<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>気ままに音楽生活</title>
	<atom:link href="https://kimama-music.com/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://kimama-music.com</link>
	<description>いささか気ままに──ではありますが　素敵な音楽をご紹介してまいりますので　どうぞよろしくお願いいたします</description>
	<lastBuildDate>Wed, 27 May 2026 10:18:06 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=7.0</generator>

<image>
	<url>https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/cropped-kiico-32x32.png</url>
	<title>気ままに音楽生活</title>
	<link>https://kimama-music.com</link>
	<width>32</width>
	<height>32</height>
</image> 
	<item>
		<title>大野雄二 = Yuji Ohno, You &#038; Explosion Band / Made In Y.O. (2005年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/yuji-ohno-you-and-explosion-band-made-in-y-o/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=yuji-ohno-you-and-explosion-band-made-in-y-o</link>
					<comments>https://kimama-music.com/yuji-ohno-you-and-explosion-band-made-in-y-o/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 24 May 2026 06:55:06 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Soundtrack]]></category>
		<category><![CDATA[Yuji Ohno (大野雄二)]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9174</guid>

					<description><![CDATA[追悼 大野雄二──日本が生んだミュージック・シーンの至宝による珠玉の名曲の数々が本人の手によって新録音されたアルバム『Made In Y.O.』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">追悼 大野雄二──日本が生んだミュージック・シーンの至宝による珠玉の名曲の数々が本人の手によって新録音されたアルバム『Made In Y.O.』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>大野雄二 = Yuji Ohno, You &amp; Explosion Band / Made In Y.O. (2005)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : LOVE SAVES THE EARTH</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">ジャズ・ピアニストとしてプロの道を歩み出すが、ほどなく作曲家へ転身</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　音楽家、<strong>大野雄二</strong>がこの世を去った。ついにこのときが来てしまったのか──。突然の訃報は去る５月13日、大野さんの公式Xなどを通じて伝えられた。発表によると、大野さんは2026年５月４日午前６時８分、老衰のため東京都の自宅で永眠された。直前まで普段と変わることなく過ごされていて、就寝中に苦しむことなく安らかに旅立たれたとのこと。享年84歳だった。葬儀および告別式は近親者で行われ、喪主はお姉さんの<strong>栗田和子</strong>さんが務められたが、後日、お別れの会が開かれるという。さらに同月14日、大野さんの公式Xが更新され、その内容が反響を呼んでいる。そこには「では又、バイビー」と綴られ、笑顔でカメラに向かって手を振る大野さんの写真が掲載されている。気さくな大野さんらしいメッセージだが、なぜかぼくのこころは和むことはなかった。いまはただ、謹んで哀悼の意を表するばかりである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　大野さんは間違いなく、ぼくがもっとも影響を受けた日本の音楽家だ。このブログでも大野さんの作品を何度となく採り上げさせていただいた。云うまでもなく大野さんは、ジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせ、その後、映画『犬神家の一族』(1976年)やテレビアニメ『ルパン三世』第２シリーズ(1977年 – 1980年)の音楽を手がけ、作曲家として広く知られるようになった音楽家。1941年５月30日、スタジオジブリのアニメ映画『おもひでぽろぽろ』(1991年)の舞台となったローマ風呂で知られる、静岡県熱海市のホテル大野屋の次男坊として生まれた大野さんは、中学時代にジャズに目覚め、高校時代にはバンド演奏を開始。さらに<strong>慶應義塾大学ライト・ミュージック・ソサイェティー</strong>で活躍し、<strong>鈴木宏昌</strong>、<strong>佐藤允彦</strong>とともに“慶應三羽烏”として勇名を馳せた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　大学卒業後はクラリネット奏者、<strong>藤家虹二</strong>のクインテットに加入、プロ・ミュージシャンとしての道を歩み出す。しかしながら、モダン・ジャズのみに集中することを決意した大野さんは、１年ほどでこのスウィング系バンドを脱退。しばらくフリーのプレイヤーとして活動したのち1965年、今度は<strong>白木秀雄クインテット</strong>に加入。同バンドにおいて大野さんはプレイヤーにとどまらず、すでにアレンジャーとしても活躍した。その後、<strong>大野雄二トリオ</strong>、<strong>日野皓正クァルテット</strong>、<strong>富樫雅彦=鈴木弘クインテット</strong>などで演奏するとともに、<strong>マーサ三宅</strong>、<strong>笠井紀美子</strong>、<strong>弘田三枝子</strong>らのアカンパニストを務め、ジャズ・ミュージシャンとしての地位を確立。1971年には<strong>池田芳夫</strong>(b)、<strong>岡山和義</strong>(ds)をサイドに据えたトリオでレコーディングを行ったが、その音源こそ<strong>大野雄二</strong>の初リーダー作『<em>ミスター・ハピゴン</em>』(1973年)である。</p>
<p><img fetchpriority="high" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9191 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo1.png" alt="グランドピアノとユリの花束" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　奇しくもこのアルバムの吹き込みが行われたころから、大野さんはジャズ・プレイヤーと作曲家との二足の草鞋を履くようになり、次第にジャズ・シーンから遠ざかっていく。氏は初リーダー作をものする以前に、すでにNHKのドキュメンタリー風ドラマ『ナタを追え～朝日新聞東京版“捜査員”より～』(1970年)の音楽を手がけていたが、広く知られる大野サウンドのはじまりは、なんといっても<strong>石立鉄男</strong>主演による、日本テレビ系列で1970年代に放映されたホームコメディドラマ・シリーズの第１作『おひかえあそばせ』(1971年)だろう。さらにそれは、日本テレビ系列の『火曜日の女』(1969年11月4日 – 1972年3月)、同系列の昼ドラ『愛のサスペンス劇場』(1975年３月31日 – 1977年３月４日)、NHKの『少年ドラマシリーズ』(1972年１月１日 – 1983年10月11日)といったドラマシリーズで、お茶の間に浸透した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　大野さんが圧倒的な存在感を放ったのは、1970年代の後半のこと。大ブームとなった角川映画の第１作『犬神家の一族』および第２作『人間の証明』(1977年)、そしてテレビアニメ『ルパン三世』の音楽を手がけたことにより一躍脚光を浴びた。ことに1978年は、スゴいことになっている。サウンドトラック・アルバムだけでも『<em>ルパン三世 オリジナル・サウンドトラック</em>』『<em>大追跡</em>』『<em>24時間テレビ 愛は地球を救う</em>』『<em>野性の証明</em>』と立てつづけにリリースされていき、クリスマスまえには早くも『<em>ルパン三世・２</em>』が発売された。しかもその間隙を縫って、大野さんにとってはじめての本格的フュージョン・スタイルのリーダー作『<em>スペース・キッド</em>』が制作され、氏とは長年コンビを組んだブラジル、サンパウロ出身のシンガー、<strong>ソニア・ローザ</strong>の4thアルバム『<em>サンバ・アモール</em>』のレコーディングも行われている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　サウンドトラック・アルバムこそリリースされなかったものの、テレビや映画を賑わせた大野さんの音楽はまだまだある。1978年はほんとうに、<strong>大野雄二</strong>一色の年だった。ご当人は寝食を忘れるほど仕事に没頭していたのだろう、どれもクオリティの高い作品ばかりだ。テレビドラマだと、日本テレビ系列では「土曜グランド劇場」の１本『貝がらの街』(２月18日〜４月22日)、「金曜劇場」の１本、<strong>西村寿行</strong>原作『犬笛 – 娘よ、生命の笛を吹け -』(７月７日〜８月25日)、またNHK「銀河テレビ小説」の１本、<strong>森村誠一</strong>原作『凶水系』(３月13日〜３月24日)、そしてTBS系列で放送された3時間ドラマ、<strong>松浦行真</strong>原作の『風が燃えた』(８月29日)などがある。なおこれらのテレビドラマのうち『貝がらの街』と『犬笛 – 娘よ、生命の笛を吹け -』は、主題曲のシングル・レコードが発売された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　個人的には1978年を“ニッポン<strong>大野雄二</strong>年”と定めたい。補筆すると映画では、<strong>松田優作</strong>主演、<strong>村川透</strong>監督による“遊戯”シリーズのうち『最も危険な遊戯』(4月８日)と『殺人遊戯』(12月２日)が公開されている。ともに<strong>小林旭</strong>主演、<strong>鈴木則文</strong>監督による『多羅尾伴内』<strong>舘ひろし</strong>主演、<strong>長谷部安春</strong>監督による『皮ジャン反抗族』が併映された、東映セントラルフィルム製作のいわゆるプログラムピクチャー。“遊戯”シリーズは3000万円の予算枠で製作された作品ではあったが、思いのほか高評価を得た。当然のごとく公開当時にはサウンドトラック・アルバムなどは発売されなかったけれど、即興演奏が活かされたりオケの代わりにソリーナ・ストリング・アンサンブルが上手く使われたりしたハードボイルドなサウンドは、各方面から称賛された。そして音源は結局、1993年にCD化された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　以上は飽くまで、大野ワークスの一部である。際限がないので、これ以上はその作品を枚挙することは控えさせていただくが、当時、<strong>大野雄二</strong>という音楽家がいかにときのひとだったかはおわかりいただけたであろう。かく云うぼくも、おそらく盆と正月が一緒に来たような状況にあったであろう大野さんに、あらためて「おつかれさまでした」と云いたい気分になってくる。ここではテレビドラマと映画音楽にしか触れなかったが、大野さんは、明治乳業「レディーボーデン」や明治製菓の「きのこの山」をはじめとするCM音楽を星の数ほど作曲しているし、シティ・ポップや歌謡曲、ゲーム音楽、ユニークな例としてはプロレスや競輪のテーマ曲なども手がけている。この場でそれらを列挙することは不可能だが、大野さんは間違いなく日本を代表するオールラウンドな音楽家と云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">2000年代に入ってから本格的にジャズ・プレイヤーとして復帰する</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　1970年代から長らくサウンド・クリエイターとして大いに腕を振るった大野さんだが、ときおりクラブに姿を現しジャズ・スタンダーズを弾いたりもしていた。1990年代のことだが、ぼくは銀座にあったサテンドールという小規模なクラブで、ピアノ・トリオで出演していた大野さんと、おハナシする時間をいただいたことがある。タオルを首からさげたポロシャツ姿の大野さんは、セットの合間にトマトジュースやオレンジジュースを飲みながら、さばさばした感じで音楽のハナシをされていた。そのざっくばらんな語り口も然ることながら、音楽に対する博覧強記ぶりに驚かされた。自然体で接していただいているのにもかかわらず、青二才のぼくは大野さんに一種、畏怖の念すら覚えたもの。ほんとうに、いい思い出である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それはさておき、大野さんは2000年代に入ってから本格的にジャズ・プレイヤーとして復帰する。そのキッカケとなったのは、1999年にスタートした“LUPIN THE THIRD「JAZZ」”と銘打たれたジャズ・アルバムのシリーズだった。どのアルバムもハード・バップ系のピアニスト、<strong>レッド・ガーランド</strong>へのリスペクトを感じさせる、<strong>大野雄二トリオ</strong>が主幹をなす作品だった。このころの大野さんのピアノ・プレイには、ブロックコード奏法をはじめとする、まさにガーランドを彷彿させる展開が垣間見えるようになった。なによりもアドリブが、依然としてファンキーではあるものの、前述の『<em>ミスター・ハピゴン</em>』のそれと比べるとずいぶんシンプルになった。あたかも即興演奏の道理、ひいては音楽の真理みたいなものを見極めたかのごとく、ひとつひとつの音を丁寧に弾いていたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　大野さんが、この“LUPIN THE THIRD「JAZZ」”のシリーズで自己の音楽性のルーツを辿っていったとき、次に行き着いたのは<strong>ホレス・シルヴァー</strong>が統率していたころの<strong>ザ・ジャズ・メッセンジャーズ</strong>と思われる。むろん2006年に結成された<strong>Yuji Ohno &amp; Lupintic Five</strong>の演奏では、ハード・バップのスタイルがそのまま再現されるのではなく、大野さんが影響を受けたあらゆる音楽の要素が盛り込まれた、新しい感覚のコンボ・スタイルが展開された。現にこのバンドのレパートリーには、４ビートのみならず、ジャズ・ロックやフュージョンが盛んに飛び出してくる。その点、現代のジャズ・シーンにおいて稀有なバンドと云える。このバンドは2016年、メンバーチェンジが行われるとともに、新たにハモンド・オルガン奏者が加えられ、<strong>Yuji Ohno &amp; Lupintic Six</strong>へと進化した。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-9192 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo2.png" alt="グランドピアノとストップウォッチ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　結局このバンドは、<strong>Yuji Ohno &amp; Lupintic Five</strong>時代も含めると18年と半年もの間、活動が継続された。ただその間、2022年３月に大野さんが体調不良により入院し、しばらく療養に専念することになり、バンドは活動休止状態となった。しかしながら、2024年５月30日(大野さんの誕生日)に活動を再開。大野さんのオンステージはないものの、バンドは<strong>Lupintic Six with Fujikochans Produced by YUJI OHNO</strong>として、港区赤坂のビルボードライヴ東京において２セットの公演を果たした。バンドは同年の10月14日、恵比寿ザ・ガーデンホールにて開催されたEBISU JAM 2024にも出演した。大野さんは、復帰後は演奏に参加せず、アレンジとプロデュースに専念していたが、氏の音楽を創造することへの並々ならぬ情熱が感じられた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、大野さんの来歴を駆け足でお伝えしてきたが、まったく語り切れていない。その仕事量の多さから、このブログではどうコトバを尽くしても一部始終をお伝えすることは不可能と云える。もしこの拙文から、<strong>大野雄二</strong>という音楽家の奥深さや素晴らしさが伝わらなかったら、それはひとえに筆者であるぼくの責任である。大野さんは間違いなく、日本が生んだミュージック・シーンの至宝なのだから──。そんな思いもあって、今回は大野さんの珠玉の名曲の数々が、ご本人の手によって新録音されたアルバム『<em>Made In Y.O.</em>』(2005年)をご紹介させていただき、こころから氏へ哀悼の意を捧げたいと思う。むろんこれが大野サウンドのすべてではないけれど、一面の真実として極上の音楽であることは間違いない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムでは、大野さんの歴代の楽曲はもちろんのこと、書き下ろしの新曲も２曲収録されており、計20曲が10曲ずつに分けられた２枚組CDの豪華ボックス仕様となっている。CD盤とともにデータブックおよびフォトブックも同梱されており、往年の大野サウンドのファンだけでなく、はじめて大野さんの音楽に触れるかたでも手軽に楽しめる作りなので、ぜひ手にとっていただきたい。演奏は<strong>ユー＆エクスプロージョン・バンド</strong>となっているが、このクレジット、大野さんがその全盛期に関わった諸々の音盤で散見されたので、懐かしく思う向きも多いだろう。このバンド名義はもともと、NTVM(日本テレビ音楽)の<strong>飯田則子</strong>(故人)がエグゼクティヴ・プロデューサーを務める作品にのみ使用されていたものなのだが、めでたく復活の運びとなった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　レコーディングの正確な年月日は不明だが、大野さん自身が３か月レコーディングに没頭したと語っていること、アルバムの発売が2005年７月21日であることなどを勘案すると、アルバム制作は2005年の春から初夏にかけて行われたものと思われる。レコーディング・スタジオは『ルパン三世』第２シリーズのサウンドトラックなどの吹き込みでお馴染みの、港区麻布台のサウンド・シティ・スタジオ、千代田区四番町のサウンドインスタジオ。レコーディング・エンジニアを務めたのは、音楽制作プロダクション、ジェニュインの代表者である<strong>三浦克浩</strong>。三浦さんはもと日本コロムビアのミキサーで、大野さんの作品では、その昔『<em>スペースコブラ オリジナル・サウンドトラック</em>』(1982年)のレコーディングとミキシングを担当。2000年代以降、大野サウンドにおいてなくてはならない存在となった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　レコーディングには数え切れないほどのミュージシャン(総勢100名を超えるとのこと)が参加しているが、一応、ゲストアーティストも含めて可能な限り列挙してみようと思う。抜けや漏れがあったら、お許しいただきたい。リズム・セクションは、<strong>大野雄二</strong>(key)、<strong>永田一郎</strong>(org)、<strong>吉田潔</strong>(synth)、<strong>梶原順</strong>(g, ukl)、<strong>杉本喜代志</strong>(g)、<strong>俵山昌之</strong>(b)、<strong>渡辺直樹</strong>(b)、<strong>市原康</strong>(ds)、<strong>則竹裕之</strong>(ds)、<strong>川瀬正人</strong>(perc)、<strong>仙道さおり</strong>(perc)、<strong>矢坂順一</strong>(perc)、<strong>大井貴司</strong>(vib)、<strong>西脇辰弥</strong>(hmc)、<strong>上妻宏光</strong>(shamisen)となっている。つづいてサクソフォーン以外のウッドウィンズは、<strong>旭孝</strong>(fl, Ocarina)、<strong>田部井雅世</strong>(fl)、<strong>木津芳夫</strong>(fl)、<strong>斎藤寛</strong>(fl)、<strong>篠原猛</strong>(fl)、<strong>中川昌三</strong>(fl, afl, bfl)、<strong>西沢幸彦</strong>(fl)、<strong>比護いずみ</strong>(fl, afl)、<strong>星野正</strong>(cl)、<strong>庄司知史</strong>(ob)である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　サックス・セクションは、<strong>山口真文</strong>(ss, ts)、<strong>近藤和彦</strong>(as, ts)、<strong>ロバート・ザング</strong>(as)、<strong>山田穣</strong>(as)、<strong>平原まこと</strong>(as, ts, bs)、<strong>アンディ・ウルフ</strong>(ts)、<strong>近藤淳</strong>(ts)、<strong>吉田治</strong>(ts)、<strong>宮本剣一</strong>(ts)、<strong>つづらの敦司</strong>(bs)、<strong>原田忠幸</strong>(bs)、<strong>宮本大路</strong>(bs)。ブラス・セクションは、<strong>奥村晶</strong>(tp)、<strong>岸義和</strong>(tp)、<strong>数原晋</strong>(tp, flh)、<strong>寺島基文</strong>(tp)、<strong>横山均</strong>(tp, flh)<strong>萩原顕彰</strong>(hr)、<strong>藤田乙比古</strong>(hr)、<strong>片岡雄三</strong>(tb)、<strong>佐藤洋樹</strong>(tb)、<strong>鹿討奏</strong>(tb)、<strong>中川英二郎</strong>(tb)、<strong>野々下興一</strong>(tb)、<strong>パトリック・ハララン</strong>(tb)、<strong>広原正典</strong>(tb)、<strong>フレッド・シモンズ</strong>(tb)、ストリング・セクションは、<strong>小林陽一郎グループ</strong>、<strong>篠崎正嗣グループ</strong>が担当。さらに、<strong>朝川朋之</strong>(hp)、<strong>中谷勝昭</strong>(cond)が加わる。余談になるが、ハープは調律費や運搬費で高くつく楽器。つまり本作の吹き込みは、贅が尽くされているのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">大野さん自身の意向により、単なるベスト・アルバムにはなっていない</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またバック・コーラスは、<strong>伊集加代子</strong>、<strong>斉藤妙子</strong>、<strong>佐々木久美</strong>、<strong>広谷順子</strong>が担当。そしてフィーチュアリング・ヴォーカリストとして、<strong>石井竜也</strong>、<strong>サーカス</strong>、<strong>タケカワユキヒデ</strong>、<strong>トミー・スナイダー</strong>、<strong>DOUBLE</strong>が参加している。この錚々たる顔ぶれには、大御所から若き実力派まで、とにかく日本のトップアーティストが集結したという印象を受ける。プロデュースとアレンジは、すべて大野さんが手がけている。云うまでもなく、このCDに収録されている20曲はすべて氏のペンによるものである。アレンジの特色としては、比較的有名な曲では敢えてオリジナルとは異なるアプローチがなされていること、それに反して当時音盤ではなかなか聴くことができない楽曲はオリジナルに近いスタイルがとられていることが挙げられる。単なるベスト・アルバムにはしないという、大野さん自身の意向によるものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　では簡単ではあるが、各曲について触れていこう。アルバムは、お馴染みのテレビアニメ『ルパン三世』オープニング・テーマ 「ルパン三世のテーマ &#8217;80」(2005 version)からスタート。オリジナルは、アルバム『<em>ルパン三世 オリジナル・サウンドトラック３</em>』(1979年)に収録されているが、あの有名なテーマ曲のビッグ・バンド・ジャズ・ヴァージョンである。昔とった杵柄で、大野さんのフルバンドのアレンジは見事のひとこと。ここでは原曲のスウィング感がキープされながら、さらにシンセやストリングスが加えられ、よりダイナミックなサウンドが展開されている。オリジナル版の<strong>松石和宏</strong>によるマレット捌きも鮮やかだったが、ニュー・ヴァージョンにおける<strong>大井貴司</strong>のプレイもなかなかのものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　角川映画第３弾『野性の証明』(1978年)の主題歌「戦士の休息」では、もと<strong>ズー・ニー・ヴー</strong>の<strong>町田義人</strong>が歌った、ロッキッシュかつリフレッシングなバラードを、ここではもと<strong>米米CLUB</strong>の<strong>石井竜也</strong>が熱唱する。原曲よりいくぶんポップでゴージャスなアレンジが、石井さんのエモーショナルなヴォーカル・パフォーマンスによくマッチしている。オンワードのファッションブランド、ジェーンモアのCF曲 「ミスティ・トワイライト」は、シティ・ポップ・シンガー、<strong>麻倉未稀</strong>のデビュー曲でもある。オリジナルは、彼女のファースト・アルバム『<em>SEXY ELEGANCE</em>』(1981年)に収録されている。ここでは大野さんのピアノが主軸に据えられた、ボサノヴァ・インストゥルメンタルとなっている。メロディアスなピアノのアドリブが、実に軽妙である。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9193 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo3.png" alt="グランドピアノと大野雄二の肖像画" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/yo3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　アルバム『<em>ルパン三世・２</em>』に収録されている、<strong>サンディー＆ザ・サンセッツ</strong>の<strong>サンドラ・ホーン</strong>が歌った「ラヴ・スコール」は、R&amp;B系女性シンガー、<strong>DOUBLE</strong>がカヴァー。ゆったりしたテンポ、転調が活かされたソングストラクチュアによって、原曲よりビルドアップする。ソウルフルなヴォーカル・パフォーマンスが感動的だ。<strong>ユー＆エクスプロージョン・バンド</strong>のオリジナル・アルバム『<em>フル・コース</em>』(1983年)からの「ROUTE 246」は、バウンシーなグルーヴは原曲どおりだが、ここではホーン・セクションが加えられている。ピアノとソプラノ・サックスとがジャジーなソロを展開する。なおこの曲、ブラジル出身のフュージョン・バンド、<strong>アジムス</strong>の「ディア・リマーツ」という曲からの影響が強い。興味のあるかたは、ぜひお試しあれ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　角川映画『犬神家の一族』の主題曲「愛のバラード」は、原曲の骨格や雰囲気はそのまま活かされているが、<strong>上妻宏光</strong>の三味線によるテーマ部とソロが繰り広げられるダブル・タイムが、なんともユニーク。オリジナル版で印象的な打弦楽器ハンマード・ダルシマーは、ここでは使用されていない。シングル盤のみが発売された、日本テレビ系アニメ『海底超特急マリンエクスプレス』(1979年)の主題歌「THE MARINE EXPRESS」は、16ビートのディスコ・フュージョン。ここでは原曲のヴォーカリスト、<strong>トミー・スナイダー</strong>、そして<strong>タケカワユキヒデ</strong>といった<strong>ゴダイゴ</strong>のコンビによるデュエットが楽しい。映画『最も危険な遊戯』からの「メインテーマ」は、低予算故のコンボ・スタイルから、ここではメインのミュート・トランペットにホーンズ＆ストリングスが加えられた、贅沢なアレンジのジャズ・ナンバーに様変わりしている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　NHK連続テレビ小説『マー姉ちゃん』(1979年)の主題曲「マー姉ちゃん」は、巧みなコード進行と跳ねるようなリズムが<strong>バート・バカラック</strong>の曲を彷彿させる。口笛風のシンセ、ウクレレ、クラリネットなどが効果的に使われたハッピーなナンバー。嬉しいエクステンデッド・ヴァージョンである。書き下ろしの新曲「Made In Y.O.」は、３部構成の大野版シンフォニック・ジャズ。知的で陰影に富んだ雰囲気は、<strong>クラウス・オガーマン</strong>の「神々の出現そして不在」という曲を連想させる。そして以下は、２枚目のCDとなる。フジテレビ系アニメ『スペースコブラ』(1982 &#8211; 1983)のエンディング・テーマ「シークレット・デザイアー」では、<strong>前野曜子</strong>に替わって<strong>サーカス</strong>がヴォーカルをとっている。よりジャジーなアレンジ、秀逸なコーラス・ワークを楽しむことができる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　日本テレビ系ドラマ『大追跡』(1978年)の主題曲「大追跡のテーマ」は、ブラスによるテーマとストリングスによるコーラスとのコントラストが映えるアップテンポの曲。キャッチーなサウンドの元ネタは、大野さんが敬愛するピアニスト、<strong>ラムゼイ・ルイス</strong>の「スリック」という曲。NHKアニメ『キャプテン・フューチャー』の主題歌「夢の舟乗り」は、オリジナルと同様に<strong>タケカワユキヒデ</strong>が歌っている。フィリー・ソウル風のディスコ・チューンが、ここではヴォーカルも含めてよりソウルフルになっている。アルバム『<em>スペース・キッド</em>』からの「クリスタル・ラヴ」は、原曲どおりやはりフェンダー・ローズのルバート演奏が印象的。ピアノやストリングスによるシネマティックなメロディック・ラインがいかにも大野さんらしい、まさにマスターピースと呼ぶべき１曲だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　角川映画『人間の証明』の主題歌「人間の証明のテーマ」では、<strong>ジョー山中</strong>に替わって<strong>トミー・スナイダー</strong>がヴォーカリストを務めている。次曲の劇場アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)の主題歌「炎のたからもの」そしてそのあとのNHKの紀行番組『小さな旅』(1983年 &#8211; 放送中)の主題曲「小さな旅」とともに、もっとも原曲と異なるアレンジが施されている。まず「人間の証明のテーマ」はロック色が薄くなり、どちらかというとメロウ・ソウル調。<strong>西脇辰弥</strong>のハーモニカも新鮮だ。次の「炎のたからもの」は<strong>ボビー</strong>のR&amp;Bテイストのフロウが特徴的なヴォーカル・ナンバーからビッグ・バンド・ジャズのインストゥルメンタルに、さらに「小さな旅」はオーボエが主旋律を奏でるノスタルジックな曲からトロンボーンやアコースティック・ギターがフィーチュアされたボサノヴァ・チューンにアレンジされている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>石立鉄男</strong>主演によるホームコメディドラマ・シリーズの第５作「水もれ甲介」(1974年 &#8211; 1975年)の主題歌でシングル盤も発売された「水もれ甲介」では、ほぼオリジナルのムードがキープされている。洗練されたポップスの作風は、バカラック・マナーを感じさせる。原曲を歌った、<strong>シンガーズ・スリー</strong>の<strong>伊集加代子</strong>の参加が嬉しい。新曲のビッグ・バンド・スタイルのジャズ・バラード「Jiggy Beans」を挟んで、アルバム『<em>24時間テレビ 愛は地球を救う</em>』収録の「LOVE SAVES THE EARTH」が、アルバムを締めくくる。<strong>アレクサンダー・カレッジ</strong>の「宇宙大作戦のテーマ」を彷彿させる、スペクタクルな曲調が爽快。ここではサンバ・ジ・エンヘード風にリアレンジされているが、ぼくはこのヴァージョンのほうが好き。ということでざっくりとお伝えしたが、本作は<strong>大野雄二</strong>という偉大なる音楽家の足跡を辿る上で格好のアルバムとなっている。ぜひ多くのかたに、手にとっていただきたいものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"Yuji Ohno, You \u0026 Explosion Band \/ Made In Y.O. ","b":"バップ","t":"大野雄二","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/41l-KbcqdnL._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B0009RJFFA","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B0009RJFFA","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/Yuji%20Ohno%2C%20You%20%26%20The%20Explosion%20Band%20%2F%20Made%20In%20Y.O.%20\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=Yuji%20Ohno%2C%20You%20%26%20The%20Explosion%20Band%20%2F%20Made%20In%20Y.O.%20","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"dVliH","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-dVliH">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/yuji-ohno-you-and-explosion-band-made-in-y-o/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Ivan Lins / Daquilo Que Eu Sei (1981年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/ivan-lins-daquilo-que-eu-sei/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=ivan-lins-daquilo-que-eu-sei</link>
					<comments>https://kimama-music.com/ivan-lins-daquilo-que-eu-sei/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 17 May 2026 07:06:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[Ivan Lins]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9143</guid>

