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	<title>気ままに音楽生活</title>
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	<description>いささか気ままに──ではありますが　素敵な音楽をご紹介してまいりますので　どうぞよろしくお願いいたします</description>
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	<title>気ままに音楽生活</title>
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		<title>Dave Grusin / Subways Are For Sleeping (1962年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 23 Aug 2026 08:06:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Dave Grusin]]></category>
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					<description><![CDATA[キャリアの早い段階でジャズ・ピアニストのポジションから身を引いたレジェンダリー・ミュージシャン、デイヴ・グルーシンのピアノ・トリオによるモダン・ジャズの王道を行くようなデビュー・アルバム『サブウェイズ・アー・フォー・スリ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">キャリアの早い段階でジャズ・ピアニストのポジションから身を引いたレジェンダリー・ミュージシャン、デイヴ・グルーシンのピアノ・トリオによるモダン・ジャズの王道を行くようなデビュー・アルバム『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Dave Grusin / Subways Are For Sleeping (1962)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Ride Through The Night</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">本盤の当時の価格といえば、中学生の財布にはいささか厳しいものだった</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくのもっとも敬愛する音楽家のひとり、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>のジャズ・アルバムをご紹介する。このエピック・レコードからリリースされた『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』(1962年)は、ジャケットに「イントロデューシング・デイヴ・グルーシン・アット・ザ・ピアノ」という表記があるとおり、正真正銘グルーシンのデビュー・アルバムだ。さらに「ア・ジャズ・ヴァージョン・オブ・ザ・ブロードウェイ・ヒット」という記載もあるのだが、これはこのアルバムが、1961年に初演された同名のブロードウェイ・ミュージカルの楽曲集であることを示すもの。云うまでもなくオリジナル・キャスト・レコーディングのレコードとは別物で、グルーシンによってオリジナルのアレンジが施された、純粋なジャズ・アルバムである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおこの「地下鉄は寝るためのもの」という意味のタイトルをもつミュージカルは、<strong>ベティ・コムデン</strong>と<strong>アドルフ・グリーン</strong>とが脚本と作詞を、<strong>ジュール・スタイン</strong>が作曲を手がけたもの。原案は<strong>エドマンド G. ラヴ</strong>によるノンフィクションで、ラヴ自身が1950年代をとおして地下鉄の車内で寝泊まりし、数多くの個性的なひとびとと出会った経験が綴られている。ミュージカルは、ニューヨークの地下鉄で暮らす、きちんとした身なりをした独特なホームレス・グループのリーダー、トム・ベイリーと、潜入取材を行う雑誌記者の女性、アンジー・マッケイとのロマンスが描かれたコメディ作品となっている。この作品、概ね否定的な批評を受けて開幕し、興行的にも成功とはならなかった。ニューヨーク市の交通局が、市内のバスや地下鉄の車内、駅構内への広告掲出を拒否したことが影響したとも云われている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ヒットしなかったわりにはこのミュージカル、1962年にオリジナル・キャスト・レコーディングによるレコードが、コロムビア・レコードによって発売されている。<strong>ジュール・スタイン</strong>の作曲の上手さも然ることながら、50以上のブロードウェイ・ミュージカル作品のオーケストレーションを手がけたアレンジャー、<strong>フィリップ J. ラング</strong>によるゴージャスかつエレガントなオーケストラ・サウンドがなかなかのもの。2001年にボーナス・トラックが追加されてCD化もされているので、興味のあるかたは手にとってみてはいかがだろう。特にグルーシンのジャズ・ヴァージョンしか聴いたことがないかたは、オリジナルを体験することによって、彼のペンによる小規模編成のアレンジがいかに原曲のいいところを引き出しているかを、はっきりと知ることができるだろう。</p>
<p><img fetchpriority="high" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9593 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway1.png" alt="ブロードウェイをイメージさせる赤い背景に緑色のグランドピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　この「地下鉄は寝るためのもの」というユニークな題材を扱ったミュージカルは、アメリカの映画および舞台の振付師、ダンサー、そして俳優として有名な<strong>マイケル・キッド</strong>の演出によるもの。２回のプレビュー公演を経て1961年12月27日、トニー賞の聖地とも云われるセント・ジェームズ劇場で開幕し、計205回上演されたという。そのトニー賞において、キッドは振付賞にノミネート、出演者の<strong>オーソン・ビーン</strong>はミュージカル助演男優賞にノミネート、<strong>フィリス・ニューマン</strong>はミュージカル助演女優賞を受賞している。劇中の楽曲においても「カムズ・ワンス・イン・ア・ライフタイム」は、<strong>ジュディ・ガーランド</strong>がカヴァーしたことで広く知られるようになった。このガーランドの歌唱は、1962年にキャピトル・レコードによって７インチ・シングル盤として発売され、スマッシュヒットとなった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それにもかかわらずこのミュージカル、初演時は主要劇評家から厳しい評価を受け、興行的にも苦戦した。さらにさきに触れたニューヨーク市の交通局による広告ボイコットもあり、本作は当初から宣伝不足にも悩まされていたのだ。ところで、グルーシンによるジャズ・ヴァージョンだが、1961年11月８日、９日の２日間にわたってニューヨークの某所でレコーディングが行われている。つまりこのレコード、発売は1962年だが、制作はミュージカルの本公演どころかプレビュー公演よりもまえに行われていたのである。その点を考慮すると、グルーシンのアルバムは飽くまでミュージカルのプロモーションの一環として企画されたものと推測される。これはよくあるタイアップの手法であって、ミュージカルがヒットすればレコードのほうも一定の売り上げが期待できるというわけだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いかなる事情があるとはいえ、当時27歳だったグルーシンにとって『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』のレコーディングは、ミュージック・シーンに躍り出る千載一遇のチャンスだったと云える。まったく無名だったのにもかかわらず、当時コロンビア・レコードにおいてアレンジャー兼レコード・プロデューサーを努めていた<strong>ロバート・マージー</strong>に注目されたのだから。マージーは、当時グルーシンがバッキング・ピアニストを務めていたポップ・シンガー、<strong>アンディ・ウィリアムス</strong>のプロデューサーでもあった。むろんすでにグルーシンがジャズ・ピアニストとして卓越した才能をもっていたからこそ、知名度の低さをよそに彼に白羽の矢が立ったのだろうし、その軽妙なタッチと豊かなエクスプレッションは、実際にこのアルバムを聴いていただければおわかりいただけると、ぼくは思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いずれにしても、グルーシンのデビュー・アルバム『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』は、マージーのプロデュースによりコロムビア・レコードのジャズおよびクラシック音楽を専門にとり扱うレーベルとして創設されたエピック・レコードから、目出度くリリースの運びとなった。なおあらかじめお伝えしておくが、この作品、実は２種類のレコードが存在する。演奏は同一なのだが、カタログ番号がLN 3829のモノラル盤とBN 622のステレオ盤とが同時発売された。ジャケットのアートワークに微妙な違いがあるので、要注意である。なおステレオ盤のほうは、フロント・カヴァーに“ステレオ”と明記されるとともに、レコードのセンター・ラベルに“ステレオラマ”と記されている。“ステレオラマ”とは、“ステレオ”と“パノラマ”とがかけ合わされた造語で、エピック・レコードが標榜したものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくが最初に手に入れたのは、ステレオ盤のほうだった。すでにグルーシンの音楽に心酔していた中学生のぼくは、彼の３枚目のアルバム『<em>カレイドスコープ</em>』(1965年)の国内盤に付属していた、ジャズ評論家の<strong>岩浪洋三</strong>によるライナーノーツを読んで、はじめて『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』の存在を知った。だがこのアルバム、日本国内では発売されていなかったため、やっとのことでとある中古レコード店で見つけたときのぼくといえば、思わず小躍りして喜んだものである。ただこのレコードの当時の価格といえば、中学生の財布にはいささか厳しいものだった。それだけレアな音盤でもあったし、そのころのグルーシンはギタリストの<strong>リー・リトナー</strong>やサクソフォニストの<strong>渡辺貞夫</strong>との共演などで日本での人気が急上昇していたので、需要の高いレコードでもあったのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">ミュージック・シーンの表舞台に現れるまでのグルーシンの経歴</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それ以降も長い間、この『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』はリイシューされる機会がなかったため、内外の中古レコード市場においてコレクターズ・アイテムとして価格が高騰するばかりだった。モダン・ジャズの王道を行くようなそのコンテンツから、グルーシンに特別な関心を寄せるファンだけでなく、貴重なレコードを探し求める蒐集家からも注目を集めるようになってしまったからだ。そういう意味ではこのアルバム、グルーシンのディスコグラフィーにおいて、もっともファン泣かせの１枚だった。しかしながらそんな幻の名盤も2021年、アメリカのジャズ作品の復刻を専門とするスペインのレーベル、アメリカン・ジャズ・クラシックスによってついにCD化され、日本国内でも手軽に入手できるような状況になった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアメリカン・ジャズ・クラシックスというレーベルのリリース作品は、貴重な写真や引用文を掲載したブックレットが付属されたり、ボーナス・トラックが追加されたりすることが多く、なかなか好評を博しているようだ。その大半は２枚のLPが１枚のCDに収録されるという仕様なのだが、この『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』の場合も、グルーシンのセカンド・アルバムでやはりエピック・レコードからリリースされた『<em>ピアノ・ストリングス・アンド・ムーンライト</em>』(1962年)とのカップリング、リマスタリング、デジパック仕様でリイシューされた。なおこのアメリカン・ジャズ・クラシックス盤に収録されている『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』の音源は、モノラル盤のマスターが採用されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんな気の利いたアメリカン・ジャズ・クラシックス盤、実はすでに廃盤になっている。近年のCDは生産中止になるのが早いから、うかうかしていると呆気なく購入し損ねてしまう。ぼくにもそういうことがよくあるのだが、そういうときは自分には縁がなかったとあっさり諦めてしまう。そういう気ままさゆえ、ぼくはレコード・コレクターになれないのである。それはともかく、アメリカン・ジャズ・クラシックス盤を買い逃して悔しがっているかたに、朗報があるので一応お伝えしておく。稀少盤の復刻でお馴染みのバルセロナを拠点とするスペインのジャズ・レーベル、フレッシュ・サウンド・レコードが2023年、単体で『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』をCD化。ステレオ盤のマスターが採用された24ビット・デジタル・リマスター盤で、こちらは現在(2026年８月)も入手が可能のようだ。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-9594 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway2.png" alt="ブロードウェイをイメージさせる赤い背景に紫色のグランドピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　さてすっかりあとになったが、グルーシンといえば、もはやフュージョン、スムース・ジャズ、アダルト・コンテンポラリー及び映画音楽を代表するキーボーディスト、コンポーザー、アレンジャー、そして音楽プロデューサーとして、世界に名だたる存在。かつてはコンテンポラリー・ジャズ、アダルト・コンテンポラリー系のレーベル、GRPレコード創設者のひとりとして社長も務めていた。2000年代以降はピアニスト、作曲家としてソロ活動に身を置いており、さすがに仕事量は減ったものの92歳になったいまも現役である。長年の盟友であるギタリストの<strong>リー・リトナー</strong>とともに制作した、ブラジル現地録音のコラボレーション・アルバム『<em>ブラジル</em>』を2024年５月に発表し、それに伴い同年11月には来日公演も果たし健在なプレイを披露した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなレジェンダリー・ミュージシャンがデビュー・アルバム『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』によって、ミュージック・シーンの表舞台に現れるまでの経歴を、簡単にまとめておく。<strong>デイヴ・グルーシン</strong>は1934年６月26日、アメリカ、コロラド州のリトルトンに生まれた。父親はラトビアからの移民でヴァイオリニストの<strong>アンリ・グルーシン</strong>、母親はピアニストの<strong>ロザベル・グルーシン</strong>、７歳年下の弟は、やはりジャズ・キーボーディスト、コンポーザー、アレンジャー、そして音楽プロデューサーの<strong>ドン・グルーシン</strong>である。そんな音楽一家に育ったグルーシンは、幼いころから音楽を学んでいる。ちなみに“グルーシン”という珍しい苗字は、スラヴ語においてジョージア人を指す民族名。その家系は、ジョージア王国を統治したバグラティオニ王朝のグルジンスキー公爵家に、ルーツをもつとのこと。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　少年時代のグルーシンはピアノ演奏を継続しながらも、高校生までは獣医になるつもりだった。大学へ進むにあたって、音楽の道へ路線変更。コロラド大学ボルダー校で音楽を学び、1956年に卒業している。グルーシンは、当時作曲科の主任教授だったクラシック音楽の作曲家、<strong>セシル・エフィンジャー</strong>や、同大学のジャズ・バンド、<strong>CU ジャズ・バンド</strong>を創設した、ジャズ・ピアニストでアレンジャーの<strong>ウェイン・スコット</strong>に師事した。大学を卒業したあとはアメリカ海軍に入隊し、航空業務に携わった。1958年に除隊したあと、1959年にニューヨークへ移り、マンハッタン音楽学校の大学院に進学し音楽の勉強を再開。当時は音楽教育の指導者を目指していたとも云われている。そうはいってもグルーシンは、ナイトクラブなどで継続的にジャズをプレイしていたのだが──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　コロラド大学在学中からヴィブラフォニストの<strong>テリー・ギブス</strong>やギタリストの<strong>ジョニー・スミス</strong>などと共演していたグルーシンではあるが、本格的なプロデビューはやはり『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』のレコーディングにおいて。さきにも触れたが、グルーシンはそれ以前に1959年ごろから<strong>アンディ・ウィリアムス</strong>のバッキング・バンドで働いており、ウィリアムスのコンサートツアーやレコーディングに参加している。彼は実際、ウィリアムスのケイデンス・レコード時代のヒット・アルバム『<em>淋しい街角</em>』(1959年)や、シャンソンを中心としたアルバム『<em>パリの空の下</em>』(1960年)などの制作に関わっているのだが、アンクレディテッドでの参加となっている。グルーシンは実力はあるものの、まだ世間に名が知られていないミュージシャンだったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　グルーシンはその後、1963年から1966年まで、テレビの音楽番組『アンディ・ウィリアムス・ショー』において、ミュージカル・ディレクターを務めた。なおGRPレコードのもうひとりの創設者、<strong>ラリー・ローゼン</strong>もまた当時、ウィリアムスのバンドでドラマーを務めていた。その後グルーシンは、ジャズ・ピアニストからアレンジャーに転身。1967年から1979年ごろまでブラジル出身の音楽家、<strong>セルジオ・メンデス</strong>のオーケストレーションを担当した。またグルーシンが、彼のもうひとつの側面である映画音楽の作曲家として活動しはじめたのもこのころのこと。<strong>バド・ヨーキン</strong>監督のコメディ映画『ディヴォース・アメリカン・スタイル』(1967年)が、その記念すべき第１作である。またグルーシンは1973年から、アメリカのポピュラー音楽界の巨匠、音楽プロデューサーの<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>の楽団に参加している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">どこまでもスマートな、無駄な音がない、実に肩の力が抜けた名演</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　1975年から1978年ごろまでのジョーンズのレコーディングでは、グルーシンのキーボード演奏とアレンジとがオーケストラの中核をなしている。ちなみにさきに挙げたウィリアムスの『<em>パリの空の下</em>』(1960年)の吹き込みにおいて、オーケストラのコンダクターを務めているのはジョーンズである。ここではグルーシンがピアノを弾いているわけだが、このパリでのレコーディングがふたりの出会いだったのかもしれない。それはともかく、トラディショナル・ポップ、ブラジリアン・ミュージック、映画音楽、そしてソウル・ミュージックといった、様々なフィールドにおけるキャリアが、グルーシンのヴァーサティリティに富んだ音楽性を深めたことは間違いない。彼が後年、次々と上質のフュージョン作品を世に送り出すようになるのも、大いに得心がいくというものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、キャリアの早い段階でジャズ・ピアニストのポジションから身を引いたグルーシンにおいては、数ある音盤のなかでもモダン・ジャズの王道を行くようなアルバムはきわめて少ない。公式にリリースされた作品は、<strong>ロバート・マージー</strong>がプロデュースを務めた３枚しか存在しないのである。具体的には、まずエピック・レコードからリリースされた２枚、トリオ編成による『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』と、トリオにストリング・オーケストラが加えられたカクテル・ミュージック風の『<em>ピアノ・ストリングス・アンド・ムーンライト</em>』がある。さらにコロムビア・レコードから、クインテットによるハード・バップ作品『<em>カレイドスコープ</em>』がリリースされた。なおこの吹き込みでは、<strong>ラリー・ローゼン</strong>がドラマーを務めた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その後グルーシンは、1960年代の後半まで、西海岸のギタリスト、<strong>ハワード・ロバーツ</strong>のグループで演奏していたこともあるが、早々にジャズ・プレイヤーとしての活動に終止符を打ち、アレンジャーとして名を馳せるようになるのだった。ついでに云うと、1977年にヴァーサタイル・レコードから『<em>ドント・タッチ</em>』というアルバムがリリースされている。グルーシンのスウィンギーなトリオ演奏を聴くことができるのだが、実はこのアルバムは著作権者に無断で発売されたものだった。すなわちいわゆるブートレグで、有名なジャズ・スタンダーズの扱いにおいても原題が架空の曲名や作曲者名に変更されていて、本盤の製造販売には明らかに恣意的なものが感じられる。ただその音源は、1960年代にエピック・レコードにおいて吹き込まれたデモテープがもち出されたものだった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9595 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway3.png" alt="ブロードウェイをイメージさせる赤い背景に青色のグランドピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/broadway3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　だからこの『<em>ドント・タッチ</em>』というレコード、一部ピッチがフラットする箇所があるものの比較的音質はいい。しかもグルーシンのプレイが、正規のエピック盤よりも力強く鮮やかに聴こえるから、まったく厄介だ。皮肉なことに本作は、彼が優れたジャズ・ピアニストであることを証明するものとなったのである。いずれにせよ、このレコードがブート盤であるのは紛れもないこと。今後、著作権者の許可のもとで正規品としてあらためて発売されることは、かなり見通しが低いと思われる。そんなわけで、グルーシンの長いキャリアにおいてオフィシャルな純然たるピアノ・トリオ・アルバムといえば、デビュー作の『サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング』１枚しか存在しないのである。そう云う意味でも、貴重な吹き込みと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムでサイドメンを務めているのは、ベーシストの<strong>ミルト・ヒントン</strong>とドラマーの<strong>ドン・ラモンド</strong>。ミシシッピ州ヴィックスバーグに生まれ、イリノイ州シカゴで育ったヒントンは、1930年代の中ごろから1950年代のはじめまで、ジャズ・シンガー兼バンドリーダーとして人気を博した<strong>キャブ・キャロウェイ</strong>の楽団に在籍したことで知られる。1950年代半ばからは、<strong>ハンク・ジョーンズ</strong>(p)、<strong>バリー・ガルブレイス</strong>(g)、<strong>オシー・ジョンソン</strong>(ds)とともに、星の数ほどのスタジオ・ワークをこなした。この４人は、俗に<strong>ザ・ニューヨーク・リズム・セクション</strong>と呼ばれほどの、ファースト・コール集団。ヒントンはある意味で、アメリカのジャズ・ベーシストのトップランナーとも云える。テクニックの高さにしても、リズムの正確さにしても傑出している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ヒントンは『<em>ピアノ・ストリングス・アンド・ムーンライト</em>』においても、僚友の<strong>オシー・ジョンソン</strong>とともにグルーシンをサポートした。かたやオクラホマ・シティ出身のラモンドは、1940年代の中ごろにクラリネッティスト、サクソフォニスト、そしてシンガーでもある<strong>ウディ・ハーマン</strong>のビッグ・バンドのドラマーを務めていたひと。おなじころ、アルト奏者の<strong>チャーリー・パーカー</strong>とともにビバップ・スタイルの演奏を繰り広げてもいた。グルーシンとの共演と同時期に、ピアニストの<strong>ディック・ハイマン</strong>、ギタリストの<strong>トニー・モットーラ</strong>、ベーシストの<strong>ボブ・ハガート</strong>、トランペッターの<strong>ドック・セヴァリンセン</strong>らを擁した<strong>ドン・ラモンド・アンド・ヒズ・オーケストラ</strong>名義のアルバム『<em>オフ・ビート・パーカッション</em>』(1962年)を吹き込んでいる。その演奏スタイルは、多岐にわたる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　では最後に『<em>サブウェイズ・アー・フォー・スリーピング</em>』の収録曲について、簡単にメモしておく。アルバムのオープナー「アイム・ジャスト・テイキング・マイ・タイム」では、ピアノによるややファンキーなイントロから、テーマに入るとトリオによる落ち着いたテンポと寛いだ雰囲気のパフォーマンスが展開されていく。グルーシンによるシングル・トーンとブロック・コードを織り交ぜたアドリブのバウンス感が心地いい。ヒントンのソロも軽妙だ。流麗なジャズ・ワルツ「ライド・スルー・ザ・ナイト」では、サイドの表情豊かなバッキングも然ることながら、グルーシンによるドラマティックなアレンジとセンシティヴなピアニズムが絶品。スタイリッシュなサウンドは、のちのフィルム・スコアに通じる彼ならではのもの。個人的にはこのトラックがいちばん好きだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　やはりリリカルなイントロがグルーシンらしい「ナウ・アイ・ハヴ・サムワン」では、彼のソフィスティケーテッドでハートウォーミングなバラード・プレイを堪能することができる。エレガントなタッチのなかにもとき折ブルージーなテイストが垣間見えるのが、なんとも味わい深い。ハッピーなアップテンポ「ウェン・ユー・ヘルプ・ア・フレンド・アウト」では、グルーシンのファンキーでウィティなピアノ・プレイが全開。アルバム中もっともグルーヴィーなナンバーだ。B面のトップを飾る「ゲッティング・マリード」では、軽快なワルツのリズムに乗って、グルーシンによるストライドのヴァリエーションのような奏法が際立つ。かたやシングル・トーンでの疾走するスウィング感も、また心地いい。ノスタルジックなバラード「ハウ・キャン・ユー・デスクライブ・ア・フェイス？」では、余白が活かされたピアノ演奏が絶品だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　軽妙洒脱な「フー・ノウズ・ワット・マイト・ハヴ・ビーン？」では、グルーシンの紡ぎ出すフレーズが、スマートでセンスのいいユーモアを感じさせる。ヒントンのリズム感はしなやか。ラモンドのブラシとスティックとのもち替えも効果的だ。シックな雰囲気の「アイ・セッド・イット・アンド・アイム・グラッド」では、ゆったりとした律動と感傷的な響きのなかにも、グルーシンの深い表現力や間のとりかたに、知的なものが感じられる。アルバムを締めくくるアップテンポの「カムズ・ワンス・イン・ア・ライフタイム」では、トリオが息の合った連携プレイを展開。３人の緩急をつけた豊かな表現力が、楽曲をタイトなものにしている。特にグルーシンの感情や立体感を与えるピアノ・プレイが素晴らしい。それにしてもこのピアノ・トリオ、どこまでもスマート。無駄な音がない、実に肩の力が抜けた名演である。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Michel Legrand / Les Demoiselles De Rochefort &#8211; La Version Orchestrale (1967年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 16 Aug 2026 06:35:38 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Soundtrack]]></category>
		<category><![CDATA[Michel Legrand]]></category>
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					<description><![CDATA[ミシェル・ルグランのめくるめくオーケストレーションが際立つフレンチ・ミュージカルの楽曲を本人が新たに録音した『ロシュフォールの恋人たち オーケストラ・ヴァージョン』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">ミシェル・ルグランのめくるめくオーケストレーションが際立つフレンチ・ミュージカルの楽曲を本人が新たに録音した『ロシュフォールの恋人たち オーケストラ・ヴァージョン』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Michel Legrand / Les Demoiselles De Rochefort &#8211; La Version Orchestrale (1967)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Chanson D&#8217;Un Jour D&#8217;Été</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">ドゥミとルグランとのコラボレーションによる新鮮なエクスプレッション</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくは元来ミュージカルというと、その非現実的な表現方法から、どちらかというと及び腰になってしまうほうなのだが、フランスの映画監督、<strong>ジャック・ドゥミ</strong>が手がけた『シェルブールの雨傘』(1964年)と『ロシュフォールの恋人たち』(1967年)は、好きな映画だ。特に前者は全編歌唱のみの通常のセリフが一切ないミュージカルで、当時の映画作品としては、画期的な形式だったと思われる。小学校高学年のころ名画座で観たとき、いままでに体験したことのない世界に触れて、すこぶる感銘を受けた。どちらもストーリーラインは大したことないのだけれど、とにかく作品がもつ軽妙洒脱な感覚に共感を覚えた。フランスのひとはなんて洒落っ気があるのだろうと、年端もいかないぼくでも、憧憬の念をさえ抱いたほどだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういえばドゥミ監督は、長編デビュー作『ローラ』(1961年)においても、ちょっとしたミュージカル・シーンを挿入していた。それはぼくの大好きな女優、<strong>アヌーク・エーメ</strong>演じるローラが酒場で歌って踊る場面。実際はシャンソン歌手の<strong>ジャクリーヌ・ダノ</strong>が吹き替えで歌っているのだけれど、エーメのコケティッシュな魅力も然ることながら、ラウンジ感覚溢れるルンバ風の曲「ローラの歌」がとても印象的だ。これには面白い裏話があって、このシーンでは、撮影時に曲が完成していなかったため、監督の奥さまである<strong>アニエス・ヴァルダ</strong>が即興で作詞し、エーメはその歌詞を口にしながら踊ったのだという。当初、音楽を担当するはずだった<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>が、１曲も書かずに急用でアメリカに帰国してしまったからだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　結局、ジョーンズのピンチヒッターとなった作曲家は、映像を見ながらエーメの唇にピッタリ合わせながら作曲、およそ２分ほどのシークエンスのレコーディングにまる一日かかったという。そんな離れ技をやってのけたのは、フランスが生んだ天才作曲家、ジャズ・ピアニスト、<strong>ミシェル・ルグラン</strong>である。他愛のない日常やすれ違う恋を、“ヌーヴェルヴァーグの真珠”とまで云われたモノクロームの美しい映像と、反時代的な形式でもあるミュージカル・スタイルの導入とで、詩情豊かにおとぎ話のように描き出したドゥミ監督のセンスも素晴らしいが、超絶テクニックをもってして、しかもスウィートな音楽で映像に彩りを添えたルグランの世に稀な優れた才能に敬服させられる。やはりこのひと、天才と呼びたくなる。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9553 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p1.png" alt="エッフェル塔が見えるパリの風景(イラスト)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　この『ローラ』をぼくがはじめて観たのはずっとあとのことで、社会人になってからなのだけれど、まず驚かされたのは、この映画の物語が結果として『シェルブールの雨傘』の前日譚になっているという点。ローラの幼なじみで、彼女のことを初恋のひとと確信し求婚するものの、結局ふられてしまう青年、実は『シェルブールの雨傘』で<strong>カトリーヌ・ドヌーヴ</strong>演じるヒロイン、ジュヌヴィエーヴの結婚相手となる宝石商人、ローラン・カサールと同一人物なのである。しかもどちらの作品においても、カサールは<strong>マルク・ミシェル</strong>という俳優によって演じられている。確かに『ローラ』に登場する青年は、やや若々しくまだ口髭も生やしてはいないけれど、スラリとした長身といい端正なルックスといい、まさに『シェルブールの雨傘』のカサールそのひとである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに驚かされるのは、ルグランが『ローラ』のテーマ曲として作曲した「夢見るローラン・カサール」は、実は『シェルブールの雨傘』のなかの「カサールの求婚」と同一曲だったこと。翻案がお得意なニューヨーク出身の作詞家、<strong>ノーマン・ギンベル</strong>によって英語の歌詞がつけられ「ウォッチ・ホワット・ハプンズ」として広く知られるようになった、エレガントでブリージーなあの曲である。あとで知ったのだが『ローラ』のサウンドトラック盤は、映画が公開された1961年にフランスのシンフォニアというレーベルから、７インチレコードだがちゃんと発売されていた。前述の「ローラの歌」をはじめ「ミシェルと島々(チャチャ・ボレロ)」「ローラとエルドラド(自動ピアノ)」といった曲とともに「夢見るローラン・カサール」が収録されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『ローラ』のEP盤はなかなか入手が困難なのだが、2013年にユニバーサル ミュージックから発売された11枚組CDボックス・セット『<em>ジャック・ドゥミ＝ミシェル・ルグラン / リンテグラル ─ ザ・コンプリート・エディション</em>』において、未商品化タイトルも含めてそのアンダースコアの全容が明らかにされた。もし「ローラの歌」「夢見るローラン・カサール」だけ聴ければいいというのなら、日本でも国内盤が発売された『<em>ミシェル・ルグラン＝ジャック・ドゥミ作品集</em>』(2008年)がお薦め。企画倒れとなった『アヌーシュカ』をはじめ『ローラ』『天使の入江』(1962年)『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』『ロバと王女』(1970年)『モン・パリ』(1973年)『ベルサイユのばら』(1978年)『パーキング』(1985年)『想い出のマルセイユ』(1988年)といった作品の代表曲を聴くことができる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いずれにしても、ドゥミの色彩豊かな映像美とルグランの華麗でジャジーな美しい旋律とが重なることによって、フランス映画史に残る数々の名シーンが生み出されたことは確か。日常のささやかなセリフまで音楽にしてしまうという、ふたりのコラボレーションによるフレッシュなエクスプレッションは、後続の映画作品にも大きな影響を与えた。そして、その映像と音楽とが完全に融合した独特の美しさを孕んだ世界観は、ミュージカルがいささか苦手だったぼくをさえも夢中にさせたのである。幸いなことに『シェルブールの雨傘』は、日本でも２枚組のLPレコードが発売されていた。かたや『ロシュフォールの恋人たち』のほうは国内盤が見つからず、中古レコード店でようやく２枚組のフランス盤を手に入れた。それだけ、ルグランの音楽はぼくを魅了したのだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　前述のように少年時代に名画座通いをしていたぼくは、おなじころクラシック・ピアノの個人レッスンを受けながらポピュラー・ピアノも弾くようになった。むろん映画からの影響である。