Elmer Bernstein / Legal Eagles (1986年)

シネマ・フィルム
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リーガル・サスペンスというよりはロマンティック・コメディといった趣きの映画『夜霧のマンハッタン』──名匠エルマー・バーンスタインの隠れた傑作サウンドトラック盤

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Album : Elmer Bernstein / Legal Eagles (1986)

Today’s Tune : Legal Eagles Love

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“イントラーダ・スペシャル・コレクション”の1枚──世界初CD化

 

 最近になって、映画『夜霧のマンハッタン』のオリジナル・サウンドトラック・アルバムがCD化されていたことを知った。CDは2021年の春にイントラーダ・レコードによって、なんの前触れもなくリリースされた。イントラーダはアメリカ、カリフォルニア州オークランド市に拠点を構えるレコード会社。マサチューセッツ州出身の作曲家でもあるダグラス・フェイク(1952年2月23日 – 2024年7月13日)によって設立された。このレーベルのカタログといえば、映画やテレビドラマのサウンドトラック盤に特化するのだけれど、特に映画音楽の巨匠、ジェリー・ゴールドスミス(1929年2月10日 – 2004年7月21日)の作品を多く採り上げている。映画音楽のファンには、すっかりおなじみのレーベルだろう。

 

 イントラーダはとにかく貴重な音源をCD化してくれるので、目が離せない。たとえば、ぼくの敬愛する映画音楽作家のひとり、ヘンリー・マンシーニ(1924年4月16日 – 1994年6月14日)が手がけた『ティファニーで朝食を』(1961年)のレアなソースを商品化したのがこのレーベルだった。もちろん『ティファニーで朝食を』ほどの有名な映画作品だから、レコードは公開当時にしっかり発売された。しかしそれは、厳密にはサウンドトラック盤とは云えない。商品化するにあたりフィルム用のスコアをもとに、あらためてレコーディングされたものなのだ。ところがイントラーダは、マンシーニによってフィルムスコアリングで吹き込まれた音源をCD化した。このレーベルは、そういった数々のアンダースコアを公開することにやぶさかでない。

 

 ということで、イントラーダはサウンドトラック・コレクターにとって有用性の高いレーベルなのだけれど、残念なことにCDのプレス数は1000枚から3000枚程度。ちょっと油断していると、すぐに品切れになってしまうのだ。どちらかというと呑気なぼくは、この手の限定盤を買い逃すことがよくある。それでもぼくは事物にそれほど執着しない性格が幸いして、後ろ髪を引かれるようなことはほとんどない。だから立派なレコード・コレクターになれないのだけれど──。まあそれはさておき今回は、同レーベルのマニア向けのシリーズ、“イントラーダ・スペシャル・コレクション”の1枚として復刻された『夜霧のマンハッタン』のサウンドトラック盤についてお伝えしていこう。

夜のマンハッタンを背景にしたピアニストのシルエット

 まえもってお断りしておくけれど、このイントラーダ盤は、映画公開時にMCAレコードから発売されたレコード用の音源にリマスターが施されたもの。つまり収録内容はそのままで、ボーナス・トラックなどが収録されたエクステンデッド・ヴァージョンではないので、ご注意を──。ただCD化は世界初ということなので、興味のあるかたはこの機にぜひ手にとっていただきたい。それにしても本作がこれまで一度もCD化されたことがなかったというのは、ちょっと意外だった。昔のMCA作品の音源といえば、もともと世界最大級の音楽会社、ユニバーサル・ミュージック・グループが版権所有していたもの。だからぼくは、本作がどこかのタイミングでとっくにCD化されたと、勝手に思い込んでいたのである。

 

