Francis Lai & Michel Legrand / Les Uns Et Les Autres (1981年)

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人生の過酷さ、素晴らしさが描かれた名作『愛と哀しみのボレロ』について語る

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Album : Francis Lai & Michel Legrand / Les Uns Et Les Autres (1981)

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忘れられないコトバ、忘れられない映画

 

「人生には二つか三つの物語しかない。しかし、それは何度も繰り返されるのだ。その度ごとに初めてのような残酷さで」──なんとも、含蓄に富んだ云いまわしではないか。これは、アメリカの女流作家、ウィラ・キャザー(1873年 – 1947年)のコトバ。教師、雑誌の編集者、そして小説家と転身し『われらの一人』(1922年)で、ピュリッツァー賞を受賞している。まったく面目ないのだが、ぼくは、大学時代に英米文学を専攻していたのにもかかわらず、いまもって彼女の作品を一冊も読んだことがない。しかしながら、この一文は知っている。いや、忘れようにも忘れられない。

 

 ひとつのリズムをキープしながら、ふたつのメロディを何度も繰り返していく──これは、管弦楽の魔術師の異名をとるフランスの作曲家、モーリス・ラヴェル(1875年 – 1937年)によって作曲された、バレエ音楽「ボレロ」の独特な構成。おわかりのとおり、キャザーのことばと共通するのは、“繰り返す”ということ。あまつさえ、古代ローマの歴史家、クルティウス・ルフスの有名なことばに「歴史は繰り返す」というのがある。ひとの物語は、繰り返す。人生は、さながらボレロのようなもの。なぜなら、時代が移ろうとも、人間の本質は変わらないからだ。

 

 さて、ぼくがキャザーのコトバを強くこころに留めているのは、もうお気づきであろう、フランスの映画『愛と哀しみのボレロ』(1981年)の冒頭で、それが引用されているから。そしてバックには、いわくありげにラヴェルの「ボレロ」が──。1930年代から1980年代にわたり、パリ、ニューヨーク、モスクワ、ベルリンを中心に、第二次世界大戦に翻弄された、二世代四つの家族の人生が交錯する群像劇。ちなみにこの映画は、群像劇のいくつかのパターンのなかでも、特に“より縄形式”の代表的作品として引き合いに出されることが多い。つまり、クライマックスで登場人物たちが集結し、ふたたび「ボレロ」──という結び方だね。

バレリーナ

 一応お断りしておくけれど、これはネタバレではないので、ご安心あれ。この映画は結末の意外性をねらったものではないので──というか、モーリス・ベジャール(1927年 – 2007年)の振り付けと、ジョルジュ・ドン(1947年 – 1992年)のパフォーマンスが、あまりにも有名過ぎて、そんなことは杞憂に過ぎないか。それはともかく『愛と哀しみのボレロ』という邦題──まったく上手いタイトルを考えたものだ。原題は『Les Uns Et Les Autres』という。フランス語で「お互いに」という意味。いかにもフランス映画っぽいタイトルだね。因果はめぐる糸車──この世界では、たとえ別々の出来事であっても、実はすべて互いに連関しあっている──ということだろう。

 

 監督は『男と女』(1966年)で有名なクロード・ルルーシュ。ぼくにとって、フランス映画では、もっとも好きな監督だ。いわゆるヌーヴェルヴァーグの作家とは、ちょっと違う感じがする。スタイリッシュな映像テクニックも然ることながら、人生の過酷さや素晴らしさを描かせたら、ダントツ。それもどこか、ファンタジックで寓話的なところがいい。無邪気に過ごした楽しい日々──成長したことで二度と戻ることのできないあのころ──人生を懐かしむような感覚が、より際立つ。『愛と哀しみのボレロ』は、中学生のころ友だちと中野の名画座で観た。なぜかスタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情』(1964年)と二本立てだった。

 

世界中のひとびとが、観て聴いて感動した!

