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	<title>気ままに音楽生活</title>
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	<description>いささか気ままに──ではありますが　素敵な音楽をご紹介してまいりますので　どうぞよろしくお願いいたします</description>
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	<title>気ままに音楽生活</title>
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	<item>
		<title>The Three Sounds / Introducing The Three Sounds (1958年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Jul 2026 07:13:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[The Three Sounds]]></category>
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					<description><![CDATA[ブルーノート・レコードが生んだ不世出のピアノ・トリオ・スタイルのジャズ・アンサンブル、ザ・スリー・サウンズの記念すべきデビュー・アルバム『イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">ブルーノート・レコードが生んだ不世出のピアノ・トリオ・スタイルのジャズ・アンサンブル、ザ・スリー・サウンズの記念すべきデビュー・アルバム『イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>The Three Sounds / Introducing The Three Sounds (1958)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Tenderly</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">サウンドに偏りがなくトリオ・プレイは一様に過不足なく調和がとれている</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくはいわゆるレコード・コレクターではないので、大好きなジャズに関してもあまりディープな知識はもち合わせていない。それでも名門ブルーノート・レコードのアルバムには、主に発売時期によって割り当てられたカタログ番号というものがあり、そのモダン・ジャズの黄金期を築いた歴史的名盤は、大まかに1500番台と4000番台といったシリーズに分けられることくらいは、ぼくでも知っている。そして、なんとなくだけれど、1500番台と4000番台といったふたつのシリーズには、異なるイメージをもっている。簡単に云うと、1500番台は1950年代のジャズ、4000番台は1960年代のジャズといった印象を与えるのだ。さらに云えば、1950年代はモダン・ジャズの草創から成熟への時期、1960年代以降はその大衆化から爛熟への時期と感じられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　具体的には、1500番台は、12インチLPレコードの本格的なスタートとなったシリーズ。<strong>マイルス・デイヴィス</strong>、<strong>ジョン・コルトレーン</strong>、<strong>アート・ブレイキー</strong>、<strong>ソニー・ロリンズ</strong>などの作品が集中するが、そのカタログにはいわゆる歴史的名盤がズラリと並ぶ。それに対して4000番台は、ハード・バップからモード・ジャズ、さらにフリー・ジャズへと向かう時代のシリーズ。<strong>ハンク・モブレー</strong>、<strong>ウェイン・ショーター</strong>、<strong>ハービー・ハンコック</strong>などの個性的なラインナップは非常に魅力的で、一般的にも人気が高い。なぜならこの4000番台のカタログには、モダン・ジャズといってもハードルの高い作品ばかりではなく、ビギナーからディガーまでカジュアルに楽しめるようなアルバムがたくさんあるからだ。それは、ブルーノート作品が世代を超えて聴き継がれる理由のひとつでもある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで、ブルーノートのカタログにはBLP-1600という番号をもつレコードがある。むろん1600番台というシリーズは存在せず、このアルバムは1500番台の最後を飾る作品とされている。面白いな。ただこのアルバム、1500番台のシリーズに組み込まれる場合、確かに数字的には不整合なのだが、その特例である1600というカタログ番号から、いみじくも1500番台のその他の作品とは明らかに異なるコンテンツを抱えているということを暗示するに至った。このBLP-1600は『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』(1958年)というレコードだが、云うまでもなくピアノ・トリオ・スタイルのジャズ・アンサンブル、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のデビュー・アルバムである。このグループ、実は4000番台のカタログにおいては、最多出場アーティストとなっている。</p>
<p><img fetchpriority="high" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9415 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three1.png" alt="ピアノを弾く犬とテーブルでカクテルを飲む猫のイラスト" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>といえば、ブルーノート・レコードが輩出した、押しも押されもせぬモダン・ジャズの人気グループ。ピアノの<strong>ジーン・ハリス</strong>、ベースの<strong>アンディ・シンプキンス</strong>、ドラムスの<strong>ビル・ダウディ</strong>と、メンバーはみな確たる実力の持ち主だが、我田引水なプレイを展開するものはいない。そのサウンドは極端に偏ることがなく、３人の演奏は一様に過不足なく調和がとれている。そして、このバランスのとれたコンビネーションが、ジャズという音楽の楽しい部分を自然に引き出している。こういうピアノ・トリオは存外少なくて、ブルーノートがこのトリオを“<strong>ジーン・ハリス・トリオ</strong>”ではなく、敢えてグループ名義でデビューさせたのも、大いに得心がいく。しかもブルーノートがこのグループを積極的に売り込もうとしていたのは、明々白々である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は、1958年９月16日、28日に『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』の吹き込みを行ったあと、大手のヴァーヴ・レコードに引き抜かれ1962年10月13日にアルバム『<em>ブルー・ジーンズ</em>』(1962年)のレコーディングを行うまでの４年間、<strong>ルー・ドナルドソン</strong>や<strong>スタンリー・タレンタイン</strong>とのコラボレーション・アルバムを含めると、ブルーノートから９枚ものリーダー作を発表したことになる。しかも驚くなかれ、その吹き込みのうちの40曲以上が、シングルカットされているのだ。この間、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>はアメリカ国内で頻繁に演奏ツアーを行い、各地のジャズ・クラブにおいて多くのファンを獲得した。そのサウンドが孕んだポピュラリズムは、一部の有識者からは批判を受けたが、一般的には広く歓迎されたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ときにブルーノート・レコードといえば、一般的にどんなアーティストが思い浮かべられるのだろう。ぼくは音楽に関しては偏食家なので参考にはならないかもしれないけれど、狭量な見識で恐縮だがここに独断と偏見で、ぼくにとってのブルーノート・アーティスト・ベスト５を挙げておく。このレーベル、モダン・ジャズの黄金時代、そしてハード・バップを象徴するだけに、管楽器のスター・プレイヤーを多く抱えるという印象が強い。しかしながら自分は幼いころからピアノを弾いていたし、それ故ピアニストの作品を多く聴くので、ここはピアニストに絞り込んでみたい。したがって、比類なき名盤を数多く残したという点で、まず<strong>ホレス・シルヴァー</strong>と<strong>ハービー・ハンコック</strong>は、文句なくベスト・アーティストに入るだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　つづいてレーベルへの貢献度からすると、<strong>ソニー・クラーク</strong>と<strong>デューク・ピアソン</strong>もまた然りである。では残りのひとりはというと、これがちょっと逡巡してしまうのだ。<strong>ケニー・ドリュー</strong>と<strong>ウィントン・ケリー</strong>はとても好きなのだけれど、いささかアルバムが少ない。<strong>マッコイ・タイナー</strong>は、圧倒的にインパルス! レコードの作品のほうが好み。<strong>チック・コリア</strong>や<strong>セシル・テイラー</strong>も、私感ではブルーノートのひとではないように思われる。ビバップ・スタイルの第一人者である<strong>バド・パウエル</strong>の場合、ブルーノート作品に芸術的かつ神がかったかつての彼は、もういない。アルバム単位だったら、<strong>ウォルター・デイヴィス・ジュニア</strong>、<strong>ユタ・ヒップ</strong>、<strong>ハービー・ニコルス</strong>なども注目の的なのだが、なにぶんリーダー作が少ないのでランクインは見送られる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それにしても、改めてブルーノートにおけるピアニストのリーダー作を思い浮かべていくと、案外たくさんあるものだ。それでも、ホーン奏者の作品がパッとイメージがひらめくのに対して、ピアニストのそれとなるとにわかにチョイスするのはなかなか困難と云える。そんなわけで、最後のひとりはやはり<strong>ホレス・パーラン</strong>あたりに落ち着くのだろう。彼のレコードをはじめて聴いたときは、ぼくもその独特のピアノ・スタイルに目からウロコが落ちるような気持ちにさせられた。それはコンプレックスを克服して可能にしたというか、制限があったからこそ生み出すことができた、パーランならではの斬新な演奏法。ぼくも彼のブルーノート作品は、いまも愛聴しつづけている。と、ここまでで、ふと<strong>ジーン・ハリス</strong>が入っていないことに気がつくのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">ブルーノート復帰後はかつてのコンビネーションの魅力がすっかり薄まる</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハリスのピアノ・スタイルをひと言で云うと、それは中庸ということになる。ソウルフルではあるけれど、<strong>ラムゼイ・ルイス</strong>ほどアーシーではない。ハッピー・フィーリングが際立つが、<strong>オスカー・ピーターソン</strong>ほど弾きまくらない。また、しばしばブロック・コードを使用するけれど、<strong>レッド・ガーランド</strong>の弾きかたほどユニークではない。つまりハリスのピアニズムは、いま挙げた３人のように一極集中するようなことはなく、常に過不足がなく調和がとれているのである。それを無個性と云ってしまえばそれまでなのだが、３人のもつスピリットを兼ね備えたハリスのスタイルは、裏を返せばリスナーにモダン・ジャズの楽しさのエッセンスを満遍なく与えるものとも云える。その点、気軽にジャズを楽しめるというところが、最大の魅力となっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういうハリスの音楽性は、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のもつ固有の性質にそっくりそのまま当てはまる。このトリオは、いわばブルーノートきっての愉快な音楽隊。どちらかというと硬派なレーベルという印象を与えるブルーノートにおいて、このトリオはひときわ異彩を放っている。彼らがプレイするのは、レイドバックでエンジョイアブルなモダン・ジャズ。おそらくブルーノートにおいて、これほど鷹揚で楽しげにスウィングするジャズを聴かせるアーティストは、このトリオをおいてほかにいないだろう。<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>には、前述のヴァーヴをはじめ、マーキュリー、ライムライトといったレーベルにも吹き込みがあるのだけれど、どれもブルーノートでの諸作には到底およばない。それらの点を踏まえると、このトリオは異形でありながら、ブルーノートならではの存在とも云えるのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　とはいえ、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>が最初に契約を結んだのは、ブルーノート・レコードではなく<strong>オリン・キープニュース</strong>と<strong>ビル・グラウアー</strong>が設立したリヴァーサイド・レコードだった。初レコーディングは、奇しくも『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』のそれとおなじ1958年の９月のこと。コルネティストの<strong>ナット・アダレイ</strong>をリーダーとするセッションで、テナー奏者の<strong>ジョニー・グリフィン</strong>とともに<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>が参加した。このときの音源はアダレイのアルバム『<em>ブランチング・アウト</em>』(1958年)としてリリースされた。このアルバム、発売されたのがなんと『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』とおなじ、1958年の12月のことである。アダレイとグリフィンとの刺激的なフロントラインも然ることながら、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のファンキーなプレイが軽妙だ。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-9416 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three2.png" alt="ダブルベースを弾く犬とテーブルでカクテルを飲む猫のイラスト" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は、もともと1956年にミシガン州ベントン・ハーバーで結成された<strong>フォー・サウンズ</strong>というバンドだった。メンバーには、ハリス、シンプキンス、ダウディのほかに、サクソフォニストの<strong>ロニー・ウォーカー</strong>がいた。1957年にウォーカーが脱退すると、残りの３人はまずワシントンD.C.に、次いでニューヨーク・シティに移動し、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>として活動を開始した。前述のように一時的にリヴァーサイドと契約していたが、1958年、ニューヨークのオフビート・クラブに出演中、来店していたブルーノートの創設者、<strong>アルフレッド・ライオン</strong>に見初められた。なんとその場で、ブルーノートとの契約が成立。そしてその数日後には、早くもデビュー・アルバム『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』が吹き込まれたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>をライオンに薦めたのは、<strong>ホレス・シルヴァー</strong>だったという。云うまでもなくシルヴァーは、ジャズの黄金期を支えた音楽家のひとり。彼のグループが奏でるサウンドには、従前のバップ・スタイルをより上のステージにもっていったような感じがある。そういう意味では、ハード・バップの立役者のひとりとも捉えられる。さらに云えば、シルヴァーは単なるジャズ・ピアニストではなく、音楽の方向性を明確にし、それに沿って楽曲をハイスペックなものに仕上げるという、卓越した才能をもつ音楽家なのだ。彼が制作したアルバムは、リスナーが充分に楽しめる作品として、いつでも高い水準に達している。大衆がなにを望んでいるかをを見抜く鋭い見識をもつシルヴァーの推薦があったからこそ、ライオンも<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>を積極的にアピールしたのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実のところ<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は、ハード・バップ、ファンキー・ジャズ、モーダル・ジャズ、あるいはフリー・ジャズなどが混沌とした1960年代において、常にフレッシュなリラクゼーションをリスナーに提供していた唯一のバンド。肩肘を張らないプレイを展開するピアノ・トリオという点では、右に出るものはいないだろう。ソフィスティケーションやポップ性に関しても、同時代のピアノ・トリオのなかでも、もっとも先を行っていたように思われる。当時のジャズ・シーンにおいて、オリジナル・チューンで勝負するアーティストが多いなか、逡巡せずジャズ・スタンダーズをまえ向きに演奏していたのも<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>だった。しかもそのサウンドは、ファンキーでありながらエレガントでもある。それゆえ彼らのレコードは、いま聴いてもとても新鮮に響くのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんな<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は、前述のように一旦ブルーノートを離れたあと、所属レーベルをヴァーヴ、マーキュリー、ライムライトといった具合に転々とし、1966年に古巣に舞い戻る。しかしながら、このころからドラマーが<strong>カリル・マディ</strong>、<strong>ドナルド・ベイリー</strong>、<strong>カール・バーネット</strong>と交替し、ベーシストもアルバム『<em>ソウル・シンフォニー</em>』(1969年)から、長年トリオのボトムを支えてきたシンプキンスに替わり<strong>ヘンリー・フランクリン</strong>になる。ブルーノート復帰後の<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は、ハリスがオルガンを弾いたり、<strong>オリヴァー・ネルソン</strong>、<strong>モンク・ヒギンズ</strong>らのアレンジによるオーケストラと共演したり、サウンド的にもソウル・ジャズへ傾倒する。作品のクオリティは決して低くはないのだが、かつてのコンビネーションの魅力はすっかり薄まったと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、ハリスはバンド名を冠した最後のアルバム『<em>ザ・スリー・サウンズ</em>』(1971年)を吹き込んだあと、ついに個人名義の純然たるソロ・アルバム『<em>ジーン・ハリス・オブ・ザ・スリー・サウンズ</em>』(1972年)を発表する。アルバム・タイトルには相変わらず“<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>”が付されているが、同グループのメンバーは一切参加していないので、まさしくハリスのリーダー作と捉えられる。初期のモータウン・サウンドを支えた<strong>ウェイド・マーカス</strong>をアレンジャーとして迎えた本作は、かなりソウル色が強くなってはいるものの、まだ４ビートを演っていたりする。おなじブルーノート作品でも、BNLAシリーズの『<em>イン・ア・スペシャル・ウェイ</em>』(1976年)のようなジャズ・ファンク・アルバムではない。面白いのは、本作がブルーノート4000番台、最後の作品に当たること。なんだか、運命めいたものが感じられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">３人の構造的かつ機能的に繋がるプレイの妙味がすでに充分発揮されている</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>の演奏は1970年まで、そして<strong>ジーン・ハリス</strong>のソロ・アーティストとしての吹き込みは1998年まで音盤で聴くことができるのだが、ハード・バップ、ポスト・バップ、ソウル・ジャズ、ジャズ・ファンクと、時代の趨勢とともに装いが変わっていても、それらのなかに出来損ないの作品が１枚もないのに驚かされる。それは、ハリスの柔軟な音楽性に依るところが大きいのではなかろうか。彼は９歳からまったくの独学でピアノを弾きはじめ、地元べントン・ハーバーのバンドで初舞台を踏み、1951年から1954年までアメリカ陸軍の第82空挺師団の軍楽隊で演奏し腕を磨いた。除隊したあとはふたたび地元で演奏活動を行い、前述のように<strong>フォー・サウンズ</strong>を結成する。ソウル志向でありながらエレガントな雰囲気をもつピアノ・スタイルは、不思議なことにどんなジャンルにもフィットした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなハリスの風格を漂わせるプレイは、間を活かしたコンセプト、軽快なタッチ、そして控えめなエクスプレッションから来るのだろうが、そういうところは、ちょっと<strong>アーマッド・ジャマル</strong>を彷彿させる。ただ個人的には、ピアノ・トリオのコンビネーションが最大に発揮された、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>での演奏が好きだ。そしてやはり、1958年から1962年までの第一次ブルーノート時代の吹き込みがいい。移籍後にも1959年から1962までの吹き込みが『<em>ヘイ・ゼア</em>』(1962年)『<em>イット・ジャスト・ガット・トゥ・ビー</em>』(1963年)『<em>ブラック・オーキッド</em>』(1964年)『<em>アウト・オブ・ディス・ワールド</em>』(1966年)『<em>ベイブス・ブルース</em>』(1986年)『<em>スタンダーズ</em>』(1998年)と、どしどし音盤化されたが、どれも及第点に達するアルバムだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いささか余談になるが、ぼくにとって<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のアルバムのなかで、特に思い入れがあるのはデビュー作の『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』である。個人的なハナシで恐縮なのだけれど、(せいぜい校内放送レベルだが)高校時代に生徒会長のNくんと制作したラジオ番組で、このレコードに収録されている「テンダリー」をテーマ曲として使っていた。チャチャチャ調のリズムが心地よくて、番組の気さくな雰囲気にピッタリだった。ただこのアルバムが出色の出来なのかというと、そういうわけではない。繰り返しになるが、1958年から1962年までに吹き込まれたブルーノートの作品群は佳作揃いで、いわゆるハズレがない。云いかたを変えると、それらにあまり大差はないということになる。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9417 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three3.png" alt="ドラムスを叩く犬とテーブルでカクテルを飲む猫のイラスト" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/Three3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　というわけで、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のアルバムを手にとるとき、たとえばお気に入りのジャズ・スタンダーズが収録されている──というような理由で、気軽に選んでみてはいかがだろう。おそらくもっともポピュラーなのは、やはり(<strong>ルー・ドナルドソン</strong>との共演盤を入れると)５枚目のアルバムに当たる『<em>ムーズ</em>』(1960年)だろう。人気の理由の半分は、麗しく艶やかな女性のお顔があしらわれたジャケットの恩恵による。このご婦人、ラジオ番組のDJでのちにライオン社長の２番目の奥さまになる<strong>ルース・メイソン</strong>というひと。<strong>ソニー・クラーク</strong>の『<em>クール・ストラッティン</em>』(1958年)のジャケットに写っている、あの有名な美脚の主も彼女である。そして残りの半分は、収録曲がジャズ・スタンダーズばかりであるということだろう。お馴染みの曲にエスプリの効いた味付けがなされているところが、一段と楽しい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういう経緯から、今回は最後にブルーノートが生んだ不世出のピアノ・トリオ・スタイルのジャズ・アンサンブル、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>の記念すべきデビュー・アルバムであり、個人的にも最初に聴いた彼らのレコードとなる『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』について、具体的にご紹介したい。そのまえに付け加えておくと、実はこのアルバムには続編が存在する。タイトルはズバリ『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ Vol. 2</em>』(1985年)といい、1958年９月16日、28日のセッションの未発表曲集である。ただしハリスのオリジナル「MO-GE」だけは、シングル盤で発表済み。デビュー作のジャケットがオレンジ色であるのに対しイエローグリーンのこの続編、ぼくは大学生のときに購入したのだけれど、あとにもさきにも日本国内でしか発売されていない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお同日のセッションのうち残りの３曲は、３枚目のアルバム『<em>ボトムス・アップ</em>』(1959年)に収録されている。また、日本独自の続編『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ Vol. 2</em>』の６曲は、レコードが発売された翌年にデビュー作の８曲とともに、東芝EMIが発売したCD『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ＋６</em>』(1986年)に収録された。いずれにしても、このときのセッションには一聴の価値がある。３人の構造的かつ機能的につながるプレイの妙味は、すでに充分発揮されている。ハリスはここで、1950年代に流行ったジャズ・スタンダーズにヒップなアレンジを施したり、リラクゼーションに富んだ自作のブルース・ナンバーを提供したりしている。そんな彼のブルース志向を、シンプキンスとダウディは見事に汲み取っている。その一体化したサウンドを、ぜひお楽しみいただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムは<strong>ウォルター・グロス</strong>の「テンダリー」からスタート。ピアニストからシンガーまで数多くのアーティストが採り上げている名曲だが、ぼくは<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のチャチャチャ調のアレンジが昔から大好き。モダンな感じのイントロ、ピアノのブロック・コードによる軽快なメロディック・ライン、そして４ビートでのほどよくブルージーなソロと、総じて肩の力の抜けた演奏が絶妙だ。つづく<strong>アン・ロネル</strong>「ウィロー・ウィープ・フォー・ミー」では、スローテンポでピアノがややアンニュイな感じでテーマを歌ったあと、ダブルタイムになって歯切れのいいフレーズを綴っていく。エンディングもきわめて爽快だ。ハリスの「ボス・サイズ」では、ゴスペル調のグルーヴに乗って、ハリスのブルージーだけれどライトなピアニズムが全開する。アップビートな感覚に胸が弾む。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　A面最後の曲となるハリスの「ブルー・ベルズ」は、落ち着いたブルースフィール溢れるナンバー。ハリスはピアノとともにチェレスタも弾いているが、それ故口当たりのいいタッチに上品さと軽やかさが増している。短尺ながらベース・ソロも、打ち解けた雰囲気をあと押ししている。B面はハリスの「イッツ・ナイス」からスタート。シャッフルするリズムと洗練されたコード進行が都会的。冒頭の「テンダリー」と同様に、ブロック・コードやコンピングの小気味よさが際立ったハリスの特徴的なスタイルが顕著に現れている。つづくハリスの「ゴーイング・ホーム」は、カジュアルなブルース・ナンバー。ピアノとチェレスタがともにかなりソウルフルなフレーズを綴っているが、極端にアーシーにならないところが、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>ならではのサウンドである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ディジー・ガレスピー</strong>の「ウッドゥン・ユー」では、三位一体のバップ然としたプレイが展開される。アルバム中唯一のアップテンポで、スウィンギーなピアノのアドリブ、俊敏なランニング・ベース、勢いよく降り注ぐようなドラム・ソロと、どこをとっても痛快である。アルバムを締めくくる<strong>アルフレード・マッツッキ</strong>の「オー・ソレ・ミオ」は、ジャズ史上に残る名演と云ってもいいのではなかろうか。原曲のもつ地中海ならではの明るく情熱的なムードが維持されながらも、軽快なキューバ起源のリズムが採り入れられており、ハリスのピアノも一段とファンキーな装いを彩っている。この鷹揚というか、ゆったりとしながらも品格を感じさせるサウンドこそ、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>ならではのもの。南欧風のリフによるフェードアウトも、爽やかな余韻を残す。この感じが、最高なのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>谷川賢作 / 東宝映画「八つ墓村」オリジナル・サウンドトラック (1996年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 05 Jul 2026 07:14:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Soundtrack]]></category>
		<category><![CDATA[Kensaku Tanikawa (谷川賢作)]]></category>
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					<description><![CDATA[名匠、市川崑監督が金田一耕助に豊川悦司を迎えて放ったミステリー大作、1996年版『八つ墓村』──谷川賢作が音楽を手がけたそのオリジナル・サウンドトラック・アルバム]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">名匠、市川崑監督が金田一耕助に豊川悦司を迎えて放ったミステリー大作、1996年版『八つ墓村』──谷川賢作が音楽を手がけたそのオリジナル・サウンドトラック・アルバム</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>谷川賢作 / 東宝映画「八つ墓村」オリジナル・サウンドトラック (1996)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : 殺めし女</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">期待するものは、本格ミステリーとしての醍醐味が維持された構成</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　2026年１月27日に映画化が発表された、松竹/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントが配給する新作映画『八つ墓村』は、2026年９月18日に劇場公開される予定とのことだが、当初はスーパーティザービジュアルの公開のみに留まっていた。このスーパーティザービジュアルとは、敢えて作品の具体的な詳細は明かさないままにして、一部のイメージやロゴだけでオーディエンスやユーザーの好奇心を煽り期待感を醸成するという、なんともイヤらしい予告ビジュアルのこと。結果、新作映画『八つ墓村』に関しても、SNSや映画情報サイトにおいて、探偵の金田一耕助、主人公の寺田辰弥を誰が演じるのかという、キャスト予想で大いに盛り上がった。そして2026年６月18日、ようやくキャスト＆スタッフの一部が発表になったのだが、これまた反響を呼んでいるようである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ひとまず今回の発表の主だったところを記すと、以下のとおり──。<strong>尾上松也</strong>(金田一耕助 役)、<strong>奥智哉</strong>(井川辰弥 役)、<strong>堀田真由</strong>(森美也子 役)、<strong>高島礼子</strong>(田治見小竹・小梅 役)、<strong>滝藤賢一</strong>(田治見久弥・要蔵 役)、<strong>小籔千豊</strong>(磯川警部 役)、<strong>中島亜梨沙</strong>(井川鶴子 役)、<strong>尾ヶ井慎太郎</strong>(脚本)、<strong>清水崇</strong>(監督・共同脚本)。この発表に併せて公開された特報映像を確認したところ、舞台は現代、金田一は洋装となっている。音楽はイタリア出身の<strong>アントンジュリオ・フルリオ</strong>が担当。清水監督がメガホンをとるので、やはりホラー色が強くなるのだろう。ぼくもこのブログで、<strong>芥川也寸志</strong>が音楽を手がけた、<strong>野村芳太郎</strong>監督作品『八つ墓村』(1977年)のオリジナル・サウンドトラック・アルバムをご紹介した際、新作映画『八つ墓村』について、根拠のないことをあれこれ語らせてもらったが、まったく虚を衝かれた感じである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　具体的には金田一役についてだが、第49回日本アカデミー賞授賞式(2026年３月13日)をテレビで観ていて、話題賞を受賞し登壇した男性アイドル・グループ<strong>SixTONES</strong>のメンバー、<strong>松村北斗</strong>のオシャレにしてはちょっと不自然なくらいに伸びたヘアスタイルから、ぼくが勝手にイメージしたのが金田一耕助だった。金田一の髪型といえば、雀の巣のような蓬髪。原作に長髪とは書かれていなかったと思うが、視覚的には長いほうが映えるだろう。それはともかく松村さんといえば、外観も然ることながら、演技における間の取りかたや視線の向けかた、平穏な状況ではどちらかというと高めの明るい声色が、いざというときに身体の深いところから出てくるような低音に変わるところなどは、事件の行末を見守る金田一の感情を、フレッシュかつリッチに伝えてくれそう──なんて、ぼくは勝手に思ったのだった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8913 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones1.png" alt="八つ墓村の明神様のある道" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　まあ、まったく当てが外れたわけだが、松村さんの金田一耕助はなかなかいい線を行っているように思われる。ついでながら云わせてもらうと、ぼくがいまもっとも金田一を演じてもらいたいと思っている俳優は、第49回日本アカデミー賞において複数の部門で優秀賞受賞を果たしたサスペンス映画『爆弾』(2025年)にも出演した<strong>寛一郎</strong>。こういう云いかたをすると失礼にあたるのかもしれないが、父に<strong>佐藤浩市</strong>、祖父に<strong>三國連太郎</strong>をもつという、名優の血を引くサラブレッドだ。重厚な演技から親しみやすい役まで幅広くこなす、実力派の若手俳優と云っていいだろう。ぼくは、どちらかというと贔屓の監督である、<strong>熊澤尚人</strong>がメガホンをとった映画『心が叫びたがってるんだ。』(2017年)において、はじめて<strong>寛一郎</strong>さんのことを知ったのだが、それ以来彼のファンである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その後、<strong>寛一郎</strong>さんは<strong>東野圭吾</strong>原作のファンタジー映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(2017年)での演技が高く評価され、第27回日本映画批評家大賞の新人男優賞を受賞。さらにアナーキーな青春群像劇『菊とギロチン』(2018年)でも、第92回キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞ほか各賞を受賞している。親譲りの彫りの深い端正な顔立ちと、身長182cmの骨太でしっかりとした体格のもち主である<strong>寛一郎</strong>さんは、原作の金田一像とはかなりかけ離れているけれど、知的な面と無邪気な面を併せもつところは、個人的には金田一役に向いていると思う。