Armando Trovajoli / Softly (1959年)

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マエストロと称えられるイタリア映画音楽の巨匠、アルマンド・トロヴァヨーリのスタイリッシュなジャズ・アルバム『ソフトリー』

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Album : Armando Trovajoli / Softly (1959)

Today’s Tune : Lullaby In Rhythm

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渋谷系カルチャーにおいて、オシャレな音楽の象徴として位置づけられた

 

 いまから30年以上もまえのことだけれど、マルコ・ヴィカリオ監督のイタリア映画『黄金の七人』(1965年)のサウンドトラック・アルバムが、わが国においてアナログ・レコードで復刻されて、渋谷に集まる若者たちを中心にアルマンド・トロヴァヨーリの音楽がちょっとしたブームになった。いわゆる1990年代の渋谷系ムーヴメントにおいて、彼の音楽は大きな注目を集めたのである。映画『黄金の七人』はイタリアの犯罪コメディ作品で、モンキー・パンチによるコミック『ルパン三世』のもとネタになったとも云われている。トロヴァヨーリはイタリアの作曲家で、彼が音楽を手がけた映像作品といえば驚くなかれ、なんと200作を超えるという。そんな彼のサウンドが渋谷系カルチャーにおいて、オシャレな音楽の象徴として位置づけられたことは、個人的にも嬉しい出来事だった。

 

 ぼくは小学生のころからトロヴァヨーリの音楽に親しんでいたのだけれど、ジャズ、ロックあるいはラテンといった音楽ジャンルがミックスされた、その軽妙なサウンドを当時からキャッチーなものとして受けとめていた。その独特な音楽スタイルはまさにシックスティーズ・タッチと云われるもので、そこにあるヒップでグルーヴィーなサウンドが1990年代を生きる若者たちにもウケたのだろう。このブーム、ピチカート・ファイヴフリッパーズ・ギターといった渋谷系を代表するアーティストたちが、トロヴァヨーリの楽曲をネタとして自作に採り入れたり、彼が音楽を担当した映画の題名を自己のアルバム・タイトルで引用したりしたことが、そもそものはじまりだったと記憶する。いっぽう当時の渋谷にあった外資系CDショップも、こぞってトロヴァヨーリの音盤をレコメンドしていたもの。

 

 どこのショップでもイタリアから輸入されたトロヴァヨーリのレコードやCDが積極的に取り扱われていたし、いまはなきWAVEに至っては基本的にソフトの販売店でありながら1980年代からレコード制作にも携わっていたこともあり、ディストリビューターとしてトロヴァヨーリ作品を何枚も復刻していた。そういったショップの尽力が、トロヴァヨーリ・ブームをあと押ししていたことは、まず間違いない。渋谷系が志向するスタイリッシュでグルーヴィーな音楽性とパーフェクトなまでにに合致するトロヴァヨーリの音盤は、当時なにかと話題になることが多かったが、ことに前述の『黄金の七人』とパスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ監督によるイタリア式コメディ映画『女性上位時代』(1968年)のサウンドトラック・アルバムは、たいへんな人気を博した。

イタリアの国旗とITARYという文字

 これはいささか余談になるけれど、ある意味でトロヴァヨーリの代表作とも云うべき『黄金の七人』と『女性上位時代』とは、実は音楽以外にも共通するところがある。それはこの2本の映画ではともに、イタリア式コメディやソード&サンダルといったジャンルの作品を多く手がけたガイア・ロマニーニが衣装デザインを担当している。彼女は1950年代から1980年代にかけてイタリア映画界で活躍した、著名な衣裳デザイナーあるいは美術デザイナー。彼女の仕事のなかでも、やはり『黄金の七人』のロッサナ・ポデスタ、そして『女性上位時代』のカトリーヌ・スパークといった、見目麗しく美しい曲線を誇る女優が纏う、ファッションショーのごときクイックチェンジを見せる衣裳のデザインが、もっとも印象的である。そして、このあたりもまた渋谷系に影響を与えているよう思われるのだ。

