Patrice Rushen / Straight From The Heart (1982年)

ピアノの鍵盤
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人気曲「フォーゲット・ミー・ノッツ(忘れな草)」が収録されたパトリース・ラッシェンの最大のヒット・アルバム『ハート泥棒』

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Album : Patrice Rushen / Straight From The Heart (1982)

Today’s Tune : Where There Is Love

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ジェントル・ソウツのキーボーディストとして一気に表舞台に出る

 

 パトリース・ラッシェンの「フォーゲット・ミー・ノッツ(忘れな草)」という曲をご存知だろうか。知らないというかたでも、実際に音を聴いたら「ああ、この曲か!」と、思い当たる向きはけっこう多いのではないだろうか。というのもこの曲、トミー・リー・ジョーンズウィル・スミス主演の映画『メン・イン・ブラック』(1997年)のテーマ曲「Men in Black」の元ネタだからだ。ヒップホップ系のプロダクション・デュオ、ポーク・アンド・トーンによるドラム・プログラミング、R&B系シンガー、ココことシェリル・エリザベス・ギャンブルによるヴォーカルをバックに、ミュージシャンとしてはザ・フレッシュ・プリンスの異名をとるウィル・スミスがラップする、あのテーマ曲はあまりにも有名だ。

 

 このSFアクション・コメディ映画は大ヒットしたけれど、テーマ曲も流行った。そしてこの曲のベースとなっているのが、ラッシェンの「フォーゲット・ミー・ノッツ(忘れな草)」というわけだ。一応サンプリングということになっているが、グルーヴはもちろんのこと歌詞は変えられているけれどメロディック・ラインなども、ほとんどそのままのように聴こえる。でも「Men in Black」がヒットしたおかげで、ふたたび「フォーゲット・ミー・ノッツ(忘れな草)」やラッシェン自身にもスポットライトが当てられたので、よしとしよう。ところでパトリース・ラッシェンとは、どんなミュージシャンなのか。一般的にはソウル・ミュージックのシンガーソングライターとして知られているようだけれど、その観かたは半分正解と云える。

 

 ラッシェンは、天賦の才をもつ女性キーボーディストである。彼女のプレイにおける格別な技巧や能力は、その若き日から達人の域に達していた。往年のフュージョン作品を愛聴したかたなら、必ずやご存知であろうレジェンダリー・バンド、リー・リトナー&ヒズ・ジェントル・ソウツでアコースティック・ピアノとフェンダー・ローズ・エレクトリック・ピアノとを流暢に弾き分けていたのが、まさにラッシェンそのひとなのだ。実は彼女はこのバンドのメンバーになるまえからすでに、ギタリストであるリー・リトナーのデビュー・アルバム『ファースト・コース』(1976年)とセカンド・アルバム『キャプテン・フィンガーズ』(1977年)に参加していた。だがどちらのアルバムでも1曲のみの参加で、ハッキリ云って陰に隠れた感じだったことは否めない。

ピアノとラッパー

 しかしながらラッシェンは、ジェントル・ソウツのキーボーディストとして一気に表舞台に出る。1977年にリリースされたこのバンドのアルバム『ジェントル・ソウツ』は、歴史的名盤の名に相応しい。ジャズ・ピアニストのドン・ランディがオープンさせたことで知られるロサンゼルスの名門クラブ、ベイクド・ポテトにおいて、当時リトナーは毎週火曜日の夜にギグを行っていた。そのときの気心の知れたミュージシャンたちが中心となって結成されたのが、ジェントル・ソウツだ。レコーディング・メンバーはリー・リトナー(g)、アンソニー・ジャクソン(b)、ハーヴィー・メイソン(ds)、スティーヴ・フォアマン(perc)、アーニー・ワッツ(sax, fl)、デイヴ・グルーシン(key on Side-A)、そしてパトリース・ラッシェン(key on Side-B)。

 

