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	<title>Jazz | 気ままに音楽生活</title>
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	<description>いささか気ままに──ではありますが　素敵な音楽をご紹介してまいりますので　どうぞよろしくお願いいたします</description>
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	<title>Jazz | 気ままに音楽生活</title>
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	<item>
		<title>McCoy Tyner Trio / Reaching Fourth (1963年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 19 Apr 2026 06:29:05 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[McCoy Tyner]]></category>
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					<description><![CDATA[マッコイ・タイナーがコルトレーンの人脈から外れたサイドメンとともに吹き込んだジャズ・スタンダーズ中心のトリオ作『リーチング・フォース』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">マッコイ・タイナーがコルトレーンの人脈から外れたサイドメンとともに吹き込んだジャズ・スタンダーズ中心のトリオ作『リーチング・フォース』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p><img decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : McCoy Tyner Trio / Reaching Fourth (1963)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Reaching Fourth</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-2" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-2">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">マッコイ・タイナーがコルトレーンの人脈から外れたサイドメンとともに吹き込んだジャズ・スタンダーズ中心のトリオ作『リーチング・フォース』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">20世紀のジャズの巨人、ジョン・コルトレーンとの出会い</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">コルトレーン作品で得た収穫、マッコイ・タイナーとの出会い</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">マッコイ・タイナーのアルバムを聴くならインパルス!盤にかぎる</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">20世紀のジャズの巨人、ジョン・コルトレーンとの出会い</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　振り返ってみると、20世紀のジャズの巨人のひとりであるのにもかかわらず、<strong>ジョン・コルトレーン</strong>を俎上に載せる機会といえば、なぜかこれまであまりなかったように思う。いまもジャズ好きの友人と音楽について談笑するときも、彼のことをまな板の上に載せることはほとんどない。べつに隠しているわけでもないのだけれど、こんなぼくにもコルトレーンの音楽に心酔していた時期がある。具体的にそれは、高校時代から大学時代にかけてのことだ。理由はいろいろある。ジャズを愛好するものの嗜みとして、コルトレーンの演奏を聴き見識をもつことは、ある種の礼儀でもある──なんてわけはないのだが、当時そんな空気があったこともまた事実である。いまはそんなことはないと思うけれど、もしそんな主張があるとすればまったくのナンセンスだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そうはいっても、かく云うぼくのコルトレーンを聴きはじめるキッカケは、そういう無稽な説に踊らされたこと。なんともお恥ずかしいハナシだが、あのころのぼくはジャズを聴くものとして、あるいは演るものとして、承認欲求が強かったのだろう。まさに若気の至りとはこのことなのだが、それでも若さゆえの血気の多さ、あるいは経験不足から、無分別にコルトレーンのレコードを聴きまくったことが自分にとって無駄だったのかというと、一概にそうとは云えない。ぼくは高校時代から本格的にジャズ・ピアノを独学しはじめたのだが、ジャズという音楽において不可避であるインプロヴィゼーションを理解する上で、コルトレーンが構築したイノヴェイティヴな方法論は非常に役立った。また自分にとっては、コルトレーンの演奏を聴くことから、音楽に対して多角的な視点をもつようになったことが大きい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　当時ぼくが聴いていたコルトレーンのレコードといえば、彼がモダン・ジャズの帝王、トランペッターの<strong>マイルス・デイヴィス</strong>の名作『<em>カインド・オブ・ブルー</em>』(1959年)のレコーディングに参加したあとに発表した作品に集中した。すなわち彼がアトランティック・レコードに移籍してすぐに発表した『<em>ジャイアント・ステップス</em>』(1960年)からである。アルバムを手にとる動機となったのは、当時ぼくがもっとも関心をもっていたピアニストのふたり、<strong>トミー・フラナガン</strong>と<strong>ウィントン・ケリー</strong>が参加していたことだった。それはともかく、このころのコルトレーンといえば、ハード・バップのテナー奏者から脱却すべく、様々な試みをするようになっていた。ことに積極的な自作曲の作成、そして革新的な即興演奏の展開は、独自の音楽性を打ち出すこととなった。</p>
<p><img fetchpriority="high" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9042 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz1.png" alt="緑色のグランドピアノと金色のトランペット" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　自分にとって『<em>ジャイアント・ステップス</em>』は、はじめて手にしたコルトレーンのレコードだったのだが、確かにあのころのぼくには、高校生の若輩者とはいえジャズの素晴らしさを理解するものとして他者から認められたいという気持ちがあった。進学と同時に吹奏楽部に入部したぼくは、フルート奏者を志望するもオーディションの印象がよくなかったのだろう、あえなくサックス・パートにまわされた。それまでピアニストのアルバムばかりを聴いていたぼくは、思いがけず自分がサクソフォーンを吹くことになったものだから、あたふたとレコード店に足を運びサックス奏者の作品を購入。そのとき浅学なジャズ少年はさしあたり、ジャズの名盤と誉れ高い『<em>ジャイアント・ステップス</em>』を手にとったというわけである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただ本来ならいのいちばんにサクソフォーンに注目するべきところなのだが、そのころのぼくといえば、ちょうどジャズ・ピアノを独学していたところで、どうしてもピアノに耳がいってしまう。その結果サックスそっちのけで、フラナガンにハマってしまったのだった。テンションの高い状況においても、決してバランスを崩さない彼のプレイに強く惹かれた。それでもコルトレーンの前進志向の音楽性には、目を見張った。云うまでもなく『<em>ジャイアント・ステップス</em>』はコルトレーンにとって、モーダル・ジャズに傾倒する直前の、コード進行に基づく即興演奏の限界を極めた作品である。超難曲のタイトル・ナンバーは、ハイテンポで目まぐるしくコードが変化する(10回転調する)。そんな強烈な緊張感のなかでも、バンドに均衡を保った演奏を展開させたコルトレーンのリーダーシップは、やはりスゴい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで『<em>ジャイアント・ステップス</em>』は、個人的には複数の因果性をもったアルバムということになるのだが、そういう理由からも本作は実にすそ野が広い魅力を有する名盤と、ぼくは思っている。それはさておき、ぼくはその後もコルトレーンのレコードを次々に手にとっていくのだが、彼の音楽に夢中になったのは、やはり『<em>マイ・フェイヴァリット・シングス</em>』(1961年)を聴いたときから。1959年の４月、５月、そして12月と長いスパンのレコーディングによって完成させた、さきの『<em>ジャイアント・ステップス</em>』で大きな名声を得たコルトレーンは、1960年の春、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>のバンドを脱退する。新たに結成したバンドのリーダーとして、積極的に活動することを優先させたからだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　コルトレーンは、早速レギュラー・バンドでツアーを行い、同年の10月には大規模なレコーディングを敢行した。このときのセッションが『<em>マイ・フェイヴァリット・シングス</em>』そして『<em>ジョン・コルトレーン・プレイズ・ザ・ブルース</em>』(1962年)『<em>夜は千の目を持つ</em>』(1964年)といった３枚のアルバムとして、音盤化されたことは周知のとおり。なかでもアルバム『<em>マイ・フェイヴァリット・シングス</em>』のタイトル・ナンバーは、コルトレーンの最初のヒット曲となった。この曲でのスリー・フォー・タイム、マイナー・メロディ、そしてソプラノ・サックスというコンビネーションは、それ以降コルトレーンの定型パターンとして繰り返し用いられた。またジャズやフュージョンにおいてソプラノ・サックスが定番アイテムとなったのは、本作からの影響が大きいと思われる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで「マイ・フェイヴァリット・シングス」という曲だが、もとは<strong>リチャード・ロジャース</strong>作曲、<strong>オスカー・ハマースタイン２世</strong>作詞による、1959年のブロードウェイ作品『サウンド・オブ・ミュージック』のなかの１曲だ。このミュージカル、1965年に<strong>ロバート・ワイズ</strong>監督、<strong>ジュリー・アンドリュース</strong>主演で映画化され、第38回アカデミー賞において数々の賞に輝いたが、そのことからも一般的には映画版のほうが有名と云える。ぼくは小学校高学年のときからクラシック・ピアノの個人レッスンと並行して、ポピュラー・ピアノも弾くようになっていたのだが、最初に演奏した曲が「サウンド・オブ・ミュージック」だった。映画の冒頭でアンドリュース演じるマリアが、山々に囲まれた緑の大地で踊りながら朗々と歌い上げるあの曲だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">コルトレーン作品で得た収穫、マッコイ・タイナーとの出会い</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくはこの曲を演奏したのを機に映画のほうも鑑賞するに至ったのだが、マリアが雷鳴に怯えて自室に集まってきた子供たちに向けて歌う「マイ・フェイヴァリット・シングス」も、しかと記憶に留めている。彼女がオーストリアの家庭生活のささやかな日用品のなかから、“私のお気に入り”を次々に挙げていく可愛らしい歌詞の美しいワルツだが、コルトレーンのカヴァー以来、国の内外を問わず多くのアーティストによって採り上げられつづけている人気曲だ。コルトレーンにとっても、音楽の方向性がモード・ジャズからフリー・スタイルへと変化していく晩年に至るまで、ライヴでの定番曲となっていた。そしてこのカヴァーでは、モード手法が用いられたことで原曲のもつ明るいムードが消え去り、演奏は終始ヒプノティックでパッショネートな表情を湛える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ビバップ以来モダン・ジャズでは、コード進行やコードの分解に基づくインプロヴィゼーションが行われてきたわけだが、ハード・バップに至っては、メロディック・ラインがより洗練されたことによってコードの構成も複雑化したため、即興演奏に対する制限がさらに増した。そのため目まぐるしくコードを変化させて、アドリブ・ソロの進行感を演出したのが、まさにコルトレーンの「ジャイアント・ステップス」だったわけだ。しかしながら、それにも限界というものがある。モードに基づく旋律による進行において、コードの劇的な変化は抑制されてしまったものの、インプロヴィゼーションは飛躍的に自由度が増した。イオニアンやドリアン・モードのなかで同一のモティーフを提示し、コード進行を主体とせず特定のスケールのなかで即興演奏を展開するというのがコルトレーンの解釈だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　コルトレーンは、明るく愛らしいミュージカル・ナンバーである「マイ・フェイヴァリット・シングス」を、モード・ジャズの手法を用いることで、非常に深みのある現代的なムードを漂わせたジャズ・ナンバーに変えてしまった。その音世界といったら、ある意味で精神的かつ神秘的で、いささか退廃的で陰鬱な雰囲気すら醸し出している。端的に云うと、とてもシックでジャジーなのだ。おそらくこの曲、コルトレーンのアレンジと演奏を超えるようなオリジナリティ溢れるヴァージョンは、これまでにもなかっただろうし、今後もお目にかかることは困難だろう。いずれにしてもコルトレーンは、1960年代をとおしてモーダルな即興演奏を、ほかの誰よりも深く追究したジャズ・プレイヤーと云っても過言ではないだろう。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-9043 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz2.png" alt="桜色のグランドピアノと金色のトランペット" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　さて、ハナシがいささか長くなってきたが、ぼくにとってコルトレーンのレコードを聴いて得たいちばんの収穫といえば、前述のように音楽に対して多角的な視点をもつようになったことである。そしてさらに有益だったのは、ピアニストの<strong>マッコイ・タイナー</strong>、ベーシストの<strong>ジミー・ギャリソン</strong>、ドラマーの<strong>エルヴィン・ジョーンズ</strong>といった革新的なプレイヤーの演奏に触れられたことである。タイナーとジョーンズは『<em>マイ・フェイヴァリット・シングス</em>』からすでにコルトレーンのグループのメンバーだったが、ぼくの好きな『<em>バラード</em>』(1962年)『<em>ジョン・コルトレーン＆ジョニー・ハートマン</em>』(1963年)『<em>インプレッションズ</em>』(1963年)『<em>至上の愛</em>』(1965年)といった、インパルス! レコード移籍後のコルトレーン作品では、この３人がリズムやハーモニーを支えていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　特にぼくにとって衝撃的だったのは、タイナーの演奏である。ぼくがジャズを独学する際に参考にしていたピアニストは、<strong>ソニー・クラーク</strong>、<strong>ウィントン・ケリー</strong>、そして<strong>トミー・フラナガン</strong>だった。みなどちらかというと、ハード・バップを中心としたモダン・ジャズの王道を行くようなピアニストだ。タイナーはハード・バップにアプローチすることもあるが、なにせぼくは『<em>マイ・フェイヴァリット・シングス</em>』ではじめて彼の演奏に触れたものだから、彼はクォータル・ハーモニーとドリアン・モードとを活かした次世代のピアニストという印象を受けた。１コード・セクションにおいてモード・スケールで敏捷に駆け抜けるソロ、そしてハンマー奏法のようなダイナミックなコンピングを、当時のぼくは羨望の眼差しで観ていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またこれはちょっとあとで知ったことだが、コルトレーンは1955年ごろからタイナーと知り合いだったらしい。ところでコルトレーンのアルバムに、1958年にプレスティッジ・レコードにおいて吹き込まれた音源が、あとから１枚にまとめられた『<em>ザ・ビリーヴァー</em>』(1964年)というのがある。ハード・バップ時代のレコーディングということでピアノを<strong>レッド・ガーランド</strong>が弾いているのだけれど、このアルバムのトップを飾る表題曲、実はタイナーのオリジナルなのだ。この曲を聴くと、コルトレーンのコードの構成音をすべて使いきるようなプレイ、いわゆる“シーツ・オブ・サウンド”と呼ばれる奏法も然ることながら、録音時期を鑑みると信じられないほどモーダルな響きを放っていることに、とにかく驚かされる。コルトレーンの陰に、すでにタイナーありだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　すでにこのころからタイナーは、コルトレーンにとって必要不可欠な存在だったのかもしれない。タイナーは1955年の夏、当時演奏活動をともにしていたフィラデルフィア・ブラック・ジャズの導師とも称されるトランペッター、<strong>カル・マッセイ</strong>からコルトレーンを紹介されたのだという。考えてみれば、タイナーは17歳の誕生日を迎えるまえだった。13歳からピアノをはじめたとのことだから、単に早熟と云うよりも神童と呼ぶに相応しいずば抜けた才能の持ち主である。おそらくコルトレーンは、出会ったときからタイナーの天賦の才に注目していたのだろう。そしてタイナーのほうも、<strong>レッド・ガーランド</strong>(p)、<strong>ポール・チェンバース</strong>(b)、<strong>フィリー・ジョー・ジョーンズ</strong>(ds)とともに、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>のバンドで堂々とプレイするコルトレーンに、さぞや尊敬の念を抱いていたことだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　当初からタイナーは、スタイルこそ未完成だったが、コルトレーンのインプロヴィゼーションに対するアプローチに心服していたと思われる。というのもコルトレーンがマイルスのもとを離れると、まるで吸い寄せられるように彼が新たに結成したバンドに加入したタイナーは、およそ５年半もの間、コルトレーン・サウンドを支えつづけたからだ。しかもタイナーは、即興演奏において高度なテクニックを有しながらアカンパニストに徹することを心がけていたような節がある。たとえば『<em>インプレッションズ</em>』のなかの表題曲などを聴くと、コルトレーンの奔放なソロがはじまるとタイナーが早々に手を休めているのを確認することができる。これは飽くまで一例で、タイナーにはコルトレーンのプレイが白熱すればするほど、バッキングを控える傾向があるのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">マッコイ・タイナーのアルバムを聴くならインパルス!盤にかぎる</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　むろん、ここぞという場面では、歯切れのいいリズムを刻んだり、美しいハーモニーを奏でたりするタイナー。ときにはソロの合間に、ドラムスの<strong>エルヴィン・ジョーンズ</strong>と呼応するように、強靭なバッキングを披露することもある。ファストテンポの曲だけでなくバラード・プレイにおいても、リッチなコードワークとモーダルでオープンなフレージングで、浮遊感のある響きを生み出している。どちらかというとパワフル・タッチなのにもかかわらず、そこからデリケートなフィーリングが伝わってくるのは、タイナーがコルトレーン・バンドのピアニストに抜擢されたときから、常に伴奏者としての責務を果たそうとこころがけていたことが、影響しているのではなかろうか。いずれにしても彼は、どういうアプローチをするべきか達観していたように思われる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところが1965年12月、長年コルトレーンに敬意を払ってきたタイナーも、ついにバンドから離脱する。理由はコルトレーンが、1964年に<strong>オーネット・コールマン</strong>らと共演したことからフリー・ジャズの可能性に注目し、自己のバンドでも集団即興作品である『<em>アセンション</em>』(1965年)を吹き込んだことに端を発する。以降コルトレーンがフリー・ジャズに傾倒し、大きな足跡を残したことは周知のとおり。タイナーは無調の世界、そして長大化する即興演奏に方向性の違いを感じただろうし、なによりもコルトレーンのバンドにおけるアカンパニストとしてのレゾンデートルをもはや見出すことができなくなったのだろう。その証拠に、バンド在籍中にタイナーがインパルス! レコードに吹き込んだ６枚のリーダー作では、コルトレーン作品では観られない彼の歌ごころが横溢している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タイナーがインパルス! レコードに残したリーダー作を具体的に挙げると『<em>インセプション</em>』(1962年)『<em>リーチング・フォース</em>』(1963年)『<em>バラードとブルースの夜</em>』(1963年)『<em>トゥデイ・アンド・トゥモロウ</em>』(1964年)『<em>ライヴ・アット・ニューポート</em>』(1964年)『<em>プレイズ・エリントン</em>』(1965年)となる。ずっとあとに吹き込まれた『<em>ブルース・フォー・コルトレーン/トリビュート・トゥ・コルトレーン</em>』(1988年)という、MCA傘下時代のインパルス!盤もあるが、当然のごとくこれは対象外。しかも個人的には、話題性ばかりが先行した甚だ残念な作品と観ている。まあ、さらなるバッシングを受けることを覚悟の上で云わせてもらうと、タイナーのアルバムを聴くならインパルス!盤にかぎる。純粋にピアニズムを探求していたころの彼が、ぼくはもっとも好きなのだ。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9044 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz3.png" alt="銀色のグランドピアノと金色のサクソフォン" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/stonejazz3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　当時、忠犬のようにコルトレーンに寄り添っていたタイナーが、上記の６枚のリーダー作では、あたかも師匠の呪縛から解放されたかのように、トラディショナルなジャズ魂を発揮している。とはいってもタイナーは間違いなくコルトレーンをリスペクトしていたわけで、これはぼくの想像だけれど、テクニカルな上手さだけでなく、エモーショナルかつナチュラルな表現が際立った自身の演奏を、彼が真っさきに見せたかったのは、まさにコルトレーンそのひとだったのではなかろうか。あいにくタイナーは、のちにジャズが複雑多様なものへと変化していくなかで、時代の波に翻弄される。ときにはフュージョンやアフロ・キューバンを演ったりもした。そう、コルトレーンが不帰の客となった1967年以降のタイナーは、まるで自らの音楽を育む指標を失ったかのようだった。ぼくの目には、そう映ったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それはそうと、６枚のインパルス!