Larsen-Feiten Band / Live In New York 1980 (2025年)

スタジオのバンド
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ニール・ラーセンとバジー・フェイトンとのコラボレーションが隆盛を極めたラーセン=フェイトン・バンドの貴重音源『ライヴ・イン・ニューヨーク 1980』

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Album : Larsen-Feiten Band / Live In New York 1980 (2025)

Today’s Tune : Midnight Pass

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数十年にわたり音楽シーンに影響を与えたライヴ・スペース

 

 この度、ラーセン=フェイトン・バンドの貴重なライヴ音源がCD化されたので、彼らについて書いておきたい。まずお断りしておくけれど、今回掘り起こされた『ライヴ・イン・ニューヨーク 1980』(2025年)の音源は、非商用目的で録音されたテープがもとになっているので、マスタリングに際してはいまの技術の粋が集められたのかもしれないが、音質はかなり聴き苦しいものと云える。したがって本作に関しては、よほどのラーセン=フェイトンのファン、あるいはブルー・アイド・ソウル、AOR、フュージョンなどの熱心な愛好家でもないかぎりは、購入を見送ったほうがいいとぼくは思う。もしこの拙文を読んで、ラーセン=フェイトンに興味をもっていただけたのなら、ぜひともまずは、正式にリリースされた彼らのアルバムを手にとっていただきたい。

 

 ただこの『ライヴ・イン・ニューヨーク 1980』は飽くまで建前上ではあるが、いまのところラーセン=フェイトン・バンドの唯一のライヴ・アルバムということになるわけで、そういう意味でも希少価値のあるものと云えるのかもしれない。とはいってもこのアルバムをリリースしたキング・ストリートは、ブートレグ・レーベルと思われる。フロントジャケットやバックインレイに使用されている画像は、明らかにアルバム『ラーセン=フェイトン・バンド』(1980年)のリリースの際にワーナー・ブラザースが用意したプロモーション写真が加工されたものだ。日本ではIAC ミュージック・ジャパンがディストリビューターとなり、堂々と国内仕様の輸入盤を販売しているが、真相やいかに──。

 

 まあ、リアルタイムでラーセン=フェイトンのファンをやっていたぼくにとっては、こうして彼らの未発表音源を自宅のオーディオで気軽に楽しむことができるというのは、なによりも有り難い出来事なのだけれど──。ときにこのライヴは、1980年11月1日、ニューヨーク州ロングアイランドのロズリンという村にあった、マイ・ファーザーズ・プレイスで行われたもの。このライヴ・スペースは、ほぼ廃業状態にあったボウリング場が改造されたものだが、1971年から1987年までの16年間、3,000人以上の多彩なアーティストたちによる6,000回以上もの公演を開催した(閉鎖後2017年にロズリン・ホテル内にクラブとして復活)。ニューヨーク・タイムズをして「数十年にわたり音楽シーンに影響を与えた」と云わしめた、レジェンダリーな音楽会場である。

ハモンドオルガンのイラスト

 実際に『ライヴ・イン・ニューヨーク 1980』を聴けばおわかりいただけると思うのだけれど、このマイ・ファーザーズ・プレイスは格式ばらずに気軽に音楽を楽しむことができるスペースだったようだ。しかもミュージシャンとオーディエンスとの距離がきわめて近いのだろう、会場内はいい意味で終始騒然としている。バンドの演奏とそれに対する観客の反応が共鳴し合って、場内の雰囲気はさらなる熱気を帯びる。自室のスピーカーから再生されるそのサウンドに、ぼくは実際にその場に身を置いているかのような感覚を覚えた。自分でも気がつかないうちに、その得も云われぬ臨場感から、当初覚えた音質に対する違和感や不快感は雲散霧消していた。もちろんそう感じる最大の要因は、ラーセン=フェイトン・バンドの音楽的魅力にある。

 

