佐藤允彦 / 佐藤允彦 女を奏う – 火曜日の女 – (1970年)

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ジャズ・ピアニスト佐藤允彦が音楽を手がけたドラマシリーズ「火曜日の女」を再評価する

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Album : 佐藤允彦 / 佐藤允彦 女を奏う – 火曜日の女 – (1970)

Today’s Tune : 美矢子・愛と犠牲 (蒼いけものたち)

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横溝正史の小説『犬神家の一族』のストーリーに感じたデジャヴ

 

 デジャヴというと、現代ではすっかり聞き慣れたコトバだが、ぼくが高校生のころはまだ市民権を得ていなかったと記憶する。個人的には、原田知世の主演映画『時をかける少女』(1983年)のなかではじめて聞いた。もともとは、超能力の研究をしていたフランスの超心理学者エミール・ブワラックというひとが提唱した概念。本来、心理学や脳神経学などの実にこむずかしい研究対象を表す用語のはずだが、いまではすっかり一般的に使われるようになった。それはデジャヴが、いま風に云えばアルアルな出来事で、多くのひとがそれを経験したことがあるからだろう。かくいうぼくにも、確かに見た覚えがあるのだけれど、それをいつどこで見たのか思い出せないという経験はよくある。

 

 やはり高校生のころ、カウント・ベイシー・オーケストラの『ディス・タイム・バイ・ベイシー』(1963年)というアルバムにおいて、まさに一度も耳にしたことがないはずの曲が、すでにどこかで聴いたことがあるように感じられる──という経験をした。ベイシーをこよなく愛するぼくの父が所有するレコードをこっそり拝借して、自室で聴いていたときのことだ。当時、吹奏楽部に在籍していたぼくは、ちょうど『愛のコリーダ』(1981年)が大ヒットしていたこともあり、クインシー・ジョーンズのアレンジに強い関心を寄せていた。それで、このアルバムを手にしたのだ。彼のポップなセンスが光る珠玉のビッグ・バンド・サウンド集のなかに、問題の曲はあった。結局、いつどこで耳にしたのかどうしても思い出せないので曲名を確認した。

 

 それは「ワン・ミント・ジュレップ」という曲だった。原曲はルディ・トゥームスが書いたR&Bソングで、ドゥーワップの代表的グループ、ザ・クローヴァーズの1952年のヒット曲だ。しかしそのときのぼくにとって、そんなことはまだ知る由もなかった。ただ曲名はしっかり記憶していて、デジャヴの原因はすぐに明らかになった。実はボブ・ジェームスの『スリー』(1976年)というアルバムの冒頭を飾っていたのが、同一の楽曲だったのだ。クインシーのアレンジによるピースが原曲に寄り添うようなミディアム・スウィングであるのに対し、ボブのヴァージョンはオリジナルのモティーフだけが活かされた、まったく雰囲気を異にするファンキーなクロスオーヴァー。これでは、とっさに同一曲とは気がつかない。

読書をしながら疑問を持つ少年

 さて、ここからが本題である。もとの作品のモティーフを大胆かつ自由に改変し、テーマを構成する要素から引き出したイメージを活かしながら、まったく違うスタイルの作品を創造するというのは、なにも音楽に限定された手法ではない。身近なところでは、映像作品にもそういう表現方法が見られる。実際、上記の「ワン・ミント・ジュレップ」の一件からさらに、ぼくにはある出来事がやにわに思い出されたのである。それは、さらに時間をさかのぼった小学校高学年のころのこと。ぼくは横溝正史の著書『犬神家の一族』を読んでいるとき、そのストーリーにデジャヴを感じたのである。もちろんそれは、やはり父の書棚から持ち出した、はじめて読む本。その原因たるや、その後1976年に公開され大ヒットした映画版を鑑賞してもなお、一向に判明しなかった。

 

