大野雄二 / 野性の証明 オリジナル・サウンドトラック (1978年)

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大ヒットした角川映画第3弾『野性の証明』──大野雄二サウンドが全開したオリジナル・サウンドトラック 

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Album : 大野雄二 / 野性の証明 オリジナル・サウンドトラック (1978)

Today’s Tune : 戦慄の青い服

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読んでから見るか 見てから読むか──角川映画第3弾

 

 映画『野性の証明』のポスターに「お父さん、怖いよ!なにか来るよ 大勢で、お父さんを殺しに来るよ!」というコピーがあった。当時中学生になったばかりのぼくは、いったいなにが来るのだろうと小首を傾げたもの。さらに「NEVER GIVE UP」とも記されていたことから、なんでも諦めてはいけない。とにかく頑張らなければいけない。それはそうだろう──などと、とるに足らないことを思ったりもした。ポスターに写っている子熊のような顔の女の子のことはまったく知らなかったけれど、目の表情に強いインパクトを感じた。こんなぼくでも当時は多感な時期だったのだろう、恥ずかしながら右目の下のホクロがチャーミングだな──などと思った。いずれにしても彼女には、いわゆるアイドルとは一線を画すものがあった。

 

 ポスターの君は、いまをときめくベテラン女優、そしてシンガーとしても活動する薬師丸ひろ子だ。現在は気さくな母親役を多く演じる薬師丸さんにも、こんなに神秘的な美しさを湛えた少女時代があったのだ。まあそう云うぼくも、いまはただのオッサンなんだけれどね。それはともかく薬師丸さんは中学1年生のとき、この『野性の証明』の少女役のオーディションに合格し芸能界入りを果たした。映画が全国ロードショーで公開されたのは1978年10月7日のことだから、1964年6月9日生まれの彼女は14歳になったばかりだった。このころにはぼくのなかで、薬師丸さんは成績、品行ともに優れた先輩──というイメージになっていた。ただその後、彼女が角川映画の中心的存在としてスターダムにのし上がるとは、思いも寄らなかった。

 

 この『野性の証明』は、市川崑監督作品『犬神家の一族』(1976年)、佐藤純彌監督作品『人間の証明』(1977年)につづく角川映画第3弾。厳密には門田得三が監督を務めた『野性号の航海 翔べ 怪鳥モアのように』(1978年)が3作目に当たるのだが、ノンフィクション映画というかプライヴェート・フィルムといった趣旨の作品だったからか、一般的には頭数に入れられていない。角川映画とは、現在のKADOKAWAの前身である出版社、角川書店の当時の社長、角川春樹が製作した一連の映画作品のこと。もともとは角川書店が発行する書籍、特に角川文庫の売上向上に主眼が置かれた、飽くまで宣伝の一環としてはじめられた事業。要するにメディアミックス展開のハシリだった。

女子中学生と自衛隊の特殊車輌やヘリコプター

 思えばいまではちっとも珍しいことではないけれど、当時テレビで映画作品のスポットCMがいやというほど流されていたのは、角川映画だけだった。角川社長は、破格の広告費を投じ書籍と映画を同時にアピールし、その相乗効果から大きな成功を収めた。前述の映画のポスターにあったコピーもまた、薬師丸さんのセリフとしてテレビCMでこれでもかというほど聞かされた。いつの間にかその文言を暗唱できるようになっていたのは、おそらくぼくだけではあるまい。いわゆるザイオンス効果を応用したこのマーケティング戦略が功を奏し、興行成績では前作の『人間の証明』には一歩及ばなかったが、果せるかな『野性の証明』は大ヒットを記録した。配給収入においては、角川映画第1作『犬神家の一族』のおよそ1.4倍だった。

 

