James Taylor / James Taylor At Christmas (2006年)

クリスマス・リースとピアノ
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伝説的しンガーソングライター、ジェームス・テイラーの温かみのある声と多角的な表現で歌われる極上のクリスマス・アルバム『JTのクリスマス』

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Album : James Taylor / James Taylor At Christmas (2006)

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グリーティングカード・メーカーがリリースしたスペシャルなCD

 

 今年もクリスマスが近づいてきたので、クリスマス・アルバムを1枚ご紹介しておこう。わりとオーソドックスなクリスマス・アルバムなのだけれど、聴けば聴くほど味わい深さが感じられる作品。2000年にロックの殿堂入りを果たし、2016年にはケネディ・センター名誉賞を受賞した、シンガーソングライターのジェームス・テイラーのアルバムである。この作品、日本でも発売されたのだけれど、邦題は『JTのクリスマス』(2006年)という(原題は『James Taylor At Christmas』)。この日本盤CDのオビには「音楽ファンの皆さんへ、季節のごあいさつを申し上げます」という謳い文句が記されている。これはなかなか気の利いたコピーだ。だってジャケットに写っているテイラーは、いかにもそんなことを云いそうだもの。

 

 ジャケット写真のテイラーは、ダークネイヴィのコート、タータン・チェックのマフラー、それにボア生地のビニー帽という出で立ちで、手袋をはめた両手で鮮やかな深紅色の小さなギフトボックスをもっている。その穏やかに表情を緩めた顔が、なんともいい感じだ。はじめ遠くから見たときは、俳優のジム・キャリーに見えてしまったのだが、実際はテイラーのほうが顔の造作がシャープのように思われる。どうでもいいことなのだけれどね。でも個人的には、ハートウォーミングないいジャケットだと思う。肝心の中身のほうはというと、トラディショナルなナンバーを中心とした数々の名曲が、ときにはポップに、ときにはジャジーに、そしてときにはゴスペル・タッチで、テイラーの温かみのある声と多角的な表現で歌われる。

 

 この『JTのクリスマス』は2006年に、ソニー・ミュージック・エンターテインメントのいにしえのブランド、コロムビア・レコードによってリリースされたのだが、実はもともとそれより2年まえにホールマークというレーベルから発売された『ア・クリスマス・アルバム』(2004年)というCDが再編集されたものなのだ。ホールマークというのは、ミズーリ州カンザスシティに拠点を構える、グリーティングカードを中心にギフトラッピングやステーショナリーを扱うメーカーだ。1910年にジョイス・ホールによって設立されたこの企業は、アメリカでは最古にして最大のグリーティングカード・メーカー。子会社である日本ホールマークが、米国ホールマーク商品の輸入販売のほか独自の事業運営もしているから、そのブランドはわが国でもよく知られている。

ボア生地のビニー帽子

 このホールマーク盤のジャケットはコロムビア盤とは異なり、ライトアップされたクリスマスツリーが夜の雪原にポツンと立っている、シンプルな写真があしらわれたもの。青みがかったジャケットはある意味でとてもロマンティックなのだけれど、個人的にはさきに述べたテイラーのフォトが配されたもののほうがエスプリが効いていて好きだ。とはいえホールマーク盤はグリーティングカード・メーカーがリリースしたスペシャルなCD、しかもアメリカとカナダでしか発売されなかったということで、考えようによってはすごくレアなようにも思われる。ところが、なぜかぼくは中古CD店で本盤にお目にかかることが多く、かねてから不思議に思っていた。もしかするとそれなりにプレスされて、各国にエクスポートされたのかもしれない。

 

 それはともかく、ホールマーク盤は全11曲のセレクションとなっているが、コロムビア盤のほうは全12曲の収録となっている。これがいささかややこしいので、ちょっと補足させていただく。後発のコロムビア盤では、ホールマーク盤に収録されていた「ひいらぎかざろう」がカットされている。その替りに新たに「リヴァー」と「あなたに楽しいクリスマスを」が収録されている。そのうち「リヴァー」はカナダ出身のシンガーソングライター、ジョニ・ミッチェルの有名なクリスマス・ソング。ぼくも大好きな曲なのだけれど、ミッチェルの4枚目のアルバム『ブルー』(1971年)の収録曲だ。ときにテイラーのカヴァーはコロムビア盤がリリースされる際、新たに録音されたトラックである。

 

