David Goldblatt / Facing North (1996年)

ピアノの鍵盤
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LAの6人のスーパー・ギタリストが参加──デヴィッド・ゴールドブラット&LA レジェンドの『フェイシング・ノース』

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Album : David Goldblatt / Facing North (1996)

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ジョディ・フォスターが絶賛したマーク・アイシャムのお抱えピアニスト

 

 デヴィッド・ゴールドブラットのフィルム・スコアに対する感受性豊かな解釈が、実に映画に信じられないくらい素晴らしい成果を残した──と述べたのは、女優で映画監督のジョディ・フォスター。彼女がメガホンをとった映画『リトルマン・テイト』(1991年)についてのコメントだ。映画では、7歳のギフテッドの少年、フォスター本人が演じるその母親、そしてふたりに関わる児童心理学者といった3人が、各々に葛藤を抱えながら成長していくさまが描かれている。このヒューマンドラマにおいて、モダン・ジャズの手法でセンシティヴなフィルムスコアリングを披露したのは、ジャズ・トランペッターでありエレクトロニクスを多用したサウンド・クリエイターでもあるマーク・アイシャムだ。

 

 アイシャムは、ニューエイジ・ミュージック系の作品を多く制作しているが、ジャズも演奏する。とはいえ、その本領が発揮されるのは、なんといっても映画音楽においてだろう。実際彼は、現在まで57本の作品を手がけるほどの、映画音楽の老練家となっている。そして、アイシャムの繊細な楽曲に精神的な厚みを与えているのが、デヴィッド・ゴールドブラットが奏でるピアノ。特にバラード曲の「リトルマン・ロスト」でのインプロヴィゼーションは絶品。フォスターは、その点を高く評価しているのである。なおゴールドブラットは、アイシャムのフィルム・スコアではおなじみのひとで、アイシャムのリーダー作『ブルー・サン』(1995年)のジャジーなピアノも彼によるものだ。

 

 ゴールドブラットは、ロサンゼルスを拠点に置くキーボーディストで、1980年代から幅広いジャンルの音楽作品に参加している。当初はベイエリアのラテン・マスター、パーカショニストのピート・エスコヴェードのグループに在籍していたこともあるという。確かに彼は、エスコヴェードのライヴ盤『イエスタデイズ・メモリーズ・トゥモローズ・ドリームス』(1985年)において、ソロイストとしてフィーチュアされている。ただぼくがそれを知ったのは、ちょっと後のこと。ぼくが彼のプレイをはじめて聴いたのは、ニューヨークで活動するカリオカ女性シンガー、ケニアの3枚目のリーダー作『ホワット・ユー・アー・ルッキング・フォー』(1990年)において。日本コロムビアのレーベル、ポートアズールからリリースされたアルバムだ。

グランドピアノと映画のフィルム

 ケニアのアルバムといえば、ブラジリアン・フュージョンの心地いいサウンドが特徴。フュージョンやアダルト・コンテンポラリーの名作を数多く手がけているジェフリー・ウェーバーのプロデュース作品だけに、ラリー・カールトン(g)、ジョン・ペーニャ(b)、アレックス・アクーニャ(ds, perc)といった、西海岸の敏腕プレイヤーがレコーディングに参加している。そんな名うてのスタジオ・ミュージシャンたちに交じって、ゴールドブラットはキーボーディストとして名を連ねている。しかしながら、やはりこのアルバムに参加したキーボード奏者としては、ゴールドブラットとほぼ同世代であるのにもかかわらず、当時どちらかといえばハードコアなフュージョンをプレイしていた、ミッチェル・フォアマンのほうがずっと有名だった。

 

 ということで、ぼくがゴールドブラットのピアノ演奏の美しさに魅了されたのは、やはり『リトルマン・テイト』のサントラ盤において。マーク・アイシャム(tp)、ケン・クーグラー(tb)、ボブ・シェパード(ts)、シド・ペイジ(vln)、デヴィッド・ゴールドブラット(p)、トム・ウォーリントン(b)、カート・ウォートマン(ds)といった、スモール・コンボによるスウィンギーなセッションも然ることながら、ゴールドブラットによる独特の愁いを帯びた旋律のソロ・ピアノ曲もあり、彼のセンシティヴな表現力が随所で光るアルバムとなっている。あらためて冒頭でご紹介したフォスター監督の賛辞が、実に的確なものであると思わされた。そしてそれ以降、特に1990年代のゴールドブラットは、アイシャムのお抱えピアニストといった印象を与える。

 