 いまにして思えば、よくもまあこうもスゴい顔ぶれが集結したものだ。というのも、みなその後のフュージョン・シーンを席巻することになるアーティストばかりだからである。ところでこのレコードのA面でキーボードを弾いているデイヴ・グルーシンは、当時のぼくにとってすでに敬愛の対象となっていた。ブラジル出身の音楽家、セルジオ・メンデスの数々のアルバムやグルーシンが手がけた映画のサウンドトラック・アルバム『コンドル』(1975年)などを体験していたからだ。むろんここでの彼のヒューメインでグルーヴィーなコンポジションや、かっちりとしたキーボード・ワークは素晴らしいのだけれど、すっかり耳馴染んだものでもあった。それに反してB面でキーボードを弾くラッシェンは、ぼくにとって新奇な存在だった。

 

 この『ジェントル・ソウツ』に収録されているリー・リトナーのオリジナル・ナンバー「キャプテン・フィンガーズ」において、バックでスリリングにドライヴするフェンダー・ローズを聴いたとき、ぼくは思わず息を呑んだ。そしてそのプレイを一聴しただけで、ラッシェンが類い稀なるキーボードのヴィルトゥオーソであるとわかったのである。もともとこの難曲は、前述の『キャプテン・フィンガーズ』に収録されており、そちらでもラッシェンがローズを弾いていた。しかしながらこちらのヴァージョンでは、テンポ、テンション、スリルと、そのどれもがグレードアップしている。そんな怒涛のアンサンブルのなかに身を置きながらも、彼女は少しも動じることなくキーボード・ワークを飛翔させつづけている。

 

 ついでに云っておくとこのアルバム、いまとなっては伝説となっているダイレクト・ディスクだ。それはダイレクト・カッティングという手法で製作された、アナログ・ディスクのこと。その手法とは、いままさに演奏されている音楽がマイクで拾われ、その信号が直接カッティング・マシンに入力され、それと同時にラッカー盤に溝が刻まれるというもの。テープは使用されないので当然それによるノイズもなくなるわけで、音質が格段によくなるというメリットがある。そのいっぽうでダイレクト・ディスクは、少なくとも片面は通して録音されなければならない。失敗は許されないのである。だからミュージシャンはもちろんんこと、エンジニアをはじめとするレコーディング・スタッフも、みな冷や汗のかき通し。まだ通常のライヴ・レコーディングのほうが、差し替えや編集ができるぶん、肩の力を抜いてコトに当たることができるというものだ。

 

 そんな張り詰めた空気のなかで、ラッシェンは完璧な演奏技巧によって、やすやすと難局を乗り切っている。そんな卓越した演奏能力のもち主のポートレイトが、他のメンバーのものとともに『ジェントル・ソウツ』のバック・カヴァーにあしらわれている。そこに写るアフロヘアの笑顔がチャーミングなアフリカ系アメリカ人女性は、なんとこのときまだ22歳だったというから、ぼくの驚きは倍増した。また、このアルバムではハービー・ハンコックの『シークレッツ』(1976年)に収録されていた「ジェントル・ソウツ」がカヴァーされているのだけれど、原曲よりいささかテンポが落とされ重厚感が増した心地いいグルーヴのなか、ラッシェンのローズがハンコックのそれを彷彿させる。彼女がハンコックからいくばくかの影響を受けていることは、間違いない。

 

ジャズからソウル・ミュージックへのアプローチを強めていく

 

 その後ラッシェンは、リトナーのダイレクト・ディスク第2弾『シュガー・ローフ・エクスプレス』(1977年)において、アルバム全編にわたってアコースティック・ピアノとフェンダー・ローズを弾いている(グルーシンは不参加)。なお本作は海外ではリトナーのソロ・アルバム(英題『Sugar Loaf Express Featuring Lee Ritenour』)という扱いになっているが、日本ではジェントル・ソウツの2作目とされている。またラッシェンは、リトナーのスタジオ・ライヴ・アルバム『ジェントル・ソウツ・リユニオン〜オーヴァータイム』(2005年)において、およそ28年ぶりに『ジェントル・ソウツ』のレコーディング・メンバー全員と再共演を果たす。それを機に彼女は、リトナーのリーダー作『スモーク・アンド・ミラーズ』(2006年)にも参加した。

 

