The Claus Ogerman Orchestra / Gate Of Dreams (1977年)

ピアノの鍵盤
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“The Man Behind The Music”と称される、クラウス・オガーマンの音楽性が浮き彫りになった名作『夢の窓辺に』

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Album : The Claus Ogerman Orchestra / Gate Of Dreams (1977)

Today’s Tune : Caprice

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“The Man Behind The Music”と呼ばれた音楽家

 

 なんとなく“裏方さん”というと、舞台の裏側で働くひとのことだから、表立たず陰で地味に仕事をしている──というイメージをもってしまう。しかしながら、“縁の下の力持ち”という云いかたもあるように、たとえば華やかに演劇が上演されるのは、その背後で鋭敏な感覚、豊富な知識、そして高度な技術が駆使されているからだ。つまり“裏方さん”は、直接観客の目に触れることのないところで、いままさに新しいものが生み出される瞬間を支えている、重要な役割のひとなのである。そして、音楽作品が創造されるときにも、おなじようなケースがある。ここに“The Man Behind The Music”と称される音楽家がいる。だれあろう、ドイツ出身のコンポーザー、アレンジャー、そしてコンダクターでもあるクラウス・オガーマン(1930年4月29日 – 2016年3月8日)のことだ。

 

 オガーマンの名前を認識していなくても、彼が作り出したサウンドを耳にしたことがあるひとは、案外多いと思う。たとえば、アントニオ・カルロス・ジョビンの『イパネマの娘』(1963年)『』(1967年)などで、効果的に弦楽器群を鳴らしているのは、ほかならぬオガーマンだ。つまり彼は、20世紀のブラジル音楽を代表する大作曲家の、美しいメロディと心地いいハーモニーに、陰で彩りを添えていたというわけである。まさに“The Man Behind The Music”という呼び名に相応しい。そんな彼が手がけた、ボサノヴァ、ジャズ、ポップス、そしてクラシック等、多方面に渡る音楽作品59曲を集大成した、CD4枚組ボックス・セットがあるのだけれど、そのアルバム・タイトルがズバリ『ザ・マン・ビハインド・ザ・ミュージック』(2002年)だった。

 

 そんなオガーマンではあるが、後半生は裏方の仕事は控えめになり、1970年代から作曲していたクラシック作品のレコーディングに専念。キドン・クレーメル(vln)、ロンドン交響楽団と共演した『前奏曲と旋律 / エレジー / 交響的舞曲』(1982年)、おなじくクレーメル、ロンドン・フィル、それにマリリン・シュミージェ(vo)が参加した『リリカル・ワークス』(1997年)、オガーマン自身によるピアノ演奏とナショナル・フィルハーモニー管弦楽団が共演した『協奏曲集』(2001年)、ジャン=イヴ・ティボーデ(p)とユー・デング(vln)による『ナイトウィングス~オガーマン:ヴァイオリンとピアノのための作品集』(2007年)などは、どれも素晴らしい出来栄えだった。結果、オガーマンをクラシックの作曲家として再評価する気運が、一気に高まった。

チェロを弾く少女

 そういえば、オガーマンがこの世を去った翌年の2017年、彼がアメリカン・バレエ・シアターのために書いた組曲「サム・タイムズ」が収録された『交響的舞曲 / サム・タイムズ』(1992年)が、映画のサウンドトラックCDでおなじみのクリッツァーランド・レーベルから、装いも新たにデジタル・リマスター盤として復刻された。このアルバムの音源は、もともと1973年にオガーマンの指揮によるニューヨーク・スタジオ・シンフォニー・オーケストラが吹き込んだもの。トータル的にはシンフォニックなサウンドにまとめられているが、リズム・セクションとして、フランク・オーウェンス(key)、ヴィニー・ベル(g)、ゴードン・エドワーズ(b)など、ソウル・ジャズ系のミュージシャンが参加しているのが興味深い。

 