 監督は『人間の証明』にひきつづき佐藤純彌(1932年11月6日 – 2019年2月9日)が登板した。佐藤監督の作品といえば、オールスターキャストによるパニック映画『新幹線大爆破』(1975年)が有名。とにかくおカネのかかった映画を多数手がけていて、ミスター超大作の異名をとるほど。その点と前作の大ヒットを考慮に入れると『野性の証明』での続投は、当然のことのように思われる。撮影監督は戦後の日本映画を代表するカメラマン、姫田真佐久(1916年11月19日 – 1997年7月29日)。アメリカの戦争映画『トラ・トラ・トラ!』(1970年)において、アカデミー撮影賞にノミネートされたこともある。姫田さんもまた『人間の証明』につづく再抜擢である。シャープでスケール感のある映像が素晴らしい。

 

 また脚本は東映のアルチザンこと高田宏治が手がけた。現代劇はもちろんのこと時代劇や任侠映画など、とにかくオールマイティに執筆するライターだ。彼の熟達した職人的ライティングは、数多くの東映エンターテインメント作品をヒットさせた。高田さんは『野性の証明』では、映画のクライマックスにおいて原作小説のストーリーラインを大幅に改変している。あとになったが映画『野性の証明』の原作は、森村誠一(1933年1月2日 – 2023年7月24日)による推理小説。単行本は1977年9月20日に、文庫は1978年8月30日に、それぞれ角川書店によって発行された。前作の映画『人間の証明』の原作もまた、第3回角川小説賞を受賞した森村さんの小説だった。

 

 森村さんの膨大な数にのぼる著作は、ミステリーや時代小説、小説以外にもエッセイからビジネス書まで、実に多岐にわたる。そういう意味では、氏は大衆文学の大家と云える。小説『野性の証明』は『人間の証明』と同様に、角川社長の依頼により映画化が前提の上で執筆された。そういえば当時の角川文庫や角川映画の宣伝には「読んでから見るか 見てから読むか」というコピーが使われていた。流行語にもなったこの広告文に敢えて応答すると、ぼくはほとんどの場合「読んでから見る」ほうである。この『野性の証明』にしても、ぼくは映画を鑑賞する以前にすでに森村さんの小説を読んでいた。小説が映画化されることはもちろん知っていたのだけれど、実は読み進めるうちにぼくはある懸念を抱くようになったのである。

 

いまで云うブロックバスター作品──批判する向きもかなり多かった

 

 東北の一寒村で発生した大量虐殺事件で生き残った少女と、偶然現場に遭遇した訓練中の自衛官とが、その後地方都市で蠢く巨大な陰謀に巻き込まれていくというストーリー。決して面白くないわけではないのだけれど、前作の『人間の証明』と比較するとちょっと地味なおハナシに思えたのである。しかもこれまでの角川映画といえば超娯楽大作という印象を与えるが、小説の皮肉と凄惨を極めたバッドエンドは、そんなポジティヴなイメージにまったくそぐわない。特に物語の主人公である元自衛官の味沢岳史が軟腐病の影響から精神に異常を来していくというクダリは、あまりにも悲惨だ。これをあの健さんに演らせるのか?ちょっと違うのではないだろうか?──そんなしっくりしない感じを、小説の読了とともにぼくは覚えたもの。

 

 健さんとはもちろん銀幕の大スター、高倉健(1931年2月16日 – 2014年11月10日)のこと。高倉さんは『野性の証明』以前にも『ゴルゴ13』(1973年)『新幹線大爆破』(1975年)『君よ憤怒の河を渉れ』(1976年)といった佐藤純彌作品に立てつづけに出演している。それらの主人公であるアサシンにしても爆弾テロリストにしても、あるいは東京地検刑事部の検事にしても、高倉さんが演じるととにかくクール。振り当てられたキャラクターが善玉であろうと悪玉であろうと、俳優高倉健は常にヒーローでなければならない。だれもがそんな健さんを望んでいる。だから高倉さんが演じる味沢岳史が、小説にあるように絶望の淵に突き落とされたまま終わるなどあり得ないことなのである。

 

