Mark Isham / Little Man Tate (1991年)

シネマ・フィルム
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アメリカ映画協会から1980年代の3大作曲家のひとりに選ばれたマーク・アイシャムの貴重なサントラ盤『リトルマン・テイト』

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Album : Mark Isham / Little Man Tate (1991)

Today’s Tune : Little Man Lost

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出会いはECMレコードのピュアでアブストラクトなアンサンブル作品

 

 おそらくトランペット奏者のマーク・アイシャムが、映画業界に足を踏み入れたのは1980年代の前半のことだろう。彼のリーダー作のなかに『フィルム・ミュージック』(1985年)というアルバムがある。アイシャムにとっては、ウィンダム・ヒル・レコードにおける2作目に当たる。このアルバムには、ダイアン・キートンメル・ギブソンの共演作『燃えつきるまで』(1984年)、ドキュメンタリー作品『ハーヴェイ・ミルク』(1984年)、オオカミの生態が描かれた『ネバー・クライ・ウルフ』(1983年)といった、3本の映画のために彼が書いた楽曲が収録されている。どの映画もマイナーな作品であるが故、サントラ盤はリリースされなかった。それなら、自分のアルバムとして出してしまおう──ということだったのだろう。

 

 シンセサイザーが駆使された独創的で詩情豊かな楽曲の数々は、確かに埋もれさせるには惜しい。特に『燃えつきるまで』の楽曲は、その後のアイシャムの映画音楽の特徴とも云える、繊細な心理描写が巧みなトラックが集中している。その熱いメロディック・ラインと美しいサウンドスケープに、甚だこころを揺さぶられる。と同時に、彼が奔放なイマジネーションをもつ音楽家であることが、ひしひしと感じられる。そのサウンドには独特の存在感があるのだけれど、コマーシャリズムとはまったく無縁のものであるが故に、当初は耳目を集めることはなかった。そんなアイシャムもいまや、現在まで57本の作品を手がけるほどの、映画音楽の老練家となっている。ただ彼の音楽はいまもって、決して華美な様相を呈することはない。

 

 アイシャムの音楽家としての本領が発揮されたのは、やはりフィルム・スコアにおいてだろう。しかし、彼は当初からハリウッドを目指していたわけではない。むしろアイシャムは、ミュージシャンとしてのスターティング・ポイントにおいて、エンターテインメント・ビジネスからはもっともかけ離れたサウンド・クリエイターだったと云える。あれは、7年ほどまえのこと──。ソニー・ミュージックエンタテインメントは、その1年まえから“クロスオーヴァー&フュージョン1000”と銘打った、CD復刻のプロジェクトを推進していた。同社が原盤権を所有するカタログから厳選されたアルバムには、名盤の誉れ高き作品はもちろんのこと、ファン垂涎のレア・アイテムも含まれていた。

映画館のスクリーンに映るトランペット

 そのなかに、世界初のCD化となる『グループ 87』(1980年)という作品があった。いまも一部から熱烈な支持を得る知るひとぞ知る幻のユニット、グループ 87のファースト・アルバムである。このユニットは、3人のメンバーで構成されている。その顔ぶれといえば、パトリック・オハーン(b)、ピーター・マウニュ(g, synth, vln)、そしてマーク・アイシャム(tp,synth)。オハーンは、フランク・ザッパのツアー・バンドやニュー・ウェイヴ系のバンド、ミッシング・パーソンズで活躍したひと。マウニュは西海岸のフュージョン・バンド、L.A.エクスプレスのメンバーだった。なおサポーターとして、やはりミッシング・パーソンズテリー・ボジオ(ds)も参加している。

 

 そんなちょっとクセのある音楽集団であるグループ 87が繰り広げるサウンドは、フュージョンというよりはプログレッシヴ・ロックに近い。ただこのユニットの演奏では、強力なロック・ビートにミニマル・ミュージックへのアプローチが絡んできたりする。それをロックと現代音楽の融合というふうに捉えるのであれば、この一風変わった音楽はフュージョンと云えるのかもしれない。そして、そのサウンドに現代音楽の語法が散見されるのは、アイシャムの参加に依るところが大きいと思われる。しかしながら、このユニットは一般的にはあまり受け入れられず、セカンド・アルバム『ア・キャリア・イン・ダダ・プロセッシング』(1984年)を残して消滅した。

 

