Shakatak / Night Birds (1982年)

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日本でも人気を博したイギリスのバンド、シャカタクの代表作『ナイト・バーズ』

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Album : Shakatak / Night Birds (1982年)

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近年さらに注目を集めるようになっているフュージョン

 

 ミュージック・マガジンが発行する月刊音楽雑誌『レコード・コレクターズ』の2024年5月号において、“フュージョン・ベスト100”なる特集が組まれた。表紙に記載されているように「70年代〜80年代を席巻した一大ムーヴメントを再評価する」というのが、特集記事の趣旨。その時代の音楽をリアルタイムで体験したぼくにとっては、興味が湧くのは当然のこと。しかしながら、そんな好奇心とは裏腹に、自分がこのテーマを「どうせまたおなじだろう」という悲観的な目で眺めていることに気がつくのである。というのも、こういう特集で採り上げられる音楽作品といえば、どんな定期刊行物、あるいは単行本においても、大体において似たり寄ったりだからだ。

 

 それと同時に、ぼくはある疑問を抱いた。それは「なぜ、いまさらフュージョンなの?」というもの。ご承知のとおり、フュージョンにカテゴライズされる作品は、いまもってクラブ世代から重宝されている。それでもそんな風潮のはじまりは、もう10年以上もまえのこと。確かにその影響力には、根強いものあがる。そもそもフュージョンをDJがフロアでプレイするというのは、1970年代の中ごろから1980年代のはじめにかけて、リアルタイムで行われていた。だからそのころのフュージョン作品には、ディスコやブギーと強く結びついたサウンドが顕著に窺えるのである。いずれにしても、いまさらヒップホップやダンス・ミュージックのサンプリング・ソースとしての価値を、あらためて語る必要はないだろう。

 

 ただこの記事のなかには、フュージョンが近年クラブ世代とは違った観点から注目を集めるようになっている──というような記述がある。2010年代のはじめに登場した音楽ジャンル、ヴェイパーウェイヴによって、過去のフュージョン作品が素材として採り上げられているというのだ。ヴェイパーウェイヴは、ちょっとしたDJ気分を味わえるようなターンテーブル・ドットエフエムをはじめとする、いわゆるオンラインコミュニティから発祥した音楽ジャンル。基本的にパソコンとデジタル・オーディオ・ワークステーション(DAW)を用いて、素材の加工とコピーアンドペーストのみで制作される音楽だ。サンプリングの対象は、1980年代から1990年代にかけての大衆音楽で、そのなかにフュージョンあるいはその後のスムース・ジャズも含まれるというわけだ。

夜の街の上空を飛行する二羽の怪鳥

 なるほどヴェイパーウェイヴは、その時代の文化風俗に対する回顧、批評、風刺という点において、たとえばストリートグラフィティのような、特定のひとたちには価値のあるものなのかもしれない。しかしながら正直云って、ぼくはサブカルチャー的な音楽にはあまり関心がないので、枠の外で「へえ、そんなことになっているのか」と、ただただ驚いたりあきれたりするばかりだ。でも、そんなぼくでも、この記事を読んでたいへん勉強になったし、そういったフュージョンに対する近年の再評価を機に、今後入手困難な作品が復刻されたりするのではと、胸が騒いだりもした。また、実はぼくもそうなのだけれど、いまひとつフュージョンという音楽がわからない、明確に定義することができないというかたには、本誌をおすすめする。

 

 ということで、問題の“フュージョン・ベスト100”を眺めてみると、率直に云って「やはりそうか」という感想がほとんどだった。ハービー・ハンコックの『ヘッド・ハンターズ』(1977年)を筆頭に、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエヴァー』(1972年)、ウェザー・リポートの『ヘヴィー・ウェザー』(1977年)、ジャコ・パストリアスの『ジャコ・パストリアスの世界』(1976年)といった上位を占める作品は、定番中の定番。そうはいっても実はぼくは、これらのアルバムで展開されている音楽をフュージョンと意識して聴いたことがなかったりする。マイルス・デイヴィスなどは、10位までに『イン・ア・サイレント・ウェイ』(1969年)『ビッチェズ・ブリュー』(1970年)『オン・ザ・コーナー』と3作品も入っているが、ぼくはマイルスの音楽をフュージョンと捉えたことは一度もない。

 