 

 たとえばポデスタの不二子ちゃん顔負けのゴージャスな“泥棒ファッション”といえば、タイトなミニドレス、大ぶりなジュエリー、そして未来的なシルエットはレトロスペクティヴだけれどフレッシュに映る。いっぽうスパークは、ヘルシーでコケティッシュないわゆるフレンチ・イタリアン・シックと呼ばれる装いが魅力的。ボーダー、ミニスカート、フラットシューズなどは、それこそピチカート・ファイヴにストレートに影響を与えた1960年代を象徴するモッズ・スタイルである。いずれにせよ、ポデスタにしてもスパークにしても1960年代のイタリア映画のアイコンだったわけで、そのファッションは1990年代の再流行も然ることながら、現代の渋谷においても、ヴィンテージ・ラグジュアリーあるいはシックスティーズ・レトロとして注目を集めている。

 

 ときにトロヴァヨーリの音楽だが、その楽器の使いかたにいささかワッキーな感覚を発揮していることは否定できないだろう。むろん彼はふざけているわけではないのだろう。トロヴァヨーリは作為的にそういうサウンドをクリエイトしていて、それが独特の趣きというか、唯一無二の味わいとなっているのである。彼のマナーには映像に合わせるという大義名分を掲げて、ちょっと悪ノリして、まるで無邪気なイタズラでもするようなところが散見される。だがそんな茶目っ気感覚が、ぼくは昔から大好きなのだ。道徳的に問題がありそうなシーンでも、トロヴァヨーリに「ボヨーン」とやられてしまうと、なにやら妙に明るくほのぼのとした様相を帯びてくるのだから、それはまさにトロヴァヨーリ・マジックとでも云うしかない。

 

 そんなトロヴァヨーリ・サウンドは、リズムの面でもジャズの4ビート、マンボやボサノヴァ、ロックの8ビートから斬新な16ビートまで変幻自在。そればかりか、ときにはそこにバロック音楽まで飛び出してくるのだ。たとえばブームの口火を切った『黄金の七人』のフィルム・スコアは、なんとも痛快無比ですこぶるキャッチーだ。メインとなるテーマは「黄金の七人」と「ロッサナのテーマ」の2曲のみで、あとはそれらのヴァリエーションによって構成されている。なんたって2週間で1本分のサウンドトラックを完成させなければならないほど、量産されるイタリア映画のコンポーザーは忙しい。タイトなスケジュールに苦慮しながらも、卓越したアイディアと鋭敏なセンスでそれを乗り切ってしまうのだから、トロヴァヨーリは天才的職人と云える。

 

 ぼくの好きな渋谷系に支持された1960年代のトロヴァヨーリ・サウンドのトレードマークといえば、あの「ダバダバ」というスキャットであり、スタイリッシュな口笛であり、弾けんばかりのパーカッシヴなオルガンであり、煌びやかなチェンバロである。ときにはアニメ作品などでよく聴かれる口琴を使ったりして「ボヨーン」と、とぼけた感じを出したりもする。そんなトロヴァヨーリ・サウンドのチャームポイントのほとんどを、この『黄金の七人』のサウンドトラック・アルバムにおいて確認することができる。特に「黄金の七人」では「ダバダバ」スキャット、バロックとジャズがよくブレンドされたアレンジ、いっぽう「ロッサナのテーマ」では、ミュート・トランペット、口笛、オルガンのとろけるようなトーンが際立っている。

 

映画音楽の作曲家として知られるが、もともとは立派なジャズ・ピアニスト

 

 なお、このサウンドトラックで口笛を吹いているのは、イ・カントリーニ・モデルーニというコーラス・グループのリーダーであるアレッサンド・アレッサンドローニというひと。そのスタイリッシュな口笛が、トロヴァヨーリ作品には欠かせないというのも然ることながら、当時のイタリア映画のサウンドトラックに登場する口笛のほとんどが彼によるものであるという事実に、驚嘆させられる。この作品には『続・黄金の七人/レインボー作戦』(1966年)『新・黄金の七人 7×7』(1968年)といった続編が存在するのだが、後者ではバロックのメロディック・ラインとジャズ・ビート、そしてスピーディなスキャットがフィーチュアされる。また、シリーズとはなんの関係もない『黄金の7人・1+6/エロチカ大作戦』(1971年)では「ボヨーン」という口琴も登場する。

