ブラジリアン・ファンクを代表するグループ、アジムスが不死鳥のごとく再生し完成させた新作『マルカ・パッソ』
Album : Azymuth / Marca Passo (2025)
Today’s Tune : Fantasy ’82
音楽ファンや普段音楽をあまり聴かないひとたちからも支持された
アジムス(現地では“アジムチ”と発音される)の新譜がぼくの手もとに届いたので、ご紹介しておこう。夏本番を思わせるような暑さがつづく今日このごろ、タイミング的にも涼感を誘うアジムスのニュー・サウンドはおあつらえむきと云える。アルバムのディストリビューターとなったディスクユニオンのコピーによると、この度リリースされた『マルカ・パッソ』(2025年)は、アジムスにとっておよそ9年ぶりの新作になるとのこと。つまり『フェニックス』(2016年)以来の、ニュー・レコーディングというわけだ。ただ厳密にはその間に、ジャズ・イズ・デッドというレーベルから、アジムスがフィーチュアされた『ジャズ・イズ・デッド 4』(2020年)というアルバムもリリースされている。
このジャズ・イズ・デッドは、DJでラッパーのアリ・シャヒード・ムハンマドとヒップホップのプロデューサー、エイドリアン・ヤングが主宰するレーベル。このレーベル名はもともと、これまでユニークなコンセプトで話題をさらってきた、ロサンゼルスのジャズ・イヴェントの名称からとられたもの。たとえば、1970年ミシガン州デトロイト市で立ち上げられたスピリチュアル・ジャズ系レーベル、トライブ・レコードのふたりの立役者、テナー奏者のウェンデル・ハリソンとトロンボーン奏者のフィル・ラネリンとの共演ライヴ、さらには1980年代の終わりころからジャズ・ラップの先駆けとして人気を博したヒップホップ・トリオ、ディガブル・プラネッツの再結成ライヴといった、その類まれなる企画には目を見張るものがある。
そんなジャズ・イズ・デッドがリリースするアルバムにおいて、これまでフィーチュアされたアーティストといえば、ジャズ・ファンクのヴィブラフォニスト、ロイ・エアーズを筆頭に、ブラジルのシンガーソングライター、マルコス・ヴァーリ、スピリチュアル・ジャズのキーボーディスト、ダグ・カーン、ジャズ・ファンクのアルト奏者、ゲイリー・バーツ、ジャズボサの天才ピアニスト、ジョアン・ドナート、ギル・スコット・ヘロンとのコラボレーションで知られるキーボーディスト、ブライアン・ジャクソン、数々のジャズ・ファンク・クラシックスを残してきたキーボーディスト、ロニー・リストン・スミスなどなど、ぼくにとってもヨダレの出るような魅力的な顔ぶれである。
そんな面子のなかにアジムスがいるということは、いかにこのグループのサウンドやグルーヴが、単なるブラジリアン・フュージョンではなく、ヒップホップのサンプリング・ソースやダンス・フロアを盛り上げるものとして、いまもクラブ世代から愛されつづけていることの揺るぎない証拠である。しかもアジムスの場合、過去のアルバムがレア・グルーヴやアシッド・ジャズのムーヴメントに多大な影響を与えたばかりでなく、その特徴とも云えるスムースでエレクトロニックなブラジリアン・フュージョンをベースとしたグルーヴィーでダンサブルな音楽が、いまもってミュージック・シーンに提供されつづけているところがスゴい。そういう意味では、レジェンダリーというよりはミラキュラスなグループである。
このブラジルが生んだフュージョン・グループ、あるいはジャズ・ファンク・バンドのアジムスは、半世紀以上も活動が継続されている。結成されたのは、1973年リオデジャネイロにおいて。おそらくこのグループの名前が世に出たのは、マルコス・ヴァーリとその兄であるパウロ・セルジオ・ヴァーリとが音楽を手がけた映画のサウンドトラック・アルバム『ファブローゾ・フィッティパルディ』(1973年)でフィーチュアされたときが最初だろう。グループ名義の最初のアルバムは、ブラジルを代表するボサノヴァ・レーベル、ソン・リヴレからリリースされた『アジムス』(1975年)だ。その後ポリドール・レコードから発売された、人気曲「メロ・ダ・クイッカ」を含む4曲入りの7インチ・シングル盤『アジムス』(1975年)とは別ものなので、ご注意いただきたい。
