日本のジャズ・ファンから絶大な支持を得るピアニスト、トミー・フラナガンの美点が余すところなく発揮された隠れた傑作『トミー・フラナガン・プレイズ・ザ・ミュージック・オブ・ハロルド・アーレン』
Album : Tommy Flanagan / Plays The Music Of Harold Arlen (1979)
Today’s Tune : Between The Devil And The Deep Blue Sea
トミフラを知るキッカケはロリンズとコルトレーンだった
ちょっと早いが、このブログも今年最後の更新となる。こんな拙い文章に辛抱強くおつき合いいただいたすべてのかたに、あらためてこころより感謝する次第である。とはいえ生来気ままな性格ゆえ、1年を締めくくるということに際しても、より自分のこころや気の向くままに、好きに振る舞ってみようなどと考えるぼくがいるのだ。まったく、いくつになっても性懲りもないヤツだ。しかも年をとると、どうもときの流れや目新しい方向性に対して、逆の方を向いてしまうようなことがままある。そんな自分にいささか焦りを感じながらも、案外これは論を俟たないことであり、それすなわち年をとったということであると、なかば開き直りのような思いもあったりする。それなら後ろ向きになっても、ほんとうに好きなものをご紹介しようではないかと──。
ということで、今回採り上げるのは『トミー・フラナガン・プレイズ・ザ・ミュージック・オブ・ハロルド・アーレン』(1979年)というレコード。日本のトリオレコードから発売されたアルバムだが、ぼくは高校生のときに購入した。このトリオというレーベル、もともと電機メーカーのケンウッド(現在のJVCケンウッド)のレコード制作部門だったのだけれど、業績不振で1984年に活動を終えてしまった。そんなわけでぼくにとっては、廃盤寸前で入手するという幸運に恵まれた思い出深い1枚だ。もちろんコンテンツのほうも、そういう希少価値の高さとは関係なく、きわめて秀逸なもの。敢えて云うけれど、プリントメーカーの谷口茂によるリトグラフがあしらわれたジャケットも、ぼくは大好きだ。
いっときは入手困難なアイテムとなっていた本盤ではあるが、首都圏を中心に音楽CD・レコード店をチェーン展開するディスクユニオンのレーベル、DIWレコードが何度かアナログ盤やCDでリイシューしたようなので、どこかで見かけたらぜひ手にとっていただきたい(ジャケ違いのソリッド・レコードによる国内CDなら簡単に入手できる)。あとになったが、このアルバムの主役はタイトルからもわかるように、アメリカ、ミシガン州デトロイト出身のジャズ・ピアニスト、トミー・フラナガン。本盤は、旧チェコスロヴァキアのピーセク生まれの技巧派ベーシスト、ジョージ・ムラーツと、ニューヨーク州タッカホー出身のモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)のメンバーとして知られるドラマー、コニー・ケイとをサイドメンとして迎えた、フラナガンのトリオ作品である。

フラナガンを語るとき、ぼくは自ずと後ろ向きになってしまう。なにせ彼のレコードを集中的に聴いていた時期といえば、間違いなく高校生のころなのだから。学童期からピアノの個人レッスンを受けていたぼくは、高校の課外活動でも音楽をやりたいと思っていた。これは余談だけれど、ぼくはピアノ以外の楽器といえばハーモニカとリコーダーくらいしか触ったことがなかったので、この機になんでもいいからピアノ以外の楽器を覚えられたらいいなと、漠然と考えていた。最初は軽音楽部から勧誘を受けたのだけれど、そこにジャズを演奏するバンドは1組もなく、ロックやニューミュージックのキーボードを弾かされそうだったので、丁重にお断りさせていただいた。そしてぼくが目をつけたのは、どういうわけか箏曲部だった。
日本の伝統的な弦楽器を無償で教えてもらえるとは、なんて素敵なことだろう。そんな短絡的な考えでいそいそと部活動を見学に行ったぼくは、そこで部員に男子はひとりもおらず、文化祭や定期演奏会では和服姿にならなければならないという、過酷な現実を突きつけられるのだった。部員はどちらかというとお淑やかな感じの女子ばかりで、考えようによっては艶やかでもあり軽やかでもある乙女たちとお近づきになれるという特典つきの美味しいクラブなのだが、内気な性格のぼくにはそんなハーレム状態のなかに飛び込む度胸はなかった。ということで、もはや選択の余地なくぼくは吹奏楽部に入部。ハービー・マンに憧れてフルート奏者を志望するも、オーディションの印象がよくなかったのだろう、あえなくサックス・パートにまわされた。