 アイシャムのフィルムスコアでは出番の多いゴールドブラットだが、チャック・ドマニコ(b)、カート・ウォートマン(ds)らとともにアイシャムのクールなトランペットをサポートし、見事にフィルム・ノワールな世界を描き出した『蜘蛛女』(1993年)でのプレイが印象深い。退廃的なムードが漂うトータル・サウンドの鮮烈なイメージは、衝撃的でさえあった。また、マーク・アイシャム(tp, flh)、ケン・クーグラー(tb)、スティーヴ・タヴァローニ(sax, cl)、シド・ペイジ(vln)、ジョン・クレイトン(b)、カート・ウォートマン(ds)らの職人ワザとともに、芸術と文化の香りが漂うジャズ・エイジを意識したゴールドブラットのスウィンギーなプレイ、そして幽玄でリリカルなピアノ演奏が光る『ミセス・パーカー/ジャズエイジの華』(1994年)も、楽しい。

 

 そしてなんといっても忘れられないのが、ロバート・レッドフォードの監督作品である『クイズ・ショウ』(1994年)のサウンドトラック盤。物語の舞台が1950年代後半のアメリカのネットワーク・テレビ業界であるため、アイシャムのスコアはジャズに集中している。このアルバムでゴールドブラットは、それこそ水を得た魚のようにジャジーなピアノ・プレイを展開。たとえばビッグバンド・ナンバー「世界一の賢者」では小気味いいバッキングを、クァルテットで演奏した「オーヴァーサイト・ブルース」ではブルージーなアドリブを、そしてソロ・ピアノによる「秘密を守って」では繊細なタッチで情感豊かにセンスのいいジャズ・ピアノを、それぞれ披露している。ソロ・ピアノの曲はジミー・ヴァン・ヒューゼンの「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ」を彷彿させるが、これはご愛嬌。

 

デリケートなセンシビリティをもつファンタスティックなピアニスト

 

 前述のように、その後ゴールドブラットは、アイシャムのリーダー作『ブルー・サン』のレコーディングに参加する。メンバーは、マーク・アイシャム(tp, cor, flh)、スティーヴ・タヴァローニ(ts)、ダグ・ラン(b)、カート・ウォートマン(ds)、そしてデヴィッド・ゴールドブラット(p, elp)となっている。アイシャムのアルバムのなかでは、クインテットのコンボ・スタイルという演奏形態が採用された、もっともジャズにアプローチした作品だ。とはいえここでのパフォーマンスは、定石どおりのスウィンギーなモダン・ジャズではなく、アイシャムがロック、アンビエント、あるいはニューエイジの経験を糧として育て上げた、イマジナティヴな音世界が顕在するもの。そして、管楽器のスモーキーな音色を包み込むようなピアノの副次的なプレイは、すこぶる耽美的だ。

 

 いずれにしても、ゴールドブラットのピアノ演奏は美しい。上記のアルバムに収録されているデューク・エリントンの「イン・ア・センチメンタル・ムード」を、ぜひ聴いていただきたい。都会的なグレイッシュな音世界にあっても、ゴールドブラットのピアノは、上質のリネンのようなしっとりした感じと、野に咲く花のごとき可憐な美しさを放っている。この演奏からもわかるように、彼は音の表現者としての、外界からの刺激や印象を受けいれる能力、そして音楽に対するスタンスや考えかたなどの柔軟性が、とにかく抜群なのである。そんな優れた音楽家であるのにもかかわらず、ゴールドブラットが脚光を浴びる機会はきわめて少ないので、ぼくとしてはまったく合点がいかない。

 

 そんな背景から、ゴールドブラットのピアノ演奏に予期せず出会ったときは、感激もひとしお。2000年代に入ってから、そんな出来事が2度ほどあった。まず、1970年代から活躍するアルコ奏法でユニークな音空間を創出するベーシスト、テリー・プルメリのリーダー作『ブルー・イン・グリーン』(2005年)に、ゴールドブラットのクレジットを発見。しかもビル・エヴァンス・トリオの最晩年のドラマー、ジョー・ラバーベラが加わった、トリオ作品だ。エヴァンスゆかりのセレクションも然ることながらトリオのエヴァンスへのトリビュートが、印象派のハーモナイゼーションとリリシズムを溢れさせている。ゴールドブラットはエヴァンスっぽくはないが、繊細なタッチと端正なフレージングで、透明感のある音世界に溶け込んでいる。

グランドピアノとトランペット

 そしてもう1枚──プルメリのリーダー作を聴いてからおよそ1年後、このアルバムをはじめてプレイしたときは、ぼくにとって劇的な瞬間であった。なぜなら、ある程度は予想していたものの、それをはるかに上回るファンタスティックなピアニズムがそこにあったからだ。そして、ゴールドブラットの音楽性をすっかり理解しているつもりだったぼくだが、ここでの彼の演奏を聴いて、あらためて彼が確かな技術と豊かな感受性を兼ね備えたすごいピアニストであると、思い知らされたのである。それはボーディ・アンド・ソウル・レコードという未知のレーベルからリリースされた、ゴールドブラットのソロ・ピアノ・アルバム『アワ・ソングス』(2006年)だった。なにやらココロの迷いが解けそうなレーベル名だが、本作は自主制作盤なのかもしれない。

