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	<title>気ままに音楽生活</title>
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	<description>いささか気ままに──ではありますが　素敵な音楽をご紹介してまいりますので　どうぞよろしくお願いいたします</description>
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	<title>気ままに音楽生活</title>
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	<item>
		<title>Patrick Williams&#8217; New York Band / 10th Avenue (1987年)</title>
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		<pubDate>Sun, 11 Oct 2026 07:22:11 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[Patrick Williams]]></category>
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					<description><![CDATA[エミー賞、グラミー賞受賞歴をもつアメリカの作編曲家パトリック・ウイリアムズが東海岸のファーストコール・ミュージシャンとともに吹き込んだフュージョンの隠れ名盤、パトリック・ウィリアムズ・ニューヨーク・バンドの『10th ア [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">エミー賞、グラミー賞受賞歴をもつアメリカの作編曲家パトリック・ウイリアムズが東海岸のファーストコール・ミュージシャンとともに吹き込んだフュージョンの隠れ名盤、パトリック・ウィリアムズ・ニューヨーク・バンドの『10th アヴェニュー』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Patrick Williams&#8217; New York Band / 10th Avenue (1987)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Still Crazy After All These Years</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">アメリカでは著名な音楽家だが日本での知名度はきわめて低い</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　1980年代の後半といえば、フュージョンの衰退期に当たる。1970年代からのブームの長期化にともない、いくつかの要因が重なって音楽ジャンルとしての勢いはかなり落ちていた。その理由のひとつとしてすぐに思いつくのは、サウンドの定型化である。コンポジションやパフォーマンスが徐々にスタイリッシュになっていくなかで、どのアーティストの楽曲も似たようなソフィスティケーテッドなサウンドになり、初期のスタイルに観られた先鋭的な新しさやスリリングな雰囲気はどんどん失われていった。このころ、マーケットはBGMとしてより聴き心地のいいスムース・ジャズへとシフトしていたし、テクニックを競うようなアグレッシヴな演奏が呼びものとなるフュージョンは、一部の愛好家に指示されるばかりのジャンルになっていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに云うとフュージョンは、音楽トレンドの変化の煽りをもろに受けたと思われる。当時すでにグランジ・ロックやヒップホップ、アシッド・ジャズに代表されるクラブ・ミュージックなどが台頭しはじめていた。バブル崩壊後に至っては、若者たちの関心はすっかりそちらへ移り、彼らにとってフュージョンはダサい音楽となった。そんなときサウンドウィングスという新興レーベルが、わざわざ旧態依然としたフュージョン・アルバムを数枚リリースした。1986年から1988年にかけてのことである。このサウンドウィングスは1986年にアメリカ、カリフォルニア州サンタモニカで設立されたようだが、実はいまはなき日本のレコード会社、ファンハウスがディストリビューターとなり、同レーベルの作品をひっそりと国内発売していたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そのカタログを観てみると、サクソフォニスト、<strong>トム・スコット</strong>の『<em>ワン・ナイト・ワン・デイ</em>』(1986年)、トロンボニスト、<strong>ビル・ワトラス</strong>の『<em>リフレクションズ</em>』(1987年)、R＆B系女性シンガー、<strong>ロニー・マーティン</strong>の『<em>センセイション</em>』(1987年)、ドラマー、<strong>ローランド・ヴァスケス</strong>の『<em>ザ・タイムズ・オブ・タイム</em>』(1988年)、キーボーディスト、<strong>スティーヴ・バック</strong>の『<em>モア・ザン・ア・ドリーム</em>』(1988年)、ラテン・フュージョン・バンド、<strong>マンテカ</strong>の『<em>ノー・ヒーローズ</em>』(1988年)といった、ユニークなラインナップになっている。これらのうち、最初の３作では、コンポーザー、アレンジャー、コンダクターの<strong>パトリック・ウィリアムズ</strong>がプロデュースを手がけている。実はこのウィリアムズ、サウンドウィングスの立ち上げにも関わっているのである。</p>
<p><img fetchpriority="high" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9810 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny1.png" alt="ニューヨーク、タイムズ・スクエアの風景" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　そしてウィリアムズ自身もサウンドウィングスから、<strong>パトリック・ウィリアムズ・ニューヨーク・バンド</strong>名義のリーダー作をリリースしている。それが今回ご紹介するアルバム『<em>10th アヴェニュー</em>』(1987年)である。ウィリアムズといえば、どちらかというと映画音楽やテレビの音楽の作曲家として知られるひと。サウンドトラック・アルバムのコレクターの間ではお馴染みの作曲家だ。ポップ・ミュージックのオーケストレーションも数多く手がけていて、アメリカでは著名な音楽家なのだが、日本での知名度はきわめて低い。ジャズ/フュージョン系のリーダー作も何枚か発表しているのだけれど、なぜかあまり話題にならない。たぶんわが国では、一部の熱心なフュージョンの愛好家を除いて、それらのアルバムの存在を知るリスナーは、なかなかいないだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　かく云うぼくもそれほど詳しいわけではないのだけれど、わかる範囲でウィリアムズのリーダー・アルバムを挙げてみようと思う。ぼくが所持する彼のレコードでもっとも古いものは、キャピトル・レコードからリリースされた『<em>スレッショルド</em>』(1973年)。シンフォニックなサウンドが際立ったジャズ・ロックあるいはクロスオーヴァー作品といった印象を与える。レコーディング・メンバーは、<strong>マイク・メルヴォイン</strong>(key)、<strong>デニス・バディマー</strong>(g)、<strong>ラリー・カールトン</strong>(g)、<strong>ジム・ヒューアート</strong>(b)、<strong>ジョン・ゲラン</strong>(ds)、<strong>ラリー・バンカー</strong>(perc)、<strong>トム・スコット</strong>(fl, ss, ts)、<strong>マーヴィン・スタム</strong>(tp)といった、のちにフュージョン・シーンで名を揚げることになる腕利きミュージシャンで固められている。さらにホーンズ＆ストリングスが加わるが、トータル・サウンドはけっこう革新的だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムをはじめて聴いたとき、ぼくは<strong>ミシェル・コロンビエ</strong>のセカンド・アルバム『<em>ウィングス</em>』(1971年)を思い浮かべてしまった。コロンビエは映画音楽の作曲家であると同時に、ジャズ、フュージョン、ロック、ポップス、クラシック、それに現代音楽など、幅広いジャンルで活躍するフランス、リヨン出身の音楽家。ミュージック・シーンにおいて、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、そしてプロデューサーといった具合に、総合的に活動する音楽家は数多存在するけれど、ぼくにとっては<strong>ボブ・ジェームス</strong>、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>に次いで敬愛するミュージシャンだ。ただコロンビエのスコアは、ジェームスやグルーシンのそれよりもずっとシンフォニック。そういう意味では、ウィリアムズのスコアリングはコロンビエのそれに近いように思われる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　トランペッターの<strong>ハーブ・アルパート</strong>のプロデュースのもと制作された『<em>ウィングス</em>』は、アルパートの奥さまの<strong>ラニ・ホール</strong>、<strong>ライチャス・ブラザーズ</strong>の<strong>ビル・メドレー</strong>、シンガーソングライターの<strong>ポール・ウィリアムズ</strong>、<strong>シスターズ・ラヴ</strong>の<strong>ヴァーメッタ・ロイスター</strong>などのシンガーがフィーチュアされながらも、オーケストラルなサウンドが際立つ一大組曲となっている。人気ポップ・シンガー、実力派のロック・ミュージシャン、そして歴史ある<strong>パリ国立歌劇場管弦楽団</strong>らを、コロンビエが見事にオーガナイズしてクリエイトしたサウンドは、画期的なポップ・シンフォニー、あるいは先駆的なロック・オラトリオと称されるもの。既成の枠にとらわれない実験的であり革新的な作品だ。そんな『<em>ウィングス</em>』との共通性という観点から、ウィリアムズの『<em>スレッショルド</em>』は再評価されるべきアルバムであると、ぼくは思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それはともかく、ウィリアムズはつづいてドイツに本社を置くMPSレコードから『<em>カム・オン・アンド・シャイン</em>』(1978年)というアルバムをリリースする。リズム・セクションには、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>(key)、<strong>ソニー・バーク</strong>(key)、<strong>スティーヴ・カーン</strong>(g)、<strong>ティム・メイ</strong>(g)、<strong>ジム・ヒューアート</strong>(b)、<strong>トニー・レヴィン</strong>(b)、<strong>グラディ・テイト</strong>(ds)、<strong>スティーヴ・シェーファー</strong>(ds)、<strong>ラリー・バンカー</strong>(perc)、<strong>トゥーツ・シールマンス</strong>(hca)といった錚々たる顔ぶれが並ぶ。やはりホーンズ＆ストリングスが加えられているが、本作では<strong>マルティ・マッコール</strong>、<strong>メリッサ・マッケイ</strong>、<strong>マーナ・マシューズ</strong>といったバッキング・ヴォーカリストがフィーチュアされていて、サウンドにはソウル・テイストが濃厚に加味されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにコロムビア・レコードからリリースされた『<em>アン・アメリカン・コンチェルト</em>』(1980年)では、<strong>ロンドン交響楽団</strong>が全面的にフィーチュアされており、クラシカルな重厚なオーケストレーションと、ファンキーなグルーヴ感やモダンなハーモニーとが組み合わされている。リズム・パートは、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>(key)、<strong>チャック・ドマニコ</strong>(b)、<strong>グラディ・テイト</strong>(ds)、<strong>フィル・ウッズ</strong>(as)らが務めている。かたやアリージャンス・レコードからリリースされた『<em>ドリームズ アンド テーマズ</em>』(1986年)は、ウィリアムズのアルバムにしては珍しくスモール・グループによるフュージョン作。<strong>ドン・グルーシン</strong>(key)、<strong>ロベン・フォード</strong>(g)、<strong>ニール・スチューベンハウス</strong>(b)、<strong>ヴィニー・カリウタ</strong>(ds)、<strong>トム・スコット</strong>(fl, ts, lyricon)、<strong>チャック・フィンドレー</strong>(tp)、<strong>ビル・ワトラス</strong>(tb)らが参加している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">ウィリアムズのキャリアは1960年代の半ばからはじまった</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ほかにもウィリアムズは、<strong>パトリック・ウィリアムズ＆ヒズ・ビッグ・バンド</strong>名義で、アメリカを代表するエンターテイナーのひとり、<strong>フランク・シナトラ</strong>のヒット曲集『<em>シナトラランド</em>』(1998年)、自作曲集『<em>オーロラ</em>』(2010年)を制作。その後、サウンドウィングスから<strong>パトリック・ウィリアムズ＆シンフォニー・オーケストラ</strong>名義で、クラシカルなアルバム『<em>モーメンツ・イン・タイム</em>』(2013年)を発表。さらにカリフォルニアのインディペンデント・レーベルBFM ジャズからビッグ・バンド・スタイルのアルバム『<em>ホーム・スイート・ホーム</em>』(2015年)をリリース。ちなみにBFM ジャズは、有力な独立系デジタル配信会社であるBFM デジタルによって2010年に設立されたのだが、<strong>スティーヴ・ガッド</strong>(ds)、<strong>レニー・ホワイト</strong>(ds)、<strong>エディ・ゴメス</strong>(b)など、大御所のアルバムも多数制作している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『<em>ホーム・スイート・ホーム</em>』では、ウィリアムズが指揮するビッグ・バンドをバックに、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>(p)、<strong>ピーター・アースキン</strong>(ds)、<strong>ダン・ヒギンズ</strong>(as)、<strong>トム・スコット</strong>(ts)、<strong>ボブ・シェパード</strong>(ts)、<strong>アルトゥロ・サンドヴァル</strong>(tp)、<strong>マイケル・スティーヴァー</strong>(tp)、<strong>アンディ・マーティン</strong>(tb)、<strong>パティ・オースティン</strong>(vo)、<strong>フランク・シナトラ・ジュニア</strong>(vo)、<strong>ティアニー・サットン</strong>(vo)といったスタープレイヤーたちがフィーチュアされるという、実に豪華なアルバムだ。あとウィリアムズの自主制作による『<em>ア・ソング・フロム・ザ・ハート</em>』(2024年)というアルバムがあるが、これはクリスチャン・ポップ・シンガー、<strong>エイミー・グラント</strong>が主演した、1999年のテレビ映画にちなんだオリジナル・スコア盤。厳密には、リーダー作ではない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、駆け足でウィリアムズのリーダー作をご紹介してきたが、ぼくが実際に耳にしたものだけでも『<em>ア・ソング・フロム・ザ・ハート</em>』を除いて、都合９枚のアルバムが存在した。個人的に好きなのは、やはり『<em>スレッショルド</em>』『<em>カム・オン・アンド・シャイン</em>』『<em>アン・アメリカン・コンチェルト</em>』といった初期のオーケストラル・アルバム。ウィリアムズは楽器演奏をしないから、どうしてもコンポジションやアレンジメントが際立った作品に視線を注いでしまうのだ。それに異なる音楽の要素が溶け合うという意味で、もっともフュージョンと云えるのはこの３作ではなかろうか。さらに云えば、これもまた個人的なことになるが、リズム・セクションの陣容がもっとも好みなのは、この３作である。敬愛するグルーシンによるフェンダー・ローズの演奏も聴けるし──。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-9811 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny2.png" alt="ニューヨーク、ブルックリン橋の風景" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　補足すると、上記のアルバムのうち『<em>スレッショルド</em>』は1974年、グラミー賞の最優秀インストゥルメンタル・アレンジメント賞を受賞している。また『<em>ドリームズ アンド テーマズ</em>』に収録されている「トゥー・ヒップ・フォー・ザ・ルーム」という曲は、1983年のグラミー賞にノミネートした。さらに『<em>10th アヴェニュー</em>』は1987年のグラミー賞で２部門の候補となり、そして『<em>シナトラランド</em>』もまた1998年にグラミー賞の候補に挙がった。21世紀に入ってからも『<em>オーロラ</em>』と『<em>ホーム・スイート・ホーム</em>』が、合わせて３つのグラミー賞にノミネートされた。そんなわけでウィリアムズの作品は、アメリカにおいて現代のビッグ・バンド・スタンダーズとして位置づけられているのである。にもかかわらず、日本ではまったくと云っていいほど、話題にならないから不思議だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はウィリアムズのキャリアは1960年代の半ばからすでにはじまっていて、名門ヴァーヴ・レコードに『<em>シェイズ・オブ・トゥデイ</em>』(1968年)『<em>シンク</em>』(1968年)『<em>ヘヴィ・ヴァイブレーション</em>』(1969年)といったリーダー作も吹き込んでいる。これらのアルバムをぼくは所持していないが、この度インターネットを通じて試聴してみた。これら３枚のヴァーヴ盤は端的に云うと、イージー・リスニング寄りのビッグ・バンド作品である。ただ、1990年代のいわゆる渋谷系のリヴァイヴァル・ムーヴメントにおいて、イージー・リスニング、エキゾティカ、ボサノヴァなどが、おしゃれなラウンジ・ミュージックとして再評価されたが、ウィリアムズのアルバムもそういったトレンドに乗ってもおかしくないようなコンテンツをもつ。しかしながらいまだに、国内発売はおろかCD化さえ実現されていない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ついでに云うと、上記の３枚のヴァーヴ盤におけるウィリアムズのユニークなビッグ・バンド・スタイルは、当時モッド・ブラスと呼ばれた。最先端を行くブラスという意味なのだろうが、なんにせよウィリアムズがクリエイトしたのは、ポップ・ミュージックの影響を受けた現代的なブラス・サウンド。そんななか、<strong>チャック・レイニー</strong>(b)、<strong>ビル・ラヴォルニャ</strong>(ds)といったリズム隊が打ち出すソウルフルなグルーヴや、<strong>マーヴィン・スタム</strong>(tp)、<strong>ビル・ワトラス</strong>(tb)といったホーン・プレイヤーによるジャジーなアドリブ・プレイが、気っ風よくフィーチュアされる。ラウンジ・ミュージックとして捉えても、かなりラグジュアリアスかつクールなサウンドと感じられる。今後この３枚が、リイヴァリュエート＆リイシューされることを期待したい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお『<em>ヘヴィ・ヴァイブレーション</em>』の冒頭に収録されている「ゲット・バック」は、アメリカの伝説的なスポーツ専門のクイズ番組『スポーツ・チャレンジ』のテーマ曲として使用された。スポーツ実況界のレジェンド、<strong>ディック・エンバーグ</strong>が司会を務めた、人気ロングラン・プログラムである。この番組は1971年から1979年にかけて、コンテンツが各地の放送局へ個別に供給されるブロードキャスト・シンジケーションという方式で、毎週放送された。1977年から1978年のシーズンでは一時的に別のテーマ曲が使われたものの、ウィリアムズの「ゲット・バック」は番組の開始から終了まで長きにわたり使用された。この曲、あまりにも有名な<strong>ザ・ビートルズ</strong>の楽曲が、ジャズ・ファンク調にアレンジされたインストゥルメンタル・ヴァージョンだが、ソウルフルなグルーヴとダイナミックなブラス・サウンドが痛快だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ウィリアムズは40年近くにわたり、65本を超える長編映画の音楽を手がけ、100本以上のテレビ映画やミニシリーズの音楽を作曲した。とはいっても、そのフィルモグラフィを観ると、いわゆるブロックバスター・ムーヴィーや重厚な文芸作品はほとんどなく、興行的に大成功を収めた話題作も皆無に等しい。どちらかというと、だれもがカジュアルに楽しめるエンターテインメント作品が多いように思われる。アカデミー作曲賞においても、<strong>ピーター・イェーツ</strong>監督の『ヤング・ゼネレーション』(1979年)でのノミネートに止まる。その点、ウィリアムズはオールラウンダーな音楽家と思われる。もしかすると、たとえば超多作で知られる日本の映画監督、<strong>三池崇史</strong>のように、オファーがあれば基本的にどんな作品でも拒まないという姿勢の、ビジネスライクかつプロフェッショナルなミュージシャンなのかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いっぽうウィリアムズは、テレビ映画ではわが国でもたいへんな人気を博した『刑事コロンボ』(1968年 &#8211; 2003年)において、９作品のアンダースコアを手がけているが、彼の名前を記憶に留めた日本のファンはまずいないだろう。これは無理からぬことだ。というのも、このシリーズの劇伴の作曲者といえば、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>、<strong>ギル・メレ</strong>、<strong>オリヴァー・ネルソン</strong>、<strong>ジョナサン・チューニック</strong>といった名だたる音楽家を挙げることができるが、彼らの卓越したスコアですら日本で一般に「刑事コロンボのテーマ」として知られる、<strong>ヘンリー・マンシーニ</strong>が作曲した「NBC ミステリー・ムーヴィーのテーマ」のまえでは、霞んで見えるのだから。いずれにせよ、もしウィリアムズが、グルーシンや<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>のように印象的な映像作品の音楽を手がけていれば、その認知度はもう少し向上していただろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">当時がフュージョンの衰退期でなかったらもっと注目された作品</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ウィリアムズは1939年４月23日、ミズーリ州ボンヌ・テールに生まれ(2018年7月25日、79歳没)、10歳のときににコネチカット州へ移り住んだ。同州のダリエン高校に在学中、クラシック・トランペットを学び、自らスウィング系のジャズ・バンドを率いた。その後1961年に、ノースカロライナ州ダーラムに位置するデューク大学で歴史学の学位を取得したが、在学中の最後の２年間には、同大学の学生主導のビッグ・バンド、<strong>デューク・アンバサダーズ</strong>のバンド・リーダーを務めた。卒業後はニューヨーク市へ移り、コロンビア大学の大学院で作曲と指揮を学んだ。ウィリアムズは、1960年代初頭からアレンジャーとしていくつかのレコーディングに関わったが、トランペッターの<strong>クラーク・テリー</strong>が率いるセプテットのアルバム『<em>ホワット・メイクス・サミー・スウィング！</em>』(1964年)のアレンジにおいて、広く知られるようになった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおこのアルバムのレコーディングでウィリアムズは、伝説的な音楽プロデューサー兼レコーディング・エンジニアである<strong>フィル・ラモーン</strong>と出会っている。彼にとってラモーンはその後、長年にわたりジャズやポップスの名盤を共に作り上げることになる、きわめて緊密なコラボレーター。シンガーソングライター、<strong>ビリー・ジョエル</strong>の出世作となった歴史的名盤『<em>ストレンジャー</em>』(1977年)や、<strong>フランク・シナトラ</strong>の晩年のヒット・アルバム『<em>デュエッツ</em>』(1993年)及び『<em>デュエッツ II</em>』(1994年)は、ふたりの共同作業としてはもっとも代表的な作品だ。またラモーンは、ウィリアムズのリーダー作でもバックアップすることが多いのだが、さきに挙げた最初期のアルバム『<em>シェイズ・オブ・トゥデイ</em>』において、すでにエンジニアを務めている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またウィリアムズは、音楽教育の分野でも重要な役割を果たしている。彼はヴァーヴ・レコードと契約する1968年から、すでに活動拠点をカリフォルニア州ロサンゼルスに移していたが、2001年から2006年までの５年間にわたり、プロの音楽家を目指す若手演奏家のための国内屈指の育成プログラムである、ヘンリー・マンシーニ・インスティテュートにおいて芸術監督を務めた。この音楽教育機関は当時、ロサンゼルスを代表するふたつの名門校、南カリフォルニア大学とカリフォルニア大学ロサンゼルス校との音楽部で運営されていたのである(2008年に拠点はフロリダ州のマイアミ大学へ移された)。さらにユタ大学やコロラド大学では客員教授およびコンポーザー・イン・レジデンスを務めたほか、母校であるデューク大学でも教壇に立った(どの大学からも名誉博士号を授与された)。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9812 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny3.png" alt="ニューヨーク、タイムズ・スクエアに佇む女の子" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ぼくがウィリアムズのことをはじめて知ったのは、当時ワーナー・ブラザース傘下にあったフル・ムーン・プロダクションからリリースされた『<em>ブレードランナー</em>』(1982年)というアルバムにおいて。云うまでもなく、<strong>リドリー・スコット</strong>監督による1982年公開のSF映画にちなんだレコードだ。実はこのアルバム、サントラ盤ではなく、<strong>ジャック・エリオット</strong>の指揮のもと<strong>ニュー・アメリカン・オーケストラ</strong>によって吹き込まれたオリジナル・スコア集。音楽を担当したギリシャの作曲家兼シンセサイザー奏者、<strong>ヴァンゲリスが</strong>、アルバム・コンテンツと自己の音楽性とにディレクションの相違を感じたことから、当初サントラ盤の発売を認めなかった(その後1994年にCD化された)。そういう事情から、彼が映画のために書いた楽曲はオーケストラ用にアレンジされ、オリジナル・スコア盤として商品化されたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はこのアルバムのオープニングを飾る「ブレードランナー〜愛のテーマ」のアレンジを手がけたのがウィリアムズだった。ゴージャスなオーケストラをバックに、<strong>トム・スコット</strong>によるアーバンでセクシーなアルトが、なんとも深い味わいを醸し出している。リズム・セクションには、<strong>マイケル・ラング</strong>(key)、<strong>トミー・テデスコ</strong>(g)、<strong>ダン・ファーガソン(</strong>g)、<strong>ニール・スチューベンハウス</strong>(b)、<strong>スティーヴ・シェーファー</strong>(ds)、<strong>イアン・アンダーウッド</strong>(synth)といった、西海岸の一流スタジオ・ミュージシャンがズラリと並ぶ。圧倒的な存在感をもつ<strong>ヴァンゲリス</strong>のオリジナル音源には到底及ばないものの、純粋な音楽作品として捉えれば、ウィリアムズのアレンジとオーケストレーションによる演奏はなかなか力のこもったトラックと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムから数年後に手に入れたのが、<strong>パトリック・ウィリアムズ・ニューヨーク・バンド</strong>の『<em>10th アヴェニュー</em>』である。アレンジと指揮は、もちろんウィリアムズが担当。プロデュースはやはり<strong>フィル・ラモーン</strong>が手がけており、レコーディング・エンジニアは名匠<strong>ドン・ハーン</strong>が務めている。録音は1986年12月、ニューヨーク市のクリントン・レコーディング・スタジオにおいて、オーヴァーダブのないライヴ・デジタル・レコーディング形式で行われた。ホーン・セクションは金管楽器のみで、木管楽器や弦楽器の役割は複数のシンセサイザーが果たしている。そんなユニークなオーケストラと東海岸のファーストコール・ミュージシャンによるリズム・セクションとが織り成すサウンドは、まさにフュージョンと呼ぶべきものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　レコーディング・メンバーは、<strong>リチャード・ティー</strong>(p, elp)、<strong>ジェイ・グルスカ</strong>(synth)、<strong>ケニー・アッシャー</strong>(synth)、<strong>ロブ・マウンジー</strong>(synth)、<strong>チャック・ローブ</strong>(g)、<strong>ネイザン・イースト</strong>(b)、<strong>スティーヴ・ガッド</strong>(ds)、<strong>ラルフ・マクドナルド</strong>(cg, perc)、<strong>デイヴ・ケアリー</strong>(perc)、<strong>ゴードン・ゴットリーブ</strong>(perc)、<strong>マイケル・ブレッカー</strong>(ts)、<strong>アラン・ルービン</strong>(tp)、<strong>ジョン・フロスク</strong>(tp)、<strong>マーヴィン・スタム</strong>(tp)、<strong>ランディ・ブレッカー</strong>(tp)、<strong>ボブ・カーライル</strong>(hr)、<strong>ジェリー・ピール</strong>(hr)、<strong>ラリー・ウェクスラー</strong>(hr)、<strong>ポール・イングラハム</strong>(hr)、<strong>ピーター・ゴードン</strong>(hr)、<strong>ビル・ワトラス</strong>(tb)、<strong>ウェイン・アンドレ</strong>(tb)、<strong>デヴィッド・テイラー</strong>(tb)、<strong>ポール・フォーリス</strong>(tb)、<strong>ハーヴィー・フィリップス</strong>(tub)となっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　オープニングを飾るウィリアムズのオリジナル・ナンバー「10th アベニュー」では、ガッド＆マクドナルドによる躍動感溢れるリズム、ティーのゴスペル・タッチのバッキング、ローブの歪みサウンド、そしてシンセとブラスとによるソウルフルなアンサンブルが、アーバンな世界を描き出す。<strong>ポール・サイモン</strong>の「時の流れに」では、ティーのゴスペル・ピアノの深い味わいも然ることながら、ブラスの複雑なヴォイシングが素晴らしい。ウィリアムズらしい面目躍如たるアレンジだ。ウィリアムズの自作曲「ハー・ソング」では、美しいオーケストラ・サウンドをバックに、<strong>マイケル・ブレッカー</strong>がテナーで洗練されたバラード・プレイを披露する。<strong>ビリー・ジョエル</strong>の「ニューヨークの想い」では、バロック風のパートを交えたビッグ・バンド・サウンドがダイナミックに展開される、ブレッカーのテナーの鳴き具合もいい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ナット・アダレイ</strong>の「ジャイヴ・サンバ」では、スタイリッシュかつファンキーなフュージョン・サウンドを背景に、スタムと<strong>ランディ・ブレッカー</strong>とがソロ・バトルを繰り広げる。<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>の「ザ・ウィッチング・アワー」では、ポップでソフィスティケーテッド、そして圧倒的にキャッチーなビッグ・バンド・サウンドが展開される。ワトラスのトロンボーンも、相変わらず卓越した演奏能力が発揮されている。<strong>ヴィクター・フェルドマン</strong>の「ザ・チャント」では、シャッフル・リズムに乗ってマウンジーによるブレス・コントローラを使ったシンセが弾ける。ガッドのソロも圧巻だ。<strong>ポール・マッカートニー＆ウィングス</strong>の「夢の旅人」では、モダンなブラス・アンサンブルのノスタルジックな美しさと、ブレッカーのトランペットの透きとおるようなトーンとが見事に溶け合い、深い余韻を残しながらアルバムを締めくくる。そんな本作、当時がフュージョンの衰退期でなかったら、もっと注目されただろうな──。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
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		<title>Junior Mance / Junior (1959年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 04 Oct 2026 06:38:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Junior Mance]]></category>
