トータル・サウンドがいつになくナチュラルな魅力を放つボブ・ジェームスのCTIレコードにおける4作目にして最終作にあたる『BJ4』
Album : Bob James / BJ4 (1977)
Today’s Tune : Pure Imagination
ぼくにとってバイブルのようなアルバム──その3枚とは?
ぼくは小学生のころからピアノを弾いていたのだけれど、正統な音楽教育といえばピアノの個人レッスンを受けるくらいのものだった。それもクラシック・ピアノがほとんどで、ポピュラー・ピアノのほうは先生の計らいでかじる程度だった。ジャズ・ピアノの演奏方法にしても音楽理論にしても、ぼくは中学時代から高校時代にかけて独力で学んだ。ときには市販のスコア譜を購入することもあったが、テキストとなるのはほとんどの場合、レコードだった。たぶんぼくの世代で楽器を演奏するひとだったら、一度くらいはやったことがあると思うけれど、レコードから聴こえてくる音を採譜することが、ぼくにとっては日常茶飯事だったのである。いわゆる耳コピーという作業だけれど、自己の経験から云わせてもらえば、これがいちばん効果的な学習法だったと思われる。
ぼくは中学生になると、ジャズに加えてフュージョンのレコードをよく聴くようになった。そこでもっとも興味を覚えたのが、アレンジだった。フュージョンの魅力といえば、ジャズと同様に各々のプレイヤーによるインプロヴィゼーションが挙げられるけれど、そのいっぽうで、ソロイストのバックでバウンシーなサポートを提供するリズム・セクションや、スウィートな響きを加味するオーケストラもまた欠くべからざるものだ。ぼくはフュージョンという音楽に触れてからというもの、いつの間にやらジャンルを問わず音楽を聴くときは、常に楽曲に施されたアレンジを意識するようになっていた。そしてそのうちぼくは、映画作品を監督で選ぶように、音楽作品をアレンジャーを観てから手にとることが慣例となった。
そんななか、自分でもバンドなどでアレンジをするようになったとき、当然どうすればスタイリッシュなスコアが書けるようになるのかを考えた。手がかりとなるのはやはりレコード。各楽器の特徴をはじめ、その効果的な使用法、音の重ねかた、そして記譜法に至るまで、ぼくはスピーカーから実際に聴こえてくる音に耳をそばだてながらそれを五線紙に書き写したりして、徐々に身につけていったのである。そうして様々なレコードに触れていくうちに、自分に敬愛すべきアレンジャーができたことも然ることながら、自身のアレンジのマナーの原点であり基本となるような、ある意味で教えのようなものが収められた音楽作品に出会うこともできた。そんな云ってみれば、ぼくにとってバイブルのようなアルバムを、今回はご紹介させていただく。
数あるフュージョン作品のなかでも、ぼくにとって以下の3枚のアルバムはバイブルのようなものである。まずはなんといってもデイヴ・グルーシンの『ジェントル・サウンド(…One Of A Kind)』(1978年)だろう。キーボード・ワーク、ソングライティング、フィルム・スコアのマナー、そしてアレンジメントと、グルーシン・サウンドを構成するファクターのほとんどが収められた名作だ。グルーシンはぼくがもっとも敬愛する音楽家のひとりだけれど、彼の膨大な作品群のなかでもこのアルバムは学ぶべきことが満載だった。ちなみにぼくがグルーシンに注目するようになったのは、セルジオ・メンデスの『イエ・メ・レ』(1969年)というアルバムで、彼のオーケストレーションのセンスのよさを知ったときからである。
グルーシンのアルバムに次ぐ作品はちょっと飛ばして、さきに3番目に影響を受けたアルバムを挙げておく。フランス出身のキーボーディスト、ミシェル・コロンビエの『スーパー・フュージョン!(Michel Colombier)』(1979年)もまた、そのヴァーサティリティに富んだ音楽性が余すところなく流露した名作だ。その特徴的なサウンドは、ジャズ、ロック、ソウル、ラテン、そしてクラシックや現代音楽など、様々なジャンルの壁を超越したもの。しかもクラシカルであろうとポップであろうと、その音景は常に映像的なのである。さらにコロンビエはどんなに個性的なミュージシャンでも適材適所でフィーチュアし、自己のサウンドに溶け込ませてしまうのだ。その点ではブラジル出身のシンガー、フローラ・プリンの『エヴリデイ・エヴリナイト』(1978年)における、彼のアレンジも秀逸だ。