					<description><![CDATA[リオデジャネイロが生んだブラジルの至宝、MPBを代表する世界的メロディメーカーであり、ジャズ/フュージョン・シーンの数多くのアーティストに多大な影響を与えたシンガーソングライター、イヴァン・リンスの1980年代の傑作『ダ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">リオデジャネイロが生んだブラジルの至宝、MPBを代表する世界的メロディメーカーであり、ジャズ/フュージョン・シーンの数多くのアーティストに多大な影響を与えたシンガーソングライター、イヴァン・リンスの1980年代の傑作『ダキーロ・キ・エウ・セイ』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Ivan Lins / Daquilo Que Eu Sei (1981)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Quem Me Dera</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">ブラジルの音楽への興味──端緒を開いたのは妹が弾いていたエレクトーン</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ここのところ、日中ちょっと汗ばむような日がつづいている。その日差しの強さは、もう初夏の気配さえ感じさせる。そんなこともあり、ここのところブラジルの音楽を集中的に聴いていたりする。夏にはブラジルの音楽がよく似合う。精神的に暑さをクールダウンさせる、“涼”のイメージがあるからだ。たとえば1950年代末にリオデジャネイロで生まれたボサノヴァは、その静かで囁くようなヴォーカル・パフォーマンスと軽快なアコースティック・ギターによるリズムとによって、暑さで疲れた心身を癒やしてくれる。さらに穏やかに波間を揺蕩うような独特のハーモニーは、情緒的で洗練された雰囲気を醸成する。そこに生まれるサウダージという感覚は、その境界がはっきりしないのだが、懐かしさ、切なさ、愛おしさが入り混じったブラジルの音楽特有のもの。そして実は、その曖昧さが心地よさを作り出しているのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういうふうにぼくが感じるようになったのはわりと早い時期で、小学生高学年のころ。ぼくがジャズを長年愛好するようになるキッカケといえば、10歳以上年長の従兄の家で<strong>ビル・エヴァンス</strong>のレコードを聴かせてもらったことだが、実はそれ以前にブラジルの音楽に興味をもちはじめていた。その端緒を開いたのは、ぼくより３つ下の妹がエレクトーンで弾いていた曲だった。念のために云っておくと、エレクトーンとは、楽器や音響機器の製造発売で知られるヤマハが開発した、(リズム機能も装備された)電子オルガンのこと。妹は幼少期からヤマハ音楽教室に通い、エレクトーンのレッスンを受けていた。彼女はぼくがピアノをはじめるまえから、鍵盤、ベース・ラインを奏でる足鍵盤、それにエクスプレッション・ペダルを流暢に操っていたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　妹の演奏能力はぼくのそれよりもずっと優れていて、彼女は高校に進学するとあっけなくヤマハの指導グレードを取得してしまった。演奏が上手いことにもいささか嫉妬心を抱いたけれど、それよりもぼくはそのレパートリーに羨望の眼差しを向けていた。エレクトーンはもともとソロ・パフォーマンス用の楽器だから、１台でバンドやオーケストラのような演奏をすることが可能。したがってプレイヤーが採り上げる楽曲においては、クラシック、イージーリスニング、映画音楽などはもちろんのこと、ポップス、ロック、ジャズ、ラテンなど、その音楽ジャンルは多岐にわたる。クラシック・ピアノのレッスンを受けていたぼくが、ポピュラー・ピアノも弾くようになったのは、それらの楽曲に感化されたからだ。そんななか、妹のレパートリーでことにぼくの琴線に触れたのがボサノヴァ・チューンだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　妹がよく弾いていた曲で、ぼくのこころを奪ったのは「イパネマの娘」「おいしい水」「想いあふれて」といった曲で、どれも作曲を<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>、作詞を<strong>ヴィニシウス・ジ・モライス</strong>が手がけたものだった。ブラジルの音楽といえば、ぼくは1970年の大阪万博における<strong>セルジオ・メンデス</strong>の演奏において、すでに体験済みだったのだけれど、その特有の味わいに強く惹かれたのはジョビンの曲を聴いたときが最初だったと思う。もちろんそのときのぼくは、ジョビンの音楽がボサノヴァというもので、ショーロ、サンバ、ノルデスチとともにブラジルの音楽のひとつであるなどとは、まだ知る由もなかった。ただ、その簡素で美麗なメロディック・ラインと心地いいテンション・コードとに、ぼくの感性がいたく刺激されたことはハッキリ覚えている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それを機にぼくは、すっかりブラジルの音楽のとりこになった。その影響力は、計り知れない。そんな自分を年代別に俯瞰すると、1960年代の<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>、1970年代の<strong>ミルトン・ナシメント</strong>、1980年代の<strong>イヴァン・リンス</strong>からは、特に刺激を受けたと云える。これは余談だが、高校の音楽の授業で作曲の課題が出されたとき、先生がぼくの書いた曲について「君の曲はフランス印象音楽みたいだね」と感想を述べた。でも、実際はそうではない。あれは完全にジョビンだった。バンドを組んでいたときも、サビで転調したりするとメンバーから、ジョビンの曲に似ていると指摘され気恥ずかしくなることがあった。ただぼくはジョビンの音楽に関しては、ジャズの場合とは異なり一度も研究したことがない。彼の音楽は、ぼくのなかにいつの間にか染みわたっていたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　というのも、小学校高学年のころから中学校を卒業するまでの間にぼくは、1960年代にヴァーヴ、CTIといったレーベルからリリースされたジョビンのボサノヴァ作品に、すっかり馴染んでいたからである。また、中学時代にはすでにジャズやフュージョンを聴くようになっていたが、サクソフォニストである<strong>ウェイン・ショーター</strong>のアルバム『<em>ネイティヴ・ダンサー</em>』(1975年)でフィーチュアされたことから、<strong>ミルトン・ナシメント</strong>に注目するようになった。ナシメントはMPBの代表的なシンガーソングライターだが、このアルバムにおけるショーターとナシメントとのコラボレーションが生み出す、２種類の芳醇なミュージカリティがよくブレンドされた上質な音楽に、ぼくはこころを揺さぶられた。個人的には、はじめてのMPB体験だったと思うけれど、いまもことあるごとに手にとる愛聴盤となっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、MPBとはポルトガル語のムジカ・ポプラール・ブラジレイラの略で、ブラジリアン・ポピュラー・ミュージックという意味。MPBは、1960年代後半に起こったブラジルの温故知新的な芸術運動である、トロピカリズモが発祥とされているけれど、むろん当時はそんな出来事はおろかその名称すら知る由もなかった。それはともかく、ぼくはショーターのアルバムを体験したすぐあと、偶然にもふたたびナシメントがフィーチャリング・アーティストとして迎えられた作品に出会う。それは、キーボーディストである<strong>ジョージ・デューク</strong>の『<em>ブラジリアン・ラヴ・アフェア</em>』(1980年)というアルバム。ブラジル原産の素材がデューク流に味つけされ、ワン・アンド・オンリーなブラジリアン・サウンドが創出されたフュージョンの名盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムに収録されている、タンボーリス・ジ・ミナスのリズムが活かされた「クラヴォ・イ・カネーラ」やラテン・エッセンス溢れるフォルクローレ調の「アオ・キ・ヴァイ・ナセール」といったナシメントの自作曲では、彼のヴォーカルがまさに独擅場でその存在感の大きさと影響力の強さを、あらためて感じさせられる。この２曲の原曲は、ナシメントとやはりシンガーソングライターの<strong>ロー・ボルジェス</strong>とのコラボレーション・アルバム『<em>街角クラブ～クルービ・ダ・エスキーナ</em>』(1972年)で聴くことができる。ブラジルの南東部に位置するミナス・ジェライス州出身のふたりによる、ローカル・フレーヴァーが香るいわゆるミナス・サウンドが全開したこのアルバムを聴いて、ぼくはその豊かな音楽性にいたく感銘を受けた。云うまでもなく、本作もまた愛聴盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ふたりの少年が写った写真がジャケットにあしらわれた２枚組のレコード『<em>街角クラブ～クルービ・ダ・エスキーナ</em>』は、ブラジル音楽を語る上で絶対に外せないアルバムだし、実際あらゆるジャンルの音楽家に影響を与えた作品だ。いささか余談になるが、名曲「クラヴォ・イ・カネーラ」は、<strong>リー・リトナー</strong>と<strong>デイヴ・グルーシン</strong>のコラボレーション・アルバム『<em>ブラジル</em>』(2024年)で採り上げられたことが記憶に新しい。ギタリストのリトナー、キーボーディストのグルーシン、どちらもぼくの敬愛する音楽家だが、もはやレジェンダリー・ミュージシャンと呼ぶべき存在であり、アルバムが発表された2024年当時、それぞれ72歳と90歳という高齢だった。それにもかかわらずふたりは、ブラジルのミュージシャンが紡ぐ清涼感に溢れるリズムに乗って、ジャズのエッセンスを感じさせる洗練されたプレイを展開している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">ブラジルの音楽において、もっともこころを打たれたのはリンスの曲</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムの冒頭を飾っているのが「クラヴォ・イ・カネーラ」なのだが、リトナーとグルーシンとによるヴァージョンは、ほぼ原曲どおりのアレンジで進行する。リトナーのエレクトリック・ギターがシングル・トーンでシンプルにテーマとサビを提示したあと、そのクリスタル・ヴォイスが話題となったサンパウロの新進女性シンガー、<strong>タチアナ・パーハ</strong>のヴォーカルが入ってくる。彼女の抑えめのパフォーマンスが、アンサンブルに溶け込む。グルーシンのアコースティック・ピアノ、リトナーのギター、そしていまは亡き<strong>トゥーツ・シールマンス</strong>の後継者と目されるスイス出身のジャズ・ハーモニシスト、<strong>グレゴア・マレ</strong>のハーモニカがソロをとるが、平明で落ち着いた感じのアドリブ・プレイに、熟成香が漂う。機会があったら、ぜひ聴いていただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はナシメント自身も「クラヴォ・イ・カネーラ」をソロ名義の『<em>ミルトン</em>』(1976年)というアルバムでセルフカヴァーしているのだが、こちらではジャズ・ピアニストの<strong>ハービー・ハンコック</strong>がピアノを弾いている。なにを隠そう、このアルバムには<strong>ウェイン・ショーター</strong>も参加していて、ナシメント、ハンコック、ショーターといった３人の共演という共通性において本作は、前述の『<em>ネイティヴ・ダンサー</em>』と関係が深い。ちなみに、あとになったが「クラヴォ・イ・カネーラ」の原曲を収録した『<em>街角クラブ～クルービ・ダ・エスキーナ</em>』のタイトルとなっている“クルービ・ダ・エスキーナ”とは、ミナス・ジェライス州のベロ・オリゾンチ市に集うミュージシャンたちの呼び名である。<strong>トニーニョ・オルタ</strong>、<strong>フラヴィオ・ヴェントゥリーニ</strong>、<strong>ヴァグネル・チゾ</strong>らもその一員である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハナシが前後するが、リトナーとグルーシンの『<em>ブラジル</em>』では、ナシメントの自作曲「カタヴェント」もカヴァーされている。曲名はポルトガル語で、“風車”を意味する。ナシメントのデビュー・アルバム『<em>トラヴェシーア</em>』(1967年)や、彼がCTIレコードに吹き込んだ『<em>太陽の歌</em>』(1969年)などに収録されている。リトナーとグルーシンは、原曲の鷹揚な律動をストレートに際立たせている。グルーシンはアコースティック・ピアノでゆったりと玉を転がすように鍵盤を動かしているが、ブラジルの音楽特有の爽快感と清涼感を手堅く引き立てている。いずれにしても、リトナーとグルーシンが過去の作品において、ここまでブラジルに寄り添ったことはなかったかもしれない。変な云いまわしかもしれないが、本作におけるふたりのブラジルの音楽に対する斟酌の仕かたが、実に思慮深いのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　というのも、グルーシンはこの「カタヴェント」という曲を、自己のソロ名義のアルバム『<em>ジェントル・サウンド</em>』(1978年)ですでにカヴァーしている。ところが、そちらのヴァージョンは、おなじサンバでもリズムがタイトになっている。<strong>スティーヴ・ガッド</strong>の軽快なドラミング、<strong>フランシスコ・センテーノ</strong>のフレキシブルなベース、そしてグルーシンの小気味いいフェンダー・ローズと、とにかくソフィスティケーテッドな印象を与える。もっとも軽妙なのは、<strong>デイヴ・ヴァレンティン</strong>のフルートによるグロウル奏法。彼はグルーシンがプロデュースを手がけた、ジャズ・ヴァイオリニスト、<strong>ノエル・ポインター</strong>の『<em>ファンタジア</em>』(1977年)でレコーディング・デビューを果たしたばかりだったが、のちにGRPレコードの看板ミュージシャンとなる。そういう点でもこのトラックは、ブラジル志向よりもコンテンポラリー・ジャズ色が強い。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　長々とナシメントについて語ってしまったが、さきに触れたジョビンもそうだが彼もまた、ジャズやフュージョンの飛躍に大きな影響を与えたブラジルの音楽家と云える。というか、概してブラジルの音楽は、このジャンルとは切り離せないものと云っても過言ではないだろう。実のところブラジルの国内経済が立ち遅れていた時代から、音楽の分野に関しては世界的な注目を集めていたのである。そして日本でも1960年代のボサノヴァ・ブームの到来、1970年代から1980年代にかけてのブラジリアン・フュージョンの流行、1990年代以降の渋谷系サウンドとの連動による再評価といった具合に、ブラジルの音楽の受容は常に盛んだ。ことに渋谷系のムーヴメントから、日本ではブラジル本国でもなかなか入手困難な音源が多数発売された。よく日本を訪れたブラジルのミュージシャンが、日本盤CDを大人買いしていくのだという。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さて、末尾にはなったが、以下は<strong>イヴァン・リンス</strong>について集中的ご紹介する。ブラジルの音楽において、ぼくがもっともこころを打たれたのは、実は彼の曲なのである。リンスの音楽との出会いは、ちょうど高校に進学する直前のことだったと記憶する。キッカケは、ギタリストの<strong>ジョージ・ベンソン</strong>がヴォーカリストとしての側面を前面に押し出したアルバム『<em>ギヴ・ミー・ザ・ナイト</em>』(1980年)だった。リンスのことを知ったのは、このアルバムに収録されている「喝采」と「ラヴ・ダンス」という曲のソングライターとして、彼のクレジットを見つけたとき。それまでぼくは、リンスのことをまったく知らなかったのだが、この２曲を聴いて彼のことが気になりはじめた。特に「ラヴ・ダンス」の独特のコード進行に、強く惹きつけられた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムのプロデュースを務めたのは、グラミー賞をはじめとする音楽賞を多数受賞する<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>。彼はこのころ、<strong>マイケル・ジャクソン</strong>の『<em>オフ・ザ・ウォール</em>』(1979年)、<strong>ルーファス＆チャカ</strong>の『<em>マスタージャム</em>』(1979年)、<strong>ザ・ブラザーズ・ジョンソン</strong>の『<em>ライト・アップ・ザ・ナイト</em>』(1980年)など、次々にヒット・アルバムを世に送り出していたが、ベンソンのアルバムも含めたこれらの作品において、ソングライター兼アレンジャーとしてイングランド、リンカンシャー出身のキーボーディスト、<strong>ロッド・テンパートン</strong>を起用している。もともと彼は多国籍バンド、<strong>ヒートウェイヴ</strong>のメンバーとしてファンク、R&amp;B、ソウルといった音楽を展開していたが、当時のジョーンズ作品の特徴とも云えるポップなディスコ・サウンドにおいて、大きな功績を上げた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　テンパートンは、その後も<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>の『<em>愛のコリーダ</em>』(1981年)、ジョーンズがプロデュースを手がけたR&amp;B系シンガー、<strong>パティ・オースティン</strong>の『<em>デイライトの香り</em>』(1981年)に参加している。彼の書くソウルフルかつソフィスティケーテッドな楽曲は相変わらずスタイリッシュなのだけれど、ぼくにとっては<strong>イヴァン・リンス</strong>のペンによる浮遊感のあるコード進行が際立ったナンバーのほうが、ずっと魅力的に感じられた。具体的には、前者に収録されている「ヴェラス」と後者のラストを飾る「白い波」という曲だ。ただ、この２曲に触れたときのぼくといえば、浅学菲才の身でお恥ずかしい限りなのだが、リンスがMPBの人気シンガーソングライターであるとはつゆ知らず、彼のことをラテン系アメリカ人の作曲家と勘違いしていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まあ、釈明するようで恐縮だが、そのころのリンスといえば、日本ではまったく無名の存在だったのである。ぼくがリンスのことをブラジルのシンガーソングライターであると認識したのはそれよりちょっとあとのことで、ブラジルの女性シンガー、<strong>エリス・レジーナ</strong>の『<em>エラ 1971年</em>』(1971年)に収録されている「マダレーナ」や、女性ジャズ・シンガー、<strong>サラ・ヴォーン</strong>の『<em>コパカバーナ</em>』(1979年)のなかの「スマイリング・アワー」を聴いたときのこと。その後、<strong>セルジオ・メンデス</strong>が『<em>愛をもう一度</em>』(1983年)で「ヴー・ドゥー」を採り上げたときは、わが国の音楽ファンの間でもリンスのことが取り沙汰されるようになっていた。ぼくがリンスのアルバムを求めて、ブラジルの輸入盤を取り扱うレコード店を何件も渡り歩くようになったのはこのころだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">愛聴盤はリンスのもっとも勢いがあったころの４枚のアルバム</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、さきに挙げたベンソンの「喝采」と「ラヴ・ダンス」の原曲は、それぞれ「ジノラー・ジノラー」「レンブランサ」という。さらに「ヴェラス」は「ヴェラス・イサーダス」「白い波」は「コメサール・ジ・ノーヴォ」「スマイリング・アワー」は「アブリ・アラス」「ヴー・ドゥー」は「クエーロ・ジ・ヴォウタ・オ・メウ・パンデイロ」という原題である。どれもリンスの代表曲と云っていい。むろん原曲は、リオデジャネイロ出身のリンス自身によって歌われているのだから、歌詞はポルトガル語で書かれている。当時高校生だったぼくは、歌詞の内容を理解する言語スキルをもち合わせていなかったけれど、それでも高度なジャズ・ハーモニーを孕んだ洗練されたアダルト・オリエンテッドな音楽として、深く寄り添うように熱心に聴いていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　あとでぼくは、ソフィスティケーテッドでアーバンなブラジリアン・サウンドと、こころもちアーシーな香りを放つヴォーカル・パフォーマンスが交錯するリンスの楽曲の歌詞の内容を知って、それがハーモニーやメロディック・ラインから想像していたものとまったく違っていたので愕然としたものである。当時リンスの曲の作詞を一手に担っていたのは<strong>ヴィトール・マルティンス</strong>で、彼はさきに挙げた「マダレーナ」や「クエーロ・ジ・ヴォウタ・オ・メウ・パンデイロ」の作詞を手がけたMPBではお馴染みの<strong>ロナウド・モンテイロ・ジ・ソウザ</strong>に次いで、1970年代初頭からリンスのよきパートナーとなった。この名コンビはソングライティングに止まらず、1991年にブラジルのレコード・レーベル、ヴェラス・プロドゥソンイスを設立したりもしている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで、マルティンスの書いた歌詞だが、実は社会的なメッセージを発信するものだった。ブラジルは1964年からおよそ20年間、軍事政権の支配下に置かれていた。さらに1970年代からはじまった経済の悪化は止まるところを知らず、インフレが進み失業者が急増した。そんな状況下で多くのMPBのアーティストたちが軍部の検閲によって表現の自由を制限されていたのだが、実のところマルティンスは、作詞において比喩表現を多用し検閲を巧みにすり抜けていた。つまりマルティンスの最大の理解者であるリンスは、優れたメロディメーカーかつサウンド・クリエイターであると同時に、社会派のアーティストでもあり、云ってみればブラジル国民の声なき声の代弁者だったのである。そういう背景に注目すると、彼の音楽がより味わい深いものと感じられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ときに、ぼくが高校時代にショップ行脚の末、手に入れたリンスのレコードといえば、奇しくも彼のもっとも勢いがあったころのアルバムばかりだった。個人的には、当時はリンスの音楽を深掘りするための格好の材料でもあったし、いまもことあるごとにターンテーブルに載せる愛聴盤となっている。ついでに云うと、前述のジョビンとナシメントの音楽がぼくのなかにいつの間にか染みわたっていたのに対し、リンスのそれは能動的に自分の音楽性に採り入れたものだった。特にEMIレコード時代の『<em>ある夜</em>』(1979年)『<em>ノーヴォ・テンポ</em>』(1980年)、フィリップス・レコード移籍後の『<em>ダキーロ・キ・エウ・セイ</em>』(1981年)『<em>デポイス・ドス・テンポライス</em>』(1983年)といった４枚は、決して上質とは云い難いブラジル産の音盤がそれこそ擦り切れるほど、ぼくが聴き込んだアルバムである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおリンスは、上記のアルバムにつづいて多数の豪華ゲストを迎えたセルフカヴァー集『<em>ジュントス(歌の仲間たち)</em>』(1984年)を発表したあと、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>、<strong>リー・リトナー</strong>によってロサンゼルスに招聘され、彼らのコラボレーション・アルバム『<em>ハーレクイン</em>』(1985年)のレコーディングに参加。既存の自作曲をポルトガル語で歌った。この出来事によって、リンスの日本での知名度は一気に上がった。そのときに採り上げられたのは『<em>ある夜</em>』収録の「アンチス・キ・セージャ・タルジ」『<em>ノーヴォ・テンポ</em>』収録の「アルレキン・デスコニェッシード」そして『<em>デポイス・ドス・テンポライス</em>』収録の「デポイス・ドス・テンポライス」といった３曲。各々「ビフォア・イッツ・トゥー・レイト」「ハーレクイン」「ビヨンド・ザ・ストーム」という英題が付された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　おわかりのとおり『<em>ハーレクイン</em>』では『<em>ダキーロ・キ・エウ・セイ</em>』からは選曲されていない。これは推測の域を出ないが、このアルバムの楽曲のうち「レンブランサ」は前述のとおり<strong>ジョージ・ベンソン</strong>が、そして「アモール」をバイーア州サルヴァドール出身の女性シンガー、<strong>シモーネ</strong>が『<em>個人生活</em>』(1982年)というアルバムですでにカヴァーしていたからだろう。実はこの『<em>ダキーロ・キ・エウ・セイ</em>』は、上記の４枚のうちもっとも明るく爽やかな印象を与える。それこそ精神的に暑さをクールダウンさせる、“涼”のイメージがあるので、この季節にお薦めの１枚だ。残念ながら、なぜか日本ではいまだに発売されていない(ブラジルでは2002年にCD化済み)。せっかくの機会なので、最後にこのアルバムの詳細について触れておく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　収録曲はすべて、リンスとマルティンスとの共作。プロデュースとアレンジは、リンスの作品ではお馴染みのキーボーディスト、<strong>ジウソン・ペランゼッタ</strong>が手がけている。彼のアレンジはブラジリアン・テイストをキープしながらも、コンテンポラリー・ジャズ調。リンスの書く洗練された楽曲に、よく合っている。レコーディング・メンバーは、<strong>イヴァン・リンス</strong>(vo, key, g)、<strong>ジウソン・ペランゼッタ</strong>(key, a<em>cc</em>)、<strong>オクタヴィオ・ブルニエール</strong>(g)、<strong>アルトゥール・マイア</strong>(b)、<strong>パウリーニョ・ヴィエイラ</strong>(ds)、<strong>ジョアン・ゴメス</strong>(perc)、<strong>ヘナート・フランコ</strong>(as, fl)、<strong>ギリェルミ・ブリシオ</strong>(as)、<strong>ヒカルド・ポンチス</strong>(sax)、<strong>マルシオ・コルテス</strong>(mand)、<strong>ルシーニャ・リンス(</strong>vo, a<em>cc</em>)など。さらに<strong>ノゼス・エ・ヴォゼス</strong>というヴォーカル・グループ、そしてストリングスが加わる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムのトップを飾る「ダキーロ・キ・エウ・セイ」は、さきに挙げた『<em>ジュントス(歌の仲間たち)</em>』において<strong>パティ・オースティン</strong>が英詞を付して歌った「私を信じて」として知られる曲。アコーディオンの音色が潮風の香りを放つ、爽やかなナンバーだ。つづく「ルア・シランデイラ」は、ブラジル北東部の民俗舞踊シランダが採り入れられた陽気な曲。とはいえ、“月ははだれのものでもあってはならない”という歌詞が意味深。マンドリンが効果的に使われた「アヴェ」は、雄大に空を飛ぶ鳥の様子が描かれた、壮大なナンバー。前述の「レンブランサ」は、いかにもリンスらしい独特のコード進行が美しいバラード。ペランゼッタのローズによるバッキングが軽妙だ。A面最後の「ブラス・ジ・ピーナ」では、勇壮なスキャットのあとペランゼッタのピアノがジャジーなソロを展開。実に晴れ晴れとした気持ちにさせられる曲だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　B面の最初は「アモール」で、ゆったりした２拍子の曲。転調も効果的だが、とにかくリンスの当時の奥さま、ルシーニャとのデュエットが微笑ましい。おなじようなテンポの「ダ・リセンサ」では、ロマンティックでハートウォーミングなヴォーカルを堪能するのみ。都会的かつ野性的なフィーリングは、リンスならでは。個人的にもっとも好きな「クエン・ミ・デラ」は、サウダージ感覚とファンキーなフュージョン・サウンドが交錯する名曲。この曲こそ、グルーシン＆リトナー向き。リンスは『<em>アモラジオ</em>』(2012年)で、セルフカヴァーしている。さらに、リッチなコードワークがメロウな世界を演出する「カナヴィアウ」柔らかなシンコペーションと無重力感溢れるハーモニーが、なんとも心地いい「オ・パーノ・ジ・フンド」とつづき、アルバムは幕を閉じる。あたかもこころが洗われるような、深い余韻を残す名盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"Daquilo Que Eu Sei","b":"Philips","t":"Ivan Lins","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/51rndY8B9EL._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B00BHJI9NI","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B00BHJI9NI","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/Daquilo%20Que%20Eu%20Sei\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=Daquilo%20Que%20Eu%20Sei","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"KIW13","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-KIW13">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/ivan-lins-daquilo-que-eu-sei/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Rob Van Bavel / Rob Van Bavel Plays Chick Corea (2022年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/rob-van-bavel-rob-van-bavel-plays-chick-corea/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=rob-van-bavel-rob-van-bavel-plays-chick-corea</link>
					<comments>https://kimama-music.com/rob-van-bavel-rob-van-bavel-plays-chick-corea/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 10 May 2026 07:27:42 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Rob Van Bavel]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9118</guid>

					<description><![CDATA[2021年突然この世を去ったチック・コリアの名曲の数々がピアノ・トリオで録音された、オランダのピアニスト、ロブ・ヴァン・バヴェルによるコリア・トリビュート・アルバム『500マイルズ・ハイ〜チック・コリアに捧ぐ』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">2021年突然この世を去ったチック・コリアの名曲の数々がピアノ・トリオで録音された、オランダのピアニスト、ロブ・ヴァン・バヴェルによるコリア・トリビュート・アルバム『500マイルズ・ハイ〜チック・コリアに捧ぐ』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : Rob Van Bavel / Rob Van Bavel Plays Chick Corea (2022)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Bud Powell</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">アメリカで才能と実力を認められながら日本では10年以上も放って置かれた</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　オランダを代表する実力派のジャズ・ピアニスト、<strong>ロブ・ヴァン・バヴェル</strong>といえば、いまでは日本でもすっかり広く知られるようになったが、初リーダー・アルバムがリリースされたころは、わが国のジャズ・ファンのなかに彼のことを知るものはほとんどいなかったのではなかろうか。かくいうぼくもヴァン・バヴェルの演奏にはじめて触れたのは、2000年代に入ってから。彼はビバップをはじめ、モダン・ジャズ、フュージョン、さらにはクラシックの影響を感じさせるスタイルまで幅広くこなすプレイヤーだが、そのピアノ演奏は、センシティヴなタッチとリッチなリズム感を有し、一部からは“ピアノの詩人”とも称されるような叙情的な表現が際立つ。国際的にも高い評価を得ているヴァン・バヴェルだけに、日本でもさらにスポットライトが当てられることを期待したい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ロブ・ヴァン・バヴェル</strong>は1965年１月16日、オランダ南部のブレダに生まれた。現在61歳、バリバリ現役である。ピアノの教師である父とギターとオルガンの教師である母をもつ。両親は当時楽器店も経営しており、ヴァン・バヴェルの周囲には、生まれたときから音楽が溢れかえっていた。そんな環境のもと、彼は３歳からクラリネットやハーモニカを吹き、７歳からはピアノのレッスンを受けるようになる。はじめはクラシックのピアニストを目指していたが、中学時代にジャズに開眼。ディキシーランド・ジャズのバンドでも演奏したことがあるという。その後、ロッテルダム音楽院で学び、1987年に同院を主席で卒業している。なお息子のセバスチャンもピアニストで、ジャズに現代音楽の要素を採り入れたトリオで活動中だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ヴァン・バヴェルは、新人ジャズ・プレイヤーの登竜門として知られる、セロニアス・モンク国際ジャズ・コンペティションの記念すべき第１回のピアノ・コンペで第２位を獲得している。彼がロッテルダム音楽院を卒業した、1987年のことである。審査員は<strong>ローランド・ハナ</strong>、<strong>バリー・ハリス</strong>、<strong>ハンク・ジョーンズ</strong>、<strong>ロジャー・ケラウェイ</strong>が務めたが、その顔ぶれのスゴさも然ることながら、彼らからその才能と実力を認められたヴァン・バヴェルも伊達ではない。なんといったって、アルバム・デビューすら果たしていない20代前半のオランダの若者が、400人以上の応募者がいるアメリカのジャズ・コンペで上位に入賞したのだから、これを快挙と云わずしてなんと云おう。ちなみに、このとき第１位を獲得したのは、当時<strong>ウィントン・マルサリス</strong>(tp)のグループのピアニストを務めていた<strong>マーカス・ロバーツ</strong>だった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9128 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf1.png" alt="オランダの風車と緑色のピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　さらにヴァン・バヴェルはこれとおなじ年に、オランダのもっとも主要なジャズ賞であるヴェッセル・イルケン賞を受賞。翌年の1988年には、ドイツの有名なジャズ・フェスティヴァル、レーヴァークーゼナー・ジャズターゲにおいて、ヨーロピアン・ヤング・ジャズ・アーティスト賞を獲得。さらに1990年には、オランダのグラミー賞とも云われるエジソン賞を受賞している。ヨーロッパだけでなくジャズの本場であるアメリカにおいても、ひとかどのジャズ・ピアニストとしてのオーソライズを得たヴァン・バヴェルが、なぜ日本では10年以上も放って置かれたのか、ぼくは不思議でならない。おそらく当時のわが国のレコード産業において、オランダのジャズ・プレイヤーは、まだマーケティングの対象外だったのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いずれにしても、オランダのサークル・プロダクションというマイナー・レーベルと通商関係を最初に切り拓いたのは、あの澤野工房だった。大阪市浪速区にある履物屋の４代目店主、<strong>澤野由明</strong>は、趣味が高じて日本のジャズ・アルバムをヨーロッパに輸出したり、逆にヨーロッパのジャズ作品を輸入販売したりしていた。そのうち澤野さんはCD制作にも乗り出すようになり、自己のレコード・レーベルを立ち上げた。それが独立系ジャズ・レーベル、澤野工房である。その影響は日本に止まらず世界中に波及した。ことにヨーロッパを中心とした、世界中の知られざる実力のあるアーティストの発掘において、その功績は非常に大きいと云える。また、入手困難な過去の名盤を、可能な限りオリジナルに近い形で復刻するという姿勢も、多くのジャズ・ファンに歓迎された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、サークル・プロダクションにヴァン・バヴェルがトリオ編成で吹き込んだ、彼の初リーダー・アルバム『<em>ジャスト・フォー・ユー</em>』(1988年)は、澤野工房によってリイシューされた。ジャケットにおいても、オリジナル盤のそれに近いアートワークが採用されている。世界ではじめてのCD化となったが、オリジナル盤が発売されてから12年後の2000年のことだった。というかこのアルバム、現在もオリジナルのLPレコードと澤野工房のCD盤しか存在しない。いずれにしても、ヴァン・バヴェルが日本で最初に注目されるキッカケを作ったのは、澤野工房である。思えば当時の澤野工房は、旧ソ連、レニングラード出身のピアニスト、<strong>ウラジミール・シャフラノフ・トリオ</strong>の新作『<em>ムーヴィン・ヴォーヴァ！</em>』(2000年)をリリースしたことで、注目を集めていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなんこともあって、ほとんどの大手CDショップにはすでに澤野工房の特設コーナーが設けられており、ヴァン・バヴェルのアルバムも一緒に陳列されていた。ぼくもそんな状況で『<em>ジャスト・フォー・ユー</em>』を手にしたのだが、一聴で彼の演奏が気に入ってしまった。<strong>ロブ・ヴァン・バヴェル</strong>(p)、<strong>マーク・ヴァン・ローイ</strong>(b)、<strong>ハンス・ヴァン・オーステルハウト</strong>(ds)といったトリオが、このアルバムでプレイするのはヴァン・バヴェルの自作曲が中心。彼のペンによる曲はどれも奇を衒うようなところがなく、まるで有名なジャズ・スタンダーズのように親しみやすい。それでいて、モダン・ジャズには収まり切らないポップなテイストを、そこはかとなく感じさせるようなところがある。前述のようにヴァン・バヴェルは、様々の音楽スタイルを幅広くこなすプレイヤーなのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ヴァン・バヴェルのピアノ演奏といえば、けっこう躍動感に溢れていながら、まったくといっていいほど外連味がない。むしろタッチはいい意味で軽い。しかも随所にほどよいリリシズムの片鱗をうかがわせるような、上品な美しさがある。なんといっても、小難しさのない鷹揚な演奏に好感がもてる。とにかく気軽に楽しめるところが、ぼくは大好きなのだ。ただ『<em>ジャスト・フォー・ユー</em>』を聴いた多くのジャズ・ファンが、その後ヴァン・バヴェルのことを追いかけたのかというと、ちょっと疑わしい。日本の音盤業界にしても、相変わらず彼の音楽に食指を動かされることはなかったようだ。というのも、その後に国内発売されたヴァン・バヴェルのリーダー作というと、『<em>オールモスト・ブルー〜トリビュート・トゥ・チェット・ベイカー</em>』(2005年)まで待たなければならない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムは、オランダのミューニック・レコードによって制作されたものだが、むろん澤野工房の手引きによってヴァン・バヴェルのファンになったぼくが、本作がトランペッターである<strong>チェット・ベイカー</strong>の最後のピアニストという謳い文句とともに国内発売されるまでのおよそ５年間、ただ手をこまねいているはずもない。ジャズを愛好するかたであれば、きっとお解りいただけることと思う。はじめて出会ったミュージシャンのプレイが気に入れば、そのひとの演奏をもっと聴きたくなるのが人情というもの。その期間、わが国のジャズの専門誌においてヴァン・バヴェルについて触れられることは皆無だったけれど、そんな残念な状況を指をくわえて見ているわけにはいかないのである。結局、輸入盤を探さざるを得なかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">インターネットを駆使して探し求めたヴァン・バヴェルのリーダー作</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　とはいってもヴァン・バヴェルのアルバムは、リアル店舗でまったく見かけることがなかった。仕方なくぼくは、インターネットを駆使して彼のアルバムを探し求めた。いささか偏執的な愛情を注いだ甲斐あって、ぼくは何枚かのヴァン・バヴェル作品を入手することができた。比較的簡単に手に入ったのは、オランダのチャレンジ・レコードからリリースされた『<em>ソロ・ピアノ &#8211; ジャズ・アット・ザ・パインヒル</em>』(2000年)というアルバム。