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					<description><![CDATA[第一線級のソウルフル・ピアニスト、ジュニア・マンスの節度を保持した極上の語り口が遺憾なく発揮された、デビュー作にして貫禄のある名盤『ジュニア』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">第一線級のソウルフル・ピアニスト、ジュニア・マンスの節度を保持した極上の語り口が遺憾なく発揮された、デビュー作にして貫禄のある名盤『ジュニア』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Junior Mance / Junior (1959)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Love For Sale</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">決して弾きまくらないソウルフルなジャズ・ピアニストのトップランナー</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ジュニア・マンス</strong>というと、すぐに思い浮かぶのは『<em>ジュニア</em>』(1959年)というアルバム。ことあるごとにリイシューされる、日本でもたいへんな人気を誇るいわゆる名盤だ。マンスにとっては初リーダー作に当たるが、一般的には彼の最高傑作と云われている。これにはいささか問題がある。マンスはそれ以降も2010年代まで50枚以上のアルバムを発表しているのだけれど、取り沙汰されるのは常に『<em>ジュニア</em>』なのである。かくいうぼくも、いままさにこのアルバムを採り上げているのだから、ひとのことは云えないな。まあそれだけ『<em>ジュニア</em>』が素晴らしい作品ということになるのだが、では<strong>ジュニア・マンス</strong>自身は、人気の点ではどうかというと、<strong>レッド・ガーランド</strong>、<strong>トミー・フラナガン</strong>、<strong>レイ・ブライアント</strong>といった同時代のピアニストと比較すると、やや後塵を拝するように思われる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いま思いつくままに３人のピアニストを挙げてしまったが、それはぼくがマンスのアルバムを集中的に聴いていた時期が、ちょうどこの３人の演奏に親しんでいたときと重なるからだ。ガーランドのことはご多分に漏れず、<strong>マイルス・デイヴィス・クインテット</strong>のメンバーとして認知し、にわかにその独特のブロック・コード奏法やコンピングの仕方に聴き馴染んだ。フラナガンの場合は、ほどよいスウィング感と洗練された美しいタッチ、さらにその卓越した音楽性に強く惹かれた。そしてブライアントはといえば、ファンキーでブルース・フィーリング溢れる歌ごころも然ることながら、特にゴスペルとブギウギとが交錯するような個性的な奏法に圧倒された。彼らのプレイはほとんどの場合、一聴でそれとわかる魅力に溢れている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そのいっぽうで、マンスはいくぶん地味に映る。むろん上記の３人に比べて魅力や活気に欠けているわけではなく、云うなれば上品で落ち着いているのである。マンスにとって、若いころのアイドルはブギウギ・ピアニストだったという。その後、<strong>アート・テイタム</strong>、<strong>バド・パウエル</strong>、<strong>オスカー・ピーターソン</strong>といった、どちらかというとヴァーチュオシックなピアニストから影響を受けている。つまり彼は高度な演奏技術を身につけているし、そのパフォーマンスには人間味溢れるアーシーでダイナミックな味わいがある。その点、ソウルフルなジャズ・ピアニストとしては、トップランナーのひとりと云っても過言ではないだろう。そうかといってマンスは、決して行き過ぎた演奏をしない。ひとことで云うと、弾きまくらないひとということになる。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9319 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa1.png" alt="ピアノを弾く犬のぬいぐるみ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　実は当時ヴァーヴ・レコードの所属アーティストとして先輩に当たる<strong>オスカー・ピーターソン</strong>が、同レーベルから『<em>ジュニア</em>』がリリースされた際、マンスを絶賛するコメントを寄せている。まあプロデューサーの<strong>ノーマン・グランツ</strong>に頼まれて、多少のリップサービスもあったのかもしれないが、なかなか示唆に富んだものだ。ピーターソンといえば、鍵盤の皇帝の異名をとるほどの圧倒的な超絶技巧の持ち主。その10本の指は、凄まじい音数とスピードで鍵盤上を縦横無尽に駆け巡る。つまりマンスとは反対に、弾きまくるピアニストだ。そんな彼が抑制を利かせながら端正に弾くマンスのことを高く評価しているのが、実に興味深い。しかもピーターソンの見解はまさに云い得て妙で、マンスのジャズ・ピアニストとしてのチャームポイントを、非常に巧みに、そのうえ的確に云い表しているのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　せっかくだから、ピーターソンのコメントをここに引用させていただく。まず彼は「実験的な試みに走るもの、あるいは単に拙いだけのプレイヤーが溢れるジャズの世界において、<strong>ジュニア・マンス</strong>が自身の楽器を通じて提示するアイディアの明快さと瑞々しさは、実に新鮮な響きをもっている。彼はジャズに不可欠かつ根源的な要素であるスウィング感をしっかりと保持しながら、同時に圧倒的な情感を演奏に込めるという、稀有な才能の持ち主だ」といった具合に、マンスの音楽性を評価している。つまりマンスは奇をてらったりせずに、既存の枠組みのなかで新しい音や手法を試みるスタンスをとっているのである。したがってアルバム『<em>ジュニア</em>』は、ジャズの醍醐味であるスウィング感、即興演奏をストレートに楽しむことができる作品と云うことができる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにピーターソンは「現代のジャズ・ピアニストという枠組みで捉えるならば、<strong>ジュニア・マンス</strong>こそが新たな方向性を示していると確信している。というのも彼のアイディアには一貫性と多様性があり、それが演奏にあたかも物語を語るような深みを与えているからだ。アルバム『<em>ジュニア</em>』を聴けば、彼が音楽を通じて語りかけるすべてのことに魅了されるはずだ。そして信じてほしい、この若き才能には、まだ語り尽くされていない豊かな可能性が秘められているということを」と述べている。マンスも尊敬おく能わざるピーターソンの称賛に、さぞや喜んだことだろう。いやはや、ピーターソンにここまで見事に語られてしまうと、もはやこれ以上補足することはないように思われるのだけれど、マンスのいちファンとして、ぼくなりにおさらいをさせてもらう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ジュニア・マンス</strong>というジャズ・ピアニストは、ピーターソンのコメントに従ってひとことで云い表わすと、トラディショナル・モダニストと呼ぶことができるのではなかろうか。まず彼のスタイルは、実験主義へのアンチテーゼと捉えることができる。アヴァンギャルドで難解になりつつあった当時のモダン・ジャズ・シーンにおいて、マンスのプレイは明快かつ新鮮、しかもこころが洗われるように爽やかだ。アルバム『<em>ジュニア</em>』の人気は概ねこの点にあると思われるのだけれど、本作ではわかりやすくて心地いいという、音楽鑑賞においてなにものにも代えがたい聴きやすさが、圧倒的なアドヴァンテージとなっている。個人的にも、本盤をターンテーブルに載せる機会がきわめて多いのは、そういう理由からだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そして、さらにつけ加えるべきマンスの魅力といえば、エモーションとスウィングとの両立である。彼の演奏では、ブルース・フィーリングに代表される強い感情が表現されながらも、ジャズの根底にあるスウィングという躍動感が是が非でも失われることがないのだ。しかもそのパフォーマンスには、ある種のドラマ性がある。感情の動き、あるいは平場と山場とのコントロール、そしてそれらに伴う展開の面白さは極上だ。マンスが繰り出すフレーズには一貫性と多様性があり、過言を恐れずに云うと、まるで音楽で物語を語っているかのようなところがある。ぼくはさきにマンスのことを、弾きまくらないひとと云った。本人が意識しているのかどうかは定かでないが、彼の演奏は無駄な部分をもたない、実に細部まで注意が行き届いたものなのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">幼少期から抜きん出た才能を発揮し10歳からプロとして活動する</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これはときどき耳にすることなのだけれど、おそらくこの『<em>ジュニア</em>』におけるマンスのプレイがその後のアルバムでのそれと比較すると、いささか控えめに聴こえるからだろう、このパフォーマンスについて、初リーダー作での演奏であるが故に彼の本領はまだ発揮されていないという声がある。確かにジャズ・ミュージシャンの初リーダー作のなかには、レコード会社やプロデューサーの意向によって、本人が本当にやりたいプレイが制限されて制作されるものもあるのだろう。また、ミュージシャン自身の気負いから、安全運転になり過ぎたり、逆に手数が多くなり過ぎたりして本来の個性が埋もれてしまうケースもあると思われる。しかしながら、この『<em>ジュニア</em>』の場合は例外で、マンスのプレイは大人しいというよりは、細かいところまで入念に整っているのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういう意味では、やはり『<em>ジュニア</em>』をマンスの最高傑作と云いたくなってしまう。つまり本作は、第一線級のソウルフル・ピアニストの節度を保持した極上の語り口が遺憾なく発揮された、デビュー作にして貫禄のある名盤なのである。実際このアルバムは発売当初から、日本だけでなくアメリカ本国でも高い評価を得た。マンスはこのあと<strong>オリン・キープニュース</strong>と<strong>ビル・グラウアー</strong>とによってリヴァーサイド・レコード傘下に創設されたばかりのレーベル、ジャズランド・レコードに移籍。セカンド・アルバム『<em>ソウルフル・ピアノ</em>』(1960年)を発表するが、タイトルどおりここでの彼は、ビターなブルース・フィーリングを十二分に発散しながら、それでもオーヴァーな表現をせずシンプルなフレーズを粛々と綴っている。実に快調である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このころのマンスはすでに、アメリカのジャズ・シーンではもちろんのこと、世間一般でも大きな期待を寄せられる存在となっていた。それもこれも彼が発表した『<em>ジュニア</em>』によって、一躍脚光を浴びたことによる。ちなみにマンスは1961年、ジャズ、ブルース、そしてジャズの範疇を超えたそれ以前の音楽を専門に扱うアメリカの音楽雑誌「ダウン・ビート」の国際批評家投票による新人ピアニストの第１位に選ばれている。これは日本のジャズ・ファンにとっては、ちょっと意外なことかもしれない。わが国では間違いなく、マンスよりも<strong>レッド・ガーランド</strong>、<strong>トミー・フラナガン</strong>、そして<strong>レイ・ブライアント</strong>のほうがずっと人気があるからだ。もしこの拙文を読んでマンスのことが気になったら、ぜひ『<em>ジュニア</em>』以外のマンスのアルバムにも手を出していただきたい。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9320 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa2.png" alt="コントラバスを演奏する犬のぬいぐるみ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　むろん『<em>ジュニア</em>』はマスターピースと云えるのだが、くれぐれも、これだけ聴けば十分などとは思わないでいただきたい。彼は速いペースではないけれど、50年以上にもわたり高品質の作品を世に送り出してきたのである。なかにはハープシコードが採用された作品やフュージョン・アルバムもあるが、概してソウルフル・ジャズ・ピアニストのトップランナーとしての面目躍如たるプレイが披露されている。個人的によく聴いているのは、前述の『<em>ソウルフル・ピアノ</em>』をはじめ『<em>ビッグ・チーフ</em>』(1961年)『<em>ハッピー・タイム</em>』(1962年)といった、ジャズランド・レーベルのトリオ作品。ミシガン州デトロイトのマイナー・レーベル、チューバ・レコードからリリースされた『<em>ザ・グッド・ライフ</em>』(1967年)もまた、ポップなセンスが際立った、それでいてエレガントな魅力に溢れた佳作である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ジュニア・マンス</strong>は1928年10月10日、アメリカ、イリノイ州エヴァンストンに生まれた。本名は<strong>ジュリアン・クリフォード・マンス・ジュニア</strong>というのだが、家族の間ではピアニストだった父親と区別するためにジュニアと呼ばれていた。そしてその愛称がそのまま、プロとしてのキャリアを通じて定着したのだった。マンスは５歳のとき、自宅にあったアップライト・ピアノで演奏をはじめた。父のジュリアンは、彼にストライド・ピアノやブギウギの弾きかたを教えていたが、マンスが10歳になると、シカゴでプロのピアニストとして演奏することを許可した。この出来事は、おなじアパートメントの上階に住むサックス奏者が、病気になったピアニストの代役を探していたことに端を発する。マンスは幼少期から、抜きん出た才能を発揮していたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そうはいっても母親のほうは、地元エヴァンストンにあるノースウェスタン大学で医学を学ぶよう、マンスに勧めた。しかしながら彼は結局、シカゴのルーズヴェルト大学へ通うことになった。しかもマンスは医学部進学課程の履修を強く勧められていたのにもかかわらず、最終的に音楽の授業に登録してしまった。ところが彼は、学部の方針でジャズが禁止されていることを知り、その年を終えることなく大学を退学してしまう。在学中の1947年、マンスはシカゴではじめてテナー奏者の<strong>ジーン・アモンズ</strong>と共演。彼は練習室でジャズを演奏しているところを見つかり停学処分を受けた１週間には、アモンズとともにニューヨークに赴き演奏活動を行った。そして1949年、マンスはテナー奏者兼クラリネット奏者の<strong>レスター・ヤング</strong>と出会うことになる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それはヤングがシカゴのコンゴ・ラウンジに、アモンズの演奏を聴きに訪れたときのこと。ヤングは、自己のバンドのピアニストを務めていた<strong>バド・パウエル</strong>がシカゴ行きの飛行機に乗り遅れたため、その代役を探していたのだが、マンスのプレイを気に入って彼をピンチヒッターとして起用したのである。その際ヤングは、マンスのことをアモンズのバンドの専属ピアニストではなく、単なる代役と思い込んでいたらしい。しかしながら、アモンズはちょうど<strong>スタン・ゲッツ</strong>の後任として<strong>ウディ・ハーマン楽団</strong>への加入を打診されていたところだったので、喜んでマンスをヤングのもとへ送り出したのだという。マンスはその年、サヴォイ・レコードにおいてヤングとレコーディングを行い、翌年の1950年にはプレスティッジ・レコードにおけるアモンズと<strong>ソニー・スティット</strong>との共演盤のレコーディングにも参加した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これは余談だが、アモンズとスティットの共演といえば、ヴァーヴ・レコードからリリースされた『<em>ボス・テナーズ</em>』(1962年)がよく知られている。ところで、このアルバムはふたりの10年ぶりの再会セッションとして企画されたもので、このプロジェクトの原点となるのが、上記のプレスティッジ・レコードにおけるレコーディングなのだ。再会セッションに収録されているバトル・チューン「ブルース・アップ・アンド・ダウン」は、もともとプレスティッジの10インチ盤『<em>バトル・オブ・ザ・サクセス</em>』(1951年)のオープナーの再演である。この10インチ盤には、アモンズとスティット以外のクレジットが記載されていないが、マンスのプレイは全８曲のうち２曲で聴くことができる。残りの６曲でピアノを弾いているのは、スティットのバンドの当時のピアニスト、<strong>デューク・ジョーダン</strong>だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">ジャズ・ファーストタイマーにも親しみやすいこと請け合いのアルバム</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それはさておき、アモンズ vs. スティットの『<em>バトル・オブ・ザ・サクセス</em>』がリリースされた1951年、マンスはアメリカ陸軍に徴兵された。基礎訓練を終えたあと朝鮮半島へ派遣される予定だったが、その２週間まえに当時、<strong>第36陸軍ダンス・バンド</strong>のリーダーを務めていたアルト奏者、<strong>キャノンボール・アダレイ</strong>の尽力により、同バンドのメンバーとなる。その流れから彼は、ケンタッキー州のフォート・ノックス陸軍基地で、中隊の事務係を務めることになった。そして1953年、マンスは除隊すると、ときを移さずシカゴのジャズ・クラブ、ザ・ビー・ハイヴ・ラウンジで働きはじめる。<strong>イスラエル・クロスビー</strong>(b)、<strong>バディ・スミス</strong>(ds)とともに、同店のハウス・リズム・セクションを掌った。フロントプレイヤーのなかには、ビバップの父、アルト奏者の<strong>チャーリー・パーカー</strong>もいた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　マンスはザ・ビー・ハイヴ・ラウンジで１年近くハウス・ピアニストを務めたが、1954年にパーカーの勧めでニューヨークへ移る。時をおかず、ブルースの女王の異名をとるジャズ・シンガー、<strong>ダイナ・ワシントン</strong>のバッキング・バンドで、アカンパニストとして活動を開始する。それまでバンドのピアニストは、あの<strong>ウィントン・ケリー</strong>が務めていたのだが、彼が徴兵されたのを機にマンスがその後釜に座った。マンスはワシントンのアルバム『<em>アフター・アワーズ・ウィズ・ミス &#8220;D&#8221;</em>』(1954年)のレコーディングに参加したあと、２年間にわたり彼女とツアーを行い、その間にバンドのアレンジャーだったピアニスト、<strong>ジミー・ジョーンズ</strong>から伴奏の技術を学んだりもしている。そして1956年には陸軍時代の恩人、<strong>キャノンボール・アダレイ</strong>のグループに合流する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　マンスはアダレイのアルバム『<em>イン・ザ・ランド・オブ HI-FI ウィズ・キャノンボール・アダレイ</em>』(1956年)のレコーディングに参加したあと、<strong>サム・ジョーンズ</strong>(b)、<strong>ジミー・コブ</strong>(ds)、<strong>ナット・アダレイ</strong>(cor)らとともに、<strong>キャノンボール・アダレイ・クインテット</strong>の正式メンバーとなる。ちなみにマンスと<strong>キャノンボール・アダレイ</strong>は、エマーシー・レコードが展開した共通タイトルの企画シリーズにおけるワシントのアルバム『<em>イン・ザ・ランド・オブ HI-FI</em>』(1956年)のレコーディングにも、仲良く参加している。クインテット解散後のふたりといえば、アダレイは1957年に<strong>マイルス・デイヴィス・セクステット</strong>に、いっぽうマンスは1958年に<strong>ディジー・ガレスピー</strong>のバンドにそれぞれ参加。奇しくもこのとき、マンスはまたもや<strong>ウィントン・ケリー</strong>の後任だった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9321 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa3.png" alt="ドラムスを叩く犬のぬいぐるみ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　マンスは、ガレスピーのリーダー作『<em>ハヴ・トランペット・ウィル・エキサイト</em>』(1959年)のレコーディングに参加する。ガレスピーのアルバムにしては珍しく積極的にジャズ・スタンダーズが採り上げられており、しかもそれらには彼なりの新しい解釈が施されている。クインテット(１曲のみ<strong>カルロス “パタート” バルデス</strong>がコンガで加わる)での演奏だが、ガレスピーの切れ味の鋭いソロも然ることながら、マンスの弾けるようなスウィング感とスピード感が光る、アーシーでソウルフルなタッチが痛快。さらに<strong>レス・スパン</strong>のギター＆フルートがフレッシュで、本作は胸のすくような好盤となっている。とにもかくにも、ここでのマンスのプレイは、そのキャリア初期を代表する圧倒的な名演と云っても過言ではないだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『<em>ハヴ・トランペット・ウィル・エキサイト</em>』はヴァーヴ・レコードからリリースされたのだが、同レーベルの創設者でもあるプロデューサーの<strong>ノーマン・グランツ</strong>は、このセッションでのマンスのプレイにいたく感激した。そしてグランツは、即座にマンスのリーダー・アルバムを制作することを決意。ガレスピーのアルバムが吹き込まれた1959年２月からおよそ１か月半ののち、1959年４月９日ニューヨークにおいて、マンスの初リーダー作『<em>ジュニア</em>』のレコーディングが行われた。サイドに<strong>オスカー・ピーターソン・トリオ</strong>のベーシスト、<strong>レイ・ブラウン</strong>、ガレスピー・バンドの僚友でもあるドラマー、<strong>レックス・ハンフリーズ</strong>を迎えた、当時のマンスにとっては、これ以上ない最高峰のクオリティを備えたピアノ・トリオでの吹き込みとなった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いずれにしても、はじめてマンスの演奏を聴くのなら、まずはこの『<em>ジュニア</em>』を手にとるべきだろう。マンスのアルバムのなかでも特に本作はブルース・フィーリングとアーシーな魅力に溢れた、それでいて楚々たる佇まいが深みを感じさせる、ファンキー・ジャズの傑作だからだ。なによりも、小難しさや近寄りがたさがないのがいい。その点、ジャズ・ファーストタイマーにも親しみやすいこと請け合いである。オープニングを飾る<strong>ベニー・グッドマン</strong>作の「ア・スムース・ワン」から、マンスの軽快で洗練されたスウィング感と滑らかなタッチに惹きつけられる。ソウルフルなイントロからリラクゼーションに富んだテーマへ移行。テンポはオリジナルとほとんど変わらないが、ブルージーなムードはこちらのほうが圧倒的だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この曲、シンプルなリフがベースとなっているのにもかかわらず、最後までまったく飽きさせられることはない。それはひとえに、マンスのリスナーの気持ちを徐々に刺激し高めていくようなフレージングによるもの。かといって気負わないところが、いかにも彼らしい。つづく「ミス・ジャッキーズ・ディライト」は、<strong>デイヴ・ブルーベック・クァルテット</strong>のベーシストを長く務めた、<strong>ジーン・ライト</strong>の曲。マンスはこの曲をすでに、<strong>キャノンボール・アダレイ</strong>のエマーシー盤『<em>ソフィスティケーテッド・スウィング</em>』(1957年)でプレイしている。そのせいかここでの彼は泰然自若で、明るく弾むようなリズム感をもってして、玉を転がすようにブルージーなフレーズを繰り出しつづける。ブラウンの強靭なベース・ワークも圧巻だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　テナー奏者、<strong>ベニー・ゴルソン</strong>の代表曲「ウィスパー・ノット」では、メランコリックでレイジーな曲調に、マンスの上品なブルース・フィーリングにマッチしている。マイナー調の曲でも彼の手にかかると、重苦しさがなくなるどころか、軽やかで爽やかにすら響く。つづく<strong>コール・ポーター</strong>の有名曲「ラヴ・フォー・セール」では、アルバム中もっとも速いテンポに乗って、マンスが軽妙に疾走する。ブロック・コードとシングル・トーンとを織り交ぜた展開が、なんともグルーヴィーだ。A面を締めくくる<strong>ピーター・デ・ローズ</strong>のバラード「ライラックス・イン・ザ・レイン」では一転して、マンスがほどよくブルージーに豊かなリリシズムを発揮する。B面トップの<strong>ホーギー・カーマイケル</strong>作の「スモール・フライ」では、マンスのウィットに富んだタッチにこころがほぐれる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　マンスの自作曲「ジュビレイション」では、彼のゴスペル・スピリッツが溢れるエクスプレッションが、ハッピーなファンキーネスを生み出している。ブラウンの巧妙なサポートもスタイリッシュな彩りを添えている。<strong>ディジー・ガレスピー</strong>の有名曲「バークス・ワークス」では、マンスのブルース・フィーリングが全開。ここでの彼は豪快にスウィングするが、アルバム中もっともエキサイティングな演奏となっている。トリオの一体感も素晴らしい。マンスのオリジナル「ブルース・フォー・ビヴァリー」では、スローテンポでの彼のダウンホームなブルース・プレイを、ひたすら堪能することができる。ブラウンのソロも秀逸だ。やはりマンスの自作曲である「ジュニアズ・チューン」では、マンスの軽妙洒脱なスタイルが顕著に現れる。<strong>コン・コンラッド</strong>の「ザ・コンチネンタル」の引用まで飛び出してくる。この曲のスッキリしたあと味が、アルバムに好印象を与えているようにも思われる。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Henry Mancini / Breakfast At Tiffany&#8217;s &#8211; Music From The Motion Picture Score (1961年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 27 Sep 2026 06:54:41 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Soundtrack]]></category>
		<category><![CDATA[Henry Mancini]]></category>
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					<description><![CDATA[名曲「ムーン・リヴァー」を生んだ、オードリー・ヘプバーン主演のロマンティック・コメディの名作映画『ティファニーで朝食を』のヘンリー・マンシーニによるスタイリッシュなリレコーデッド・スコア盤]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">名曲「ムーン・リヴァー」を生んだ、オードリー・ヘプバーン主演のロマンティック・コメディの名作映画『ティファニーで朝食を』のヘンリー・マンシーニによるスタイリッシュなリレコーデッド・スコア盤</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
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<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Henry Mancini / Breakfast At Tiffany&#8217;s &#8211; Music From The Motion Picture Score (1961)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Breakfast At Tiffany&#8217;s</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">原作は20世紀アメリカ文学界を代表するトルーマン・カポーティの小説</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくには、あまりにも有名過ぎてご紹介するのに気恥ずかしくなるようなレコードが、何枚かある。理由はいたって単純で、多くのひとによって聴かれ、そして語られた音楽作品について、いまさらぼくが駄弁を弄しても、だれのためにもならないと思われるからだ。それでも最近なんとはなしに、この映画『ティファニーで朝食を』のオリジナル・サウンドトラック・アルバム(厳密にはサントラ盤ではない)を聴いていたら、万感胸に迫るものがあったものだから、思いつくままに筆を走らせてみることにした。むろんこのレコードが、ぼくにとって長年の愛聴盤であり、擦り切れるほど聴いた１枚であることをあらかじめ申し上げておく。でも実のところこのレコード、擦り切れるようなことはまったくなく、いまもなかなかいい音がするから不思議だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくが所有するLPレコードは、1974年にビクター音楽産業(現在のビクターエンタテインメント)が発売した日本盤。購入したのは発売から数年後のことで、ぼくが小学校６年生のときである。アルバムのタスキには、かつて集英社が刊行していた映画雑誌「ロードショー」の第12回推薦サントラ盤と記されていた。本盤は、すでに映画の本邦公開にあわせて1961年に発売されていた国内盤がリイシューされたレコード。演奏は<strong>ヘンリー・マンシーニ楽団とコーラス</strong>と表記されているが、収録曲はすべて、<strong>ヘンリー・マンシーニ</strong>の指揮のもと<strong>ハリウッド・スタジオ・シンフォニー</strong>がフィルムスコアリング形式で演奏したアンダースコアを、マンシーニ本人がリアレンジおよびレコーディングしたもの。つまり、サウンドトラックではなくレコード用のオリジナル音源なのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　マンシーニは、フィルム・ヴァージョンとは別に、商品化のためのフルレングス・ヴァージョンをレコーディングすることで有名。映像から離れても鑑賞するに足る音楽をリスナーに提供するという、映画音楽の名匠のこだわりである。ちなみに2013年、カリフォルニア、オークランドに拠点を構える映画やテレビドラマのサウンドトラック専門の老舗CDレーベル、イントラーダ・レコードが、映画本編で使用されたオリジナルの演奏による完全版スコア・アルバムをリリースしている。このCD盤は、映画で主役のホリー・ゴライトリーを演じた<strong>オードリー・ヘプバーン</strong>自身のギターによる弾き語り音源が、サウンドトラック・アルバムとしてはじめて収録されたことで大きな話題となった。また軽快なレコード音源とは異なり、重厚感のあるオーケストラ・サウンドが印象的なフィルム音源に、驚かれた向きも多いだろう。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9757 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/tiffany1.png" alt="「ティファニーで朝食を」のオードリー・ヘプバーン (青い背景)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/tiffany1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/tiffany1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　さて、あとになったが、映画『ティファニーで朝食を』は、<strong>ブレイク・エドワーズ</strong>監督、<strong>オードリー・ヘプバーン</strong>と<strong>ジョージ・ペパード</strong>主演によるロマンティック・コメディ。ヘプバーンにとっては間違いなく代表作のひとつであるが、ぼくとしてはむしろ、物語の主人公ホリーがヘプバーンを代表する役という云いかたをしたい。原作は、繊細で美しい文体と緻密な構成で20世紀アメリカ文学界を代表する、華麗さと陰りをもった天才小説家、<strong>トルーマン・カポーティ</strong>による1958年発表の同名小説。ぼくは大学でアメリカ文学を専攻していたので、もちろんこの小説を読んでいるし、カポーティの自伝的小説『遠い声 遠い部屋』(1948年)やノンフィクション・ノヴェル『冷血』(1966年)は、好きな作品だ。そして、カポーティが生んだ奔放な魅力と強い孤独を抱えた女性、ホリーも好きなキャラクターである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ホリーは、郵便受けの表札に「旅行中」と書き、名前も過去も変えて生きる根無し草のような存在。ニューヨークの社交界で、裕福な男性たちの求愛を巧みにあしらいながら、お洒落をして気ままに渡り歩いている。しかしながらその華やかな姿の裏では、幼い頃の貧しい身寄りのない経験、愛する弟の死による深い孤独と不安を抱えている。また、形式ばった偽善や世間の見栄を鋭く見抜くいっぽうで、どこか優しさも併せもつ。物語の語り手同様、ぼくも小説を読みすすめるうちに、彼女のミステリアスなプロフィールと奇妙なライフスタイルにすっかり魅了されたものである。ただしこの小説を読むかぎりでは、定職につかず、金もちの男性たちと交際することで生活するという、ホリーの女性像からヘプバーンを想像するのは困難と思われる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくは映画を観たあとに原作小説を読んだのだが、それでも活字を追いながらアタマにヘプバーンの顔が浮かぶことはなかった。ヘプバーンにホリーが配役されたことに対し、カポーティも当初は「ひどいミスキャストだ」と公言していた。彼は<strong>マリリン・モンロー</strong>が適役と、考えていたらしい。実はヘプバーン自身も外交的な性格のホリー役に対し「自分は内向的な人間だから」と及び腰になっていた。しかしながら、映画は大ヒット。そして、それまで清純派だったヘプバーンが清純でないホリーを演じて以来、映画のなかの女性像が変わったとも云われたのである。さらに映画の冒頭シーンで、ヘプバーンが身にまとっている<strong>ユベール・ド・ジバンシィ</strong>がデザインしたシンプルな黒のカクテルドレスは、20世紀のファッション史を代表するリトルブラックドレスであるとともに、史上もっとも有名なドレスと云われている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これもまた広く知られていることなので、いまさら語ることではないのだろうが、この『ティファニーで朝食を』という作品、原作と映画とではずいぶんと味わいが異なる。ひとことで云うと、原作はビターで映画はスウィート。原作小説は、第二次世界大戦下のニューヨーク、マンハッタンのアッパー・イースト・サイドにある、ブラウンストーン造りのアパートメントを舞台に、自由奔放に生きる魅力的な女性、ホリーと彼女に惹かれる青年作家との交流が描かれたアメリカ文学の傑作。華やかな社交界の裏にある人間の孤独、自分の居場所を探し求める切なさが、いかにもカポーティらしい洗練された美しい文体で綴られている。物語は、ホリーの住むアパートの階下に越してきた駆け出しの小説家である「ぼく」(名前は記されていない)の目線で語られる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　小説のなかのホリーは、セレブや富豪たちに囲まれながらも、どこか捉えどころがなく、気まぐれで天真爛漫な20歳まえの女性。語り手の「ぼく」は、彼女の不思議な魅力や孤独、そして過去の影に触れながら、友人として深い絆を結んでいく。まずこの「ぼく」だが、実は同性愛者寄りに描かれていて、ホリーとはプラトニックな関係というか、飽くまで友情で結ばれている。ところが映画のほうでは、ヘプバーン演じるホリーとペパード演じる作家志望の青年ポール(名前がある)は、恋人同士になる。ポールにはパトロンの女性がいるのだけれど、最終的にはホリーと結ばれることになる。つまり映画では、主人公と語り手の作家との恋愛が中心に描かれているのである。原作者のカポーティはそのあたりを「薄っぺらく甘ったるい」と評している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　とはいっても、カポーティは「美しい映画になった」とも云っているのだ。まあ彼は、圧倒的な天才性の持ち主であると同時に、その強烈なこだわりや奇矯な行動から稀代の変人として知られるひと。カポーティの極端に繊細でナイーヴな性格や、人を惹きつけつつも裏切ってしまう奇妙なカリスマ性は、彼が代表作『冷血』を取材し書き上げるまでの逸話が中心に描かれた、<strong>ベネット・ミラー</strong>監督による伝記映画『カポーティ』(2005年)などで、語り継がれている。実のところカポーティは映画『ティファニーで朝食を』に対して、後年のインタビューで「こんなにひどいミスキャストの映画は見たことがない」「<strong>ブレイク・エドワーズ</strong>みたいな無能な監督には、引っ張ってきてツバを吐きかけてやりたいくらいだ！」と述懐していたりする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">映画版の主人公はだれもが憧れる小悪魔的で愛らしいアイコンへと昇華</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ヘプバーンに関してもカポーティは「あの役をオードリーがやると決まったときには、ショックで怒りに震えたよ」とまで云っている。でもそれに反して、映画化に際してキャスティングが決定したときは、ヘプバーンに直筆で「このたびは『ティファニーで朝食を』の映画への出演をご承諾いただき、たいへんうれしく思っております。脚本に対する意見もありませんし、脚本そのものをこれまで読む機会もありませんでしたが、オードリーもホリーもどちらもすばらしい女性なので、必ずやよい作品になることと信じております」という手紙を送っているのだ。いやはやこれは、ニューヨークの上流階級の美女たちを寵愛し、夜通し社交界の面々を相手に大法螺や過激な発言を連発していたカポーティらしい、いかにもなエピソードである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それはさておき、小説の主人公ホリーはリアルな存在感を放っており、自分の居場所を探して社会の隙間をさまよう、影のあるシビアな女性として描かれている。それに対してヘプバーン演じるホリーは、おしゃれでファッショナブル、切なさはありつつもロマンティック・コメディらしく、洗練された魅力が強調されている。だれがなんと云おうと、ぼくはそういうヘプバーンが大好きだ。原作はある意味で戦後アメリカの光と影を体現した文学作品だったが、エドワーズ監督は小説の登場人物の行動や出来事の因果関係を整理し、それを最高に面白い映画に仕立てている。スクリーンに映るヘプバーンも終始一貫、観客を惹きつけるような素晴らしい輝きを放っている。そういう趣旨から映画は、原作小説とはまったく異なる結末を迎える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、ここからは『ティファニーで朝食を』の原作小説と映画との結末の違いについて触れるので、それぞれ未読あるいは未見のかたは、以下ふたつの段落を読み飛ばしていただきたい。