ぼくは過去に銀幕に登場した金田一では、映画『悪霊島』(1981年)で<strong>鹿賀丈史</strong>が演じたキャラクターにもっとも親近感が湧いたのだが、<strong>寛一郎</strong>さんにもそれとおなじようなイメージをもったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>寛一郎</strong>さんの演技に対して真摯に向き合う姿勢や、舞台挨拶などで見せるちょっとシャイな感じから、もし機会があれば彼は現代的かつ繊細な金田一を表現してくれるのではないかと、私情で恐縮だが期待してしまう次第。いずれにしても<strong>寛一郎</strong>さんは、父や祖父の威光を感じさせながらも、独立した俳優として実力のある注目株。ぼくにとっては、もっとも目が離せない俳優のひとりである。それはさておき、ミステリーの金字塔とも称される<strong>横溝正史</strong>が著した原作小説『八つ墓村』では、物語が寺田辰弥の一人称で語られており、金田一は完全な脇役となっている。とはいえ多くのファンにとっては、映像化においてはだれが金田一を演じるかが、いちばん気になるところなのかも知れない。むろんぼくにとっても興味をそそられる点だが、個人的には『八つ墓村』の場合、それ以上に着目するところがある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくが『八つ墓村』の映像化に期待するものは、なによりも本格ミステリーとしての醍醐味が維持された構成なのである。原作者の<strong>横溝正史</strong>は間違いなく日本を代表する推理作家であり、日本の本格ミステリーの礎を築いたひとと云える。そんな横溝さんが著した『八つ墓村』は、1949年から1951年にかけて雑誌『新青年』および『宝石』に連載された長編推理小説だが、名探偵、金田一耕助が登場する作品としては８作目にあたる。金田一が活躍するシリーズは累計発行部数5500万部を突破しているとのことだが、その作品群において『八つ墓村』もまた、ミステリー文学の名作と云って然るべきだろう。個人的には横溝さんの長編推理小説のなかでもなかなか読み応えのあるものと思っているのだが、残念なことにこれまでの映像化作品において、ぼくは一度も満足することがなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　横溝さんは『新青年』において、海外のミステリー作品を自ら翻訳していたりもする。氏が翻訳を手がけた作品に、アメリカのミステリー作家、<strong>ケネス・デュアン ウィップル</strong>によって執筆された『鍾乳洞殺人事件』(1934年)というのがあるのだが、実のところ『八つ墓村』は、この小説から影響を受けている。鍾乳洞という閉鎖空間が舞台とされていることをはじめ、物語の随所に見られる展開に共通点があるのだが、それは横溝さん本人も認めるところである。さらに『八つ墓村』は、おなじみの名探偵、エルキュール・ポアロが活躍する<strong>アガサ・クリスティ</strong>の長編推理小説『ABC殺人事件』(1936年)に触発されて書かれた作品でもある。その点で『八つ墓村』は、ミッシング・リンクをテーマとした本格ミステリーと捉えることができるのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところがあいにく、もともと横溝さんの小説といえば登場人物が非常に多く、人物相関も入り組んでいたりするのだが、この『八つ墓村』ではさらにトリックが複雑で巧妙になっているものだから、その映像化作品のいずれにおいても大幅な改編と省略が行われている。ことにトリックのカギとなる殺人計画書のクダリは、ぞんざいに扱われることがほとんどである。一見無差別連続殺人事件のように見えながら、実はそこに一貫した動機があるというところがミソなのだが、それが曖昧になってしまうのだから、自ずと本格ミステリーの醍醐味は半減するというもの。そのことから『八つ墓村』の映像化作品では、たいてい犯人の犯行動機が変更されている。いずれにしても映像化された『八つ墓村』は、原作よりもミステリーとしての味わいがぐっと薄くなっているのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　新作映画『八つ墓村』では、金田一を歌舞伎役者の<strong>尾上松也</strong>がお釜帽にステンカラーコートという出で立ちで演じる。それはぼくにとって確かに想定外のことではあったけれど、尾上さんには申し訳ないが、それほど重要ではない事柄だったりする。その点では、1977年に公開された松竹映画『八つ墓村』において、時代設定が戦後間もない昭和20年代から映画製作当時の現代(昭和40年代)へと移されているため、洋装に麦わら帽子という出で立ちで登場する<strong>渥美清</strong>演じる金田一にもおなじことが云える。本音を云うと、地味に活躍する渥美さんの金田一は、ぼくにはどうしても生真面目になった車寅次郎にしか見えなかった。とはいえ原作でも金田一は完全な脇役となっているので、それはそれでいいとも思った。問題なのは、原作が抱える本格ミステリーのエッセンスが、ことごとく蔑ろにされているということなのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">配給収入においてトップに位置する1977年版は壮大なコケおどし映画</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なるほど、好き嫌いを別にしてもっとも印象に残った『八つ墓村』の映像化作品といえば、圧倒的に1977年に劇場公開された松竹映画だ。あの有名な「祟りじゃ〜っ」というキャッチコピーが流行したのも、この映画のCMからである。しかもこの映画、実は横溝作品の配給収入において、歴史的大ヒットを記録した1976年公開の角川映画第１弾『犬神家の一族』を抜いてトップに位置する。つまり興行的には、もっとも成功した横溝映画なのである。ところがこの作品では、本格ミステリーの要素がすっかり排除されている。そのかわりこの映画は原作のイメージとはまったく違う、いわば伝奇ロマン風超大作といった風情をもつ。小説を読んでいないひとにとっては面白い映画なのだろうが、ぼくには壮大なコケおどし映画のように思えてならない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なぜなら1977年版『八つ墓村』では、謎解きよりも現実ではありえない不思議な怪奇現象、幻想的な物語、伝説や歴史的伝承にスポットが当てられているからである。具体的に云うと、原作小説では比較的さらりと語られる過去のエピソード、すなわち戦国時代の村人たちによる落ち武者の惨殺、そして28年まえ(原作では26年まえ)の多治見家当主による村人32人の虐殺が、いやというほど強調されている。この時点で、映画公開当時小学生だったぼくはゲンナリしてしまったのだが、日本刀と猟銃をもって走ってくる<strong>山﨑努</strong>演じる多治見要蔵のアンデッドのような表情、そして鍾乳洞を飛びまわる<strong>小川真由美</strong>演じる森美也子の夜叉のような形相には、かなりの精神的衝撃を受けたものである。率直に云って、そういうオカルト趣味は他所でやっていただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それに反して、1975年に劇場公開された<strong>高林陽一</strong>監督作品『本陣殺人事件』は、しっかり原作の骨格が残されつつ設定などが新しく作り変えられた、出色の横溝映画である。当時、低予算で良質のアート系映画を製作することで注目を集めていた映画会社ATG(日本アート・シアター・ギルド)の配給作品だけに、製作費の都合により、時代設定が原作の1937年(昭和12年)から撮影当時の1970年代に置き換えられている。主演の<strong>中尾彬</strong>が、ヒッピー風のジーンズ姿で金田一を演じているのだが、探偵らしからぬ青年でありながら、飄々とした態度で見事な頭脳明晰ぶりを発揮するところは、まさに金田一。高林監督の原作に対するリスペクトが、しかと感じられる。また監督は、あの有名な密室トリックの謎解きにおいても、じっくりとその仕掛けが動くさまを見せる演出をしている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8914 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones2.png" alt="八つ墓村の鍾乳洞" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　このATG映画『本陣殺人事件』では、監督自身が執筆したシナリオがとにかく素晴らしい。説明を控えめにした情緒的な語り口が、作品全体に静謐を湛えている。むろんケレン味などまったくないのだが、終始飽きさせない作りとなっている。特に金田一の解説、事件のカギを握る一柳三郎の回想、そして事件の再現シーンを入り組ませた終盤での展開は秀逸。劇的な演出はなされず、事の真相を自然と観客が理解できるような手法がとられているところは、もはや芸術的とも感じられる。また本作では、一柳鈴子の葬列に遭遇した金田一が１年前の事件を回想するというオリジナルの構成がとられているが、オープニングとエンディングにおける美しい田園風景のなかでの野辺送りのシーンは圧巻である。いずれにしてもこの作品は、実際に原作者を納得させたほどの、横溝映画の傑作だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハナシを1977年版『八つ墓村』に戻すが、やはりこの映画にぼくは横溝作品への愛情が微塵も感じられない。監督の<strong>野村芳太郎</strong>をはじめ、脚本の<strong>橋本忍</strong>、撮影の<strong>川又昂</strong>、そして音楽の<strong>芥川也寸志</strong>と、<strong>松本清張</strong>の同名小説が映画化された大ヒット作『砂の器』(1974年)を創り上げた陣営がそのまま制作に携わっている。松竹は『八つ墓村』を、横溝さんの小説のストーリーを借りて、第２の『砂の器』に仕立てようとしているようにも思われる。芥川さんが書き下ろした美しいワルツを背景に、男女の道行をイメージさせる耽美的な鍾乳洞内の逃避行は、あたかも『砂の器』におけるピアノ協奏曲が連綿と流れるクライマックスの“父子の旅”が再現されているかのごとく。芥川さんの音楽は好きだけれど、この長いシーンはこじつけのように思われてならない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、長くなったが、この秋に公開される新作映画『八つ墓村』は、1977年版と同様に製作に松竹が関わっている。もし新作が、歴代横溝映画の配給収入においてトップに位置する1977年版をオマージュするものであるのなら、ぼくとしては先行きがあまり期待できない。メガホンをとる<strong>清水崇</strong>は、Jホラーの旗手と目される監督だが、果たしてどのようなアプローチをするのだろうか。特報にはやはり「祟りじゃ〜っ」というセリフが挿入されているが、落ち武者、多治見要蔵、そして森美也子の呪縛から解放されるのだろうか。繰り返しになるけれど、原作小説の『八つ墓村』は本格ミステリーである。できれば、<strong>横溝正史</strong>の世界にオカルト趣味を持ち込むのは、<strong>つのだじろう</strong>のコミックだけにしていただきたい(分かるひとには分かる)。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さて、ここからが本題。なぜか一般にはあまり浸透していないようだが『八つ墓村』は、松竹の1977年版のあと今回の新作映画に先んじて、すでに１回映画化されている。フジテレビジョン、東宝、角川書店が製作し、日本映画界の巨匠、<strong>市川崑</strong>がメガホンをとった、1996年公開の『八つ墓村』である。さきに触れた、<strong>篠田正浩</strong>監督の『悪霊島』以降、金田一耕助は銀幕からしばらく姿を消していたが、この映画で15年ぶりにその姿を見せた。市川監督は、前述の『犬神家の一族』(1976年)を筆頭に『悪魔の手毬唄』(1977年)『獄門島』(1977年)『女王蜂』(1978年)『病院坂の首縊りの家』(1979年)と、それまでに５本の横溝映画を手がけている。金田一をはじめて原作どおりのヨレヨレの着物姿で登場させたのも氏である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　市川監督は、日本の文学作品を数多く映画化しているが、どの場合も単なる忠実な原作の再現にとどまらず、大胆かつ前衛的な改変を加えている。とはいえ、原作のエッセンスをしっかり押さえつつ、作品のテーマを独自の映像美学で現代的に再構築しているのである。たとえば市川監督は折に触れて、金田一耕助は神様や天使のような存在である──というようなことを述べている。出で立ちは原作どおりだが、その性格はかなり改変されている。<strong>石坂浩二</strong>が演じる金田一は、世間にはまったく知られておらず、彼が探偵と知った事件の関係者たちはみな一様に驚く。しかも快刀乱麻を断つというよりも、どちらかというと狂言回しとして人間の運命を悄然と俯瞰しているかのように映る。そういう風格は、まさに天使。そういう原作の再構築はあるものの、市川作品は、ほかのどの横溝映画よりも本格ミステリー然としている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　市川監督は、氏にとって17年ぶりの横溝映画となる『八つ墓村』においても、本格ミステリーの根本的な性質やもっとも大切な部分を土台とし、制作に臨んでいる。監督は、密室殺人の第一人者とも云われる、<strong>ジョン・ディクスン・カー</strong>の小説を愛読するほどのミステリー・マニア。ただ本作では、ストーリーラインは概ね原作に沿っているが、簡素化するためと思われる改変が多々なされている。残念ながら原作小説でトリックのカギとなる殺人計画書のクダリは、カットされている。冒険ロマンの要素である、三千両の黄金を巡る因縁と鍾乳洞での探索もない。そのかわり原作にはない、草木染めのアオバナ染料を使ったトリックが登場。監督と共同で脚本を執筆した<strong>大藪郁子</strong>の趣味が、染め物だったことによる。むろん本作にオカルト解釈はまったくなく、物語は飽くまで現実的な動機による連続殺人事件として描かれている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　個人的に市川崑は、日本映画においてもっとも敬愛する監督である。それでも率直に云って、この『八つ墓村』は失敗作であると、ぼくは思っている。まずなんといっても、金田一役に<strong>石坂浩二</strong>を再起用しなかったことが致命的な誤り。当時トヨエツ・ブームでノリに乗っていた<strong>豊川悦司</strong>が、調子に乗りすぎて奇妙奇天烈な金田一を演じている。ヴィジュアリストである市川監督も作品に様々な技法を施して、大ヒットした『犬神家の一族』(1976年)にはじまる往年のシリーズを再現しようと努力しているのだが、それが却って過剰になってしまい煩わしいとさえ感じられる。ただ原作に従った犯行動機に回帰していること、映像作品では度々削除されてしまう里村典子が比較的重要な役割を果たしていることは、注目に値する。典子は原作小説では、事実上のヒロインなのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">本格ミステリーの根本的な性質やもっとも大切な部分を土台としているが…</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハイキー処理による26年まえの田治見要蔵による村人虐殺シーン、メインタイトル、寺田辰弥が働く石鹸工場、諏訪弁護士の事務所での井川丑松の死、警察署での辰弥と森美也子との出会い、辰弥の下宿に届いた脅迫状、八つ墓村への帰郷、辰弥と多治見家の人々との対面、辰弥の座敷に現れる濃茶の尼──と、本作は序盤で並外れたテンポのよさを見せる。こういうスピーディな展開は、いかにも市川作品らしい。ところがそのあと、<strong>ヴァンゲリス</strong>風の音楽をバックに、ロングショットで朝靄のなかを歩いてくる長身の金田一が映し出されたとき、ぼくは云いようのない違和感を覚えた。その後、里村典子にいちいち八つ墓村に辿り着くまでの行程を早口で説明するトヨエツ金田一に、これはかつて市川監督が創造した天使とはまったくの別物であると認識した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その後トヨエツ金田一は、逗留先である郵便局(民宿を兼業)の局長兼女将、ひでに滞在期間を訊ねられると、なぜか陽気に「どうなるのかなぁ」と、蓬髪を掻きむしりフケを飛び散らせる。外食券の代わりに配給米をもち込むクダリも含めて『犬神家の一族』のなかのワンシーンの再現だが、困惑した表情を浮かべる石坂金田一とはまったく異なる印象を与える。また田治見家当代、久弥の通夜の席で、典子の兄、里村慎太郎に住まいを訊かれたトヨエツ金田一は、面映ゆい表情を浮かべつつも、なんだか嬉しそうに「風まかせ」と答える。ぼくにはこれが、余計なセリフと思われた。石坂金田一だったら、おそらく「まあ……」と、お茶を濁すところだろう。前述の八つ墓村に到着した際の典子とのやりとりもそうだが、どうもトヨエツ金田一は喋り過ぎる嫌いがある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　市川監督はなぜか、豊川さんに金田一役に対して最低限守るべき演技事項を伝えただけで、具体的な演技プランは当人に任せたという。豊川さんは、自分なりの金田一を新たに創造しようとしたのかもしれないし、そのために原作小説の金田一像を研究したのかもしれない。確かに、あの取ってつけたような笑顔と、芝居がかった早口のセリフは、原作の金田一に垣間見えるひと懐っこさを、豊川さんなりに表現したものと思えなくもない。ただ結果的には最初に述べたとおり、奇妙奇天烈な金田一となってしまった。この点は、明らかに市川監督の演出ミスである。ただし監督自身「キャスティングが終わったとき、演出は70パーセント終わっている」と述べているが、豊川さんの起用は、監督の意向をよそに東宝側が要望したもの。実はこの映画、初動から踏み誤っていたのかもしれない。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8915 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones3.png" alt="八つ墓村を丘の上から見た景色" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　とにかくトヨエツ金田一は、ひときわ異彩を放っており、観客を圧倒するほどのパワーがある。おかげで、小説を読んだときはそのストーリーラインに夢中にさせられたぼくも、この映画において一連の出来事やエピソードがどのように進行したか、いまとなっては即座に思い出すことができなかったりする。記憶を呼び起こそうとすると、奇妙奇天烈な金田一のことばかりが思い出されるのだ。その点、1996年版の『八つ墓村』は、完全に金田一が主役の映画となっている。エンドクレジットでなぜか<strong>小室等</strong>がセルフカヴァーしたフォークソング「青空に問いかけて」が流れるが、これは『八つ墓村』の物語ではなく、明らかに金田一をイメージさせる趣向。現に本編の金田一が登場するいくつかのシーンで、この曲をインストゥルメンタル化したヴァリエーションが流れるのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　もともと<strong>横溝正史</strong>の小説には古い因習に終止符が打たれるような物語が多いが、市川作品でも『犬神家の一族』の場合は、エンディングに怨念から解放されたひとびとの幸福な行く末を予感させるものがあった。横溝さんが著した『八つ墓村』は本来、寺田辰弥の愛と冒険の物語。終盤で辰弥は、鍾乳洞で発見した大判を披露するとともに、典子と結婚したことを報告しみなの歓声と拍手に包まれる。さらに彼は田治見家相続を辞退、神戸の新居に移り住むまえに典子から妊娠したことを告げられ、彼女を強く抱きしめるのだ。つまりこの物語のミソは、天涯孤独の青年が連続殺人事件に巻き込まれながら自らの過去と向き合い、その因縁を断ち切りほんとうの幸せを手にするということ。その点、市川監督の演出も今回ばかりは、大いにブレている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これは市川監督の公私にわたるパートナー、脚本家、<strong>和田夏十</strong>の不在が影響しているように思われてならない。ぼくは市川作品では『細雪』(1983年)がもっとも好きなのだけれど、ラストの花見の回想に入る直前の小料理屋における貞之助と女将のシーンは、あまりにも感動的なアレンジだ。18年間、がんと闘病してきた和田さんが逝去する直前に執筆した名シーンである。和田さんは良妻賢母であると同時に、市川作品の生産的な助言者でもあった。そして監督を敬愛するぼくにも、この『細雪』よりあとの市川作品が、ことごとく精彩を欠くように思えてならない。結果的に市川版『八つ墓村』は大ヒットとは云えず、興行目的としては振るわない結果に終わった。むろん配給収入においても、野村監督の1977年版の足元にも及ばなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお、この映画で辰弥と典子とは恋仲にはならない。彼女は慎太郎とともに大阪へ出ることになり、結局、田治見家の財産はだれも相続しなかった。映画は村を去る日の金田一にスポットを当てた、郵便局でのささやかなエピソードをもって幕を閉じる。やはりこの映画の主役は、金田一だった。スマッシュヒットとならなかった1996年版『八つ墓村』ではあるが、それでも過去に市川監督が手がけた横溝映画と同様に、サウンドトラック・アルバムはしっかりリリースされた。音楽は、作曲家でピアニストの<strong>谷川賢作</strong>が担当。谷川さんは『鹿鳴館』(1986年)以降『かあちゃん』(2001年)を除く、すべての市川作品の音楽を手がけた。ジャズ・ピアニストの<strong>佐藤允彦</strong>に師事したということだが、氏の音楽にジャズっぽさはあまり感じられない。どちらかというと、ニューエイジ・ミュージック系のミュージシャンと云えるかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『八つ墓村』では、過去に市川監督が手がけた横溝映画のトレードマークとなっていた、流麗なテーマ曲と明朝体の表記とによるオープニングクレジットがない。そのせいか映画を観る限りでは、音楽はほとんど印象に残らない。谷川さんのアンダースコアは、飽くまで情景描写および心理描写に徹しており、たとえばジャズ・ピアニストの<strong>大野雄二</strong>が手がけた『犬神家の一族』の音楽のような推進力をもたない。しかしながら、決してでしゃばることのない、ある意味で背景音楽あるいは環境音楽のような谷川さんのスコアは、アートオリエンテッドな市川監督にとって、理想の映画音楽なのだろう。ただサウンドトラック・アルバムは、独立した音楽作品として楽しめる仕様になるよう、いくばくかの意匠が凝らされている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　映画で使用されたトラックは、谷川さんのシンセサイザーと、<strong>岩佐真帆呂</strong>の各種サクソフォーンとによって演奏されたもの。岩佐さんは、谷川さんの父、<strong>谷川俊太郎</strong>の現代詩を歌うグループ、<strong>DiVa</strong>にも参加していた。そのサウンドは、空間的でシネマティックな広がりをもついっぽうで、ときに瞑想的な美しさを放つときもある。さきにも触れたがギリシャの音楽家、<strong>ヴァンゲリス</strong>からの影響が感じられる。個人的には空間を包み込むようなサウンドが美麗な「殺めし女」が好き。あいにく本編では使用されていないようだ。「名探偵登場」や「金田一旅立つ」は「青空に問いかけて」をアレンジしたもの。また「錆色の村」「黒の惨劇」「報われざる愛」「赫い炎」といった曲では、おなじモティーフが登場するが、おそらくそれが主題なのだろう。ほかにも幻想的かつ緊迫感のあるトラックが満載だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アンダースコアにテーマ曲らしいトラックがないせいかアルバムには、前述の主題を谷川さんがアコースティック・ピアノでソロ演奏した「ピアノスケッチ」が、７つの変奏曲として収録されている。むろん本編では使用されていない。この曲の全長版とも云うべき「ピアノスケッチ 5」あたりは、なかなか聴き応えがあるので、このテーマ曲が映画のなかでアピールされなかったのは、ちょっとお気の毒に思われる。さらに谷川さんは、ソロ・ピアノで「青空に問いかけて」を演奏。アルバムのラストを飾っている。考えてみたらこの曲の歌詞を書いたのは、<strong>谷川俊太郎</strong>だった(作曲は<strong>小室等</strong>)。もちろんこのアルバムでも、ちゃんと小室さんの歌を聴くことができる。市川×大藪×小室といえば、すぐにフジテレビ系列テレビ時代劇『木枯し紋次郎』(1972年)が連想される。やはり『八つ墓村』ではないのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>The Players Featuring Hiromasa &#8220;Colgen&#8221; Suzuki / Galaxy (1979年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 28 Jun 2026 07:00:40 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[Hiromasa Suzuki (鈴木宏昌)]]></category>
		<category><![CDATA[The Players]]></category>
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					<description><![CDATA[鬼才キーボーディスト、鈴木宏昌のもとに凄腕ミュージシャンが集まった伝説のフュージョン・グループ、ザ・プレイヤーズの記念すべきデビュー・アルバム『ギャラクシー』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">鬼才キーボーディスト、鈴木宏昌のもとに凄腕ミュージシャンが集まった伝説のフュージョン・グループ、ザ・プレイヤーズの記念すべきデビュー・アルバム『ギャラクシー』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>The Players Featuring Hiromasa &#8220;Colgen&#8221; Suzuki / Galaxy (1979)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Kaleidoscope</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">ジャズ・ピアノやアレンジのマナーはレコードを聴いて独習したもの</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　前回、ぼくが敬愛する数少ない日本のジャズ・ピアニストに関してお伝えした際、少しだけ<strong>鈴木宏昌</strong>について触れた。ぼくが長年愛聴しつづけているピアノ・トリオ作品といえばごく限られるのだが、<strong>佐藤允彦</strong>の『<em>パラディウム</em>』(1969年)、<strong>大野雄二</strong>の『<em>ミスター・ハピゴン</em>』(1973年)、<strong>菅野光亮</strong>の『<em>ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング</em>』(1978年)、そして<strong>鈴木宏昌</strong>の『<em>コルゲン・ワールド</em>』(1976年)が挙げられる。これらのアルバムをぼくは、小学校高学年から中学に入学したばかりのころに入手したのだが、実は意識的に国産のジャズ作品を聴こうとしたわけではない。それ以前に体験したテレビドラマやテレビアニメの音楽のなかで、気になる劇伴を手がけた音楽家の作品を深掘りした結果、たどり着いたのが上記のアルバムだったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そしてその作曲家たちが、期せずしてみなジャズ・ピアニストだったのである。すなわちぼくは、ジャズをジャズと知るまえから、その響きに惹かれていたことになる。<strong>鈴木宏昌</strong>という名前は、氏がTBS系列のテレビアニメ『海のトリトン』(1972年４月１日 – ９月30日)の音楽を手がけたことで、なんとなくだが、ぼくの記憶に残っていた。<strong>ヒデ夕樹</strong>と<strong>杉並児童合唱団</strong>が歌うオープニング・テーマ「海のトリトン」もキャッチーだったけれど、どちらかというと本編で流れる洗練されたアンダースコアに、ぼくは年端もいかないのに強く惹かれていた。ただ佐藤さん、大野さん、それに菅野さんの場合もそうだったのだが、あとで<strong>鈴木宏昌</strong>という音楽家がジャズ・ピアニストであると知って、意外な発見と深い納得とが入り混じった心境に至ったものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　東京市日本橋区(現在の東京都中央区)生まれの<strong>鈴木宏昌</strong>(1940年５月26日 &#8211; 2001年５月21日)は、作曲家、編曲家として数多くの作品を手がけているが、もともとはジャズ・ピアニストである。“コルゲン”というニックネームで親しまれているので、以降コルゲンさんと呼ばせていただく。ぼくがコルゲンさんがジャズ・ピアニストであると知ったのは、日本コロムビアからリリースされた『<em>エレクトロ・キーボード・オーケストラ</em>』(1975年)というアルバムにおいて。このアルバムでは、８人の鍵盤奏者が20台のシンセサイザーをプレイするという、現代ではあり得ないプロジェクトが実現されている。この８人のなかに、佐藤さん、大野さん、そしてコルゲンさんがいた。しかも、作曲やアレンジ、それにシンセサイザーの操作にもっとも意匠を凝らしていたのは、この３人だった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9352 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen1.png" alt="犬のジャズ・ピアノ・トリオ(イラスト)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　コルゲンさんは、このアルバムで<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>の「鬼警部アイアンサイドのテーマ」をカヴァーするいっぽうで、オリジナル・ナンバー「ヒーテッド・ポイント」を提供している。これらの曲では、ジャズにファンク、ソウル、あるいはリズム・アンド・ブルースなどのエッセンスが加えられた、いわゆるジャズ・ファンクの流れを汲むサウンドが展開されている。なお「ヒーテッド・ポイント」は、本作とおなじ年にリリースされた<strong>石川晶とカウント・バッファローズ</strong>の『<em>ゲット・アップ！</em>』(1975年)でも採り上げられている。日本のジャズ・ロックやレア・グルーヴの先駆者である<strong>石川晶</strong>のリーダー作だが、ソングライティングをコルゲンさんが一手に担っており、サウンド的には<strong>鈴木宏昌</strong>のアルバムといった印象を与える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお、あとになったが、“コルゲン”というニックネームはもともと<strong>佐藤允彦</strong>につけられたものだった。<strong>石川晶とカウント・バッファローズ</strong>の前身である、<strong>カウント・バッファローとジャズ・ロック・バンド</strong>の『<em>ソウル・アンド・ロック</em>』(1969年)や『<em>神に愛と祈りを</em>』(1969年)といったアルバムに、鈴木、佐藤の両ピアニストが仲よく参加している。バンド・リーダーの石川さんと佐藤さんとは1960年代の中ごろから知り合いだったが、石川さんが佐藤さんのことを顔立ちや雰囲気がカエルに似ていることから、かぜ薬「コルゲンコーワ」のカエルをモティーフにしたキャラクター(ケロちゃんとコロちゃん)にちなんで、“コルゲン”と呼んでいた。ところが、佐藤さんがバークリー音楽院(現バークリー音楽大学)に留学してしまったため、おなじピアニストの鈴木さんが、２代目“コルゲン”を襲名することとなった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　歯科医の息子として生まれたコルゲンさんは、子どものころに短期間クラシック・ピアノのレッスンを受けたが、その後正統な音楽教育を仰いだことはないという。それでも慶應義塾大学経済学部に進学すると、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>や<strong>ビル・エヴァンス</strong>の演奏に触れてジャズに関心をもち、名門ビッグ・バンド、<strong>慶應義塾大学ライト・ミュージック・ソサイェティー</strong>に参加する。そのジャズ・ピアノやアレンジのマナーは、ほとんどがジャズのレコードを聴いて独習したものだった。それでも埒が明かないので、コルゲンさんは<strong>ジョージ川口のビッグ・フォア・プラス・ワン</strong>のメンバーとして活躍していたピアニスト、<strong>八木正生</strong>にジャズ・ピアノの手ほどきを受ける。八木さんは、前述の『<em>エレクトロ・キーボード・オーケストラ</em>』において、リーダー格としてメンバーを牽引していた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　また、コルゲンさんは慶應義塾大学在学中は、<strong>佐藤允彦</strong>、<strong>大野雄二</strong>とともに“慶應三羽烏”として名を馳せたことはあまりにも有名だが、３人はプロ・ミュージシャンとして活躍するようになってからも、緊密な関係を築いていた。特にコルゲンさんと佐藤さんとは絆を深める機会が多く、たとえばコルゲンさんの唯一のソロ・ピアノ・アルバム『<em>ウィズ・マイ・ホール・ハート</em>』(1996年)では、佐藤さんがプロデュースを手がけている。キッカケは1994年１月15日、医師の<strong>藤井修照</strong>が設立した岐阜県多治見市のプライヴェート・コンサートホール、スタジオ Fにおいて、コルゲンさんと佐藤さんとがピアノ・デュオを行ったこと。ピアノ２台だけのライヴ演奏において、佐藤さんはコルゲンさんの正統的なピアノ・プレイにあらためて感銘を受けたのだという。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　一般的に当時のコルゲンさんというと、どちらかというとフュージョン・タイプの音楽を志向するミュージシャンという印象を与えていた。しかもリーダー作といえば『<em>ザ・プレイヤーズ・ライヴ</em>』(1985年)以来、10年以上もご無沙汰となっていた。ぼくもこのアルバムがリリースされるとはじめて聞いたこときは、いささか驚きを禁じ得なかったのだが、フタを開けてみるとコルゲンさんのギミックとは無縁な、それでいてエモーションとダイナミクスが溢れんばかりのピアノ・プレイに、激しくこころを揺さぶられた。コルゲンさんは当初、独学で習得した自己のピアノ・テクニックでは、バランスのとれたオーケストラルなソロ演奏をすることができないと、だいぶ二の足を踏んだらしい。結果的には、佐藤さんの判断が正しかったのだが──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">プロデビューしたころからジャズ・ファンクの流れに身を投じていた</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお1994年１月15日にスタジオFにおいて行われたデュオ・ライヴの模様は、のちにコンサートホールのオーナーである藤井さんのプロデュースで、<strong>佐藤允彦・鈴木宏昌</strong>『<em>フォルテ &#8211; ピアノ・デュオ・ライヴ・アット・スタジオ F</em>』(2007年)としてリリースされた。コルゲンさんがこの世を去ってから、およそ６年後のことだった。佐藤＆鈴木の息はピッタリで、その絶妙なコンビネーションが生み出すエキサイティングな演奏、特に<strong>ディジー・ガレスピー</strong>の「チュニジアの夜」でのアグレッシヴでスリリングな展開に、ぼくも手に汗を握りながら聴き入ってしまった。コルゲンさんは晩年、がんを患い壮絶な闘病生活を送りながら、死の直前まで音楽活動をつづけていた。1990年から入退院を繰り返しながら、ピアノを弾きつづけたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんななかコルゲンさんは、一時的に体調が安定していたこともあり、2000年７月16日にスタジオ Fにおいてライヴ・レコーディングを行った。メンバーは、<strong>鈴木宏昌</strong>(p)、<strong>桜井郁雄</strong>(b)、<strong>関根英雄</strong>(ds)、<strong>原朋直</strong>(tp)で、コルゲンさんが敬愛する<strong>ジョー・ザヴィヌル</strong>や<strong>ハービー・ハンコック</strong>の楽曲から有名なジャズ・スタンダーズまで、ニュー・メインストリーム風な演奏が繰り広げられる。ライヴの模様は、やはり藤井さんのプロデュースによりアルバム『<em>ラスト・ライヴ・アット・スタジオ F</em>』(2010年)としてリリースされた。闘病生活を送っていたとは思えないほど、コルゲンさんのピアノ演奏は美しく軽快。病気の進行よりもピアノを弾けなくなることを懸念していたコルゲンさん、まさにジャズをプレイすることに最後まで命を燃やし尽くしたと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなコルゲンさんは、慶應義塾大学在学中からピアニストとして参加していた<strong>ジョージ川口</strong>のバンド・メンバーとして、プロ・ミュージシャンのキャリアをスタートさせている。<strong>小俣尚也とドライビングメン</strong>、<strong>小原重徳とブルー・コーツ</strong>、<strong>石川晶のカウント・バッファローとジャズ・ロック・バンド</strong>を経て、<strong>日野皓正クインテット</strong>に参加。日野さんのアルバム『<em>ハイノロジー</em>』(1969年)において、すでにアレンジャーとしての才能を発揮している。最初期のレコーディングは、<strong>ジョージ川口とビッグ・フォア・プラス・ワン</strong>での演奏で、<strong>白木秀雄クインテット</strong>、<strong>稲垣次郎クインテット</strong>の演奏も含むオムニバス・アルバム『<em>世界ポピュラー音楽大全集 VOL. 4</em>』(1963年)で聴くことができる。