 結論から云うと、ぼくはやはりそのストーリーを知っていた。それが明らかになったのは、10年以上も経った大学生のころ。ぼくは、たまたまある地方の独立放送局で再放送されたいた『蒼いけものたち』(1970年)というテレビドラマを観て、ハッとさせられた。思わず「これだ!」と、声に出してしまったかもしれない。ぼくは幼いころ、両親が観ていたこのドラマを、そのかたわらで観るともなしにではあるが確かに観ていた。そして、このドラマの原作こそが『犬神家の一族』だったのである。小学生のときに感じたデジャヴ、高校時代に「ワン・ミント・ジュレップ」の一件から蘇ったその疑問が、ようやく一気に解決した。胸のつかえがとれるとは、まさにこういうことだろう。

 

 この『蒼いけものたち』だが、原作の『犬神家の一族』が、それこそ大胆かつ自由に改変されている。おわかりのとおり、まずタイトルが違う。小説の舞台は終戦後の昭和20年代前半だが、ドラマでは当時の現代(1970年代)に置き換えられている。登場人物の名前もすべて変更され、おなじみの名探偵・金田一耕助も登場しない。そのかわり莫大な遺産の相続人と定められた女性が、主役に据えられている。物語の展開はほぼ原作どおりだが、本格ミステリーとしての謎解き感はいささか薄まっている。そのぶん血塗られた運命にあらがい、富よりも愛を求めて生きる純真なヒロインの強く生きていく姿が、とても魅力的に描かれている。こんな思いきったアレンジ、いまでは絶対にあり得ないだろう。

 

サスペンス・ミステリー系のドラマシリーズ「火曜日の女」とは──

 

 おどろおどろしい横溝正史の小説を等身大の現代女性のドラマに脚色したのは、ウルトラシリーズを手がけた脚本家、佐々木守。作品は日本テレビ系列のドラマシリーズ「火曜日の女」(1969年11月4日 – 1972年3月)の一本として制作された。1時間枠で放送されたこのシリーズは全29作、どの作品も6回前後で完結する連続ドラマとなっている。のちにこの番組、放送時間が変更された関係で、シリーズ名が「土曜日の女」(1973年4月7日 – 1974年3月30日)となり、さらに全8作が放送された。サスペンス・ミステリー系のドラマシリーズとしては、もっとも早かったと思われる。「土ワイ」も「火サス」も、もうちょっとあとだった。ウーマン・リブの時代だったせいか、どの作品も毎回、人気女優が演じるヒロインがフィーチュアされる。

 

 シリーズは脚本家が書き下ろしたオリジナル作品と、国内外のミステリー小説を原作とした作品とで構成されている。原作モノには、アンドリュウ・ガーヴの作品が4作もある。これには合点がいく。海外のミステリー作品といえば、当時は早川書房のポケミス(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)が全盛を誇っていたこともあり、ガーヴの作品は日本でも手軽に読むことができたし人気もあった。興味深いのは、ガーヴ作品に次いで横溝正史原作の作品が3作もあるということ。このころの横溝さんといえば、社会派ミステリーの勢いに押されて執筆を停止するほどの低迷期にあった。著書においても、そのほとんどが書店から姿を消していた。おなじみの杉本一文による絢爛たるカヴァーアートが、書店の平台を占有するのは、もう少しあとのことだ。

 

 こうなると横溝作品が採用されたのは、佐々木さんの趣味と慧眼けいがんによるものとしか思えない。さきに挙げた『蒼いけものたち』をはじめ『悪魔の手毬唄』を脚色した『おんな友だち』(1971年)も『三つ首塔』をアレンジした『いとこ同志』(1972年)も、すべて佐々木さんが手がけた作品なのだから──。これはぼくの想像だけれど、横溝ミステリーでは血縁関係に端を発して事件が勃発することが多いが、佐々木さんは、そういった独特なストーリーの要素から引き出したイメージを活かしつつ、現代的なスタイルのドラマを作りたかったのではないだろうか。親子、祖父と孫、姉妹、いとこ──といった、血のつながりによるたての社会的関係を清算し、自立する女性の物語を──。

6人の女性のシルエット

 そう考えると、単に金田一抜きの異色作として片付けるわけにはいかない。再評価とともに再放送やソフト化が望まれる(『いとこ同志』のみDVD化済み)。それに不粋なはなしで恐縮だが、このドラマシリーズのヒロインを演じる女優さんたちは、みな見目麗しい。酒井和歌子范文雀島田陽子も、フレッシュで溌剌はつらつとしていて神がかり的に美しい。もし放送当時のぼくがもう少し上の世代だったら、きっと彼女たちに淡い恋ごころを抱いていただろう。いやいや、ときを経てもその玉のような美しさは、決して色褪せることを知らない永遠のもの。それを確認できるということだけでも、このシリーズには希少価値があると断言できる。余計なことだが、ぼくは『クラスメート – 高校生ブルース -』(1971年)の凛とした美しさが際立つ、武原英子のような先生に教わりたかった。