小説のラストでは、ホリーはブラジルへ飛び立ち、その後消息不明となる。彼女はブラジルに向かう途中で名前のない猫を放り出してしまうが、のちに激しく後悔し「ぼく」に猫を探すことを頼んでくる。その後「ぼく」は猫を探しつづけ、ある日、裕福で清潔な家の窓辺に何事もなかったかのようにちょこんと座っている猫を発見。居場所を見つけた猫の姿に「ぼく」は、どこかで自由に生きているかもしれないホリーの姿を重ね合わせるのだった。小説には当時のニューヨークの退廃的な雰囲気が色濃く反映されているけれど、ぼくはこの深い味わいや情緒を感じさせるビターエンドが好きだ。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9758 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/tiffany2.png" alt="「ティファニーで朝食を」のオードリー・ヘプバーン (黄色い背景)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/tiffany2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/tiffany2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　いっぽう映画のほうのラストだが、ホリーはやはり別の男性を追って南米へ旅立とうとするものの、ポールに説得されてタクシーを降りる。彼女は車内で捨ててしまった名前のない猫を探し出し、雨の降るニューヨークの路地で猫を抱きしめる。やがてホリーは追いかけてきたポールと激しい雨の中で抱き合い、映画はハッピーエンドを迎える。つまりヘプバーン演じるホリーは、スタイリッシュでおしゃれなロマンティック・コメディのヒロインとして描かれ、過去の傷を持ちつつも愛に目覚めるのだった。このスウィートなラストシーンにカポーティが不快感を覚えるのも無理はないが、こういうハリウッド的なエンディングは、観客に明確なカタルシスを与えるわけで、ドラマティックな大団円もまたそれはそれでいいと、ぼくは思うのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いずれにしても映画『ティファニーで朝食を』が、いまなお時代を超えて愛されつづけるのには、このラストの改変も含めて、映画史やポップカルチャーに与えた革新的ないくつかの理由があるのだ。その最大の要因は、主演の<strong>オードリー・ヘプバーン</strong>の個性的なキャラクター。彼女はこの作品において、それまでのハリウッドの伝統的なヒロイン像とは異なり、自由奔放で少し退廃的でありながらも、自立して生きる都会の女性を魅力的に演じている。しかも圧倒的な気品とチャーミングさをもってして、小説ではプラグマティックなリアリストだったホリーを、だれもが憧れる小悪魔的で愛らしいアイコンへと昇華させたのである。冒頭のシーンで、前述のリトルブラックドレスに、大きなサングラス、パールのネックレス、髪に差したティアラというスタイルで登場するヘプバーンは、まさに洗練された女性として映る。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このオープニング・クレジットが、素晴らしい。朝の静かなニューヨークの5番街、イエローキャブから降り立ったホリーが、紙袋からデニッシュとコーヒーを取り出し、宝飾品および銀製品の世界的に有名なブランドショップ、ティファニーのショーウィンドウを覗き込む。この数分間のヴィジュアルだけで、観客は映画の世界観へ一気に引き込まれる。そしてこのシーンに、柔らかな音楽が静かに染み渡っていく。やや控えめな音量で、ハーモニカ、ストリングス、そしてミックスド・クワイアによって綴られていくこの曲こそ、だれもが知っているあの「ムーン・リヴァー」だ。このエレガントでビタースウィートな曲の存在が、単なるロマンティック・コメディにとどまらない、深い哀愁を映画に与えていると、ぼくは思うのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　名曲「ムーン・リヴァー」(インストゥルメンタルだが後半に歌唱がある)は、映画公開からときを移さずしてEPレコード(「ティファニーで朝食を」とのカップリング)で発売された。このシングル盤は1961年12月25日、ビルボード Hot100のシングル・チャートにおいて、全米最高位11位を記録した。翌年には、第34回アカデミー賞でアカデミー歌曲賞を受賞。またグラミー賞でも、最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀編曲賞の３部門を受賞している。なお作曲者の<strong>ヘンリー・マンシーニ</strong>は、アンダースコアにおいてもアカデミー作曲賞を獲得した。この曲に歌詞をつけたのは、キャピトル・レコードの設立者としても知られる作詞家、<strong>ジョニー・マーサー</strong>。彼がこの曲で書いた「My huckleberry friend」という(子供のころからの無二の親友を意味する)フレーズが、ぼくは大好きだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　云うまでもなく、この表現はアメリカ文学の父、<strong>マーク・トウェイン</strong>が執筆した世界的に有名な児童文学『トム・ソーヤーの冒険』(1876年)の主人公、トム・ソーヤーの親友、ハックルベリー・フィンにちなんだもの。原作小説のファンでもあったマーサーによるこの歌詞は、小説におけるホリーと「ぼく」との友達としての純粋な愛情が綴られたものと、ぼくには受けとられた。 ヴォーカル曲としての「ムーン・リヴァー」といえば、トラディショナル・ポップの人気シンガー、<strong>アンディ・ウィリアムス</strong>のアルバム『<em>ムーン・リヴァーと映画主題曲集</em>』(1962年)に収録されたヴァージョンがあまりにも有名だが、これは飽くまでカヴァーでオリジナルはヘプバーンが劇中で歌ったものだ。そもそもこの曲、1オクターブと1音しかない彼女のヴォーカル・レンジに合わせて作曲されているのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　映画には、ホリーが猫と一緒にアパートの非常階段に座って、ギターを弾きながら「ムーン・リヴァー」を口ずさむ有名なシーンがあるが、ほんとうにヘプバーン自身が歌唱している。当初は、のちに『マイ・フェア・レディ』(1964年)においてイライザ役のヘプバーンのほとんどの歌唱を吹き替えた、ハリウッドの最強のゴーストシンガーとして知られる、<strong>マーニ・ニクソン</strong>によるアフレコも検討された。しかしながら監督のエドワーズは、ホリーの本来の姿を表現する重要なシーンということで、たとえヘプバーンのヴォーカルスキルが高くなくても、それが却ってホリーが普通の女の子であるということを強調するだろうと、吹き替えの提案を却下した。結果、派手に生きているホリーの内面の孤独や故郷へのノスタルジーが、多くの観客のこころのなかに、深くしみこむように伝わったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">原作小説のイメージ・アルバムとして楽しむのも一興かと思われる</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　むろんヘプバーンはこのシーンの撮影のためにギターのレッスンとヴォーカル・コーチに就いて歌の練習をしたわけだが、彼女自身が歌う「ムーン・リヴァー」は当初「わたしはプロフェッショナルなシンガーではないから」という本人の意向により、レコードとして発売されることはなかった。それが音盤化されたのはヘプバーンの死後のことで、前述のイントラーダ・レコードによる完全版スコア・アルバムに先駆けて、1993年にカリフォルニア、ビバリーヒルズに拠点を構える音楽レーベル、ビッグ・スクリーン・レコードから発売されたCDアルバム『<em>ムーン・リヴァー～オードリー・ヘプバーン・スクリーン・テーマ・ベスト</em>』にはじめて収録された。当時は貴重だった『おしゃれ泥棒』(1966年)や『ロビンとマリアン』(1967年)のオリジナル音源を含む、ファン垂涎のコンピレーション盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ここで先ほどの話題に戻るが、この場を借りてひとことつけ加えさせていただく。結論から云うと、小説と映画というふたつの『ティファニーで朝食を』に対峙したとき、結局のところぼくは、それらに優劣をつけることができないのはもちろんのこと、どちらにも深い愛着を寄せてしまうのである。実は20世紀のアメリカ・ユダヤ文学を代表する作家のひとり、<strong>バーナード・マラマッド</strong>の著書『汚れた白球 &#8211; 自然の大器』(1952年)、この長編小説が<strong>バリー・レヴィンソン</strong>監督、<strong>ロバート・レッドフォード</strong>主演で映像化された映画『ナチュラル』(1984年)にも、ぼくは『ティファニーで朝食を』の場合とおなじような心情を抱いている。マラマッドはぼくにとって、大学時代の研究課題だった。そして、映画『ナチュラル』は原作小説とは180度異なる結末を迎えるのだが、ぼくは両者に変わらぬ愛を注ぎつづけている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　最近、<strong>横溝正史</strong>の長編ミステリー小説『八つ墓村』(1951年)が、Jホラーの牽引者とも云われる<strong>清水崇</strong>監督によって映画化されたが(2026年９月18日公開)、多くの鑑賞者から原作の尊厳を傷つけたとし不評を買っている。率直に云って、ぼくもまったくそのとおりだと思う。大幅なストーリー改変、キャラクターの改悪および存在抹消、不要なオリジナル要素など、どこを採っても、原作の核や世界観を深く理解し尊重するという姿勢が、微塵も観られない。ひとことで云うと、低級な二次創作映画だ。云うまでもなく、映画における原作の改変でもっとも大事なことは、原作の核に対するリスペクトと表現メディアの違いへの適応なのである。その点、異論はあるかと思うけれど、ぼくには『ティファニーで朝食を』にしても『ナチュラル』にしても首尾よく運んだと思われる。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9759 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/tiffany3.png" alt="「ティファニーで朝食を」のオードリー・ヘプバーン (赤い背景)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/tiffany3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/tiffany3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　いささか話が脱線したが、やはり映画『ティファニーで朝食を』は、ときを経ても色褪せない名作である。ロマンティック・コメディというスタイルが採られてはいるけれど、作品には都会の孤独と自分の居場所探しという現代人にも通じる普遍的なテーマが、ちゃんと息づいている。ホリーが飼っている猫に名前をつけないのは、自分自身はなにものにも縛られたくないという自立心、そしてだれのものでもないというある種の孤独感の裏返しだが、スクリーンのなかの彼女は最後に雨の中で猫を抱えながら、だれかと深く結びつくことを受け入れる。このラストシーンは、ホリーの精神的な成長が描かれたものと受けとられるし、実際多くの観客のこころを揺さぶったのではなかろうか。いま実際にマンシーニの音盤を味わいながら、ぼくはあれこれ思いを巡らすのであった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ホリー役は当初、それまでのヘプバーンにとってリスキーとも捉えられたようだが、ぼくはこの役こそがブランニューなヘプバーンを生み出したと考える。そしてこの作品以降の、艶やかで軽やかな彼女が大好きなのだ。ぼくなりにヘプバーンの主演映画ベスト５を挙げると『ティファニーで朝食を』(1961年)『シャレード』(1963年)『おしゃれ泥棒』(1966年)『いつも2人で』(1967年)『暗くなるまで待って』(1967年)となる。音楽は<strong>ジョン・ウィリアムズ</strong>のペンによる『おしゃれ泥棒』以外は、すべてマンシーニが音楽を手がけている。なおウィリアムズはマンシーニの門下生だが、多忙を極める師匠の代役として起用された。どのスコアにおいても、リラックスした口当たりのいい比類なきマンシーニ・サウンドが展開されているが、ミニマル・エレガンスとでも云いたくなるようなヘプバーンの佇まいによく似合っている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなわけで、映画のファンのかたはもちろんのこと、カポーティの小説を愛する原作尊重主義のかたにも、ぜひお手ごろな『ティファニーで朝食を』のリレコーデッド・スコア盤を手にとっていただきたい。このアルバムは、映像から離れても深く味わうことができる音盤。たとえば原作小説のイメージ・アルバムとして楽しむのも、一興かと思われる。ジャケットには<strong>ヘンリー・マンシーニ楽団とコーラス</strong>と表記されているだけで、具体的なミュージシャンの記載はないが、1960年代初頭のマンシーニによるRCAビクター作品に頻繁に参加していたことから、<strong>ジミー・ロウルズ</strong>(p)、<strong>ローリンド・アルメイダ</strong>(g)、<strong>レッド・ミッチェル</strong>(b)、<strong>シェリー・マン</strong>(ds)、<strong>ラリー・バンカー</strong>(vib)、<strong>トゥーツ・シールマンス</strong>(hca)、<strong>ロニー・ラング</strong>(as)、<strong>ピート・カンドリ</strong>(tp)、<strong>ディック・ナッシュ</strong>(tb)などの名前が思い浮かぶ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおレコーディング・エンジニアは、マンシーニ作品ではおなじみの名手、<strong>アル・シュミット</strong>が務めている。自然で温かみのあるサウンドは、相変わらずさすがだ。小学生のわずかな貯金から大枚をはたいて購入した『ティファニーで朝食を』のLPレコードは全12曲。映画のオープニングをイメージさせる「ムーン・リヴァー」では、ゆったりとした３拍子に乗ってハーモニカ、ストリングスがセンチメンタルな旋律を奏でる。後半には歌詞つきのミックスド・クワイアが入る。つづく「かわいそうな猫ちゃん」では、軽快なチャチャチャのリズムとビッグ・バンド・サウンドがアーバンな空気を作り出す。トロンボーンとフルートのソロも小気味いい。３曲目の「サリー・トマト」は、ミッドテンポのルンバだがいかにもマンシーニらしいスタイリッシュなナンバー。バリトンのソロとコーラスがアクセントになっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　４曲目の「芸術写真家ユニヨシ先生」は、エキゾティックなスウィング・ポップ。木管楽器によるユーモラスでどこかおどけたメロディック・ライン、バンジョーのピッキングによるリフ、シロフォンの跳ねるようなサウンドが楽しい。５曲目の「大手入れ」は、ストレートなビッグ・バンド・ジャズ。華麗なブラスのアンサンブルに、ピアノ、フルート、トランペットらのスウィンギーなソロが挿入されていく。A面最後の「夜のキャバレーで」は、いわゆるバンプと呼ばれるスロー・シャッフル。バリトンがブリブリと退廃的なムードを演出している。ラストの吐息混じりの女性の声も印象的だ。B面トップの「ティファニーで朝食を」は、個人的にはアルバム中もっとも好きな曲。都会的で洗練されたジャズ・フィーリングと、コーラスおよびホーンズ＆ストリングスによるエレガントなサウンドとが交錯する、マンシーニならではの名曲だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　つづく「ゴライトリー、ラテンを踊る」は、アップビートでダンサブルなチャチャチャ。ブラスとコーラスとによる瀟洒なアンサンブルを縫って、トランペット、アルト、ヴァイブがソロを繋いでいく。３曲目の「ホリーの気持」は、いささか郷愁を誘うような、それでいて都会のリラクゼーションが横溢する心地いいナンバー。ソフトなトロンボーンとコージーなアルトが美しい。ストリングスのアレンジも絶妙だ。４曲目の「ルース・キャブース」では、華麗なラテン・ビッグ・バンドが全開。５曲目の「かっぱらいのスリル」は、クールでコミカルなスウィング・ナンバー。お茶目でトボけた味わいが楽しい。ラストの「ムーン・リヴァー・チャ・チャ」では、ラテン・タッチのラウンジ・ミュージックがソツなく展開される。あたかもニューヨークの華やかな夜、あるいは気まぐれな日常を彩っているかのようである。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Wolfgang Haffner / Urban Life (2001年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 20 Sep 2026 07:42:34 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[Wolfgang Haffner]]></category>
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					<description><![CDATA[幅広い分野で世界中を飛び回るドイツを代表するドラマー、ウォルフガング・ハフナーのオールスター・メンバーによる豪華なフュージョン・アルバム『アーバン・ライフ』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">幅広い分野で世界中を飛び回るドイツを代表するドラマー、ウォルフガング・ハフナーのオールスター・メンバーによる豪華なフュージョン・アルバム『アーバン・ライフ』</span></h2>

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<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Wolfgang Haffner / Urban Life (2001)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Nightride</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">リップスティックからアルバム・デビューしたバンド、メトロのドラマー</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ドイツ出身のジャズ・ドラマー、<strong>ウォルフガング・ハフナー</strong>はモダン・ジャズからスムース・ジャズまで幅広く、しかもワールドワイドに活躍するミュージシャンだ。むろんドラミングにおいては確かな技術をもっているのだが、コンポーザー、アレンジャー、そしてプロデューサーとしても才能を発揮している。膨大なディスコグラフィを抱えるハフナーは、これまた多数のミュージシャンとの強いコネクションをもっており、2000年代初頭にその人脈を頼り、オールスター・キャストとでも云いたくなるような豪華なフュージョン・アルバムを制作している。具体的には『<em>アーバン・ライフ</em>』(2001年)という作品で、初リーダー作『<em>ウォルフガング・ハフナー・ジャズ・クァルテット</em>』(1989年)から数えると、ハフナーにとっては８枚目のアルバムということになる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバム、もともとワーナー・ミュージック・グループの要人だった<strong>ベルント・スキッベ</strong>、<strong>ザビーネ・バッハマン</strong>といったドイツの音楽プロデューサーによって、1999年にハンブルクで設立された独立系音楽レーベル、スキップ・レコードからリリースされた。その後本作は2002年、ニューヨーク市マンハッタン、グリニッジ・ヴィレッジに拠点を構えるダンス・ミュージック・レーベル、インスティンクト・レコードによってリイシューされた。US盤のほうは、<strong>ザ V.I.P. クラブ</strong>というグループ名義で発売された。なお、すでにスキップ・レコードから発売されていたハフナーの７枚目のリーダー作『<em>ミュージック</em>』(1999年)もまた、やはりインスティンクト・レコードによって<strong>ザ V.I.P. クラブ</strong>のアルバム『<em>ココナッツ・キッス</em>』(2001年)として再編集されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それにしても<strong>ザ V.I.P. クラブ</strong>とは、よくもまあ上手く命名したものである。実際この２作品のレコーディングには、ジャズ/フュージョン・シーンにおけるまさにヴェリー・インポータント・パーソンが多数参加しているのだ。アルバム・コンテンツにしても、まだスムース・ジャズが勢いがあった時期にもかかわらず、ラジオの放送フォーマットに準ずることなく、確たる主張をもった即興演奏がなされ、全体的なサウンドの響きとともにプレイヤー個々のパートもしっかり重視されたものだった。この点は、プロデュースも手がけたハフナーが振るった采配によるものだろう。トータル・サウンドはグルーヴィーかつスムースなものだけれど、そのパフォーマンスはけっこう骨太である。にもかかわらずこのアルバム、あまり話題にならないから不思議でならない。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9723 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds1.png" alt="緑色のドラム・セット" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ぼくがハフナーの存在を知ったのは、いまもはっきりと記憶しているのだけれど、1994年のこと。この年にドイツ、ケルンのフォーゲルザンガー通りに拠点を構えるジャズ/フュージョン系の音楽レーベル、リップスティック・レコードからアルバム・デビューしたバンド、<strong>メトロ</strong>のドラマーがハフナーだったのである。ぼくがこのバンドに辿り着く経緯について、かいつまんでお話しさせていただくと、まず『<em>プティート・ブロンド</em>』(1992年)という作品について触れなければならない。これはやはりリップスティック・レコードからリリースされた、実力派のジャズ/フュージョ系プレイヤーが集結したスーパー・グループによるライヴ・コラボレーション・アルバム。1992年７月４日、ドイツ・ノイヴィート・ジャズ・フェスティヴァル、そして７月14日、ザ・ファブリック・ハンブルクの模様が収録されたものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なによりも、このグループのメンバーを観ると、その錚々たる顔ぶれに驚かされる。それは、<strong>ミッチェル・フォアマン</strong>(key)、<strong>チャック・ローブ</strong>(g)、<strong>ヴィクター・ベイリー</strong>(b)、<strong>デニス・チェンバース</strong>(ds)、<strong>ビル・エヴァンス</strong>(ss, ts)といった、まさに当時のジャズ/フュージョン・シーンにおける名だたる面々である。ぼくにとってリップスティックは、セカンド・ラインが独特のドラマー、<strong>アイドリス・ムハマッド</strong>のリーダー作『<em>マイ・ターン</em>』(1991年)以来、目が離せないレーベルとなっていたので、この『<em>プティート・ブロンド</em>』も発売されるやいなや購入するに至った。フュージョンの愛好家だったら、その面子を観れば想像に容易いと思われるが、本作では彼らの緊張感と躍動感とに満ちた強力なインタープレイが披露されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところでこのスーパー・グループは、上記のジャズフェスやライヴなどの特別な企画のために、臨時に結成されたもの。その場限りのセッション・バンドだから、その後彼らのアルバムが制作されることはなかった。個人的にはこのバンドの音楽性を価値の高いものと感じたので、このプロジェクトを幕引きにするのは勿体ないことと思ったもの。そんななかリップスティック・レコードがときを経ずして世に送り出したのが、<strong>メトロ</strong>というバンドだった。おそらくバンド結成の契機となったのは『<em>プティート・ブロンド</em>』の成功だったのだろう、当初このグループのプランニングやプロデュースを中心となって担ったのは、<strong>ミッチェル・フォアマン</strong>と<strong>チャック・ローブ</strong>だった。そしてこのプロジェクトに参画したのが、30歳目前の若き俊英、<strong>ウォルフガング・ハフナー</strong>だったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いささか余談になるが、ぼくはこのころすでに<strong>チャック・ローブ</strong>のファンだったのだが、そうなるキッカケは、毎年フランスのカンヌで開催される、世界最大規模の国際音楽産業見本市「ミデム」における1980年１月22日のライヴ音源を聴いたとき。このパーム・ビーチ・カジノの会場で実況録音されたRCA盤『<em>ホワイト・ヒート – ジャズ・ガーラ 1980</em>』(1980年)では、<strong>スタン・ゲッツ</strong>(ts)、<strong>アンディ・ラヴァーン</strong>(key)、<strong>チャック・ローブ</strong>(g)、<strong>ブライアン・ブロンバーグ</strong>(b)、<strong>ヴィクター・ジョーンズ</strong>(ds)による白熱するコンテンポラリー・ジャズを堪能することができる。このライヴ・アルバム、ゲッツのリーダー作としてはフュージョン期のものということで、かつて彼がクール・ジャズやボサノヴァを演奏していたころの作品を愛でる向きには、いまもまともに取りあってもらえないようだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それでもこのライヴでのゲッツのアパッショナートなプレイを高く評価するコアなファンもいるようで、何度となくリイシューされている。当時からフュージョンを好んで聴いていたぼくにとって、このアルバムは理屈抜きに楽しめるものだった。いまから思うとゲッツは、このライヴにおいてまだ無名だったローブをプレイヤーとして前面に出すばかりでなく、彼のオリジナル・ナンバーまで採り上げており、まったくもって懐の深い音楽家だった。そしてぼくはこの音源を聴いたとき、ローブの名前をその鮮やかなパフォーマンスとともにしっかり脳裏に焼きつけた。さらにその数年後には、ヴィブラフォニストの<strong>マイク・マイニエリ</strong>を中心とするコンテンポラリー・ジャズ・バンド、<strong>ステップス・アヘッド</strong>のアルバム『<em>モダン・タイムス</em>』(1984年)において、ローブのクレジットを発見するのだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">演奏以外にもコンポーザー、アレンジャーとして優れた才能を発揮</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ローブはこのアルバムでは１曲のみのサポーターにとどまったが、次作の『<em>マグネティック</em>』(1986年)では、<strong>ヴィクター・ベイリー</strong>とともに正式メンバーとなっている。ベイリーにとっては、それまで在籍していたフュージョン・グループ、<strong>ウェザー・リポート</strong>の解散直後の出来事だった。<strong>ステップス・アヘッド</strong>には、それまでフュージョン系アーティストによるストレート・アヘッド・ジャズ志向のバンドといった風情があったが、このアルバムからよりフュージョン色の強いコンテンポラリー・ジャズに回帰している。そういうサウンド面での変化を遂げたこのバンドにおいて、ローブとベイリーの存在感はかなり強かった。とはいってもローブは、このバンドからすぐに離脱し、ドイツのレーベル、ジャズ・シティからリリースされた『<em>マイ・シャイニング・アワー</em>』(1989年)で、ソロ・アーティストとしてデビューを果たす。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ローブはこのデビュー・アルバムで、当時<strong>チック・コリア・エレクトリック・バンド</strong>のメンバーだった、ベーシストの<strong>ジョン・パティトゥッチ</strong>とドラマーの<strong>デイヴ・ウェックル</strong>とをリズム・セクションに迎え、ストレート・アヘッド・ジャズからコンテンポラリー・ジャズまでヴァーサタイルなギター・プレイを披露。彼がいかに鋭敏なセンスと卓越したテクニックとを併せもつミュージシャンであるかが、この１枚でわかる。その後ローブはDMP、シャナキー、ヘッズ・アップといったレーベルにおいて、晩年までコンスタントにリーダー作を発表していく。サウンド的には、フュージョンからスムース・ジャズへと変遷する。そのいっぽうで彼は、ソロ活動と並行して、<strong>ザ・ファンタジー・バンド</strong>、そして<strong>メトロ</strong>といったバンドでも旗手となりプレイした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・ファンタジー・バンド</strong>はスムース・ジャズ、<strong>メトロ</strong>はハードコアなフュージョンと、各々もち味が出されたバンドである。実はローブの関わった音盤で、ぼくがもっともお薦めしたいのは、<strong>メトロ</strong>のアルバムなのだ。なぜなら、コンポジションやギター・プレイにおいてもっともローブの音楽性がナチュラルに表れるのは、このバンドのレコーディングのときだから。そしてその独特のサウンドは、ときの移ろいにまったく左右されることはなかった。なおローブと<strong>メトロ</strong>のキーボーディスト、<strong>ミッチェル・フォアマン</strong>とは、1970年代末から1980年代初頭にかけて<strong>スタン・ゲッツ</strong>のバンドメイトだった。当時の演奏はゲッツのアルバム『<em>ビリー・ハイ・ストリート・サンバ &#8217;81</em>』(1990年)で聴くことができる。またフォアマンは、前述の<strong>ステップス・アヘッド</strong>のアルバム『<em>マグネティック</em>』にも参加している。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9724 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds2.png" alt="桃色のドラム・セット" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　それはさておき<strong>メトロ</strong>のアルバムといえば、リップスティック・レコードからリリースされた『<em>メトロ</em>』(1994年)『<em>トゥリー・ピープル</em>』(1995年)、ジャズやファンク、ヒップホップの垣根を越えたセッションやリミックス作品で知られる英国のレーベル、ヒップ・バップ・レコードからリリースされた『<em>メトロカフェ</em>』(2000年)『<em>グレイプヴァイン</em>』(2002年)、<strong>ミッチェル・フォアマン</strong>が設立したアメリカのインディペンデント・レーベル、マーシス・ジャズからリリースされた『<em>ライヴ・アット・ジ・Aトレイン</em>』(2004年)『<em>エクスプレス</em>』(2007年)、そしてドイツのレーベル、ジャズラインからリリースされた『<em>ビッグ・バンド・ブーム</em>』(2015年)といった都合７枚。なお『<em>ビッグ・バンド・ブーム</em>』は、ドイツ、ケルンの名門ビッグ・バンド、<strong>WDRビッグ・バンド</strong>との共演盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この<strong>メトロ</strong>は基本的に４人編成のバンドだが、<strong>ミッチェル・フォアマン</strong>、<strong>チャック・ローブ</strong>、そして<strong>ウォルフガング・ハフナー</strong>の３人が、パーマネント・メンバー。ベーシストは、<strong>アンソニー・ジャクソン</strong>、<strong>ヴィクター・ベイリー</strong>、<strong>メル・ブラウン</strong>、<strong>ジェリー・ブルックス</strong>、<strong>ウィル・リー</strong>、<strong>ニコラス・フィズマン</strong>と変動した。個人的にもっとも好きなのは４枚目の『<em>グレイプヴァイン</em>』で、楽曲と演奏とのバランスが極めていいように思われる。このアルバムではベーシストを、<strong>メル・ブラウン</strong>が務めている。むろんそれ以外のアルバムもすべて申し分のない仕上がりで、いつも感じることなのだけれど、メンバーのだれもが、ソロ活動のときよりもメトロでプレイするときのほうが、表現力の振幅を大きくしている。その点に、とても惹きつけられるのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　すっかり長くなってしまったが本題に戻ると、<strong>ウォルフガング・ハフナー</strong>のことをアルバム『<em>メトロ</em>』で知って以来、ぼくはすっかり彼のファンになってしまったのだった。ハフナーのドラミングは決して手数は多くないのだけれど、楽曲全体をしっかりと支える非常にタイトでステディなリズム・キープがなんとも心地いい。とはいってもアンサンブル全体や他のプレイヤーが繰り出す音をしっかりと引き立てながら、硬軟織り交ぜたアプローチを展開する場面も頻繁に見られる。そういう柔軟で歌ごころのあるプログレッションは、ハフナーがもつ優れた演奏技術、豊かな表現力、そして深い芸術性すら感じさせる。さらに云えばハフナーは、ただ正確にリズムを刻むだけでなく、空間に心地いい高揚感とポジティヴなエナジーをもたらすグルーヴを構築するのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハフナーは1965年12月７日、ドイツ南部バイエルン州の自然豊かなフィヒテル山地にある小さな街、ヴンジーデルに生まれたが(現在60歳)、父親は教会音楽監督の称号をもつカントル(キリスト教音楽の指導者)として広く知られる、<strong>ヴァルター・ハフナー</strong>。母親は著名人ではないが、音楽教師だった。そんな恵まれた環境で育ったハフナーは、７歳からドラムスとピアノを演奏していた。なおドラミングに関しては、主にドイツを拠点に活動しているオランダ、アーネム出身のロックおよびジャズ/フュージョン系ドラマー、<strong>エヴェルト・フラテルマン</strong>に師事している。いずれにしても、幼いころから音楽に親しんでいたハフナーは、プロ活動開始直後から単にプレイヤーとしてだけはでなく、コンポーザー、アレンジャーとしても優れた才能を発揮している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　たとえば前述の『<em>グレイプヴァイン</em>』において、ハフナーは「クリーム」というアンビエントな感覚に溢れたスロー・ナンバーを提供している。彼はセンシティヴなブラシ・ワークに徹しながら、ウォーム系のシンセサイザーを軸に据えたサウンドをクリエイトしている。レイジーでアーバンなムードが、こころを揺さぶるようなインスピレーションを与えるのだが、作曲者がドラマーとはちょっと想像がつかない。また同じく<strong>メトロ</strong>のアルバム『<em>トゥリー・ピープル</em>』に収録されている「ザ・ジャーニー」という曲は、テンスな６拍子、スウィートかつジェントルなメロディック・ライン、そしてソフィスティケーテッド・コードが溶け合うようなナンバー。さらに途中のドラム・ロールが活かされた現代音楽風の展開も含めて、その鮮やかな意匠に感服させられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この曲はドイツ、ニュルンベルクに拠点を構えるジャズ・レーベル、ジャズ・フォーエヴァー・レコードからリリースされた、<strong>ウォルフガング・ハフナー・プロジェクト</strong>名義の『<em>バック・ホーム</em>』(1997年)でも採り上げられた。ハフナーにとっては、６枚目のリーダー作に当たる。この音源は1995年１月20日、ニュルンベルクにある有名な総合文化センター、ターフェルハレにおいてライヴ・レコーディングされたもの。<strong>ロベルト・ディ・ジョイア</strong>(key)、<strong>ペーター・ティーハイス</strong>(g)、<strong>クリスチャン・ディーナー</strong>(b)、<strong>ウォルフガング・ハフナー</strong>(ds)、<strong>マルシオ・ドクター</strong>(perc)とメンバーは地味だが、みなフレッシュでエキサイティングなプレイを披露している。なによりも曲目が、すべてハフナーのオリジナル・ナンバーで構成されているという点が、注目に値する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">都会的なプレイ・スタイルのドラミングも、しかと堪能できる名盤</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　18歳のときにドイツ、フランクフルト出身の伝説的なジャズ・トロンボニスト、<strong>アルベルト・マンゲルスドルフ</strong>に見出されプロデビューを果たしたハフナーは、1984年から1989年までマンゲルスドルフ率いる<strong>ダス・ドイチュ・フランツェージッシェ・ジャズ・アンサンブル</strong>(独仏ジャズ・アンサンブル)のメンバーとして活躍した。この国際的なビッグ・バンド・スタイルのジャズ・プロジェクトは、ドイツとフランスの若手ジャズ・ミュージシャンの育成と交流、現代ヨーロッパ・ジャズの発展に寄与したことで知られる。