 

 すっかりあとになったが、アルマンド・トロヴァヨーリ(1917年9月2日 – 2013年2月28日)の来歴を簡単に記しておく。トロヴァヨーリは、イタリアの首都ローマに生まれた。幼いころは、4歳のときにヴァイオリニストの父親からヴァイオリンを学び、6歳からピアノのレッスンも受けるようになる。のちにローマにあるサンタ・チェチーリア音楽院においてピアノと作曲を学んだ。ちなみにこの国立音楽院、数多くの国際的な音楽家を輩出しているが、映画音楽の作曲家ではニーノ・ロータエンニオ・モリコーネもここの出身。トロヴァヨーリの先輩には、やはり映画音楽で名を馳せたジェノヴァ出身のアンジェロ・フランチェスコ・ラヴァニーノがいた。リリカルでドラマティックなメロディとリッチなオーケストレーションを特徴とする作曲家だ。

 

 トロヴァヨーリとラヴァニーノは、ともに作曲活動に切磋琢磨したという。もっともトロヴァヨーリは音楽院に入学するまえから、高級ナイト・クラブでジャズ・ピアノを弾いていた。彼が17歳のときのことである。実はクラブにおけるジャズの演奏は、家庭の経済状況が厳しいことからはじめたアルバイトだった。そんな思いがけない経験が、のちの彼の音楽性に大きく影響したことは、容易に想像できる。トロヴァヨーリは1948年、音楽院を卒業後すぐに演奏活動を開始する。1949年5月にパリで開催された、第1回国際ジャズ・フェスティヴァルにもピアノ・トリオで参加。ただ当時のイタリアでは純然たるジャズ・プレイヤーとして生計を立てるのは困難だったので、彼はラジオ番組での作曲や演奏にも従事していた。結局トロヴァヨーリは、それを足がかりに映画界に進出する。

スプーン、フォーク、ナイフとBUONOという文字

 トロヴァヨーリが作曲した最初の映画音楽は、エドモンド・ロッツィが監督したイタリアのコメディ映画『マラカトゥンバ…マ・ノ・ネ・ウナ・ルンバ(マラカトゥンバ…でもルンバじゃない)』(1949年)のなかの1曲「ビバップ」だが、音源は商品化されておらず映画のほうも日本未公開ということで、ぼくもいまだに聴いたことがない。ただ曲のタイトルと映画の製作時期を鑑みると、漠然とではるがジャジーなトラックと想像される。トロヴァヨーリは、前述のように1934年からクラブでジャズを演奏しはじめ、1944年にはピアノ・トリオにクラリネット、ギター、ヴィブラフォンを加えた、ベニー・グッドマンのスタイルに倣ったセクステットを率いたりもしている。いまでこそその名前は映画音楽の世界に轟きわたっているけれど、もともと彼は立派なジャズ・ピアニストだったのである。

 

 トロヴァヨーリのジャズ・ピアニストとしての全盛期は1950年代で、このころの彼はロマーノ・ムッソリーニと並んで、イタリアを代表するモダン・ジャズのピアニストとして注目を集めた。彼のピアノ・スタイルはオーソドックスだけれど、メロディアスでタッチが力強く鮮やかな印象を与える。それはちょうどグッドマンのセクステットのメンバーだったテディ・ウィルソンを彷彿させるような、モダンなコードとフレーズを繰り出しながらよくスウィングするピアノ演奏である。そのパフォーマンスは実にフレキシブルなもので、ときにはウェストコースト・ジャズのようなクールさを、ときにはニューヨークのパップ系ジャズのごときファンキーさを窺わせる。そしてトロヴァヨーリのフィルム・スコアにおいて独特のモダンなセンスが際立つのは、その音楽性の根幹をなすのがジャズだからである。