デビュー・アルバムがレコーディングされたときのアジムスのメンバーは、ジョゼ・ホベルト・ベルトラミ(key)、アレックス・マリェイロス(b, g)、イヴァン・コンチ(ds)、アリオヴァルド・コンテシーニ(perc)といった4人だった。しかしながらアトランティック・レコードからリリースされたセカンド・アルバム『涼風』(1977年)のレコーディングが行われたときには、すでにコンテシーニがグループから離脱しており、それ以降アジムスはトリオでの活動を定着させる。日本では前述のファースト・アルバムやシングル盤が未発売だったのに対し、セカンド作『涼風』はワーナー・パイオニア(現在のワーナーミュージック・ジャパン)から国内盤も発売された。
しかも『涼風』はスマッシュヒットとなり、アジムスの日本での知名度は一気に上がった。御多分に漏れず、ぼくもこのアルバムからアジムスのファンになったクチである。この『涼風』がぼくのような一部のジャズ/フュージョンの愛好家だけでなく、それ以外の音楽ファンや普段音楽をあまり聴かないひとたちからも支持されたのには理由がある。NHK-FM放送において1978年の11月からスタートした『クロスオーバーイレブン』という、音楽とスクリプトやフリートークとで構成された深夜のラジオ番組のテーマ曲としてアジムスの曲が使用されたのだ。オープニング曲のベルトラミのオリジナル「地平線上を飛ぶ」エンディング曲のミルトン・ナシメントのオリジナルをカヴァーした「たそがれ」は、ともに『涼風』の収録曲だ。
ちょうどそのころアジムスのメンバーは、アイルト・モレイラ、フローラ・プリン、サラ・ヴォーンなどのレコーディングに参加し、ブラジル国外でも知名度を上げていた。いきおいアジムスは1979年にアメリカのマイルストーン・レコードとワールド・ワイド契約を果たし、1989年までに同レーベルにおいて10枚のアルバムを発表した。このブラジリアン・ユニットの日本での人気も、いつの間にか不動のものとなっていた。いっぽうすっかり人気番組となった『クロスオーバーイレブン』では、1年ほどのあいだテーマ曲に日本人アーティストの曲をが使用されていたが、1981年からふたたびアジムスの曲が採用された。それがなんと2001年まで、まる20年間も継続されたのだから、いかに彼らの楽曲が好評を得ていたかがよくわかる。
イノヴェーションに左右されずオリジナリティ溢れるスタイルを貫く
そのテーマ曲を具体的に記すと、オープニング曲にはサード・アルバム『ライト・アズ・ア・フェザー』(1979年 旧邦題は『ジャズ・カーニバル』)から「地平線上を飛ぶ」のリメイクである「フライ・オーヴァー・ザ・ホライズン」が、エンディング曲にはフォース・アルバム『オウトゥブロ』(1980年 旧邦題は『ディア・プレリュード』)からまたもやミルトン・ナシメントの曲がカヴァーされた「オウトゥブロ(オクトーバー)」が、それぞれセレクトされた。なお『ライト・アズ・ア・フェザー』は、チック・コリアとスタンリー・クラークとが中心となって結成したフュージョン・バンド、リターン・トゥ・フォーエヴァーが1973年に発表したセカンド・アルバムと同タイトルである。
つまるところ、アジムスは『ライト・アズ・ア・フェザー』において、リターン・トゥ・フォーエヴァーのレパートリーである、クラークとフローラ・プリンとの共作「ライト・アズ・ア・フェザー」をカヴァーしているのだ。リターン・トゥ・フォーエヴァーの初期のサウンドといえば、マイルス・デイヴィスがジャズにファンクやロックの要素を大胆に採り入れて展開した、いわゆるエレクトリック・ジャズを、さらにコリアが中南米音楽のテイストを加えることによってフュージョン・ミュージックへと昇華させたもの。それこそスムースでエレクトロニックなブラジリアン・フュージョンをベースとしたアジムスのサウンドが、リターン・トゥ・フォーエヴァーの影響をストレートに受けたものだとしても、少しも不思議ではない。