 

 やくもないハナシはこれくらいにして、ドラマシリーズ「火曜日の女」の音楽について観ていこう。番組がスタートした1969年から1972年までの3年間、ジャズ・ピアニストの佐藤允彦が音楽を担当(計20作品)。1972年からおなじくジャズ・ピアニストの大野雄二が助っ人として登板するようになり「土曜日の女」になってから番組が終了する1974年までのすべての作品を手がけた(計17作品)。大野さんは当時、石立鉄男主演のホーム・コメディドラマ・シリーズの音楽を担当していたが、このシリーズのプロデューサー、小坂敬(NTV)が「火曜日の女」の企画にもたずさわっていたことから、佐藤さんのリリーフを務めることとなった。佐藤さんと大野さんは「慶応三羽ガラス」の二羽でもある。

 

 ふたりはともに慶應義塾大学のビッグ・バンド・ジャズ・サークル、ライト・ミュージック・ソサイェティーの出身で、慶應義塾高等学校の同級生でもある。ふたりの1年先輩にあたるコルゲン・バンドザ・プレイヤーズのキーボーディストとして活躍した鈴木宏昌(2001年没)とともに「慶応三羽ガラス」として勇名を馳せた。ちなみに彼らは『エレクトロ・キーボード・オーケストラ』(1975年)というアルバムに、揃って参加している。この作品では、8人の鍵盤奏者が20台のシンセサイザーをプレイするという現代ではあり得ないプロジェクトが実現されているが、そこで作曲やアレンジ、それにシンセサイザーの操作にもっとも意匠を凝らしていたのはこの3人だった。彼らは単なるジャズ・ピアニストではなく、実にクリエイティヴな音楽家だったのである。

 

多様で濃密な音楽が詰まったサントラ盤としては実に希有な一枚

 

 このドラマシリーズ「火曜日の女」では、作品の内容、主演女優のイメージにあわせて様々なスタイルのテーマ曲が出来する。ただ佐藤さんの曲も大野さんの曲も、その後の映像作品の音楽と比較すると、かなりジャズのトーンが強め。まあそれは、1970年代前半という時代を反映するもので、フリー・ジャズ、ジャズ・ロック、ボサノヴァ、イージーリスニングといった1960年代の音楽が発展途上にあるようなサウンドだった。特にリズムの面で、のちのフュージョンのように16ビートが主体となることはない。しかしながら、ふたりの紡ぎ出す流麗なメロディック・ラインやひねりを加えたソフィスティケーテッドなハーモニーからは、すでにそれとわかる強烈な独自性が感じられるのだ。

 

 それにそのサウンドは、いまとなっては過渡期ならではの貴重な音として新鮮にも響くし、却って当世の音楽よりもクールにさえ感じられる。ぼくなどは好きが高じて、前述の再放送の際にテレビの音声出力から、そのハイセンスなテーマ曲の数々をカセットテープに録音して聴いていたほどだ。佐藤さんの曲では軽快なロック・ビートに乗ってピアノとストリングスが上品にメロディを奏でる『幻の女』(1971年)のテーマ、大野さんの曲では躍動的なジャズ・ロックのリズムのなかチェロ、ピアノ、トランペットが熱く飛翔する『あの子が死んだ朝』(1972年)のテーマが、ぼくのお気に入りだった。ところがそれからほどなくして、まったくの偶然だが、ぼくはこのシリーズのサントラ盤と出会うこととなった。

 