なおメンバーは、<strong>ジョージ川口</strong>(ds)、<strong>鈴木順</strong>(b)、<strong>鈴木宏昌</strong>(p)、<strong>村岡建</strong>(ts)、<strong>林鉄雄</strong>(tp)となっている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9353 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen2.png" alt="犬のピアニスト、サクソフォニスト、ギタリスト(イラスト)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　このアルバムはすこぶるレアなアイテムだが、<strong>ジョージ川口とビッグ・フォア・プラス・ワン</strong>による「死刑台のエレベーター」「ウォーキン」といった２曲は、幸いなことに同バンドのアルバム『<em>ビッグ・フォア・プラス・ワン登場！</em>』(1958年)が2006年にCD化された際、ボーナス・トラックとして収録された。興味のあるかたは、聴いてみてはいかがだろう。ただコルゲンさんがいかに優れたジャズ・ピアニストであるかを知るには、個人的にはピアノ・トリオ作品をお薦めしたい。とはいっても、そのキャリアにおいて早い時期からジャズ・ファンク寄りのサウンドを志向していたコルゲンさんだけに、ストレート・アヘッドなジャズ・アルバム、ことにピアノ・トリオで吹き込んだアルバムはきわめて少ない。実際ぼくの手もとには、たったの３枚しかない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　コルゲンさんは、非常に人気の高いファンキーなフュージョン・アルバム『<em>ハイ・フライング</em>』(1976年)を発表した直後に、<strong>稲葉国光</strong>(b)、<strong>日野元彦</strong>(ds)をサイドに据えた『<em>コルゲン・ワールド</em>』(1976年)、さらにその２年後に<strong>井野信義</strong>(b)、<strong>スティーヴ・ジャクソン</strong>(ds)と組んだ『<em>プリムローズ</em>』(1978年)といった、ピアノ・トリオ作品をリリースしている。どちらも、初期の<strong>チック・コリア</strong>を彷彿させる躍動感のあるピアノ・プレイと、オリジナリティに富んだ洒落たソングライティングが際立っている。この２枚を聴いて感じられるのは、コルゲンさんが繰り出す力強く淀みないラインから、氏が正統な音楽教育を受けず独学でピアノ・テクニックを身につけたプレイヤーとは、とても想像できないということである。それほどその演奏は、圧倒的な鮮やかさを放っているのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　以上の２枚は、全曲コルゲンさんのオリジナル・ナンバーでまとめられているということもあり、<strong>鈴木宏昌</strong>という音楽家の、ジャズ・ピアニスト、作曲家、編曲家としての魅力が凝縮された作品と云ってもいいのではなかろうか。そしてもう１枚、前述のソロ・ピアノ・アルバム『<em>ウィズ・マイ・ホール・ハート</em>』の上々の出来映えに気をよくしたのか、コルゲンさんは久々にピアノ・トリオ・アルバムを吹き込んでいる。<strong>坂井紅介</strong>(b)、<strong>村上寛</strong>(ds)をサイドメンに迎えた『<em>コルゲン・カラー</em>』(1997年)というアルバムで、インディペンデント・プロダクションだったがけっこう話題になった。オリジナル・ナンバーはないが、選曲にコルゲンさんのこだわりが感じられる。なによりも、そのピアノ・プレイに一段と磨きがかかっているところが素晴らしい。文句なしの名盤だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなコルゲンさんの全盛期といえば、1970年代半ばから1980年代の中盤までのおよそ10年間であると、ぼくは観ている。むろん1950年代の後半から亡くなられる前年の2000年まで、氏は一貫して圧倒的なテクニックと表現力豊かなパフォーマンスを披露してきた。そんななかでも、もっともコルゲンさんの個性的なスタイルが堅持されていたのは、上記の期間であるように思われる。サウンド的には、クロスオーヴァーないしフュージョンを志向していた時代だ。そもそもコルゲンさんは、前述のようにプロデビューしたころからすでに、ジャズ・ファンクの流れを汲むサウンドに身を投じていた。たとえば<strong>前田憲男</strong>が編曲と指揮を手がけた<strong>オール・スターズ・オーケストラ</strong>の『<em>ジャズ・ロック・リラックス</em>』(1968年)というアルバムで、コルゲンさんはバリバリのジャズ・ロックをプレイしている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このセッションには<strong>石川晶</strong>も参加しているが、コルゲンさんともども、そのグルーヴ感のあるプレイには気宇壮大なものがある。石川さんとコルゲンとさんはこのアプローチを、<strong>カウント・バッファローとジャズ・ロック・バンド</strong>や<strong>カウント・バッファローズ</strong>といったバンドで徐々にアップデートさせていくのだが、1970年に結成したジャズ・コンボ、<strong>フリーダム・ユニティ</strong>において急成長させる。<strong>石川晶</strong>(ds)、<strong>稲葉国光</strong>(b)、<strong>鈴木宏昌</strong>(key)、<strong>村岡建</strong>(ss, ts)、<strong>鈴木弘</strong>(tb)といった５人編成のこのグループは、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>を象徴とするエレクトリック・ジャズを展開しながらも、ジャズ・ロックとフリー・ジャズとの間隙を縫うような音楽性を、日本人アーティストならではの感覚で提示している。その創意と緊張感が横溢するパフォーマンスは、いま聴いてもイノヴェイティヴに響く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>フリーダム・ユニティ</strong>は、<strong>鈴木弘</strong>の渡米を機に５か月の活動をもって自然消滅したが、<strong>石川晶</strong>のリーダー作『<em>パワー・ロック・ウィズ・ドラムス &#8211; キリマンジャロのへの道</em>』(1971年)、伝説のソウル・シンガー、<strong>サミー</strong>こと<strong>茅野雅美</strong>のアルバム『<em>朝日のあたる家</em>』(1971年)、<strong>大野雄二</strong>の作品でお馴染みの女性３人組コーラス・グループ、<strong>シンガーズ・スリー</strong>のアルバム『<em>フォリオール #2</em>』(1971年)、当時のオーディオ技術の歴史的遺産であり、ディスクリート４チャンネル・ステレオ録音のデモンストレーション盤として、東芝音楽工業(現EMIミュージック・ジャパン)が制作した『<em>ダイナミック・ロック</em>』(1971年)『<em>CD-4</em>』(1971年)といったレコードで、その先駆的なサウンドを確認することができる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">コルゲン・バンドはバンド名をザ・プレイヤーズに変更</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>フリーダム・ユニティ</strong>ではメンバーの５人が対等な立場にあり、リーダーは選任されていなかったようだが、実際に音を聴くと、バンド・アンサンブルでの音作りにおいては、やはりコルゲンさんがイニシアティヴをとっていたように思われる。この不世出のジャズ・コンボの正式なリーダー・アルバムは『<em>サムシング</em>』(1971年)『<em>ダウン・バイ・ザ・ネイキッド・シティ</em>』(1971年)といった２枚にとどめを刺す。クラブ・シーンでも<strong>サミー</strong>のアルバムとともに高く評価される２枚だが、ぼくにとっても、いまもって自室のオーディオに向かって新鮮な気持ちにさせられるレコードとなっている。なお、<strong>鈴木弘</strong>が一時帰国した際に吹き込んだ『<em>キャット</em>』(1976年)のレコーディング・メンバーは、実は<strong>フリーダム・ユニティ</strong>の５人。こちらも名盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>フリーダム・ユニティ</strong>が解散してからも、コルゲンさんは数多くの音楽作品を発表していく。<strong>鈴木宏昌とナウ</strong>という名義でリリースされたイージー・リスニング・アルバム『<em>スクリーンのサウンド・クリエイターたち</em>』(1972年)を筆頭に、様々な企画アルバムを手がけている。ちなみにこのアルバムも、マトリックス方式４チャンネル・ステレオという、立体的な音響効果が狙われた特殊なレコードである。オリジナル・アルバムとしては、<strong>稲垣次郎とビッグ・ソウル・メディア</strong>を従えた『<em>バイ・ザ・レッド・ストリーム</em>』(1973年)と、ソロ名義のリーダー・アルバム『<em>ハイ・フライング</em>』(1976年)が広く知られている。前者はジャズ・ロックやフリー・ジャズのエッセンスが採り入れられた作品だが、後者はクロスオーヴァー時代の到来を強く感じさせるアルバムだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『<em>ハイ・フライング</em>』は、コルゲンさんの全盛期の幕開けとなった、重要な作品である。このアルバムで一貫して生み出されているグルーヴ感は、明らかに従来のジャズから脱却したもの。<strong>杉本喜代志</strong>(g)、<strong>岡沢章</strong>(b)、<strong>村上秀一</strong>(ds)などが放つヴァイブスは、まさにフュージョン・サウンドだ。そしてこのアルバムが発表された1976年３月に結成されたのが、日本のフュージョン・バンドの草分け、<strong>コルゲン・バンド</strong>だった。コルゲンさんはこのバンドで『<em>スキップ・ステップ・コルゲン</em>』(1977年)『<em>トリトン</em>』(1979年)『<em>ア・ロンリー・フォーリング・スター</em>』(1981年)といったアルバムを発表。なお『<em>ア・ロンリー・フォーリング・スター</em>』は1977年11月21日に吹き込まれた音源がレコード化されたもので、コルゲン・バンド名義の使用は実のところ1979年に終止符が打たれている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9354 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen3.png" alt="犬のピアニスト(イラスト)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　この<strong>コルゲン・バンド</strong>のメンバーは、<strong>鈴木宏昌</strong>(key)、<strong>松木恒秀</strong>(g)、<strong>岡沢章</strong>(b)、<strong>市原康</strong>(ds)、<strong>穴井忠臣</strong>(perc)、<strong>山口真文</strong>(ss, ts)といった顔ぶれ。なお1977年の終わりごろからはドラムスが<strong>渡嘉敷祐一</strong>に替わっている。いずれにせよ彼らは、ポピュラー・ミュージックを演奏させたら、演奏技術から、即興力と応用力、音感やリズム感に至るまでどこをとってもトップクラス。それ故、彼らは日本のミュージック・シーンで引く手あまたの人気。バンド活動を継続しながらも、いわゆるファーストコール・ミュージシャンとして、様々なアーティストのレコーディングに参加している。彼らを積極的に起用したのだが、実は<strong>大野雄二</strong>だった。それはともかく<strong>コルゲン・バンド</strong>は、バンド名を<strong>ザ・プレイヤーズ</strong>に変更し、さらなる飛躍を遂げる。フュージョン系のバンドでは日本最高峰と、ぼくは信じてやまない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・プレイヤーズ</strong>は、伝説的な音楽プロデューサー、<strong>伊藤八十八</strong>が、1978年にCBS・ソニーレコード(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)内に設立したレーベル、オープンスカイからレコード・デビュー。１年に１枚と安定したペースで『<em>ギャラクシー</em>』(1979年)『<em>ワンダフル・ガイ</em>』(1980年)『<em>マダガスカル・レディ</em>』(1981年)『<em>スペース・トラベル</em>』(1982年)『<em>ジャック・ア・ダンディ</em>』(1983年)『<em>アップ・トゥ・ユー</em>』(1984年)『<em>ザ・プレイヤーズ・ライヴ</em>』(1985年)といった７枚のアルバムを発表。ただし<strong>穴井忠臣</strong>が１枚目をもって脱退。４枚目でサクソフォニストが<strong>山口真文</strong>から<strong>ボブ斉藤</strong>に交替。６枚目からバスクラリネットとサックスで<strong>中村誠一</strong>が加わる。どのアルバムも高品質だが、今回は衝撃のデビュー作『<em>ギャラクシー</em>』について、具体的に触れてみたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムのレコーディングでは、６人のバンド・メンバーのほかに、<strong>新田一郎</strong>(tp)、<strong>兼崎順一</strong>(tp)、<strong>岡田澄雄</strong>(tb)、<strong>平内保夫</strong>(tb)、<strong>三田治美</strong>(tb)らによるホーン・セクション、<strong>前田昌利</strong>(vlc)率いる<strong>トマト・ストリングス</strong>がサウンドに彩りを添えている。曲目はすべてコルゲンさんのオリジナル。なお「ギャラクシー」「ヘヴンリー・メイデン」「ミスティー・ムーンライト」は、当時は未発売だった<strong>コルゲン・バンド</strong>の『<em>ア・ロンリー・フォーリング・スター</em>』の収録曲。アレンジの違い、市原さんと渡嘉敷さんとのドラミングの違いを楽しむことができるので、ぜひ聴きくらべていただきたい。また「カレイドスコープ」の原曲は、コルゲンさんが音楽を手がけた映画『サーキットの狼』(1977年)のなかの１曲「小さな箱の中で」である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムはアップビートな「ギャラクシー」からスタートする。コルゲンさんが敬愛する<strong>ウェザー・リポート</strong>からの影響を感じさせるスペーシーなシンセサイザー、ファンキーなベースライン、そしてタイトなドラミングが躍動感溢れるフュージョン・サウンドを演出。トライバル・ビートに乗ったソプラノ、そのあとのグルーヴィーな展開に乗ったシンセといったソロが痛快だ。つづくバラード「イン・ユア・マインド」では、ファンタスティカルなローズ・ピアノをバックに、テナーがメロディアスでピースフルなソロを繰り広げる。ベースのオブリガートも絶品だ。インタールード的な「アンスウィーテンド」は短尺ながら、このバンドの卓越したユニゾン、そしてインタープレイを堪能することができる。彼らの演奏技術がいかに優れているかが、よくわかる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　A面ラストの「カレイドスコープ」では、メランコリックなゆったりとしたソプラノによるテーマが、パーカッシヴなホーン・セクションが挿入されたあと、一気にテンポアップする。ここでのハイライトはなんといっても、ロッキッシュなギターの白熱するソロ。サンバ・ビートになってからのローズのソロも軽やかでいい。ドラムス、ベース、そしてパーカッションのバッキングも圧巻だ。B面のトップはシンコペーテッドなフュージョン・ブギー「ヘヴンリー・メイデン」からスタート。シンセのソウルフルなソロも然ることながら、シネマティックなブラス・サウンドとキレのあるギターのカッティングが爽快だ。エキゾティックかつミステリアスな「マジック・ランプ」では、ファンクとラテンとがほどよくミックスされたビート感のなか、ソプラノが悠然と美しいメロディを歌い上げる。ストリングスも効果的だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバム中唯一晴れやかなムードの「サニー・サイドウォーク」では、転調が効果的な爽やかなメロディック・ライン、軽快にバウンスするリズムが心地いい。テナーによるテーマ、そしてアコースティック・ピアノによるソロもさっぱりしていて、コルゲンさんのソングライティングのセンスのよさが窺われる。アルバムのラストを飾る「ミスティー・ムーンライト」では、神秘的で繊細なサウンドがやはり<strong>ウェザー・リポート</strong>のそれを彷彿させる。とはいっても後半がメロウな展開を見せるところは、コルゲンさんらしい。夜の静寂に溶け込むようなソプラノとシンセの柔らかで美しい音色が、深い余韻を残す。本作は、メンバー個々のフィーチュアリングが少なめな構成となっているが、逆にコルゲンさんの音楽性がもっとも発揮された１枚とも云える。そういった意味も含めて『<em>ギャラクシー</em>』は、輝かしき幕開けの作品なのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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<p></p>]]></content:encoded>
					
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		<title>菅野光亮トリオ / When The World Was Young (1978年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 21 Jun 2026 07:06:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Mitsuaki Kanno (菅野光亮)]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9297</guid>

					<description><![CDATA[オリエンタルなメロディと日本固有のグルーヴとが融合されたサウンドとして、海外のクラブ・ジャズ界隈で高く評価される、菅野光亮が残した唯一のピアノ・トリオ作品『ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">オリエンタルなメロディと日本固有のグルーヴとが融合されたサウンドとして、海外のクラブ・ジャズ界隈で高く評価される、菅野光亮が残した唯一のピアノ・トリオ作品『ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング』</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>菅野光亮トリオ / When The World Was Young (1978)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : I Wish You Love</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">どういうわけか日本のジャズ作品を聴く機会があまりなかった</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくは音楽に関しては、どちらかというと偏食家と云えるだろう。とはいっても、特定の音楽を極端に避ける傾向があるわけではない。単に視野が狭いだけなのだろう。まったく甲斐性がないもので、ぼくには敢えてまだ見ぬ世界を深く知ろうとするような、原動力がないのである。ただ自分には、意識的にアンテナを張り巡らせるような習慣はないけれど、音楽だけでなくアートなどの場合もそうなのだが、こころに響くものに出会うと、それに対して深く掘り下げるようなアプローチをするところがある。しかも年を追うごとに、そういう気質が強くなっているようだ。その結果、自室の棚に並ぶレコードといえば、きわめて偏ったラインナップとなっている。むろん、自分の意見に固執したり、他者の視点を考慮しなかったりすることはないけれど──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　世のなかには、ジャズ・シーンで多大な貢献をした熱心な愛好家や、ジャズの歴史や音楽理論に精通した有識者がたくさんいるし、１万枚以上の貴重なレコードや膨大なプライヴェート録音テープなどを集めたコレクターも存在する。そこまでではないにしても、幅広くジャズを聴いているリスナーは星の数ほどいる。まったく羨ましい限りだが、本来ジャズ・ファンとはそういうものであり、ぼくのようなヤツのことはジャズ・ファンとは云わないのかもしれない。ということで、さらに浅学非才の身であるが故、あまり偉そうには云えないのだが、勇気をもって今回もお薦めのレコードをご紹介したいと思う。しかもこの際だから、いつも以上に腹をくくって日本のジャズ作品を採り上げてみようと思った次第である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくにはこれまでに、どういうわけか日本のジャズ作品を聴く機会があまりなかった。だから、日本のジャズ・プレイヤーのことをあまりよく知らない。お恥ずかしい限りだが、たとえば現在ぼくが好んで聴きつづけている日本のジャズ・ピアニストというと、<strong>山中千尋</strong>くらいのものである。ぼくが山中さんのファンになったキッカケは、その初リーダー・アルバム『<em>リヴィング・ウィズアウト・フライデイ</em>』(2001年)で、スウェーデンのジャズ・プレイヤー、<strong>ラーシュ・ヤンソン</strong>のオリジナル・ナンバー「インヴィジブル・フレンズ」が演奏されていたこと。ヤンソンは当時のぼくにとって、もっとも敬愛するジャズ・ピアニストだったのである。ちなみに、ぼくの知人に桐朋学園大学音楽学部出身の女性がいるのだけれど、彼女はスゴい下級生として山中さんのことを鮮明に覚えていた。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9319 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa1.png" alt="ピアノを弾く犬のぬいぐるみ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　山中さんは、桐朋女子高等学校音楽科に在籍していたころから、ピアノ演奏において格別な技巧や能力をもった生徒として注目の的となっていたとのこと。それも山中さんがその後、バークリー音楽大学を首席で卒業したこと、同大学在学中には音楽家というよりも理論家といった印象が強い巨匠、<strong>ジョージ・ラッセル</strong>から絶賛されたことを鑑みれば、大いに得心がいくというもの。クラシックで培ったその確かな基礎に裏打ちされた華麗な速弾きには、いつもウットリさせられる。そんな卓越したテクニックとパッションを兼ね備えたアグレッシヴなタッチが、山中さんのピアノ・プレイの最大の魅力と思われるが、さらにぼくが惹かれる点といえば、彼女が楽曲に施す大胆かつ緻密なアレンジメント。その既存の枠にとらわれないリズムやハーモニーの解釈が、常にフレッシュな音楽を創出している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　クラシックやジャスの世界にヴィルトゥオーソは、それこそ星の数ほどいるのだろうが、山中さんのように技術偏重に陥らず一貫して音楽性の深みや傑出した解釈を押し出すピアニストはなかなかいない。山中さんの音楽が、ぼくの志向性と完全に一致するわけではないけれど、それが自分の感性を刺激するものであることは紛れもない事実。この感覚はある意味で、恋愛感情に似ているかもしれない。いずれにせよぼくは、ヴィブラフォニスト、<strong>ベン・アダムス</strong>の『<em>ザ・フィギュアド・ホイール</em>』(2000年)、ジャズ＆ポップ・シンガー、<strong>マーリーン・ヴァー・プランク</strong>の『<em>イッツ・ハウ・ユー・プレイ・ザ・ゲーム</em>』(2004年)といった、山中さんが参加したマイナーなアルバムにまで手を出すほど、彼女の大ファンなのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなわけで山中さんは、いまのぼくにとって、新譜がリリースされるとそれを必ず手にとるという、数少ない日本人ジャズ・ピアニストのひとりとなっている。とはいっても今回ご紹介するのは山中さんのアルバムではなくて、ぼくがジャズを聴きはじめたころの年代モノの名盤である。引き合いに出してしまった山中さんにはたいへん申し訳ないけれど、彼女の作品についてはひとまず見送らせていただく。もちろん、いつか必ずこのブログで採り上げることをお約束する。ついては今回の話題に関して早速、ずっと過去に遡ることにする。それはぼくが小学校高学年生だったころのこと。従兄の家ではじめてジャズのレコードを聴き、その魅力にとり憑かれて間もなく、ぼくは早々に日本人ジャズ・プレイヤーのレコードを手にする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それは過日(2026年５月４日)他界された作曲家でありジャズ・ピアニストでもある、<strong>大野雄二</strong>のアルバム『<em>ミスター・ハピゴン</em>』(1973年)だった。大野さんが1971年に<strong>池田芳夫</strong>(b)、<strong>岡山和義</strong>(ds)をサイドに据えたピアノ・トリオで吹き込んだ、初リーダー作である。云うまでもなく大野さんは、ジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせたのだが、のちに映画『犬神家の一族』(1976年)やテレビアニメ『ルパン三世』第２シリーズ(1977年 – 1980年)の音楽を手がけ、作曲家として広く知られるようになった音楽家だ。ぼくもはじめは、大野さんがジャズ・ピアニストであるとは思いもよらなかった。ぼくと大野サウンドとの出会いが、<strong>石立鉄男</strong>主演による、日本テレビ系列で1970年代に放映されたホームコメディドラマ・シリーズの第１作『おひかえあそばせ』(1971年)だったからだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その後ぼくは、やはり日本テレビ系列のドラマシリーズ『火曜日の女』(1969年11月4日 – 1972年3月27日)を観るようになるのだけれど、そのころはまだ大野さんの名前を覚えていなかったかもしれないが、氏の音楽には強く惹かれていたと思う。要するにぼくは、まだ年端もいかない子どものころから、知らず知らずのうちに大野サウンドを刷り込まれていたわけだ。それは同時に、そうと知らずにジャズという音楽に接していたことにもなる。いずれにしても、<strong>大野雄二</strong>という音楽家がもともとジャズ・ピアニストだったということを知るのは、もう少しあとのこと。具体的には1976年に公開された、映画『犬神家の一族』を鑑賞したとき。鑑賞後に購入したパンフレットの巻末に、サントラ盤の宣伝広告のページがあったのだが、そこに大野さんのプロフィールが掲載されていたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　大野さんがジャズ・ピアニストと知ったぼくはときを移さず、父親に頼み込んでわざわざ銀座の山野楽器まで連れていってもらい、ついに『<em>ミスター・ハピゴン</em>』を手に入れたのだった。いまでもそのときのことをよく覚えているのだけれど、象牙色のジャケットの下のほうに着色されたモノクロームの写真の大野さんがすごく小さくて、どことなく怪しくて気が許せないように感じられた。鮮やかな真紅のタスキに“RCAモダン・ジャズ・シリーズ”と記載されているのを見たとき、小学生のぼくははじめてオトナのアイテムを手にするウレシさみたいなものを感じたりもした。その反面、ジャケットの裏面に写る長髪にラフな格好の大野さんからちょっと赤軍派をイメージしてしまい、恐る恐るレジにもっていった覚えがある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">好んで聴いていた日本のジャズ作品は“慶應三羽烏”のアルバムだった</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　当時の大野さんは、評論家たちの間では主流派に属するジャズ・ピアニストと目されていたようだが、確かに氏のプレイは本質的な部分ではナチュラルでホットに響く。それでも決してそのスタイルは旧態依然としたものではなく、フレッシュな感覚に満ち溢れたもの。その点、いま聴いてもまったく色褪せておらず、ぼくは現在も本盤をとき折ターンテーブルに載せている。それはともかく、ぼくはジャズを本格的に聴くようになるまえは、クラシック、ポップ・ミュージック、映画音楽、それにブラジルの音楽などに親しんでいた。もし大野さんがテレビドラマや映画の音楽を手がけていなかったら、ぼくは『<em>ミスター・ハピゴン</em>』を手にとることはなかったかもしれないし、おそらく日本人ジャズ・プレイヤーの作品とはもっと縁遠くなっていただろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そして、おなじようなケースで手にしたのが、<strong>佐藤允彦</strong>のアルバム『<em>パラディウム</em>』(1969年)。サイドに<strong>荒川康男</strong>(b)、<strong>富樫雅彦</strong>(ds)を従えたトリオによる吹き込みだが、奇しくもこの作品もまた、佐藤さんの初リーダー・アルバムだった。実は前述のドラマシリーズ『火曜日の女』の音楽を最初に担当していたのが、佐藤さんだった。氏は番組がスタートした1969年から1972年までの３年間、計20作品の音楽を手がけている。そして1972年から大野さんが助っ人として登板するようになり、放送時間が変わり『土曜日の女』(1973年４月７日 – 1974年3月30日)になってから番組が終了する1974年まで、すべての作品を手がけている(計17作品)。大野さんのリリーフは、この番組のプロデューサーで、<strong>石立鉄男</strong>主演によるホームコメディドラマ・シリーズも手がけていた、<strong>小坂敬</strong>の肝煎りによるものだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおこの『火曜日の女』は、サウンドトラック・アルバムが発売されている。東宝レコードがリリースした『<em>佐藤允彦 女を奏う – 火曜日の女 –</em>』(1970年)というレコードだった。おそらく日本のテレビドラマのサウンドトラック・アルバムとしては、草分け的な作品になるのではないだろうか。アルバム・タイトルからも分かるとおり、収録曲はすべて佐藤さんのスコアである。大野さんの楽曲はいまだに商品化されていないが、ぼくとしては今後日の目を見ることを切望する。レコーディング・メンバーは、<strong>佐藤允彦</strong>(key)、<strong>石川晶</strong>(ds)、<strong>荒川康男</strong>(b)、<strong>稲葉国光</strong>(b)、<strong>杉本喜代志</strong>(g)、<strong>後藤芳子</strong>(vo)といった、当時の一流のジャズ・プレイヤーたちで固められている。クレジットの記載はないが、曲によっては弦楽器、管楽器、打楽器なども加えられている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9320 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa2.png" alt="コントラバスを演奏する犬のぬいぐるみ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　思い返せば、この『火曜日の女』の音楽は、佐藤さんの曲にしても大野さんの曲にしても、のちにふたりが手がけた映像作品の音楽と比較すると、かなりジャズのトーンが強めだった。それは1970年代前半という時代を反映するもので、フリー・ジャズ、ジャズ・ロック、ボサノヴァ、イージー・リスニングといった1960年代の音楽を発展させたようなサウンドだった。特にリズムの面では、のちのフュージョンのように16ビートが主体となることはない。しかしながら、ふたりの紡ぎ出す流麗なメロディック・ラインや捻りを加えたソフィスティケーテッドなハーモニーからは、すでにそれとわかる強烈な独自性が感じられる。いずれにせよ大野さんの場合と同様に、ぼくはこのドラマシリーズを観ていなかったら、佐藤さんの『<em>パラディウム</em>』を手にしなかったかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『<em>パラディウム</em>』のコンテンツは、バークリー音楽院(現バークリー音楽大学)への留学から帰国したばかりの佐藤さんの、はじめてのレコーディング・セッションである。曲目は<strong>ザ・ビートルズ</strong>の有名な曲「ミッシェル」以外は、すべて佐藤さんのオリジナル・ナンバー。かつて氏がバークリー入学の際にデモンストレーション用に作曲した曲も含まれており、本作では終始アートオリエンテッドなサウンドが展開される。ときにはフリー・フォームのインタープレイや、プリペアード・ピアノの演奏も飛び出してくる。そんな前衛的なスタイルがエナジェティックに展開されるシーンもあるのだが、小学生のぼくでも存外この作品に拒否反応を示すことはなかった。そういう音楽には『火曜日の女』のアンダースコアで、すでに親しんでいたからだろう。 　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　確かに佐藤さんの作品には、ジャズを高みへ誘うような風情がある。しかしながら、高いステージや水準を見据えた音楽ばかりを創出しているわけではない。たとえば1980年代には、<strong>佐藤允彦＆メディカル・シュガー・バンク</strong>というグループを組んで、ドープなフュージョン・サウンドを繰り広げたり、<strong>リチャード・デューセンバーグ III世</strong>という変名で、<strong>ザ・ベルエア・ストリングス</strong>という弦楽器をメインに据えたプロジェクトを率いたりもした。特に後者の一連の作品には、ジャズやフュージョンというよりもハイグレードなイージー・リスニングといった趣きがある。このプロジェクトで佐藤さんは当初、本名を隠していたのだけれど、ストリングスの特徴的なカウンターメロディなどから、ぼくはすぐにこの謎の人物が氏であると気がついたものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またそのいっぽうで、佐藤さんは自己のプロデュース・レーベル、バージ・レコードから『<em>リフレクションズ</em>』(1997年)という、カジュアルなソロ・ピアノ作品集を発表している。佐藤さんのアルバムには、新しい趣向や表現方法、あるいは未知の領域に挑むような作品が多々ある。でもこのアルバムにはそういうムードはなく、いささかハーモニーに捻りがきいているとはいえ、飽くまでリラックスして浸ることができるような極上の味わいがある。そんな佐藤さんの懐の深い音楽性に、ぼくは惹かれるのである。なお佐藤さんと大野さんとが共演した作品に、日本コロムビアからリリースされた『<em>エレクトロ・キーボード・オーケストラ</em>』(1975年)というアルバムがある。８人の鍵盤奏者が20台のシンセサイザーをプレイするという、現代ではあり得ないプロジェクトが実現されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このレコードでぼくが新たに興味をもったジャズ・ピアニストが、“コルゲン”こと<strong>鈴木宏昌</strong>(2001年５月21日 60歳没)だった。コルゲンさんはこのプロジェクトに参加したあと、日本のフュージョンの草分けとして、自己のグループ、<strong>コルゲン・バンド</strong>結成し『<em>スキップ・ステップ・コルゲン</em>』(1977年)『<em>トリトン</em>』(1979年)『<em>ア・ロンリー・フォーリング・スター</em>』(1981年)といったアルバムを発表。さらにバンド名を<strong>ザ・プレイヤーズ</strong>に変更し、さらなる飛躍を遂げた。このバンドは、演奏技術から、即興力と応用力、音感やリズム感に至るまでどこをとってもトップクラス。日本のフュージョン・バンドの最高峰に位置すると云っても、過言ではないだろう。かたや氏は、ストレート・アヘッドなジャズ・アルバムも吹き込んでいる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>鈴木宏昌</strong>という名前は、氏がTBS系列のテレビアニメ『海のトリトン』(1972年４月１日 &#8211; ９月30日)の音楽を手がけたことで、なんとなくだが、ぼくの記憶に残っていた。大野さんの場合と同様に、あとでコルゲンさんがジャズ・ピアニストと知って、意外な発見と深い納得とが入り混じった心境に至ったものである。コルゲンさんはファンキーなフュージョン・アルバム『<em>ハイ・フライング</em>』(1976年)を発表した直後に、<strong>稲葉国光</strong>(b)、<strong>日野元彦</strong>(ds)をサイドに据えた『<em>コルゲン・ワールド</em>』(1976年)、さらにその２年後に<strong>井野信義</strong>(b)、<strong>スティーヴ・ジャクソン</strong>(ds)と組んだ『<em>プリムローズ</em>』(1978年)といった、ピアノ・トリオ作品をリリースしている。どちらも、初期の<strong>チック・コリア</strong>を彷彿させる躍動感のあるピアノ・プレイと、オリジナリティに富んだ洒落たソングライティングが際立っている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">クラシック音楽を学び大学卒業後はジャズ・ピアニストとして活躍</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、<strong>大野雄二</strong>、<strong>佐藤允彦</strong>、<strong>鈴木宏昌</strong>の３人は、ぼくが長年敬愛してきた数少ない日本のジャズ・ピアニスト。そしてこの３人は、当時から単なるジャズ・ピアニストではなく実にクリエイティヴな音楽家だった。前述の『<em>エレクトロ・キーボード・オーケストラ</em>』でも、作曲やアレンジ、それにシンセサイザーの操作にもっとも意匠を凝らしていたのは彼らだった。そういう音楽性をもったジャズ・プレイヤーだったからこそ、ぼくは彼らに惹かれたのだろう。なお奇しくもこの３人は、名門ビッグ・バンド、<strong>慶應義塾大学ライト・ミュージック・ソサイェティー</strong>の出身で、俗に“慶應三羽烏”と呼ばれている。