Bob James & Dave Koz / Just Us (2025年)

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コンテンポラリー・ジャズのアイコン、ボブ・ジェームスとデイヴ・コーズとの濃密なダイアローグが生み出す、音楽のありのままの美しさだけで構成されたデュオ・アルバム『ジャスト・アス』

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Album : Bob James & Dave Koz / Just Us (2025)

Today’s Tune : Sommation

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ジェームスが過去にコラボレーションを行ったサクソフォニスト

 

 5月の連休明けに、ボブ・ジェームスの新譜が手もとに届いたので、ご紹介しておこうと思う。ただこのデジパック仕様のCD、実はぼくがシュリンク包装を外したのは数日まえのこと。昔はレコードにしてもCDにしても、購入して自宅にもち帰るやいなや開封。そしてときを移さず、音盤をターンテーブルあるいはトレイにのせたもの。若気の至りではないけれど、血気にはやっていたのだろう。若いころのぼくは、要するに音楽に飢えていたのだな。聴いても聴いても、ぼくの感性が完全に満たされるようなことはなかった。それがいまではどうだろう。年をとると、身体や精神のコンディションがよくないときには、あまり音楽を聴きたくならなかったりする。しかもそういうことが、ままあるのだ。自分でも意外なのだけれど──。

 

 そんなわけで、最近ではべつにもったいつけるわけではないけれど、新譜が届くとその場で開封することはほとんどなく、時間があるとき、気分が乗っているときに、おもむろに封を切り中身をじっくり味わうようにしている。そんななか5月に入ってからは、いくぶん暑い日が多かったせいか、仕事から帰宅すると涼感を誘うような音楽をセレクトすることが多かった。また休日には、ブラジルの音楽をまとめて聴き直していたものだから、くだんのボブ・ジェームスのCDはしばらくの間、自室の小卓の上に打ち遣られたままだった。ぼくには昔からそういうぞんざいなところもあるのだが、いい年こいたいまもまったく直る気配がない。その都度、一応自省するにはするのだけれど──。

 

 ぐだぐだ云うのはこのくらいにして、いささか大げさな云いかたになるけれど、その年に収穫されたブドウで造られた初出しのワインを封切るような気持ちで、じっと耳を傾けて聴きはじめたボブ・ジェームスの新譜についてお伝えしていこう。この『ジャスト・アス』(2025年)は、ジェームスとスムース・ジャズ系のサクソフォニスト、デイヴ・コーズとの共同名義の作品である。実のところ当初ぼくは、このアルバムについてとんでもない勘違いをしていた。なにせぼくは、たとえそれがフェイヴァリット・アーティストの新作であっても、できるだけその内容についての情報を事前に収集しないようにしているもので──。そうするのは、音楽と向き合うときはなるべくまっさらな気持ちでいたい──そんな思いからだ。

アルト・サックスとニューヨークの風景

 ところでぼくがどんな早とちりをしたのかというと、この『ジャスト・アス』をウイットに富んだスムース・ジャズ作品と、勝手に思い込んでいたのである。弁解がましくなるけれど、ジェームスとコーズという組み合わせだったら、だれもがそんな音楽をイメージするのではないだろうか?たとえばジェームスはこれまでに、アルト奏者のデヴィッド・サンボーンと『ダブル・ヴィジョン』(1986年)『クァルテット・ヒューマン』(2013年)、 テナー&ソプラノ奏者のカーク・ウェイラムと『ジョインド・アット・ザ・ヒップ』(1996年)といったコラボレーション・アルバムを吹き込んでいる。どれもジェームスによって意匠が凝らされた、上質のコンテンポラリー・ジャズ作品である。

 

 これらの共演作では、コンポジションやパフォーマンスにおいてジェームスとサクソフォニストとは対等の立場が保たれている。しかしながらトータル・サウンドでは、ひときわ目立ってジェームスのほうが優勢。かねてから“ミスター・ニューヨーク”の異名を取るジェームスのサウンド・メイキングは、洗練されたリズムと色彩豊かなハーモニーが際立つもの。彼がプロジェクトのプロデュースやアレンジメントにおいて主導権を握るのは、ごく当たりまえのことと思われる。サンボーンのビターな音質でのパッショネートなブローイング、かたやウェイラムのメロウな音色でのソウルフルなフロウと、各々のプレイには非常に個性的な特徴がある。どちらの演奏も、深みのあるテイストを帯びている。