盤でどれがお薦めかというと、たまたま最初に手にとった作品ということもあるのだろうが、個人的にもっとも衝撃を受けた『<em>インセプション</em>』をいのいちばんに挙げる。コルトレーンの門下生、<strong>エルヴィン・ジョーンズ</strong>のポリメトリックなドラミングが、タイナーに終始刺激を与えつづけている。それを受けてタイナーのほうも、気持ちよさそうに鮮明で力強いフレーズを息つく暇もなく繰り出している。また、コルトレーンの『<em>オーレ！コルトレーン</em>』(1961年)で共演済みの<strong>アート・デイヴィス</strong>による歯切れのいいソロも然ることながら、軽快なウォーキングベースが印象に残る。そんなエキサイティングな演奏とは対比的なリラックスしたプレイを堪能するのなら『<em>バラードとブルースの夜</em>』をセレクトするべきだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ベースに<strong>スティーヴ・デイヴィス</strong>、ドラムスに<strong>レックス・ハンフリーズ</strong>(ds)を据えたトリオが、ゆったりとした時間を演出してくれる。とはいってもタイナーのピアノ・プレイは、控えめな優雅さと優しさを湛えながらもけっこう刺激的だったりする。ぼくは大学時代、このアルバムの冒頭を飾る「サテン・ドール」のコピー譜を入手して実際にタイナーの演奏をなぞったことがあるのだけれど、その煌びやかなフレーズを再現するのはなかなか難解だった。そんななか、よくバランスがとれていて作品の完成度がもっとも高いのは『<em>リーチング・フォース』</em>だろう。ベーシストの<strong>ヘンリー・グライムス</strong>、ドラマーの<strong>ロイ・ヘインズ</strong>といった、コルトレーンの人脈から外れたサイドメンが採用されているのが興味深い。管楽器やパーカッションを入れたリーダー作の多いタイナーのトリオ盤という点でも、貴重な１枚である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　レコーディングは1962年11月14日、ニュージャージー州のヴァン・ゲルダー・スタジオにて行われた。アルバム冒頭のタイナーのオリジナル「リーチング・フォース」は、疾走感に富んだモーダルなナンバーだが、コルトレーンからの影響が強く感じられる。タイナーの右手が鍵盤を縦横無尽に駆けめぐる。左手のコード・ワークも力強く色彩豊かだ。グライムスのアルコ・ベース、ヘインズのドラム・ソロも実に小気味いい。ヘインズのドラミングは、いつも軽やかで気持ちがいい。しかもタイコの音が、最高に綺麗。たぶんチューニングのせいなのだろう。シンバルも含めてドラムスのセッティングでは、ぼくはこのひとのがいちばん好きだ。<strong>チック・コリア</strong>の『<em>ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス</em>』(1968年)でのプレイも、本作と併せてお薦めする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ゴードン・ジェンキンス</strong>の「グッドバイ」は、もともとメランコリックな味わいをもった曲だが、タイナーのモードを採り入れたエクスプレッションが甘美な心地よさを生み出している。なんとも聴き飽きるのが難しい、名バラード・プレイである。テナー奏者の<strong>フレッド・レイシー</strong>の「アーニーのテーマ」では、タイナーの軽妙なタッチと機知に富んだフレージングを堪能できる。彼はただ力強いだけのピアニストではないのだ。師匠のほうも『<em>ソウルトレーン</em>』(1958年)で採り上げているが、そちらはストレートなバラード。<strong>レッド・ガーランド</strong>がピアノを弾いている。ぼくは、瀟洒で爽やかなタイナーの解釈のほうが好きだ。グライムスのソロもスマートで、好感度が高い。B面トップの「ブルース・バック」はタイナーによるブルース・ナンバーだが、彼のモーダル・ブルースへのアプローチが都会的なムードを醸成している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>バートン・レーン</strong>のブロードウェイ・ナンバー「オールド・デヴィル・ムーン」では、タイナーによる意匠の凝らされたアレンジが光る。一聴、なんの曲だかわからなかったりする。グライムスとヘインズとが打ち出す足取りの軽いテンポ感、タイナーによる弾むようなフレージングにこころが躍る。こういう楽しげな演奏は、コルトレーンのバンドでは、ほとんど聴くことができない。さらにアルバム・ラストの<strong>リチャード・ロジャース</strong>の「ジョーンズ嬢に会ったかい？」では、テンポが高速になるがやはり軽やかなプレイが展開される。タイナーの流麗なアドリブも然ることながら、グライムスとヘインズとによる堅実なリズム・キープが素晴らしい。特にヘインズのブラシ・ワークが、自らを目立たせようとはせず、タイナーを上手く乗せているのがいい。やや緊張感が漂うのは表題曲のみの本盤、タイナーのアルバムではもっとも爽やかと云えるかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p>最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
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		<title>Herbie Nichols Trio / Herbie Nichols Trio (1956年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 29 Mar 2026 07:51:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Herbie Nichols]]></category>
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					<description><![CDATA[モダン・ジャズの隠れた天才、あるいは早すぎた奇才と称されるハービー・ニコルスのリーダー・アルバム『ハービー・ニコルス・トリオ』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">モダン・ジャズの隠れた天才、あるいは早すぎた奇才と称されるハービー・ニコルスのリーダー・アルバム『ハービー・ニコルス・トリオ』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : Herbie Nichols Trio / Herbie Nichols Trio (1956)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Mine</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-4" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-4">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">モダン・ジャズの隠れた天才、あるいは早すぎた奇才と称されるハービー・ニコルスのリーダー・アルバム『ハービー・ニコルス・トリオ』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">大衆に受け入れられなかったが、のちに高い評価を得た。</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">“レディ・デイ”が歌った「ザ・レディ・シングス・ザ・ブルース」は有名</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">ニコルスのリーダー作では、これがマスターピース</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">大衆に受け入れられなかったが、のちに高い評価を得た。</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ハービー・ニコルス</strong>というピアニスト、好きか嫌いかと問われれば、好きと答えるだろう。ただし好きなタイプのピアニストかというと、決してそうではない。なにせニコルスといえば、世間でハード・バップがもてはやされていた時代に、それとはかけ離れた個性的なプレイをしていたひとなのだから。そういう意味では、<strong>セロニアス・モンク</strong>や<strong>エルモ・ホープ</strong>と似たような存在感を放っている。まあ実際にその演奏を聴いてみればよくわかるのだけれど、ブルーノート・レコードからリリースされたレコードだったら、ニコルスのアルバムよりも<strong>ホレス・シルヴァー</strong>のそれのほうが断然人気があっただろう。そのことにとどまらず、結局のところニコルスは生前は過小評価されつづけたと云わざるを得ない。つまり彼は、不遇のジャズ・ピアニストだったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくがジャズを聴きはじめたのは小学校高学年のころで、最初に耳にしたピアニストは<strong>バド・パウエル</strong>と<strong>ビル・エヴァンス</strong>だった。特にエヴァンスは、ぼくが当時もっとも夢中になったプレイヤーで、いまもいちばん好きなピアニストである。また、自分でもジャズ・ピアノを弾くようになった高校時代にぼくは、<strong>ソニー・クラーク</strong>、<strong>ウィントン・ケリー</strong>、そして<strong>トミー・フラナガン</strong>などのレコードを集中的に聴き、彼らの即興演奏を採譜したりしていた。まあエヴァンスは別格だけれど、どちらかというとオーソドックスなスタイルでよくスウィングするピアニストが好きだったのだ。その後、<strong>マッコイ・タイナー</strong>や<strong>レイ・ブライアント</strong>などの高度なテクニックに衝撃を受け、様々なタイプのピアニストのアルバムを手にとるようになった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなときに出会ったのが、ニコルスのレコード。大学生のころのことだが、最初に手に入れたのは<strong>アル・マッキボン</strong>(b)、<strong>テディ・コティック</strong>(b)、<strong>マックス・ローチ</strong>(ds)をサイドに従えたトリオによる、ブルーノート・レコードからリリースされた『<em>ハービー・ニコルス・トリオ</em>』(1956年)だった。初っ端から、マッキボンが弾き出す安定したビートとスウィング感、そしてローチのオーソドックスなプレイのなかにもとき折見せる鋭敏なタッチに胸がスッとした。ところが、肝心のニコルスのピアノにはなんとなくモヤモヤしてしまった。当初ぼくのなかで彼のプレイが、あたかも霧がかかったように実体がはっきりしないまま、レコードは終焉を迎えたのである。だが、なんとはなしにもう一度はじめから聴いてみると、不思議なことにニコルスの演奏がとても洗練されたものに感じられたのである。 　</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8951 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano1.png" alt="桜を背景にしたグランドピアノ(グリーン)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ニコルスはニューヨーク市マンハッタンのサンファン・ヒル地区に生まれ、ハーレム・エリアで育ったのだが、望むと望まざるとにかかわらず生涯の大半をディキシーランド・ジャズのミュージシャンとして活動した。当初、ほとんど大衆に受け入れられなかった彼の演奏スタイルは、いまはリスナーに想念や心象風景を喚起させるようなもの、いわゆる標題音楽の一種と捉えられ高い評価を得ている。むろんぼくは、はじめて『<em>ハービー・ニコルス・トリオ</em>』を聴いたときは、そんなことは知る由もなかった。ただこのアルバムを繰り返し聴くうちに、直感的にニコルスが創出するサウンドが、同時代のハード・バップのそれときわめて異なる、クリエイティヴでイマジナティヴな貴重なものであると感じるようになったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これもあとで知ったことだが、ニコルスの独創的なスタイルの原点は、実はディキシーランドだったのである。この20世紀初頭にニューオーリンズを中心に発展したポリフォニックなマーチング・スタイルの音楽に、彼はビバップ様式、西インド諸島の民俗音楽、そして<strong>エリック・サティ</strong>や<strong>バルトーク・ベーラ</strong>といった近現代音楽の作曲家の作品がもつ独特のハーモニー感覚をかけ合わせたのだった。構成するひとつひとつの音を丁寧に発するところ、緊張感のある不協和音を奏でるところは、<strong>セロニアス・モンク</strong>に似ている。とはいってもモンクのプレイが予定不調和であるのに対し、ニコルスのそれは独自のテンションを醸成しつづけながらも、ちゃんと整合性がとれているのだ。それゆえ彼の演奏は、リスナーに心理的な負担を与えることはほとんどない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　確かにニコルスがもつ独自の世界観は、なにかとモンクのそれと比較される機会が多いし、実際にふたりの間には親交があったようだ。とはいってもニコルスの演奏は、モンクのそれよりも遥かに聴きやすい。アヴァンギャルドだけれどフリー・ジャズのように完全に自由なわけではなく、綿密に計算された構成のなかでフリーキーなインプロヴィゼーションが展開されるのである。そのダスティカラーのようなトーンが、モンクに軽視される原因だったのかもしれないけれど、ぼくにはその明るさと暗さが混ざったような深みのある色合いが、とてもスタイリッシュなものとして受けとめられた。そのプレイにおける非正統的なアプローチと正確無比なタッチとを兼ね備えたモンクは天才ではあるが、いささか一聴では理解しにくい部分も多々ある。その点、ニコルスはきわめてわかりやすい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにぼくは『<em>ハービー・ニコルス・トリオ</em>』を聴いて、ニコルスは作曲家としてもなかなかいいセンスをしていると思った。いくぶん斜に構えたようなメロディック・ラインと、ひとクセもふたクセもあるユニークなコード・ワークとが生み出す、予測不可能な展開を見せる彼のオリジナル・ナンバーは非常に魅力的だし、ひとたびその心地よさに気がつくと病みつきになるようなところがある。聴き込んでいくと、若干アイロニカルでそれでいてどこかメランコリックなその旋律は、ユーモアやペーソスさえ感じさせる。そういうところが逆にジャズ・ピアニストとしてのニコルスに、落ち着いた感じというか知的で静かな印象を与えているのではなかろうか。いずれにしてもぼくには、彼の創出するサウンドがすこぶるクールに感じられたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ニコルスは1919年１月３日、セントクリストファー島出身者とトリニダード島出身者との両親の間に生まれた。彼のピアノ・スタイルに西インド諸島の民俗音楽からの影響があるのは、このことからだろう。９歳からピアノをはじめた彼は10代のときすでに、1930年代後半から1940年代初頭にかけて活動したジャズ・バンド、<strong>ザ・ロイヤル・バロンズ</strong>で演奏していた。ニコルスの最良の理解者であるベーシスト、<strong>ジョージ・デュヴィヴィエ</strong>とは、このバンドで知り合った。1937年ごろのことである。1941年に徴兵されて歩兵連隊に入隊、退役後は作曲活動およびハーレム・エリアでの演奏活動に従事した。当時、トランペッターの<strong>ラッセル・ジャケー</strong>、その実弟でテナー奏者の<strong>イリノイ・ジャケー</strong>、バリトン奏者の<strong>レオ・パーカー</strong>、トロンボニストの<strong>J. J. ジョンソン</strong>などと共演した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">“レディ・デイ”が歌った「ザ・レディ・シングス・ザ・ブルース」は有名</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにニコルスは<strong>ジョン・カービー・オーケストラ</strong>、<strong>エドガー・サンプソン・オーケストラ</strong>などでも演奏したが、その後マンハッタン西54丁目のジミー・ライアンズ・ジャズ・クラブを中心にディキシーランドを演奏するかたわら、グリニッジ・ヴィレッジ地区のバロウ・ストリートにできたばかりのジャズ・クラブ、カフェ・ボヘミアにおいて自己のトリオでプレイした。このころのニコルスといえば、すでに1952年、不世出の女性ピアニスト兼作編曲家の<strong>メアリー・ルー・ウィリアムズ</strong>が、彼の書いた曲をいくつかレコーディングしていたことから、その名前はそれなりに知れわたっていた。その間二コルスは、ずっと<strong>アルフレッド・ライオン</strong>にブルーノート・レコードとの契約を哀願しつづけたという。念願叶って彼は同レーベルで、1955年の５月６日と13日、待望のリーダー作を10インチ盤で吹き込んだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そのアルバムとは、<strong>アル・マッキボン</strong>(b)、<strong>アート・ブレイキー</strong>(ds)をサイドに従えたトリオ編成による『<em>ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 1</em>』(1955年)と『<em>ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 2</em>』(1955年)である。ぼくはすでに社会人になっていたが、東芝EMIが「ブルーノート LPコレクション・オリジナル“5000”」において復刻した際、逡巡することなく２枚とも入手した。ともにニコルスのオリジナル・ナンバーで埋め尽くされているが、想像していたとおり伝統的なスタイルと前衛的なアプローチとが鮮やかに交錯している。比較的軽快なテンポがつづくなか、ニコルスならではの異彩を放つフレーズが次々と、淀みなく繰り出されていく様がことのほか爽快である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ニコルスの独特のピアノ・スタイル、そしてユニークなコンポジションは、この２枚の10インチ盤ですでに完成されているように思われる。彼の音楽的ルーツである西インド諸島の民俗音楽のエッセンスも感じられる。たとえば『<em>ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 1</em>』の冒頭を飾る「ザ・サード・ワールド」の、どこかエキゾティックな響きとカリビアン調の跳ねるようなリズム感などがまさにそれだ。コード進行も異色の展開を見せる。この曲以外にも、<strong>デューク・エリントン</strong>の軽妙さに捻りをきかせたり、<strong>レニー・トリスターノ</strong>風にアヴァンギャルド・ジャズへアプローチしたり、そしてやはり<strong>セロニアス・モンク</strong>へのリスペクトを感じさせたりもする。まだまだ興味深い点は多々あるのだが、推し並べて、ニコルスの演奏と楽曲は構築美を感じさせる。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8952 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano2.png" alt="桜を背景にしたグランドピアノ(ピンク)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　いろいろ書いてしまうと、ニコルスの音楽は小難しいもののように受けとられてしまいそうだが、決してそんなことはない。確かに彼の楽曲は一聴風変わりではあるが、聴き込むほどにその緻密な構造がクセになるのだ。そのピアノ・プレイの味わいにしても、噛めば噛むほど味が出るところは、さながらスルメイカやビーフジャーキーのようだ。まったく発想が貧困で申し訳ないが、彼の音楽に特有の奥深さがあることは確かである。前述のように、はじめてニコルスのアルバムを聴いたときは、ぼくのようになんだかモヤモヤしてしまうかもしれない。そんなときは、ぜひもう一度はじめから聴いてみていただきたい。ひとたびその良さを知ってしまったら、その魅力や刺激から抜け出せず、何度も繰り返し聴くようになること請け合いである。ああ、これはぼくのことだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まあ、そんな複雑な構成とキャッチーなメロディやフレーズが同居するようなニコルスの不思議な世界観は、すこぶる魅力的であると同時に理解されにくいものでもある。生前はほとんど正当な評価を受けず、商業的にも成功はしなかったニコルスだが、後年モダン・ジャズの隠れた天才、あるいは早すぎた奇才として高く評価されるようになる。不遇のなかで彼が残したレコーディングは、どれも貴重と云える。その先見性と精神性に富んだ演奏と楽曲は、再評価されて然るべきものである。ぼくは書き出しで、ニコルスの演奏を好きか嫌いかと問われれば好きと答えるが、ただし好きなタイプのピアニストかというとそうではないと云った。彼の音楽的価値は認めるし、聴いていて心地よさを感じる。しかし自分でピアノを弾くとき、それを模倣しようとは思わなかった。いや、できなかったのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに『<em>ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 1</em>』と『<em>ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 2</em>』そして『<em>ハービー・ニコルス・トリオ</em>』といった３枚のブルーノート盤は、のちに２枚組のレコード『<em>ザ・サード・ワールド</em>』(1975年)としてリイシューされたが、その際ライナーノーツを執筆したのが、トロンボニストの<strong>ラズウェル・ラッド</strong>だった。彼もまた若いころディキシーランドを演奏していたとのことだが、一般的にはフリー・ジャズやアヴァンギャルド・ジャズの作品で知られる音楽家だ。ラッドは1960年代にニコルスと共演を果たしたばかりでなく、自己のリーダー作においても彼の楽曲を積極的に採り上げた。おそらくニコルスのことをもっとも早い時期から高く評価していたのは、ラッドではなかろうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ニコルスの書く曲は実に風変わりだけれど、そのどれもが独創的なアイデアや表現によって、とてもフレッシュな響きが生み出されている。現代においてもまったく色褪せることのない、しかも流行とは関係のないタイムレスなナンバーばかりである。そのうえ存外親しみやすくて、個人的には彼の曲が大好きだ。ぼくがニコルスのアルバムを聴きはじめたころの日本では、たとえ嗜好の多様性を踏まえたとしても、推し並べて彼のことを高く評価するというか、ジャズ・シーンにおける貴重な存在と観る傾向があったと記憶する。その点ではいつも感じることなのだけれど、わが国のジャズ・ファンはほんとうに慧眼の持ち主が多いと思う。前述の東芝EMIによる「ブルーノート LPコレクション・オリジナル“5000”」の復刻も含めて、こういうときは日本に生まれてよかったな──なんて、調子よく思ったりするのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ついでに云っておくと、ニコルスの自作曲で一般的にもっとも広く知られているのは、やはり「ザ・レディ・シングス・ザ・ブルース」だろう。有名になるキッカケは、ほかでもない“レディ・デイ”の呼称で知られる、アメリカを代表する女性ジャズ・シンガー、<strong>ビリー・ホリデイ</strong>によって歌われたこと。ニコルスが作曲した「セレナーデ」に、ホリデイ自らが歌詞をつけて「ザ・レディ・シングス・ザ・ブルース」となった。ヴァーヴ・レコードからリリースされた『<em>ビリー・ホリデイ物語 &#8211; 奇妙な果実</em>』(1956年)に収録されている。こちらでは、<strong>ウィントン・ケリー</strong>がピアノを弾いていた。