そのいっぽうでハフナーは22歳のとき自己のコンボを組み、1988年11月11日、ニュルンベルク近郊にあったアルトドルフ大学のライプニッツ・ギムナジウム講堂でライヴ・コンサートを開催した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そのコンサートの実況録音盤こそが、さきに触れたハフナーの初リーダー作『<em>ウォルフガング・ハフナー・ジャズ・クァルテット</em>』である。このアルバムは、ジャズ・フォーエヴァー・レコードからリリースされたが、さらにハフナーは同レーベルにおいて、<strong>ウォルフガング・ハフナー・インターナショナル・ジャズ・クインテット</strong>名義の『<em>ミスター・ブラム</em>』(1990年)『<em>ホワットエヴァー・イット・イズ</em>』(1991年)、ソロ名義の『<em>ムーヴィン・オン</em>』(1992年)を発表。さらにジャズ・ロックの発展に貢献したことで知られる、かつてドイツ、ハイデルベルクに拠点を構えていたレコード・レーベル、ムード・レコードから『<em>ラスト・エグジット</em>』(1993年)をリリースしている。ここまでのアルバムでは、先進的ではあるけれど、どちらかというとニュー・メインストリームなジャズが展開されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハフナーのアルバム・コンテンツが、ジャズのテクニックやインプロヴィゼーションに、ロックやファンクのストレートなビート、エレクトリック＆エレクトロニック・インストルメンツを融合させた、云ってみれば、王道のフュージョン・サウンドに傾倒しはじめるのは、前述の『<em>バック・ホーム</em>』からである。このアルバムがライヴ・レコーディングされたのは、さきにも触れたとおり1995年の１月で、アルバム『<em>メトロ</em>』がリリースされた翌年のこと。このことからも、ハフナーが<strong>ミッチェル・フォアマン</strong>、<strong>チャック・ローブ</strong>らの音楽性に触発されたことは、想像に難くない。その後の彼は、メトロの活動を継続させながらスキップ・レコードに移籍し『<em>ミュージック</em>』(1999年)『<em>アーバン・ライフ</em>』(2001年)『<em>ライヴ・アンド・リアル</em>』(2002年)『<em>ズーミング</em>』(2004年)といったフュージョン・アルバムを発表した。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9725 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds3.png" alt="青色のドラム・セット" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお『<em>アーバン・ライフ</em>』のいくつかの楽曲は、ドイツのリキッド・ファンク/ドラムンベース系のプロデューサー兼ターンテーブリスト、<strong>DJ オレンジ</strong>によってリミックスされ、EPアルバム『<em>ジ・アーバン・ナイト・ライフ</em>』(2002年)としてリリースされた。また、スキップ・レコードにおける最終作『<em>ズーミング</em>』では、フュージョンというよりもフューチャー・ジャズないしニュージャズと呼ばれるスタイルの音楽が展開されている。アコースティック・ジャズにエレクトロニカ、アンビエント、ドラムンベースなどの要素が繊細に溶け合った、広義の意味でのコンテンポラリー・ジャズ・サウンドは、その後ハフナーがドイツの著名な音楽プロデューサー、<strong>シーグフリード・ロッホ</strong>が創設したレコード・レーベル、ACTミュージックで制作した、多彩な音楽性を孕んだ作品群に引き継がれている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、フュージョンは1970年代後半から1980年代前半にかけて隆盛を極めたが、その王道のスタイルをストレートに受け継ぐような作品は、ハフナーのリーダー・アルバムでは希少と云える。そして、上記のスキップ・レコードからリリースされたアルバムのなかでは、やはり『<em>アーバン・ライフ</em>』がもっとも意匠の凝らされた作品であり、圧倒的な完成度を誇る。冒頭でも述べたが、本作はオールスター・キャストとでも云いたくなるような豪華なフュージョン・アルバム。レコーディングも、アメリカ東西両岸、ドイツ、オランダなど、複数のスタジオで行われた。プロデュースとアレンジは、ハフナー自身とイタリア、ミラノ出身のジャズ・ピアニスト、<strong>ロベルト・ディ・ジョイア</strong>とが手がけている。ディ・ジョイアは、キーボード類のほかベースやギターもプレイし、ヴォーカルも担当している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムのトップを飾る「アーバン・ライフ」は、ハフナーとディ・ジョイアとの共作(残りの曲はすべてハフナーのオリジナル)。ホーン・セクションとシンセサイザーとを主軸に据えたディスコ・ブギー。ダンサブルなフォー・オン・ザ・フロアが打ち出されるなか、なんと<strong>ジェームス・ブラウン</strong>のバンドの主要メンバーだった、<strong>フレッド・ウェズリー</strong>がファンキーなトロンボーン・ソロを披露。<strong>エディ・グリーン</strong>のヴォーカル、<strong>トム・ニコラス・ジュニア</strong>のラップもキャッチーだ。つづく「キープ・ゴーイング」は、ゆったりしたソウルフルなバウンス・ビート。やはりグリーンのヴォーカル、ニコラス・ジュニアのラップが挿入される。ドイツ、フィーアゼン出身の名手、<strong>ティル・ブレナー</strong>のフリューゲルホーンと、ハンガリーが誇るジャズ・プレイヤー、<strong>トニー・ラカトシュ</strong>のテナーとが、格調の高いコール・アンド・レスポンスを展開する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　３曲目の「ザ・リアル・シング」は、ホーン・セクションとヴォーカルとが核をなす、ダンサブルな８ビートのファンク・ナンバー。クラヴィネットの音色が、ソウル色を強めている。ヴォーカルは、グリーンとディ・ジョイアが担当。ホーンズのほうではブレナーとラカトシュがアンサンブルに徹しているが、ジャズ、R&amp;B、ファンクなど幅広いジャンルで活躍するスウェーデン出身の<strong>ニルス・ラングレン</strong>が、スムースかつヴァーチュオシックなトロンボーン・ソロを聴かせる。つづく「ナイトライド」は、ソフィスティケーテッドなコード進行とシンコペーテッドなリズム感覚が心地いいスムース・ジャズ。<strong>スパイロ・ジャイラ</strong>のリーダー、<strong>ジェイ・ベッケンスタイン</strong>のソプラノ、そしてフュージョン・シーンの巨匠、<strong>ボブ・ジェームス</strong>のピアノが、エレガントかつコンシステントなソロを繋いでいくが、さすがのひとこと。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおこの曲では、ベーシストの<strong>ウィル・リー</strong>も含めて、ハフナー、ローブ、フォアマンといった、<strong>メトロ</strong>のメンバーがバックを務めている。５曲目の「ライジング・サン」は、ポジティヴなフィーリングが弾ける軽快な８ビート。ローブのギターが、いつものようにジャジーなフルード・プレイングを見せる。ローブの奥さま、<strong>カルメン・クエスタ</strong>のバッキング・ヴォーカルも相変わらずチャーミング。さらに、1980年代に日本でも人気を博したアイスランドのフュージョン・バンド、<strong>メゾフォルテ</strong>のキーボーディスト、<strong>エイソール・ガンアーソン</strong>によるシンセ・ソロがマイルドな響きを奏でる。つづく「クリス・クロス」は、ソリッドなブラス・サウンドがクールなラテン・フュージョン。ジャズ・ファンク・ジィアンツ、<strong>ロイ・エアーズ</strong>の超絶技巧のヴァイブ・プレイを、たっぷり味わうことができる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　７曲目の「タイム・アウト」は、ニコラス・ジュニアのラップも入るヒップホップ風ジャズ・ファンク。ドイツのギタリスト、<strong>マルティン・スケールズ</strong>のサム・ピッキングによる温かなトーンと、スウィンギーかつブルージーなフレージングが素晴らしい。つづく独特の浮遊感と推進力をもったリズム感覚が光る「ロング・ウェイ・ホーム」では、ラカトシュのソプラノとローブのギターとが深沈たる熱情を込めながら絡み合う。アルバムを締めくくる「アフター・アワーズ」は、アンビエントな感覚に溢れたバラード。ウォームなサウンドを奏でているシンセはハフナーによるもの。フォアマンのピアノによるリリカルかつエモーショナルなソロも素晴らしい。以上、とにかくハフナーのコンポジションが、すこぶる魅力的。むろん、驚異的なグルーヴの安定感をもった、タイトでスムースなドラミングも顕在。本作はその都会的なプレイ・スタイルも、しかと堪能できる名盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Ahmad Jamal / Jamal At The Penthouse (1959年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 13 Sep 2026 07:35:51 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Ahmad Jamal]]></category>
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					<description><![CDATA[レギュラー・トリオにジョー・ケネディ指揮による15人編成のストリング・セクションを従えたアーマッド・ジャマルの上質のカクテル・ピアノ・アルバム『ジャマル・アット・ザ・ペントハウス』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">レギュラー・トリオにジョー・ケネディ指揮による15人編成のストリング・セクションを従えたアーマッド・ジャマルの上質のカクテル・ピアノ・アルバム『ジャマル・アット・ザ・ペントハウス』</span></h2>

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<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Ahmad Jamal / Jamal At The Penthouse (1959)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Ivy</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">他の追随を許さないほど鮮烈な印象を与える快演「ポインシアナ」</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いやいや東京も秋雨前線と台風24号の影響から、先週は記録的な大雨となったけれど、今週の天候もまたスッキリしなさそうだ。まあ９月はもともと１年のなかでも、雨が多くなりやすい時期。秋霖と呼ばれる長雨の季節なのだから、致しかたないか──。ということで、心地いい音楽でも聴いて、せめて気持ちだけでもスッキリさせようと思う今日このごろである。なんとなく手にとったのは、<strong>アーマッド・ジャマル</strong>のアーゴ・レコード時代の１枚。20代のころ中古レコード店で、格安という理由だけで購入した輸入盤。そもそもこのレコード、日本で発売されたことがあるのだろうか？というのも、どう考えてもこのアルバム、一般的にジャマルの代表作と捉えられる機会はまずないだろうと思われるからだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実を云うと、ぼくは購入する際にも、本盤のコンテンツにはあまり期待を寄せていなかったのだ。ジャマルはすでに好きなピアニストだったけれど、もし安価でなかったらおそらく、ぼくもこのレコードをレジカウンターにもっていくことはなかっただろう。ジャマルの代表作といえば、ほとんどのジャズ・ファンが認めるように、アーゴ盤の『<em>バット・ノット・フォー・ミー</em>』(1958年)であると、ぼくも思う。そしてこのアルバムに収録されている「ポインシアナ」でのジャマルのピアノ・プレイは、他の追随を許さないほど鮮烈な印象を与える快演。映画やミュージカルにたくさんの楽曲を提供してはいるものの、どちらかというと地味な存在のピアニスト、<strong>ナット・サイモン</strong>が作曲したこの曲を、有名曲に押し上げたのはジャマルと云っても過言ではないだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この演奏は1958年１月16日、アメリカはイリノイ州シカゴのサウス・サイドにあったパーシング・ホテルのラウンジにおいて実況録音されたものだが、ジャマルのグループは、1957年からそこのハウス・トリオだった。サイドメンを務めていたのは、お馴染みの<strong>イスラエル・クロスビー</strong>(b)と<strong>ヴァーネル・フォーニア</strong>(ds)である。くだんの「ポインシアナ」では、ピアノのブロック・コードが奏でるエキゾティズム溢れるメロディック・ラインとハーモニー、ドラムスとベースとによる４拍目にアクセントをつけた軽快なリズム、ラテン・ミュージックの熱いムードのなかで、ニューオーリンズの伝統的なセカンド・ライン・ビートがひたすらつづいていく。そんな心地いいグルーヴに乗って、ジャマルは意識的に音数を少なくしていき、絶妙な“間”をつくることで、得もいわれぬ心地よさを生み出している。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9695 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/st1.png" alt="犬のピアニスト＆ストリング・オーケストラのイラスト" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/st1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/st1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　いささか余談になるが、この「ポインシアナ」という曲、サブタイトルが「The Song Of Tree」というのだが、その名のごとくポインシアナとは、まさに花木の名前なのだ。マダガスカル原産の<ruby>常緑高木<rt>じょうりょくこうぼく</rt></ruby>で、枝の先に赤、オレンジ、黄色などの花をつける。和名をホウオウボク(鳳凰木)というが、葉の形が中国の伝説の鳥、鳳凰の翼を彷彿させるところから、その名がついた。日本では、夏になると沖縄県の宮古島などで観られる。那覇では、市のシンボルにもなっているそうだ。たしかに「ポインシアナ」という曲は、たとえば熱帯の空気や貿易風をイメージさせるアップビートな魅力が溢れるナンバー。キューバの音楽、カンシオン・ボレロの形式にのっとった、ゆったりしたリズムが、なんとも心地いい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ついでに云うと、この曲について面白いエピソードがある。作曲者のサイモンは、ある日マンハッタンのブロードウェイにある、著名なイタリアン・レストラン、マンマ・レオーネズで食事をしていた。そのとき突然「ポインシアナ」のメロディが、彼の脳裏をよぎったのである。サイモンはとっさにテーブル・クロスにそのテーマのラフを書きとめた。そして店の好意でクロスを自宅に持ち帰った彼は、すぐさまメモした旋律をもとにピアノを使って曲を仕上げたという。さらにジャズ・スタンダード「夜は千の眼を持つ」の作詞で知られる<strong>バディ・バーニエ</strong>は、フロリダから届いたばかりのポインシアナの絵葉書からインスピレーションを受け、およそ30分でこの曲の歌詞を書き上げたとのこと。いい曲は、神の啓示に導かれるように、瞬間的に創造されるものなのかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおパーシング・ホテルでのライヴ・レコーディングでは『<em>バット・ノット・フォー・ミー</em>』に収録されたステージの翌日、1958年１月17日に行われた演奏も『<em>アット・ザ・パーシング VOL.2</em>』(1961年)として、およそ３年後にアーゴ・レコードからリリースされた。そしてCD時代にはヨーロッパのギャンビット・レコードが、この２枚のLPレコードをまとめた『<em>コンプリート・ライヴ・アット・ザ・パーシング・ラウンジ 1958</em>』(2007年)を発売している。このCDには２枚のレコードのすべての音源はもちろんのこと、1958年に45回転のEPレコードとしてリリースされた、およそ８分のオリジナルが３分に短縮された「ポインシアナ」のエディット・ヴァージョンも収録されているので、興味のあるかたはご賞味あれ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いずれにしても、アルバム『<em>バット・ノット・フォー・ミー</em>』は、当時のジャズのレコードとしては未曾有の大ヒットを記録。アルバム・チャートで２年間10位以内にとどまったほどだ。それまで<strong>ジェリー・ウォルド楽団</strong>、<strong>グレン・ミラー</strong>の<strong>アーミー・エアフォース・バンド</strong>、<strong>ベニー・カーター楽団</strong>、<strong>デヴィッド・ローズ楽団</strong>といった、スウィング・ジャズやライト・ミュージックのオーケストラよって頻繁に採り上げられた「ポインシアナ」ではあるが、一般的に大人気曲となったのはジャマルの演奏からだ。面白いのは、これを機に大金を手に入れたジャマルは、シカゴにアルハンブラというダイニングバーをオープンさせたこと(営業期間は1959年〜1961年)。抜け目なく『<em>アーマッド・ジャマルズ・アルハンブラ</em>』(1961年)というライヴ盤を吹き込んでいたりもする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　むろん『<em>バット・ノット・フォー・ミー</em>』がジャマルの代表作と目されるのは、この「ポインシアナ」の人気からだけではない。このアルバムに収録されているライヴ・パフォーマンスが、概して味わい深いものだからだ。リラックスしたムードが横溢するラテン調の「バット・ノット・フォー・ミー」いささか物憂いムードを醸成しながら途中リリカルなワルツになる「ヴァーモントの月」シングル・トーンとブロック・コードが上手く使い分けられた軽快な４ビート「ミュージック、ミュージック、ミュージック」左手のコンピングが<strong>レッド・ガーランド</strong>のそれを彷彿させるものの、右手の単音による軽妙洒脱がアドリブがいかにもジャマルらしい「ノー・グレイター・ラヴ」メロディック・ラインに大胆に手が加えられ、寡言なアドリブとシンプルなリフで盛り上げられる「ウディン・ユー」──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">『バット・ノット・フォー・ミー』と『ポインシアナ・リヴィジテッド』</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらには、かなり丁寧に弾きこまれた、ジャマルのバラード演奏へのコダワリが感じられる「ホワッツ・ニュー」など、とにかく『<em>バット・ノット・フォー・ミー</em>』には名演が満載なのである。一般的にもよく云われることだけれど、ここでのジャマルの演奏は、スペースを置くことに注力されたスタイル。とにかく弾く音が少ないので、結果的にクロスビーのベースも、フォーニアのドラムスも、音色と輪郭がハッキリ聴こえてくる。こういうサウンドは、耳の遣りどころをその都度かえることができるので、何度聴いても飽きが来ない。もしジャマルがそこまで計算していたのなら、彼は相当なしたたか者だ。いや、このアルバムをよく聴いてみるとわかるのだが、彼はときおりやたら弾きまくってもいる。聴衆に広く知られた楽曲にも、けっこう手を入れている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その点、ジャマルというひとは、案外茶目っ気のあるひとなのかもしれない。確かなのは、彼が侮ることのできないスゴいピアノのテクニックの持ち主であるということ。晩年はまるで宇宙人のように難解なプレイもしていたけれど、わかりやすい「ポインシアナ」は、安心して聴ける。そういう音盤だからこそ、ぼくも自然とことあるごとにターンテーブルに載せたくなるのである。そういう意味でも、やはり『<em>バット・ノット・フォー・ミー</em>』はジャマルの代表作と云えるし、実際にも時代を超えて評価されつづけ多くの場合、芸術的価値の高いピアノ・トリオ作品と称賛されている。では、この至高の逸品に次ぐジャマルのマスターピースとは、どのアルバムになるのだろう。実はぼくはそのことを考えると、あれこれと思い悩んだ末、結局なんとも云えなかったりするのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　雑誌などでよく採り上げられるのは、インパルス! レコードからリリースされた『<em>ポインシアナ・リヴィジテッド</em>』(1969年)だ。ジャマルのトリオは、パーシング・ラウンジ時代から、サイドはクロスビーとフォーニアで固定されていたが、アルハンブラの閉店を機に解散。彼は活動の拠点を、シカゴからニューヨークへ移した。率直に云うと、ぼくはシカゴ時代のジャマルがいちばん好きで、かつての名演「ポインシアナ」の再考＆再演が試みられた『<em>ポインシアナ・リヴィジテッド</em>』は、甚だ苦手なアルバムである。ジャマルは1968年にインパルス!に移籍したが、それ以降はまるでレーベル・カラーに染まったかのごとく求道的な音楽を展開するようになっていく。まあ、それだけ時代の流れに敏感なひとだったのだろう、その後の彼は自己の演奏形態を大きく変えるのだった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9696 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/st2.png" alt="犬のベーシスト＆ストリング・オーケストラのイラスト" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/st2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/st2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　再演された「ポインシアナ」は、ひとことで云うとやり過ぎだ。ここには、当時全盛だったモーダル・ジャズに影響されたジャマルがいる。当然のごとく即興演奏においては、飛躍的に束縛から解き放たれている。スケールアウトもするし、逆に自由度が増したせいか、あの熱帯の風が吹いてくるような熱っぽいメロディック・ラインがまったく出てこない。サビに入ってようやく、ああ「ポインシアナ」だったのかと、ハッキリわかるような仕様だ。もちろん、モーダル・ジャスがわるいわけではないし、インパルス! レコードに罪があるわけでもない。ただ、シカゴ時代のジャマルに親しんでいたものからすると、モーダルなセンスを発揮し饒舌にアドリブしまくるジャマルの姿に、ぼくは驚きと戸惑いを覚えざるを得なかったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　インパルス!時代のジャマルのアルバムでは、どちらかというと次作の『<em>ジ・アウェイクニング</em>』(1979年)のほうが、ぼくの好み。まるで鬼火のように静かで激しい情熱を燃やすような彼のプレイが、極めてクールに響くからだ。確かに<strong>ジャミル・ナッサー</strong>(b)、<strong>フランク・ガント</strong>(ds)がサイドに据えられた当時のレギュラー・トリオによる三位一体の演奏はなかなかのものだし、現に『<em>ポインシアナ・リヴィジテッド</em>』に収められた、ニューヨーク市グリニッジ・ヴィレッジにあった伝説的なジャズ・クラブ、ヴィレッジ・ゲイトでのライヴ・パフォーマンスは、テンションも勢いも最高潮に達する。ジャマルのピアノ・プレイも、エレガントなコード・ヴォイシングと、推進力のある歯切れのいいタッチが際立っている。その点では、名盤と云えるのかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まあ、これは個人的な好みになるのだろうが、やはり弾きまくるジャマルよりも弾かない彼のほうが、ぼくは好きなのである。ということですっかりあとになったが、冒頭で触れた一般的に代表作と捉えられる機会がないとはいえ、ぼくにとっては名盤の誉れ高き『<em>バット・ノット・フォー・ミー</em>』とほぼ同等の頻度で針を落とす、大好きな１枚をご紹介する。むろんそこには、いつもと変わらないジャマルの素敵な演奏ぶりが収められている。そのアルバムとは、アーゴ・レコードから５番目にリリースされた彼のリーダー作『<em>ジャマル・アット・ザ・ペントハウス</em>』(1959年)。1959年２月22日から28日にかけて、ニューヨーク市にそびえ立つスタインウェイ・ビルの最上階にある、ノラズ・ペントハウス・スタジオにて吹き込まれたスタジオ・アルバムである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムはある意味で、ジャマルのリーダー・アルバムとしては異色作であり意欲作でもある。本作では、<strong>アーマッド・ジャマル</strong>(p)、<strong>イスラエル・クロスビー</strong>(b)、<strong>ヴァーネル・フォーニア</strong>(ds)といったトリオは健在だが、新たな試みとして<strong>ジョー・ケネディ</strong>のアレンジとコンダクティングによる15人編成のストリング・セクションが加えられている。結論から云うと、そのサウンドは概して美しく、リスナーを飽きさせないだけの多様性があると、ぼくは思う。ケネディはペンシルヴェニア州ピッツバーグ出身のジャズ・ヴァイオリニストで、のちにアーゴ・レコードからリリースされた『<em>リッスン・トゥ・ザ・アーマッド・ジャマル・クインテット</em>』(1961年)では、ギタリストの<strong>レイ・クロフォード</strong>とともにプレイヤーとして参加している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにケネディは、マルチ・インストゥルメンタリストの<strong>ベニー・カーター</strong>、ハーモニシストの<strong>トゥーツ・シールマンス</strong>、ピアニストの<strong>ビリー・テイラー</strong>、それに<strong>モダン・ジャズ・クァルテット</strong>らとの共演でも知られるが、やはりジャマルとの関係が密接。考えてみればケネディは、ジャマルと同郷(ピッツバーグ)の士だった。ずっとあとにもバードロジー盤『<em>ビッグ・バード〜ジ・エッセンス・パート 2</em>』(1996年)や、WEA盤『<em>アーマッド・ジャマル・ア・パリ</em>』(1999年)といったジャマルのアルバムで、彼のクレジットを確認することができる。またストリングスのアレンジャー、コンダクターとしてもケネディは、カデット・レコードからリリースされたジャマルのリーダー作『<em>ラプソディ</em>』(1966年)において、再登板を果たしている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">世界でもっとも本作を再評価しているのは日本のジャズ・ファン</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところが実は、ケネディが指揮するストリングスが擁されたことこそ、この『<em>ジャマル・アット・ザ・ペントハウス</em>』が長い間ジャマルの代表作と捉えられる機会を逸した原因と、ぼくには思われるのである。というのも、ピアノ・トリオにストリング・セクションが加えられたジャズ作品は、思いのほか多く存在すると思われるのだけれど、どうも一部の原理主義的なジャズ・ファンや辛口の批評家の間では、商業主義的過ぎるとかジャズ本来の魅力が薄れるとか云われて、忌避される傾向にあるからだ。確かに制作サイドには、イージー・リスニングやムード音楽のように、サウンドをジャズに馴染みのない一般大衆向けに聴きやすくするという狙いもあるだろう。また、事前にきっちり書かれた譜面に沿ったトリオのパフォーマンスにおいては、大なり小なりインタープレイの旨みが薄くなることは否めないのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういう理由から『<em>ジャマル・アット・ザ・ペントハウス</em>』は、いわゆるカクテル・ピアノ作品として手にとることすら躊躇われるのではなかろうか。確かに本作はそういう機能もしっかり果たす、リラックスした雰囲気を楽しむことができるピアノ・トリオ作品である。なおカクテル・ピアノとは、ホテルのラウンジ、レストラン、クラブなどで演奏される、さっぱりと洗練された感じの、洒落たピアノ演奏のこと。楽しい気分や心地いい空気を作り出し、その場を満たすことに主眼が置かれた音楽。端的に云ってしまえば、BGMだ。食事や会話の妨げになってはいけないので、当然のごとくハードなプレイはご法度。だから、そんなムードはあるけれど、そのぶんソフトでライトな響きは、スクェアなジャズ・ファンにはだいぶ物足りなく感じられるのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただし、たとえば<strong>レッド・ガーランド</strong>の演奏に象徴されるような、スウィンギーでディープな味わいのカクテル・ピアノもあることを、ご承知おきいただきたい。確信をもって云い切ってしまうけれど、ガーランドのピアノ・プレイは絶品だ。そしてそれには“引き算”と表現したくなるような、上品で優雅な美しさが感じられる。“引き算”とは、熱くなって力まかせに弾いたりせず、ゆとりのある寛いだプレイをするということを意味する。そんなガーランドのマナーは、テクニックやメソッドに違いはあるものの、前述のように意識的に音数を少なくしていき、絶妙な“間”をつくるジャマルのそれに通じるものがある。というかガーランドは間接的にではあるが、間違いなくジャマルから影響を受けているのである。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9697 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/st3.png" alt="犬のドラマー＆ストリング・オーケストラのイラスト" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/st3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/st3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ジャマルのシングル・トーンで音符を少なめに弾くスタイルが、モダン・ジャズの帝王、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>に影響を与えたことは、あまりにも有名だ。ついでに云うとマイルスは、ジャマルのスペースをとる弾きかたに加え、軽妙なタッチ、小気味いいリズム感、出しゃばることのないさり気ない表現などが、たいそうお気に召していたよう。マイルスもどちらかというと吹きまくるタイプではないが、彼の音楽の美しさに関する独特の理念は渋くもあり鋭くもありで、やはりジャズ・ジャイアントと呼ぶに相応しい。ところでマイルスのアルバム『<em>スティーミン</em>』(1961年)に収録されている「飾りのついた四輪馬車」は、明らかに『<em>バット・ノット・フォー・ミー</em>』に収録されているジャマルのヴァージョンからヒントを得ている。そしてマイルスはサイドメンのガーランドに、ジャマルのように弾け！と指示していたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで本題に戻るが、ジャマルのアルバム『<em>ジャマル・アット・ザ・ペントハウス</em>』もまた、上質のカクテル・ピアノ作品と云える。むろんジャズ・ファンが忌避すべきものではない。ストリングスのサウンドは概して美しいが、過剰にスウィートなわけではなく、エスプリの効いた機微が織り交ぜられソフィスティケーテッドな印象を与える。ジャマルはそのアンサンブルに呼応するように、軽やかに浮遊しながら無駄を削ぎ落としつつも、緻密に構成された楽句および装飾音を重ねていく。アナログ時代には国内発売がなかったものの、2005年、2009年、さらに2024年と３度も国内盤CDとしてリイシューされたことから察するに、世界でもっとも本作を再評価しているのは他でもない日本であると思われる。これは個人的にも、嬉しいことである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムの冒頭を飾るのは、<strong>アレックス・クレイマー</strong>、<strong>ジョアン・ホイットニー</strong>夫婦の「コム・シ・コム・サ」で、ピッツィカートからデタシェまで軽やかに跳ねるストリングスに清々しい気分にさせられる。ポジティヴな空間を縫うようにジャマルのピアノが雅趣に富んだフレーズを綴っていく。決してそのテクニックが誇示されることはないのだが、しっかり機知に富んだエクスプレッションが繰り出されている。その適度にスウィングするタッチには、感服するばかりだ。つづく<strong>ホーギー・カーマイケル</strong>の「アイヴィー」は、このアルバムのハイライトではなかろうか。弦楽器の代表的な奏法が連発されるものの、その使われかたにはまったく無駄がない。そんななかでトリオは、きわめて魅力的なラテン・グルーヴを確立させている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジャマルは独特のシンコペーションが生み出す強い推進力に乗って、あたかも浮遊するように軽やかなフレーズを紡いでいく。そしてここでは、フォーニアのマレットを使った、音数を徐々に高密度化しリズムに疾走感を与えるプレイが随一だ。<strong>ジュール・スタイン</strong>の「ネヴァー・ネヴァー・ランド」では、ジャマルの４ビートでのほどよくブルージーなソロ、チャチャチャ調になってからの華麗な駆け上がりと駆け降りが楽しい。ストリングスを背景としたクロスビーのベース・ソロも花を添えている。総じて肩の力の抜けた演奏が絶妙だ。<strong>ヴィクター・シャーツィンガー</strong>の「タンジェリン」では、軽快なマンボのリズムに乗ってジャマルの指が鍵盤の上を俊敏に動きまわる。ストリングスのバッキングも実に収まりがいい。レコードでは、ここまでがA面である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　B面トップのジャマルのオリジナル「アーマッズ・ブルース」では、ゆったりとしたテンポのなか、ジャマルのフレージングに独自のブルース・フィーリングが横溢する。やはりジャマルの自作曲「セレリタス」では、ジャマルならではのリラクゼーションに富んだバラード演奏を堪能することができる。こういう曲でも艶やかさと軽やかさとが交錯するところが彼らしい。ストリングスのソツのないサポートも好感度が高い。<strong>リチャード・ロジャース</strong>の「アイ・ライク・トゥ・レコグナイズ・ザ・チューン」では、アップテンポに乗ってジャマルのピアノが小気味よく跳ねる。ストリングス挿入のタイミングも巧妙。そしてなんといってもフォーニアによる力強くも安定したビートの刻みが素晴らしい。ピアノとの４バースもクールだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>バド・エステス</strong>の「アイム・アローン・ウィズ・ユー」では、ロマンティックなストリング・セクションが大きくフィーチュアされる。ここでのジャマルはアンサンブルを引き立てるように控えめにプレイ。クロスビーによるベースのフィルインもいい塩梅だ。アルバムのラストを飾る<strong>ジョー・ケネディ</strong>と<strong>セオドア・ベネット</strong>との共作「ソフィスティケーテッド・ジェントルマン」もまた、ストリングスのアンサンブルに重点が置かれたナンバー。トレモロやポルタメントが出来する、ケネディの機知に富んだアレンジが見事。転調が上手く使われた浮遊感を与える都会的なバラードだが、弦楽器をセンターに据えたトリオは、情感あふれる演奏に徹するばかりだ。最後の２曲などは、いかにもカクテル・ピアノと云われて軽く扱われそうだが、叙情的で洗練された音楽として、じっくり味わいたいものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>谷川賢作 − 大野雄二 / 犬神家の一族 オリジナル・サウンドトラック (2006年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 06 Sep 2026 08:01:15 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Soundtrack]]></category>
		<category><![CDATA[Kensaku Tanikawa (谷川賢作)]]></category>
		<category><![CDATA[Yuji Ohno (大野雄二)]]></category>
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					<description><![CDATA[30年のときを超えて蘇るふたつの『犬神家の一族』の音楽──大野雄二による貴重なボーナス・トラックも追加された新旧スコアのダブル・フィーチュア盤]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">30年のときを超えて蘇るふたつの『犬神家の一族』の音楽──大野雄二による貴重なボーナス・トラックも追加された新旧スコアのダブル・フィーチュア盤</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