 考えてみれば、この『夜霧のマンハッタン』という映画、日本で公開されたときの評判はあまり高くなかった。ただこの作品、ハリウッド屈指の二枚目スター、ロバート・レッドフォードを主演に迎え、それまで無名に近かったが『ゴーストバスターズ』(1984年)を大ヒットさせ社会現象まで巻き起こした映画監督、アイヴァン・ライトマン(1946年10月27日 – 2022年2月12日)がメガホンをとるということで、プレスリリースが発信されたときから大きな話題となった。ちょっと期待値が高過ぎたのかもしれない。本国での興行収入は9315万ドルと思いのほか低く、日本でも10億円にすら達していない。松竹のプログラムピクチャー『男はつらいよ』のシリーズにさえ負けている。ちなみに日本でも大ヒットした『トップガン』(1986年)の本国での収益は、3億5683万ドルだった。

 

 そういうぼくも実は映画への期待を膨らませたクチで、本編を観るまえに『夜霧のマンハッタン』のサウンドトラック・アルバムを購入した。ぼくが入手したのは、アメリカから早々に輸入されたMCAレコードからリリースされたもの。当時のぼくは、映画音楽のレコードといえば、インポート盤で購入することがほとんどだった。価格が国内盤の半額近くでリーズナブルであったこと、国内盤の発売よりずっと早い時期に音盤に触れられるということがその理由。だからぼくにとっては、まず音楽を聴いた印象から映画の内容や楽曲の使われかたを想い描いておいて、実際に作品を鑑賞したときに想像と現実との相違や合致を確認する──というような映画の楽しみかたが慣例となっていた。

 

 確か音楽CDの生産がはじまったのは1982年のことだから、それから4年が経過した『夜霧のマンハッタン』のサウンドトラック・アルバムが発売された当時の日本では、すでにCDの販売枚数がLPレコードのそれを追い抜いていたはずだ。とはいえアメリカのマーケットでCDの販売が開始されたのは、日本やヨーロッパでの商品流通に対しいささか遅れてのこと。もしかすると米国ではまだアナログのほうが主流だったのかもしれない。あらためて当時の自身の状況を振り返ってみると、CDとレコードとを並行して購入していた。おそらくCDに関しては、発売当初からそのデジタル録音の音質に疑問を呈する向きもあったし、コストパフォーマンスの最大化という点でもまだまだ実現に至っていなかったからだろう。

 

世評は芳しくなかった『夜霧のマンハッタン』はどんな映画なのか

 

 映画『夜霧のマンハッタン』のサウンドトラック・アルバムが、そんなアナログからデジタルへの過渡期にあたる1986年のリリースだったことを考慮すると、LPレコードのみの発売だったのもさほど不思議ではない。かりに映画が大ヒットしていれば、きっと日本ではすぐにCD化されたことであろう。そもそもこのサウンドトラック・アルバム、国内仕様のレコードは発売されたのだろうか──。ちょっと気になったので調べてみたら、映画が日本で公開されたのは1987年3月21日のことだが、それに先立つ2月10日にちゃんとLPレコードが発売されていた。リリースはワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)からだったが、これはMCA作品を当時ディストリビュートしていたのがこのレコード会社だったからである。

 

 それにしてもこの国内盤、ぼくは中古レコード店などでお目にかかったことは一度もない。市場に出回らないのはどう考えても、コレクターによって後生大事に手放されることなく所持されているからではなく、もともとそんなに売れなかったからだろう。なにせ日本では本編のほうが、まったくと云っていいほど話題に上ることはなかったのだから──。事前にサントラ盤をしっかり聴き込んでいたぼくは、封切り時に意気揚々と映画館に足を運んだのだけれど、観客がまばらだったのでテンションがだだ下がりになった覚えがある。それから数年後、本作は忘れたころにテレビ東京の『木曜洋画劇場』でテレビ初放送(1990年11月29日)となったが、カットされたシーンも非常に多く、ずいぶんと雑に扱われているように感じられた。

 

 いまから思えば、この映画の邦題が果たしてほんとうに適切なものだったのか、いささか疑問が残る。映画の原題は『リーガル・イーグルス』というが、“Legal Eagles”は“Skilled Lawyers”を意味するアメリカの押韻スラングだ。すなわち日本語に翻訳すると、“やり手の弁護士たち”となる。確かに直訳すると味気ない。だからといって『夜霧のマンハッタン』はいかがなものだろう。原題が『士官と紳士(An Officer and a Gentleman)』(軍法における犯罪行為と定められている“士官および紳士に相応しくない行為”に由来する)という味もそっけもないものでありながら、まったくオリジナルの妙々たる邦題が付されて人気を博した『愛と青春の旅だち』(1982年)の例もある。もう少し意匠を凝らすことはできなかったものか。