と、ここまで長々と偏食家であるぼくが敬愛する日本人ジャズ・ピアニストについてお伝えしてきたが、最後にもうひとり、どうしてもご紹介したいプレイヤーがいる──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これまで述べたとおり当時のぼくは、意識的に国産のジャズ作品を聴こうとしたわけでなく、琴線に触れた映像作品の劇伴を手がけた音楽家の作品を深掘りしただけ。そしてその作曲家たちが、期せずしてジャズ・ピアニストだったのである。すなわちぼくは、ジャズをジャズと知るまえから、その響きに惹かれていたのだろう。さきに挙げた３人と同様に、ぼくが<strong>菅野光亮</strong>のレコードを手にとるキッカケは、氏が音楽を担当した映像作品を体験したことだった。その作品とは、1974年10月19日に公開された松竹映画『砂の器』で、<strong>松本清張</strong>の社会派ミステリー小説が<strong>橋本忍</strong>と<strong>山田洋次</strong>との共同脚本、<strong>川又昂</strong>の撮影、そして<strong>野村芳太郎</strong>の演出によって映像化された不朽の名作だ。音楽監督を務める<strong>芥川也寸志</strong>が劇伴の作曲を依頼したのが、氏の東京藝術大学音楽学部の後輩にあたる菅野さんだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この映画において、<strong>熊谷弘</strong>が指揮する<strong>東京交響楽団</strong>と、自らピアノ演奏を務めた菅野さんとの共演による「ピアノと管弦楽のための組曲『宿命』」は、多くの観客のハートを鷲づかみにした。ピアノと３管編成のオーケストラとによって演奏されるこの曲には、確かに<strong>セルゲイ・ラフマニノフ</strong>の「ピアノ協奏曲第２番」を彷彿させるところがあるけれど、それは単に甘美なメロディをもつという点において。それよりも菅野さんのスコアには、純粋なクラシック作品の枠に収まらない音楽性が感じられる。西洋音楽にはないに日本的情緒が強く伝わってくるのも然ることながら、電子楽器が使用されたミュージック・コンクレートのエッセンスや、ピアノのカデンツァに現れるジャズのマナーが与える衝撃が、なんとも新鮮に映るのである。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9321 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa3.png" alt="ドラムスを叩く犬のぬいぐるみ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/fuwafuwa3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　そんな菅野さんは、クラシック音楽の作曲法を学びながらも、大学卒業後はジャズ・ピアニストとして活躍するという変わり種。映像作品も多数手がけたが、残念なことに過労による体調急変のため1983年８月15日、44歳という若さでこの世を去った。日本の美意識をジャズで表現した『<em>詩仙堂の秋</em>』(1973年)、唯一のピアノ・トリオ作『<em>ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング</em>』(1978年)、<strong>ゲイリー・フォスター</strong>(as, ss)をゲストに迎えたダイレクト・ディスク『<em>ビューティフル・フレンドシップ</em>』(1979年)、<strong>森寿男とブルーコーツ</strong>との共演盤『<em>ドン･キホーテの詩</em>』(1980年)、<strong>大野三平</strong>こと<strong>大野肇</strong>(p)、小説家とは別人の<strong>菊地秀行</strong>(as)も参加した『<em>冬の終わりに A LA FIN D’HIVER</em>』(1981年)といった、数少ないジャズ作品は、どれも出色の出来栄えである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　菅野さんの書く曲は、映画『砂の器』の音楽がそうであるように、叙情味に溢れていて淀みなく美しい。しかも難解なところがなく、一度聴いただけで口ずさめるようなメロディをもつ。そしてそれは、ピアノ演奏にもおなじことが云える。<strong>テディ・ウィルソン</strong>を敬愛する菅野さんのピアノ・プレイは、メロディアスでタッチが力強く、聴くものに鮮烈な印象を与える。ジャズ作品においては、モダンなコードとフレーズとを次々に繰り出して、よくスウィングする。シングル・ノート、オクターヴ、ブロック・コードを上手く使い分けて徐々に盛り上げていく展開には、それこそスウィング・ピアノの巨人ともいうべきウィルソンのプレイを連想させるものがある。そのブリリアント・ピアノは、ジャズ・シンガー、<strong>上野尊子</strong>のデビュー・アルバム『<em>グッド・モーニング・ハートエイク</em>』(1977年)でも、大いに発揮された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただなぜか日本では、菅野さんのジャズ作品が取り沙汰される機会が非常に少ない。オリエンタルなメロディと日本固有のグルーヴとが融合されたサウンドとして、菅野さんの音楽を高く評価しているのは、実は海外のクラブ・ジャズ界隈で、特に『<em>詩仙堂の秋</em>』と『<em>ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング</em>』は、DJやレコード・コレクターのあいだでマストハヴなアイテムとされている。特に大野さんや佐藤さんとも共演歴のある<strong>福井五十雄</strong>(b)、スタジオジブリの楽曲が本格的にジャズ化された『<em>ジャズ・フォー・チルドレン</em>』(2009年)というリーダー作が話題となった<strong>野口迪生</strong>(ds)をサイドに迎えた後者は、前述のように<strong>菅野光亮</strong>唯一のピアノ・トリオ作品ということもあり、たいへん貴重な吹き込み。ぼくにとっても、長年の愛聴盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このピアノ・トリオ作品は、菅野さんの優れた音楽性に基づくピアノ・プレイがもっとも際立ったアルバムであると、ぼくは信じている。現代においても色褪せるどころか、ますます輝きを増しているように思われる。オープニングの「ノー・モア・ブルース」を聴いただけでも、その魅力がお分かりいただけるだろう。原曲は<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>の「想いあふれて」だが、ここではボサノヴァではなく軽快なサンバにアレンジされている。ブラシとベースとが打ち出す強力なリズムに乗って、ピアノがなんとも雄弁に歌いまくる。つづく「ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング」は、もともと<strong>フィリップ・ジェラール</strong>のシャンソン「パリの騎士」だった。リリカルなイントロから瀟洒なジャズ・ワルツへと移行する。ベースのソロもなかなかだが、ピアノのドラマティックな展開が絶品だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ガス・アーンハイム</strong>の「スウィート・アンド・ラヴリー」は、ピアニストの名演が数多く存在する有名曲。落ち着いた感じの演奏だが、途中ダブルタイムになる展開が素晴らしい。この曲で、疾走感が演出されるというのは稀かもしれない。菅野さんのオリジナル「パストラル」は、ベースがフィーチュアされたモーダルなナンバー。緊張と緩和とのサイクルがゆったりと繰り返される、あたかも映画音楽のような曲だ。B面トップの「ユー・アー・マイ・ハーツ・ディライト」は、<strong>フランツ・レハール</strong>のオペレッタ『微笑みの国』のなかの有名なアリアが原曲。ベース・ソロ、ピアノのブロック・コード、４バースでのドラムス・ソロと、アルバム中もっともスウィンギーでダイナミックな演奏が繰り広げられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　菅野さんのオリジナル曲「ティアドロップス・オブ・ジ・エンジェル」は、リリカルでセンチメンタルなメロディック・ラインが『砂の器』の音楽を彷彿させる。とはいってもアドリブ・パートではテンポが上がり、菅野さんならではの華麗なピアノのエクスプレッションが全開。メロディアスで力強いタッチが、痛快無比である。数多くの歌唱で知られる「アイ・ウィッシュ・ユー・ラヴ」は、<strong>シャルル・トレネ</strong>のシャンソン「残されし恋には」が原曲。ぼくはこの曲が、歌詞も含めて大好きなのだけれど、菅野さんの繊細な味つけが光るこのヴァージョンもまたお気に入り。後半の転調が泣かせる。そしてラスト、<strong>デヴィッド・マン</strong>の「イン・ザ・ウィ・スモール・アワーズ・オブ・ザ・モーニング」では、情感たっぷりのソロ・ピアノが温かな余韻を残す。いやはや、何度聴いても感動するな──このアルバム。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Eumir Deodato / Bossa Nova Original Motion Picture Soundtrack (2000年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 14 Jun 2026 08:16:30 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Soundtrack]]></category>
		<category><![CDATA[Eumir Deodato]]></category>
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					<description><![CDATA[エウミール・デオダートのオリジナル・スコアとアントニオ・カルロス・ジョビンの既存の曲とで構成された本邦劇場未公開映画『愛のボサノバ』のサウンドトラック・アルバム]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">エウミール・デオダートのオリジナル・スコアとアントニオ・カルロス・ジョビンの既存の曲とで構成された本邦劇場未公開映画『愛のボサノバ』のサウンドトラック・アルバム</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
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<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Eumir Deodato / Bossa Nova Original Motion Picture Soundtrack (2000)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Suddenly</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">ボサノヴァのコンピレーション・アルバムとしての機能を果たす１枚</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ついでと云ってはなんだが、<strong>エウミール・デオダート</strong>が音楽を手がけた映画のサウンドトラック・アルバムを１枚ご紹介しておこうと思う。前回はワーナー・ブラザース・レコードに所属していたころのデオダートのリーダー作『<em>ナイツ・オブ・ファンタジー</em>』(1979年)を採り上げた。クロスオーヴァー・サウンドとブラジリアン・テイストとが首尾よくディスコビートに載った、爽快なアルバムである。ところでその際、自室の棚にある彼のレコードやCDを片っ端から聴き直しているうちに、このサントラCDに行き当たった。恥ずかしながらぼく自身、その存在自体を失念していたのだが、これが存外、ボサノヴァのリズムとハーモニーが明るく爽やかな印象を与える、いかにも精神的に暑さをクールダウンさせるような内容で、この時季にピッタリな１枚だった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このCD、<strong>ブルーノ・バレット</strong>監督、監督の当時の奥さまでもある<strong>エイミー・アーヴィング</strong>主演による『愛のボサノバ』(2000年)という映画のサウンドトラック・アルバムである。バレットはリオデジャネイロ出身の映画監督、アーヴィングはアメリカの女優で、あの<strong>スティーヴン・スピルバーグ</strong>監督のもとの奥さま。どうでもいいことだけれど、彼女はバレット監督とも2005年に離婚している。それはさておき、ぼくはこの映画をまだ観たことがない。日本では劇場未公開だが、過去にBSデジタル放送のスターチャンネルで放映されたことがある。ということで『愛のボサノバ』は、おそらく日本では知るひとぞ知る映画だから、そのサントラ盤を手にとるのは、ぼくのようにデオダートのファンくらいのものだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに『愛のボサノバ』は、ブラジルとアメリカとが合作したロマンティック・コメディ映画。リオデジャネイロを舞台に、英語教師のアメリカ人女性と弁護士のブラジル男性との恋模様が、ボサノヴァの音楽を背景に描かれたオシャレな作品。夫を亡くし、リオで英語教師をしているアメリカ人女性、メアリー・アン・シンプソン(<strong>エイミー・アーヴィング</strong>)は、周囲から新しい恋を勧められるものの、自分には縁がないと思っていた。生徒の中には、イギリスへの移住を控えたサッカー選手、アカシオ(<strong>アレクサンドル・ボージェス</strong>)や、ニューヨーク在住の芸術家、ゲイリーとのネット恋愛に夢中のテクノロジー好き、ナディーン(<strong>ドリカ・モラエス</strong>)などがいる。ある日、彼女の英語クラスに妻と別居中のハンサムなブラジル人弁護士、ペドロ・パウロ(<strong>アントニオ・ファグンデス</strong>)が入学してくる。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9277 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/bossanova1.png" alt="ボサノヴァをイメージしたブラジルの風景①" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/bossanova1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/bossanova1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　メアリー・アンとペドロは惹かれ合うがすれ違いがあったり、太極拳のインストラクターのもとへ去ったペドロの妻の存在などに翻弄されたりする。このふたりの恋の行方を軸に、映画はペドロの娘の恋、ナディーンとゲイリーとのインターネットを通じたロマンス、プレイボーイのアカシオの恋など、複数のキャラクターが交錯する群像劇となっている。ネタバレになるので詳しくは記さないが、メアリー・アンとペドロとの関係、自信過剰でメアリー・アンを口説いたりするアカシオと、ペドロの法律事務所で働く魅力的なインターン、シャロンとの関係、ナディーンとゲイリー(その正体は？)との関係が注目される。いずれにせよこの映画は、リオの美しい景色とボサノヴァの心地いい響きをバックに、様々な愛の形が描かれた軽快でビタースウィートな作品とのこと。と、これは飽くまでにわか知識である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで、未見どころか海のものとも山のものともつかぬこの映画のサウンドトラック・アルバムを、ぼくが手にとった理由は、オリジナル・スコアを手がけているのが<strong>エウミール・デオダート</strong>であると知ったから。そしてさらに、このアルバムでは20世紀のブラジル音楽を代表する作曲家であり、ボサノヴァの先駆者でもある<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>の楽曲がフィーチュアされていることが、ぼくの気分を高めた。なお映画の資料を見ると、音楽の担当者として<strong>リチャード・マルティネス</strong>がクレジットされている。彼はニューヨークを拠点に活躍する作曲家だが、数多くの映画音楽や舞台音楽を手がけている。おそらく『愛のボサノバ』ではアンダースコアを担当しているのだろうが、サウンドトラック・アルバムにマルティネスの楽曲は収録されていない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このサウンドトラック・アルバムはヴァーヴ・レコードからリリースされたのだが、アルバムのプロデューサーをバレット監督自身が勤めている。また、ミュージック・スーパーヴァイザーとして、アメリカの東西で活躍するコンポーザー、キーボーディスト、そしてプロデューサーの<strong>アラン・パランカー</strong>のクレジットが見てとれる。<strong>ボブ・ジェームス</strong>、<strong>イリアーヌ・イリアス</strong>、<strong>レニー・ホワイト</strong>などの作品でお馴染みのひとだ。パランカーは、デオダートが唯一アトランティック・レコードに残したリーダー・アルバム『<em>サムウェア・アウト・ゼア</em>』(1989年)や、それ以前に彼がワーナー・ブラザース・レコードに吹き込んだ『<em>ハッピー・アワー</em>』(1982年)などで、キーボードやプログラミングを担当した。そのことからも、この映画でデオダートが起用されたのは、パランカーの肝煎りと思われる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにこのCD盤における楽曲の選曲、編集、そしてランニング・オーダーを、ヴァーヴ・レコードの音楽プロデューサー、<strong>リチャード・サイデル</strong>と、当時ヴァーヴ・ミュージック・グループの社長兼CEOを務めていた<strong>ロン・ゴールドスタイン</strong>が手がけている。以上のことを勘案すると、このサウンドトラック・アルバムは、サントラ盤としてよりもむしろ、ボサノヴァのコンピレーション・アルバムとしての機能を果たす１枚と捉えることができる。そのいっぽうで、デオダートの吹き込みとしても、さきに挙げた『<em>サムウェア・アウト・ゼア</em>』以来リーダー作の制作が途絶えていた彼だけに、当時はきわめて貴重なものに思われた。ついでに云わせてもらうと、この『<em>サムウェア・アウト・ゼア</em>』は、完全なヴォーカル・アルバム。この作品では、従来の軽快なインストゥルメンタルを堪能することはできないのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実のところデオダートは、プレイヤーとしては15年ほど活動を休止していたのである。彼が復活するのは2001年のことで、この年からコンサートを中心に徐々に演奏活動を広げていく。そんななか、2007年４月３日および４日にリオデジャネイロのセシリア・メイレレス・ホールで行われたコンサートの模様が、実況録音盤としてリリースされたときは、ぼくも小躍りしたもの。この<strong>エウミール・デオダート・トリオ</strong>名義の『<em>アオ・ヴィーヴォ・ノ・リオ</em>』(2007年)では、大ヒットした<strong>リヒャルト・シュトラウス</strong>の交響詩のパラフレーズ・ナンバー「ツァラトゥストラはかく語りき」をはじめ、クロスオーヴァー時代の名曲たちが見事に再演されていた。さらにデオダートは2008年８月、丸の内のライヴ・レストラン、コットンクラブにて来日公演を果たし、以降もときおり日本を訪れていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">活動休止中のデオダートによるボサノヴァにフォーカスしたスコア</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　デオダートはその後、イタリアのバンド、<strong>ノヴェチェント</strong>のメンバー(ニコローシ一家)の全面協力を得て、久々のスタジオ・アルバム『<em>ザ・クロッシング</em>』(2010年)を制作した。洗練されたフェンダー・ローズの音色、心地いいブラジリアン・ビート、ディープなファンク・サウンドが交錯するメロウ・グルーヴが際立った、往年のクロスオーヴァー・シーンにおける巨匠の面目躍如たる１作である。シンガーの<strong>アル・ジャロウ</strong>、ギタリストの<strong>ジョン・トロペイ</strong>、ドラマーの<strong>ビリー・コブハム</strong>、パーカッショニストの<strong>アイルト・モレイラ</strong>といった、かつての僚友たちのアルバム参加にも驚かされた。ただこのアルバムは、どちらかというとCTIレコード時代の作品に代表されるクロスオーヴァー・サウンドへのオマージュと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それに対して『愛のボサノバ』のサウンドトラック・アルバムにおけるデオダートのスコアは、文字どおりボサノヴァにフォーカスしたものだ。前回もお伝えしたが、デオダートがスターダムにのし上がったのは、CTIレコードでハウス・アレンジャーとして働くようになってから。さきに挙げた、CTIレコードにおける彼の最初のリーダー・アルバム『<em>ツァラトゥストラはかく語りき</em>』(1973年)からシングルカットされた同名曲は、500万枚以上のセールスを上げた。しかしながら、その才能はそれよりもずっと以前に開花していたのである。デオダートは1967年にリオデジャネイロからニューヨークに移住したのだが、その時点ですでに、故郷のブラジルではコンポーザー、アレンジャー、キーボーディストとして、高い評価を得ていたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　1942年6月22日、リオデジャネイロで生を受けたデオダートは、12歳でアコーディオンを手にする。14歳のときにピアノを弾きはじめると同時に、管弦楽法や指揮法を独学で習得。特にアレンジについては、<strong>ヘンリー・マンシーニ</strong>の作法を通信教育で学んだという。その影響はブラジル時代のデオダートのアルバムに、色濃く反映している。そんなデオダートは17歳にして、プロのアレンジャーとしてのキャリアをスタートさせる。1960年代の初頭に自己のバンドを結成。メンバーは、<strong>セルソ・ブランド</strong>(g)、<strong>セルジオ・バローゾ</strong>(b)、<strong>ジョアン・パルマ</strong>(ds)、<strong>ウーゴ・マロッタ</strong>(vib)、<strong>アンリ・アクセルルード</strong>(fl)といった、錚々たる顔ぶれで占められている。このバンドには、のちにボサノヴァのパイオニア、<strong>ホベルト・メネスカル</strong>もギタリストとして参加する。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9278 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/bossanova2.png" alt="ボサノヴァをイメージしたブラジルの風景②" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/bossanova2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/bossanova2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　デオダートが初リーダー・アルバム『<em>無意味な風景</em>』(1964年)を発表したのは、22歳のとき。<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>の楽曲集で、デオダートの卓越したアレンジとクールなピアノ演奏を堪能することができる。その後も彼はCTIレコードで活躍するようになるまでの間に、数多くのアルバムを吹き込んでいる。ソロ名義のリーダー作には『<em>イデイアス (着想点)</em>』(1964年)『<em>サンバ・ノヴァ・コンセプサォン</em>』(1964年)『<em>ペルセプサォン</em>』(1972年)といった３作がある。なかでも面白いのは、ブラジルのロンドン・レコードからリリースされた『<em>ペルセプサォン</em>』で、なんと本作のレコーディングにデオダートは参加していないのだ。ブラジリアン・ジャズとシンフォニック・サウンドとの融合はいかにも彼らしいのだが、これはまあ、どうしたことか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これにはわけがあって、実はこのアルバムはデオダートがリオデジャネイロに残したスコアをもとに、本人不在のまま制作されたものなのである。すでにCTIレコードのハウス・アレンジャーとして活躍していたデオダートは、完成した音盤をニューヨークで受けとり、スコアの再現度の高さに感激したという。まあピアノやギターの演奏も即興ではなく書き譜によるものであるとのことだから、出来するサウンドがデオダートらしいのは当たりまえなのだけれど──。なお本作の冒頭に収録されている「ジア・ジ・ヴェラォン」という曲は、のちに『<em>ツァラトゥストラはかく語りき</em>』で演奏されたデオダートのオリジナル・ナンバー「スピリット・オヴ・サマー」の原曲。いずれにせよ本作では、CTIサウンドとはひと味もふた味も違うエレガントなオーケストレーションを味わうことができる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　上記のアルバム以外にも、デオダートは<strong>オス・カテドラーチコス</strong>というグループ名義の『<em>インプルソ！サンバ</em>』(1964年)『<em>トレメンダォン</em>』(1964年)『<em>アタッキ</em>』(1965年)『<em>オ・ソン・ドス・カテドラーチコス</em>』(1970年)『<em>オス・カテドラーチコス 73</em>』(1973年)、<strong>オス・ガトス</strong>名義の『<em>オス・ガトス</em>』(1964年)『<em>オス・ガトス 2 (アケレ・ソン・ドス・ガトス)</em>』(1966年)、<strong>オルケストラ・ロス・ダンセーロス</strong>名義の『<em>ロス・ダンセーロス・エン・ボレロ</em>』(1964年)といったアルバムを発表している。なお『<em>オス・カテドラーチコス 73</em>』では『<em>ツァラトゥストラはかく語りき</em>』に収録されている「カーリーとキャロル」の原曲「カルロッタとカロリーナ」そして『<em>ラプソディー・イン・ブルー</em>』(1973年)に収録されている「スカイスクレイパーズ」の原曲「摩天楼」を聴くことができる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この時代のデオダート・サウンドには、さながらボサノヴァ・ポップあるいはラウンジ・ボッサといった風情がある。そして『愛のボサノバ』のサウンドトラック・アルバムにおける彼のスコアには、そんな昔日を彷彿とさせるものがある。むろんそれは、以前よりコンテンポラリーな響きを奏でている。それでもぼくは、このアルバムでデオダートが採り上げている「無意味な風景」「ワン・ノート・サンバ」「あなたでなければならない」そして「平和な愛」といった、<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>の楽曲が新たにアレンジされたトラックに耳を傾けていると、どうしてもノスタルジックな気分になってくるのだ。というのも、これらの４曲はすべて、前述のデオダートの初リーダー・アルバム『<em>無意味な風景</em>』に収録されている曲だからだ。その点、本盤は実に示唆に富んでいる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さきにも触れたが、この『愛のボサノバ』のサウンドトラック・アルバムでは、<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>の楽曲がフィーチュアされている。全15曲中、デオダートによるスコアは８曲だが、残りの７曲はジョビンの既存のアルバムからの再収録である。その詳細は以下のとおり──。ジョビンは1994年12月８日、心臓発作のため67歳という若さでこの世を去ったが、彼の最後のスタジオ・アルバムとなった『<em>アントニオ・ブラジレイロ</em>』(1994年)から「ハウ・インセンシティヴ」がチョイスされている。このトラックでは、ジョビンとイギリスのロックバンド、<strong>ポリス</strong>のもとメンバー、<strong>スティング</strong>とが英語でデュエットしている。ホーンズとストリングスのアレンジは、ジョビンの息子でギタリストの<strong>パウロ・ジョビン</strong>が担当。ビタースウィートな味わいが絶品だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジャズ・テナー奏者の<strong>スタン・ゲッツ</strong>と“ボサノヴァの父”と称されるシンガー兼ギタリスト、<strong>ジョアン・ジルベルト</strong>との共作で、グラミー賞４部門を獲得した大ヒット・アルバム『<em>ゲッツ/ジルベルト</em>』(1964年)からは「イパネマの娘」と「クワイエット・ナイツ・オブ・クワイエット・スターズ(コルコヴァード)」の２曲がセレクトされている。<strong>アストラッド・ジルベルト</strong>が英語の歌詞を、アンニュイで飾らない表現で歌う。ジョビンは言の葉を紡ぐような美しいタッチのピアノ演奏を披露。むろんポルトガル語で詩を朗読するかのように歌うジョアン、歌唱の隙間に気怠くも甘いテナー・プレイで入り込んでくるゲッツも素晴らしい。本来のボサノヴァとは別モノという意見もあるが、このアルバムがアメリカにおけるボサノヴァ・ブームを決定づけたことは、紛うことなき事実である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">当時ヴァーヴ・レコード期待の新星だったクラウディア・アクーニャも参加</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジョビンの５枚目のリーダー・アルバムであると同時に、CTIレコードが世に送り出した２枚目の作品でもある『<em>波</em>』(1967年)からは、タイトル曲の「波」が選曲されている。ジョビンのアコースティック・ピアノが主軸に据えられたインストゥルメンタル・ナンバー。サウダージ感覚が溢れるメロディック・ラインとコーラスでの気持ちのいいモジュレーションが絶品。無駄が削ぎ落とされ美しさが際立った、ストリングスのメイン・メロディとカウンター・メロディ、フルートとホルンとのユニゾンが特徴的だが、当時CTIレコードのハウス・アレンジャーだった、ドイツ出身の<strong>クラウス・オガーマン</strong>のアレンジとコンダクティングによるものだ。さらに、ジョビンの初リーダー作『<em>イパネマの娘</em>』(1963年)からの「ノー・モア・ブルース(想いあふれて)」も、おなじコラボレーションによって生み出された名トラックである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この「ノー・モア・ブルース(想いあふれて)」は、最初のボサノヴァ・ソングとされる歴史的名曲。このトラックはインストゥルメンタルだが、もともとこの曲は<strong>ヴィニシウス・ジ・モライス</strong>が作詞を手がけた、“サンバ･カンサゥンの女王”と称されるシンガー、<strong>エリゼッチ・カルドーゾ</strong>のアルバム『<em>想いあふれて(カンサゥン・ド・アモール・ジマイス</em>)』(1958年)のために用意された歌曲。はじめて世に出たときは、ほとんど注目を浴びなかったが、１年後に<strong>ジョアン・ジルベルト</strong>が歌ってスマッシュヒットとなった。なおジョビンのアルバム『<em>イパネマの娘</em>』は『<em>ゲッツ/ジルベルト</em>』と同様に、ヴァーヴ・レコードからリリースされた。この２枚と上記の『<em>波</em>』は、CTIレコードの創設者、<strong>クリード・テイラー</strong>のプロデュース作品である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そして最後になったが、ブラジルでもっとも人気のある女性シンガー、<strong>エリス・レジーナ</strong>とジョビンとの共演盤『<em>ばらに降る雨</em>』(1974年)から「ウォーターズ・オブ・マーチ(三月の雨)」と「無意味な風景」が選曲されている。前者はジョビン自身のペンによるズミカルな歌詞、レジーナとジョビンとのデュエットにおける絶妙な掛け合いが際立った楽しいトラック。後者はジョビンのリリカルかつブルージーなソロ・ピアノを背景に、レジーナの感情豊かで凛とした歌声が織りなすメランコリックな世界が、なんとも味わい深い。ジョビンのハミングによるセンシティヴなヴォーカル・オブリガートも絶妙。ブラジルのフィリップス・レコードからリリースされたオリジナル・アルバムは、いまもブラジル音楽史上もっとも高い人気を誇る１枚となっている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9279 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/bossanova3.png" alt="ボサノヴァをイメージしたブラジルの風景③" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/bossanova3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/bossanova3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ということで、以上が既存のアルバムからのトラックである。残りの８曲は、デオダートによる書き下ろしのスコアとなる。レコーディングは、チリ出身のジャズ・ヴォーカリスト、<strong>クラウディア・アクーニャ</strong>が歌ったメアリー・アンのテーマ「サドゥンリー」のみ、1999年12月16日にニューヨークのライト・トラック・スタジオで行われた。その際のパーソネルは、<strong>エウミール・デオダート</strong>(p)、<strong>ポール・メイヤーズ</strong>(g)、<strong>デヴィッド・フィンク</strong>(b)、<strong>ダルシ・セイシャス</strong>(perc)、<strong>エドソン・アパレシド・ダ・シルヴァ</strong> a.k.a. <strong>カフェ</strong>(perc)。残りの７トラックは、1999年６月におなじくライト・トラック・スタジオをはじめ、やはりニューヨークのアヴァター・スタジオ、クリントン・スタジオで録音された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　レコーディング・メンバーは、<strong>エウミール・デオダート</strong>(p)、<strong>ホメロ・ルバンボ</strong>(g)、<strong>ジェイ・バーリナー</strong>(g)、<strong>ポール・メイヤーズ</strong>(g)、<strong>セルジオ・ブランドン</strong>(b)、<strong>ヘナート・ブラサ</strong>(ds)、<strong>ダルシ・セイシャス</strong>(perc)、<strong>マウロ・レフォスコ</strong>(perc)、<strong>コンラッド・ハーウィッグ</strong>(tb)。さらにフィーチュアリング・ヴォーカリストとして、リオデジャネイロ出身の<strong>バーバラ・メンデス</strong>、かつて<strong>セルジオ・メンデス</strong>のグループ・メンバーだった<strong>キャロル・ロジャース</strong>、そしてブラジル北東部アラゴアス州の首都マセイオ出身、MPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)シーンのスーパースター、シンガーソングライターの<strong>ジャヴァン</strong>が参加している。むろんデオダートが、ジョビンの曲を除くスコアの作曲、すべての編曲、そして指揮を一手に担っている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバム収録順に８曲をご紹介していくと、トップを飾るのはジョビンの「無意味な風景」で、ここではデオダートのピアノ伴奏とメンデスのヴォーカルのみで演奏される。というかどちらかというとソロ・ピアノにヴォーカルが載っかっているような風情だ。デオダートのリリカルでブルージーなエクスプレッションがジョビンのそれを彷彿させる。やはりジョビンの「ワン・ノート・サンバ」は、メンデスのスキャットがフィーチュアされた軽快なボサノヴァ。歌詞は歌われない。シンプルかつエフェクティヴなストリングスとソフィスティケーテッドなリハーモナイゼーションがオシャレだ。つづいてデオダートの「サドゥンリー」とジョビンの「あなたでなければならない」とのメドレー。というかクレジットには記載がないが、イントロはジョビンの「太陽の道」だったりする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このメドレー、前半はゆったりした調子で「サドゥンリー」がインストゥルメンタルで演奏される。ホーン・セクションにホルンが使われているところが、デオダートらしい。短尺ながらハーウィッグのトロンボーンもソロをとる。その後テンポが上がって、ロジャースと<strong>ジャヴァン</strong>とのデュエットによる「あなたでなければならない」となる。キュートな高音と深みのある低音がいい具合に溶け合っている。つづく「サドゥンリー」は、ヴォーカル・ヴァージョン。前述のアクーニャがフィーチュアされている。このトラックは、彼女のデビュー・アルバム『<em>南風</em>』(2000年)のレコーディングのおよそ１か月後に吹き込まれた。当時のアクーニャは<strong>ダイアナ・クラーク</strong>につづくヴァーヴ・レコード期待の新星だった。彼女の起用は、<strong>リチャード・サイデル</strong>の采配によるものだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アクーニャのスモーキーで落ち着いたトーンの歌声が、ぼくは好きなのだけれど、ここでの彼女は緩やかなボサノヴァのリズムに乗って、エモーショナルかつエレガントなパフォーマンスを展開。デオダートのピアノ・ソロも、こころなし上品に聴こえる。この曲、アルバムの後半でギターの伴奏のみでロジャースも歌っているが、個人的にはアクーニャのヴァージョンのほうが好きだ。ロジャースの愛くるしくも活発なヴォーカルもチャーミングで好きなのだけれど、フレーズの繊細な変化、トーンの方向性という点で、今回はアクーニャのほうに軍配を上げたいと思う。なおこのメランコリックなナンバーの作詞は、ジョビンの楽曲をはじめとするボサノヴァの名曲の英語歌詞をたくさん手がけた<strong>ノーマン・ギンベル</strong>によるものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにアルバムは、デオダートの「ファンのテーマ」へとつづく。シネマティックなインストゥルメンタルだが、ストリングスのアンサンブルとピアノを主軸とした、いささか重苦しい雰囲気の曲だ。次曲がジョビンの「平和な愛」なのだが、こちらは爽快で瀟洒な感じ。前曲とのコントラストが鮮やかだ。ここではふたたびメンデスのスキャットがフィーチュアされるが、まさに一服の清涼剤といったところだ。アルバムのラストを飾るのは、デオダートによるインストゥルメンタル「ソウル・メイツ」だが、そのシンフォニック・サウンドのマナーは、前述の『<em>ペルセプサォン</em>』における彼のスコアを彷彿させる。後半コード進行が「無意味な風景」のそれになるのが、なんともこころ憎い。本作は、そんな爽やかなあと味も好印象を与える１枚である。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Eumir Deodato / Knights Of Fantasy (1979年)</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Jun 2026 07:15:23 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[Eumir Deodato]]></category>