これに先立つインストゥルメンタル・ヴァージョンは、さきに挙げた『<em>ハービー・ニコルス・トリオ</em>』に収録されているので、ぜひ聴き比べていただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ホリデイもそうなのだが、一般的には真価を認める向きが少なかったのに対し、ジャズ・プレイヤーのなかには当初からニコルスの音楽性を高く評価するものもそれなりに存在していた。だが、実際にリーダー作のレコーディングに彼を採用するミュージシャンは、あまりいなかったのである。おそらく自己のバンドのスタイルや方針を維持するプレイヤーにとっては、ニコルスの個性があまりにも強すぎたからだろう。彼が参加したアルバムといえば、当時はジャズトーンからリリースされた<strong>レックス・スチュワート・アンド・ヒズ・ディキシーランダーズ</strong>の『<em>ディキシーランド・フリー・フォー・オール</em>』(1955年)や、アトランティック・レコードからリリースされた<strong>ヴィック・ディッケンソン＆ジョー・トーマス</strong>の『<em>メインストリーム</em>』(1959年)ほか、数枚しかなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">ニコルスのリーダー作では、これがマスターピース</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まあ、ニコルスが参加した音盤が少ないのは当然のことながら、彼が1963年4月12日、ニューヨーク市において白血病のため44歳という若さでこの世を去ったことも影響している。なおニコルスは、ニューヨーク州ファーミングデールにあるロングアイランド国立墓地に埋葬された。そんなわけで、ニコルスの吹き込みはきわめて貴重である。最初期の演奏を聴くことができるのは、サヴォイ・レコードからリリースされた『<em>アイ・ジャスト・ラヴ・ジャズ・ピアノ！</em>』(1957年)というアルバムで、<strong>ザ・ハービー・ニコルス・クァルテット</strong>によって1952年に吹き込まれた３曲が収録されている。トリオにギターを加えた編成だが、主役は飽くまでニコルス。力強いタッチはその後のプレイと変わらないが、オーソドックスにスウィングしているところは彼の場合、むしろ稀と云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そしてもう１枚、さきに挙げた『<em>ハービー・ニコルス・トリオ</em>』のレコーディングからおよそ１年と７か月後の1957年11月に吹き込まれた『<em>ラヴ・グルーム・キャッシュ・ラヴ</em>』(1958年)というアルバムがある。<strong>ジョージ・デュヴィヴィエ</strong>(b)、<strong>ダニー・リッチモンド</strong>(ds)をサイドに従えた、ベツレヘム・レコードからリリースされたニコルス最後のリーダー作である。わが国でも1974年にポリドール・レコードから発売されていて、ぼくは学生時代、これを幸いなことに中古レコード店において安価で入手した。本作でも相変わらず彼の非凡な才能が発揮されており、予測不可能で複雑なメロディック・ラインとインプロヴィゼーションは健在。デュヴィヴィエとリッチモンドもエナジェティックなプレイを展開。ニコルスとの息もピッタリ合っている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それでもブルーノート・レコードの３枚と比較すると、アヴァンギャルドな味わいはかなり薄くなっている。逆に<strong>ジミー・ヴァン・ヒューゼン</strong>が作曲した映画『抱擁』(1957年)の主題歌で、主演の<strong>フランク・シナトラ</strong>が歌ったあまりにも有名な「オール・ザ・ウェイ」などでは、フレッシュなフレージングとユニークなハーモニーをまといながらも、ニコルスはオーソドックスなバラード・プレイを披露。個人的にも彼のリーダー作のなかでは、もっとも想定外のコンテンツが含まれたものだった。一部にはブルーノート盤に比べると活気に欠けるという向きもあるようだが、ぼくとしては、前衛的なスタイルも含めて様々な演奏経験を重ねたことによる深み、あるいは渋みと捉えたい。軽くハイパー、きわめてスタイリッシュなサウンドは、やはりニコルスらしい。そして、なによりも聴きやすいのがいい。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8953 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano3.png" alt="桜を背景にしたグランドピアノ(ブルー)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/03/sakurapiano3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　この『<em>ラヴ・グルーム・キャッシュ・ラヴ</em>』というアルバム、発表された当初は３枚のブルーノート盤と同様にセールス的にはまったく振るわなかったのだという。ベツレヘム・レコードといえば、大衆に広く親しまれるような作品を制作する傾向がある。型破りなプレイヤーであるニコルスが珍しく難解な表現を控えめにしているのも、レーベル・カラーを尊重したからかもしれない。ざっくりとした見かたをすれば、カジュアルで軽やかな作品と捉えられる。にもかかわらず本盤が売れなかったのは、ニコルス自身が大衆からそっぽを向かれていたことを物語っているように思われる。それでもわが国の熱心なファンたちの間では、過去にコレクターズ・アイテムとして重宝されていたこともある。でもいまは、安価な<a rel="nofollow noopener" target="_blank" href="//af.moshimo.com/af/c/click?a_id=3841547&amp;p_id=170&amp;pc_id=185&amp;pl_id=4062&amp;url=https%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fdp%2FB07JHXW98H">アルティメット・ハイ・クオリティCD</a><img loading="lazy" decoding="async" style="border: medium;" src="//i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=3841547&amp;p_id=170&amp;pc_id=185&amp;pl_id=4062" alt="" width="1" height="1" />で、気軽に聴くことができる。まったく、いい時代になったものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　もしこの拙文をお読みいただいて、はじめてニコルスに興味をもったかたがいたら、この『<em>ラヴ・グルーム・キャッシュ・ラヴ</em>』を最初に手にとってみるのもいいかもしれない。そして、もし一聴では簡潔で明快な印象を与える本作でのニコルスのピアノ演奏に、幾何学的に観ると鋭い角度からのアプローチ、いささか逆説的なエクスプレッションなどを見出したら、さらにそれがクールかつソフィスティケーテッドなものと感じたら、そこから時間を逆行して『<em>ハービー・ニコルス・トリオ</em>』『<em>ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 1</em>』と『<em>ザ・プロフェティック・ハービー・ニコルス Vol. 2</em>』を聴くことを、ぼくは推奨する。個人的には『<em>ハービー・ニコルス・トリオ</em>』を、マスターピースと観ている。ということで最後に、あらためてこのアルバムについて触れておくとしよう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　パーソネルをあらためて記すと、<strong>ハービー・ニコルス</strong>(p)、<strong>アル・マッキボン</strong>(b)、<strong>テディ・コティック</strong>(b)、<strong>マックス・ローチ</strong>(ds)。レコーディングはニュージャージーにおいて、レコードのA面分が1955年８月１日、７日に、そしてB面が1956年４月19日に行われた。なおベーシストは、A面をマッキボン、B面をコティックが担当。エンジニアは云うまでもなく、<strong>ルディ・ヴァン・ゲルダー</strong>である。楽曲は１曲を除いて、すべてニコルスのオリジナル・ナンバーとなっている。アルバム冒頭の「ザ・ギグ」では、インパクトのあるイントロとアウトロ、捻りのきいたメロディック・ラインが印象的。変動するリズムをローチが見事にサポート。ニコルスは力強いタッチで、小気味よく跳ねまくる。都会的な雰囲気とスリリングな構成力とが際立った曲だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　つづく「ハウス・パーティ・スターティング」は、ややグルーミーなムードが醸し出されたミッドテンポの曲。ハーモニー感覚が独特で、リラックスした気分のなかにもニコルスの先進性が感じられる。アップテンポの「チット・チャッティング」では、しっかり４ビートがキープされながらも、既存の枠組みを打破するようなインタープレイが展開される。完成度の高いニコルス・サウンドの典型と云えるかもしれない。前述の「ザ・レディ・シングス・ザ・ブルース」では、ブルージーな心地よい揺らぎのなかで、ニコルスがモダンでアンニュイなフレーズを綴りつづける。短尺ながら、ベース・ソロもアクセントになっている。先鋭的だけれど軽快な「舞踏の女神」では、よくバウンスするニコルスも然ることながら、変幻自在のリズムを打ち出すローチが素晴らしい。途中ラテン・タッチになるのも実にスマートだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　B面の最初の「スピニング・ソング」では、明と暗とが相互に循環するような曲調によって独特の空気が生み出されている。ローチのタム・ワークも面白い。こういう佇まいが、病みつきになるのだ。ファストテンポの「クェアリー」では、クラシカルなメロディック・ラインとソフィスティケーテッドなコード進行とが絶妙に絡み合う。そこには、ある種の爽快感さえある。アルバム中もっともアヴァンギャルドな「ワイルドフラワー」では、ニコルスがシンプルでヴィヴィッドな旋律と即興演奏を展開。耳を澄ませると斬新なシークエンスのなかにも抒情性が感じられる。これもまた、ニコルスの魅力だ。躍動感溢れる「ハングオーヴァー・トライアングル」では、本作のハイライトともいうべきプレイが繰り広げられる。ことに流れるように奇抜な楽句を繰り出すニコルス、高く舞い上がるローチに胸がすく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムのラストを飾るのは、<strong>ジョージ・ガーシュウィン</strong>の「マイン」である。はじめてこのレコードを聴いたとき、なぜこの曲なの？と思った。でもあとからこの絶妙な選曲が、ぼくの本作に対する親しみをより強くさせる要因となったことに気づいた。決してガチガチになって聴く必要はないと思うけれど、どちらかというと常に張り詰めた空気に満ちているようなこの作品において、この寛いだ感じはまさに一服の清涼剤。ほっとひと息ついて感性がリフレッシュされたら、もう一度最初から聴いてみようかなと、ぼくはレコードの盤面をひっくり返すのだった。そういうポジティヴな気持ちにさせられるからか、度々聴きたくなるのがニコルスのアルバムなのである。もともとジャズという音楽にはそういう魅力があるのだろうけれど、ニコラスのそれはその最たるものと云えるかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p>最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Bill Evans / You Must Believe In Spring (1981年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 08 Mar 2026 09:25:10 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Bill Evans]]></category>
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					<description><![CDATA[ビル・エヴァンス・トリオにおける音楽的表現力の到達点、そしてもっとも泣ける作品『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">ビル・エヴァンス・トリオにおける音楽的表現力の到達点、そしてもっとも泣ける作品『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : Bill Evans / You Must Believe In Spring (1981)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Theme From M*A*S*H (aka. Suicide Is Painless)</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-6" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-6">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">ビル・エヴァンス・トリオにおける音楽的表現力の到達点、そしてもっとも泣ける作品『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">もっとも衝撃的な音楽家、エヴァンスとの出会い</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">だれにも真似することができない、エヴァンスの演奏</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">これを聴かずして、エヴァンスを語ることはできない</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">もっとも衝撃的な音楽家、エヴァンスとの出会い</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ビル・エヴァンス</strong>は間違いなく、ぼくの人生においてもっとも衝撃的な音楽家だった。はじめて聴いたのは、小学校高学年のころ。むろんそれ以前にもジャズには触れていたのだろうけれど、意識的にジャズを聴くようになったのは、エヴァンスとの出会いからだ。おさないころからクラシック・ピアノのレッスンを受け、ときにポピュラー・ピアノを弾いていたぼくにとって、エヴァンスのピアノ演奏はほんとうにセンセーショナルなもので、一時的にそれまで弾いていたクラシック・ピアノが退屈なもののように思えるほどだった。エヴァンスと同時に<strong>バド・パウエル</strong>のレコードも聴いたのだけれど、もしパウエルしか体験しなかったら、そんな気持ちにならなかったと思う。せいぜい超絶技巧の鍵盤捌きに感動する程度だったろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いやいや、それだけでも本来はスゴいことだと思うのだけれど、ぼくにとってエヴァンスのピアノ演奏はそれ以上に驚異的に感じられたのである。10歳以上も歳の離れた従兄の家で、はじめてエヴァンスの演奏に触れたときの衝撃をぼくはいまだに忘れることができない。ビルが隣接していたため雨戸が閉めっぱなしになっていた薄暗い部屋、それも一間半四方の座敷。部屋の一隅には結構立派なオーディオ装置が鎮座していたが、残りの三方には本やレコードがところ狭しと山積みされていた。奇跡的に残された小さな空間にぼくは座り、世にも美しい音楽に包み込まれた。ターンテーブルに載っていたレコードは、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>の『<em>カインド・オブ・ブルー</em>』(1959年)。云うまでもなく彼の代表作であり、モダン・ジャズの歴史に残る名盤でもある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　マイルスの技巧に走ることなく、叙情性に重点を置くようなプレイに、ぼくは好感を覚えた。とにかく音楽全体が美しい。これほど耽美的なジャズ作品はほかにないのではなかろうか。そして、なんといってもピアニストだ。ぼくはこのアルバムでは「ソー・ホワット」と「フラメンコ・スケッチ」が特に好きなのだけれど、はじめて聴いたときは「ソー・ホワット」のイントロのピアノ演奏にシビレた。当時ぼくがクラシック・ピアノの先生に無理を云って弾かせてもらっていた、<strong>モーリス・ラヴェル</strong>や<strong>クロード・ドビュッシー</strong>のピアノ作品に通じるものを感じた。この曲のピアノの序奏がなんとも幽玄で、その後も宙に浮いたような感じを与えながら、ところどころに美しいイディオムが交えられる。その空気感に、フランスの印象主義音楽を連想させられた。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8844 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/evanstrio1.png" alt="３人のビル・エヴァンス(背景 : 青)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/evanstrio1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/evanstrio1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ぼくはピアノの個人レッスンを大学１年まで受けていたのだけれど、そちらではもっぱらクラシック・ピアノを教わるばかり。ジャズ・ピアノのほうは、独力で学んだ。中学生のころから教則本を手に入れて練習しはじめたのだが、エヴァンスのピアノ演奏に触れるまえからポピュラー・ピアノを弾いていたぼくは、もともとコードやスケールについての知識はそれなりに身につけていたので、ジャズを演奏するための体系的な手順や方法はすぐに理解した。でも結論から云うと、エヴァンスのような演奏をすることはできなかった。彼が当時２歳だった姪のために作曲した有名な「ワルツ・フォー・デビイ」の楽譜を買ってきて、実際に弾いてみると存外それほど難しくはない。でも、その美しいハーモニーと煌めくようなフレーズを即興的に創出するなど、到底できることではない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくは高校時代に本格的にジャズ・ピアノを独学しはじめたのだが、主にレコードを聴いて気に入ったフレーズを楽譜に転記し、あとはそれを弾けるようになるまでひたすら練習するという方法をとっていた。マスターした楽節をどんどんストックしていき、いざ実戦に臨んだときそれを引用するのである。このアプローチは、思いのほか有効かつ愉快痛快だった。そしてこのときぼくが集中的に聴いていたレコードといえば、<strong>ソニー・クラーク</strong>と<strong>ウィントン・ケリー</strong>のアルバム。さらにそれから少し遅れてのことになるが、<strong>トミー・フラナガン</strong>のリーダー作も自分にとって重要な教材となった。だがこのときのぼくは、もっとも影響を受けたはずのエヴァンスの演奏を、もはや真似しようなどとは思わなくなっていたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　エヴァンスのピアノ演奏でぼくがまず気になったのは、なんといってもハーモニー。当時のぼくにはルート音を省略して弾くことにすら、目からウロコが落ちる思いだったのだが、彼が9th, 11th, 13thといったいわゆるテンション・ノートを多用していることに、もっとも衝撃を受けた。ジャズ・ピアノをかじったひとなら、そんなの当たりまえと云うのだろうが、なにせこのころのぼくといえば、ちゃんとレッスンを受けたのはクラシック・ピアノのみだったものだから──。それでも『<em>カインド・オブ・ブルー</em>』を聴いたときはなんとなくだけれど、ぼくはエヴァンスが奏でる色彩豊かな印象派的なハーモニーに、ラヴェルやドビュッシーからの影響を感じたのである。それにはじめて彼のピアノ演奏に触れて、その透明感のある繊細な響きに憧れるのは、なにもぼくだけではあるまい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またエヴァンスのプレイの特徴としては、流動的で広がりのあるリズム感が挙げられる。彼は８分音符を敢えて均等に弾かない。その３連符を弾くようなニュアンスが、バップ系のプレイヤーのフレージングとは明らかに違う。しかも彼の場合、右手で３連符のラインを作りながら、左手のコンピングは２拍のコードをキープしていたりする。そのポリリズムが生み出す浮遊感が、一般的なスウィング感とはかなり違った印象を与える。しかもベースやドラムスとともに一定のリズムを刻まず、自由にリズムを崩しながら弾く場面が散見されるのだ。そんなタイム感はいわゆるブロークン・タイムというものなのだけれど、このスタイルを確立したのはエヴァンスと云ってもいいのではなかろうか。むろんその点に注目するようになったのは、彼のレコードを何枚か聴いたあとのことである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにつけ加えると、エヴァンスはバップならではスタッカートの効いたアグレッシヴな奏法をほとんど用いることがなく、レガート・タッチで音を羅列する。しかもクロマティックなアプローチで、より滑らかなラインを形成させる。それは彼のピアノ演奏に抒情性が生み出される要因のひとつと、ぼくには思われる。右手がそんな感じで進行するなか、かたや左手のほうがときに単なる伴奏ではなく美しいメロディを奏でるときもある。これはヴォイス・リーディングという手法なのだけれど、クラシック音楽で云うところの対位法的なアプローチだ。そういえば細かいことだが、インプロヴィゼーションにおいて、トリルやターンといった装飾音が頻繁に鏤められるのも、エヴァンスのプレイにクラシックからの影響が感じられるところである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まあ、いまだからエヴァンスのピアノ・テクニックについていっぱしの口を叩いているけれど、はじめて彼の演奏に触れたときのばくがそんなことを認識するはずもない。たぶん単純に途轍もなくあか抜けた音楽と、感じたくらいのものだろう。でも同時に自分が聴きたかった音楽、そしてほんとうに演りたい音楽はこれだと思ったのも確かだ。繰り返しになるが、エヴァンスの音楽は、抒情的なメロディック・ライン、緻密なハーモニー、そして洗練されたインタープレイと、どこをとっても理知的である。一般的にはジャズ・ピアノの詩人と称されるほど。彼が1961年にヴィレッジ・ヴァンガードで行ったライヴ演奏が収録されたアルバム『<em>ワルツ・フォー・デビイ</em>』(1962年)は、ふだんジャズを聴かないという若い女性からも人気があるという。それには、大いに得心がいく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">だれにも真似することができない、エヴァンスの演奏</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　エヴァンスのアルバムは、まあ例外もあるけれど、そんなに聴きにくいものはない。彼がどんなにスゴいことを演っているかを理解しなくても、雰囲気だけ楽しむこともできる。これまでにエヴァンスのピアノを一度も聴いたことがないというひとでもご安心あれ、彼が奏でるあたかも水晶のような音色と琴線に触れる流麗な旋律とに、魅了されること請け合いである。もし『<em>ワルツ・フォー・デビイ</em>』のジャケットを目にして気に入ったら、ぜったいに手にとるべき。黒と紫を基調とした、女性の横顔とおぼしきぼんやりしたシルエットが浮かび上がった、あの美麗なデザインのジャケットは、アルバム・コンテンツをそのまま表している。それくらいエヴァンスの音楽は美しい。クラシックの技法の導入とか、洗練されたヴォイシングの確立とかは、ひとまず置いておこう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それはさておき、ぼくが『<em>カインド・オブ・ブルー</em>』を聴くやいなや、エヴァンスのピアノ演奏に夢中になったのは確かなこと。特に「フラメンコ・スケッチ」のバラード演奏の美しさに、ぼくは得も云われぬ心地よさを覚えた。