それまでピアニストのアルバムばかりを聴いていたぼくは、思いがけず自分がサクソフォーンを吹くことになったので、あたふたとレコード店に足を運び、サックス奏者の作品を購入。そのとき浅学なぼくはさしあたり、ジャズの名盤と誉れ高い2枚のレコードを選んだ。それはソニー・ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』(1956年)と、ジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』(1959年)だった。いまから思うと、どちらもテナー・サックスがリードをとるワン・ホーン・ジャズ作品だが、2作品はまったく趣きを異にするもの。ただ当時のぼくは、そんなことを事前に知る由もなかった。驚くべきは偶然にも、双方ともピアノを弾いているのが、だれあろうトミー・フラナガンだったことである。
いまさら説明する必要もないと思うけれど、ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』は、軽妙洒脱で優雅さと上品さに富んだイーストコースト・ジャズとしては希有なタイプの作品。いっぽうコルトレーンの『ジャイアント・ステップス』は、モーダル・ジャズ直前のコード進行に基づく即興演奏の限界が極められた作品。この風情の異なる2枚のレコードを、ぼくは最初なかば義務的に聴きはじめたのだが、そのわりにはそれらの精彩を放つ演奏を満喫していた。ただ本来ならいの一番にサクソフォーンに注目するべきところなのだが、そのころのぼくといえば、ちょうどジャズ・ピアノを独学するようになっていたものだから、どうしてもピアノに耳がいってしまう。その結果サックスそっちのけで、フラナガンにハマってしまったのだった。
ということで、ぼくは結局のところ3年間吹奏楽部に在籍したのだけれど、サクソフォーンの技術的な訓練のほうは中途半端に終わった。ピアノの個人レッスンは大学1年まで継続したが、そちらではもっぱらクラシック・ピアノを教わるばかり。ジャズ・ピアノのほうは、独力で学んだ。中学生のころから教則本を手に入れて練習しはじめたが、もともとコードやスケールについての知識はそれなりに身につけていたし、ジャズを演奏するための体系的な手順や方法もすぐに理解した。ところがいざ実演に臨むと、ぼくの演奏は意気消沈するほどまったくジャズっぽくない。これではいけないと思い、レコードで聴いたプロのパフォーマンスを手本とし、見よう見まねで演奏するようになった。
いかなる場面においても安定感のある上質のパフォーマンスを提供
自宅のオーディオのスピーカーから聴こえてくる音に耳をそばだてていると、即興演奏のなかにおなじような楽句が何度も出来することに気づかされる。そのなかから気に入ったフレーズを楽譜に転記し、あとはそれを弾けるようになるまでひたすら練習するのみ。これが案外楽しかったりする。そしてマスターした楽節をどんどんストックしていき、いざ実戦に臨んだときそれを引用するのである。この方法は、思いのほか効果的だった。そしてこのとき集中的に聴いていたのがソニー・クラークとウィントン・ケリーのレコードで、それから少し遅れてのことになるが、ぼくはトミー・フラナガンのプレイも参考にするようになった。最初に手にとった彼のアルバムは、プレスティッジ・レコードからリリースされた『オーヴァーシーズ』(1958年)だった。
なぜぼくがそのレコードを選んだのかというと、深いいきさつはなくて、単に洒落たジャケットのデザインに惹かれたから。アルファベットのCがたくさん並んだアート・ワークは、アルバム・タイトル『Overseas』が意味され“Sea”が“C”に置き換えられたもの。こういう茶目っ気たっぷりのはからいは、ある意味で遊びごころが含まれた音楽とも云えるジャズには、とてもよく似合っている。なおこのレコードは1957年、トロンボニストであるJ. J. ジョンソンのクインテットのピアニストとしてヨーロッパ・ツアーに同行したフラナガンが、ベーシストのウィルバー・リトル、ドラマーのエルヴィン・ジョーンズを従えて、スウェーデンのストックホルムにおいて吹き込んだトリオ作品である。