 もしもアイシャムを知るきっかけが、この『グループ 87』だったら、果たしてぼくは彼に興味をもっていただろうか。そう考えると、いささか自信がない。そそっかしく、このアルバムを単なるペダンティズムに富んだロック・バンドの作品と、聴き流してしまったかもしれない。幸いなことに、ぼくがアイシャムの名前に注目したのは、このアルバムのリリースより何年もあとのことだった。それは、ミュンヘンを本拠地とするECMレコードの1枚において──。ECMはジャズを主体とするレーベルだけれど、クラシック、現代音楽、ニューエイジ・ミュージック、ワールド・ミュージックなど、幅広いジャンルの音楽作品を世に送り出している。ぼくにとっては、なにか面白いことをやっている──という印象が強い。

 

 そこで好奇心から手を出したアルバムが、偶然にもアイシャムの作品だった。ECMのメイン・スタジオであるノルウェーはオスロのレインボー・スタジオにおいてレコーディングが行われ、エンジニアも専属のヤン・エイク・コングスハウクが務めた、まさにECMサウンドならではの美の典型が出来した1枚と云える。おなじみのスイスの写真家、クリスチャン・フォークトによるジャケット写真も美しい。この『ウィ・ビギン』(1987年)というアルバムは、アイシャムとニューヨーク出身のピアニスト、アート・ランディとによるコラボレーション作品。ふたりは、金管楽器、シンセサイザー、ピアノ、打楽器を駆使し、ピュアでアブストラクトなアンサンブルを展開する。そのエレガントでリリカルな音世界が、リスナーのイマジネーションを刺激する。

 

なかにはエレクトリック・ジャズへの関心が顕著に現れた作品もある

 

 こういう特定のジャンルに収まり切らない音楽、特にアーティスティックなインスピレーションやリラクゼーションを喚起するような、ある種の音響芸術は、当時ひとくくりにニューエイジ・ミュージックと呼ばれていた。もともと自然回帰志向を打ち出していたウィンダム・ヒル・レコードは、1980年代にニューエイジ・ミュージックの代表的なレコード・レーベルとして認知された。日本でも大ヒットしたジョージ・ウィンストンのソロ・ピアノ作品『オータム』(1980年)をリリースしたのが、このレーベルだ。マーク・アイシャムもウィンダム・ヒルのアーティストとして1983年から1991年まで、前述の『フィルム・ミュージック』をはじめ計4枚のリーダー作を吹き込んでいるが、同レーベルにおいては異彩を放つ存在と感じられた。

 

 アイシャムは、常に金管楽器、シンセサイザー、そしてエレクトロニクスを巧みに操り、リスナーに多様なイメージを与える。一聴アンビエント・ミュージックのような印象も受けるが、強烈なロック・ビートが刻まれるときもある。トランペットやフリューゲルホーンのフレージングには、ジャズを感じさせる瞬間もある。そのバックグラウンドは、ときにクラシカルであり、ときにミニマル・ミュージック的でもある。いずれにしても、アイシャムの音楽は聴くものの想像力をかきたてる。その点、映像作品との相性はいい。なおアイシャムには、やはりアート・ランディと共演したECM盤『ルビサ・パトロール』(1976年)という作品がある。イマジナティヴな音世界は変わらないが、ややジャズ色が強い。彼のルーツが記録された貴重な吹き込みである。

 

 ECMではパフォーマンス・アートのアンサンブル、ウィンダム・ヒルではニューエイジといった、どちらかといえばフレキシブルな音楽をクリエイトしていたアイシャムだが、そのいっぽうで彼のジャズとエレクトリック・ミュージックへの関心が顕著に現れたアルバムもある。ヴァージン・レコードからリリースされた2枚のアルバム『カスタリア』(1988年)と『幻想秘夜』(1990年)では、アンビエント・ミュージックのようなムードとリズム・セクションのジャムアウトするプレイとが交錯するなか、アイシャムのトランペットはジャズのフィーリングが強く感じられるフレーズをつぎつぎと繰り出す。特に前者にはボジオ、オハーン、マウニュといったグループ 87の僚友も参加している。

映画館のスクリーンに映るシンセサイザー

 ぼくは、どちらかといえば『幻想秘夜』が好きなのだけれど、このアルバムはアイシャムの音楽ならではの芸術性がしっかり引き立っていながら、これまでになく娯楽性が高くなっている。もしかすると、映画音楽の仕事の経験から、クリエイターとしての音楽言語が豊富になったのかもしれない。つまりエンターテインメントにおいても、巧妙なマナーを身につけたということである。たとえば、ナイアシン結成以前のオルガニスト、ジョン・ノヴェロ、当時チック・コリア・エレクトリック・バンドに在籍していたベーシスト、ジョン・パティトゥッチ、もとウェザー・リポートのセッション・パーカッショニスト、アレックス・アクーニャといった、フュージョン系のミュージシャンの参加は目新しい。