そして当時ぼくが影響を受けたフランス出身の映画音楽の作曲家といえば、<strong>ジョルジュ・ドルリュー</strong>、<strong>フランシス・レイ</strong>、そして<strong>ミシェル・ルグラン</strong>だった。ドルリューやレイの音楽にはじめて触れたときも、いたく感動させられたけれど、ルグラン・サウンドとの出会いには、それをはるかに凌駕するインパクトがあった。さきにも述べたが『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』といったドゥミ作品は、ミュージカルというある意味で非常に現実離れした、情緒的で甘美な世界。それを違和感なく上手くもち上げているのは、ルグランの華麗なサウンドである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はぼくは、かねてからルグランのことを天才的な山師と思っている。いささか云いかたはわるくなったが、彼の技巧が凝らされた豪華絢爛な音楽表現を目の当たりにすると、ついそんなイメージをもってしまうのだ。まだ小学生だったとはいえ、ピアノを弾くだけでは飽き足らず作曲や編曲にも興味をもちはじめていたぼくは、ルグランの書くスコアにすこぶる好奇心がそそられたもの。しかしながら実際には、ルグランのアレンジを真似しても絶対に上手くいかない。プロの音楽家においても、彼のマナーを模倣して失敗している例をしばしば見かける。ルグランはもっとも合理的かつ効果的にオケを鳴らす方法を知り尽くしていて、さらにそこから飛躍する。平たく云うと、ルグランという音楽家は実に要領よくハッタリを利かせるのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">不世出の天才音楽家のバックグラウンド、マスターピースについて</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ルグラン・サウンドが、通常のオーケストレーションとひと味もふた味も違うのは、音楽上のアイディアに大きなブレークスルーが生み出されているというところ。パリ国立高等音楽院でピアノ演奏とともに和声学をしっかり学び、同校を首席で卒業したルグランだけに、楽器の組み合わせかたや演奏のさせかたに精通しているのは当然のこと。彼は一般的な音楽理論はもちろんのこと、汲めども尽きぬ知恵の泉をもってして、すべての楽器が渾然一体となった世界を創り上げる。惜しげもなく大きく展開されるルグラン・サウンドは、けっこう派手に聴こえるのだが、決して乱脈を極めることもなく心地よく響くから不思議だ。そんな劇的効果を出せるのは、世界広しといえども彼だけではなかろうか。ドルリューやレイの音楽も好きだけれど、彼らのサウンドに大胆な概念はない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またルグランの特徴として、ソングライティングにおいてモティーフ・ディベロップメントが多用されることが挙げられる。おそらくルグラン自身にとってはお茶の子さいさいな技法、というかもはや無意識にやっていることなのかもしれない。彼がピアノに向かい左手でコードをラフに進行させながら、右手でつぎつぎにメロディを展開させていく光景が目に浮かぶようだ。それもなんとなく鼻歌まじりにやっていそう。と、これは飽くまで音を聴いたときのぼくの妄想で、実際はちゃんと作曲しているのだろう。いずれにしても、ルグランの十八番とも云える、ひとつのモティーフを展開させるようなパターンには、楽曲を一聴したリスナーのハートに強く刻みつける作用がある。そんな点からも彼のことを、<strong>モーリス・ラヴェル</strong>ではないが、音の魔術師と云いたくなる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにドルリューやレイにはないルグランの強みは、ジャズを素材として扱うのではなく本格的に演奏することができるということ。26歳のルグランは新婚旅行を兼ねてアメリカを訪れた際、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>(tp)、<strong>ジョン・コルトレーン</strong>(ts)、<strong>ビル・エヴァンス</strong>(p)ほか、ニューヨークの敏腕ジャズメンたちとともに、名作『<em>ルグラン・ジャズ</em>』(1958年)を吹き込んでいる。ルグランはアレンジと指揮に徹しているが、彼らしくハープなども入れたりしてユニークなモダン・ジャズを披露した。曲目がジャズ・プレイヤーが好みそうな渋めのセレクションで、実に興味深い。その20年後の吹き込み『<em>ジャズ・ルグラン</em>』(1979年)では、全曲彼のオリジナルでまとめられている、ルグランならではのビッグバンド・サウンドが冴えわたる好盤だ。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9555 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p2.png" alt="凱旋門が見えるパリの風景(イラスト)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ちなみに、ルグランはジャズ・ピアニストとしても何枚かアルバムを残している。1990年代には日本のレーベル、アルファ・ジャズからピアノ・トリオ作品をリリースして好評を得た。もっとも有名なのは、名門ヴァーヴ・レコードからの１枚『<em>シェリーズ・マン・ホールのミシェル・ルグラン</em>』(1968年)だろう。ピアノ・トリオでの吹き込みだが、<strong>レイ・ブラウン</strong>(b)、<strong>シェリー・マン</strong>(ds)といったサイドメンの人気からか、日本では評価が高い。ただルグランのピアノは、ちょっとデリカシーに欠けるきらいがある。これでもかというほど指を動かしているのだけれど、オーケストラのアレンジのときとは違い混沌たる音の氾濫に、思わず耳を覆いたくなる。やはりルグランの才気煥発の極みといえば、アレンジメントなのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ルグランはオーケストレーションの天才であり、しかもそのメソッドは異能異才と云える。ぼくはさきに彼のことを、ラヴェルの異名を拝借して音の魔術師と呼んだけれど、厳密には管弦楽の魔術師と云うほうが正解なのかもしれない。では、そんなルグランのマスターピースはなにかというと、ちょっと選ぶのが難しい。なぜなら、彼の手がけた音楽作品が、まあとにかく膨大な数に上るからだ。サウンドトラック以外の個人名義のアルバムだけでも相当ある。個人的なお薦めは、ベル・レコードからリリースされた『<em>ブライアンズ・ソング</em>』(1972年)と『<em>トゥエンティ・ソングス・オブ・ザ・センチュリー</em>』(1974年)、RCAレコードからリリースされた『<em>パリの恋人たち</em>』(1972年)と『<em>ミシェル・ルグランの世界</em>』(1976年)あたり。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なかでもぼくが聴きこんだのは、２枚組の『<em>トゥエンティ・ソングス・オブ・ザ・センチュリー</em>』だ。収録曲はルグランの自作が「シェルブールの雨傘」のみで、残りの19曲は20世紀を代表する名曲のカヴァーとなっている。ルグランのアレンジのマナーを知るにはあつらえ向きの、エキサイティングなアルバムだ。たとえば<strong>ヘンリー・マンシーニ</strong>の「ムーン・リヴァー」や<strong>ザ・ビートルズ</strong>の「イエスタデイ」あるいは<strong>サイモン&amp;ガーファンクル</strong>の「明日に架ける橋」といった、すでにオリジナルの完成度が高い楽曲でも、まるでルグランの自作曲のように聴こえてしまう。<strong>ジョゼフ・コズマ</strong>のシャンソン「枯葉」に至っては、あの有名な主題が見事に変奏され、まるで管弦楽のための音楽作品のような様相を呈しているのだから、まったく感服するばかりだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんな不世出の天才音楽家のバックグラウンドについて、いまさら不要かもしれないが簡単にメモしておく。<strong>ミシェル・ルグラン</strong>は1932年２月24日、パリ20区メニルモンタンに生まれた。父親は指揮者で作曲家の<strong>レイモン・ルグラン</strong>、母親はアルメニア系で楽譜出版社を経営していた<strong>マルセル・デル・ミカエリアン</strong>。２歳年上の姉はのちにアカペラ・ヴォーカル・グループ、<strong>スウィングル・シンガーズ</strong>のリード・ソプラノを務めることになる<strong>クリスチャンヌ・ルグラン</strong>。なお母親のマルセルは、シャンソンやフレンチ・ポップの黄金期を支えたバンドリーダー、<strong>ジャック・エリアン</strong>の姉に当たる。つまりルグランは、いわゆる音楽一家に育ったわけだ。幼少期からピアノを弾いていた彼は、11歳のときにパリ国立高等音楽院に入学し、<strong>ナディア・ブーランジェ</strong>に師事した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみにブーランジェは、印象主義音楽や原始主義音楽から影響を受けた作曲家であると同時に、20世紀のもっとも重要な作曲家や演奏家の数々を世に送り出したことで知られる音楽教育者でもある。たとえば、指揮者で作曲家の<strong>レナード・バーンスタイン</strong>、音楽プロデューサーでアレンジャーの<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>、ジャズ・ピアニストの<strong>キース・ジャレット</strong>、ジャズ・トランペッターの<strong>ドナルド・バード</strong>、アルゼンチン・タンゴの作曲家でバンドネオニストの<strong>アストル・ピアソラ</strong>などはみな、ブーランジェの門下生なのだ。そんな教え子たちのなかでもルグランは、12歳のときに上級ソルフェージュで、17歳のときには和声学で、それぞれ首席となった優秀な生徒。そして1952年、彼は20歳にして通常より４年も早く同音楽院を卒業しているのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところがそんな前途有為なルグランでも、クラシック音楽家としての職は得られず、1950年代は様々なシャンソン歌手のバックでアレンジと指揮を手がけた。そして1954年、映画界に通じていた父親のレイモンの紹介で、ルグランは<strong>アンリ・ヴェルヌイユ</strong>監督の映画『過去をもつ愛情』(1955年)のアンダースコアを担当する。映画にも出演しているポルトガル出身の女性シンガー、<strong>アマリア・ロドリゲス</strong>が歌唱した(<strong>カーコ・ヴェーリョ</strong>作曲、<strong>ダヴィッド・モーラン・フェレイラ</strong>作詞による)楽曲を、ルグランは流麗なオーケストラ・ヴァージョンにアレンジ。ポルトガル情緒を上手く醸し出した。映画のクレジットでは、音楽担当が<strong>リュシアン・ルグラン</strong>となっているが、実はこれはルグランが当時使っていたペンネームである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">ルグランの才気が遺憾なく発揮された、鑑賞用音楽として一級品の音盤</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またこれとおなじ年にルグランは、最初のオリジナル・アルバム、<strong>ミシェル・ルグラン・アンド・ヒズ・オーケストラ</strong>名義の『<em>アイ・ラヴ・パリ</em>』(1954年)を発表する。彼はこのときまだ22歳だったが、このデビュー作がスマッシュヒットとなり、国際的な音楽シーンに躍り出たのである。そのいっぽうでルグランはこのころ、俳優でシンガーの<strong>モーリス・シュヴァリエ</strong>のレヴューにおいて舞台監督を２年ほど務めたのち、1956年にシュヴァリエ一座のアメリカ公演に同行。ルグランにとっては初の渡米になったわけだが、これを機に彼の名前はアメリカの音楽シーンにおいて周知されるようになっていく。後年、名盤の誉れ高い『<em>ルグラン・ジャズ</em>』が制作されたことは、すでに触れた。その後ルグランは、ジャズ・ピアニスト、ポップ・シンガーとしても活躍するが、一般的には映画音楽の作曲家として広く知られた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ルグランは2019年１月26日にパリ西部近郊ヌイイ＝シュル＝セーヌにおいて、86歳でこの世を去る前年まで映画音楽の仕事をつづけていた。具体的には、巨匠<strong>オーソン・ウェルズ</strong>の未完の映画『風の向こうへ』(2018年)において、ウェルズの親友でもあったルグランは最後の力を振り絞ってスコアを書き上げた。サウンドトラック・アルバムもララ・ランド・レコードからリリースされたが、そのコンテンツは一聴でルグランの手がけたものとわかる。ただ、ダイナミックなオーケストラの演奏や、スタイリッシュなジャズ・プレイが展開されるなかにも、とき折アヴァンギャルドな面が窺われ、あらためてその感性の瑞々しさに驚かされた。20世紀後半のフランス映画音楽シーンをリードしつづけた音楽家の、まさに面目躍如たる仕事ぶりと云える。この傑出したフィルム・ミュージックが、ルグランの遺作となった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなルグランの音楽は、映像やストーリーラインがどうであろうと、いつも銀幕のなかで華となっている。ぼくには、そんなふうに思われるのだ。そういう特色がもっとも有益となった作品といえば、やはりドゥミ監督の『シェルブールの雨傘』と『ロシュフォールの恋人たち』ではなかろうか。この２作では、ある意味で音楽が主役だ。もしそこにルグランの音楽がなかったら、作品は無味乾燥で月並みなものとなっていたかもしれない。シノプシスだけを参照すると、かたや戦争という時代の流れに翻弄される若い男女の悲恋物語、かたや運命の恋を夢見るひとびとの交錯と、いささか陳腐なものに映る。そんな使い古されたストーリーの映画を時代を超えた名作に押し上げたのは、ドゥミ監督が書いた歌詞というか台詞に、一分の隙もなく華やかで優雅な旋律を載せた、稀代の音楽家ルグランの才覚と云える。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9556 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p3.png" alt="グランドピアノとエッフェル塔(イラスト)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/p3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　さきにも述べたが、この『シェルブールの雨傘』と『ロシュフォールの恋人たち』のレコード、ぼくは手に入れた当初はよく聴いていたのだけれど、いまはあまりターンテーブルに載せることがない。現代では多種多様のメディアやオンデマンド配信サービスが存在する。だが当時は映画を観る手段といえば、劇場に足を運ぶかテレビ放送を待つかしかなかった。日常的に映画音楽を楽しむには、レコードだけが頼りだったのである。いまならこれらのLPを手にとるくらいだったら、ミュージカル映画ということもあり、DVDや配信サービスで本編を観たほうが、その作品世界をより立体的に堪能することができるのだ。だからぼくは、前者に関してはサントラ盤よりも『<em>交響組曲「シェルブールの雨傘」</em>』(1979年)というアルバムのほうをよく聴く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムのコンテンツは、ルグラン自身がフィルム・スコアをピアノとオーケストラのための交響組曲にアレンジしたもの。演奏は<strong>ロンドン交響楽団</strong>で、指揮とピアノ演奏はルグラン自らが担当。数々のミュージカル・ナンバーがほぼ映画の進行どおりに、豪華絢爛かつ響徹雲霄なシンフォニック・サウンドで再現される。ときにはビッグバンド・ジャズ風なパフォーマンスもあり、オーケストラにエレクトリック・ギター、ベース、ドラムスといったリズム・セクションも加わる。それこそ天才的な山師のごとき、ルグランのアレンジの妙技をたっぷり味わうことができる１枚だが、このブログでも過去にご紹介した。ということで、今回は最後に『<em>ロシュフォールの恋人たち オーケストラ・ヴァージョン</em>』(1967年)について触れておく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このレコードは、フランスのフィリップス・レコードからリリースされた、映画のアンダースコアをもとに再録音されたもの。レコーディングでは、サウンドトラックの録音に参加したミュージシャンがふたたび起用されたとのこと。プロデューサーは『<em>アイ・ラヴ・パリ</em>』をはじめとするルグランの作品を多く手がけている、<strong>ナット・シャピロ</strong>。この音源は、さきに挙げた『<em>ジャック・ドゥミ＝ミシェル・ルグラン / リンテグラル ─ ザ・コンプリート・エディション</em>』にも全曲収録されているが、2017年に日本のユニバーサル ミュージックによって、世界初の単独オリジナル・フォーマットでのCD化がなされた。このCDのライナーのなかで、ルグラン研究の第一人者である<strong>濱田高志</strong>が、オリジナルLPに記載のなかったレコーディング・メンバーの一部を明らかにしている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それによるとメンバーは、<strong>ミシェル・ルグラン</strong>(p)、<strong>モーリス・ヴァンデール</strong>(p)、<strong>エディ・ルイス</strong>(org)、<strong>ダニエル・ユメール</strong>(ds)、<strong>ロジェ・ブルダン</strong>(fl)、<strong>レイモン・ギヨー</strong>(fl)、<strong>クリスチャンヌ・ルグラン</strong>(vo)、<strong>アン・ジェルマン</strong>(vo)など。ジェルマンは映画本編で<strong>カトリーヌ・ドヌーヴ</strong>の吹き替えをしたひとだ。12の収録曲は、進行もアレンジも映画のそれらとは異なる。オープニングを飾るのは、クラシカルな「コンチェルト」で、いきなり劇的な印象を与える。<strong>ビル・エヴァンス</strong>の名演「ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング」で知られる「マクサンスの歌」では、感傷的なメロディを荘厳なクワイアとリトル・ビッグ・バンドとが歌い上げる。ピッツィカートによるイントロが印象的な「夏の日の歌」は、軽やかにメトリック・モジュレーションする４ビート。個人的にはいちばん好きな曲だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　メランコリックなバラード「シモンの歌」では、チェンバー・ミュージックとモダン・ジャズとのミクスチュアが独特の味わいを生み出している。アップテンポのジャズ・ワルツ「バラバラ事件の女」では、ストリングスとオルガンの跳ね具合がキャッチー。転調が効果的な「いつもいつも」では、降り注ぐようなストリングスに注目。ラテン調の「水夫、友達、恋人、または夫」では、木管楽器によるアンサンブルとストリングスによるオブリガートとがモダンな雰囲気を醸し出している。有名な「キャラヴァンの到着」の後半部分にあたる「めぐり合い」では、スウィンギーなコンボ演奏が展開される。なお前半部分にあたる「町から町へ」では、瀟洒なスキャットがフィーチュアされる。これら２曲の中間に位置する「デルフィーヌとランシアン」では、ワルツのリズムに乗ってソプラノ、ストリングス、コーラスが美しく絡み合う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これまた有名な「双子姉妹の歌」では、ある意味でハイライトとも云うべきビッグ・バンド・スタイルというかシンフォニック・ジャズが展開される。このサウンドはアルバムのラストを飾る「ソランジュの歌」にも引き継がれる。そしてこのアルバム、実際に聴いていただければよくわかるのだが、どの曲にもジャズの要素が盛り込まれている。それでいてオーケストラのサウンドは、西洋芸術音楽の系譜に連なるものだ。しかもルグランは、アンサンブルの各パートを華麗に展開させながらも、少しの違和感も与えることなく、それらを調和させ音楽の全体を整えているのだ。やはりぼくは、彼のことを音の魔術師と云いたくなる。そういう点でもこのアルバムが、ルグランの才気が遺憾なく発揮された、鑑賞用音楽として一級品の音盤であるということは間違いない。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Kleber Jorge / Voltar Pro Rio (Back To Rio) (1999年)</title>
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		<pubDate>Sun, 09 Aug 2026 07:22:03 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[セルジオ・メンデス＆ブラジル &#8217;99で活躍したシンガーソングライター兼ギタリスト、クレベール・ジョルジがケヴィン・レトーやドリ・カイミを迎えて放ったソロ・デビュー・アルバム『ヴォルタール・プロ・リオ (バック [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">セルジオ・メンデス＆ブラジル &#8217;99で活躍したシンガーソングライター兼ギタリスト、クレベール・ジョルジがケヴィン・レトーやドリ・カイミを迎えて放ったソロ・デビュー・アルバム『ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)』</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
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<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Kleber Jorge / Voltar Pro Rio (Back To Rio) (1999)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Assim Nao Dá (It Doesn&#8217;t Work This Way)</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">アダルト・コンテンポラリー系シンガー、ケヴィン・レトーとの結びつき</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　藪から棒だが、<strong>クレベール・ジョルジ</strong>というミュージシャンをご存知だろうか。知っているとすれば、相当な音楽通のかただろう。かく云うぼくも、実はこの音楽家のことをあまり詳しくは知らないのである。ブラジル、リオデジャネイロ出身のシンガーソングライター兼ギタリストなのだが、ぼくの知るかぎり彼のリーダー・アルバムといえば、ソニック・イメージズ・レコードが発売した『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)</em>』(1999年)、そしてジェサナ・ミュージックという未知のレーベルからリリースされた『<em>メウ・リオ</em>』(2020年)と、たったの２枚しかないのである。どんなジャンルの音楽かというと、ブラジリアン・フュージョン系のニュー・アダルト・コンテンポラリーといったところだろうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この際だから、最初にジョルジのプロフィールをわかる範囲で記しておく。音楽活動の拠点をロサンゼルスに構える<strong>クレベール・ジョルジ</strong>は、1960年３月１日、リオに生まれている。父親がシンガー兼ベーシスト、祖父がカヴァキーニョとバンドリンを弾くという、音楽一家に育った。８歳から父親の手ほどきでギターを弾きはじめ、10代のころにはすでにプロのミュージシャンとして活動していた。その後リオデジャネイロ州立大学において、音楽理論の学位を取得している。ジョルジは1980年代半ばに故郷を離れ、世界各地をツアーするようになる。1984年にマイアミを訪れたあと彼は、1985年にパリの屋内アリーナ、パレ・デ・スポールにおいて１か月間、演奏活動を行った。リオに戻ったあとは、ブラジルでもっとも歴史のあるビッグ・バンド、<strong>オルケストラ・タバジャラ</strong>に参加。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジョルジはこのビッグ・バンドでシンガー兼ギタリストとして２年ほど活躍したあと1988年、ロサンゼルスに移住を決意。渡米後には、ギターについてフィンガースタイルのギタリスト、<strong>テッド・グリーン</strong>に、アレンジに関してはソングライター兼マルチ・インストゥルメンタリストの<strong>モアシール・サントス</strong>に師事した。同時に彼は自己のグループを結成し、カリフォルニア周辺で仕事をするようになる。さて、ここからである。1990年代に入ると、ジョルジは西ドイツ西ベルリン出身の女性シンガー、<strong>ケヴィン・レトー</strong>のレコーディングに関わるようになる。当時レトーは、西海岸のフュージョン、スムース・ジャズ、ブラジリアン・ジャズのスタイルで、もっとも人気を博していたアダルト・コンテンポラリー系のヴォーカリストだった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9535 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la1.png" alt="アメリカ西海岸ロサンゼルスの風景(イラスト) ①" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ハナシがいささか脇道に逸れるが、ここでぼくがレトーに関心を寄せる経緯について触れておく。もしレトーのアルバムを手にとることがなかったら、ぼくは<strong>クレベール・ジョルジ</strong>というミュージシャンに、永遠に出会うことがなかったかもしれないからだ。そもそもぼくが<strong>ケヴィン・レトー</strong>という名前を知ったのは、フュージョン・ギタリストの雄、<strong>リー・リトナー</strong>のアルバム『<em>ポートレイト</em>』(1987年)において。ブラジリアン・テイストの「ウィンドミル」という曲で、チャーミングなバッキング・ヴォーカルを披露していたのがレトーだった。そのあとすぐ、ぼくはリオデジャネイロ出身のピアニスト、<strong>セルジオ・メンデス</strong>のアルバム『<em>アララ</em>』(1989年)において、今度はリード・ヴォーカリストとしてのレトーに巡り合うのであった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　爽やかで明るい透明感と、どこかアンニュイな陰影を併せもつ声のトーンから、ぼくはすっかりレトーのことが気に入ってしまった。そんなとき、ロサンゼルスとブラジルとの混合メンバーによるフュージョン・グループ、<strong>ヴェラス</strong>のアルバム『<em>イーリャ・ドス・フラージス</em>』(1989年)が日本のレーベル、ポニーキャニオンからリリースされた。ぼくがこのアルバムを手にとった最大の理由は、日本人アーティストではもっとも敬愛する音楽家のひとり、<strong>横倉裕</strong>がプロデューサー、アレンジャー、そしてキーボーディストを務めていたこと。横倉さんは短期間ではあるが日本において、ブラジリアン・テイストのポップ・グループ、<strong>NOVO</strong>のキーボーディスト兼ヴォーカリストとして活動したのち、1970年代の中ごろに音楽制作の拠点をロサンゼルスに移した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで、この<strong>ヴェラス</strong>というグループのヴォーカリストがレトーだった。しかも『<em>イーリャ・ドス・フラージス</em>』のレコーディング・メンバーのクレジットをよく見ると、バッキング・ヴォーカリストとしてジョルジの名前が記載されているのである。これがキッカケかどうかは定かでないが、その後ジョルジとレトーとの結びつきは強まる。レトーのセカンド・アルバム『<em>シンプル・ライフ</em>』(1992年)では、ジョルジが自作曲「ナナン・ダス・アグス」を引っ提げて、ギタリストとしてレコーディングに参加している。レトーは基本的に英語歌唱のシンガーだが、この曲においては前半をポルトガル語で歌っている。明るく軽快な感じのフロウが、とてもフレッシュに響く。この曲、実はのちにジョルジ自身によってセルフ・カヴァーされる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　つづくサード・アルバムの『<em>アナザー・シーズン</em>』(1994年)では、ジョルジはレコーディングには未参加だが、タイトル・ナンバーの「アナザー・シーズン」を作曲している。この曲はのちにジョルジ自身によって、ポルトガル語で歌われる。さらにジョルジは、レトーのフォース・アルバム『<em>風の言葉〜ユニヴァーサル・ランゲージ</em>』(1995年)でも、自作曲「アンダーニース・ザ・フェイス・オブ・ザ・ムーン」を提供している。この曲もまた、後年ジョルジ自身によってセルフ・カヴァーされる。ただこの曲に関しては、ジョルジもレトーのペンによる英語の歌詞をそのまま歌っている。以上、３曲はさきに挙げたジョルジのリーダー作『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)</em>』に収録されている。詳細はのちほどお伝えする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　おなじころジョルジは、<strong>セルジオ・メンデス</strong>のリーダー作で、グラミー賞の最優秀ワールド・ミュージック・アルバム賞を獲得した『<em>ブラジレイロ</em>』(1992年)に、レトーともどもバッキング・ヴォーカリストとして参加している。その後ジョルジは、アルト奏者、<strong>渡辺貞夫</strong>の『<em>インテンポ</em>』(1994年)、リオデジャネイロ出身のギタリスト、<strong>ドリ・カイミ</strong>の『<em>イフ・エヴァー</em>』(1994年)、ベーシスト、<strong>ジョン・パティトゥッチ</strong>の『<em>ファイン・ミキスチャー</em>』(1995年)といった、メジャー・アーティストのレコーディングを経て、ふたたびセルメンのアルバム『<em>オセアーノ</em>』(1996年)に参加。以降ジョルジはそのままセルメンのグループに加入し、ヴォーカリスト、ギタリスト、そしてアレンジャーとして、大いに腕を振るった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">ブラジル音楽がアメリカ西海岸のミュージック・シーンでトレンドとなる</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、<strong>クレベール・ジョルジ</strong>というミュージシャンが、<strong>セルジオ・メンデス</strong>もそうだが、ロサンゼルス在住のボサノヴァをベースとしたブラジリアン・ミュージックに特化したアーティストであることは、おわかりいただけただろう。そして1990年代以降、アメリカ西海岸のラジオ・フォーマットとして人気を博したニュー・アダルト・コンテンポラリーは、ブラジル音楽との関係が密接だけれど、そういうミクスチュアをクリエイトしていたのが、<strong>横倉裕</strong>や<strong>ケヴィン・レトー</strong>だった。そしてジョルジの音楽もまた、その流れを汲むものである。云ってみれば、ウェストコースト・フュージョンの躍動感と、ブラジリアン・ミュージックの清涼感とを併せもつ、爽やかで耳に馴染みやすい音楽。気軽に楽しめるものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　もともとぼくは、幼いころからブラジル音楽に親しんでいた。テレビ放送で、1970年の大阪万博における<strong>セルジオ・メンデス</strong>のライヴ・パフォーマンスを観て感激したクチだが、思えばあれがブラジル音楽との出会いだった。ただ、ブラジリアン・ミュージック特有の味わいに強く惹かれたのは、20世紀のブラジル音楽を代表する作曲家、<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>の曲を聴いたときが最初だったと思う。もちろんそのときのぼくは、ジョビンの音楽がボサノヴァというもので、ショーロ、サンバ、ノルデスチとともにブラジルの音楽のひとつであるなどとは、まだ知る由もなかった。ただ、その簡素で美麗なメロディック・ラインと心地いいテンション・コードとに、ぼくの感性がいたく刺激されたことはハッキリ覚えている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジョビンの音楽をじっくり味わうなら、まずはなんといっても初リーダー作の『<em>イパネマの娘</em>』(1963年)だろう。“<em>The Composer Of Desafinado, Plays</em>”という原題からもわかるようにジョビンのセルフ・カヴァー・アルバムで、曲目はすべて彼のアコースティック・ピアノが主軸に据えられたインストゥルメンタル・ナンバーで構成されている。このアルバムに収められたジョビンのペンによる１ダースのマスターピースにしても、そのなだらかで麗しいメロディック・ラインを綴るピアノ演奏にしても繊細で優美なもの。たとえば、晴れ渡った青空のもとそよそよと吹く風、はたまた波立つことのない穏やかな海といったイメージが喚起される。そんなサウンドをよりスウィートなものにしているのは、<strong>クラウス・オガーマン</strong>のアレンジとコンダクティングによるストリングスだ。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9536 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la2.png" alt="アメリカ西海岸ロサンゼルスの風景(イラスト) ②" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　オガーマンはドイツのラーティボーア(現在のポーランド領ラチブシュ)生まれの音楽家で、もともとはクラシック畑のひと。1959年にアメリカへ渡り、ニューヨークに活動の拠点を置いた。1963年からヴァーヴ・レコードのミュージカル・ディレクターを務めるようになり、プロデューサーの<strong>クリード・テイラー</strong>とコンビを組む。純音楽の作曲をしながらも、ポップス、ロック、ジャズ、ラテン、リズム・アンド・ブルースなど、生涯にわたりあらゆるジャンルの音楽のオーケストレーションを手がけた。オガーマンはこの『<em>イパネマの娘</em>』でも、効果的に弦楽器群を鳴らしている。ジョビンが創造した美しいメロディと心地いいハーモニーに、背後から彩りを添えているのだ。彼のスゴいところは、奥ゆかしいほどに音の無駄使いをせず、いつも適宜適切な入れかた、重ねかたで、高品質のオーケストラ・サウンドを提供するという点である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハナシが本筋から大きく外れてしまったが、とにかくブラジル音楽がぼくに与えた影響は大きい。それを年代別に俯瞰すると、1960年代のジョビン、1970年代の<strong>ミルトン・ナシメント</strong>、1980年代の<strong>イヴァン・リンス</strong>からは、特に刺激を受けたと云える。リオ出身のナシメントは、MPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)の代表的なシンガーソングライターだが、ジャズ・サクソフォニスト、<strong>ウェイン・ショーター</strong>のアルバム『<em>ネイティヴ・ダンサー</em>』(1975年)でフィーチュアされたことから、ぼくは彼に関心を寄せるようになった。このアルバムにおけるショーターとナシメントとのコラボレーションは、２種類の芳醇なミュージカリティがよくブレンドされた上質の音楽を生み出している。それを端的に云えば、ジャズとブラジル音楽とが溶け合ったフュージョン・ミュージックとなる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくはショーターのアルバムを体験したすぐあと、偶然にもふたたびナシメントがフィーチャリング・アーティストとして迎えられた作品に出会う。それは、キーボーディストである<strong>ジョージ・デューク</strong>の『<em>ブラジリアン・ラヴ・アフェア</em>』(1980年)というアルバム。ブラジル原産の素材がデューク流に味つけされ、ワン・アンド・オンリーなブラジリアン・サウンドが創出されたフュージョンの名盤である。このアルバムに収録されている、タンボーリス・ジ・ミナスのリズムが活かされた「クラヴォ・イ・カネーラ」やラテン・エッセンス溢れるフォルクローレ調の「アオ・キ・ヴァイ・ナセール」といったナシメントの自作曲では、彼のヴォーカルがまさに独擅場でその存在感の大きさと影響力の強さを、あらためて感じさせられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そして最後に<strong>イヴァン・リンス</strong>だが、ブラジル音楽において、ぼくがもっともこころを打たれたのは、実は彼の曲なのである。1980年代に彼の曲を積極的に採り上げていたのは、グラミー賞をはじめとする音楽賞を多数受賞する音楽プロデューサー、<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>だ。ジョーンズが当時、ソングライター兼アレンジャーとしてイングランド、リンカンシャー出身のキーボーディスト、<strong>ロッド・テンパートン</strong>を起用していたことはよく知られている。多国籍バンド、<strong>ヒートウェイヴ</strong>のメンバーでもあるテンパートンが書くソウルフルかつソフィスティケーテッドな楽曲はすこぶるスタイリッシュなのだけれど、ぼくにとってはリンスのペンによる浮遊感のあるコード進行が際立ったナンバーのほうが、ずっと魅力的に感じられたものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　リンスはやはりリオ生まれのシンガーソングライター。むろんぼくは、ポルトガル語の歌詞の内容を理解する言語スキルをもち合わせていなかったけれど、それでも高度なジャズ・ハーモニーを孕んだ洗練されたアダルト・オリエンテッドな音楽として、深く寄り添うようにリンスの音楽を熱心に聴いていた。