 かたや「あなたに楽しいクリスマスを」はヒュー・マーティン作曲、ラルフ・ブレイン作詞による、ジュディ・ガーランド主演のミュージカル映画『若草の頃』(1944年)のなかの1曲。テイラーが歌ったトラックは、もともと彼の『オクトーバー・ロード』(2002年)に収録されていたもの。ただし『JTのクリスマス』に再録された音源では、ハリー・アレンによるテナー・サックスのフィルインがカットされている。また曲の長さも微妙に違うので、気になるかたはチェックしてみてはいかがだろう。と、これで終わればいいのだが、実は『JTのクリスマス』には別ヴァージョンが存在する。2012年にカヴァー・アートはそのままでリイシューされた際、コロムビア盤の12曲にさらに2曲が追加されたのである。

 

 込み入ったことになってきたが、UME(ユニバーサル・ミュージック・エンタープライズ)レーベルからリリースされた再編集盤では、まず2004年のレコーディングされたアウトテイク、ドイツ民謡の「もみの木」が追加された。まあ、これはいい。問題はジョージ・ハリスンが作詞作曲を手がけた「ヒア・カムズ・ザ・サン」のほう。云わずと知れたザ・ビートルズのアルバム『アビイ・ロード』(1969年)の収録曲のカヴァーだ。これもまた、ぼくの好きな曲だったりする。ところでテイラーが歌ったトラック、実は本人の音盤ではなくチェリストのヨーヨー・マのアルバム『ソング・オブ・ジョイ&ピース~喜びの歌』(2008年)に収録されていた音源なのである。素敵なデュオであることは認めるが、これはちょっと行き過ぎとぼくは思う。

 

 そしてさらに2025年、ソニー・ミュージックエンタテインメントのブランド、レガシーからリリースされた『JTのクリスマス』では、UME盤の14曲に当初オミットされた「ひいらぎかざろう」が復活し、そのセレクションは全15曲となった。まったくもってややこしいことだが、これをもって決定盤としていただきたい。実のところこの作品、アナログ盤も2度ほど発売されていて、ほんとうにごちゃごちゃした状況となっている。まあ、どれを購入するかはひとそれぞれだろうけれど、もっともポピュラーなのは、やはり2006年に発売された12曲入りの『JTのクリスマス』ではないだろうか。いずれにしても、思慮深く人間味のあるテイラーのヴォーカルが際立った、オトナのクリスマス・アルバムではある。

 

テイラーの生い立ちと初期の音楽活動、それは波乱万丈

 

 そんなジェームス・テイラーは1948年3月12日、マサチューセッツ州ボストン市に生まれた。当時、父親はマサチューセッツ総合病院に医師として勤務しており、家庭は裕福だったという。いっぽう母親のほうは結婚するまえはニューイングランド音楽院で声楽を学びオペラ歌手を目指していた。その影響だろう、結局テイラーを含めた5人の子どもたちは、みなミュージシャンになった(ただし末の弟は早々に引退した)。このテイラーの家族は1951年、父親がノースカロライナ大学医学部の助教授に就任したのを機に、ノースカロライナ州のチャペルヒルに移住する。テイラーはチャペルヒルの公立小学校に通いながら、チェロのレッスンを受けていたが、12歳のときにギターを弾くようになり14歳のときにはじめて曲を書いた。

 

 テイラーの家族は1953年から夏になると、マサチューセッツ州デュークス郡に属する島、マーサズ・ヴィニヤードで過ごすのが慣例となっていたが、テイラーはそこでニューヨーク州ラーチモント出身のギタリスト、ダニー・コーチマーと出会っている。まだティーンエイジャーだったふたりは意気投合し、ブルースやフォーク・ミュージックを一緒に聴いたり演奏するようになる。ふたりは1963年の夏まで、ジェイミー&クーチとしてマーサズ・ヴィニヤード周辺のコーヒーハウスでステージに立っていたという。その後テイラーは、コーチマーがニューヨークで結成したバンド、フライング・マシンにも参加。さらにソロ・デビュー後のテイラーは、アルバム『スウィート・ベイビー・ジェームス』(1970年)の吹き込みで、コーチマーをギタリストとして起用している。

 