 ぼくの懸念に反して映画のなかの味沢は、最後まで諦めなかった。どん底から這い上がろうとする。ただひたむきに薬師丸さん演じる長井頼子を守るために──。ああ、そこが前述のコピー「NEVER GIVE UP」につながるのか──と、映画を鑑賞したときのぼくは勝手に納得したもの。とにもかくにも映画『野性の証明』では、小説の結末から物語はさらに新たなるクライマックスへと飛躍する。シナリオを書いたのはもちろん高田さんだが、この粋な計らいについて実際に采配を振るったのは製作者の角川さんだとぼくは推測する。いずれにしても映画ではラスト20分にも及ぶ、小説にはなかった味沢と自衛隊とのバトル・シーンが追加された。結局のところ作品はそれまでの2本の角川映画よりも、数段スケールの大きなものとなった。

寒村に佇む自衛隊員

 高倉さん演じる味沢は元陸上自衛官だったが、彼が所属していたのは対テロ戦を想定して極秘裏に編成された特殊部隊だった。この特殊工作隊という名称の部隊の編成は非合法。特殊工作隊の存在が明るみに出るとことを憂慮した政府は、陸上自衛隊に演習を装って味沢と頼子を暗殺するよう指示。かくして演習地の山林を舞台に頼子を連れた味沢と、特殊工作隊──指揮官以下22名の精強の隊員たちとの死闘が繰り広げられる。以上のくだりは映画化に際して新たにつけ加えられた、オリジナルのエピソードだ。内容が内容だけに角川さんは自衛隊には撮影協力を依頼せず、自前で自衛隊の部隊を用意。戦闘シーンのロケも日本では不可能だったため、撮影はアメリカのカリフォルニア州やコロラド州で行われた。

 

 そんなこともあり、映画『野性の証明』の製作費はおよそ12億円にのぼった。当時の日本映画の製作費といえば3億円程度だったというから、そんな破格の費用を映画に投じる角川春樹がいかに型破りな人物だったかがよくわかる。配給収入は21億8000万円ということで、その年の邦画作品では第1位となった。興行的には大成功を収めたわけだ。ところが、いまで云うブロックバスター作品である本作を、批判する向きもかなり多かった。ヒットはしても作品の質が低いとか、なかには角川映画は札束映画と揶揄する映画評論家までいた。でもいかがなものだろう。日本映画界の縦割りの構図を打破し、斜陽産業となりつつあった映画にふたたび多くのひとの関心を向けさせたのは、ほかでもない角川映画だったのではないだろうか。

 

 確かに角川の映画作品は、芸術性からはもっとも縁遠いところに存在するのかもしれない。しかしながらアート・フィルムだけが価値があるというものでもないだろう。かく云うぼくにも、大衆市場よりもニッチ市場に向けて製作された芸術性の高い映画に、こころを打たれる機会はままある。それでもやはり、子どもから大人まで楽しめる娯楽作品や、大きなスクリーンで観たくなるような迫力満点の映画も、強く求めるのである。いまの邦画といえば、アート志向の作品にはなかなか面白いものもあるけれど、エンターテインメント作品ともなるとテレビドラマの延長線上にあるようなものがほとんど。ぼくは、映画らしい映画が観たいのだ。その点、未見のかたにはぜひ『野性の証明』を一度観ていただきたい。映画でしかあり得ない作品なのだから──。

 

 わずかながら、薬師丸さんにも触れておきたい。薬師丸さんはのちに、角川春樹事務所によるコンテスト(1982年公開された映画『伊賀忍法帖』のヒロイン・オーディション)で見出された、渡辺典子原田知世とともに角川3人娘と呼ばれた。私感になるが、そのなかでデビュー当時もっとも鮮烈な印象を与えたのは、薬師丸さんだったと思う。その神がかり的な存在感は『野性の証明』のフィルムにしっかり焼きつけられている。その後、薬師丸さんは『ねらわれた学園』(1981年)『セーラー服と機関銃』(1981年)といった角川映画に出演し、彼女の意志とは関係なくアイドル化していく。それとともに当初彼女が発散していた霊妙なエナジーは、減衰の一途をたどった。これは、彼女に俗っぽいセリフを吐かせたりしたオトナに責任がある。

 