 幸運にも地元のビデオレンタル店で投げ売りされているのを発見したのだが、サントラ盤が存在することすら知らなかったので、驚きと嬉しさでいっぱいだった覚えがある。それが東宝レコードがリリースした『佐藤允彦 女をうたう – 火曜日の女 – 』(1970年)というレコードだった。おそらく日本のテレビドラマのサウンドトラック・アルバムとしては、草分け的な作品になるのではないだろうか。ちょっと奇跡的な出来事のようにも思われるが、バークリー音楽院(現バークリー音楽大学)の留学から帰国したばかりの佐藤さんに、ホットなジャズ・ピアニストとしてスポットが当てられたのだとすれば、得心がいくというもの。しかも佐藤さんは、前年にピアノ・トリオによる『パラジウム』(1969年)という傑作を発表しているから、話題性は十分だったわけだ。

鍵盤の上を歩く猫

 このサントラ盤は番組開始からちょうど1年後に発売されているが、その速さからもレコード会社の佐藤さんへの信頼が窺える。ということで、本作の収録曲はシリーズ第1作から第9作までのテーマ曲のみとなっている。残念なことに、それ以降の作品、特に大野さんの曲はいまだに商品化されていない(ぜひCD化していただきたいもの)。レコーディング・メンバーは、佐藤允彦(key)、石川晶(ds)、荒川康男(b)、稲葉国光(b)、杉本喜代志(g)、後藤芳子(vo)といった、当時の一流のジャズ・プレイヤーたちで固められている。クレジットの記載はないが、曲によっては弦楽器、管楽器、打楽器なども加えられている。曲名にはドラマのヒロインの名前が冠されている。

 

 オープニングの「庸子・愛と過去」は第2作『耳飾り』(1969年 – 1970年)から。ヨーロッパ映画のようなエレガントなチェンバロとスウィートとなストリングスによるメロディが美しい。バスドラの軽快なフットワークとヴァイブのコードワークも効果的。余談だが、佐藤さんの弦楽器のオブリガートは非常に特徴的で、ベルエア・ストリングスの『クラッシー』(1985年)を聴いたときその対旋律から、ぼくには匿名のアレンジャー、リチャード・デューセンバーグ三世が佐藤さんであるとすぐにわかった。つづく「典子・愛と汚名」は第5作『美しき獲物』(1970年)から。冒頭と末尾はストリングスによる緊張感のあるアンサンブル、中間はピアノ・トリオによる寛いだバラード演奏という構成が面白い。

 

 3曲目の「千恵・愛と真実」は第6作『雨の日の罠』(1970年)から。後藤さんのシックなスキャット、ビターなアルト・フルートが印象的。ボサロックのリズムとホーン・セクションがバート・バカラックを彷彿させる。4曲目の「美弥子・愛と追跡」は第3作『恋の罠』(1970年)から。クラシカルなギターが主役。それにフルートとヴァイブが絡んだバロック調の曲。途中ピアノ・トリオによるジャズ・ワルツになるところがアクセントになっている。A面のラストを飾る「信子・愛と逃亡」は第1作『死と空と』(1969年)から。後藤さんのスリリングなスキャットを交えたピアノ・トリオによるフリー・ジャズ。佐藤さんのピアノによるインプロヴィゼーションが過激に荒々しく展開される。

 

 B面のオープナー「美矢子・愛と犠牲」は第8作『蒼いけものたち』(1970年)から。マンドリンによる切なくも美しいメロディが脳裏に焼きつく。ゆったりしたワルツの節奏のなか、ヴァイブのバッキングとピアノのソロが優美でモダンに響く。つづく「美佐子・愛と希望」は第9作『逃亡者 – この街のどこかで -』(1970年)から。スキャットがリードをとる哀愁が漂うウェスタン調の曲。さらに「佐紀子・愛と裏切り」は第7作『人喰い』(1970年)から。鍵盤ハーモニカがアドリブしまくるブルージーなロッカバラード。そしてラストの「早苗・愛と恐怖」は第4作『木の葉の舟』(1970年)から。ハービー・ハンコック風のリフ、ボサノヴァ、ジャズ・ロックと変化に富んだ曲。アコーディオンによるメロディ、杉本さんのギター・ソロ、佐藤さんのローズ・ソロ、石川さんのスネア・ロールと、聴き応えでは第一等。ということで、ここまで多様で濃密な音楽が詰まった本作──サントラ盤としては実に希有であり、名盤として今後もっと評価されるであろうと、ぼくは信じてやまない。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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