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<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>谷川賢作 − 大野雄二 / 犬神家の一族 オリジナル・サウンドトラック (2006)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : 那須の金田一耕助</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">日本映画の常識を覆すエポックメーキング的かつエヴァーグリーンな音楽</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　音楽家、<strong>大野雄二</strong>がこの世を去ったことはこのブログでもお伝えしたが、昨日のことのように思えてならない。大野さんは2026年５月４日午前６時８分、老衰のため東京都の自宅で永眠された。直前まで普段と変わることなく過ごされていて、就寝中に苦しむことなく安らかに旅立たれたとのこと。享年84歳だった。大野さんの誕生日である５月30日に開催されたライヴ公演「Lupintic All Stars Produced by YUJI OHNO」も、まだ記憶に新しい。そしてその会場となったフード＆ドリンクの提供とライヴ公演とが組み合わされたクラブ＆レストラン、東京都港区赤坂のビルボードライブ東京において、去る９月１日、２日の両日、大野さんのお別れの会が開かれた。関係者から一般のファンまで多くのひとたちが、それぞれの思い出を胸に大野さんを偲んだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　云うまでもなく大野さんは、ジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせ、テレビアニメ『ルパン三世』第２シリーズ(1977年 – 1980年)をはじめとする、テレビや映画のテーマ曲やアンダースコアを数多く手がけ、作曲家として広く知られるようになった音楽家だ。その出世作といえば、1970年代の中ごろから1980年代半ばにかけて隆盛を極めた、角川映画の初作品『犬神家の一族』(1976年)だろう。<strong>市川崑</strong>監督、<strong>石坂浩二</strong>主演による金田一耕助シリーズの第１作でもある。主人公の私立探偵、金田一耕助をはじめて原作どおりの着物姿で登場させたことも当時は画期的だったが、大野さんが作曲したテーマ曲「愛のバラード」のハンガリーの打弦楽器ハンマード・ダルシマーとシンセサイザーとがユニゾンした独特の音色で奏でられる流麗なメロディは、一般大衆だけでなく各界にも爽やかな衝撃を与えた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それまでの日本映画の主題曲や劇伴といえば、西洋芸術音楽の流れを汲んだものが主流だった。たとえばクラシック音楽だと、<strong>伊福部昭</strong>、<strong>眞鍋理一郎</strong>、<strong>芥川也寸志</strong>、<strong>佐藤勝</strong>、<strong>林光</strong>、現代音楽だと<strong>湯浅譲二</strong>、<strong>武満徹</strong>などがすぐに思い浮かぶのだが、これは個人的に好きな作曲家である。ただ当時小学生だったぼくにはどう贔屓目に見ても、それらの大作曲家たちのペンによる数々の名曲よりも、大野さんの「愛のバラード」のほうが新鮮に感じられたのだ。<strong>ヘンリー・マンシーニ</strong>が作曲した『シャレード』(1963年)のテーマ曲を彷彿させる、モダンな３拍子のメロディック・ラインといい、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>が『コンドル』(1975年)のテーマ曲で試みたハンガリーの民族楽器、ツィンバロンとモーグ・シンセサイザーとをミックスする手法に倣ったサウンドいい、とにかく新しかった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9655 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/inugami1.png" alt="犬神家の一族のワンシーン・イラスト(沈みかけるボートから珠世を助ける金田一)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/inugami1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/inugami1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　それまで映画音楽を１、２本しか手がけたことがなかった大野さんを大作映画『犬神家の一族』の音楽制作に起用したのは、映画の製作総指揮を執った角川書店の当時の青年社長、<strong>角川春樹</strong>。角川さんは、日本テレビのサスペンスドラマ・シリーズ『火曜日の女』(1969年 &#8211; 1973年)および『土曜日の女』(1973年 &#8211; 1974年)の劇伴や、NHKのニュース番組『ニュースセンター９時』(1974年 &#8211; 1988年)のテーマ曲を聴いて、大野さんがクリエイトするフレッシュなサウンドに注目したのだという。氏の狙いは、映画、書籍、音楽のメディアミックスだったわけだが、そういう戦略が意欲的に行われ成功した例としては、おそらくこの映画が最初だったのではなかろうか。映画は空前の大ヒットを記録。原作本は、異例の売り上げを達成。映画公開前に発売された「愛のバラード」のEPレコードも、スマッシュヒットとなった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　折に触れて実感するのだが、角川さんはまったく型破りというか、虚心坦懐なひとだ。なにせ『犬神家の一族』の音楽の制作費に、当時の日本映画の相場50万円に対し、500万円以上を投じたというのだから──。氏が音楽メディアを、原作本や映画の収益向上を補完するものであり、相乗効果をもたらす重要なファクターと見ていたことは明らかだ。というのも、角川映画のサウンドトラック・アルバムや主題曲を収録したEPレコードといえば、概ね映画の公開前に発売され、しかもそれらは常に単に劇伴を記録したものではなく、鑑賞用音楽として成立する作品に仕上げられていたからだ。その手法は当初、メディアミックスの一環だったのだろうが、それが結果的に日本映画のサウンドトラックに新風を吹き込み、延いては商業音楽を高い次元にもっていく足がかりとなったことは事実である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　日本の映画音楽の高品質化に先鞭をつけた『犬神家の一族』のサウンドトラックの吹き込みは、通常の音楽作品と同様に撮影所以外のレコーディング・スタジオにおいて、当時としてはスタンダードだった16トラックのMTRが使用されて行われた。映画公開直後に発売されたサウンドトラック・アルバムには、サントラ盤というよりもどちらかというと、<strong>大野雄二/プロジェクト</strong>による情趣に富んだ上質のクロスオーヴァー/フュージョン作品といった風情がある。このサウンドが現代においてもリスナーに爽やかな衝撃を与えるのは、まず間違いないことと思われるのだが、それと同時にこのサントラ盤のコンテンツとフィルム用ソースとにイメージのズレを感じる向きも非常に多いと想像される。そしてそれには、合理的な根拠があるのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　もともとビクター音楽産業からLPレコードとして発売されていた『犬神家の一族』のオリジナル・サウンドトラック・アルバムを、1998年にカルチュア・パブリッシャーズがはじめてCD化した際、フロントブックレットに<strong>市川崑</strong>監督のコメントが掲載された。それには「サウンドもフレッシュな音楽をと<strong>角川春樹</strong>君の推薦で<strong>大野雄二</strong>君を起用した」という一節がある。しかしながら実際は、市川監督は当初、大野さんがクリエイトしたサウンドに難色を示したのだ。大野さんの証言によると、氏はまず選曲を担当した<strong>大橋鉄矢</strong>に「大野さんの作った曲は一切受け付けられません」と云われ、監督からも「大野君、悪いけど僕の映画にはちょっと合わないなぁ」とダメ出しを食らったとのこと。監督はそれこそ西洋芸術音楽の流れを汲むような楽曲、ことに現代音楽的な音を求めていたのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところが、音楽ライターである<strong>不破了三</strong>の取材によると、レコーディングで指揮を担当したコンダクターの<strong>吉澤博</strong>(市川監督より年長者)が、大野さんの音楽に異を唱える市川監督に「あんたねぇ、大野さんに任せたんなら現場でごちゃごちゃ言いなさんな！」と一喝したそうだ。吉澤さんは、映画音楽指揮の第一人者。<strong>小津安二郎</strong>監督の諸作をはじめとする日本映画の黄金期を音楽面で支えた名コンダクターである。大野さんとはその後も『人間の証明』(1977年)や『野生の証明』(1978年)などで一緒に仕事をしている。以上、たいへん興味深いエピソードではあるが、結局のところ大野さんは、フィルムスコアリング手法(出来上がった映像の尺に合わせて音楽をつける方法)で、ふたたびレコーディングに臨むこととなった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　映画と切り離しても独立した音楽作品として大野サウンドをたっぷり味わうことができる『犬神家の一族』のオリジナル・サウンドトラック・アルバムが、映画を鑑賞したひとに思い描いていたものと異なる印象を与えるのは、そんな事情があるからだ。ちなみに多少なりとも大野さんに影響を与えた<strong>ヘンリー・マンシーニ</strong>は、フィルム・ヴァージョンとは別に、商品化のためのフルレングス・ヴァージョンをレコーディングすることで有名。映像から離れても鑑賞するに足る音楽をリスナーに提供するという、映画音楽の名匠のこだわりである。とにもかくにもこのサントラ盤の音源は、それまでの日本映画の常識を覆すようなエポックメーキング的かつエヴァーグリーンなもの。その楽曲といえば、ゼロ年代の音楽シーンにおいて<strong>DJ MURO</strong>がレア・グルーヴとして採り上げるくらい、キャッチーなのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">リメイク版『犬神家の一族』はキャスティングの時点でつまづいている</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ではここで、その音源の吹き込みについて具体的に触れておく。EPレコードとして発売された「愛のバラード」とそのB面に収録された「憎しみのテーマ」は、1976年８月に東京都中目黒に所在するモウリスタジオ(現モウリアートワークススタジオ)において録音された。<strong>大野雄二とファンタスティック・ブルー</strong>と銘打たれたバンドのクレジットには、<strong>杉本喜代志</strong>(g)、<strong>高水健司</strong>(b)、<strong>市原康</strong>(ds)、<strong>穴井忠臣</strong>(perc)、<strong>中川昌三</strong>(fl)など、その後の大野サウンドに欠かせない敏腕プレイヤーの名が連なる。なおアルバムのほうに収録されたそのほかの楽曲では、日本を代表するファーストコール・ミュージシャン、<strong>岡沢章</strong>がベースを弾いている。しかも、レコーディング＆ミキシング・エンジニアは、あの<strong>ナイアガラ・トライアングル</strong>の作品を手掛けた<strong>吉田保</strong>。名作には名作たる所以があるのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムのほうのレコーディングは1976年９月、主に港区麻布十番に所在するアオイスタジオにおいて行われた。こちらでは、大野さんと長年コンビを組んだ<strong>伊豫部富治</strong>がエンジニアを務めた。むろんアルバムにもEP盤の２曲は収録されたのだが、それらは若干ミックスが異なる。特に「愛のバラード」は、EP盤ではダルシマーのリバーブレーションが深くされたり、ストリングスが前面に押し出されたり、パートごとに強調されるところがあった(映画ではこちらのヴァージョンが使用されている)。ところが、アルバムではそれらの効果が若干弱められている。また、22小節ほど新たなイントロも付け加えられている。おそらく、アルバムとしての均衡維持が優先されたのだろう。機会があれば、ぜひ聴き比べていただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに『犬神家の一族』のオリジナル・サウンドトラック・アルバムの収録曲について、お伝えしておく。オープナーの「愛のバラード」につづくのはプログレ風の「怨念」だが、長尺の混成曲でアルバム中もっとも聴き応えのあるナンバーだ。ダルシマーと琵琶も使用されているが、ハモンド・オルガンの猛演やストリングスのトレモロも効果的。そして、なんといってもエレクトリック・ギターのソロがダイナミックで秀逸。途中、劇中で金田一耕助のテーマ的に使われている曲のモティーフも現れる。３曲目の「呪い住みし館」は、<strong>大橋鉄矢</strong>により加工されフィルムでも使用された曲だが、エキサイティングなドラムスのソロが白眉。冒頭のギターを床に叩きつけて出した衝撃音もインパクトが強いが、このサウンドエフェクトは大野さんが音楽を手がけた劇場アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)で流用された。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9656 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/inugami2.png" alt="犬神家の一族のワンシーン・イラスト(一族を前に遺言状を読み上げる弁護士)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/inugami2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/inugami2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ミッドテンポのフュージョン・ナンバー「仮面」は、エキゾティックなアコースティック・ギターが素晴らしい。フェンダー・ローズのコンピングも効果的だ。フリー・ジャズが全開する「終焉」は、映画でも使用された。ローズとウィンドチャイムのデュオ「愁いのプロローグ」は、透明感が際立つインタールード。８分の６拍子のロック・チューン「憎しみのテーマ」は、アコースティック・ピアノの内部奏法とブルージーなアドリブがビターな味わいを醸し出している。本編でも使用されたコード進行の美しい「瞑想」は、アコースティック・ギターとフェイズシフトされたローズの音色が清涼感を生んでいる。その後、チェンバー・ミュージック風の「湖影」テーマ曲のスローなヴァリエーション「祈り」アコースティック・ギターがフラメンコからジャズへ転換するクールな「受難の血」とつづく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これらの３曲は劇中音楽とは異なるトラックだが、作品の世界観はしっかり伝わってくる。さらに、オーボエ、ハープ、ストリングスが重厚でありながら爽快な感動を喚ぶ「幻想」は、映画の終盤でアウトロの一端のみが使用された。そしてアルバムは「愛のバラード」の別ヴァージョン、主旋律を奏でるダルシマーがピアノ演奏に差し替えられた「孤独」で締めくくられる。全体的な印象は大野さん自身も述べているとおり、サントラ盤というよりは<strong>横溝正史</strong>の世界観が音で再現されたイメージ・アルバムといった感じだ。そういえばオリジナルのLPレコードには、サウンドトラックという記載がどこにもなかった。この不朽の名作、多くのファンから長年愛されつづけ、2018年にはビクターエンタテインメントから、紙ジャケットが採用されオリジナルのLPレコードが忠実に再現された仕様のCDが発売された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さて、ここからは少しハナシを変えさせていただく。1976年に製作された『犬神家の一族』は、ミステリー映画史、延いては日本映画史に残る傑作として現在も非常に高い評価を受けているが、公開から30年後の2006年におなじ監督、主演コンビで再映画化されている。<strong>市川崑</strong>といえば、生涯にわたりセルフリメイクを繰り返した映像作家として知られる。もっとも有名なのは『ビルマの竪琴 第一部・第二部』(1956年)を『ビルマの竪琴』(1985)として再映画化したケースだろう。ほかにも映画『恋人』(1951年)を1959年に日本テレビ系列でドラマ化、やはり映画『足にさわった女』(1952年)を1960年に日本テレビ系列でドラマ化、さらに映画『黒い十人の女』(1961年)を2002年にフジテレビ系列でドラマ化、逆に日本テレビ系列のテレビドラマ『破戒』(1961年)を1962年に映画化している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　市川監督がセルフリメイクを繰り返すのは、むろん自作への思い入れの強さからなのだろうが、同時にいくばくかの不満も抱えていて、それが監督にとってスッキリと諦められない心残りとなっていたのだろう。<strong>市川崑</strong>というひとは、観客にとっては些細なことでも、自分が納得していなければ、それを修正したいという思いを常に抱いていたのではなかろうか。そういう気持ちはよくわかる。映像作家に限らず意識の高いクリエイターは、多かれ少なかれ自作の細部をブラッシュアップしたいと、絶えず思うものなのである。おそらく市川監督は、文句のない箇所ではオリジナルを忠実に再現し、気の済まない箇所には新たなアプローチを加えていたのだろう。そして、実は監督がその作業を楽しんでいるかのようにさえ、ぼくには思われて仕方がないのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　とはいっても、セルフリメイクが成功しているかどうかはハナシが別で、結論から云うと、市川作品のファンであるぼくでも『犬神家の一族』のリメイクは失敗だったと思う。監督は折に触れて「キャスティングが終わったとき、演出は70パーセント終わっている」というような言及をするのだが、2006年版『犬神家の一族』は、そもそもキャスティングの時点でつまづいているように思われる。再映画化に際してプロデューサーを務めた<strong>一瀬隆重</strong>の意向がかなり反映されているように思われるのだが、率直に云って、1976年版よりも2006年版のほうがいいと思われる配役は皆無である。たとえば、原作では「この世のものとは思えない」と描写された美しさを誇るヒロイン、野々宮珠世といえば、なんといっても旧作の<strong>島田陽子</strong>だろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　あの透き通るような美しさと凛とした上品さを漂わせる珠世役は、申し訳ないが新作の<strong>松嶋菜々子</strong>にとって少々荷が重過ぎたのではなかろうか。また、両作で金田一耕助を演じた石坂さんでさえ、卓越した表現力の持ち主であるとはいえすでに65歳、かつての軽快さは失われ、いささか動作が鈍い。旧作で金田一にほのかな恋ごころを覗かせる那須ホテルの女中、はるを新作では<strong>深田恭子</strong>が演じたが、金田一との関係性はもはや祖父と孫娘のようなものにさえ映る。そういえば、劇場でぼくのまえの席に座っていた10代の女の子が、一緒に来た母親に「金田一を演っているひとって、<strong>武田鉄矢</strong>？」と訊いていた。確かに、そう見えなくもない。おそらく1976年版は未見であろう彼女にとって、2006年版『犬神家の一族』は果たして面白い映画だったのだろうか。訊いてみたくなる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">1976年版のフィルムスコアリング手法で録音したトラックの一部を収録</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　むろんぼくが『犬神家の一族』のリメイクが失敗と捉えるのは、キャスティングのミス以外にも理由はある。ここでそれをいちいち列挙する余地はないが、これだけは云っておきたい。それはラストシーンの違いについてだが、事件を解決した金田一が皆から見送られることを厭い発車寸前の汽車に飛び乗るという、旧作の潔い幕切れがいかにも市川作品らしくて、ぼくは大好きなのだ。ところが新作は、金田一が田園風景のなかを徒歩で去っていく場面で終わる。おまけに彼は一度振り返り、あたかも観客へ向けて別れの挨拶をするかのごとくお辞儀をする。これは、甚だ野暮ったく感じられた。そしてこのときぼくは、監督の公私にわたるパートナー、脚本家、そして演出に対する生産的な助言者でもあった<strong>和田夏十</strong>亡きあとの市川作品が、ことごとく精彩を欠いていることを、あらためて実感したのだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　市川崑は日本映画においてぼくのもっとも敬愛する監督だが、結局のところ91歳の視点で修正された『犬神家の一族』については、結果的に趣味の域を出ることができなかった作品と捉えられた。ただブラッシュアップされた箇所もある。それはオープニング・クレジットで流れる「愛のバラード」についてなのだが、1976年版では不自然というより無惨と云うべき編集が施されていたのに対し、2006年版ではスムースなトリミングが講じられていた。この新作における<strong>大野雄二</strong>のクレジットは、“テーマ音楽”となっているが、実際は「愛のバラード」以外にも、映画の序盤にあたる珠世が湖で危機に瀕するシーンで大野さんのスコアがそのまま使用されている。また、それよりまえの金田一が那須市に現れるシーンで流れるトラックは、本人のアレンジではないが大野さんの曲のモティーフが採用されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　きっと市川監督も30年のときを経て、比類なき旧作の音楽が映画本編だけでなく映画史にさえ及ぼした波及効果を実感し、大野サウンドを是認するに至ったのではなかろうか。とはいっても2006年版の音楽は、作曲家でピアニストの<strong>谷川賢作</strong>が担当している。谷川さんは『鹿鳴館』(1986年)以降『かあちゃん』(2001年)を除く、すべての市川作品の音楽を手がけたひと。ジャズ・ピアニストの<strong>佐藤允彦</strong>に師事したということだが、氏の音楽にジャズっぽさはあまり感じられない。どちらかというと、ニューエイジ・ミュージック系のミュージシャンと云えるかもしれない。シンセサイザーを主軸とした、ある意味で背景音楽あるいは環境音楽のような谷川さんのスコアは、アートオリエンテッドな市川監督にとって、理想の映画音楽なのだろう。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9657 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/inugami3.png" alt="犬神家の一族のワンシーン・イラスト(湖面から突き出した逆立ち死体の脚)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/inugami3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/inugami3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ただ谷川さんのアンダースコアは、飽くまで情景描写および心理描写に徹しており、ハッキリ云って大野サウンドのような推進力をもたない。それでもエピックレコードジャパンからリリースされた2006年版『犬神家の一族』のサウンドトラック・アルバムは、十二分に購入する価値のある音盤である。この２枚組CDアルバムは、DISC 1には谷川さんによる2006年版のスコアが、DISC 2には既発の大野さんによる1976年版のトラックが、それぞれ収録されている。なおこの商品化にあたり、DISC 2には新たに８曲のボーナス・トラックが追加されたのだが、実はこの点がもっとも意義深い。この件に関しては後述するので、まずは「愛のバラード」のメロディが音楽全体の軸に据えられ構築された、谷川さんのスコアについて触れておく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　DISC 1に収録されている谷川さんによるスコアは、全部で46曲。よってどのトラックも短尺であり、飽くまで背景音楽としてシーンごとの雰囲気を醸成する役割を果たすことに終始。いわば典型的かつ及第点のサウンドトラックではあるが、鑑賞用音楽の水準には達していない。谷川さんのソロ・ピアノで演奏された「松子のテーマ (ピアノスケッチ)」と「珠世のテーマ (ピアノスケッチ)」は、比較的長めのリリカルなトラックだが、フィルムスコアではなくアルバムの体裁を整えるために用意されたものだろう。このピアノ演奏は新宿区西早稲田のアバコクリエイティブスタジオにて録音された。それ以外のほとんどのトラックは、杉並区成田東に所在する谷川さんのアトリエ、TAMスタジオで吹き込まれた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　粛々と演出意図を効果的に補完するような楽曲がつづくなかにも、疾走感に富んだ「金田一走る」緊張感が漂う「車中にて」瞑想的な「碧瑠璃の湖面」透きとおるような色彩感をもつ「国破れて山河あり」形而上的な静謐を湛えた「観音岬の朝」牧歌的な「事件解決」飄逸な「一本道」といった、印象的なトラックもいくつかあるのだが、なぜか映画本編では積極的に使用されていない。そんななか「金田一の休日」では、大野さんの「愛のバラード」のメロディが正弦波のシンセ・サウンドによって静かに奏でられる。いちばんの聴きどころは、ラストシーンからエンドクレジットにかけて使用された「エンディング」で、大野さんの「愛のバラード」や「怨念」に谷川さんの「松子のテーマ」が挟み込まれたアレンジの妙味、そして生演奏の臨場感が際立つ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この「エンディング」は、かつて渋谷区桜丘町にあったYAMAHAの伝説的なレコーディング・スタジオ、渋谷エピキュラスで録音された。なお、DISC 1の掉尾には、女性シンガーソングライター、<strong>アンジェラ・アキ</strong>の作詞作曲および歌唱による「On&amp;On (サウンドトラックversion)」が収録されている。いい曲なのだけれど、飽くまでイメージソングであって、映画本編とはなんの関連性ももたない。そしてなんといっても、この２枚組CDの最大の目玉といえば、DISC 2に新たに追加された８曲のボーナス・トラックだろう。これらはさきにも触れたとおり、大野さんが市川監督の意向に沿って、あらためてフィルムスコアリング手法で録音したトラックの一部。レコーディングは1976年９月16日、18日に、前述のアオイスタジオにおいて行われた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まず「愛のバラード (Movie Version~Main Title)」は、オープニング・クレジットの尺に合わせて演奏されたせいか、原曲よりテンポが微妙に速い。アレンジのエラボレートネスとサウンドのダイナミクスという点でも、きわめて劣る。結果的に本編では、EPレコードのヴァージョンがトリミングされ使用された。つづく「那須の金田一耕助」は、劇中で金田一耕助のライトモティーフとして使われた曲、未使用のアップビートな曲、そして金田一が那須ホテルから湖を眺めるシーンなどで使用された曲のメドレーとなっている。３曲目の「惨劇」では、不穏な空気を生み出すいくつかの背景素材に交じって「愁いのプロローグ」「呪い住みし館」の別ヴァージョン、さらに犬神佐清の帰還シーンのショッキングなキューなどが展開される。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに「愛と憎しみの狭間」は「瞑想」の別ヴァージョンだが、映画の後半で犬神松子と佐清とが対面するシーンで使われた。５曲目の「憎しみのテーマ (Movie Version)」は、青沼静馬が松子に正体を明かすシーンで使用された。ロッキッシュなテーマ部は未使用である。後半は佐清が珠代に別れを告げにくるシーンで使用された主題曲のヴァリエーション。短いながら、チェロのソロとストリングスとによるドラマティックな展開に胸が熱くなる。６曲目の「祈り (「愛のバラード」より・Movie Version)」は、金田一が那須市を去る日のシーンで使用された曲。哀愁を帯びながらも爽やかさを感じさせる。７曲目の「妄執の果て」では、冒頭の犬神佐兵衛の臨終シーンをはじめ随所で使われた重厚で緊迫感のある曲から、終盤の松子と珠世との会話シーンで使用された「湖影」の別テイクへ──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにこのトラック、ソロ・ピアノによる「愁いのプロローグ」へとつづくのだが、なぜかこの曲は、シンプルかつトランスペアレントな印象深いナンバーであるのにもかかわらず、LPレコードのヴァージョンともどもまったくの未使用となっている。８曲目の「孤独 (「愛のバラード」より・Movie Version-Finale)」は一部分だけだが、さきの「祈り (「愛のバラード」より・Movie Version)」とミックスされて、エンディングで使用された。以上は、1976年版『犬神家の一族』の音楽を立体的に楽しむための非常に貴重な音源と云えるが、2006年版でも使用された珠世が湖で危機に瀕するシーンで流れる音楽をはじめ、いまだ日の目を見ない曲もある。不世出の音楽家、<strong>大野雄二</strong>の出世作品ということもあり、今後の掘り起こしを期待する次第である。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>横倉裕 / YUTAKA (1988年)</title>
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		<pubDate>Sun, 30 Aug 2026 07:23:32 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[Yutaka Yokokura (横倉裕)]]></category>
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					<description><![CDATA[アメリカのフュージョン・シーンで成功した数少ない邦人ミュージシャン、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、シンガー、箏奏者、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニアとして、マルチプルな活動をする横倉裕のGR [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">アメリカのフュージョン・シーンで成功した数少ない邦人ミュージシャン、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、シンガー、箏奏者、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニアとして、マルチプルな活動をする横倉裕のGRPレコード移籍第１作『YUTAKA』</span></h2>

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<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>横倉裕 / YUTAKA (1988)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Warm And Sunny Sunday Morning</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">不世出の天才音楽家のこれまでの歩みを振り返る① 日本編</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　久しぶりに、<strong>横倉裕</strong>のアルバムについて語ってみたい。横倉さん本人名義のアルバムは、実はたったの４枚しか存在しない。ファースト・アルバムの『<em>ラヴ・ライト</em>』(1978年)は、このサイトでもご紹介したことがあるので、今回は順序よくセカンド・アルバム『<em>YUTAKA</em>』(1988年)についてお伝えする。念のために云っておくと、アルファレコードからリリースされた『<em>ラヴ・ライト</em>』は、アメリカ西海岸のラジオ・ステーションにおいてヘヴィ・ローテーションとなり人気を博した。まもなくレコードが廃盤になると、未使用盤はもちろんのこと、中古盤でさえ高額で取り引きされるようになった。本盤は長い間クレート・ディガー垂涎のアイテムとなっていたが2023年、日本において最新のリマスターでリイシューされた。廃盤にならないうちに購入されることをお勧めする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで<strong>横倉裕</strong>はアメリカ西海岸において、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、シンガー、箏奏者、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニアとして、マルチプルな活動をするミュージシャン。とはいっても横倉さんは、紛れもなく日本人アーティストであり、そのキャリアも相当長いのにもかかわらず、いまもって知るひとぞ知る存在なのだ。彼の音楽にたまたま触れることができたひとは、かく云うぼく自身も含めて、ほんとうに幸運だと思う。なぜなら、最初に断言してしまうけれど、横倉さんは世界にただひとりの音楽家であり、彼が創造する音楽は際立って個性的で、だれにも真似することのできないものだからだ。しかもそのサウンドはとにかくハイセンスで、BGMとしてもアーバン・ライフスタイルによくマッチする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　にもかかわらず、横倉さんの音楽はいまだに一部の音楽通から高く評価されるのみにとどまり、日本の音楽ファンの間で語られる機会がほとんどない。そしてその原因は、彼のキャリアを振り返るとよくわかる。かいつまんで云うと、実は横倉さんは、高校時代から音楽業界の注目を集めるほどの実力者で、20歳でプロデビューを果たしている。その後の活躍が期待されたが1973年、突然、在籍していた成蹊大学を中退して単身渡米、活動の拠点をロサンゼルスに移してしまう。1988年には、<strong>YUTAKA</strong>名義で自己の音楽作品を制作するようになる。さらに2006年以降は、なんと<strong>カルロス “ユタカ” デル・ロザリオ</strong>という別名で活動するようになり、いまでは日本語を使うことがままならないくらい、あちらのひとになっているのである。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9535 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la1.png" alt="アメリカ西海岸ロサンゼルスの風景(イラスト) ①" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ぼくはこれまでこのブログにおいて、事あるごとに横倉さんについて語ってきた。ずっと横倉さんの音楽を追いかけてきたものからすれば、ひとりでも多くのひとに彼のことを知ってもらいたい──そう思うのは、当然の心理ではなかろうか。だから何度でも、自分がもっている情報や記憶に限られるけれど、横倉さんについて繰り返してお伝えしようと、ぼくは思うのである。ということで早速、この不世出の天才音楽家のこれまでの歩みを振り返ってみよう。<strong>横倉裕</strong>は1952年６月26日、東京都世田谷区にある代々つづく旧家の子どもとして生まれた。いやいや、もう74歳にもなるのか──。それはともかく、横倉さんは３歳からクラシック・ピアノのレッスンを受け、10代の半ばには本格的に作曲もはじめていたという。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　横倉さんは、幼少期から日常的に音楽や楽器に触れられる、実に恵まれた家庭環境で育った。両親が所持していた、ジャズ・ピアニストでシンガーの<strong>ナット・キング・コール</strong>、女性ポップ・シンガーの<strong>パティ・ペイジ</strong>、さらには諸々のビッグ・バンド・ジャズなどのSPレコードを、横倉さんは２歳のころから聴いていたのだという。またそのいっぽうで、ピアノのこころえのある母親が弾いていたことから、<strong>フレデリック・ショパン</strong>のエチュードにも親しんでいたとのこと。ちなみにピアノを嗜んだものとして云わせてもらうと、ショパンの全27曲の練習曲はどれも、演奏するにあたって高度な演奏技術と深い芸術性が要求される。それはさておき、ティーンエイジャーとなった横倉さんは、<strong>ザ・ビートルズ</strong>からモータウン・サウンドまで幅広く音楽を聴いていたそうだが、日本の作曲家に注目することは一度もなかったという。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　横倉さんの音楽は、ブラジリアン・ミュージックからの影響が強いが、やはり２歳のころから聴いていた両親所蔵のSP盤が幼い彼に刺激を与えたのだった。<strong>ルイス・ゴンザガ</strong>と<strong>ウンベルト・テイシェイラ</strong>との名コンビによる「バイアォン・ジ・ドイス」や<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>と<strong>ヴィニシウス・ジ・モライス</strong>とによる名曲「イパネマの娘」などが、当時の愛聴曲だったとか──。興味深いのは、前者のノルデスチのリズムと後者のボサノヴァのハーモニーとをかけ合わせると、にわかに横倉さんがクリエイトするサウンドがイメージされるということ。彼の音楽が孕むブラジリアン・テイストが、にわか仕込みでないことは明らかだ。そうしたなかで横倉さんがもっとも影響を受けたブラジルの音楽家といえば、ブラジリアン・ポップを世界的なものにした<strong>セルジオ・メンデス</strong>だった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんな横倉さん、中学生のころにはロック・バンドでドラムを叩いたりしたこともあるそうだが、成蹊高等学校に進学すると自己の音楽性をアピールしたバンド、<strong>ザ・マザーズ・ウォーリー</strong>を結成。同バンドで、1970年にヤマハ音楽振興会が主催する第４回全日本ライト・ミュージック・コンテストに出場し、自作曲「ジャスト・アフター・ザ・レイン」においてフォーク部門の第１位を獲得した。ただしこの曲、フォークではなく英語詞の爽快なボサノヴァ・ナンバーだ。幸いなことにこの音源は、1971年にポリドール・レコードが発売した『<em>第４回 全日本ライト・ミュージック・コンテスト・グランプリ1970</em>』(CD化済み)というアルバムで聴くことができる。まだ高校１年生だった<strong>杉山美奈子</strong>のリード・ヴォーカルをはじめ、バンド・パフォーマンスのクオリティの高さに驚かされる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに杉山さんは、1973年にワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)から「雨のハーバーライト」というEPレコードをリリース、プロデビューを果たしている。リズム・アンド・ブルース色の強い楽曲をソウルフルに歌い上げていて、その後の活躍が期待されたが、惜しくも若くして亡くなられたそうだ。いっぽう横倉さんのほうも、それにさき駆けて20歳にしてプロデビューを果たしている。日本ではまだ歌謡曲が全盛だった1972年に、本格的なブラジリアン・グルーヴをサウンドの主軸に据えたポップ・グループ、<strong>NOVO</strong>を結成し、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、そしてシンガーとしてプロ活動を開始した。ところが、EPレコード２枚をリリースするもヒットに恵まれず、ほどなくしてバンドは自然消滅。リーダーである横倉さんが、単身渡米し活動の拠点をロサンゼルスに構えたからだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その後、<strong>NOVO</strong>あるいは横倉さんが発信した、その新し過ぎた高い音楽性について触れられる機会は、ほとんどなかった。ところが2003年、ジャンルに囚われない音楽を提供するというコンセプトで立ち上げられた、キングレコード傘下のPOP SHOPレーベルが、EP盤の既発音源をリマスターした４曲とお蔵入りした未発表音源８曲をすべて収録した『<em>NOVO コンプリート</em>』をリリースしたのだ。楽曲の内訳は、<strong>カーリー・サイモン</strong>、<strong>ミシェル・ルグラン</strong>、<strong>アントニオ・アドルフォ</strong>、そして<strong>ジョアン・ドナート</strong>といったジャンルを超えた４曲のカヴァー、コンポーザー、プロデューサー、そして後のアルファレコードの創設者でもある<strong>村井邦彦</strong>のペンによる２曲、そして横倉さんのオリジナル６曲となっている。どのトラックも、半世紀以上もまえの音楽とは思えないくらい新鮮に響く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">不世出の天才音楽家のこれまでの歩みを振り返る② アメリカ編</span></h3>