さて順序が逆になったが、2番目にぼくが音楽と向き合うときの経典、あるいは音楽を創造するときの指南書としているアルバムといえば、実はボブ・ジェームスの『BJ4』(1977年)なのである。このことを意外に思われるかたも多いだろう。一般的にフュージョンの名盤として採り上げられるジェームスのアルバムといえば、自己レーベル、タッパン・ジーにおける第1作『ヘッズ』(1977年)、アール・クルー(acg)とのコラボレーション作『ワン・オン・ワン』(1979年)、あるいはデヴィッド・サンボーン(as)との共演作『ダブル・ヴィジョン』(1978年)あたりが思い出されるだろうからね──。DJやクラブ世代からも『はげ山の一夜(One)』(1974年)や『スリー』(1976年)のほうが、圧倒的な支持を得ている。
確かにこのCTIレコードにおける4作目にして最終作にあたる『BJ4』は、ほかの3枚と比較したときにもっとも地味に映るだろう。しかしトータル的な観点からすればこのアルバムの完成度は非常に高いと、ぼくはかねてから評価してきたのである。ジェームスにとってこのアルバムは、音楽の方向性ばかりでなくビジネス面でも節目となる作品だった。そしてそのことが、偶然なのか必然なのかは定かでないが、結果的にはプラスに働いたように思われる。当時ジェームスはCTIに籍を置いたまま、すでにコロムビア・レコードにおいてプロデューサーとして働いていた。彼はこの『BJ4』をリリースすると、ときを移さずコロムビア傘下でタッパン・ジー・レコードを設立したのだった。
今回はこの『BJ4』についてお伝えしようと思うのだが、まずはジェームスとの出会いについて記しておく。考えてみるとそのことを、あまりひとに話したことがなかった。たぶんボブ・ジェームスという名前を最初に意識したのは、ロバータ・フラックの『愛のためいき』(1975年)の表題曲を聴いたときだったと思う。しかしながらそれとおなじころ、ジェームスがキーボーディストとして参加したフィービ・スノウの『サンフランシスコ・ベイ・ブルース』(1974年)やポール・サイモンの『時の流れ』(1975年)といったアルバムも手にしており、実は自分がどれを最初に聴いたのかちょっと思い出すことができないのである。いずれにしても、その名前をハッキリ記憶に留めたのは『愛のためいき』においてだった。
ボブ・ジェームスとの出会い──それは意外にも映画音楽だった
ちなみに全米1位を記録したフラックのヒット曲「愛のためいき(Feel Like Makin’ Love)」は、キーボーディストのレオン・ペンダーヴィスとフラック本人がアレンジを担当しているが、レコーディング・メンバーはボブ・ジェームス(key)、リッチー・レズニコフ(g)、ゲイリー・キング(b)、アイドリス・ムハマッド(ds)、ラルフ・マクドナルド(perc)となっている。実はジェームスはこの曲をさきに挙げた『はげ山の一夜』でカヴァーしている。もちろんそちらのヴァージョンはジェームスによってアレンジされたものだが、ぼくはオリジナルよりも圧倒的に好きだ。面白いことにふたつのヴァージョンは、まったく同一のリズム・セクションで吹き込まれている。ぜひ聴き比べてみていただきたい。
そんなわけで、ぼくのボブ・ジェームスとの出会いは、中学校に入学する寸前くらいに聴いていたいくつかのポップ・アルバムにおいて──と、しばらくの間そう思っていた。ところがそれよりもまえに、ぼくは彼がアレンジを手がけた音楽を知らず知らずのうちに体験していたのである。それはシドニー・ルメット監督、アル・パチーノ主演の映画『セルピコ』(1973年)のフィルム・スコアにおいてのこと。ぼくがこの映画をはじめて観たのは小学生のときだが、そのときはジェームスがこの作品に関わっていることはおろか彼の名前すら知らなかった。高校時代にふたたびこの映画を鑑賞した際エンドクレジットに、音楽のアレンジャー兼コンダクターとしてジェームスの名前が表示されるのを発見した。