なおアジムスは『オウトゥブロ』においても、チック・コリアが作曲した「500マイルス・ハイ」をカヴァーしている。やはりリターン・トゥ・フォーエヴァーの『ライト・アズ・ア・フェザー』(1973年)からの1曲だ。当時ジャズ・ピアニストとしての キャリアを積みながらコンテンポラリー・ジャズ・キーボーディストとしても頭角をあらわしはじめたコリアに対する、アジムスというかキーボーディストであるベルトラミの熱いリスペクトが感じられる。これは余談だけれど、影響を受けているといえば、ジャズ・ピアニストの大野雄二の作品に、明らかにアジムスのサウンドにインスパイアされたと思われるものがある。ユー&エクスプロージョン・バンド名義の『フル・コース』(1983年)というアルバムだ。
このアルバムの収録曲はすべて大野さんが作曲とアレンジを手がけたものだが、トップを飾るバウンシーな「ルート 246」という曲のグルーヴとメロディック・ラインは、ベルトラミのオリジナル「ディア・リマーツ」のそれらと酷似する。アップテンポのサンバ「ロリポップ・トレイン」もまた、マリェイロスのオリジナル「草原の歌」を彷彿させる。このアジムスの2曲はともに『オウトゥブロ』に収録されているのだけれど、大野さんのコンポジションをオマージュととるか剽窃ととるかはさておき、このアルバムがもつオリジナリティはプロのミュージシャンをして模倣せしめるほど魅力的なものなのだろう。その点でもアジムスのサウンドは、ほかのフュージョン系アーティストたちのそれとは一線を画すと云える。
その独特のサウンド・メイキングの中核を担っているのは、なんといってもキーボーディストのベルトラミだ。彼のコンポジションやアレンジメントにおけるコード・プログレッションやリズムのバランス感覚は実にユニークで、まるで魔法のように魅惑的な心地よさを生み出すのだ。そういうサウンドには、ちょっと他の追随を許さないものさえ感じられる。そんなベルトラミもマイルストーン・レコードにおける最終作『キャリオカ』(1989年)を発表したあと、5年ほどの間いったんアジムスを離脱する。理由はよくわからないけれど、ベルトラミはバンド活動と並行して『ブルー・ウェイヴ』(1983年)『ドリームス・アー・リアル』(1986年)といった個人名義のアルバムも制作していたから、あるいはソロ活動に専念することにしたのかもしれない。
現に間もなく、ベルトラミはファーマというブラジルのレーベルから、アジムス時代に彼が書いた楽曲をリメイクした『オール・マイ・ソングス』(1991年)というリーダー作をリリースした。もともとフェンダー・ローズがリードをとっていた名曲「地平線上を飛ぶ」がアコースティック・ピアノで演奏されていたりして、ベルトラミの新たな表現意欲が感じられる1枚となっている。いっぽうマリェイロスとコンチは、マルチ・インストゥルメンタリストのアルイジオ・ポンテスの弟として知られる、ホタ・モラエスを新たなキーボーディストに迎えアジムスを継続させる。インティマ・レコードに『トゥドゥ・ベン』(1989年)『大地の子供たち』(1990年)といったアルバムを吹き込むが、ハッキリ云って両作とも精彩を欠く。
またベルトラミ不在のアジムスの作品には、マリェイロス、コンチ、そしてルイス・エサに師事したキーボーディスト、マリーニョ・ボッファ、さらにはドイツ、メミンゲン出身のサクソフォニスト、ユルゲン・ゼーフェルダーといった4人でレコーディングが行われた『リオデジャネイロ』(1989年)『ヴォルタ・ア・トゥルマ』(1991年)といったアルバムもある。前者ではコリアの「500マイルス・ハイ」も採り上げられている。ボッファのブリリアントなソロ、ゼーフェルダーのミスティカルでモダニスティックなアドリブ・プレイも、けっこう聴き応えがある。しかしながら、ブラジリアン・ジャズとしてはなかなかの力作なのだけれど、そのサウンドからアジムスらしさを探り当てるのはかなりの難題である。