そこにはまるで<strong>エリック・サティ</strong>の作風のように、旋法が扱われることで独特の清澄な雰囲気が醸し出されている。一般的に『<em>カインド・オブ・ブルー</em>』はモード・ジャズの傑作との呼び声が高いけれど、もちろんこのときのぼくはモード手法がどういうものかは知らなかった。管楽器の静謐を湛えるソロの連鎖から、直感的にモードを感じていたのだと思う。そしてなによりもピアノが奏でる美しいハーモニーから、ぼくはこころの安らぎさえ得ることができた。平たく云ば、すごく気持ちがよかったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに云えば同時に、エヴァンスのコード感覚こそが『<em>カインド・オブ・ブルー</em>』というアルバム全体のサウンドに大きな広がりをもたせていると、小学生のぼくでもなんとなく感じていたのである。にもかかわらず、いざ自分がジャズ・ピアノを独学しはじめたとき、ぼくが彼の演奏を模範とすることはなかった。決して<strong>ソニー・クラーク</strong>、<strong>ウィントン・ケリー</strong>、あるいは<strong>トミー・フラナガン</strong>のテクニックやアーティキュレーションがイージーというわけではないけれど、モダン・ジャスにおいては広く認められている確実な技法というか、きわめてオーソドックスな様式だ。それに対してエヴァンスのスタイルは、ビギナーが独学するのに手本とするにはあまりにも独特というか革新的だった。なにごともそうだが、まずは基本を固めることがいちばんの近道なのである。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8845 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/evanstrio2.png" alt="３人のビル・エヴァンス(背景 : ピンク)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/evanstrio2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/evanstrio2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ここでハッキリ断言するけれど、エヴァンスのピアノ・テクニックはきわめて高度で難しい。ぼくが演ったように単に楽譜をなぞるだけなら、ちょっとでもピアノ演奏の心得があるひとならラクに弾けるかもしれない。でも自分であの特有のサウンドやニュアンスを再現するとなると、相当繊細なテクニックと音楽理論への深い理解が必要だろう。エヴァンスが紡ぎ出す音が醸し出す、あの抒情的な雰囲気を彷彿させるものを漂わせるピアニストはたくさんいるけれど、ぼくにとってそれは似て非なるもの。プロのピアニストでもエヴァンスに近づくのが難しいのだから、ぼくのようなヒヨッコが真似しようなんておこがましい、というか不可能。エヴァンスのピアノ・プレイのスゴいところは、物理的な速弾きよりも、ハーモニーの知的な構成、絶妙なタッチのコントロール、そしてリズムの独自の解釈なのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなわけで、ぼくはエヴァンスに関しては、もっぱら聴くほうに徹している。それ故か彼は、いまもぼくにとってもっとも好きなピアニストのままでいる。ハナシが戻るが、ぼくが『<em>カインド・オブ・ブルー</em>』につづいて聴いたエヴァンスの演奏といえば、彼のリーダー作『<em>フロム・レフト・トゥ・ライト</em>』(1971年)だった。むろん本作は、間違ってもエヴァンスの代表作とは云い難い。やはりぼくはこのアルバムを従兄に聴かせてもらったのだが、彼はこのレコードをターンテーブルに載せるときに「面白くないぞ」と、ひとこと添えた。でもぼくにしてみれば、少しも興ざめするようなところはなく、楽しんで聴くことができる作品だった。もともとフェンダー・ローズの音色は好きだったし、<strong>マイケル・レナード</strong>によるストリングスとウッドウィンズもなかなかいい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はジャズ好きの従兄は、エヴァンスのことがあまり好きではなかったようで、彼のレコードはほんの数枚しか所持していなかったのだ。ではなぜよりによってこのアルバムなのか、いま思えばちょっと謎なのだけれど、あるいはくわえタバコに右手でフェンダー・ローズ、左手でスタインウェイという、キャッチーなジャケットにこころ惹かれたのかもしれない。イージーリスニングと云ってバカにする向きもある『<em>フロム・レフト・トゥ・ライト</em>』ではあるが、ぼくにとっては案外いいことづくめだったりする。たとえば、冒頭にぼくが当時から好きだった<strong>ミシェル・ルグラン</strong>の「これからの人生」が収録されているのにも、親近感が湧いた。また、エヴァンスと関係の深い<strong>アール・ジンダース</strong>の曲が「ソワレ」「ララバイ・フォー・ヘレン」と、２曲も採り上げられている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに、その後ぼくが影響を受けることになるブラジルの音楽家、<strong>ルイス・エサ</strong>の代表曲「ザ・ドルフィン」も２パターンで収録されている。これもまたぼくの好きな<strong>ジミー・ヴァン・ヒューゼン</strong>が書いた名曲「ライク・サムワン・イン・ラヴ」のバラード演奏などは、ちゃんとエヴァンスらしさが出ているし、彼に寄り添うようなオーケストラのアレンジもなかなか味わい深い。なぜ多くのジャズ・クリティックから酷評されるのか、ぼくには理解できない。オーケストラとの共演だからか、それともエレクトリック・ピアノやエレクトリック・ベースが入るからか、はたまたオーバーダブのせいか若干音質が劣化しているからか、いずれにしてもぼくにとっては、一向に目くじらを立てる理由にはならない。敢えて云うけれど、不朽の名盤『<em>ワルツ・フォー・デビイ</em>』だけがエヴァンスではないのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　結局、従兄の部屋でジャズにというよりもエヴァンスという音楽家に強い関心をもったぼくは、彼のリーダー作を手当たり次第聴いていくことになる。もちろん、ピアノに対して高音域のカウンターメロディを繰り出す、25歳という若さでこの世を去った天才ベーシスト、<strong>スコット・ラファロ</strong>と、まるでエヴァンスに真っ向から向き合うかのようなブラシ＆シンバル・ワークを展開する<strong>ポール・モチアン</strong>とを従えたトリオによる、いわゆる“リヴァーサイド４部作”もほどなくして手にとった。云うまでもなく『<em>ポートレイト・イン・ジャズ</em>』(1960年)『<em>エクスプロレイションズ</em>』(1961年)『<em>サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード</em>』(1961年)『<em>ワルツ・フォー・デビイ</em>』(1962年)といった４枚だが、押し並べて旧来のピアノ・トリオのスタイルを打ち破った傑作である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　でも、それはエヴァンスのひとつの側面が捉えられたもので、いくら空前絶後の傑作とはいえこの４作品を聴いただけでは、そのピアノ・プレイの醍醐味を堪能し尽くしたことにはならないように、ぼくには思える。エヴァンスが創出する音世界に足を踏み入れる端緒を開いた作品が、たまたま『<em>フロム・レフト・トゥ・ライト</em>』だったせいかぼくの場合、一般的に高く評価されるリリカルでデリケートなピアノ・トリオ編成による作品でなくても、それほど抵抗感なく受け入れられた。たとえば、フェンダー・ローズが大胆に導入されエヴァンスの自作曲ばかりが採り上げられた『<em>ザ・ビル・エヴァンス・アルバム</em>』(1971年)は、だれがなんと云おうとぼくにとって、彼の音楽を俯瞰するときマイルストーンのような役割を果たす重要なアルバムだったりする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　うっかり“リヴァーサイド４部作”だけでは、エヴァンスの音楽を味わい尽くすことができないと、大口を叩いてしまったが、かく云うぼくにも彼の作品に苦手なものがないわけではない。多くのエヴァンス・ファン延いてはジャズ・ファンからそしりを受けるアルバムといえば、なんといっても<strong>クラウス・オガーマン</strong>がオーケストレーションを担当した『<em>プレイズ・V.I.P.s・アンド・グレイト・ソングス</em>』(1963年)、そして<strong>ジョージ・ラッセル・オーケストラ</strong>との共演作『<em>リヴィング・タイム</em>』(1972年)だろう。確かにエヴァンスのリーダー作としては、かなり厄介なアルバムだ。前者は<strong>クリード・テイラー</strong>がプロデュースを手がけたイージー・リスニング作品、後者はジャズとロックとがブレンドされた意欲作である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">これを聴かずして、エヴァンスを語ることはできない</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　確かにこの２枚には、それこそトリオ編成のときのリリカルでデリケートなタッチのエヴァンスはどこにもいない。ところがぼくの場合、たまにまったく脈絡なく突然聴きたくなることがあるから不思議だ。前者はジャズらしさはまるで感じられないのだけれど、BGMとして聴くぶんにはけっこう心地いい。ときにエヴァンスがオガーマンによるオーケストラ・サウンドの波に乗って、張り切って弾いている場面に出くわすこともあり、なかなか楽しい。後者はラッセルのすべて自作曲でまとめられているが、いかにも彼らしく既存の枠にとらわれない前衛的なサウンドが展開されている。デリカシーというコトバとは無縁のアグレッシヴなアプローチが繰り広げられるなか、エヴァンスが別の意味でカッコいいパフォーマンスを披露。そんな彼を満喫するのも、また一興かと──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　個人的に苦手なアルバムでは、西海岸で活躍したドラマー、<strong>シェリー・マン</strong>との共演作『<em>エンパシー</em>』(1962年)が筆頭に挙げられる。<strong>アーヴィング・バーリン</strong>のブロードウェイ・ナンバー「ワシントン・ツイスト」でのユーモラスにスウィングするブルージーな展開や、<strong>リチャード・ロジャース</strong>の映画音楽「我が心に歌えば」の後半におけるエスプリを効かせたアヴァンギャルド風のパフォーマンスは、エヴァンスらしくない。どちらかというと内省的な音楽家の彼に、こういうアソビは似合わないように思われる。とはいえ、繊細な語り口で描き出される美しきノスタルジーが光る「ダニー・ボーイ」や、リリカルでモダンなフレーズが淀みなく綴られていき都会的なムードを醸し出す「アイ・ビリーヴ・イン・ユー」といったエヴァンス屈指の名演も収録されており、それこそ厄介なアルバムと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにもう１枚、クインテットで吹き込まれた『<em>クロスカレント</em>』(1978年)は、エヴァンス贔屓のぼくでもついつい避けてしまうアルバムだ。<strong>リー・コニッツ</strong>のアルト、<strong>ウォーン・マーシュ</strong>のテナーがフロントに置かれたプロジェクト自体はわるくない。1966年から長年エヴァンス・トリオのベーシストを務めてきた<strong>エディ・ゴメス</strong>、1976年からレギュラー・ドラマーとなった<strong>エリオット・ジグムンド</strong>といったリズム隊も、ぼくは好きだ。しかしながらいざフタを開けてみると、アルバムはコンセプトが明確化されていないコンテンツで埋め尽くされている。平たく云えばなにを演りたいのか、まったくわからない。方向性に一貫性がないのもそうだが、各々のプレイにも熱意やモチベーションが感じられず、ハッキリ云って１枚とおして聴くのはちょっとしんどい。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8846 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/evanstrio3.png" alt="３人のビル・エヴァンス(背景 : 緑)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/evanstrio3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/evanstrio3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　では逆にぼくが特別に親しみを覚えるアルバムといえば、実はワーナー・ブラザース・レコードからリリースされた４作品だったりする。具体的にはオーヴァーダブとソロ・ピアノとで吹き込まれた『<em>未知との対話 &#8211; 独白・対話・そして鼎談</em>』(1978年)、ジャズ・ハープのパイオニア、<strong>トゥーツ・シールマンス</strong>との共演作『<em>アフィニティ</em>』(1979年)、エヴァンスにとって最後のスタジオ・レコーディングとなったクインテット編成の『<em>ウィ・ウィル・ミート・アゲイン</em>』(1980年)、彼の死後に発売されたトリオ作『<em>ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング</em>』(1981年)といったアルバム。さらに同一のトリオによるアルバムで、ワーナー・ブラザース移籍直前に吹き込まれたファンタジー盤『<em>アイ・ウィル・セイ・グッドバイ</em>』(1980年)も、好きな１枚である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これらのアルバムはすべて、ぼくがエヴァンス存命中の期間にリアルタイムで聴いたもの。どれもこれまでになく、エヴァンスの創作意欲に溢れた作品である。ところがアルバム制作への熱意とは裏腹に、彼の肉体は徐々に深く蝕まれていった。そして『<em>ウィ・ウィル・ミート・アゲイン</em>』がリリースされたあと、1980年９月15日15時30分、エヴァンスはこの世を去った。まだ51歳だった。訃報は日本の新聞にも、さほど大きくはなかったが写真入りで掲載された。肝硬変と出血性潰瘍による失血性ショック死ということだったが、もとをただせば長きにわたる飲酒と薬物使用が大きく影響したことは容易に想像がつく。このとき、衝撃的な出会いから４年足らず、ぼくはこころの拠りどころをひとつ失ったような、そんな喪失感に見舞われたのであった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおワーナー・ブラザース盤のうち最初にリリースされた３枚では、ことごとくフェンダー・ローズが使用されている。トレンドとはまったく関係のない、エヴァンスのこだわりが感じられる。個人的に出会いの１枚となった『<em>フロム・レフト・トゥ・ライト</em>』以来、しばしば実施していたエレクトリック・ピアノの導入は、明らかに彼の音楽において有効な手段だったと、ぼくは信じてやまない。前述の『<em>ザ・ビル・エヴァンス・アルバム</em>』と同様にこの３枚では、ローズによるサウンド・エフェクトが、各楽曲に新鮮な空気を与え、その展開をよりドラマティックなものにしている。そんなエヴァンスのサウンド・クリエイトへの意欲が晩年に再燃したのは、それらよりもまえに吹き込まれた『<em>ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング</em>』が、トリオ・スタイルの最終的な段階に達する作品となったからかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　1977年８月23日から25日にかけてハリウッドのキャピトル・スタジオにおいて吹き込まれた『<em>ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング</em>』は、なぜか当初リリースが見送られたが、エヴァンスの逝去を機に追悼盤として発売された。ぼくはこの作品を一聴して、彼の音楽的表現力の到達点と感じた。きわめて音楽全体が美しい。その点では、“リヴァーサイド４部作”よりも上。すこぶる耽美的、しかもオンリーワンの味わいという点では『<em>カインド・オブ・ブルー</em>』に匹敵する。およそ３か月まえに録音された『<em>アイ・ウィル・セイ・グッドバイ</em>』とは、<strong>エディ・ゴメス</strong>(b)、<strong>エリオット・ジグムンド</strong>(ds)といったサイドメンこそ共通するものの、まったく印象を異にする。前作は久しぶりのトリオ作品ということでフレッシュに響いたが、音楽としての深い味わい、エヴァンスの精神的な奥行きという点では、まだまだだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『<em>ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング</em>』でのエヴァンスは、いつになく感傷的だ。前述したハーモニー、タッチ、リズムなどにおける彼独自の高度なテクニックが十分に成熟しているが故か、むしろ稀に見る心情の吐露が際立っているように、ぼくには思われる。そういう意味で本作は、もっとも泣けるエヴァンス作品と云えるかもしれない。冒頭のエヴァンスが12年間内縁関係の末、不幸な死を遂げた女性、<strong>エレイン・シュルツ</strong>への思いを綴った「Bマイナー・ワルツ」では、リリカルなタッチとエモーショナルな転調に泣かされる。つづく<strong>ミシェル・ルグラン</strong>の「ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング」でも、原曲以上に哀愁と懐かしさに浸りながらエヴァンスは泣きつづける。ゴメスがそっと寄り添ったあとの、畳み掛けるようなエヴァンスの熱いソロが素晴らしい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　エヴァンスと共演歴のあるヴィブラフォニスト、<strong>ゲイリー・マクファーランド</strong>の隠れた名曲「ゲイリーのテーマ」では、ワルツ・タイムによるモダニズムを感じさせる抒情性が美しい。都会的なムードは、ふたりの共通点。そして38歳という若さで悲劇的な最後を迎えたマクファーランドの早すぎる才能の喪失は、少なからずエヴァンスにも寂寥感を与えたことだろう。エヴァンスが兄のハリーに捧げた「ウィ・ウィル・ミート・アゲイン」は、やはりセンティメンタルなワルツ。この録音から１年と９か月あと、ハリーは動機不詳の拳銃自殺を遂げる。エヴァンスはなにか胸騒ぎを感じていたのか、サイドとともに激しくも悲哀に満ちたインタープレイを展開。エヴァンス本人の死、意味深長なタイトルも含めて、ただただ泣けてくる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　盤面を裏返すと、ピアニストであり、ヴォーカリストであり、そしてコンポーザーとしても才覚のあった<strong>ジミー・ロウルズ</strong>の「ピーコックス」のマイナー調の美しいメロディが流れ出す。エヴァンスのリリシストとしての一面が、遺憾なく発揮される。その詩的な美しさを湛えたバラード・プレイは、ため息の出るような深い哀感を漂わせる。アルゼンチン出身のジャズ・ピアニスト、<strong>セルジオ・ミハノヴィッチ</strong>の「サムタイム・アゴー」は、サウダージ感覚に溢れたブライトトーンのワルツ。エヴァンス、そしてゴメスによる繊細かつ流麗なソロに、こころが温まる。ラストの<strong>ジョニー・マンデル</strong>による映画音楽「マッシュのテーマ」では、エヴァンスにしては珍しくラテン・タッチの演奏が展開される。転調を活かしたインタープレイで、トリオは静かで激しい情動を燃やす。この清涼感は、きわめて稀有。やはり本作を聴かずして、エヴァンスを語ることはできない。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p>最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Jaki Byard / Hi-Fly (1962年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 08 Feb 2026 07:16:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Jaki Byard]]></category>
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					<description><![CDATA[ジャズの伝統を受け継ぎながら守備範囲が広いピアニスト、ジャッキー・バイアードの口当たりのいいアルバム『ハイ・フライ』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">ジャズの伝統を受け継ぎながら守備範囲が広いピアニスト、ジャッキー・バイアードの口当たりのいいアルバム『ハイ・フライ』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : Jaki Byard / Hi-Fly (1962)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Hi-Fly</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-8" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-8">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">ジャズの伝統を受け継ぎながら守備範囲が広いピアニスト、ジャッキー・バイアードの口当たりのいいアルバム『ハイ・フライ』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">ジャズ・ピアノの歴史をひとりで抱え込んでしまったようなピアニスト</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">特定の音楽学校で正式な英才教育を受けなかったピアニスト</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">刺激は少ないがそのぶん口当たりのよさでは群を抜いているアルバム</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">ジャズ・ピアノの歴史をひとりで抱え込んでしまったようなピアニスト</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　レコード・コレクターズ誌の2026年２月号では「この曲のピアノを聴け！ ジャズ・フュージョン編」という特集が組まれていたが、そのなかで<strong>ジャッキー・バイアード</strong>(ほんとうは“ジャキ”という表記のほうが実際の発音に近いらしい)のアルバム『<em>ヒアズ・ジャッキー</em>』(1961年)が採り上げられていたのが、個人的には気になった。名門プレスティッジ・レコードのサブレーベル、ニュー・ジャズからリリースされたバイアードのデビュー作。この吹き込みが行われたとき、彼はすでに38歳だった。第二次世界大戦に従軍する以前、16歳のときからジャズ・ピアニストとして食い扶持を稼いでいたというから、ずいぶん遅れてのお披露目ということになる。それ故このデビュー作におけるバイアードは、なかなか貫禄のあるプレイを披露している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、バイアードのリーダー作でもっとも早い時期に吹き込まれたアルバムは、おそらくキャンディド・レコードからリリースされたソロ・ピアノ作『<em>ブルース・フォー・スモーク</em>』(1978年)だろう。レコーディングは1960年の12月とされているが、世に出たのは10年以上あとのことだった。ところで『<em>ヒアズ・ジャッキー</em>』のほうだが、<strong>ロン・カーター</strong>(b)、<strong>ロイ・ヘインズ</strong>(ds)をサイドメンとして迎えたトリオ作品。ソロ・ピアノでの吹き込みが多いバイアードだけに、トリオ編成のアルバムは珍しくもあり、トリオ好きのぼくにとっても嬉しい１枚である。