 テイラーは音楽に打ち込むいっぽうで、学業のほうではかなり苦労したようだ。彼は1961年にマサチューセッツ州の伝統ある全寮制の寄宿学校、ミルトン・アカデミーに入学した。成績は優秀だったものの、大学進学に対するプレッシャーから3年生のときに挫折。ノースカロライナ州の実家に戻り、公立のチャペルヒル高校でその学期を終えた。テイラーは地元で兄が率いるバンドでギターを弾いたりしていたが、一念発起し高校4年生としてふたたびミルトン・アカデミーに戻り大学進学を目指す。ところが生憎うつ病を患い、1965年の後半にマサチューセッツ州ベルモントの精神科、マクリーン病院に入院し9か月間治療を受けた。なお彼は1966年、病院付属のアーリントン高校において高等学校卒業資格を取得している。

タータン・チェックのマフラー

 その後テイラーは、ノースカロライナ州のイーロン大学に進学するも1学期で退学、音楽に専念することを決心しニューヨークへ進出する。その第一歩がさきに触れたコーチマーのバンド、フライング・マシーンでの活動だった。このバンドはニューヨーク市グリニッジ・ヴィレッジの名門クラブ、ナイト・アウル・カフェにおいて定期的にステージに上がっていた。ところがテイラーは、コーチマーの忠告をよそにドラッグに手を出しはじめる。フライング・マシーンの活動末期には完全に薬物依存症になっていた。バンドはヒットに恵まれないまま解散、テイラーは6か月間治療を受けることを余儀なくされる。なおバンドの音源は、のちに『ジェームス・テイラー・アンド・ジ・オリジナル・フライング・マシーン』(1971年)としてリリースされた。

 

 ということで、ここまで長々とテイラーの生い立ちと初期の音楽活動についてお伝えしてきたが、それはなぜかというと、それまでの波乱に満ちた道のりがその後の彼の音楽に深く影響していると、ぼくは思うからである。たとえばテイラー自身も高校時代の精神疾患について「こうした感情をもつのは、わたしの性格と切り離せない部分だ」というふうに、生まれもったものと解釈しているし、ニューヨーク時代の薬物依存についても「音楽について多くを学んだが、それ以上にドラッグについてはあまりにも多くのことを学んだ」と、述懐しているのだ。むろん浮き沈みの激しい人生を経験することだけがいい音楽を生み出すとは、ぼくも思わないけれど、聴けば聴くほど味わい深さが感じられるテイラーの音楽は、その生きざまと強く繋がっているように思う。

 

 ところでその後のテイラーといえば、容態がよくなると(薬物依存症は完治していない)ソロ活動に専念することを決意し、1968年の後半にロンドンへ渡る。そして、かつてフライング・マシーン結成以前に、英国のポップ・デュオ、ピーター&ゴードンの前座を務めたことのあるコーチマーが、テイラーをこのデュオ・グループのひとり、ピーター・アッシャーに紹介した。アッシャーは当時ザ・ビートルズが新たに設立したレーベル、アップル・レコードのA&Rにおける最高責任者だった。テイラーから受け取ったデモテープをアッシャーが真っ先に聴かせたのは、だれあろうポール・マッカートニージョージ・ハリスンである。これは有名なハナシ。結局テイラーは、ザ・ビートルズの『ホワイト・アルバム』(1968年)の制作と同時期にレコーディングを行うことになった。

 

 テイラーは1968年7月から10月にかけて、ロンドンのトライデント・スタジオにおいてレコーディングを行った。このスタジオは当時のイングランドでは技術面においてもっとも先進的だったことから非常に人気があり、テイラーのセッション時間はザ・ビートルズのブッキング・タイムの一部が提供されたものだった。また、テイラーが作詞作曲した「思い出のキャロライナ」の録音では、マッカートニーがベースで、クレジットはないがハリスンがバッキング・ヴォーカルで参加している。いずれにしてもこのときのレコーディングは、アップル・レコードからアルバム『心の旅路』(1968年)としてリリースされた。このレーベルにおいてははじめての英国人以外の作品であり、テイラーにとっては正真正銘のファースト・アルバムである。

 

 このアルバム、内容的にはフレッシュでクールなフォーク・ロック作品に仕上がっているとぼくは思うのだけれど、当時はセールス的に振るわなかったらしい。敗因はテイラーがふたたび薬物依存の治療で入院したため、プロモーション活動を行うことができなかったことにあると云われている。ただアルバム・プロデュースを手がけたアッシャーは、様々な人生経験を積んできたテイラーがその浮き沈みを信念をもって歌で表現していると、高く評価した。折悪しくテイラーは、マーサズ・ヴィニヤードでバイク事故を起こし両手両足を骨折し、数か月間演奏活動を休止せざるを得なくなる。それに加えて当時のアップル・コア内の混乱もあって、彼はレーベルとの契約を打ち切られてしまう。ただアッシャーはプロデューサーとして、その後もテイラーを支えていく。