あとでぼくは、ソフィスティケーテッドでアーバンなブラジリアン・サウンドと、こころもちアーシーな香りを放つヴォーカル・パフォーマンスが交錯するリンスの楽曲の歌詞の内容を知って、それがハーモニーやメロディック・ラインから想像していたものとまったく違っていたので愕然としたもの。リンスのパートナー、<strong>ヴィトール・マルティンス</strong>の書いた歌詞は、実は社会的なメッセージを発信するものだったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それはともかくリンスは、コンテンポラリー・ジャズの大御所キーボーディスト、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>、そして前述のギタリスト、<strong>リー・リトナー</strong>によってロサンゼルスに招聘され、彼らのコラボレーション・アルバム『<em>ハーレクイン</em>』(1985年)のレコーディングに参加。既存の自作曲をポルトガル語で歌った。その都合３曲はどれも、グルーシンのペンによってセンシティヴなアレンジが施された。リンスのアーシーなヴォーカル・パフォーマンスと、グルーシン＆リトナーによるソフィスティケーテッドなオブリガートとのコントラストが得も云われぬ美しさを生んでいる。このアルバムは、多くのミュージシャンに影響を与えた歴史的作品であるし、1990年代以降アメリカ西海岸のミュージック・シーンでトレンドとなった、ニュー・アダルト・コンテンポラリー作品の礎となったと、ぼくは思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">横倉裕やケヴィン・レトーのアルバムと並び称される、あの時代の名盤</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに補足すると、このグルーシンにアレンジの手ほどきを受けたのが、前述の<strong>横倉裕</strong>だった。横倉さんが渡米し、カリフォルニア州立大学で作曲とピアノを専攻したのちのことである。そのグルーシンといえば、1967年から1979年ごろまで、<strong>セルジオ・メンデス</strong>のレコーディングにおいてオーケストレーションを担当していた。セルメン・サウンドをスウィートなものにしていたのは、グルーシンのソフィスティケーテッドなアレンジメントだったと云っても過言ではない。また、横倉さんも<strong>NOVO</strong>時代に来日中のセルメンと運命的な出会いを果たしており、それが縁でのちに1991年から2011年まで、セルメンのグループのキーボーディストを務めることになる。さきにも述べたがレトーとジョルジも、セルメン所縁のミュージシャン。なにか偶然とは思えない、強い導き、あるいは引き合わせが感じられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そしてもうひとこと加えておきたいのが(ひとことでは済まないのだが)、レトーと横倉さんとのパートナーシップについて。ふたりの関係は、さきに触れたフュージョン・グループ、<strong>ヴェラス</strong>のレコーディングのあともしばらく継続する。レトーのソロ・デビュー・アルバム『<em>ユア・スマイル</em>』(1991年) では、横倉さんがソングライティング、アレンジ、バッキング・ヴォーカル、キーボード、そして箏を担当。さらに４枚目の『<em>風の言葉〜ユニヴァーサル・ランゲージ</em>』(1995年)では、ソングライター、レコーディング・エンジニアとして、７枚目の『<em>リトル・シングス</em>』(2001年)では、ソングライター、レコーディング・エンジニアとしてアルバム制作に関わっている。ちなみに横倉さんは、以上のアルバムの吹き込みが行われた、ロサンゼルスのアルハンブラにあるダブル “Y” スタジオの所有者でもある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その間、横倉さんがプロデュースを手がけたピノイ・ポップ・シンガー、<strong>チャド・ボルハ</strong>のアルバム『<em>ショウ・ミー・ザ・ウェイ</em>』(2000年)に、レトーがデュエット・シンガーとして参加している。そんななかでも、ふたりがもっとも蜜月の関係を示した作品といえば、レトーの５枚目のアルバム『<em>ランゲージ・オブ・フラワーズ</em>』(1998年)だった。横倉さんはこのアルバムの全面で、レトーの公私にわたるパートナー、<strong>マイケル・シャピロ</strong>と共同で、プロデュースを手がけている。むろん横倉さんは、ソングライティング、アレンジ、プログラミング、キーボード演奏、そしてレコーディングまで、八面六臂の活躍を見せる。なお、シャピロはワシントンD.C.出身のドラマー、パーカッショニストで、20年以上に及んで<strong>セルジオ・メンデス</strong>のライヴおよびレコーディングをサポートした。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9537 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la3.png" alt="アメリカ西海岸ロサンゼルスの風景(イラスト) ③" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　そんな西海岸のコンテンポラリー・ジャズのセンシティヴィティとブラジル音楽の複雑なリズムとが融合した、軽快で心地いいサウンドが花咲かせたブラジリアン・フュージョン・ムーヴメントにおいて、<strong>クレベール・ジョルジ</strong>もまた注目すべき存在。彼は2001年、山口県で開催されたEXPO YAMAGUCHI 2001(山口きらら博)に出演したが、それに先駆けて日本でもその初リーダー・アルバム『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)</em>』が、国内仕様盤として発売された。このアルバムのバックインレイには「<strong>セルジオ・メンデス＆ブラジル &#8217;99</strong>で活躍する才能溢れるギタリスト兼ヴォーカリストが、世界中を旅して生み出した楽曲の数々を、リオデジャネイロのフレーヴァーとスタイルを込めてお届けします」と記されている。本作のコンテンツは、まさにそういうサウンドでまとめられている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、ジョルジのもう１枚のリーダー作『<em>メウ・リオ</em>』はインディーズ・アルバムで、彼の出演するライヴ会場などで販売されたようだ。内容的には信仰、希望、そしてインスピレーションといったテーマが反映された、コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック。メロディアスなコンポジションと、こころを揺さぶるような歌詞がその特徴ではあるが、そのサウンドは『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ</em>)』と同様に、ブラジリアン・フュージョンとして楽しめるものだ。こちらはなかなか入手が困難と思われるけれど、アップル・ミュージックやアマゾン・ミュージックなどで気軽に聴くことができる。個人的なお薦めは『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)</em>』である。横倉さんやレトーのアルバムと並び称される、あの時代の名盤だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　では最後に『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)</em>』について、具体的にメモしておく。レコーディング・メンバーは、<strong>クレベール・ジョルジ</strong>(g, vo)、<strong>ビル・カントス</strong>(key, vo)、<strong>ビル・ブレンドル</strong>(key)、<strong>ラリー・ウィリアムズ</strong>(key)、<strong>ヘナート・ネト</strong>(p)、<strong>カール・バーネット</strong>(g)、<strong>リカルド・シルヴェイラ</strong>(g)、<strong>ランディ・ティコ</strong>(b)、<strong>キース・ジョーンズ</strong>(b)、<strong>マイケル・シャピロ</strong>(ds, perc)、<strong>ケヴィン・ウィナード</strong>(ds, perc)、<strong>ケヴィン・リカード</strong>(perc)、<strong>ルイス・コンテ</strong>(perc)、<strong>メイア・ノイチ</strong>(perc)、<strong>カッシオ・ドゥアルチ</strong>(perc)、<strong>ペドロ・ユスターシュ</strong>(fl)、<strong>スコット・マヨ</strong>(fl, ts, vo)、<strong>フスト・アルマリオ</strong>(fl,ss)、<strong>ロイス・アルベス</strong>(vo)、<strong>ドリ・カイミ</strong>(vo)、<strong>ジュリー・ラギンズ</strong>(vo)、<strong>ケヴィン・レトー</strong>(vo)、<strong>ヘナータ・ゲバラ</strong>(vo)、<strong>キャロル・ロジャース</strong>(vo)。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　プロデュースは、シャピロ、カイミ、そしてジョルジ自身が手がけている。全編でジョルジのヴェルヴェット・ヴォイス、ポップでスムースなサウンドが展開される本作、オープナーはアルバム・タイトル・ナンバー「ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)」で、軽快なサンバのリズムによってその世界に一気に引き込まれる。アルマリオのソプラノも風のように軽やか。つづく「ダンサ・ド・オウロ (ゴールデン・ダンス)は、もっともアーシーでトロピカルなナンバー。<strong>ゼー・ヘナート</strong>率いるMPBコーラス・グループ、<strong>ボカ・リヴリ</strong>のカヴァー曲で、この曲以外はすべてジョルジのオリジナルだ。個人的には特に好きな「アシン・ナォン・ダー (イット・ダズント・ワーク・ディス・ウェイ)」は、小気味いいビートと洗練されたコードが魅力的。オシャレだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　英語で歌われる「カメラ」は、ブラジリアン・グルーヴとメロウ・フュージョンのマリアージュ。マヨのテナーもムードいっぱい。ルンバ風の「トロヴァドール」では、リラクゼーション溢れるサウンドに乗って、ジョルジのギター・ソロも飛び出す。レトーのアルバムに収録されていた「ナナン・ダス・アグス (ナナ・オブ・ザ・ウォーター)」は、スピード感のある心地よさが際立つ。アルマリオのフルートも清涼感を弾けさせる。シンコペーテッドな「セン・パラール (ハンギング・ゼア)」は、まさにブラジリアン・フュージョン。シルヴェイラのブルージーなギターがよくフィットしている。バラードの「ジ・ヘペンチ・オ・アモール (サドン・ラヴ)」は、コード進行が<strong>イヴァン・リンス</strong>のそれを彷彿させる美しいナンバー。レトーのヴォーカルもフィーチュアされる。この曲も特に好き。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　英語で歌われる「クライ・フォー・ジョイ」は、ジョルジのギター・ソロも跳ねるハッピー・チューン。バイーア州サルヴァドール出身の伝説的シンガー、<strong>ドリヴァル・カイミ</strong>にインスパイアされた「デスクルピ・カイミ (フォー・ギヴ・ミー・カイミ)」は、落ち着いた感じのピュアなボサノヴァ。レトーのアルバムに収録されていた「アンダーニース・ザ・フェイス・オブ・ザ・ムーン」は、オリジナルどおり英語で歌われる。レゲエ風のリズムが楽しい。アルマリオのソプラノも上手く絡んでいる。アルバムを締めくくる「マンゲイラ」は、レトーの「アナザー・シーズン」のポルトガル語ヴァージョン。ジスフィーレ風のアレンジにこころが踊る。個人的には、ウィリアムズのシンセ・ソロに、懐かしさを感じる。以上、本作は間違いなくブラジリアン・フュージョンの傑作。見かけたら、絶対に手にとるべき作品だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Alan Pasqua, Dave Carpenter, Peter Erskine / The Way You Look Tonight (2007年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 02 Aug 2026 06:48:12 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Alan Pasqua]]></category>
		<category><![CDATA[Dave Carpenter]]></category>
		<category><![CDATA[Peter Erskine]]></category>
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					<description><![CDATA[教育者、作曲家、そして演奏家としてはロックやフュージョンのキーボーディストといった側面をもつアラン・パスクァによる、2008年のグラミー賞にもノミネートされたピアノ・トリオ作品『今宵の君は』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">教育者、作曲家、そして演奏家としてはロックやフュージョンのキーボーディストといった側面をもつアラン・パスクァによる、2008年のグラミー賞にもノミネートされたピアノ・トリオ作品『今宵の君は』</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
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<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Alan Pasqua, Dave Carpenter, Peter Erskine / The Way You Look Tonight (2007)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : I Could Have Danced All Night</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">既存の音楽の枠組みや固定観念にとらわれず、自由な発想や表現を追求</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　好きなのにもかかわらず、ご紹介できていないピアニストが、まだまだいる。<strong>アラン・パスクァ</strong>もそのひとり。1990年代の中盤からおよそ15年間、彼のアルバムがリリースされると、ぼくは必ず手にとっていたものだ。パスクァはアメリカ、ニュージャージー州ローゼル・パーク出身のジャズ・ピアニストだけれど、その当時、日本で彼にスポットが当てられる機会は、あまりなかったように思われる。たまに日本国内でアルバムが発売されたりすると、ちょっとは話題にはなるのだが、それは大抵そのとき限りのこととなる。おそらくパスクァがジャズ・ピアニストでありながら、教育者、作曲家、そして演奏家としてはロックやフュージョンのキーボーディストといった側面をもつからかもしれない。なぜか日本では、こういうタイプのミュージシャンは、あまり評価されないのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アメリカではパスクァのように、既存の音楽の枠組みや固定観念にとらわれず、自由な発想や表現を追求する姿勢を示すミュージシャンは存外多い。そういう音楽家は、自分自身を特定のスタイルに縛りつけないようにすることで、新しい価値観や多様な魅力を生み出そうとしているのだろう。しかしながらわが国においては、たとえばモダン・ジャズをこよなく愛するファンから、一極集中するようなプレイヤーが高く評価されるいっぽうで、常に過不足なく調和がとれているようなミュージシャンの場合、そういう音楽性を無個性と捉えられてしまうことが、ままあるのである。むろん一部のクリティックのなかには、フレキシブルな思考と多角的な視点でジャズという音楽を俯瞰する向きもある。世代的なこともあるのかもしれないが、ぼくも後者に属する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　思えばパスクァのことをはじめて知ったのは、英国出身のギタリスト、<strong>アラン・ホールズワース</strong>による初の本人名義のアルバム『<em>ヴェルヴェット・ダークネス</em>』(1976年)において。ホールズワースは自分に断りなく本作をリリースしたCTIレコードに対し憤りを感じていたようだけれど、もともとプログレッシヴ・ロック・バンドでプレイしていた彼ならではのソリッドなギター・ワークとユニークなトーンが際立ったこのレコーディングはいまでも、ギター・ファンのみならずフュージョンの愛好家にとっても垂涎の的である。ところでこのアルバムで、ベーシストの<strong>アルフォンソ・ジョンソン</strong>やドラマーの<strong>ナラダ・マイケル・ウォルデン</strong>とともに、フェンダー・ローズをはじめとする各種のキーボードで熱い演奏を繰り広げているのが、だれあろうパスクァなのである。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9505 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/pas1.png" alt="ピアノを弾く犬のイラスト" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/pas1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/pas1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　そもそもこの『<em>ヴェルヴェット・ダークネス</em>』は、CTIレコードの作品としては異色作と云える。CTIは云うまでもなく音楽プロデューサー、<strong>クリード・テイラー</strong>によって設立された、ジャズ・レコード・レーベル。ジャズといってもその作品群は、同時代のソウル、ファンク、ポップス、ブラジリアン・ミュージック、クラシックなどの要素が採り入れられたスタイルが際立っている。また、リズム・セクションに、ストリングス、ウッドウィンズ、ブラスなどが加えられた、オーケストラルな編成によるダイナミックなサウンドが呼びものとなっていた。それすなわちクロスオーヴァーと呼ばれていたもので、CTIはこのジャンルにおいて先鞭をつけたレーベルと云える。しかしながら『<em>ヴェルヴェット・ダークネス</em>』は、ジャズの精神が保持されながらもかなりロック寄りの作品だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバム、他のCTI作品と同様にジャズ・サウンドのパイオニア的エンジニア、<strong>ルディ・ヴァン・ゲルダー</strong>の手によってニュージャージー州イングルウッドクリフスのヴァン・ゲルダー・スタジオで吹き込まれた。にもかかわらず、ちっともCTIサウンドらしく聴こえないのである。それはホールズワースの音楽が、ジャズに対する既存の観念に少しもとらわれることのない、しかもクロスオーヴァーという柔軟な枠にすら収まらないものだからだろう。ホールズワース自身がそういう独特の存在感を放つギタリストで、それが彼の魅力でもあるのだけれど、パスクァもそれに似た風格を感じさせるキーボーディストだ。実はホールズワースとパスクァはともに、1975年の春に結成された<strong>ザ・ニュー・トニー・ウィリアムス・ライフタイム</strong>のメンバーだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このバンドは云うまでもなく、ジャズとロックとを跨いで活躍するイリノイ州シカゴ出身の天才ドラマー、<strong>トニー・ウィリアムス</strong>が率いたクァルテット(ベーシストはミシガン州デトロイト出身の<strong>トニー・ニュートン</strong>)。このバンドでのホールズワースとパスクァのプレイは『<em>ビリーヴ・イット</em>』(1975年)『<em>ミリオン・ダラー・レッグス</em>』(1976年)といった２枚のアルバムで聴くことができる。さらに付言すると、ホールズワースとパスクァは2007年５月、故人となったウィリアムスへのトリビュートとして、このプロジェクトのために新たにバンドを組み、ヨーロッパ・ツアーを行った。メンバーは、<strong>アラン・ホールズワース</strong>(g)、<strong>アラン・パスクァ</strong>(key)、<strong>ジミー・ハスリップ</strong>(b)、<strong>チャド・ワッカーマン</strong>(ds)といった凄腕の４人である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このツアーでは、ホールズワース特有のレガート奏法や独特のハーモニーはもちろんのこと、各メンバーのヴァーチュオシックかつスリリングなインプロヴィゼーションが披露された。この公演のうち2007年5月19日に行われた、ヨーロッパでもっとも有名で歴史のある伝説的なジャズ・クラブ、ベルリンのクオシモード・クラブでのパフォーマンスは、実況録音され商品化されている。ホールズワース、パスクァ、ハスリップ、ワッカーマンの４人名義の２枚組CDアルバム『<em>ブルース・フォー・トニー</em>』(2009年)がそれで、ボスニア(旧ユーゴスラビア)生まれの南イタリア育ち、そしてニューヨークを活動拠点とするプロデューサー、ツアーマネージャー、そしてプロモーターでもある<strong>レオナルド・パヴコヴィッチ</strong>が創設したムーンジューン・レコードからリリースされた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このムーンジューン・レコードだが、プログレッシヴ・ロック、ジャズ・ロック、そしてアヴァンギャルドな音楽に照準が当てられたレーベルであるということが、実に興味深い。つまり４人のパフォーマンスがそれらの音楽ジャンルに属するものと認識されているわけだが、むろんジャズ、フュージョンの愛好家が聴いても大満足のコンテンツとなっている。曲目のほうも<strong>ザ・ニュー・トニー・ウィリアムス・ライフタイム</strong>のレパートリーからメンバーの書き下ろしナンバーまで、充実した内容である。グラミー賞の受賞者でもあるエンジニア、<strong>リッチ・ブリーン</strong>によるレコーディング＆マスタリングも素晴らしい。ちなみに、彼はパスクァのアルバムも何枚か手がけている。本作は、ヴィヴィド・サウンド・コーポレーションによって日本国内でも発売されているので、ぜひとも手にとっていただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">スピード感のあるバリバリのハードロックをプレイしていたこともある</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いずれにしても、このライヴでのパスクァのプレイから、ビバップやハード・バップあるいはポスト・バップ的なものであったとしても、アコースティックなジャズ・パフォーマンスを想像することは、なかなか困難なことである。しかも彼は、<strong>ザ・ニュー・トニー・ウィリアムス・ライフタイム</strong>に参加したあとも、ロック・シンガーの<strong>エディ・マネー</strong>のファースト・アルバム『<em>噂のエディー・マネー</em>』(1977年)にキーボーディストとして参加。さらにその後は、ロックの殿堂入りも果たしたシンガーソングライター、<strong>ボブ・ディラン</strong>のバンド・メンバーとなる。ディランのライヴ・アルバム『<em>武道館</em>』(1978年)で、キーボードをプレイしているのはパスクァなのだ。1978年２月28日と３月１日の日本武道館での公演が収録されたものだが、25歳のパスクァはまだまだ無名だった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　パスクァはディランやマネーのレコーディングに継続的に参加するいっぽうで、1980年代に入ると、<strong>ジョン・フォガティ</strong>の『<em>アイ・オブ・ザ・ゾンビー</em>』(1986年)、<strong>スターシップ</strong>の『<em>ノー・プロテクション</em>』(1987年)、<strong>アラン・ホールズワース</strong>の『<em>サンド</em>』(1987年)といった、いわゆるロックの名盤のレコーディングでも起用されている。そんななか特に目を引くのは、メキシコ生まれのロック・ギタリスト、<strong>カルロス・サンタナ</strong>のレコーディング。パスクァはサンタナの『<em>マラソン</em>』(1979年)『<em>ジーバップ！</em>』(1981年)『<em>ハバナ・ムーン</em>』(1983年)といったアルバムに、キーボーディストとして参加している。さらに驚かされるのは、パスクァがテネシー州ナッシュヴィル出身の音楽プロデューサー兼ギタリスト、<strong>ダン・ハフ</strong>とバンドを組んでいたことである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　パスクァとハフは、1987年に<strong>ジャイアント</strong>というバンドを結成している。メンバーは、<strong>ダン・ハフ</strong>(g, vo)、<strong>アラン・パスクァ</strong>(key)、<strong>マイク・ブリグナーデロ</strong>(b)、<strong>デヴィッド・ハフ</strong>(ds)。このグループ、実はなんとハードロックないしヘヴィ・メタル系のバンドなのである。ファースト・アルバム『<em>ラスト・オブ・ザ・ランナウェイズ</em>』(1989年)がスマッシュヒットとなったこともあり、ロック・ファンには広く知られている。セカンド・アルバム『<em>タイム・トゥ・バーン</em>』(1992年)をリリースしたあと一時解散し、2000年に再結成している。パスクァがこのバンドのキーボーディストを務めていたのは、このセカンド・アルバムまでである。いずれにせよ、彼がおよそ５年間、スピード感のあるバリバリのハードロックをプレイしていたというのは、あまりにも意外な事実だった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9506 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/pas2.png" alt="ウッドベースを弾く犬のイラスト" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/pas2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/pas2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　そんなパスクァとジャズとが、どのように結びつくのか。実は彼は案外早い時期に、ジャズ・ピアニストとしての才能の片鱗を見せている。それはビバップとスキャット・ジャズの歌唱スタイルを開拓した、ミシガン州デトロイト出身の女性シンガー、<strong>シーラ・ジョーダン</strong>のレコーディングでのこと。ジョーダンのアルバムに『<em>コンファメーション</em>』(1975年)というのがある。彼女にとってセカンド・アルバムに当たるが、日本を代表するジャズ・プロデューサー、<strong>伊藤八十八</strong>が制作を手がけた日本盤で、彼自身が設立したレーベル、イースト・ウィンドからリリースされた。ジョーダンが師と仰ぐ<strong>チャーリー・パーカー</strong>に捧げた、ジャズ・スタンダーズを自由なヴォーカル・スタイルで聴かせる、なかなかの力作。リズム隊とのインタープレイが素晴らしい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところでこのジョーダンのアルバムで、<strong>キャメロン・ブラウン</strong>(b)、<strong>ビーヴァー・ハリス</strong>(ds)、<strong>ノーマン・マーネル</strong>(ts)とともにバックを務めているのが、パスクァなのだ。吹き込みは1975年７月12日、13日、ニューヨークのヴァンガード・スタジオで行われた。ここでのパスクァはポスト・バップ然としたピアノ・プレイを繰り広げている。前述の<strong>ザ・ニュー・トニー・ウィリアムス・ライフタイム</strong>のアルバム『<em>ビリーヴ・イット</em>』と同年同月のレコーディングであることが、なんとも興味深い。かたやジャズ・ファンク、あるいはフュージョンといった音作りのなかで、フェンダー・ローズによって煌びやかで弾けるようなフレーズを綴るパスクァが、ジャズ・ピアニストとして面目躍如たるアコースティック・ピアノによるモダンな演奏を披露しているのだから、愉快と云うしかない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　とはいってもよく聴くと、フェンダー・ローズであってもアコースティック・ピアノであっても、パスクァのピアニズムにはジャズの精神性がしかと感じられるのだ。そんなパスクァはさきにもちょっと触れたが、1952年６月28日、ニュージャージー州ローゼル・パークに生まれた。７歳からクラシック・ピアノのレッスンを受け、10代のころには、ロックやジャズのバンドで演奏。高校卒業後はインディアナ大学に進学し、1970年代初頭にはマサチューセッツ州ボストンのニューイングランド音楽院において、ジャズ・ピアニストの<strong>ジャッキー・バイアード</strong>に師事した。プロ・ミュージシャンになるキッカケは、<strong>スタン・ケントン楽団</strong>において体調を崩したケントンの代役でピアノを弾いたこと。当時のパスクァの同居人、ドラマーの<strong>ピーター・アースキン</strong>が彼をピンチヒッターに推薦した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに付け加えておくと、若き日のパスクァはニューイングランド音楽院において、<strong>ガンサー・シュラー</strong>、<strong>ジョージ・ラッセル</strong>といった当時のサード・ストリームを主導した作曲家の薫陶を受けている。同音楽院にて関連する学位プログラムを備えた、サード・ストリーム部門を設立したのはシュラーだった。サード・ストリームというのは簡単に云うと、ジャズとクラシック音楽とが融合された音楽ジャンルのこと。1957年、シュラーによって、マサチューセッツ州ウォルサムにあるブランダイス大学での講義のなかで、考案されたものである。彼はのちにこの新しいジャンルの音楽を、ジャズとクラシック音楽とのほぼ中間に位置すると明確に定義しているが、インプロヴィゼーションを重要な要素と捉えているのもまた事実である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いずれにしてもこれまで述べたとおり、パスクァがホールズワースと同様に、ジャズに対する既存の観念に少しもとらわれることもなく、クロスオーヴァーという柔軟な枠にすら収まらない演奏活動を展開するのは、シュラーやラッセルの教えを受けたことが少なからず影響しているからと、ぼくは思うのである。それ故か、パスクァはなかなかモダン・ジャズの現場に戻ってこなかった。なお彼を<strong>ザ・ニュー・トニー・ウィリアムス・ライフタイム</strong>のメンバーに推薦したのは、師のひとりである<strong>ジョージ・ラッセル</strong>だった。またパスクァは後年、ロサンゼルスの南カリフォルニア大学ソーントン音楽学校のジャズ科において、教授として教鞭を執ることになるのだが、その点からも彼が即興演奏をはじめとする音楽理論に精通していることは明白だろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">2000年代に入ってからはピアノ・トリオ作品も何枚か発表している</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　自己のロック・バンド、<strong>ジャイアント</strong>での活動を継続させながら、キーボーディストとして様々なアーティストのレコーディングに参加していたパスクァが、アコースティックなモダン・ジャズに回帰したプレイを披露するようになるのは、1990年代の中ごろまで待たなければならない。彼は1993年10月10日、11日、ニューヨークのサウンド・オン・サウンド・スタジオにおいて、個人名義の初リーダー作を吹き込む。ひょっとすると<strong>ジャイアント</strong>の解散がひとつの節目となり、パスクァは単独名義アルバムの制作への意欲が掻き立てられたのかもしれない。とにもかくにも、このニューヨークのポストカーズというレーベルからリリースされたアルバム『<em>ミラグロ</em>』(1994年)では、それまでの経験に裏打ちされたパスクァの実力が発揮された、現代的かつ冒険的なモダン・ジャズが展開されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>デイヴ・ホランド</strong>(b)、<strong>ジャック・ディジョネット</strong>(ds)といった、<strong>キース・ジャレット</strong>所縁のリズム隊を軸に、圧倒的なテクニックと多彩な表現力を兼ね備えた<strong>マイケル・ブレッカー</strong>(ts)がフィーチュアされる。故にここではパスクァのピアノ・プレイも含めて、アーバンかつアップトゥデイトなジャズが繰り広げられている。曲目は<strong>コール・ポーター</strong>の「オール・オブ・ユー」と、<strong>トーマス・ペイン・ウェステンドルフ</strong>の「アイル・テイク・ユー・ホーム・アゲイン・キャスリーン」以外は、すべてパスクァのオリジナル・ナンバーでまとめられているが、彼の作曲家としてのセンスが光る。<strong>ロジャー・ローゼンバーグ</strong>(fl)、<strong>デイヴ・トファニ</strong>(bcl)、<strong>ウィリー・オレネック</strong>(tp, fl)、<strong>ジャック・シャッツ</strong>(tb)からなるホーン・セクションのアレンジもまた、異彩を放っている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムを機に、パスクァはモダン・ジャズの演奏にウェイトを置くようになる。とはいっても彼の演奏には、ピアノ・トリオをはじめとする伝統的なコンボ・スタイルが守られながらも、リズムやハーモニーの解釈に関しては現代風に変えられる傾向がある。まあこのころのジャズ/フュージョン・シーンにおいては、アコースティック・サウンドへの回帰とニュージェネレーション・スタイルの模索とが推し進められていたから、パスクァのプレイを時代を体現したものと捉えても差し支えないだろう。そんななかパスクァは、ポストカーズからセカンド・アルバム『<em>デディケーションズ</em>』(1996年)を発表。<strong>デイヴ・ホランド</strong>(b)、<strong>ポール・モチアン</strong>(ds)、<strong>ゲイリー・バーツ</strong>(as)、<strong>マイケル・ブレッカー</strong>(ss, ts)、<strong>ランディ・ブレッカー</strong>(tp)を従えての吹き込みは、いまもなおフレッシュな魅力を放っている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9507 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/pas3.png" alt="ドラムを叩く犬のイラスト" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/pas3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/pas3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　このアルバムのあとパスクァは、ニューメキシコ州サンタフェに拠点を構えるレーベル、ブルー・フォレスト・レコードから『<em>ラシアン・ペザント</em>』(1999年)というソロ・ピアノ集リリースしている。パスクァ自らレコーディングとミキシングを手がけ、ロサンゼルスのプライヴェート・スタジオで吹き込みを行った。本作は、ニューヨーク州キャッツキル出身の女流作曲家、<strong>ロバータ・フェイゲンバウム</strong>が作曲した楽曲を、パスクァがソロ・ピアノで演奏、解釈するという、ある種のコラボレーション・アルバムである。当時サンタフェ在住だったフェイゲンバウムは、多岐にわたるスタイルで作品を制作する音楽家として知られていたが、本作でもジャズ、フォーク、クラシックなどを融合させた独特の世界を描いている。パウクァによるピアノ演奏がもつ、豊かな音の質感と繊細かつ複雑な表現も絶品だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はぼくは、この『<em>ラシアン・ペザント</em>』を聴いて、完全にパスクァという音楽家の虜になったのである。彼のソロ・ピアノには、特定の音楽ジャンルの枠にとらわれない広がりのようなものが感じられる。そしてそれは、難解さとはまったく無縁のリスナーのイマジネーションを優しく刺激するようなもの。パスクァのピアノが描き出す、あたかも淡彩画のような透明感と軽やかさに溢れた音世界に身を委ねるのは、ぼくにとって至福の時間を過ごすことなのだ。自作曲を集めた『<em>ソロ</em>』(2006年)、<strong>ビル・エヴァンス</strong>に捧げられた『<em>ビル・エヴァンスへのオマージュ</em>』(2011年)、スタンダード作品集『<em>ソリロクィ</em>』(2018年)といった、彼がときおり吹き込んできたソロ・ピアノ・アルバムは、どれも何度聴いても新鮮に感じさせる味わい深い作品ばかりだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そのいっぽうでパスクァは、2000年代に入ってからピアノ・トリオ作品も何枚か発表している。なかでも盟友の<strong>ピーター・アースキン</strong>が立ち上げたレーベル、ファジー・ミュージックからリリースされた、<strong>アラン・パスクァ</strong>(p)、<strong>デイヴ・カーペンター</strong>(b)、<strong>ピーター・アースキン</strong>(ds)による『<em>ライヴ・アット・ロッコ</em>』(2000年)『<em>バッドランズ</em>』(2001年)『今宵の君は』(2007年)といった３作では、幅広い音楽性が打ち出されたトリオ・プレイを堪能することができる。このうち１枚目は1999年10月21日、22日、かつてロサンゼルス、ベルエアにあった伝説のジャズ・クラブ、ロッコにおいて実況録音された２枚組CDである。なおカーペンターは2008年６月24日、心臓発作により48歳という若さで急逝したが、後釜には、ポーランド、ヴロツワフ出身のベーシスト、<strong>ダレク “オレス” オレシュキェヴィッチ</strong>が座った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　上記の３枚のうち、だれにでもお薦めできるのが『<em>今宵の君は</em>』である。前２作がメンバーのオリジナル・ナンバー中心に構成されていたのに対し、本作はすべて比較的よく知られたトラディショナルとジャズ・スタンダーズとでまとめられている。このアルバム、日本で先行発売されたのだが、国内盤はファッションモデルの<strong>竹下玲奈</strong>のモノクローム写真があしらわれたふたつ折りの紙ジャケット。CD本体は、音質面で優秀な濃緑色の特注ポリカーボネート製といった、贅沢な仕様だった。その後アメリカでリリースされた際、ジャケットはグラフィックデザインに、アルバム・タイトルは『<em>スタンダーズ</em>』に変更された。レコーディングは2007年１月18日、19日、カリフォルニア州ラホヤの神経科学研究所の講堂で行われた。ダイレクト・トゥ ２トラック・ステレオによる臨場感溢れる音質が素晴らしい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムは、<strong>ジェローム・カーン</strong>の「今宵の君は」からスタート。３人のウォーミングアップ的な肩ひじを張らない演奏に好感がもてる。内省的なグルーヴが、なんとも心地いい。スウェーデン民謡の「ディア・オールド・ストックホルム」では、パスクァによるリハーモナイゼーションが原曲に新しい色彩を与えている。静かに熱気が高まっていく感じが絶妙だ。<strong>ジミー・ヴァン・ヒューゼン</strong>の「ディープ・イン・ア・ドリーム」では、パスクァの繊細なバラード表現にこころを奪われるばかりだ。<strong>ディジー・ガレスピー</strong>の「コン・アルマ」では、カーペンターとアースキンとが打ち出すアフロビートと４ビートのシークエンスが、都会的なムードを演出する。<strong>リチャード・ロジャース</strong>の「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」では、ピアノを中心とした安らぎを感じさせるスウィング感が絶品だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>クルト・ヴァイル</strong>の「スピーク・ロウ」では、アースキンの華麗なスティック・ワークが随一。<strong>ジミー・ドーシー</strong>の「アイム・グラッド・ゼア・イズ・ユー」では、静寂に包まれるようなバラード演奏に息を呑む。<strong>ジョージ・フラゴス</strong>の「アイ・ヒア・ア・ラプソディ」では、バップ然としたスピーディなピアノ、しなやかなベース、８バースでの当意即妙なドラムスと、終始爽快だ。<strong>ジェローム・カーン</strong>の「アイム・オールド・ファッションド」では、トリオの明るくスッキリした演奏に胸がすく。<strong>フレデリック・ロウ</strong>の「踊り明かそう」では、超スローテンポのプレイに意表をつかれる。個人的には、この叙情的なアレンジが大好き。こころに深く染みるような演奏は、アルバムを締めくくるのに相応しい。そして、ここに収められた10ピースのように、聴けば聴くほど深い感動をもたらすという点は、パスクァの音楽性にそのまま通じるものでもある。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Michel Colombier / L&#8217;Héritier (1973年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 26 Jul 2026 07:47:32 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Soundtrack]]></category>