 

 そこへもってきてこの作品で驚かされたのは、ヴォーカル・ナンバーが2曲も収録されているということ。こういう試みは、アイシャムのアルバムにおいて前例を見ない。しかもフィーチャリング・ヴォーカリストがタニタ・ティカラムというのも、意外でもあり新鮮でもある。ティカラムは、ドイツのミュンスター出身でイギリスに活動の拠点を置く、ブリティッシュ・フォークの女性シンガーソングライター。デビュー作『エンシェント・ハート』(1988年)や、つづく『スウィート・キーパー』(1990年)がヒットした。彼女はここで、自作の「アイ・ネヴァー・ウィル・ノウ」と、ロジャース&ハートの名曲「ブルー・ムーン」を歌っている。その歌唱のアイディリックでリラクシングな味わいが素晴らしく、アイシャムとの相性は抜群だ。

 

 さらにアイシャムは、コロムビア・レコードから『ブルー・サン』(1995年)と『マイルス・リメンバード:サイレント・ウェイ・プロジェクト』(1999年)という2枚のアルバムをリリースする。どちらも彼にとっては、かつてないほどジャズにアプローチした作品である。とはいっても一筋縄ではいかないのが、アイシャム。定石どおりのスウィンギーなモダン・ジャズをプレイすることはない。従来のエレクトロニクス・サウンドは影を潜めたが、彼がロック、アンビエント、あるいはニューエイジの経験を糧とした育て上げた、イマジナティヴな音世界は顕在する。たとえるなら、玲瓏と澄み渡る夜気のなかに、スモーキーなインプロヴィゼーションが浸透していくような感じだ。それには、当時流行しはじめたニュージャズに比肩するものがある。

 

 ちなみに、この2枚のうち後者は、タイトルからわかるようにマイルス・デイヴィスへのトリビュート作品。1996年、ロサンゼルスの有名ジャズ・クラブ、ベイクド・ポテトにおいてライヴ・レコーディングされたものだ。当時のアイシャムは度々、このクラブで気の置けないミュージシャンたちと、肩の力が抜けたギグを楽しんでいた。譜面やリハーサル抜きの生演奏をすることがバンドの趣旨だったため、メンバーのみながよく知るマイルスのナンバーが採り上げられたのだという。アイシャムが個人的にもち込んだポータブル・レコーダーで録音された音源は、ミキシングとマスタリングを経て世に送り出された。このとき、彼がエレクトリック・マイルスから影響を受けたことが明らかになり、ぼくは「なるほど!」そして「やはり!」と、同時に感じた。

 

スモール・コンボによるスウィンギーなセッションが中心のサントラ盤

 

 さてさて、ここからは映画音楽のはなし。ぼくは、これまで述べてきたECM、ウィンダム・ヒル、ヴァージン、そしてコロムビアにおけるマーク・アイシャムの諸作と並行して、彼が音楽を手がけた映画のサウンドトラック・アルバムも聴いていた。いま振り返ると彼は、1980年代から2000年代にかけて、ぼくがもっとも多くの作品を聴いた映画音楽作家ということになる。それまではどちらかといえばヨーロッパの作曲家を好んでいたぼくにとって、アイシャムのようにハリウッドの伝統的なマナーからちょっと逸脱するような作曲家は大歓迎だった。実はぼくが所持する彼のサントラ盤のなかには、いまだ映画本編が未見のままとなっているものがいくつかある。つまりぼくは、純粋にアイシャムの音楽に対する興味から、それらを手にしていたのである。

 

 当時、タワーレコード渋谷店ではサントラ盤のコーナーが充実していて、ショーケースにはアイシャムのインデックスプレートもしっかり挿入されていた。そして、そこに陳列されたCDを、ぼくは無作為に買い漁っていたのだ。まあ、それだけアイシャムに夢中になっていたというわけだ。最初に手に入れたのはアラン・ルドルフ監督作品の『モダーンズ』(1988年)で、冒頭の流麗なメロディをもつ「モダーンズ」は大好きな曲。サロン・ミュージック風の編成が、モダンかつシックだ。こういうアイシャム・サウンドは、サントラならでは──。レコーディングには、グループ 87のオハーンとマウニュも参加している。エレクトロニクスが全開する、いかにもアイシャムらしい『ヒッチャー』(1986年)のサントラCDは、なぜかそれよりもあとに発売された。