これはオランダのピアニストたちがソロ・ピアノをスタジオ・ライヴ形式で披露するシリーズの１枚。吹き込みは1999年５月７日で、肩肘を張らずに聴くことができる楽しい演奏となっている。ここでのヴァン・バヴェルはけっこうダイナミックにピアノを弾いているのだけれど、それがまったく慌ただしさを感じさせない、リラックスした素晴らしいプレイなのだ。個人的には、ますます彼のことが好きになった作品でもある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ヴァン・バヴェルのアルバムでなんといってもお薦めしたいのは、初期のトリオ作品。メインストリームの伝統が継承されたモダン・ジャズが展開されているが、彼の魅力が全開している。結局のところ個人輸入するしか方法はなかったのだが、なんとか入手することができた以下の２枚のアルバムでは、ヴァン・バヴェルを実力派のピアニストと評価するに相応しい、ファンタスティックな演奏を聴くことができる。そのアルバムというのは、ミラサウンド・プロダクションからリリースされたセカンド作『<em>ロブ・ヴァン・バヴェル・トリオ</em>』(1989年)、そして自主制作盤のフォース作『<em>ジ・アザー・サイド</em>』(1991年)である。個人的には、この２枚と『<em>ジャスト・フォー・ユー</em>』とをあわせて、初期のヴァン・バヴェル作品のベスト・スリーとしたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　上記の２枚はともにピアノ・トリオによる吹き込みだが、レコーディング・メンバーは『<em>ジャスト・フォー・ユー</em>』と同様に、<strong>ロブ・ヴァン・バヴェル(</strong>p)、<strong>マーク・ヴァン・ローイ</strong>(b)、<strong>ハンス・ヴァン・オーステルハウト</strong>(ds)の３人。なお前者には<strong>フェルディナンド・ポヴェル</strong>(ts)が、後者には<strong>ベン・ヴァン・デン・ドゥンエン</strong>(ts, ss)と<strong>ピーター・グイディ</strong>(fl)が、それぞれゲスト参加している。個人的な好みになるが『<em>ロブ・ヴァン・バヴェル・トリオ</em>』が、もっともよく聴く１枚となっている。なぜかというと、このアルバムでのヴァン・バヴェルのピアノ・プレイが、その魅力のひとつである小難しさのない鷹揚さがもっとも際立ったものと感じられるから。全編にわたって肩の力を抜いて聴くことができて、とにかくこころが弾む。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9129 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf2.png" alt="オランダの風車と桜色のピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　いずれにしても上記の３枚は、ヴァン・バヴェルの終始優美なピアノのタッチはもちろんのこと、極上の味わいをもつオーソドックスなジャズのスタイルを、気軽に楽しむことができる。もしこれらのアルバムをどこかで見かけたら、ジャズははじめて──というかたも、遠慮しないで手にとっていただきたいものである。あらためて云うけれど、ヴァン・バヴェルのピアノ演奏には、メインストリームの伝統が受け継がれているのが顕著に見てとれる。残念なことに、一部のジャズ・ファンのなかには、そういうオーソドックスな演奏形態には興味や関心が湧かないという向きもある。そういうひとは、驚天動地の斬新な趣向が凝らされたプレイのほうに、視線を向けるのだろう。もちろん、緊張感や高揚感を求める気持ちは理解できるし、そういう演奏もそれはそれで素晴らしい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただぼくの場合、進取の気性に富んだアーティストも大歓迎だけれど、どちらかというと伝統的で穏健な表現方法で極上の演奏を聴かせてくれるプレイヤーのほうに、こころ惹かれる傾向がある。そしてまさにヴァン・バヴェルは、明らかに後者のタイプのピアニストなのである。繰り返しになるけれど、彼のピアニズムに面倒な理屈っぽさはまったくない。ビギナーのかたも、まったく逡巡することはない。ヴァン・バヴェルの音楽は、きわめてわかりやすいのだから。そんな気やすさが、ぼくにはとても魅力的に感じられるのである。しかしながら裏を返せば、そんなヴァン・バヴェルの音楽性こそが、センスとテクニックにおいて申し分のない力量をもつ彼を、長らく知るひとぞ知る存在のままにした、最大の原因と云えるのかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにヴァン・バヴェルの作品には、正統派ジャズ・ファンの心証を害するようなものもあった。正直に云うと、ぼくもこのアルバムには肩透かしを食らわされた。それは、ヴァン・バヴェルの自主制作盤『<em>デイドリームス</em>』(1991年)である。おそらくこのアルバム、河合楽器製作所が開発したデジタル・シンセサイザーのデモンストレーションのために作られたアルバムなのだろう。本作には、ヴァン・バヴェルのトリオの当時のレギュラー・メンバーである<strong>ハンス・ヴァン・オーステルハウト</strong>(ds)も参加しているのだが、どちらかというとKAWAIのシンセサイザーやコンピュータが駆使されたフュージョン作品といった趣がある。確かに彼の作曲や編曲の才能が光るところもあるのだが、どうひいき目に見ても、そのピアニズムにおける本来の能力や特性が引き出されているとは、ぼくには到底思えない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういう意味では、ミューニック・レコードからリリースされた『<em>クァランティーン</em>』(2002年)にもおなじことが云える。このアルバムは、<strong>ザ・ピッチ・パイン・プロジェクト</strong>というグループ名義で吹き込まれた、バリバリのフュージョン作品。メンバーは、<strong>ロブ・ヴァン・バヴェル</strong>(key)、<strong>マルティン・ヴァン・イテルソン</strong>(g)、<strong>ウド・パンネケート</strong>(elb)、<strong>クリス・ストリック</strong>(ds)、<strong>トム・ベーク</strong>(sax, bcl)。ヴァン・バヴェルは、アコースティック・ピアノのほかにフェンダー・ローズやシンセサイザーも弾いている。<strong>ウェザー・リポート</strong>を彷彿させるサウンドはなかなか聴き応えがあるが、やはりヴァン・バヴェルにフュージョンは似合わない。なおこのグループ、チャレンジ・レコードからセカンド作『<em>アンプレセデンティド・クラリティ</em>』(2008年)もリリース。<strong>ランディ・ブレッカー</strong>(tp, flh)が、ゲスト参加している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんななか、やはりミューニック・レコードからリリースされた『<em>ピアノ・グランド・スラム</em>』(2003年)は、ぜひともお薦めしたい１枚である。澤野工房が埋もれていたオランダ屈指の逸材を発掘してからの５年間、その存在が高く評価される機会はほとんどなかったが、このアルバムだけは日本のCDショップをいくぶん賑わせた。本作では、<strong>レニー・トリスターノ</strong>、<strong>ビル・エヴァンス</strong>、<strong>ハービー・ハンコック</strong>、<strong>バド・パウエル</strong>、<strong>マッコイ・タイナー</strong>といった、ヴァン・バヴェルが敬愛するピアノ・レジェンズの楽曲が、彼なりの新しい解釈で演奏されている。不躾ながら、おそらくショップのバイヤーさんも多くのジャズ・ファンのかたも、まずはヴァン・バヴェルの名前よりも、彼が採り上げた５人のビッグネームに視線を向けたのではなかろうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　というのも、思うところがあるからだ。実は『<em>ピアノ・グランド・スラム</em>』は、<strong>ザ・ニュー・ロブ・ヴァン・バヴェル・トリオ</strong>名義でリリースされている。このトリオのサイドメンは、<strong>クレメンス・ヴァン・デル・フィーン</strong>(acb)、<strong>クリス・ストリック</strong>(ds)だが、このトリオをベースとした２作品、華やかなゲスト・プレイヤーで彩られたミューニック盤『<em>ジェネレーションズ</em>』(2006年)、そして2008年にトリオのみで吹き込まれ、５年後にR&amp;M ミュージックからリリースされた『<em>ダッチ・ジャズ</em>』(2013年)などは、一部の熱心な愛好家を除くジャズ・ファンの間では、口の端にも上らなかった。ちなみにR&amp;M ミュージックは、ヴァン・バヴェルと彼の妻である韓国出身のピアニスト、<strong>ミハン・ホン</strong>とが立ち上げたプライヴェート・レーベルである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">チック・コリアの音楽の素晴らしさをフレッシュな感覚で伝える</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ときに『<em>ピアノ・グランド・スラム</em>』では上記のトリオに加え、のちにオランダの有名なプログレッシヴ・ロック・バンド、<strong>フォーカス</strong>のメンバーとなる<strong>ウド・パンネケート</strong>(elb)が、フレットレス・ベース・ギターでコンテンポラリーなプレイを披露。さらに当時11歳のヴァン・バヴェルの息子、<strong>セバスチャン・ヴァン・バヴェル</strong>(p)も１曲だけ参加している。本作はタイトルからもわかるように、クール・ジャズ、ビバップ、モーダル・ジャズなど、モダン・ジャズのスタイルをすべて制覇するというような内容で、ヴァン・バヴェルの飽くなき探求心の結晶とも云うべきアルバム。彼の３曲のオリジナル・ナンバーでも、いつになく叙情的なムード、現代的なハーモニ、シンコペーションを効かせたリズムなどが際立っていて、作曲家としての本領が発揮されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　曲によってはその様式に則って、ボトムがアコースティック・ベースからエレクトリック・ベース・ギターに替わるわけだが、そのことが１枚のアルバム・コンテンツとして、不自然な印象や場違いな感じを与えたりすることはない。まずはその音楽性の幅広さとセンスのよさに、感服させられる。ヴァン・バヴェル自身もアコースティック・ピアノのほかに、フェンダー・ローズ・エレクトリック・ピアノも弾いている。楽曲のアレンジもトリオの演奏も素晴らしいし、彼の高度なピアノ・テクニックも冴えわたっている。ただこのアルバムは、楽曲の扱いかたが巧妙であるという点から、全体的には実験作の印象が強い。そのぶん、前述したような本来ヴァン・バヴェルがもつ大らかな魅力は、いささか薄まっていると云えるかもしれない。ぼくは、好きだけれど──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いずれにしても、この輸入盤『<em>ピアノ・グランド・スラム</em>』や、前述の国内盤『<em>オールモスト・ブルー〜トリビュート・トゥ・チェット・ベイカー</em>』あたりから徐々にではあるが、ヴァン・バヴェルの人気もようやく日本のジャズ・ファンの間に浸透しはじめた。ただ彼が澤野工房によってはじめて国内で紹介されて以来、多くのジャズの愛好家から高い関心や評価を得るのは、2020年代に入ってからのこと。特に『<em>タイム・フォー・バラッズ〜ザ・マーネ・セッションズ</em>』(2021年)『<em>タイム・フォー・バラッズ〜ザ・スタジオ・セッションズ</em>』(2022年)といった、２枚のトリオ編成による極上のバラード集は、多くのリスナーのハートを鷲づかみにした。なおこのときのサイドメンは、<strong>フランス・ヴァン・ヘースト</strong>(b)、<strong>マーセル・セリールセ</strong>(ds)が務めた。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9130 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf3.png" alt="オランダの風車と青色のピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/05/robpf3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　このふたりは、オランダが誇るビッグ・バンド、<strong>ジャズ・オーケストラ・オブ・ザ・コンセルトヘボウ</strong>のメンバーとして、２度ほど来日したこともある。2008年の公演では<strong>ジェシ・ヴァン・ルーラー</strong>、2012年の公演では<strong>リー・リトナー</strong>といった大物ギタリストがゲスト参加したこともあり、このバンドのことを記憶に留めているかたは存外多いのではなかろうか。それはともかくヴァン・バヴェルは、上記の２枚のバラード集と同時期に吹き込んだ、2021年に急逝した<strong>チック・コリア</strong>のトリビュート・アルバム『<em>500マイルズ・ハイ〜チック・コリアに捧ぐ</em>』(2022年)と、ファンキーかつソウルフルなピアニスト、<strong>ホレス・シルヴァー</strong>のソング・ブック『<em>ホレス・シルヴァーに捧ぐ</em>』(2022年)を、立てつづけにリリースして大きな話題になった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まあジャズ・ピアニストなら多かれ少なかれ、コリアやシルヴァーから影響を受けるのだろうが、ヴァン・バヴェルの場合、これまで作品を通じてそれを明らかにしたことはなかった。このタイムレス・レコードからリリースされた２枚のアルバムが素晴らしいのは、リスペクトの対象がしっかりイメージされながら、同時にヴァン・バヴェルの解釈に独自性が認められること。特にコリアのトリビュート作は、欧米のピアニストのなかではもっとも早い発表となったが、ヴァン・バヴェルの姿勢に最大限の敬意が感じられる。コリアのファンのかたはもちろんのこと、そうでないかたもコリアの偉大さ、ヴァン・バヴェルのきわめて高い表現力をあらためて確認できる名盤なので、最後に要点だけ記して本作をぼくのイチオシとさせていただく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　レコーディングは2021年10月18日、オランダのザイスト市にあるスタジオ・スメデレイで行われた。メンバーは<strong>ロブ・ヴァン・バヴェル</strong>(p)、<strong>マリウス・ビーツ</strong>(b)、<strong>エリック・イケネ</strong>(ds)。ビーツとイケネとはともに、オランダを代表するモダン・ジャズ・ピアニスト、<strong>レイン・デ・グラーフ</strong>のグループで活躍したことで知られる。最初の２曲「ライザ」と「トーンズ・フォー・ジョーンズ・ボーンズ」は、コリアの初リーダー作『<em>トーンズ・フォー・ジョーンズ・ボーンズ</em>』(1968年)からの選曲。ヴァン・バヴェルのリズミカルかつスピーディなフレージングがコリアのそれを彷彿させる。トリオ全員がフィーチュアされるが、その一体感が見事。<strong>スタン・ゲッツ</strong>の『<em>スウィート・レイン</em>』(1967年)のためにコリアが書いた「ウィンドウズ」では、ビーツのベース・ソロが随一。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>リターン・トゥ・フォーエヴァー</strong>の『<em>ライト・アズ・ア・フェザー</em>』(1973年)からの「500マイルズ・ハイ」では、ややテンポが落とされより上品で感傷的な印象を与える。ライヴ盤『<em>チック・コリア&amp;ゲイリー・バートン・イン・コンサート</em>』(1980年)に収録されていた「バド・パウエル」では、ヴァン・バヴェルのビバップ・プレイを堪能するのみ。最高だ！もっとも新しい解釈で演奏されたのは『<em>ザ・チック・コリア・エレクトリック・バンド</em>』(1986年)からの「ゴット・ア・マッチ」で、高速で駆け抜けるブルージーでモーダルなピアノのアドリブは、ヴァン・バヴェル入魂のプレイと云える。<strong>ディジー・ガレスピー</strong>の「コン・アルマ」は、前述の『<em>スウィート・レイン</em>』の収録曲。本来のヴァン・バヴェルらしい、オーソドックスなスタイルでの演奏となっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　コリアが<strong>デイヴ・ブルーベック</strong>に捧げた「ワルツ・フォー・デイヴ」は『<em>フレンズ</em>』(1978年)からの選曲。ベースのソロも含めて叙情的な音世界が展開される。コリアが<strong>ブルー・ミッチェル</strong>の『<em>ザ・シング・トゥ・ドゥ</em>』(1964年) に提供した「チックス・チューン」では、その魅力といえばビーツによるエレクトリック・ベースの独擅場となっている。とにかく心地いい。<strong>セロニアス・モンク</strong>の「パノニカ」は、名作『<em>ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス</em>』(1968年)のアルバム未収録曲(CDボーナス・トラック)。リラクゼーション溢れる、美しいバラード演奏となっている。<strong>アーヴィング・バーリン</strong>の「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」は、<strong>チック・コリア・アコースティック・バンド</strong>の『<em>ラウンド・ミッドナイト</em>』(1991年)に収録されていた。ヴァン・バヴェルは、コリアとは異なる解釈で、王道を行く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムのラストを飾る「ブルース・フォー・アルマンド」は、ヴァン・バヴェル、ビーツ、イケネの共作。というか、コリアと<strong>スタンリー・クラーク</strong>とが演奏したベースラインをもとにした即興演奏である。こういうファンク・グルーヴは、ヴァン・バヴェルのアルバムではあまりお目にかからない。ただ本作では、彼の終始優美なピアノのタッチを確認することができるし、一部ではあるが極上の味わいをもつオーソドックスなジャズのスタイルも窺い知ることができる。ヴァン・バヴェルがコリアからどれほどの影響を受けたのかは定かでないが、少なくとも彼は<strong>チック・コリア</strong>の音楽の素晴らしさをフレッシュな感覚で伝えることに成功している。その点からも、ヴァン・バヴェルが懐の深い音楽家であると、ぼくはあらためて感じた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"500マイルス・ハイ~チック・コリアに捧ぐ","b":"SOLID\/TIMELESS","t":"Rob Van Bavel","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/51Xq5ut1XwL._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B09LGSH5BP","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B09LGSH5BP","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/500%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4~%E3%83%81%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AB%E6%8D%A7%E3%81%90\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=500%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4~%E3%83%81%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AB%E6%8D%A7%E3%81%90","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"d34Y6","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-d34Y6">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/rob-van-bavel-rob-van-bavel-plays-chick-corea/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>岩代太郎 / アナザヘヴン コンプレックス &#8211; SCORE (2000年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/taro-iwashiro-another-heaven-complex-score/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=taro-iwashiro-another-heaven-complex-score</link>
					<comments>https://kimama-music.com/taro-iwashiro-another-heaven-complex-score/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 03 May 2026 07:28:46 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Soundtrack]]></category>
		<category><![CDATA[Taro Iwashiro (岩代太郎)]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9081</guid>

					<description><![CDATA[岩代太郎が手がけた映画＆テレビドラマの劇中音楽がノンストップMIXで収録されたオリジナル・サウンドトラック・アルバム『アナザヘヴン コンプレックス &#8211; SCORE 』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">岩代太郎が手がけた映画＆テレビドラマの劇中音楽がノンストップMIXで収録されたオリジナル・サウンドトラック・アルバム『アナザヘヴン コンプレックス &#8211; SCORE 』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : 岩代太郎 / アナザヘヴン コンプレックス &#8211; SCORE (2000)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : #7 Welcome To Another Heaven (For TV)</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">オカルト、サブカルチャー的な終末感のブームが意識されて制作された作品</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちょっとまえのことになるが、Amazonプライム・ビデオのコンテンツのなかに、おすすめ映画として『アナザヘヴン』(2000年)が表示されているのに気がついた。とても懐かしく思うと同時に、たいへん失礼な云いかたになるが、いまさらこの映画を観たいと思うひとがどれだけいるのだろうと疑問に感じてしまった。この映画、<strong>飯田譲治</strong>と<strong>梓河人</strong>との共著であるホラー小説『アナザヘヴン』を映像化したもの。小説は1995年から角川書店(現KADOKAWA)が刊行していた『小説ASUKA』において連載され、1999年に文庫化(上下巻)された。ふたりの刑事が正体不明の犯人を追うという内容だが、刑事ドラマという手垢のついたジャンルに、SFホラーの要素が加えられたことから、当時はなかなかの人気を博したと記憶する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ときに新たなミレニアムを目前に控え、世のなかには1999年のノストラダムスの大予言に代表される世紀末ブームみたいなものがあった。当時、あの大ヒットしたテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年 &#8211; 1996年)をはじめ、映像作品にも1990年代のおわりに対する終末感や不安感、そして2000年への高揚感を煽るようなものが散見された。正直云って、当時のぼくにはそういう時代の趨勢に辟易するところもあったのだが、単純に面白いと思われる作品もあった。たとえば、これまた大ヒットしたアメリカのテレビシリーズ『Xファイル』(1993年 &#8211; 2018年)の製作総指揮で知られる、<strong>クリス・カーター</strong>が脚本と演出を手がけた『ミレニアム』(1996年 &#8211; 1999年)というサイコ・サスペンス・テレビドラマは、大好きで観ていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで『アナザヘヴン』もまた世紀末の香りが漂う作品だが、原作者のひとりで映画版のシナリオライターと監督を務めた<strong>飯田譲治</strong>といえば、カルト的な人気を博したSFテレビドラマ『NIGHT HEAD』(1992年 &#8211; 1993年)の原作、脚本、演出を手がけたひと。当初はサイコキネシスやリーディングといった超能力を扱った、サスペンス・タッチのSFドラマという印象を与えたが、物語の後半では、前半から仕込まれていた超古代文明や精神世界などの要素が前面に押し出されていき、ストーリーラインはついに人類が築いた物質文明と精神文明における変革という壮大なテーマにまで及ぶ。そういう意味ではこの『NIGHT HEAD』もまた、オカルト、サブカルチャー的な終末感のブームが意識されて制作された作品のように思われる。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9100 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/endothcentury1.png" alt="世紀末の風景(爆発)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/endothcentury1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/endothcentury1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　いささかわき道に逸れるが、この『NIGHT HEAD』は個人的に思い出深いテレビ番組でもあるので、少し作品について言及させていただく。当時まだ20代だったぼくは、心身ともにそれなりに充実していて、もっともバリバリ仕事をこなしていた時期にあたる。毎日のように残業していたぼくの帰宅時間といえば、いつも日付が変わる直前だった。そして仕事の疲れを癒やすために一献傾け、どちらかというと夜食というべき夕餉を楽しみながら、なんとはなしに観ていたのがこのテレビドラマだったのである。毎週木曜日の深夜、具体的には金曜日の０時40分から１時10分までの30分間だが、あのころのぼくといえばいつの間にか、この番組をチェックするのがお決まりになっていた。当初は、まさかのちに映画化までされるとは、思いもよらなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　あらかじめ云っておくと、ぼくは1970年代のオカルトブームを、少年時代に体験した世代である。<strong>五島勉</strong>の著書『ノストラダムスの大予言』(1973年)も手にとったし、日本テレビ系列局のバラエティ番組『木曜スペシャル』(1973年 &#8211; 1994年)における、<strong>ユリ・ゲラー</strong>のスプーン曲げ、<strong>矢追純一</strong>のUFO追跡、謎の動物オリバー君の正体解明といった特集をリアルタイムで観たし、なかでも初代<strong>引田天功</strong>の大脱出シリーズは欠かさずチェックしていた。いっぽうテレビ朝日系列局で放送されていた『水曜スペシャル』(1976年 &#8211; 1986年)における、<strong>川口浩</strong>の探検隊シリーズは毎回放送をこころ待ちにするほど、大好きな番組だった。ずっとあとのことになるが、このシリーズのDVDをまとめてレンタルしてきて、ひとりで晩ごはんを食べながら鑑賞していたら、妻に大笑いされた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まあ、個人的には霊能力や超能力、あるいは幽霊などの現象を科学的証拠に基づいて否定するようなつもりはないのだけれど、そうかといって論理的な説明がなされないハナシを鵜呑みにすることもない。それでもぼくがそういった類のテレビ番組を観ていたのは、単純に面白いと感じたからだろうし、同時に飽くまでバラエティ番組として、本気ではなくからかい半分、遊び感覚で楽しんでいたからだろう。ファンのかたからはひんしゅくを買うかもしれないが、正直に告白すると実は『NIGHT HEAD』についても、ぼくは当初そんな受けとめかたで観ていた。つまりぼくは『NIGHT HEAD』を、本来SFテレビドラマとして制作された作品と認識しながらも、突っ込みどころ満載のストーリーラインを面白がって鑑賞していたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『NIGHT HEAD』の主人公は、サイコキネシスを使う青年、霧原直人と、その弟でリーディングやプレコグニションの能力をもつ霧原直也のふたり。超能力者であるが故、15年まえの幼いころから両親と離れ、人里離れた山中にある研究所に隔離されていた。研究所には絶大な超能力をもつ岬老人によって結界が張られていたが、老人の死によって結界が解かれ、霧原兄弟は研究所を脱走することに成功する。物語はそういった過去には触れられず、いきなり逃亡中の兄弟が車で移動しているところからはじまる。そういう細かい説明をあとまわしにした演出が、却って視聴者の興味をそそるわけだ。ただあとになって、ドライヴァーの直人はいつどこで運転免許を取得したのか、それとも無免許のままサイコキネシスで車を動かしているのか──そんなバカな疑問を、ぼくはもってしまった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この霧原兄弟は毎回さまざまな場所に赴き、さまざまな人物と出会う。そういう点でこのドラマは、ふたりの異能者をメインキャラクターとしたバディ・ロードムービーと捉えることもできる。しかもその全21話は、概ね１話完結のストーリー展開を見せるのだが、演出家が度々入れ替わることもあり、基本的にはサイキック・サスペンスでありながら、ディストピアもの、ホラー、刑事もの、恋愛ドラマ、ヒューマンドラマというように、その都度テイストを変える。そういう多様性がこのテレビドラマを、飽きずに楽しむことができるものにしている。演出を手がけているのは、原作者の<strong>飯田譲治</strong>をはじめ、<strong>落合正幸</strong>、<strong>土坂浩輝</strong>、<strong>土方政人</strong>、<strong>本広克行</strong>と、当時は無名だったがのちに世間から非常に注目されるようになる、錚々たる顔ぶれである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">オカルトやホラーといったジャンルを究めつづけるブレないスタンス</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで、主人公である霧原兄弟はようやく束縛のない外の世界に出てきたのにもかかわらず、毎度のごとくトラブルに巻き込まれてしまう。なぜかふたりは、厄介なひとと関わってしまうのだ。むろん超能力者同士の戦いもあるのだが、悪意をもった一般人との諍いも目立った。たとえば他人の利益や公の場での責任を無視して、自分の利益や欲望だけを追求する人間、あるいは自己中心的で感情的、あるいは無意識に他人を傷つける言動をとるひとなどが大勢登場する。そんななか、霧原兄弟に次々と襲いかかる過酷な運命は、あたかもふたりが自由な一般社会に出てきたことがキッカケで生み出されているように見えてくる。軽率にもぼくは当初、それがなんとも滑稽に思われて、この兄弟を笑いの対象にしてしまっていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなぼくも、ドラマを最後まで鑑賞して偏った見かたを改めさせられた。というのも実は霧原兄弟がもつ超能力こそが、外の世界に溢れているマイナスのエネルギーを引き寄せている──ということが、次第に明らかにされていくからだ。おそらく原作者の飯田さんは、超能力をもつことで苦しみ、悲しみ、不幸になっていくような、ペシミスティックなヒーローを創造しようとしたのだろう。超能力をもつことがネガティヴに描かれるような作品はそれまでなかったように思われるが、その逆説的なリアリティのなかに精神世界の未来が構想されているところが、当時は斬新に感じられた。とはいっても、いまもぼくは『NIGHT HEAD』が突っ込みどころ満載の作品であると信じている。その点で個人的に、大ヒットとは関係なく、好きなテレビドラマとなっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　一般的に『NIGHT HEAD』は、ワンシーズン終了後、放送が深夜の時間帯だったのにもかかわらず、女性層を中心に圧倒的な人気を得た。ドラマの主演において、霧原直人に<strong>豊川悦司</strong>、霧原直也に<strong>武田真治</strong>という、ちょっとミステリアスな美形俳優が起用され、終始シリアスでトラジックな演技が披露されたことが、女性層を中心とした多くのファンのこころをつかんだのだろう。思えば主演俳優のふたりはまだ無名に近かったが、それが却ってフレッシュな魅力を放っていたように思われる。いずれにしても『NIGHT HEAD』は、再放送の視聴率もよく、その後『NIGHT HEAD 劇場版』(1994年)として映画化もされ、さらには小説、コミック、写真集、ゲーム、アニメなど、メディアミックス展開されるという社会現象を巻き起こした。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9101 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/endothcentury2.png" alt="世紀末の風景(電磁波)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/endothcentury2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/endothcentury2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　これを機に<strong>飯田譲治</strong>の名前は一躍世に知れ渡ったのだが、近年あまりその名前を聞かないなと思っていたら、<strong>和田雅成</strong>主演のサヴァイヴァル・マーダー・ミステリー『神様のサイコロ』(2024年)というテレビドラマをこっそり制作していた。BS日テレで放送された全８話のテレビドラマは、やはり飯田さんが原作、脚本、演出を手がけている。それはともかくこの作品、相変わらず劇中で超常現象が頻繁に起こる、オカルト的な要素の強いドラマだ。やはり飯田さんはそちらのかたなのかと、ぼくは大いに腑に落ちてしまった。ただ新感覚のマーダー・ミステリーという触れ込みだった『神様のサイコロ』は、大ヒットした『NIGHT HEAD』と比較すると、かなりスケールが小さく、ストーリーラインにしても演出にしてもハッキリ云って精彩を欠いていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これは個人的な感想だけれど、近年オカルトやホラーといったジャンルにおいて、申し分のない仕上がりの映像作品といえば皆無のように思われる。そもそも、前述のようにオカルトブームを少年時代に体験した世代であるぼくは、現代において超常現象という題材自体が、はなはだアナクロニズム的なものと感じているのだ。それでも時代錯誤やときの逆転を問題視せず(少しは意識しているのかな？)、このジャンルを究めつづける飯田さんのブレないスタンスには敬服させられる。こういうタイプの映像作家は、日本のメディア制作業界にはなかなかいないかもしれない。長野県諏訪市出身の飯田さんは、明治大学在学中に自主制作した８ミリ映画『休憩』(1981年)で、ぴあフィルムフェスティバルに入選して以来、映像の道を邁進してきた。現在67歳である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　飯田さんの監督デビュー作は『キクロプス』(1987年)というSFホラー映画だが、ぼくが最初に触れた飯田作品といえば、フジテレビ系列で1990年から現在まで断続的に放送されているオムニバス・テレビドラマ『世にも奇妙な物語』のなかの何本か。特に脚本と演出を手がけた「常識酒場」(1992年) と「トラブルカフェ」(1992年)は有名なタイトルだが、実際ぼくにとっても強く印象に残った２本である。このふたつの作品が『NIGHT HEAD』の原点であることは、広く知られている。なおこの２作では、霧原直人を<strong>今井雅之</strong>が、霧原直也を<strong>東根作寿英</strong>がそれぞれ演じている。また『世にも奇妙な物語』の長い歴史のなかでも、続編が制作されるケースはごく稀。むろん評判がよかったからだろうが、確かに当時の映像作品としては、ちょっと先進的に感じられたものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ついでに云っておくと、この『世にも奇妙な物語』の２本の放送から『NIGHT HEAD』の制作に至るまでのスパンが、きわめて短いことに驚かされる。まず「常識酒場」が1992年４月30日に放送され、好評につきときを移さず続編の「トラブル・カフェ」が制作され、同年９月３日に放送された。さらにそのほぼ１か月あとの10月８日には『NIGHT HEAD』の第１話「REAL PSI -念力-」が放送されているのである。しかもこの短期間のうちに、オトナの複雑な事情もあるのだろうが、配役が一新されている。そして、オリジナルの映像コンテンツがリノヴェーションされるなかで、このキャスティングの変更こそがもっとも作品に新しい風を吹き込んでいるし、のちの爆発的ヒットに直結したと云っても過言ではないだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ことに主人公の霧原兄弟に関しては、まことに失礼ながら率直に云わせてもらうと、<strong>今井雅之</strong>と<strong>東根作寿英</strong>よりも<strong>豊川悦司</strong>と<strong>武田真治</strong>のほうが、どう見ても容姿端麗である。テレビドラマにしても映画にしても『NIGHT HEAD』が女性層を中心に圧倒的な人気を得るに至った大きな要因は、この新たなキャスティングであることは明らかだ。かつてマガジン・マガジンから発行されていた耽美系の小説、漫画雑誌『JUNE』(1995年に休刊)の1993年５月号において、豊川さんと武田さんのインタビューやグラビアの掲載を含む『NIGHT HEAD』の特集が組まれたことも、そのことを裏づけている。この雑誌はいわゆるBL(ボーイズラブ)文化の萌芽期において独特の存在感を示していたが、霧原兄弟の関係性(美しい男性同士の関係)が当時の読者に激しく響いたのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">オーケストラルなスコアとポップなトラックとが融合した上質の観賞用音楽</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　むろん飯田さんにとって、豊川さんと武田さんがそういうスポットライトの浴びかたをしたのは、想定外のことだったのだろう。