確かにパラマウント・レコードからリリースされたサウンドトラック・アルバムには、“CTIの厚意による”という表示とともにアレンジャーとしてジェームスのクレジットがあった。音楽を担当したのはギリシャの作曲家ミキス・テオドラキスだが、実は彼はフォーク調の曲を1曲提供しただけで、サウンドトラックのレコーディングにも一切関わっていない。ということで、ルメット監督とコンビを組んだクインシー・ジョーンズの口添えで、すべてのフィルム・スコアをジェームスが手がけることとなった。彼はテオドラキスの曲をモティーフにスコアを拡大したが、あらためてサントラ盤を聴くとこれはもはやボブ・ジェームスの音楽作品と云って差し支えない。なかにはいかにも彼らしいフェンダー・ローズのソロが挿入される、グルーヴィーなナンバーもある。
上記のサントラ盤の表示にある通り、当時ジェームスはすでにCTIレコードの専属アーティストだった。CTIは過去にABCパラマウント、インパルス!、ヴァーヴといった名門レーベルで活躍した音楽プロデューサー、クリード・テイラーによって創設されたレコード会社。彼はこれまでにもジャズのポピュラライズを企図してきたが、CTIではフュージョンの前身とも云えるクロスオーヴァー作品を数多く世に送り出した。ジェームスとCTIの関わりは、彼を見出したクインシー・ジョーンズのリーダー作『ウォーキング・イン・スペース』(1969年)からはじまった。ジェームスはこのアルバムの全編でフェンダー・ローズを弾き、1曲のみではあるがアレンジも担当している。その後彼はCTIにおいて、キーボーディスト兼アレンジャーとして活躍するようになる。
CTI作品のオーケストレーションを手がけた音楽家といえば、クラウス・オガーマン、ドン・セベスキー、デヴィッド・マシューズといったハウス・アレンジャーをすぐに思い浮かべることができる。またブラジル出身のエウミール・デオダート、アルゼンチ出身のラロ・シフリンなど、特徴的なアレンジをするアーティストもいた。そんななかで、もっともアーティストリーとポピュラリティとのバランス感覚に優れたスコアを書いていたのは、だれあろうボブ・ジェームスだった。彼が手がけた作品は、どれも偏りがない。そのせいか彼はCTIにおいて、ソウル・ファンク系ジャズを特色とするサブレーベル、KUDUの作品のアレンジも一手に担っていたのである。
さらにおなじくCTIの傍系レーベル、サルヴェーションからリリースされた、ハンガリー出身のギタリスト、ガボール・ザボの『ハンガリアン・ラプソディー(Macho)』(1975年)では、ジェームスはアレンジャー、コンダクター、キーボーディストとしてはもちろんのこと、プロデューサーとしてもその手腕を発揮した。そういえば、そんな1人4役を務める彼の見事な活躍ぶりにあやかったのか、日本国内のみで『フォー・フェイセス』(1978年)という2枚組のレコードが発売された。このアルバムは、ジェームスのリーダー作をはじめ、エリック・ゲイル(g)、ガボール・ザボ(g)、ヒューバート・ロウズ(fl)、グローヴァー・ワシントン・ジュニア(ss, as, ts)、ハンク・クロフォード(as)らのアルバムから選曲されたコンピレーション作品である。
上記のアーティストたちのCTI作品は、ジェームスのブリリアントでゴージャスなオーケストレーションの恩恵にあずかったと云える。ただ前述のように彼は1973年からコロムビアで仕事をしており、1977年の3月にはすでに自己レーベル、タッパン・ジーの第1作でギタリスト、スティーヴ・カーンのリーダー作『タイトロープ』のレコーディングに着手していた。ジェームスが関わったCTI作品では、ヒューバート・ロウズの『シェエラザード』(1977年)が最後のリリースとなったが、この音源は1975年10月4日カリフォルニア州オークランド市のパラマウント・シアターにおいて実況録音されたもの。ロウズの前作にあたる『ロミオとジュリエット』(1976年)もジェームスが手がけた作品だが、コロムビアからのリリースとなった。