 なおこのアルバムのラストに収録されているトラック「メッセージ・フロム・ビヨンド」は、過去に音盤化されている。日本のレーベル、ドリームズヴィル・レコードからリリースされた『フル・ムーン・ライヴ』(2002年)の冒頭に、おなじ演奏が収録されているのである。ただし両者を聴きくらべてみると微妙に音質が違うので、同一のテープが使用されているかどうかは定かでない。この『フル・ムーン・ライヴ』は『ライヴ・イン・ニューヨーク 1980』と同一のメンバーによるライヴ・パフォーマンスが収められたものだが、その全9曲のうち8曲は1983年1月にロサンゼルスのザ・セントラルにおいて吹き込まれたもの。公演のスタッフがたまたま録音したテープに、オフィシャルなエディティングおよびマスタリングが施された。

 

 ただこの『フル・ムーン・ライヴ』というアルバム、公式にリリースされたものであるのにもかかわらず、一部曲名に誤りがある。2曲目に収録されている「リトル・カウボーイズ」だが、CDのフロントジャケットの内側やバックインレイにはそう記載されているものの、実際は「E マイナー・ソング」なのだ。この曲、スタジオ・アルバムには一度も収録されたことがなかったが、ライヴでは何度も演奏されたファンにとってはおなじみのナンバー。CDのリリースにはバンド・メンバーも関わっているのに、なぜこんなつまらない取りこぼしがあったのだろう。まったく謎である。まあ、いまさら鼻息を荒くして抗議しても仕方がないのだけれど──。いっぽうこのアルバムではバンド名がフル・ムーンと表記されているが、これはまったく正しい。

 

 ラーセン=フェイトン・バンドは、ファースト・アルバム『ラーセン=フェイトン・バンド』(1980年)につづく作品をリリースする際、バンド名をフル・ムーンに変更している。ファースト・アルバムは日本でもたいへん好評を博していたので、バンド名の変更はマーケティングにおいてマイナス要因となると捉えられたのだろう、セカンド・アルバムの国内盤は『ラーセン=フェイトン・バンド/フルムーン』(1982年)として発売された。オリジナルのタイトルは『Full Moon Featuring Neil Larsen & Buzz Feiten』という。内容的にはレコーディング・メンバーといいサウンド・コンセプトといい1作目の延長線上にあり、この『フルムーン』をラーセン=フェイトン・バンドのセカンド・アルバムと解釈しても差し支えないだろう。

 

 そんなラーセン=フェイトン・バンドのメンバーは、ニール・ラーセン(key)、バジー・フェイトン(g, vo)、アート・ロドリゲス(ds)、レニー・カストロ(perc)の4人。リード・ヴォーカリストは主にフェイトンが務めるが、ファースト・アルバムではラーセンも歌っている。ライヴでは残りのふたりもバックグラウンド・ヴォーカルズを受けもつ。ベーシストは主に、当時ザ・ドゥービー・ブラザーズの一員だった、ウィリー・ウィークスが務めている。ほかにもイエロージャケッツのメンバー、ジミー・ハスリップの名前がクレジットされているけれど、ウィークスにしてもハスリップにしても、おそらく正式なメンバーではなく飽くまでレコーディング要員だったと思われる。

 

イノヴェイティヴでインフルエンシャルな音楽性を抱えた傑作

 

 また、ラーセン=フェイトン・バンドフル・ムーンのほとんどのライヴ・パフォーマンスでは、ヴァーノン・ポーターがベースを弾いていた(本ライヴ盤のベーシストも彼)。ポーターは1990年代後半にスムース・ジャズ系のグループ、アバーヴ・ザ・クラウズのメンバー、そしてプロデューサーを務めたひとだが、あるいは彼こそがラーセン=フェイトン・バンドの5人目のメンバーだったのかもしれない。ちなみにポーターは、ベーシストとしてレコーディングに参加することはまったくなかったけれど、セカンド・アルバムの『フルムーン』において、バックグラウンド・ヴォーカリストとして参加している。いずれにしても、ラーセン=フェイトン・バンドはその名のとおり、実質的にもニール・ラーセンバジー・フェイトンとの双頭バンドなのである。

 