 

 世界に星の数ほど存在し、今後も永遠に尽きることがないであろうソロ・ピアノ作品だが、これほど驚異的なアルバムにはなかなかお目にかかることはできないと、ぼくは思う。ここで云う驚異的とは、某ピアノ対決のテレビ番組に登場するYouTuberさんたちの演奏のようなスゴさを形容するものではない。あれはアクロバティクスとしてきわめて驚異的だけれど、ゴールドブラットのピアノ演奏にはそういうところはなくて、もっぱらアーティストリーとして目の覚めるような驚きがあるばかり。ゴールドブラットのソロ・ピアノでは、どんな楽曲のメロディやモティーフも変幻自在。彼が演奏する楽曲たちは千変万化の表情を見せる。つまり聴き慣れた楽曲の数々が、ゴールドブラットの手にかかると、かつてない多彩な様相を呈してくるのである。

 

 たとえば、アルバムの冒頭でディジー・ガレスピーのアフロ・バップ・ナンバー「コン・アルマ」がクラシカルなマナーでプレイされ、意表を突かれる。茫然自失の体で聴き惚れていると、今度はロバータ・フラックの歌唱で有名なイーワン・マッコールの「愛は面影の中に」が、装飾を排したシンプルな装いで演奏される。その独特の愁いを帯びたメロディック・ラインが、静謐を湛えながら叙情的に綴られていく。そしてぼくが完膚なきまでにやられたのは、B. J. トーマスが歌ったバート・バカラックハル・デヴィッドの名コンビによる「雨にぬれても」だ。近年、女優の清原果耶もカヴァー(?)した名曲中の名曲だが、ピアノで弾くと案外つまらなくなる。その点、ゴールドブラットのアレンジは実に感動的で、この手があったか!と思ったもの。

 

 とにもかくにもゴールドブラットは、デリケートなセンシビリティをもつファンタスティックなピアニスト。巷に溢れる無知蒙昧にして無闇矢鱈に弾きまくるピアニストとは、対極に位置するプレイヤーだ。そんなゴールドブラットのプロフィールといえば、やはりあまりよく知られていない。彼は1959年2月29日、イリノイ州のシカゴに生まれた。6歳からピアノをはじめ12歳まではクラシックのレッスンを受けていた。その後、即興演奏に興味をもち高校時代にはジャズを演奏するようになる。彼はハイスクールを1年早く卒業し、ノーザン・イリノイ大学のリベラルアーツ・プログラムを履修。学内のバンドでは、ディジー・ガレスピーとも共演したという。

 

貴重なリーダー作──レジェンドといった風情を感じさせるピアニスト

 

 さらにゴールドブラットはボストンのバークリー音楽大学へ進学したが、在学中からすでにファンク・バンドなどでプロのミュージシャンとして活動した。その後サンフランシスコに移り、昼間は銀行の窓口係として働き、夜間はクラブでリズム・アンド・ブルースやジャズのギグを行っていたという。前述のように彼がエスコヴェードのグループに参加したのは、ちょうどこのころのことだ。またゴールドブラットは、キーボーディストとしてスタジオ・ワークを経験しながら、1985年から2年間、ロサンゼルスのディック・グローブ音楽学校に通い、オーケストラやビッグバンドの作曲と編曲を学んだ。ロスではギタリストのフィル・アップチャーチや、ベーシストのゲイリー・ウィリスらと共演している。

 

 実はゴールドブラットは一時期、ウィリスがギタリストのスコット・ヘンダーソンと結成したプログレッシヴ・フュージョン・バンド、トライバル・テックのメンバーだったこともあるのだ。このグループの3rdアルバム『ノーマッド』(1990年)、4thアルバム『トライバル・テック』(1991年)、そして7thアルバム『プライマル・トラックス』(1994年)に、ゴールドブラットのクレジットを見出すことができる。彼はここでキーボードをプレイするばかりでなく、何曲かソングライティングも担当している。ただゴールドブラットの知名度を上げたのは、トライバル・テックに参加する直前の1989年から1990年まで、ポップ・ソウル・シンガー、ダイアナ・ロスのワールド・ツアーにおいて音楽監督を務めたことだったのだけれど──。

 

 おなじころゴールドブラットは、イギリスのロック・バンド、ザ・ポリスのもとギタリスト、アンディ・サマーズとフュージョン・バンドを組む。サマーズは、ロックのみに留まらず、ジャズ、ニューエイジ、クラシック、それに映画音楽に至るまで、幅広く活躍する音楽家だ。ふたりは1992年、俳優でコメディアンのデニス・ミラーが主演するテレビの深夜枠トーク番組『ザ・デニス・ミラー・ショー』において、ともにバンドリーダー、そしてミュージカル・ディレクターを務めた。ただ視聴率は芳しくなく、番組は7か月で打ち切りとなった。いずれにしても1990年代のゴールドブラットは、前述のアイシャムのフィルム・スコアの仕事も含めて、自己の音楽性の幅を広げていたと云える。