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<p>　いま聴いてもフレッシュなのだから、歌謡曲全盛時代にはひときわ異彩を放っていたであろう<strong>NOVO</strong>、新しすぎたが故に当時の大衆には受け入れられなかったのだ。トラックダウンまで済んでいながら長い間世に出ることのなかった音源が『<em>NOVO コンプリート</em>』として日の目を見るにあたり、ブラジル音楽を吸収したポップ・ユニット、<strong>オレンジ・ペコー</strong>のギタリスト、<strong>藤本一馬</strong>が「大先輩に大きなリスペクトの気持ちを感じています」と、DJでプロデューサーの<strong>須永辰緒</strong>が「今ここできっちりと再評価してあげよう」と、それぞれコメントを寄せているが、ぼくもまったく同感だった。AIまで導入されて刹那的な需要に応えるだけの音楽が粗製濫造されるいまの情報化時代において、この<strong>NOVO</strong>の音楽はまるで限りなく硬度が高く光を失わない宝石のように、ぼくには思われて仕方がない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そして、<strong>NOVO</strong>のサウンドの完成度の高さは間違いなく、ひとえに横倉さんの音楽を創造するうえでの、尋常ではないこだわりによるものだろう。たとえば、そのリズム・セクションのアレンジやオーケストレーションの秀逸なマナーは、おそらく独学によるものなのだろうが、その後彼が出会うことになるメンターたちへの憧憬と敬意とが生み出した青春の日の軌跡なのだ。この奇跡的な音楽はPOP SHOP盤が廃盤になったあとにも、名盤発掘で定評のあるウルトラ・ヴァイヴによって、メンバーの意向に沿った曲順に改められたうえでリイシューされた。この『<em>ラヴ・イズ・ゼア – NOVO コンプリート・ワークス –</em>』(2013年)で特筆すべきは、この再編にあたり2012年と2013年の新規録音２曲が追加収録されたこと。特に現役から離れていたシンガー、<strong>藤川あおい</strong>の新たな歌唱が披露されたことは、まさに奇跡と云うしかない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いささか長くなってしまったが、横倉さんは<strong>NOVO</strong>時代に、たまたま来日していた憧れの存在、<strong>セルジオ・メンデス</strong>と面会し(のちに横倉さんは1991年から2011年までセルメンのグループのキーボーディストを務めることになる)、その後、やはり<strong>カーペンターズ</strong>とともに来日していた、クワイアマスターの<strong>フランク・プーラー</strong>とコンタクトをとり、その伝手で1973年ついに渡米する。彼はプーラーが教授を務めるカリフォルニア州立大学で作曲とピアノを専攻。やがて、当時セルメンのオーケストレーションを担当していた、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>に師事するようになる。さらにグルーシンの仲立ちで、ジャズからポップスまで歌う人気シンガー、<strong>ペギー・リー</strong>のアレンジャーとして６年間働いた。それから数年後、横倉さんはいよいよソロ・アルバムの制作に取りかかる。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9536 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la2.png" alt="アメリカ西海岸ロサンゼルスの風景(イラスト) ②" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　横倉さんは1978年、当時、海外向けの戦略としてフュージョン作品を活発にリリースしていたアルファレコードと契約する。さきにも触れたが、アルファの創始者であるとともに、シティ・ポップの先駆的メロディメーカーでもあった<strong>村井邦彦</strong>は、<strong>NOVO</strong>がカヴァーした<strong>トワ・エ・モア</strong> の「愛を育てる」と<strong>赤い鳥</strong>の「窓に明りがともる時」の作曲者だ。そして横倉さんのファースト・アルバム『<em>ラヴ・ライト</em>』は、歴史的な観点からもハイクオリティなジャパニーズ・フュージョンのエクスプローラーと云える、村井さんが自らエグゼクティヴ・プロデューサーを務める、アルファレコードからリリースされる運びとなった。なおレコーディングは、1978年の６月から７月にかけて、ロサンゼルスのラスク・サウンド・スタジオとニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオにおいて行われた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『<em>ラヴ・ライト</em>』はアルファレコードの１枚であるとともに、もとはデュオ・クリエイティクスという名称の原盤制作会社で、当時アリスタ・レコード傘下でGRPレーベルを立ち上げる直前だった、グルーシン/ローゼン・プロダクションによって制作された作品でもある。プロデューサーの<strong>デイヴ・グルーシン</strong>と元ドラマーでレコーディング・エンジニアの<strong>ラリー・ローゼン</strong>は、すでに<strong>アール・クルー</strong>、<strong>ノエル・ポインター</strong>、<strong>パティ・オースティン</strong>をデビューさせており、横倉さんの場合もそれに追随する形となった。先蹤同様、本作は素晴らしい出来映えとなったが、まさか将来、クレート・ディガー垂涎のアイテムになるなんて、当時はだれも想像しなかっただろう。しかも『<em>ラヴ・ライト</em>』は、レコーディングにおいて琵琶、箏、尺八といった和楽器が採用されたことにより、ひときわ異彩を放つ作品に仕上がった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　横倉さんは、コンテンポラリー・ジャズのサウンドに和楽器の音色を加えることによって、異国に身を置く日本人としての自己のアイデンティティを表現したのである。とはいっても、それはキワモノ的なオリエンタル・ミュージックではなく、むしろアーバンなムードが横溢する洗練された音楽なのだ。いまあらためて本作を聴き直してみると、どの楽曲も即興演奏は控えめで、メロディとアンサンブルが重視されていることがわかる。しかも、終始ミッド・テンポの曲で構成されているところが、非常に現代的であるようにも感じられる。このあたりに『<em>ラヴ・ライト</em>』がシティ・ポップとして、世代を超えて再評価されるに至った要因があるのかもしれない。いずれにしても、ここにあるサウンドが時代を超えて愛される良質の音楽であることは間違いない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただこの『<em>ラヴ・ライト</em>』は、卓越した音楽作品であることには違いないのだが、横倉さんの音楽を長期的な視点で考えると、過渡期におけるひとつの成果のように思われる。というのもこのレコーディングでは、横倉さん自身がリズム・セクションのアレンジを一手に担っているのだが、ストリングス、ホーンズ、それにバッキング・ヴォーカルのアレンジにおいては、半数近くの曲で彼の師匠である<strong>デイヴ・グルーシン</strong>に協力を仰いでいるからだ。さらに、のちに横倉サウンドのトレードマークのひとつとなる、箏の演奏もロサンゼルス在住の日本人ミュージシャン、<strong>喜多嶋修</strong>や、日系アメリカ人三世によるバンド<strong>HIROSHIMA</strong>のメンバー、<strong>ジューン・クラモト</strong>によるもの。おそらく当時の横倉さんは、まだ箏のインストゥルメンタル・テクニックを身につけていなかったのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そしてなによりも『<em>ラヴ・ライト</em>』では、<strong>NOVO</strong>のもち味だった本格的なブラジリアン・グルーヴが、サウンドの主軸に据えられる場面は一切なかった。唯一グルーシン/ローゼンに見出されたばかりの、R&amp;B系の女性シンガー、<strong>パティ・オースティン</strong>と横倉さんとがデュエットした、アルバム・タイトル・ナンバー「ラヴ・ライト」は、テンポといいコード進行といい、その後大きく進化する唯一無二の横倉サウンドを彷彿させる。しかしながらアルバムの全体像を捉えると「ラヴ・ライト」は、グルーシン所縁のミュージシャンたちに囲まれたエマージング・アーティストの、ハイクオリティなフュージョン作品といった印象を与える。横倉さんのアイデンティティが目に見えて確立されるようになるのは、やはり1988年にGRPレコードと契約したあとの作品においてである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　横倉さんは、グルーシンがオーナーを務めるレーベル、GRPレコードにおいて心機一転<strong>YUTAKA</strong>名義で『<em>YUTAKA</em>』(1988年)『<em>ブラゼイジア</em>』(1990年)『<em>アナザー・サン</em>』(1993年)といった高品質のリーダー・アルバムを発表していく。作品を重ねるごとにそのサウンドは、オリエンタル・ムードが薄らぎブラジリアン・グルーヴが際立つようになる。横倉さんのヴォーカルがフィーチュアされる場面も徐々に増えていき、作品は次第にジャズ/フュージョンというよりも、どちらかというとニュー・アダルト・コンテンポラリーのフォーマットに収まるような様相を呈していく。それは原点回帰というわけではないが、かつて<strong>NOVO</strong>で横倉さんが繰り広げていたサウンドの発展系のように思われる。その点、横倉さんが自分の目指す道がなにかをポジティヴに見出したのだと、ぼくは解釈した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">アルバム『YUTAKA』とリリースに至るまでのおよそ10年間</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで『<em>ラヴ・ライト</em>』がアメリカ西海岸のマーケットを賑わせてから『<em>YUTAKA</em>』のリリースに至るまで、およそ10年のスパンが空く。横倉さんはもともと音楽に対する姿勢がストイックというか妥協知らずのひとだから、その仕事量は決して多くはなかった。そのぶん手がけた作品は、どれも極めて完成度が高い。この期間、横倉さんはニューヨーク在住の日本人ジャズ・ギタリスト、<strong>増尾好秋</strong>のフュージョン・アルバム『<em>ソング・イズ・ユー・アンド・ミー</em>』(1980)のレコーディングに、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディストとして参加。また、キーボーディスト兼シンガーの<strong>グレッグ・フィリンゲインズ</strong>のアルバム『<em>処女航海</em>』(1981年)の冒頭を飾る「ガール・トーク」で、スタイリッシュなホーンズ＆ストリングスのアレンジを披露した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そしてこの長いスパンにおける横倉さんの音楽活動といえば、ぼくの知る限りでは、あと彼が敬愛する<strong>セルジオ・メンデス</strong>の音楽を、その洗練されたアレンジメントでコンテンポラリー・ジャズ風に再現してみせた<strong>L. A. トランジット</strong>のアルバム『<em>ジ・ノヴォ</em>』(1986年)くらいのもの。しかしながらこの作品は、横倉さんの音楽を愛するものにとってはマストアイテムとも云うべきもので、重要なコンテンツを抱えている。本作のラインナップは、セルメン所縁のナンバー主体で構成されているのだが、そのなかに横倉さんのオリジナル・ナンバーが２曲交えられている。具体的には「ムイト・マイス」と「サマー・ウィズアウト・ユー」という曲で、ともに横倉さんの代表曲と云える。しかも両者ともこのアルバムのヴァージョンが初出となっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ブラジルの女性コーラス・グループ、<strong>クアルテート・エン・シー</strong>のメンバーだった<strong>レジーナ・ヴェルネッキ</strong>が作詞を手がけた「ムイト・マイス」は、独特のバランス感覚を有するサンバのリズム、意匠が凝らされたコード進行、テンション・ノートが多用された絶妙なハーモニーと、横倉サウンドが最大出力となったナンバー。1970年から<strong>セルジオ・メンデス＆ブラジル ’66</strong>のリード・ヴォーカリストを務めた<strong>グラシーニャ・レポラーセ</strong>が歌っている。レポラーセはセルメンの奥さまだ。この曲はのちに横倉さんがプロデュースを手がけたブラジリアン・フュージョン・グループ、<strong>ヴェラス</strong>のアルバム『<em>イーリャ・ドス・フラージス</em>』(1989年)というアルバムでカヴァーされた。そちらのリード・ヴォーカルは、<strong>ケヴィン・レトー</strong>。レトーもまた、セルメン・ファミリーのひとりだ。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9537 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la3.png" alt="アメリカ西海岸ロサンゼルスの風景(イラスト) ③" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　いっぽう<strong>ハーブ・アルパート</strong>の奥さまで、<strong>セルジオ・メンデス＆ブラジル ’66</strong>の初代リード・ヴォーカリストだった<strong>ラニ・ホール</strong>が歌詞を付けた「サマー・ウィズアウト・ユー」は、スローなボサノヴァのリズム、美しいコード進行、ノスタルジックなメロディック・ライン、そしてなんとも感傷的な歌詞がこころを揺さぶる名曲中の名曲。しかもこのヴァージョンでは、横倉さん自身が個性的なソフト・タッチの歌声を披露している。この曲ものちに、女優でシンガーの<strong>藤田朋子</strong>のファースト・アルバム『<em>ザ・ウーマン・イン・ミー</em>』(1989年)、そしてフィリピンのシンガー、<strong>チャド・ボルハ</strong>の４枚目のアルバム『<em>ショウ・ミー・ザ・ウェイ</em>』(2000年)においてカヴァーされている。むろんどちらも、プロデュースとアレンジは横倉さんが手がけている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにもうひとつ付言すると、この「サマー・ウィズアウト・ユー」は一般的に、<strong>NOVO</strong>の1973年のEPレコードとしてリリースされた「この星の上で」が原曲と観られている。確かにメロディック・ラインに類似する箇所があるのだが、キーがDからFにチェンジされる感動的なサビは「サマー・ウィズアウト・ユー」だけのものである。いずれにしても、この『<strong>ジ・ノヴォ</strong>』というアルバムは、マストハヴな１枚。また本作では、その時代を映し出す電子楽器、FMアルゴリズムを使用したデジタル・キーボード、音源内蔵のミュージック・シーケンサー、それに六角形のパッドを使用したエレクトロニック・ドラムなどが使用されている。本来それらは、いまとなっては旧時代的なサウンドとして響くのだろうが、ここで繰り広げられている音楽の普遍性の高さから、まったく違和感なく聴こえる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このことはひとえに、横倉さんの高度なミュージカリティを明示するものと云っても過言ではないだろう。そしてそのサウンドは、満を持して発表された『<em>YUTAKA</em>』のコンテンツに直結するものであるのだ。横倉さんのGRPレコードにおける最初のリーダー作『<em>YUTAKA</em>』では、横倉さん本人と<strong>デイヴ・グルーシン</strong>の７歳下の弟でキーボーディストの<strong>ドン・グルーシン</strong>とが共同でプロデュースを手がけている。吹き込みはグレンデールのモンタレー・スタジオ、ハリウッドのオーシャンウェイ・スタジオ及びサンセット・サウンド、そして横倉さんが所有するアルハンブラのダブル “Y” スタジオなどで行われた。レコーディング・エンジニアは、<strong>ジェフリー・ジレット</strong>と横倉さんが務めた。ミキシングは、キャピトル・レコーディング・スタジオにおいて<strong>ドン・マレー</strong>によって行われた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　主なレコーディング・メンバーは、<strong>横倉裕</strong>(key, koto, perc, vo)、<strong>ドン・グルーシン</strong>(key),<strong>ジェフ・フェア</strong>(synth prog)、<strong>オスカー・カストロ・ネヴィス</strong>(g, cavaquinho)、<strong>カルロス・リオス</strong>(g)、<strong>ポール・ジャクソン・ジュニア</strong>(g)、<strong>ティム・ウェストン</strong>(g)、<strong>フレディ・ワシントン</strong>(b)、<strong>エイブラハム・ラボリエル</strong>(b)、<strong>ジミー・ジョンソン</strong>(b)、<strong>カルロス・ヴェガ</strong>(ds)、<strong>ジョン・ロビンソン</strong>(ds)、<strong>ヴィニー・カリウタ</strong>(ds)、<strong>ルイス・コンテ(</strong>perc)、<strong>パウリーニョ・ダ・コスタ</strong>(perc)、<strong>エヴェラルド・フェレイラ</strong>(perc)、<strong>松居和</strong>(shakuhachi)、<strong>ポーリーン・ウィルソン</strong>(vo)、<strong>グラシーニャ・レポラーセ</strong>(vo)、<strong>バニー・ハル</strong>(vo)。さらに、<strong>シーウィンド・ホーンズ</strong>の面々によるホーン・セクション、<strong>シド・シャープ</strong>をコンサートマスターとするストリング・セクションが加わる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムのオープナー「カラーズ・オブ・ザ・ウィンド」は、横倉さんのオリジナル。シンコペーテッドなリズムと軽やかな箏のフレージングとが爽快感を与えるインスト。のちにシンガーの<strong>モーガン・エイムズ</strong>によって歌詞が付され、<strong>ポーリーン・ウィルソン</strong>のアルバム『<em>愛の</em><ruby><em>瞬間</em><rt>ひらめき</rt></ruby>』(1992年)でカヴァーされた。横倉さんの曲に<strong>HIROSHIMA</strong>のリーダー、<strong>ダン・クラモト</strong>が歌詞を付けた「ウォーム・アンド・サニー・サンデイ・モーニング」では、横倉さんとウィルソンとのデュエットがフィーチュアされる。ゆったりとしたAORから高速サンバへのメトリック・モジュレーションが効果的だ。横倉さんとカストロ・ネヴィスとの共作「ピーチ・ブロッサム・スプリング」では、箏と尺八とが絡み合って、麗らかな日和をイメージさせるような閑麗な演奏が展開される。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　横倉さんの曲に<strong>バニー・ハル</strong>が歌詞を付した「ドリームランド」は、ソフィスティケーテッドなコード進行のアダルト・コンテンポラリー。ヴァージョンは異なるが、過去に大京観光のCMで使用されていた。横倉さんのソフトでエアリーなヴォーカルが際立った、横倉サウンドが遺憾なく発揮されたナンバーだ。<strong>山田耕筰</strong>作曲、<strong>三木露風</strong>作詞の「赤とんぼ」では、ソロ・ピアノと柔らかなシンセとの絡み、美しいリハーモナイゼーションがノスタルジックなムードを醸成する。横倉さんの「ナイト・ウェイヴ」では、ホーンズ＆ストリングス、リズム・セクション、シンセサイザー、和楽器など、総力が結集され、アーバンかつダイナミックなフュージョン・サウンドが展開される。アルバム中、もっとも聴き応えのあるナンバーだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　横倉さんとハルとの共作「リヴィング・インサイド・オブ・ユア・ラヴ」は、ウィルソンのヴォーカルが弾けるディスコ・インフューズド・ポップ。横倉さんと<strong>ドン・グルーシン</strong>との共作「ザ・シャドウズ」は、箏が前面に押し出されたリフレッシングでブリージーな１曲。フュージョン・ギタリスト、<strong>エリック・ゲイル</strong>のアルバム『<em>レッツ・ステイ・トゥゲザー</em>』(1988年)でも採り上げられた。<strong>ドン・グルーシン</strong>の「アウトドア・ライフ」は、日本的情緒とデジタル・サウンドとが交錯するファンキーな曲。横倉さんの「オーロラ」は、サウンド・プログラミングのセンスが光る躍動感溢れるナンバー。師匠<strong>デイヴ・グルーシン</strong>からの影響が強く感じられる。そして<strong>ドン・グルーシン</strong>の「リフレクションズ」では、メランコリックなソロ・ピアノが美しくも影のある余韻を残す。全体的にはまだブラジリアン・グルーヴが控えめな本作ではあるが、<strong>横倉裕</strong>という音楽家がいかに逸材であるかを知るには、十分過ぎる１枚である。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Dave Grusin / Subways Are For Sleeping (1962年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 23 Aug 2026 08:06:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Dave Grusin]]></category>
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					<description><![CDATA[キャリアの早い段階でジャズ・ピアニストのポジションから身を引いたレジェンダリー・ミュージシャン、デイヴ・グルーシンのピアノ・トリオによるモダン・ジャズの王道を行くようなデビュー・アルバム『サブウェイズ・アー・フォー・スリ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">キャリアの早い段階でジャズ・ピアニストのポジションから身を引いたレジェンダリー・ミュージシャン、デイヴ・グルーシンのピアノ・トリオによるモダン・ジャズの王道を行くようなデビュー・アルバム『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
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<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Dave Grusin / Subways Are For Sleeping (1962)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Ride Through The Night</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">本盤の当時の価格といえば、中学生の財布にはいささか厳しいものだった</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくのもっとも敬愛する音楽家のひとり、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>のジャズ・アルバムをご紹介する。このエピック・レコードからリリースされた『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』(1962年)は、ジャケットに「イントロデューシング・デイヴ・グルーシン・アット・ザ・ピアノ」という表記があるとおり、正真正銘グルーシンのデビュー・アルバムだ。さらに「ア・ジャズ・ヴァージョン・オブ・ザ・ブロードウェイ・ヒット」という記載もあるのだが、これはこのアルバムが、1961年に初演された同名のブロードウェイ・ミュージカルの楽曲集であることを示すもの。云うまでもなくオリジナル・キャスト・レコーディングのレコードとは別物で、グルーシンによってオリジナルのアレンジが施された、純粋なジャズ・アルバムである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおこの「地下鉄は寝るためのもの」という意味のタイトルをもつミュージカルは、<strong>ベティ・コムデン</strong>と<strong>アドルフ・グリーン</strong>とが脚本と作詞を、<strong>ジュール・スタイン</strong>が作曲を手がけたもの。原案は<strong>エドマンド G. ラヴ</strong>によるノンフィクションで、ラヴ自身が1950年代をとおして地下鉄の車内で寝泊まりし、数多くの個性的なひとびとと出会った経験が綴られている。ミュージカルは、ニューヨークの地下鉄で暮らす、きちんとした身なりをした独特なホームレス・グループのリーダー、トム・ベイリーと、潜入取材を行う雑誌記者の女性、アンジー・マッケイとのロマンスが描かれたコメディ作品となっている。この作品、概ね否定的な批評を受けて開幕し、興行的にも成功とはならなかった。ニューヨーク市の交通局が、市内のバスや地下鉄の車内、駅構内への広告掲出を拒否したことが影響したとも云われている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ヒットしなかったわりにはこのミュージカル、1962年にオリジナル・キャスト・レコーディングによるレコードが、コロムビア・レコードによって発売されている。<strong>ジュール・スタイン</strong>の作曲の上手さも然ることながら、50以上のブロードウェイ・ミュージカル作品のオーケストレーションを手がけたアレンジャー、<strong>フィリップ J. ラング</strong>によるゴージャスかつエレガントなオーケストラ・サウンドがなかなかのもの。2001年にボーナス・トラックが追加されてCD化もされているので、興味のあるかたは手にとってみてはいかがだろう。特にグルーシンのジャズ・ヴァージョンしか聴いたことがないかたは、オリジナルを体験することによって、彼のペンによる小規模編成のアレンジがいかに原曲のいいところを引き出しているかを、はっきりと知ることができるだろう。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9593 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway1.png" alt="ブロードウェイをイメージさせる赤い背景に緑色のグランドピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　この「地下鉄は寝るためのもの」というユニークな題材を扱ったミュージカルは、アメリカの映画および舞台の振付師、ダンサー、そして俳優として有名な<strong>マイケル・キッド</strong>の演出によるもの。２回のプレビュー公演を経て1961年12月27日、トニー賞の聖地とも云われるセント・ジェームズ劇場で開幕し、計205回上演されたという。そのトニー賞において、キッドは振付賞にノミネート、出演者の<strong>オーソン・ビーン</strong>はミュージカル助演男優賞にノミネート、<strong>フィリス・ニューマン</strong>はミュージカル助演女優賞を受賞している。劇中の楽曲においても「カムズ・ワンス・イン・ア・ライフタイム」は、<strong>ジュディ・ガーランド</strong>がカヴァーしたことで広く知られるようになった。このガーランドの歌唱は、1962年にキャピトル・レコードによって７インチ・シングル盤として発売され、スマッシュヒットとなった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それにもかかわらずこのミュージカル、初演時は主要劇評家から厳しい評価を受け、興行的にも苦戦した。さらにさきに触れたニューヨーク市の交通局による広告ボイコットもあり、本作は当初から宣伝不足にも悩まされていたのだ。ところで、グルーシンによるジャズ・ヴァージョンだが、1961年11月８日、９日の２日間にわたってニューヨークの某所でレコーディングが行われている。つまりこのレコード、発売は1962年だが、制作はミュージカルの本公演どころかプレビュー公演よりもまえに行われていたのである。その点を考慮すると、グルーシンのアルバムは飽くまでミュージカルのプロモーションの一環として企画されたものと推測される。これはよくあるタイアップの手法であって、ミュージカルがヒットすればレコードのほうも一定の売り上げが期待できるというわけだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いかなる事情があるとはいえ、当時27歳だったグルーシンにとって『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』のレコーディングは、ミュージック・シーンに躍り出る千載一遇のチャンスだったと云える。まったく無名だったのにもかかわらず、当時コロンビア・レコードにおいてアレンジャー兼レコード・プロデューサーを努めていた<strong>ロバート・マージー</strong>に注目されたのだから。マージーは、当時グルーシンがバッキング・ピアニストを務めていたポップ・シンガー、<strong>アンディ・ウィリアムス</strong>のプロデューサーでもあった。むろんすでにグルーシンがジャズ・ピアニストとして卓越した才能をもっていたからこそ、知名度の低さをよそに彼に白羽の矢が立ったのだろうし、その軽妙なタッチと豊かなエクスプレッションは、実際にこのアルバムを聴いていただければおわかりいただけると、ぼくは思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いずれにしても、グルーシンのデビュー・アルバム『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』は、マージーのプロデュースによりコロムビア・レコードのジャズおよびクラシック音楽を専門にとり扱うレーベルとして創設されたエピック・レコードから、目出度くリリースの運びとなった。なおあらかじめお伝えしておくが、この作品、実は２種類のレコードが存在する。演奏は同一なのだが、カタログ番号がLN 3829のモノラル盤とBN 622のステレオ盤とが同時発売された。ジャケットのアートワークに微妙な違いがあるので、要注意である。なおステレオ盤のほうは、フロント・カヴァーに“ステレオ”と明記されるとともに、レコードのセンター・ラベルに“ステレオラマ”と記されている。“ステレオラマ”とは、“ステレオ”と“パノラマ”とがかけ合わされた造語で、エピック・レコードが標榜したものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくが最初に手に入れたのは、ステレオ盤のほうだった。すでにグルーシンの音楽に心酔していた中学生のぼくは、彼の３枚目のアルバム『<em>カレイドスコープ</em>』(1965年)の国内盤に付属していた、ジャズ評論家の<strong>岩浪洋三</strong>によるライナーノーツを読んで、はじめて『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』の存在を知った。だがこのアルバム、日本国内では発売されていなかったため、やっとのことでとある中古レコード店で見つけたときのぼくといえば、思わず小躍りして喜んだものである。ただこのレコードの当時の価格といえば、中学生の財布にはいささか厳しいものだった。それだけレアな音盤でもあったし、そのころのグルーシンはギタリストの<strong>リー・リトナー</strong>やサクソフォニストの<strong>渡辺貞夫</strong>との共演などで日本での人気が急上昇していたので、需要の高いレコードでもあったのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">ミュージック・シーンの表舞台に現れるまでのグルーシンの経歴</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それ以降も長い間、この『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』はリイシューされる機会がなかったため、内外の中古レコード市場においてコレクターズ・アイテムとして価格が高騰するばかりだった。モダン・ジャズの王道を行くようなそのコンテンツから、グルーシンに特別な関心を寄せるファンだけでなく、貴重なレコードを探し求める蒐集家からも注目を集めるようになってしまったからだ。そういう意味ではこのアルバム、グルーシンのディスコグラフィーにおいて、もっともファン泣かせの１枚だった。しかしながらそんな幻の名盤も2021年、アメリカのジャズ作品の復刻を専門とするスペインのレーベル、アメリカン・ジャズ・クラシックスによってついにCD化され、日本国内でも手軽に入手できるような状況になった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアメリカン・ジャズ・クラシックスというレーベルのリリース作品は、貴重な写真や引用文を掲載したブックレットが付属されたり、ボーナス・トラックが追加されたりすることが多く、なかなか好評を博しているようだ。その大半は２枚のLPが１枚のCDに収録されるという仕様なのだが、この『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』の場合も、グルーシンのセカンド・アルバムでやはりエピック・レコードからリリースされた『<em>ピアノ・ストリングス・アンド・ムーンライト</em>』(1962年)とのカップリング、リマスタリング、デジパック仕様でリイシューされた。