 

 しばしば、この『愛と哀しみのボレロ』について、思慮が浅く拍子抜けする──という、批判の声を聞く。でも、ぼくはそれは違うと思う。ルルーシュは、パリのユダヤ系アルジェリア人の家庭に生まれた。ご承知のとおり、アルジェリアは当時フランスの植民地だった。そういう因縁因果を背負っているからか、彼のいくつかの作品には、国家ぐるみの組織的迫害に対する批判が、垣間見られる。しかしながら、それは決して写実的に描こうとはされていない。彼はピュアな映像作家であるとともに、巧みな物語作家であり、単純に観客を楽しませるひと。つまり、その作品は極上のエンターテインメントなのだ。そこが、素晴らしい!

 

 それにしても、あのころのぼくは若かった。上映時間は、二本合わせて4時間半以上。よく観たね。いまとなっては、かつての映画少年に、そんな体力も集中力も、まったくないのである。ちなみに『愛と哀しみのボレロ』は上映時間が185分と、もともと長尺の作品だが、本国でのテレビ放送用の完全版というのが存在する。なんと263分のロング・ヴァージョンで、ぼくはLDを所有しているのだが、プレイヤーが故障したままで現在鑑賞不可能。まあそれだけ好きな作品なのだけれど、はじめて劇場で観たときは、あんぐり口をあけるばかりだったな(観る度ごとに強く惹かれていった)。ただ、音楽はすぐに好きになった。

 

 サントラ盤は、何種類かある。まずはレコード。もっともポピュラーなのは二枚組LPで、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガル、オランダ、スカンディナヴィア諸国、カナダ、ブラジル、韓国、そして日本──と、世界中で発売された(ぼくもすかさず購入した)。世界中のひとびとが、観て聴いて感動したのだ!日本ではワーナー・パイオニア(現在のワーナーミュージック・ジャパン)がリリース。なぜか『ママの想い出/“愛と哀しみのボレロ”メイン・テーマ』というヴォーカル曲のシングル盤も発売された。この選曲には疑問を覚えるが、ご愛嬌ということで──。

小編成のバンド

 面白いのは、アメリカとイギリスのみでリリースされたもの。一枚のLPにコンパクトにまとめられていながら、ジャッキー・ワード(別名ロビン・ワード)の歌唱曲が2曲も収録されている。いくら彼女が元オールディーズで人気を博したシンガーとはいえ、これはちょっと露骨過ぎる。ちなみに、このポリドール盤のタイトルは『BOLERO』となっている。苦笑を禁じ得ないが、これくらいでほこを収めておこう。スゴイのは、フランスで限定発売された三枚組BOXセット。オリジナル曲に加えて、効果的に使用されたクラシック曲まで収録されている。

 

 いっぽうCDといえば、1988年にRCAからリリースされたフランス盤(1983年のヨーロッパ盤と同一内容)が一般的。前述の二枚組LPから「サラのセレナーデ」のヴォーカル・ヴァージョンとアップテンポ・ヴァージョン、それに「色褪せたポット」がオミットされ、逆に「愛と哀しみのボレロ」のヴァイオリン&アコーディオン・ヴァージョンが加えられた(後に2022年に公開40周年を記念した全18曲のエクスパンデッド盤も発売された)。おすすめは、上記の三枚組BOXセットから、クラシック曲を除くすべての楽曲が収録された二枚組CD。1994年に大阪のサウンドトラック・リスナーズ・コミュニケーションズがリリースした(流石!)。

 

 ちなみに、CDに収録されなかったクラシック曲の内訳は、ベートーヴェン作曲「ピアノソナタ第14番嬰ハ短調 第1楽章/月光の曲」、ショパン作曲「マズルカ第17番 変ロ短調(作品24-4)」、ベートーヴェン作曲「交響曲第7番イ長調 第4楽章」、ブラームス作曲「交響曲第1番ハ短調 第1楽章」、リスト作曲「交響詩 前奏曲(レ・プレリュード)」の5曲。まあ、以上の曲は未収録とはいえ、SLCの二枚組CDは、オリジナル曲をすべて収めた世界初の完全盤であり、作品世界を俯瞰することができる決定版と云える。

 

レイとルグラン──最初で最後のコンビネーション

 

 ところで、音楽のほとんどを作曲したのは、ルルーシュ監督とコンビを組むことが多い、フランシス・レイ(1932 – 2018年)。彼はアコーディオンを弾くが、楽譜を読むことも書くこともできない作曲家として有名だ。ハナウタを歌ったり、口笛を吹いたりしていたら、その才能を見出されたという。彼の作る曲はいつも流麗な旋律をもっているから、レイは希代の天才メロディメーカーと云うことができる。これは余談だが、ぼくもよく昼寝しながらメロディを口ずさんで作曲していた。あとで譜面起こしには、ピアノを使っていたけれど──。