 ラッシェンが一躍スポットライトを浴びたのは、やはり『ジェントル・ソウツ』のレコーディングに参加したときと思われるが、実は彼女はそれ以前にすでにリーダー作を発表していた。そのデビュー作『プレリュージョン』(1974年)は、ジャズの名門レーベル、プレスティッジ・レコードからリリースされたが、レコーディング時のラッシェンは驚くなかれ、なんとまだ19歳だった。トニー・デュマス(b)、レオン・ンドゥグ・チャンクラー(ds)、ケネス・ナッシュ(perc)、ハドリー・カリマン(fl, ss)、ジョー・ヘンダーソン(ts)、オスカー・ブラッシャー(tp, flh)、ジョージ・ボハノン(tb)といった、ヴァイタリティ溢れるメンバーを従えて、ラッシェンは大胆不敵にも簡明直截なインストゥルメンタル・ジャズを繰り広げている。

 

 ときは1970年代半ばに差し掛かっていた。彼女が提案するジャズのスタイルには、ニュー・メインストリームとジャズ・ファンクとが交錯する。リズムひとつとっても、4ビートから16ビートまで変幻自在に展開される。楽曲はすべてラッシェンのオリジナルだけれど、一部にジャズ・ロックのテイストが含まれてはいるものの、トータル的には現代的なポスト・バップという印象を与える。とはいってもラッシェンはアコースティック・ピアノのほかに、フェンダー・ローズ、ホーナー・クラヴィネット、それにアープ・オデッセイまで逡巡することなく使用している。もしかするとザ・ヘッドハンターズリターン・トゥ・フォーエヴァーなどのサウンドが、意識されたのかもしれない。ただ、そこに小難しさはまるでなく、ひたすら心地いいグルーヴがつづく。

ピアノとダンサー

 これまで述懐したように、ぼくはリトナーの『ジェントル・ソウツ』を聴いてラッシェンに強い関心をもち、彼女のリーダー作を手にとることになったのだけれど、当初そんなヤツはぼくくらいのものだろうと高を括っていた。でもそれは、ジャズやフュージョンを聴きはじめたばかりで、まだその方面の知識に疎かったぼくの、まったくの勘違いだったのかもしれない。というのも実を云えば、日本国内でもこの『プレリュージョン』はちゃんと東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)から発売されていたからだ。それどころかプレスティッジにおけるセカンド・アルバム『ビフォー・ザ・ドーン』(1975年)とサード・アルバム『シャウト・イット・アウト』(1976年)も、ともにビクター音楽産業(現ビクターエンタテインメント)から発売されていたのである。

 

 つまりパトリース・ラッシェンはそのころすでに、注目のアーティストとしてそれなりに知名度を上げていたと思われるのだ。まあ、ときに壮絶なまでにどこまでも渾身のインプロヴィゼーションを押し広げていくようなキーボード・ワーク、それに反してまるで天使のようなあどけなさを残すルックスをもつラッシェンだから、実際そうであったとしてもさほど不思議ではない。むろんプレスティッジにおける3枚の彼女のリーダー作は、決して話題先行型の作品ではなくすこぶる完成度の高いアルバムに仕上がっている。ただラッシェンはこの3作品をリリースしたおおむね3年の間に、あたかも段階を踏むように自己の音楽スタイルを変化させていく。それはとりもなおさず、ジャズからスタートし次第にソウル・ミュージックへのアプローチを強めていくということである。

 

 サード・アルバム『シャウト・イット・アウト』においてラッシェンは、キュートでソフィスティケーテッドな魅力を放つヴォーカルを披露している。前作の『ビフォー・ザ・ドーン』では、バート・バカラックジョージ・デュークザ・クルセイダーズなどのライヴでリード・ヴォーカリストを務めたシンガーソングライター、ジョシー・ジェームスのファンキーな歌唱がフィーチュアされていた。しかしここでジェームスはバックグラウンド・ヴォーカルにまわり、メイン・ヴォーカルのラッシェンをサポートするばかりだ。ラッシェンが歌った「レット・ユア・ハート・ビー・フリー」は、のちにドイツのベルリンに活動の拠点を置くプロデューサー/DJユニット、ジャザノヴァがカヴァーするほどの、スタイリッシュなマスターピースだ。

 