		<category><![CDATA[Michel Colombier]]></category>
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					<description><![CDATA[フランスが生んだ音楽スタイルの境界を撤廃しようとする理想主義者の作曲家、ミシェル・コロンビエが音楽を手がけたオリジナル・サウンドトラック・アルバム『相続人』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">フランスが生んだ音楽スタイルの境界を撤廃しようとする理想主義者の作曲家、ミシェル・コロンビエが音楽を手がけたオリジナル・サウンドトラック・アルバム『相続人』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Michel Colombier / L&#8217;Héritier (1973)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : L&#8217;Héritier (Thème)</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">サウンドトラックでありながらオリジナル・アルバムといった風情</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いまぼくの手元に『<em>相続人</em>』(1973年)という古いLPレコードがあるのだけれど、これは1973年に公開されたフランスとイタリアとが合作したサスペンス映画のサウンドトラック・アルバムだ。監督は<strong>フィリップ・ラブロ</strong>、主演はフランスを代表する人気俳優、<strong>ジャン＝ポール・ベルモンド</strong>。この映画、日本でもフランスとおなじ年に公開され、６年後の1979年には日本テレビ系列の映画番組『水曜ロードショー』において日本語吹替版がテレビ放送されるという、なかなかの人気作品である。シリアスなドラマからアクションやコメディまでこなすベルモンドにとっても、代表作のひとつと云ってもいいだろう。なによりもサントラ盤が日本でもしっかりリリースされるくらいだから、当初からそれなりの人気を集めていたと想像される。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくの所持するレコードはキングレコードが発売した国内盤で、そのタスキには「ロードショー誌 第１回推薦サントラ盤」という記載がある。ということは映画にしても音盤にしても、その時代を生きたひとたちからはそれなりに支持されていたのかもしれない。ぼくは中学生のころにこのレコードを手に入れたのだけれど、映画のほうは『水曜ロードショー』ではじめて観たクチ。とはいっても、映画が気に入ったからサントラ盤を購入したというわけではない。この映画において、ぼくにとってもっとも注目される出来事といえば、実はこの音楽を手がけているのが<strong>ミシェル・コロンビエ</strong>であるということなのである。コロンビエは映画音楽の作曲家であると同時に、ジャズ、フュージョン、ロック、ポップス、クラシック、それに現代音楽など、幅広いジャンルで活躍するミュージシャンだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ミシェル・コロンビエ</strong>(1939年５月23日 &#8211; 2004年11月14日)は、当時のぼくにとって“第三の男”だった。むろん<strong>キャロル・リード</strong>監督によるあの不朽の名作映画とは、なんの関係もない。ミュージック・シーンにおいて、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、そしてプロデューサーといった具合に、総合的に活動する音楽家は数多存在するけれど、ぼくがもっとも敬愛するのは<strong>ボブ・ジェームス</strong>と<strong>デイヴ・グルーシン</strong>のふたり。そしてそれに次ぐアーティストといえば、コロンビエしかいないのである。いちばんの理由は、そのミュージカリティの幅の広さ。前述のようにコロンビエは様々なジャンルの音楽に対応したミュージシャンで、通常のスタジオ・ワークのほか映像作品や舞台舞踊にも、たくさんのスコアを提供した。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9467 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/mc1.png" alt="黒いキーボード(楽器)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/mc1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/mc1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　そんなコロンビエのヴァーサティリティに富んだ音楽性が、<strong>ボブ・ジェームス</strong>や<strong>デイヴ・グルーシン</strong>のそれとよく似ているのだ。ことにジェームスの『<em>BJ4</em>』(1977年)、グルーシンの『<em>ジェントル・サウンド</em>』(1978年)、そしてコロンビエの『<em>スーパー・フュージョン！</em>』(1979年)といったアルバムは、当時なんとなく音楽家になりたいと思っていたぼくにとって(結局ならなかったけれど)、バイブルのようなもの。幼いころからピアノの個人レッスンは受けていたものの、作曲やアレンジに関して正統な音楽教育を受けなかったぼくには大いに役立った作品だ。いまになってみるとこの３枚、自分でも呆れるほど何度も聴き込んだレコードだった。そんなわけで、サウンドトラック・アルバム『<em>相続人</em>』は、ぼくにとっては手にとるべくして手にとったレコードなのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところでこの『<em>相続人</em>』というアルバム、A面には「相続人のテーマ」「回想」「工場にて」「ホテル・ルテティア」「誘拐」「相続人 (パート２)」といった６曲、B面には「カード占い」「魔法」「カード占い (パート２)」「ブレークダウン」「カード占い (フィナーレ)」といった５曲が収録されている。実はこのアルバムの収録曲のうち、映画『相続人』のサウンドトラックはA面の６曲のみ。ではB面の５曲はなにかというと、<strong>ホセ・マリア・フォルケ</strong>監督によるスペイン、フランス合作のスリラー映画『タロット』(1973年)のサウンドトラックなのである。<strong>ローリング・ストーンズ</strong>や<strong>ピーター・フランプトン</strong>との共演で知られるカナダ出身の女性R&amp;Bシンガー、<strong>ナネット・ワークマン</strong>によるハスキーな歌声とパワフルな歌唱が、強烈な印象を与える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このレコード、<strong>ハーブ・アルパート</strong>と<strong>ジェリー・モス</strong>が設立した、A&amp;Mレコードからリリースされている。それこそ<strong>ピーター・フランプトン</strong>をはじめ、<strong>セルジオ・メンデス</strong>、<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>、<strong>バート・バカラック</strong>、<strong>カーペンターズ</strong>、<strong>ポリス</strong>などのヒット・アルバムを世に送り出した、歴史ある名門音楽レーベルだ。その点を鑑みると、この『<em>相続人</em>』というレコードは、サウンドトラック・レコーディングという仕様でありながら、<strong>ミシェル・コロンビエ</strong>のオリジナル・アルバムという風情を感じさせる。リズム・セクションが、<strong>ミシェル・コロンビエ</strong>(key)、<strong>クロード・エンジェル</strong>(g)、<strong>ヤニック・トップ</strong>(b)、<strong>ジャン・シュルタイス</strong>(ds, perc)といった、フランスの名だたる面々で構成されていることからも、そう思えてしまうのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　しかもこのレコード、長年埋もれていた貴重な未発表音源の発掘や、入手困難なレアなレコード、サウンドトラック・アルバム、ライブラリー・ミュージックなどのリイシューで知られるフランスのレーベル、トランスヴェルサル・ディスクによって2025年にリマスター・アナログ盤として復刻された。ということは、よほどの人気盤なのだろう。なおあとになったが、このサウンドトラックの吹き込みは、フランスの著名なレコーディング・エンジニア、<strong>クロード・エルメリン</strong>の手によって、彼が設立および運営に関わったパリの伝説的レコーディング・スタジオ、スタジオ・ダヴーにて行われた。アルバム・プロデュース、そして作曲とアレンジは、コロンビエ自身が一手に担っている。また「カード占い」をはじめとするヴォーカル曲の歌詞は、ワークマンのペンによるものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ときに、ぼくがコロンビエの名前にはじめて注目したのは、人気フュージョン・ギタリスト、<strong>リー・リトナー</strong>の『<em>キャプテン・フィンガーズ</em>』(1977年)というアルバムでのこと。リトナーのオリジナル曲「ドルフィン・ドリームス」において、ストリングスのアレンジャー＆コンダクターとしてコロンビエのクレジットを発見した。同アルバムには、さきに挙げた<strong>デイヴ・グルーシン</strong>もアレンジャーとして参加しているが、コロンビエのスコアはグルーシンのそれよりもずっとシンフォニックで、楽曲の印象を壮大なものにしていた。それはともかく、同作のクレジットにおいてコロンビエはA&amp;Mレコードの所属と表記されていた。そのことを記憶に留めて彼のレコードを探し求めていたぼくは、ちょうどそのころリイシューされたコロンビエのセカンド・アルバム『<em>ウィングス</em>』(1971年)をショップで発見した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">サウンドトラックだが既成の枠にとらわれない実験的かつ革新的な作品</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ベルギーの芸術家、<strong>ジャン・ミシェル・フォロン</strong>のイラストがジャケットにあしらわれた『<em>ウィングス</em>』を手にしたとき、ぼくは狂喜乱舞したもの。中学生になったばかりのころのことである。ちなみに『<em>ウィングス</em>』のファースト・イシューのジャケットは、悲しくなるくらい味気ない仕様だったりする。まあそれは置いておいて、そのコンテンツといえば、<strong>ハーブ・アルパート</strong>のプロデュースのもと、アルパートの奥さまの<strong>ラニ・ホール</strong>、<strong>ライチャス・ブラザーズ</strong>の<strong>ビル・メドレー</strong>、シンガーソングライターの<strong>ポール・ウィリアムズ</strong>、<strong>シスターズ・ラヴ</strong>の<strong>ヴァーメッタ・ロイスター</strong>などのシンガーがフィーチュアされながらも、オーケストラルなサウンドが際立つ一大組曲となっている。敢えてカテゴライズすれば、プログレッシヴ・ロック。とはいっても、既成の枠にとらわれない実験的であり革新的な作品だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういう経緯を踏まえると余計に、この『<em>相続人</em>』というレコードが、ちゃんとサウンドトラック・アルバムという体裁を保っているのにもかかわらず、あたかもコロンビエのオリジナル・アルバムであるかのように、ぼくには思えてくるのだ。ひょっとすると、A&amp;Mレコードもそういう売りかたを企図したのかもしれない。いずれにせよ『<em>相続人</em>』は、コロンビエの代表作のひとつと云っていい。その証拠というわけでもないけれど、シンコーミュージック・エンタテイメントが2013年に出版した『ディスク・コレクション サウンドトラック』という書籍のなかで、このアルバムが紹介されている。銀幕に数多くのスコアを提供したコロンビエであるが、同書で採り上げられたサントラ盤はこれ１枚に止めを刺す。そのことからも本作は、映画音楽におけるコロンビエのマスターピースと云えるのかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　また、この書籍に掲載されているアイテムはオリジナルのLPレコードではなく、エマーシー・レコードが2003年にCDでリリースしたフランス盤。オリジナル盤のA面６曲に加え、イタリア出身のシンガー、<strong>ドゥルピ</strong>がフィーチュアされたシングル盤のみの発売となっていた『潮騒』(1974年)、そしてやはり映画公開当初はシングル盤のみがリリースされた『危険を買う男』(1976年)といった、コロンビエが音楽を手がけたサウンドトラックの(初商品化も含む)音源が収録されている。いまのところ『相続人』のスコアを気軽に楽しむことができるのは、このコンピレーション・アルバムくらいのものだ。ちなみに『潮騒』はその後、2017年にフランスのインディペンデント・レーベル、ミュージック・ボックス・レコードによって、単体でCD化された。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9468 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/mc2.png" alt="灰色のキーボード(楽器)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/mc2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/mc2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　映画『潮騒』と『危険を買う男』はともに、『相続人』と同様に<strong>フィリップ・ラブロ</strong>の監督作品。『潮騒』は<strong>イヴ・モンタン</strong>、<strong>キャサリン・ロス</strong>主演による社会派サスペンス。ロスがヒロイン役を体当たりで演じ話題になった。いっぽう『危険を買う男』は『相続人』とおなじく<strong>ジャン＝ポール・ベルモンド</strong>が主演を務めたアクション映画。こちらは、ベルモンドが自身で危険なスタントに挑んだことが注目を集めた。結局のところ、エマーシーのコンピレーショ・アルバムは、コロンビエの作品集であると同時にラブロ監督の作品集でもあるのだ。コロンビエによるエレクトロニックでグルーヴィーなスコアは、都会的で洗練されたイメージを与えるが、ラブロ監督のスタイリッシュな映像美と非常に相性がよく、作品の魅力を大きく引き立てている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それ故このCDには、オリジナルのレコード『<em>相続人</em>』のB面を占めていた『タロット』の５曲は収録されていない。なお『タロット』のスコアは未発表音源も含めて、2014年、前述のミュージック・ボックス・レコードによって、やはりコロンビエが音楽を手がけた<strong>エリック・リップマン</strong>監督によるフランスの官能映画『甘い戯れ』(1975年)のアンダースコアとともにコンパイルされ、CDアルバムとして発売された。なんだかややこしくなってきたが、結局のところA&amp;Mレコードが1973年に発売したアルバム『<em>相続人</em>』の全曲をCDで聴くためには、２枚のコンピレーション・アルバムを入手しなければならないのである。もしコロンビエのサウンドトラックをはじめて手にとるのなら、ぼくは断然エマーシー盤『<em>相続人/危険を買う男</em>』(2003年)のほうをお薦めする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくはコロンビエのオリジナル・アルバム『<em>ウィングス</em>』を、既成の枠にとらわれない実験的であり革新的な作品と云ったけれど、その独特のサウンドとおなじベクトルをもつのが、エマーシー盤に収録されている３作品のスコアなのである。ことにオリジナル盤『<em>相続人</em>』に収録されていた６曲のスコアは、秀逸な出来栄え。シンセサイザー、ギター、ベース、パーカッションを主体としたアンサンブルが打ち出す、ロッキッシュな力強いバックビートとジャズ特有の複雑なリズム・アプローチとが交錯するサウンドは、鮮明な印象として残る。本作におけるコロンビエのスコアは、余分な音がなく輪郭がはっきりとしていて、終始シャープでアーバンなムードを醸し出しているが、映画のハードボイルドなタッチによくマッチしている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ではこのあたりでコロンビエについて、もう少し詳しくお伝えしておこう。1939年５月23日、フランスの南東部に位置する都市リヨンに生まれた<strong>ミシェル・コロンビエ</strong>は、６歳から本格的な音楽教育を受けはじめた。音楽家の父親からピアノ演奏、和声法、対位法、そして指揮法を学んだ。11歳で即興演奏をはじめ、14歳でジャズに出会い、スモール・コンボやビッグ・バンドで演奏。それらのバンドではプレイヤーとしてだけではなくアレンジャーとしても活躍し、大胆なスコアを提供していたという。そのいっぽうで当時のコロンビエは、父親の指導のもと教会オルガンやグレゴリオ聖歌についても学んでいた。その後フランス軍での兵役期間中においても、彼はチェンバー・オーケストラからジャズ・バンドに至るまで、きわめて幅広いジャンルの音楽の作曲、編曲、そして演奏をつづけた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　コロンビエは22歳のとき、フランスの前衛作曲家で数多くの映画音楽を手がけた<strong>ミシェル・マーニュ</strong>のもとで１年ほど働いたあと、フランスのバークレー・レコードの音楽監督に就任した。同レーベルにおいて<strong>シャルル・アズナヴール</strong>や<strong>シャルル・トレネ</strong>などのレコーディングを手がけた。コロンビエの最初期の仕事を確認できる音盤は、おそらくフランスのジャズ・シンガー、<strong>サッシャ・ディステル</strong>のライヴ・アルバム『<em>サッシャ・ディステル・ア・ロランピア</em>』(1963年)あたりだろう。こちらはRCA ビクターからリリースされたレコードだが、このアルバムに収録されている12曲のうち５曲において、コロンビエがアレンジを手がけている。その後、<strong>ジャンヌ・モロー</strong>、<strong>セルジュ・ゲンスブール</strong>らの楽曲で、コロンビエがオーケストレーションを手がけたことは、比較的よく知られている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">不世出のサウンド・クリエイターが手がけた映画音楽における代表作</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　コロンビエのことを語るとき、絶対に外せないのがマルセイユ生まれのバレエ振付家、<strong>モーリス・ベジャール</strong>の作品『現代のためのミサ』(1967年)の音楽を手がけたこと。パリ生まれの現代音楽の作曲家、<strong>ピエール・アンリ</strong>とのコラボレーション作品である。アンリはミュジーク・コンクレートの先駆者として広く知られているが、この作品ではコロンビエとともに、実に斬新な電子音楽ジャークを繰り広げている。ジャークというのは、1960年代に流行したロック風の軽快なダンス・ステップのこと。アンリによる多彩な電子音や金属音と、コロンビエによる歯切れのいいロック・ビートとが見事に融合している。シンセサイザー全盛期以前において、エレクトロニクスがバレエの附随音楽のなかに大胆に導入されたケースは、ほかにあまり例を見ない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおこの刺激的なサウンドは『<em>現代のためのミサ/ピエール・アンリ・コレクション</em>』(1968年)というアルバムで聴くことができるが、特に「サイケ・ロック」「ジェリコ・ジャーク」といった曲は非常に人気が高い。現に『現代のためのミサ』の楽曲は、ずっとあとに英国のダンス・ミュージック・プロデューサー、<strong>ウィリアム・オービット</strong>や、ロンドンのトップクラスのDJ、<strong>ファットボーイ・スリム</strong>などによってリミックスされた。それらのトラックはアルバム『<em>メタモルフォーゼ</em>』(1997年)としてまとめられ日本でも発売された。このアルバム、発表された当時は存外大きな話題になったのだが、コロンビエのファンだったぼくは欣喜雀躍したものである。まあそれはともかく、この実験的かつ革新的な音楽を機にコロンビエはバレエの世界に深く関わるようになる。その点でも、重要な作品だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　コロンビエはこのころからすでに、ヴァーサティリティに富んだ音楽性を発揮していた。上記の『<em>現代のためのミサ/ピエール・アンリ・コレクション</em>』が発売されたすぐあとに、彼は初リーダ・アルバムを発表している。ヌイイ＝シュル＝セーヌ生まれのシンガーソングライター、<strong>ユーグ・オフレ</strong>が創設したレーベル、ラ・コンパニーからリリースされたコロンビエのファースト・アルバム『<em>カポ・ポアンチュ</em>』(1969年)は、いわゆるヴァリエテ・フランセーズ(日本でいうところのフレンチ・ポップ)が特色となった作品。このアルバムと『<em>現代のためのミサ/ピエール・アンリ・コレクション</em>』とは、ほぼ同時期に制作されたわけだが、本来まったく異なる音楽にカテゴライズされるもの。そして、このふたつをつなぐミッシングリンクこそ、コロンビエの音楽性なのである。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9469 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/mc3.png" alt="月が映ったグランドピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/mc3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/mc3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　まあ、コロンビエ本人が自分自身のことを「音楽スタイルの境界を撤廃しようとする、理想主義者の作曲家」と述べているくらいだから、そもそも彼の創造するサウンドをなにかひとつの音楽に結びつけて考えようとすること自体、ナンセンスなのだ。そういった意味では、コロンビエの音楽は純粋なフュージョン・ミュージックと云えるのかもしれない。たとえ既成概念ではぶつかり合うような複数の音楽でも、彼の手にかかってしまうと、説得力のある感動的なミクスチュアとなるのだから、舌を巻くばかりである。それはともかくコロンビエは、1968年からイギリス出身でフランスでも活躍していた女性シンガー、<strong>ペトゥラ・クラーク</strong>の音楽監督を務めていたのだが、彼女とともに渡米。クラークの所属レーベル、A&amp;Mレコードの専属アーティストとなるのであった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　前述のように、コロンビエはA&amp;Mにおいて<strong>ハーブ・アルパート</strong>とのコラボレーションによりアルバム『<em>ウィングス</em>』を制作。人気ポップ・シンガー、実力派のロック・ミュージシャン、そして歴史ある<strong>パリ国立歌劇場管弦楽団</strong>らを、コロンビエが見事にオーガナイズしてクリエイトしたサウンドは、画期的なポップ・シンフォニー、先駆的なロック・オラトリオと、各界から称賛された。コロンビエ自身もこれを機に国際的なメディアから、<strong>ジョージ・ガーシュウィン</strong>や<strong>レナード・バーンスタイン</strong>と肩を並べる存在と云われるほど、高評価を得るようになった。その後の彼は、バレエ音楽、歌曲、室内楽曲、交響曲、協奏曲、ビデオ・オペラなどを作曲するかたわら、映画音楽、ジャズ、ポップ・ミュージックの仕事を精力的に手がけるようになる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんななかコロンビエは1979年、サード・アルバム『<em>スーパー・フュージョン！</em>』を発表。どのような経緯だったのか定かではないが、本作はニュー・ウェイヴやパンクも含めた英国のロック系のレーベル、クリサリス・レコードからリリースされた。このフュージョン・ミュージックの傑作が生み出されるキッカケのひとつは、ブラジル出身の女性シンガー、<strong>フローラ・プリン</strong>のアルバム『<em>エヴリデイ・エヴリナイト</em>』(1978年)の成功にあると、容易に想像される。このプリンのアルバムは実質的に、彼女とコロンビエとのコラボレーション・アルバムと云っても過言ではない。全11曲中８曲をコロンビエが作曲しているし、オーケストレーションもすべて彼が手がけているからだ。この２枚はさきにも触れたが、ぼくにとって座右に置く作品となっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお、<strong>ハービー・ハンコック</strong>(key)、<strong>マイケル・ボディッカー</strong>(synth)、<strong>リー・リトナー</strong>(g)、<strong>ジャコ・パストリアス</strong>(b)、<strong>アイルト・モレイラ</strong>(perc)、そして<strong>ロンドン交響楽団</strong>といった、錚々たる顔ぶれがどちらのアルバムにも参加している。確かに『<em>スーパー・フュージョン！</em>』のトータル・サウンドには、ジャズ、フュージョンのテクスチュアが感じられるけれど、ひとつのジャンルには収まり切らない音楽のファクターがたくさんミックスされている。コロンビエほど様々な音楽を熟知し、それらをフレキシブルに採り入れて新しいものに昇華させることができるサウンド・クリエイターを、ぼくはほかに知らない。そしてさらに彼は、２枚組LPのフォース・アルバム『<em>ふぁんたじい</em>』(1983年)で、その音楽世界を拡大。前述のフォロンによるイラストとドローイングも増強される。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『<em>ふぁんたじい</em>』は『<em>ウィングス</em>』と『<em>スーパー・フュージョン！</em>』とのハイブリッド的な一大作品で、本作以降、コロンビエはさらなる飛躍を予感させたのだが、オリジナル作品では『<em>曼荼羅</em>』(1998年)『<em>カタパルト</em>』(2000年)といったバレエ音楽のアルバムをリリースしたのち、がんを患い2004年11月14日に65歳で鬼籍に入った。ほんとうに惜しまれてならない。そんな不世出のサウンド・クリエイター、<strong>ミシェル・コロンビエ</strong>が手がけた数多くの映画音楽のなかで代表作とされる『相続人』のスコアは、これまで述べてきた彼のオリジナル・アルバムに引けを取らないユニークさをもっている。最後に簡単ではあるが、その楽曲についてメモしておく。重厚なオーケストラとロッキッシュなリズム・セクションが絡み合う「相続人のテーマ」は、アルバム『<em>ウィングス</em>』の楽曲に通じるものがある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらには、テーマ曲のヴァリエーションである「回想」における、オーケストラにエレクトロニクスが効果的にミックスされた静謐で幻想的なサウンドには、コロンビエのアレンジャーとしての繊細さが感じられる。つづく「工場にて」もやはりテーマ曲がアレンジされたものだが、リズミカルなバンド演奏とブラスのアンサンブルとがシンプルに展開されながらも、どこか厳かで気高い印象を与える。テーマの導入部とおなじモティーフによる「ホテル・ルテティア」では、穏やかさのなかにも陰影をつけるような色彩感がなんとも美しい。短尺ながら緊迫したアクションと一瞬の不穏さが詰め込まれた「誘拐」では、躍動感に富んだジャズ・ファンクが展開される。ラストの「相続人 (パート２)」では、リズム隊、エレクトロニクス、ストリングスが溶け合って、重厚感を漂わせた余韻を残す。コンパクトではあるが、コロンビエのファンなら一聴の価値ありである。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Gene Harris / In A Special Way (1976年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 19 Jul 2026 07:19:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[Gene Harris]]></category>
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					<description><![CDATA[ザ・スリー・サウンズの人気ピアニスト、ジーン・ハリスがアース・ウィンド＆ファイアのリズム隊をバックにアコースティック・ピアノを聴かせるブルーノートBNLAシリーズの１枚『イン・ア・スペシャル・ウェイ』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">ザ・スリー・サウンズの人気ピアニスト、ジーン・ハリスがアース・ウィンド＆ファイアのリズム隊をバックにアコースティック・ピアノを聴かせるブルーノートBNLAシリーズの１枚『イン・ア・スペシャル・ウェイ』</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