 

 ひと回りくらい年齢差のあるふたりではあるけれど(サンボーンのほうが13歳年上)、両者ともフュージョン・シーンにおいては重要なサックス・プレイヤー。ボブ・ジェームスの作品でも、彼らはアルバム・コンセプトを遂行する上で主要な役目を担った。サンボーンはジェームスの『ヘッズ』(1977年)『タッチダウン』(1978年)『ラッキー・セヴン』(1979年)といったリーダー作に立てつづけに参加しているが、そのなかでも特にジェームスの代表曲である「ナイト・クローラー」と「タッチダウン」では、熱いソロを披露。その都会の風景をイメージさせるシャープでエナジェティックなパフォーマンスは、それこそジェームスに“ミスター・ニューヨーク”の呼び名が贈られるのに、ひと役買ったと云える。

 

 いっぽうウェイラムは、ジェームスの自己レーベル、タッパン・ジーの最終作『12(トゥウエルヴ)』(1984年)の制作において、ゲイリー・キング(b)、デヴィッド・ブラウン(g)とともに、重要なポジションを占めた。3人はジェームスが作品全体をとおした基本的な方向性を決定する際、その一翼を担ったのである。ジェームスの当時のバンド・メンバーだった彼らは、このアルバムのレコーディングにそれぞれの自作曲をもち寄った。特にウェイラムが作曲し奥さま捧げた「ルビー・ルビー・ルビー」は、稀に見る明るく澄んだ鮮やかなカラーのソウル・ナンバーだが、当時のジェームスのライヴでは定番の曲となった。ウェイラムは、ワーナー・ブラザース移籍後のジェームスも引きつづきサポートした。

 

 ジェームスはさきに挙げたコラボレーション・アルバムにおいて、もはやスター・プレイヤーとなったサンボーン、ウェイラムのサクソフォニストとしてのパーソナリティをちゃんと活かしながら、従来とは違った魅力を引き出している。そして、サンボーンにしてもウェイラムにしても、リスナーのこころを引き寄せる力がもっともナチュラルに発揮されるのは、コンテンポラリー・ジャズにおいて。長きにわたりコンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、そしてプロデューサーとして、幅広いキャリアを積んできたジェームスだからこそ、そういったことをきちんと捉えたコンセプトやアイディアを、極上の音楽として具現化することができるのである。いずれにしても、それらはいまもフュージョンの名盤として名高い。

 

コーズはスムース・ジャズの申し子のようなサックス・プレイヤー

 

 とにもかくにも、そういう経緯があったものだから、今回リリースされた『ジャスト・アス』もまた、奔放な想像力をもつジェームスとユニークなサクソフォニストとのコラボレーションが生み出す、クリエイティヴなコンテンポラリー・ジャズの系譜に連なる作品と、ぼくは勝手な思い込みをしていたのである。しかもジェームスの今度の相手は、デイヴ・コーズ。過去のふたりと比較するとコーズは、1990年代以降ニュー・アダルト・コンテンポラリーというラジオ・フォーマットに含まれるようになった、スムース・ジャズの申し子のようなサックス・プレイヤーなのだ。なにせカリフォルニア州ロサンゼルス、サン・フェルナンド出身の彼は、1990年代初頭からアメリカ西海岸のラジオ・ステーションを大いに賑わせていたのだから──。

 