グランドピアノとエレキギター

 そんなまさに脂が乗っている時期に、ゴールドブラットは『フェイシング・ノース』(1996年)というリーダー作を吹き込んでいる。本人名義のアルバムは、本作とさきに述べた『アワ・ソングス』とをあわせて、2枚しか存在しない(もったいない)。この『フェイシング・ノース』は、日本のポニーキャニオンとニューヨークのジャズ・クラブ、スウィート・ベイジルがコラボして1994年に発足されたレーベル、SWEECA(スウィーカ)からリリースされた。同レーベルは当時、フュージョン・シーンの陰の立役者にスポットを当て、良質の作品を世に送り出していた。この貴重なゴールドブラットの1枚もまた、極上のコンテンポラリー・ジャズ作品に仕上がっていて、まさしく知られざる名作と呼ぶに相応しい。

 

 本盤のアーティストの日本語表記が、デヴィッド・ゴールドブラット&LA レジェンドとなっているのはご愛嬌というところだが、これには理由がある。それは本作のセッションに、ラリー・カールトンリー・リトナーデイヴィッド T. ウォーカーポール・ジャクソン・ジュニアワー・ワー・ワトソンヴァディム・ジルベルシュテインといった、6人のアメリカ西海岸の人気ギタリストが参加しているから。彼らのほうがリーダーよりも知名度が高いから、そういう売りかたになったのだろうが、個人的にはゴールドブラットのほうがレジェンドといった風情を感じさせるように思う。そして、スムースに聴ける心地いいサウンドと、格別な技巧と能力が発揮されたインプロヴィゼーションとが共存する本作こそ、このさきも語り伝えられるべきものなのである。

 

 曲目は1曲のみがカヴァーで、残りの9曲は(共作も含めて)すべてゴールドブラットのオリジナル。冒頭の「パンダ」はプログレッシヴなアフロキューバン・ナンバー。ジャッド・ミラー(EWI)とカールトン(g)がユニゾンでメロディを奏でる。前半はカールトンのソロが華麗に歌う。後半はゴールドブラットのダイナミックなピアノ・プレイの独擅場。つづく「クーラ」はフォープレイを彷彿させるアーバン・フュージョン。ゴールドブラットによるフェンダー・ローズの乾いた音色とウォーカーによるギターのブルージーなフレーズがクール。イエロージャケッツ風の「サー・リアル」ではジョン・ペーニャのフレットレス・ベースとスティーヴ・タヴァローニのソプラノがミステリアスなムードを演出。かたやウィリアム・ケネディ(ds)とルイス・コンテ(perc)とによるリズム・キープが軽快だ。

 

 ウェイン・ショーターの『ジュジュ』(1965年)に収録されている「イエス・オア・ノー」はモーダルな4ビートからジャズ・ファンクへお色直しされている。カールトンのギターとゴールドブラットのミニモーグがファンキーだ。ビバップ調の「ブリーフ・エンカウンター」ではリトナー(g)、タヴァローニ(ts)、ゴールドブラット(p)と、ジャジーなアドリブがつながれていく。つづく「35 キセス」ではヒップホップのリズムが導入されている。ワトソンのギターがソウルフルなグルーヴィー・ナンバーだ。ロック・ビートの「ジョフラ」では先鋭的なエレクトリック・ジャズが展開される。ジルベルシュテインのギターが、サウンドに独特の緊張感を与えている。明鏡止水のごとき美しい空気感をもった「バット・ノット・フォーガットン」ではピアノとソプラノによる静寂の境に浸るのみ。

 

 アフリカの音楽のテイストが盛り込まれたジャズ・ファンク「ヤー・ライト」では、ペーニャ(b)とアレックス・アクーニャ(ds)がタイトなリズムをキープするなか、ジャクソン・ジュニアのアコースティック・ギターとタヴァローニのテナーが異国情緒を湛える。いわば洗練されたワールド・フュージョンといったイメージだ。ラストの「フェイシング・ノース」はゴールドブラットのソロ・ピアノ。旋法と自由な和声法を用いた印象主義音楽のような演奏だが、既存のジャズ・ピアノにはないフレッシュなムードを醸し出している。ありったけのテクニックを駆使したりせず、さり気なく余韻を残すようなピアノ演奏は、いかにもゴールドブラットらしい。そして本作から離れようとするとき、ぼくはいつもうしろ髪を引かれる思いになる。実に忘れがたい、フュージョンの名盤である。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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