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<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Gene Harris / In A Special Way (1976)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Love For Sale</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">ハード・バップを上手くコマーシャルなポップ・ジャズに昇華させた</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　前回は<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のデビュー・アルバム『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』(1958年)をご紹介した。<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は云うまでもなく、名門ブルーノート・レコードが生んだ、不世出のピアノ・トリオ・スタイルのジャズ・アンサンブル。ハード・バップ、ファンキー・ジャズ、モーダル・ジャズ、あるいはフリー・ジャズなどが混沌とした1960年代において、常にフレッシュなリラクゼーションをリスナーに提供していた唯一のバンドである。肩肘を張らないプレイを展開するピアノ・トリオという点では、右に出るものはいないだろう。ソフィスティケーションやポップ性に関しても、同時代のピアノ・トリオのなかでも、もっとも先を行っていたように思われる。ブルーノートの社長、<strong>アルフレッド・ライオン</strong>も彼らを積極的にアピールした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そのサウンドが孕んだポピュラリズムは、一部の有識者からは批判を受けたが、一般的には広く歓迎された。どちらかというと硬派なレーベルという印象を与えるブルーノートにおいて、このトリオはひときわ異彩を放っている。彼らがプレイするのは、レイドバックでエンジョイアブルなモダン・ジャズ。おそらくブルーノートにおいて、これほど鷹揚で楽しげにスウィングするジャズを聴かせるアーティストは、このトリオをおいてほかにいないだろう。また当時のジャズ・シーンにおいて、オリジナル・チューンで勝負するアーティストが多いなか、逡巡せずジャズ・スタンダーズをまえ向きに演奏していたのも<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>だった。しかもそのサウンドは、ファンキーでありながらエレガントでもある。それゆえ彼らのレコードは、いま聴いてもとても新鮮に響くのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このブルーノート・レコードが輩出した、押しも押されもせぬモダン・ジャズの人気グループのメンバーは、ピアノの<strong>ジーン・ハリス</strong>、ベースの<strong>アンディ・シンプキンス</strong>、ドラムスの<strong>ビル・ダウディ</strong>。３人はみな確たる実力の持ち主だが、我田引水なプレイを展開するものはひとりもいない。そのサウンドは極端に偏ることがなく、３人の演奏は一様に過不足なく調和がとれている。そして、このバランスのとれたコンビネーションが、ジャズという音楽の楽しい部分を自然に引き出している。特に1958年から1962年までに吹き込まれたブルーノートの作品群は、どれも３人の構造的かつ機能的につながるプレイが際立った佳作揃い。いずれせよ、こういうピアノ・トリオは存外少なくて、ブルーノートがこのトリオを“<strong>ジーン・ハリス・トリオ</strong>”ではなく、敢えてグループ名義でデビューさせたのも、大いに得心がいく。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9439 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf1.png" alt="ライヴ演奏をする黒人ミュージシャンたちのイラスト(茶色)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ちなみに、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>によるこの期間の吹き込みのブルーノート盤といえば、<strong>ルー・ドナルドソン</strong>や<strong>スタンリー・タレンタイン</strong>とのコラボレーション・アルバムや、あとから掘り起こしが行われ商品化された音盤を含めると15枚に上る。しかも驚くなかれ、アルバム収録曲のうちの40曲以上が、シングルカットされているのだ。これらのアルバムとシングルは、たった４年の間のレコーディング作品ということになるのだが、このいわばブルーノートきっての愉快な音楽隊が、当時からいかに人気ものであったかがよくわかる。ところが、そんな<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>も大手のヴァーヴ・レコードに引き抜かれ、1962年10月13日にアルバム『<em>ブルー・ジーンズ</em>』(1962年)のレコーディングを行うことになる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>には、このヴァーヴをはじめ、マーキュリー、ライムライトといったレーベルにも吹き込みがあるのだけれど、どれもブルーノートでの諸作には到底およばない。それらの点を踏まえると、このトリオは異形でありながら、ブルーノート・レコードならではの存在とも云えるのである。結局<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は、上記のように所属レーベルを転々としたあと、1966年に古巣のブルーノートに舞い戻る。しかしながら、このころからドラマーが<strong>カリル・マディ</strong>、<strong>ドナルド・ベイリー</strong>、<strong>カール・バーネット</strong>と交替し、ベーシストもアルバム『<em>ソウル・シンフォニー</em>』(1969年)から、長年トリオのボトムを支えてきたシンプキンスに替わり<strong>ヘンリー・フランクリン</strong>になる。復帰第１作に当たる『<em>ヴァイブレーションズ</em>』(1967年)は、これまでになくポップ・テイストが強調されたアルバムとなった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は、ライムライト時代からニュージーランド出身のピアニスト、<strong>ジュリアン・リー</strong>にアレンジを任せてイージー・リスニング風のサウンドを展開したり、当時流行っていたジャズ・ロックのリズムを採り入れたりして、コマーシャルなポップ・ジャズ路線を打ち出していた。つまり芸術性よりもレコードの売り上げや大衆性を最優先した作品を制作していたわけだが、それらに低俗に堕するようなところがないのは流石と云うしかない。その流れからさらに飛躍したのが、この『<em>ヴァイブレーションズ</em>』だったと、ぼくは思う。ハモンド・オルガンのオーヴァーダブや瞬発力のあるドラムスが打ち出す８ビートは、ひと言で云えばキャッチーだ。リズム・アンド・ブルース、映画音楽、それにクラシックのアダプテーションといった選曲も、実に楽しい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　考えてみれば、ブルーノートの多くのアーティストがフリー・ジャズを探求していた時期に、それを他所に閉塞感が漂っていたハード・バップを上手くコマーシャルなポップ・ジャズに昇華させていたのは、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>だった。このブルーノート復帰第１作『<em>ヴァイブレーションズ</em>』はその嚆矢でもあり、現在もブルーノート発レア・グルーヴとしてジャズの愛好家以外にも重宝されている。そのキッカケを作ったのは、1980年代の英国ロンドンのクラブ・シーンで活躍した伝説的なジャズDJであり、音楽プロデューサーでもある<strong>バズ・フェ・ジャズ</strong>だった。<strong>ジャイルス・ピーターソン</strong>らとともに、クラブで踊るための新しいジャズ・スタイルを確立したことはあまりにも有名だが、彼がフロアを熱くするためにプレイしていたのがこのレコードだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムもそうだけれど、1960年代の後半から1970年代の前半までのブルーノート作品のなかには、本来踊るための音楽として捉えられることのなかったジャズがレア・グルーヴとして発掘され、ダンス・ミュージックとして再評価されたレコードがいくつかある。アーティストで云えば、<strong>デューク・ピアソン</strong>、<strong>リューベン・ウィルソン</strong>、<strong>ボビー・ハッチャーソン</strong>、<strong>グラント・グリーン</strong>、<strong>ルー・ドナルドソン</strong>、<strong>ハンク・モブレー</strong>、そして<strong>ドナルド・バード</strong>らのアルバムは、レア・グルーヴのムーヴメントにおいて特に重要視された。その先駆けとなったのが、まさに『<em>ヴァイブレーションズ</em>』と云えるのではなかろうか。ブルーノートのお抱えグラフィックデザイナー、<strong>リード・マイルス</strong>が手がけた、リズムに合わせて身体を動かしているかの如き女性があしらわれた、カヴァー・フォトも秀逸だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういうサウンドの変化とともに、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>では、前述のように何度かメンバーチェンジが行われていく。1966年の２月に行われたシカゴの名門ジャズ・クラブ、ロンドン・ハウスでのライヴでは、ドラマーがすでにダウディから<strong>カリル・マディ</strong>に替わっている。このときの演奏はライムライト・レコードからリリースされた『<em>スリー・サウンズ・ライヴ・アット・ザ・ロンドン・ハウス</em>(<em>Today&#8217;s Sounds</em>)』(1966年)において聴くことができるが、このころのハリスはまだアコースティック・ピアノの演奏のみに集中している。それでもこのライヴ・アルバムを聴いてみると、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のレパートリーにはもちろんのこと、演奏のスタイルにももはやロックやポップスの影響が色濃く反映されていることがわかる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">時代の趨勢とともに装いが変わっていても出来損ないの作品は１枚もない</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ブルーノート復帰後の<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は、さきにも触れたがハリスがハモンド・オルガンを弾いたり、<strong>オリヴァー・ネルソン</strong>、<strong>モンク・ヒギンズ</strong>らのアレンジによるオーケストラと共演したり、サウンド的にもソウル・ジャズへ傾倒する。作品のクオリティは決して低くはないのだが、かつてのコンビネーションの魅力はすっかり薄まったと云える。なおハリスはバンド名を冠した最後のアルバム『<em>ザ・スリー・サウンズ</em>』(1971年)を吹き込んだあと、ついに個人名義の純然たるソロ・アルバム『<em>ジーン・ハリス・オブ・ザ・スリー・サウンズ</em>』(1972年)を発表する。アルバム・タイトルには相変わらず“<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>”が付されているが、同グループのメンバーは一切参加していないので、まさしくハリスのリーダー作と捉えられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムでハリスは、まだ４ビートを演っている。しかしながら本作のサウンドは、レコーディングに初期のモータウン・サウンドを支えた<strong>ウェイド・マーカス</strong>がアレンジャーとして迎えられたこともあって、かなりソウル色が強くなっている。このアルバムがリリースされたあとの1973年、ついに<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は解散。その後ハリスはソロ・アーティストとして、ブルーノートのBNLAシリーズにおいて、２枚組の『<em>イエスタデイ・トゥデイ＆トゥモロー</em>』(1973年)をはじめ『<em>アストラル・シグナル</em>』(1975年)『<em>ネクサス</em>』(1976年)『<em>イン・ア・スペシャル・ウェイ</em>』(1976年)『<em>トーン・タントラム</em>』(1977年)と、順調にリーダー作を吹き込んでいく。そのサウンドは、ジャズ・ロックから次第にジャズ・ファンクへと変化していく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>の演奏は1970年まで、そして<strong>ジーン・ハリス</strong>のソロ・アーティストとしての吹き込みは1998年まで音盤で聴くことができるのだが、ハード・バップ、ポスト・バップ、ソウル・ジャズ、ジャズ・ファンクと、時代の趨勢とともに装いが変わっていても、それらのなかに出来損ないの作品が１枚もないのに驚かされる。それは、ハリスの柔軟な音楽性に依るところが大きいのではなかろうか。彼は９歳からまったくの独学で、ピアノを弾きはじめた。ハリスの最初のアイドルは、伝説的ブギウギ・ピアニスト、<strong>アルバート・アモンズ</strong>、やはり超絶技巧のブギウギ・ピアニスト、<strong>ピート・ジョンソン</strong>だった。その後、<strong>エロール・ガーナー</strong>からも影響を受けたという。そういえばガーナーもまた、楽譜がまったく読めない独学のピアニストだった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9440 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf2.png" alt="ライヴ演奏をする黒人ミュージシャンたちのイラスト(青色)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　いずれにせよ、ハリスのブルース・スタイルのピアノ・プレイの原点は、それらのピアニストから刺激を受けたものだったのかと、大いに得心がいく。ときにハリスは高校時代、同郷の士でありのちに<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のドラマーとなる、<strong>ビル・ダウディ</strong>とトリオを結成。地元のミシガン州ベントン・ハーバーのクラブで初舞台を踏んだ。1951年から1954年までアメリカ陸軍の第82空挺師団の軍楽隊で演奏し腕を磨いた。除隊したあとはふたたび地元で演奏活動を行い、1956年に<strong>フォー・サウンズ</strong>を結成。メンバーには、ハリス、シンプキンス、ダウディのほかに、サクソフォニストの<strong>ロニー・ウォーカー</strong>がいた。1957年にウォーカーがグループを脱退すると、残りの３人はまずワシントンD.C.に、次いでニューヨーク・シティに移動し、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>として活動を開始した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>が最初に契約を結んだのは、ブルーノート・レコードではなく<strong>オリン・キープニュース</strong>と<strong>ビル・グラウアー</strong>が設立したリヴァーサイド・レコードだった。初レコーディングは、奇しくも『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』のそれとおなじ1958年の９月のこと。コルネティストの<strong>ナット・アダレイ</strong>をリーダーとするセッションで、テナー奏者の<strong>ジョニー・グリフィン</strong>とともに<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>が参加した。このときの音源はアダレイのアルバム『<em>ブランチング・アウト</em>』(1958年)としてリリースされた。このアルバム、発売されたのがなんと『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』とおなじ、1958年の12月のことである。アダレイとグリフィンとの刺激的なフロントラインも然ることながら、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のファンキーなプレイが軽妙だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は1958年、ニューヨークのオフビート・クラブに出演中、来店していたブルーノートの創設者、<strong>アルフレッド・ライオン</strong>に見初められた。なんとその場で、ブルーノートとの契約が成立。そしてその数日後には、早くもデビュー・アルバム『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』が吹き込まれたのである。なお、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>をライオンに薦めたのが、<strong>ホレス・シルヴァー</strong>だったということはあまりにも有名である。それはともかく、ハリスのピアノ・スタイルをひと言で云うと、それは中庸ということになる。ソウルフルではあるけれど、<strong>ラムゼイ・ルイス</strong>ほどアーシーではない。ハッピー・フィーリングが際立つが、<strong>オスカー・ピーターソン</strong>ほど弾きまくらない。また、しばしばブロック・コードを使用するけれど、<strong>レッド・ガーランド</strong>の弾きかたほどユニークではない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　つまりハリスのピアニズムは、いま挙げた３人のように一極集中するようなことはなく、常に過不足がなく調和がとれているのである。それを無個性と云ってしまえばそれまでなのだが、３人のもつスピリットを兼ね備えたハリスのスタイルは、裏を返せばリスナーにモダン・ジャズの楽しさのエッセンスを満遍なく与えるものとも云える。その点、気軽にジャズを楽しめるというところが、最大の魅力となっている。そういうハリスの音楽性は、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のもつ固有の性質にそっくりそのまま当てはまる。さらに云えば、そのプレイは風格さえ漂わせるのだが、それは間を活かしたコンセプト、軽快なタッチ、そして控えめなエクスプレッションから来るのだろう。そういうところは、ちょっと<strong>アーマッド・ジャマル</strong>を彷彿させる。そして、ハリスのソウル志向でありながらエレガントな雰囲気をもつピアノ・スタイルは、不思議なことにどんなジャンルにもフィットするのだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなハリスだから、さきに挙げたBNLAシリーズに彼が残した６作品は、どれも全体的に観て出来がよく高い品質をもっている。BNLAはブルーノートがユナイテッド・アーティスツの管理下へ統合されたあと、1973年からカタログ番号に付されたもの。ただメインストリーム・ジャズをこよなく愛するファンからは、伝統的な４ビートやスウィングが重視されるが故、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>時代のアルバムが一定の評価を得るいっぽうで、リズム・アンド・ブルース、ファンク、ソウルの要素が積極的に採り入れられたBNLAシリーズのハリスのソロ・アルバムはまったく無視されていた。それらをもっとも高く評価したのは、結局のところDJ/クラブ世代のリスナーになるのだろうが、リアルタイムでも、たとえば『<strong>イン・ア・スペシャル・ウェイ</strong>』をフュージョンの名盤に挙げる向きもあった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただしそれは、フュージョンを単なる商業主義的ないし大衆迎合的音楽と観ない、フレキシブルな思考と多角的な視点でジャズを捉える、一部のクリティックに限られた。ちなみに、フュージョン・ブームを同時代体験したぼくは当時、<strong>ラムゼイ・ルイス</strong>のアルバムを手にとるときと同じような感覚で、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>とハリスのリーダー作とを並行して楽しんでいた。しかもBNLAシリーズのハリスのリーダー・アルバムにおいては、彼のソウルフルでブリリアントな鍵盤テクニックも然ることながら、どちらかというとトータル・サウンドのグルーヴやムードを満喫していたように思う。BNLAシリーズ１枚目の『<em>イエスタデイ・トゥデイ＆トゥモロー</em>』では、まだ４ビートもプレイされていたが、エレクトロニクスの導入もありフレッシュな衝撃を受けたものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">クセになるナンバーが満載のひとたび聴いたらハリスの沼にハマるアルバム</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハリスがモダン・ジャズからすっかり離れたのは、次作の『<em>アストラル・シグナル</em>』から。星体信号とでも訳すのだろうか、そのアルバム・タイトルから<strong>ロニー・リストン・スミス＆ザ・コズミック・エコーズ</strong>の諸作を思い浮かべる向きも多いだろう。明らかにスピリチュアリズムが意識されたタイトルだが、まあ当時はこういうのが流行ったのだろう。アルバム冒頭のアヴァンギャルドな短い導入曲に一瞬驚かされるが、その後、不安を煽られるような霊的なものはまったく感じられない。総じてそのコンテンツは、グルーヴィーなジャズ・ファンクとなっている。それまで４ビートを引き摺っていたハリスだが、このアルバムでの彼はすっかり吹っ切れた印象を与える。本作でハリスはアコースティック・ピアノだけでなく、モーグ・シンセサイザーをはじめとするエレクトロニックな鍵盤類を縦横無尽に駆使している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　しかもこのアルバムには、リズム・セクションに<strong>デヴィッド T. ウォーカー</strong>(g)、<strong>チャック・レイニー</strong>(g)、<strong>ハーヴィー・メイソン</strong>(ds)、ホーン・セクションに<strong>アーニー・ワッツ</strong>(saxes)、<strong>オスカー・ブラッシャー</strong>(tp)、<strong>ジョージ・ボハノン</strong>(tb)といった具合に、ウェストコースト・フュージョンの名だたる面々が参加している。収録曲もファンク寄りで、<strong>スライ＆ザ・ファミリー・ストーン</strong>や<strong>クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル</strong>などのカヴァーも然ることながら、女性コーラスが配されたアーバン・ソウル「ロサラミトスラティンファンク・ラヴ・ソング」がクール。マルチ・インストゥルメンタリストの<strong>ジェリー・ピーターズ</strong>のオリジナルだが、彼は本作のプロデューサー兼アレンジャー。そして、BNLAシリーズのハリス作品における立役者である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ピーターズはハリスのリーダー作以外にも、ブルーノートのBNLAシリーズにおいて、キーボーディスト、アレンジャー、ソングライター、プロデューサーとして多くのアーティストのアルバムを手がけている。いずれにしても彼は『<em>アストラル・シグナル</em>』以降も『<em>ネクサス</em>』『<em>イン・ア・スペシャル・ウェイ</em>』『<em>トーン・タントラム</em>』と、ハリスのブルーノート時代に華麗なジャズ・ファンク・サウンドで彩りを添えた。一般的に評価が高いのは『<em>イン・ア・スペシャル・ウェイ</em>』だけれど、個人的にもこのアルバムがいちばん好きだ。ただ繰り返しになるが、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>の作品も含めてハリスのアルバムには、たとえコマーシャルなことが繰り広げられていたとしても、噴飯ものの作品は１枚もない。ぼくにとっては、一部の冷たい視線などどこ吹く風である。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9441 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf3.png" alt="ライヴ演奏をする黒人ミュージシャンたちのイラスト(緑色)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　もっとも『<em>ネクサス</em>』では、ハリスはほぼ全編に渡り電子鍵盤楽器を操っている。むろんシンセサイザーでのプレイもわるくはないのだが、ハリスの場合、アコースティック・ピアノでの演奏がもっとも魅力的に映る。このアルバムでは、フィリー・ソウルの代表的グループ、<strong>ザ・スピナーズ</strong>の「ラヴ・ドント・ラヴ・ノーバディ」でのピアノによる壮麗なバラード演奏が、もっとも印象的。また、<strong>ファッツ・ウォーラー</strong>の「ジターバグ・ワルツ」における、フェンダー・ローズによる流麗なソロも忘れ難い。ブルーノート最終作『<em>トーン・タントラム</em>』でも、一般的には<strong>ラルフ・ビーチャム</strong>のヴォーカルがフィーチュアされたス<strong>ティーヴィー・ワンダー</strong>の「アズ」がトピックだが、やはり<strong>ガブリエル・フォーレ</strong>のパラフレーズ・ナンバー「ストレンジャー・イン・パラダイス」などでのピアノ演奏に胸が弾むのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なるほど、ハリスはアコースティック・ピアノのひとなのだろう。その点で『<em>イン・ア・スペシャル・ウェイ</em>』は、全体的にアコースティック・ピアノが多用されており、爽快で整然とした仕様となっている。そしてこのアルバムのもうひとつ特色としては、リーダーの<strong>モーリス・ホワイト</strong>こそ未参加ではあるが、1970年代を代表するファンク・グループ、<strong>アース・ウィンド＆ファイア</strong>の人脈が活かされているということが挙げられる。具体的には<strong>アル・マッケイ</strong>、<strong>ヴァーディン・ホワイト</strong>、<strong>フィリップ・ベイリー</strong>などが参加しているが、彼らは<strong>EW&amp;F</strong>の正式メンバー。考えてみれば、本作のプロデュースを手がけたピーターズは、アレンジャー、ソングライター、キーボーディストとして、<strong>EW&amp;F</strong>の黄金期を支えたキーマンなわけで、この趣向はごく自然なことと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに当時<strong>モーリス・ホワイト</strong>が、45歳という若さでこの世を去った伝説的プロデューサー、アレンジャー、そしてコンポーザーの<strong>チャールズ・ステップニー</strong>と共同設立したカリンバ・プロダクションにおいて、ジャズ・ファンク作品を制作していたのがだれあろう、<strong>ラムゼイ・ルイス</strong>だった。当然のことながら『<em>イン・ア・スペシャル・ウェイ</em>』のサウンドスケープは、ホワイトが絡んだルイスの諸作におけるそれと相似する。ただおなじアコースティック・ピアノを主軸に据えた演奏であっても、ルイスがヴィルトゥオーソと呼びたくなるような格別な技巧や能力を発揮するのに対し、繰り返しになるが、ハリスは決して弾きまくったりはせず、間を活かしたコンセプト、軽快なタッチ、そして控えめなエクスプレッションで、ジャズ・ファンクにスムースに溶け込むのである。そこがいい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　レコーディングは、<strong>ジーン・ハリス</strong>(key)、<strong>シャーロット・ポライト</strong>(key)、<strong>ジェリー・ピーターズ</strong>(key. vo)、<strong>リー・リトナー</strong>(g)、<strong>アル・マッケイ</strong>(g)、<strong>ジョン・ローウィン</strong>(g)、<strong>チャック・レイニー</strong>(b)、<strong>ヴァーディン・ホワイト</strong>(b)、<strong>ジェームス・ギャドソン</strong>(ds)、<strong>ハーヴィー・メイソン</strong>(ds, perc)、<strong>マユト・コレア</strong>(perc)、<strong>エイゾー・ローレンス</strong>(ts)、<strong>シドニー・マルドロウ</strong>(hrn)、<strong>マーニー・ロビンソン</strong>(hrn)、<strong>ジョージ・ボハノン</strong>(tb)、<strong>エド・グリーン</strong>(vln)、<strong>フィリップ・ベイリー</strong>(vo, perc)、<strong>メリー・クレイトン</strong>(vo)、<strong>エスター・ジェシカ</strong>(vo)、<strong>D. J. ロジャース</strong>(vo)、<strong>シギディ</strong>(vo)、<strong>ステファニー・スプライル</strong>(vo)、<strong>デニース・ウィリアムス</strong>(vo)らによって、1976年３月29日、４月１日、２日、７日、L. A.のトータル・エクスペリエンス・スタジオにて行われた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムはソウル系ソングライター、<strong>スキップ・スカボロウ</strong>のオリジナル「テーマ・フォー・レラナ」からスタート。ゆったりとしたスピリチュアルなイントロから軽快なシャッフル・ビートへの移行が鮮やか。ホルンを入れたアレンジも爽快だが、なんといってもハリスの歯切れのいいピアノが与える清涼感が随一。以降ピーターズのオリジナル(共作を含む)がつづく。ストレートなジャズ・ファンク「リバップ」では、ハリスによるダイナミックかつスムースなピアノ・プレイが煌びやかに展開される。ソウルフルでありながら上品なところが彼らしい。ボハノンのトロンボーンも小気味いい。ロジャース、ピーターズ、クレイトンによるヴォーカルが効果的な「ズールー」では、リズム・アンド・ブルースのリズムとビートが弾けるなか、ハリスのピアノが縦横無尽にファンキーなフレーズを綴る。その疾走感に胸がすく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　A面ラストの「オールウェイズ・イン・マイ・マインド」は、ピーターズとシギディのヴォーカルがフィーチュアされたメロウ・ファンク。躍動感あるリズムと心地いいコード進行のなか、ハリスのピアノが淀みなくファンキーな楽句を紡ぎ出していく。ここまではどちらかというとジャズ・ファンク路線だが、B面ではクールでスタイリッシュなフュージョン・サウンドが繰り広げられる。<strong>コール・ポーター</strong>の「ラヴ・フォー・セール」では、スプライルとウィリアムスのヴォーカル、ストリングスが効果的なフィリー・ソウル風のサウンドが心地いい。ピーターズのキャッチーなアレンジ、ハリスのアンダーステイティドなプレイが、有名なジャズ・スタンダーズを見事に華麗なフュージョン・ナンバーに仕立てている。だれがなんと云おうと、ぼくはこのアレンジが好きだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ポライト、ローウィンらの共作「イッツ・ユア・ラヴ」では、流麗なストリングス、甘く都会的なメロディック・ライン、そして躍動みなぎるリズムと、いかにもフィリー・ソウル風のサウンドが展開される。前曲とあわせて、爽やかさと軽やかさが継続される。ハリスのピアノも程よく弾ける。つづく<strong>N. ブラウン</strong>の「ソフト・サイクルズ」では、少し雰囲気が変わりリトナーのギターとピアノとが、アコースティックでリリカルな世界を描く。逆にポライトの「ファイヴ/フォー」は、エレクトロニックでスペーシーなサウンドのなかを、ピアノがエレガントに泳いでいくといった感じだ。アルバムのラストを飾る<strong>ジョン・コルトレーン</strong>の「ナイーマ」では、寛いだアフロビートに乗って、テナー、ピアノ、ギターらがソロを繋いでいく。ソウルフルなフィーリングとメロウネスとが交錯する、クセになるナンバー。アルバム自体もそれと同様に、ひとたび聴いたらハリスの沼にハマる──そんな趣きがある。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>The Three Sounds / Introducing The Three Sounds (1958年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Jul 2026 07:13:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[The Three Sounds]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9397</guid>

					<description><![CDATA[ブルーノート・レコードが生んだ不世出のピアノ・トリオ・スタイルのジャズ・アンサンブル、ザ・スリー・サウンズの記念すべきデビュー・アルバム『イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">ブルーノート・レコードが生んだ不世出のピアノ・トリオ・スタイルのジャズ・アンサンブル、ザ・スリー・サウンズの記念すべきデビュー・アルバム『イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ』</span></h2>

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<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>The Three Sounds / Introducing The Three Sounds (1958)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Tenderly</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">サウンドに偏りがなくトリオ・プレイは一様に過不足なく調和がとれている</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくはいわゆるレコード・コレクターではないので、大好きなジャズに関してもあまりディープな知識はもち合わせていない。それでも名門ブルーノート・レコードのアルバムには、主に発売時期によって割り当てられたカタログ番号というものがあり、そのモダン・ジャズの黄金期を築いた歴史的名盤は、大まかに1500番台と4000番台といったシリーズに分けられることくらいは、ぼくでも知っている。そして、なんとなくだけれど、1500番台と4000番台といったふたつのシリーズには、異なるイメージをもっている。簡単に云うと、1500番台は1950年代のジャズ、4000番台は1960年代のジャズといった印象を与えるのだ。さらに云えば、1950年代はモダン・ジャズの草創から成熟への時期、1960年代以降はその大衆化から爛熟への時期と感じられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　具体的には、1500番台は、12インチLPレコードの本格的なスタートとなったシリーズ。<strong>マイルス・デイヴィス</strong>、<strong>ジョン・コルトレーン</strong>、<strong>アート・ブレイキー</strong>、<strong>ソニー・ロリンズ</strong>などの作品が集中するが、そのカタログにはいわゆる歴史的名盤がズラリと並ぶ。それに対して4000番台は、ハード・バップからモード・ジャズ、さらにフリー・ジャズへと向かう時代のシリーズ。<strong>ハンク・モブレー</strong>、<strong>ウェイン・ショーター</strong>、<strong>ハービー・ハンコック</strong>などの個性的なラインナップは非常に魅力的で、一般的にも人気が高い。なぜならこの4000番台のカタログには、モダン・ジャズといってもハードルの高い作品ばかりではなく、ビギナーからディガーまでカジュアルに楽しめるようなアルバムがたくさんあるからだ。それは、ブルーノート作品が世代を超えて聴き継がれる理由のひとつでもある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで、ブルーノートのカタログにはBLP-1600という番号をもつレコードがある。むろん1600番台というシリーズは存在せず、このアルバムは1500番台の最後を飾る作品とされている。面白いな。ただこのアルバム、1500番台のシリーズに組み込まれる場合、確かに数字的には不整合なのだが、その特例である1600というカタログ番号から、いみじくも1500番台のその他の作品とは明らかに異なるコンテンツを抱えているということを暗示するに至った。このBLP-1600は『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』(1958年)というレコードだが、云うまでもなくピアノ・トリオ・スタイルのジャズ・アンサンブル、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のデビュー・アルバムである。このグループ、実は4000番台のカタログにおいては、最多出場アーティストとなっている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9415 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three1.png" alt="ピアノを弾く犬とテーブルでカクテルを飲む猫のイラスト" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>といえば、ブルーノート・レコードが輩出した、押しも押されもせぬモダン・ジャズの人気グループ。ピアノの<strong>ジーン・ハリス</strong>、ベースの<strong>アンディ・シンプキンス</strong>、ドラムスの<strong>ビル・ダウディ</strong>と、メンバーはみな確たる実力の持ち主だが、我田引水なプレイを展開するものはいない。そのサウンドは極端に偏ることがなく、３人の演奏は一様に過不足なく調和がとれている。そして、このバランスのとれたコンビネーションが、ジャズという音楽の楽しい部分を自然に引き出している。こういうピアノ・トリオは存外少なくて、ブルーノートがこのトリオを“<strong>ジーン・ハリス・トリオ</strong>”ではなく、敢えてグループ名義でデビューさせたのも、大いに得心がいく。しかもブルーノートがこのグループを積極的に売り込もうとしていたのは、明々白々である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は、1958年９月16日、28日に『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』の吹き込みを行ったあと、大手のヴァーヴ・レコードに引き抜かれ1962年10月13日にアルバム『<em>ブルー・ジーンズ</em>』(1962年)のレコーディングを行うまでの４年間、<strong>ルー・ドナルドソン</strong>や<strong>スタンリー・タレンタイン</strong>とのコラボレーション・アルバムを含めると、ブルーノートから９枚ものリーダー作を発表したことになる。しかも驚くなかれ、その吹き込みのうちの40曲以上が、シングルカットされているのだ。この間、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>はアメリカ国内で頻繁に演奏ツアーを行い、各地のジャズ・クラブにおいて多くのファンを獲得した。そのサウンドが孕んだポピュラリズムは、一部の有識者からは批判を受けたが、一般的には広く歓迎されたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ときにブルーノート・レコードといえば、一般的にどんなアーティストが思い浮かべられるのだろう。ぼくは音楽に関しては偏食家なので参考にはならないかもしれないけれど、狭量な見識で恐縮だがここに独断と偏見で、ぼくにとってのブルーノート・アーティスト・ベスト５を挙げておく。このレーベル、モダン・ジャズの黄金時代、そしてハード・バップを象徴するだけに、管楽器のスター・プレイヤーを多く抱えるという印象が強い。しかしながら自分は幼いころからピアノを弾いていたし、それ故ピアニストの作品を多く聴くので、ここはピアニストに絞り込んでみたい。したがって、比類なき名盤を数多く残したという点で、まず<strong>ホレス・シルヴァー</strong>と<strong>ハービー・ハンコック</strong>は、文句なくベスト・アーティストに入るだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　つづいてレーベルへの貢献度からすると、<strong>ソニー・クラーク</strong>と<strong>デューク・ピアソン</strong>もまた然りである。では残りのひとりはというと、これがちょっと逡巡してしまうのだ。<strong>ケニー・ドリュー</strong>と<strong>ウィントン・ケリー</strong>はとても好きなのだけれど、いささかアルバムが少ない。<strong>マッコイ・タイナー</strong>は、圧倒的にインパルス! レコードの作品のほうが好み。