それらの事実を考慮に入れると、1976年の11月から12月に吹き込まれた『BJ4』こそ、ジェームスのCTIにおけるラスト・レコーディングと云える。なお本作はビルボード誌のジャズ・アルバム・チャートで3位にランクインした。興味深いのは、この『BJ4』と次作の『ヘッズ』とでは、まったく趣きの異なる作風に仕上がっているということ。サウンドの質感ひとつとってみても、レコーディング・エンジニアがジャズの分野を中心に活躍したルディー・ヴァン・ゲルダーからフィル・ラモーンの薫陶を受けたジョー・ジョーゲンセンへバトンタッチされたことから、まるで違う印象を与える。ちなみに『ヘッズ』のほうは、ジャズ・アルバム・チャートで堂々の第1位を獲得した。
アレンジはよく練られてはいるが意匠に余分な力が入っていない
ぼくが『BJ4』で好きな点は、オーケストレーションはいつものようによく練られているのだけれど、意匠に余分な力が入っていないというところ。特にリズム・セクションとストリングスやホーンズとの調和がとれるていて、トータル・サウンドがいつになくナチュラルな魅力を放っている。CTIにおける過去の3枚のリーダー作は、ブラスが煌びやかに鳴らされたり、冒険的とも云うべき躍動感のあるリズム展開が見られたりで、とにかく圧倒的な存在感をもった労作という印象を与えた。しかし本作ではクラシックのパラフレーズ・ナンバーやリズム・アンド・ブルースのジャズ・ファンク・ヴァージョンなどの、リスナーの意表を突くような仕掛けが施された曲は皆無だ。それが却っていいのである。
チャレンジ精神旺盛なジェームスのアルバムとしてはごく稀な様式だが、そういう点では彼が音楽を手がけたTVコメディ・シリーズ『タクシー』(1978年 – 1983年)のテーマ曲や付随音楽をリメイクした『N.Y.メロウ』(1983年)が、おなじニュアンスを感じさせる。このアルバムも、ぼくの好みだ。またジェームスはタッパン・ジー時代に、“ミスター・ニューヨーク”という異名をとっていた。レーベル第1作の『ヘッズ』では、オリジナル曲がエッジの効いたファンキーなナンバーでまとめられているのにあわせて、積極的にロックやソウルのカヴァーにも取り組まれていて、まさにニューヨークを象徴するような都会的なサウンドが繰り広げられている。それに対して『BJ4』は、美しいローカル・カラーが際立った作品だ。
本作のレコーディング・メンバーは、ボブ・ジェームス(key)、エリック・ゲイル(g)、ゲイリー・キング(b)、スティーヴ・ガッド(ds)、ラルフ・マクドナルド(perc)といった安定感のあるリズム・セクションに、6名のホーンズと12名のストリングスが加わる。さらにソロイストとして、ヒューバート・ロウズ(fl)とアート・ファーマー(tp, flh)が参加している。ジェームスはピアノ、ローズ、クラヴィネット、アープ・オデッセイ、オーヴァーハイムなどを使用。いつになくシンプルな編成だが、過不足がなくバランスの取れたオーケストレーションが、聴き手にリラックス感をもたらすようなサウンドを生み出している。レコーディングは例のごとく、ニュージャージー州エングルウッド・クリフスにあるヴァン・ゲルダー・スタジオで行われた。
本作ではなんといっても、オープナーの「ピュア・イマジネーション」が素晴らしい。もともと個人的にも大好きな曲なのだが、オリジナルは英国の作曲家レスリー・ブリッカスとシンガーソングライターのアンソニー・ニューリーとの名コンビによるミュージカル映画『夢のチョコレート工場』(1971年)の主題歌だ。どちらかといえばあまり脚光を浴びることのない楽曲を、アルバムの冒頭にもってくるところが新鮮だ。ドラムスが打ち出す特徴的なバックビートとミュート・トランペットとウッドウィンズによるアーティキュレーションが作り出す緊張感のあるイントロから、その音世界に引き込まれる。テーマ部のフェイズシフターを深くかけたローズにアコースティック・ピアノをミックスしたユニークなトーンが、ファンタスティカルな世界へと誘う。