夜のマンハッタンを背景にした男女のシルエット

 日本人にとって“夜霧”といえば、なんといっても石原裕次郎が歌った名曲「夜霧よ今夜も有難う」だろう。あるいは、哀愁のギタリストことクロード・チアリの名演「夜霧のしのび逢い」の旋律を思い出す向きも多いと思われる。映画少年だったぼくの場合、フランソワ・トリュフォーの監督作品『夜霧の恋人たち』(1968年)がすぐに思い浮かんだのだけれど──。いずれにしても“夜霧”という単語には、いかにもな古めかしさが感じられる。それともまさかとは思うが、日本で『夜霧のマンハッタン』が公開される前年の1986年にヒットした、ややが歌う「夜霧のハウスマヌカン」が捩られたのだろうか。いやいや、そんなことはあるまい(そうでないと信じたい)。とにもかくにも、この邦題では幅広い層にアピールするのはちょっと厳しいと、ぼくは思う。

 

 では『夜霧のマンハッタン』はどんな映画なのか──。普段は法廷で敵対関係にあるロバート・レッドフォード演じる地方検事補と、デブラ・ウィンガー演じる女性弁護士とが、成り行きでとある絵画盗難事件を協力して手掛けることに──。ダリル・ハンナ演じる告訴された女性は、盗もうとした絵は著名な画家である父親からの誕生日プレゼントであると主張している。彼女の供述が真実であるかどうか確かめるため、検事補と弁護士は訴人から絵画を買い取ったテレンス・スタンプ演じる画廊主のもとを訪れる。やがてふたりは、事件のカギとなる18年前の火災事件にたどり着き、その背景を探リはじめる──。そんな梗概からすれば、本作はニューヨーク市マンハッタン区を舞台に繰り広げられるリーガル・サスペンスと思われるだろう。

 

 しかしながら実際のところ、この映画は強いて云えばサスペンス要素を含む、軽妙なタッチで描かれたロマンティック・コメディといった趣きの作品だ。しかも往年のテレビドラマを彷彿させるシテュエーション・コメディのような風情がある。こういうタイプのコメディは主演俳優の人気度と演技力に依存するところが大きいが、その点ではレッドフォードをキャスティングしたライトマン監督はまさに慧眼だった。もちろんレッドフォードは大スターだけれど、どちらかというと知的で信頼性のある役柄が多く、役者としても無駄のない演技をするひとというイメージが強い。そんな彼が本作では、ふんだんにコミカルなセリフや所作を披露している。レッドフォードの滑稽味のある演技は、フレッシュにもスマートにも感じられた。

 

 個人的には、ぼくの敬愛する劇作家、ニール・サイモンの同名戯曲が映画化された、ジーン・サックスの監督作品『裸足で散歩』(1967年)を思い出してしまった。かたやジェーン・フォンダ演じる自由奔放な女性、かたやレッドフォード演じる保守的で繊細な男性といった新婚夫婦が、グリニッチ・ヴィレッジ(奇しくもマンハッタンだった!)の古いアパートで繰り広げるちょっと切なくてこころが温まるオハナシ。この映画のなかの、レッドフォードが酔っ払って裸足でワシントン・スクエア公園を走りまわるシーンが、ぼくは大好きなのだ(実は自分にも似たような経験がある)。若き日のレッドフォードは、こんなコミカルなシーンを茶目っ気いっぱいに演じていたのだ。だから『夜霧のマンハッタン』を観たとき、ぼくはとても懐かしい気持ちにさせられた。

 