<strong>チック・コリア</strong>や<strong>セシル・テイラー</strong>も、私感ではブルーノートのひとではないように思われる。ビバップ・スタイルの第一人者である<strong>バド・パウエル</strong>の場合、ブルーノート作品に芸術的かつ神がかったかつての彼は、もういない。アルバム単位だったら、<strong>ウォルター・デイヴィス・ジュニア</strong>、<strong>ユタ・ヒップ</strong>、<strong>ハービー・ニコルス</strong>なども注目の的なのだが、なにぶんリーダー作が少ないのでランクインは見送られる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それにしても、改めてブルーノートにおけるピアニストのリーダー作を思い浮かべていくと、案外たくさんあるものだ。それでも、ホーン奏者の作品がパッとイメージがひらめくのに対して、ピアニストのそれとなるとにわかにチョイスするのはなかなか困難と云える。そんなわけで、最後のひとりはやはり<strong>ホレス・パーラン</strong>あたりに落ち着くのだろう。彼のレコードをはじめて聴いたときは、ぼくもその独特のピアノ・スタイルに目からウロコが落ちるような気持ちにさせられた。それはコンプレックスを克服して可能にしたというか、制限があったからこそ生み出すことができた、パーランならではの斬新な演奏法。ぼくも彼のブルーノート作品は、いまも愛聴しつづけている。と、ここまでで、ふと<strong>ジーン・ハリス</strong>が入っていないことに気がつくのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">ブルーノート復帰後はかつてのコンビネーションの魅力がすっかり薄まる</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハリスのピアノ・スタイルをひと言で云うと、それは中庸ということになる。ソウルフルではあるけれど、<strong>ラムゼイ・ルイス</strong>ほどアーシーではない。ハッピー・フィーリングが際立つが、<strong>オスカー・ピーターソン</strong>ほど弾きまくらない。また、しばしばブロック・コードを使用するけれど、<strong>レッド・ガーランド</strong>の弾きかたほどユニークではない。つまりハリスのピアニズムは、いま挙げた３人のように一極集中するようなことはなく、常に過不足がなく調和がとれているのである。それを無個性と云ってしまえばそれまでなのだが、３人のもつスピリットを兼ね備えたハリスのスタイルは、裏を返せばリスナーにモダン・ジャズの楽しさのエッセンスを満遍なく与えるものとも云える。その点、気軽にジャズを楽しめるというところが、最大の魅力となっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういうハリスの音楽性は、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のもつ固有の性質にそっくりそのまま当てはまる。このトリオは、いわばブルーノートきっての愉快な音楽隊。どちらかというと硬派なレーベルという印象を与えるブルーノートにおいて、このトリオはひときわ異彩を放っている。彼らがプレイするのは、レイドバックでエンジョイアブルなモダン・ジャズ。おそらくブルーノートにおいて、これほど鷹揚で楽しげにスウィングするジャズを聴かせるアーティストは、このトリオをおいてほかにいないだろう。<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>には、前述のヴァーヴをはじめ、マーキュリー、ライムライトといったレーベルにも吹き込みがあるのだけれど、どれもブルーノートでの諸作には到底およばない。それらの点を踏まえると、このトリオは異形でありながら、ブルーノートならではの存在とも云えるのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　とはいえ、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>が最初に契約を結んだのは、ブルーノート・レコードではなく<strong>オリン・キープニュース</strong>と<strong>ビル・グラウアー</strong>が設立したリヴァーサイド・レコードだった。初レコーディングは、奇しくも『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』のそれとおなじ1958年の９月のこと。コルネティストの<strong>ナット・アダレイ</strong>をリーダーとするセッションで、テナー奏者の<strong>ジョニー・グリフィン</strong>とともに<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>が参加した。このときの音源はアダレイのアルバム『<em>ブランチング・アウト</em>』(1958年)としてリリースされた。このアルバム、発売されたのがなんと『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』とおなじ、1958年の12月のことである。アダレイとグリフィンとの刺激的なフロントラインも然ることながら、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のファンキーなプレイが軽妙だ。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9416 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three2.png" alt="ダブルベースを弾く犬とテーブルでカクテルを飲む猫のイラスト" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は、もともと1956年にミシガン州ベントン・ハーバーで結成された<strong>フォー・サウンズ</strong>というバンドだった。メンバーには、ハリス、シンプキンス、ダウディのほかに、サクソフォニストの<strong>ロニー・ウォーカー</strong>がいた。1957年にウォーカーが脱退すると、残りの３人はまずワシントンD.C.に、次いでニューヨーク・シティに移動し、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>として活動を開始した。前述のように一時的にリヴァーサイドと契約していたが、1958年、ニューヨークのオフビート・クラブに出演中、来店していたブルーノートの創設者、<strong>アルフレッド・ライオン</strong>に見初められた。なんとその場で、ブルーノートとの契約が成立。そしてその数日後には、早くもデビュー・アルバム『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』が吹き込まれたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>をライオンに薦めたのは、<strong>ホレス・シルヴァー</strong>だったという。云うまでもなくシルヴァーは、ジャズの黄金期を支えた音楽家のひとり。彼のグループが奏でるサウンドには、従前のバップ・スタイルをより上のステージにもっていったような感じがある。そういう意味では、ハード・バップの立役者のひとりとも捉えられる。さらに云えば、シルヴァーは単なるジャズ・ピアニストではなく、音楽の方向性を明確にし、それに沿って楽曲をハイスペックなものに仕上げるという、卓越した才能をもつ音楽家なのだ。彼が制作したアルバムは、リスナーが充分に楽しめる作品として、いつでも高い水準に達している。大衆がなにを望んでいるかをを見抜く鋭い見識をもつシルヴァーの推薦があったからこそ、ライオンも<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>を積極的にアピールしたのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実のところ<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は、ハード・バップ、ファンキー・ジャズ、モーダル・ジャズ、あるいはフリー・ジャズなどが混沌とした1960年代において、常にフレッシュなリラクゼーションをリスナーに提供していた唯一のバンド。肩肘を張らないプレイを展開するピアノ・トリオという点では、右に出るものはいないだろう。ソフィスティケーションやポップ性に関しても、同時代のピアノ・トリオのなかでも、もっとも先を行っていたように思われる。当時のジャズ・シーンにおいて、オリジナル・チューンで勝負するアーティストが多いなか、逡巡せずジャズ・スタンダーズをまえ向きに演奏していたのも<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>だった。しかもそのサウンドは、ファンキーでありながらエレガントでもある。それゆえ彼らのレコードは、いま聴いてもとても新鮮に響くのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんな<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は、前述のように一旦ブルーノートを離れたあと、所属レーベルをヴァーヴ、マーキュリー、ライムライトといった具合に転々とし、1966年に古巣に舞い戻る。しかしながら、このころからドラマーが<strong>カリル・マディ</strong>、<strong>ドナルド・ベイリー</strong>、<strong>カール・バーネット</strong>と交替し、ベーシストもアルバム『<em>ソウル・シンフォニー</em>』(1969年)から、長年トリオのボトムを支えてきたシンプキンスに替わり<strong>ヘンリー・フランクリン</strong>になる。ブルーノート復帰後の<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は、ハリスがオルガンを弾いたり、<strong>オリヴァー・ネルソン</strong>、<strong>モンク・ヒギンズ</strong>らのアレンジによるオーケストラと共演したり、サウンド的にもソウル・ジャズへ傾倒する。作品のクオリティは決して低くはないのだが、かつてのコンビネーションの魅力はすっかり薄まったと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、ハリスはバンド名を冠した最後のアルバム『<em>ザ・スリー・サウンズ</em>』(1971年)を吹き込んだあと、ついに個人名義の純然たるソロ・アルバム『<em>ジーン・ハリス・オブ・ザ・スリー・サウンズ</em>』(1972年)を発表する。アルバム・タイトルには相変わらず“<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>”が付されているが、同グループのメンバーは一切参加していないので、まさしくハリスのリーダー作と捉えられる。初期のモータウン・サウンドを支えた<strong>ウェイド・マーカス</strong>をアレンジャーとして迎えた本作は、かなりソウル色が強くなってはいるものの、まだ４ビートを演っていたりする。おなじブルーノート作品でも、BNLAシリーズの『<em>イン・ア・スペシャル・ウェイ</em>』(1976年)のようなジャズ・ファンク・アルバムではない。面白いのは、本作がブルーノート4000番台、最後の作品に当たること。なんだか、運命めいたものが感じられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">３人の構造的かつ機能的に繋がるプレイの妙味がすでに充分発揮されている</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>の演奏は1970年まで、そして<strong>ジーン・ハリス</strong>のソロ・アーティストとしての吹き込みは1998年まで音盤で聴くことができるのだが、ハード・バップ、ポスト・バップ、ソウル・ジャズ、ジャズ・ファンクと、時代の趨勢とともに装いが変わっていても、それらのなかに出来損ないの作品が１枚もないのに驚かされる。それは、ハリスの柔軟な音楽性に依るところが大きいのではなかろうか。彼は９歳からまったくの独学でピアノを弾きはじめ、地元べントン・ハーバーのバンドで初舞台を踏み、1951年から1954年までアメリカ陸軍の第82空挺師団の軍楽隊で演奏し腕を磨いた。除隊したあとはふたたび地元で演奏活動を行い、前述のように<strong>フォー・サウンズ</strong>を結成する。ソウル志向でありながらエレガントな雰囲気をもつピアノ・スタイルは、不思議なことにどんなジャンルにもフィットした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなハリスの風格を漂わせるプレイは、間を活かしたコンセプト、軽快なタッチ、そして控えめなエクスプレッションから来るのだろうが、そういうところは、ちょっと<strong>アーマッド・ジャマル</strong>を彷彿させる。ただ個人的には、ピアノ・トリオのコンビネーションが最大に発揮された、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>での演奏が好きだ。そしてやはり、1958年から1962年までの第一次ブルーノート時代の吹き込みがいい。移籍後にも1959年から1962までの吹き込みが『<em>ヘイ・ゼア</em>』(1962年)『<em>イット・ジャスト・ガット・トゥ・ビー</em>』(1963年)『<em>ブラック・オーキッド</em>』(1964年)『<em>アウト・オブ・ディス・ワールド</em>』(1966年)『<em>ベイブス・ブルース</em>』(1986年)『<em>スタンダーズ</em>』(1998年)と、どしどし音盤化されたが、どれも及第点に達するアルバムだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いささか余談になるが、ぼくにとって<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のアルバムのなかで、特に思い入れがあるのはデビュー作の『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』である。個人的なハナシで恐縮なのだけれど、(せいぜい校内放送レベルだが)高校時代に生徒会長のNくんと制作したラジオ番組で、このレコードに収録されている「テンダリー」をテーマ曲として使っていた。チャチャチャ調のリズムが心地よくて、番組の気さくな雰囲気にピッタリだった。ただこのアルバムが出色の出来なのかというと、そういうわけではない。繰り返しになるが、1958年から1962年までに吹き込まれたブルーノートの作品群は佳作揃いで、いわゆるハズレがない。云いかたを変えると、それらにあまり大差はないということになる。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9417 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three3.png" alt="ドラムスを叩く犬とテーブルでカクテルを飲む猫のイラスト" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　というわけで、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のアルバムを手にとるとき、たとえばお気に入りのジャズ・スタンダーズが収録されている──というような理由で、気軽に選んでみてはいかがだろう。おそらくもっともポピュラーなのは、やはり(<strong>ルー・ドナルドソン</strong>との共演盤を入れると)５枚目のアルバムに当たる『<em>ムーズ</em>』(1960年)だろう。人気の理由の半分は、麗しく艶やかな女性のお顔があしらわれたジャケットの恩恵による。このご婦人、ラジオ番組のDJでのちにライオン社長の２番目の奥さまになる<strong>ルース・メイソン</strong>というひと。<strong>ソニー・クラーク</strong>の『<em>クール・ストラッティン</em>』(1958年)のジャケットに写っている、あの有名な美脚の主も彼女である。そして残りの半分は、収録曲がジャズ・スタンダーズばかりであるということだろう。お馴染みの曲にエスプリの効いた味付けがなされているところが、一段と楽しい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういう経緯から、今回は最後にブルーノートが生んだ不世出のピアノ・トリオ・スタイルのジャズ・アンサンブル、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>の記念すべきデビュー・アルバムであり、個人的にも最初に聴いた彼らのレコードとなる『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』について、具体的にご紹介したい。そのまえに付け加えておくと、実はこのアルバムには続編が存在する。タイトルはズバリ『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ Vol. 2</em>』(1985年)といい、1958年９月16日、28日のセッションの未発表曲集である。ただしハリスのオリジナル「MO-GE」だけは、シングル盤で発表済み。デビュー作のジャケットがオレンジ色であるのに対しイエローグリーンのこの続編、ぼくは大学生のときに購入したのだけれど、あとにもさきにも日本国内でしか発売されていない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお同日のセッションのうち残りの３曲は、３枚目のアルバム『<em>ボトムス・アップ</em>』(1959年)に収録されている。また、日本独自の続編『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ Vol. 2</em>』の６曲は、レコードが発売された翌年にデビュー作の８曲とともに、東芝EMIが発売したCD『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ＋６</em>』(1986年)に収録された。いずれにしても、このときのセッションには一聴の価値がある。３人の構造的かつ機能的につながるプレイの妙味は、すでに充分発揮されている。ハリスはここで、1950年代に流行ったジャズ・スタンダーズにヒップなアレンジを施したり、リラクゼーションに富んだ自作のブルース・ナンバーを提供したりしている。そんな彼のブルース志向を、シンプキンスとダウディは見事に汲み取っている。その一体化したサウンドを、ぜひお楽しみいただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムは<strong>ウォルター・グロス</strong>の「テンダリー」からスタート。ピアニストからシンガーまで数多くのアーティストが採り上げている名曲だが、ぼくは<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のチャチャチャ調のアレンジが昔から大好き。モダンな感じのイントロ、ピアノのブロック・コードによる軽快なメロディック・ライン、そして４ビートでのほどよくブルージーなソロと、総じて肩の力の抜けた演奏が絶妙だ。つづく<strong>アン・ロネル</strong>「ウィロー・ウィープ・フォー・ミー」では、スローテンポでピアノがややアンニュイな感じでテーマを歌ったあと、ダブルタイムになって歯切れのいいフレーズを綴っていく。エンディングもきわめて爽快だ。ハリスの「ボス・サイズ」では、ゴスペル調のグルーヴに乗って、ハリスのブルージーだけれどライトなピアニズムが全開する。アップビートな感覚に胸が弾む。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　A面最後の曲となるハリスの「ブルー・ベルズ」は、落ち着いたブルースフィール溢れるナンバー。ハリスはピアノとともにチェレスタも弾いているが、それ故口当たりのいいタッチに上品さと軽やかさが増している。短尺ながらベース・ソロも、打ち解けた雰囲気をあと押ししている。B面はハリスの「イッツ・ナイス」からスタート。シャッフルするリズムと洗練されたコード進行が都会的。冒頭の「テンダリー」と同様に、ブロック・コードやコンピングの小気味よさが際立ったハリスの特徴的なスタイルが顕著に現れている。つづくハリスの「ゴーイング・ホーム」は、カジュアルなブルース・ナンバー。ピアノとチェレスタがともにかなりソウルフルなフレーズを綴っているが、極端にアーシーにならないところが、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>ならではのサウンドである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ディジー・ガレスピー</strong>の「ウッドゥン・ユー」では、三位一体のバップ然としたプレイが展開される。アルバム中唯一のアップテンポで、スウィンギーなピアノのアドリブ、俊敏なランニング・ベース、勢いよく降り注ぐようなドラム・ソロと、どこをとっても痛快である。アルバムを締めくくる<strong>アルフレード・マッツッキ</strong>の「オー・ソレ・ミオ」は、ジャズ史上に残る名演と云ってもいいのではなかろうか。原曲のもつ地中海ならではの明るく情熱的なムードが維持されながらも、軽快なキューバ起源のリズムが採り入れられており、ハリスのピアノも一段とファンキーな装いを彩っている。この鷹揚というか、ゆったりとしながらも品格を感じさせるサウンドこそ、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>ならではのもの。南欧風のリフによるフェードアウトも、爽やかな余韻を残す。この感じが、最高なのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>谷川賢作 / 東宝映画「八つ墓村」オリジナル・サウンドトラック (1996年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 05 Jul 2026 07:14:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Soundtrack]]></category>
		<category><![CDATA[Kensaku Tanikawa (谷川賢作)]]></category>
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					<description><![CDATA[名匠、市川崑監督が金田一耕助に豊川悦司を迎えて放ったミステリー大作、1996年版『八つ墓村』──谷川賢作が音楽を手がけたそのオリジナル・サウンドトラック・アルバム]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">名匠、市川崑監督が金田一耕助に豊川悦司を迎えて放ったミステリー大作、1996年版『八つ墓村』──谷川賢作が音楽を手がけたそのオリジナル・サウンドトラック・アルバム</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
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<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>谷川賢作 / 東宝映画「八つ墓村」オリジナル・サウンドトラック (1996)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : 殺めし女</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">期待するものは、本格ミステリーとしての醍醐味が維持された構成</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　2026年１月27日に映画化が発表された、松竹/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントが配給する新作映画『八つ墓村』は、2026年９月18日に劇場公開される予定とのことだが、当初はスーパーティザービジュアルの公開のみに留まっていた。このスーパーティザービジュアルとは、敢えて作品の具体的な詳細は明かさないままにして、一部のイメージやロゴだけでオーディエンスやユーザーの好奇心を煽り期待感を醸成するという、なんともイヤらしい予告ビジュアルのこと。結果、新作映画『八つ墓村』に関しても、SNSや映画情報サイトにおいて、探偵の金田一耕助、主人公の寺田辰弥を誰が演じるのかという、キャスト予想で大いに盛り上がった。そして2026年６月18日、ようやくキャスト＆スタッフの一部が発表になったのだが、これまた反響を呼んでいるようである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ひとまず今回の発表の主だったところを記すと、以下のとおり──。<strong>尾上松也</strong>(金田一耕助 役)、<strong>奥智哉</strong>(井川辰弥 役)、<strong>堀田真由</strong>(森美也子 役)、<strong>高島礼子</strong>(田治見小竹・小梅 役)、<strong>滝藤賢一</strong>(田治見久弥・要蔵 役)、<strong>小籔千豊</strong>(磯川警部 役)、<strong>中島亜梨沙</strong>(井川鶴子 役)、<strong>尾ヶ井慎太郎</strong>(脚本)、<strong>清水崇</strong>(監督・共同脚本)。この発表に併せて公開された特報映像を確認したところ、舞台は現代、金田一は洋装となっている。音楽はイタリア出身の<strong>アントンジュリオ・フルリオ</strong>が担当。清水監督がメガホンをとるので、やはりホラー色が強くなるのだろう。ぼくもこのブログで、<strong>芥川也寸志</strong>が音楽を手がけた、<strong>野村芳太郎</strong>監督作品『八つ墓村』(1977年)のオリジナル・サウンドトラック・アルバムをご紹介した際、新作映画『八つ墓村』について、根拠のないことをあれこれ語らせてもらったが、まったく虚を衝かれた感じである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　具体的には金田一役についてだが、第49回日本アカデミー賞授賞式(2026年３月13日)をテレビで観ていて、話題賞を受賞し登壇した男性アイドル・グループ<strong>SixTONES</strong>のメンバー、<strong>松村北斗</strong>のオシャレにしてはちょっと不自然なくらいに伸びたヘアスタイルから、ぼくが勝手にイメージしたのが金田一耕助だった。金田一の髪型といえば、雀の巣のような蓬髪。原作に長髪とは書かれていなかったと思うが、視覚的には長いほうが映えるだろう。それはともかく松村さんといえば、外観も然ることながら、演技における間の取りかたや視線の向けかた、平穏な状況ではどちらかというと高めの明るい声色が、いざというときに身体の深いところから出てくるような低音に変わるところなどは、事件の行末を見守る金田一の感情を、フレッシュかつリッチに伝えてくれそう──なんて、ぼくは勝手に思ったのだった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8913 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones1.png" alt="八つ墓村の明神様のある道" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　まあ、まったく当てが外れたわけだが、松村さんの金田一耕助はなかなかいい線を行っているように思われる。ついでながら云わせてもらうと、ぼくがいまもっとも金田一を演じてもらいたいと思っている俳優は、第49回日本アカデミー賞において複数の部門で優秀賞受賞を果たしたサスペンス映画『爆弾』(2025年)にも出演した<strong>寛一郎</strong>。こういう云いかたをすると失礼にあたるのかもしれないが、父に<strong>佐藤浩市</strong>、祖父に<strong>三國連太郎</strong>をもつという、名優の血を引くサラブレッドだ。重厚な演技から親しみやすい役まで幅広くこなす、実力派の若手俳優と云っていいだろう。ぼくは、どちらかというと贔屓の監督である、<strong>熊澤尚人</strong>がメガホンをとった映画『心が叫びたがってるんだ。』(2017年)において、はじめて<strong>寛一郎</strong>さんのことを知ったのだが、それ以来彼のファンである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その後、<strong>寛一郎</strong>さんは<strong>東野圭吾</strong>原作のファンタジー映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(2017年)での演技が高く評価され、第27回日本映画批評家大賞の新人男優賞を受賞。さらにアナーキーな青春群像劇『菊とギロチン』(2018年)でも、第92回キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞ほか各賞を受賞している。親譲りの彫りの深い端正な顔立ちと、身長182cmの骨太でしっかりとした体格のもち主である<strong>寛一郎</strong>さんは、原作の金田一像とはかなりかけ離れているけれど、知的な面と無邪気な面を併せもつところは、個人的には金田一役に向いていると思う。ぼくは過去に銀幕に登場した金田一では、映画『悪霊島』(1981年)で<strong>鹿賀丈史</strong>が演じたキャラクターにもっとも親近感が湧いたのだが、<strong>寛一郎</strong>さんにもそれとおなじようなイメージをもったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>寛一郎</strong>さんの演技に対して真摯に向き合う姿勢や、舞台挨拶などで見せるちょっとシャイな感じから、もし機会があれば彼は現代的かつ繊細な金田一を表現してくれるのではないかと、私情で恐縮だが期待してしまう次第。いずれにしても<strong>寛一郎</strong>さんは、父や祖父の威光を感じさせながらも、独立した俳優として実力のある注目株。ぼくにとっては、もっとも目が離せない俳優のひとりである。それはさておき、ミステリーの金字塔とも称される<strong>横溝正史</strong>が著した原作小説『八つ墓村』では、物語が寺田辰弥の一人称で語られており、金田一は完全な脇役となっている。とはいえ多くのファンにとっては、映像化においてはだれが金田一を演じるかが、いちばん気になるところなのかも知れない。むろんぼくにとっても興味をそそられる点だが、個人的には『八つ墓村』の場合、それ以上に着目するところがある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくが『八つ墓村』の映像化に期待するものは、なによりも本格ミステリーとしての醍醐味が維持された構成なのである。原作者の<strong>横溝正史</strong>は間違いなく日本を代表する推理作家であり、日本の本格ミステリーの礎を築いたひとと云える。そんな横溝さんが著した『八つ墓村』は、1949年から1951年にかけて雑誌『新青年』および『宝石』に連載された長編推理小説だが、名探偵、金田一耕助が登場する作品としては８作目にあたる。金田一が活躍するシリーズは累計発行部数5500万部を突破しているとのことだが、その作品群において『八つ墓村』もまた、ミステリー文学の名作と云って然るべきだろう。個人的には横溝さんの長編推理小説のなかでもなかなか読み応えのあるものと思っているのだが、残念なことにこれまでの映像化作品において、ぼくは一度も満足することがなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　横溝さんは『新青年』において、海外のミステリー作品を自ら翻訳していたりもする。氏が翻訳を手がけた作品に、アメリカのミステリー作家、<strong>ケネス・デュアン ウィップル</strong>によって執筆された『鍾乳洞殺人事件』(1934年)というのがあるのだが、実のところ『八つ墓村』は、この小説から影響を受けている。鍾乳洞という閉鎖空間が舞台とされていることをはじめ、物語の随所に見られる展開に共通点があるのだが、それは横溝さん本人も認めるところである。さらに『八つ墓村』は、おなじみの名探偵、エルキュール・ポアロが活躍する<strong>アガサ・クリスティ</strong>の長編推理小説『ABC殺人事件』(1936年)に触発されて書かれた作品でもある。その点で『八つ墓村』は、ミッシング・リンクをテーマとした本格ミステリーと捉えることができるのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところがあいにく、もともと横溝さんの小説といえば登場人物が非常に多く、人物相関も入り組んでいたりするのだが、この『八つ墓村』ではさらにトリックが複雑で巧妙になっているものだから、その映像化作品のいずれにおいても大幅な改編と省略が行われている。ことにトリックのカギとなる殺人計画書のクダリは、ぞんざいに扱われることがほとんどである。一見無差別連続殺人事件のように見えながら、実はそこに一貫した動機があるというところがミソなのだが、それが曖昧になってしまうのだから、自ずと本格ミステリーの醍醐味は半減するというもの。そのことから『八つ墓村』の映像化作品では、たいてい犯人の犯行動機が変更されている。いずれにしても映像化された『八つ墓村』は、原作よりもミステリーとしての味わいがぐっと薄くなっているのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　新作映画『八つ墓村』では、金田一を歌舞伎役者の<strong>尾上松也</strong>がお釜帽にステンカラーコートという出で立ちで演じる。それはぼくにとって確かに想定外のことではあったけれど、尾上さんには申し訳ないが、それほど重要ではない事柄だったりする。その点では、1977年に公開された松竹映画『八つ墓村』において、時代設定が戦後間もない昭和20年代から映画製作当時の現代(昭和40年代)へと移されているため、洋装に麦わら帽子という出で立ちで登場する<strong>渥美清</strong>演じる金田一にもおなじことが云える。本音を云うと、地味に活躍する渥美さんの金田一は、ぼくにはどうしても生真面目になった車寅次郎にしか見えなかった。とはいえ原作でも金田一は完全な脇役となっているので、それはそれでいいとも思った。問題なのは、原作が抱える本格ミステリーのエッセンスが、ことごとく蔑ろにされているということなのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">配給収入においてトップに位置する1977年版は壮大なコケおどし映画</span></h3>