彼はある意味で、ジャズ・ピアノの歴史をひとりで抱え込んでしまったようなユニークなスタイリストだけれど、どちらかというと地味な存在と云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなバイアードのプレイが、天下のレコード・コレクターズ誌において、鍵盤がもつ可能性を最大限まで拡張する演奏として注目されたことに、ぼくにはちょっとした驚きと、そのいっぽうですこぶる腑に落ちるところがあった。同誌ではアルバム『<em>ヒアズ・ジャッキー</em>』の冒頭を飾るバイアードのオリジナル曲「シンコ・イ・クアトロ」が採り上げられているが、ラテン・タッチのグルーヴ感が横溢するなかで、ポリメトリックなピアノ・プレイを展開するバイアードは、確かにただならぬ気配を感じさせる。のちにベーシストの<strong>チャールズ・ミンガス</strong>やマルチリード・プレイヤーの<strong>ローランド・カーク</strong>からお呼びがかかるのが、よくわかる。なぜならここでの彼の演奏は、すでにアヴァンギャルドな香りを放っているからだ。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8745 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/pianocolor1.png" alt="黒いトイピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/pianocolor1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/pianocolor1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　マサチューセッツ州ウースター出身のバイアードは、最初ボストンに演奏活動の拠点を構え、1950年にアルト奏者の<strong>チャーリー・マリアーノ</strong>と共演し、はじめてレコーディングを経験した。その模様はのちに米国のインペリアル・レコードからリリースされたアルバム『<em>チャーリー・マリアーノ・ウィズ・ヒズ・ジャズ・グループ</em>』(1997年)で日の目を見た。バイアードはこの吹き込みに参加していたトランペッター、<strong>ハーブ・ポメロイ</strong>のバンドに1952年から1955年まで参加。さらに1959年から1962年までは、やはりトランペット奏者の<strong>メイナード・ファーガソン</strong>のバンドに在籍する。彼はこのバンドでピアニスト兼アレンジャーを務めたが、当時からリズム、ハーモニー、そしてインプロヴィゼーションにおいて実験的な嗜好をもっていたため、閉塞感を抱いていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなバイアードにそのポテンシャルを最大化できる機会を与えたのは、やはり<strong>チャールズ・ミンガス</strong>だったのではないだろうか。バイアードは1960年にニューヨークに移住し、前述の『<em>ブルース・フォー・スモーク</em>』のレコーディングを行なったが、ちょうどおなじころミンガスとはじめての共演を果たしている。そして1962年から64年にかけて、彼はミンガスと数多くのレコーディングを行った。インパルス！レコードからリリースされた『<em>黒い聖者と罪ある女</em>』(1963年)『<em>ファイヴ・ミンガス</em>』(1964年)といった、ミンガスにとって重要なアルバムにおいてピアニストを務めているのは、ほかでもないバイアード。特に前者では、アヴァンギャルドなプレイが垣間見える。さらに彼は1964年にミンガスのヨーロッパ・ツアーにも同行している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　また、バイアードがこのころ、さきに挙げた<strong>ローランド・カーク</strong>、やはりマルチリード・プレイヤーの<strong>エリック・ドルフィー</strong>、テナー奏者の<strong>ブッカー・アーヴィン</strong>、おなじくテナー奏者の<strong>サム・リヴァース</strong>らのレコーディングにサイドマンとして参加したことは、よく知られている。特にドルフィーの『<em>惑星</em>』(1960年)においてのプレイは、彼をモダン・ジャズのピアニストとして最前線に押し上げたとも云える。このドルフィーのアルバムは『<em>ヒアズ・ジャッキー</em>』と同様にニュー・ジャズ・レーベルの１枚だが、彼の初リーダー作に当たる。ドルフィーは本作ですでに、アルト・サックスやフルートとともに、従来クラシック音楽の楽器とされていたバス・クラリネットを使用しているが、のちのジャズ・プレイヤーたちに多大な影響を与えた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムを聴くと、ドルフィーがデビュー作からジャズ・シーンにおいて特異なスタイルを、とうに完成させていたことがわかる。その演奏は一般的にフリー・ジャズに分類されるもので、ことにハーモニーに対する観念の類似性からアルト奏者の<strong>オーネット・コールマン</strong>とよく比較される。とはいってもドルフィーのスタイルは、基本的に音楽理論に則りインプロヴィゼーションを展開するというもの。その点、彼は非常に論理的なミュージシャンと云える。ドルフィーといえばブルーノート・レコードに『<em>アウト・トゥ・ランチ</em>』(1964年)という大傑作を残しているけれど、彼のアヴァンギャルドなプレイは激しく不協和音を奏でていながらも存外聴きやすい。それはドルフィーのスタイルが、音楽理論がしっかり押さえられた上であらためて解体されたものだからだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところでバイアードにも、ドルフィーと同様の風情が感じられる。ぼくはバイアードをフリー・ジャズ系のピアニストとは思っていないけれど、確かに彼のプレイには既存のジャズ・マナーに加え、フリー・ジャズの即興性や自由なアプローチが縦横無尽に採り入れられている。ぼくは冒頭でバイアードのことをジャズ・ピアノの歴史をひとりで抱え込んでしまったようなピアニストと云ったけれど、実際彼はラグタイム、ストライド、スウィング、ビバップ、そしてフリー・ジャズと、ジャズの歴史におけるあらゆるスタイルを独学でマスターしている。つまり包括的なジャズ・ピアニストなのだ。そんな変幻自在のテクニックの持ち主だからか、バイアードの前衛的な表現のなかには、伝統的なジャスのスタイルがしかと息づいているのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">特定の音楽学校で正式な英才教育を受けなかったピアニスト</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　バイアードがプレスティッジ・レコードで吹き込んだ作品に『<em>フリーダム・トゥゲザー！</em>』(1966年)というのがある。実は彼はマルチ・インストゥルメンタリストとして知られるのだが、このアルバムではピアノのほかにフェンダー・ローズ・エレクトリック・ピアノ、チェレスタ、テナー・サックス、ヴィブラフォン、それにドラムスまで操っている。<strong>リチャード・デイヴィス</strong>(b, vc)、<strong>アラン・ドーソン</strong>(ds, tim, vib)を従えてのレコーディングだが、アルバム・タイトルからもわかるようにバイアードはこの作品でフリー・ジャズ的なアプローチを見せる。ただしここでの彼は、前衛的な手法を単なる混沌としたもので終わらせるのではなく、スウィング感やブルース・フィーリングと共存させている。しかも彼の遊びごころも相まって、気楽に楽しむことができる演奏となっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　バイアードのフリー・ジャズに対する解釈は、たとえばおなじピアニストの<strong>セシル・テイラー</strong>による現代音楽的なアプローチとはかなり印象を異にする。テイラーのスタイルは完全なる無調、即興に終始するが、それに対しバイアードは、伝統的なジャズの調性やリズムの重要性を理解した上で、その枠組みを自在に崩したり再構築したりするエクレクティックな手法を志向した。そのあたりはミンガスやドルフィーからの影響が強いのだろう。彼らの作品に収録されている実験的で前衛的な楽曲の核を担い、そのフリー・ジャズ的なセッションを支えていたのは、ほかでもないバイアードそのひとなのだから。なおバイアード、デイヴィス、ドーソンといったトリオは、プレスティッジ作品ではおなじみだが、この組み合わせを高く評価する向きも多いようだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなバイアードの来歴について、飽くまでぼくの知る範囲だが触れておくことにする。<strong>ジャッキー・バイアード</strong>は1922年６月15日、マサチューセッツ州の中央部にある都市ウースターに生まれた。ウースターは、のちに彼が拠点を置くボストンの西70キロメートルに位置している。両親はともに音楽好きだったが、母親はピアノを嗜み叔父や祖母もピアノを弾いた。特に祖母は、無声映画時代に映画館で演奏していたという。その影響からバイアードも６歳からピアノのレッスンを受けるようになる。ところが家族が大恐慌の煽りを受けたため、彼のレッスンは中断を余儀なくされる。そのいっぽうでバイアードは、父親から譲り受けたトランペットを継続的に吹いていた。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8746 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/pianocolor2.png" alt="ピンクのトイピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/pianocolor2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/pianocolor2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　バイアードの少年時代のアイドルは、スウィング・ジャズ時代にもっとも影響力をもったミュージシャンであり、ビバップの先駆者と云われるトランペッター、<strong>ロイ・エルドリッジ</strong>、トランペット奏者でヴォーカリストとしても活躍した<strong>ウォルター・フラー</strong>だった。そのころ彼は、ウースター近郊にあるクインシガモンド湖で開催されていた、ジャズ・バンドのライヴ演奏を度々聴きにいっていたという。またバイアードはラジオから流れる、<strong>ベニー・グッドマン楽団</strong>、<strong>ラッキー・ミリンダー楽団</strong>、<strong>チック・ウェッブ楽団</strong>といったスウィング・バンドやリズム・アンド・ブルースのバンドの音楽に親しみ、ピアニストでは<strong>ファッツ・ウォーラー</strong>の演奏をよく聴いていた。それらが自身のスタイルに少なからず影響を与えたと、彼は後年語っている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　バイアードは、特定の音楽学校で正式な英才教育を受けておらず、音楽理論やジャズ・ピアノのテクニックに関してもほとんど独学。ウースター周辺で活動していたローカル・バンドに参加したり、居酒屋などで演奏したり、兵役中には軍楽隊の一員として活躍したり、とにかく彼は実践的な現場を通じて音楽を学び、その才能を磨いた稀有なジャズ・ミュージシャンだ。特に軍隊在籍中にバイアードは、もともとピアノとトランペットを演奏していたが、新たにトロンボーンを習得。除隊後にはテナーおよびアルト・サックスも演奏するようになる。そのいっぽうで従軍中にバイアードは、<strong>フレデリック・ショパン</strong>や<strong>イーゴリ・ストラヴィンスキー</strong>といったクラシック音楽の作曲家の研究にも励んでおり、このことがのちの彼独自のエクレクティックなプレイ・スタイルの礎になったと思われる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　バイアードは1946年に除隊しているが、ときを移さず陸軍時代に知り合ったアルト奏者、<strong>アール・ボスティック</strong>のバンドに加わり演奏旅行に同行している。その後彼が1940年代後半から1950年代にかけて、<strong>チャーリー・マリアーノ</strong>のグループや<strong>ハーブ・ポメロイ</strong>のバンドなどで活躍したしことはすでにお伝えした。それにしても、現代では独学と実践が最速かつもっとも深いスキル習得法などと云われたりするが、バイアードは世に稀なる才能と学習能力とを兼ね備えた人物だったのだろう。その知識と技術は、相当なものと想像される。その証拠に、彼はのちにニューイングランド音楽院、マンハッタン音楽学校、そしてハート音楽院などで教鞭を執ることになる。実はバイアードは、アメリカの音楽院で最初にジャズを教えた教育者のひとりでもあるのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、守備範囲の広い、しかも確たる実力をもったジャズ・ピアニストであるバイアードのリーダー作は千種万様である。彼のアルバムは40枚以上もあるのだけれど、もちろんぼくもそのすべてを聴いてはいない。代表作について語り合ったら、メインストリーム・ジャズ派からフリー・ジャズ派まで、十人十色となるだろう。そんななかで、ぼくが度々ターンテーブルに載せるのは、それこそ個人的な好みで、どうしてもトリオ作品になってしまう。特によく聴いているのは、前述の『<em>ヒアズ・ジャッキー</em>』をはじめ、おなじくニュー・ジャズ・レーベルの『<em>ハイ・フライ</em>』(1962年)、そしてプレスティッジ・レコードからリリースされた『<em>サンシャイン・オブ・マイ・ソウル</em>』(1968年)といったアルバムになる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なんだ芸がないではないかと思われた向きも多いと思われるが、この３枚は多くのジャズ・ファンのニーズに応えるものであり、自信をもってお薦めできる名盤である。この３枚のうち『<em>サンシャイン・オブ・マイ・ソウル</em>』は、<strong>デイヴィッド・アイゼンソン</strong>(b)、<strong>エルヴィン・ジョーンズ</strong>(ds)がサイドに据えられたトリオ作品だが、１曲だけバイアードはギターも弾いている。また、ジョーンズもティンパニを叩いたりしている。そう、ご想像のとおりこのアルバムは、バイアード流のフリー・ジャズが思い切り展開されているのだ。とはいっても、やはり耳を塞ぎたくなるようなところはないのでご安心を──。本作はソウル・ジャズとフリー・フォームなポスト・バップとが融合した、確かにアヴァンギャルドではあるけれど、同時にグルーヴィーでエレガントな作品でもある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">刺激は少ないがそのぶん口当たりのよさでは群を抜いているアルバム</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただ『<em>サンシャイン・オブ・マイ・ソウル</em>』は、どちらかというとダイナミックなパフォーマンスと、そこに生まれるスパイラルなテンションが際立った作品。まあそれが魅力なのだけれど、リスナーの集中力が自然と極限まで高められたりする場合もあるだろう。ここではバイアードのピアノが、アグレッシヴかつポリリズミック。ジョーンズのドラムス、そしてメロディアスだが推進力のあるラインを形成しながら、ときには高速なパッセージを繰り出すアイゼンソンのベースと、互角に渡り合っている。そんなとき、彼のフリー・フォームなアプローチは全開する。そういう激しく展開されるインタープレイに、緊張感が伴うのは当然至極。とはいうものの、このガチンコ対決とも云うべきトリオの全力を出し切った演奏は、爽快感をもたらすのだけれど──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういった一面があるいっぽうで『<em>サンシャイン・オブ・マイ・ソウル</em>』というアルバムには、たとえば<strong>ウィリアム・クリストファー・ハンディ</strong>が作曲した有名な「セント・ルイス・ブルース」における、バイアードのエスプリの効いた解釈が、こころを和ませてくれたりするシーンもある。１枚で彼のまさにエクレクティックでヴァラエティに富んだピアノ・スタイルが堪能できるという点が、本作の人気を高めているようにぼくは思う。そしてこのアルバムでは、個性的で演奏技術の高いリズム隊による極上のパフォーマンスも然ることながら、さきに述べたようなバイアードの広範囲にわたる音楽的知識と創造性によって、ジャズ作品としてのクオリティが向上させられているように思われる。そういう意味でも本作は、文句なしの名盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そして『<em>ヒアズ・ジャッキー</em>』『<em>サンシャイン・オブ・マイ・ソウル</em>』といった傑作を押さえて、ぼくにとってオールタイム・フェイヴァリットとなっているのが、実は『<em>ハイ・フライ</em>』である。バイアードのアルバムだから、フリー・ジャズはもちろんのことバップやブギウギのエッセンスが含まれている。ただ彼の演奏にしては珍しく比較的端正でリラックスしたものとなっており、そのピアノ・プレイがもつ豊かなエクスプレッションと新鮮なハーモニーを、こころゆくまで堪能することができる作品となっている。しかもその音景はいつになく都会的で、バイアードが放つアーティキュレーションもしごく軽妙洒脱。要は肩の力を抜いて楽しむことができる好盤なのだ。甘ちゃんと云われてしまうかもしれないが、ぼくは抑制の効いたバイアードの演奏に、底知れない含蓄を感じる。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8747 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/pianocolor3.png" alt="赤いトイピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/pianocolor3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/02/pianocolor3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　この『<em>ハイ・フライ</em>』のレコーディングは、1962年１月30日、ニュージャージー州イングルウッド・クリフスのシルヴァン・アヴェニュー445番地に所在する、おなじみのヴァン・ゲルダー・スタジオにおいて行われた。云うまでもなくエンジニアは名匠<strong>ルディ・ヴァン・ゲルダー</strong>。サイドには<strong>ロン・カーター</strong>(b)と<strong>ピート・ラ・ロカ</strong>(ds)が据えられているが、この組み合わせも絶妙だ。カーターのベースはリズムの安定感を高めているし、ラ・ロカのドラムスはそのリズムの隙間に歯切れのいいフレーズを投入している。このふたりのプレイが、手堅くバイアードのピアノの魅力を引き出していると云っていいだろう。バイアードはブルージーかつテクニカルな、そしてリリカルかつエナジェティックな独創的なフレーズを、遊びごころも交えて気持ちよさそうに綴っている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムはピアニストの<strong>ランディ・ウェストン</strong>が作曲した「ハイ・フライ」からスタート。イントロのまるで印象派のようなピアノのルバート演奏が美しい。インテンポしてからバイアードは、<strong>セロニアス・モンク</strong>を彷彿させるアブストラクトなタッチでテーマを奏でたあと、スウィンギーかつパーカッシヴにアドリブを展開していく。そのゆとりのあるプレイが、得も云われぬリラクゼーションを生み出している。個人的には、彼の控えめで品のある演奏が際立ったこの１曲で、このアルバムがもつモダンでソフィスティケーテッドな音世界に引き込まれてしまう。つづくバイアードのオリジナル「ティリー・バターボール」では、バップ・スタイルが基調とされながら、ブルージーなフィーリングとフリー・フォームなアプローチとが、散りばめられている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんな程よいブレンド加減のバイアードのピアノ・プレイに惹きつけられているうちに、この曲はあっという間に幕を閉じる。それだけ彼の表現力には、リスナーに対する強い影響力があるのだ。カーターの渋いソロを忘れさせるくらいに──。３曲目の「ヤマクロー」は、ストライド奏法の先駆者と目されるピアニスト、<strong>ジェームズ P. ジョンソン</strong>の曲。彼が書いたジャズとクラシックとを融合させたシンフォニック・ジャズからの抜粋である。バイアードの弾むようなブロック・コード、そして彼が敬愛するストライド・ピアノのフィーリングが、なんとも心地いい。ラ・ロカとの軽妙な４バースも、楽曲のハッピーなムードをより高めている。A面のラストを飾る「ゼア・アー・メニー・ワールズ」は、バイアードの２曲目のオリジナル。彼の音楽的特徴である、エクレクティックなナンバーだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この曲は洗練された都会的センスに溢れたナンバーだが、大胆なコード・ワークと精緻な構成にバイアードの優れたコンポジション・スキルが感じられる。そして彼のピアノ・プレイならではのエレガンスとダイナミクスとを同時に楽しむことができる好トラックでもある。メロディック・ラインが<strong>デューク・エリントン</strong>風なのも、興味深い。B面はやはりバイアードのオリジナル「ヒア・トゥ・ヒアー」からスタートする。アルバム中もっともフリー・ジャズにアプローチされたナンバー。アブストラクトなパフォーマンスから高速のバップ・スタイルへ移行。バイアードのピアノは激しくアヴァンギャルドなフレーズを繰り出しつづけ、サイドのトリオの熱量も最高潮に達する。中盤からはクールダウンしてリリカルな美しいバラード演奏となる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　つづく「バードランドの子守唄」は、云わずと知れたクール・ジャズ・ピアニスト、<strong>ジョージ・シアリング</strong>の曲。バイアードは独自のハーモニーとリズムで、そつなくプレイ。ある意味で、シアリングよりもクールでリフレッシングに響くが、その軽妙さに彼の遊びごころが垣間見える。その点、次曲の「ラウンド・ミッドナイト」にも同じことが云える。<strong>セロニアス・モンク</strong>によるバラードの名曲だが、風変わりな旋律と複雑な和声進行からどちらかというと重たい印象を受ける。ところが、バイアードのプレイは、いい意味で軽い。モダンなハーモニー感覚とクラシックやストライドを織り交ぜた緩急のある語り口が、楽曲をエレガントで色彩豊かなものにしている。それに寄り添う感じのカーターのソロもまた、美しくなだらかだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムのラストを飾る「ブルース・イン・ザ・クローゼット」は、ベーシストの<strong>オスカー・ペティフォード</strong>がピアニストの<strong>バド・パウエル</strong>のために書いたブルース・ナンバー。バイアードのピアノが、フリー・フォームを交えたユニークなバップ・スタイルで軽快に駆け抜ける。カーターはアルコ・ベースで存在感を示し、ラ・ロカはスティック捌きも歯切れよく軽やかに飛翔する。バイアードとの４バースも痛快。まさにアルバムのラストを締めくくるに相応しい、三位一体のエナジェティックな高速ナンバーである。バイアードのリーダー作のなかでは、本作はどちらかというと刺激が少ないアルバムと云えるのかもしれないが、そのぶん口当たりのよさでは群を抜いていると、ぼくは思う。もし彼の演奏に触れたことがないというのなら、まず本作を手にとることをお薦めする。</p>
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<p>最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Armando Trovajoli / Softly (1959年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 18 Jan 2026 07:02:44 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Armando Trovajoli]]></category>