特に豊川さんがのちにTBS系「金曜ドラマ」枠で放送されたテレビドラマ『愛していると言ってくれ』(1995年)において耳の不自由な青年画家を演じ、そのミステリアスでトランスペアレントな存在感から人気を不動のものにし、いわゆるトヨエツ・ブームを巻き起こすほど爆発的ブレイクを果たすとは、氏も想像だにしなかっただろう。なにせ『NIGHT HEAD』の直前に制作された、<strong>実相寺昭雄</strong>監督によるオリジナル・ビデオ作品『堕落 ディアローグ「對話」より ある人妻の追跡調査』(1992年)のなかの豊川さんといえば、コトバを選ばずに云うと、女性が生理的に受けつけないような印象を湛えていたのだから。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　豊川さんが女性層から注目を浴びるようになったのは、やはり『NIGHT HEAD』から。とはいってもドラマがスタートしたころの豊川さんは、いささか野暮ったく映る。おそらく飯田さんも、霧原直人を精神的な弱さや孤独を抱えた、どちらかというとダークなキャラクターとして設定するばかりで、端から特別にスタイリッシュな風貌の人物として描くつもりはなかったのだろう。実際全話をとおして観ると、回を重ねるごとに霧原直人が徐々に垢抜けていくのがわかる。不思議なことに豊川さん自身も、どんどん男まえになっていくように見えるのだ。はじめて登場したときの直人は髪にパーマをかけていて、あの時代にしても野暮ったく見えた。ぼくなどは、おいおい結界のなかにもヘアサロンがあるのかと、思わず突っ込みを入れたくなったほどだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　長々と語ってしまったが、そういう懸念材料も多々ある『NIGHT HEAD』は、同時に多彩な要素が詰まった作品でもある。つまり、多種多様な魅力が混在しているからこそ、最初から最後まで視聴者を惹きつけつづけるのだろう。単刀直入に云うと『NIGHT HEAD』は目下のところ、映像作家、<strong>飯田譲治</strong>の最高傑作となっている。その後、飯田さんが脚本と演出を手がけた作品というと、オリジナル・ビデオ『東京BABYLON 1999』(1993年)、テレビドラマ・シリーズ『飯田譲治Presents 幻想ミッドナイト』のなかの１本「夢の島クルーズ」(1997年)、映画『らせん』(1998年)などがあるが、どれもブレない軸をもってはいるものの、上質のコンテンツとは云い難い。そういうわけで、飯田さんが中心となってメディアミックスの手法で展開された『アナザヘヴン』に当初期待したのは、ぼくだけではあるまい。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9102 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/endothcentury3.png" alt="世紀末の風景(少女)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/endothcentury3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/endothcentury3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　映像作品としては、まず<strong>大沢たかお</strong>主演のテレビドラマ『アナザヘヴン〜eclipse〜』が2000年４月20日に、テレビ朝日系列の「木曜ドラマ」枠で放送が開始された(同年６月29日まで全11回が放送された)。その後、<strong>江口洋介</strong>と<strong>原田芳雄</strong>とがバディを組んだ映画『アナザヘヴン』が2000年４月29日に公開された。テレビドラマと映画とは連動する形で展開されているのだが、各々では前後する形で起こる別の事件が扱われている。原作小説に沿って脳味噌料理にはじまる猟奇殺人が主題とされた映画版に対し、テレビ版のほうはオリジナルのストーリーラインとなっており、女性の連続失踪事件がテーマとなっている。ただ映画版のキャラクター、江口さん演じる早瀬マナブ、原田さん演じる飛鷹健一郎といったふたりの刑事、<strong>岡元夕紀子</strong>演じる事件のカギを握る女子大生、柏木千鶴などは、テレビ版にも登場する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この小説、テレビドラマ、映画、そのサウンドトラック・アルバム、さらにゲームソフトも含めた作品群は、“アナザヘヴン・コンプレックス”と称され、複数のメディアを複合的に楽しむという仕掛けが施された意欲的な試みとして注目されたが、そのコンテンツはハッキリ云って斬新さに欠けるものだった。テレビドラマと劇場映画が同時に相互連動するという企画は画期的だったが、ホラー、サイコ・スリラー、そしてSF要素が混ざったその作品世界からは、たとえば『羊たちの沈黙』(1991年)『ボディ・スナッチャーズ』(1993年)『セブン』(1995年)『スピーシーズ 種の起源』(1995年)といった、1990年代の既存の映画作品を連想せざるを得なかった。ひとの意識や身体がなにかに乗っ取られるというテーマには、個人的にもいささか食傷気味だった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただ、“アナザヘヴン・コンプレックス”のプロジェクトにおいて、唯一サウンドトラック・アルバムはクオリティが高かった。まず、テレビ版と映画版共通の主題歌として、人気ロック・バンド、<strong>LUNA SEA</strong>の12枚目のシングル「gravity」が採用されたことが、大きな話題となった。いっぽうサウンドトラック・アルバムは『<em>アナザヘヴン・コンプレックス &#8211; VARIOUS</em>』(2000年)と『<em>アナザヘヴン・コンプレックス &#8211; SCORE</em>』(2000年) との２枚が同時発売された。前者は<strong>BUGY CRAXONE</strong>、<strong>LUNA SEA</strong>、<strong>MIO</strong>、<strong>SAKURA</strong>、<strong>UNITED JAZZY</strong>、<strong>wyolica</strong>、<strong>吉田美奈子</strong>といった７人のアーティストによる劇中曲に、<strong>岩代太郎</strong>による５曲のアンダースコアが加えられた、オシャレなコンピレーション・アルバム。むろん主題歌の「gravity」も、収録されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　後者は<strong>岩代太郎</strong>によるスコアがまとめられた、正真正銘のオリジナル・サウンドトラック・アルバム。このCDでは映画版とテレビ版両方のトラックがミックスされ、19曲が途切れることなくプレイされる。なおアルバムのラストには「gravity」のオーケストレイテッド・ヴァージョンが収録されており、<strong>LUNA SEA</strong>の<strong>RYUICHI</strong>こと<strong>河村隆一</strong>(vo)と<strong>SUGIZO</strong>(g)が参加している。劇伴を担当した岩代さんは、もともと東京藝術大学音楽学部作曲科を首席で卒業したクラシック畑の作曲家だが、それに留まらない幅広い音楽性を身につけた音楽家で、純音楽をはじめとするオリジナル作品以外にも、多くの映像作品の音楽を手掛けている。このサウンドトラックでは岩代さんの壮大なオーケストレーションに加え、やはり作編曲家の<strong>深澤秀行</strong>によるシンセサイザーが駆使されたポップでリズミカルなアレンジが、スコアに彩りを添えている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　レコーディング・メンバーはすこぶる豪華で、<strong>岩代太郎</strong>(key, vib)、<strong>千代正行</strong>(acg)、<strong>松下誠</strong>(elg)、<strong>高水健司</strong>(b)、<strong>ペッカー</strong>(perc)、<strong>小池修</strong>(as)、<strong>中西俊博</strong>(vln)、<strong>河井英里</strong>(vo)、<strong>深澤秀行</strong>(synth prog)といったリズム・セクションに、<strong>相馬充</strong>(fl)、<strong>西沢幸彦</strong>(fl)、<strong>山根公男</strong>(cl)、<strong>石橋雅一</strong>(ob)、<strong>藤田乙比古</strong>(hr)、<strong>小林祐治</strong>(hr)、<strong>大石真理恵</strong>(perc)、<strong>山城純子</strong>(tb)、<strong>中川英二郎</strong>(tb)、<strong>清岡太郎</strong>(tb)、<strong>杉山康人</strong>(tub)、<strong>朝川朋之</strong>(hp)、<strong>加藤高志</strong>(vln)率いる<strong>JOEストリングス</strong>、<strong>篠崎正嗣ストリングス</strong>といったオーケストラが加わる。前述のヴォーカルもののコンピレーションもスタイリッシュだけれど、個人的にはこのスコア盤のほうが好きだ。映画版のオーケストラルなスコアと、テレビ版のポップなトラックとが見事に融合。アルバムは、上質の観賞用音楽作品に仕上がっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　重厚なオーケストラによるミステリオーソなサウンド、ダーク・アンビエントな世界も然ることながら、リズム・セクションを主体としたキャッチーな楽曲が耳につく。時代の趨勢ということもあるのだろうが、ヒップホップやスムース・ジャズのエッセンスが散見される。岩代さんのピアノ、高水さんのフレットレス・ベース、中西さんのヴァイオリン、小池さんのアルトなどのソロ演奏も際立っている。ドラマーは不在でビートを刻んでいるのはコンピュータだが、却ってブレイクビーツをベースにしたグルーヴがカジュアルな空気を生み出している。なかでも中西さんのソロがフィーチュアされた「#7 Welcome To Another Heaven (For TV)」での、クラブ・ミュージックとニューエイジ・ミュージックとの出会いが爽やか。ほかにも軽やかでリラックスしたトラックが満載の本作を、不満が残る映像作品のサントラ盤として封印するのは、あまりにももったいない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"アナザヘヴン コンプレックス- SCORE","b":"Universal","t":"岩代太郎","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/318VPC5N4PL._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B00005GS2S","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B00005GS2S","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%B6%E3%83%98%E3%83%B4%E3%83%B3%20%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%20SCORE\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%B6%E3%83%98%E3%83%B4%E3%83%B3%20%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%20SCORE","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"nfJKw","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-nfJKw">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/taro-iwashiro-another-heaven-complex-score/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Bob James / Joy Ride (1999年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/bob-james-joy-ride/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=bob-james-joy-ride</link>
					<comments>https://kimama-music.com/bob-james-joy-ride/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 26 Apr 2026 06:40:09 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[Bob James]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9054</guid>

					<description><![CDATA[クリエイティヴかつアートオリエンテッドなサウンドを志向するボブ・ジェームスだからこそものすることができた、上質のスムース・ジャズ作品『ジョイ・ライド』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">クリエイティヴかつアートオリエンテッドなサウンドを志向するボブ・ジェームスだからこそものすることができた、上質のスムース・ジャズ作品『ジョイ・ライド』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : Bob James / Joy Ride (1999)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Trade Winds</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">アヴァンギャルドでエッジの効いたプレイを披露していた時代</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ボブ・ジェームス</strong>は<strong>デイヴ・グルーシン</strong>とともに、ぼくのもっとも敬愛する音楽家である。一般的にもコンテンポラリー・ジャズの大御所という意味合いで、ふたりはよく比較される。1970年代後半から1980年代にかけてのフュージョン全盛期には、よく東のジェームス、西のグルーシンという云われたかたをしたもの。確かにこのふたりには、そのキャリアにおいて共通する点がたくさんあるのだけれど、各々の音楽性には微妙な違いがあるように、ぼくには感じられる。グルーシンはどちらかというと、音楽ツールの進化と多様化の影響を受けながらも、いつの時代も自身のスタイルを貫いていたように思う。ところがジェームスのほうは、テクノロジーの進歩、社会情勢、聴取環境の変化にともない、積極的にサウンドの装いを変えてきた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジェームスはグルーシンと同様に、もともとはジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせたアーティストだ。ただグルーシンがモダン・ジャズの王道を行くようなピアニストだったのに対して、ジェームスはデビュー当時からアヴァンギャルドでエッジの効いたプレイを披露していた。むろんグルーシンもクリエイティヴィティを優先する音楽家だけれど、飽くまでナチュラルなサウンドを創出する。ソフィスティケーテッドな響きのなかにも、ある種ハリウッドの伝統を汲んだ音遣いが散見されるのだ。それに対してジェームスは、クリエイティヴであると同時に、常にアートオリエンテッドなサウンドを追求するひとという印象を与える。チャレンジ精神が旺盛というか、決してひとところに留まらず常に前進しつづけるミュージシャンだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　1962年、まだ大学生だったジェームスは自己のピアノ・トリオで、ノートルダム・ジャズ・フェスティヴァルに出演し優勝を果たす。そのことが、あの<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>の目にとまり、マーキュリー・レコードにおいて、<strong>ロン・ブルックス</strong>(b)、<strong>ボブ・ポーザー</strong>(ds)とともにレコーディングを行うことになった。その音源をまとめたものが、ジェームスの記念すべき初リーダー作『<em>ボールド・コンセプションズ</em>』(1963年)である。そのタッチは<strong>レニー・トリスターノ</strong>や<strong>デニー・ザイトリン</strong>を彷彿させる力強く硬質なもので、そのスタイルはプログレッシヴなイメージを与える。しかもこのアルバム、タイトルどおり大胆な着想が斬新な音世界として具現化されているのだ。それはひとことで云うと、現代音楽のエッセンスが導入されたジャズということになる。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9069 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano1.png" alt="おもちゃのグランドピアノ(緑色)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　どういうことかというと、たとえばジェームスはこのアルバムで通常のアコースティック・ピアノも弾いているのだけれど、ときとしてプリペアード・ピアノの手法を即興演奏に採り入れている。むろん、それだけではない。自身のオリジナル曲ではメンバーが三位一体となって、いわばライヴ・コンクレートのようなパフォーマンスを繰り広げている。特に使用されているパーカッション類が、実にユニーク。たとえば、テンプルブロック、ヒョウタン、ガラスや竹で出来たウィンドチャイム、さらに磁気テープまでもち込んでいる。ドラマーのポーザーに至っては、ドラム缶をマレット、ワイヤー・ブラシ、おはじき、ゴルフボールなどで叩いたり、鉄パイプをハンマーで打ったりしている。さらに彼は、スライドホイッスルやトーネットも吹いていたりするのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　具体的には「トリロジー」と「クエスト」という曲なのだが、アルバム中もっとも独創的な実験的技法が全面に出された楽曲となっている。どちらもシンプルなテーマが演奏されたあと、フリー・フォームの即興演奏が大胆に展開されて、ふたたびテーマに戻るという構成が組まれている。興味深いのは、この２曲のテーマのメロディック・ラインが、いかにも<strong>ボブ・ジェームス</strong>らしいということ。そのパートだけをピックアップすると、それがのちのコンテンポラリー・ジャズ作品の楽曲を彷彿させることに、容易に気がつくのである。このことからも、時代によってスタイルこそ違えども、ジェームスのクリエイティヴィティとパーソナリティは一貫していることがわかる。彼はしっかり時流をつかんでいながらも、その音楽性において決して宗旨替えをするようなことはないのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジェームスの音楽活動は60余年にわたるわけだが、彼の音楽性を語るときこの時代の作品を決して見過ごしてはいけないと、ぼくは思う。彼は『<em>ボールド・コンセプションズ</em>』で実演した斬新で個性的なサウンドを、逡巡することなくさらに進化させる。ジェームスは驚くなかれ、<strong>オーネット・コールマン</strong>、<strong>ファラオ・サンダース</strong>、<strong>サン・ラ</strong>らのアルバムで知られる、フリー・ジャズ、アンダーグラウンド・ロックの専門レーベル、ESPディスク・レコードからリーダー作をリリースしている。彼にとってセカンド・アルバムに当たる『<em>エクスプロージョンズ</em>』(1965年)は、ピアノ・トリオに音響および録音技術を使った電子音楽が導入された、いわば抽象芸術的な作品だ。前作に比べると、ジャズやブルースを象徴する４ビートによる躍動感は、ほんの一部でしか観ることはできない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういう意味ではこのアルバム、グルーヴを楽しむようなレコードではない。アブストラクトなパフォーマンスに、加工された環境音や電子音がミックスされた実験的な作品だ。サイドにはレギュラー・ドラマーの<strong>ボブ・ポーザー</strong>に加え、<strong>エリック・ドルフィー</strong>、<strong>アーチー・シェップ</strong>、<strong>アッティラ・ゾラー</strong>といったフリー・ジャズ系のミュージシャンとの共演、自らのソロ・ベースによる即興演奏、<strong>デイヴ・ホランド</strong>とのコントラバス・デュオなどで知られるベーシスト、<strong>バール・フィリップス</strong>が参加している。いまのジェームスからは、ちょっと想像できない人選である。さらにジェームスは電子音楽の手法を採り入れるにあたり、前衛芸術の作曲家、<strong>ロバート・アシュリー＆ゴードン・ムンマ</strong>のコンビの協力を得ている。ということで本作は、より現代音楽、ことにミュージック・コンクレートに接近したような印象を与える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおジェームス自身がそのキャリアを振り返った映像作品で、ワーナー・ブラザース・レコードがリリースしたレーザーディスク『<em>フォー・ザ・レコード</em>』(1991年)において、ほんの一部だが当時の<strong>ボブ・ジェームス・トリオ</strong>のパフォーマンスを視覚的に楽しむことができる。1962年のモノクローム・フィルムだが「ジ・インターナル・トライアングル」「ジ・アイランド」といった、アルバム未収録のジェームスのオリジナル・ナンバーを聴くことができる、貴重な映像コンテンツである。このときのトリオは、<strong>ボブ・ジェームス</strong>(p)、<strong>ロン・ブルックス</strong>(b)、<strong>ボブ・ポーザー</strong>(ds)といった『<em>ボールド・コンセプションズ</em>』の顔ぶれだが、３人がいかにライヴ・コンクレートを行っているかが、この映像によって明らかになっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そしてさらに近年、1965年５月10日録音の『<em>エクスプロージョンズ</em>』のセッションの前後に行われたふたつのレコーディングが、レゾナンス・レコードによって掘り起こされた。レゾナンスは、主にジャズの歴史的な未発表音源を発掘しリリースする日本でも人気のレーベル。<strong>ビル・エヴァンス</strong>、<strong>ウェス・モンゴメリー</strong>、<strong>サラ・ヴォーン</strong>といった、ジャズ・ジャイアンツの貴重なスタジオ録音やライヴ音源を見つけ出し、高音質でリリースしたことは記憶に新しい。1965年の１月20日と９月９日に行われたレコーディングは、１枚のアルバム『<em>ワンス・アポン・ア・タイム：ザ・ロスト 1965 ニューヨーク・スタジオ・セッションズ</em>』(2020年)として発表された。音源はレゾナンス・レコードの創始者、<strong>ジョージ・クラビン</strong>が保管していたものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">ジャズを基調としたアーバンでポップなインストゥルメンタル作品を発表</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムは２部構成となっており、各々は異なるメンバーのピアノ・トリオによる異なるスタイルのパフォーマンスとなっている。アルバム前半の1965年１月20日のセッションは、<strong>ボブ・ジェームス</strong>(p)、<strong>ラリー・ロックウェル</strong>(b)、<strong>ボブ・ポーザー</strong>(ds)といったメンバーで行われたものだが、ストレート・アヘッドなプレイとアヴァンギャルドなアプローチが交錯する。例によってジェームスのプリペアード・ピアノを含む、ライヴ・コンクレートが展開される。面白いのは、本作のプロデュースを手がけたクラビンが、レコーディングが行われた当時、ESPディスク・レコードの設立者である<strong>バーナード・ストルマン</strong>にこの演奏を聴かせたということ。つまりストルマンは、ここでのセッションに感銘を受けて『<em>エクスプロージョンズ</em>』の制作を決行したのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いっぽうアルバム後半の1965年９月９日のセッションは、<strong>ボブ・ジェームス</strong>(p)、<strong>ビル・ウッド</strong>(b)、<strong>オマー・クレイ</strong>(ds)といったトリオで行われた。こちらのトリオはメインストリームなプレイに終始するが、これはクラビンの提案を受けてのことだという。<strong>ソニー・ロリンズ</strong>の「エアジン」で見せる力強く粒立ちのいい高速パッセージや、<strong>ヴィクター・ハーバート</strong>の「インディアン・サマー」での美しいハーモニーとリリカルなフレージングを目の当たりにすると、あらためてジェームスが優れたジャズ・ピアニストであると、ぼくは確信する。いずれにしても、このアルバムのフレッシュな魅力は、その後のジェームスによるコンテンポラリー・ジャズ作品を愛好するものにも、なにがしかの刺激を与えることは間違いない。未聴なら、ぜひ聴いていただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ついでにつけ加えておくと、マルチ・リード奏者の<strong>エリック・ドルフィー</strong>のリーダー作のなかに、ブルーノート・レコードが彼の没後に発売した未発表音源集『<em>アザー・アスペクツ</em>』(1987年)というアルバムがあるのだが、冒頭に収録されている「ジム・クロウ」という曲は1964年３月にミシガン大学で録音された音源である。ところでこの演奏でドルフィーのバックを務めているのが、実は<strong>ボブ・ジェームス</strong>(p)、<strong>ロン・ブルックス</strong>(b)、<strong>ボブ・ポーザー</strong>(ds)といったトリオで、さらにフィーチュア・ヴォーカリストとしてカウンターテナーの<strong>デヴィッド・シュワルツ</strong>が参加している。フリー・ジャズとクラシックとが融合したこのアヴァンギャルドな曲、レコードが発売された当初は不明だったが、のちにジェームスのオリジナル「ア・パーソナル・ステートメント」ということが判明した。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9070 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano2.png" alt="おもちゃのグランドピアノ(赤色)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ということで、いまもジャズ/フュージョンあるいはスムース・ジャズ・シーンをリードするアーティストのひとりとして活躍するジェームスの原点について、長々とお伝えしてきた。そこで思うのだが、のちに高い人気を博すことになるジェームスのコンテンポラリー・ジャズ作品の数々が、常にクリエイティヴかつアートオリエンテッドなサウンドをもつのは、そこに既存の枠にとらわれない斬新な試み、前衛的で抽象的な美学、あるいは流行の最先端を超越するようなスタイルの具現化といった、彼の初期の音楽経験が活かされているからだろう。<strong>ボブ・ジェームス</strong>という音楽家は、その出発点からフレッシュな独創性を発揮していたのである。そういう意味で、さきに挙げた３枚のアルバムは、現在も止まることを知らない音楽家の貴重な記録と云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その後ジェームスは、1970年代の中ごろまで<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>のもとでアレンジャー、キーボーディストとして働いたが、ジョーンズのリーダー作『<em>ウォーキング・イン・スペース</em>』(1969年)のセッションに参加した際に、アルバムのプロデューサーを務めた<strong>クリード・テイラー</strong>に注目された。それを機にジェームスはテイラーが創設したCTIレコードのハウス・アレンジャーとなり、テイラーの目指すジャズのポピュラリゼーションにおいて一翼を担った。特にマテリアルとしてクラシックの楽曲や、同時代のソウル・ミュージックを積極的に採り上げ、オーケストラルなサウンドのインストゥルメンタルに改変するという作業においては、ジェームスのアレンジのセンスのよさが際立った。その点、彼はクロスオーヴァー・サウンドの先陣を切った音楽家のひとりとも云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジェームスはCTIにおいて数多くのアーティストの作品に参加したが、なかでも<strong>エリック・ゲイル</strong>(g)、<strong>ガボール・ザボ</strong>(g)、<strong>ヒューバート・ロウズ</strong>(fl)、<strong>グローヴァー・ワシントン・ジュニア</strong>(ss, as, ts)、<strong>ハンク・クロフォード</strong>(as)などのリーダー作は、彼のブリリアントでゴージャスなオーケストレーションの恩恵にあずかったと云える。ただジェームスは、1973年からCTIに籍を置いたまま、すでにコロムビア・レコードにおいてプロデューサーとして働いていた。彼は1977年、CTIにおける最後のリーダー作『<em>BJ4</em>』(1977年)をリリースすると、ときを移さずコロムビア傘下でタッパン・ジー・レコードを設立。そしてタッパン・ジー時代のジェームスは、“ミスター・ニューヨーク”という異名をとることになる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジェームスのタッパン・ジーにおける最初のリーダー作『<em>ヘッズ</em>』(1977年)は、CTI時代の作品とはまったく趣きの異なる作風に仕上がっている。サウンドの質感ひとつとってみても、レコーディング・エンジニアがジャズの分野を中心に活躍した<strong>ルディー・ヴァン・ゲルダー</strong>から<strong>フィル・ラモーン</strong>の薫陶を受けた<strong>ジョー・ジョーゲンセン</strong>へバトンタッチされたことから、まるで違う印象を与える。なお『<em>ヘッズ</em>』はビルボード誌のジャズ・アルバム・チャートで堂々の第１位を獲得したが、それを機にジェームスはあたかも水を得た魚のごとく、次々にジャズを基調としながらもアーバンでポップなインストゥルメンタル作品を発表していく。しかもアルバムごとに異なるコンセプトが採用されていて、当時のぼくはいつも、彼の新作がリリースされるのを楽しみにしていたものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タッパン・ジーにおけるジェームスのリーダー作では、自己のレーベルからのリリースということもあり、どれも最新のアイディアとアプローチが遺憾なく縦横無尽に発揮されている。彼がプロデューサーとしてスゴいのは、コマーシャルな方向性をもった楽曲でも、ただビジネスライクに処理するのではなく、常にアートオリエンテッドな音楽に仕上げてしまうところ。そういうマナーは、若き日のジェームスが得た現代音楽的要素をともなったアヴァンギャルドな着想と、あながち無関係とは云いきれないように思われる。もっとも制約を受けることなく制作されたであろうタッパン・ジー作品は、どれもいまもって色褪せて見えることはないし、むしろあらためて知的な面白さを感じさせる。そういう意味でもこのころは、BJサウンドの黄金時代と云えるのではなかろうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんななか、ジェームスが従来のスタイルから大きく飛躍した作品といえば、一般的にあまり評価は高くないが『<em>サイン・オブ・ザ・タイムス</em>』(1981年)というアルバムだろう。ジェームスはこのレコーディングの半分のトラックにおいて、イングランド出身のキーボーディスト、<strong>ロッド・テンパートン</strong>をフィーチュアしている。テンパートンは多国籍ファンク・バンドの<strong>ヒートウェイヴ</strong>のメンバーだが、当時<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>のお抱えソングライターとして注目を集めていた。ジェームスはテンパートンに、全６曲中３曲においてソングライティングとアレンジ(リズム・トラック、シンセサイザー、ヴォーカル、一部のブラス)のイニシアティヴを譲っている。すなわち、ここでのジェームスは、テンパートンのプロジェクトのなかでプレイしているのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">コンテンポラリー・ジャズというコトバでは収まり切らない音楽性</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　結果的にそこに出来した音景は、それまでのBJサウンドには観られなかったポップでライトなファンク感に富んだものとなった。こういう取り組みは、ジェームスがタッパン・ジー・レコードを閉鎖し、1985年にワーナー・ブラザース・レコードに移籍したあとに制作した作品にも散見される。ワーナー・ブラザースにおける最初のソロ名義のアルバム『<em>オブセッション</em>』(1986年)では、コンポーザーでシンセサイザー・プログラマーの<strong>マイケル・コリーナ</strong>と、レコーディング・エンジニアの<strong>レイ・バルダニ</strong>にプロデュース業務のほとんどが委託されている。シンセサイザーが駆使されたオーケストレーションが、アブストラクトかつポップなサウンドを生み出したが、コンテンポラリー・ジャズに収まり切らない独創的なインストゥルメンタル・ミュージックとして、いまも新鮮に響く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに『<em>モーニング・ヌーン＆ナイト</em>』(2002年)においてジェームスは、スクラッチやビート・ジャグリングのテクニックに定評のあるターンテーブリスト、<strong>ロブ・スウィフト</strong>を起用し、ヒップホップ・サウンドを背景に自らのピアノ・インプロヴィゼーションとDJプレイとを交錯させてみせた。またこのセッションでは、CTI時代のジェームスのリーダー作『<em>はげ山の一夜</em>』(1974年)に収録されている「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」がサンプリングされているのだが、ファンの知的好奇心を刺激するような趣向である。そしてジェームスのヒップホップ・ミュージックへの関心は尽きることなく、近年も彼はアルバム『<em>ジャズ・ハンズ</em>』(2023年)の収録曲「モップヘッド」において、ブレイクビーツをベースに古典的な和声を絡ませながら、エレクトリック・ピアノでブルージーなソロを披露した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またこのアルバムには、トランス・フォーマー・スクラッチを生み出したことで知られるターンテーブリスト、<strong>DJ・ジャジー・ジェフ</strong>が大胆にフィーチュアされたトラックもある。UKブロークン・ビートの立役者、<strong>カイディ・テイタム</strong>による弾力感に富んだシンセ・ベースも印象的だ。このコンビがSNSや口コミを通じてヒットした<strong>星野源</strong>の「喜劇」をリミックスしたことは、記憶に新しい。リミックス・ヴァージョンが配信されたのは、2022年の初夏のことだ。ところでジェームスは、ふたりが作り出すループとサウンドにフェンダー・ローズで応戦。気持ちよさげに、ファンキーなフレーズを繰り出している。具体的には「ザット・バップ」という曲だが、ダンスフロアを席巻するようなグルーヴ感に満ちたナンバーに仕上がっている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9071 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano3.png" alt="おもちゃのグランドピアノ(青色)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　加えてぼくが近年、もっとも驚かされたジェームスのアルバムというと、前作に当たる『<em>2080</em>』(2022年)である。ジェームスと自分の孫くらい若い、DJでエレクトロニック・アーティスト、<strong>サム・フランツ</strong>とによるコラボレーション作品だ。このアルバムは、これまでのジェームスのどの作品とも違う音風景を呈していた。彼のミュージカリティとヒップホップ、エレクトロニカ、サンプリング・テクニックとが見事に融合し、きわめてモダンでシネマティックなムードが醸し出されている。それは、エキサイティングでありながらロマンティックで、ときにはアヴァンギャルドな一面すらのぞかせる。ジャズ/フュージョンという言語に依存することなく、自由自在にイノヴェイティヴな音楽を創造してしまうところが、いかにもジェームスらしい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　以上、長々とジェームスのコンテンポラリー・ジャズというコトバでは収まり切らない音楽性についてお伝えしてきたが、そんな彼の音楽作品も1990年代から、おしなべて当時ジャンル名として確立されたスムース・ジャズにカテゴライズされるようになっていた。実際はそのサウンドが、決してイージー・リスニング、ミドル・オブ・ザ・ロードの現在進行形ではないというのは、云うまでもないことである。ではジェームスのリーダー作のなかにスムース・ジャズと呼ぶに相応しい作品が皆無かというと、実は意図的にスムース・ジャズのフォーマットで制作された、聴き心地のよさに特化したアルバムが１枚ある。それはワーナー・ブラザース・レコードからリリースされた『<em>ジョイ・ライド</em>』(1999年)というアルバムだ。では最後に、この作品についてお伝えしよう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムの興味深い点は、なんといってもプロデューサーとしても卓越した才能をもつジェームスが、全編プロデュースにおいて他者に下駄を預けているということ。それでもジェームスによるピアノとフェンダー・ローズが確たる存在感を放っているのだから、あらためて彼がオンリーワンの音楽家であると感じられるし、敢えてセルフプロデュースというスタイルを選択しなかったということも、スムース・ジャズという分野への積極的な挑戦と受けとられる。その内訳といえば、まずのちに<strong>フォープレイ</strong>のメンバーとしてジェームスの僚友となるギタリスト、<strong>チャック・ローブ</strong>がプロデュースした２曲。アーバン・ナイトを演出するような①「テイク・ミー・ゼア」では、ピアノに<strong>キム・ウォーターズ</strong>のカーヴド・ソプラノが美しく絡む。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　かたや④「スウィングセット」では、ゆったりシャッフルするリズムに乗ってピアノ、そしてローブのギターがメロウなソロを展開する。人気サクソフォニスト、<strong>ボニー・ジェームス</strong>を世に送り出した、名プロデューサー兼ギタリスト、<strong>ポール・ブラウン</strong>が手がけたのは３曲。②「レイズ・ザ・ルーフ」では、ピアノによるシンコペーションを効かせたグルーヴが心地いい。ボニーのテナーもフィーチュアされる。③「イッツ・オールライト」では、<strong>ノーマン・ブラウン</strong>によるギターとピアノとが共鳴するチルアウト・サウンドにリラックスさせられる。⑥「ホワッツ・アップ」では、スムース・ジャズの申し子のようなキーボーディスト、<strong>ブライアン・カルバートソン</strong>によるサウンド・メイキングが洒脱。ローズのソロが軽妙だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジェームスのバンド・メンバーだったサクソフォニスト兼フルーティスト、<strong>デイヴ・マクマレイ</strong>が手がけたのは２曲。⑧「ファースト・タイム」では、ソウル、ファンク、そしてヒップホップのエッセンスがミックスされて、ポップでややノスタルジックな空気が醸し出されている。⑩「スウィート・トーク・ミー・ナウ」では、スローテンポで、アトランタを拠点に活動する女性ラッパー、<strong>ラシーダ</strong>のソウルフルなヴォーカルがフィーチュアされる。ドラマーの<strong>ハーヴィー・メイソン</strong>の息子、<strong>ハーヴィー・メイソン・ジュニア</strong>がプロデュースした⑦「フライ・バイ」では、<strong>フォープレイ</strong>のメンバーが中心となってダイナミックなプレイを展開。アルバム中もっとも気宇壮大なナンバーだ。<strong>マーセル・イースト</strong>のプロデュース作⑨「ストローリン」では、<strong>クリス・ボッティ</strong>のミュート・トランペットがクール。兄のネイザンもベースで参加している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　残りの３曲では、前述した<strong>マイケル・コリーナ</strong>がプロデューサーを務めている。唯一ジェームスが作曲した⑤「ジョイ・ライド」では、当然のことながらもっともジェームスらしい爽やかで軽快なピアノを聴くことができる。盟友の<strong>リー・リトナー</strong>も精悍なギター・プレイを披露している。⑪「トレイド・ウィンズ」では、オリエンタルなメロディック・ラインとブラジリアン・グルーヴが見事に融合。ピアノ、そして<strong>ジョナサン・バトラー</strong>によるギター＆スキャットが空間的な爽快感を生んでいる。⑫「ビッソ・ババ」では、<strong>リチャード・ボナ</strong>のベースとヴォーカルが圧倒的で、西アフリカ特有の弾力感と躍動感とが交錯するリズムがなんとも魅力的だ。ということで本作は、ジェームスのアルバムでは、もっとも肩の力を抜いて聴くべきもの。しかしそれはさきに述べたように、クリエイティヴかつアートオリエンテッドなサウンドを志向するジェームスだからこそものすることができた、上質のスムース・ジャズ作品なのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"Joy Ride","b":"Warner Bros. Records","t":"Bob James","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/51yYEbDjDEL._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B01K8QKAKU","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B01K8QKAKU","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/Joy%20Ride\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=Joy%20Ride","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"Ye37n","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-Ye37n">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/bob-james-joy-ride/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>McCoy Tyner Trio / Reaching Fourth (1963年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/mccoy-tyner-trio-reaching-fourth/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=mccoy-tyner-trio-reaching-fourth</link>