 オガーマンは、オルガン曲で名高いドイツの後期ロマン派の作曲家、マックス・レーガーと、20世紀現代音楽の先駆者ともいえるロシアの作曲家、アレクサンドル・スクリャービンを、敬愛する音楽家として挙げている。確かにその影響は、オガーマンのクラシカル・ナンバーから強く感じられる。ぼくは、常々オガーマンのサウンドに、実にモダンで都会的なクールさを感じているのだけれど、もとよりパターン化された音型がクドクドと反復されるようなことはないし、決して実験的で不確定性を含むサウンドが狙われるようなこともない。おそらく彼にとって、シリアスな音楽をクリエイトするときでも、現代音楽的手法は飽くまで一部の効果に過ぎず、音楽の主軸に置かれるべきものは、結局ロマンティックなスタイルなのである。

 

 クラウス・オガーマンは、ドイツのラーティボーア(現在のポーランド領ラチブシュ)に生まれ、高校卒業後、ニュルンベルクでピアノ、音楽理論、そして指揮法を学んだ。その後、クルト・エーデルハーゲン楽団マックス・グレーガー楽団などのドイツのジャズ・バンドに参加した。ハリウッドでほとんど仕事をしなかったオガーマンだが、この頃は十数本ばかり映画音楽も手がけている。1959年にアメリカはニューヨークに拠点を移し、1963年からはヴァーヴ・レコードのミュージカル・ディレクターを務めるようになる。またRCAに『屋根の上のヴァイオリン弾き』(1964年)『ソウル・サーチン』(1965年)『ワトゥーシ・トランペッツ』(1965年)『アメリアッチを踊ろう』(1966年)『ラテン・ロック』(1967年)といった、ライトなラテン・アルバムを立て続けにリリース。その後の彼の活躍からするとちょっと意外だが、クラブDJからはいまも人気を集めている。

 

名プロデューサーとの出会い──裏方としての華麗なるキャリア

 

 ドイツ時代はバンドメンをしながら映画音楽作家として活躍、アメリカ移住直後はブーガルーの流行に乗ってラテン・ミュージックのアルバムを数枚制作、そして後期はクラシックの作曲家として大きな成果を上げる──オガーマンにも、その長い音楽人生においては、そんな作品の中核を担う時期があったわけだ。では、裏方としての華麗なるキャリアがスタートしたのはいつかといえば、やはりそれはクリード・テイラーと出会ったときだろう。当時ヴァーヴ・レコードのプロデューサーだったテイラーは、数多くの作品でアレンジャーとしてオガーマンを起用。このコンビが手がけたアーティストは、前述のジョビンをはじめ、ビル・エヴァンスウィントン・ケリージミー・スミスウェス・モンゴメリースタン・ゲッツドナルド・バードカイ・ウィンディングカル・ジェイダーアストラッド・ジルベルトなど(キリがないのでやめる)。

 

 その後、テイラーは1967年にヴァーヴを離れ、自己のレーベルCTIレコードを創設するが、オガーマンはそちらでも引き続きオーケストレーションの仕事をしている。ジャズをポピュラライズするということをモットーに掲げていたテイラーだけに、手がけた作品のほとんどがジャズ・ミュージシャンのものだった。オガーマンは彼の方針に沿って、なかなか大衆性、あるいは商業性に結びつきにくいジャズという音楽を、華やかで美しい響きを加味することによって、見事に親しみやすいものにした。その優れた才能が発揮されるのは、至極あたりまえだが、ジャズだけに止まるはずがない。彼は同時期に、ソロモン・バークコニー・フランシスサミー・デイヴィスJr.フランク・シナトラアーサー・プライソックなどのポピュラー・ソングも手がけている。

 

 そういえば、クインシー・ジョーンズがプロデュースした女性歌手、レスリー・ゴーアの全米1位を記録した大ヒット曲「涙のバースデイ・パーティ」のアレンジもオガーマンだ。やはりオガーマンが手がけた全米5位の「涙のジュディ」とともに彼女のファースト・アルバム『アイル・クライ・イフ・アイ・ウォント・トゥ』(1963年)に収録されている。ゴーアは1960年代のガールズ・ムーヴメントにおいては、もっとも商業的に成功したシンガーだが、ちょっと鼻にかかったキュートな歌声がチャーミングで、だれがなんと云おうと、ぼくは好きだ。ちなみに、クインシーはこの曲を自己のアルバム『Q:ソウル・ヴォサ・ノストラ』(2010年)で、英国のシンガーソングライター、エイミー・ワインハウスに歌わせている。それにしても、クインシー×オガーマンという組み合わせは、いまとなってはちょっと意外だが、セカンド・アルバム『レスリー・ゴーア・シングス・オブ・ミックストアップ・ハーツ』(1963年)以降も、このコンビはしばらくゴーアをサポートする。