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					<description><![CDATA[ブラジル出身のアレンジャー兼キーボーディスト、エウミール・デオダートのクロスオーヴァー・サウンドとブラジリアン・テイストとが首尾よくディスコビートに載った『ナイツ・オブ・ファンタジー』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">ブラジル出身のアレンジャー兼キーボーディスト、エウミール・デオダートのクロスオーヴァー・サウンドとブラジリアン・テイストとが首尾よくディスコビートに載った『ナイツ・オブ・ファンタジー』</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
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<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Eumir Deodato / Knights Of Fantasy (1979)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Knights Of Fantasy</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">クロスオーヴァーのはじまり──デオダート、ボンファ、テイラー</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>エウミール・デオダート</strong>は、リオデジャネイロ生まれのイタリア系ブラジル人だけれど、アメリカへ渡ってからレコーディングした、クロスオーヴァー作品でその名を轟かせたひと。というか、クロスオーヴァーという当時のトレンドの先陣を切ったのは、ほかでもないデオダートだったように思われる。1970年代前半に流行したクロスオーヴァーは、もともとジャズから派生した音楽。1960年代の終わりからトランペッターの<strong>マイルス・デイヴィス</strong>がエレクトリック・ジャズを演りはじめていたが、彼のサウンドはどちらかというとファンク色が強くてリズムが強調されたスタイルだった。それに比べてクロスオーヴァーは、電気楽器や電子楽器が積極的に採り入れられるのはおなじだが、ロック、ソウル、ラテン、クラシックといった様々な音楽のエッセンスが盛り込まれているところが独特である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まさにジャンルの垣根を乗り越えた音楽、クロスオーヴァーのはじまりは、ABCパラマウント・レコード、インパルス! レコード、ヴァーヴ・レコードといったレーベルで多くのジャズ作品を手がけた名プロデューサー、<strong>クリード・テイラー</strong>が1967年にA&amp;Mレコード内に発足したCTIレコードの作品であると、ぼくは観ている。1970年代の前半には<strong>チック・コリア</strong>、<strong>キース・ジャレット</strong>、<strong>ハービー・ハンコック</strong>といったジャズ・ピアニストたちも、新しいジャズ・スタイルを模索するような作品を吹き込んでいるけれど、それらはどちらかというとエレクトリック・ジャズ、あるいはジャズ・ファンクといった印象を与える。まあ、のちにエレクトリック・ジャズもクロスオーヴァーも、一括りにされてフュージョンと呼ばれるようになるのだけれど──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ではCTIレコードの作品の特徴とはどんなものかというと、ひとことで云うとエンターテインメントなのである。プロデューサーの<strong>クリード・テイラー</strong>は、ヴァーヴ時代から度々ジャズのポピュラリゼーションを図っていた。<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>、<strong>ジョアン・ジルベルト</strong>、<strong>アストラッド・ジルベルト</strong>といったブラジルのミュージシャンを起用して、ボサノヴァをアメリカで普及させたことは、その好例と云える。さらにジャズに盛り込まれる音楽ジャンルの幅は広がり、同時にバンド編成も次第に大がかりになっていき、独特のCTIサウンドが定着する。ジャズ本来の即興性は薄まったものの、当時のポップスやイージー・リスニングと同様に、だれもが気軽に楽しめる心地いいサウンドは、多くの音楽ファンから受け入れられた。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9251 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco1.png" alt="ディスコのミラーボール (グリーン)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　CTIの作品では、当時のポップスやソウル・ミュージックのカヴァー、それにクラシック・ミュージックのパラフレーズ・ナンバーが積極的に採り上げられていた。しかも、リズム・セクションのバックに規模の大きなオーケストラが加えられるケースが、次第に定式化されていく。そんな趣向が凝らされるのだから、当然まとめ役が必要となってくる。さもありなん、現に<strong>クラウス・オガーマン</strong>、<strong>ドン・セベスキー</strong>、<strong>ボブ・ジェームス</strong>、<strong>デヴィッド・マシューズ</strong>といったCTIレーベルのハウス・アレンジャーや、GRPレコードを立ち上げるまえの<strong>デイヴ・グルーシン</strong>、アルゼンチ出身の<strong>ラロ・シフリン</strong>といった錚々たる顔ぶれが、ソロイストが繰り出す熱いプレイにスウィートな響きを加えていた。デオダートもそのひとりである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　デオダートは1960年代の後半から、ヴァーヴ・レコードにおいてアレンジャーとしていくつかの作品を手がけていたが、テイラーとは<strong>アストラッド・ジルベルト</strong>のアルバム『<em>ビーチ・サンバ</em>』(1967年)でコンビを組んでいる。さらにCTIレーベルではA&amp;M傘下時代から、ジャズ・ギタリスト、<strong>ウェス・モンゴメリー</strong>のリーダー作『<em>ダウン・ヒア・オン・ザ・グラウンド</em>』(1968年)を手はじめに、ブラジルのジャズ・オルガニスト、<strong>ワルター・ワンダレイ</strong>の『<em>ホエン・イット・ウォズ・ダン</em>』(1969年)、MPBを代表するブラジルのシンガーソングライター、<strong>ミルトン・ナシメント</strong>の『<em>太陽の歌</em>』(1969年)、20世紀のブラジル音楽を代表する作曲家で、ピアニスト、ギタリスト、シンガーでもある<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>のインストゥルメンタル・アルバム『<em>潮流</em>』(1970年)といった、印象的な作品を制作している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はデオダートをテイラーに引き合わせたのは、<strong>マルセル・カミュ</strong>監督による映画『黒いオルフェ』(1959年)の主題歌「オルフェの歌」の作曲者として知られる<strong>ルイス・ボンファ</strong>。リオデジャネイロ出身のボンファは、ジャズやボサノヴァをプレイするギタリストで、そのリーダー作は50枚以上にも上る。特にボンファは技巧派のポリフォニック・スタイルのソロイストとして知られるが、メロディック・ラインをハーモナイズさせたりリードとリズムの両パートを同時に弾いたりするのが得意な、レジェンダリーなギタリストだ。ボンファとデオダートとは、レコーディングにおいて度々共演を果たしているのだけれど、そのコラボレーションでもっとも有名なのは、<strong>バート・バラバン</strong>監督による映画『ザ・ジェントル・レイン』(1966年)の音楽だろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　映画公開にさきがけて、1965年にマーキュリー・レコードからリリースされたサウンドトラック・アルバムは、単なるサントラ盤では終わらない名盤である。プロデューサーを名曲「蜜の味」の作曲者として知られるピアニスト、<strong>ボビー・スコット</strong>が務めていることが目を引くし、ボンファ・スタイルのメランコリックなつま弾きも圧倒的だ。しかしながら本作の最大の魅力は、デオダートによるオーケストラのアレンジとコンダクティングだ。ボンファのペンによるサウダージ感覚に溢れたメロディック・ラインも然ることながら、デオダートのオーケストレーションが織りなすアーバンなサウンド・タペストリーが素晴らしい。その点、このアルバムには、“<strong>エウミール・デオダート・オーケストラ・フィーチュアリング・ルイス・ボンファ</strong>”といった趣きがある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それはさておき、デオダートとボンファは、さきに挙げた<strong>アストラッド・ジルベルト</strong>のアルバム『<em>ビーチ・サンバ</em>』の制作で再会する。デオダートはソングライター、アレンジャー、そしてコンダクターとして参加。ボンファはソングライティングを手がけている。このアルバムが制作される際、プロデューサーのテイラーにデオダートを紹介したのが、ボンファだった。さらに云うと、このアルバムがリリースされた1967年、デオダートはリオデジャネイロからニューヨークに移住しているのだが、彼をアメリカに呼び寄せたのはだれあろうボンファだった。いずれにしてもこれを機に、デオダートの音楽性を気に入ったテイラーは、彼をCTIレコードのハウス・アレンジャーとして雇い、前述のようにヒット作を次々と世に送り出していくのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">「ツァラトゥストラはかく語りき」の大ヒットとそれ以前のブラジル時代</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　CTIレコードは1970年に独立するが、デオダートは同レーベルで、<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>の『<em>ストーン・フラワー</em>』(1970年)、<strong>アストラッド・ジルベルト</strong>とテナー奏者の<strong>スタンリー・タレンタイン</strong>とのコラボレーション・アルバム『<em>ブラジルのつづれ織り</em>』(1971年)といった作品を手がけたあと、いよいよリーダー・アルバムを制作する。彼が1973年に発表したCTIレコードにおける第１作『<em>ツァラトゥストラはかく語りき</em>』(原題は『<em>Prelude</em>』)は、あまりにもインパクトが大きかった。なにせアルバムのA面１曲目の「ツァラトゥストラはかく語りき」は、シングルカットされ500万枚以上のセールスを上げたのだから──。これは当時のアメリカ国内でのレコード販売数としては、驚天動地の天文学的数字である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　一世を風靡した「ツァラトゥストラはかく語りき」は、広く知られる<strong>リヒャルト・シュトラウス</strong>が作曲した交響詩の「アインライトゥン(序奏)」が、ファンキーでエレクトリックなインストゥルメンタルにアレンジされたもの。この曲の大ブレイクの背景に、1968年公開の映画『2001年宇宙の旅』のヒットがあることは否定できないだろう。<strong>スタンリー・キューブリック</strong>が監督したこの叙事詩的SF作品は、賛否は分かれたものの、とにかく世界中で大きな話題を呼んだ。キューブリックの記号体系が晦渋を極めたこの映画、何度観てもよくわからないのだが、何度でも観たくなる変な作品である。特に<strong>リヒャルト・シュトラウス</strong>の原曲が使用された、ヒトザルが骨を武器にするシーンは、観客に強烈なインパクトをを与えた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これは余談だが、この映画で使用された演奏はアンクレディテッドだが、<strong>ヘルベルト・フォン・カラヤン</strong>指揮、<strong>ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団</strong>によるものである。いずれにしてもこのキューブリック作品の影響で、当時「ツァラトゥストラはかく語りき」はとてもポピュラーな曲になっていた。この人気曲をジャズ・ファンクの先駆けのようなサウンドで売り出してしまうところに、<strong>クリード・テイラー</strong>のプロデューサーとしてのしたたかさが感じられる。デオダートのほうも以降、自己のグループに“<strong>2001スペース・バンド</strong>”なんていう名前をつけてしまうのだから、まったく抜け目がない。とはいっても、実はそういう屈託のなさが、<strong>エウミール・デオダート</strong>という音楽家の魅力にそのままつながると、ぼくは思うのである。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9252 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco2.png" alt="ディスコのミラーボール (ピンク)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　CTIのハウス・アレンジャーといえばみな、その音楽的装飾の技法にアートオリエンテッドなところがあるのだけれど、デオダートにはそれがない。また、その巧みなアレンジメントも然ることながら、キーボーディストとしての腕前もなかなか達者である。衒いのないゴージャスなアレンジと、自由闊達なエレクトリック・ピアノの演奏が彼のもち味と云える。そんな臆することもなくキャッチーなサウンドをクリエイトしてしまうようなところに、ぼくはとても惹かれるのだ。名高いクラシック・ナンバーをファンキーでポップなエレクトリック・ジャズにアレンジした「ツァラトゥストラはかく語りき」は異例のヒットとなったけれど、それは芸術性や装飾性よりも単純にキャッチーなサウンドを重視するデオダートだからこそ成し得た結果と云えるのではなかろうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、デオダートの「ツァラトゥストラはかく語りき」はその後、<strong>ピーター・セラーズ</strong>主演の映画『チャンス』(1979年)で使用された。主人公がワシントンの中心街に向かうシーンで流れるのだけれど、確かにこの場面では原曲よりもデオダートのプログレッシヴなサウンドがよく似合う。ところで、あっという間にスターの座へ駆け上がったデオダートは、同年にCTIレコードにおける第２作『<em>ラプソディー・イン・ブルー</em>』(原題は『Deodato 2』)を発表。<strong>ジョージ・ガーシュウィン</strong>の「ラプソディー・イン・ブルー」<strong>モーリス・ラヴェル</strong>の「亡き王女のためのパヴァーヌ」<strong>ザ・ムーディー・ブルース</strong>の「サテンの夜」などがデオダート流に料理されていて楽しい。いずれにせよ、このアルバム・リリースの異例のスピード加減からも、彼がときのひとだったことがわかる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　デオダートは日本でもたちまち人気者となり、CTI作品の当時のディストリビューター、キングレコードが『<em>白いピューマ</em>』(原盤はブラジル時代の『<em>Os Catedráticos 73</em>』/1973年)や『<em>アランフェス協奏曲</em>』(原盤はイタリアのシンガー、<strong>マッシモ・ラニエリ</strong>の『<em>Meditazione</em>』/1976年)といった、奇妙奇天烈なレコードまで発売するほどだった。ただお断りしておくが、デオダートが全米規模の大スターになったのは確かにCTI時代だけれど、彼の才能はそれよりもずっと以前に開花していたのである。しかしながら、日本でその全貌が知られるようになるのは、1990年代の後半になってからのこと。デオダートが、ブラジルの音楽プロデューサー、<strong>アルナルド・ジ・ソウテイロ</strong>の協力を得て、自身がブラジル時代に制作した９枚のアルバムをCD盤としてリイシューしたのが契機となった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その９枚を具体的に挙げると、３枚のデオダート本人名義のアルバム『<em>無意味な風景</em>』(1964年)『<em>イデイアス (着想点)</em>』(1964年)『<em>サンバ・ノヴァ・コンセプサォン</em>』(1964年)、５枚の<strong>オス・カテドラーチコス</strong>名義のアルバム『<em>インプルソ！サンバ</em>』(1964年)『<em>トレメンダォン</em>』(1964年)『<em>アタッキ</em>』(1965年)『<em>オ・ソン・ドス・カテドラーチコス</em>』(1970年)『<em>オス・カテドラーチコス 73</em>』(1973年)、そして最後の１枚、<strong>オルケストラ・ロス・ダンセーロス</strong>名義の『<em>ロス・ダンセーロス・エン・ボレロ</em>』(1964年)となる。ちなみに『<em>オ・ソン・ドス・カテドラーチコス</em>』は、前３作をまとめたコンピレーション・アルバムなので要注意。この９枚はすべて日本でもCD化されたので、ご存じのかたも多いだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　また『<em>オス・カテドラーチコス 73</em>』は、前述のキングレコードから1974年にリリースされた『<em>白いピューマ</em>』と同一内容。このアルバムでは『<em>ツァラトゥストラはかく語りき</em>』に収録されている「カーリーとキャロル」の原曲「カルロッタとカロリーナ」そして『<em>ラプソディー・イン・ブルー</em>』に収録されている「スカイスクレイパーズ」の原曲「摩天楼」を聴くことができる。つまり『<em>オス・カテドラーチコス 73</em>』は1972年に吹き込まれた作品だが、デオダートは本作ですでにCTIレコードにおけるクロスオーヴァー・サウンドのプロトタイプを展開しているのである。その点、彼のディスコグラフィにおいて、きわめて重要なアルバムと云える。さらに『<em>ロス・ダンセーロス・エン・ボレロ</em>』あたりを聴くとよくわかるのだが、デオダートは間違いなく、映画音楽の大家、<strong>ヘンリー・マンシーニ</strong>から強く影響を受けている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、デオダートがスターダムにのし上がったのは確かにCTI時代だけれど、彼の才能はそれよりもずっと以前に開花していた。前述のようにデオダートは1967年にリオからニューヨークに移住したわけだが、その時点ですでに、故郷のブラジルではコンポーザー、アレンジャー、キーボーディストとして、高い評価を得ていたのである。1942年6月22日、リオデジャネイロで生を受けた彼は、12歳でアコーディオンを手にする。14歳のときにピアノを弾きはじめると同時に、管弦楽法や指揮法を独学で習得。特にアレンジについては、<strong>ヘンリー・マンシーニ</strong>の作法を通信教育で学んだという。その影響はさきにも述べたとおり、ブラジル時代の作品に色濃く反映している。そんなデオダートは17歳にして、プロのアレンジャーとしてのキャリアをスタートさせている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">ディスコやソウルのカラーが強まり、ジャズやブラジル音楽の風味は薄まる</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その後デオダートは、1960年の初頭に自己のバンドを結成。メンバーは、<strong>セルソ・ブランド</strong>(g)、<strong>セルジオ・バローゾ</strong>(b)、<strong>ジョアン・パルマ</strong>(ds)、<strong>ウーゴ・マロッタ</strong>(vib)、<strong>アンリ・アクセルルード</strong>(fl)といった、錚々たる顔ぶれで占められている。なお1962年にはギタリストが、ボサノヴァのパイオニアでありMPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)のシンガーソングライターとして有名な<strong>ホベルト・メネスカル</strong>に交替している。前述の初リーダー・アルバム『<em>無意味な風景</em>』を発表したのは、22歳のとき。その後1973年までデオダートは、さきに挙げたソロ名義のリーダー作や、<strong>オス・カテドラーチコス</strong>や<strong>オス・ガトス</strong>といったグループ名義の作品、さらに映画のサントラ盤など、たくさんのアルバムをリリースしている。そのサウンドにはいかにも、ポップでグルーヴィーなボサノヴァといった風情がある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さて、ハナシをCTI時代に戻すが、デオダートは「ツァラトゥストラはかく語りき」が大ブレークしたあと、意外にもその１年後、ブラジルのパーカッショニスト、<strong>アイルト・モレイラ</strong>とのスプリット・アルバム『<em>イン・コンサート</em>』(1974年)を残して、早々にCTIレコードを去る。デオダートはときを移さず大手のMCAレコード(現在のユニバーサル ミュージック)に移籍するのだが、このあたりにも、いかにも彼らしい抜け目のなさが感じられる。むろん移籍の目的は、利益追求だけではない。ブラジル時代から大らかで明瞭なサウンドを繰り広げていたデオダートのことだから、より自由に自分の音楽をクリエイトしたかったのだろう。<strong>クリード・テイラー</strong>のプロデュース、<strong>ルディ・ヴァン・ゲルダー</strong>のレコーディングと、レーベル・カラーが濃厚なCTIレコードでは、多少なりとも制約があったと思われる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はぼくは、デオダートの作品では、もっともナチュラルにその音楽性が表出していることから、MCA時代のアルバムが好きだ。彼がMCAレコードで制作したアルバムは『<em>旋風</em>』(1974年)『<em>アーティストゥリー</em>』(1974年)『<em>ファースト・クックー</em>』(1975年)『<em>ヴェリー・トゥゲザー</em>』(1976年)の計４枚。すべてデオダート自身が、プロデュースを手がけている。それ故これらのアルバムでは、メロディアスなテーマ、タイトでステーブルなリズム、そしてブラジリアン・テイストと、どこを切ってもデオダートらしさが飛び出してくる。しかも、アルバム・コンセプトにしても、サウンド・プランにしても、CTI作品よりも鷹揚さが増している。カヴァー曲においては、クラシック音楽のパラフレーズ・ナンバーがぐっと減り、かわりにジャズ・スタンダーズや同時代のロックやレゲエのヒット曲が目につく。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9253 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco3.png" alt="ディスコのミラーボール (ブルー)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　その後、デオダートはワーナー・ブラザース・レコードに移籍し、そのサウンドはさらに進化する。もしかすると、デオダート自身もCTI時代からルーティン化していたクロスオーヴァー・サウンド対し、いささか閉塞感を覚えていたのかも知れない。ワーナー・ブラザース時代の彼は、過去の成功体験を見直しながら、自己の音楽性のステージを一段高い次元へ引き上げようとしているかのようにも映る。その作品は『<em>ラヴ・アイランド</em>』(1978年)『<em>ナイツ・オブ・ファンタジー</em>』(1979年)『<em>ナイト・クルーザー</em>』(1980年)『<em>ハッピー・アワー</em>』(1982年)『<em>モーション</em>』(1984年)と、５枚を数える。サウンドの変革、クオリティの向上という点では、１枚目の『<em>ラヴ・アイランド</em>』がもっとも際立つ。一般的にも『<em>ツァラトゥストラはかく語りき</em>』と並んで、デオダートのマスターピースと観られている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その要因は、名プロデューサー、<strong>トミー・リピューマ</strong>の手腕によるところが絶大。フュージョンの名盤とさえ云われる『<em>ラヴ・アイランド</em>』では、リピューマの得意とするシティ・ソウル系のテイストが加味され、全般的にメロウ・ファンク・サウンドが横溢する。それに反して、従来の鷹揚なデオダート・サウンドは、かなり鳴りをひそめる。そしてそれは作品を重ねるごとに、徐々にディスコやソウルのカラーが強まり、逆にジャズやブラジル音楽の風味は薄まるという、いささかコマーシャルなものになっていく。行き着くところ、女性ヴォーカル、フォー・オン・ザ・フロア、ハンド・クラッピングなどが溢れかえり、フェンダー・ローズによるブラジル風味のアドリブ・ソロが登場する余地はなくなる。そんなことをアッケラカンとやってしまうところもまた、デオダートらしさではあるのだけれど──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　デオダートがダンス・ミュージックに傾倒するようになったのは、彼がスマッシュヒットとなった『<em>レディーズ・ナイト</em>』(1979年)をはじめとする、ニュージャージー出身のファンク・バンド、<strong>クール＆ザ・ギャング</strong>のアルバムをプロデュースするようになったことと無関係ではないだろう。いずれにしてもワーナー・ブラザース時代のデオダートは、ディスコライクなマナーにのめり込み、ファンク・モードに入っていた。そういう時期において、もっとも成功している作品といえば、ぼくは『<em>ラヴ・アイランド</em>』ではなく『<em>ナイツ・オブ・ファンタジー</em>』を真っ先に挙げる。本作では、トータル的にディスコ、ファンクのカラーが濃厚だが、そんななかにも従来のデオダートの音楽性が明確に見てとれるのである。名盤の呼び声が高い『<em>ラヴ・アイランド</em>』は、ある意味でリピューマの作品なのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　一般的にあまり評価する向きが多くない『<em>ナイツ・オブ・ファンタジー</em>』だが、CTI、MCAにおけるクロスオーヴァー・サウンドや、それ以前のブラジリアン・テイストが、首尾よくディスコビートに載っかっているという点では群を抜いている。最後にこのアルバムについて、簡単ではあるが具体的に触れておく。プロデュースはデオダート本人が担当、ソングライティングのほうも１曲を除いて、すべて彼が手がけている。レコーディング・メンバーは、<strong>エウミール・デオダート</strong>(key)、<strong>ジェフ・レイトン</strong>(g)、<strong>ジョン・トロペイ</strong>(g)、<strong>レイ・ゴメス</strong>(g)、<strong>クリフ・モリス</strong>(g)、<strong>ニール・ジェイソン</strong>(b)、<strong>フランシスコ・センテーノ</strong>(b)、<strong>ジョン・サスウェル</strong>(ds)、<strong>スコット・シェリアー</strong>(elds)、<strong>クラッシャー・ベネット</strong>(perc)、<strong>ルーベンス・バッシーニ</strong>(perc)、<strong>ルー・マリーニ</strong>(fl)。さらに、ホーンズ＆ストリングスが加わる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムはゆったりしたダンスビートの「スペース・ダスト / シャーロック」からスタート。フォー・オン・ザ・フロアにハンド・クラッピングといった、いかにもフロアライクなナンバー。しかしながら、転調が活かされたコード進行やオーケストラ・サウンドは、いかにもデオダートらしい。後半の熱いシンセのソロも、なかなかのもの。アップテンポの「シャザム」もまたディスコライクな曲だが、ベースのリフやコンガのラテン・タッチ、そしてブラスのアンサンブルがアクセントとなっている。スラップ・ベースのソロも効果的だ。次の「バッハマニア」だけが、カヴァー曲。というか、<strong>ヨハン・ゼバスティアン・バッハ</strong>の「主よ、人の望みの喜びよ」フランスの作曲家、<strong>アンドレ・ポップ</strong>の「恋はみずいろ」デオダートのオリジナル「ウィッスル・バンプ」といった３曲の組曲。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この曲、ディスコビートがキープされながらメドレーで演奏されるというところが、あたかもDJミックスのような計らいだ。サイナーというエレクトロニック・ドラムスの音色が、なんとも懐かしい。B面のトップを飾る「ナイツ・オブ・ファンタジー」は、ハンド・クラッピングも入ってくるが、どちらかというと16ビートの躍動感溢れる爽快なフュージョン・ナンバー。ホルン、フルート、ストリングスなどのアンサンブル、そしてトロペイによるギター、デオダートによるローズのソロと、これぞデオダート・サウンドといった感じだ。ラストの「ラヴリー・レディ」は、ディスコ抜きのブラジリアン・テイストのメロウ・フュージョン。ローズのソロが、得も云われぬリラクゼーションを生んでいる。そんな本作、全体的にはよくバランスのとれた１枚で、飽きのこない佳作と云える。ぜひ、お試しあれ。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
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<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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<p></p>]]></content:encoded>
					
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		<title>The Bill Evans Trio / Moon Beams (1962年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 31 May 2026 06:45:37 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Bill Evans]]></category>
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					<description><![CDATA[スコット・ラファロを事故で失ったビル・エヴァンスが、新しいベーシスト、チャック・イスラエルを迎えた新トリオで録音した復活作『ムーン・ビームス』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">スコット・ラファロを事故で失ったビル・エヴァンスが、新しいベーシスト、チャック・イスラエルを迎えた新トリオで録音した復活作『ムーン・ビームス』</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>The Bill Evans Trio / Moon Beams (1962)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Very Early</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">エヴァンスのアルバムのなかで唯一魅惑の美女が際立ったアートワーク</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　今回は<strong>ビル・エヴァンス</strong>のバラード集『<em>ムーン・ビームス</em>』(1962年)をご紹介する。バラード集というと、20世紀のジャズ・ジャイアンツのひとり、サクソフォニストの<strong>ジョン・コルトレーン</strong>のアルバム『<em>バラード</em>』(1963年)がすぐに思い出される。というか浅学非才の身であるぼくには、とっさにそれくらいしか思い浮かばないのだ。そのぶん、ぼくにとってこの２枚のアルバムは、双璧をなす名バラード集となっている。思えばぼくの場合、敢えてバラードばかりが収められたレコードをターンテーブルに載せる機会は、滅多にない。生来ひとつのことを長期的につづけるのが苦手なぼくにとって、たとえ40分程度の時間でも、スローテンポの曲ばかりに集中することは精神的な負担を伴うのだろう。まったく甲斐性のないことである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タンブラー片手にジャズに浸るようなハイソな趣味をおもちのかたにとっては、バラード集は重宝するのかもしれないけれど、生憎ぼくには、親しい知己とならいざ知らず、ひとりでアルコール類をお供に音楽を楽しむような習慣がないのだ。ゆったりとしたテンポと心地いいスウィング感は、脳にアルファ波を促し極上のリラクゼーションや疲労回復をもたらすというから、愛飲家のかたの気持ちはよくわかるのだけれど──。そんなぼくでも最初から最後まで夢中になれるのだから、上記の２枚は没入感が非常に高いバラード集の名盤と云えるだろう。各々のアルバム・コンテンツは優劣をつけ難いほど素晴らしいのだが、正直なところ外観的には『<em>ムーン・ビームス</em>』のほうが上を行くように、ぼくには思えるのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『<em>ムーン・ビームス</em>』のジャケットには見目麗しい女性のアップ写真があしらわれているが、このひとはドイツ出身のファッションモデル兼シンガーソングライターの<strong>クリスタ・ペーフゲン</strong>、通称<strong>ニコ</strong>である。彼女はこのジャケットのモデルを務める直前に、フランスの映画俳優、<strong>アラン・ドロン</strong>とのあいだに子供を儲けている。それよりもなによりも<strong>ニコ</strong>といえば、のちに<strong>ボブ・ディラン</strong>の紹介で<strong>アンディ・ウォーホル</strong>の実験的映像作品に出演し、ウォーホルがプロデュースを務める<strong>ルー・リード</strong>率いるロック・バンド、<strong>ヴェルヴェット・アンダーグラウンド</strong>のファースト・アルバム『<em>ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ</em>』(1967年)において、リード・シンガーを務めたことが有名だ。むろんぼくにとっては、ずっとあとで知ったことである。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9230 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/moonbeams1.png" alt="満月のアップ　左下にグランドピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/moonbeams1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/moonbeams1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　いずれにしても、この『<em>ムーン・ビームス</em>』のジャケットは、エヴァンスのアルバムのなかでは、ぼくの知る限り唯一の魅惑の美女が際立ったアートワークである。コルトレーンの顔が決してわるいわけではないけれど、レコードを手にとるとき音楽そのものだけでなく、ジャケットも作品のうちと考えるジャズ・ファンにとっては、やはり『<em>バラード</em>』よりも『<em>ムーン・ビームス</em>』のほうがありがたみが大きいのではなかろうか。ジャズの愛好家のなかには、存外ジャケ買いをする向きが多い。そもそもめくるめく美女ジャケは、男性中心の購買層に向けた有効なマーケティング手法によるものなのだが、視覚的な魅力で音楽の抽象的なイメージを補完し、リスナーの想像力を掻き立てるアートとして機能していることも確かだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただこのジャケット、多くのファンのかたから顰蹙を買うかもしれないが、実はぼくにはエヴァンスのアルバムのジャケットとしては、いささか品性に欠けるようにも思われるのだ。