					<comments>https://kimama-music.com/mccoy-tyner-trio-reaching-fourth/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 19 Apr 2026 06:29:05 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[McCoy Tyner]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9023</guid>

					<description><![CDATA[マッコイ・タイナーがコルトレーンの人脈から外れたサイドメンとともに吹き込んだジャズ・スタンダーズ中心のトリオ作『リーチング・フォース』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">マッコイ・タイナーがコルトレーンの人脈から外れたサイドメンとともに吹き込んだジャズ・スタンダーズ中心のトリオ作『リーチング・フォース』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : McCoy Tyner Trio / Reaching Fourth (1963)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Reaching Fourth</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">20世紀のジャズの巨人、ジョン・コルトレーンとの出会い</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　振り返ってみると、20世紀のジャズの巨人のひとりであるのにもかかわらず、<strong>ジョン・コルトレーン</strong>を俎上に載せる機会といえば、なぜかこれまであまりなかったように思う。いまもジャズ好きの友人と音楽について談笑するときも、彼のことをまな板の上に載せることはほとんどない。べつに隠しているわけでもないのだけれど、こんなぼくにもコルトレーンの音楽に心酔していた時期がある。具体的にそれは、高校時代から大学時代にかけてのことだ。理由はいろいろある。ジャズを愛好するものの嗜みとして、コルトレーンの演奏を聴き見識をもつことは、ある種の礼儀でもある──なんてわけはないのだが、当時そんな空気があったこともまた事実である。いまはそんなことはないと思うけれど、もしそんな主張があるとすればまったくのナンセンスだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そうはいっても、かく云うぼくのコルトレーンを聴きはじめるキッカケは、そういう無稽な説に踊らされたこと。なんともお恥ずかしいハナシだが、あのころのぼくはジャズを聴くものとして、あるいは演るものとして、承認欲求が強かったのだろう。まさに若気の至りとはこのことなのだが、それでも若さゆえの血気の多さ、あるいは経験不足から、無分別にコルトレーンのレコードを聴きまくったことが自分にとって無駄だったのかというと、一概にそうとは云えない。ぼくは高校時代から本格的にジャズ・ピアノを独学しはじめたのだが、ジャズという音楽において不可避であるインプロヴィゼーションを理解する上で、コルトレーンが構築したイノヴェイティヴな方法論は非常に役立った。また自分にとっては、コルトレーンの演奏を聴くことから、音楽に対して多角的な視点をもつようになったことが大きい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　当時ぼくが聴いていたコルトレーンのレコードといえば、彼がモダン・ジャズの帝王、トランペッターの<strong>マイルス・デイヴィス</strong>の名作『<em>カインド・オブ・ブルー</em>』(1959年)のレコーディングに参加したあとに発表した作品に集中した。すなわち彼がアトランティック・レコードに移籍してすぐに発表した『<em>ジャイアント・ステップス</em>』(1960年)からである。アルバムを手にとる動機となったのは、当時ぼくがもっとも関心をもっていたピアニストのふたり、<strong>トミー・フラナガン</strong>と<strong>ウィントン・ケリー</strong>が参加していたことだった。それはともかく、このころのコルトレーンといえば、ハード・バップのテナー奏者から脱却すべく、様々な試みをするようになっていた。ことに積極的な自作曲の作成、そして革新的な即興演奏の展開は、独自の音楽性を打ち出すこととなった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9042 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz1.png" alt="緑色のグランドピアノと金色のトランペット" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　自分にとって『<em>ジャイアント・ステップス</em>』は、はじめて手にしたコルトレーンのレコードだったのだが、確かにあのころのぼくには、高校生の若輩者とはいえジャズの素晴らしさを理解するものとして他者から認められたいという気持ちがあった。進学と同時に吹奏楽部に入部したぼくは、フルート奏者を志望するもオーディションの印象がよくなかったのだろう、あえなくサックス・パートにまわされた。それまでピアニストのアルバムばかりを聴いていたぼくは、思いがけず自分がサクソフォーンを吹くことになったものだから、あたふたとレコード店に足を運びサックス奏者の作品を購入。そのとき浅学なジャズ少年はさしあたり、ジャズの名盤と誉れ高い『<em>ジャイアント・ステップス</em>』を手にとったというわけである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただ本来ならいのいちばんにサクソフォーンに注目するべきところなのだが、そのころのぼくといえば、ちょうどジャズ・ピアノを独学していたところで、どうしてもピアノに耳がいってしまう。その結果サックスそっちのけで、フラナガンにハマってしまったのだった。テンションの高い状況においても、決してバランスを崩さない彼のプレイに強く惹かれた。それでもコルトレーンの前進志向の音楽性には、目を見張った。云うまでもなく『<em>ジャイアント・ステップス</em>』はコルトレーンにとって、モーダル・ジャズに傾倒する直前の、コード進行に基づく即興演奏の限界を極めた作品である。超難曲のタイトル・ナンバーは、ハイテンポで目まぐるしくコードが変化する(10回転調する)。そんな強烈な緊張感のなかでも、バンドに均衡を保った演奏を展開させたコルトレーンのリーダーシップは、やはりスゴい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで『<em>ジャイアント・ステップス</em>』は、個人的には複数の因果性をもったアルバムということになるのだが、そういう理由からも本作は実にすそ野が広い魅力を有する名盤と、ぼくは思っている。それはさておき、ぼくはその後もコルトレーンのレコードを次々に手にとっていくのだが、彼の音楽に夢中になったのは、やはり『<em>マイ・フェイヴァリット・シングス</em>』(1961年)を聴いたときから。1959年の４月、５月、そして12月と長いスパンのレコーディングによって完成させた、さきの『<em>ジャイアント・ステップス</em>』で大きな名声を得たコルトレーンは、1960年の春、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>のバンドを脱退する。新たに結成したバンドのリーダーとして、積極的に活動することを優先させたからだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　コルトレーンは、早速レギュラー・バンドでツアーを行い、同年の10月には大規模なレコーディングを敢行した。このときのセッションが『<em>マイ・フェイヴァリット・シングス</em>』そして『<em>ジョン・コルトレーン・プレイズ・ザ・ブルース</em>』(1962年)『<em>夜は千の目を持つ</em>』(1964年)といった３枚のアルバムとして、音盤化されたことは周知のとおり。なかでもアルバム『<em>マイ・フェイヴァリット・シングス</em>』のタイトル・ナンバーは、コルトレーンの最初のヒット曲となった。この曲でのスリー・フォー・タイム、マイナー・メロディ、そしてソプラノ・サックスというコンビネーションは、それ以降コルトレーンの定型パターンとして繰り返し用いられた。またジャズやフュージョンにおいてソプラノ・サックスが定番アイテムとなったのは、本作からの影響が大きいと思われる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで「マイ・フェイヴァリット・シングス」という曲だが、もとは<strong>リチャード・ロジャース</strong>作曲、<strong>オスカー・ハマースタイン２世</strong>作詞による、1959年のブロードウェイ作品『サウンド・オブ・ミュージック』のなかの１曲だ。このミュージカル、1965年に<strong>ロバート・ワイズ</strong>監督、<strong>ジュリー・アンドリュース</strong>主演で映画化され、第38回アカデミー賞において数々の賞に輝いたが、そのことからも一般的には映画版のほうが有名と云える。ぼくは小学校高学年のときからクラシック・ピアノの個人レッスンと並行して、ポピュラー・ピアノも弾くようになっていたのだが、最初に演奏した曲が「サウンド・オブ・ミュージック」だった。映画の冒頭でアンドリュース演じるマリアが、山々に囲まれた緑の大地で踊りながら朗々と歌い上げるあの曲だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">コルトレーン作品で得た収穫、マッコイ・タイナーとの出会い</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくはこの曲を演奏したのを機に映画のほうも鑑賞するに至ったのだが、マリアが雷鳴に怯えて自室に集まってきた子供たちに向けて歌う「マイ・フェイヴァリット・シングス」も、しかと記憶に留めている。彼女がオーストリアの家庭生活のささやかな日用品のなかから、“私のお気に入り”を次々に挙げていく可愛らしい歌詞の美しいワルツだが、コルトレーンのカヴァー以来、国の内外を問わず多くのアーティストによって採り上げられつづけている人気曲だ。コルトレーンにとっても、音楽の方向性がモード・ジャズからフリー・スタイルへと変化していく晩年に至るまで、ライヴでの定番曲となっていた。そしてこのカヴァーでは、モード手法が用いられたことで原曲のもつ明るいムードが消え去り、演奏は終始ヒプノティックでパッショネートな表情を湛える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ビバップ以来モダン・ジャズでは、コード進行やコードの分解に基づくインプロヴィゼーションが行われてきたわけだが、ハード・バップに至っては、メロディック・ラインがより洗練されたことによってコードの構成も複雑化したため、即興演奏に対する制限がさらに増した。そのため目まぐるしくコードを変化させて、アドリブ・ソロの進行感を演出したのが、まさにコルトレーンの「ジャイアント・ステップス」だったわけだ。しかしながら、それにも限界というものがある。モードに基づく旋律による進行において、コードの劇的な変化は抑制されてしまったものの、インプロヴィゼーションは飛躍的に自由度が増した。イオニアンやドリアン・モードのなかで同一のモティーフを提示し、コード進行を主体とせず特定のスケールのなかで即興演奏を展開するというのがコルトレーンの解釈だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　コルトレーンは、明るく愛らしいミュージカル・ナンバーである「マイ・フェイヴァリット・シングス」を、モード・ジャズの手法を用いることで、非常に深みのある現代的なムードを漂わせたジャズ・ナンバーに変えてしまった。その音世界といったら、ある意味で精神的かつ神秘的で、いささか退廃的で陰鬱な雰囲気すら醸し出している。端的に云うと、とてもシックでジャジーなのだ。おそらくこの曲、コルトレーンのアレンジと演奏を超えるようなオリジナリティ溢れるヴァージョンは、これまでにもなかっただろうし、今後もお目にかかることは困難だろう。いずれにしてもコルトレーンは、1960年代をとおしてモーダルな即興演奏を、ほかの誰よりも深く追究したジャズ・プレイヤーと云っても過言ではないだろう。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9043 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz2.png" alt="桜色のグランドピアノと金色のトランペット" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　さて、ハナシがいささか長くなってきたが、ぼくにとってコルトレーンのレコードを聴いて得たいちばんの収穫といえば、前述のように音楽に対して多角的な視点をもつようになったことである。そしてさらに有益だったのは、ピアニストの<strong>マッコイ・タイナー</strong>、ベーシストの<strong>ジミー・ギャリソン</strong>、ドラマーの<strong>エルヴィン・ジョーンズ</strong>といった革新的なプレイヤーの演奏に触れられたことである。タイナーとジョーンズは『<em>マイ・フェイヴァリット・シングス</em>』からすでにコルトレーンのグループのメンバーだったが、ぼくの好きな『<em>バラード</em>』(1962年)『<em>ジョン・コルトレーン＆ジョニー・ハートマン</em>』(1963年)『<em>インプレッションズ</em>』(1963年)『<em>至上の愛</em>』(1965年)といった、インパルス! レコード移籍後のコルトレーン作品では、この３人がリズムやハーモニーを支えていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　特にぼくにとって衝撃的だったのは、タイナーの演奏である。ぼくがジャズを独学する際に参考にしていたピアニストは、<strong>ソニー・クラーク</strong>、<strong>ウィントン・ケリー</strong>、そして<strong>トミー・フラナガン</strong>だった。みなどちらかというと、ハード・バップを中心としたモダン・ジャズの王道を行くようなピアニストだ。タイナーはハード・バップにアプローチすることもあるが、なにせぼくは『<em>マイ・フェイヴァリット・シングス</em>』ではじめて彼の演奏に触れたものだから、彼はクォータル・ハーモニーとドリアン・モードとを活かした次世代のピアニストという印象を受けた。１コード・セクションにおいてモード・スケールで敏捷に駆け抜けるソロ、そしてハンマー奏法のようなダイナミックなコンピングを、当時のぼくは羨望の眼差しで観ていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またこれはちょっとあとで知ったことだが、コルトレーンは1955年ごろからタイナーと知り合いだったらしい。ところでコルトレーンのアルバムに、1958年にプレスティッジ・レコードにおいて吹き込まれた音源が、あとから１枚にまとめられた『<em>ザ・ビリーヴァー</em>』(1964年)というのがある。ハード・バップ時代のレコーディングということでピアノを<strong>レッド・ガーランド</strong>が弾いているのだけれど、このアルバムのトップを飾る表題曲、実はタイナーのオリジナルなのだ。この曲を聴くと、コルトレーンのコードの構成音をすべて使いきるようなプレイ、いわゆる“シーツ・オブ・サウンド”と呼ばれる奏法も然ることながら、録音時期を鑑みると信じられないほどモーダルな響きを放っていることに、とにかく驚かされる。コルトレーンの陰に、すでにタイナーありだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　すでにこのころからタイナーは、コルトレーンにとって必要不可欠な存在だったのかもしれない。タイナーは1955年の夏、当時演奏活動をともにしていたフィラデルフィア・ブラック・ジャズの導師とも称されるトランペッター、<strong>カル・マッセイ</strong>からコルトレーンを紹介されたのだという。考えてみれば、タイナーは17歳の誕生日を迎えるまえだった。13歳からピアノをはじめたとのことだから、単に早熟と云うよりも神童と呼ぶに相応しいずば抜けた才能の持ち主である。おそらくコルトレーンは、出会ったときからタイナーの天賦の才に注目していたのだろう。そしてタイナーのほうも、<strong>レッド・ガーランド</strong>(p)、<strong>ポール・チェンバース</strong>(b)、<strong>フィリー・ジョー・ジョーンズ</strong>(ds)とともに、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>のバンドで堂々とプレイするコルトレーンに、さぞや尊敬の念を抱いていたことだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　当初からタイナーは、スタイルこそ未完成だったが、コルトレーンのインプロヴィゼーションに対するアプローチに心服していたと思われる。というのもコルトレーンがマイルスのもとを離れると、まるで吸い寄せられるように彼が新たに結成したバンドに加入したタイナーは、およそ５年半もの間、コルトレーン・サウンドを支えつづけたからだ。しかもタイナーは、即興演奏において高度なテクニックを有しながらアカンパニストに徹することを心がけていたような節がある。たとえば『<em>インプレッションズ</em>』のなかの表題曲などを聴くと、コルトレーンの奔放なソロがはじまるとタイナーが早々に手を休めているのを確認することができる。これは飽くまで一例で、タイナーにはコルトレーンのプレイが白熱すればするほど、バッキングを控える傾向があるのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">マッコイ・タイナーのアルバムを聴くならインパルス!盤にかぎる</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　むろん、ここぞという場面では、歯切れのいいリズムを刻んだり、美しいハーモニーを奏でたりするタイナー。ときにはソロの合間に、ドラムスの<strong>エルヴィン・ジョーンズ</strong>と呼応するように、強靭なバッキングを披露することもある。ファストテンポの曲だけでなくバラード・プレイにおいても、リッチなコードワークとモーダルでオープンなフレージングで、浮遊感のある響きを生み出している。どちらかというとパワフル・タッチなのにもかかわらず、そこからデリケートなフィーリングが伝わってくるのは、タイナーがコルトレーン・バンドのピアニストに抜擢されたときから、常に伴奏者としての責務を果たそうとこころがけていたことが、影響しているのではなかろうか。いずれにしても彼は、どういうアプローチをするべきか達観していたように思われる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところが1965年12月、長年コルトレーンに敬意を払ってきたタイナーも、ついにバンドから離脱する。理由はコルトレーンが、1964年に<strong>オーネット・コールマン</strong>らと共演したことからフリー・ジャズの可能性に注目し、自己のバンドでも集団即興作品である『<em>アセンション</em>』(1965年)を吹き込んだことに端を発する。以降コルトレーンがフリー・ジャズに傾倒し、大きな足跡を残したことは周知のとおり。タイナーは無調の世界、そして長大化する即興演奏に方向性の違いを感じただろうし、なによりもコルトレーンのバンドにおけるアカンパニストとしてのレゾンデートルをもはや見出すことができなくなったのだろう。その証拠に、バンド在籍中にタイナーがインパルス! レコードに吹き込んだ６枚のリーダー作では、コルトレーン作品では観られない彼の歌ごころが横溢している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タイナーがインパルス! レコードに残したリーダー作を具体的に挙げると『<em>インセプション</em>』(1962年)『<em>リーチング・フォース</em>』(1963年)『<em>バラードとブルースの夜</em>』(1963年)『<em>トゥデイ・アンド・トゥモロウ</em>』(1964年)『<em>ライヴ・アット・ニューポート</em>』(1964年)『<em>プレイズ・エリントン</em>』(1965年)となる。ずっとあとに吹き込まれた『<em>ブルース・フォー・コルトレーン/トリビュート・トゥ・コルトレーン</em>』(1988年)という、MCA傘下時代のインパルス!盤もあるが、当然のごとくこれは対象外。しかも個人的には、話題性ばかりが先行した甚だ残念な作品と観ている。まあ、さらなるバッシングを受けることを覚悟の上で云わせてもらうと、タイナーのアルバムを聴くならインパルス!盤にかぎる。純粋にピアニズムを探求していたころの彼が、ぼくはもっとも好きなのだ。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9044 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz3.png" alt="銀色のグランドピアノと金色のサクソフォン" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　当時、忠犬のようにコルトレーンに寄り添っていたタイナーが、上記の６枚のリーダー作では、あたかも師匠の呪縛から解放されたかのように、トラディショナルなジャズ魂を発揮している。とはいってもタイナーは間違いなくコルトレーンをリスペクトしていたわけで、これはぼくの想像だけれど、テクニカルな上手さだけでなく、エモーショナルかつナチュラルな表現が際立った自身の演奏を、彼が真っさきに見せたかったのは、まさにコルトレーンそのひとだったのではなかろうか。あいにくタイナーは、のちにジャズが複雑多様なものへと変化していくなかで、時代の波に翻弄される。ときにはフュージョンやアフロ・キューバンを演ったりもした。そう、コルトレーンが不帰の客となった1967年以降のタイナーは、まるで自らの音楽を育む指標を失ったかのようだった。ぼくの目には、そう映ったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それはそうと、６枚のインパルス!盤でどれがお薦めかというと、たまたま最初に手にとった作品ということもあるのだろうが、個人的にもっとも衝撃を受けた『<em>インセプション</em>』をいのいちばんに挙げる。コルトレーンの門下生、<strong>エルヴィン・ジョーンズ</strong>のポリメトリックなドラミングが、タイナーに終始刺激を与えつづけている。それを受けてタイナーのほうも、気持ちよさそうに鮮明で力強いフレーズを息つく暇もなく繰り出している。また、コルトレーンの『<em>オーレ！コルトレーン</em>』(1961年)で共演済みの<strong>アート・デイヴィス</strong>による歯切れのいいソロも然ることながら、軽快なウォーキングベースが印象に残る。そんなエキサイティングな演奏とは対比的なリラックスしたプレイを堪能するのなら『<em>バラードとブルースの夜</em>』をセレクトするべきだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ベースに<strong>スティーヴ・デイヴィス</strong>、ドラムスに<strong>レックス・ハンフリーズ</strong>(ds)を据えたトリオが、ゆったりとした時間を演出してくれる。とはいってもタイナーのピアノ・プレイは、控えめな優雅さと優しさを湛えながらもけっこう刺激的だったりする。ぼくは大学時代、このアルバムの冒頭を飾る「サテン・ドール」のコピー譜を入手して実際にタイナーの演奏をなぞったことがあるのだけれど、その煌びやかなフレーズを再現するのはなかなか難解だった。そんななか、よくバランスがとれていて作品の完成度がもっとも高いのは『<em>リーチング・フォース』</em>だろう。ベーシストの<strong>ヘンリー・グライムス</strong>、ドラマーの<strong>ロイ・ヘインズ</strong>といった、コルトレーンの人脈から外れたサイドメンが採用されているのが興味深い。管楽器やパーカッションを入れたリーダー作の多いタイナーのトリオ盤という点でも、貴重な１枚である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　レコーディングは1962年11月14日、ニュージャージー州のヴァン・ゲルダー・スタジオにて行われた。アルバム冒頭のタイナーのオリジナル「リーチング・フォース」は、疾走感に富んだモーダルなナンバーだが、コルトレーンからの影響が強く感じられる。タイナーの右手が鍵盤を縦横無尽に駆けめぐる。左手のコード・ワークも力強く色彩豊かだ。グライムスのアルコ・ベース、ヘインズのドラム・ソロも実に小気味いい。ヘインズのドラミングは、いつも軽やかで気持ちがいい。しかもタイコの音が、最高に綺麗。たぶんチューニングのせいなのだろう。シンバルも含めてドラムスのセッティングでは、ぼくはこのひとのがいちばん好きだ。<strong>チック・コリア</strong>の『<em>ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス</em>』(1968年)でのプレイも、本作と併せてお薦めする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ゴードン・ジェンキンス</strong>の「グッドバイ」は、もともとメランコリックな味わいをもった曲だが、タイナーのモードを採り入れたエクスプレッションが甘美な心地よさを生み出している。なんとも聴き飽きるのが難しい、名バラード・プレイである。テナー奏者の<strong>フレッド・レイシー</strong>の「アーニーのテーマ」では、タイナーの軽妙なタッチと機知に富んだフレージングを堪能できる。彼はただ力強いだけのピアニストではないのだ。師匠のほうも『<em>ソウルトレーン</em>』(1958年)で採り上げているが、そちらはストレートなバラード。<strong>レッド・ガーランド</strong>がピアノを弾いている。ぼくは、瀟洒で爽やかなタイナーの解釈のほうが好きだ。グライムスのソロもスマートで、好感度が高い。B面トップの「ブルース・バック」はタイナーによるブルース・ナンバーだが、彼のモーダル・ブルースへのアプローチが都会的なムードを醸成している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>バートン・レーン</strong>のブロードウェイ・ナンバー「オールド・デヴィル・ムーン」では、タイナーによる意匠の凝らされたアレンジが光る。一聴、なんの曲だかわからなかったりする。グライムスとヘインズとが打ち出す足取りの軽いテンポ感、タイナーによる弾むようなフレージングにこころが躍る。こういう楽しげな演奏は、コルトレーンのバンドでは、ほとんど聴くことができない。さらにアルバム・ラストの<strong>リチャード・ロジャース</strong>の「ジョーンズ嬢に会ったかい？」では、テンポが高速になるがやはり軽やかなプレイが展開される。タイナーの流麗なアドリブも然ることながら、グライムスとヘインズとによる堅実なリズム・キープが素晴らしい。特にヘインズのブラシ・ワークが、自らを目立たせようとはせず、タイナーを上手く乗せているのがいい。やや緊張感が漂うのは表題曲のみの本盤、タイナーのアルバムではもっとも爽やかと云えるかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"リーチング・フォース","b":"Universal","t":"McCoy Tyner Trio","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/517yaT17GIL._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B01GW038Z0","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B01GW038Z0","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%B9\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%B9","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"6qLwN","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-6qLwN">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/mccoy-tyner-trio-reaching-fourth/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Henry Mancini / Mancini Plays The Theme From Love Story (1970年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/henry-mancini-mancini-plays-the-theme-from-love-story/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=henry-mancini-mancini-plays-the-theme-from-love-story</link>
					<comments>https://kimama-music.com/henry-mancini-mancini-plays-the-theme-from-love-story/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 12 Apr 2026 07:49:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Soundtrack]]></category>
		<category><![CDATA[Henry Mancini]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=8994</guid>

