けた「ラヴ・ライト」は、グルーシン/ローゼンに見出されたばかりのパティ・オースティンと横倉さんによるデュエット曲。テンポといいコード進行といい、この曲はその後大きく進化する唯一無二の横倉サウンドの原点とも云える。また、当時グルーシンの秘蔵っ子シンガーだった、アンジェラ・ボフィルがこの曲をカヴァーしている。そちらはグルーシンが実にそつのないアレンジをしていて、ホント流石のひとことに尽きる。ぜひ、聴きくらべていただきたい。
横倉さんの作・編曲による「太白星/ゆうづつ」は、ヒップホップ系のアーティスト、J・ディラことジェイ・ディーがネタとして使用した曲。艶やかな琴のリフと、渋みと深みが濃くそれでいて温かみのある尺八の音色が素晴らしい。尺八奏者の松居さんは、四人のギタリスト──ラリー・カールトン、リー・リトナー、スティーヴ・ルカサー、ロベン・フォードをフィーチュアした『愛の黙示録』(1981年)というスゴイ作品をリリースしている。また、ジューンはテイスト・オブ・ハニーの1980年のヒット曲、あの「スキヤキ」で琴を弾いていたひと!
和楽器抜きの「オリエンタル・エクスプレス」では、作曲とリズム・アレンジを横倉さん、ストリングスとホーンズのアレンジをグルーシンが担当。横倉さんの両手のコンビネーションを活かしたローズの奏法は、もともと師匠であるグルーシンの十八番。テーマとソロを吹く、フロントのふたり──エディ・ダニエルズ(ts)は、その後GRPレコードでクラリネット・プレイヤーとして何枚も名作を残した。いまひとりのマイク・ローレンス(tp)は、ボブ・ジェームスの重要なバンド・メンバーだったが、37歳でこの世を去った。その余栄は『ナイトウィンド』(1987年)としてまとめられているので、聴いていただけたら嬉しい。
ラストのグルーシンの小曲「俳句」では、横倉さんのアコースティック・ピアノと、グルーシンのローズによるデュオ。グルーシンのフィルム・スコア『ザ・ヤクザ』(1974年)を連想させられる。ウィンド・ベルとデジタル・シーケンサーが効果的に使用されており、温もりのある余韻を残す。以上、いまあらためて本作を聴き直してみると、どの楽曲も即興演奏は控えめで、メロディとアンサンブルが重視されていることがわかる。しかも、終始ミッド・テンポの曲で構成されているところが、非常に現代的であるようにも感じられる。このあたりが、シティ・ポップにつながるのかもしれない。いずれにしても、それらが時代を超えて愛される良質な音楽であることは間違いない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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