 

 トロヴァヨーリは、RCAイタリアーナに『シャンパン・フォー・ディナー』(1955年)をはじめ、アルマンド・トロヴァヨーリ・イ・ラ・スア・オルケストラ名義でアルバムを数枚吹き込んでいるが、それらはジャズありラテンありポップスありカントリーありと、要はなんでもありの、どちらかといえばイージーリスニング系の作品だ。一部にトロヴァヨーリのクール・ジャズ・スタイルの演奏を聴くことができる『マジック・モーメンツ』(1958年)のみ、日本でもリリースされた。トータル的にはストリングスによるアンサンブルの美麗さ、チェンバロや女性のスキャットなどの軽妙洒脱さが際立つが、曲によってはピアノ・トリオによるスウィンギーなナンバーも収録されている。このごった煮感は、のちのトロヴァヨーリ・サウンドにつながる。

 

 トロヴァヨーリのジャズ・ピアニストとしてのアルバムでは、やはりRCAイタリアーナに吹き込まれたクァルテットによる『トロヴァヨーリ・ジャズ・ピアノ』(1959年)、セクステットによる『ソフトリー』(1959年)といった2枚が、国内で発売されたこともあり、ジャズ・ファンの間ではよく知られている。あとは同レーベルからリリースされたアルマンド・トロヴァヨーリ・イ・ラ・スア・オルケストラ名義の『ザ・ビート・ジェネレーション』(1960年)が、本格的なビッグバンド・ジャズ作品ということで、昔から一部の熱狂的な愛好家からは支持されている。しかしながら前述のように、彼は1949年から映画音楽の仕事をしていて、1960年代に入ると次第にジャズから遠ざかり、専らサウンドトラックの作曲と指揮に集中するようになる。

 

 ただ『ザ・ビート・ジェネレーション』では、トロヴァヨーリはピアノも弾いているけれど、どちらかというとアレンジャー兼コンダクターとしての存在感が強い。彼のピアノ・プレイをもっとも満喫することができるアルバムは、間違いなく『トロヴァヨーリ・ジャズ・ピアノ』だろう。アルマンド・トロヴァヨーリ(p)、エンツォ・グリリーニ(g)、ベルト・ピサーノ(b)、セルジオ・コンティ(ds)といったクァルテットでの吹き込みだが、ギターは一切ソロをとらずバッキングに徹しているので、本作はピアノ・トリオ作品のような感覚で楽しむことができる。すなわち、主役はどこまでもトロヴァヨーリのピアノ。冒頭の「時間通りに教会へ」におけるその俊敏な指遣いの鮮やかさから、彼がジャズ・ピアニストとして卓越したテクニックの持ち主であることがすぐにわかる。

 

 この曲は云うわずと知れた、1956年初演のミュージカル『マイ・フェア・レディ』のなかの1曲。アラン・ジェイ・ラーナー作詞、フレデリック・ロウ作曲による、ジャズ・スタンダーズとしても有名なナンバー。ぼくはこのトロヴァヨーリのヴァージョンがすごく好きなのだけれど、疾風のような軽快さも然ることながら、心地いいビート感と明るいヴァイブレーションが、いかにもトロヴァヨーリらしい。その雰囲気といったら、それこそ『黄金の七人』のテーマ曲を彷彿させる、徹頭徹尾、痛快無比でキャッチーなもの。ヘレン・メリルのバックを勤めたこともあるグリリーニ、作曲家でもあり指揮者でもあるピサーノ、そして多くのイタリア人ドラマーに影響を与えたコンティによるサポートも、軽やかで洒落た雰囲気を生み出している。

 

ある意味で雰囲気重視の、リラックスして楽しむべきジャズ作品

 