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<p>　なるほど、好き嫌いを別にしてもっとも印象に残った『八つ墓村』の映像化作品といえば、圧倒的に1977年に劇場公開された松竹映画だ。あの有名な「祟りじゃ〜っ」というキャッチコピーが流行したのも、この映画のCMからである。しかもこの映画、実は横溝作品の配給収入において、歴史的大ヒットを記録した1976年公開の角川映画第１弾『犬神家の一族』を抜いてトップに位置する。つまり興行的には、もっとも成功した横溝映画なのである。ところがこの作品では、本格ミステリーの要素がすっかり排除されている。そのかわりこの映画は原作のイメージとはまったく違う、いわば伝奇ロマン風超大作といった風情をもつ。小説を読んでいないひとにとっては面白い映画なのだろうが、ぼくには壮大なコケおどし映画のように思えてならない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なぜなら1977年版『八つ墓村』では、謎解きよりも現実ではありえない不思議な怪奇現象、幻想的な物語、伝説や歴史的伝承にスポットが当てられているからである。具体的に云うと、原作小説では比較的さらりと語られる過去のエピソード、すなわち戦国時代の村人たちによる落ち武者の惨殺、そして28年まえ(原作では26年まえ)の多治見家当主による村人32人の虐殺が、いやというほど強調されている。この時点で、映画公開当時小学生だったぼくはゲンナリしてしまったのだが、日本刀と猟銃をもって走ってくる<strong>山﨑努</strong>演じる多治見要蔵のアンデッドのような表情、そして鍾乳洞を飛びまわる<strong>小川真由美</strong>演じる森美也子の夜叉のような形相には、かなりの精神的衝撃を受けたものである。率直に云って、そういうオカルト趣味は他所でやっていただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それに反して、1975年に劇場公開された<strong>高林陽一</strong>監督作品『本陣殺人事件』は、しっかり原作の骨格が残されつつ設定などが新しく作り変えられた、出色の横溝映画である。当時、低予算で良質のアート系映画を製作することで注目を集めていた映画会社ATG(日本アート・シアター・ギルド)の配給作品だけに、製作費の都合により、時代設定が原作の1937年(昭和12年)から撮影当時の1970年代に置き換えられている。主演の<strong>中尾彬</strong>が、ヒッピー風のジーンズ姿で金田一を演じているのだが、探偵らしからぬ青年でありながら、飄々とした態度で見事な頭脳明晰ぶりを発揮するところは、まさに金田一。高林監督の原作に対するリスペクトが、しかと感じられる。また監督は、あの有名な密室トリックの謎解きにおいても、じっくりとその仕掛けが動くさまを見せる演出をしている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8914 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones2.png" alt="八つ墓村の鍾乳洞" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　このATG映画『本陣殺人事件』では、監督自身が執筆したシナリオがとにかく素晴らしい。説明を控えめにした情緒的な語り口が、作品全体に静謐を湛えている。むろんケレン味などまったくないのだが、終始飽きさせない作りとなっている。特に金田一の解説、事件のカギを握る一柳三郎の回想、そして事件の再現シーンを入り組ませた終盤での展開は秀逸。劇的な演出はなされず、事の真相を自然と観客が理解できるような手法がとられているところは、もはや芸術的とも感じられる。また本作では、一柳鈴子の葬列に遭遇した金田一が１年前の事件を回想するというオリジナルの構成がとられているが、オープニングとエンディングにおける美しい田園風景のなかでの野辺送りのシーンは圧巻である。いずれにしてもこの作品は、実際に原作者を納得させたほどの、横溝映画の傑作だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハナシを1977年版『八つ墓村』に戻すが、やはりこの映画にぼくは横溝作品への愛情が微塵も感じられない。監督の<strong>野村芳太郎</strong>をはじめ、脚本の<strong>橋本忍</strong>、撮影の<strong>川又昂</strong>、そして音楽の<strong>芥川也寸志</strong>と、<strong>松本清張</strong>の同名小説が映画化された大ヒット作『砂の器』(1974年)を創り上げた陣営がそのまま制作に携わっている。松竹は『八つ墓村』を、横溝さんの小説のストーリーを借りて、第２の『砂の器』に仕立てようとしているようにも思われる。芥川さんが書き下ろした美しいワルツを背景に、男女の道行をイメージさせる耽美的な鍾乳洞内の逃避行は、あたかも『砂の器』におけるピアノ協奏曲が連綿と流れるクライマックスの“父子の旅”が再現されているかのごとく。芥川さんの音楽は好きだけれど、この長いシーンはこじつけのように思われてならない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、長くなったが、この秋に公開される新作映画『八つ墓村』は、1977年版と同様に製作に松竹が関わっている。もし新作が、歴代横溝映画の配給収入においてトップに位置する1977年版をオマージュするものであるのなら、ぼくとしては先行きがあまり期待できない。メガホンをとる<strong>清水崇</strong>は、Jホラーの旗手と目される監督だが、果たしてどのようなアプローチをするのだろうか。特報にはやはり「祟りじゃ〜っ」というセリフが挿入されているが、落ち武者、多治見要蔵、そして森美也子の呪縛から解放されるのだろうか。繰り返しになるけれど、原作小説の『八つ墓村』は本格ミステリーである。できれば、<strong>横溝正史</strong>の世界にオカルト趣味を持ち込むのは、<strong>つのだじろう</strong>のコミックだけにしていただきたい(分かるひとには分かる)。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さて、ここからが本題。なぜか一般にはあまり浸透していないようだが『八つ墓村』は、松竹の1977年版のあと今回の新作映画に先んじて、すでに１回映画化されている。フジテレビジョン、東宝、角川書店が製作し、日本映画界の巨匠、<strong>市川崑</strong>がメガホンをとった、1996年公開の『八つ墓村』である。さきに触れた、<strong>篠田正浩</strong>監督の『悪霊島』以降、金田一耕助は銀幕からしばらく姿を消していたが、この映画で15年ぶりにその姿を見せた。市川監督は、前述の『犬神家の一族』(1976年)を筆頭に『悪魔の手毬唄』(1977年)『獄門島』(1977年)『女王蜂』(1978年)『病院坂の首縊りの家』(1979年)と、それまでに５本の横溝映画を手がけている。金田一をはじめて原作どおりのヨレヨレの着物姿で登場させたのも氏である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　市川監督は、日本の文学作品を数多く映画化しているが、どの場合も単なる忠実な原作の再現にとどまらず、大胆かつ前衛的な改変を加えている。とはいえ、原作のエッセンスをしっかり押さえつつ、作品のテーマを独自の映像美学で現代的に再構築しているのである。たとえば市川監督は折に触れて、金田一耕助は神様や天使のような存在である──というようなことを述べている。出で立ちは原作どおりだが、その性格はかなり改変されている。<strong>石坂浩二</strong>が演じる金田一は、世間にはまったく知られておらず、彼が探偵と知った事件の関係者たちはみな一様に驚く。しかも快刀乱麻を断つというよりも、どちらかというと狂言回しとして人間の運命を悄然と俯瞰しているかのように映る。そういう風格は、まさに天使。そういう原作の再構築はあるものの、市川作品は、ほかのどの横溝映画よりも本格ミステリー然としている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　市川監督は、氏にとって17年ぶりの横溝映画となる『八つ墓村』においても、本格ミステリーの根本的な性質やもっとも大切な部分を土台とし、制作に臨んでいる。監督は、密室殺人の第一人者とも云われる、<strong>ジョン・ディクスン・カー</strong>の小説を愛読するほどのミステリー・マニア。ただ本作では、ストーリーラインは概ね原作に沿っているが、簡素化するためと思われる改変が多々なされている。残念ながら原作小説でトリックのカギとなる殺人計画書のクダリは、カットされている。冒険ロマンの要素である、三千両の黄金を巡る因縁と鍾乳洞での探索もない。そのかわり原作にはない、草木染めのアオバナ染料を使ったトリックが登場。監督と共同で脚本を執筆した<strong>大藪郁子</strong>の趣味が、染め物だったことによる。むろん本作にオカルト解釈はまったくなく、物語は飽くまで現実的な動機による連続殺人事件として描かれている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　個人的に市川崑は、日本映画においてもっとも敬愛する監督である。それでも率直に云って、この『八つ墓村』は失敗作であると、ぼくは思っている。まずなんといっても、金田一役に<strong>石坂浩二</strong>を再起用しなかったことが致命的な誤り。当時トヨエツ・ブームでノリに乗っていた<strong>豊川悦司</strong>が、調子に乗りすぎて奇妙奇天烈な金田一を演じている。ヴィジュアリストである市川監督も作品に様々な技法を施して、大ヒットした『犬神家の一族』(1976年)にはじまる往年のシリーズを再現しようと努力しているのだが、それが却って過剰になってしまい煩わしいとさえ感じられる。ただ原作に従った犯行動機に回帰していること、映像作品では度々削除されてしまう里村典子が比較的重要な役割を果たしていることは、注目に値する。典子は原作小説では、事実上のヒロインなのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">本格ミステリーの根本的な性質やもっとも大切な部分を土台としているが…</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハイキー処理による26年まえの田治見要蔵による村人虐殺シーン、メインタイトル、寺田辰弥が働く石鹸工場、諏訪弁護士の事務所での井川丑松の死、警察署での辰弥と森美也子との出会い、辰弥の下宿に届いた脅迫状、八つ墓村への帰郷、辰弥と多治見家の人々との対面、辰弥の座敷に現れる濃茶の尼──と、本作は序盤で並外れたテンポのよさを見せる。こういうスピーディな展開は、いかにも市川作品らしい。ところがそのあと、<strong>ヴァンゲリス</strong>風の音楽をバックに、ロングショットで朝靄のなかを歩いてくる長身の金田一が映し出されたとき、ぼくは云いようのない違和感を覚えた。その後、里村典子にいちいち八つ墓村に辿り着くまでの行程を早口で説明するトヨエツ金田一に、これはかつて市川監督が創造した天使とはまったくの別物であると認識した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その後トヨエツ金田一は、逗留先である郵便局(民宿を兼業)の局長兼女将、ひでに滞在期間を訊ねられると、なぜか陽気に「どうなるのかなぁ」と、蓬髪を掻きむしりフケを飛び散らせる。外食券の代わりに配給米をもち込むクダリも含めて『犬神家の一族』のなかのワンシーンの再現だが、困惑した表情を浮かべる石坂金田一とはまったく異なる印象を与える。また田治見家当代、久弥の通夜の席で、典子の兄、里村慎太郎に住まいを訊かれたトヨエツ金田一は、面映ゆい表情を浮かべつつも、なんだか嬉しそうに「風まかせ」と答える。ぼくにはこれが、余計なセリフと思われた。石坂金田一だったら、おそらく「まあ……」と、お茶を濁すところだろう。前述の八つ墓村に到着した際の典子とのやりとりもそうだが、どうもトヨエツ金田一は喋り過ぎる嫌いがある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　市川監督はなぜか、豊川さんに金田一役に対して最低限守るべき演技事項を伝えただけで、具体的な演技プランは当人に任せたという。豊川さんは、自分なりの金田一を新たに創造しようとしたのかもしれないし、そのために原作小説の金田一像を研究したのかもしれない。確かに、あの取ってつけたような笑顔と、芝居がかった早口のセリフは、原作の金田一に垣間見えるひと懐っこさを、豊川さんなりに表現したものと思えなくもない。ただ結果的には最初に述べたとおり、奇妙奇天烈な金田一となってしまった。この点は、明らかに市川監督の演出ミスである。ただし監督自身「キャスティングが終わったとき、演出は70パーセント終わっている」と述べているが、豊川さんの起用は、監督の意向をよそに東宝側が要望したもの。実はこの映画、初動から踏み誤っていたのかもしれない。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8915 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones3.png" alt="八つ墓村を丘の上から見た景色" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　とにかくトヨエツ金田一は、ひときわ異彩を放っており、観客を圧倒するほどのパワーがある。おかげで、小説を読んだときはそのストーリーラインに夢中にさせられたぼくも、この映画において一連の出来事やエピソードがどのように進行したか、いまとなっては即座に思い出すことができなかったりする。記憶を呼び起こそうとすると、奇妙奇天烈な金田一のことばかりが思い出されるのだ。その点、1996年版の『八つ墓村』は、完全に金田一が主役の映画となっている。エンドクレジットでなぜか<strong>小室等</strong>がセルフカヴァーしたフォークソング「青空に問いかけて」が流れるが、これは『八つ墓村』の物語ではなく、明らかに金田一をイメージさせる趣向。現に本編の金田一が登場するいくつかのシーンで、この曲をインストゥルメンタル化したヴァリエーションが流れるのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　もともと<strong>横溝正史</strong>の小説には古い因習に終止符が打たれるような物語が多いが、市川作品でも『犬神家の一族』の場合は、エンディングに怨念から解放されたひとびとの幸福な行く末を予感させるものがあった。横溝さんが著した『八つ墓村』は本来、寺田辰弥の愛と冒険の物語。終盤で辰弥は、鍾乳洞で発見した大判を披露するとともに、典子と結婚したことを報告しみなの歓声と拍手に包まれる。さらに彼は田治見家相続を辞退、神戸の新居に移り住むまえに典子から妊娠したことを告げられ、彼女を強く抱きしめるのだ。つまりこの物語のミソは、天涯孤独の青年が連続殺人事件に巻き込まれながら自らの過去と向き合い、その因縁を断ち切りほんとうの幸せを手にするということ。その点、市川監督の演出も今回ばかりは、大いにブレている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これは市川監督の公私にわたるパートナー、脚本家、<strong>和田夏十</strong>の不在が影響しているように思われてならない。ぼくは市川作品では『細雪』(1983年)がもっとも好きなのだけれど、ラストの花見の回想に入る直前の小料理屋における貞之助と女将のシーンは、あまりにも感動的なアレンジだ。18年間、がんと闘病してきた和田さんが逝去する直前に執筆した名シーンである。和田さんは良妻賢母であると同時に、市川作品の生産的な助言者でもあった。そして監督を敬愛するぼくにも、この『細雪』よりあとの市川作品が、ことごとく精彩を欠くように思えてならない。結果的に市川版『八つ墓村』は大ヒットとは云えず、興行目的としては振るわない結果に終わった。むろん配給収入においても、野村監督の1977年版の足元にも及ばなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお、この映画で辰弥と典子とは恋仲にはならない。彼女は慎太郎とともに大阪へ出ることになり、結局、田治見家の財産はだれも相続しなかった。映画は村を去る日の金田一にスポットを当てた、郵便局でのささやかなエピソードをもって幕を閉じる。やはりこの映画の主役は、金田一だった。スマッシュヒットとならなかった1996年版『八つ墓村』ではあるが、それでも過去に市川監督が手がけた横溝映画と同様に、サウンドトラック・アルバムはしっかりリリースされた。音楽は、作曲家でピアニストの<strong>谷川賢作</strong>が担当。谷川さんは『鹿鳴館』(1986年)以降『かあちゃん』(2001年)を除く、すべての市川作品の音楽を手がけた。ジャズ・ピアニストの<strong>佐藤允彦</strong>に師事したということだが、氏の音楽にジャズっぽさはあまり感じられない。どちらかというと、ニューエイジ・ミュージック系のミュージシャンと云えるかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『八つ墓村』では、過去に市川監督が手がけた横溝映画のトレードマークとなっていた、流麗なテーマ曲と明朝体の表記とによるオープニングクレジットがない。そのせいか映画を観る限りでは、音楽はほとんど印象に残らない。谷川さんのアンダースコアは、飽くまで情景描写および心理描写に徹しており、たとえばジャズ・ピアニストの<strong>大野雄二</strong>が手がけた『犬神家の一族』の音楽のような推進力をもたない。しかしながら、決してでしゃばることのない、ある意味で背景音楽あるいは環境音楽のような谷川さんのスコアは、アートオリエンテッドな市川監督にとって、理想の映画音楽なのだろう。ただサウンドトラック・アルバムは、独立した音楽作品として楽しめる仕様になるよう、いくばくかの意匠が凝らされている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　映画で使用されたトラックは、谷川さんのシンセサイザーと、<strong>岩佐真帆呂</strong>の各種サクソフォーンとによって演奏されたもの。岩佐さんは、谷川さんの父、<strong>谷川俊太郎</strong>の現代詩を歌うグループ、<strong>DiVa</strong>にも参加していた。そのサウンドは、空間的でシネマティックな広がりをもついっぽうで、ときに瞑想的な美しさを放つときもある。さきにも触れたがギリシャの音楽家、<strong>ヴァンゲリス</strong>からの影響が感じられる。個人的には空間を包み込むようなサウンドが美麗な「殺めし女」が好き。あいにく本編では使用されていないようだ。「名探偵登場」や「金田一旅立つ」は「青空に問いかけて」をアレンジしたもの。また「錆色の村」「黒の惨劇」「報われざる愛」「赫い炎」といった曲では、おなじモティーフが登場するが、おそらくそれが主題なのだろう。ほかにも幻想的かつ緊迫感のあるトラックが満載だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アンダースコアにテーマ曲らしいトラックがないせいかアルバムには、前述の主題を谷川さんがアコースティック・ピアノでソロ演奏した「ピアノスケッチ」が、７つの変奏曲として収録されている。むろん本編では使用されていない。この曲の全長版とも云うべき「ピアノスケッチ 5」あたりは、なかなか聴き応えがあるので、このテーマ曲が映画のなかでアピールされなかったのは、ちょっとお気の毒に思われる。さらに谷川さんは、ソロ・ピアノで「青空に問いかけて」を演奏。アルバムのラストを飾っている。考えてみたらこの曲の歌詞を書いたのは、<strong>谷川俊太郎</strong>だった(作曲は<strong>小室等</strong>)。もちろんこのアルバムでも、ちゃんと小室さんの歌を聴くことができる。市川×大藪×小室といえば、すぐにフジテレビ系列テレビ時代劇『木枯し紋次郎』(1972年)が連想される。やはり『八つ墓村』ではないのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>The Players Featuring Hiromasa &#8220;Colgen&#8221; Suzuki / Galaxy (1979年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 28 Jun 2026 07:00:40 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[Hiromasa Suzuki (鈴木宏昌)]]></category>
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					<description><![CDATA[鬼才キーボーディスト、鈴木宏昌のもとに凄腕ミュージシャンが集まった伝説のフュージョン・グループ、ザ・プレイヤーズの記念すべきデビュー・アルバム『ギャラクシー』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">鬼才キーボーディスト、鈴木宏昌のもとに凄腕ミュージシャンが集まった伝説のフュージョン・グループ、ザ・プレイヤーズの記念すべきデビュー・アルバム『ギャラクシー』</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>The Players Featuring Hiromasa &#8220;Colgen&#8221; Suzuki / Galaxy (1979)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Kaleidoscope</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">ジャズ・ピアノやアレンジのマナーはレコードを聴いて独習したもの</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　前回、ぼくが敬愛する数少ない日本のジャズ・ピアニストに関してお伝えした際、少しだけ<strong>鈴木宏昌</strong>について触れた。ぼくが長年愛聴しつづけているピアノ・トリオ作品といえばごく限られるのだが、<strong>佐藤允彦</strong>の『<em>パラディウム</em>』(1969年)、<strong>大野雄二</strong>の『<em>ミスター・ハピゴン</em>』(1973年)、<strong>菅野光亮</strong>の『<em>ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング</em>』(1978年)、そして<strong>鈴木宏昌</strong>の『<em>コルゲン・ワールド</em>』(1976年)が挙げられる。これらのアルバムをぼくは、小学校高学年から中学に入学したばかりのころに入手したのだが、実は意識的に国産のジャズ作品を聴こうとしたわけではない。それ以前に体験したテレビドラマやテレビアニメの音楽のなかで、気になる劇伴を手がけた音楽家の作品を深掘りした結果、たどり着いたのが上記のアルバムだったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そしてその作曲家たちが、期せずしてみなジャズ・ピアニストだったのである。すなわちぼくは、ジャズをジャズと知るまえから、その響きに惹かれていたことになる。<strong>鈴木宏昌</strong>という名前は、氏がTBS系列のテレビアニメ『海のトリトン』(1972年４月１日 – ９月30日)の音楽を手がけたことで、なんとなくだが、ぼくの記憶に残っていた。<strong>ヒデ夕樹</strong>と<strong>杉並児童合唱団</strong>が歌うオープニング・テーマ「海のトリトン」もキャッチーだったけれど、どちらかというと本編で流れる洗練されたアンダースコアに、ぼくは年端もいかないのに強く惹かれていた。ただ佐藤さん、大野さん、それに菅野さんの場合もそうだったのだが、あとで<strong>鈴木宏昌</strong>という音楽家がジャズ・ピアニストであると知って、意外な発見と深い納得とが入り混じった心境に至ったものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　東京市日本橋区(現在の東京都中央区)生まれの<strong>鈴木宏昌</strong>(1940年５月26日 &#8211; 2001年５月21日)は、作曲家、編曲家として数多くの作品を手がけているが、もともとはジャズ・ピアニストである。“コルゲン”というニックネームで親しまれているので、以降コルゲンさんと呼ばせていただく。ぼくがコルゲンさんがジャズ・ピアニストであると知ったのは、日本コロムビアからリリースされた『<em>エレクトロ・キーボード・オーケストラ</em>』(1975年)というアルバムにおいて。このアルバムでは、８人の鍵盤奏者が20台のシンセサイザーをプレイするという、現代ではあり得ないプロジェクトが実現されている。この８人のなかに、佐藤さん、大野さん、そしてコルゲンさんがいた。しかも、作曲やアレンジ、それにシンセサイザーの操作にもっとも意匠を凝らしていたのは、この３人だった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9352 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen1.png" alt="犬のジャズ・ピアノ・トリオ(イラスト)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　コルゲンさんは、このアルバムで<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>の「鬼警部アイアンサイドのテーマ」をカヴァーするいっぽうで、オリジナル・ナンバー「ヒーテッド・ポイント」を提供している。これらの曲では、ジャズにファンク、ソウル、あるいはリズム・アンド・ブルースなどのエッセンスが加えられた、いわゆるジャズ・ファンクの流れを汲むサウンドが展開されている。なお「ヒーテッド・ポイント」は、本作とおなじ年にリリースされた<strong>石川晶とカウント・バッファローズ</strong>の『<em>ゲット・アップ！</em>』(1975年)でも採り上げられている。日本のジャズ・ロックやレア・グルーヴの先駆者である<strong>石川晶</strong>のリーダー作だが、ソングライティングをコルゲンさんが一手に担っており、サウンド的には<strong>鈴木宏昌</strong>のアルバムといった印象を与える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお、あとになったが、“コルゲン”というニックネームはもともと<strong>佐藤允彦</strong>につけられたものだった。<strong>石川晶とカウント・バッファローズ</strong>の前身である、<strong>カウント・バッファローとジャズ・ロック・バンド</strong>の『<em>ソウル・アンド・ロック</em>』(1969年)や『<em>神に愛と祈りを</em>』(1969年)といったアルバムに、鈴木、佐藤の両ピアニストが仲よく参加している。バンド・リーダーの石川さんと佐藤さんとは1960年代の中ごろから知り合いだったが、石川さんが佐藤さんのことを顔立ちや雰囲気がカエルに似ていることから、かぜ薬「コルゲンコーワ」のカエルをモティーフにしたキャラクター(ケロちゃんとコロちゃん)にちなんで、“コルゲン”と呼んでいた。ところが、佐藤さんがバークリー音楽院(現バークリー音楽大学)に留学してしまったため、おなじピアニストの鈴木さんが、２代目“コルゲン”を襲名することとなった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　歯科医の息子として生まれたコルゲンさんは、子どものころに短期間クラシック・ピアノのレッスンを受けたが、その後正統な音楽教育を仰いだことはないという。それでも慶應義塾大学経済学部に進学すると、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>や<strong>ビル・エヴァンス</strong>の演奏に触れてジャズに関心をもち、名門ビッグ・バンド、<strong>慶應義塾大学ライト・ミュージック・ソサイェティー</strong>に参加する。そのジャズ・ピアノやアレンジのマナーは、ほとんどがジャズのレコードを聴いて独習したものだった。それでも埒が明かないので、コルゲンさんは<strong>ジョージ川口のビッグ・フォア・プラス・ワン</strong>のメンバーとして活躍していたピアニスト、<strong>八木正生</strong>にジャズ・ピアノの手ほどきを受ける。八木さんは、前述の『<em>エレクトロ・キーボード・オーケストラ</em>』において、リーダー格としてメンバーを牽引していた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　また、コルゲンさんは慶應義塾大学在学中は、<strong>佐藤允彦</strong>、<strong>大野雄二</strong>とともに“慶應三羽烏”として名を馳せたことはあまりにも有名だが、３人はプロ・ミュージシャンとして活躍するようになってからも、緊密な関係を築いていた。特にコルゲンさんと佐藤さんとは絆を深める機会が多く、たとえばコルゲンさんの唯一のソロ・ピアノ・アルバム『<em>ウィズ・マイ・ホール・ハート</em>』(1996年)では、佐藤さんがプロデュースを手がけている。キッカケは1994年１月15日、医師の<strong>藤井修照</strong>が設立した岐阜県多治見市のプライヴェート・コンサートホール、スタジオ Fにおいて、コルゲンさんと佐藤さんとがピアノ・デュオを行ったこと。ピアノ２台だけのライヴ演奏において、佐藤さんはコルゲンさんの正統的なピアノ・プレイにあらためて感銘を受けたのだという。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　一般的に当時のコルゲンさんというと、どちらかというとフュージョン・タイプの音楽を志向するミュージシャンという印象を与えていた。しかもリーダー作といえば『<em>ザ・プレイヤーズ・ライヴ</em>』(1985年)以来、10年以上もご無沙汰となっていた。ぼくもこのアルバムがリリースされるとはじめて聞いたこときは、いささか驚きを禁じ得なかったのだが、フタを開けてみるとコルゲンさんのギミックとは無縁な、それでいてエモーションとダイナミクスが溢れんばかりのピアノ・プレイに、激しくこころを揺さぶられた。コルゲンさんは当初、独学で習得した自己のピアノ・テクニックでは、バランスのとれたオーケストラルなソロ演奏をすることができないと、だいぶ二の足を踏んだらしい。結果的には、佐藤さんの判断が正しかったのだが──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">プロデビューしたころからジャズ・ファンクの流れに身を投じていた</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお1994年１月15日にスタジオFにおいて行われたデュオ・ライヴの模様は、のちにコンサートホールのオーナーである藤井さんのプロデュースで、<strong>佐藤允彦・鈴木宏昌</strong>『<em>フォルテ &#8211; ピアノ・デュオ・ライヴ・アット・スタジオ F</em>』(2007年)としてリリースされた。コルゲンさんがこの世を去ってから、およそ６年後のことだった。佐藤＆鈴木の息はピッタリで、その絶妙なコンビネーションが生み出すエキサイティングな演奏、特に<strong>ディジー・ガレスピー</strong>の「チュニジアの夜」でのアグレッシヴでスリリングな展開に、ぼくも手に汗を握りながら聴き入ってしまった。コルゲンさんは晩年、がんを患い壮絶な闘病生活を送りながら、死の直前まで音楽活動をつづけていた。1990年から入退院を繰り返しながら、ピアノを弾きつづけたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんななかコルゲンさんは、一時的に体調が安定していたこともあり、2000年７月16日にスタジオ Fにおいてライヴ・レコーディングを行った。メンバーは、<strong>鈴木宏昌</strong>(p)、<strong>桜井郁雄</strong>(b)、<strong>関根英雄</strong>(ds)、<strong>原朋直</strong>(tp)で、コルゲンさんが敬愛する<strong>ジョー・ザヴィヌル</strong>や<strong>ハービー・ハンコック</strong>の楽曲から有名なジャズ・スタンダーズまで、ニュー・メインストリーム風な演奏が繰り広げられる。ライヴの模様は、やはり藤井さんのプロデュースによりアルバム『<em>ラスト・ライヴ・アット・スタジオ F</em>』(2010年)としてリリースされた。闘病生活を送っていたとは思えないほど、コルゲンさんのピアノ演奏は美しく軽快。病気の進行よりもピアノを弾けなくなることを懸念していたコルゲンさん、まさにジャズをプレイすることに最後まで命を燃やし尽くしたと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなコルゲンさんは、慶應義塾大学在学中からピアニストとして参加していた<strong>ジョージ川口</strong>のバンド・メンバーとして、プロ・ミュージシャンのキャリアをスタートさせている。<strong>小俣尚也とドライビングメン</strong>、<strong>小原重徳とブルー・コーツ</strong>、<strong>石川晶のカウント・バッファローとジャズ・ロック・バンド</strong>を経て、<strong>日野皓正クインテット</strong>に参加。日野さんのアルバム『<em>ハイノロジー</em>』(1969年)において、すでにアレンジャーとしての才能を発揮している。最初期のレコーディングは、<strong>ジョージ川口とビッグ・フォア・プラス・ワン</strong>での演奏で、<strong>白木秀雄クインテット</strong>、<strong>稲垣次郎クインテット</strong>の演奏も含むオムニバス・アルバム『<em>世界ポピュラー音楽大全集 VOL. 4</em>』(1963年)で聴くことができる。なおメンバーは、<strong>ジョージ川口</strong>(ds)、<strong>鈴木順</strong>(b)、<strong>鈴木宏昌</strong>(p)、<strong>村岡建</strong>(ts)、<strong>林鉄雄</strong>(tp)となっている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9353 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen2.png" alt="犬のピアニスト、サクソフォニスト、ギタリスト(イラスト)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　このアルバムはすこぶるレアなアイテムだが、<strong>ジョージ川口とビッグ・フォア・プラス・ワン</strong>による「死刑台のエレベーター」「ウォーキン」といった２曲は、幸いなことに同バンドのアルバム『<em>ビッグ・フォア・プラス・ワン登場！</em>』(1958年)が2006年にCD化された際、ボーナス・トラックとして収録された。興味のあるかたは、聴いてみてはいかがだろう。ただコルゲンさんがいかに優れたジャズ・ピアニストであるかを知るには、個人的にはピアノ・トリオ作品をお薦めしたい。とはいっても、そのキャリアにおいて早い時期からジャズ・ファンク寄りのサウンドを志向していたコルゲンさんだけに、ストレート・アヘッドなジャズ・アルバム、ことにピアノ・トリオで吹き込んだアルバムはきわめて少ない。実際ぼくの手もとには、たったの３枚しかない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　コルゲンさんは、非常に人気の高いファンキーなフュージョン・アルバム『<em>ハイ・フライング</em>』(1976年)を発表した直後に、<strong>稲葉国光</strong>(b)、<strong>日野元彦</strong>(ds)をサイドに据えた『<em>コルゲン・ワールド</em>』(1976年)、さらにその２年後に<strong>井野信義</strong>(b)、<strong>スティーヴ・ジャクソン</strong>(ds)と組んだ『<em>プリムローズ</em>』(1978年)といった、ピアノ・トリオ作品をリリースしている。どちらも、初期の<strong>チック・コリア</strong>を彷彿させる躍動感のあるピアノ・プレイと、オリジナリティに富んだ洒落たソングライティングが際立っている。この２枚を聴いて感じられるのは、コルゲンさんが繰り出す力強く淀みないラインから、氏が正統な音楽教育を受けず独学でピアノ・テクニックを身につけたプレイヤーとは、とても想像できないということである。それほどその演奏は、圧倒的な鮮やかさを放っているのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　以上の２枚は、全曲コルゲンさんのオリジナル・ナンバーでまとめられているということもあり、<strong>鈴木宏昌</strong>という音楽家の、ジャズ・ピアニスト、作曲家、編曲家としての魅力が凝縮された作品と云ってもいいのではなかろうか。そしてもう１枚、前述のソロ・ピアノ・アルバム『<em>ウィズ・マイ・ホール・ハート</em>』の上々の出来映えに気をよくしたのか、コルゲンさんは久々にピアノ・トリオ・アルバムを吹き込んでいる。<strong>坂井紅介</strong>(b)、<strong>村上寛</strong>(ds)をサイドメンに迎えた『<em>コルゲン・カラー</em>』(1997年)というアルバムで、インディペンデント・プロダクションだったがけっこう話題になった。オリジナル・ナンバーはないが、選曲にコルゲンさんのこだわりが感じられる。なによりも、そのピアノ・プレイに一段と磨きがかかっているところが素晴らしい。文句なしの名盤だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなコルゲンさんの全盛期といえば、1970年代半ばから1980年代の中盤までのおよそ10年間であると、ぼくは観ている。むろん1950年代の後半から亡くなられる前年の2000年まで、氏は一貫して圧倒的なテクニックと表現力豊かなパフォーマンスを披露してきた。そんななかでも、もっともコルゲンさんの個性的なスタイルが堅持されていたのは、上記の期間であるように思われる。サウンド的には、クロスオーヴァーないしフュージョンを志向していた時代だ。そもそもコルゲンさんは、前述のようにプロデビューしたころからすでに、ジャズ・ファンクの流れを汲むサウンドに身を投じていた。たとえば<strong>前田憲男</strong>が編曲と指揮を手がけた<strong>オール・スターズ・オーケストラ</strong>の『<em>ジャズ・ロック・リラックス</em>』(1968年)というアルバムで、コルゲンさんはバリバリのジャズ・ロックをプレイしている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このセッションには<strong>石川晶</strong>も参加しているが、コルゲンさんともども、そのグルーヴ感のあるプレイには気宇壮大なものがある。石川さんとコルゲンとさんはこのアプローチを、<strong>カウント・バッファローとジャズ・ロック・バンド</strong>や<strong>カウント・バッファローズ</strong>といったバンドで徐々にアップデートさせていくのだが、1970年に結成したジャズ・コンボ、<strong>フリーダム・ユニティ</strong>において急成長させる。<strong>石川晶</strong>(ds)、<strong>稲葉国光</strong>(b)、<strong>鈴木宏昌</strong>(key)、<strong>村岡建</strong>(ss, ts)、<strong>鈴木弘</strong>(tb)といった５人編成のこのグループは、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>を象徴とするエレクトリック・ジャズを展開しながらも、ジャズ・ロックとフリー・ジャズとの間隙を縫うような音楽性を、日本人アーティストならではの感覚で提示している。その創意と緊張感が横溢するパフォーマンスは、いま聴いてもイノヴェイティヴに響く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>フリーダム・ユニティ</strong>は、<strong>鈴木弘</strong>の渡米を機に５か月の活動をもって自然消滅したが、<strong>石川晶</strong>のリーダー作『<em>パワー・ロック・ウィズ・ドラムス &#8211; キリマンジャロのへの道</em>』(1971年)、伝説のソウル・シンガー、<strong>サミー</strong>こと<strong>茅野雅美</strong>のアルバム『<em>朝日のあたる家</em>』(1971年)、<strong>大野雄二</strong>の作品でお馴染みの女性３人組コーラス・グループ、<strong>シンガーズ・スリー</strong>のアルバム『<em>フォリオール #2</em>』(1971年)、当時のオーディオ技術の歴史的遺産であり、ディスクリート４チャンネル・ステレオ録音のデモンストレーション盤として、東芝音楽工業(現EMIミュージック・ジャパン)が制作した『<em>ダイナミック・ロック</em>』(1971年)『<em>CD-4</em>』(1971年)といったレコードで、その先駆的なサウンドを確認することができる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">コルゲン・バンドはバンド名をザ・プレイヤーズに変更</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>フリーダム・ユニティ</strong>ではメンバーの５人が対等な立場にあり、リーダーは選任されていなかったようだが、実際に音を聴くと、バンド・アンサンブルでの音作りにおいては、やはりコルゲンさんがイニシアティヴをとっていたように思われる。この不世出のジャズ・コンボの正式なリーダー・アルバムは『<em>サムシング</em>』(1971年)『<em>ダウン・バイ・ザ・ネイキッド・シティ</em>』(1971年)といった２枚にとどめを刺す。クラブ・シーンでも<strong>サミー</strong>のアルバムとともに高く評価される２枚だが、ぼくにとっても、いまもって自室のオーディオに向かって新鮮な気持ちにさせられるレコードとなっている。なお、<strong>鈴木弘</strong>が一時帰国した際に吹き込んだ『<em>キャット</em>』(1976年)のレコーディング・メンバーは、実は<strong>フリーダム・ユニティ</strong>の５人。こちらも名盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>フリーダム・ユニティ</strong>が解散してからも、コルゲンさんは数多くの音楽作品を発表していく。<strong>鈴木宏昌とナウ</strong>という名義でリリースされたイージー・リスニング・アルバム『<em>スクリーンのサウンド・クリエイターたち</em>』(1972年)を筆頭に、様々な企画アルバムを手がけている。ちなみにこのアルバムも、マトリックス方式４チャンネル・ステレオという、立体的な音響効果が狙われた特殊なレコードである。オリジナル・アルバムとしては、<strong>稲垣次郎とビッグ・ソウル・メディア</strong>を従えた『<em>バイ・ザ・レッド・ストリーム</em>』(1973年)と、ソロ名義のリーダー・アルバム『<em>ハイ・フライング</em>』(1976年)が広く知られている。