 

 テイラーは1969年10月、ワーナー・ブラザース・レコードと契約するとともにアメリカへ帰国する。12月にはアッシャーのプロデュースで、前述のセカンド・アルバム『スウィート・ベイビー・ジェームス』のレコーディングを、カリフォルニア州ロサンゼルス市の名高いスタジオ、サンセット・サウンド・レコーダーズにおいて開始。シングルカットされた「ファイアー・アンド・レイン」はビルボード誌のHOT 100において3位を記録した。いい曲だものね。キャロル・キングのアルバム『つづれおり』(1971年)に収録されている名曲「君の友だち」が、この曲のアンサーソングであることはあまりにも有名だ。キングは『スウィート・ベイビー・ジェームス』にピアノとヴォーカルで参加しているが、コーチマーと同様にテイラーの初期の作品をサポートしたミュージシャンのひとりである。

 

テイラーとの出会い、そして感慨深いクリスマス・アルバム

 

 以降テイラーは、ワーナー・ブラザースやコロムビアといったレーベルにおいて、次々に妙々たるアルバムを発表していく。ここにはその輝かしいキャリアについて紙幅を費やすゆとりはないが、おしなべてテイラーの創出する音楽には、精神的な葛藤、薬物依存症の克服、兄弟や友人との死別など、自身のプライヴェートな体験が題材にされていることが多い。そういったひとびとの悲哀や自らの喪失感が音や詩に織り込まれていることが、彼の楽曲に奥深さを与えているのは確かだ。そんなテイラーをぼくが知るキッカケとなったのは、ブラジル出身のシンガー、ソニア・ローザの『ブラジルの香り』(1974年)というオーディオ・プロモーション用のレコード。このアルバムに、テイラーの自作曲「寂しい夜」のカヴァーが収録されていたのだ。

 

 実はこの「寂しい夜」という曲、ぼくはそれよりまえにセルジオ・メンデス&ブラジル ’77のアルバム『ラヴ・ミュージック』(1973年)で聴いて知っていた。でもローザのヴァージョンのほうが圧倒的に好きで、原曲を聴いてみたくなったのである。なおこのフォーク・ロックにブラジル・テイストが加味されたアレンジは、ジャズ・ピアニストの大野雄二によるものだ。ということで、ぼくは何はともあれ「寂しい夜」が収録されている、テイラーの4枚目のアルバム『ワン・マン・ドッグ』(1972年)を手に入れた。そしてマイケル・ブレッカーによるテナーのソロも含めて、この曲にすっかり惚れ込んでしまった。むろんテイラーにもゾッコンになった。ちなみにこのアルバムには、彼のもと奥さまでシンガーソングライターのカーリー・サイモンも参加している。

 

 テイラーのアルバムを聴きはじめたころのぼくといえば、高校生になったばかりでジャズ・ピアノを弾くようになっていた。だから当時のぼくがもっとも関心を向けていた音楽といえば、ジャズだったはずだ。しかしながらいま思うと、歌もの、ことに男性シンガーの作品に関しては、なぜかジャズにカテゴライズされるものをあまり聴いていなかった。むしろフォーク・ロックのレコードのほうを愛聴していた。ボブ・ディランポール・サイモンエルトン・ジョンジョージ・ハリスンなどのアルバムからは、少なからず影響を受けた。そんななかでも継続的に聴いてきたのは、ケニー・ランキンとテイラーのアルバム。そしてぼくがそちらの世界に足を踏み込む端緒を開いてくれたのは、テイラーの音楽だったのである。

深紅色のプレゼント・ボックス

 あれから幾年になるのだろう、ぼくはいまに至るまでテイラーの音楽から離れることはなかった。ときの流れとともにバックグラウンドの音景に移り変わりはあったけれど、彼の音楽性や表現方法は揺るがなかった。どのアルバムをチョイスしても、いつでもぼくを温かく迎えてくれる。そしてテイラーは2025年の現在も、77歳にして精力的にツアーをつづけている。敢えてつけ加えると、彼はアルバム『ビフォア・ディス・ワールド』(2015年)で、ビルボード 200で1位を獲得している。前述の『スウィート・ベイビー・ジェームス』で初のチャート入りを果たして以来、45年にして初の快挙だった。ぼくにしてみれば世間がどう評価しようと、テイラーのアルバムを聴きつづけることに変わりはないのだけれどね。

 