					<description><![CDATA[ヘンリー・マンシーニのもっともマンシーニらしくもっともイージー・リスニングなリーダー・アルバム『ある愛の詩/マンシー二 最新スクリーン・ヒット曲集』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">ヘンリー・マンシーニのもっともマンシーニらしくもっともイージー・リスニングなリーダー・アルバム『ある愛の詩/マンシー二 最新スクリーン・ヒット曲集』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : Henry Mancini / Mancini Plays The Theme From Love Story (1970)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Whistling Away The Dark</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">マンシーニの音楽を端的に云い表すとオシャレのひとことに尽きる</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　何度となく云ってきたけれど、<strong>ヘンリー・マンシーニ</strong>はある意味で映画少年だったころのぼくにとって、もっとも影響力のあったアメリカの作曲家と云える。というのも、彼が1960年代に<strong>オードリー・ヘプバーン</strong>主演の映画作品をいくつか手がけたからだ。ぼくは小学校高学年のころから池袋の有名な名画座、文芸坐(現在の<a rel="noopener" target="_blank" href="https://www.shin-bungeiza.com">新文芸坐</a>)に頻繁に足を運んでいたが、すぐに映画館のスクリーンに映るヘプバーンのチャーミングな魅力にこころを奪われた。この文芸坐ではヘプバーンの特集が組まれたこともあり、そのとき劇場ではオリジナルのパンフレットまで販売されていて、ぼくも映画を鑑賞したあとに購入したもの。たぶん、ぼくはヘプバーンの出演作品をほとんど観ていると思うけれど、アカデミー主演女優賞を獲得した名作『ローマの休日』(1953年)のときよりも、どちらかというと30代のころの彼女が好きだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　云うまでもないが、マンシーニは1960年代に『ティファニーで朝食を』(1961年)『シャレード』(1963年)などをはじめとする、ヘプバーン主演作品で注目を浴びた。特に『ティファニーで朝食を』ではヘプバーンが劇中で歌った「ムーン・リヴァー」が、スタンダードとなった。また同作の監督である<strong>ブレイク・エドワーズ</strong>のほとんどの作品の音楽を、マンシーニが手がけている。そして上記の２作品に加え、マンシーニが多忙を極めていたため弟子にあたる<strong>ジョン・ウィリアムズ</strong>が代わりにアンダースコアを手がけた『おしゃれ泥棒』(1966年)、そしてマンシーニ自身が音楽を担当した『いつも2人で』(1967年)と『暗くなるまで待って』(1967年)は、ぼくの好きなヘプバーン主演作品。まさにヘプバーン、32歳から38歳までの作品である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　当時すでにクラシック・ピアノのレッスンを受けていたぼくは、それと並行してポピュラー・ピアノも弾くようになっていた。最初に弾いたポピュラー・ソングは、忘れもしない「サウンド・オブ・ミュージック」──1965年の映画音楽だ。いま思い返すと、<strong>リチャード・ロジャース</strong>という作曲家の名前を知ったのはこのときのことで、ジャズを聴いたり演ったりするまえの出来事だったわけだ。まあそれはともかく、この曲を弾いたことからぼくは、映画作品のほうにも興味をそそられたのだった。とすると、ぼくが映画少年になったキッカケはこの曲ということになる。いずれにしても、そのころからぼくは隔週土曜日、４時限授業を終えて下校すると必ずと云っていいほど文芸坐に赴き、なにがしかの映画を鑑賞するようになったのである。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9009 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/cinemarecords1.png" alt="映画撮影のカチンコ(緑色)と映画館の座席で泣いているウサギ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/cinemarecords1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/cinemarecords1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　のべつ幕なしに、しかも手当たり次第に映画を観ているうちに今度は逆に、ぼくは映画音楽の虜になる。あげくの果てには分をわきまえず、将来は映画音楽の作曲家になると決心したほど(ならなかったけれど)。当初よく聴いていた映画音楽の作曲家といえば、<strong>ジョルジュ・ドルリュー</strong>、<strong>フランシス・レイ</strong>、<strong>ミシェル・ルグラン</strong>、<strong>エンニオ・モリコーネ</strong>、<strong>アルマンド・トロヴァヨーリ</strong>など。ヨーロッパの作曲家ばかりだが、たまたま観ていた作品が欧州映画に集中していたからだろう。しかもレイとルグランは1960年代から1970年代にかけて、日本でも高い人気を誇っていた。たとえば、このころポピュラー音楽のジャンルとして耳目を集めていたイージー・リスニング(当時は一般的にムード音楽と呼ばれていた)において、彼らの楽曲は積極的に採り上げられていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　あのころを振り返ると、<strong>ポール・モーリア・グランド・オーケストラ</strong>や<strong>レイモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラ</strong>のレコードが、どこの家庭でも必ずといっていいほど所持されているような時代だった。モーリアなどは、日本産高級ワイン、シャトー・メルシャンのテレビCMのために「そよ風のメヌエット」(1977年)という曲を作曲し、自らCMに出演しチェンバロを弾いていた。ジャズを愛好するものがこんなことを云うと失笑を買うかもしれないが、だれがなんと云おうと、ぼくは可憐で軽快なあの曲が好きだ。いかにもフランス人らしいエスプリの効いたエレガントかつリズミカルなアレンジは、とにかくモダンでスタイリッシュに感じられた。むろんレイやルグランの楽曲も原曲のメロディが活かされつつ、華麗な味つけがなされていたもの。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういうことも影響して、レイとルグランの楽曲は映画音楽としては、当時の日本においてもっとも親しまれている部類だったのである。楽譜においてもポピュラー・ピアノの曲集には、必ずと云っていいほどふたりの曲が収録されていた。そういう時代の趨勢のなかで、ぼくが聴くにしても演るにしても、いち早く親しんだのはやはりヨーロッパの映画音楽だった。ところが前述のように、ヘプバーンの出演作品を観るうちに、自然とマンシーニの音楽に導かれていった。むろん彼の曲も、ポピュラー・ピアノの曲集では頻繁に採り上げられていた。マンシーニの音楽を端的に云い表すと、それこそ『おしゃれ泥棒』ではないけれど、オシャレのひとことに尽きる。しかもどちらかというとサッパリとした、あるいは音の芯がハッキリした音楽と受けとられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　レイやルグランの音楽は大好きなのだけれど、いささか湿っぽいというか、メランコリックというか、概ねどこか空間的な余韻のようなものを感じさせる。云うまでもなくその点が魅力となっているのだが、マンシーニ・サウンドが与えるようなストレートでポジティヴな印象は希薄で、敢えて云うならいささかウエットである。それがわるいわけではないし、感傷的な気分に浸るには極上の音楽と云える。マンシーニの曲にも悲愴感が横溢するクラシカルで重厚なイメージをもった作品があるにはあるが、総じて彼の音楽は優美でさわやかな雰囲気を醸成する。ときにそれは、思い切りリズミカルでポップ、あるいはキャッチーでアクセシブルだったりする。その得も云われぬ軽やかさが、そのおオシャレな印象につながっていると、ぼくは思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなスタイリストのマンシーニのオリジナルにも、珍しく哀切きわまりない曲がある。<strong>ヴィットリオ・デ・シーカ</strong>監督による映画『ひまわり』(1970年)のテーマ曲である。不適切な云いかたになるかもしれないけれど、その旋律はストレートにお涙ちょうだいの音楽に類するものだ。たとえばレイの『ある愛の詩』(1970年)や、ルグランの『シェルブールの雨傘』(1964年)などのテーマ曲も、同じ類いの音楽と云える。まあ映画自体が悲恋の物語を扱った作品だから、作曲家が観客を泣かせにかかるのは当然のこと。実際どちらの曲も、涙を誘うどころか胸が締めつけられるような悲哀感さえ横溢する。そして「ひまわり 愛のテーマ」もまた、思い切り泣ける曲だ。とはいっても実のところ、ぼくはそういう直情的な音楽がちょっと苦手だったりする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">即興演奏よりもアンサンブルが主軸に据えられたスウィンギーなサウンド</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この「ひまわり 愛のテーマ」は、戦争によって引き裂かれた男女の悲哀が直線的に表現されている。ところがどっこい、ぼくはこの曲が狂おしいほど好きなのだ。その理由を敢えて説明すると、一聴、この曲は通俗的かつ情緒的にも響くのだけれど、実はマンシーニらしく現代的で新しい感覚もしっかり鏤められているのだ。実際にピアノで演奏してみるとよくわかるのだけれど、たとえばテーマのトップ・ノート(メロディ)がコードに対して、３小節の３拍目がフラットファイヴ(♭5)に、６小節のアタマがテンション・ノート(♭9)になっていたりする。これらの音が入ることによって、曲がとてもモダンに聴こえるのだ。マンシーニのセンスのよさも然ることながら、大して演奏技術もない小学生のぼくがピアノで弾いても、なんとなく瀟洒に響くという構造がスゴい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実を云うと、ぼくがもっとも影響を受けたアメリカの映画音楽の作曲家というと、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>を真っ先に挙げる。ただ、もともとジャズ・ピアニストだった彼が、映画音楽の作曲家として脚光を浴びるのはマンシーニよりもあとのこと。グルーシンは1960年代の後半からフィルムスコアを手がけていたけれど、ぼくが彼の映画音楽に注目するようになったのも『コンドル』(1975年)からだった。ということで、ぼくがポピュラー・ピアノを弾きはじめたころもっとも多く聴いていたアメリカの映画音楽は、マンシーニの作品ということになる。ちなみにグルーシンは、もともとマンシーニをリスペクトする作曲家であり、名匠<strong>トミー・リピューマ</strong>のプロデュースのもと『<em>酒とバラの日々～ヘンリー・マンシーニに捧ぐ</em>』(1997年)という素晴らしいアルバムを吹き込んだりしている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただしよりモダンでソフィスティケーテッドなグルーシン・サウンドと比較しても、マンシーニの音楽のほうが格段にオシャレだ。オシャレであるが故に、彼の音楽はエレベーター・ミュージックと呼ばれることもある。欧米ではエレベーターのなかで音楽が流されるのは、一般的なこと。そこでかかるような音楽だから、エレベーター・ミュージック。つまりそれは、ショップ、レストラン、ホテル、あるいは病院などで流されるBGMの呼称である、ミューザックとおなじようなニュアンスで使われるコトバである。そしてその云いかたは、BGMにしかなり得ない平凡で無個性な音楽というスラングでもあるのだが、ぼくはその観かたには、まったく賛同しかねる。むしろ一聴でそれとわかるようなマンシーニの音楽を、個性的とさえ云いたいくらいだ。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9010 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/cinemarecords2.png" alt="映画撮影のカチンコ(紫色)と映画館の座席で泣いているウサギ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/cinemarecords2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/cinemarecords2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　そんなマンシーニは1924年４月16日、アメリカ、オハイオ州クリーブランドに生まれ、ペンシルベニア州で育った。フルート奏者だった父親の影響で、８歳のときからフルートとピッコロを吹いていた。12歳になるとピアノとオーケストレーションを学びはじめる。ハイスクールを卒業したあとには、一度はピッツバーグのカーネギー工科大学(現在のカーネギー・メロン大学)に入学したが、間もなく名門ジュリアード音楽院のオーディションに合格し転校。その際、尊敬する<strong>ベニー・グッドマン</strong>の勧めでニューヨークへ移住、同音楽院で本格的に音楽理論を究めた。彼は第二次世界大戦中、アメリカ陸軍航空隊に入隊し空軍音楽隊での演奏経験をもつ。それが縁で<strong>グレン・ミラー楽団</strong>にピアニスト兼アレンジャーとして採用された。ミラーもまた、陸軍航空隊のひとだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　マンシーニがミラーの楽団に在籍したことは、のちの彼のサウンドに大きな影響を与えたと思われる。親しみやすいエレガントでロマンティックなメロディック・ラインと、ダンス・ミュージックとしても重宝されるような、即興演奏よりもアンサンブルが主軸に据えられたスウィンギーなサウンドは、ミラーの楽曲と共通する。ただこれはぼくの個人的な感想だけれど、マンシーニの音楽にはジャズのエッセンスが溢れているものの、情熱的なジャズ・スピリッツのようなものは感じられない。アクの強さなど毛ほどもないのだ。それは彼がイタリア系アメリカ人であることが関係しているのかもしれない。つまりそのサウンドは、あたかもジャズを異国の音楽として俯瞰しているかのように聴こえる。そのちょうどいい塩梅にジャジーなところが、オシャレに響くのではなかろうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その後マンシーニは1952年、ユニバーサル・ピクチャーズに入社する。当時同社の音楽部門の責任者を務めていた、指揮者で音楽監督の<strong>ジョセフ・ガーシェンソン</strong>のアシスタントとして働くようになる。初期のキャリアを観ると、マンシーニはカルト的人気を誇るSFホラー映画『大アマゾンの半魚人』(1954年)や、お笑いコンビの<strong>アボットとコステロ</strong>の本邦未公開コメディ映画『凸凹キーストン・コップスに会う』(1955年)などのアンダースコアを手がけていたりする。彼が頭角を現したのは、アレンジャーを担当した<strong>ジェームズ・ステュアート</strong>主演の『グレン・ミラー物語』(1954年)や、全面的に音楽を手がけた<strong>オーソン・ウェルズ</strong>監督によるフィルム・ノワール『黒い罠』(1958年)あたり。忘れることができないのは、1958年から1961年までNBCとABCで放映されたテレビシリーズ『ピーター・ガン』のテーマ曲だろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このシリーズ、僚友である<strong>ブレイク・エドワーズ</strong>が原案と脚本を手がけたアクション・ミステリー。当時のテレビドラマの劇伴といえばクラシカルなサウンドが定番だったが、マンシーニのスコアはモダン・ジャズのエッセンスがふんだんに採り入れられたものだった。特にロッキッシュなリズムとビッグ・バンド・スタイルのブラス・サウンドが際立ったあのテーマ曲は、ひとたび聴いたら忘れられない名曲だ。グルーシンも前述の『<em>酒とバラの日々～ヘンリー・マンシーニに捧ぐ</em>』において、アルバム・オープナーとしている。マンシーニは1958年の８月から９月にかけて、ハリウッドにおいて音盤用のレコーディングを行ったが、ロサンゼルスを拠点に活躍するジャズ・プレイヤーを採用。門弟の<strong>ジョン・ウィリアムズ</strong>も、ピアニストとして参加している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ウィリアムズはレコーディングにおけるピアノのアドリブ・パートを担当しているのだが、テーマ曲のあの特徴的なバッソ・オスティナートでギターとユニゾンしているのもまた彼である。音源はアルバム『<em>ミュージック・フロム・ピーター・ガン</em>』(1959年)として、RCAビクターからリリースされた。このレコードはぼくも大好きな１枚で、特にモダンなウォーキング・ナンバー「ナイト・クラブの事件」ハートウォーミングなバラード「ドリームスヴィル」といった曲からは、大きな影響を受けた。この２曲を聴くだけでも、マンシーニ・サウンドがいかにオシャレかが、おわかりいただけると思う。なおこのアルバムは、第１回グラミー賞において年間最優秀アルバム賞を獲得。間もなく『<em>モア・ミュージック・フロム・ピーター・ガン</em>』(1959年)も発売された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">映像作品のスコア盤、サントラ盤以外のリーダー・アルバム</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　以降マンシーニは1994年6月14日、膵臓および肝臓癌のためビバリーヒルズの自宅にて、70歳でこの世を去る寸前まで、映像作品にスコアを提供しつづけた。ぼくも実際に数えたことはないが、生涯で彼が手がけた作品は100本以上に上ると云われている。映画の音盤もたくさん存在するが、アルバムには“MUSIC FROM……”と表記されていることが多い。つまり、それらは厳密にはサントラ盤ではないのである。これはマンシーニ・マナーとして広く知られていることだが、マンシーニは音盤にフィルム用に録音された音源をそのまま使わずに、わざわざ新たにスタジオ・レコーディングを行い、鑑賞用音楽と同等のレベルのトラックを仕込むことが多かった。そういう仕様だから、彼の映画音楽のレコードは、映画から離れても良質のイージー・リスニング作品として楽しむことができるものばかりだったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またマンシーニは、映像作品のオリジナル・スコア盤ないし純然たるサントラ盤以外にも、自己のリーダー作を数多く吹き込んでいる。今回はそちらのほうにスポットを当てるつもりなのだが、まずはぼくの自室のレコード棚にあるアルバムのなかから目を引くコンテンツを抱えた作品を何枚かご紹介しておく。手はじめに1960年６月、ハリウッドにおいて録音された、ジャズ・アルバム『<em>コンボ！</em>』(1961年)をお薦めしたい。ウェストコースト・ジャズの名うてプレイヤーが顔を揃えたビッグ・コンボによるジャズ・スタンダーズ集だが、マンシーニらしいスマートなアレンジは相変わらず。アルト奏者の<strong>アート・ペッパー</strong>がクラリネットを吹いていたり、<strong>ジョン・ウィリアムズ</strong>がピアノのほかにチェンバロを弾いていたりする。世にも稀なる、オシャレさが際立ったジャズ・アルバムだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、ビッグ・バンド・スタイルのアルバムならば『<em>マンシーニ &#8217;67!</em>』(1967年)がお薦め。このレコード、日本で最初に発売されたときは『<em>ニュー・サウンド・オブ・ヘンリー・マンシーニ</em>』というタイトルだった。曲順も変更されているのだが、彼のリーダー作の国内盤では当初、ジャケットも含めてこういうオリジナル仕様のものが散見された。さらに本作はCD化の際、曲順とジャケットは米国のオリジナル盤の仕様に戻されたものの、邦題は『<em>ビッグ・バンド・サウンド</em>』と改められた。まあそれはともかく、形はどうあれしっかり国内盤が発売されるのだから、本作はなかなかの人気盤なのかもしれない。レコーディングは1966年の２月、やはりハリウッドにおいて行われた。マンシーニの自作は１曲のみで、残りのセレクションは11曲、すべてカヴァーである。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9011 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/cinemarecords3.png" alt="映画撮影のカチンコ(桜色)と映画館の座席で泣いているウサギ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/cinemarecords3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/cinemarecords3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　それでもこのアルバム、一聴でマンシーニのリーダー作とすぐにわかる。<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>、<strong>ラロ・シフリン</strong>、<strong>デューク・エリントン</strong>、<strong>レイ・ノーブル</strong>といったビッグ・バンド・ミュージシャンのレパートリーが採り上げられているが、どの曲も劇的にマンシーニ・サウンドに変わっている。ジャズ色は薄いけれど、ライト・アンド・エアリーなリズムとハーモニーとの調和が、なんともオシャレだ。ジャズのコアなファンのなかには、所詮イージー・リスニングと冷笑する向きもあるかもしれないが、個人的にはマンシーニならではの粋で瀟洒なジャズ・サウンドを大いに歓迎する。アルト・フルート、バス・フルート、はたまたフレンチ・ホルンといった、既存のスタイルにとらわれない独創的な楽器使用にも注目したい。なおこのバンドでピアノを弾いているのは、あの<strong>ジミー・ロウルズ</strong>である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　マンシーニのリーダー作には上記の２枚とは趣きを異にする、シンフォニックな作品もある。なかでも自信をもってご紹介したいのは『<em>スクリーン・コンサート・オブ・ヘンリー・マンシーニ</em>』(1976年)で、原題は『<em>In A Concert Of Film Music</em>』というが、海外では単体および2in1仕様でCD化されている。マンシーニ自身の指揮による<strong>ロンドン交響楽団</strong>が、メドレーないしスイート風にアレンジされた映画音楽を豪華で厚みのあるサウンドで表現。マンシーニの自作曲をはじめ、レイとルグラン、弟子のウィリアムズ、そしてイタリア出身の<strong>ニーノ・ロータ</strong>らの名曲が採り上げられている。壮大なオーケストラ・サウンドは、見事と云うしかない。リリースは1976年の４月だが、レコーディングはそれより少しまえにロンドンのアビー・ロード・スタジオで行われた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに、マンシーニの作品群でもとりわけ異彩を放つ作品として『<em>シンフォニック・ソウル</em>』(1975年)を、お薦めしておく。録音は1975年に従来どおりハリウッドで行われたのだが、セレクトされた楽曲がユニーク。本作でのマンシーニは、ディスコ、R&amp;B、クロスオーヴァーといったジャンルの当時のヒット・ナンバーを、ソウルフルなリズムと、華やかで清涼感溢れるオーケストラ・サウンドで聴かせる。自作の「ピーター・ガン」や「スロー・ホット・ウィンド(ルージョン)」も、グルーヴィーな味つけがなされている。リズム・セクションに、<strong>ジョー・サンプル</strong>(key)、<strong>リー・リトナー</strong>(g)、<strong>デヴィッド T. ウォーカー</strong>(g)、<strong>エイブラハム・ラボリエル</strong>(b)、<strong>ハーヴィー・メイソン</strong>(ds)らが参加していることから、フュージョンの隠れ名盤と云えるかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そして最後に、個人的には小学生のころからずっと親しんできた『<em>ある愛の詩/マンシー二 最新スクリーン・ヒット曲集</em>』(1970年)についてお伝えする。原題は『<em>Mancini Plays The Theme From Love Story</em>』で、1970年にハリウッドで吹き込まれたアルバム。もっともマンシーニらしくもっともイージー・リスニングなアルバムだ。しかしながら本作におけるマンシーニのアレンジには、押し並べてユニークなアイディアとスタイリッシュなセンスが窺える。ぼくはいまもこのレコードをごろ寝しながら聴くのが好きなのだけれど、ときおり予期せぬ発見に気づく瞬間があったりする。なお国内盤は、ぼくが所有する海外盤とはジャケットと曲順が異なるのだが、各曲については原盤の順番に従わせていただく。また、説明のないものは同名映画のテーマ曲である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　オープニングを飾るのは<strong>フランシス・レイ</strong>の「ある愛の詩のテーマ」だが、テーマをピアノとストリングスが切なく歌い上げるところは原曲どおり。しかし女性コーラスとグルーヴィーなベース・ラインはマンシーニ調。<strong>ジョニー・マンデル</strong>の「マッシュのテーマ」は、軽快なジャズ・ロックにアレンジされている。主旋律にオカリナを採用しているのが独特。マンシーニの「ナイト・ヴィジターのテーマ」では、シンセサイザーによるメロディと、チェンバロのアルペジオとが不穏な空気を作り出す。おなじくマンシーニの「大洋のかなたにのテーマ」は、そのまま明るいフラ・タッチの曲だが、どこか垢抜けて聴こえるのはマンシーニ・サウンドならでは。やはりマンシーニの「トゥモロウ・イズ・マイ・フレンド」は、映画『シカゴ・シカゴ/ボスをやっつけろ！』(1969年)のなかの１曲。モダンなアカペラをご堪能あれ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　A面のラスト、<strong>エンニオ・モリコーネ</strong>の「復讐のバラード」は、映画『ウェスタン』(1968年)のテーマ曲。ハーモニカがアンニュイに鳴きまくる。B面のトップ、マンシーニの「暗闇にさようなら」は、映画『暁の出撃』(1970年)の主題歌。口笛と女性コーラス、そして心地いいリズムとノスタルジックなメロディック・ラインと、マンシーニ節が全開。<strong>クロード・ボリング</strong>の「ボルサリーノのテーマ」では、チアフルかつユーモラスなアルト・サックス、ホンキートンク・ピアノ、シロフォンなどが楽しい。マンシーニの「三人のテーマ」は映画『暗くなるまで待って』(1967年)からの１曲。ピアノの調律を敢えてずらす手法は有名だ。「ロス・オブ・ラヴ(ひまわり 愛のテーマ)」は、前述のとおり、永遠の名曲。<strong>レスリー・ブリカッス</strong>の「どうもありがとう」は、映画『クリスマス・キャロル』(1970年)からの１曲。陽気なマーチングでアルバムを締めくくるところにも、不世出のスタイリストであるマンシーニの機知が感じられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"Mancini Plays The Theme from \u0022Love Story\u0022","b":"RCA Victor","t":"Henry Mancini","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/61cvN02CgvL._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B076NQGTDX","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B076NQGTDX","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/Mancini%20Plays%20the%20Theme%20from%20%22Love%20Story%22\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=Mancini%20Plays%20the%20Theme%20from%20%22Love%20Story%22","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"9CWhh","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-9CWhh">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/henry-mancini-mancini-plays-the-theme-from-love-story/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>David Benoit / Heavier Than Yesterday (1977年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/david-benoit-heavier-than-yesterday/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=david-benoit-heavier-than-yesterday</link>
					<comments>https://kimama-music.com/david-benoit-heavier-than-yesterday/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 05 Apr 2026 07:45:08 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[David Benoit]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=8967</guid>

					<description><![CDATA[ジャズ/フュージョンにおける従来の表現形式や素材、あるいは概念に縛られず、積極的に新たなアプローチが試みられたデヴィッド・ベノワのデビュー・アルバム『ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">ジャズ/フュージョンにおける従来の表現形式や素材、あるいは概念に縛られず、積極的に新たなアプローチが試みられたデヴィッド・ベノワのデビュー・アルバム『ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : David Benoit / Heavier Than Yesterday(1977)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : I Wish Right Now Would Never End</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">日本では音楽界に颯爽と現れたピアニストの新星というような扱いをされた</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>デヴィッド・ベノワ</strong>といえば、ジャズ/フュージョン系のピアニスト、コンポーザー、音楽プロデューサーとしては、もはや重鎮と云える。近年、その外見からずいぶんとお年を召されたなと思っていたら、1953年８月18日生まれというから彼ももう72歳になっていたのだった。ほんとうに月日が経つのは、早いものである。思えば、ベノワの日本でのデビュー・アルバム『<em>サマー</em>』(1986年)がリリースされてから、ちょうど40年ものときが流れていた。あのころのベノワといえば、日本では音楽界に颯爽と現れたピアニストの新星というような扱いをされたもの。ルックス的にも、30代とはいえまだ可愛らしい顔をしていた。なお『<em>サマー</em>』は、日本のキングレコード傘下のフュージョン系レーベル、エレクトリック・バードのプロジェクト作品だった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　近年のベノワといえば、スタインウェイ・アンド・サンズ・レーベルから『<em>スタインウェイ・アフター・ダーク</em>』(2025年)というアルバムをリリースしたことが記憶に新しい。2024年11月13日、カリフォルニア州ロサンゼルスにおいて吹き込まれたソロ・ピアノ集である。ベノワ自身のオリジナル・ナンバーや彼が長年敬愛しつづけている<strong>ヴィンス・ガラルディ</strong>の曲をはじめ、ジャズ・スタンダーズ、映画主題歌などを寛いだテイストと美しいタッチとで聴かせる、珠玉のバラード・アルバムだ。長年の音楽生活において得た経験と実力に基づいた威厳や風格はともかく、このレコーディングのときベノワは70歳を超えていたのだが、それをまったく感じさせないピアノ・サウンドの、あたかも採れたての果実のような瑞々しさに驚かされた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんないまも健在なベノワにちょっと嬉しくなったりもするのだが、若き日のプレイに観られた鋭角的なテクニック、リズミックなエナジー、そして未完成ながらも独自の解釈を模索するパッションなどは、さすがにいまは鳴りをひそめている。そんなベノワはぼくにとってさきに挙げた『<em>サマー</em>』が発売される以前から、その作品の日本国内発売を切望していたアーティストのひとりだった。当時の彼は、前述のように日本ではニューフェイスのような扱いをされたが、実はそのときの年齢は32歳で、すでに音楽家としてのキャリアをかなり積んでいた。具体的には、ベノワは13歳からピアノを弾きはじめ、18歳からはすでにプロのミュージシャンとして仕事をしていたのである。いずれにしても、ぼくは早い段階から彼の音楽に親しんでいた。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8979 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano1.png" alt="パステルカラーのグランドピアノ(パステルカラーのグランドピアノ(ライトグリーン)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　この『<em>サマー</em>』が発売された年のことだが、こんなこぼれ話がある。おそらくこの出来事を記憶に留めているひとはあまりいないだろうから、ここにご紹介しておく。その年のある日、ぼくが見るともなしに見ていたテレビから、聴き覚えのある曲が流れてきた。画面には当時の人気フリーアナウンサー、<strong>楠田枝里子</strong>が映っている──。それは、花王のヘアケア商品「エッセンシャル」のCMだった。問題はその背景で鳴っているインストゥルメンタルだが、アコースティック・ピアノによって奏でられ、清涼感に溢れながらもちょっと愁いを含んだメロディック・ラインが印象的な「ステージズ」という曲だった。ほかでもない、リリースされたばかりの『<em>サマー</em>』に収録されていたトラックである。このときぼくは密かに、いよいよベノワ・サウンドも本格的に日本上陸かと嬉しく思ったもの。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それと同時に、まさかベノワの曲が日本のテレビCMで使われるなんて思いもよらなかったので、ぼくはちょっとした衝撃も受けた。それは正確に云えば、驚きを感じるというよりは、ある種の爽快感を覚えるような出来事だった。なにしろ、それまで輸入盤でしか聴けなかったベノワの音楽が、日本の企画で気軽に楽しめるようになったばかりでなく、ときを移さずCMソングとしてお茶の間に届けられたのだから──。いま思い返せば、こんなこともまた時代を映し出す鏡のようなものと捉えられる。当時の日本の音楽業界、それに消費者のキャパシティは、いまと比較すると圧倒的に甚大だったのだろう。当時の日本はバブル景気の時代にあり、音楽に関してもまさにバブルだったと云える。なにしろ当時の音楽のトレンドといえば、ジャンルにおいては非常に幅が広かったのだから──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんな状況にあったからか以降、日本でのベノワの人気は急上昇した。さらにつけ加えるとそれより少しまえになるが、ベノワの７枚目のリーダー作『<em>ディス・サイド・アップ</em>』(1985年)が輸入盤を扱うショップを賑わせていた。ぼくもすかさずこのレコードを入手したのだが、それから間もなく収録曲の「ライナス・アンド・ルーシー」と「ビーチ・トレイル」がそれぞれ、ニッポン放送のラジオ番組『斉藤由貴 ネコの手も借りたい』(1986年４月19日 &#8211; 1995年４月９日)のOPとEDで使用され、さらに本盤の人気に拍車がかかった。アメリカはテキサス州オースティンのマイナー・レーベル、スピンドルトップ・レコードからリリースされたこのアルバムは、モノクロームの地味なジャケットとはウラハラに、中身のほうはメジャー・レーベルの作品にまったく引けをとらない贅沢で華やかな出来栄えだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、このスピンドルトップ・レコードは、当時はまだ無名だったスムース・ジャズ・シーンの雄、サクソフォニストの<strong>ボニー・ジェームス</strong>を『<em>トラスト</em>』(1992年)でアルバム・デビューさせたレーベルでもある。ベノワとの関係が深いキーボーディスト、<strong>ビル・マイヤーズ</strong>や、当時ベノワのバンド・メンバーでもあったサックス＆フルート奏者、<strong>サム・ライニー</strong>のリーダー作も何枚かリリースしている。爽やかなウエストコースト・サウンド作品や、洗練されたコンテンポラリー・ジャズ・アルバムを世に送り出すレーベルとして、音楽通のあいだでは早くから注目を集めていた。なおこのレーベルで多くの作品を手がけたグラミー賞受賞経験のあるプロデューサー、<strong>ジェフリー・ウェーバー</strong>は『<em>ディス・サイド・アップ</em>』以降のベノワ作品にも大きく関わっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ときにこの『<em>ディス・サイド・アップ</em>』だが、西海岸の名うてのミュージシャンにストリングスが加えられた豪華な編成も然ることながら、<strong>チャールズ M. シュルツ</strong>のアニメ『ピーナッツ』の音楽、ブレイク直前の<strong>ダイアン・リーヴス</strong>をフィーチュアしたヴォーカル・ナンバー、<strong>ビル・エヴァンス</strong>のカヴァーなど、ベノワの音楽を形成するファクターが渾然一体となったサウンドスケープが、とにかく魅力的だった。それまでのフュージョンといえば、どちらかといえばジャジーでファンキーなサウンドが主流だったが、彼のアコースティック・ピアノを中心に据えた音の景観は、とにかく明るく透明感に溢れている。メロディ、ハーモニー、リズムと、どこをとっても明快で、その点ではのちのスムース・ジャズの源流となるサウンドと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくがベノワの名前をはじめて知ったのは、この『<em>ディス・サイド・アップ</em>』を手にしたときよりもおよそ10年ほどまえで、<strong>ウェザー・リポート</strong>の初代ドラマー、<strong>アルフォンス・ムザーン</strong>の４枚目のリーダー作『<em>ザ・マン・インコグニート</em>』(1976年)でのこと。ぼくがこのポップでダンサブルなブルーノート盤を手にしたのは、自分の敬愛する<strong>デイヴ・グルーシン</strong>がお目当てだったから。そしてグルーシンとともに、曲によってアコースティック・ピアノとエレクトリック・ピアノを仲良く交代しながら弾いていたのが、誰あろうベノワだったのである。ちょうどこのころ、ベノワは女優でシンガーの<strong>レイニー・カザン</strong>のミュージカル・ディレクター兼コンダクターを務めていたのだが、おそらくそれが彼にとってショー・ビジネスのキャリアとしては第一歩だったのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">AVIレコードとアーティスト契約を結びリーダー・アルバムを制作</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ベノワはカリフォルニア州のベーカーズフィールドに生まれ、前述のように13歳のときからピアノを弾きはじめた。ファンキーなジャズ・ピアニスト、<strong>ラムゼイ・ルイス</strong>のジャズ・ロックの名盤『<em>ジ・イン・クラウド</em>』(1965年)を聴いて感銘を受け、音楽家への道を志すようになったという。高校時代はもっぱらピアノのレッスンに打ち込み、ロサンゼルスのエル・カミノ・カレッジにおいて音楽理論と作曲を専攻し、さらにカリフォルニア大学ロサンゼルス校で映画音楽の作曲や指揮法を学んでいる。そしてその間、18歳の誕生日のことだが、ベノワはトレンド・ビーチの桟橋の近くにあったポリネシアン・ルームという店ではじめてステージに立った。その１年後に彼は、ジャズ・ピアニストの<strong>ドン・ランディ</strong>が経営する、ロサンゼルスの名門クラブ、ベイクド・ポテトにも出演するようになった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなベノワのピアノのテクニックといえば、フレージングやレンディションの選択に実に細やかな配慮がなされている。彼が敬愛する<strong>ビル・エヴァンス</strong>とスタイルこそ違うが、一音一音を丁寧に紡いでいくような真摯なスタンスには、同種のジャズ・スピリッツが感じられる。その点は『<em>ディス・サイド・アップ</em>』を聴いただけでも、よくわかる。そんな確固たる実力に早くから注目していたのが、当時、青山にあったミュージック・カフェ「Paul’s Bar」のオーナーで、ベイクド・ポテト・レーベルのエグゼクティヴ・プロデューサーも務めた<strong>ポール森田</strong>と、音楽雑誌「ADLIB」(2010年に休刊)の編集長、<strong>松下佳男</strong>だった。ふたりがそれぞれ、エグゼクティヴ・プロデューサー、スーパーヴァイザーとして尽力し、完成させたアルバムがまさに『<em>サマー</em>』だったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はこの『<em>サマー</em>』の収録曲、上記のふたりとエレクトリック・バードのプロデューサー、<strong>川島重行</strong>によって、ベノワの過去のアルバムからチョイスされたものだった。むろん本作はコンピレーション・アルバムではなく、全曲ハリウッドのオーシャン・ウェイ・レコーディングで新たに吹き込まれた、オリジナル・アルバムだ。レコーディングでは、<strong>ボブ・フェルドマン</strong>(b)、<strong>トニー・モラレス</strong>(ds)、<strong>サム・ライニー</strong>(sax)といった、当時のベノワのグループのレギュラー・メンバーが中心となり『<em>ディス・サイド・アップ</em>』にも参加した<strong>ロサンゼルス・モダン・ストリング・オーケストラ</strong>がサポートを務めた。特筆すべきは、本作が２トラック・デジタル・レコーディング方式で吹き込まれたということ。つまり本作は、ある種のスタジオ・ライヴ盤なのである。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8980 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano2.png" alt="パステルカラーのグランドピアノ(パステルカラーのグランドピアノ(ピンク)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　当然のことながら、ミキシングもオーヴァーダビングもないので、通常の録音よりも演奏に躍動感と臨場感が増している。そのせいか本作では、ベノワの旧作のリメイクという体裁がとられていながらも、どのトラックもオリジナルよりサウンドにエッジが効いていて新鮮な印象を与える。ベノワにとっては慣れた曲ということもあり演奏は極めて安定しており、アレンジも細かい修正が施されていて楽曲の完成度はぐんと上がっている。