というのも、エヴァンスのアルバムのなかでジャケットに女性の画像があしらわれたものといえば、屈指の名盤『<em>ワルツ・フォー・デビイ</em>』(1962年)がその頂点に君臨するから。黒と紫を基調に、女性の横顔とおぼしき朦朧としたシルエットを浮かばせた端正なデザインは、実に格調高いアートワークと云えるだろう。これは1950年代から1960年代にかけて、名門リヴァーサイド・レコードにおいて、数々の名盤のジャケット・デザインを手がけたグラフィックデザイナー、<strong>ケン・ディアドフ</strong>によるもの。とはいってもこのシルエット、実はペーパーカッティングの手法で抽象的にデザインされた架空の女性らしい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それはともかく、この『<em>ワルツ・フォー・デビイ</em>』はご承知のとおり、エヴァンスが1961年にヴィレッジ・ヴァンガードで行ったライヴ演奏が収録されたアルバム。一般的に『<em>ポートレイト・イン・ジャズ</em>』(1960年)『<em>エクスプロレイションズ</em>』(1961年)『<em>サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード</em>』(1961年)とあわせて“リヴァーサイド４部作”と云われているが、リリース的にはトリを飾る作品である。ピアノに対して高音域のカウンターメロディを繰り出す、交通事故により25歳という若さでこの世を去った天才ベーシスト、<strong>スコット・ラファロ</strong>と、まるでエヴァンスに真っ向から向き合うかのようなブラシ＆シンバル・ワークを展開する<strong>ポール・モチアン</strong>を従えたトリオによる正式なアルバムは、この４枚だけである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに云うと、この1961年６月25日、ニューヨークの名門クラブで行われた吹き込みのうち、ラファロのベース・プレイのフィーチュアリングが際立った音源は『<em>ワルツ・フォー・デビイ</em>』に先立ち『<em>サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード</em>』としてまとめられた。ライヴの11日後である７月６日にこの世を去ったラファロの追悼盤として、急遽発売されたというわけである。なおこのときの音源は、ラファロの生涯で最後の公式な録音となった。ときに残りのテイクからチョイスされた音源がまとめられたのが『<em>ワルツ・フォー・デビイ</em>』なのだが、結局『<em>サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード</em>』よりもエヴァンス寄りのカラーが強調されることとなった。抒情的なメロディック・ライン、緻密なハーモニー、そして洗練されたインタープレイと、どこをとっても極上と云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このように味わいが微妙に異なる２枚のアルバムを制作するという慧眼は、リヴァーサイドのプロデューサー、<strong>オリン・キープニュース</strong>のもの。もしこのときの音源が２枚組のライヴ・アルバムとしてリリースされていたら、それほど滋味豊かなものに聴こえなかったかもしれない。そして前述の『<em>ワルツ・フォー・デビイ</em>』の美麗なデザインのジャケットは、アルバム・コンテンツをそのまま表している。エヴァンスの世にも美しい音楽が、容易にイメージされる。とにもかくにも本作では、クラシックの技法の導入、洗練されたヴォイシングの確立といった小難しいことを理解しなくても、あたかも水晶のような音色と琴線に触れる流麗な旋律とを堪能することができるのである。このアルバムが、ふだんジャズを聴かないという若い女性に人気があるというのも、大いに得心がいくというものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">エヴァンスの魅力は即興性に富んだトリオ間のインタープレイだけではない</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　エヴァンスのアルバムには、まあ例外もあるけれど、そんなに聴きにくいものはない。むろんジャズのいちばんの醍醐味といえば、インプロヴィゼーションと云える。その点、この『<em>ワルツ・フォー・デビイ</em>』でも素晴らしい成果が上げられている。というか、ここでのトリオによる即興演奏には、それだけに止まらないものがある。従前のピアノ・トリオといえば、各々のプレイヤーにソロ・パートが与えられる場合もあるけれど概ねピアノが主役で、ベースはボトムを支えることに、ドラムスはリズムをキープすることにそれぞれ徹していた。しかしながら、エヴァンス、ラファロ、モチアンの３人は対等に近い立場にあって、その場のコール・アンド・レスポンスで、確たる音楽を創造しているのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　たとえ三者三様に歌いまくっていても、出来するサウンドは一体となって響いてくるのだから、これは魔法とでも云うしかない。ジャズでは演奏中にプレイヤー同士が会話するようにリアルタイムで反応し合い、新たな音楽を創り出す相互作用のことをインタープレイと云い、別段珍しいことではない。たとえば、だれかのアドリブ・ソロに対して、他のプレイヤーが合いの手を入れたり、フレーズを真似したりするのはごく当たりまえ。バッキングにおいても、ピアニストの演奏にインスパイアされて、サイドメンがリズムや音色を自在に変化させることは自然なことなのである。ところがエヴァンス・トリオのインタープレイでは、ピアノ、ベース、ドラムスが対等に絡み合うからスゴい。それはいわば、インタープレイの極致である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなわけで、この『<em>ワルツ・フォー・デビイ</em>』をはじめとする“リヴァーサイド４部作”は、押しなべて旧来のピアノ・トリオのスタイルを打ち破った傑作である。そういう革新的な側面をもちながら、そのいっぽうで日常生活のBGMの１枚としてセレクトすることもできるという特性が、名盤『<em>ワルツ・フォー・デビイ</em>』が多くの音楽ファンのこころを惹きつける所以であると、ぼくは思う。つまりエヴァンスの音楽は、彼がどんなにスゴいことを演っているかを理解しなくても、十分に楽しむことができるのである。レコードに針を落とすと間もなく、エヴァンスのピアノが「ト、トン」ラファロのベースが「ブォーン」モチアンのシンバルが「シャーッ」と鳴り出す。<strong>ビクター・ヤング</strong>による名曲「マイ・フーリッシュ・ハート」だが、その響きだけでもリスナーに感動を与えるのだから、やはりスゴい。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9231 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/moonbeams2.png" alt="グランドピアノ　左横に満月" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/moonbeams2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/moonbeams2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　以前にも触れたことがあるが、あらためてここにエヴァンスのプレイの特徴を記しておく。まずそのリズム感だが、きわめて流動的で広がりがある。彼は８分音符を敢えて均等に連ねず、３連符のようなニュアンスで弾く。その点、バップ系のプレイヤーのフレージングとは明らかに違う。しかも彼の場合、右手で３連符のラインを作りながら、左手のコンピングは２拍のコードをキープしていたりする。そのポリリズムが生み出す浮遊感が、一般的なスウィング感とはかなり違った印象を与える。しかもベースやドラムスとともに一定のリズムを刻まず、自由にリズムを崩しながら弾く場面が散見されるのだ。そんなタイム感はいわゆるブロークン・タイムというものなのだけれど、このスタイルを確立したのはエヴァンスと云ってもいいのではなかろうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにつけ加えると、エヴァンスはバップならではスタッカートの効いたアグレッシヴな奏法をほとんど用いることがなく、レガート・タッチで音を羅列する。しかもクロマティックなアプローチで、より滑らかなラインを形成させる。それが彼のピアノ演奏に抒情性が生み出される要因のひとつと、ぼくは観ている。右手がそんな感じで進行するなか、かたや左手のほうがときに単なる伴奏ではなく美しいメロディを奏でるときもある。これはヴォイス・リーディングという手法なのだけれど、クラシック音楽で云うところの対位法的なアプローチだ。そういえば細かいことだが、インプロヴィゼーションにおいて、トリルやターンといった装飾音が頻繁に鏤められるのも、エヴァンスのプレイにクラシックからの影響が感じられるところである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　クラシックからの影響といえば、エヴァンスが奏でる色彩豊かな印象派的なハーモニーには、それこそ<strong>モーリス・ラヴェル</strong>や<strong>クロード・ドビュッシー</strong>のピアノ作品に通じるものが感じられる。そのエクスプレッションがなんとも幽玄な響きを生み出しており、どこか宙に浮いたような感じを与えながら、ところどころに美しいイディオムが交えられていくのだ。その空気感は、まさにフランスの印象主義音楽を連想させる。ひょっとすると、そういうエヴァンスの透明感のある繊細なタッチが、ふだんジャズを聴かないという若い女性のハートさえも、鷲掴みにしてしまうのかもしれない。ピアノを弾く立場の人間として云わせていただくと、エヴァンスのピアノ・テクニックはきわめて高度で難しい。しかしながら、彼が紡ぎ出す音楽は、複雑さよりも美しさのほうが際立つ。なんとも素晴らしい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ここまでお伝えしたエヴァンスのピアニズムについては、彼の熱心なファンだったら百も承知のことだろう。それなのに、それをくどくど述べたのは、一般的にエヴァンスについて語られるとき、そのジャズ・スタンダーズの独創的な解釈とともに、“リヴァーサイド４部作”で披露された即興性に富んだトリオ間のインタープレイばかりが高く評価されることが多いからだ。確かにエヴァンスは、ピアノ・トリオの新しい方向性を示し、後続のジャズ・ピアニストたちに多大な影響を与えたけれど、たとえそのことをを考慮に入れなくても、不世出のジャズ・ピアニストであることに変わりはない。ぼくは、それを云いたかったのである。たとえば、彼の初リーダー・アルバム『<em>ニュー・ジャズ・コンセプションズ</em>』(1957年)をひとつとっても、そう確信するのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバム、よく冒頭の<strong>コール・ポーター</strong>の名曲「アイ・ラヴ・ユー」でのエヴァンスのプレイがピックアップされて、そのピアノ・スタイルが未完成であるとか、<strong>バド・パウエル</strong>からの影響が強いとか云われる。しかも、そのことが根拠とされる機会は非常に多く、本作の一般的な評価は押しなべて低いと云える。しかしながらぼくには、エヴァンスの独自のピアノ・スタイルが、このアルバムにおいてすでに完成の域に達しているように思えるのだ。そもそも彼は、パウエルからほとんど影響を受けていないのではなかろうか。ぼくには、エヴァンスが単に当時のトレンドであるバップ・スタイルを弾いてみせただけのように、思われて仕方がない。というのも、次曲のオリジナル・ナンバー「ファイヴ」におけるポリリズムやリリシズムに、エヴァンスならではの新しい概念が感じられるからだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『<em>ニュー・ジャズ・コンセプションズ</em>』を聴いただけでも、エヴァンスがきわめて有能で革新的なジャズ・ピアニストであるとわかる。しかも彼は、上記の「ファイヴ」をはじめ「ディスプレイスメント」「ワルツ・フォー・デビイ」「ノー・カヴァー・ノー・ミニマム」といった自作曲をもってして、作曲の才能も確かなものであることを実証している。とはいうもののこのアルバム、バップ・スタイルが導入されていることもあり、統一された音楽的個性に欠けているというのもまた事実。おそらくエヴァンスは、プロデューサーのキープニュースの意向に沿って、ビジネスライクに流行りのスタイルも採り入れたのだろう。あいにくレコードは、800枚程度しか売れなかったという。自分の信念を貫かったことに対する自責の念からか、エヴァンスはその後２年と３か月のあいだ、リーダー・アルバムを制作しなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">悲しみを乗り越え新しいメンバーでふたたび強固なトリオを結成した</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　自己批判的なエヴァンスが満を持して吹き込みに挑んだセカンド・アルバム『<em>エヴリバディ・ディグズ・ビル・エヴァンス</em>』(1959年)は、前作とは対照的に各方面から高く評価された。アルバム・ジャケットには、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>、<strong>ジョージ・シアリング</strong>、<strong>アーマッド・ジャマル</strong>、<strong>キャノンボール・アダレイ</strong>といった、エヴァンスに一目置く同時代のミュージシャンたちからの賛辞が掲載されている。エヴァンスがプロデューサーのキープニュースに「どうして母にもコメントを求めなかったの？」と、ジョークを飛ばしたことはあまりにも有名だ。そんなエヴァンス自身も出来栄えに満足したという本作では、彼らしさが全開している。<strong>ジジ・グライス</strong>の「マイノリティ」でのシャープなフレージングは、エヴァンス・スタイルの完成形と云っても過言ではないだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そして『<em>エヴリバディ・ディグズ・ビル・エヴァンス</em>』の収録曲でなにかと取り沙汰されるのは、なんといってもエヴァンスのオリジナル・ナンバー「ピース・ピース」だろう。ソロ・ピアノで演奏されたこの曲、そのバラード演奏の静謐を湛えた美しさに、多くのリスナーが得も云われぬ心地よさを覚えると同時に、フランスの作曲家、<strong>エリック・サティ</strong>のピアノ曲を連想したのではなかろうか。サティの作風を彷彿させるのは、旋法が扱われることで独特の清澄な雰囲気が醸し出されているから。その影響は、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>の『<em>カインド・オブ・ブルー</em>』(1959年)に収録されている「フラメンコ・スケッチ」という曲に色濃く反映されている。というかこのマイルスの曲は、明らかにエヴァンスのアイディアに基づくものだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ついでに云わせてもらうと、ぼくは『<em>エヴリバディ・ディグズ・ビル・エヴァンス</em>』のなかでは、<strong>ヴァーノン・デューク</strong>のバラード「ホワット・イズ・ゼア・トゥ・セイ」が大好きだ。研ぎ澄まされたタッチと繊細なハーモニーが描き出す透明感と憂愁に満ちた景色は、紛うことなきエヴァンスの音世界である。そしてこのトラックの特徴は、そのまま『<em>ムーン・ビームス</em>』の収録曲に直結するものでもあるのだ。そしてこの『<em>エヴリバディ・ディグズ・ビル・エヴァンス</em>』のあとにつづくのが、“リヴァーサイド４部作”のうち最初の吹き込みに当たる『<em>ポートレイト・イン・ジャズ</em>』である。４部作がジャズ・シーンに広げた波紋があまりにも大き過ぎて、前後の作品の魅力や価値が一段落ちて見えてしまうのも無理からぬことだが、ぼくは『<em>ムーン・ビームス</em>』も含めてどのアルバムにも、それぞれのもち味があると思う。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9232 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/moonbeams3.png" alt="グランドピアノ　右に満月　左に流れ星" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/moonbeams3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/moonbeams3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ということで、すっかりあとになってしまったが、ここからはエヴァンスの極上のバラード集『<em>ムーン・ビームス</em>』に集中する。ここでいま一度、本作のジャケットを眺めていただきたい。妖精<strong>ニコ</strong>の写真に気をとられて見落としがちだが、このアルバムのジャケットには、バンド名が“The Bill Evans Trio”と定冠詞つきで表記されている。これには理由があって、実は天才ベーシスト、ラファロの急逝に伴う新体制トリオの本格的な始動を宣言するという、意味合いが込められているのだ。最良のパートナーの喪失に深いショックを受けたエヴァンスは１年ほど演奏活動を休止するが、その悲しみを乗り越え新しいメンバーでふたたび強固なトリオを結成。トリオの復活をアピールするが故に、敢えて“The”が冠された。なお、同日録音のアルバム『<em>ハウ・マイ・ハート・シングス</em>』(1964年)では、それが外された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　新体制でのセッションは、1962年５月17日、29日、６月５日にニューヨークのサウンド・メーカーズ・スタジオで行われ、音源はスローテンポを中心とした落ち着いた感じの楽曲は『<em>ムーン・ビームス</em>』に、ミッドテンポ以上のスウィンギーなナンバーは『<em>ハウ・マイ・ハート・シングス</em>』に、それぞれ振り分けられた。後発の『<em>ハウ・マイ・ハート・シングス</em>』も、個人的には愛聴盤となっているので、機会があればご紹介したいと思う。なお、このときのセッションはのちにマイルストーン・レコードによって、２枚組LP『<em>ザ・セカンド・トリオ</em>』(1977年)としてまとめられたこともあるが、ご放念いただいても構わないだろう。ときに新生トリオは、<strong>ビル・エヴァンス</strong>(p)、<strong>チャック・イスラエルズ</strong>(b)、<strong>ポール・モチアン</strong>(ds)。新加入のイスラエルズは、ラファロと比べるとよりトラディショナルなベーシストだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　エヴァンス・トリオにおけるイスラエルズのプレイは、ラファロのようにイノベーティヴネスに欠けるが故、過小評価されることがままあるが、メロディ、リズム、ハーモニーなどの選択において、きわめて自制的で無駄がない。アカンパニストととしてトップ・ベース・プレイヤーのひとりと云っても過言ではないだろうし、このセッションにおいても不要な要素を極力排除した彼のスタイルが、結果的にスポットライトをエヴァンスのピアノ演奏に一点集中させている。そのヴォイシングに華やかさはないかもしれないけれど、インタープレイも堅実に行われているのだ。これは余談だが以前、吉祥寺の老舗ジャズ喫茶、MEGのマスターで辛口の批評家でもある<strong>寺島靖国</strong>が、もっとも好きなエヴァンスのアルバムは『<em>ムーン・ビームス</em>』であると明言していた。寺島ファンのぼくは、いたく腑に落ちたものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバム冒頭の「リ・パーソン・アイ・ニュー」のタイトルは、直訳すると「わたしの知っていたひとについて」という変な意味になるが、これはプロデューサー、キープニュースの名前のアナグラム(Orrin Keepnews → &#8220;Re: Person I Knew&#8221; )。エヴァンスのオリジナルだが、センシティヴでリリカルな曲調とピアノが紡ぎ出す淀みのないラインが陶酔を誘う。エヴァンスの無駄のないフレージングと力強いタッチが素晴らしい。モチアンのグルーヴ感とイスラエルズのメロディアスなソロも絶妙。<strong>ジミー・ヴァン・ヒューゼン</strong>の「ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームス」では、しっとりとしたルバートからインテンポする際の転調に胸がすく。愁いを帯びながらも爽やかな空気が作り出されているのは、曲のよさばかりでなくインタープレイの軽妙さに負うところもままあると、ぼくは思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ジューリー・スタイン</strong>の「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー」では、さりげない演奏のなかにもエヴァンスの細やかな表現が垣間見える。リリシズムが広がるなか、ブロック・コードが使われる箇所ではやや熱くなる。<strong>マッティ・マルネック</strong>と<strong>フランク・シニョレッリ</strong>とによる「星へのきざはし」では、エヴァンスの特徴的なピアノのテクニックが次々に繰り出される。手垢のついたバラードだが、その斬新な解釈と流暢な語り口とがフレッシュな印象を与える。個人的には、この曲のアウトロが大好きだ。B面のトップは<strong>タッド・ダメロン</strong>の「イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ」だが、エヴァンスはこの曲をダメロンのリーダー作『<em>ザ・マジック・タッチ</em>』(1962年)でも演っていた。ここでは、もはやエヴァンスのオリジナルと見紛うばかりの、抑揚の利いた美しいバラードとして完成。名演である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>リチャード・ロジャース</strong>の「春の如く」では、わりと長めの演奏となっているが、終始リラックスしたムードがキープされる。主役は飽くまでピアノだが、そのきめ細やかなタッチと表現豊かなフレージングは、飽きるどころか一瞬も見逃せない。<strong>ジェローム・カーン</strong>の「イン・ラヴ・イン・ヴェイン」では、静謐を湛えた演奏では至高の一品。比較的地味な曲だが、エヴァンスのリリカルな表現とモーダルな味つけによって、名篇に押し上げられている。アルバムのラストを飾るエヴァンスのオリジナル「ヴェリー・アーリー」は、浮遊感のあるコード進行と心地いいトリプル・タイムが際立った名曲。これぞ、エヴァンス。これを聴かずして、エヴァンスは語れない。個人的には、地方都市のジャズ・バーではじめてリクエストというものを体験した、思い出の曲。ぼくは大好きなのである、この曲が──。</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>大野雄二 = Yuji Ohno, You &#038; Explosion Band / Made In Y.O. (2005年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/yuji-ohno-you-and-explosion-band-made-in-y-o/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=yuji-ohno-you-and-explosion-band-made-in-y-o</link>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 24 May 2026 06:55:06 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Soundtrack]]></category>
		<category><![CDATA[Yuji Ohno (大野雄二)]]></category>
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					<description><![CDATA[追悼 大野雄二──日本が生んだミュージック・シーンの至宝による珠玉の名曲の数々が本人の手によって新録音されたアルバム『Made In Y.O.』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">追悼 大野雄二──日本が生んだミュージック・シーンの至宝による珠玉の名曲の数々が本人の手によって新録音されたアルバム『Made In Y.O.』</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>大野雄二 = Yuji Ohno, You &amp; Explosion Band / Made In Y.O. (2005)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : LOVE SAVES THE EARTH</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">ジャズ・ピアニストとしてプロの道を歩み出すが、ほどなく作曲家へ転身</span></h3>
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<p>　音楽家、<strong>大野雄二</strong>がこの世を去った。ついにこのときが来てしまったのか──。突然の訃報は去る５月13日、大野さんの公式Xなどを通じて伝えられた。発表によると、大野さんは2026年５月４日午前６時８分、老衰のため東京都の自宅で永眠された。直前まで普段と変わることなく過ごされていて、就寝中に苦しむことなく安らかに旅立たれたとのこと。享年84歳だった。葬儀および告別式は近親者で行われ、喪主はお姉さんの<strong>栗田和子</strong>さんが務められたが、後日、お別れの会が開かれるという。さらに同月14日、大野さんの公式Xが更新され、その内容が反響を呼んでいる。そこには「では又、バイビー」と綴られ、笑顔でカメラに向かって手を振る大野さんの写真が掲載されている。気さくな大野さんらしいメッセージだが、なぜかぼくのこころは和むことはなかった。いまはただ、謹んで哀悼の意を表するばかりである。</p>
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<p>　大野さんは間違いなく、ぼくがもっとも影響を受けた日本の音楽家だ。このブログでも大野さんの作品を何度となく採り上げさせていただいた。云うまでもなく大野さんは、ジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせ、その後、映画『犬神家の一族』(1976年)やテレビアニメ『ルパン三世』第２シリーズ(1977年 – 1980年)の音楽を手がけ、作曲家として広く知られるようになった音楽家。1941年５月30日、スタジオジブリのアニメ映画『おもひでぽろぽろ』(1991年)の舞台となったローマ風呂で知られる、静岡県熱海市のホテル大野屋の次男坊として生まれた大野さんは、中学時代にジャズに目覚め、高校時代にはバンド演奏を開始。さらに<strong>慶應義塾大学ライト・ミュージック・ソサイェティー</strong>で活躍し、<strong>鈴木宏昌</strong>、<strong>佐藤允彦</strong>とともに“慶應三羽烏”として勇名を馳せた。</p>
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<p>　大学卒業後はクラリネット奏者、<strong>藤家虹二</strong>のクインテットに加入、プロ・ミュージシャンとしての道を歩み出す。しかしながら、モダン・ジャズのみに集中することを決意した大野さんは、１年ほどでこのスウィング系バンドを脱退。しばらくフリーのプレイヤーとして活動したのち1965年、今度は<strong>白木秀雄クインテット</strong>に加入。同バンドにおいて大野さんはプレイヤーにとどまらず、すでにアレンジャーとしても活躍した。その後、<strong>大野雄二トリオ</strong>、<strong>日野皓正クァルテット</strong>、<strong>富樫雅彦=鈴木弘クインテット</strong>などで演奏するとともに、<strong>マーサ三宅</strong>、<strong>笠井紀美子</strong>、<strong>弘田三枝子</strong>らのアカンパニストを務め、ジャズ・ミュージシャンとしての地位を確立。1971年には<strong>池田芳夫</strong>(b)、<strong>岡山和義</strong>(ds)をサイドに据えたトリオでレコーディングを行ったが、その音源こそ<strong>大野雄二</strong>の初リーダー作『<em>ミスター・ハピゴン</em>』(1973年)である。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9191 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo1.png" alt="グランドピアノとユリの花束" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　奇しくもこのアルバムの吹き込みが行われたころから、大野さんはジャズ・プレイヤーと作曲家との二足の草鞋を履くようになり、次第にジャズ・シーンから遠ざかっていく。氏は初リーダー作をものする以前に、すでにNHKのドキュメンタリー風ドラマ『ナタを追え～朝日新聞東京版“捜査員”より～』(1970年)の音楽を手がけていたが、広く知られる大野サウンドのはじまりは、なんといっても<strong>石立鉄男</strong>主演による、日本テレビ系列で1970年代に放映されたホームコメディドラマ・シリーズの第１作『おひかえあそばせ』(1971年)だろう。さらにそれは、日本テレビ系列の『火曜日の女』(1969年11月４日 – 1972年3月27日)、同系列の昼ドラ『愛のサスペンス劇場』(1975年３月31日 – 1977年３月４日)、NHKの『少年ドラマシリーズ』(1972年１月１日 – 1983年10月11日)といったドラマシリーズで、お茶の間に浸透した。</p>
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<p>　大野さんが圧倒的な存在感を放ったのは、1970年代の後半のこと。大ブームとなった角川映画の第１作『犬神家の一族』および第２作『人間の証明』(1977年)、そしてテレビアニメ『ルパン三世』の音楽を手がけたことにより一躍脚光を浴びた。ことに1978年は、スゴいことになっている。サウンドトラック・アルバムだけでも『<em>ルパン三世 オリジナル・サウンドトラック</em>』『<em>大追跡</em>』『<em>24時間テレビ 愛は地球を救う</em>』『<em>野性の証明</em>』と立てつづけにリリースされていき、クリスマスまえには早くも『<em>ルパン三世・２</em>』が発売された。しかもその間隙を縫って、大野さんにとってはじめての本格的フュージョン・スタイルのリーダー作『<em>スペース・キッド</em>』が制作され、氏とは長年コンビを組んだブラジル、サンパウロ出身のシンガー、<strong>ソニア・ローザ</strong>の4thアルバム『<em>サンバ・アモール</em>』のレコーディングも行われている。</p>
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<p>　サウンドトラック・アルバムこそリリースされなかったものの、テレビや映画を賑わせた大野さんの音楽はまだまだある。1978年はほんとうに、<strong>大野雄二</strong>一色の年だった。ご当人は寝食を忘れるほど仕事に没頭していたのだろう、どれもクオリティの高い作品ばかりだ。テレビドラマだと、日本テレビ系列では「土曜グランド劇場」の１本『貝がらの街』(２月18日〜４月22日)、「金曜劇場」の１本、<strong>西村寿行</strong>原作『犬笛 – 娘よ、生命の笛を吹け -』(７月７日〜８月25日)、またNHK「銀河テレビ小説」の１本、<strong>森村誠一</strong>原作『凶水系』(３月13日〜３月24日)、そしてTBS系列で放送された3時間ドラマ、<strong>松浦行真</strong>原作の『風が燃えた』(８月29日)などがある。なおこれらのテレビドラマのうち『貝がらの街』と『犬笛 – 娘よ、生命の笛を吹け -』は、主題曲のシングル・レコードが発売された。</p>
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<p>　個人的には1978年を“ニッポン<strong>大野雄二</strong>年”と定めたい。補筆すると映画では、<strong>松田優作</strong>主演、<strong>村川透</strong>監督による“遊戯”シリーズのうち『最も危険な遊戯』(4月８日)と『殺人遊戯』(12月２日)が公開されている。ともに<strong>小林旭</strong>主演、<strong>鈴木則文</strong>監督による『多羅尾伴内』<strong>舘ひろし</strong>主演、<strong>長谷部安春</strong>監督による『皮ジャン反抗族』が併映された、東映セントラルフィルム製作のいわゆるプログラムピクチャー。“遊戯”シリーズは3000万円の予算枠で製作された作品ではあったが、思いのほか高評価を得た。当然のごとく公開当時にはサウンドトラック・アルバムなどは発売されなかったけれど、即興演奏が活かされたりオケの代わりにソリーナ・ストリング・アンサンブルが上手く使われたりしたハードボイルドなサウンドは、各方面から称賛された。そして音源は結局、1993年にCD化された。</p>
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<p>　以上は飽くまで、大野ワークスの一部である。際限がないので、これ以上はその作品を枚挙することは控えさせていただくが、当時、<strong>大野雄二</strong>という音楽家がいかにときのひとだったかはおわかりいただけたであろう。かく云うぼくも、おそらく盆と正月が一緒に来たような状況にあったであろう大野さんに、あらためて「おつかれさまでした」と云いたい気分になってくる。ここではテレビドラマと映画音楽にしか触れなかったが、大野さんは、明治乳業「レディーボーデン」や明治製菓の「きのこの山」をはじめとするCM音楽を星の数ほど作曲しているし、シティ・ポップや歌謡曲、ゲーム音楽、ユニークな例としてはプロレスや競輪のテーマ曲なども手がけている。この場でそれらを列挙することは不可能だが、大野さんは間違いなく日本を代表するオールラウンドな音楽家と云える。</p>
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<h3><span id="toc3">2000年代に入ってから本格的にジャズ・プレイヤーとして復帰する</span></h3>
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<p>　1970年代から長らくサウンド・クリエイターとして大いに腕を振るった大野さんだが、ときおりクラブに姿を現しジャズ・スタンダーズを弾いたりもしていた。1990年代のことだが、ぼくは銀座にあったサテンドールという小規模なクラブで、ピアノ・トリオで出演していた大野さんと、おハナシする時間をいただいたことがある。タオルを首からさげたポロシャツ姿の大野さんは、セットの合間にトマトジュースやオレンジジュースを飲みながら、さばさばした感じで音楽のハナシをされていた。そのざっくばらんな語り口も然ることながら、音楽に対する博覧強記ぶりに驚かされた。自然体で接していただいているのにもかかわらず、青二才のぼくは大野さんに一種、畏怖の念すら覚えたもの。ほんとうに、いい思い出である。</p>
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<p>　それはさておき、大野さんは2000年代に入ってから本格的にジャズ・プレイヤーとして復帰する。そのキッカケとなったのは、1999年にスタートした“LUPIN THE THIRD「JAZZ」”と銘打たれたジャズ・アルバムのシリーズだった。どのアルバムもハード・バップ系のピアニスト、<strong>レッド・ガーランド</strong>へのリスペクトを感じさせる、<strong>大野雄二トリオ</strong>が主幹をなす作品だった。このころの大野さんのピアノ・プレイには、ブロックコード奏法をはじめとする、まさにガーランドを彷彿させる展開が垣間見えるようになった。なによりもアドリブが、依然としてファンキーではあるものの、前述の『<em>ミスター・ハピゴン</em>』のそれと比べるとずいぶんシンプルになった。あたかも即興演奏の道理、ひいては音楽の真理みたいなものを見極めたかのごとく、ひとつひとつの音を丁寧に弾いていたのである。</p>
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<p>　大野さんが、この“LUPIN THE THIRD「JAZZ」”のシリーズで自己の音楽性のルーツを辿っていったとき、次に行き着いたのは<strong>ホレス・シルヴァー</strong>が統率していたころの<strong>ザ・ジャズ・メッセンジャーズ</strong>と思われる。むろん2006年に結成された<strong>Yuji Ohno &amp; Lupintic Five</strong>の演奏では、ハード・バップのスタイルがそのまま再現されるのではなく、大野さんが影響を受けたあらゆる音楽の要素が盛り込まれた、新しい感覚のコンボ・スタイルが展開された。現にこのバンドのレパートリーには、４ビートのみならず、ジャズ・ロックやフュージョンが盛んに飛び出してくる。その点、現代のジャズ・シーンにおいて稀有なバンドと云える。このバンドは2016年、メンバーチェンジが行われるとともに、新たにハモンド・オルガン奏者が加えられ、<strong>Yuji Ohno &amp; Lupintic Six</strong>へと進化した。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9192 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo2.png" alt="グランドピアノとストップウォッチ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　結局このバンドは、<strong>Yuji Ohno &amp; Lupintic Five</strong>時代も含めると18年と半年もの間、活動が継続された。ただその間、2022年３月に大野さんが体調不良により入院し、しばらく療養に専念することになり、バンドは活動休止状態となった。しかしながら、2024年５月30日(大野さんの誕生日)に活動を再開。大野さんのオンステージはないものの、バンドは<strong>Lupintic Six with Fujikochans Produced by YUJI OHNO</strong>として、港区赤坂のビルボードライヴ東京において２セットの公演を果たした。バンドは同年の10月14日、恵比寿ザ・ガーデンホールにて開催されたEBISU JAM 2024にも出演した。大野さんは、復帰後は演奏に参加せず、アレンジとプロデュースに専念していたが、氏の音楽を創造することへの並々ならぬ情熱が感じられた。</p>