 そんなコーズが関わったアルバムなら、彼の過去のリーダー作と同様にポップ・ミュージック、フュージョン、リズム・アンド・ブルースなどがミックスされたメロディアスでキャッチーな楽曲が連なる、まさにスムース・ジャズの名に相応しい作品に仕上がっていると思いたくなるもの。そういうコーズの音楽の醍醐味を、ジェームスがどのように料理するのだろう──恥ずかしながら、ぼくはそんなことまで考えていた。ここで正直に告白しておくが、実はそういうコーズの音楽に、ぼくはこれまであまり興味がもてなかった。本国のアメリカにおいて彼のアルバムは飛ぶように売れるらしいのだが、その美しいトーンと流麗なフレージングが際立つサックス・プレイとクラウドプリーザーなサウンドとの組み合わせが、ぼくの嗜好にはちょと合わない。

 

 デイヴ・コーズというサクソフォニストについては、ぼくも1980年代の中ごろからザ・リッピントンズグレッグ・カルーキス、それにジェフ・ローバーのフュージョン作品を通じて知っていた。一般的にはその後、ボビー・コールドウェルリチャード・マークスといったアダルト・コンテンポラリー系のシンガーソングライターの作品や、アイルランドのロックバンド、U2のレコーディングに参加したりして、広く知られるようになった。日本においても、ファースト・アルバム『デイヴ・コーズ』(1990年)の国内盤が発売されたことから、コーズの名前は早々に周知された。また5枚目のリーダー作『ザ・ダンス』(1999年)の日本盤には、宇多田ヒカルの「First Love」のカヴァーが追加され、大きな話題となった。

グランドピアノとニューヨークの風景

 皮肉なことに、ぼくはこのころコーズの音楽から距離を置いた。思えば、日本でもたいへんな人気を博したサクソフォニスト、ケニー Gことケニー・ゴアリックの場合もおなじような理由で、ぼくはその音楽から離れたな──。ザ・ジェフ・ローバー・フュージョンのメンバーだったときや、ジェフ・ローバーのプロデュースでソロ・デビュー作『シティ・ライツ』をリリースしたころは、ぼくもちょっとグローヴァー・ワシントン・ジュニアを彷彿させるゴアリックのソウルフルなプレイが好きだった。しかしながら、次第にポップ性を重視するようになり、さらにはニューエイジ・ミュージック風のアルバムを制作するようになっていく彼に、ぼくはすっかり興醒めしてしまったのである。

 

 ハナシが脇道にそれてしまったが、ときにジェームスとコーズとのつながりを考えてみると、ハッキリ云ってそれにはジェームスとサンボーンとの、あるいはジェームスとウェイラムとの結びつきのような、これといった緊密さがないように思われる。ジェームスのリーダー作では『モーニング・ヌーン&ナイト』(2002年)において、タイトル・ナンバーのリードをコーズのアルトがとっている。ジェームスとのソロ交換もあったりするが、そのプレイはとり立てて称賛するほどのものではない。ふたりの共演はそれきりかと思っていたら、ジェームスの前作『ジャズ・ハンズ』(2023年)のなかの「カム・イントゥー・マイ・ドリーム」において、ふたたびコーズのアルトがフィーチュアされた。この吹き込みが、今回の共演につながったのかもしれない。

 

 実を云うとコーズは、2024年9月に“ウルトラ・ラグジュアリー”の異名を取るクルーズ客船、シーボーン・オヴェーションにおいて船上ライヴを行った。その際、彼がスペシャル・ゲストとして招聘したのが、ジェームスだったのである。しかも、これはどうやらジェームスの発案だったらしいのだけれど、ふたりはクルーズの数週間まえにミシガン州トラヴァースシティにあるジェームスの自宅においてデュオで数曲レコーディングを行い、そのうち2曲の音源を7インチのアナログ・レコードにして乗船客全員にプレゼントしたという。まさにラグジュアリーなこころ遣いだ!まあそれはともかく、このレコーディングをノヴェルティ・アイテムで終わらせるのはもったいないということだったのだろう、かくして吹き込みはクルーズ終了後も継続された。

 