この音源は当初、ストックホルムのメトロノームというレーベルから、3枚のEPレコード(各3曲収録の45回転7インチ・シングル盤)としてリリースされた。1986年にDIWレコードによって、メトロノームのEP盤に倣ったフラナガンの写真があしらわれたジャケットのLPやCDも発売されたけれど、ぼくは断然プレスティッジ盤のほうが好きだ。まあそれはともかく、実はこの作品、フラナガンの初リーダー・アルバムで、27歳のときに吹き込まれたもの。ぼくは当初この点に、名状しがたいほど甚だしい驚きを覚えた。というのもここでのフラナガンの演奏には、あたかも円熟期を迎えた大ヴェテランのみがもち得るような、地に足の着いた安定感が観られたからだ。それはまさに、いぶし銀のようなパフォーマンスと云っていい。

ぼくはそれまで聴いていたクラークのプレイでは、その淀みなく連なる簡潔なフレーズとそれが醸し出すブルージーでどこか凛とした雰囲気に強く惹かれたし、そのいっぽうでケリーの演奏では、迸るような小気味いいフレーズとその絶妙なレイドバック加減が生み出すスウィング感に大いに胸を弾ませたもの。ではフラナガンの場合はどうかというと、どこか温もりを感じさせる美しいフレーズを淡々と紡ぎ出しながら婉然と舞うようなところに、かえって奥深さが感じられる。フレージングとアーティキュレーションはごく自然、スウィング感とブルース・フィーリングは洗練された感じ、コードワークはエレガントと、フラナガンは実に均整のとれたジャズ・ピアニストである。それこそ手本にするには、もってこいだ。
さきに挙げたロリンズの『サキソフォン・コロッサス』でフラナガンは、控えめでありながら深みのあるバッキングと繊細で粒立ちのいいアドリブ・ソロを聴かせる。かたやコルトレーンの『ジャイアント・ステップス』のタイトル・ナンバーは、高速なテンポでコードが目まぐるしく変化する(10回転調する)超難曲だが、そういう緊張感が高まる状況下にあってもフラナガンは決してバランスを崩さない。そんな均衡を保ったプレイを堂々と展開する彼は、実は高度なピアノ・テクニックの持ち主と思われる。いかなる場面においても安定感のある上質のパフォーマンスを提供するフラナガンには、ファーストコール・ミュージシャンの風格さえある。実際彼は、上記の2枚を含む数多くの有名なジャズ作品に参加しているのだ。
そんなわけでフラナガンは、日本のジャズ・ファンの間では“名盤請負人”と呼ばれたり「名盤の陰にトミフラあり」などと云われることがある。そんな彼をザ・スーパー・ジャズ・トリオやザ・マスター・トリオのリーダーとして、表舞台に立たせたのは実はベイステイト、ベイブリッジ・レコードといった日本のレコード・レーベルだった。ぼくがフラナガンのピアノ演奏を採譜したりしていたころには、彼はすでに日本のジャズの愛好家から絶大な支持を得ていた。ところがそんなフラナガン、1940年代の中ごろから演奏活動を継続させてきたのにもかかわらず、そのリーダー・アルバムといったら1970年代に入るまでたった3枚を数えるのみだった。本国のアメリカで彼は、リード・ミュージシャンとして認識されていなかったのだろう。
ある意味でフラナガンは、中庸を得たプレイに長けたジャズ・ピアニストだ。まえにも述べたように、どんな状況においても常にバランスのいい演奏をするひとなのだ。そんな彼の表現様式は不偏不倚であるぶん、アメリカのリスナーにはインパクトに欠けるものと捉えられてしまうのかもしれない。でもぼくは音楽において、そんな過不足がなく調和がとれている様を美徳と考える。たぶん日本のジャズ・ファンの多くが、ぼくとおなじように考えるのではないだろうか。さきのザ・スーパー・ジャズ・トリオやザ・マスター・トリオのアルバムが、たいへんな人気を博したことを考慮するとそう思わずにはいられない。そしてフラナガンの相対的な立ち位置を示すとき、わが国での評価こそ的を射たものであると、ぼくは信じてやまないのである。
確かにフラナガンは、卓越したアカンパニストと云える。繰り返しになるが、彼はサイドメンとして膨大なレコーディングに参加し、それこそいぶし銀のプレイを披露してきた。それに加えて、1963年から1978年にかけて断続的ではあるが、20世紀を代表する歌姫のひとりであるエラ・フィッツジェラルドの伴奏者を務めている。おそらくアメリカにおいて、フラナガンを単に歌伴のピアニストと観るむきが多いのは、そういう背景があるからだろう。しかも彼はジャズ・シーンにおける時代の趨勢に身を投じることなく、生涯生粋のバップ・ピアニストとして演奏しつづけた。それを保守的と嘲笑するのは、無分別極まりない。度を過ぎない上質のプレイを具現化するポテンシャルを保ち、それを恒常的に発揮することができるフラナガンは、むしろ驚異的と云える。