 

 それはともかく次に手にしたのは、ジェレミー・アイアンズグレン・クローズが共演した『運命の逆転』(1990年)だった。実話をもとにしたミステリー作品だが、これは先に映画を観ていた。ぼくは当初、迂闊にもこの劇伴がアイシャムが作曲したものと、まったく気づかなかった。というのも、それが彼のリーダー作とはかなりテイストを異にする、クラシカルな音楽だったからだ。これ以降フィルム・スコアにおけるアイシャムの相棒となる、トロンボーン奏者のケン・クーグラーによる重厚で格調の高いオーケストレーションが素晴らしい。クーグラーがアレンジと指揮を担当した作品には『タイムコップ』(1994年)や『ザ・インターネット』(1995年)のようなオケが鳴りまくるようなものもあるけれど、それらとも違う、弦の重奏が美しい伝統的な芸術音楽志向の作品だ。

映画館のスクリーンに映る子どもと母親

 ぼくには、むしろ『二十日鼠と人間』(1992年)『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992年)『ネル』(1994年)などのフォーキーな香りがふくいくと漂うスコアに、アイシャムが何者であるかの答えがあるように思われる。一聴で彼の作曲と判る、そして素直な気持ちで聴ける楽曲が並ぶ。なお、これらのオーケストレーションも、やはりクーグラーによる。いっぽう、アイシャムのもうひとつの側面といえば、ジャズ・プレイヤー。ジャジーなスコアとしては、実写とアニメの合成映画『クール・ワールド』(1992年)をはじめ『クイズ・ショウ』(1994年)や『ミセス・パーカー/ジャズエイジの華』(1994年)が挙げられる。ただこれらの作品では、(時代性など)作品の性質上ジャズが使われているといった感じだ。

 

 ジャズ・サウンドが映像にドラマティックな色彩を与えている作品では、なんといってもゲイリー・オールドマンレナ・オリンが共演したサスペンス映画『蜘蛛女』(1993年)が傑出している。デヴィッド・ゴールドブラット(p)、チャック・ドマニコ(b)、カート・ウォートマン(ds)をバックに、アイシャムのクールなトランペットが、見事にフィルム・ノワールな世界を描き出している。さながら『死刑台のエレベーター』(1958年)の現代版といったムードが横溢する。とはいってもスコアの一部には、お得意のエレクトロニクスも飛び出す。なお、アビー・リンカーンA.J. クラウチのヴォーカル・ナンバーは、アイシャムとは関係ない既存の曲。アルバムとしての完成度は、非常に高いと思われる。

 

 個人的には、アイシャムのジャズ演奏を堪能するのなら、ジョディ・フォスター監督、主演の『リトルマン・テイト』(1991年)をいちばんに推す。レコーディング・メンバーは、マーク・アイシャム(tp)、ケン・クーグラー(tb)、ボブ・シェパード(ts)、シド・ペイジ(vln)、デヴィッド・ゴールドブラット(p)、トム・ウォーリントン(b)、カート・ウォートマン(ds)と、実に贅沢である。ペイジは前述の『モダーンズ』でもフィーチュアされていた。ゴールドブラットはアイシャムのフィルム・スコアではおなじみのひとで『ブルー・サン』のピアニストも彼だ。ゴールドブラットのフュージョン作『フェイシング・ノース』(1996年)、ソロ・ピアノ作『アワ・ソングス』(2006年)は、ぼくの愛聴盤でもある。

 

 実はぼくは、ゴールドブラットのピアノ演奏が好きで、このサントラ盤をおすすめするのである。特にバラード「リトルマン・ロスト」でのインプロヴィゼーションは絶品。それ以外にも彼のセンシティヴな表現力が随所で光る。映画は驚異的なピアノの才能をもつ7歳の少年の物語だが、監督のフォスターもゴールドブラットの音づけを絶賛している。また本作では、エレクトロニクスやオーケストラは使用されておらず、スモール・コンボによるスウィンギーなセッションが中心となっている。アーバンなモダン・ジャズ作品として、各プレイヤーの演奏を味わうこともできる。独特の愁いを帯びた旋律のソロ・ピアノも印象的。いずれにしても、ニューヨークからサンフランシスコへと、長く幅広い音楽生活を送ってきたアイシャムだが、なぜかバップ作品がない。その点で本作は、非常に貴重でありマストハヴな1枚と云えよう。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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