 またこのアルバムにはリフレッシングなメロウ・グルーヴ「ステッピング・ストーンズ」のような、傑出したインストゥルメンタル・ナンバーも収録されている。爽やかなホーンズのアンサンブルも然ることながら、ラッシェンのローズのソロが短尺ながら実に小気味いい。このセンスのいい曲のソングライティングを手がけたチャールズ・ミムス・ジュニアは、その後ラッシェンのアルバム・プロデュースにおいて欠かせない人物となる。ミムスはコンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、そしてプロデューサーとして数多くのアーティストの作品に参加しているが、彼の最初期のアルバム・クレジットはラッシェンの『ビフォー・ザ・ドーン』でもあるし、その本領がもっとも発揮されたのは彼女の作品群だったと思われる。

 

 ついでながらミムスが制作に関わったラッシェンのアルバムを挙げると、前述のプレスティッジ・レコードの2枚『ビフォー・ザ・ドーン』(1975年)『シャウト・イット・アウト』(1976年)、エレクトラ・レコードに移籍したあとの『妖精のささやき』(1978年)『陽気なレイディ』(1979年)『おしゃれ専科』(1980年)『ハート泥棒』(1982年)『夏微風(サマー・ウィンド)』(1984年)、アリスタ・レコードからリリースされた『ウォッチ・アウト!』(1987年)、そして唯一日本で発売されなかったシンドローム盤『エニシング・バット・オーディナリー』(1994年)となる。以上のように、ミムスはラッシェンのリーダー・アルバムを2作目から10作目までつづけざまにサポートした、彼女のよきパートナーと云える。

 

ラッシェンの音楽に対する懐の深さが自然と表出したサウンド

 

 ちなみに『エニシング・バット・オーディナリー』は、そもそもディズニー・ミュージック・グループが所有するハリウッド・レコードによって制作されたのだが、ブレーンの作品の出来に対する不満から発売が棚上げされたという、曰くつきのアルバムだ。捨てる神あれば拾う神ありで、結局ニュー・アダルト・コンテンポラリー系のレーベル、シンドローム・レコードが原盤権を買い取り、無事日の目を見ることとなった。作品の質は決してわるくはないのだが、これも時代の趨勢でプログラミングやサンプリング、それにヒップホップの主要な要素であるラップなどの導入が目覚ましい。ひとことで云えば、先鋭的なのだ。過去のラッシェンのアルバムに観られた、柔らかなポピュラー・アピールやジャジーでソウルフルなメロウ・グルーヴは皆無に等しい。

 

 ただ興味深いのは、このアルバムのトップを飾る「アイ・ドゥ」という曲で、諧謔的に「フォーゲット・ミー・ノッツ(忘れな草)」がサンプリングされていること。やはりこの曲はミュージック・シーンにおいてはもちろんのこと、ラッシェン本人にとってもたいへん意義深いものであることがわかる。なお前述のリトナーのリーダー作『スモーク・アンド・ミラーズ』でも、ラッシェンは「フォーゲット・ミー・ノッツ(忘れな草)」をプレイしている。このアフロ・ビートが採り入れられたヴァージョンでは、ラッシェンはキーボードとバックグラウンド・ヴォーカルを担当。リード・ヴォーカリストを務めているのは、南アフリカ、フランクフォート出身の歌姫、ザマジョビである。ただこのカヴァー、残念ながらオリジナルの足元にも及ばない。

 

 果せるかな「フォーゲット・ミー・ノッツ(忘れな草)」といえば、さきに挙げた『ハート泥棒』のトップを飾るオリジナル・ヴァージョンが他の追随を許さないのである。そんなソウル・ミュージックのヒットメーカーでもあるラッシェンにも、本来のキーボーディストとしての側面を強く打ち出したアルバムがある。アルフォンソ・ジョンソン(b)、レオン・ンドゥグ・チャンクラー(ds)、アーニー・ワッツ(ss, as, ts, wind synth)とともに結成したグループ、ザ・ミーティングの『ミーティング・デビュー!』(1990年)『アップデート』(1995年)は、フルブローンなフュージョン作品だ。なお後者では、ベーシストが「フォーゲット・ミー・ノッツ(忘れな草)」のソングライターのひとり、フレディ・ワシントンに交替している。