 ラーセン=フェイトン・バンドの特徴は、アーバンなムードを醸し出すラーセンのインストゥルメンタルと、ブルース・フィーリングが横溢するフェイトンのヴォーカル・ナンバーとが、調和を保ちながらひとつの音楽スタイルを作り出しているというところ。しかも各々の楽曲が、パラレルに存在するのではなく相互作用をもたらして、独特のバンド・サウンドを生み出しているのが驚異的だ。それ故このバンドは一般的に、ブルー・アイド・ソウル、AOR、フュージョンなど、複数の音楽ジャンルにカテゴライズされるのである。そういう音楽性から、このバンドは多くのファンを抱える。フォトジェニックなルックスのラーセンとフェイトンの顔が大写しになったモノクロームのジャケットも手伝って、ファースト・アルバム『ラーセン=フェイトン・バンド』はスマッシュヒットとなった。

 

 ニール・ラーセンは、1948年8月7日オハイオ州クリーヴランドに生まれ、フロリダ州サラソータで育った。12歳のときにはすでにピアニストとしてステージに立っていたというから、相当な早熟である。本格的に音楽活動を開始したのは、音楽隊のディレクターとしてベトナム戦争に従軍したあとのこと。彼は退役後、1970年代初頭にニューヨークへ渡り、テレビ番組のアイキャッチの音楽を作曲したり、スタジオ・ミュージシャンとして働いたりしていた。そんなとき当時ブルー・アイド・ソウル系のバンド、ザ・ラスカルズのメンバーだったバジー・フェイトンと出会う。ふたりは意気投合し、バングというバンドでともにプレイするようになる。そしてこのバンドは、間もなくフル・ムーンと改名されたのであった。

エレクトリック・ギターのイラスト

 バジー・フェイトンは、1948年11月4日生まれ、ニューヨークの出身である。フェイトンは、1968年4月15日ニューヨークのジェネレーション・クラブで行われた、ジミ・ヘンドリックスB.B. キングポール・バターフィールドらによる伝説のジャムセッションに参加し、一躍脚光を浴びた。それを機に彼は、ザ・バターフィールド・ブルース・バンドの5枚目のアルバム『キープ・オン・ムーヴィング』(1968年)のレコーディングに参加。その後は前述のザ・ラスカルズのギタリストとして『ピースフル・ワールド』(1971年)『アイランド・オブ・リアル』(1972年)を吹き込んでいる。このころフェイトンはすでにラーセンと出会っており、いよいよフル・ムーンが始動することになる。

 

 そう、このフル・ムーンこそラーセン=フェイトン・バンドの原点。ラーセンとフェイトンがおよそ10年後にふたたび自己のグループにフル・ムーンの名を掲げたことからも、彼らのこのバンドに対する思い入れの強さが窺える。確かにダグラス・レコードというマイナー・レーベルからリリースされた『フル・ムーン』(1972年)は、イノヴェイティヴでインフルエンシャルな音楽性を抱えた超ド級の傑作だ。アルバム・プロデュースを務めた、ジミ・ヘンドリックスの当時のマネージャー、アラン・ダグラスの慧眼にも人智を超越したものが感じられる。プレス枚数はきわめて少なかったはずだが、シンガーソングライターのボズ・スキャッグスオーリアンズのギタリスト、ジョン・ホール、それにわれらが山下達郎もこのアルバムから影響を受けたという。

 

 このアルバム『フル・ムーン』は、当時のトレンドからはいささか外れていたようで、コマーシャル・サクセスの面ではまったく振るわなかった。それだけこのバンドの音楽性は、1970年代初頭のミュージック・シーンにおいて斬新過ぎたのだろう。その点、さきに挙げたプロのミュージシャンや熱心な音楽愛好家のあいだでは高く評価され、レコードは長きにわたりいわゆる幻の名盤として中古市場を賑わせた。ときとともにオリジナル盤のマーケットバリューが高騰するいっぽうで、1990年代の終わりころにぼくは、レコードからコピーされたコレクターズCDというかブート盤が、某大手CDショップにこっそりと陳列されているのを見つけて、驚いた覚えがある。まさにレジェンダリーな1枚と云える。

 