そんなフラナガンは1930年3月16日、デトロイトのコナント・ガーデンズに住む郵便配達員の父とアパレル・メーカーで働く母との間に、6人兄弟の末っ子として生まれた。ごくごく普通の家庭で生を受けた彼ではあるが6歳のときに、父親はギターを、母親はピアノを嗜むという音楽好きの両親から、クリスマス・プレゼントとしてクラリネットを贈られた。それがフラナガンが音楽にのめり込むキッカケで、クラリネットを演奏することで楽譜の読みかたを覚えた彼は、11歳のときに今度はピアノを弾くようになる。ピアノのレッスンは、おなじデトロイト出身のジャズ・ピアニストであるカーク・ライトシー、バリー・ハリスも師事した、グラディス・ウェイド・ディラードという地元では有名なピアノ教師から受けた。
音楽好きが日常生活において気軽に楽しむような作品
フラナガンは、著名なジャズ・ミュージシャンを多く輩出したデトロイトのノーザン高校の出身だが、スキャットを得意とする個性的な女性シンガー、シーラ・ジョーダンとは同窓だった。幼いころのフラナガンは、アート・テイタム、テディ・ウィルソン、それにナット・キング・コールなどのピアノ演奏を愛聴していたようだが、後年の彼のプレイからは、ジャズにおける論理性、美的表現、そして即興演奏という点で、やはりバド・パウエルからの影響がもっとも強いように思われる。フラナガンは1945年にトロンボニストのフランク・ロソリーノと共演し、15歳にしてプロ・デビューを果たしている。演奏の合間、年齢的にクラブのバー・エリアに入れない彼は、別室で学校の宿題をやっていたという。
なんとも微笑ましいエピソードだが、このころからすでにフラナガンの関心は、より新しいビバップのスタイルを極めることに向いていたのである。その様式を切り開いたピアニストといえば、帰するところパウエルなのだ。たとえばさきに触れたフラナガンのデビュー作『オーヴァーシーズ』のオープナー「リラキシン・アット・カマロ」を聴いただけでやにわに、ああパウエルだなと思ってしまう。ビバップの父であるアルト奏者、チャーリー・パーカーの曲だけれど、フラナガンはヴィヴィッドなブルース・プレイを披露。正直に告白するが、ぼくは当初から彼のピアノ演奏がパウエルのそれよりも高潔なものと感じられた。フラナガンの自作曲「ヴェルダンディ」のような急速テンポの曲での、俊敏で引き締まったフィンガリングなどもまた然りである。
むろんそういった技巧的なピアノ・プレイもフラナガンの魅力のひとつだけれど、ビリー・ストレイホーンの「チェルシー・ブリッジ」での艶やかでエスプリの効いたバラード演奏や、彼自身のペンによる人気曲「エクリプソ」でのラテン・タッチとアドリブ・パートでのモデレートなスウィング感も、目が覚めるほど素晴らしいのである。繰り返すが、ぼくはフラナガンを高度なピアノ・テクニックの持ち主と思っている。でも彼は決してその手腕を見せつけようとはしておらず、音楽表現における美徳である明快さと純粋さとを尊重するようなプレイを常にこころがけていると、ぼくには感じられる。ただこのアルバムでのフラナガンは、従来よりもダイナミックな演奏をするよう最善を尽くしている。

そういう傾向は、ドイツのレーベル、エンヤ・レコードからリリースされた『エクリプソ』(1977年)にも窺える。ベースにフラナガンのお気に入りであるジョージ・ムラーツと、ドラムスにどちらかというと複層的なドラミングが際立つエルヴィン・ジョーンズとがサイドメンを務めたピアノ・トリオ作品である。ところでフラナガンが格別な技能的能力を発揮するまわり合わせになったのは『オーヴァーシーズ』と同様に、ジョーンズがドラマーを務めたことが引き金になったのだろう。彼が多様なリズムを軽々と叩き出し、その刺激を受けて、本来中庸を得たスタイルの演奏を展開するフラナガンの感情にも火がついたのかもしれない。まあこれはごく自然なことと、ぼくは思う。それでもフラナガンならではのクリアーで流麗な音の羅列は、維持されているのだけれど──。