なおこのアメリカン・ジャズ・クラシックス盤に収録されている『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』の音源は、モノラル盤のマスターが採用されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんな気の利いたアメリカン・ジャズ・クラシックス盤、実はすでに廃盤になっている。近年のCDは生産中止になるのが早いから、うかうかしていると呆気なく購入し損ねてしまう。ぼくにもそういうことがよくあるのだが、そういうときは自分には縁がなかったとあっさり諦めてしまう。そういう気ままさゆえ、ぼくはレコード・コレクターになれないのである。それはともかく、アメリカン・ジャズ・クラシックス盤を買い逃して悔しがっているかたに、朗報があるので一応お伝えしておく。稀少盤の復刻でお馴染みのバルセロナを拠点とするスペインのジャズ・レーベル、フレッシュ・サウンド・レコードが2023年、単体で『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』をCD化。ステレオ盤のマスターが採用された24ビット・デジタル・リマスター盤で、こちらは現在(2026年８月)も入手が可能のようだ。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9594 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway2.png" alt="ブロードウェイをイメージさせる赤い背景に紫色のグランドピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　さてすっかりあとになったが、グルーシンといえば、もはやフュージョン、スムース・ジャズ、アダルト・コンテンポラリー及び映画音楽を代表するキーボーディスト、コンポーザー、アレンジャー、そして音楽プロデューサーとして、世界に名だたる存在。かつてはコンテンポラリー・ジャズ、アダルト・コンテンポラリー系のレーベル、GRPレコード創設者のひとりとして社長も務めていた。2000年代以降はピアニスト、作曲家としてソロ活動に身を置いており、さすがに仕事量は減ったものの92歳になったいまも現役である。長年の盟友であるギタリストの<strong>リー・リトナー</strong>とともに制作した、ブラジル現地録音のコラボレーション・アルバム『<em>ブラジル</em>』を2024年５月に発表し、それに伴い同年11月には来日公演も果たし健在なプレイを披露した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなレジェンダリー・ミュージシャンがデビュー・アルバム『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』によって、ミュージック・シーンの表舞台に現れるまでの経歴を、簡単にまとめておく。<strong>デイヴ・グルーシン</strong>は1934年６月26日、アメリカ、コロラド州のリトルトンに生まれた。父親はラトビアからの移民でヴァイオリニストの<strong>アンリ・グルーシン</strong>、母親はピアニストの<strong>ロザベル・グルーシン</strong>、７歳年下の弟は、やはりジャズ・キーボーディスト、コンポーザー、アレンジャー、そして音楽プロデューサーの<strong>ドン・グルーシン</strong>である。そんな音楽一家に育ったグルーシンは、幼いころから音楽を学んでいる。ちなみに“グルーシン”という珍しい苗字は、スラヴ語においてジョージア人を指す民族名。その家系は、ジョージア王国を統治したバグラティオニ王朝のグルジンスキー公爵家に、ルーツをもつとのこと。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　少年時代のグルーシンはピアノ演奏を継続しながらも、高校生までは獣医になるつもりだった。大学へ進むにあたって、音楽の道へ路線変更。コロラド大学ボルダー校で音楽を学び、1956年に卒業している。グルーシンは、当時作曲科の主任教授だったクラシック音楽の作曲家、<strong>セシル・エフィンジャー</strong>や、同大学のジャズ・バンド、<strong>CU ジャズ・バンド</strong>を創設した、ジャズ・ピアニストでアレンジャーの<strong>ウェイン・スコット</strong>に師事した。大学を卒業したあとはアメリカ海軍に入隊し、航空業務に携わった。1958年に除隊したあと、1959年にニューヨークへ移り、マンハッタン音楽学校の大学院に進学し音楽の勉強を再開。当時は音楽教育の指導者を目指していたとも云われている。そうはいってもグルーシンは、ナイトクラブなどで継続的にジャズをプレイしていたのだが──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　コロラド大学在学中からヴィブラフォニストの<strong>テリー・ギブス</strong>やギタリストの<strong>ジョニー・スミス</strong>などと共演していたグルーシンではあるが、本格的なプロデビューはやはり『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』のレコーディングにおいて。さきにも触れたが、グルーシンはそれ以前に1959年ごろから<strong>アンディ・ウィリアムス</strong>のバッキング・バンドで働いており、ウィリアムスのコンサートツアーやレコーディングに参加している。彼は実際、ウィリアムスのケイデンス・レコード時代のヒット・アルバム『<em>淋しい街角</em>』(1959年)や、シャンソンを中心としたアルバム『<em>パリの空の下</em>』(1960年)などの制作に関わっているのだが、アンクレディテッドでの参加となっている。グルーシンは実力はあるものの、まだ世間に名が知られていないミュージシャンだったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　グルーシンはその後、1963年から1966年まで、テレビの音楽番組『アンディ・ウィリアムス・ショー』において、ミュージカル・ディレクターを務めた。なおGRPレコードのもうひとりの創設者、<strong>ラリー・ローゼン</strong>もまた当時、ウィリアムスのバンドでドラマーを務めていた。その後グルーシンは、ジャズ・ピアニストからアレンジャーに転身。1967年から1979年ごろまでブラジル出身の音楽家、<strong>セルジオ・メンデス</strong>のオーケストレーションを担当した。またグルーシンが、彼のもうひとつの側面である映画音楽の作曲家として活動しはじめたのもこのころのこと。<strong>バド・ヨーキン</strong>監督のコメディ映画『ディヴォース・アメリカン・スタイル』(1967年)が、その記念すべき第１作である。またグルーシンは1973年から、アメリカのポピュラー音楽界の巨匠、音楽プロデューサーの<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>の楽団に参加している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">どこまでもスマートな、無駄な音がない、実に肩の力が抜けた名演</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　1975年から1978年ごろまでのジョーンズのレコーディングでは、グルーシンのキーボード演奏とアレンジとがオーケストラの中核をなしている。ちなみにさきに挙げたウィリアムスの『<em>パリの空の下</em>』(1960年)の吹き込みにおいて、オーケストラのコンダクターを務めているのはジョーンズである。ここではグルーシンがピアノを弾いているわけだが、このパリでのレコーディングがふたりの出会いだったのかもしれない。それはともかく、トラディショナル・ポップ、ブラジリアン・ミュージック、映画音楽、そしてソウル・ミュージックといった、様々なフィールドにおけるキャリアが、グルーシンのヴァーサティリティに富んだ音楽性を深めたことは間違いない。彼が後年、次々と上質のフュージョン作品を世に送り出すようになるのも、大いに得心がいくというものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、キャリアの早い段階でジャズ・ピアニストのポジションから身を引いたグルーシンにおいては、数ある音盤のなかでもモダン・ジャズの王道を行くようなアルバムはきわめて少ない。公式にリリースされた作品は、<strong>ロバート・マージー</strong>がプロデュースを務めた３枚しか存在しないのである。具体的には、まずエピック・レコードからリリースされた２枚、トリオ編成による『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』と、トリオにストリング・オーケストラが加えられたカクテル・ミュージック風の『<em>ピアノ・ストリングス・アンド・ムーンライト</em>』がある。さらにコロムビア・レコードから、クインテットによるハード・バップ作品『<em>カレイドスコープ</em>』がリリースされた。なおこの吹き込みでは、<strong>ラリー・ローゼン</strong>がドラマーを務めた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その後グルーシンは、1960年代の後半まで、西海岸のギタリスト、<strong>ハワード・ロバーツ</strong>のグループで演奏していたこともあるが、早々にジャズ・プレイヤーとしての活動に終止符を打ち、アレンジャーとして名を馳せるようになるのだった。ついでに云うと、1977年にヴァーサタイル・レコードから『<em>ドント・タッチ</em>』というアルバムがリリースされている。グルーシンのスウィンギーなトリオ演奏を聴くことができるのだが、実はこのアルバムは著作権者に無断で発売されたものだった。すなわちいわゆるブートレグで、有名なジャズ・スタンダーズの扱いにおいても原題が架空の曲名や作曲者名に変更されていて、本盤の製造販売には明らかに恣意的なものが感じられる。ただその音源は、1960年代にエピック・レコードにおいて吹き込まれたデモテープがもち出されたものだった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9595 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway3.png" alt="ブロードウェイをイメージさせる赤い背景に青色のグランドピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　だからこの『<em>ドント・タッチ</em>』というレコード、一部ピッチがフラットする箇所があるものの比較的音質はいい。しかもグルーシンのプレイが、正規のエピック盤よりも力強く鮮やかに聴こえるから、まったく厄介だ。皮肉なことに本作は、彼が優れたジャズ・ピアニストであることを証明するものとなったのである。いずれにせよ、このレコードがブート盤であるのは紛れもないこと。今後、著作権者の許可のもとで正規品としてあらためて発売されることは、かなり見通しが低いと思われる。そんなわけで、グルーシンの長いキャリアにおいてオフィシャルな純然たるピアノ・トリオ・アルバムといえば、デビュー作の『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』１枚しか存在しないのである。そう云う意味でも、貴重な吹き込みと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムでサイドメンを務めているのは、ベーシストの<strong>ミルト・ヒントン</strong>とドラマーの<strong>ドン・ラモンド</strong>。ミシシッピ州ヴィックスバーグに生まれ、イリノイ州シカゴで育ったヒントンは、1930年代の中ごろから1950年代のはじめまで、ジャズ・シンガー兼バンドリーダーとして人気を博した<strong>キャブ・キャロウェイ</strong>の楽団に在籍したことで知られる。1950年代半ばからは、<strong>ハンク・ジョーンズ</strong>(p)、<strong>バリー・ガルブレイス</strong>(g)、<strong>オシー・ジョンソン</strong>(ds)とともに、星の数ほどのスタジオ・ワークをこなした。この４人は、俗に<strong>ザ・ニューヨーク・リズム・セクション</strong>と呼ばれほどの、ファースト・コール集団。ヒントンはある意味で、アメリカのジャズ・ベーシストのトップランナーとも云える。テクニックの高さにしても、リズムの正確さにしても傑出している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ヒントンは『<em>ピアノ・ストリングス・アンド・ムーンライト</em>』においても、僚友の<strong>オシー・ジョンソン</strong>とともにグルーシンをサポートした。かたやオクラホマ・シティ出身のラモンドは、1940年代の中ごろにクラリネッティスト、サクソフォニスト、そしてシンガーでもある<strong>ウディ・ハーマン</strong>のビッグ・バンドのドラマーを務めていたひと。おなじころ、アルト奏者の<strong>チャーリー・パーカー</strong>とともにビバップ・スタイルの演奏を繰り広げてもいた。グルーシンとの共演と同時期に、ピアニストの<strong>ディック・ハイマン</strong>、ギタリストの<strong>トニー・モットーラ</strong>、ベーシストの<strong>ボブ・ハガート</strong>、トランペッターの<strong>ドック・セヴァリンセン</strong>らを擁した<strong>ドン・ラモンド・アンド・ヒズ・オーケストラ</strong>名義のアルバム『<em>オフ・ビート・パーカッション</em>』(1962年)を吹き込んでいる。その演奏スタイルは、多岐にわたる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　では最後に『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』の収録曲について、簡単にメモしておく。アルバムのオープナー「アイム・ジャスト・テイキング・マイ・タイム」では、ピアノによるややファンキーなイントロから、テーマに入るとトリオによる落ち着いたテンポと寛いだ雰囲気のパフォーマンスが展開されていく。グルーシンによるシングル・トーンとブロック・コードを織り交ぜたアドリブのバウンス感が心地いい。ヒントンのソロも軽妙だ。流麗なジャズ・ワルツ「ライド・スルー・ザ・ナイト」では、サイドの表情豊かなバッキングも然ることながら、グルーシンによるドラマティックなアレンジとセンシティヴなピアニズムが絶品。スタイリッシュなサウンドは、のちのフィルム・スコアに通じる彼ならではのもの。個人的にはこのトラックがいちばん好きだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　やはりリリカルなイントロがグルーシンらしい「ナウ・アイ・ハヴ・サムワン」では、彼のソフィスティケーテッドでハートウォーミングなバラード・プレイを堪能することができる。エレガントなタッチのなかにもとき折ブルージーなテイストが垣間見えるのが、なんとも味わい深い。ハッピーなアップテンポ「ウェン・ユー・ヘルプ・ア・フレンド・アウト」では、グルーシンのファンキーでウィティなピアノ・プレイが全開。アルバム中もっともグルーヴィーなナンバーだ。B面のトップを飾る「ゲッティング・マリード」では、軽快なワルツのリズムに乗って、グルーシンによるストライドのヴァリエーションのような奏法が際立つ。かたやシングル・トーンでの疾走するスウィング感も、また心地いい。ノスタルジックなバラード「ハウ・キャン・ユー・デスクライブ・ア・フェイス？」では、余白が活かされたピアノ演奏が絶品だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　軽妙洒脱な「フー・ノウズ・ワット・マイト・ハヴ・ビーン？」では、グルーシンの紡ぎ出すフレーズが、スマートでセンスのいいユーモアを感じさせる。ヒントンのリズム感はしなやか。ラモンドのブラシとスティックとのもち替えも効果的だ。シックな雰囲気の「アイ・セッド・イット・アンド・アイム・グラッド」では、ゆったりとした律動と感傷的な響きのなかにも、グルーシンの深い表現力や間のとりかたに、知的なものが感じられる。アルバムを締めくくるアップテンポの「カムズ・ワンス・イン・ア・ライフタイム」では、トリオが息の合った連携プレイを展開。３人の緩急をつけた豊かな表現力が、楽曲をタイトなものにしている。特にグルーシンの感情や立体感を与えるピアノ・プレイが素晴らしい。それにしてもこのピアノ・トリオ、どこまでもスマート。無駄な音がない、実に肩の力が抜けた名演である。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Michel Legrand / Les Demoiselles De Rochefort &#8211; La Version Orchestrale (1967年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 16 Aug 2026 06:35:38 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[ミシェル・ルグランのめくるめくオーケストレーションが際立つフレンチ・ミュージカルの楽曲を本人が新たに録音した『ロシュフォールの恋人たち オーケストラ・ヴァージョン』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">ミシェル・ルグランのめくるめくオーケストレーションが際立つフレンチ・ミュージカルの楽曲を本人が新たに録音した『ロシュフォールの恋人たち オーケストラ・ヴァージョン』</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Michel Legrand / Les Demoiselles De Rochefort &#8211; La Version Orchestrale (1967)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Chanson D&#8217;Un Jour D&#8217;Été</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">ドゥミとルグランとのコラボレーションによる新鮮なエクスプレッション</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくは元来ミュージカルというと、その非現実的な表現方法から、どちらかというと及び腰になってしまうほうなのだが、フランスの映画監督、<strong>ジャック・ドゥミ</strong>が手がけた『シェルブールの雨傘』(1964年)と『ロシュフォールの恋人たち』(1967年)は、好きな映画だ。特に前者は全編歌唱のみの通常のセリフが一切ないミュージカルで、当時の映画作品としては、画期的な形式だったと思われる。小学校高学年のころ名画座で観たとき、いままでに体験したことのない世界に触れて、すこぶる感銘を受けた。どちらもストーリーラインは大したことないのだけれど、とにかく作品がもつ軽妙洒脱な感覚に共感を覚えた。フランスのひとはなんて洒落っ気があるのだろうと、年端もいかないぼくでも、憧憬の念をさえ抱いたほどだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういえばドゥミ監督は、長編デビュー作『ローラ』(1961年)においても、ちょっとしたミュージカル・シーンを挿入していた。それはぼくの大好きな女優、<strong>アヌーク・エーメ</strong>演じるローラが酒場で歌って踊る場面。実際はシャンソン歌手の<strong>ジャクリーヌ・ダノ</strong>が吹き替えで歌っているのだけれど、エーメのコケティッシュな魅力も然ることながら、ラウンジ感覚溢れるルンバ風の曲「ローラの歌」がとても印象的だ。これには面白い裏話があって、このシーンでは、撮影時に曲が完成していなかったため、監督の奥さまである<strong>アニエス・ヴァルダ</strong>が即興で作詞し、エーメはその歌詞を口にしながら踊ったのだという。当初、音楽を担当するはずだった<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>が、１曲も書かずに急用でアメリカに帰国してしまったからだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　結局、ジョーンズのピンチヒッターとなった作曲家は、映像を見ながらエーメの唇にピッタリ合わせながら作曲、およそ２分ほどのシークエンスのレコーディングにまる一日かかったという。そんな離れ技をやってのけたのは、フランスが生んだ天才作曲家、ジャズ・ピアニスト、<strong>ミシェル・ルグラン</strong>である。他愛のない日常やすれ違う恋を、“ヌーヴェルヴァーグの真珠”とまで云われたモノクロームの美しい映像と、反時代的な形式でもあるミュージカル・スタイルの導入とで、詩情豊かにおとぎ話のように描き出したドゥミ監督のセンスも素晴らしいが、超絶テクニックをもってして、しかもスウィートな音楽で映像に彩りを添えたルグランの世に稀な優れた才能に敬服させられる。やはりこのひと、天才と呼びたくなる。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9553 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p1.png" alt="エッフェル塔が見えるパリの風景(イラスト)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　この『ローラ』をぼくがはじめて観たのはずっとあとのことで、社会人になってからなのだけれど、まず驚かされたのは、この映画の物語が結果として『シェルブールの雨傘』の前日譚になっているという点。ローラの幼なじみで、彼女のことを初恋のひとと確信し求婚するものの、結局ふられてしまう青年、実は『シェルブールの雨傘』で<strong>カトリーヌ・ドヌーヴ</strong>演じるヒロイン、ジュヌヴィエーヴの結婚相手となる宝石商人、ローラン・カサールと同一人物なのである。しかもどちらの作品においても、カサールは<strong>マルク・ミシェル</strong>という俳優によって演じられている。確かに『ローラ』に登場する青年は、やや若々しくまだ口髭も生やしてはいないけれど、スラリとした長身といい端正なルックスといい、まさに『シェルブールの雨傘』のカサールそのひとである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに驚かされるのは、ルグランが『ローラ』のテーマ曲として作曲した「夢見るローラン・カサール」は、実は『シェルブールの雨傘』のなかの「カサールの求婚」と同一曲だったこと。翻案がお得意なニューヨーク出身の作詞家、<strong>ノーマン・ギンベル</strong>によって英語の歌詞がつけられ「ウォッチ・ホワット・ハプンズ」として広く知られるようになった、エレガントでブリージーなあの曲である。あとで知ったのだが『ローラ』のサウンドトラック盤は、映画が公開された1961年にフランスのシンフォニアというレーベルから、７インチレコードだがちゃんと発売されていた。前述の「ローラの歌」をはじめ「ミシェルと島々(チャチャ・ボレロ)」「ローラとエルドラド(自動ピアノ)」といった曲とともに「夢見るローラン・カサール」が収録されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『ローラ』のEP盤はなかなか入手が困難なのだが、2013年にユニバーサル ミュージックから発売された11枚組CDボックス・セット『<em>ジャック・ドゥミ＝ミシェル・ルグラン / リンテグラル ─ ザ・コンプリート・エディション</em>』において、未商品化タイトルも含めてそのアンダースコアの全容が明らかにされた。もし「ローラの歌」「夢見るローラン・カサール」だけ聴ければいいというのなら、日本でも国内盤が発売された『<em>ミシェル・ルグラン＝ジャック・ドゥミ作品集</em>』(2008年)がお薦め。企画倒れとなった『アヌーシュカ』をはじめ『ローラ』『天使の入江』(1962年)『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』『ロバと王女』(1970年)『モン・パリ』(1973年)『ベルサイユのばら』(1978年)『パーキング』(1985年)『想い出のマルセイユ』(1988年)といった作品の代表曲を聴くことができる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いずれにしても、ドゥミの色彩豊かな映像美とルグランの華麗でジャジーな美しい旋律とが重なることによって、フランス映画史に残る数々の名シーンが生み出されたことは確か。日常のささやかなセリフまで音楽にしてしまうという、ふたりのコラボレーションによるフレッシュなエクスプレッションは、後続の映画作品にも大きな影響を与えた。そして、その映像と音楽とが完全に融合した独特の美しさを孕んだ世界観は、ミュージカルがいささか苦手だったぼくをさえも夢中にさせたのである。幸いなことに『シェルブールの雨傘』は、日本でも２枚組のLPレコードが発売されていた。かたや『ロシュフォールの恋人たち』のほうは国内盤が見つからず、中古レコード店でようやく２枚組のフランス盤を手に入れた。それだけ、ルグランの音楽はぼくを魅了したのだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　前述のように少年時代に名画座通いをしていたぼくは、おなじころクラシック・ピアノの個人レッスンを受けながらポピュラー・ピアノも弾くようになった。むろん映画からの影響である。そして当時ぼくが影響を受けたフランス出身の映画音楽の作曲家といえば、<strong>ジョルジュ・ドルリュー</strong>、<strong>フランシス・レイ</strong>、そして<strong>ミシェル・ルグラン</strong>だった。ドルリューやレイの音楽にはじめて触れたときも、いたく感動させられたけれど、ルグラン・サウンドとの出会いには、それをはるかに凌駕するインパクトがあった。さきにも述べたが『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』といったドゥミ作品は、ミュージカルというある意味で非常に現実離れした、情緒的で甘美な世界。それを違和感なく上手くもち上げているのは、ルグランの華麗なサウンドである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はぼくは、かねてからルグランのことを天才的な山師と思っている。いささか云いかたはわるくなったが、彼の技巧が凝らされた豪華絢爛な音楽表現を目の当たりにすると、ついそんなイメージをもってしまうのだ。まだ小学生だったとはいえ、ピアノを弾くだけでは飽き足らず作曲や編曲にも興味をもちはじめていたぼくは、ルグランの書くスコアにすこぶる好奇心がそそられたもの。しかしながら実際には、ルグランのアレンジを真似しても絶対に上手くいかない。プロの音楽家においても、彼のマナーを模倣して失敗している例をしばしば見かける。ルグランはもっとも合理的かつ効果的にオケを鳴らす方法を知り尽くしていて、さらにそこから飛躍する。平たく云うと、ルグランという音楽家は実に要領よくハッタリを利かせるのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">不世出の天才音楽家のバックグラウンド、マスターピースについて</span></h3>
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<p>　ルグラン・サウンドが、通常のオーケストレーションとひと味もふた味も違うのは、音楽上のアイディアに大きなブレークスルーが生み出されているというところ。パリ国立高等音楽院でピアノ演奏とともに和声学をしっかり学び、同校を首席で卒業したルグランだけに、楽器の組み合わせかたや演奏のさせかたに精通しているのは当然のこと。彼は一般的な音楽理論はもちろんのこと、汲めども尽きぬ知恵の泉をもってして、すべての楽器が渾然一体となった世界を創り上げる。惜しげもなく大きく展開されるルグラン・サウンドは、けっこう派手に聴こえるのだが、決して乱脈を極めることもなく心地よく響くから不思議だ。そんな劇的効果を出せるのは、世界広しといえども彼だけではなかろうか。ドルリューやレイの音楽も好きだけれど、彼らのサウンドに大胆な概念はない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またルグランの特徴として、ソングライティングにおいてモティーフ・ディベロップメントが多用されることが挙げられる。おそらくルグラン自身にとってはお茶の子さいさいな技法、というかもはや無意識にやっていることなのかもしれない。彼がピアノに向かい左手でコードをラフに進行させながら、右手でつぎつぎにメロディを展開させていく光景が目に浮かぶようだ。それもなんとなく鼻歌まじりにやっていそう。と、これは飽くまで音を聴いたときのぼくの妄想で、実際はちゃんと作曲しているのだろう。いずれにしても、ルグランの十八番とも云える、ひとつのモティーフを展開させるようなパターンには、楽曲を一聴したリスナーのハートに強く刻みつける作用がある。そんな点からも彼のことを、<strong>モーリス・ラヴェル</strong>ではないが、音の魔術師と云いたくなる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにドルリューやレイにはないルグランの強みは、ジャズを素材として扱うのではなく本格的に演奏することができるということ。26歳のルグランは新婚旅行を兼ねてアメリカを訪れた際、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>(tp)、<strong>ジョン・コルトレーン</strong>(ts)、<strong>ビル・エヴァンス</strong>(p)ほか、ニューヨークの敏腕ジャズメンたちとともに、名作『<em>ルグラン・ジャズ</em>』(1958年)を吹き込んでいる。ルグランはアレンジと指揮に徹しているが、彼らしくハープなども入れたりしてユニークなモダン・ジャズを披露した。曲目がジャズ・プレイヤーが好みそうな渋めのセレクションで、実に興味深い。その20年後の吹き込み『<em>ジャズ・ルグラン</em>』(1979年)では、全曲彼のオリジナルでまとめられている、ルグランならではのビッグバンド・サウンドが冴えわたる好盤だ。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9555 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p2.png" alt="凱旋門が見えるパリの風景(イラスト)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ちなみに、ルグランはジャズ・ピアニストとしても何枚かアルバムを残している。1990年代には日本のレーベル、アルファ・ジャズからピアノ・トリオ作品をリリースして好評を得た。もっとも有名なのは、名門ヴァーヴ・レコードからの１枚『<em>シェリーズ・マン・ホールのミシェル・ルグラン</em>』(1968年)だろう。ピアノ・トリオでの吹き込みだが、<strong>レイ・ブラウン</strong>(b)、<strong>シェリー・マン</strong>(ds)といったサイドメンの人気からか、日本では評価が高い。ただルグランのピアノは、ちょっとデリカシーに欠けるきらいがある。これでもかというほど指を動かしているのだけれど、オーケストラのアレンジのときとは違い混沌たる音の氾濫に、思わず耳を覆いたくなる。やはりルグランの才気煥発の極みといえば、アレンジメントなのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ルグランはオーケストレーションの天才であり、しかもそのメソッドは異能異才と云える。ぼくはさきに彼のことを、ラヴェルの異名を拝借して音の魔術師と呼んだけれど、厳密には管弦楽の魔術師と云うほうが正解なのかもしれない。では、そんなルグランのマスターピースはなにかというと、ちょっと選ぶのが難しい。なぜなら、彼の手がけた音楽作品が、まあとにかく膨大な数に上るからだ。サウンドトラック以外の個人名義のアルバムだけでも相当ある。個人的なお薦めは、ベル・レコードからリリースされた『<em>ブライアンズ・ソング</em>』(1972年)と『<em>トゥエンティ・ソングス・オブ・ザ・センチュリー</em>』(1974年)、RCAレコードからリリースされた『<em>パリの恋人たち</em>』(1972年)と『<em>ミシェル・ルグランの世界</em>』(1976年)あたり。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なかでもぼくが聴きこんだのは、２枚組の『<em>トゥエンティ・ソングス・オブ・ザ・センチュリー</em>』だ。収録曲はルグランの自作が「シェルブールの雨傘」のみで、残りの19曲は20世紀を代表する名曲のカヴァーとなっている。ルグランのアレンジのマナーを知るにはあつらえ向きの、エキサイティングなアルバムだ。たとえば<strong>ヘンリー・マンシーニ</strong>の「ムーン・リヴァー」や<strong>ザ・ビートルズ</strong>の「イエスタデイ」あるいは<strong>サイモン&amp;ガーファンクル</strong>の「明日に架ける橋」といった、すでにオリジナルの完成度が高い楽曲でも、まるでルグランの自作曲のように聴こえてしまう。<strong>ジョゼフ・コズマ</strong>のシャンソン「枯葉」に至っては、あの有名な主題が見事に変奏され、まるで管弦楽のための音楽作品のような様相を呈しているのだから、まったく感服するばかりだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんな不世出の天才音楽家のバックグラウンドについて、いまさら不要かもしれないが簡単にメモしておく。<strong>ミシェル・ルグラン</strong>は1932年２月24日、パリ20区メニルモンタンに生まれた。父親は指揮者で作曲家の<strong>レイモン・ルグラン</strong>、母親はアルメニア系で楽譜出版社を経営していた<strong>マルセル・デル・ミカエリアン</strong>。２歳年上の姉はのちにアカペラ・ヴォーカル・グループ、<strong>スウィングル・シンガーズ</strong>のリード・ソプラノを務めることになる<strong>クリスチャンヌ・ルグラン</strong>。なお母親のマルセルは、シャンソンやフレンチ・ポップの黄金期を支えたバンドリーダー、<strong>ジャック・エリアン</strong>の姉に当たる。つまりルグランは、いわゆる音楽一家に育ったわけだ。幼少期からピアノを弾いていた彼は、11歳のときにパリ国立高等音楽院に入学し、<strong>ナディア・ブーランジェ</strong>に師事した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみにブーランジェは、印象主義音楽や原始主義音楽から影響を受けた作曲家であると同時に、20世紀のもっとも重要な作曲家や演奏家の数々を世に送り出したことで知られる音楽教育者でもある。たとえば、指揮者で作曲家の<strong>レナード・バーンスタイン</strong>、音楽プロデューサーでアレンジャーの<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>、ジャズ・ピアニストの<strong>キース・ジャレット</strong>、ジャズ・トランペッターの<strong>ドナルド・バード</strong>、アルゼンチン・タンゴの作曲家でバンドネオニストの<strong>アストル・ピアソラ</strong>などはみな、ブーランジェの門下生なのだ。そんな教え子たちのなかでもルグランは、12歳のときに上級ソルフェージュで、17歳のときには和声学で、それぞれ首席となった優秀な生徒。そして1952年、彼は20歳にして通常より４年も早く同音楽院を卒業しているのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところがそんな前途有為なルグランでも、クラシック音楽家としての職は得られず、1950年代は様々なシャンソン歌手のバックでアレンジと指揮を手がけた。そして1954年、映画界に通じていた父親のレイモンの紹介で、ルグランは<strong>アンリ・ヴェルヌイユ</strong>監督の映画『過去をもつ愛情』(1955年)のアンダースコアを担当する。映画にも出演しているポルトガル出身の女性シンガー、<strong>アマリア・ロドリゲス</strong>が歌唱した(<strong>カーコ・ヴェーリョ</strong>作曲、<strong>ダヴィッド・モーラン・フェレイラ</strong>作詞による)楽曲を、ルグランは流麗なオーケストラ・ヴァージョンにアレンジ。ポルトガル情緒を上手く醸し出した。映画のクレジットでは、音楽担当が<strong>リュシアン・ルグラン</strong>となっているが、実はこれはルグランが当時使っていたペンネームである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">ルグランの才気が遺憾なく発揮された、鑑賞用音楽として一級品の音盤</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またこれとおなじ年にルグランは、最初のオリジナル・アルバム、<strong>ミシェル・ルグラン・アンド・ヒズ・オーケストラ</strong>名義の『<em>アイ・ラヴ・パリ</em>』(1954年)を発表する。彼はこのときまだ22歳だったが、このデビュー作がスマッシュヒットとなり、国際的な音楽シーンに躍り出たのである。そのいっぽうでルグランはこのころ、俳優でシンガーの<strong>モーリス・シュヴァリエ</strong>のレヴューにおいて舞台監督を２年ほど務めたのち、1956年にシュヴァリエ一座のアメリカ公演に同行。ルグランにとっては初の渡米になったわけだが、これを機に彼の名前はアメリカの音楽シーンにおいて周知されるようになっていく。後年、名盤の誉れ高い『<em>ルグラン・ジャズ</em>』が制作されたことは、すでに触れた。その後ルグランは、ジャズ・ピアニスト、ポップ・シンガーとしても活躍するが、一般的には映画音楽の作曲家として広く知られた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ルグランは2019年１月26日にパリ西部近郊ヌイイ＝シュル＝セーヌにおいて、86歳でこの世を去る前年まで映画音楽の仕事をつづけていた。具体的には、巨匠<strong>オーソン・ウェルズ</strong>の未完の映画『風の向こうへ』(2018年)において、ウェルズの親友でもあったルグランは最後の力を振り絞ってスコアを書き上げた。サウンドトラック・アルバムもララ・ランド・レコードからリリースされたが、そのコンテンツは一聴でルグランの手がけたものとわかる。