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					<description><![CDATA[マエストロと称えられるイタリア映画音楽の巨匠、アルマンド・トロヴァヨーリのスタイリッシュなジャズ・アルバム『ソフトリー』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">マエストロと称えられるイタリア映画音楽の巨匠、アルマンド・トロヴァヨーリのスタイリッシュなジャズ・アルバム『ソフトリー』</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : Armando Trovajoli / Softly (1959)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Lullaby In Rhythm</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-10" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-10">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">マエストロと称えられるイタリア映画音楽の巨匠、アルマンド・トロヴァヨーリのスタイリッシュなジャズ・アルバム『ソフトリー』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">渋谷系カルチャーにおいて、オシャレな音楽の象徴として位置づけられた</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">映画音楽の作曲家として知られるが、もともとは立派なジャズ・ピアニスト</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">ある意味で雰囲気重視の、リラックスして楽しむべきジャズ作品</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">渋谷系カルチャーにおいて、オシャレな音楽の象徴として位置づけられた</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いまから30年以上もまえのことだけれど、<strong>マルコ・ヴィカリオ</strong>監督のイタリア映画『黄金の七人』(1965年)のサウンドトラック・アルバムが、わが国においてアナログ・レコードで復刻されて、渋谷に集まる若者たちを中心に<strong>アルマンド・トロヴァヨーリ</strong>の音楽がちょっとしたブームになった。いわゆる1990年代の渋谷系ムーヴメントにおいて、彼の音楽は大きな注目を集めたのである。映画『黄金の七人』はイタリアの犯罪コメディ作品で、<strong>モンキー・パンチ</strong>によるコミック『ルパン三世』のもとネタになったとも云われている。トロヴァヨーリはイタリアの作曲家で、彼が音楽を手がけた映像作品といえば驚くなかれ、なんと200作を超えるという。そんな彼のサウンドが渋谷系カルチャーにおいて、オシャレな音楽の象徴として位置づけられたことは、個人的にも嬉しい出来事だった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくは小学生のころからトロヴァヨーリの音楽に親しんでいたのだけれど、ジャズ、ロックあるいはラテンといった音楽ジャンルがミックスされた、その軽妙なサウンドを当時からキャッチーなものとして受けとめていた。その独特な音楽スタイルはまさにシックスティーズ・タッチと云われるもので、そこにあるヒップでグルーヴィーなサウンドが1990年代を生きる若者たちにもウケたのだろう。このブーム、<strong>ピチカート・ファイヴ</strong>や<strong>フリッパーズ・ギター</strong>といった渋谷系を代表するアーティストたちが、トロヴァヨーリの楽曲をネタとして自作に採り入れたり、彼が音楽を担当した映画の題名を自己のアルバム・タイトルで引用したりしたことが、そもそものはじまりだったと記憶する。いっぽう当時の渋谷にあった外資系CDショップも、こぞってトロヴァヨーリの音盤をレコメンドしていたもの。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　どこのショップでもイタリアから輸入されたトロヴァヨーリのレコードやCDが積極的に取り扱われていたし、いまはなきWAVEに至っては基本的にソフトの販売店でありながら1980年代からレコード制作にも携わっていたこともあり、ディストリビューターとしてトロヴァヨーリ作品を何枚も復刻していた。そういったショップの尽力が、トロヴァヨーリ・ブームをあと押ししていたことは、まず間違いない。渋谷系が志向するスタイリッシュでグルーヴィーな音楽性とパーフェクトなまでにに合致するトロヴァヨーリの音盤は、当時なにかと話題になることが多かったが、ことに前述の『黄金の七人』と<strong>パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ</strong>監督によるイタリア式コメディ映画『女性上位時代』(1968年)のサウンドトラック・アルバムは、たいへんな人気を博した。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8663 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/01/italy1.png" alt="イタリアの国旗とITARYという文字" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/01/italy1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/01/italy1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　これはいささか余談になるけれど、ある意味でトロヴァヨーリの代表作とも云うべき『黄金の七人』と『女性上位時代』とは、実は音楽以外にも共通するところがある。それはこの２本の映画ではともに、イタリア式コメディやソード＆サンダルといったジャンルの作品を多く手がけた<strong>ガイア・ロマニーニ</strong>が衣装デザインを担当している。彼女は1950年代から1980年代にかけてイタリア映画界で活躍した、著名な衣裳デザイナーあるいは美術デザイナー。彼女の仕事のなかでも、やはり『黄金の七人』の<strong>ロッサナ・ポデスタ</strong>、そして『女性上位時代』の<strong>カトリーヌ・スパーク</strong>といった、見目麗しく美しい曲線を誇る女優が纏う、ファッションショーのごときクイックチェンジを見せる衣裳のデザインが、もっとも印象的である。そして、このあたりもまた渋谷系に影響を与えているよう思われるのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　たとえばポデスタの不二子ちゃん顔負けのゴージャスな“泥棒ファッション”といえば、タイトなミニドレス、大ぶりなジュエリー、そして未来的なシルエットはレトロスペクティヴだけれどフレッシュに映る。いっぽうスパークは、ヘルシーでコケティッシュないわゆるフレンチ・イタリアン・シックと呼ばれる装いが魅力的。ボーダー、ミニスカート、フラットシューズなどは、それこそ<strong>ピチカート・ファイヴ</strong>にストレートに影響を与えた1960年代を象徴するモッズ・スタイルである。いずれにせよ、ポデスタにしてもスパークにしても1960年代のイタリア映画のアイコンだったわけで、そのファッションは1990年代の再流行も然ることながら、現代の渋谷においても、ヴィンテージ・ラグジュアリーあるいはシックスティーズ・レトロとして注目を集めている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ときにトロヴァヨーリの音楽だが、その楽器の使いかたにいささかワッキーな感覚を発揮していることは否定できないだろう。むろん彼はふざけているわけではないのだろう。トロヴァヨーリは作為的にそういうサウンドをクリエイトしていて、それが独特の趣きというか、唯一無二の味わいとなっているのである。彼のマナーには映像に合わせるという大義名分を掲げて、ちょっと悪ノリして、まるで無邪気なイタズラでもするようなところが散見される。だがそんな茶目っ気感覚が、ぼくは昔から大好きなのだ。道徳的に問題がありそうなシーンでも、トロヴァヨーリに「ボヨーン」とやられてしまうと、なにやら妙に明るくほのぼのとした様相を帯びてくるのだから、それはまさにトロヴァヨーリ・マジックとでも云うしかない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなトロヴァヨーリ・サウンドは、リズムの面でもジャズの４ビート、マンボやボサノヴァ、ロックの８ビートから斬新な16ビートまで変幻自在。そればかりか、ときにはそこにバロック音楽まで飛び出してくるのだ。たとえばブームの口火を切った『黄金の七人』のフィルム・スコアは、なんとも痛快無比ですこぶるキャッチーだ。メインとなるテーマは「黄金の七人」と「ロッサナのテーマ」の２曲のみで、あとはそれらのヴァリエーションによって構成されている。なんたって２週間で１本分のサウンドトラックを完成させなければならないほど、量産されるイタリア映画のコンポーザーは忙しい。タイトなスケジュールに苦慮しながらも、卓越したアイディアと鋭敏なセンスでそれを乗り切ってしまうのだから、トロヴァヨーリは天才的職人と云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくの好きな渋谷系に支持された1960年代のトロヴァヨーリ・サウンドのトレードマークといえば、あの「ダバダバ」というスキャットであり、スタイリッシュな口笛であり、弾けんばかりのパーカッシヴなオルガンであり、煌びやかなチェンバロである。ときにはアニメ作品などでよく聴かれる口琴を使ったりして「ボヨーン」と、とぼけた感じを出したりもする。そんなトロヴァヨーリ・サウンドのチャームポイントのほとんどを、この『黄金の七人』のサウンドトラック・アルバムにおいて確認することができる。特に「黄金の七人」では「ダバダバ」スキャット、バロックとジャズがよくブレンドされたアレンジ、いっぽう「ロッサナのテーマ」では、ミュート・トランペット、口笛、オルガンのとろけるようなトーンが際立っている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">映画音楽の作曲家として知られるが、もともとは立派なジャズ・ピアニスト</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお、このサウンドトラックで口笛を吹いているのは、<strong>イ・カントリーニ・モデルーニ</strong>というコーラス・グループのリーダーである<strong>アレッサンド・アレッサンドローニ</strong>というひと。そのスタイリッシュな口笛が、トロヴァヨーリ作品には欠かせないというのも然ることながら、当時のイタリア映画のサウンドトラックに登場する口笛のほとんどが彼によるものであるという事実に、驚嘆させられる。この作品には『続・黄金の七人/レインボー作戦』(1966年)『新・黄金の七人 ７×７』(1968年)といった続編が存在するのだが、後者ではバロックのメロディック・ラインとジャズ・ビート、そしてスピーディなスキャットがフィーチュアされる。また、シリーズとはなんの関係もない『黄金の７人・１+６/エロチカ大作戦』(1971年)では「ボヨーン」という口琴も登場する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　すっかりあとになったが、<strong>アルマンド・トロヴァヨーリ</strong>(1917年９月２日 – 2013年２月28日)の来歴を簡単に記しておく。トロヴァヨーリは、イタリアの首都ローマに生まれた。幼いころは、４歳のときにヴァイオリニストの父親からヴァイオリンを学び、６歳からピアノのレッスンも受けるようになる。のちにローマにあるサンタ・チェチーリア音楽院においてピアノと作曲を学んだ。ちなみにこの国立音楽院、数多くの国際的な音楽家を輩出しているが、映画音楽の作曲家では<strong>ニーノ・ロータ</strong>や<strong>エンニオ・モリコーネ</strong>もここの出身。トロヴァヨーリの先輩には、やはり映画音楽で名を馳せたジェノヴァ出身の<strong>アンジェロ・フランチェスコ・ラヴァニーノ</strong>がいた。リリカルでドラマティックなメロディとリッチなオーケストレーションを特徴とする作曲家だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　トロヴァヨーリとラヴァニーノは、ともに作曲活動に切磋琢磨したという。もっともトロヴァヨーリは音楽院に入学するまえから、高級ナイト・クラブでジャズ・ピアノを弾いていた。彼が17歳のときのことである。実はクラブにおけるジャズの演奏は、家庭の経済状況が厳しいことからはじめたアルバイトだった。そんな思いがけない経験が、のちの彼の音楽性に大きく影響したことは、容易に想像できる。トロヴァヨーリは1948年、音楽院を卒業後すぐに演奏活動を開始する。1949年５月にパリで開催された、第１回国際ジャズ・フェスティヴァルにもピアノ・トリオで参加。ただ当時のイタリアでは純然たるジャズ・プレイヤーとして生計を立てるのは困難だったので、彼はラジオ番組での作曲や演奏にも従事していた。結局トロヴァヨーリは、それを足がかりに映画界に進出する。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8664 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/01/italy2.png" alt="スプーン、フォーク、ナイフとBUONOという文字" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/01/italy2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/01/italy2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　トロヴァヨーリが作曲した最初の映画音楽は、<strong>エドモンド・ロッツィ</strong>が監督したイタリアのコメディ映画『マラカトゥンバ…マ・ノ・ネ・ウナ・ルンバ(マラカトゥンバ…でもルンバじゃない)』(1949年)のなかの１曲「ビバップ」だが、音源は商品化されておらず映画のほうも日本未公開ということで、ぼくもいまだに聴いたことがない。ただ曲のタイトルと映画の製作時期を鑑みると、漠然とではるがジャジーなトラックと想像される。トロヴァヨーリは、前述のように1934年からクラブでジャズを演奏しはじめ、1944年にはピアノ・トリオにクラリネット、ギター、ヴィブラフォンを加えた、<strong>ベニー・グッドマン</strong>のスタイルに倣ったセクステットを率いたりもしている。いまでこそその名前は映画音楽の世界に轟きわたっているけれど、もともと彼は立派なジャズ・ピアニストだったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　トロヴァヨーリのジャズ・ピアニストとしての全盛期は1950年代で、このころの彼は<strong>ロマーノ・ムッソリーニ</strong>と並んで、イタリアを代表するモダン・ジャズのピアニストとして注目を集めた。彼のピアノ・スタイルはオーソドックスだけれど、メロディアスでタッチが力強く鮮やかな印象を与える。それはちょうどグッドマンのセクステットのメンバーだった<strong>テディ・ウィルソン</strong>を彷彿させるような、モダンなコードとフレーズを繰り出しながらよくスウィングするピアノ演奏である。そのパフォーマンスは実にフレキシブルなもので、ときにはウェストコースト・ジャズのようなクールさを、ときにはニューヨークのパップ系ジャズのごときファンキーさを窺わせる。そしてトロヴァヨーリのフィルム・スコアにおいて独特のモダンなセンスが際立つのは、その音楽性の根幹をなすのがジャズだからである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　トロヴァヨーリは、RCAイタリアーナに『<em>シャンパン・フォー・ディナー</em>』(1955年)をはじめ、<strong>アルマンド・トロヴァヨーリ・イ・ラ・スア・オルケストラ</strong>名義でアルバムを数枚吹き込んでいるが、それらはジャズありラテンありポップスありカントリーありと、要はなんでもありの、どちらかといえばイージーリスニング系の作品だ。一部にトロヴァヨーリのクール・ジャズ・スタイルの演奏を聴くことができる『<em>マジック・モーメンツ</em>』(1958年)のみ、日本でもリリースされた。トータル的にはストリングスによるアンサンブルの美麗さ、チェンバロや女性のスキャットなどの軽妙洒脱さが際立つが、曲によってはピアノ・トリオによるスウィンギーなナンバーも収録されている。このごった煮感は、のちのトロヴァヨーリ・サウンドにつながる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　トロヴァヨーリのジャズ・ピアニストとしてのアルバムでは、やはりRCAイタリアーナに吹き込まれたクァルテットによる『<em>トロヴァヨーリ・ジャズ・ピアノ</em>』(1959年)、セクステットによる『<em>ソフトリー</em>』(1959年)といった２枚が、国内で発売されたこともあり、ジャズ・ファンの間ではよく知られている。あとは同レーベルからリリースされた<strong>アルマンド・トロヴァヨーリ・イ・ラ・スア・オルケストラ</strong>名義の『<em>ザ・ビート・ジェネレーション</em>』(1960年)が、本格的なビッグバンド・ジャズ作品ということで、昔から一部の熱狂的な愛好家からは支持されている。しかしながら前述のように、彼は1949年から映画音楽の仕事をしていて、1960年代に入ると次第にジャズから遠ざかり、専らサウンドトラックの作曲と指揮に集中するようになる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただ『<em>ザ・ビート・ジェネレーション</em>』では、トロヴァヨーリはピアノも弾いているけれど、どちらかというとアレンジャー兼コンダクターとしての存在感が強い。彼のピアノ・プレイをもっとも満喫することができるアルバムは、間違いなく『<em>トロヴァヨーリ・ジャズ・ピアノ</em>』だろう。<strong>アルマンド・トロヴァヨーリ</strong>(p)、<strong>エンツォ・グリリーニ</strong>(g)、<strong>ベルト・ピサーノ</strong>(b)、<strong>セルジオ・コンティ</strong>(ds)といったクァルテットでの吹き込みだが、ギターは一切ソロをとらずバッキングに徹しているので、本作はピアノ・トリオ作品のような感覚で楽しむことができる。すなわち、主役はどこまでもトロヴァヨーリのピアノ。冒頭の「時間通りに教会へ」におけるその俊敏な指遣いの鮮やかさから、彼がジャズ・ピアニストとして卓越したテクニックの持ち主であることがすぐにわかる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この曲は云うわずと知れた、1956年初演のミュージカル『マイ・フェア・レディ』のなかの１曲。<strong>アラン・ジェイ・ラーナー</strong>作詞、<strong>フレデリック・ロウ</strong>作曲による、ジャズ・スタンダーズとしても有名なナンバー。ぼくはこのトロヴァヨーリのヴァージョンがすごく好きなのだけれど、疾風のような軽快さも然ることながら、心地いいビート感と明るいヴァイブレーションが、いかにもトロヴァヨーリらしい。その雰囲気といったら、それこそ『黄金の七人』のテーマ曲を彷彿させる、徹頭徹尾、痛快無比でキャッチーなもの。<strong>ヘレン・メリル</strong>のバックを勤めたこともあるグリリーニ、作曲家でもあり指揮者でもあるピサーノ、そして多くのイタリア人ドラマーに影響を与えたコンティによるサポートも、軽やかで洒落た雰囲気を生み出している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">ある意味で雰囲気重視の、リラックスして楽しむべきジャズ作品</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんな素晴らしい吹き込みを残しているものの、トロヴァヨーリがいっぱしのジャズ・ピアニストであることを知っているジャズの愛好家といえば、日本はもちろん欧米においてもきわめて少数だろう。そもそも本国のイタリアにおいて、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカで誕生したジャズという音楽に、大衆がほんとうに目覚めるのは、かなり遅れてのことだった。なにせイタリアでは第二次世界大戦中のファシズム政権下において、ジャズはいわゆる敵性文化と見なされて、おおやけの場での演奏や放送は制限されたり禁止されたりしたのだから。そんな抑圧された時代から演奏活動を行っていたトロヴァヨーリは、実はイタリアン・ジャズの旗手とも云うべき存在。1950年代のイタリアを代表するジャズ・ピアニストとして、わが国でも再評価されることが望まれる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみにこれはいささか余談になるが、さきに触れたトロヴァヨーリとも交流のあった同時代のピアニスト、<strong>ロマーノ・ムッソリーニ</strong>は、なにを隠そうファシズムを提唱した独裁者、<strong>ベニート・ムッソリーニ</strong>の息子なのだ。彼は父親がジャズを弾圧していたにもかかわらず、トロヴァヨーリと同様に積極的にジャズを演奏していたが、なんとも皮肉な事実である。それはともかく、そんなイタリアン・ジャズが本邦で紹介されるのもまた、かなり遅かった。イタリアの音楽といえば、なんといってもオペラ、そしてカンツォーネだったのだ。ぼくが小学生のころ手にいれた『黄金の七人』のサウンドトラック・アルバムは、1976年に発売された国内盤だったけれど、日本でリリースされた彼のレコードとしては最初期のものと思われる。そのキャリアの出発点となるジャズ作品など、知る由もなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　思えばトロヴァヨーリのレコードといえば、映画音楽も含めて輸入盤でしか入手できなかった時代が長くつづいた。国内盤が出回るようになったのは、やはり1990年代の渋谷系ムーヴメントにおいて、トロヴァヨーリ・サウンドが注目を集めるようになってからのこと。さきに挙げた『<em>マジック・モーメンツ</em>』『<em>トロヴァヨーリ・ジャズ・ピアノ</em>』そして『<em>ソフトリー</em>』といった３枚のRCAイタリアーナ盤が、日本でCDではなく敢えてアナログ・レコードで復刻されたのも1994年のことだった。ここまで知ったような口を利いてきたぼくも、実は３枚ともこのときにはじめて手にしたのだった。そのスウィンギーなリズム感と滑らかなインプロヴィゼーションを実際に体験して、それまでトロヴァヨーリを<strong>エンニオ・モリコーネ</strong>や<strong>ピエロ・ピッチオーニ</strong>などと同列の音楽家と捉えていたぼくは、認識をあらためた。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8665 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/01/italy3.png" alt="GRAZIEという文字" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/01/italy3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/01/italy3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　なお本邦初のお目見えとなった３枚のRCAイタリアーナ盤は、BMGビクター(現在のBMG JAPAN)による「イタリア・RCA・オリジナル・LP・コレクション」という企画のラインナップに含まれていたもの。