 そんな素晴らしい吹き込みを残しているものの、トロヴァヨーリがいっぱしのジャズ・ピアニストであることを知っているジャズの愛好家といえば、日本はもちろん欧米においてもきわめて少数だろう。そもそも本国のイタリアにおいて、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカで誕生したジャズという音楽に、大衆がほんとうに目覚めるのは、かなり遅れてのことだった。なにせイタリアでは第二次世界大戦中のファシズム政権下において、ジャズはいわゆる敵性文化と見なされて、おおやけの場での演奏や放送は制限されたり禁止されたりしたのだから。そんな抑圧された時代から演奏活動を行っていたトロヴァヨーリは、実はイタリアン・ジャズの旗手とも云うべき存在。1950年代のイタリアを代表するジャズ・ピアニストとして、わが国でも再評価されることが望まれる。

 

 ちなみにこれはいささか余談になるが、さきに触れたトロヴァヨーリとも交流のあった同時代のピアニスト、ロマーノ・ムッソリーニは、なにを隠そうファシズムを提唱した独裁者、ベニート・ムッソリーニの息子なのだ。彼は父親がジャズを弾圧していたにもかかわらず、トロヴァヨーリと同様に積極的にジャズを演奏していたが、なんとも皮肉な事実である。それはともかく、そんなイタリアン・ジャズが本邦で紹介されるのもまた、かなり遅かった。イタリアの音楽といえば、なんといってもオペラ、そしてカンツォーネだったのだ。ぼくが小学生のころ手にいれた『黄金の七人』のサウンドトラック・アルバムは、1976年に発売された国内盤だったけれど、日本でリリースされた彼のレコードとしては最初期のものと思われる。そのキャリアの出発点となるジャズ作品など、知る由もなかった。

 

 思えばトロヴァヨーリのレコードといえば、映画音楽も含めて輸入盤でしか入手できなかった時代が長くつづいた。国内盤が出回るようになったのは、やはり1990年代の渋谷系ムーヴメントにおいて、トロヴァヨーリ・サウンドが注目を集めるようになってからのこと。さきに挙げた『マジック・モーメンツ』『トロヴァヨーリ・ジャズ・ピアノ』そして『ソフトリー』といった3枚のRCAイタリアーナ盤が、日本でCDではなく敢えてアナログ・レコードで復刻されたのも1994年のことだった。ここまで知ったような口を利いてきたぼくも、実は3枚ともこのときにはじめて手にしたのだった。そのスウィンギーなリズム感と滑らかなインプロヴィゼーションを実際に体験して、それまでトロヴァヨーリをエンニオ・モリコーネピエロ・ピッチオーニなどと同列の音楽家と捉えていたぼくは、認識をあらためた。

GRAZIEという文字

 なお本邦初のお目見えとなった3枚のRCAイタリアーナ盤は、BMGビクター(現在のBMG JAPAN)による「イタリア・RCA・オリジナル・LP・コレクション」という企画のラインナップに含まれていたもの。トロヴァヨーリのアルバム以外では、前掲のロマーノ・ムッソリーニをはじめ、トランペッターのニーニ・バッソとトロンボニストのジャンニ・ヴァルダンブリニとによるユニット、バッソ=ヴァルダンブリニ、そしてベルギー出身のギタリスト、ルネ・トーマと同郷のテナー奏者兼フルーティスト、ボビー・ジャスパーとによる双頭バンド、トーマ=ジャスパー・クインテットといった個性的なアーティストの、ヨーロッパ・ジャズの熱烈な愛好家にとっては垂涎の逸品がリリースされた。こんなマニアックな企画が実現に至ったのも、レコード会社が渋谷系ムーヴメントに触発されたからだろう。

 