 

 ということで当然のごとく、レイが生み出した数々の名曲のオーケストレーションは、本人のペンによるものではない。多くの作品は、作編曲家のクリスチャン・ゴベールがアレンジを担当している。誰もが一度は聴いたことがあるであろう『パリのめぐり逢い』(1967年)『白い恋人たち』(1968年)『ある愛の詩』(1970年)などのチャーミングなサウンドは、ゴベールが手がけたものだ。ちなみに、前述のシングルカットされた「“愛と哀しみのボレロ”メイン・テーマ」のリズム・アレンジも彼の手による。あとは、いっとき大貫妙子の作品のオーケストレーションを担当していた、アレンジャーのジャン・ムジーもレイと何度かコンビを組んでいる。

 

 ところが、レイが『愛と哀しみのボレロ』でコンビを組んだのはゴベールではなく、アカデミー歌曲賞を三回、グラミー賞を五回受賞する作編曲家であり、ジャズ・ピアニストでもあるミシェル・ルグラン(1932年 – 2019年)。これが最初で最後のコンビネーションになる。この作品で彼は、おもにアレンジャーとミュージカル・ディレクターを務めている(レコーディングにはシンガーとしても参加)。そのスコアは、クラシカルでありながらポップ、そしてジャジー。オーケストレーションはいつもどおり華美を極めているが、決して乱脈を極めることもなく心地好く響く。というよりは、音楽だけでも映画の感動がふたたび喚起される。本作はミュージカルの要素を多く含むが、その点、ルグランの貢献度は高い。彼の起用は大正解だ。

エッフェル塔と凱旋門

 楽曲の作詞では、フランス語の歌詞をボリス・ベルグマンピエール・バルーが、英詞をアラン&マリリン・バーグマン夫妻が、それぞれ担当している。シンガーは、あの「男と女」を歌ったニコル・クロワジール、ジャズ・シンガーのカトリーヌ・リュッセル、女優のジネット・ガルサン、日本で『パリのカフェから』(2000年)というアルバムをリリースしたこともあるリリアン・デイヴィス、ルグランに見出されたジャン・ピエール・サヴェッリ、ルグランの姉であるクリスチャンヌ・ルグラン、そしてジャッキー・ワード──と、超豪華。なお、レイとルグランも歌っている。

 

 最初に述べたとおり、映画のストーリーは、四カ国を舞台に、二世代四つの家族の人生が交錯する──というものなので、サウンドトラックのほうも様々なジャンルの音楽が盛り込まれている。つまり、レイとルグランが作ったいくつかのライトモティーフを、色とりどりのアレンジで味わわせてくれるのだ。しかも、ときには複数のモティーフがポリフォニックに展開されたりする。その内容たるや、シンフォニック、モダンダンス、スウィング・ジャズ、ラウンジ・ミュージック、さらに時代を超えてクロスオーヴァー、アダルト・コンテンポラリーなど、ジャンルは多岐にわたり、ひとつのテーマが多角的に捉えられている。ホント、これほど贅が尽くされた熱いサントラには、なかなかお目にかかることができない。

 

 最後におすすめの曲を──やはりまずはオープニングの「フォリー・ベルジェール」か。軽快なタップスの音色からはじまる、キャバレーでのパフォーマンスに華を添えるミュージカル・ナンバー。バックでよく動くストリングスと転拍子が、いかにもルグランらしい。この曲をラウンジ風にアレンジした「占領下のパリ」は、リリアン・デイヴィスのファルセット・ヴォイスがやたら可憐。彼女はルルーシュ&レイの『男と女II』(1986年)でも、やはり愛らしかった。さらに、ポリメトリックなシンフォニック・ジャズ「舞踏黙示録」、ビッグ・バンド・サウンドが全開する「サラのセレナーデ」(アップテンポ・ヴァージョン)、すべての楽曲をメドレーにした「色褪せたポット」あたりが、ぼくの好み。ぜひ、ご賞味あれ。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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