トロヴァヨーリのアルバム以外では、前掲の<strong>ロマーノ・ムッソリーニ</strong>をはじめ、トランペッターの<strong>ニーニ・バッソ</strong>とトロンボニストの<strong>ジャンニ・ヴァルダンブリニ</strong>とによるユニット、<strong>バッソ＝ヴァルダンブリニ</strong>、そしてベルギー出身のギタリスト、<strong>ルネ・トーマ</strong>と同郷のテナー奏者兼フルーティスト、<strong>ボビー・ジャスパー</strong>とによる双頭バンド、<strong>トーマ＝ジャスパー・クインテット</strong>といった個性的なアーティストの、ヨーロッパ・ジャズの熱烈な愛好家にとっては垂涎の逸品がリリースされた。こんなマニアックな企画が実現に至ったのも、レコード会社が渋谷系ムーヴメントに触発されたからだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで最後に、上記の３枚のRCAイタリアーナ盤のうち、個人的なお薦めとして『<em>ソフトリー</em>』をご紹介しておこう。ピンク色を基調とした上目遣いの見目麗しい女性のアップショットといったジャケットが、ソフィスティケーテッドでエレガント。不純な動機かもしれないが、その点でもついつい手にとってしまう１枚。ちなみに、この女性モデルについてはまったく不明。ときにコンテンツのほうはといえば、タイトルからも想像されるように、ソフトでスウィートなジャズが展開されている。ある意味で雰囲気重視の、リラックスして楽しむべき作品だ。ジャズ・プレイヤーのストイックさを高く評価する向きには、甘口と見下されてしまうかもしれないが、音楽に心地よさを求めるぼくには、ジャズ作品として遜色のない出来と思われる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　本作は1959年に発表されたアルバムだが、吹き込み日時についてはジャケットに記載がない。一部の資料には録音日として、1957年１月14日という具体的な日付が記されているが、真偽は定かではない。レコーディング・メンバーは、ちょうど『<em>トロヴァヨーリ・ジャズ・ピアノ</em>』のクァルテットの顔ぶれに、フルーティストの<strong>ジェリー・マリナッチ</strong>とヴィブラフォニストの<strong>フランコ・キアーリ</strong>とが加わった６人。なおこのアルバムでは『<em>トロヴァヨーリ・ジャズ・ピアノ</em>』と同様に、アーティスト名がファーストネームが省略された“トロヴァヨーリ”名義となっている。個性的で響きのいいファミリーネームをアーティスト名として強調するほうが、聴衆に広く浸透しやすいと判断されたのかもしれない。イタリアでは卓越した音楽家に対して、敬意を込めて名字だけで呼称する習慣もあるが、彼の場合、それはまださきのことだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムは<strong>コール・ポーター</strong>の「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス」からスタートする。ピアノのマイルドな語り口が心地いい。フルートとギターのソロも軽妙だ。<strong>ベニー・グッドマン</strong>と<strong>エドガー・サンプソン</strong>との共作「ララバイ・イン・リズム」では、トロヴァヨーリらしい浮遊感と躍動感が横溢するピアニズムが全開。ギターのソロもよく跳ねている。<strong>ホーギー・カーマイケル</strong>の「ニアネス・オブ・ユー」では、クリアで温かみのあるフルートがフィーチュアされる。ピアノも美しい調べを奏でる。<strong>アラン・ジェイ・ラーナー</strong>作詞、<strong>フレデリック・ロウ</strong>作曲による『マイ・フェア・レディ』のなかの１曲「ウィズ・ア・リトル・ビット・オブ・ラック」では、こころが弾むようなテンポに乗って、ピアノが明るく上品なタッチで歌いまくる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　A面のラスト、トロヴァヨーリのオリジナル「フォギー・ナイト」では、フルートとヴィブラフォンの絡みが独特の清涼感を生み出している。ピアノの繊細で静穏なバラード・プレイも彩りを添える。B面のオープナー、<strong>バーニー・ミラー</strong>の「バーニーズ・チューン」では、フルートとギターがフロントに据えられた展開がユニーク。ピアノとベースのソロも小気味いい。<strong>ウォルター・ドナルドソン</strong>の「愛のもつれ」では、もっともブルージーでスウィンギーなピアノ・プレイが披露される。ギターとベースのソロも花を添える。トロヴァヨーリの自作曲「サムタイムズ・ア・ハート・ゴーズ・アストレイ」では、やはりフルートとヴィブラフォンとが得も云われぬ清々しさを生み出す。ピアノとギターとが響かせるトーンも口当たりがいい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ジョン・ションバーガー</strong>の「ウィスパリング」では、フルート、ピアノ、ギターが順にのびやかなプレイを繰り出す。ソフトでエレガントなサウンドが空間に広がっていくような感じが爽やかだ。アルバムのラストは<strong>ジミー・マクヒュー</strong>の「恋のため息」で締め括られる。フルートのリズミカルでアップビートなパフォーマンスのあと、ピアノとギターがまったく淀みのないソロを展開。ここまで本作では、包括的にリラックスしたムード、そして洗練されたストーリー性が高められている。まったく触れなかったが、そのスムースな流れの一端を担っているのは、コンティによる歯切れのいいブラシ・ワークだったりする。ジャズにおいてここまで軽やかなサウンドは、却って貴重かもしれない。しかもそれをスタイリッシュなものとして感じさせるのだから、トロヴァヨーリのセンスのよさはホンモノと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p>最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Tommy Flanagan / Plays The Music Of Harold Arlen (1979年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 28 Dec 2025 07:04:38 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Tommy Flanagan]]></category>
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					<description><![CDATA[日本のジャズ・ファンから絶大な支持を得るピアニスト、トミー・フラナガンの美点が余すところなく発揮された隠れた傑作『トミー・フラナガン・プレイズ・ザ・ミュージック・オブ・ハロルド・アーレン』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">日本のジャズ・ファンから絶大な支持を得るピアニスト、トミー・フラナガンの美点が余すところなく発揮された隠れた傑作『トミー・フラナガン・プレイズ・ザ・ミュージック・オブ・ハロルド・アーレン』</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : Tommy Flanagan / Plays The Music Of Harold Arlen (1979)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Between The Devil And The Deep Blue Sea</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-12" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-12">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">日本のジャズ・ファンから絶大な支持を得るピアニスト、トミー・フラナガンの美点が余すところなく発揮された隠れた傑作『トミー・フラナガン・プレイズ・ザ・ミュージック・オブ・ハロルド・アーレン』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">トミフラを知るキッカケはロリンズとコルトレーンだった</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">いかなる場面においても安定感のある上質のパフォーマンスを提供</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">音楽好きが日常生活において気軽に楽しむような作品</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">トミフラを知るキッカケはロリンズとコルトレーンだった</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちょっと早いが、このブログも今年最後の更新となる。こんな拙い文章に辛抱強くおつき合いいただいたすべてのかたに、あらためてこころより感謝する次第である。とはいえ生来気ままな性格ゆえ、１年を締めくくるということに際しても、より自分のこころや気の向くままに、好きに振る舞ってみようなどと考えるぼくがいるのだ。まったく、いくつになっても性懲りもないヤツだ。しかも年をとると、どうもときの流れや目新しい方向性に対して、逆の方を向いてしまうようなことがままある。そんな自分にいささか焦りを感じながらも、案外これは論を俟たないことであり、それすなわち年をとったということであると、なかば開き直りのような思いもあったりする。それなら後ろ向きになっても、ほんとうに好きなものをご紹介しようではないかと──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、今回採り上げるのは『<em>トミー・フラナガン・プレイズ・ザ・ミュージック・オブ・ハロルド・アーレン</em>』(1979年)というレコード。日本のトリオレコードから発売されたアルバムだが、ぼくは高校生のときに購入した。このトリオというレーベル、もともと電機メーカーのケンウッド(現在のJVCケンウッド)のレコード制作部門だったのだけれど、業績不振で1984年に活動を終えてしまった。そんなわけでぼくにとっては、廃盤寸前で入手するという幸運に恵まれた思い出深い１枚だ。もちろんコンテンツのほうも、そういう希少価値の高さとは関係なく、きわめて秀逸なもの。敢えて云うけれど、プリントメーカーの<strong>谷口茂</strong>によるリトグラフがあしらわれたジャケットも、ぼくは大好きだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いっときは入手困難なアイテムとなっていた本盤ではあるが、首都圏を中心に音楽CD・レコード店をチェーン展開するディスクユニオンのレーベル、DIWレコードが何度かアナログ盤やCDでリイシューしたようなので、どこかで見かけたらぜひ手にとっていただきたい(ジャケ違いの<a rel="nofollow noopener" target="_blank" href="//af.moshimo.com/af/c/click?a_id=3841547&amp;p_id=170&amp;pc_id=185&amp;pl_id=4062&amp;url=https%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fdp%2FB0FYDJ2478">ソリッド・レコードによる国内CD</a><img loading="lazy" decoding="async" style="border: none;" src="//i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=3841547&amp;p_id=170&amp;pc_id=185&amp;pl_id=4062" alt="" width="1" height="1" />なら簡単に入手できる)。あとになったが、このアルバムの主役はタイトルからもわかるように、アメリカ、ミシガン州デトロイト出身のジャズ・ピアニスト、<strong>トミー・フラナガン</strong>。本盤は、旧チェコスロヴァキアのピーセク生まれの技巧派ベーシスト、<strong>ジョージ・ムラーツ</strong>と、ニューヨーク州タッカホー出身の<strong>モダン・ジャズ・カルテット</strong>(<strong>MJQ</strong>)のメンバーとして知られるドラマー、<strong>コニー・ケイ</strong>とをサイドメンとして迎えた、フラナガンのトリオ作品である。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8559 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/tomifla1.png" alt="グランドピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/tomifla1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/tomifla1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　フラナガンを語るとき、ぼくは自ずと後ろ向きになってしまう。なにせ彼のレコードを集中的に聴いていた時期といえば、間違いなく高校生のころなのだから。学童期からピアノの個人レッスンを受けていたぼくは、高校の課外活動でも音楽をやりたいと思っていた。これは余談だけれど、ぼくはピアノ以外の楽器といえばハーモニカとリコーダーくらいしか触ったことがなかったので、この機になんでもいいからピアノ以外の楽器を覚えられたらいいなと、漠然と考えていた。最初は軽音楽部から勧誘を受けたのだけれど、そこにジャズを演奏するバンドは１組もなく、ロックやニューミュージックのキーボードを弾かされそうだったので、丁重にお断りさせていただいた。そしてぼくが目をつけたのは、どういうわけか箏曲部だった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　日本の伝統的な弦楽器を無償で教えてもらえるとは、なんて素敵なことだろう。そんな短絡的な考えでいそいそと部活動を見学に行ったぼくは、そこで部員に男子はひとりもおらず、文化祭や定期演奏会では和服姿にならなければならないという、過酷な現実を突きつけられるのだった。部員はどちらかというとお淑やかな感じの女子ばかりで、考えようによっては艶やかでもあり軽やかでもある乙女たちとお近づきになれるという特典つきの美味しいクラブなのだが、内気な性格のぼくにはそんなハーレム状態のなかに飛び込む度胸はなかった。ということで、もはや選択の余地なくぼくは吹奏楽部に入部。<strong>ハービー・マン</strong>に憧れてフルート奏者を志望するも、オーディションの印象がよくなかったのだろう、あえなくサックス・パートにまわされた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それまでピアニストのアルバムばかりを聴いていたぼくは、思いがけず自分がサクソフォーンを吹くことになったので、あたふたとレコード店に足を運び、サックス奏者の作品を購入。そのとき浅学なぼくはさしあたり、ジャズの名盤と誉れ高い２枚のレコードを選んだ。それは<strong>ソニー・ロリンズ</strong>の『<em>サキソフォン・コロッサス</em>』(1956年)と、<strong>ジョン・コルトレーン</strong>の『<em>ジャイアント・ステップス</em>』(1959年)だった。いまから思うと、どちらもテナー・サックスがリードをとるワン・ホーン・ジャズ作品だが、２作品はまったく趣きを異にするもの。ただ当時のぼくは、そんなことを事前に知る由もなかった。驚くべきは偶然にも、双方ともピアノを弾いているのが、だれあろう<strong>トミー・フラナガン</strong>だったことである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いまさら説明する必要もないと思うけれど、ロリンズの『<em>サキソフォン・コロッサス</em>』は、軽妙洒脱で優雅さと上品さに富んだイーストコースト・ジャズとしては希有なタイプの作品。いっぽうコルトレーンの『<em>ジャイアント・ステップス</em>』は、モーダル・ジャズ直前のコード進行に基づく即興演奏の限界が極められた作品。この風情の異なる２枚のレコードを、ぼくは最初なかば義務的に聴きはじめたのだが、そのわりにはそれらの精彩を放つ演奏を満喫していた。ただ本来ならいの一番にサクソフォーンに注目するべきところなのだが、そのころのぼくといえば、ちょうどジャズ・ピアノを独学するようになっていたものだから、どうしてもピアノに耳がいってしまう。その結果サックスそっちのけで、フラナガンにハマってしまったのだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、ぼくは結局のところ３年間吹奏楽部に在籍したのだけれど、サクソフォーンの技術的な訓練のほうは中途半端に終わった。ピアノの個人レッスンは大学１年まで継続したが、そちらではもっぱらクラシック・ピアノを教わるばかり。ジャズ・ピアノのほうは、独力で学んだ。中学生のころから教則本を手に入れて練習しはじめたが、もともとコードやスケールについての知識はそれなりに身につけていたし、ジャズを演奏するための体系的な手順や方法もすぐに理解した。ところがいざ実演に臨むと、ぼくの演奏は意気消沈するほどまったくジャズっぽくない。これではいけないと思い、レコードで聴いたプロのパフォーマンスを手本とし、見よう見まねで演奏するようになった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">いかなる場面においても安定感のある上質のパフォーマンスを提供</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　自宅のオーディオのスピーカーから聴こえてくる音に耳をそばだてていると、即興演奏のなかにおなじような楽句が何度も出来することに気づかされる。そのなかから気に入ったフレーズを楽譜に転記し、あとはそれを弾けるようになるまでひたすら練習するのみ。これが案外楽しかったりする。そしてマスターした楽節をどんどんストックしていき、いざ実戦に臨んだときそれを引用するのである。この方法は、思いのほか効果的だった。そしてこのとき集中的に聴いていたのが<strong>ソニー・クラーク</strong>と<strong>ウィントン・ケリー</strong>のレコードで、それから少し遅れてのことになるが、ぼくは<strong>トミー・フラナガン</strong>のプレイも参考にするようになった。最初に手にとった彼のアルバムは、プレスティッジ・レコードからリリースされた『<em>オーヴァーシーズ</em>』(1958年)だった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なぜぼくがそのレコードを選んだのかというと、深いいきさつはなくて、単に洒落たジャケットのデザインに惹かれたから。アルファベットのCがたくさん並んだアート・ワークは、アルバム・タイトル『<em>Overseas</em>』が意味され“Sea”が“C”に置き換えられたもの。こういう茶目っ気たっぷりのはからいは、ある意味で遊びごころが含まれた音楽とも云えるジャズには、とてもよく似合っている。なおこのレコードは1957年、トロンボニストである<strong>J. J. ジョンソン</strong>のクインテットのピアニストとしてヨーロッパ・ツアーに同行したフラナガンが、ベーシストの<strong>ウィルバー・リトル</strong>、ドラマーの<strong>エルヴィン・ジョーンズ</strong>を従えて、スウェーデンのストックホルムにおいて吹き込んだトリオ作品である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この音源は当初、ストックホルムのメトロノームというレーベルから、３枚のEPレコード(各３曲収録の45回転７インチ・シングル盤)としてリリースされた。1986年にDIWレコードによって、メトロノームのEP盤に倣ったフラナガンの写真があしらわれたジャケットのLPやCDも発売されたけれど、ぼくは断然プレスティッジ盤のほうが好きだ。まあそれはともかく、実はこの作品、フラナガンの初リーダー・アルバムで、27歳のときに吹き込まれたもの。ぼくは当初この点に、名状しがたいほど甚だしい驚きを覚えた。というのもここでのフラナガンの演奏には、あたかも円熟期を迎えた大ヴェテランのみがもち得るような、地に足の着いた安定感が観られたからだ。それはまさに、いぶし銀のようなパフォーマンスと云っていい。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8560 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/tomifla2.png" alt="コントラバス" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/tomifla2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/tomifla2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ぼくはそれまで聴いていたクラークのプレイでは、その淀みなく連なる簡潔なフレーズとそれが醸し出すブルージーでどこか凛とした雰囲気に強く惹かれたし、そのいっぽうでケリーの演奏では、迸るような小気味いいフレーズとその絶妙なレイドバック加減が生み出すスウィング感に大いに胸を弾ませたもの。ではフラナガンの場合はどうかというと、どこか温もりを感じさせる美しいフレーズを淡々と紡ぎ出しながら婉然と舞うようなところに、かえって奥深さが感じられる。フレージングとアーティキュレーションはごく自然、スウィング感とブルース・フィーリングは洗練された感じ、コードワークはエレガントと、フラナガンは実に均整のとれたジャズ・ピアニストである。それこそ手本にするには、もってこいだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さきに挙げたロリンズの『<em>サキソフォン・コロッサス</em>』でフラナガンは、控えめでありながら深みのあるバッキングと繊細で粒立ちのいいアドリブ・ソロを聴かせる。かたやコルトレーンの『<em>ジャイアント・ステップス</em>』のタイトル・ナンバーは、高速なテンポでコードが目まぐるしく変化する(10回転調する)超難曲だが、そういう緊張感が高まる状況下にあってもフラナガンは決してバランスを崩さない。そんな均衡を保ったプレイを堂々と展開する彼は、実は高度なピアノ・テクニックの持ち主と思われる。いかなる場面においても安定感のある上質のパフォーマンスを提供するフラナガンには、ファーストコール・ミュージシャンの風格さえある。実際彼は、上記の２枚を含む数多くの有名なジャズ作品に参加しているのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなわけでフラナガンは、日本のジャズ・ファンの間では“名盤請負人”と呼ばれたり「名盤の陰にトミフラあり」などと云われることがある。そんな彼を<strong>ザ・スーパー・ジャズ・トリオ</strong>や<strong>ザ・マスター・トリオ</strong>のリーダーとして、表舞台に立たせたのは実はベイステイト、ベイブリッジ・レコードといった日本のレコード・レーベルだった。ぼくがフラナガンのピアノ演奏を採譜したりしていたころには、彼はすでに日本のジャズの愛好家から絶大な支持を得ていた。ところがそんなフラナガン、1940年代の中ごろから演奏活動を継続させてきたのにもかかわらず、そのリーダー・アルバムといったら1970年代に入るまでたった３枚を数えるのみだった。本国のアメリカで彼は、リード・ミュージシャンとして認識されていなかったのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ある意味でフラナガンは、中庸を得たプレイに長けたジャズ・ピアニストだ。まえにも述べたように、どんな状況においても常にバランスのいい演奏をするひとなのだ。そんな彼の表現様式は不偏不倚であるぶん、アメリカのリスナーにはインパクトに欠けるものと捉えられてしまうのかもしれない。でもぼくは音楽において、そんな過不足がなく調和がとれている様を美徳と考える。たぶん日本のジャズ・ファンの多くが、ぼくとおなじように考えるのではないだろうか。さきの<strong>ザ・スーパー・ジャズ・トリオ</strong>や<strong>ザ・マスター・トリオ</strong>のアルバムが、たいへんな人気を博したことを考慮するとそう思わずにはいられない。そしてフラナガンの相対的な立ち位置を示すとき、わが国での評価こそ的を射たものであると、ぼくは信じてやまないのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　確かにフラナガンは、卓越したアカンパニストと云える。