 幸運なことに、アルバムのマスター・テープ、さらには未発表音源のマルチ・テープまで、プロデューサーのアラン・ダグラスがしっかり所蔵していた。そしてついに幻の名盤『フル・ムーン』は、およそ28年ぶりにちゃっかり未発表音源という貴重なお土産まで携えて、音楽ファンのもとへ帰ってきたのである(2000年夏のこと)。これは世界初のCD化であるが、この偉業とも云うべきリイシューを成し遂げたのは、前述の『フル・ムーン・ライヴ』をリリースしたドリームズヴィル・レコード。その際、CD版のプロデュースと初お目見えとなったトラックのミキシングは、バジー・フェイトンが手がけた。それはさておき、このCDにおいてはじめて『フル・ムーン』のサウンドに触れたひとのほとんどが、ちょっとした驚きを覚えたのではなかろうか。

 

 というのも、このフル・ムーンとのちのラーセン=フェイトン・バンドとを比較したとき、各々のサウンドには動かしがたい乖離があるからだ。フル・ムーンの音楽には、リズム・アンド・ブルースやソウル・ミュージックの薫香がけむたいほどくすぶる。そういう意味では、ダイレクトにブルー・アイド・ソウルの流れを汲むサウンドと云える。ラーセン=フェイトン・バンドのサウンドにもブルース・フィーリングがほのかに匂い立つけれど、どちらかというとアダルト・コンテンポラリー色が強い。なおフル・ムーンのメンバーは、バジー・フェイトン(g, vo)、ニール・ラーセン(key, vib)、フレディ・ベックマイヤー(b)、フィリップ・ウィルソン(ds, vo)、ブラザー・ジーン・ディンウィディ(ts, ss, fl, mand, vo)の5人である。

 

隆盛を極めたバンドの最高潮に達したライヴ・パフォーマンス

 

 ウィルソンとディンウィディは、ザ・バターフィールド・ブルース・バンドのもとメンバー。ベックマイヤーもまたフェイトンと同様に前述の『キープ・オン・ムーヴィング』のレコーディングに参加している。そういったことを踏まえると、フル・ムーンは、さながらポール・バターフィールドの門下生によるバンドといった趣きがある。そんななか、残りのラーセンは異彩を放つ存在だ。彼はロックもプレイするけれど、モード・ジャズやフリー・ジャズからも影響を受けたミュージシャン。アルバム『フル・ムーン』が抱える革新的な音楽性において、ラーセンがその一翼を担っていることはほぼ間違いない。その点、デイヴ・ホランド(b)、レイ・バレット(perc)、アイルト・モレイラ(perc)、ランディ・ブレッカー(tp)といった、ゲスト・プレイヤーもまた然りである。

 

 フル・ムーンの音楽が大衆にもてはやされるポップ・ミュージックと一線を画す理由のひとつは、バンドが上記のように積極的にジャズ・ミュージシャンをレコーディングに加えることによって、なにかしらの新しいサウンドをクリエイトしようとしていることだ。それだけではない。CD化に際して日の目を見たトラック「スリー・ステップ・ダンス」と「ジャム」においては、マイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』(1970年)を彷彿させる大胆なエレクトリック・ジャズが展開されていて、はじめて聴いたときはぼくも驚きを禁じ得なかった。しかもその意欲的な取り組みには、本家よりもずっとピュアなものが感じられた。いずれにしても、フル・ムーンというバンドは、いまも昔も稀有な存在である。

 

 残念ながら、このバンドはアルバム1枚を残して一朝一夕で消滅した。原因の一端はフェイトンの薬物中毒にあると云われているが、実際その後の彼はリハビリテーションのために1970年代の後半まで、そのキャリアを棒に振ることとなった。その間ラーセンは、ソウル・サヴァイヴァーズザ・グレッグ・オールマン・バンドのメンバーとなり、キーボーディスト兼ソング・ライターとして活躍する。特にアルバム『ソウル・サヴァイヴァーズ』(1974年)では、半分以上の楽曲のコンポジションをラーセンが手がけているのだけれど、そのサウンドにはすでにラーセン=フェイトン・バンドの色合いが観られる。さらに彼は伝説のプロデューサー、トミー・リピューマのお眼鏡に適い、2枚のリーダー作『ジャングル・フィーヴァー』(1978年)『ハイ・ギア』(1979年)を吹き込むことになる。