 すっかりあとになったが、そう、もうお分かりだろう、そんな経緯から生まれた『ジャスト・アス』は、ジェームスによるアコースティック・ピアノとコーズによるサクソフォーンのみでレコーディングされたデュオ・アルバムなのである。いまにしてみれば、このアルバムのタイトルはちゃんと作品の内容を示唆するものだった。云うまでもなく“Just Us”は、“わたしたちだけ”という意味だからね──そんな簡単なことを見落とすとは、ぼくはまったく迂闊だった。確かにここ15年くらいの間のジェームスといえば、従来のコンテンポラリー・ジャズ作品よりもイレギュラーな演奏形態での吹き込みのほうが目立っていたから、いまさらデュオ・アルバムくらいでは驚かないのだけれど、そのお相手がコーズというのは思いも寄らないことだった。

 

 ジェームスは、過去にデュオ作品を何枚かリリースしている。念のために云っておくと、デュオとはクラシック音楽で云うところのデュエットのことで、ポピュラー・ミュージックではふたりの演奏者による二重奏音楽ユニットをそう呼ぶ。その楽器の組み合わせは様々だ。ジェームスがバンド演奏による経常的なコンテンポラリー・ジャズ作品とは別途、初のソロ&デュオ作品集を制作したのは2000年代初頭のこと。それは『ダンシング・オン・ザ・ウォーター』(2001年)というアルバムで、小編成ならではの静謐を湛えながら冒険的試みに富んだ素晴らしい作品に仕上がっていた。デュオにおいては、ピアニストのジョー・サンプル松居慶子、ギタリストのチャック・ローブ、ベーシストのデイヴ・ホランドが、パートナーを務めた。

 

これもまたひとつのジャズのかたちであると広義に解釈する

 

 以来ジェームスは、ギター工房ベネデット・ギターの社長も務めるギタリスト、ハワード・ポールとの『ジャスト・フレンズ〜アコースティック・デュオ〜』(2011年)、松居慶子との(ふたりの奏者が同時に1台のピアノを演奏する)ピアノ・フォー・ハンズによる『アルタイル&ヴェガ』(2012年)、トラヴァースシティ・フィルハーモニックの首席フルート奏者、ナンシー・スタニッタとの『イン・ザ・チャペル・イン・ザ・ムーンライト』(2017年)といったデュオ作品を吹き込んできた。それらのアルバムは、ジェームスによって共演者の新たな魅力が引き出された作品であるのと同時に、結果的にはこれまでになく彼自身のピュアなピアニズムが際立つものでもあった。その点では『ジャスト・アス』にも、同じことが云える。

 

 ここでお断りしておくが、この『ジャスト・アス』はジェームスにとってはじめてのサクソフォニストとのデュオ・アルバムになるのだけれど、ストレート・アヘッドなジャズ作品ではない。たとえばサックスとピアノとのデュオということで、テナー奏者としてはトップランナーのひとり、スタン・ゲッツのラスト・レコーディングでもあり、メインストリーム系の名ピアニスト、ケニー・バロンとのジャズ・スピリッツに溢れた感動のデュオ作でもある『ピープル・タイム』(1992年)などを思い浮かべられると、大いに困惑してしまうのである。1991年3月デンマーク、コペンハーゲンにあるジャズ・クラブ、ジャズフース・モンマルトルで行われた、ゲッツとバロンとによる音の対話は、奇跡的な記録とも云うべきものなのだけれど──。

 

 おそらくジャズ・シーンにおいてこの『ピープル・タイム』は、サクソフォニストとピアニストとによるデュオ作品の頂点に君臨するのではなかろうか。このアルバムに収められた演奏には、それだけ圧倒的な気迫と深い味わいがある。ついでにつけ加えると個人的におすすめしておきたいのは、それよりずっと若い世代のデュオ作品になるが、ジョン・ゴードンのアルトとビル・チャーラップのピアノとが、フレッシュかつソリッドなパフォーマンスを静かに繰り広げる、隠れた名盤『コントラスツ』(2001年)である。ふたりはともに生粋のニューヨーカー、おなじハイスクールに通った仲。以心伝心の間柄だけに、サックスとピアノとのシンクロナイゼーションが抜群にいい。その点が音楽に、得も云われぬ爽快感を生んでいる。