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<p>　ということで、大野さんの来歴を駆け足でお伝えしてきたが、まったく語り切れていない。その仕事量の多さから、このブログではどうコトバを尽くしても一部始終をお伝えすることは不可能と云える。もしこの拙文から、<strong>大野雄二</strong>という音楽家の奥深さや素晴らしさが伝わらなかったら、それはひとえに筆者であるぼくの責任である。大野さんは間違いなく、日本が生んだミュージック・シーンの至宝なのだから──。そんな思いもあって、今回は大野さんの珠玉の名曲の数々が、ご本人の手によって新録音されたアルバム『<em>Made In Y.O.</em>』(2005年)をご紹介させていただき、こころから氏へ哀悼の意を捧げたいと思う。むろんこれが大野サウンドのすべてではないけれど、一面の真実として極上の音楽であることは間違いない。</p>
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<p>　このアルバムでは、大野さんの歴代の楽曲はもちろんのこと、書き下ろしの新曲も２曲収録されており、計20曲が10曲ずつに分けられた２枚組CDの豪華ボックス仕様となっている。CD盤とともにデータブックおよびフォトブックも同梱されており、往年の大野サウンドのファンだけでなく、はじめて大野さんの音楽に触れるかたでも手軽に楽しめる作りなので、ぜひ手にとっていただきたい。演奏は<strong>ユー＆エクスプロージョン・バンド</strong>となっているが、このクレジット、大野さんがその全盛期に関わった諸々の音盤で散見されたので、懐かしく思う向きも多いだろう。このバンド名義はもともと、NTVM(日本テレビ音楽)の<strong>飯田則子</strong>(故人)がエグゼクティヴ・プロデューサーを務める作品にのみ使用されていたものなのだが、めでたく復活の運びとなった。</p>
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<p>　レコーディングの正確な年月日は不明だが、大野さん自身が３か月レコーディングに没頭したと語っていること、アルバムの発売が2005年７月21日であることなどを勘案すると、アルバム制作は2005年の春から初夏にかけて行われたものと思われる。レコーディング・スタジオは『ルパン三世』第２シリーズのサウンドトラックなどの吹き込みでお馴染みの、港区麻布台のサウンド・シティ・スタジオ、千代田区四番町のサウンドインスタジオ。レコーディング・エンジニアを務めたのは、音楽制作プロダクション、ジェニュインの代表者である<strong>三浦克浩</strong>。三浦さんはもと日本コロムビアのミキサーで、大野さんの作品では、その昔『<em>スペースコブラ オリジナル・サウンドトラック</em>』(1982年)のレコーディングとミキシングを担当。2000年代以降、大野サウンドにおいてなくてはならない存在となった。</p>
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<p>　レコーディングには数え切れないほどのミュージシャン(総勢100名を超えるとのこと)が参加しているが、一応、ゲストアーティストも含めて可能な限り列挙してみようと思う。抜けや漏れがあったら、お許しいただきたい。リズム・セクションは、<strong>大野雄二</strong>(key)、<strong>永田一郎</strong>(org)、<strong>吉田潔</strong>(synth)、<strong>梶原順</strong>(g, ukl)、<strong>杉本喜代志</strong>(g)、<strong>俵山昌之</strong>(b)、<strong>渡辺直樹</strong>(b)、<strong>市原康</strong>(ds)、<strong>則竹裕之</strong>(ds)、<strong>川瀬正人</strong>(perc)、<strong>仙道さおり</strong>(perc)、<strong>矢坂順一</strong>(perc)、<strong>大井貴司</strong>(vib)、<strong>西脇辰弥</strong>(hmc)、<strong>上妻宏光</strong>(shamisen)となっている。つづいてサクソフォーン以外のウッドウィンズは、<strong>旭孝</strong>(fl, Ocarina)、<strong>田部井雅世</strong>(fl)、<strong>木津芳夫</strong>(fl)、<strong>斎藤寛</strong>(fl)、<strong>篠原猛</strong>(fl)、<strong>中川昌三</strong>(fl, afl, bfl)、<strong>西沢幸彦</strong>(fl)、<strong>比護いずみ</strong>(fl, afl)、<strong>星野正</strong>(cl)、<strong>庄司知史</strong>(ob)である。</p>
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<p>　サックス・セクションは、<strong>山口真文</strong>(ss, ts)、<strong>近藤和彦</strong>(as, ts)、<strong>ロバート・ザング</strong>(as)、<strong>山田穣</strong>(as)、<strong>平原まこと</strong>(as, ts, bs)、<strong>アンディ・ウルフ</strong>(ts)、<strong>近藤淳</strong>(ts)、<strong>吉田治</strong>(ts)、<strong>宮本剣一</strong>(ts)、<strong>つづらの敦司</strong>(bs)、<strong>原田忠幸</strong>(bs)、<strong>宮本大路</strong>(bs)。ブラス・セクションは、<strong>奥村晶</strong>(tp)、<strong>岸義和</strong>(tp)、<strong>数原晋</strong>(tp, flh)、<strong>寺島基文</strong>(tp)、<strong>横山均</strong>(tp, flh)<strong>萩原顕彰</strong>(hr)、<strong>藤田乙比古</strong>(hr)、<strong>片岡雄三</strong>(tb)、<strong>佐藤洋樹</strong>(tb)、<strong>鹿討奏</strong>(tb)、<strong>中川英二郎</strong>(tb)、<strong>野々下興一</strong>(tb)、<strong>パトリック・ハララン</strong>(tb)、<strong>広原正典</strong>(tb)、<strong>フレッド・シモンズ</strong>(tb)、ストリング・セクションは、<strong>小林陽一郎グループ</strong>、<strong>篠崎正嗣グループ</strong>が担当。さらに、<strong>朝川朋之</strong>(hp)、<strong>中谷勝昭</strong>(cond)が加わる。余談になるが、ハープは調律費や運搬費で高くつく楽器。つまり本作の吹き込みは、贅が尽くされているのだ。</p>
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<h3><span id="toc4">大野さん自身の意向により、単なるベスト・アルバムにはなっていない</span></h3>
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<p>　またバック・コーラスは、<strong>伊集加代子</strong>、<strong>斉藤妙子</strong>、<strong>佐々木久美</strong>、<strong>広谷順子</strong>が担当。そしてフィーチュアリング・ヴォーカリストとして、<strong>石井竜也</strong>、<strong>サーカス</strong>、<strong>タケカワユキヒデ</strong>、<strong>トミー・スナイダー</strong>、<strong>DOUBLE</strong>が参加している。この錚々たる顔ぶれには、大御所から若き実力派まで、とにかく日本のトップアーティストが集結したという印象を受ける。プロデュースとアレンジは、すべて大野さんが手がけている。云うまでもなく、このCDに収録されている20曲はすべて氏のペンによるものである。アレンジの特色としては、比較的有名な曲では敢えてオリジナルとは異なるアプローチがなされていること、それに反して当時音盤ではなかなか聴くことができない楽曲はオリジナルに近いスタイルがとられていることが挙げられる。単なるベスト・アルバムにはしないという、大野さん自身の意向によるものだ。</p>
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<p>　では簡単ではあるが、各曲について触れていこう。アルバムは、お馴染みのテレビアニメ『ルパン三世』オープニング・テーマ 「ルパン三世のテーマ &#8217;80」(2005 version)からスタート。オリジナルは、アルバム『<em>ルパン三世 オリジナル・サウンドトラック３</em>』(1979年)に収録されているが、あの有名なテーマ曲のビッグ・バンド・ジャズ・ヴァージョンである。昔とった杵柄で、大野さんのフルバンドのアレンジは見事のひとこと。ここでは原曲のスウィング感がキープされながら、さらにシンセやストリングスが加えられ、よりダイナミックなサウンドが展開されている。オリジナル版の<strong>松石和宏</strong>によるマレット捌きも鮮やかだったが、ニュー・ヴァージョンにおける<strong>大井貴司</strong>のプレイもなかなかのものだ。</p>
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<p>　角川映画第３弾『野性の証明』(1978年)の主題歌「戦士の休息」では、もと<strong>ズー・ニー・ヴー</strong>の<strong>町田義人</strong>が歌った、ロッキッシュかつリフレッシングなバラードを、ここではもと<strong>米米CLUB</strong>の<strong>石井竜也</strong>が熱唱する。原曲よりいくぶんポップでゴージャスなアレンジが、石井さんのエモーショナルなヴォーカル・パフォーマンスによくマッチしている。オンワードのファッションブランド、ジェーンモアのCF曲 「ミスティ・トワイライト」は、シティ・ポップ・シンガー、<strong>麻倉未稀</strong>のデビュー曲でもある。オリジナルは、彼女のファースト・アルバム『<em>SEXY ELEGANCE</em>』(1981年)に収録されている。ここでは大野さんのピアノが主軸に据えられた、ボサノヴァ・インストゥルメンタルとなっている。メロディアスなピアノのアドリブが、実に軽妙である。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9193 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo3.png" alt="グランドピアノと大野雄二の肖像画" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　アルバム『<em>ルパン三世・２</em>』に収録されている、<strong>サンディー＆ザ・サンセッツ</strong>の<strong>サンドラ・ホーン</strong>が歌った「ラヴ・スコール」は、R&amp;B系女性シンガー、<strong>DOUBLE</strong>がカヴァー。ゆったりしたテンポ、転調が活かされたソングストラクチュアによって、原曲よりビルドアップする。ソウルフルなヴォーカル・パフォーマンスが感動的だ。<strong>ユー＆エクスプロージョン・バンド</strong>のオリジナル・アルバム『<em>フル・コース</em>』(1983年)からの「ROUTE 246」は、バウンシーなグルーヴは原曲どおりだが、ここではホーン・セクションが加えられている。ピアノとソプラノ・サックスとがジャジーなソロを展開する。なおこの曲、ブラジル出身のフュージョン・バンド、<strong>アジムス</strong>の「ディア・リマーツ」という曲からの影響が強い。興味のあるかたは、ぜひお試しあれ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　角川映画『犬神家の一族』の主題曲「愛のバラード」は、原曲の骨格や雰囲気はそのまま活かされているが、<strong>上妻宏光</strong>の三味線によるテーマ部とソロが繰り広げられるダブル・タイムが、なんともユニーク。オリジナル版で印象的な打弦楽器ハンマード・ダルシマーは、ここでは使用されていない。シングル盤のみが発売された、日本テレビ系アニメ『海底超特急マリンエクスプレス』(1979年)の主題歌「THE MARINE EXPRESS」は、16ビートのディスコ・フュージョン。ここでは原曲のヴォーカリスト、<strong>トミー・スナイダー</strong>、そして<strong>タケカワユキヒデ</strong>といった<strong>ゴダイゴ</strong>のコンビによるデュエットが楽しい。映画『最も危険な遊戯』からの「メインテーマ」は、低予算故のコンボ・スタイルから、ここではメインのミュート・トランペットにホーンズ＆ストリングスが加えられた、贅沢なアレンジのジャズ・ナンバーに様変わりしている。</p>
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<p>　NHK連続テレビ小説『マー姉ちゃん』(1979年)の主題曲「マー姉ちゃん」は、巧みなコード進行と跳ねるようなリズムが<strong>バート・バカラック</strong>の曲を彷彿させる。口笛風のシンセ、ウクレレ、クラリネットなどが効果的に使われたハッピーなナンバー。嬉しいエクステンデッド・ヴァージョンである。書き下ろしの新曲「Made In Y.O.」は、３部構成の大野版シンフォニック・ジャズ。知的で陰影に富んだ雰囲気は、<strong>クラウス・オガーマン</strong>の「神々の出現そして不在」という曲を連想させる。そして以下は、２枚目のCDとなる。フジテレビ系アニメ『スペースコブラ』(1982 &#8211; 1983)のエンディング・テーマ「シークレット・デザイアー」では、<strong>前野曜子</strong>に替わって<strong>サーカス</strong>がヴォーカルをとっている。よりジャジーなアレンジ、秀逸なコーラス・ワークを楽しむことができる。</p>
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<p>　日本テレビ系ドラマ『大追跡』(1978年)の主題曲「大追跡のテーマ」は、ブラスによるテーマとストリングスによるコーラスとのコントラストが映えるアップテンポの曲。キャッチーなサウンドの元ネタは、大野さんが敬愛するピアニスト、<strong>ラムゼイ・ルイス</strong>の「スリック」という曲。NHKアニメ『キャプテン・フューチャー』の主題歌「夢の舟乗り」は、オリジナルと同様に<strong>タケカワユキヒデ</strong>が歌っている。フィリー・ソウル風のディスコ・チューンが、ここではヴォーカルも含めてよりソウルフルになっている。アルバム『<em>スペース・キッド</em>』からの「クリスタル・ラヴ」は、原曲どおりやはりフェンダー・ローズのルバート演奏が印象的。ピアノやストリングスによるシネマティックなメロディック・ラインがいかにも大野さんらしい、まさにマスターピースと呼ぶべき１曲だ。</p>
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<p>　角川映画『人間の証明』の主題歌「人間の証明のテーマ」では、<strong>ジョー山中</strong>に替わって<strong>トミー・スナイダー</strong>がヴォーカリストを務めている。次曲の劇場アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)の主題歌「炎のたからもの」そしてそのあとのNHKの紀行番組『小さな旅』(1983年 &#8211; 放送中)の主題曲「小さな旅」とともに、もっとも原曲と異なるアレンジが施されている。まず「人間の証明のテーマ」はロック色が薄くなり、どちらかというとメロウ・ソウル調。<strong>西脇辰弥</strong>のハーモニカも新鮮だ。次の「炎のたからもの」は<strong>ボビー</strong>のR&amp;Bテイストのフロウが特徴的なヴォーカル・ナンバーからビッグ・バンド・ジャズのインストゥルメンタルに、さらに「小さな旅」はオーボエが主旋律を奏でるノスタルジックな曲からトロンボーンやアコースティック・ギターがフィーチュアされたボサノヴァ・チューンにアレンジされている。</p>
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<p>　<strong>石立鉄男</strong>主演によるホームコメディドラマ・シリーズの第５作「水もれ甲介」(1974年 &#8211; 1975年)の主題歌でシングル盤も発売された「水もれ甲介」では、ほぼオリジナルのムードがキープされている。洗練されたポップスの作風は、バカラック・マナーを感じさせる。原曲を歌った、<strong>シンガーズ・スリー</strong>の<strong>伊集加代子</strong>の参加が嬉しい。新曲のビッグ・バンド・スタイルのジャズ・バラード「Jiggy Beans」を挟んで、アルバム『<em>24時間テレビ 愛は地球を救う</em>』収録の「LOVE SAVES THE EARTH」が、アルバムを締めくくる。<strong>アレクサンダー・カレッジ</strong>の「宇宙大作戦のテーマ」を彷彿させる、スペクタクルな曲調が爽快。ここではサンバ・ジ・エンヘード風にリアレンジされているが、ぼくはこのヴァージョンのほうが好き。ということでざっくりとお伝えしたが、本作は<strong>大野雄二</strong>という偉大なる音楽家の足跡を辿る上で格好のアルバムとなっている。ぜひ多くのかたに、手にとっていただきたいものである。</p>
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		<title>Ivan Lins / Daquilo Que Eu Sei (1981年)</title>
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		<pubDate>Sun, 17 May 2026 07:06:35 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[リオデジャネイロが生んだブラジルの至宝、MPBを代表する世界的メロディメーカーであり、ジャズ/フュージョン・シーンの数多くのアーティストに多大な影響を与えたシンガーソングライター、イヴァン・リンスの1980年代の傑作『ダ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">リオデジャネイロが生んだブラジルの至宝、MPBを代表する世界的メロディメーカーであり、ジャズ/フュージョン・シーンの数多くのアーティストに多大な影響を与えたシンガーソングライター、イヴァン・リンスの1980年代の傑作『ダキーロ・キ・エウ・セイ』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Ivan Lins / Daquilo Que Eu Sei (1981)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Quem Me Dera</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">ブラジルの音楽への興味──端緒を開いたのは妹が弾いていたエレクトーン</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ここのところ、日中ちょっと汗ばむような日がつづいている。その日差しの強さは、もう初夏の気配さえ感じさせる。そんなこともあり、ここのところブラジルの音楽を集中的に聴いていたりする。夏にはブラジルの音楽がよく似合う。精神的に暑さをクールダウンさせる、“涼”のイメージがあるからだ。たとえば1950年代末にリオデジャネイロで生まれたボサノヴァは、その静かで囁くようなヴォーカル・パフォーマンスと軽快なアコースティック・ギターによるリズムとによって、暑さで疲れた心身を癒やしてくれる。さらに穏やかに波間を揺蕩うような独特のハーモニーは、情緒的で洗練された雰囲気を醸成する。そこに生まれるサウダージという感覚は、その境界がはっきりしないのだが、懐かしさ、切なさ、愛おしさが入り混じったブラジルの音楽特有のもの。そして実は、その曖昧さが心地よさを作り出しているのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういうふうにぼくが感じるようになったのはわりと早い時期で、小学生高学年のころ。ぼくがジャズを長年愛好するようになるキッカケといえば、10歳以上年長の従兄の家で<strong>ビル・エヴァンス</strong>のレコードを聴かせてもらったことだが、実はそれ以前にブラジルの音楽に興味をもちはじめていた。その端緒を開いたのは、ぼくより３つ下の妹がエレクトーンで弾いていた曲だった。念のために云っておくと、エレクトーンとは、楽器や音響機器の製造発売で知られるヤマハが開発した、(リズム機能も装備された)電子オルガンのこと。妹は幼少期からヤマハ音楽教室に通い、エレクトーンのレッスンを受けていた。彼女はぼくがピアノをはじめるまえから、鍵盤、ベース・ラインを奏でる足鍵盤、それにエクスプレッション・ペダルを流暢に操っていたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　妹の演奏能力はぼくのそれよりもずっと優れていて、彼女は高校に進学するとあっけなくヤマハの指導グレードを取得してしまった。演奏が上手いことにもいささか嫉妬心を抱いたけれど、それよりもぼくはそのレパートリーに羨望の眼差しを向けていた。エレクトーンはもともとソロ・パフォーマンス用の楽器だから、１台でバンドやオーケストラのような演奏をすることが可能。したがってプレイヤーが採り上げる楽曲においては、クラシック、イージーリスニング、映画音楽などはもちろんのこと、ポップス、ロック、ジャズ、ラテンなど、その音楽ジャンルは多岐にわたる。クラシック・ピアノのレッスンを受けていたぼくが、ポピュラー・ピアノも弾くようになったのは、それらの楽曲に感化されたからだ。そんななか、妹のレパートリーでことにぼくの琴線に触れたのがボサノヴァ・チューンだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　妹がよく弾いていた曲で、ぼくのこころを奪ったのは「イパネマの娘」「おいしい水」「想いあふれて」といった曲で、どれも作曲を<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>、作詞を<strong>ヴィニシウス・ジ・モライス</strong>が手がけたものだった。ブラジルの音楽といえば、ぼくは1970年の大阪万博における<strong>セルジオ・メンデス</strong>の演奏において、すでに体験済みだったのだけれど、その特有の味わいに強く惹かれたのはジョビンの曲を聴いたときが最初だったと思う。もちろんそのときのぼくは、ジョビンの音楽がボサノヴァというもので、ショーロ、サンバ、ノルデスチとともにブラジルの音楽のひとつであるなどとは、まだ知る由もなかった。ただ、その簡素で美麗なメロディック・ラインと心地いいテンション・コードとに、ぼくの感性がいたく刺激されたことはハッキリ覚えている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それを機にぼくは、すっかりブラジルの音楽のとりこになった。その影響力は、計り知れない。そんな自分を年代別に俯瞰すると、1960年代の<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>、1970年代の<strong>ミルトン・ナシメント</strong>、1980年代の<strong>イヴァン・リンス</strong>からは、特に刺激を受けたと云える。これは余談だが、高校の音楽の授業で作曲の課題が出されたとき、先生がぼくの書いた曲について「君の曲はフランス印象音楽みたいだね」と感想を述べた。でも、実際はそうではない。あれは完全にジョビンだった。バンドを組んでいたときも、サビで転調したりするとメンバーから、ジョビンの曲に似ていると指摘され気恥ずかしくなることがあった。ただぼくはジョビンの音楽に関しては、ジャズの場合とは異なり一度も研究したことがない。彼の音楽は、ぼくのなかにいつの間にか染みわたっていたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　というのも、小学校高学年のころから中学校を卒業するまでの間にぼくは、1960年代にヴァーヴ、CTIといったレーベルからリリースされたジョビンのボサノヴァ作品に、すっかり馴染んでいたからである。また、中学時代にはすでにジャズやフュージョンを聴くようになっていたが、サクソフォニストである<strong>ウェイン・ショーター</strong>のアルバム『<em>ネイティヴ・ダンサー</em>』(1975年)でフィーチュアされたことから、<strong>ミルトン・ナシメント</strong>に注目するようになった。ナシメントはMPBの代表的なシンガーソングライターだが、このアルバムにおけるショーターとナシメントとのコラボレーションが生み出す、２種類の芳醇なミュージカリティがよくブレンドされた上質な音楽に、ぼくはこころを揺さぶられた。個人的には、はじめてのMPB体験だったと思うけれど、いまもことあるごとに手にとる愛聴盤となっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、MPBとはポルトガル語のムジカ・ポプラール・ブラジレイラの略で、ブラジリアン・ポピュラー・ミュージックという意味。MPBは、1960年代後半に起こったブラジルの温故知新的な芸術運動である、トロピカリズモが発祥とされているけれど、むろん当時はそんな出来事はおろかその名称すら知る由もなかった。それはともかく、ぼくはショーターのアルバムを体験したすぐあと、偶然にもふたたびナシメントがフィーチャリング・アーティストとして迎えられた作品に出会う。それは、キーボーディストである<strong>ジョージ・デューク</strong>の『<em>ブラジリアン・ラヴ・アフェア</em>』(1980年)というアルバム。ブラジル原産の素材がデューク流に味つけされ、ワン・アンド・オンリーなブラジリアン・サウンドが創出されたフュージョンの名盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムに収録されている、タンボーリス・ジ・ミナスのリズムが活かされた「クラヴォ・イ・カネーラ」やラテン・エッセンス溢れるフォルクローレ調の「アオ・キ・ヴァイ・ナセール」といったナシメントの自作曲では、彼のヴォーカルがまさに独擅場でその存在感の大きさと影響力の強さを、あらためて感じさせられる。この２曲の原曲は、ナシメントとやはりシンガーソングライターの<strong>ロー・ボルジェス</strong>とのコラボレーション・アルバム『<em>街角クラブ～クルービ・ダ・エスキーナ</em>』(1972年)で聴くことができる。ブラジルの南東部に位置するミナス・ジェライス州出身のふたりによる、ローカル・フレーヴァーが香るいわゆるミナス・サウンドが全開したこのアルバムを聴いて、ぼくはその豊かな音楽性にいたく感銘を受けた。云うまでもなく、本作もまた愛聴盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ふたりの少年が写った写真がジャケットにあしらわれた２枚組のレコード『<em>街角クラブ～クルービ・ダ・エスキーナ</em>』は、ブラジル音楽を語る上で絶対に外せないアルバムだし、実際あらゆるジャンルの音楽家に影響を与えた作品だ。いささか余談になるが、名曲「クラヴォ・イ・カネーラ」は、<strong>リー・リトナー</strong>と<strong>デイヴ・グルーシン</strong>のコラボレーション・アルバム『<em>ブラジル</em>』(2024年)で採り上げられたことが記憶に新しい。ギタリストのリトナー、キーボーディストのグルーシン、どちらもぼくの敬愛する音楽家だが、もはやレジェンダリー・ミュージシャンと呼ぶべき存在であり、アルバムが発表された2024年当時、それぞれ72歳と90歳という高齢だった。それにもかかわらずふたりは、ブラジルのミュージシャンが紡ぐ清涼感に溢れるリズムに乗って、ジャズのエッセンスを感じさせる洗練されたプレイを展開している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">ブラジルの音楽において、もっともこころを打たれたのはリンスの曲</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムの冒頭を飾っているのが「クラヴォ・イ・カネーラ」なのだが、リトナーとグルーシンとによるヴァージョンは、ほぼ原曲どおりのアレンジで進行する。リトナーのエレクトリック・ギターがシングル・トーンでシンプルにテーマとサビを提示したあと、そのクリスタル・ヴォイスが話題となったサンパウロの新進女性シンガー、<strong>タチアナ・パーハ</strong>のヴォーカルが入ってくる。彼女の抑えめのパフォーマンスが、アンサンブルに溶け込む。グルーシンのアコースティック・ピアノ、リトナーのギター、そしていまは亡き<strong>トゥーツ・シールマンス</strong>の後継者と目されるスイス出身のジャズ・ハーモニシスト、<strong>グレゴア・マレ</strong>のハーモニカがソロをとるが、平明で落ち着いた感じのアドリブ・プレイに、熟成香が漂う。機会があったら、ぜひ聴いていただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はナシメント自身も「クラヴォ・イ・カネーラ」をソロ名義の『<em>ミルトン</em>』(1976年)というアルバムでセルフカヴァーしているのだが、こちらではジャズ・ピアニストの<strong>ハービー・ハンコック</strong>がピアノを弾いている。なにを隠そう、このアルバムには<strong>ウェイン・ショーター</strong>も参加していて、ナシメント、ハンコック、ショーターといった３人の共演という共通性において本作は、前述の『<em>ネイティヴ・ダンサー</em>』と関係が深い。ちなみに、あとになったが「クラヴォ・イ・カネーラ」の原曲を収録した『<em>街角クラブ～クルービ・ダ・エスキーナ</em>』のタイトルとなっている“クルービ・ダ・エスキーナ”とは、ミナス・ジェライス州のベロ・オリゾンチ市に集うミュージシャンたちの呼び名である。<strong>トニーニョ・オルタ</strong>、<strong>フラヴィオ・ヴェントゥリーニ</strong>、<strong>ヴァグネル・チゾ</strong>らもその一員である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハナシが前後するが、リトナーとグルーシンの『<em>ブラジル</em>』では、ナシメントの自作曲「カタヴェント」もカヴァーされている。曲名はポルトガル語で、“風車”を意味する。ナシメントのデビュー・アルバム『<em>トラヴェシーア</em>』(1967年)や、彼がCTIレコードに吹き込んだ『<em>太陽の歌</em>』(1969年)などに収録されている。リトナーとグルーシンは、原曲の鷹揚な律動をストレートに際立たせている。グルーシンはアコースティック・ピアノでゆったりと玉を転がすように鍵盤を動かしているが、ブラジルの音楽特有の爽快感と清涼感を手堅く引き立てている。いずれにしても、リトナーとグルーシンが過去の作品において、ここまでブラジルに寄り添ったことはなかったかもしれない。変な云いまわしかもしれないが、本作におけるふたりのブラジルの音楽に対する斟酌の仕かたが、実に思慮深いのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　というのも、グルーシンはこの「カタヴェント」という曲を、自己のソロ名義のアルバム『<em>ジェントル・サウンド</em>』(1978年)ですでにカヴァーしている。ところが、そちらのヴァージョンは、おなじサンバでもリズムがタイトになっている。<strong>スティーヴ・ガッド</strong>の軽快なドラミング、<strong>フランシスコ・センテーノ</strong>のフレキシブルなベース、そしてグルーシンの小気味いいフェンダー・ローズと、とにかくソフィスティケーテッドな印象を与える。もっとも軽妙なのは、<strong>デイヴ・ヴァレンティン</strong>のフルートによるグロウル奏法。彼はグルーシンがプロデュースを手がけた、ジャズ・ヴァイオリニスト、<strong>ノエル・ポインター</strong>の『<em>ファンタジア</em>』(1977年)でレコーディング・デビューを果たしたばかりだったが、のちにGRPレコードの看板ミュージシャンとなる。そういう点でもこのトラックは、ブラジル志向よりもコンテンポラリー・ジャズ色が強い。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　長々とナシメントについて語ってしまったが、さきに触れたジョビンもそうだが彼もまた、ジャズやフュージョンの飛躍に大きな影響を与えたブラジルの音楽家と云える。というか、概してブラジルの音楽は、このジャンルとは切り離せないものと云っても過言ではないだろう。実のところブラジルの国内経済が立ち遅れていた時代から、音楽の分野に関しては世界的な注目を集めていたのである。そして日本でも1960年代のボサノヴァ・ブームの到来、1970年代から1980年代にかけてのブラジリアン・フュージョンの流行、1990年代以降の渋谷系サウンドとの連動による再評価といった具合に、ブラジルの音楽の受容は常に盛んだ。ことに渋谷系のムーヴメントから、日本ではブラジル本国でもなかなか入手困難な音源が多数発売された。よく日本を訪れたブラジルのミュージシャンが、日本盤CDを大人買いしていくのだという。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さて、末尾にはなったが、以下は<strong>イヴァン・リンス</strong>について集中的ご紹介する。ブラジルの音楽において、ぼくがもっともこころを打たれたのは、実は彼の曲なのである。リンスの音楽との出会いは、ちょうど高校に進学する直前のことだったと記憶する。キッカケは、ギタリストの<strong>ジョージ・ベンソン</strong>がヴォーカリストとしての側面を前面に押し出したアルバム『<em>ギヴ・ミー・ザ・ナイト</em>』(1980年)だった。リンスのことを知ったのは、このアルバムに収録されている「喝采」と「ラヴ・ダンス」という曲のソングライターとして、彼のクレジットを見つけたとき。それまでぼくは、リンスのことをまったく知らなかったのだが、この２曲を聴いて彼のことが気になりはじめた。特に「ラヴ・ダンス」の独特のコード進行に、強く惹きつけられた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムのプロデュースを務めたのは、グラミー賞をはじめとする音楽賞を多数受賞する<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>。彼はこのころ、<strong>マイケル・ジャクソン</strong>の『<em>オフ・ザ・ウォール</em>』(1979年)、<strong>ルーファス＆チャカ</strong>の『<em>マスタージャム</em>』(1979年)、<strong>ザ・ブラザーズ・ジョンソン</strong>の『<em>ライト・アップ・ザ・ナイト</em>』(1980年)など、次々にヒット・アルバムを世に送り出していたが、ベンソンのアルバムも含めたこれらの作品において、ソングライター兼アレンジャーとしてイングランド、リンカンシャー出身のキーボーディスト、<strong>ロッド・テンパートン</strong>を起用している。もともと彼は多国籍バンド、<strong>ヒートウェイヴ</strong>のメンバーとしてファンク、R&amp;B、ソウルといった音楽を展開していたが、当時のジョーンズ作品の特徴とも云えるポップなディスコ・サウンドにおいて、大きな功績を上げた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　テンパートンは、その後も<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>の『<em>愛のコリーダ</em>』(1981年)、ジョーンズがプロデュースを手がけたR&amp;B系シンガー、<strong>パティ・オースティン</strong>の『<em>デイライトの香り</em>』(1981年)に参加している。彼の書くソウルフルかつソフィスティケーテッドな楽曲は相変わらずスタイリッシュなのだけれど、ぼくにとっては<strong>イヴァン・リンス</strong>のペンによる浮遊感のあるコード進行が際立ったナンバーのほうが、ずっと魅力的に感じられた。具体的には、前者に収録されている「ヴェラス」と後者のラストを飾る「白い波」という曲だ。ただ、この２曲に触れたときのぼくといえば、浅学菲才の身でお恥ずかしい限りなのだが、リンスがMPBの人気シンガーソングライターであるとはつゆ知らず、彼のことをラテン系アメリカ人の作曲家と勘違いしていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まあ、釈明するようで恐縮だが、そのころのリンスといえば、日本ではまったく無名の存在だったのである。ぼくがリンスのことをブラジルのシンガーソングライターであると認識したのはそれよりちょっとあとのことで、ブラジルの女性シンガー、<strong>エリス・レジーナ</strong>の『<em>エラ 1971年</em>』(1971年)に収録されている「マダレーナ」や、女性ジャズ・シンガー、<strong>サラ・ヴォーン</strong>の『<em>コパカバーナ</em>』(1979年)のなかの「スマイリング・アワー」を聴いたときのこと。その後、<strong>セルジオ・メンデス</strong>が『<em>愛をもう一度</em>』(1983年)で「ヴー・ドゥー」を採り上げたときは、わが国の音楽ファンの間でもリンスのことが取り沙汰されるようになっていた。ぼくがリンスのアルバムを求めて、ブラジルの輸入盤を取り扱うレコード店を何件も渡り歩くようになったのはこのころだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">愛聴盤はリンスのもっとも勢いがあったころの４枚のアルバム</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、さきに挙げたベンソンの「喝采」と「ラヴ・ダンス」の原曲は、それぞれ「ジノラー・ジノラー」「レンブランサ」という。さらに「ヴェラス」は「ヴェラス・イサーダス」「白い波」は「コメサール・ジ・ノーヴォ」「スマイリング・アワー」は「アブリ・アラス」「ヴー・ドゥー」は「クエーロ・ジ・ヴォウタ・オ・メウ・パンデイロ」という原題である。どれもリンスの代表曲と云っていい。