 ベスト10においては、ジョージ・ベンソンの『ブリージン』(1976年)、スタッフの『スタッフ!!』(1976年)の2枚が、ぼくが感覚的にフュージョンと認識している作品。ここまで9作品を挙げたが、これらの作品をすべて聴くことが、果たしてほんとうにフュージョンの神髄を知ることになるのだろうか。ぼくには、いささか疑問である。ビギナーズだったら、却ってフュージョンの本質を間違って認識してしまいそうな気もするのだが、いかがなものだろう。まあそれは置いておいて、残りの1枚だが、ぼくがもっとも驚きを禁じ得なかったのは、実はこの作品がチョイスされていたこと。 意外や意外それはイギリスのバンド、シャカタクの大ヒット・アルバム『ナイト・バーズ』(1982年)である。

 

 なぜここでシャカタクなのか?どちらかといえば、ジャズとロックの融合という方向性をもったマイルスのアルバムや、彼の門下生的なアーティストたちによる云うなればエレクトリック・ジャズの発展形のような作品が並ぶなか、フュージョンにカテゴライズされる作品においてもっともポップな一枚である『ナイト・バーズ』は明らかに浮いている。にもかかわらずこのアルバムが選ばれたのは、選者のなかに、当時まったく無名のバンドが日本の大衆に多大な影響を与えるのを、リアルタイムで目撃されたかたが多かったからかもしれない。考えてみれば、シャカタクが登場したあとの日本のフュージョン・シーンといえば、ジャズ色がすっかり薄くなったポップ・インストゥルメンタルといった趣きを呈する作品が増加したもの。

 

フュージョンにカテゴライズされる作品においてもっともポップな一枚

 

 さらにおなじころ、日本のレコード会社は、シャカタクの人気にあやかって、おなじイギリスのレヴェル42、アイスランドのメゾフォルテ、オランダのフルーツケーキといった、アメリカ以外のフュージョン系バンドまで引っ張り出してきていた。当時(1980年代初頭)といえば、街ではクリスタル族と呼ばれる女子大生たちが跋扈ばっこし、カフェバーなるものが一世を風靡していた時代だ。ポップなフュージョンは、音楽の愛好者であろうとなかろうと多くのひとたちから、お洒落なBGMとして大歓迎されたのである。マイルスのエレクトリック・ジャズがわるいわけではないが、それらが一般的にはこむずかしい印象を与えるのもまた事実。フュージョンの門戸を大きく開いたという点では、シャカタクの貢献度は高いと思われる。

 

 そういえば、テレビ朝日系列局で放送されていた深夜枠のワイドショー『トゥナイト』(1980年10月6日から1994年3月31日)では、オープニングのテーマ曲としてシャカタクの「ナイト・バーズ」が使用されていた時期がある。しかし著作権法に抵触したからか、間もなくオリジナル曲に差し替えられた。これが「ナイト・バーズ」を念入りにパクっていて、大いに笑える。MIDNIGHT FOXというバンドのずばり「トゥナイト」という曲で、作詞作曲をスティーヴ・マクドナルド(日本人のペンネームだろう)、編曲を大谷和夫が担当。1986年にシングル盤も発売された。原曲の「Flying through the night」と歌われる箇所が「Dancing tonight」となっているのが、とほほな感じでかなり恥ずかしい。いずれにしても、シャカタクの影響力には計り知れないものがある。

 

 ぼくがシャカタクの音楽にはじめて触れたのは、池袋の西武百貨店内にあったディスクポート西武において。あれは1982年の初夏だったから、まだショップの名称がWAVEに変更されるまえのことだった。ぼくがインショップを訪れたとき、偶然にも店内でちょうど「ナイト・バーズ」がプレイされていた。アコースティック・ピアノが主軸に据えられたセンチメンタルなメロディック・ラインとシンプルでメロウなサウンドが、ぼくの耳には新鮮に響いた。というか、それまでに聴いたことのない曲なのにもかかわらず、どこか懐かしさを覚えるような音楽と感じられた。とっさに大野雄二の曲を連想してしまったのだが、それにしてはずいぶんさっぱりしているというか、クセのない音だな──と思われた。

カフェバーのカウンターと女性店員

 そんな特徴から、ぼくは直感的に日本のリスナーの琴線に触れるようなサウンドでありながら、間違いなく日本産の音楽ではないと確信した。好きか嫌いかは別として、ぼくはたちまちこのアルバムに興味津々となった。こんな音楽を演っているアーティストが、ぼくにはどこのだれだかまったく見当がつかなかったけれど、こういうときはわからないが故に好奇心がそそられるものなのである。そしてレジカウンターを遠巻きにして眺め、こっそり再生中のレコードを確認した。それこそが、輸入されたばかりのLP『ナイト・バーズ』だったのである。ちなみに、そのときぼくはやはりリリースされたばかりのパトリース・ラッシェンの『ハート泥棒』(1982年)を同時購入したのだが、思えば2枚とも当時のフュージョン・シーンを象徴するような作品だった。