ピアノとDJ

 またラッシェンは、ソロ・アルバムでは『シグネチャー』(1997年)という骨太のスムース・ジャズ作品も吹き込んでいる。注目すべきは、スタンリー・クラーク(b)、レオン・ンドゥグ・チャンクラー(ds)とトリオを組んでレコーディングした『ジャズ・ストレート・アップ』(2000年)である。なんと本盤は全曲ジャズ・スタンダーズのストレイト・アヘッド・ジャズ作品で、かつてジャズ・ピアニストとしてソロ・デビューを果たしたラッシェンの面目躍如たる卓越したピアノ・プレイを聴くことができる。1954年9月30日生まれの生粋のアンジェレノであるラッシェンは、6歳でピアノをはじめ神童と呼ばれ、バークリー音楽大学から名誉音楽博士号を授与されたほどの人物。音楽に関してとりわけ博識であり、演奏者としてはとてつもない達人なのだ。

 

 そんな敏腕プレイヤーであるラッシェンが、単なるジャズ・ミュージシャンにとどまらずソウル・ミュージックへ傾倒したのは、エレクトラ・レコードへの移籍が契機となったようだ。それについてラッシェン本人が言及しているのだが、R&Bの影響を受けた彼女の音楽性をもっとも理解し、彼女自身が歌うことを積極的に勧奨したのはこのレーベルだったという。それに加えて当時の米国のラジオ・ステーションでは、インストゥルメンタルに対してあまり門戸が開かれていなかった。でもその結果、ラッシェンならではのユニークなサウンドとグルーヴが生み出されたのだけれど──。個人的にはプレスティッジの諸作やエレクトラの1枚目『妖精のささやき』あたりが好みなのだけれど、客観的視点からすれば『ハート泥棒』がラッシェンの最高傑作とされるのは当然のこと。ミュージック・シーンに燦然と輝く名盤だ。

 

 アルバムのオープナー「フォーゲット・ミー・ノッツ(忘れな草)」は、グラミー賞において最優秀女性R&Bヴォーカル・パフォーマンス賞にノミネートされた。愁いを帯びたメロディック・ラインとキュートなヴォーカルがよく馴染んでいる。しなやかなスラップ・ベースと尖ったハンド・クラッピングも印象的。つづく「恋の予感」は疾走感のある8ビートだが、リズム面ではひとつのアクセントになっている曲。歯切れのいいホーンズは、いかにもチャールズ・ミムス・ジュニアっぽい。ロイ・ギャロウェイがリードをとる「オール・ウィ・ニード」は、フロアを熱くしそうなディスコ・チューン。コーラスの転調が爽快だ。唯一のインスト「ナンバー・ワン」は、グラミー賞最優秀R&Bインストゥルメンタル・パフォーマンス賞にノミネートされた。強烈なビートのなか、ピアノがジャジーなソロを展開するフュージョン・ブギーである。

 

 サイドBのトップを飾る「恋人たちの場所」は、ソフィスティケーテッドなコード進行が涼やかなアーバン・ソウル。ジャズとR&Bとが絶妙に溶け合っているころが、いかにもラッシェンらしい。つづく「ブレイク・アウト」は打って変わって、パンチの効いたロックンロール。シンガーソングライターであるブレンダ・ラッセルとのコラボレーション、マーロ・ヘンダーソンのギター・ソロが見事。メランコリックなAOR調のバラード「イフ・オンリー」では、ハートウォーミングなラッシェンのヴォーカルが感動を呼ぶ。グルーヴィーな「リマインド・ミー」は、ヒップホップやR&Bにおいて定番のネタとなっている有名曲。個人的にはジャズ・ピアニスト、国府弘子のアルバム『ダイアリー』(1998年)に収録された、杏里が歌ったカヴァー・ヴァージョンが好きだ。

 

 アルバムの幕を閉じる「彼女はハート泥棒」は、作品中もっとも異彩を放つナンバー。ラッシェン自身のアコースティック・ギターとパウリーニョ・ダ・コスタのパーカッションとのデュオによる、ブラジリアン・フレイヴァーをもつ軽妙なアコースティックなナンバー。馥郁とした香りのなかにあって、ラッシェンのヴォーカルは官能的にさえ響く。いまあらためてこのアルバムを聴きなおしてみると、本作のセレクションが案外ヴァラエティに富んでいることに気づかされる。それらは単に踊れるソウル・ミュージックに終わるものではなく、彼女の音楽に対する懐の深さが自然と表出した独特の楽曲であるように思われる。このあたりがパトリース・ラッシェンという音楽家の、もっとも魅力的なところと云えるのかもしれない。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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