前者はジャズ・ロックやフリー・ジャズのエッセンスが採り入れられた作品だが、後者はクロスオーヴァー時代の到来を強く感じさせるアルバムだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『<em>ハイ・フライング</em>』は、コルゲンさんの全盛期の幕開けとなった、重要な作品である。このアルバムで一貫して生み出されているグルーヴ感は、明らかに従来のジャズから脱却したもの。<strong>杉本喜代志</strong>(g)、<strong>岡沢章</strong>(b)、<strong>村上秀一</strong>(ds)などが放つヴァイブスは、まさにフュージョン・サウンドだ。そしてこのアルバムが発表された1976年３月に結成されたのが、日本のフュージョン・バンドの草分け、<strong>コルゲン・バンド</strong>だった。コルゲンさんはこのバンドで『<em>スキップ・ステップ・コルゲン</em>』(1977年)『<em>トリトン</em>』(1979年)『<em>ア・ロンリー・フォーリング・スター</em>』(1981年)といったアルバムを発表。なお『<em>ア・ロンリー・フォーリング・スター</em>』は1977年11月21日に吹き込まれた音源がレコード化されたもので、コルゲン・バンド名義の使用は実のところ1979年に終止符が打たれている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9354 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen3.png" alt="犬のピアニスト(イラスト)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　この<strong>コルゲン・バンド</strong>のメンバーは、<strong>鈴木宏昌</strong>(key)、<strong>松木恒秀</strong>(g)、<strong>岡沢章</strong>(b)、<strong>市原康</strong>(ds)、<strong>穴井忠臣</strong>(perc)、<strong>山口真文</strong>(ss, ts)といった顔ぶれ。なお1977年の終わりごろからはドラムスが<strong>渡嘉敷祐一</strong>に替わっている。いずれにせよ彼らは、ポピュラー・ミュージックを演奏させたら、演奏技術から、即興力と応用力、音感やリズム感に至るまでどこをとってもトップクラス。それ故、彼らは日本のミュージック・シーンで引く手あまたの人気。バンド活動を継続しながらも、いわゆるファーストコール・ミュージシャンとして、様々なアーティストのレコーディングに参加している。彼らを積極的に起用したのだが、実は<strong>大野雄二</strong>だった。それはともかく<strong>コルゲン・バンド</strong>は、バンド名を<strong>ザ・プレイヤーズ</strong>に変更し、さらなる飛躍を遂げる。フュージョン系のバンドでは日本最高峰と、ぼくは信じてやまない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・プレイヤーズ</strong>は、伝説的な音楽プロデューサー、<strong>伊藤八十八</strong>が、1978年にCBS・ソニーレコード(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)内に設立したレーベル、オープンスカイからレコード・デビュー。１年に１枚と安定したペースで『<em>ギャラクシー</em>』(1979年)『<em>ワンダフル・ガイ</em>』(1980年)『<em>マダガスカル・レディ</em>』(1981年)『<em>スペース・トラベル</em>』(1982年)『<em>ジャック・ア・ダンディ</em>』(1983年)『<em>アップ・トゥ・ユー</em>』(1984年)『<em>ザ・プレイヤーズ・ライヴ</em>』(1985年)といった７枚のアルバムを発表。ただし<strong>穴井忠臣</strong>が１枚目をもって脱退。４枚目でサクソフォニストが<strong>山口真文</strong>から<strong>ボブ斉藤</strong>に交替。６枚目からバスクラリネットとサックスで<strong>中村誠一</strong>が加わる。どのアルバムも高品質だが、今回は衝撃のデビュー作『<em>ギャラクシー</em>』について、具体的に触れてみたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムのレコーディングでは、６人のバンド・メンバーのほかに、<strong>新田一郎</strong>(tp)、<strong>兼崎順一</strong>(tp)、<strong>岡田澄雄</strong>(tb)、<strong>平内保夫</strong>(tb)、<strong>三田治美</strong>(tb)らによるホーン・セクション、<strong>前田昌利</strong>(vlc)率いる<strong>トマト・ストリングス</strong>がサウンドに彩りを添えている。曲目はすべてコルゲンさんのオリジナル。なお「ギャラクシー」「ヘヴンリー・メイデン」「ミスティー・ムーンライト」は、当時は未発売だった<strong>コルゲン・バンド</strong>の『<em>ア・ロンリー・フォーリング・スター</em>』の収録曲。アレンジの違い、市原さんと渡嘉敷さんとのドラミングの違いを楽しむことができるので、ぜひ聴きくらべていただきたい。また「カレイドスコープ」の原曲は、コルゲンさんが音楽を手がけた映画『サーキットの狼』(1977年)のなかの１曲「小さな箱の中で」である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムはアップビートな「ギャラクシー」からスタートする。コルゲンさんが敬愛する<strong>ウェザー・リポート</strong>からの影響を感じさせるスペーシーなシンセサイザー、ファンキーなベースライン、そしてタイトなドラミングが躍動感溢れるフュージョン・サウンドを演出。トライバル・ビートに乗ったソプラノ、そのあとのグルーヴィーな展開に乗ったシンセといったソロが痛快だ。つづくバラード「イン・ユア・マインド」では、ファンタスティカルなローズ・ピアノをバックに、テナーがメロディアスでピースフルなソロを繰り広げる。ベースのオブリガートも絶品だ。インタールード的な「アンスウィーテンド」は短尺ながら、このバンドの卓越したユニゾン、そしてインタープレイを堪能することができる。彼らの演奏技術がいかに優れているかが、よくわかる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　A面ラストの「カレイドスコープ」では、メランコリックなゆったりとしたソプラノによるテーマが、パーカッシヴなホーン・セクションが挿入されたあと、一気にテンポアップする。ここでのハイライトはなんといっても、ロッキッシュなギターの白熱するソロ。サンバ・ビートになってからのローズのソロも軽やかでいい。ドラムス、ベース、そしてパーカッションのバッキングも圧巻だ。B面のトップはシンコペーテッドなフュージョン・ブギー「ヘヴンリー・メイデン」からスタート。シンセのソウルフルなソロも然ることながら、シネマティックなブラス・サウンドとキレのあるギターのカッティングが爽快だ。エキゾティックかつミステリアスな「マジック・ランプ」では、ファンクとラテンとがほどよくミックスされたビート感のなか、ソプラノが悠然と美しいメロディを歌い上げる。ストリングスも効果的だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバム中唯一晴れやかなムードの「サニー・サイドウォーク」では、転調が効果的な爽やかなメロディック・ライン、軽快にバウンスするリズムが心地いい。テナーによるテーマ、そしてアコースティック・ピアノによるソロもさっぱりしていて、コルゲンさんのソングライティングのセンスのよさが窺われる。アルバムのラストを飾る「ミスティー・ムーンライト」では、神秘的で繊細なサウンドがやはり<strong>ウェザー・リポート</strong>のそれを彷彿させる。とはいっても後半がメロウな展開を見せるところは、コルゲンさんらしい。夜の静寂に溶け込むようなソプラノとシンセの柔らかで美しい音色が、深い余韻を残す。本作は、メンバー個々のフィーチュアリングが少なめな構成となっているが、逆にコルゲンさんの音楽性がもっとも発揮された１枚とも云える。そういった意味も含めて『<em>ギャラクシー</em>』は、輝かしき幕開けの作品なのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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<p></p>]]></content:encoded>
					
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		<title>菅野光亮トリオ / When The World Was Young (1978年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 21 Jun 2026 07:06:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Mitsuaki Kanno (菅野光亮)]]></category>
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					<description><![CDATA[オリエンタルなメロディと日本固有のグルーヴとが融合されたサウンドとして、海外のクラブ・ジャズ界隈で高く評価される、菅野光亮が残した唯一のピアノ・トリオ作品『ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">オリエンタルなメロディと日本固有のグルーヴとが融合されたサウンドとして、海外のクラブ・ジャズ界隈で高く評価される、菅野光亮が残した唯一のピアノ・トリオ作品『ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>菅野光亮トリオ / When The World Was Young (1978)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : I Wish You Love</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">どういうわけか日本のジャズ作品を聴く機会があまりなかった</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくは音楽に関しては、どちらかというと偏食家と云えるだろう。とはいっても、特定の音楽を極端に避ける傾向があるわけではない。単に視野が狭いだけなのだろう。まったく甲斐性がないもので、ぼくには敢えてまだ見ぬ世界を深く知ろうとするような、原動力がないのである。ただ自分には、意識的にアンテナを張り巡らせるような習慣はないけれど、音楽だけでなくアートなどの場合もそうなのだが、こころに響くものに出会うと、それに対して深く掘り下げるようなアプローチをするところがある。しかも年を追うごとに、そういう気質が強くなっているようだ。その結果、自室の棚に並ぶレコードといえば、きわめて偏ったラインナップとなっている。むろん、自分の意見に固執したり、他者の視点を考慮しなかったりすることはないけれど──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　世のなかには、ジャズ・シーンで多大な貢献をした熱心な愛好家や、ジャズの歴史や音楽理論に精通した有識者がたくさんいるし、１万枚以上の貴重なレコードや膨大なプライヴェート録音テープなどを集めたコレクターも存在する。そこまでではないにしても、幅広くジャズを聴いているリスナーは星の数ほどいる。まったく羨ましい限りだが、本来ジャズ・ファンとはそういうものであり、ぼくのようなヤツのことはジャズ・ファンとは云わないのかもしれない。ということで、さらに浅学非才の身であるが故、あまり偉そうには云えないのだが、勇気をもって今回もお薦めのレコードをご紹介したいと思う。しかもこの際だから、いつも以上に腹をくくって日本のジャズ作品を採り上げてみようと思った次第である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくにはこれまでに、どういうわけか日本のジャズ作品を聴く機会があまりなかった。だから、日本のジャズ・プレイヤーのことをあまりよく知らない。お恥ずかしい限りだが、たとえば現在ぼくが好んで聴きつづけている日本のジャズ・ピアニストというと、<strong>山中千尋</strong>くらいのものである。ぼくが山中さんのファンになったキッカケは、その初リーダー・アルバム『<em>リヴィング・ウィズアウト・フライデイ</em>』(2001年)で、スウェーデンのジャズ・プレイヤー、<strong>ラーシュ・ヤンソン</strong>のオリジナル・ナンバー「インヴィジブル・フレンズ」が演奏されていたこと。ヤンソンは当時のぼくにとって、もっとも敬愛するジャズ・ピアニストだったのである。ちなみに、ぼくの知人に桐朋学園大学音楽学部出身の女性がいるのだけれど、彼女はスゴい下級生として山中さんのことを鮮明に覚えていた。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9319 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa1.png" alt="ピアノを弾く犬のぬいぐるみ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　山中さんは、桐朋女子高等学校音楽科に在籍していたころから、ピアノ演奏において格別な技巧や能力をもった生徒として注目の的となっていたとのこと。それも山中さんがその後、バークリー音楽大学を首席で卒業したこと、同大学在学中には音楽家というよりも理論家といった印象が強い巨匠、<strong>ジョージ・ラッセル</strong>から絶賛されたことを鑑みれば、大いに得心がいくというもの。クラシックで培ったその確かな基礎に裏打ちされた華麗な速弾きには、いつもウットリさせられる。そんな卓越したテクニックとパッションを兼ね備えたアグレッシヴなタッチが、山中さんのピアノ・プレイの最大の魅力と思われるが、さらにぼくが惹かれる点といえば、彼女が楽曲に施す大胆かつ緻密なアレンジメント。その既存の枠にとらわれないリズムやハーモニーの解釈が、常にフレッシュな音楽を創出している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　クラシックやジャスの世界にヴィルトゥオーソは、それこそ星の数ほどいるのだろうが、山中さんのように技術偏重に陥らず一貫して音楽性の深みや傑出した解釈を押し出すピアニストはなかなかいない。山中さんの音楽が、ぼくの志向性と完全に一致するわけではないけれど、それが自分の感性を刺激するものであることは紛れもない事実。この感覚はある意味で、恋愛感情に似ているかもしれない。いずれにせよぼくは、ヴィブラフォニスト、<strong>ベン・アダムス</strong>の『<em>ザ・フィギュアド・ホイール</em>』(2000年)、ジャズ＆ポップ・シンガー、<strong>マーリーン・ヴァー・プランク</strong>の『<em>イッツ・ハウ・ユー・プレイ・ザ・ゲーム</em>』(2004年)といった、山中さんが参加したマイナーなアルバムにまで手を出すほど、彼女の大ファンなのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなわけで山中さんは、いまのぼくにとって、新譜がリリースされるとそれを必ず手にとるという、数少ない日本人ジャズ・ピアニストのひとりとなっている。とはいっても今回ご紹介するのは山中さんのアルバムではなくて、ぼくがジャズを聴きはじめたころの年代モノの名盤である。引き合いに出してしまった山中さんにはたいへん申し訳ないけれど、彼女の作品についてはひとまず見送らせていただく。もちろん、いつか必ずこのブログで採り上げることをお約束する。ついては今回の話題に関して早速、ずっと過去に遡ることにする。それはぼくが小学校高学年生だったころのこと。従兄の家ではじめてジャズのレコードを聴き、その魅力にとり憑かれて間もなく、ぼくは早々に日本人ジャズ・プレイヤーのレコードを手にする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それは過日(2026年５月４日)他界された作曲家でありジャズ・ピアニストでもある、<strong>大野雄二</strong>のアルバム『<em>ミスター・ハピゴン</em>』(1973年)だった。大野さんが1971年に<strong>池田芳夫</strong>(b)、<strong>岡山和義</strong>(ds)をサイドに据えたピアノ・トリオで吹き込んだ、初リーダー作である。云うまでもなく大野さんは、ジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせたのだが、のちに映画『犬神家の一族』(1976年)やテレビアニメ『ルパン三世』第２シリーズ(1977年 – 1980年)の音楽を手がけ、作曲家として広く知られるようになった音楽家だ。ぼくもはじめは、大野さんがジャズ・ピアニストであるとは思いもよらなかった。ぼくと大野サウンドとの出会いが、<strong>石立鉄男</strong>主演による、日本テレビ系列で1970年代に放映されたホームコメディドラマ・シリーズの第１作『おひかえあそばせ』(1971年)だったからだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その後ぼくは、やはり日本テレビ系列のドラマシリーズ『火曜日の女』(1969年11月4日 – 1972年3月27日)を観るようになるのだけれど、そのころはまだ大野さんの名前を覚えていなかったかもしれないが、氏の音楽には強く惹かれていたと思う。要するにぼくは、まだ年端もいかない子どものころから、知らず知らずのうちに大野サウンドを刷り込まれていたわけだ。それは同時に、そうと知らずにジャズという音楽に接していたことにもなる。いずれにしても、<strong>大野雄二</strong>という音楽家がもともとジャズ・ピアニストだったということを知るのは、もう少しあとのこと。具体的には1976年に公開された、映画『犬神家の一族』を鑑賞したとき。鑑賞後に購入したパンフレットの巻末に、サントラ盤の宣伝広告のページがあったのだが、そこに大野さんのプロフィールが掲載されていたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　大野さんがジャズ・ピアニストと知ったぼくはときを移さず、父親に頼み込んでわざわざ銀座の山野楽器まで連れていってもらい、ついに『<em>ミスター・ハピゴン</em>』を手に入れたのだった。いまでもそのときのことをよく覚えているのだけれど、象牙色のジャケットの下のほうに着色されたモノクロームの写真の大野さんがすごく小さくて、どことなく怪しくて気が許せないように感じられた。鮮やかな真紅のタスキに“RCAモダン・ジャズ・シリーズ”と記載されているのを見たとき、小学生のぼくははじめてオトナのアイテムを手にするウレシさみたいなものを感じたりもした。その反面、ジャケットの裏面に写る長髪にラフな格好の大野さんからちょっと赤軍派をイメージしてしまい、恐る恐るレジにもっていった覚えがある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">好んで聴いていた日本のジャズ作品は“慶應三羽烏”のアルバムだった</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　当時の大野さんは、評論家たちの間では主流派に属するジャズ・ピアニストと目されていたようだが、確かに氏のプレイは本質的な部分ではナチュラルでホットに響く。それでも決してそのスタイルは旧態依然としたものではなく、フレッシュな感覚に満ち溢れたもの。その点、いま聴いてもまったく色褪せておらず、ぼくは現在も本盤をとき折ターンテーブルに載せている。それはともかく、ぼくはジャズを本格的に聴くようになるまえは、クラシック、ポップ・ミュージック、映画音楽、それにブラジルの音楽などに親しんでいた。もし大野さんがテレビドラマや映画の音楽を手がけていなかったら、ぼくは『<em>ミスター・ハピゴン</em>』を手にとることはなかったかもしれないし、おそらく日本人ジャズ・プレイヤーの作品とはもっと縁遠くなっていただろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そして、おなじようなケースで手にしたのが、<strong>佐藤允彦</strong>のアルバム『<em>パラディウム</em>』(1969年)。サイドに<strong>荒川康男</strong>(b)、<strong>富樫雅彦</strong>(ds)を従えたトリオによる吹き込みだが、奇しくもこの作品もまた、佐藤さんの初リーダー・アルバムだった。実は前述のドラマシリーズ『火曜日の女』の音楽を最初に担当していたのが、佐藤さんだった。氏は番組がスタートした1969年から1972年までの３年間、計20作品の音楽を手がけている。そして1972年から大野さんが助っ人として登板するようになり、放送時間が変わり『土曜日の女』(1973年４月７日 – 1974年3月30日)になってから番組が終了する1974年まで、すべての作品を手がけている(計17作品)。大野さんのリリーフは、この番組のプロデューサーで、<strong>石立鉄男</strong>主演によるホームコメディドラマ・シリーズも手がけていた、<strong>小坂敬</strong>の肝煎りによるものだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおこの『火曜日の女』は、サウンドトラック・アルバムが発売されている。東宝レコードがリリースした『<em>佐藤允彦 女を奏う – 火曜日の女 –</em>』(1970年)というレコードだった。おそらく日本のテレビドラマのサウンドトラック・アルバムとしては、草分け的な作品になるのではないだろうか。アルバム・タイトルからも分かるとおり、収録曲はすべて佐藤さんのスコアである。大野さんの楽曲はいまだに商品化されていないが、ぼくとしては今後日の目を見ることを切望する。レコーディング・メンバーは、<strong>佐藤允彦</strong>(key)、<strong>石川晶</strong>(ds)、<strong>荒川康男</strong>(b)、<strong>稲葉国光</strong>(b)、<strong>杉本喜代志</strong>(g)、<strong>後藤芳子</strong>(vo)といった、当時の一流のジャズ・プレイヤーたちで固められている。クレジットの記載はないが、曲によっては弦楽器、管楽器、打楽器なども加えられている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9320 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa2.png" alt="コントラバスを演奏する犬のぬいぐるみ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　思い返せば、この『火曜日の女』の音楽は、佐藤さんの曲にしても大野さんの曲にしても、のちにふたりが手がけた映像作品の音楽と比較すると、かなりジャズのトーンが強めだった。それは1970年代前半という時代を反映するもので、フリー・ジャズ、ジャズ・ロック、ボサノヴァ、イージー・リスニングといった1960年代の音楽を発展させたようなサウンドだった。特にリズムの面では、のちのフュージョンのように16ビートが主体となることはない。しかしながら、ふたりの紡ぎ出す流麗なメロディック・ラインや捻りを加えたソフィスティケーテッドなハーモニーからは、すでにそれとわかる強烈な独自性が感じられる。いずれにせよ大野さんの場合と同様に、ぼくはこのドラマシリーズを観ていなかったら、佐藤さんの『<em>パラディウム</em>』を手にしなかったかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『<em>パラディウム</em>』のコンテンツは、バークリー音楽院(現バークリー音楽大学)への留学から帰国したばかりの佐藤さんの、はじめてのレコーディング・セッションである。曲目は<strong>ザ・ビートルズ</strong>の有名な曲「ミッシェル」以外は、すべて佐藤さんのオリジナル・ナンバー。かつて氏がバークリー入学の際にデモンストレーション用に作曲した曲も含まれており、本作では終始アートオリエンテッドなサウンドが展開される。ときにはフリー・フォームのインタープレイや、プリペアード・ピアノの演奏も飛び出してくる。そんな前衛的なスタイルがエナジェティックに展開されるシーンもあるのだが、小学生のぼくでも存外この作品に拒否反応を示すことはなかった。そういう音楽には『火曜日の女』のアンダースコアで、すでに親しんでいたからだろう。 　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　確かに佐藤さんの作品には、ジャズを高みへ誘うような風情がある。しかしながら、高いステージや水準を見据えた音楽ばかりを創出しているわけではない。たとえば1980年代には、<strong>佐藤允彦＆メディカル・シュガー・バンク</strong>というグループを組んで、ドープなフュージョン・サウンドを繰り広げたり、<strong>リチャード・デューセンバーグ III世</strong>という変名で、<strong>ザ・ベルエア・ストリングス</strong>という弦楽器をメインに据えたプロジェクトを率いたりもした。特に後者の一連の作品には、ジャズやフュージョンというよりもハイグレードなイージー・リスニングといった趣きがある。このプロジェクトで佐藤さんは当初、本名を隠していたのだけれど、ストリングスの特徴的なカウンターメロディなどから、ぼくはすぐにこの謎の人物が氏であると気がついたものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またそのいっぽうで、佐藤さんは自己のプロデュース・レーベル、バージ・レコードから『<em>リフレクションズ</em>』(1997年)という、カジュアルなソロ・ピアノ作品集を発表している。佐藤さんのアルバムには、新しい趣向や表現方法、あるいは未知の領域に挑むような作品が多々ある。でもこのアルバムにはそういうムードはなく、いささかハーモニーに捻りがきいているとはいえ、飽くまでリラックスして浸ることができるような極上の味わいがある。そんな佐藤さんの懐の深い音楽性に、ぼくは惹かれるのである。なお佐藤さんと大野さんとが共演した作品に、日本コロムビアからリリースされた『<em>エレクトロ・キーボード・オーケストラ</em>』(1975年)というアルバムがある。８人の鍵盤奏者が20台のシンセサイザーをプレイするという、現代ではあり得ないプロジェクトが実現されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このレコードでぼくが新たに興味をもったジャズ・ピアニストが、“コルゲン”こと<strong>鈴木宏昌</strong>(2001年５月21日 60歳没)だった。コルゲンさんはこのプロジェクトに参加したあと、日本のフュージョンの草分けとして、自己のグループ、<strong>コルゲン・バンド</strong>結成し『<em>スキップ・ステップ・コルゲン</em>』(1977年)『<em>トリトン</em>』(1979年)『<em>ア・ロンリー・フォーリング・スター</em>』(1981年)といったアルバムを発表。さらにバンド名を<strong>ザ・プレイヤーズ</strong>に変更し、さらなる飛躍を遂げた。このバンドは、演奏技術から、即興力と応用力、音感やリズム感に至るまでどこをとってもトップクラス。日本のフュージョン・バンドの最高峰に位置すると云っても、過言ではないだろう。かたや氏は、ストレート・アヘッドなジャズ・アルバムも吹き込んでいる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>鈴木宏昌</strong>という名前は、氏がTBS系列のテレビアニメ『海のトリトン』(1972年４月１日 &#8211; ９月30日)の音楽を手がけたことで、なんとなくだが、ぼくの記憶に残っていた。大野さんの場合と同様に、あとでコルゲンさんがジャズ・ピアニストと知って、意外な発見と深い納得とが入り混じった心境に至ったものである。コルゲンさんはファンキーなフュージョン・アルバム『<em>ハイ・フライング</em>』(1976年)を発表した直後に、<strong>稲葉国光</strong>(b)、<strong>日野元彦</strong>(ds)をサイドに据えた『<em>コルゲン・ワールド</em>』(1976年)、さらにその２年後に<strong>井野信義</strong>(b)、<strong>スティーヴ・ジャクソン</strong>(ds)と組んだ『<em>プリムローズ</em>』(1978年)といった、ピアノ・トリオ作品をリリースしている。どちらも、初期の<strong>チック・コリア</strong>を彷彿させる躍動感のあるピアノ・プレイと、オリジナリティに富んだ洒落たソングライティングが際立っている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">クラシック音楽を学び大学卒業後はジャズ・ピアニストとして活躍</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、<strong>大野雄二</strong>、<strong>佐藤允彦</strong>、<strong>鈴木宏昌</strong>の３人は、ぼくが長年敬愛してきた数少ない日本のジャズ・ピアニスト。そしてこの３人は、当時から単なるジャズ・ピアニストではなく実にクリエイティヴな音楽家だった。前述の『<em>エレクトロ・キーボード・オーケストラ</em>』でも、作曲やアレンジ、それにシンセサイザーの操作にもっとも意匠を凝らしていたのは彼らだった。そういう音楽性をもったジャズ・プレイヤーだったからこそ、ぼくは彼らに惹かれたのだろう。なお奇しくもこの３人は、名門ビッグ・バンド、<strong>慶應義塾大学ライト・ミュージック・ソサイェティー</strong>の出身で、俗に“慶應三羽烏”と呼ばれている。と、ここまで長々と偏食家であるぼくが敬愛する日本人ジャズ・ピアニストについてお伝えしてきたが、最後にもうひとり、どうしてもご紹介したいプレイヤーがいる──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これまで述べたとおり当時のぼくは、意識的に国産のジャズ作品を聴こうとしたわけでなく、琴線に触れた映像作品の劇伴を手がけた音楽家の作品を深掘りしただけ。そしてその作曲家たちが、期せずしてジャズ・ピアニストだったのである。すなわちぼくは、ジャズをジャズと知るまえから、その響きに惹かれていたのだろう。さきに挙げた３人と同様に、ぼくが<strong>菅野光亮</strong>のレコードを手にとるキッカケは、氏が音楽を担当した映像作品を体験したことだった。その作品とは、1974年10月19日に公開された松竹映画『砂の器』で、<strong>松本清張</strong>の社会派ミステリー小説が<strong>橋本忍</strong>と<strong>山田洋次</strong>との共同脚本、<strong>川又昂</strong>の撮影、そして<strong>野村芳太郎</strong>の演出によって映像化された不朽の名作だ。音楽監督を務める<strong>芥川也寸志</strong>が劇伴の作曲を依頼したのが、氏の東京藝術大学音楽学部の後輩にあたる菅野さんだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この映画において、<strong>熊谷弘</strong>が指揮する<strong>東京交響楽団</strong>と、自らピアノ演奏を務めた菅野さんとの共演による「ピアノと管弦楽のための組曲『宿命』」は、多くの観客のハートを鷲づかみにした。ピアノと３管編成のオーケストラとによって演奏されるこの曲には、確かに<strong>セルゲイ・ラフマニノフ</strong>の「ピアノ協奏曲第２番」を彷彿させるところがあるけれど、それは単に甘美なメロディをもつという点において。それよりも菅野さんのスコアには、純粋なクラシック作品の枠に収まらない音楽性が感じられる。西洋音楽にはないに日本的情緒が強く伝わってくるのも然ることながら、電子楽器が使用されたミュージック・コンクレートのエッセンスや、ピアノのカデンツァに現れるジャズのマナーが与える衝撃が、なんとも新鮮に映るのである。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9321 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa3.png" alt="ドラムスを叩く犬のぬいぐるみ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　そんな菅野さんは、クラシック音楽の作曲法を学びながらも、大学卒業後はジャズ・ピアニストとして活躍するという変わり種。映像作品も多数手がけたが、残念なことに過労による体調急変のため1983年８月15日、44歳という若さでこの世を去った。日本の美意識をジャズで表現した『<em>詩仙堂の秋</em>』(1973年)、唯一のピアノ・トリオ作『<em>ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング</em>』(1978年)、<strong>ゲイリー・フォスター</strong>(as, ss)をゲストに迎えたダイレクト・ディスク『<em>ビューティフル・フレンドシップ</em>』(1979年)、<strong>森寿男とブルーコーツ</strong>との共演盤『<em>ドン･キホーテの詩</em>』(1980年)、<strong>大野三平</strong>こと<strong>大野肇</strong>(p)、小説家とは別人の<strong>菊地秀行</strong>(as)も参加した『<em>冬の終わりに A LA FIN D’HIVER</em>』(1981年)といった、数少ないジャズ作品は、どれも出色の出来栄えである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　菅野さんの書く曲は、映画『砂の器』の音楽がそうであるように、叙情味に溢れていて淀みなく美しい。しかも難解なところがなく、一度聴いただけで口ずさめるようなメロディをもつ。そしてそれは、ピアノ演奏にもおなじことが云える。<strong>テディ・ウィルソン</strong>を敬愛する菅野さんのピアノ・プレイは、メロディアスでタッチが力強く、聴くものに鮮烈な印象を与える。ジャズ作品においては、モダンなコードとフレーズとを次々に繰り出して、よくスウィングする。シングル・ノート、オクターヴ、ブロック・コードを上手く使い分けて徐々に盛り上げていく展開には、それこそスウィング・ピアノの巨人ともいうべきウィルソンのプレイを連想させるものがある。そのブリリアント・ピアノは、ジャズ・シンガー、<strong>上野尊子</strong>のデビュー・アルバム『<em>グッド・モーニング・ハートエイク</em>』(1977年)でも、大いに発揮された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただなぜか日本では、菅野さんのジャズ作品が取り沙汰される機会が非常に少ない。オリエンタルなメロディと日本固有のグルーヴとが融合されたサウンドとして、菅野さんの音楽を高く評価しているのは、実は海外のクラブ・ジャズ界隈で、特に『<em>詩仙堂の秋</em>』と『<em>ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング</em>』は、DJやレコード・コレクターのあいだでマストハヴなアイテムとされている。特に大野さんや佐藤さんとも共演歴のある<strong>福井五十雄</strong>(b)、スタジオジブリの楽曲が本格的にジャズ化された『<em>ジャズ・フォー・チルドレン</em>』(2009年)というリーダー作が話題となった<strong>野口迪生</strong>(ds)をサイドに迎えた後者は、前述のように<strong>菅野光亮</strong>唯一のピアノ・トリオ作品ということもあり、たいへん貴重な吹き込み。ぼくにとっても、長年の愛聴盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このピアノ・トリオ作品は、菅野さんの優れた音楽性に基づくピアノ・プレイがもっとも際立ったアルバムであると、ぼくは信じている。現代においても色褪せるどころか、ますます輝きを増しているように思われる。オープニングの「ノー・モア・ブルース」を聴いただけでも、その魅力がお分かりいただけるだろう。原曲は<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>の「想いあふれて」だが、ここではボサノヴァではなく軽快なサンバにアレンジされている。ブラシとベースとが打ち出す強力なリズムに乗って、ピアノがなんとも雄弁に歌いまくる。つづく「ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング」は、もともと<strong>フィリップ・ジェラール</strong>のシャンソン「パリの騎士」だった。リリカルなイントロから瀟洒なジャズ・ワルツへと移行する。ベースのソロもなかなかだが、ピアノのドラマティックな展開が絶品だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ガス・アーンハイム</strong>の「スウィート・アンド・ラヴリー」は、ピアニストの名演が数多く存在する有名曲。落ち着いた感じの演奏だが、途中ダブルタイムになる展開が素晴らしい。この曲で、疾走感が演出されるというのは稀かもしれない。菅野さんのオリジナル「パストラル」は、ベースがフィーチュアされたモーダルなナンバー。緊張と緩和とのサイクルがゆったりと繰り返される、あたかも映画音楽のような曲だ。B面トップの「ユー・アー・マイ・ハーツ・ディライト」は、<strong>フランツ・レハール</strong>のオペレッタ『微笑みの国』のなかの有名なアリアが原曲。ベース・ソロ、ピアノのブロック・コード、４バースでのドラムス・ソロと、アルバム中もっともスウィンギーでダイナミックな演奏が繰り広げられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　菅野さんのオリジナル曲「ティアドロップス・オブ・ジ・エンジェル」は、リリカルでセンチメンタルなメロディック・ラインが『砂の器』の音楽を彷彿させる。とはいってもアドリブ・パートではテンポが上がり、菅野さんならではの華麗なピアノのエクスプレッションが全開。メロディアスで力強いタッチが、痛快無比である。数多くの歌唱で知られる「アイ・ウィッシュ・ユー・ラヴ」は、<strong>シャルル・トレネ</strong>のシャンソン「残されし恋には」が原曲。ぼくはこの曲が、歌詞も含めて大好きなのだけれど、菅野さんの繊細な味つけが光るこのヴァージョンもまたお気に入り。後半の転調が泣かせる。そしてラスト、<strong>デヴィッド・マン</strong>の「イン・ザ・ウィ・スモール・アワーズ・オブ・ザ・モーニング」では、情感たっぷりのソロ・ピアノが温かな余韻を残す。いやはや、何度聴いても感動するな──このアルバム。</p>
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