ただ、ダイナミックなオーケストラの演奏や、スタイリッシュなジャズ・プレイが展開されるなかにも、とき折アヴァンギャルドな面が窺われ、あらためてその感性の瑞々しさに驚かされた。20世紀後半のフランス映画音楽シーンをリードしつづけた音楽家の、まさに面目躍如たる仕事ぶりと云える。この傑出したフィルム・ミュージックが、ルグランの遺作となった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなルグランの音楽は、映像やストーリーラインがどうであろうと、いつも銀幕のなかで華となっている。ぼくには、そんなふうに思われるのだ。そういう特色がもっとも有益となった作品といえば、やはりドゥミ監督の『シェルブールの雨傘』と『ロシュフォールの恋人たち』ではなかろうか。この２作では、ある意味で音楽が主役だ。もしそこにルグランの音楽がなかったら、作品は無味乾燥で月並みなものとなっていたかもしれない。シノプシスだけを参照すると、かたや戦争という時代の流れに翻弄される若い男女の悲恋物語、かたや運命の恋を夢見るひとびとの交錯と、いささか陳腐なものに映る。そんな使い古されたストーリーの映画を時代を超えた名作に押し上げたのは、ドゥミ監督が書いた歌詞というか台詞に、一分の隙もなく華やかで優雅な旋律を載せた、稀代の音楽家ルグランの才覚と云える。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9556 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p3.png" alt="グランドピアノとエッフェル塔(イラスト)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　さきにも述べたが、この『シェルブールの雨傘』と『ロシュフォールの恋人たち』のレコード、ぼくは手に入れた当初はよく聴いていたのだけれど、いまはあまりターンテーブルに載せることがない。現代では多種多様のメディアやオンデマンド配信サービスが存在する。だが当時は映画を観る手段といえば、劇場に足を運ぶかテレビ放送を待つかしかなかった。日常的に映画音楽を楽しむには、レコードだけが頼りだったのである。いまならこれらのLPを手にとるくらいだったら、ミュージカル映画ということもあり、DVDや配信サービスで本編を観たほうが、その作品世界をより立体的に堪能することができるのだ。だからぼくは、前者に関してはサントラ盤よりも『<em>交響組曲「シェルブールの雨傘」</em>』(1979年)というアルバムのほうをよく聴く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムのコンテンツは、ルグラン自身がフィルム・スコアをピアノとオーケストラのための交響組曲にアレンジしたもの。演奏は<strong>ロンドン交響楽団</strong>で、指揮とピアノ演奏はルグラン自らが担当。数々のミュージカル・ナンバーがほぼ映画の進行どおりに、豪華絢爛かつ響徹雲霄なシンフォニック・サウンドで再現される。ときにはビッグバンド・ジャズ風なパフォーマンスもあり、オーケストラにエレクトリック・ギター、ベース、ドラムスといったリズム・セクションも加わる。それこそ天才的な山師のごとき、ルグランのアレンジの妙技をたっぷり味わうことができる１枚だが、このブログでも過去にご紹介した。ということで、今回は最後に『<em>ロシュフォールの恋人たち オーケストラ・ヴァージョン</em>』(1967年)について触れておく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このレコードは、フランスのフィリップス・レコードからリリースされた、映画のアンダースコアをもとに再録音されたもの。レコーディングでは、サウンドトラックの録音に参加したミュージシャンがふたたび起用されたとのこと。プロデューサーは『<em>アイ・ラヴ・パリ</em>』をはじめとするルグランの作品を多く手がけている、<strong>ナット・シャピロ</strong>。この音源は、さきに挙げた『<em>ジャック・ドゥミ＝ミシェル・ルグラン / リンテグラル ─ ザ・コンプリート・エディション</em>』にも全曲収録されているが、2017年に日本のユニバーサル ミュージックによって、世界初の単独オリジナル・フォーマットでのCD化がなされた。このCDのライナーのなかで、ルグラン研究の第一人者である<strong>濱田高志</strong>が、オリジナルLPに記載のなかったレコーディング・メンバーの一部を明らかにしている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それによるとメンバーは、<strong>ミシェル・ルグラン</strong>(p)、<strong>モーリス・ヴァンデール</strong>(p)、<strong>エディ・ルイス</strong>(org)、<strong>ダニエル・ユメール</strong>(ds)、<strong>ロジェ・ブルダン</strong>(fl)、<strong>レイモン・ギヨー</strong>(fl)、<strong>クリスチャンヌ・ルグラン</strong>(vo)、<strong>アン・ジェルマン</strong>(vo)など。ジェルマンは映画本編で<strong>カトリーヌ・ドヌーヴ</strong>の吹き替えをしたひとだ。12の収録曲は、進行もアレンジも映画のそれらとは異なる。オープニングを飾るのは、クラシカルな「コンチェルト」で、いきなり劇的な印象を与える。<strong>ビル・エヴァンス</strong>の名演「ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング」で知られる「マクサンスの歌」では、感傷的なメロディを荘厳なクワイアとリトル・ビッグ・バンドとが歌い上げる。ピッツィカートによるイントロが印象的な「夏の日の歌」は、軽やかにメトリック・モジュレーションする４ビート。個人的にはいちばん好きな曲だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　メランコリックなバラード「シモンの歌」では、チェンバー・ミュージックとモダン・ジャズとのミクスチュアが独特の味わいを生み出している。アップテンポのジャズ・ワルツ「バラバラ事件の女」では、ストリングスとオルガンの跳ね具合がキャッチー。転調が効果的な「いつもいつも」では、降り注ぐようなストリングスに注目。ラテン調の「水夫、友達、恋人、または夫」では、木管楽器によるアンサンブルとストリングスによるオブリガートとがモダンな雰囲気を醸し出している。有名な「キャラヴァンの到着」の後半部分にあたる「めぐり合い」では、スウィンギーなコンボ演奏が展開される。なお前半部分にあたる「町から町へ」では、瀟洒なスキャットがフィーチュアされる。これら２曲の中間に位置する「デルフィーヌとランシアン」では、ワルツのリズムに乗ってソプラノ、ストリングス、コーラスが美しく絡み合う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これまた有名な「双子姉妹の歌」では、ある意味でハイライトとも云うべきビッグ・バンド・スタイルというかシンフォニック・ジャズが展開される。このサウンドはアルバムのラストを飾る「ソランジュの歌」にも引き継がれる。そしてこのアルバム、実際に聴いていただければよくわかるのだが、どの曲にもジャズの要素が盛り込まれている。それでいてオーケストラのサウンドは、西洋芸術音楽の系譜に連なるものだ。しかもルグランは、アンサンブルの各パートを華麗に展開させながらも、少しの違和感も与えることなく、それらを調和させ音楽の全体を整えているのだ。やはりぼくは、彼のことを音の魔術師と云いたくなる。そういう点でもこのアルバムが、ルグランの才気が遺憾なく発揮された、鑑賞用音楽として一級品の音盤であるということは間違いない。</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>Kleber Jorge / Voltar Pro Rio (Back To Rio) (1999年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 09 Aug 2026 07:22:03 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[Kleber Jorge]]></category>
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					<description><![CDATA[セルジオ・メンデス＆ブラジル &#8217;99で活躍したシンガーソングライター兼ギタリスト、クレベール・ジョルジがケヴィン・レトーやドリ・カイミを迎えて放ったソロ・デビュー・アルバム『ヴォルタール・プロ・リオ (バック [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">セルジオ・メンデス＆ブラジル &#8217;99で活躍したシンガーソングライター兼ギタリスト、クレベール・ジョルジがケヴィン・レトーやドリ・カイミを迎えて放ったソロ・デビュー・アルバム『ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Kleber Jorge / Voltar Pro Rio (Back To Rio) (1999)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Assim Nao Dá (It Doesn&#8217;t Work This Way)</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">アダルト・コンテンポラリー系シンガー、ケヴィン・レトーとの結びつき</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　藪から棒だが、<strong>クレベール・ジョルジ</strong>というミュージシャンをご存知だろうか。知っているとすれば、相当な音楽通のかただろう。かく云うぼくも、実はこの音楽家のことをあまり詳しくは知らないのである。ブラジル、リオデジャネイロ出身のシンガーソングライター兼ギタリストなのだが、ぼくの知るかぎり彼のリーダー・アルバムといえば、ソニック・イメージズ・レコードが発売した『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)</em>』(1999年)、そしてジェサナ・ミュージックという未知のレーベルからリリースされた『<em>メウ・リオ</em>』(2020年)と、たったの２枚しかないのである。どんなジャンルの音楽かというと、ブラジリアン・フュージョン系のニュー・アダルト・コンテンポラリーといったところだろうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この際だから、最初にジョルジのプロフィールをわかる範囲で記しておく。音楽活動の拠点をロサンゼルスに構える<strong>クレベール・ジョルジ</strong>は、1960年３月１日、リオに生まれている。父親がシンガー兼ベーシスト、祖父がカヴァキーニョとバンドリンを弾くという、音楽一家に育った。８歳から父親の手ほどきでギターを弾きはじめ、10代のころにはすでにプロのミュージシャンとして活動していた。その後リオデジャネイロ州立大学において、音楽理論の学位を取得している。ジョルジは1980年代半ばに故郷を離れ、世界各地をツアーするようになる。1984年にマイアミを訪れたあと彼は、1985年にパリの屋内アリーナ、パレ・デ・スポールにおいて１か月間、演奏活動を行った。リオに戻ったあとは、ブラジルでもっとも歴史のあるビッグ・バンド、<strong>オルケストラ・タバジャラ</strong>に参加。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジョルジはこのビッグ・バンドでシンガー兼ギタリストとして２年ほど活躍したあと1988年、ロサンゼルスに移住を決意。渡米後には、ギターについてフィンガースタイルのギタリスト、<strong>テッド・グリーン</strong>に、アレンジに関してはソングライター兼マルチ・インストゥルメンタリストの<strong>モアシール・サントス</strong>に師事した。同時に彼は自己のグループを結成し、カリフォルニア周辺で仕事をするようになる。さて、ここからである。1990年代に入ると、ジョルジは西ドイツ西ベルリン出身の女性シンガー、<strong>ケヴィン・レトー</strong>のレコーディングに関わるようになる。当時レトーは、西海岸のフュージョン、スムース・ジャズ、ブラジリアン・ジャズのスタイルで、もっとも人気を博していたアダルト・コンテンポラリー系のヴォーカリストだった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9535 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la1.png" alt="アメリカ西海岸ロサンゼルスの風景(イラスト) ①" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ハナシがいささか脇道に逸れるが、ここでぼくがレトーに関心を寄せる経緯について触れておく。もしレトーのアルバムを手にとることがなかったら、ぼくは<strong>クレベール・ジョルジ</strong>というミュージシャンに、永遠に出会うことがなかったかもしれないからだ。そもそもぼくが<strong>ケヴィン・レトー</strong>という名前を知ったのは、フュージョン・ギタリストの雄、<strong>リー・リトナー</strong>のアルバム『<em>ポートレイト</em>』(1987年)において。ブラジリアン・テイストの「ウィンドミル」という曲で、チャーミングなバッキング・ヴォーカルを披露していたのがレトーだった。そのあとすぐ、ぼくはリオデジャネイロ出身のピアニスト、<strong>セルジオ・メンデス</strong>のアルバム『<em>アララ</em>』(1989年)において、今度はリード・ヴォーカリストとしてのレトーに巡り合うのであった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　爽やかで明るい透明感と、どこかアンニュイな陰影を併せもつ声のトーンから、ぼくはすっかりレトーのことが気に入ってしまった。そんなとき、ロサンゼルスとブラジルとの混合メンバーによるフュージョン・グループ、<strong>ヴェラス</strong>のアルバム『<em>イーリャ・ドス・フラージス</em>』(1989年)が日本のレーベル、ポニーキャニオンからリリースされた。ぼくがこのアルバムを手にとった最大の理由は、日本人アーティストではもっとも敬愛する音楽家のひとり、<strong>横倉裕</strong>がプロデューサー、アレンジャー、そしてキーボーディストを務めていたこと。横倉さんは短期間ではあるが日本において、ブラジリアン・テイストのポップ・グループ、<strong>NOVO</strong>のキーボーディスト兼ヴォーカリストとして活動したのち、1970年代の中ごろに音楽制作の拠点をロサンゼルスに移した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで、この<strong>ヴェラス</strong>というグループのヴォーカリストがレトーだった。しかも『<em>イーリャ・ドス・フラージス</em>』のレコーディング・メンバーのクレジットをよく見ると、バッキング・ヴォーカリストとしてジョルジの名前が記載されているのである。これがキッカケかどうかは定かでないが、その後ジョルジとレトーとの結びつきは強まる。レトーのセカンド・アルバム『<em>シンプル・ライフ</em>』(1992年)では、ジョルジが自作曲「ナナン・ダス・アグス」を引っ提げて、ギタリストとしてレコーディングに参加している。レトーは基本的に英語歌唱のシンガーだが、この曲においては前半をポルトガル語で歌っている。明るく軽快な感じのフロウが、とてもフレッシュに響く。この曲、実はのちにジョルジ自身によってセルフ・カヴァーされる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　つづくサード・アルバムの『<em>アナザー・シーズン</em>』(1994年)では、ジョルジはレコーディングには未参加だが、タイトル・ナンバーの「アナザー・シーズン」を作曲している。この曲はのちにジョルジ自身によって、ポルトガル語で歌われる。さらにジョルジは、レトーのフォース・アルバム『<em>風の言葉〜ユニヴァーサル・ランゲージ</em>』(1995年)でも、自作曲「アンダーニース・ザ・フェイス・オブ・ザ・ムーン」を提供している。この曲もまた、後年ジョルジ自身によってセルフ・カヴァーされる。ただこの曲に関しては、ジョルジもレトーのペンによる英語の歌詞をそのまま歌っている。以上、３曲はさきに挙げたジョルジのリーダー作『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)</em>』に収録されている。詳細はのちほどお伝えする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　おなじころジョルジは、<strong>セルジオ・メンデス</strong>のリーダー作で、グラミー賞の最優秀ワールド・ミュージック・アルバム賞を獲得した『<em>ブラジレイロ</em>』(1992年)に、レトーともどもバッキング・ヴォーカリストとして参加している。その後ジョルジは、アルト奏者、<strong>渡辺貞夫</strong>の『<em>インテンポ</em>』(1994年)、リオデジャネイロ出身のギタリスト、<strong>ドリ・カイミ</strong>の『<em>イフ・エヴァー</em>』(1994年)、ベーシスト、<strong>ジョン・パティトゥッチ</strong>の『<em>ファイン・ミキスチャー</em>』(1995年)といった、メジャー・アーティストのレコーディングを経て、ふたたびセルメンのアルバム『<em>オセアーノ</em>』(1996年)に参加。以降ジョルジはそのままセルメンのグループに加入し、ヴォーカリスト、ギタリスト、そしてアレンジャーとして、大いに腕を振るった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">ブラジル音楽がアメリカ西海岸のミュージック・シーンでトレンドとなる</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、<strong>クレベール・ジョルジ</strong>というミュージシャンが、<strong>セルジオ・メンデス</strong>もそうだが、ロサンゼルス在住のボサノヴァをベースとしたブラジリアン・ミュージックに特化したアーティストであることは、おわかりいただけただろう。そして1990年代以降、アメリカ西海岸のラジオ・フォーマットとして人気を博したニュー・アダルト・コンテンポラリーは、ブラジル音楽との関係が密接だけれど、そういうミクスチュアをクリエイトしていたのが、<strong>横倉裕</strong>や<strong>ケヴィン・レトー</strong>だった。そしてジョルジの音楽もまた、その流れを汲むものである。云ってみれば、ウェストコースト・フュージョンの躍動感と、ブラジリアン・ミュージックの清涼感とを併せもつ、爽やかで耳に馴染みやすい音楽。気軽に楽しめるものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　もともとぼくは、幼いころからブラジル音楽に親しんでいた。テレビ放送で、1970年の大阪万博における<strong>セルジオ・メンデス</strong>のライヴ・パフォーマンスを観て感激したクチだが、思えばあれがブラジル音楽との出会いだった。ただ、ブラジリアン・ミュージック特有の味わいに強く惹かれたのは、20世紀のブラジル音楽を代表する作曲家、<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>の曲を聴いたときが最初だったと思う。もちろんそのときのぼくは、ジョビンの音楽がボサノヴァというもので、ショーロ、サンバ、ノルデスチとともにブラジルの音楽のひとつであるなどとは、まだ知る由もなかった。ただ、その簡素で美麗なメロディック・ラインと心地いいテンション・コードとに、ぼくの感性がいたく刺激されたことはハッキリ覚えている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジョビンの音楽をじっくり味わうなら、まずはなんといっても初リーダー作の『<em>イパネマの娘</em>』(1963年)だろう。“<em>The Composer Of Desafinado, Plays</em>”という原題からもわかるようにジョビンのセルフ・カヴァー・アルバムで、曲目はすべて彼のアコースティック・ピアノが主軸に据えられたインストゥルメンタル・ナンバーで構成されている。このアルバムに収められたジョビンのペンによる１ダースのマスターピースにしても、そのなだらかで麗しいメロディック・ラインを綴るピアノ演奏にしても繊細で優美なもの。たとえば、晴れ渡った青空のもとそよそよと吹く風、はたまた波立つことのない穏やかな海といったイメージが喚起される。そんなサウンドをよりスウィートなものにしているのは、<strong>クラウス・オガーマン</strong>のアレンジとコンダクティングによるストリングスだ。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9536 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la2.png" alt="アメリカ西海岸ロサンゼルスの風景(イラスト) ②" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　オガーマンはドイツのラーティボーア(現在のポーランド領ラチブシュ)生まれの音楽家で、もともとはクラシック畑のひと。1959年にアメリカへ渡り、ニューヨークに活動の拠点を置いた。1963年からヴァーヴ・レコードのミュージカル・ディレクターを務めるようになり、プロデューサーの<strong>クリード・テイラー</strong>とコンビを組む。純音楽の作曲をしながらも、ポップス、ロック、ジャズ、ラテン、リズム・アンド・ブルースなど、生涯にわたりあらゆるジャンルの音楽のオーケストレーションを手がけた。オガーマンはこの『<em>イパネマの娘</em>』でも、効果的に弦楽器群を鳴らしている。ジョビンが創造した美しいメロディと心地いいハーモニーに、背後から彩りを添えているのだ。彼のスゴいところは、奥ゆかしいほどに音の無駄使いをせず、いつも適宜適切な入れかた、重ねかたで、高品質のオーケストラ・サウンドを提供するという点である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハナシが本筋から大きく外れてしまったが、とにかくブラジル音楽がぼくに与えた影響は大きい。それを年代別に俯瞰すると、1960年代のジョビン、1970年代の<strong>ミルトン・ナシメント</strong>、1980年代の<strong>イヴァン・リンス</strong>からは、特に刺激を受けたと云える。リオ出身のナシメントは、MPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)の代表的なシンガーソングライターだが、ジャズ・サクソフォニスト、<strong>ウェイン・ショーター</strong>のアルバム『<em>ネイティヴ・ダンサー</em>』(1975年)でフィーチュアされたことから、ぼくは彼に関心を寄せるようになった。このアルバムにおけるショーターとナシメントとのコラボレーションは、２種類の芳醇なミュージカリティがよくブレンドされた上質の音楽を生み出している。それを端的に云えば、ジャズとブラジル音楽とが溶け合ったフュージョン・ミュージックとなる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくはショーターのアルバムを体験したすぐあと、偶然にもふたたびナシメントがフィーチャリング・アーティストとして迎えられた作品に出会う。それは、キーボーディストである<strong>ジョージ・デューク</strong>の『<em>ブラジリアン・ラヴ・アフェア</em>』(1980年)というアルバム。ブラジル原産の素材がデューク流に味つけされ、ワン・アンド・オンリーなブラジリアン・サウンドが創出されたフュージョンの名盤である。このアルバムに収録されている、タンボーリス・ジ・ミナスのリズムが活かされた「クラヴォ・イ・カネーラ」やラテン・エッセンス溢れるフォルクローレ調の「アオ・キ・ヴァイ・ナセール」といったナシメントの自作曲では、彼のヴォーカルがまさに独擅場でその存在感の大きさと影響力の強さを、あらためて感じさせられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そして最後に<strong>イヴァン・リンス</strong>だが、ブラジル音楽において、ぼくがもっともこころを打たれたのは、実は彼の曲なのである。1980年代に彼の曲を積極的に採り上げていたのは、グラミー賞をはじめとする音楽賞を多数受賞する音楽プロデューサー、<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>だ。ジョーンズが当時、ソングライター兼アレンジャーとしてイングランド、リンカンシャー出身のキーボーディスト、<strong>ロッド・テンパートン</strong>を起用していたことはよく知られている。多国籍バンド、<strong>ヒートウェイヴ</strong>のメンバーでもあるテンパートンが書くソウルフルかつソフィスティケーテッドな楽曲はすこぶるスタイリッシュなのだけれど、ぼくにとってはリンスのペンによる浮遊感のあるコード進行が際立ったナンバーのほうが、ずっと魅力的に感じられたものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　リンスはやはりリオ生まれのシンガーソングライター。むろんぼくは、ポルトガル語の歌詞の内容を理解する言語スキルをもち合わせていなかったけれど、それでも高度なジャズ・ハーモニーを孕んだ洗練されたアダルト・オリエンテッドな音楽として、深く寄り添うようにリンスの音楽を熱心に聴いていた。あとでぼくは、ソフィスティケーテッドでアーバンなブラジリアン・サウンドと、こころもちアーシーな香りを放つヴォーカル・パフォーマンスが交錯するリンスの楽曲の歌詞の内容を知って、それがハーモニーやメロディック・ラインから想像していたものとまったく違っていたので愕然としたもの。リンスのパートナー、<strong>ヴィトール・マルティンス</strong>の書いた歌詞は、実は社会的なメッセージを発信するものだったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それはともかくリンスは、コンテンポラリー・ジャズの大御所キーボーディスト、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>、そして前述のギタリスト、<strong>リー・リトナー</strong>によってロサンゼルスに招聘され、彼らのコラボレーション・アルバム『<em>ハーレクイン</em>』(1985年)のレコーディングに参加。既存の自作曲をポルトガル語で歌った。その都合３曲はどれも、グルーシンのペンによってセンシティヴなアレンジが施された。リンスのアーシーなヴォーカル・パフォーマンスと、グルーシン＆リトナーによるソフィスティケーテッドなオブリガートとのコントラストが得も云われぬ美しさを生んでいる。このアルバムは、多くのミュージシャンに影響を与えた歴史的作品であるし、1990年代以降アメリカ西海岸のミュージック・シーンでトレンドとなった、ニュー・アダルト・コンテンポラリー作品の礎となったと、ぼくは思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">横倉裕やケヴィン・レトーのアルバムと並び称される、あの時代の名盤</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに補足すると、このグルーシンにアレンジの手ほどきを受けたのが、前述の<strong>横倉裕</strong>だった。横倉さんが渡米し、カリフォルニア州立大学で作曲とピアノを専攻したのちのことである。そのグルーシンといえば、1967年から1979年ごろまで、<strong>セルジオ・メンデス</strong>のレコーディングにおいてオーケストレーションを担当していた。セルメン・サウンドをスウィートなものにしていたのは、グルーシンのソフィスティケーテッドなアレンジメントだったと云っても過言ではない。また、横倉さんも<strong>NOVO</strong>時代に来日中のセルメンと運命的な出会いを果たしており、それが縁でのちに1991年から2011年まで、セルメンのグループのキーボーディストを務めることになる。さきにも述べたがレトーとジョルジも、セルメン所縁のミュージシャン。なにか偶然とは思えない、強い導き、あるいは引き合わせが感じられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そしてもうひとこと加えておきたいのが(ひとことでは済まないのだが)、レトーと横倉さんとのパートナーシップについて。ふたりの関係は、さきに触れたフュージョン・グループ、<strong>ヴェラス</strong>のレコーディングのあともしばらく継続する。レトーのソロ・デビュー・アルバム『<em>ユア・スマイル</em>』(1991年) では、横倉さんがソングライティング、アレンジ、バッキング・ヴォーカル、キーボード、そして箏を担当。さらに４枚目の『<em>風の言葉〜ユニヴァーサル・ランゲージ</em>』(1995年)では、ソングライター、レコーディング・エンジニアとして、７枚目の『<em>リトル・シングス</em>』(2001年)では、ソングライター、レコーディング・エンジニアとしてアルバム制作に関わっている。ちなみに横倉さんは、以上のアルバムの吹き込みが行われた、ロサンゼルスのアルハンブラにあるダブル “Y” スタジオの所有者でもある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その間、横倉さんがプロデュースを手がけたピノイ・ポップ・シンガー、<strong>チャド・ボルハ</strong>のアルバム『<em>ショウ・ミー・ザ・ウェイ</em>』(2000年)に、レトーがデュエット・シンガーとして参加している。そんななかでも、ふたりがもっとも蜜月の関係を示した作品といえば、レトーの５枚目のアルバム『<em>ランゲージ・オブ・フラワーズ</em>』(1998年)だった。横倉さんはこのアルバムの全面で、レトーの公私にわたるパートナー、<strong>マイケル・シャピロ</strong>と共同で、プロデュースを手がけている。むろん横倉さんは、ソングライティング、アレンジ、プログラミング、キーボード演奏、そしてレコーディングまで、八面六臂の活躍を見せる。なお、シャピロはワシントンD.C.出身のドラマー、パーカッショニストで、20年以上に及んで<strong>セルジオ・メンデス</strong>のライヴおよびレコーディングをサポートした。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9537 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la3.png" alt="アメリカ西海岸ロサンゼルスの風景(イラスト) ③" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　そんな西海岸のコンテンポラリー・ジャズのセンシティヴィティとブラジル音楽の複雑なリズムとが融合した、軽快で心地いいサウンドが花咲かせたブラジリアン・フュージョン・ムーヴメントにおいて、<strong>クレベール・ジョルジ</strong>もまた注目すべき存在。彼は2001年、山口県で開催されたEXPO YAMAGUCHI 2001(山口きらら博)に出演したが、それに先駆けて日本でもその初リーダー・アルバム『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)</em>』が、国内仕様盤として発売された。このアルバムのバックインレイには「<strong>セルジオ・メンデス＆ブラジル &#8217;99</strong>で活躍する才能溢れるギタリスト兼ヴォーカリストが、世界中を旅して生み出した楽曲の数々を、リオデジャネイロのフレーヴァーとスタイルを込めてお届けします」と記されている。本作のコンテンツは、まさにそういうサウンドでまとめられている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、ジョルジのもう１枚のリーダー作『<em>メウ・リオ</em>』はインディーズ・アルバムで、彼の出演するライヴ会場などで販売されたようだ。内容的には信仰、希望、そしてインスピレーションといったテーマが反映された、コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック。メロディアスなコンポジションと、こころを揺さぶるような歌詞がその特徴ではあるが、そのサウンドは『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ</em>)』と同様に、ブラジリアン・フュージョンとして楽しめるものだ。こちらはなかなか入手が困難と思われるけれど、アップル・ミュージックやアマゾン・ミュージックなどで気軽に聴くことができる。個人的なお薦めは『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)</em>』である。横倉さんやレトーのアルバムと並び称される、あの時代の名盤だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　では最後に『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)</em>』について、具体的にメモしておく。レコーディング・メンバーは、<strong>クレベール・ジョルジ</strong>(g, vo)、<strong>ビル・カントス</strong>(key, vo)、<strong>ビル・ブレンドル</strong>(key)、<strong>ラリー・ウィリアムズ</strong>(key)、<strong>ヘナート・ネト</strong>(p)、<strong>カール・バーネット</strong>(g)、<strong>リカルド・シルヴェイラ</strong>(g)、<strong>ランディ・ティコ</strong>(b)、<strong>キース・ジョーンズ</strong>(b)、<strong>マイケル・シャピロ</strong>(ds, perc)、<strong>ケヴィン・ウィナード</strong>(ds, perc)、<strong>ケヴィン・リカード</strong>(perc)、<strong>ルイス・コンテ</strong>(perc)、<strong>メイア・ノイチ</strong>(perc)、<strong>カッシオ・ドゥアルチ</strong>(perc)、<strong>ペドロ・ユスターシュ</strong>(fl)、<strong>スコット・マヨ</strong>(fl, ts, vo)、<strong>フスト・アルマリオ</strong>(fl,ss)、<strong>ロイス・アルベス</strong>(vo)、<strong>ドリ・カイミ</strong>(vo)、<strong>ジュリー・ラギンズ</strong>(vo)、<strong>ケヴィン・レトー</strong>(vo)、<strong>ヘナータ・ゲバラ</strong>(vo)、<strong>キャロル・ロジャース</strong>(vo)。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　プロデュースは、シャピロ、カイミ、そしてジョルジ自身が手がけている。全編でジョルジのヴェルヴェット・ヴォイス、ポップでスムースなサウンドが展開される本作、オープナーはアルバム・タイトル・ナンバー「ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)」で、軽快なサンバのリズムによってその世界に一気に引き込まれる。アルマリオのソプラノも風のように軽やか。つづく「ダンサ・ド・オウロ (ゴールデン・ダンス)は、もっともアーシーでトロピカルなナンバー。<strong>ゼー・ヘナート</strong>率いるMPBコーラス・グループ、<strong>ボカ・リヴリ</strong>のカヴァー曲で、この曲以外はすべてジョルジのオリジナルだ。個人的には特に好きな「アシン・ナォン・ダー (イット・ダズント・ワーク・ディス・ウェイ)」は、小気味いいビートと洗練されたコードが魅力的。オシャレだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　英語で歌われる「カメラ」は、ブラジリアン・グルーヴとメロウ・フュージョンのマリアージュ。マヨのテナーもムードいっぱい。ルンバ風の「トロヴァドール」では、リラクゼーション溢れるサウンドに乗って、ジョルジのギター・ソロも飛び出す。レトーのアルバムに収録されていた「ナナン・ダス・アグス (ナナ・オブ・ザ・ウォーター)」は、スピード感のある心地よさが際立つ。アルマリオのフルートも清涼感を弾けさせる。シンコペーテッドな「セン・パラール (ハンギング・ゼア)」は、まさにブラジリアン・フュージョン。シルヴェイラのブルージーなギターがよくフィットしている。バラードの「ジ・ヘペンチ・オ・アモール (サドン・ラヴ)」は、コード進行が<strong>イヴァン・リンス</strong>のそれを彷彿させる美しいナンバー。レトーのヴォーカルもフィーチュアされる。この曲も特に好き。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　英語で歌われる「クライ・フォー・ジョイ」は、ジョルジのギター・ソロも跳ねるハッピー・チューン。バイーア州サルヴァドール出身の伝説的シンガー、<strong>ドリヴァル・カイミ</strong>にインスパイアされた「デスクルピ・カイミ (フォー・ギヴ・ミー・カイミ)」は、落ち着いた感じのピュアなボサノヴァ。レトーのアルバムに収録されていた「アンダーニース・ザ・フェイス・オブ・ザ・ムーン」は、オリジナルどおり英語で歌われる。レゲエ風のリズムが楽しい。アルマリオのソプラノも上手く絡んでいる。アルバムを締めくくる「マンゲイラ」は、レトーの「アナザー・シーズン」のポルトガル語ヴァージョン。ジスフィーレ風のアレンジにこころが踊る。個人的には、ウィリアムズのシンセ・ソロに、懐かしさを感じる。以上、本作は間違いなくブラジリアン・フュージョンの傑作。見かけたら、絶対に手にとるべき作品だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
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