 それほど長井頼子の薬師丸さんは、蠱惑的なまでに謎めいた美しさを湛える。フィルムのなかで永遠に輝きつづける魅力的な薬師丸さんを確認することができるという点でも、映画『野性の証明』は観て損のない作品と、ぼくは思う。実はもともとヒロインの頼子は10歳という設定だった。それに対して薬師丸さんは13歳、背丈においても想定されるキャラクターのそれよりも高めだった。いわば規格外でもあり、演技経験もなかった彼女をオーディションで強く推したのは、審査員を務めていた角川春樹だった。やはり角川さんは、ただ者ではない。まさに慧眼の士である。大衆の期待を上回る新たなサムシングを本質的に見抜くような、氏の鋭い眼力はフィルム・ミュージックにおいても活かされた。音楽監督に大野雄二を起用したことである。

 

人間の孤独感や哀感あるいは優しさをヴィブラフォンで表現

 

 大野雄二は83歳にしていまも現役のジャズ・ピアニストとして活躍しているが、ジャズから離れていた時期がある。ピアノ・トリオで吹き込んだデビュー作『ミスター・ハピゴン』(1973年)を発表したころから大野さんは、もちまえの作曲、編曲の才能を活かしてテレビCM、テレビ番組や映画の音楽、ポップ・ミュージックにおける、サウンド・クリエイターとしての活動に専念するようになっていく。ときおり銀座や六本木のクラブでスタンダーズを弾いてはいたものの、本格的にジャズ・プレイヤーとして復帰するのは2000年代に入ってからだ。このことはジャズに興味がないひとたちには、却って幸いだったのではないだろうか。なにせ30年にもおよぶ長い期間、様々なシーンで唯一無二の大野サウンドに触れることができたのだから。

 

 大野さんが角川映画の音楽を手がけるのは『犬神家の一族』『人間の証明』につづいて、この『野性の証明』で3度目。製作者である角川さんの大野サウンドに対する愛着と信頼は、明々白々のことである。氏は日本テレビのサスペンスドラマ・シリーズ『火曜日の女』(1969年~1973年)および『土曜日の女』(1973年~1974年)の劇伴や、NHKのニュース番組『ニュースセンター9時』(1974年~1988年)のテーマ曲を聴いて、大野さんのフレッシュなサウンドに注目したという。旧態依然とした日本映画界に一石を投じるようなインパクトを求めていた角川さんにとって、ジャズ・ピアニスト出身で作曲家としてはまだ手垢のついていなかった大野雄二という音楽家は、ダイヤモンドの原石だったのだろう。実際その才能は、日ならず開花した。

 

 大野さんは、いきなり大抜擢された『犬神家の一族』では和の情緒溢れる愛憎の世界を、フリー・ジャズやプログレッシヴ・ロックなどを織り交ぜたクロスオーヴァー・サウンドで表現。つづく『人間の証明』では都会のサスペンスに、デイヴ・グルーシンクラウス・オガーマンからの影響が感じられる洗練された当世風のフュージョン・ミュージックで、彩りを添えた。そして『野性の証明』では、スペクタクル・アクション調の躍動的な劇伴も然ることながら、巨悪に立ち向かうハードボイルドなキャラクターたちをいつになくヒューメインな音楽で描写した。大野さんはこの映画でヴィブラフォンを使用しているが、そのゆったりした振動が生み出す独特の音色と雰囲気が、人間の孤独感や哀感あるいは優しさをナチュラルに伝えてくる。

楽器のヴィブラフォンと自衛隊服を着た動物たち

 ヴィブラフォンは、1978年から1979年にかけての大野サウンドには、欠かせない楽器だった。その効果的な使用は、映画の劇伴でいうと『野性の証明』を皮切りに『殺人遊戯』(1978年)『黄金の犬』(1979年)『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)などに、顕著に見て取れる。さらにテレビドラマのサウンドトラック・アルバム『大追跡』(1978年)に「刑事たちの散歩道」という曲が収録されているが、やはりヴィブラフォンが強い印象を残す。軽快なジャズ・ワルツを、軽妙なストリングスのピチカートをバックに、ヴィブラフォンがフルートとのユニゾンによる爽やかなを響きとキャッチーなフレージングで盛り上げている。そんな透明感に富んだ美しさと温もりの感じられるサウンドが、もっともこころに残るのは『野性の証明』の楽曲である。