深夜に浮かぶ楽譜とピアノ

 さて、オガーマンの音楽を語るとき、テイラーと並んで重要な音楽プロデューサーがもうひとりいる。手がけた作品は、33回グラミー賞にノミネートされ、うち5回は受賞を果たした──そんな伝説的存在、トミー・リピューマである。彼は1960年代にA&Mレコードでロジャー・ニコルスをはじめ、サンドパイパースクリス・モンテスクローディンヌ・ロンジェなどのソフト・ロック系のアルバムをヒットさせた。1969年に自己のレーベル、ブルー・サムを設立し、ベン・シドランデイヴ・メイソンダン・ヒックスといった個性的なシンガーのアルバムや、ジャズ・クルセイダーズフィル・アップチャーチなどのファンキーなジャズ作品を制作し、その自由な発想力を大いに発揮した。

 

 クリード・テイラーがジャズ寄りのひとであるのに対し、トミー・リピューマのほうは、ジャズ、ロック、ソウル、ポップス、ブラジリアン──と、守備範囲が広い。そのマナーといえば、個々のアーティストの音楽性をしっかり際立たせながらも、通常よりワンランク上の洗練された良質なサウンドに仕上げる──そんな風格がある。当時、その楽曲の数々に絶妙な味付けを施していたのは、シンガーソングライターとして活躍するいっぽうで、ソフィスティケーテッドな作風のアレンジャーとしても定評のあるニック・デカロだ。彼はリピューマのプロデュースのもと『イタリアン・グラフィティ』(1974年)という傑作を残している。しかしながら、リピューマのほうはこのアルバムを制作したのち、大手のワーナー・ブラザースに移籍。よりアーティスティックでハイセンスなサウンドを追求する。その際、アレンジャーとして白羽の矢が立ったのが、ほかでもないオガーマンだ。

 

 そもそもオガーマンは、ドン・セベスキーボブ・ジェームスエウミール・デオダートデヴィッド・マシューズ等とともに、CTIレコードのハウス・アレンジャーの系譜に連なるひと。この錚々たる顔ぶれのなかから、敢えてオガーマンを抜擢したところは、いかにもリピューマらしい。もちろん、上記の音楽家は優れた技量の持ち主ばかりだが、彼らのスコアにはどうしても各々の個性が色濃く現れる。それはわるいことではないけれど、リピューマは飽くまで主役の音楽性に主眼を置くひとだから、裏方に徹することができる──という点を優先したのだろう。そういう意味で、オガーマンは最適任者だ。なにせ、奥ゆかしいほどに音の無駄使いをせず、常に適材適所で高品質の響きを提供するのだから──。

 

八面六臂の活躍の最中──主役として表舞台に立つ

 

 そして、リピューマ×オガーマンのマスターストロークが、はじめて顕著に見て取れたのは、やはりジョージ・ベンソンの『ブリージン』(1976年)においてだろう。アルバムは、アメリカレコード協会からプラチナディスクに認定されるいっぽう、グラミー賞においても複数の賞を受けた。本来ベンソンはジャズやR&Bにカテゴライズされるアーティストだが、ボビー・ウーマックのカヴァー「ブリージン」はポップ・シングル・チャートをも賑わせた。のちのスムース・ジャズのお手本のような清涼感に溢れたそのサウンドは、オガーマンによる弦楽器と管楽器のアンサンブルに依るところが大きい。 特にストリングスによる対旋律は、一度聴いただけで口ずさむことができるような平易さで流れてくる。

 

 マイケル・フランクスの『スリーピング・ジプシー』(1977年)のアレンジにもおなじことが云えるのだが、オガーマンが作るカウンター・メロディは、シンプルでありながら実にインプレッシヴなのである。しかも、たとえリズム・セクションがマスターリズム譜でラフな演奏をしていても、オガーマンのストリングスが入ることによって、全体のサウンドはいい具合に引き締まるから不思議だ。リピューマは、オガーマンとともにジョアン・ジルベルトの『イマージュの部屋』(1977年)を制作したあと、1978年からおよそ1年間、A&Mレコードのサブレーベル、ホライズン・レコードでプロデューサーを務めたけれど、特にマーク=アーモンドの『アザー・ピープルズ・ルーム』(1978年)と、ドクター・ジョンの『シティ・ライツ』(1978年)は、出色の出来栄え。かたやジャズ・ロック・ユニット、かたやニューオーリンズ系ブルース・シンガーという、異色のアーティストをオガーマンにメロウに料理させている。