サビ以降のファーマーのフリューゲルホーンはメロウだしロウズのフルートはオリエンタル。そんな夢心地な響きに対して、キングのベースとガッドのドラムスとが刻むビートはシャープで都会的。その目の覚めるようなコントラストが絶品だ。短いホーンズによるアクセント・パターンのあと、ジェームスのアコースティック・ピアノが、ビル・エヴァンスを彷彿させるブロック・コードを使ったソロを綴っていく。その思いがけずパーカッシヴでスウィンギーな感覚が、ドリーミーな曲調に洗練された味わいを添えている。個人的にはこの曲のアレンジから、ぼくは多くのことを学んだ。つづく「風の吹くまま」への移行もいい。冒頭の弾力に富んだベースの音色と16ビートを強調したハイハットのパターンの上に、幻想的なストリングスが被さってくるところがキャッチーだ。
この曲はジェームスのオリジナルだが、フルートによる明るく澄んだテーマ部、ホーンズによるロシアン・フォーク調のキメ、フリューゲルホーンによる哀愁が漂うサビと変化に富んだ楽しいナンバー。まずはロウズとゲイルがソロをとる。特にゲイルのブルージーのギターがいい。音が泣いているのだ。後半はジェームスのローズが、いつものようにシングル・トーンでバウンスする。弾けるようなコンピングも気持ちがいい。おなじジェームスの自作でも3曲目の「タッパン・ジー」では、ぐっと雰囲気が変わる。ブラスのアンサンブルによる全音音階が活かされたダイナミックなイントロから、いかにもヒップホップにおいてオマージュの対象となりそうな、よく弾むベースによるリフへと進行。アルト・フルートやミュート・トランペットによるシンプルなメロディック・ラインも、ジェームスのお得意のパターン。
この曲のタイトルとなっているタッパン・ジーとは、ニューヨーク州を流れるハドソン川にかかる橋の名前。ロックランド郡とウェストチェスター郡を結ぶ交通の要衝だ。云うまでもなく、前述のジェームスが立ち上げたレーベル名はこれに由来する。それはともかく、この曲のグルーヴ感というか、いま風に云えばドープなフィーリングは、ジェームス・サウンドの特徴のひとつ。途中リズムがホンキートンク風になるのも面白い。ピアノのアドリブもそつなく垢抜けた音空間に溶け込んでいる。レコードでは、ここまでがSide-A。盤面を裏返すと気分がリセットされる。愁いを帯びたソロ・ピアノの前奏にオーボエが絡んでくるところが、クラシカルな美しさを放つ。そうかと思えば、ドラムスがシンコペーテッドな切れ味の鋭いビートを刻みはじめる。
この「孤独の夜明け」は、ソフトロック系デュオ、イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーの1976年のヒット曲「眠れぬ夜」をアレンジしたもの。どちらかといえば甘口の曲調だが、ピアノがテーマをフルボディで歌ったあとは、木管楽器がアンティークな感じを出し、アドリブ・パートではピアノにしてもギターにしてもモダンで小気味いい。もっとも注目すべきはキング+ガッドの動きで、彼らが打ち出すビートの弾けかたが圧巻である。残りの2曲はジェームスのオリジナルだが、カリプソ調の「宝島」では、ジョージ・マージのリコーダーがトロピカルなムードを高めている。ストリングスのオブリガートも美しい。そんななかトランペット、ギター、ローズのソロは、わりとブルージーな音でフレキシブルに展開される。
もう1曲の「エル・ヴェラーノ」のタイトルは、有数のワイナリーとして知られるカリフォルニア州ソノマ・ヴァレーの地名。スペイン語で夏を意味するが、フルートによるメロディック・ラインがどことなくエキゾティックだ。後半のクラシカルなオーケストレーションによる張り詰めた空気感が見事。そのいっぽうで短尺ながら、ファーマーの俊敏なフィンガリングがパンチを効かせる。ピアノのアドリブもドラマティックだ。ボブ・ジェームスという音楽家は、そのキャリアをジャズ・ピアニストとしてスタートさせたが、もともと19世紀のヨーロッパを中心とした芸術音楽の影響を受けている。そんな彼のパーソナリティを上手く活かしたのがCTIであり、それが自然熟成した結果生まれたのが『BJ4』だ。ジェームスのサウンドがポップでソリッドになる直前の本作には、まだまだ学ぶべきことがあるように、ぼくは思うのだが──。
あとになりましたが、あけましておめでとうございます。2025年も変わらぬお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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