 

 ところで、シャカタクといえば、いつの間にかブリティッシュ・ジャズ・ファンクのレジエンド的な扱いをされるようになったが、日本に『ナイト・バーズ』が上陸したころは単純にフュージョン・シーンに颯爽と現れた新星というような観られかたをしたもの。そもそもジャズ・ファンクというコトバは、1980年代に入るまえはほとんど使われていなかったように思われる。この呼称が一般的に用いられるようになったのは、1980年代の後半あたりではなかっただろうか?おそらくアシッド・ジャズやレア・グルーヴのブームが到来したころだろう。と、勝手に思っていたら、どうやらぼくの勘違いらしい。ときを移さず発売された『ナイト・バーズ』の日本盤のタスキには、ジャズ・ファンクをほのめかすような記述が確かにあったのである。

 

 このLPのセールスコピーには「美しくも冷ややかな愛の美・G・M、《シャカタク》英国ジャズ/ファンク・シーンより登場!」というクダリがある。それでも音楽ジャンルの表記は“フュージョン AOR”となっているから、そこで使われているコトバはたぶんジャズ・ファンクという名称のカテゴリーを意味するものではないのだろう。いまやブリット・ファンクという呼称でも親しまれているブリティッシュ・ジャズ・ファンクだが、実はぼくはシャカタクの音楽をその範疇に入れて考えることに、少なからず戸惑いを覚えるのである。というのも彼らの音楽は、多少なりともR&B、ファンク、ソウルなどからの影響を受けているが、それらのリズムを融合することに主眼が置かれているわけではないからだ。

 

 ぼくにとってのブリティッシュ・ジャズ・ファンクといえば、アシッド・ジャズで人気を博すまえのギタリスト、ジャン=ポール “ブルーイ” モーニック率いるインコグニートのデビュー作『ジャズ・ファンク』(1981年)あたりが筆頭に挙げられる。それをちょっと遡れば、おなじくブルーイが主要メンバーのひとりだったグループ、ライト・オブ・ザ・ワールドの『ラウンド・トリップ』(1980年)も、個人的に大好きなブリット・ファンクの一枚として数えることができる。単純にそれらと『ナイト・バーズ』とを比べてみても、共通項を見出すのはなかなか困難だったりする。シャカタクのサウンドに、ジャズをベースとした強烈なビートや、ソウル・ミュージックのようなディープなファンキー・テイストは、ほとんどないのである。

 

構成がしっかり練られたポップ・インストゥルメンタルの名作

 

 愁いを含んだ素朴で流麗なメロディ、フォーオンザフロアを基本とした軽快なリズム、そしてエレガントな女性コーラスと、シャカタクのサウンドの特徴を列挙すると、どれもジャズ・ファンクのそれとは異なる属性ばかり。即興性があまりなくメロディで聴かせることに比重が置かれたそのアンサンブルは、従来のフュージョンのスタイルともまったく違うもの。敢えてその音楽に名称を割り当てるならば、やはりポップ・インストゥルメンタルということになるのかな──。いや待てよ、案外さきのコピーにある「美しくも冷ややかな愛の美・G・M」は、云い得て妙なのかもしれない。ぼくだったら、そんな表現に当時もいまも激しく小っ恥ずかしさを覚えるが、シャカタク・サウンドの楽しみかたを巧妙に示唆するものとも思われる。

 

 ついでに云ってしまうが、件のLPのタスキにはさらに「クリスタルな夜間飛行を貴方に!」という一節もある。ほら出たぞ、“クリスタル”が!それはやはり、“なんとなく”──なのか?そしてその次に出てくる表現といえば、なんといっても“ブリリアント”だろう──と、ちょっと羽目を外してしまったが、わかるひとは、ここで笑ってね。まあ、“あなた”が“貴方”と漢字表記になっていることも含めて、バブル景気を予感させるような時代の流行と趨勢すうせいにいたたまれない気持ちにもなるのだが、シャカタクの音楽がそんな時代のライフスタイルにすっぽりハマっていたのは事実だ。インプロヴィゼーションのなんたるかなど気にすることなく、だれもが楽しめるちょっとジャジーなポップ・ミュージックという点でも、彼らの音楽は極上だったのである。