では、アジムスらしさとはなんだろう。私事で恐縮だが、あまり音楽に関心のないぼくの妻が、それについて絶妙の云い回しをしているので、ご紹介させていただく。彼女いわく「アジムスの作品は未来の音楽」とのこと。なるほどアジムスはデビュー以来、ブラジリアン・グルーヴを土台としながら、フェンダー・ローズ、ハモンド・オルガン、ミニモーグ、アープ・オデッセイなどによって、スペイシーでコズミックなサウンドを創出してきた。しかも彼らは、ロンドンのレーベル、ファー・アウト・レコーディングスに移籍した1996年以降も、ほとんどイノヴェーションに左右されることなく、そのオリジナリティに溢れたスタイルを貫いた。それには確かに、レトロフューチャーをイメージさせるものがある。
オリジナルのアジムスによるサウンドを踏襲したことが功を奏した
そういえば、UKに拠点を構えながらブラジル音楽に特化したレーベル、ファー・アウトの、サンバ、MPB、ジャズなどを、ハウス、ブロークンビーツ、エレクトロニカなどと同等に扱うというスタンスにも、懐古趣味に富んだ音楽の未来像が感じられる。いずれにしても、アジムスのそういう独特の音楽性を打ち出している立役者といえば、バンド結成以前から類まれなるサウンド・クリエイターとして活躍してきたベルトラミなのである。彼は1994年にアジムスに復帰。グループはオリジナルのトリオに立ち戻り、ブラジルのレーベル、スポットライト・レコードから『21 アーノス』(1995年)をリリースする。ファースト・アルバムのトップを飾った「リーニャ・ド・オリゾンテ」も再演。まあそれを差し置いても、本作はスゴい傑作であるとぼくは思う。
当時すでにクラブ・シーンにおいて注目を集めていたアジムスは、当然の成り行きのごとく、ブラジリアン・ミュージックに熱い視線を送っていたロンドンのレーベル、ファー・アウトに移籍する。ベルトラミ、マリェイロス、コンチによるオリジナルのアジムスは、そのセカンドステージにおいて破竹の勢いを見せる。彼らは『カーニヴァル』(1996年)から『オーロラ』(2011年)まで、8枚のアルバムを発表。レイドバック・フィールに溢れたインプロヴィゼーションやトロピカルなヴァイブレーションはこれまでどおりだが、シンプルなサウンドメイキングとシャープなビート感覚とによる、いかにもダンス・フロアを賑わせるような洗練されたムードとグルーヴには拍車がかかった。
その間ベルトラミはファー・アウトにおいて、アジムスとはひと味もふた味も違う『シングス・アー・ディファレント』(2001年)『アヴェントゥーラ』(2009年)といった、ソロ・アルバムも吹き込んでいる。特に後者では、トリオによるジャズボサ作『ジョゼ・ホベルト・トリオ』(1966年)や、ロッキッシュなアルバム『オルガン・サウンド/ウン・ノーヴォ・エスチーオ』(1970年)といった、往年のベルトラミ作品を想起させるようなサウンドも展開されており、ぼくもあらためて彼の懐の深い音楽性に感銘を受けた。ところが2012年7月8日、ベルトラミはリオデジャネイロにおいて66歳という若さで、突然この世を去ってしまう。その直前まで彼の創作意欲は、衰えることを知らなかった。
その後、ベルトラミが僚友のギタリスト、アルトゥール・ヴェロカイとともに制作した『ザ・ファー・アウト・モンスター・ディスコ・オーケストラ』(2014年)というアルバムが、彼の没後にリリースされた。そのあまりにもヴィヴィッドでキャッチーな内容に、一瞬ではあるけれど、ぼくは彼の訃報に疑いをもってしまったほどだ。そのいっぽうでハッと我に返ると、今後のグループの動向が憂慮される。仮に存続がはかられたとしても、ベルトラミ不在のアジムスといえば思い出したくない過去がある。正直云って、オリジナル・メンバーが創出した高品質なサウンドなど望むべくもなかった。そんななか、2016年にはからずも発表されたのが『フェニックス』だったのである。結論から云うとこのアルバムは、思いがけず及第点に達する出来栄えだった。