都会の夜景 空には大きな満月

 ラーセンの2枚のリーダー作は、もともとA&Mレコードのジャズやファンク部門のサブレーベルだったホライズン・レコードからリリースされたのだが、リピューマがプロデューサーを務めるようになってからは、そのラインナップはジャンルの垣根を超えたシティ・ミュージックといった様相を呈するようになる。ラーセンのアルバムは、全編にわたりインストゥルメンタル・ナンバーで構成されているが、同時代のキーボーディストの作品のなかでもひときわ異彩を放っている。ハモンド・オルガンをメインに据えたサウンドといい、シンプルなコード・プログレッションとメロディアスなインプロヴィゼーションといい、ラーセンならではだ。そのユニークさは、フュージョン・シーンにも大きな影響を与えた。

 

 しかもラーセンの2枚のリーダー作には、社会復帰を遂げたフェイトンが参加している。彼のブルージーなギターは、メロディック・ラインをラーセンのハモンドとユニゾンで演奏したり、アドリブ・パートではレイドバックとラグに溢れたフレーズで泣きまくったりしている。そこにあるサウンドには、もはやヴォーカル抜きのラーセン=フェイトン・バンドといった風情さえある。その後1980年、ホライズン・レコードの閉鎖にともない、リピューマは1974年から籍を置いていたワーナー・ブラザーズへ復帰。そして彼のプロデュースのもと、ラーセンとフェイトンはついにアルバム『ラーセン=フェイトン・バンド』を完成させたのである。シングルカットされた「今夜はきまぐれ」は、ビルボード・ホット 100において29位を記録した。

 

 このころはラーセン=フェイトンとって、紛れもなく隆盛を極めたとき。今回リリースされた『ライヴ・イン・ニューヨーク 1980』において、彼らのライヴ・パフォーマンスは最高潮に達している。高校時代にラーセン=フェイトンの生演奏を体験したぼくも、久々に気持ちを昂ぶらせてしまった。ということで最後に、このアルバムに収録されている11曲について簡単にメモしておく。ラーセンの「サドゥン・サンバ」は『ジャングル・フィーヴァー』からの曲。ライヴでは必ずプレイされる、煌びやかなカルナヴァル風のナンバー。ラーセン、フェイトンのアドリブは、初っ端から過熱する。フェイトンの「彼女はフリー」は『ラーセン=フェイトン・バンド』から。フェイトンのヴォーカルがフィーチュアされた、ポップなディスコ・ナンバーだ。

 

 ラーセンの「ミッドナイト・パス」は『フル・ムーン』からの曲。ボサノヴァ風の軽快なリズムに乗って、ラーセンからフェイトンへとソロがつながれていくが、テーマのあとラーセンの別の曲「ディス・タイム・トゥモロウ」に変わるのが面白い。ラーセンの「プロムナード」は『ジャングル・フィーヴァー』から。ヤマハのエレクトリック・グランドがひたすら哀感が漂うフレーズを繰り出していく。ラーセンの「メイク・イット」は『ラーセン=フェイトン・バンド』から。ラーセンのヴォーカルがフィーチュアされるが、シンプルなメロディック・ラインとリズムがいくぶんラテン調になるところが彼らしい。そしてここで「今夜はきまぐれ」がプレイされる。バウンシーなリズムとフェイトンのブルージーなヴォーカルがキャッチー。まさに、名曲だ。

 

 ラーセンの「ジャングル・フィーヴァー」はダイナミックなフュージョン・ナンバー。ロック・フィーリングが炸裂するギター・ソロが最高だ。フェイトンのヴォーカル曲「モーニング・スター」と「デインジャー・ゾーン」はともに『ラーセン=フェイトン・バンド』からの曲。前者は寄る辺なさが味わい深いロック・バラード、後者はブルース・フィーリングが全開するロックンロール。ラーセンの「ハイ・ギア」は同名アルバムからの選曲。テーマのあとのスピーディでトロピカルなリズム展開が、なんとも心地いい。そして、満場の盛大な拍手に応えアンコール曲「メッセージ・フロム・ビヨンド」が演奏される。ドラムスとパーカッションとによる長めの対話のあとテーマに入り、ハモンドとギターのソロがアーバンな空気をホットにさせていく。クレジットではフェイトンの曲となっているが、実際はラーセンの曲ではないだろうか。いずれにしてもそのテクスチュアは、フル・ムーンのそれに直結するものである。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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