 もし『夜霧のマンハッタン』にサスペンス・スリラーとしての期待を膨らませたら、おもいきり肩透かしを食らうこと請け合いである。一部には時限爆弾が仕掛けられた倉庫からの脱出や、火の海となった画廊での格闘といったスリリングなシーンもあることにはあるが、取り立てて話題にするほどインプレッシヴなものではない。また、謎解きや犯人探しのミステリーという捉えかたをしても、いまひとつヒネリが足りない。そして、かつて『コンドル』(1975年)でCIAの暗部を暴き、つづく『大統領の陰謀』(1976年)では大統領を辞任に追い込み、さらに『ブルベイカー』(1980年)においては表向きには民主的な刑務所の実態を明らかにしたレッドフォードだが、本作にはそんな社会の巨悪に立ち向かう彼はいないのだ。

 

コメディ映画に一段上の品格を与えるバーンスタインの音楽

 

 レッドフォードは強い社会的意識をもつ優れたアクターとしても知られるけれど、その点では敏腕地方検事補という役柄は彼にピッタリだ。しかしながらこの地方検事補は、仕事以外ではけっこう不器用な生きかたをしている。この映画はそんなニューヨーカーの生活からにじみ出てくる、愛すべき滑稽さに焦点が当てられているのだ。そして、そんなユーモアは俳優の個性に依るところも多々あると思われるのだが、レッドフォードの話しかたや一挙一動は、実生活ではバカバカしいと思われるような出来事をエレガントでスタイリッシュなものにしてしまうからスゴい。本作の見どころは、サザビーズ、マーカンタイル・ビル、パック・ビル、そしてニューヨーク郡裁判所といったマンハッタンの名所を奔走する、レッドフォードの洒落た立ち居振る舞いにあると、ぼくは思う。

 

 そういう視点で捉えるとこの映画、なかなか気の利いた作品のように思われる。前述の『愛と青春の旅だち』やアカデミー賞において作品賞など5部門に輝いた『愛と追憶の日々』(1983年)で重要な役を演じたデブラ・ウィンガー、そして『ブレードランナー』(1982年)のレプリカント役や『スプラッシュ』(1984年)の人魚役で注目されたダリル・ハンナといった、当時まさに“いまが旬”の美人女優に振りまわされるレッドフォードは、ちょっと羨ましくもあり、たいへん微笑ましくもある。また所感としては『コレクター』(1965年)の誘拐犯や『スーパーマン』(1978年)のスーパーヴィランを印象的に演じたイギリスの個性派俳優、テレンス・スタンプの出演も嬉しい。世評は芳しくなかった『夜霧のマンハッタン』はその実、総じて楽しい作品なのである。

 

 楽しいといえば、この映画にはぼくの大好きな愉快なシーンがある。レッドフォード演じる地方検事補は、ワーカホリックであるが故か睡眠障害を抱えている。どうしても眠れない彼は、いろいろと独創的な対処法を講じる。ライトブルーのバスローブを羽織ったレッドフォードは、まずタップを踏んでみる。眠れないので、ミルクを飲んでみる。やはり眠れないので、バンバンボールで遊んでみたり(部屋のなかで)自転車に乗ってみたりする。それでも眠れないので、カップ食品(アイスクリーム?)を手にし深夜放送の映画番組を観はじめる。映画は『雨に唄えば』(1952年)で、土砂降りの雨のなかで歌いながらダンスするジーン・ケリーにあわせて、彼はふたたびタップを踏む(歌も唄う)。挙げ句の果てには、スキーストックをもち出してカーヴィングターンのフリまでしてしまうのだ。

夜のマンハッタンを背景にした指揮者のシルエット

 まあ、こんなことをしていたら却って目が冴えてしまうのではとツッコミを入れたくなるところだが、実に楽しいシーンだ。こういうコミカルな、しかも物語の進行にまったく影響しない場面は、まかり間違えればとってつけたような印象を与えることになる。スポンサー至上主義で制作される最近の日本のテレビドラマでは、どんなに深刻なストーリーでもやたらとコメディリリーフが挿入されるけれど、わざとらしくて辟易させられることがままある。そんなリスクを抱えた小芝居をレッドフォードが堂々と演じると、いとも粋に映るから、やはり彼は伊達ではない。そしてこの洒落た計らいには、ライトマン監督の遊びごころと同時に俳優ロバート・レッドフォードへのリスペクトさえ感じられる。まさにレッドフォード主演映画史上に残る名シーンである。