 

 ここでマレットを揮ふるっているのは、日本を代表するヴィブラフォニストでティンパニストでもある金山功。大野さんのレコーディングではおなじみのひとだ。サウンドトラック・アルバムは映画公開のおよそ1か月まえ、主題歌のシングル盤は2か月まえに発売された。レコードの先行発売は、音楽もまた映画の宣伝を補完し相乗効果をあげる重要なファクターという考えからの、角川商法の一環である。山川啓介の作詞による「戦士の休息」と「銀河を泳げは」は、元ズー・ニー・ヴー町田義人が歌った。そのソフトな声質とソウルフルな歌いまわしには、優しさと雄々しさが交錯した得も云われぬ爽快感がある。知名度よりも実力を優先する大野さんらしい人選だが、しばらくヒットに恵まれなかった町田さんはこの曲でふたたび脚光を浴びた。

 

 アルバムには上記の2曲のヴォーカル・ナンバーのほか、9曲のインストゥルメンタルが収録されている。ほとんどの曲において、フィルムスコアリングとは別のテイクが採用されており、アルバムでの印象とスクリーンで受けるそれとは微妙に異なる。リズム・セクションは、松本恒秀(g)、岡沢章(b)、市原康(ds)、穴井忠臣(perc)といった、鈴木宏昌率いるコルゲン・バンドのメンバーが中心となっている。それにホーンズとストリングスが加わる。メイン・タイトルの「野生への序曲」は、壮大なオーケストラル・ポップ。メロディやオブリガートをダイナミックに奏でる管楽器のアンサンブル、ストリングスのアルペジオやトレモロ、それにティンパニーの連打と迫力満点だ。

 

 映画では自衛隊が登場するシーンでこの手の躍動感溢れるトラックがしばしば登場するが、アルバムではこの1曲のみ。イントロが、ハンガリー出身のミクロス・ローザが作曲した映画『ベン・ハー』(1959年)のなかの「序曲」を彷彿させるのはご愛嬌。ロック・ビートの「悪魔の追跡」では、シモンズのシンセドラム、シーケンサー、オルガンなどが鳴り響くなか、エレクトリック・ギターが雄叫びを上げまくる。ゆったりした「時間さえ忘れて」では、ヴィブラフォンがブルージーな旋律を奏でる。オーボエのオブリガート、ストリングスのコーラスも明鏡止水のごとき美しさを湛える。アップテンポのディスコ・フュージョン「戦慄の青い服」では、ホーンズによるサスペンスフルなテーマのあと、シンセのソロ、テナーのアドリブがクールに展開される。

 

 ブラジルのリズムがクロスする「やすらぎを乗せて」では、ホーンズによるグルーヴィーなテーマのあと、ヤマハCS-80によるアドリブがフレキシブルに炸裂する。緩やかなテンポの「君の愛に背を向けて」では、瞑想的なコード進行でローズ、ギター、シーケンサー、フルートなどが溶け合うなか、ソプラノが凛とした空気をつくる。哀愁が漂う「悲しみの軌跡」では、ハートウォーミングなテナーによるバラード演奏を堪能するばかり。ラテン・タッチのワルツ「病葉わくらばの街」では、ヴィブラフォンとフルートとのユニゾンによるテーマとアコースティック・ベースのソロがスタイリッシュだ。クロージング・クレジットで流れる「悪夢は頼子と共に」では、アープ・オデッセイの口笛のような音色が寂寥感を漂わせる。また、弦のスタッカートが余韻を残す。この曲を聴くとぼくはまた、あのときの高倉さんと薬師丸さんに会いたくなる。以上文句なし、大野サウンドが全開した名作である。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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