上記の2枚は、間違いなく批評に価するような不朽の名作だろう。それに比べて『トミー・フラナガン・プレイズ・ザ・ミュージック・オブ・ハロルド・アーレン』は、音楽好きが日常生活において気軽に楽しむような作品だ。むろんこれは、ぼくなりの肯定的な評価であるとともに敬意を表する云いまわしである。偏りがなくバランスのいい演奏を得意とするフラナガンの美点が余すところなく発揮されており、筆舌に尽くしがたいリラクゼーションが生み出されている。ムラーツによる弾力のある低音と誇張のないフィンガリング、そしてケイによる透きとおったトーンときめ細かいシンバル・ワークもまた、フラナガンのもち味を引き立てている。ぼくも高校時代からいまに至るまで、聴けば聴くほど、その奥深さを強く感じるようになっている。
本作はタイトルからもわかるように、ブロードウェイ・ミュージカルやレヴュー作品を数多く手がけた、20世紀のアメリカを代表する作曲家のひとり、ハロルド・アーレンのソング・ブック。シンプルでピュアな感じの作風が、フラナガンのプレイヤーとしての資質とよく合っている。オープニングを飾る「ビトウィーン・ザ・デヴィル・アンド・ザ・ディープ・ブルー・シー」は、昔は「絶体絶命」という邦題がついていたけれど、まあこれはそういう意味の慣用句。そういう洒落っ気のあるタイトルに相応しく、フラナガンのピアノが終始軽妙なフレーズを綴る。しかも上品な感じで、実に清々しい気分にさせられる。しなやかなベースのソロ、軽やかなドラムスの4バースでのソロもスマート。個人的には、フラナガンならではの至高の味わいを感じる。
あまりにも有名な「虹の彼方に」では、全体的に控えめな感じのバラード演奏が展開されるが、アドリブに入ってからのフラナガンは軽妙かつ端麗にピアノを歌わせる。そのさり気なさは絶品だ。ビル・エヴァンスの十八番でもある「スリーピン・ビー」では、比較的正攻法での演奏が繰り広げられているが、フラナガンはブロック・コードを使ったりして軽やかにスウィングする。そのスッキリした感じに好感がもてる。ウィントン・ケリーも演っている「イル・ウィンド」では、なんといってもテンポ・ルバートでのフラナガンのソロが素晴らしい。それとはなしにリリカルなフレーズが、次々に紡ぎ出されている。インテンポでのほどよくブルージーなラインもいい。バランスのいいスウィング感が、寛いだ雰囲気を醸成する。
ある意味でもっとも躍動感のある「アウト・オブ・ディス・ワールド」では、ムラーツとケイとによるモダンなリズム展開が際立つ。フラナガンは安定感のあるダイナミズムを披露する。オリジナル盤には未収録の「ワン・フォー・マイ・ベイビー」は、ブルージーな小品。ちょっとした箸休めといった感じだ。バド・パウエルの演奏でおなじみの「ゲット・ハッピー」では、フラナガンのキレのあるソロに胸がすく。おなじバップ・プレイでも、パウエルよりも艶やかに舞っている感じ。ベースとドラムスのソロもすこぶる軽快だ。ミッドテンポの「マイ・シャイニング・アワー」では、オーソドックスな演奏のなかにもフラナガンのエレガントなタッチが光る。彼のいぶし銀のようなパフォーマンスとは、こういう演奏のこと。
ラストを飾る「ラスト・ナイト・ホエン・ウィ・ワー・ヤング」では、フラナガンにしては珍しく感情を情緒豊かに表現するようなソロ・ピアノを披露。その理由は、途中から登場するハスキーな女性の声にある。歌っているのは、“ニューヨークのため息”として評判のシンガー、ヘレン・メリル。ここでのフラナガンはアカンパニストとして、彼女のヴォーカルを盛り上げることに徹しているというわけだ。なんで突然メリルがしゃしゃり出てくるのかというと、彼女がこのアルバムのプロデューサーを務めているから。それなら1曲くらい、おつき合いしようかといった気分にさせられる。しっとりした余韻を残すところも、わるくない。いずれにしても本作は、ぼくにとってはいまだ楽しみ尽くすことのないアイテム。年末にひとり酔いしれる音楽としては極上である。
記事の更新は、今年はこれが最後。1年間お付き合いいただき、ありがとうございました。また2026年にお会いしましょう。みなさんに素晴らしい1年が訪れますように──。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。







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