 

 すっかりあとになったが、映画『夜霧のマンハッタン』はフィルム・スコアのほうも、総じてセンスのいいトラックで構成されている。音楽を担当したのは、アカデミー賞ではノミネートが14回、受賞が1回とハリウッドでは半世紀にわたり活躍したエルマー・バーンスタイン(1922年4月4日 – 2004年8月18日)。バーンスタインはヘンリー・マンシーニと並んで、早くから映画音楽にジャズを採り入れたことで知られる作曲家でもある。ウェストコースト・ジャズにアプローチした『黄金の腕』(1955年)が高く評価されたが、なんといっても『荒野の七人』(1960年)や『大脱走』(1963年)などの明朗快活なテーマ曲がすぐに思い出される。いずれにしてもハリウッドの伝統を汲みながら、そこから少し逸脱するようなところが、彼のスコアの特徴と云える。

 

 バーンスタインがライトマン監督作品の音楽を手がけるのは『ミートボール』(1979年)『パラダイス・アーミー』(1981年)『ゴーストバスターズ』(1984年)につづいて、本作で4度目となる。考えてみれば、すべてコメディタッチの映画だが、イージーゴーイングかつマジェスティックなバーンスタインの楽曲は、そんな内容にピッタリはまる。本作はさらに都会的なムードも加味されており、出色の出来となっている。サウンドトラック・アルバムの全10曲中7曲がバーンスタインのスコア。あとは劇中でのパフォーマンスアートのBGM、ダリル・ハンナ&マイケル・モンテレオーネの「火事を消さなくては」1968年のシーンでのソースミュージック、ヤング・ラスカルズの「グッド・ラヴィン」(1966年)とステッペンウルフの「マジック・カーペット・ライド」(1968年)が収録されている。

 

 なおエンドクレジットで流れるロッド・スチュワートの「ラヴ・タッチ」は、本盤には未収録。聴きたいかたは、スチュワートの14枚目のスタジオ・アルバム『ロッド・スチュワート』(1986年)を入手されたし。スコアの演奏はザ・ユナイテッド・キングダム・シンフォニー・オーケストラによるもので、ロンドン出身のマルチ・リード奏者スタン・サルツマンのソプラノ・サックスがフィーチュアされる。管楽器とウォーム系のシンセパッドが見事に溶け合う「夜霧のマンハッタン(愛のテーマ)」は、特にエレガントなコーラス部の転調が美しい。リズミカルなシンセベースも印象的だ。シーケンサーと生オケが絡む「事件に駆り立てられて」では、管楽器によるエスプリの効いたテーマとフルートのアドリブから清涼感が溢れ出す。途中のシンコペーションは、いかにもバーンスタインらしい。

 

 不安感を煽るような「魅力的な瞳」では、弦楽器のアンサンブルとソプラノのソロとがミステリアスなムードを高め合う。フェアリーテール風の「誕生パーティの悲劇」では、魅惑のポリリズムが浮遊感を生む。弦楽器による印象派寄りの旋律も甘美だ。躍動的な「トムとケリーのテーマ」は、テーマ曲のヴァリエーションがモンタージュされる。聴覚的にストーリー性を演出する手法はお見事。不穏な空気のなかにも哀感が漂う「心の傷あと」では、ふたたびソプラノがフィーチュアされる。クライマックスに相応しい「惨事からの脱出」では、バーンスタインならではのダイナミックでカラフルなオーケストレーションが遺憾なく発揮される。斬新な響きと複雑なリズムは、爽快であると同時に悠然たる印象を与える。その鷹揚さがバーンスタインの音楽の最大の魅力であり、コメディ映画としての『夜霧のマンハッタン』に一段上の品格を与えるものでもあるのだ。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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