それはともかく、このアルバムに収められている９曲は、ベノワが『<em>ディス・サイド・アップ</em>』を発表する以前に所属していたロサンゼルスのマイナー・レーベル、AVIレコードからリリースされた彼のリーダー作からセレクトされたものだ。実を云うと、ぼくはのちにGRPレコードと契約してスターダムにのし上がったベノワよりも、AVI時代の彼が好きだったりする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　AVIレコードは、1968年にアメリカン・ヴァラエティ・インターナショナル傘下で設立され、1977年からは自社配給が開始されたインディペンデント・レーベルだ。初期は派手なコスチュームで大衆の人気を博したピアニスト、エンターテイナーの<strong>リベラーチェ</strong>の、クラシックとポップスとを融合したような作品をリリースしたりしていたが、1970年代の半ばからはエレクトロニック・ディスコのソングライティング・デュオ、<strong>エル・ココ</strong>の数々のアルバムを制作して成功を収めた。このデュオのサウンドにはジャズからの影響が感じられるのだけれど、そのせいかAVIレコード自体もジャズ・ミュージシャンに興味を持ったようで、その後カナダ出身のサクソフォニスト兼フルーティストの<strong>ダグ・リチャードソン</strong>と契約している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ダグ・リチャードソン</strong>のアルバム『<em>ナイト・トーク</em>』(1977年)は、いまもクラブ世代から支持される名盤だが、実はこのアルバムにベノワがキーボーディストとして全面的に参加している。DJたちの間ではフロア・ボムとなっている「サルサ・ママ」という曲で、キャッチーなラテン・タッチのピアノを弾いているのは、ほかでもないベノワなのである。当時ベノワは、リチャードソンとともにクラブでギグを行ったりしていたのだが、AVIレコードが<strong>デイヴ・グルーシン</strong>と<strong>ビル・エヴァンス</strong>とをかけ合わせたようなピアニストを探していたことから、リチャードソンによってレコード会社のプロデューサーたちに推薦されたのだった。そして彼は、リチャードソンのレコーディングを訪れたAVIの社長、<strong>レイ・ハリス</strong>のお眼鏡に適ったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　AVIレコードとアーティスト契約を結んだベノワは、ときを移さずリーダー・アルバムの制作にとりかかる。ベノワが最初に吹き込んだトラックは「ライフ・イズ・ライク・ア・サンバ」という彼のオリジナル・ナンバーだったが、この曲はのちに2000年代のブラジリアン・ジャズ・グルーヴの再評価の流れのなかで、クラブ・シーンで注目を集めた。軽快なサンバ・リズムに、エレガントなアコースティック・ピアノのフレーズが重なるという、ソフィスティケーテッドなサウンドは、DJによってラテン・ジャズ・クラシックスとしてミックスされたり、ヌー・ジャズ系あるいはブロークンビート系のアーティストによってサンプリング・ソースとして使用されたりしたのである。その点ではこの曲、ベノワの最初期の代表曲と云ってもいいだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　当然のごとく「ライフ・イズ・ライク・ア・サンバ」は、前述の『<em>サマー</em>』でも採り上げられた。ただ個人的には、この曲に関してはオリジナル・ヴァージョンのほうが断然いいと思う。このトラックは、さながらエクスクイジット・タッチとでも云いたくなるような美しいアコースティック・ピアノ、グルーヴィーなエレクトリック・ベース、よくドライヴするブラシを使ったドラムス、そしてアップビートなパーカッションといった、どちらかというとシンプルな編成で軽快さが際立っている。興味深いことに、この演奏のプレイバックを聴きながら、プロデューサーの<strong>マイケル・ルイス</strong>と<strong>ローリン・リンダー</strong>はベノワ対して、残りのトラックにおいてシンセサイザーの大規模な導入と、アレンジによりアグレッシヴネスを加味することを要求したのだという。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　スタジオに戻ったベノワは、見事にプロデューサーの意向を汲みアルバムを完成させる。まあ、ルイスとリンダーとは、AVIレコードで流行りのエレクトロニックなディスコ・サウンドを世に送り出していたクリエイティヴ・ユニットだから、シンセサイザー志向のトラックをリクエストするのも当然のことだろう。ところが面白いことに、西海岸のラジオ・ステーションで実際にパワープレイとなったのは、プロデューサーの目論見に反して、シンセドリヴンなナンバーではなくリズム・セクションにストリング・オーケストラが加わったメロディックなコンポジションだったという。ベノワ本人が証言していることだが、この出来事がその後の彼のサウンドの方向性を定めるキッカケになったのだという。そしてそれこそが、さきに述べたスムース・ジャズの源流となるものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">ベノワの熱意や挑戦が感じられる作品群、その嚆矢となるアルバム</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いずれにしても、このレコーディングは、親しみやすいメロディと洗練されたグルーヴを特徴とするサウンドで、のちにスムース・ジャズ・シーンで確固たる地位を築くことになるベノワの出発点。このときの吹き込みは、アルバム『<em>ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ</em>』(1977年)としてリリースされた。その後もベノワはAVIレコードにおいて『<em>キャン・ユー・イマジン</em>』(1980年)『<em>ステージズ</em>』(1982年)『<em>ディジッツ</em>』(1983年)『<em>クリスマスタイム</em>』(1983年)『<em>ウェイヴズ・オブ・レイヴズ</em>』(1984年)を制作、デビュー作も含めると計６枚のリーダー・アルバムを発表した。これらはすべて、海外盤のみだがCD化済みとなっている。しかしながら、どれもアナログ盤とともに、現在ではなかなか入手が困難らしい。もしショップで見かけたら、迷うことなく手にとっていただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　比較的入手しやすいのは、ヒップ・オー・レコードからリリースされた『<em>アーティスツ・チョイス</em>』(1998年)というCDで、本盤は日本国内でも発売された。AVIレコードにおいて吹き込まれた音源のなかから、ベノワ自身がチョイスした14トラックで構成されたベスト・アルバムである。本盤を聴いただけでも、AVI時代のベノワがいかに自己投影的かつ意欲的に音楽制作に取り組んでいたかがわかるし、前述の『<em>サマー</em>』と７曲共通するその楽曲の素晴らしさを、あらためて知ることもできる。また、ライノ・レコードから『<em>ロスト・アンド・ファウンド</em>』(1994年)というCDがリリースされているが、こちらは<strong>ダグ・リチャードソン</strong>のレコーディングを含む、AVI時代の未発表音源がまとめられたコンピレーション・アルバム。ベノワの初期の音楽性が、より深掘りされた１枚である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお、最後にリリースされた『<em>ウェイヴズ・オブ・レイヴズ</em>』は、既発の作品に収録されていた８曲と新たに録音された１曲がコンパイルされたベスト・アルバムである。新録の「アイ・オブ・ザ・タイガー」は、<strong>シルヴェスター・スタローン</strong>が監督、脚本、主演の３役を務めた映画『ロッキー３』(1982年)の主題歌のカヴァー。原曲はスタローン自身の依頼で制作された、ロック・バンド、<strong>サバイバー</strong>のビルボード誌のチャートにおいて６週連続１位を記録した大ヒット曲だ。ベノワはこの有名な曲に、まったく異なるグルーヴのアレンジを施している。アコースティック・ピアノが主軸に据えられたインストゥルメンタルだが、アドリブ・パートではフェンダー・ローズへのもち替え、後半では４ビートへのスウィッチとハードなピアノ・プレイとが際立つ。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8981 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano3.png" alt="パステルカラーのグランドピアノ(パステルカラーのグランドピアノ(ブルー)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ベノワのアレンジのマナーといえば、のちにGRPレコードにおける数々の作品において本領が発揮されるわけだが、この「アイ・オブ・ザ・タイガー」などを聴くと、すでにそのポテンシャルの高さが感じられる。もはやどこを切ってもベノワ・サウンド一色のクオリティの高いカヴァーとなっているので、機会があればぜひ聴いていただきたい。また、あわせて補足させていただくが、AVIレコードにおけるベノワの６枚のアルバムのうち『<em>ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ</em>』と『<em>ディジッツ</em>』は、レコードとCDとではジャケットが異なる。前者では浜辺を歩くベノワの写真が顔写真(実は『<em>ディジッツ</em>』で使用されたもの)に、後者では手のアップ写真から手のイラストレーション・デザインに差し替えられている。CD化は1990年のことだが、おそらく時代に即したリパッケージングなのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　AVIレコードからリリースされたベノワのリーダー作は、ある程度自由な制作が制限されたであろうメジャー・レーベル時代のアルバムとは違い、どれも彼の熱意や挑戦が感じられる作品ばかりである。個人的な好みでは、ジャズ/フュージョンにおける従来の表現形式や素材、あるいは概念に縛られず、積極的に新たなアプローチが試みられた『<em>ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ</em>』と、ベノワ本人が認めているように、ピアニスト、コンポーザー、アレンジャー、そしてプロデューサーといった、彼の音楽性が全面的に浮き彫りになった『<em>ステージズ</em>』が好きだ。のちにベノワは『<em>ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ</em>』におけるシンセサイザー・サウンドを振り返って、非常に時代遅れとセルフレヴューしているが、いまではむしろヴィンテージというひとつの完成されたブランドと捉えてもいいのでは──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで長々と語ってきたが、最後にベノワの記念すべきデビュー・アルバム『<em>ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ</em>』について、具体的にお伝えしようと思う。レコーディング・メンバーは、<strong>デヴィッド・ベノワ</strong>(key)、<strong>マイク・ミラー</strong>(g)、<strong>デヴィッド・ウィリアムス</strong>(b)、<strong>ゲイリー・ファーガソン</strong>(ds)、<strong>ローリン・リンダー</strong>(perc, vo)、<strong>ヘクター・アンドラーデ</strong>(perc)、<strong>デヴィッド・シャー</strong>(ob, fl)、<strong>マイケル・ルイス</strong>(synth prog)、<strong>ジェリ・ボッキーノ</strong>(vo)。さらに８名からなるストリング・セクション(vln ×4, Vla ×2, Vc ×2)が加わるが、アレンジと指揮はベノワ自身が手がけている。楽曲はすべてベノワのオリジナルだが、ヴォーカルが入る２曲では<strong>ビル・ラヴィング</strong>というひとが作詞を担当している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムの冒頭を飾る「ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ」は、シンセサイザーがテーマを奏でるグルーヴィーなナンバー。途中サンバ調になったりテンポ・チェンジされたりするところはいかにもベノワ・サウンドらしいのだが、ファンキーなリズム・フィギュアは初期の楽曲ならでは。ピアノやフェンダー・ローズも使用されているが、アドリブ・パートではハモンド・オルガンが使用されている。これもまたレア。２曲目の「アイ・ウィッシュ・ライト・ナウ・ウッド・ネヴァー・エンド」は、爽やかなメロウ・ソウル。ベノワの楽曲としては非常に稀なスタイルだが、個人的には好きな曲。リード・ヴォーカルをとるボッキーノは、名音楽プロデューサー、<strong>フィル・スペクター</strong>の秘蔵っ子。ウィスパー・ヴォイスとスキャットがキュートだ。いっぽうベノワは、ここでもオルガンでソロをとっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　３曲目の「96-132」では、ベノワによるフェンダー・ローズとシンセサイザーとがダイナミックなソロを展開。ミステリアスなムードとファンキー・タッチは<strong>デイヴ・グルーシン</strong>の名曲「モダージ」を彷彿させる。グルーシンは、<strong>ハーヴィー・メイソン</strong>のデビュー・アルバム『<em>マーチング・イン・ザ・ストリート</em>』(1976年)でこの曲をはじめて披露しているから、ベノワはすぐに影響を受けたのだろう。ただベノワの曲は途中から高速サンバに変化する。A面最後の「ゲッティング・アウトサイド」は、<strong>レナード・バーンスタイン</strong>のブロードウェイ・ナンバーを連想させるクラシカルかつアコースティックなナンバー。ベノワのピアノがリズミカルかつエレガントなフレーズを綴る。途中で４ビートになるが、シャーがジャジーなフルート・ソロを繰り広げる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　B面の１曲目「ロサンゼルス」は、おそらくアルバム中もっとも精魂込めて作られた楽曲だろう。シンセサイザー・サウンドが主軸に据えられたファンキーな序盤、アコースティック・ピアノがリリカルな世界を演出する中盤、そしてリズム・セクションとオーケストラとが一体となりアップテンポで走り抜ける終盤と、アーバンでドラマティックな展開を見せる、実に聴き応えのあるナンバーだ。前述の人気曲「ライフ・イズ・ライク・ア・サンバ」は、ダンサブルなブラジリアン・フュージョン。軽快なサンバのリズムに乗って、ベノワのピアノが哀愁漂う美しい旋律を奏でていく。サビで<strong>シャカタク</strong>風にソフィスティケーテッドなコーラスが挿入されるが、実はベノワのほうが先を越していた。いずれにしても、彼の初期のマスターピースと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムのラストを飾る「シーガルズ・パラダイス」では、まずテンポ・ルバートでベノワのロマンティックでエモーショナルなピアノ・プレイを堪能することができる。その後インテンポしてからは、ゆったりとしたリズムとソフトなストリングスとが交錯しながら、詩的な情緒や美しい情景を描いていく。そんななかでもベノワはメロディアスなフレーズを次々と紡ぎ出していき、爽やかな余韻を残す。以上のように本作は、緩急がつけられた楽曲構成となっており、終始リスナーを飽きさせることはないだろう。むろん冒頭で云ったように、現在のベノワも瑞々しいピアノ演奏を聴かせてくれているわけだが、このデビュー作にはいまのサウンドにはない、若さゆえの音楽に対するひたむきさが強く感じられる。これを聴かずして、ベノワを語るべからずである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"Heavier Than Yesterday","b":"AVI Records","t":"David Benoit","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/41wycSY9kML._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B01AXLNZSO","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B01AXLNZSO","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/Heavier%20Than%20Yesterday\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=Heavier%20Than%20Yesterday","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"o4jdN","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-o4jdN">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/david-benoit-heavier-than-yesterday/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Herbie Nichols Trio / Herbie Nichols Trio (1956年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/herbie-nichols-trio-herbie-nichols-trio/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=herbie-nichols-trio-herbie-nichols-trio</link>
					<comments>https://kimama-music.com/herbie-nichols-trio-herbie-nichols-trio/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 29 Mar 2026 07:51:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Herbie Nichols]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=8933</guid>

					<description><![CDATA[モダン・ジャズの隠れた天才、あるいは早すぎた奇才と称されるハービー・ニコルスのリーダー・アルバム『ハービー・ニコルス・トリオ』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">モダン・ジャズの隠れた天才、あるいは早すぎた奇才と称されるハービー・ニコルスのリーダー・アルバム『ハービー・ニコルス・トリオ』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : Herbie Nichols Trio / Herbie Nichols Trio (1956)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Mine</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">大衆に受け入れられなかったが、のちに高い評価を得た。</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ハービー・ニコルス</strong>というピアニスト、好きか嫌いかと問われれば、好きと答えるだろう。ただし好きなタイプのピアニストかというと、決してそうではない。なにせニコルスといえば、世間でハード・バップがもてはやされていた時代に、それとはかけ離れた個性的なプレイをしていたひとなのだから。そういう意味では、<strong>セロニアス・モンク</strong>や<strong>エルモ・ホープ</strong>と似たような存在感を放っている。まあ実際にその演奏を聴いてみればよくわかるのだけれど、ブルーノート・レコードからリリースされたレコードだったら、ニコルスのアルバムよりも<strong>ホレス・シルヴァー</strong>のそれのほうが断然人気があっただろう。そのことにとどまらず、結局のところニコルスは生前は過小評価されつづけたと云わざるを得ない。つまり彼は、不遇のジャズ・ピアニストだったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくがジャズを聴きはじめたのは小学校高学年のころで、最初に耳にしたピアニストは<strong>バド・パウエル</strong>と<strong>ビル・エヴァンス</strong>だった。特にエヴァンスは、ぼくが当時もっとも夢中になったプレイヤーで、いまもいちばん好きなピアニストである。また、自分でもジャズ・ピアノを弾くようになった高校時代にぼくは、<strong>ソニー・クラーク</strong>、<strong>ウィントン・ケリー</strong>、そして<strong>トミー・フラナガン</strong>などのレコードを集中的に聴き、彼らの即興演奏を採譜したりしていた。まあエヴァンスは別格だけれど、どちらかというとオーソドックスなスタイルでよくスウィングするピアニストが好きだったのだ。その後、<strong>マッコイ・タイナー</strong>や<strong>レイ・ブライアント</strong>などの高度なテクニックに衝撃を受け、様々なタイプのピアニストのアルバムを手にとるようになった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなときに出会ったのが、ニコルスのレコード。大学生のころのことだが、最初に手に入れたのは<strong>アル・マッキボン</strong>(b)、<strong>テディ・コティック</strong>(b)、<strong>マックス・ローチ</strong>(ds)をサイドに従えたトリオによる、ブルーノート・レコードからリリースされた『<em>ハービー・ニコルス・トリオ</em>』(1956年)だった。初っ端から、マッキボンが弾き出す安定したビートとスウィング感、そしてローチのオーソドックスなプレイのなかにもとき折見せる鋭敏なタッチに胸がスッとした。ところが、肝心のニコルスのピアノにはなんとなくモヤモヤしてしまった。当初ぼくのなかで彼のプレイが、あたかも霧がかかったように実体がはっきりしないまま、レコードは終焉を迎えたのである。だが、なんとはなしにもう一度はじめから聴いてみると、不思議なことにニコルスの演奏がとても洗練されたものに感じられたのである。 　</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8951 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano1.png" alt="桜を背景にしたグランドピアノ(グリーン)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ニコルスはニューヨーク市マンハッタンのサンファン・ヒル地区に生まれ、ハーレム・エリアで育ったのだが、望むと望まざるとにかかわらず生涯の大半をディキシーランド・ジャズのミュージシャンとして活動した。当初、ほとんど大衆に受け入れられなかった彼の演奏スタイルは、いまはリスナーに想念や心象風景を喚起させるようなもの、いわゆる標題音楽の一種と捉えられ高い評価を得ている。むろんぼくは、はじめて『<em>ハービー・ニコルス・トリオ</em>』を聴いたときは、そんなことは知る由もなかった。ただこのアルバムを繰り返し聴くうちに、直感的にニコルスが創出するサウンドが、同時代のハード・バップのそれときわめて異なる、クリエイティヴでイマジナティヴな貴重なものであると感じるようになったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これもあとで知ったことだが、ニコルスの独創的なスタイルの原点は、実はディキシーランドだったのである。この20世紀初頭にニューオーリンズを中心に発展したポリフォニックなマーチング・スタイルの音楽に、彼はビバップ様式、西インド諸島の民俗音楽、そして<strong>エリック・サティ</strong>や<strong>バルトーク・ベーラ</strong>といった近現代音楽の作曲家の作品がもつ独特のハーモニー感覚をかけ合わせたのだった。構成するひとつひとつの音を丁寧に発するところ、緊張感のある不協和音を奏でるところは、<strong>セロニアス・モンク</strong>に似ている。とはいってもモンクのプレイが予定不調和であるのに対し、ニコルスのそれは独自のテンションを醸成しつづけながらも、ちゃんと整合性がとれているのだ。それゆえ彼の演奏は、リスナーに心理的な負担を与えることはほとんどない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　確かにニコルスがもつ独自の世界観は、なにかとモンクのそれと比較される機会が多いし、実際にふたりの間には親交があったようだ。とはいってもニコルスの演奏は、モンクのそれよりも遥かに聴きやすい。アヴァンギャルドだけれどフリー・ジャズのように完全に自由なわけではなく、綿密に計算された構成のなかでフリーキーなインプロヴィゼーションが展開されるのである。そのダスティカラーのようなトーンが、モンクに軽視される原因だったのかもしれないけれど、ぼくにはその明るさと暗さが混ざったような深みのある色合いが、とてもスタイリッシュなものとして受けとめられた。そのプレイにおける非正統的なアプローチと正確無比なタッチとを兼ね備えたモンクは天才ではあるが、いささか一聴では理解しにくい部分も多々ある。その点、ニコルスはきわめてわかりやすい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにぼくは『<em>ハービー・ニコルス・トリオ</em>』を聴いて、ニコルスは作曲家としてもなかなかいいセンスをしていると思った。いくぶん斜に構えたようなメロディック・ラインと、ひとクセもふたクセもあるユニークなコード・ワークとが生み出す、予測不可能な展開を見せる彼のオリジナル・ナンバーは非常に魅力的だし、ひとたびその心地よさに気がつくと病みつきになるようなところがある。聴き込んでいくと、若干アイロニカルでそれでいてどこかメランコリックなその旋律は、ユーモアやペーソスさえ感じさせる。そういうところが逆にジャズ・ピアニストとしてのニコルスに、落ち着いた感じというか知的で静かな印象を与えているのではなかろうか。いずれにしてもぼくには、彼の創出するサウンドがすこぶるクールに感じられたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ニコルスは1919年１月３日、セントクリストファー島出身者とトリニダード島出身者との両親の間に生まれた。彼のピアノ・スタイルに西インド諸島の民俗音楽からの影響があるのは、このことからだろう。９歳からピアノをはじめた彼は10代のときすでに、1930年代後半から1940年代初頭にかけて活動したジャズ・バンド、<strong>ザ・ロイヤル・バロンズ</strong>で演奏していた。ニコルスの最良の理解者であるベーシスト、<strong>ジョージ・デュヴィヴィエ</strong>とは、このバンドで知り合った。1937年ごろのことである。1941年に徴兵されて歩兵連隊に入隊、退役後は作曲活動およびハーレム・エリアでの演奏活動に従事した。当時、トランペッターの<strong>ラッセル・ジャケー</strong>、その実弟でテナー奏者の<strong>イリノイ・ジャケー</strong>、バリトン奏者の<strong>レオ・パーカー</strong>、トロンボニストの<strong>J. J. ジョンソン</strong>などと共演した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">“レディ・デイ”が歌った「ザ・レディ・シングス・ザ・ブルース」は有名</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにニコルスは<strong>ジョン・カービー・オーケストラ</strong>、<strong>エドガー・サンプソン・オーケストラ</strong>などでも演奏したが、その後マンハッタン西54丁目のジミー・ライアンズ・ジャズ・クラブを中心にディキシーランドを演奏するかたわら、グリニッジ・ヴィレッジ地区のバロウ・ストリートにできたばかりのジャズ・クラブ、カフェ・ボヘミアにおいて自己のトリオでプレイした。このころのニコルスといえば、すでに1952年、不世出の女性ピアニスト兼作編曲家の<strong>メアリー・ルー・ウィリアムズ</strong>が、彼の書いた曲をいくつかレコーディングしていたことから、その名前はそれなりに知れわたっていた。その間二コルスは、ずっと<strong>アルフレッド・ライオン</strong>にブルーノート・レコードとの契約を哀願しつづけたという。念願叶って彼は同レーベルで、1955年の５月６日と13日、待望のリーダー作を10インチ盤で吹き込んだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そのアルバムとは、<strong>アル・マッキボン</strong>(b)、<strong>アート・ブレイキー</strong>(ds)をサイドに従えたトリオ編成による『<em>ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 1</em>』(1955年)と『<em>ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 2</em>』(1955年)である。ぼくはすでに社会人になっていたが、東芝EMIが「ブルーノート LPコレクション・オリジナル“5000”」において復刻した際、逡巡することなく２枚とも入手した。ともにニコルスのオリジナル・ナンバーで埋め尽くされているが、想像していたとおり伝統的なスタイルと前衛的なアプローチとが鮮やかに交錯している。比較的軽快なテンポがつづくなか、ニコルスならではの異彩を放つフレーズが次々と、淀みなく繰り出されていく様がことのほか爽快である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ニコルスの独特のピアノ・スタイル、そしてユニークなコンポジションは、この２枚の10インチ盤ですでに完成されているように思われる。彼の音楽的ルーツである西インド諸島の民俗音楽のエッセンスも感じられる。たとえば『<em>ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 1</em>』の冒頭を飾る「ザ・サード・ワールド」の、どこかエキゾティックな響きとカリビアン調の跳ねるようなリズム感などがまさにそれだ。コード進行も異色の展開を見せる。この曲以外にも、<strong>デューク・エリントン</strong>の軽妙さに捻りをきかせたり、<strong>レニー・トリスターノ</strong>風にアヴァンギャルド・ジャズへアプローチしたり、そしてやはり<strong>セロニアス・モンク</strong>へのリスペクトを感じさせたりもする。まだまだ興味深い点は多々あるのだが、おしなべて、ニコルスの演奏と楽曲は構築美を感じさせる。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8952 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano2.png" alt="桜を背景にしたグランドピアノ(ピンク)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　いろいろ書いてしまうと、ニコルスの音楽は小難しいもののように受けとられてしまいそうだが、決してそんなことはない。確かに彼の楽曲は一聴風変わりではあるが、聴き込むほどにその緻密な構造がクセになるのだ。そのピアノ・プレイの味わいにしても、噛めば噛むほど味が出るところは、さながらスルメイカやビーフジャーキーのようだ。まったく発想が貧困で申し訳ないが、彼の音楽に特有の奥深さがあることは確かである。前述のように、はじめてニコルスのアルバムを聴いたときは、ぼくのようになんだかモヤモヤしてしまうかもしれない。そんなときは、ぜひもう一度はじめから聴いてみていただきたい。ひとたびその良さを知ってしまったら、その魅力や刺激から抜け出せず、何度も繰り返し聴くようになること請け合いである。ああ、これはぼくのことだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まあ、そんな複雑な構成とキャッチーなメロディやフレーズが同居するようなニコルスの不思議な世界観は、すこぶる魅力的であると同時に理解されにくいものでもある。生前はほとんど正当な評価を受けず、商業的にも成功はしなかったニコルスだが、後年モダン・ジャズの隠れた天才、あるいは早すぎた奇才として高く評価されるようになる。不遇のなかで彼が残したレコーディングは、どれも貴重と云える。その先見性と精神性に富んだ演奏と楽曲は、再評価されて然るべきものである。ぼくは書き出しで、ニコルスの演奏を好きか嫌いかと問われれば好きと答えるが、ただし好きなタイプのピアニストかというとそうではないと云った。彼の音楽的価値は認めるし、聴いていて心地よさを感じる。しかし自分でピアノを弾くとき、それを模倣しようとは思わなかった。いや、できなかったのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに『<em>ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 1</em>』と『<em>ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 2</em>』そして『<em>ハービー・ニコルス・トリオ</em>』といった３枚のブルーノート盤は、のちに２枚組のレコード『<em>ザ・サード・ワールド</em>』(1975年)としてリイシューされたが、その際ライナーノーツを執筆したのが、トロンボニストの<strong>ラズウェル・ラッド</strong>だった。彼もまた若いころディキシーランドを演奏していたとのことだが、一般的にはフリー・ジャズやアヴァンギャルド・ジャズの作品で知られる音楽家だ。ラッドは1960年代にニコルスと共演を果たしたばかりでなく、自己のリーダー作においても彼の楽曲を積極的に採り上げた。おそらくニコルスのことをもっとも早い時期から高く評価していたのは、ラッドではなかろうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ニコルスの書く曲は実に風変わりだけれど、そのどれもが独創的なアイデアや表現によって、とてもフレッシュな響きが生み出されている。現代においてもまったく色褪せることのない、しかも流行とは関係のないタイムレスなナンバーばかりである。そのうえ存外親しみやすくて、個人的には彼の曲が大好きだ。ぼくがニコルスのアルバムを聴きはじめたころの日本では、たとえ嗜好の多様性を踏まえたとしても、おしなべて彼のことを高く評価するというか、ジャズ・シーンにおける貴重な存在と観る傾向があったと記憶する。その点ではいつも感じることなのだけれど、わが国のジャズ・ファンはほんとうに慧眼の持ち主が多いと思う。前述の東芝EMIによる「ブルーノート LPコレクション・オリジナル“5000”」の復刻も含めて、こういうときは日本に生まれてよかったな──なんて、調子よく思ったりするのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ついでに云っておくと、ニコルスの自作曲で一般的にもっとも広く知られているのは、やはり「ザ・レディ・シングス・ザ・ブルース」だろう。有名になるキッカケは、ほかでもない“レディ・デイ”の呼称で知られる、アメリカを代表する女性ジャズ・シンガー、<strong>ビリー・ホリデイ</strong>によって歌われたこと。ニコルスが作曲した「セレナーデ」に、ホリデイ自らが歌詞をつけて「ザ・レディ・シングス・ザ・ブルース」となった。ヴァーヴ・レコードからリリースされた『<em>ビリー・ホリデイ物語 &#8211; 奇妙な果実</em>』(1956年)に収録されている。こちらでは、<strong>ウィントン・ケリー</strong>がピアノを弾いていた。これに先立つインストゥルメンタル・ヴァージョンは、さきに挙げた『<em>ハービー・ニコルス・トリオ</em>』に収録されているので、ぜひ聴き比べていただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ホリデイもそうなのだが、一般的には真価を認める向きが少なかったのに対し、ジャズ・プレイヤーのなかには当初からニコルスの音楽性を高く評価するものもそれなりに存在していた。だが、実際にリーダー作のレコーディングに彼を採用するミュージシャンは、あまりいなかったのである。おそらく自己のバンドのスタイルや方針を維持するプレイヤーにとっては、ニコルスの個性があまりにも強すぎたからだろう。彼が参加したアルバムといえば、当時はジャズトーンからリリースされた<strong>レックス・スチュワート・アンド・ヒズ・ディキシーランダーズ</strong>の『<em>ディキシーランド・フリー・フォー・オール</em>』(1955年)や、アトランティック・レコードからリリースされた<strong>ヴィック・ディッケンソン＆ジョー・トーマス</strong>の『<em>メインストリーム</em>』(1959年)ほか、数枚しかなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">ニコルスのリーダー作では、これがマスターピース</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まあ、ニコルスが参加した音盤が少ないのは当然のことながら、彼が1963年4月12日、ニューヨーク市において白血病のため44歳という若さでこの世を去ったことも影響している。なおニコルスは、ニューヨーク州ファーミングデールにあるロングアイランド国立墓地に埋葬された。そんなわけで、ニコルスの吹き込みはきわめて貴重である。最初期の演奏を聴くことができるのは、サヴォイ・レコードからリリースされた『<em>アイ・ジャスト・ラヴ・ジャズ・ピアノ！</em>』(1957年)というアルバムで、<strong>ザ・ハービー・ニコルス・クァルテット</strong>によって1952年に吹き込まれた３曲が収録されている。トリオにギターを加えた編成だが、主役は飽くまでニコルス。力強いタッチはその後のプレイと変わらないが、オーソドックスにスウィングしているところは彼の場合、むしろ稀と云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そしてもう１枚、さきに挙げた『<em>ハービー・ニコルス・トリオ</em>』のレコーディングからおよそ１年と７か月後の1957年11月に吹き込まれた『<em>ラヴ・グルーム・キャッシュ・ラヴ</em>』(1958年)というアルバムがある。<strong>ジョージ・デュヴィヴィエ</strong>(b)、<strong>ダニー・リッチモンド</strong>(ds)をサイドに従えた、ベツレヘム・レコードからリリースされたニコルス最後のリーダー作である。わが国でも1974年にポリドール・レコードから発売されていて、ぼくは学生時代、これを幸いなことに中古レコード店において安価で入手した。本作でも相変わらず彼の非凡な才能が発揮されており、予測不可能で複雑なメロディック・ラインとインプロヴィゼーションは健在。デュヴィヴィエとリッチモンドもエナジェティックなプレイを展開。ニコルスとの息もピッタリ合っている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それでもブルーノート・レコードの３枚と比較すると、アヴァンギャルドな味わいはかなり薄くなっている。逆に<strong>ジミー・ヴァン・ヒューゼン</strong>が作曲した映画『抱擁』(1957年)の主題歌で、主演の<strong>フランク・シナトラ</strong>が歌ったあまりにも有名な「オール・ザ・ウェイ」などでは、フレッシュなフレージングとユニークなハーモニーをまといながらも、ニコルスはオーソドックスなバラード・プレイを披露。個人的にも彼のリーダー作のなかでは、もっとも想定外のコンテンツが含まれたものだった。一部にはブルーノート盤に比べると活気に欠けるという向きもあるようだが、ぼくとしては、前衛的なスタイルも含めて様々な演奏経験を重ねたことによる深み、あるいは渋みと捉えたい。