 

 そんなシャカタクは、1980年にロンドンで結成された。そのグループ名の由来は、もちろん“釈迦拓”ではない。でも正直に告白すると、ぼくは当初「ナイト・バーズ」をはじめとする哀愁を帯びたメロディック・ラインをもったいくつかの楽曲から、もしやこの名称、東洋文化への憧憬からのネーミング?──なんて、勝手に想像を膨らませたていた。実際シャカタクのレパートリーには、西洋音楽にはあまり見受けられないウェッティなモティーフが顕現けんげんする瞬間があるから、そう思いたくなってしまったのだ。でもほんとうは、その名付けは、シャカタクがメジャー・デビューするまえから彼らのシングル盤を販売していたRECORD SHACKという、ソーホー地区のレコード店にちなんだもの。つまり“SHACK”+“ATTACK”=“SHAKATAK”ということだ。

ビッグベンの鐘と空に飛び散る音符

 なお『ナイト・バーズ』はシャカタクにとってセカンド・アルバムにあたるが、日本では本作の大ヒットを受けたあと、ファースト・アルバムの『トワイライト・ドライヴィン』(1981年/原題は『Drivin’ Hard』)も発売された。当時のメンバーは、LPジャケットのバックカヴァーに記載されているクレジットによると、ビル・シャープ(key)、ナイジェル・ライト(key)、キース・ウィンター(g)、ジョージ・アンダーソン(b)、ロジャー・オデル(ds)の5人。ライトはプロデューサーも兼任しているが次作の『インヴィテーション』(1982年)をもってグループを離脱。ウィンターは1989年に神経疾患に見舞われやむなく脱退(現在は活動を再開している)。アンダーソンは本作からの参加。前任のスティーヴ・アンダーウッド(b)は、音楽性の違いを理由に脱退している。

 

 さらに本作には、ジル・セイワードジャッキー・ロウローナ・バノンといった女性コーラス、サイモン・モートン(perc)、ステュアート・ブルックス(tp)、ディック・モリシー(ts, ss)といったゲスト・プレイヤーが参加。セイワードはのちにグループのレギュラー・メンバーとなる。モリシーは英国屈指のハード・バップ系のテナー奏者として有名だ。またソングライティングは、ラストの1曲(シャープの曲)を除いた全曲、シャープとオデルとの共作。ブラス・アレンジとトロンボーンはライトが担当している。冒頭の「ナイト・バーズ」については、もはや付言する必要もないだろう。強いて云えば、テーマに入るまえのブレイクとサビの女性コーラスは、シャカタクのトレードマークだ。あとコンガが案外グルーヴィーな効果をあげている。

 

 2曲目の「ストリートウォーキン」では、モリシーのテナーがいい。クールにブラックなジャズ魂を燃やしている。3曲目の「リオ・ナイツ」では、潮風が香るサンバのリズムに乗ってウィンターのギターが安定感のあるジャジーなプレイを聴かせる。4曲目の「フライ・ザ・ウィンド」では、アンダーソンによるスラップベースとシャープによるローズとのコントラストが、クセのある透明感を生んでいる。このあたりは、まさに英国風。B面ではシャープのピアノを全面的にフィーチュアした「イージアー・セッド・ザン・ダン」やはり彼のシンセとアンダーソンのベースがソロを執る「ビッチ・トゥ・ザ・ボーイズ」と、ハンドクラップ入りのディスコティーク向けのナンバーがつづく。

 

 つづくバノンがリード・ヴォーカルを執る「ライト・オン・マイ・ライフ」は、ちょっとソウルフルだけれど全体的にはビロードのように柔らかな雰囲気が醸し出されている。モリシーのソプラノもムードいっぱいにヴォーカルに絡んでくる。このアーバンなバラードが、意外にも最大の収穫だったりする。そしてラストの「テイキン・オフ」では、このグループにしては珍しく女性スキャット以外はハードコアなフュージョンが展開される。ただシャープのピアノの速弾きには、あまりジャズっぽさが感じられない。それよりも、サンバになってからのほどよく熱を帯びたウィンターのギターが最高!こうしてあらためて聴き直してみると、本作がお洒落なだけに終わらない、構成がしっかり練られたポップ・インストゥルメンタルの名作と、再認識させられるのである。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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