 いささか熱くなってしまったけれど、最後に『JTのクリスマス』についてメモしておく。プロデュースとアレンジは、ジャズ・ピアニストで映画音楽の作曲家でもあるデイヴ・グルーシンが手がけている。グルーシンはテイラーの前作に当たる『オクトーバー・ロード』において、ストリングスのアレンジャー兼コンダクターを務めた。レコーディングは2004年の4月から5月にかけて、ロサンゼルス市ハリウッドのキャピトル・スタジオで行われた。エンジニアはグルーシンの作品ではお馴染みのドン・マレーが務めている。リズム・セクションに加え、3名のヴォーカル・グループ、5名のウッドウィンズ、23名のストリングス(ヴァイオリン14名、ヴィオラ5名、チェロ3名、コントラバス1名)が配された、豪華な編成となっている。

 

 リズム・セクションは、デイヴ・グルーシン(p, cel)、ラリー・ゴールディングス(p, org, melodica, harmonium)、ジョン・ピザレリ(g)、ジョー・ドーリング(g)、マイケル・ランドウ(g)、デイヴ・カーペンター(b)、ジミー・ジョンソン(b)、ヴィニー・カリウタ(ds)、ルイス・コンテ(perc)、マイク・フィッシャー(perc)。ヴォーカル・グループは、ケイト・マーコウィッツデヴィッド・ラズリーアーノルド・マッカラー。要するに、グルーシン由縁のミュージシャンで固められている。ついでに云うとテイラーは、リー・リトナー&デイヴ・グルーシンのクラシカル・アルバム『アンパロ〜トゥー・ワールド Vol.2』(2008年)において、フィーチュアド・ヴォーカリストを務めた。

 

 アルバムは、フェリックス・バーナード作曲、リチャード・バーナード・スミス作詞による「ウィンター・ワンダーランド」からスタート。グルーシンによるゆったりしたソフィスティケーテッドな4ビートのアレンジが光る。ミュート・トランペットのソロはスムース・ジャズ系プレイヤー、クリス・ボッティのものだ。トラディショナルの「山の上で告げよ」は、開放的な骨太のカントリー・サウンドが痛快。フレッド・クーツ作曲、ヘイヴン・ガレスピー作詞による「サンタが街にやってくる」は、軽快な4ビート。グルーシンのウィットに富んだピアノ・ソロも弾んでいる。トラディショナルの「ジングル・ベル」は、リズム・アンド・ブルース調のアレンジがクール。テイラーのレイジーなフロウも渋い。

 

 フランク・レッサー作詞作曲による「ベイビー、外は寒いよ」は、柔らかなタッチのボサノヴァ。グルーシンのストリングス のアレンジが冴える。テイラーとシンガーソングライター、ナタリー・コールとのこころ温まる軽妙洒脱なデュエットが楽しい。前述の「リヴァー」はアコースティックな響きが美しいフォーク・ロック。やはりさきに触れた「あなたに楽しいクリスマスを」は、しっとりしたバラード。メル・トーメボブ・ウェルズとの共作「ザ・クリスマス・ソング」は、透明感のあるトゥーツ・シールマンスのハーモニカ、素朴で自然な感じのテイラーのヴォーカル、グルーシンによる流麗なストリングスなどが、ドリーミーな世界を描く。アルフレッド・バート作曲、ウィーラ・ハトソン作詞による「サム・チルドレン・シー・ヒム」は、ピアノと弦のみの伴奏でもっとも叙情的な表情を見せる。

 

 デイヴ・グルーシン作曲、サリー・スティーヴンス作詞による「フー・カムズ・ディス・ナイト」は、グルーシンの映画音楽を彷彿させるハートウォーミングなワルツ。あたかも古くから歌い継がれてきた楽曲のような風格に、晴れやかな気分にさせられる。トラディショナルの「木枯らしの真冬に」は、聴くものを優しい気持ちにさせるような、ノスタルジックでメランコリックなフィーリングが際立つ。つづくやはりトラディショナルの「蛍の光」は、そういう感覚をそのまま引き継ぎさらなる躍進を遂げる。グルーシンの思慮深いオーケストレーションの素晴らしさも然ることながら、テイラーの人間的な情や思いやりを湛えたヴォーカルが胸を熱くさせる。お恥ずかしいハナシだが、ラストを飾るこの曲を聴くと、なぜかぼくは年甲斐もなく泣けてくる。個人的に本作は、そんな感慨深いクリスマス・アルバムである。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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