軽くハイパー、きわめてスタイリッシュなサウンドは、やはりニコルスらしい。そして、なによりも聴きやすいのがいい。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8953 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano3.png" alt="桜を背景にしたグランドピアノ(ブルー)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　この『<em>ラヴ・グルーム・キャッシュ・ラヴ</em>』というアルバム、発表された当初は３枚のブルーノート盤と同様にセールス的にはまったく振るわなかったのだという。ベツレヘム・レコードといえば、大衆に広く親しまれるような作品を制作する傾向がある。型破りなプレイヤーであるニコルスが珍しく難解な表現を控えめにしているのも、レーベル・カラーを尊重したからかもしれない。ざっくりとした見かたをすれば、カジュアルで軽やかな作品と捉えられる。にもかかわらず本盤が売れなかったのは、ニコルス自身が大衆からそっぽを向かれていたことを物語っているように思われる。それでもわが国の熱心なファンたちの間では、過去にコレクターズ・アイテムとして重宝されていたこともある。でもいまは、安価な<a rel="nofollow noopener" target="_blank" href="//af.moshimo.com/af/c/click?a_id=3841547&amp;p_id=170&amp;pc_id=185&amp;pl_id=4062&amp;url=https%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fdp%2FB07JHXW98H">アルティメット・ハイ・クオリティCD</a><img loading="lazy" decoding="async" style="border: medium;" src="//i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=3841547&amp;p_id=170&amp;pc_id=185&amp;pl_id=4062" alt="" width="1" height="1" />で、気軽に聴くことができる。まったく、いい時代になったものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　もしこの拙文をお読みいただいて、はじめてニコルスに興味をもったかたがいたら、この『<em>ラヴ・グルーム・キャッシュ・ラヴ</em>』を最初に手にとってみるのもいいかもしれない。そして、もし一聴では簡潔で明快な印象を与える本作でのニコルスのピアノ演奏に、幾何学的に観ると鋭い角度からのアプローチ、いささか逆説的なエクスプレッションなどを見出したら、さらにそれがクールかつソフィスティケーテッドなものと感じたら、そこから時間を逆行して『<em>ハービー・ニコルス・トリオ</em>』『<em>ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 1</em>』と『<em>ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 2</em>』を聴くことを、ぼくは推奨する。個人的には『<em>ハービー・ニコルス・トリオ</em>』を、マスターピースと観ている。ということで最後に、あらためてこのアルバムについて触れておくとしよう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　パーソネルをあらためて記すと、<strong>ハービー・ニコルス</strong>(p)、<strong>アル・マッキボン</strong>(b)、<strong>テディ・コティック</strong>(b)、<strong>マックス・ローチ</strong>(ds)。レコーディングはニュージャージーにおいて、レコードのA面分が1955年８月１日、７日に、そしてB面が1956年４月19日に行われた。なおベーシストは、A面をマッキボン、B面をコティックが担当。エンジニアは云うまでもなく、<strong>ルディ・ヴァン・ゲルダー</strong>である。楽曲は１曲を除いて、すべてニコルスのオリジナル・ナンバーとなっている。アルバム冒頭の「ザ・ギグ」では、インパクトのあるイントロとアウトロ、捻りのきいたメロディック・ラインが印象的。変動するリズムをローチが見事にサポート。ニコルスは力強いタッチで、小気味よく跳ねまくる。都会的な雰囲気とスリリングな構成力とが際立った曲だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　つづく「ハウス・パーティ・スターティング」は、ややグルーミーなムードが醸し出されたミッドテンポの曲。ハーモニー感覚が独特で、リラックスした気分のなかにもニコルスの先進性が感じられる。アップテンポの「チット・チャッティング」では、しっかり４ビートがキープされながらも、既存の枠組みを打破するようなインタープレイが展開される。完成度の高いニコルス・サウンドの典型と云えるかもしれない。前述の「ザ・レディ・シングス・ザ・ブルース」では、ブルージーな心地よい揺らぎのなかで、ニコルスがモダンでアンニュイなフレーズを綴りつづける。短尺ながら、ベース・ソロもアクセントになっている。先鋭的だけれど軽快な「舞踏の女神」では、よくバウンスするニコルスも然ることながら、変幻自在のリズムを打ち出すローチが素晴らしい。途中ラテン・タッチになるのも実にスマートだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　B面の最初の「スピニング・ソング」では、明と暗とが相互に循環するような曲調によって独特の空気が生み出されている。ローチのタム・ワークも面白い。こういう佇まいが、病みつきになるのだ。ファストテンポの「クェアリー」では、クラシカルなメロディック・ラインとソフィスティケーテッドなコード進行とが絶妙に絡み合う。そこには、ある種の爽快感さえある。アルバム中もっともアヴァンギャルドな「ワイルドフラワー」では、ニコルスがシンプルでヴィヴィッドな旋律と即興演奏を展開。耳を澄ませると斬新なシークエンスのなかにも抒情性が感じられる。これもまた、ニコルスの魅力だ。躍動感溢れる「ハングオーヴァー・トライアングル」では、本作のハイライトともいうべきプレイが繰り広げられる。ことに流れるように奇抜な楽句を繰り出すニコルス、高く舞い上がるローチに胸がすく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムのラストを飾るのは、<strong>ジョージ・ガーシュウィン</strong>の「マイン」である。はじめてこのレコードを聴いたとき、なぜこの曲なの？と思った。でもあとからこの絶妙な選曲が、ぼくの本作に対する親しみをより強くさせる要因となったことに気づいた。決してガチガチになって聴く必要はないと思うけれど、どちらかというと常に張り詰めた空気に満ちているようなこの作品において、この寛いだ感じはまさに一服の清涼剤。ほっとひと息ついて感性がリフレッシュされたら、もう一度最初から聴いてみようかなと、ぼくはレコードの盤面をひっくり返すのだった。そういうポジティヴな気持ちにさせられるからか、度々聴きたくなるのがニコルスのアルバムなのである。もともとジャズという音楽にはそういう魅力があるのだろうけれど、ニコラスのそれはその最たるものと云えるかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"ハービー・ニコルス・トリオ","b":"UNIVERSAL MUSIC GROUP","t":"Herbie Nichols","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/51l6JXJNy+L._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B0CMX9MC49","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B0CMX9MC49","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AA\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AA","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"ApLBC","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-ApLBC">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/herbie-nichols-trio-herbie-nichols-trio/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>芥川也寸志 / 八つ墓村 オリジナル・サウンドトラック (1977年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/yasushi-akutagawa-village-of-eight-gravestones-original-soundtrack/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=yasushi-akutagawa-village-of-eight-gravestones-original-soundtrack</link>
					<comments>https://kimama-music.com/yasushi-akutagawa-village-of-eight-gravestones-original-soundtrack/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 22 Mar 2026 06:48:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Soundtrack]]></category>
		<category><![CDATA[Yasushi Akutagawa (芥川也寸志)]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=8898</guid>

					<description><![CDATA[横溝正史のミステリー小説『八つ墓村』完全新作映画化決定──その原点ともいうべき1977年版のサントラ盤、芥川也寸志による『八つ墓村 オリジナル・サウンドトラック』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">横溝正史のミステリー小説『八つ墓村』完全新作映画化決定──その原点ともいうべき1977年版のサントラ盤、芥川也寸志による『八つ墓村 オリジナル・サウンドトラック』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : 芥川也寸志 / 八つ墓村 (1977)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : 青い鬼火の淵(道行のテーマ)</em></p>
</div>
</div>
<h3><span id="toc2">2026年の秋に公開が決定した新作映画『八つ墓村』について</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ミステリーの金字塔とも称される<strong>横溝正史</strong>の小説『八つ墓村』(角川文庫版)が、完全新作として映画化されることが報じられたのは、今年(2026年)の１月末のこと。ぼくは『八つ墓村』をミステリーの金字塔とは思わないけれど、名探偵、金田一耕助が活躍するシリーズが累計発行部数5500万部を突破しているということもあり、横溝さんは間違いなく日本を代表する推理作家であり、日本の本格ミステリーの礎を築いたひとと云える。おそらく多くのひとがすでにストーリーも犯人も知っていると思われるのだけれど、それでも何度となく映像化されるのだから、やはり『八つ墓村』はミステリー文学の名作と云って然るべきだろう。正直なところかくいうぼくも、映像化される度についつい胸をときめかせてしまうのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで2026年１月27日に映画化が発表された、松竹/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントが配給する新作映画『八つ墓村』は、2026年の秋に公開される予定とのことだが、現在はスーパーティザービジュアルの公開のみに留まっている。このスーパーティザービジュアルというコトバ、近年よく耳にするのだけれど、映画だけでなく、主にアニメやゲームなどの新商品のプロモーションにおいて、敢えて具体的な詳細は明かさないままにして、一部のイメージやロゴだけでオーディエンスやユーザーの好奇心を煽り期待感を醸成するという、なんともイヤらしい予告ビジュアルのことである。結果、映画『八つ墓村』についても、SNSや映画情報サイトにおいて、探偵の金田一耕助、主人公の寺田辰弥を誰が演じるのかという、キャスト予想で大いに盛り上がっているようだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちょっと余談になるけれど、先日、2026年３月13日に東京のグランドプリンスホテル新高輪、国際館パミールにて開催された第49回日本アカデミー賞授賞式をテレビで観ていて、思ったことがある。ニッポン放送の深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』の一般リスナーによる投票によって選ばれる話題賞を、俳優部門において映画『ファーストキス 1ST KISS』(2025年)、実写映画『秒速5センチメートル』(2025年)に主演した<strong>松村北斗</strong>が受賞した。問題は登壇した松村さんのヘアスタイルなのだが、オシャレにしてはちょっと不自然なくらいに髪が伸びているように感じられた。そこでぼくが勝手にイメージしたのが、金田一耕助である。金田一の髪型といえば、雀の巣のような蓬髪。原作に長髪とは書かれていなかったと思うが、視覚的には長いほうが映えるだろう。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8913 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones1.png" alt="八つ墓村の明神様のある道" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　松村さんは、云うまでもなく男性アイドル・グループ<strong>SixTONES</strong>のメンバーだけれど、アイドル枠を超えた実力派俳優としても認知されている。個人的には、近年だと上記の２作のほか『キリエのうた』(2023年)『夜明けのすべて』(2024年)などでの繊細な心情表現と独自の陰影を湛えた演技に、あらためて彼の俳優としての魅力を実感させられた。実はぼくは、NHKのプレミアムドラマ『一億円のさようなら』(2020年)を観たとき、松村さんのことはまだなにも知らなかったが、いい俳優だなと思いすっかりファンになってしまった。ついでに云うと、このドラマに出演していた<strong>森田望智</strong>にもおなじような思いを抱いた。森田さんは映画『ナイトフラワー』(2025年)に出演し、今回の日本アカデミー賞で最優秀助演女優賞および新人俳優賞を獲得。目が離せない女優さんだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まあ早合点は大間違いのもとと云うけれど、勝手にあれこれと想像すると、松村さんの金田一耕助はなかなかいい線を行っているように思われる。外観も然ることながら、間の取りかたや視線の向けかた、平穏な状況ではどちらかというと高めの明るい声色が、いざというときに身体の深いところから出てくるような低音に変わるところなどは、事件の行末を見守る探偵、金田一耕助のキャラクターの感情を、フレッシュかつリッチに伝えそうである。いずれにしても、変幻自在な役作りで定評のある松村さんだから、金田一になり切ってくれることだろう。と、これは飽くまでぼくの妄想。原作の『八つ墓村』では、物語が寺田辰弥の一人称で語られ金田一は完全な脇役だが、ファンとしてはどうしても金田一役がいちばん気になってしまうというもの。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　妄想ついでに云っておくと、今回の『八つ墓村』の映画化を耳にしたとき、ぼくが金田一役で思い浮かべた俳優といえば、第49回日本アカデミー賞において複数の部門で優秀賞受賞を果たしたサスペンス映画『爆弾』にも出演した<strong>寛一郎</strong>。こういう云いかたをすると失礼にあたるのかもしれないが、父に<strong>佐藤浩市</strong>、祖父に<strong>三國連太郎</strong>をもつという、名優の血を引くサラブレッドだ。重厚な演技から親しみやすい役まで幅広くこなす、実力派の若手俳優と云っていいだろう。<strong>東野圭吾</strong>原作のファンタジー映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(2017年)での演技が高く評価され、第27回日本映画批評家大賞の新人男優賞を受賞。さらにアナーキーな青春群像劇『菊とギロチン』(2018年)でも、第92回キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞ほか各賞を受賞している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　親譲りの彫りの深い端正な顔立ちと、身長182cmの骨太でしっかりとした体格のもち主である<strong>寛一郎</strong>さんは、原作の金田一像とはかなりかけ離れているけれど、知的な面と無邪気な面を併せもつところは、個人的には金田一役に向いていると思う。ぼくは過去に銀幕に登場した金田一では、映画『悪霊島』(1981年)で<strong>鹿賀丈史</strong>が演じたキャラクターにもっとも親近感が湧いたのだが、<strong>寛一郎</strong>さんにもそれとおなじようなイメージをもったのである。演技に対して真摯に向き合う姿勢や、舞台挨拶などで見せるちょっとシャイな感じから、現代的かつ繊細な金田一を表現してくれるのではないかと、私情で恐縮だが期待してしまう次第。いずれにしても<strong>寛一郎</strong>さんは、父や祖父の威光を感じさせながらも、独立した俳優として実力のある注目株だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、客観的な根拠や事実に基づかず自分の一方的な見かたで述べるのはこの程度にとどめておくが、往年の横溝ブームを体験したぼくにとって新作映画『八つ墓村』については、今後の展開に期待したいところである。それにこの『八つ墓村』という作品、個人的には<strong>横溝正史</strong>の長編推理小説のなかでもなかなか読み応えのあるものと思っているのだが、なぜかこれまでの映像化作品においては一度も満足することがなかった。原作の『八つ墓村』は、1949年から1951年にかけて雑誌『新青年』および『宝石』に連載された長編推理小説だが、金田一耕助が登場する作品としては８作目にあたる。なお『新青年』は国内外の探偵小説を数多く紹介したことで知られるが、横溝さんはこの雑誌で作家デビューしたばかりでなく、２代目編集長としても活躍した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">これまでに映像化された『八つ墓村』を振り返る</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに横溝さんは『新青年』において、海外のミステリー作品を自ら翻訳していたりもする。氏が翻訳を手がけた作品に、アメリカのミステリー作家、<strong>ケネス・デュアン ウィップル</strong>によって執筆された『鍾乳洞殺人事件』(1934年)というのがあるのだが、実のところ『八つ墓村』は、この小説から影響を受けている。鍾乳洞という閉鎖空間が舞台とされていることをはじめ、物語の随所に見られる展開に共通点があるのだが、それは横溝さん本人も認めるところである。また同時に『八つ墓村』は、おなじみの名探偵、エルキュール・ポアロが活躍する<strong>アガサ・クリスティ</strong>の長編推理小説『ABC殺人事件』(1936年)に触発されて書かれた作品でもある。その点で『八つ墓村』は、ミッシング・リンクをテーマとした本格ミステリーと捉えることができるのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところが残念なことに、もともと横溝さんの小説といえば登場人物が非常に多く、人物相関も入り組んでいたりするのだが、この『八つ墓村』ではさらにトリックが複雑で巧妙になっているものだから、その映像化作品のいずれにおいても大幅な改編と省略が行われている。ことにトリックのカギとなる殺人計画書のクダリは、ぞんざいに扱われることがほとんどである。一見無差別連続殺人事件のように見えながら、実はそこに一貫した動機があるというところがミソなのだが、それが曖昧になってしまうのだから、自ずと本格ミステリーの醍醐味は半減するというもの。そのことから『八つ墓村』の映像化作品では、たいてい犯人の犯行動機が変更されている。いずれにしても映像化された『八つ墓村』は、原作よりもミステリーとしての味わいがぐっと薄くなっているのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ではここでこれまでに映像化された『八つ墓村』を、簡単にではあるが具体的に挙げてみよう。本作を原作とした映画は３本、テレビドラマは７作品となる。まず映画だが、東映製作、<strong>松田定次</strong>監督による『八ツ墓村』(1951年)。ぼくはこの映画を観たことがないのだが、<strong>片岡千恵蔵</strong>演じるスーツ姿の金田一が活躍、原作に登場しない人物が犯人に仕立てられているという。つづいて横溝ブームのまっただなかに松竹によって製作された、<strong>野村芳太郎</strong>監督の『八つ墓村』(1977年)。時代設定が当時の現代に変更されているため、<strong>渥美清</strong>演じる金田一は洋装に麦わら帽子という出で立ちで登場。地味に活躍するが、ぼくにはどうしても生真面目になった車寅次郎にしか見えなかった。とはいえ原作でも金田一は脇役なので、それはそれでいいのかもしれない。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8914 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones2.png" alt="八つ墓村の鍾乳洞" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　さきに触れた<strong>篠田正浩</strong>監督の『悪霊島』以降、金田一耕助は銀幕からしばらく姿を消す。ふたたびその姿を見せるのは、15年後のこと。<strong>市川崑</strong>監督の『八つ墓村』(1996年)で、当時トヨエツ・ブームでノリに乗っていた<strong>豊川悦司</strong>が、調子に乗りすぎて奇妙奇天烈な金田一を演じた。ヴィジュアリストである市川監督も作品に様々な技法を施して、大ヒットした『犬神家の一族』(1976年)にはじまる往年のシリーズを再現しようと努力しているのだが、それが却って過剰になってしまい煩わしいとさえ感じられる。ただ原作に従った犯行動機に回帰していること、映像作品では度々削除されてしまう里村典子が比較的重要な役割を果たしていることは、注目に値する。典子は原作小説では、事実上のヒロインなのだけれど──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いっぽうテレビドラマのほうだが、最初の映像化はNET(現在のテレビ朝日)系のテレビシリーズ『怪奇ロマン劇場』の１本として製作された『八つ墓村』(1969年)である。再放送がなかったことからフィルムが現存しないと長らく認識されていたが、2022年の４月にいきなりCS「東映チャンネル」にて再放送され、多くの横溝ファンを驚かせた。主人公の寺田辰弥を、若き日の<strong>田村正和</strong>が演じているのが目を引く。洋装の金田一は、声優としても知られる<strong>金内吉男</strong>が演じているのだが、職業探偵ではなく城南大学の法医学博士として登場。後輩にあたる辰弥からの手紙を受け取り来村、法医学の知識を駆使して事件の解決にあたる。驚くべきはドラマの全長が、たったの48分であるということ。原作の雰囲気が引き継がれ、コンパクトにまとめられているという点で、一見の価値ありだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　つづいて、NHK総合のドラマシリーズ『銀河ドラマ』の１本『サスペンスシリーズ 八つ墓村』(1971年)。ぼくはこの作品は未見だが、１話30分の全5話という構成で丁寧に描かれたせいか、殺人事件がいくつかはカットされているものの、大筋は後続のドラマ化と比較するとかなり原作に忠実であるとのこと。劇団俳優座の同期であるふたり、<strong>山本耕一</strong>が寺田辰弥を、<strong>水野久美</strong>が森美也子をそれぞれ演じている。なお、金田一は登場しないという。そしてその７年後、横溝ブームの勢いが頂点に達していたころに製作されたのが、TBSテレビ系列において全5回で放送された『横溝正史シリーズII・八つ墓村』(1978年)である。金田一を演じたのは、“ミスター金田一”の異名をとる、おなじみの<strong>古谷一行</strong>である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このドラマはもっとも長尺の映像化ということで、観応えはあるしけっこう面白い。ただ前半の展開が比較的原作に忠実なのに対し、後半のストーリーラインは大きく改変されている。犯人は原作どおりだが、その犯行動機がまったく違う。しかも真犯人が、意外な人物に殺害されてしまう。ヒロインの里村典子は登場せず、その代わりに森美也子が寺田辰弥と恋仲になるという設定は、前年に公開された<strong>野村芳太郎</strong>監督の映画『八つ墓村』の大ヒットが影響したのかもしれない。なによりも驚かされるのは、辰弥の母である井川鶴子の恋人、亀井陽一が意外な人物として登場すること、諏訪弁護士がワルものになっていること、そして事件終結後に辰弥があまりにも皮肉な悲劇的末路をたどることだ。それに対する金田一の、超自然的な“祟り”の存在を肯定、暗示するようなセリフも、いかがなものだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　古谷さん演じる金田一は、TBSテレビ系列の２時間ドラマ『月曜ドラマスペシャル』の１本『名探偵・金田一耕助シリーズ・八つ墓村』(1991年)で、ふたたび登場。今度はドラマの尺が114分とコンパクトにまとめられたため、物語は比較的原作に近い形で進行するのだが、エピソードの簡素化はかなり激しい。しかも犯人の犯行動機の改変、典子の削除は相変わらず。はっきり云って、きわめて物足りなさを感じさせる作品である。TBSの『名探偵・金田一耕助シリーズ』(1983年 &#8211; 2005年)は、全32作にもおよぶ人気シリーズだったが、率直に云うと第１作に当たる『本陣殺人事件』(1983年)以外は、作品のクオリティが２時間ドラマの域を出ていない。本人にはお気の毒だが、古谷さん演じる金田一がどんどん老け込んでいくのも正視に耐えなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そして残りのテレビドラマ３作に関してはたいへん恐縮なのだが、内容のいいわるいよりも自分の嗜好に合わないところが多々あるため、どうしても許容できない。フジテレビ系列の２時間ドラマ『金曜エンタテイメント』の１本である『横溝正史シリーズ６・八つ墓村』(1995年)では、<strong>片岡鶴太郎</strong>演じる金田一をぼくはまったく好きになれない。個人的には歴代の金田一のなかで、ワースト１位だ。べつに片岡さんが嫌いというわけではないのだけれど、氏が演じる理性を失うほど情に脆い金田一が疎ましいのだ。おなじ『金曜エンタテイメント』枠で放送された『金田一耕助シリーズ・八つ墓村』(2004年)では、横溝作品へのリスペクトは感じられるものの、バラエティ番組風の過剰な演出に嫌気が差す。自ずと<strong>稲垣吾郎</strong>演じる金田一も、なんだか遊んでいるように見えてしまう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">純然たる鑑賞用音楽として芥川サウンドをじっくり味わう</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　NHK BSプレミアムの『スーパープレミアム』枠で放送された『八つ墓村』(2019年)では、一貫性に欠ける演出に戸惑いを覚える。シリアスなシーンでも緊張感が削がれるような演出が散見される。このシリーズ、一般的な評価は高いようだが、ぼくには本来劇的に描かれるべき場面が、ずいぶん情緒に欠けているように感じられた。そして<strong>吉岡秀隆</strong>演じる金田一、本人には申し訳ないがまったく金田一に見えない。あまつさえ、ぼくには吉岡さんにしか見えないのである。彼は役者魂に溢れた素晴らしい俳優だが、ハッキリ云って金田一には合わない。白髪、凄みのある瞠目、甲高い声といった個性が押し出され、ひとの道理などを説かれた日には、かなりゲンナリさせられる。ただこの作品、これまで削除されがちだった典子が、ラストで村を去る辰弥に押しかけ女房的についてくるところは好きだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　以上のように、映像化された『八つ墓村』は、過去に10作品も存在する。横溝作品のなかでは、飽くまでアダプテーションという点においてだが、11回映像化された『犬神家の一族』に次ぐ人気を誇る。ぼくは書き出しから、過去に『八つ墓村』の映像化作品を観て満足したことは一度もなかったと述べたが、好き嫌いを別にしてもっとも印象に残った作品といえば、圧倒的に1977年に劇場公開された松竹映画だ。あの有名な「祟りじゃ〜っ」というキャッチコピーが流行したのは、この映画のCMからである。しかもこの映画、実は横溝作品の配給収入において、歴史的大ヒットを記録した1976年公開の角川映画第１弾『犬神家の一族』を抜いてトップに位置する。つまり興行的には、もっとも成功した横溝映画なのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またこの映画、企画がもち上がったのは『犬神家の一族』よりもまえの1975年のこと。当初は原作小説の文庫版を発行する角川書店の当時の社長、<strong>角川春樹</strong>が本作のプロデュースに名乗りを上げていた。ところが結局、角川書店と松竹との提携は決裂し『八つ墓村』は松竹単独の製作となり、それを機に角川書店は新たに『犬神家の一族』を製作することとなった。念のために云っておくと、金田一がヨレヨレの和服に袴、お釜帽にボサボサ頭という、原作の記述が忠実に再現されたのは角川映画の『犬神家の一族』が最初だった。あとに公開された松竹の『八つ墓村』において、<strong>渥美清</strong>演じる金田一が洋装で登場し、時代設定が戦後間もない昭和20年代から映画製作当時の現代(昭和40年代)へと移されているのは、その企画が『犬神家の一族』以前のものだったことに起因するのではなかろうか。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8915 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones3.png" alt="八つ墓村を丘の上から見た景色" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/eightgravestones3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　いずれにしても、この『八つ墓村』は横溝映画延いては松竹映画の歴代に残る大ヒット作である。原作のイメージとはまったく違う伝奇ロマン風超大作といった風情をもつ作品だが、小説を読んでいないひとにとっては面白い映画なのだろう。つまりこの映画では、謎解きよりも現実ではありえない不思議な怪奇現象、幻想的な物語、伝説や歴史的伝承にスポットが当てられているのだ。よって戦国時代の村人たちによる落ち武者の惨殺、そして28年まえの多治見家当主による村人32人の虐殺が、いやというほど強調されている。この時点で、当時小学生だったぼくはゲンナリしてしまったのだが、日本刀と猟銃をもって走ってくる<strong>山﨑努</strong>演じる多治見要蔵のアンデッドのような表情、そして鍾乳洞を飛びまわる<strong>小川真由美</strong>演じる森美也子の夜叉のような形相には、かなりの精神的衝撃を受けたものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　また、この『八つ墓村』では、監督の<strong>野村芳太郎</strong>をはじめ、脚本の<strong>橋本忍</strong>、撮影の<strong>川又昂</strong>、そして音楽の<strong>芥川也寸志</strong>と、<strong>松本清張</strong>の同名小説が映画化された大ヒット作『砂の器』(1974年)を創り上げた陣営がそのまま起用されている。おそらく松竹は『八つ墓村』を、横溝さんの小説のストーリーを借りて、第２の『砂の器』に仕立てようとしたのだろう。つまり松竹がいちばんやりたかったのは『砂の器』で芥川さんが音楽監督を、<strong>菅野光亮</strong>が作曲とピアノ演奏を、そして<strong>東京交響楽団</strong>が演奏を務めた、ピアノ協奏曲「宿命」が連綿と流れるクライマックスの“父子の旅”を、今度は『八つ墓村』で芥川さんが書き下ろした美しいワルツ「青い鬼火の淵(道行のテーマ)」を背景に、男女の道行をイメージさせる耽美的な鍾乳洞内の逃避行として再現することだったと思われるのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　確かに辰弥と美也子とが洞窟のなかを「龍の顎(あぎと)」を探し歩く場面では、トラジックかつロマンティックな雰囲気と、重厚なオーケストラによる甘美な旋律とが相まって、作品中もっとも美しいシークエンスが創出されている。そしてぼくにとって、この映画のなかで唯一の救いといえば、まさにこの芥川さんによるスコアなのである。実はぼくは、クラシック音楽の愛好者だった父親の影響で、幼いころから芥川さんの音楽に親しんでいた。特に『交響三章(トリニタ・シンフォニカ)』(1948年)はすごく好きで、1963年に芥川さん自らが指揮した<strong>東京交響楽団</strong>による録音盤は、擦り切れるほど聴いたもの。そんなわけで、映画本編は受け入れ難いのだけれど、サウンドトラック・アルバムは、当時からよく聴いていた。ビクター・レコードから発売された『<a rel="nofollow noopener" target="_blank" href="//af.moshimo.com/af/c/click?a_id=3841547&amp;p_id=170&amp;pc_id=185&amp;pl_id=4062&amp;url=https%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fdp%2FB00005EKMP">八つ墓村 オリジナル・サウンドトラック</a><img loading="lazy" decoding="async" style="border: medium;" src="//i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=3841547&amp;p_id=170&amp;pc_id=185&amp;pl_id=4062" alt="" width="1" height="1" />』(1977年)は、CD化もされたが残念ながら現在は入手が困難とのこと。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　しかしながら2014年、芥川さんによるスコアは、松竹レコードの貴重な音楽マスターテープをCD化する「あの頃映画サントラシリーズ」の１枚として蘇った。もともと当時のサントラ盤に収録されていた楽曲は、フィルムスコアリングとは異なるミックスがなされたもの、あるいはまったく別のヴァージョンばかりだった。たとえばアルバム冒頭の「メインタイトル」などは、ブラスの入りかたがまるで違う。ところがこの「あの頃映画サントラシリーズ」盤では、映画本編で使用されたトラックが余すことなく収録されているほか、公開当時に発売されたシングル・レコード音源、抜粋になるがLPレコード音源も収録されている。実際に映画を観たひとにとっては、むしろ本盤のほうがシックリくるかもしれない。なお演奏は、シングル盤のみ<strong>新日本フィルハーモニー交響楽団</strong>、そのほかは<strong>新室内楽協会</strong>によるものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　作曲と指揮を手がけた芥川さんは、この『八つ墓村』で第１回日本アカデミー賞で最優秀音楽賞を獲得している。なお氏が同年に音楽を手がけた『八甲田山』(1977年)との同時受賞だが、こちらも素晴らしいスコアだった。ときに『八つ墓村』のスコアだが、いかにも芥川さんらしく、ロシア音楽に代表される色彩豊かでドラマティックな管弦楽法を土台とし、ノスタルジックで劇的な日本的要素が融合されている。芥川さんといえば、日本民謡などに根ざしたオスティナート技法を、より洗練された近代的なオーケストレーションに昇華させた音楽家だけれど、ここでも日本の風景や時代情緒が巧みに表現されている。そんな和の趣きと現代音楽的な不協和音とが絡み合いながら展開される音楽は、映画『八つ墓村』にスケールの大きな恐怖と緊張感、そして郷愁をもたらしている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いまでもぼくは、横溝ミステリーとして映画本編をあまり観る気はしないのだけれど、こうしてあらためてサウンドトラックを聴き直すと、もう一度チャレンジしてみようかなという気持ちが湧いてきたりする。芥川さんの音楽は、やはり素晴らしい。このスコアでは「辰弥の回想」が映画『鍵』(1959年)の音楽を、また「落武者のテーマ」がNHKの大河ドラマ『赤穂浪士』(1964年)のテーマ曲を、それぞれ彷彿させたりするけれど、まあそれはご愛嬌ということで、純然たる鑑賞用音楽として芥川サウンドをじっくり味わおうではないか。そして、やはり「青い鬼火の淵(道行のテーマ)」は、何度聴いても感動的な名曲。嬉しいことに「あの頃映画サントラシリーズ」盤には、もっとも長いヴァージョンが収録されている。しみじみとしながらも、新作映画『八つ墓村』が1977年版のような仕様にならないことを祈る今日このごろである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"八つ墓村","b":"SONY MUSIC","t":"芥川也寸志","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/61clKJWn1CL._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B00KKS0JE4","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B00KKS0JE4","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/%E5%85%AB%E3%81%A4%E5%A2%93%E6%9D%91\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=%E5%85%AB%E3%81%A4%E5%A2%93%E6%9D%91","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"Ko3Lm","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-Ko3Lm">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/yasushi-akutagawa-village-of-eight-gravestones-original-soundtrack/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