ソプラノ・サックスとニューヨークの風景

 上記の2作品において溢れかえるジャズ特有の即興性や緊張感、それらが生み出すノスタルジア、ペーソス、あるいはリラクゼーションなどは、この『ジャスト・アス』からは感じられない。したがって、ジャズという音楽にそういうクールネスのみを求めるかたには、まったく本作をおすすめすることができない。そういう理由から、ぼくは当初このアルバムをジャズ作品としてご紹介するべきものではないとも思った。しかしなら、いまもグルーヴィーなリズム・セクションとソフィスティケーテッドなプロダクションをもってして良質のコンテンポラリー・ジャズ作品を世に送り出しつづけるジェームスとコーズが、敢えてアンプラグドなレコーディングに挑戦していることを鑑みて、これもまたひとつのジャズのかたちであると広義に解釈することにした。

 

 まあジェームスに限って云えば、優れたトリオ作品も吹き込んでいて一般的にもジャズ・ピアニストとして一流であることは証明済みだが、その実彼自身は音楽のカテゴリーにとらわれるようなことは、実験的かつ革新的なピアノ・トリオ作品『ボールド・コンセプションズ』(1963年)において鮮烈なデビューを果たして以来一度もなかった。この『ジャスト・アス』で展開されている音楽もまた、ジャズの演奏形態がとられながらもひとつの範疇に収まるものではない。もしかすると、チェンバー・ミュージックを愛好するリスナーのほうが、このアルバムの素晴らしさを理解するかもしれない。なにぶん本作は、アコースティック・ピアノとサクソフォーンとの濃密なダイアローグが生み出す、音楽のありのままの美しさだけで構成されているのだから──。

 

 アルバムは1曲目から、リスナーをジェームスとコーズとが自然体で対話する空間へといざなう。ジェームスのオリジナル「ソマシオン」は、感傷的かつ軽快なワルツ。歯切れよく歌うアルト、繊細に揺れ動くピアノも然ることながら、テーマのあとのドラマティックな展開が素晴らしい。クルト・ヴァイルの「マイ・シップ」ではエレガントなピアノとハートウォーミングなアルトとの語らいが、コクのある風味と香りを生み出している。以上の2曲は、前述のノヴェルティ・アイテムに収録されたテイクである。コーズとジェームスとの共作「T W O」は、短いモティーフが展開される遊びごころに溢れた曲。ソプラノとピアノとの奔放自在なやりとりが楽しい。リズミカルな曲調は、ふたりのコンテンポラリー・ジャズ作品に直結するものでもある。

 

 ジミー・ヴァン・ヒューゼンの「オール・ザ・ウェイ」では、ロマンティックなアレンジ、そして情感のこもったアルトと内省的なピアノとのコントラストが、渾然一体となって感動をもたらす。ジェームスの自作曲「フォンテーヌ・ド・アリス」は、形式にとらわれないアヴァンギャルドな、それでいてバウンシーなナンバー。ピアノとソプラノもすこぶる軽快だ。コーズのオリジナル「ザ・ネイキッド・バレエ」は、バロック音楽と中南米の音楽とがミックスされたユニークな曲。ソプラノとピアノとの対位法的なアプローチが見事だ。チャールズ・チャップリンの「スマイル」は、意外にもほとんど即興的にあっさりとした感じでプレイされている。それが、爽やかな空気を醸成している。

 

 コーズの自作曲「ルー・ド・リヴォリ」は、リリカルでメランコリックなバラード。アルトのパッショネートなサウンドが耳に残る。ジェームスのオリジナル「プロテア」は、もっともクラシカルな曲。ソプラノとピアノとが、どこまでもイマジナティヴかつメディテイティヴな世界を描き出す。コーズとトッド・シュローダーとの共作「ニュー・ホープ」は、ヒューメインでエモーショナルなナンバー。アルバム中もっともポップな曲でもある。シンプルなデュオだが、熱い余韻を残す。ラストのジミー・マクヒューの「明るい表通りで」では、唯一スウィンギーで、しかもチャールストン風なプレイが展開される。ソプラノのエスプリの効いた表現やピアノのストライド奏法も痛快だ。以上、本作はぼくにとっては胸のすくような極上のデュオ作品であった。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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