むろん原曲は、リオデジャネイロ出身のリンス自身によって歌われているのだから、歌詞はポルトガル語で書かれている。当時高校生だったぼくは、歌詞の内容を理解する言語スキルをもち合わせていなかったけれど、それでも高度なジャズ・ハーモニーを孕んだ洗練されたアダルト・オリエンテッドな音楽として、深く寄り添うように熱心に聴いていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　あとでぼくは、ソフィスティケーテッドでアーバンなブラジリアン・サウンドと、こころもちアーシーな香りを放つヴォーカル・パフォーマンスが交錯するリンスの楽曲の歌詞の内容を知って、それがハーモニーやメロディック・ラインから想像していたものとまったく違っていたので愕然としたものである。当時リンスの曲の作詞を一手に担っていたのは<strong>ヴィトール・マルティンス</strong>で、彼はさきに挙げた「マダレーナ」や「クエーロ・ジ・ヴォウタ・オ・メウ・パンデイロ」の作詞を手がけたMPBではお馴染みの<strong>ロナウド・モンテイロ・ジ・ソウザ</strong>に次いで、1970年代初頭からリンスのよきパートナーとなった。この名コンビはソングライティングに止まらず、1991年にブラジルのレコード・レーベル、ヴェラス・プロドゥソンイスを設立したりもしている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで、マルティンスの書いた歌詞だが、実は社会的なメッセージを発信するものだった。ブラジルは1964年からおよそ20年間、軍事政権の支配下に置かれていた。さらに1970年代からはじまった経済の悪化は止まるところを知らず、インフレが進み失業者が急増した。そんな状況下で多くのMPBのアーティストたちが軍部の検閲によって表現の自由を制限されていたのだが、実のところマルティンスは、作詞において比喩表現を多用し検閲を巧みにすり抜けていた。つまりマルティンスの最大の理解者であるリンスは、優れたメロディメーカーかつサウンド・クリエイターであると同時に、社会派のアーティストでもあり、云ってみればブラジル国民の声なき声の代弁者だったのである。そういう背景に注目すると、彼の音楽がより味わい深いものと感じられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ときに、ぼくが高校時代にショップ行脚の末、手に入れたリンスのレコードといえば、奇しくも彼のもっとも勢いがあったころのアルバムばかりだった。個人的には、当時はリンスの音楽を深掘りするための格好の材料でもあったし、いまもことあるごとにターンテーブルに載せる愛聴盤となっている。ついでに云うと、前述のジョビンとナシメントの音楽がぼくのなかにいつの間にか染みわたっていたのに対し、リンスのそれは能動的に自分の音楽性に採り入れたものだった。特にEMIレコード時代の『<em>ある夜</em>』(1979年)『<em>ノーヴォ・テンポ</em>』(1980年)、フィリップス・レコード移籍後の『<em>ダキーロ・キ・エウ・セイ</em>』(1981年)『<em>デポイス・ドス・テンポライス</em>』(1983年)といった４枚は、決して上質とは云い難いブラジル産の音盤がそれこそ擦り切れるほど、ぼくが聴き込んだアルバムである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおリンスは、上記のアルバムにつづいて多数の豪華ゲストを迎えたセルフカヴァー集『<em>ジュントス(歌の仲間たち)</em>』(1984年)を発表したあと、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>、<strong>リー・リトナー</strong>によってロサンゼルスに招聘され、彼らのコラボレーション・アルバム『<em>ハーレクイン</em>』(1985年)のレコーディングに参加。既存の自作曲をポルトガル語で歌った。この出来事によって、リンスの日本での知名度は一気に上がった。そのときに採り上げられたのは『<em>ある夜</em>』収録の「アンチス・キ・セージャ・タルジ」『<em>ノーヴォ・テンポ</em>』収録の「アルレキン・デスコニェッシード」そして『<em>デポイス・ドス・テンポライス</em>』収録の「デポイス・ドス・テンポライス」といった３曲。各々「ビフォア・イッツ・トゥー・レイト」「ハーレクイン」「ビヨンド・ザ・ストーム」という英題が付された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　おわかりのとおり『<em>ハーレクイン</em>』では『<em>ダキーロ・キ・エウ・セイ</em>』からは選曲されていない。これは推測の域を出ないが、このアルバムの楽曲のうち「レンブランサ」は前述のとおり<strong>ジョージ・ベンソン</strong>が、そして「アモール」をバイーア州サルヴァドール出身の女性シンガー、<strong>シモーネ</strong>が『<em>個人生活</em>』(1982年)というアルバムですでにカヴァーしていたからだろう。実はこの『<em>ダキーロ・キ・エウ・セイ</em>』は、上記の４枚のうちもっとも明るく爽やかな印象を与える。それこそ精神的に暑さをクールダウンさせる、“涼”のイメージがあるので、この季節にお薦めの１枚だ。残念ながら、なぜか日本ではいまだに発売されていない(ブラジルでは2002年にCD化済み)。せっかくの機会なので、最後にこのアルバムの詳細について触れておく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　収録曲はすべて、リンスとマルティンスとの共作。プロデュースとアレンジは、リンスの作品ではお馴染みのキーボーディスト、<strong>ジウソン・ペランゼッタ</strong>が手がけている。彼のアレンジはブラジリアン・テイストをキープしながらも、コンテンポラリー・ジャズ調。リンスの書く洗練された楽曲に、よく合っている。レコーディング・メンバーは、<strong>イヴァン・リンス</strong>(vo, key, g)、<strong>ジウソン・ペランゼッタ</strong>(key, a<em>cc</em>)、<strong>オクタヴィオ・ブルニエール</strong>(g)、<strong>アルトゥール・マイア</strong>(b)、<strong>パウリーニョ・ヴィエイラ</strong>(ds)、<strong>ジョアン・ゴメス</strong>(perc)、<strong>ヘナート・フランコ</strong>(as, fl)、<strong>ギリェルミ・ブリシオ</strong>(as)、<strong>ヒカルド・ポンチス</strong>(sax)、<strong>マルシオ・コルテス</strong>(mand)、<strong>ルシーニャ・リンス(</strong>vo, a<em>cc</em>)など。さらに<strong>ノゼス・エ・ヴォゼス</strong>というヴォーカル・グループ、そしてストリングスが加わる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムのトップを飾る「ダキーロ・キ・エウ・セイ」は、さきに挙げた『<em>ジュントス(歌の仲間たち)</em>』において<strong>パティ・オースティン</strong>が英詞を付して歌った「私を信じて」として知られる曲。アコーディオンの音色が潮風の香りを放つ、爽やかなナンバーだ。つづく「ルア・シランデイラ」は、ブラジル北東部の民俗舞踊シランダが採り入れられた陽気な曲。とはいえ、“月ははだれのものでもあってはならない”という歌詞が意味深。マンドリンが効果的に使われた「アヴェ」は、雄大に空を飛ぶ鳥の様子が描かれた、壮大なナンバー。前述の「レンブランサ」は、いかにもリンスらしい独特のコード進行が美しいバラード。ペランゼッタのローズによるバッキングが軽妙だ。A面最後の「ブラス・ジ・ピーナ」では、勇壮なスキャットのあとペランゼッタのピアノがジャジーなソロを展開。実に晴れ晴れとした気持ちにさせられる曲だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　B面の最初は「アモール」で、ゆったりした２拍子の曲。転調も効果的だが、とにかくリンスの当時の奥さま、ルシーニャとのデュエットが微笑ましい。おなじようなテンポの「ダ・リセンサ」では、ロマンティックでハートウォーミングなヴォーカルを堪能するのみ。都会的かつ野性的なフィーリングは、リンスならでは。個人的にもっとも好きな「クエン・ミ・デラ」は、サウダージ感覚とファンキーなフュージョン・サウンドが交錯する名曲。この曲こそ、グルーシン＆リトナー向き。リンスは『<em>アモラジオ</em>』(2012年)で、セルフカヴァーしている。さらに、リッチなコードワークがメロウな世界を演出する「カナヴィアウ」柔らかなシンコペーションと無重力感溢れるハーモニーが、なんとも心地いい「オ・パーノ・ジ・フンド」とつづき、アルバムは幕を閉じる。あたかもこころが洗われるような、深い余韻を残す名盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>Rob Van Bavel / Rob Van Bavel Plays Chick Corea (2022年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 10 May 2026 07:27:42 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Rob Van Bavel]]></category>
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					<description><![CDATA[2021年突然この世を去ったチック・コリアの名曲の数々がピアノ・トリオで録音された、オランダのピアニスト、ロブ・ヴァン・バヴェルによるコリア・トリビュート・アルバム『500マイルズ・ハイ〜チック・コリアに捧ぐ』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">2021年突然この世を去ったチック・コリアの名曲の数々がピアノ・トリオで録音された、オランダのピアニスト、ロブ・ヴァン・バヴェルによるコリア・トリビュート・アルバム『500マイルズ・ハイ〜チック・コリアに捧ぐ』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : Rob Van Bavel / Rob Van Bavel Plays Chick Corea (2022)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Bud Powell</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">アメリカで才能と実力を認められながら日本では10年以上も放って置かれた</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　オランダを代表する実力派のジャズ・ピアニスト、<strong>ロブ・ヴァン・バヴェル</strong>といえば、いまでは日本でもすっかり広く知られるようになったが、初リーダー・アルバムがリリースされたころは、わが国のジャズ・ファンのなかに彼のことを知るものはほとんどいなかったのではなかろうか。かくいうぼくもヴァン・バヴェルの演奏にはじめて触れたのは、2000年代に入ってから。彼はビバップをはじめ、モダン・ジャズ、フュージョン、さらにはクラシックの影響を感じさせるスタイルまで幅広くこなすプレイヤーだが、そのピアノ演奏は、センシティヴなタッチとリッチなリズム感を有し、一部からは“ピアノの詩人”とも称されるような叙情的な表現が際立つ。国際的にも高い評価を得ているヴァン・バヴェルだけに、日本でもさらにスポットライトが当てられることを期待したい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ロブ・ヴァン・バヴェル</strong>は1965年１月16日、オランダ南部のブレダに生まれた。現在61歳、バリバリ現役である。ピアノの教師である父とギターとオルガンの教師である母をもつ。両親は当時楽器店も経営しており、ヴァン・バヴェルの周囲には、生まれたときから音楽が溢れかえっていた。そんな環境のもと、彼は３歳からクラリネットやハーモニカを吹き、７歳からはピアノのレッスンを受けるようになる。はじめはクラシックのピアニストを目指していたが、中学時代にジャズに開眼。ディキシーランド・ジャズのバンドでも演奏したことがあるという。その後、ロッテルダム音楽院で学び、1987年に同院を主席で卒業している。なお息子のセバスチャンもピアニストで、ジャズに現代音楽の要素を採り入れたトリオで活動中だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ヴァン・バヴェルは、新人ジャズ・プレイヤーの登竜門として知られる、セロニアス・モンク国際ジャズ・コンペティションの記念すべき第１回のピアノ・コンペで第２位を獲得している。彼がロッテルダム音楽院を卒業した、1987年のことである。審査員は<strong>ローランド・ハナ</strong>、<strong>バリー・ハリス</strong>、<strong>ハンク・ジョーンズ</strong>、<strong>ロジャー・ケラウェイ</strong>が務めたが、その顔ぶれのスゴさも然ることながら、彼らからその才能と実力を認められたヴァン・バヴェルも伊達ではない。なんといったって、アルバム・デビューすら果たしていない20代前半のオランダの若者が、400人以上の応募者がいるアメリカのジャズ・コンペで上位に入賞したのだから、これを快挙と云わずしてなんと云おう。ちなみに、このとき第１位を獲得したのは、当時<strong>ウィントン・マルサリス</strong>(tp)のグループのピアニストを務めていた<strong>マーカス・ロバーツ</strong>だった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9128 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf1.png" alt="オランダの風車と緑色のピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　さらにヴァン・バヴェルはこれとおなじ年に、オランダのもっとも主要なジャズ賞であるヴェッセル・イルケン賞を受賞。翌年の1988年には、ドイツの有名なジャズ・フェスティヴァル、レーヴァークーゼナー・ジャズターゲにおいて、ヨーロピアン・ヤング・ジャズ・アーティスト賞を獲得。さらに1990年には、オランダのグラミー賞とも云われるエジソン賞を受賞している。ヨーロッパだけでなくジャズの本場であるアメリカにおいても、ひとかどのジャズ・ピアニストとしてのオーソライズを得たヴァン・バヴェルが、なぜ日本では10年以上も放って置かれたのか、ぼくは不思議でならない。おそらく当時のわが国のレコード産業において、オランダのジャズ・プレイヤーは、まだマーケティングの対象外だったのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いずれにしても、オランダのサークル・プロダクションというマイナー・レーベルと通商関係を最初に切り拓いたのは、あの澤野工房だった。大阪市浪速区にある履物屋の４代目店主、<strong>澤野由明</strong>は、趣味が高じて日本のジャズ・アルバムをヨーロッパに輸出したり、逆にヨーロッパのジャズ作品を輸入販売したりしていた。そのうち澤野さんはCD制作にも乗り出すようになり、自己のレコード・レーベルを立ち上げた。それが独立系ジャズ・レーベル、澤野工房である。その影響は日本に止まらず世界中に波及した。ことにヨーロッパを中心とした、世界中の知られざる実力のあるアーティストの発掘において、その功績は非常に大きいと云える。また、入手困難な過去の名盤を、可能な限りオリジナルに近い形で復刻するという姿勢も、多くのジャズ・ファンに歓迎された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、サークル・プロダクションにヴァン・バヴェルがトリオ編成で吹き込んだ、彼の初リーダー・アルバム『<em>ジャスト・フォー・ユー</em>』(1988年)は、澤野工房によってリイシューされた。ジャケットにおいても、オリジナル盤のそれに近いアートワークが採用されている。世界ではじめてのCD化となったが、オリジナル盤が発売されてから12年後の2000年のことだった。というかこのアルバム、現在もオリジナルのLPレコードと澤野工房のCD盤しか存在しない。いずれにしても、ヴァン・バヴェルが日本で最初に注目されるキッカケを作ったのは、澤野工房である。思えば当時の澤野工房は、旧ソ連、レニングラード出身のピアニスト、<strong>ウラジミール・シャフラノフ・トリオ</strong>の新作『<em>ムーヴィン・ヴォーヴァ！</em>』(2000年)をリリースしたことで、注目を集めていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなんこともあって、ほとんどの大手CDショップにはすでに澤野工房の特設コーナーが設けられており、ヴァン・バヴェルのアルバムも一緒に陳列されていた。ぼくもそんな状況で『<em>ジャスト・フォー・ユー</em>』を手にしたのだが、一聴で彼の演奏が気に入ってしまった。<strong>ロブ・ヴァン・バヴェル</strong>(p)、<strong>マーク・ヴァン・ローイ</strong>(b)、<strong>ハンス・ヴァン・オーステルハウト</strong>(ds)といったトリオが、このアルバムでプレイするのはヴァン・バヴェルの自作曲が中心。彼のペンによる曲はどれも奇を衒うようなところがなく、まるで有名なジャズ・スタンダーズのように親しみやすい。それでいて、モダン・ジャズには収まり切らないポップなテイストを、そこはかとなく感じさせるようなところがある。前述のようにヴァン・バヴェルは、様々の音楽スタイルを幅広くこなすプレイヤーなのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ヴァン・バヴェルのピアノ演奏といえば、けっこう躍動感に溢れていながら、まったくといっていいほど外連味がない。むしろタッチはいい意味で軽い。しかも随所にほどよいリリシズムの片鱗をうかがわせるような、上品な美しさがある。なんといっても、小難しさのない鷹揚な演奏に好感がもてる。とにかく気軽に楽しめるところが、ぼくは大好きなのだ。ただ『<em>ジャスト・フォー・ユー</em>』を聴いた多くのジャズ・ファンが、その後ヴァン・バヴェルのことを追いかけたのかというと、ちょっと疑わしい。日本の音盤業界にしても、相変わらず彼の音楽に食指を動かされることはなかったようだ。というのも、その後に国内発売されたヴァン・バヴェルのリーダー作というと、『<em>オールモスト・ブルー〜トリビュート・トゥ・チェット・ベイカー</em>』(2005年)まで待たなければならない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムは、オランダのミューニック・レコードによって制作されたものだが、むろん澤野工房の手引きによってヴァン・バヴェルのファンになったぼくが、本作がトランペッターである<strong>チェット・ベイカー</strong>の最後のピアニストという謳い文句とともに国内発売されるまでのおよそ５年間、ただ手をこまねいているはずもない。ジャズを愛好するかたであれば、きっとお解りいただけることと思う。はじめて出会ったミュージシャンのプレイが気に入れば、そのひとの演奏をもっと聴きたくなるのが人情というもの。その期間、わが国のジャズの専門誌においてヴァン・バヴェルについて触れられることは皆無だったけれど、そんな残念な状況を指をくわえて見ているわけにはいかないのである。結局、輸入盤を探さざるを得なかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">インターネットを駆使して探し求めたヴァン・バヴェルのリーダー作</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　とはいってもヴァン・バヴェルのアルバムは、リアル店舗でまったく見かけることがなかった。仕方なくぼくは、インターネットを駆使して彼のアルバムを探し求めた。いささか偏執的な愛情を注いだ甲斐あって、ぼくは何枚かのヴァン・バヴェル作品を入手することができた。比較的簡単に手に入ったのは、オランダのチャレンジ・レコードからリリースされた『<em>ソロ・ピアノ &#8211; ジャズ・アット・ザ・パインヒル</em>』(2000年)というアルバム。これはオランダのピアニストたちがソロ・ピアノをスタジオ・ライヴ形式で披露するシリーズの１枚。吹き込みは1999年５月７日で、肩肘を張らずに聴くことができる楽しい演奏となっている。ここでのヴァン・バヴェルはけっこうダイナミックにピアノを弾いているのだけれど、それがまったく慌ただしさを感じさせない、リラックスした素晴らしいプレイなのだ。個人的には、ますます彼のことが好きになった作品でもある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ヴァン・バヴェルのアルバムでなんといってもお薦めしたいのは、初期のトリオ作品。メインストリームの伝統が継承されたモダン・ジャズが展開されているが、彼の魅力が全開している。結局のところ個人輸入するしか方法はなかったのだが、なんとか入手することができた以下の２枚のアルバムでは、ヴァン・バヴェルを実力派のピアニストと評価するに相応しい、ファンタスティックな演奏を聴くことができる。そのアルバムというのは、ミラサウンド・プロダクションからリリースされたセカンド作『<em>ロブ・ヴァン・バヴェル・トリオ</em>』(1989年)、そして自主制作盤のフォース作『<em>ジ・アザー・サイド</em>』(1991年)である。個人的には、この２枚と『<em>ジャスト・フォー・ユー</em>』とをあわせて、初期のヴァン・バヴェル作品のベスト・スリーとしたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　上記の２枚はともにピアノ・トリオによる吹き込みだが、レコーディング・メンバーは『<em>ジャスト・フォー・ユー</em>』と同様に、<strong>ロブ・ヴァン・バヴェル(</strong>p)、<strong>マーク・ヴァン・ローイ</strong>(b)、<strong>ハンス・ヴァン・オーステルハウト</strong>(ds)の３人。なお前者には<strong>フェルディナンド・ポヴェル</strong>(ts)が、後者には<strong>ベン・ヴァン・デン・ドゥンエン</strong>(ts, ss)と<strong>ピーター・グイディ</strong>(fl)が、それぞれゲスト参加している。個人的な好みになるが『<em>ロブ・ヴァン・バヴェル・トリオ</em>』が、もっともよく聴く１枚となっている。なぜかというと、このアルバムでのヴァン・バヴェルのピアノ・プレイが、その魅力のひとつである小難しさのない鷹揚さがもっとも際立ったものと感じられるから。全編にわたって肩の力を抜いて聴くことができて、とにかくこころが弾む。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9129 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf2.png" alt="オランダの風車と桜色のピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　いずれにしても上記の３枚は、ヴァン・バヴェルの終始優美なピアノのタッチはもちろんのこと、極上の味わいをもつオーソドックスなジャズのスタイルを、気軽に楽しむことができる。もしこれらのアルバムをどこかで見かけたら、ジャズははじめて──というかたも、遠慮しないで手にとっていただきたいものである。あらためて云うけれど、ヴァン・バヴェルのピアノ演奏には、メインストリームの伝統が受け継がれているのが顕著に見てとれる。残念なことに、一部のジャズ・ファンのなかには、そういうオーソドックスな演奏形態には興味や関心が湧かないという向きもある。そういうひとは、驚天動地の斬新な趣向が凝らされたプレイのほうに、視線を向けるのだろう。もちろん、緊張感や高揚感を求める気持ちは理解できるし、そういう演奏もそれはそれで素晴らしい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただぼくの場合、進取の気性に富んだアーティストも大歓迎だけれど、どちらかというと伝統的で穏健な表現方法で極上の演奏を聴かせてくれるプレイヤーのほうに、こころ惹かれる傾向がある。そしてまさにヴァン・バヴェルは、明らかに後者のタイプのピアニストなのである。繰り返しになるけれど、彼のピアニズムに面倒な理屈っぽさはまったくない。ビギナーのかたも、まったく逡巡することはない。ヴァン・バヴェルの音楽は、きわめてわかりやすいのだから。そんな気やすさが、ぼくにはとても魅力的に感じられるのである。しかしながら裏を返せば、そんなヴァン・バヴェルの音楽性こそが、センスとテクニックにおいて申し分のない力量をもつ彼を、長らく知るひとぞ知る存在のままにした、最大の原因と云えるのかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにヴァン・バヴェルの作品には、正統派ジャズ・ファンの心証を害するようなものもあった。正直に云うと、ぼくもこのアルバムには肩透かしを食らわされた。それは、ヴァン・バヴェルの自主制作盤『<em>デイドリームス</em>』(1991年)である。おそらくこのアルバム、河合楽器製作所が開発したデジタル・シンセサイザーのデモンストレーションのために作られたアルバムなのだろう。本作には、ヴァン・バヴェルのトリオの当時のレギュラー・メンバーである<strong>ハンス・ヴァン・オーステルハウト</strong>(ds)も参加しているのだが、どちらかというとKAWAIのシンセサイザーやコンピュータが駆使されたフュージョン作品といった趣がある。確かに彼の作曲や編曲の才能が光るところもあるのだが、どうひいき目に見ても、そのピアニズムにおける本来の能力や特性が引き出されているとは、ぼくには到底思えない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういう意味では、ミューニック・レコードからリリースされた『<em>クァランティーン</em>』(2002年)にもおなじことが云える。このアルバムは、<strong>ザ・ピッチ・パイン・プロジェクト</strong>というグループ名義で吹き込まれた、バリバリのフュージョン作品。メンバーは、<strong>ロブ・ヴァン・バヴェル</strong>(key)、<strong>マルティン・ヴァン・イテルソン</strong>(g)、<strong>ウド・パンネケート</strong>(elb)、<strong>クリス・ストリック</strong>(ds)、<strong>トム・ベーク</strong>(sax, bcl)。ヴァン・バヴェルは、アコースティック・ピアノのほかにフェンダー・ローズやシンセサイザーも弾いている。<strong>ウェザー・リポート</strong>を彷彿させるサウンドはなかなか聴き応えがあるが、やはりヴァン・バヴェルにフュージョンは似合わない。なおこのグループ、チャレンジ・レコードからセカンド作『<em>アンプレセデンティド・クラリティ</em>』(2008年)もリリース。<strong>ランディ・ブレッカー</strong>(tp, flh)が、ゲスト参加している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんななか、やはりミューニック・レコードからリリースされた『<em>ピアノ・グランド・スラム</em>』(2003年)は、ぜひともお薦めしたい１枚である。澤野工房が埋もれていたオランダ屈指の逸材を発掘してからの５年間、その存在が高く評価される機会はほとんどなかったが、このアルバムだけは日本のCDショップをいくぶん賑わせた。本作では、<strong>レニー・トリスターノ</strong>、<strong>ビル・エヴァンス</strong>、<strong>ハービー・ハンコック</strong>、<strong>バド・パウエル</strong>、<strong>マッコイ・タイナー</strong>といった、ヴァン・バヴェルが敬愛するピアノ・レジェンズの楽曲が、彼なりの新しい解釈で演奏されている。不躾ながら、おそらくショップのバイヤーさんも多くのジャズ・ファンのかたも、まずはヴァン・バヴェルの名前よりも、彼が採り上げた５人のビッグネームに視線を向けたのではなかろうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　というのも、思うところがあるからだ。実は『<em>ピアノ・グランド・スラム</em>』は、<strong>ザ・ニュー・ロブ・ヴァン・バヴェル・トリオ</strong>名義でリリースされている。このトリオのサイドメンは、<strong>クレメンス・ヴァン・デル・フィーン</strong>(acb)、<strong>クリス・ストリック</strong>(ds)だが、このトリオをベースとした２作品、華やかなゲスト・プレイヤーで彩られたミューニック盤『<em>ジェネレーションズ</em>』(2006年)、そして2008年にトリオのみで吹き込まれ、５年後にR&amp;M ミュージックからリリースされた『<em>ダッチ・ジャズ</em>』(2013年)などは、一部の熱心な愛好家を除くジャズ・ファンの間では、口の端にも上らなかった。ちなみにR&amp;M ミュージックは、ヴァン・バヴェルと彼の妻である韓国出身のピアニスト、<strong>ミハン・ホン</strong>とが立ち上げたプライヴェート・レーベルである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">チック・コリアの音楽の素晴らしさをフレッシュな感覚で伝える</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ときに『<em>ピアノ・グランド・スラム</em>』では上記のトリオに加え、のちにオランダの有名なプログレッシヴ・ロック・バンド、<strong>フォーカス</strong>のメンバーとなる<strong>ウド・パンネケート</strong>(elb)が、フレットレス・ベース・ギターでコンテンポラリーなプレイを披露。さらに当時11歳のヴァン・バヴェルの息子、<strong>セバスチャン・ヴァン・バヴェル</strong>(p)も１曲だけ参加している。本作はタイトルからもわかるように、クール・ジャズ、ビバップ、モーダル・ジャズなど、モダン・ジャズのスタイルをすべて制覇するというような内容で、ヴァン・バヴェルの飽くなき探求心の結晶とも云うべきアルバム。彼の３曲のオリジナル・ナンバーでも、いつになく叙情的なムード、現代的なハーモニ、シンコペーションを効かせたリズムなどが際立っていて、作曲家としての本領が発揮されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　曲によってはその様式に則って、ボトムがアコースティック・ベースからエレクトリック・ベース・ギターに替わるわけだが、そのことが１枚のアルバム・コンテンツとして、不自然な印象や場違いな感じを与えたりすることはない。まずはその音楽性の幅広さとセンスのよさに、感服させられる。ヴァン・バヴェル自身もアコースティック・ピアノのほかに、フェンダー・ローズ・エレクトリック・ピアノも弾いている。楽曲のアレンジもトリオの演奏も素晴らしいし、彼の高度なピアノ・テクニックも冴えわたっている。ただこのアルバムは、楽曲の扱いかたが巧妙であるという点から、全体的には実験作の印象が強い。そのぶん、前述したような本来ヴァン・バヴェルがもつ大らかな魅力は、いささか薄まっていると云えるかもしれない。ぼくは、好きだけれど──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いずれにしても、この輸入盤『<em>ピアノ・グランド・スラム</em>』や、前述の国内盤『<em>オールモスト・ブルー〜トリビュート・トゥ・チェット・ベイカー</em>』あたりから徐々にではあるが、ヴァン・バヴェルの人気もようやく日本のジャズ・ファンの間に浸透しはじめた。ただ彼が澤野工房によってはじめて国内で紹介されて以来、多くのジャズの愛好家から高い関心や評価を得るのは、2020年代に入ってからのこと。特に『<em>タイム・フォー・バラッズ〜ザ・マーネ・セッションズ</em>』(2021年)『<em>タイム・フォー・バラッズ〜ザ・スタジオ・セッションズ</em>』(2022年)といった、２枚のトリオ編成による極上のバラード集は、多くのリスナーのハートを鷲づかみにした。なおこのときのサイドメンは、<strong>フランス・ヴァン・ヘースト</strong>(b)、<strong>マーセル・セリールセ</strong>(ds)が務めた。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9130 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf3.png" alt="オランダの風車と青色のピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　このふたりは、オランダが誇るビッグ・バンド、<strong>ジャズ・オーケストラ・オブ・ザ・コンセルトヘボウ</strong>のメンバーとして、２度ほど来日したこともある。2008年の公演では<strong>ジェシ・ヴァン・ルーラー</strong>、2012年の公演では<strong>リー・リトナー</strong>といった大物ギタリストがゲスト参加したこともあり、このバンドのことを記憶に留めているかたは存外多いのではなかろうか。それはともかくヴァン・バヴェルは、上記の２枚のバラード集と同時期に吹き込んだ、2021年に急逝した<strong>チック・コリア</strong>のトリビュート・アルバム『<em>500マイルズ・ハイ〜チック・コリアに捧ぐ</em>』(2022年)と、ファンキーかつソウルフルなピアニスト、<strong>ホレス・シルヴァー</strong>のソング・ブック『<em>ホレス・シルヴァーに捧ぐ</em>』(2022年)を、立てつづけにリリースして大きな話題になった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まあジャズ・ピアニストなら多かれ少なかれ、コリアやシルヴァーから影響を受けるのだろうが、ヴァン・バヴェルの場合、これまで作品を通じてそれを明らかにしたことはなかった。このタイムレス・レコードからリリースされた２枚のアルバムが素晴らしいのは、リスペクトの対象がしっかりイメージされながら、同時にヴァン・バヴェルの解釈に独自性が認められること。特にコリアのトリビュート作は、欧米のピアニストのなかではもっとも早い発表となったが、ヴァン・バヴェルの姿勢に最大限の敬意が感じられる。コリアのファンのかたはもちろんのこと、そうでないかたもコリアの偉大さ、ヴァン・バヴェルのきわめて高い表現力をあらためて確認できる名盤なので、最後に要点だけ記して本作をぼくのイチオシとさせていただく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　レコーディングは2021年10月18日、オランダのザイスト市にあるスタジオ・スメデレイで行われた。メンバーは<strong>ロブ・ヴァン・バヴェル</strong>(p)、<strong>マリウス・ビーツ</strong>(b)、<strong>エリック・イケネ</strong>(ds)。ビーツとイケネとはともに、オランダを代表するモダン・ジャズ・ピアニスト、<strong>レイン・デ・グラーフ</strong>のグループで活躍したことで知られる。最初の２曲「ライザ」と「トーンズ・フォー・ジョーンズ・ボーンズ」は、コリアの初リーダー作『<em>トーンズ・フォー・ジョーンズ・ボーンズ</em>』(1968年)からの選曲。ヴァン・バヴェルのリズミカルかつスピーディなフレージングがコリアのそれを彷彿させる。トリオ全員がフィーチュアされるが、その一体感が見事。<strong>スタン・ゲッツ</strong>の『<em>スウィート・レイン</em>』(1967年)のためにコリアが書いた「ウィンドウズ」では、ビーツのベース・ソロが随一。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>リターン・トゥ・フォーエヴァー</strong>の『<em>ライト・アズ・ア・フェザー</em>』(1973年)からの「500マイルズ・ハイ」では、ややテンポが落とされより上品で感傷的な印象を与える。ライヴ盤『<em>チック・コリア&amp;ゲイリー・バートン・イン・コンサート</em>』(1980年)に収録されていた「バド・パウエル」では、ヴァン・バヴェルのビバップ・プレイを堪能するのみ。最高だ！もっとも新しい解釈で演奏されたのは『<em>ザ・チック・コリア・エレクトリック・バンド</em>』(1986年)からの「ゴット・ア・マッチ」で、高速で駆け抜けるブルージーでモーダルなピアノのアドリブは、ヴァン・バヴェル入魂のプレイと云える。<strong>ディジー・ガレスピー</strong>の「コン・アルマ」は、前述の『<em>スウィート・レイン</em>』の収録曲。本来のヴァン・バヴェルらしい、オーソドックスなスタイルでの演奏となっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　コリアが<strong>デイヴ・ブルーベック</strong>に捧げた「ワルツ・フォー・デイヴ」は『<em>フレンズ</em>』(1978年)からの選曲。ベースのソロも含めて叙情的な音世界が展開される。コリアが<strong>ブルー・ミッチェル</strong>の『<em>ザ・シング・トゥ・ドゥ</em>』(1964年) に提供した「チックス・チューン」では、その魅力といえばビーツによるエレクトリック・ベースの独擅場となっている。とにかく心地いい。<strong>セロニアス・モンク</strong>の「パノニカ」は、名作『<em>ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス</em>』(1968年)のアルバム未収録曲(CDボーナス・トラック)。リラクゼーション溢れる、美しいバラード演奏となっている。<strong>アーヴィング・バーリン</strong>の「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」は、<strong>チック・コリア・アコースティック・バンド</strong>の『<em>ラウンド・ミッドナイト</em>』(1991年)に収録されていた。ヴァン・バヴェルは、コリアとは異なる解釈で、王道を行く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムのラストを飾る「ブルース・フォー・アルマンド」は、ヴァン・バヴェル、ビーツ、イケネの共作。というか、コリアと<strong>スタンリー・クラーク</strong>とが演奏したベースラインをもとにした即興演奏である。こういうファンク・グルーヴは、ヴァン・バヴェルのアルバムではあまりお目にかからない。ただ本作では、彼の終始優美なピアノのタッチを確認することができるし、一部ではあるが極上の味わいをもつオーソドックスなジャズのスタイルも窺い知ることができる。ヴァン・バヴェルがコリアからどれほどの影響を受けたのかは定かでないが、少なくとも彼は<strong>チック・コリア</strong>の音楽の素晴らしさをフレッシュな感覚で伝えることに成功している。その点からも、ヴァン・バヴェルが懐の深い音楽家であると、ぼくはあらためて感じた。</p>
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