新鮮味には欠けるが、オリジナルのアジムスによるサウンドを踏襲したことが、却って功を奏した。ベルトラミの後釜に座ったベロオリゾンテ出身のリンカーン “キコ” コンティネンティーノは、しっかり先輩をリスペクトしたキーボード・ワークを展開しており、ソングライティングも含めて彼にはたいへん好感がもてた。エラそうな云いかたで申し訳ないけれど、ぼくはこのアルバムから、新生アジムスが今後より先の段階に移行する予兆のようなものすら感じたのである。個人的には次作に期待していたのだけれど、そんな矢先の2023年4月17日、今度はコンチがこの世を去ってしまう。しかしながらグループは、ドラマーにリオデジャネイロ出身のヘナート “マッサ” カルモンを迎え維持存続する。彼は過去にマルコス・ヴァーリやエウミール・デオダートをサポートした名手だ。
もはやこれまでと思われたアジムスが、不死鳥のごとく再生し完成させたのが、新作『マルカ・パッソ』である。本作ではマリェイロス、コンティネンティーノ、カルモンといったレギュラー・メンバーの3人に加え、イアン・モレイラとシジーニョ・モレイラがパーカッショニストとして、アルバム・プロデューサーでもあるダニエル・モーニックがエレクトロニック・アーティストとしてレコーディングに彩りを添えている。また冒頭の1曲のみ、キーボーディストがドゥドゥ・ヴィアナに、ドラマーがヴィクトル・ベルトラミ(ジョゼ・ホベルト・ベルトラミの息子)にそれぞれ交替している。さらにマンゲイリーニャによるブラジルの伝統的な打楽器であるヘピニキ、ジョゼ・カルロス・ビゴルナによるソプラノ・サックスもフィーチュアされる。
それだけでなく、スペシャル・ゲストとしてロンドン発のジャズ・ファンク・バンド、インコグニートのリーダーでギタリストのジャン=ポール “ブルーイ” モーニックが参加していることも、ちょっとした話題となっている。云うまでもなく、彼はダニエル・モーニックの実の父である。そんな華やかさも然ることながら、全体に漂う(前作よりも)いい意味で緊張が解かれた雰囲気が、本作の最大の魅力とぼくは感じる。セレクションも板についたというか、ツボが押さえられたアジムスらしい曲が並ぶ。アルバムのオープニングを飾るマリェイロスの「ファンタジー ’82」などは、ローズの音色、8ビートと16ビートとの交錯、哀愁を帯びたメロディ、気の抜けないハーモニー、スキャット、ハンドクラップといった、それらしさが高純度を誇る。
マリェイロス、コンティネンティーノ、コンチ、モーニックの共作「ベレンジーニョ」では、リキッド・サウンドともいうべき得も云うわれぬフレッシュネスとリラクゼーションが降りそそぐ。ベルトラミ、マリェイロス、コンチの共作「マルカ・テンポ」は、ヘピニキの連打が軽妙な高速サンバ。ローズのソロも小気味いい。マリェイロスの「オ・メルグリャドール」は、ニュージャズ・スタイルからブラジリアン・ビートへの移行が巧妙。十八番のヴォコーダー演奏も登場し、アジムスならではのレトロフューチャー・サウンドが全開される。ベルトラミの「ラスト・サマー・イン・リオ」は、5作目の『テレコミュニケイション』(1982年)からの再演。ミッドテンポから激しいロック・ビートへの変化が痛快。ブルーイはバッキングに徹している。
マリェイロス、コンティネンティーノ、カルモン、モーニックの共作「アラブタン」は、シンコペーションとモジュレーションの効いたアップビートなナンバー。トリオのビート感覚が実に素晴らしい。マリェイロスの「クリアンサス・ヴァレンテス」は、サンバ・カンサゥン・スタイルの穏やかな曲。アコースティック・ギターとオルガンの音色が爽やかだ。モーニックとマリェイロスの共作「アンダライ」は、スペイシーなジャズ・ファンク。ダンサブルなエレクトロニカでもある。コンティネンティーノの「サンバ・プロ・ママオ」は故人であるコンチに捧げられたサンバ。高揚感と爽快感とが入り交じるドラミングがいい。ラストを飾るコンティネンティーノの「トグ」は、ちょっと名曲「地平線上を飛ぶ」を彷彿させる。このサウダージ感覚もまたアジムスらしさのひとつ。グループの過去、現在、未来をイメージさせる、そしてそんな悠久のときを感じさせる味わい深い曲である。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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