 ということで最後に、上記の3枚のRCAイタリアーナ盤のうち、個人的なお薦めとして『ソフトリー』をご紹介しておこう。ピンク色を基調とした上目遣いの見目麗しい女性のアップショットといったジャケットが、ソフィスティケーテッドでエレガント。不純な動機かもしれないが、その点でもついつい手にとってしまう1枚。ちなみに、この女性モデルについてはまったく不明。ときにコンテンツのほうはといえば、タイトルからも想像されるように、ソフトでスウィートなジャズが展開されている。ある意味で雰囲気重視の、リラックスして楽しむべき作品だ。ジャズ・プレイヤーのストイックさを高く評価する向きには、甘口と見下されてしまうかもしれないが、音楽に心地よさを求めるぼくには、ジャズ作品として遜色のない出来と思われる。

 

 本作は1959年に発表されたアルバムだが、吹き込み日時についてはジャケットに記載がない。一部の資料には録音日として、1957年1月14日という具体的な日付が記されているが、真偽は定かではない。レコーディング・メンバーは、ちょうど『トロヴァヨーリ・ジャズ・ピアノ』のクァルテットの顔ぶれに、フルーティストのジェリー・マリナッチとヴィブラフォニストのフランコ・キアーリとが加わった6人。なおこのアルバムでは『トロヴァヨーリ・ジャズ・ピアノ』と同様に、アーティスト名がファーストネームが省略された“トロヴァヨーリ”名義となっている。個性的で響きのいいファミリーネームをアーティスト名として強調するほうが、聴衆に広く浸透しやすいと判断されたのかもしれない。イタリアでは卓越した音楽家に対して、敬意を込めて名字だけで呼称する習慣もあるが、彼の場合、それはまださきのことだろう。

 

 アルバムはコール・ポーターの「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス」からスタートする。ピアノのマイルドな語り口が心地いい。フルートとギターのソロも軽妙だ。ベニー・グッドマンエドガー・サンプソンとの共作「ララバイ・イン・リズム」では、トロヴァヨーリらしい浮遊感と躍動感が横溢するピアニズムが全開。ギターのソロもよく跳ねている。ホーギー・カーマイケルの「ニアネス・オブ・ユー」では、クリアで温かみのあるフルートがフィーチュアされる。ピアノも美しい調べを奏でる。アラン・ジェイ・ラーナー作詞、フレデリック・ロウ作曲による『マイ・フェア・レディ』のなかの1曲「ウィズ・ア・リトル・ビット・オブ・ラック」では、こころが弾むようなテンポに乗って、ピアノが明るく上品なタッチで歌いまくる。

 

 A面のラスト、トロヴァヨーリのオリジナル「フォギー・ナイト」では、フルートとヴィブラフォンの絡みが独特の清涼感を生み出している。ピアノの繊細で静穏なバラード・プレイも彩りを添える。B面のオープナー、バーニー・ミラーの「バーニーズ・チューン」では、フルートとギターがフロントに据えられた展開がユニーク。ピアノとベースのソロも小気味いい。ウォルター・ドナルドソンの「愛のもつれ」では、もっともブルージーでスウィンギーなピアノ・プレイが披露される。ギターとベースのソロも花を添える。トロヴァヨーリの自作曲「サムタイムズ・ア・ハート・ゴーズ・アストレイ」では、やはりフルートとヴィブラフォンとが得も云われぬ清々しさを生み出す。ピアノとギターとが響かせるトーンも口当たりがいい。

 

 ジョン・ションバーガーの「ウィスパリング」では、フルート、ピアノ、ギターが順にのびやかなプレイを繰り出す。ソフトでエレガントなサウンドが空間に広がっていくような感じが爽やかだ。アルバムのラストはジミー・マクヒューの「恋のため息」で締め括られる。フルートのリズミカルでアップビートなパフォーマンスのあと、ピアノとギターがまったく淀みのないソロを展開。ここまで本作では、包括的にリラックスしたムード、そして洗練されたストーリー性が高められている。まったく触れなかったが、そのスムースな流れの一端を担っているのは、コンティによる歯切れのいいブラシ・ワークだったりする。ジャズにおいてここまで軽やかなサウンドは、却って貴重かもしれない。しかもそれをスタイリッシュなものとして感じさせるのだから、トロヴァヨーリのセンスのよさはホンモノと云える。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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