 

 長年、裏方として八面六臂の活躍をしてきたオガーマンを、主役として表舞台に立たせたのもリピューマだ。アレンジャーとしての技量のみならず、その音楽性のすべてをもっとも高く評価していたのは、実は彼かもしれない。フュージョンの名盤として名高い、クラウス・オガーマン・オーケストラのアルバム『夢の窓辺に』(1977年)は、リピューマのプロデュースのもとワーナー・ブラザースからリリースされた。オガーマンにとっては、ブロードウェイ作品『その男ゾルバ』にちなんだ『ZORBA』(1968年)以来、9年ぶりのリーダー作となった。リズム・セクションに、ジョー・サンプル(key)、ラルフ・グリアソン(key)、ピーター・マウヌ(g)、チャック・ドマニコ(b)、ジョン・ゲラン(ds)、ラリー・バンカー(perc)、チノ・ヴァルデス(perc)、そしてソロイストに、ジョージ・ベンソン(g)、デヴィッド・サンボーン(as)、マイケル・ブレッカー(ts)と、実に贅沢なメンバー構成だ。

夢の窓辺に

  実は本作に収められいる楽曲は、まるごと前述のバレエ・スコア「サム・タイムズ」の曲なのである。曲順もニューヨーク・スタジオ・シンフォニー・オーケストラの吹き込みと同一。アルバム・タイトルのみが改題された。ただ、原曲ではラージ・オーケストラが主役だったが、本作ではリズム・セクションの演奏に焦点が当てられており、ストリングス&ホーンズはそれに彩りを添えるような形をとっている。その点、一連のリピューマ×オガーマン作品のスタイルとも云える。リピューマの長年の僚友、アル・シュミットのレコーディング&ミキシングが、その風格をひときわ映えさせている。部分的にはオーケストラにもスポットが当てられるが、全体的には優れたフュージョン作品といった趣きがある。

 

 3つのパートからなる「過ぎゆく秋」は、パートIではオーケストラによる静寂の境に浸るようなスロー・テンポ、間奏曲を挟んでパートIIではベンソンによるギター・ソロがジャジーなフレーズを紡ぐミッド・テンポ、パートIIIでは華麗なオケをバックにサンプルのアーシーなローズとサンボーンの渋みの効いた鳴きのアルトが歌う緩急をつけたテンポと、徐々に盛り上がっていく。つづく「カプリス」は、ゲランの軽快なドラミングに乗って、ブレッカーによる洗練された圧倒的なテクニックのテナーと、大胆なオケが呼応するかのような爽快なナンバー。さらに、オケによる色彩豊かなアンサンブル「エア・アンティーク」を挟んで、物憂げな「夜のおとずれ」に突入。サンボーンのアルトがビターな味わいで鳴きまくったあと、テンポがあがったところでサンプルのオルガンがファンキーに歌い、オケによる間奏を挟んで全体で終曲となる。

 

 ラストの「エデンのスケッチ」は、曲想といいオーケストレーションといい、ロマンティックでありながらソフィスティケーテッドなオガーマンの音楽性が全開。そのスケールの大きさも然ることながら、余韻を残すような叙情性の豊かさも素晴らしい。普段は舞台の裏側で駆使されている、鋭敏な感覚、豊富な知識、そして高度な技術が、ここでは遺憾なく発揮されているのだ。このプロジェクトの成功を機にオガーマンは、リピューマのプロデュース、シュミットのレコーディング&ミキシングで『シティスケイプ』(1982年)『ブルヴァール・トリステ』(1991年)『アクロス・ザ・クリスタル・シー』(2008年)といった(厳密にはマイケル・ブレッカーダニーロ・ペレスとのコラボレーション作品ではあるが)、彼が志向する革新的な音楽性を浮き彫りにしたリーダー作を吹き込むことになる。ぜひ、そちらも聴いていただきたい。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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