繰り返しになるが、彼はサイドメンとして膨大なレコーディングに参加し、それこそいぶし銀のプレイを披露してきた。それに加えて、1963年から1978年にかけて断続的ではあるが、20世紀を代表する歌姫のひとりである<strong>エラ・フィッツジェラルド</strong>の伴奏者を務めている。おそらくアメリカにおいて、フラナガンを単に歌伴のピアニストと観るむきが多いのは、そういう背景があるからだろう。しかも彼はジャズ・シーンにおける時代の趨勢に身を投じることなく、生涯生粋のバップ・ピアニストとして演奏しつづけた。それを保守的と嘲笑するのは、無分別極まりない。度を過ぎない上質のプレイを具現化するポテンシャルを保ち、それを恒常的に発揮することができるフラナガンは、むしろ驚異的と云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなフラナガンは1930年３月16日、デトロイトのコナント・ガーデンズに住む郵便配達員の父とアパレル・メーカーで働く母との間に、６人兄弟の末っ子として生まれた。ごくごく普通の家庭で生を受けた彼ではあるが６歳のときに、父親はギターを、母親はピアノを嗜むという音楽好きの両親から、クリスマス・プレゼントとしてクラリネットを贈られた。それがフラナガンが音楽にのめり込むキッカケで、クラリネットを演奏することで楽譜の読みかたを覚えた彼は、11歳のときに今度はピアノを弾くようになる。ピアノのレッスンは、おなじデトロイト出身のジャズ・ピアニストである<strong>カーク・ライトシー</strong>、<strong>バリー・ハリス</strong>も師事した、<strong>グラディス・ウェイド・ディラード</strong>という地元では有名なピアノ教師から受けた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">音楽好きが日常生活において気軽に楽しむような作品</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　フラナガンは、著名なジャズ・ミュージシャンを多く輩出したデトロイトのノーザン高校の出身だが、スキャットを得意とする個性的な女性シンガー、<strong>シーラ・ジョーダン</strong>とは同窓だった。幼いころのフラナガンは、<strong>アート・テイタム</strong>、<strong>テディ・ウィルソン</strong>、それに<strong>ナット・キング・コール</strong>などのピアノ演奏を愛聴していたようだが、後年の彼のプレイからは、ジャズにおける論理性、美的表現、そして即興演奏という点で、やはり<strong>バド・パウエル</strong>からの影響がもっとも強いように思われる。フラナガンは1945年にトロンボニストの<strong>フランク・ロソリーノ</strong>と共演し、15歳にしてプロ・デビューを果たしている。演奏の合間、年齢的にクラブのバー・エリアに入れない彼は、別室で学校の宿題をやっていたという。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なんとも微笑ましいエピソードだが、このころからすでにフラナガンの関心は、より新しいビバップのスタイルを極めることに向いていたのである。その様式を切り開いたピアニストといえば、帰するところパウエルなのだ。たとえばさきに触れたフラナガンのデビュー作『<em>オーヴァーシーズ</em>』のオープナー「リラキシン・アット・カマロ」を聴いただけでやにわに、ああパウエルだなと思ってしまう。ビバップの父であるアルト奏者、<strong>チャーリー・パーカー</strong>の曲だけれど、フラナガンはヴィヴィッドなブルース・プレイを披露。正直に告白するが、ぼくは当初から彼のピアノ演奏がパウエルのそれよりも高潔なものと感じられた。フラナガンの自作曲「ヴェルダンディ」のような急速テンポの曲での、俊敏で引き締まったフィンガリングなどもまた然りである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　むろんそういった技巧的なピアノ・プレイもフラナガンの魅力のひとつだけれど、<strong>ビリー・ストレイホーン</strong>の「チェルシー・ブリッジ」での艶やかでエスプリの効いたバラード演奏や、彼自身のペンによる人気曲「エクリプソ」でのラテン・タッチとアドリブ・パートでのモデレートなスウィング感も、目が覚めるほど素晴らしいのである。繰り返すが、ぼくはフラナガンを高度なピアノ・テクニックの持ち主と思っている。でも彼は決してその手腕を見せつけようとはしておらず、音楽表現における美徳である明快さと純粋さとを尊重するようなプレイを常にこころがけていると、ぼくには感じられる。ただこのアルバムでのフラナガンは、従来よりもダイナミックな演奏をするよう最善を尽くしている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8561 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/tomifla3.png" alt="ドラムセット" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/tomifla3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/tomifla3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　そういう傾向は、ドイツのレーベル、エンヤ・レコードからリリースされた『<em>エクリプソ</em>』(1977年)にも窺える。ベースにフラナガンのお気に入りである<strong>ジョージ・ムラーツ</strong>と、ドラムスにどちらかというと複層的なドラミングが際立つ<strong>エルヴィン・ジョーンズ</strong>とがサイドメンを務めたピアノ・トリオ作品である。ところでフラナガンが格別な技能的能力を発揮するまわり合わせになったのは『<em>オーヴァーシーズ</em>』と同様に、ジョーンズがドラマーを務めたことが引き金になったのだろう。彼が多様なリズムを軽々と叩き出し、その刺激を受けて、本来中庸を得たスタイルの演奏を展開するフラナガンの感情にも火がついたのかもしれない。まあこれはごく自然なことと、ぼくは思う。それでもフラナガンならではのクリアーで流麗な音の羅列は、維持されているのだけれど──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　上記の２枚は、間違いなく批評に価するような不朽の名作だろう。それに比べて『<em>トミー・フラナガン・プレイズ・ザ・ミュージック・オブ・ハロルド・アーレン</em>』は、音楽好きが日常生活において気軽に楽しむような作品だ。むろんこれは、ぼくなりの肯定的な評価であるとともに敬意を表する云いまわしである。偏りがなくバランスのいい演奏を得意とするフラナガンの美点が余すところなく発揮されており、筆舌に尽くしがたいリラクゼーションが生み出されている。ムラーツによる弾力のある低音と誇張のないフィンガリング、そしてケイによる透きとおったトーンときめ細かいシンバル・ワークもまた、フラナガンのもち味を引き立てている。ぼくも高校時代からいまに至るまで、聴けば聴くほど、その奥深さを強く感じるようになっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　本作はタイトルからもわかるように、ブロードウェイ・ミュージカルやレヴュー作品を数多く手がけた、20世紀のアメリカを代表する作曲家のひとり、<strong>ハロルド・アーレン</strong>のソング・ブック。シンプルでピュアな感じの作風が、フラナガンのプレイヤーとしての資質とよく合っている。オープニングを飾る「ビトウィーン・ザ・デヴィル・アンド・ザ・ディープ・ブルー・シー」は、昔は「絶体絶命」という邦題がついていたけれど、まあこれはそういう意味の慣用句。そういう洒落っ気のあるタイトルに相応しく、フラナガンのピアノが終始軽妙なフレーズを綴る。しかも上品な感じで、実に清々しい気分にさせられる。しなやかなベースのソロ、軽やかなドラムスの４バースでのソロもスマート。個人的には、フラナガンならではの至高の味わいを感じる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　あまりにも有名な「虹の彼方に」では、全体的に控えめな感じのバラード演奏が展開されるが、アドリブに入ってからのフラナガンは軽妙かつ端麗にピアノを歌わせる。そのさり気なさは絶品だ。<strong>ビル・エヴァンス</strong>の十八番でもある「スリーピン・ビー」では、比較的正攻法での演奏が繰り広げられているが、フラナガンはブロック・コードを使ったりして軽やかにスウィングする。そのスッキリした感じに好感がもてる。<strong>ウィントン・ケリー</strong>も演っている「イル・ウィンド」では、なんといってもテンポ・ルバートでのフラナガンのソロが素晴らしい。それとはなしにリリカルなフレーズが、次々に紡ぎ出されている。インテンポでのほどよくブルージーなラインもいい。バランスのいいスウィング感が、寛いだ雰囲気を醸成する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ある意味でもっとも躍動感のある「アウト・オブ・ディス・ワールド」では、ムラーツとケイとによるモダンなリズム展開が際立つ。フラナガンは安定感のあるダイナミズムを披露する。オリジナル盤には未収録の「ワン・フォー・マイ・ベイビー」は、ブルージーな小品。ちょっとした箸休めといった感じだ。<strong>バド・パウエル</strong>の演奏でおなじみの「ゲット・ハッピー」では、フラナガンのキレのあるソロに胸がすく。おなじバップ・プレイでも、パウエルよりも艶やかに舞っている感じ。ベースとドラムスのソロもすこぶる軽快だ。ミッドテンポの「マイ・シャイニング・アワー」では、オーソドックスな演奏のなかにもフラナガンのエレガントなタッチが光る。彼のいぶし銀のようなパフォーマンスとは、こういう演奏のこと。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ラストを飾る「ラスト・ナイト・ホエン・ウィ・ワー・ヤング」では、フラナガンにしては珍しく感情を情緒豊かに表現するようなソロ・ピアノを披露。その理由は、途中から登場するハスキーな女性の声にある。歌っているのは、“ニューヨークのため息”として評判のシンガー、<strong>ヘレン・メリル</strong>。ここでのフラナガンはアカンパニストとして、彼女のヴォーカルを盛り上げることに徹しているというわけだ。なんで突然メリルがしゃしゃり出てくるのかというと、彼女がこのアルバムのプロデューサーを務めているから。それなら１曲くらい、おつき合いしようかといった気分にさせられる。しっとりした余韻を残すところも、わるくない。いずれにしても本作は、ぼくにとってはいまだ楽しみ尽くすことのないアイテム。年末にひとり酔いしれる音楽としては極上である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　記事の更新は、今年はこれが最後。１年間お付き合いいただき、ありがとうございました。また2026年にお会いしましょう。みなさんに素晴らしい１年が訪れますように──。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p>最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Aaron Goldberg / Turning Point (1999年)</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Dec 2025 07:22:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Aaron Goldberg]]></category>
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					<description><![CDATA[ジョシュア・レッドマン・クァルテットへの参加直前、当時24歳のピアニスト、アーロン・ゴールドバーグの優れた才知と技能がふんだんに盛り込まれたデビュー・アルバム『ターニング・ポイント』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">ジョシュア・レッドマン・クァルテットへの参加直前、当時24歳のピアニスト、アーロン・ゴールドバーグの優れた才知と技能がふんだんに盛り込まれたデビュー・アルバム『ターニング・ポイント』</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
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<p><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : Aaron Goldberg / Turning Point (1999)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Turning Point</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-14" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-14">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">ジョシュア・レッドマン・クァルテットへの参加直前、当時24歳のピアニスト、アーロン・ゴールドバーグの優れた才知と技能がふんだんに盛り込まれたデビュー・アルバム『ターニング・ポイント』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">デビュー・アルバムのレコーディングとOAM トリオの結成</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">ジョシュア・レッドマン・クァルテットへの参加</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">レギュラー・トリオと異彩を放つゲスト・プレイヤー</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">デビュー・アルバムのレコーディングとOAM トリオの結成</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジャズ・プレイヤーのデビュー・アルバムといえば、おおむねフレッシュな魅力に溢れていて、ぼくの場合、食指を動かされることが多い。むろん最初のリーダー作だから、なかなか最高の出来というわけにはいかない。でも逆に、もしそれが結果的に最高傑作となったら、そのミュージシャンのその後が、あたかも不毛なもののように感じられてしまうだろう。ただデビュー作だからこそ、プレイヤーが全身全霊でレコーディングに臨むということもある。そしてそこで展開される音楽には、そのひとの優れた才知と技能がふんだんに盛り込まれることがしばしばあるのだ。だからぼくは、ひとりのミュージシャンを追いかけるとき、対象者がそれ以降、数々の雄編をものしていったとしても、必ずやそのデビュー・アルバムに対して特別な愛着をもってしまうのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　1990年代の中ごろアメリカ東海岸のジャズ・シーンにおいて頭角を現したピアニスト、<strong>アーロン・ゴールドバーグ</strong>についてもおなじことが云える。ゴールドバーグの初レコーディングといえば、おそらくアルゼンチン出身のジャズ・ピアニストで作曲家の<strong>ギジェルモ・クレイン</strong>のビッグ・バンド作品『<em>ビッグ・ヴァン</em>』(1994年)あたりと思われる。このアルバムには、スペイン出身のドラマーでヴィブラフォニストでもある<strong>マーク・ミラルタ</strong>や、オハイオ州フェアボーン生まれのテナー奏者<strong>マーク・ターナー</strong>といった、のちにゴールドバーグにとって重要な僚友となるミュージシャンも参加している。さらに彼のクレジットは、テナー奏者の<strong>ジミー・グリーン</strong>のデビュー・アルバム『<em>イントロデューシング・ジミー・グリーン</em>』(1997年)にも見受けられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　また、当時の日本でもインパルス! レコードの新星として注目を集めたテナー奏者、<strong>グレゴリー・ターディ</strong>のメジャー・デビュー作『<em>セレンディピティ</em>』(1998年)において、ストレート・アヘッドなジャズ・ピアニスト、<strong>マルグリュー・ミラー</strong>と交替でピアノを弾いていたのは、だれあろうゴールドバーグである。ああ、あのピアニストが彼なのかと思う向きも多いと思われる。なにせこのころのゴールドバーグは、わが国ではもちろんのこと、アメリカでもまったくの無名だったのだから──。とにもかくにもこのアルバムがリリースされたあと、ゴールドバーグは記念すべき初リーダー作『<em>ターニング・ポイント</em>』(1999年)を発表する。吹き込みは1998年８月19日と25日に、ニューヨーク市のノーラ・レコーディング・スタジオで行われた。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8434 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/jazzinnewyork1.png" alt="高層ビル群をバックにグランドピアノを弾く男(色合いは青)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/jazzinnewyork1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/jazzinnewyork1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ぼくは風評に踊らされて購入したターディのアルバムで、たまたまゴールドバーグのことを知ったクチなのだけれど、ここでの彼のピアノ・プレイに即座に好感を抱いてしまった。もちろん先輩格のミラーによる達人の域に達した意気軒昂な演奏も嫌いではないけれど、どちらかというとぼくは、ゴールドバーグの明快な楽句をきめ細やかに紡ぎ出していくような演奏に、自然とこころが引き寄せられた。これは好みの問題になるのだけれど、どうやらぼくの場合、ジャズに限らずピアノ演奏については、勢いに任せたダイナミックなパフォーマンスよりも、さじ加減が考慮されたセンシティヴなエクスプレッションにより強く惹かれるようなのである。ゴールドバーグの第一印象といえば、まさにぼく好みの、丁寧にピアノを弾くひとといったものだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなわけでぼくは、ゴールドバーグの初リーダー作をモザイク銀座阪急の４階にあったHMV数寄屋橋店で発見したときは、躊躇うことなくレジカウンターにもっていったもの。そういえばHMV数寄屋橋店にしてもモザイク銀座阪急にしても、いまはもう存在しないのだった(前者は2009年９月６日に、後者は2012年年８月31日に閉店)。あのころは、ちょうどADSLによるインターネットへの接続サービスが開始されたことや、携帯電話によるウェブページの閲覧が可能になったことなどから、すでにオンラインショッピングが普及しはじめていたけれど、ぼくは相変わらず実店舗に足を運んでいた。というか、そうするのが好きだった。というのも当時のHMVのリアル店舗といえば、いまとは比べものにならないくらい品揃えが豊富だったからだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ゴールドバーグの初リーダー作『<em>ターニング・ポイント</em>』は、いまの云いかたをすれば、まさしくニッチな１枚。そんなCDを堂々と面陳列してくれるのだから、何度となくぼくの足は自ずとHMV数寄屋橋店に赴いてしまうのだった。それはさておきこのアルバムをリリースしたのは、J カーブ・レコードという知るひとぞ知るレーベルである。当時オハイオ州シンシナティ市に拠点を構えていたジャズ専門のインディペンデント・レーベルだが、主にその地域のアーティストにスポットライトを当てていた。また本レーベルは、現在ではオハイオのヴィンテージ・ギター専門の販売店、DHRギター・エクスペリエンスの経営者として知られる<strong>デイル・ラビナー</strong>によって、1997年に設立された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そのカタログには、<strong>グレゴリー・ターディ</strong>の『<em>ザ・ヒドゥン・ライト</em>』(2000年)や、カナダ出身のトランペッター、<strong>ダレン・バレット</strong>の『<em>ファースト・ワン・アップ</em>』(1999年)『<em>ディーリングス</em>』(2001年)といった、気になるアイテムが散見される。バレットは1997年にセロニアス・モンク・インターナショナル・ジャズ・コンペティションで優勝しているが、彼がJ カーブにおいて発表した上記のデビュー作およびセカンド・アルバムには、ゴールドバーグが参加している。そしてゴールドバーグ自身もトリオ編成で吹き込んだセカンド・アルバム『<em>アンフォールディング</em>』(2001年)を、このレーベルからリリースしている。残念ながらJ カーブはすでに活動を休止しているので、もしどこかでその作品を見かけたら、ぜひ手にとっていただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ときにゴールドバーグはアルバム・デビューを果たしたあと、すぐに新たなグループを結成している。イスラエル出身のベーシスト、<strong>オメル・アヴィタル</strong>、そして前述のドラマー、<strong>マーク・ミラルタ</strong>と組んだ<strong>OAM トリオ</strong>である。ちなみにグループ名に掲げられた“OAM”とは、“Omer(アヴィタル) Aaron(ゴールドバーグ) Marc(ミラルタ)”の略で、云うまでもなく３人のファーストネームの頭文字が繋がれたものだ。このトリオは、スペインのフレッシュサウンド・レコードの傍系レーベル、ニュー・タレントからファースト・アルバム『<em>トリリンガル</em>』(1999年)をリリース。アルバム・タイトルにもあるように、イスラエル、アメリカ、スペインといった３か国のプレイヤーによる、トライパータイトなインタープレイが妙味を感じさせる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">ジョシュア・レッドマン・クァルテットへの参加</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この<strong>OAM トリオ</strong>は『<em>トリリンガル</em>』のあとにも『<em>フロウ</em>』(2002年)『<em>ライヴ・イン・セヴィリア</em>』(2002年)『<em>ナウ・アンド・ヒア</em>』(2009年)といったアルバムをリリースしたが、後半の２枚ではトリオにテナー奏者の<strong>マーク・ターナー</strong>が加わっている。それはともかく『<em>トリリンガル</em>』のレコーディングは、1999年５月21日と22日に、ニュージャージー州パラマスのテデスコ・スタジオで行われた。そしてちょうどおなじころ、実はゴールドバーグは別のレコーディングにも参加していた。そのアルバムが発表されると同時に、それまで『<em>ターニング・ポイント</em>』をHMV数寄屋橋店で手に入れて以来、あまり知られていないであろうゴールドバーグのプレイを聴いてひとり悦に入るというぼくの自己満足は、あっけなく終わるのだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　1999年５月、ゴールドバーグが参加したニューヨーク市マンハッタンのアヴァター・スタジオでのレコーディングとは、当時のジャズ・シーンにおいて飛ぶ鳥を落とす勢いだった、テナー奏者、<strong>ジョシュア・レッドマン</strong>のアルバム『<em>ビヨンド</em>』(2000年)を制作するものだった。実はゴールドバーグはすでに、ベーシストの<strong>リューベン・ロジャース</strong>、ドラマーの<strong>グレッグ・ハッチンソン</strong>とともに、レッドマンのニュー・クァルテットのメンバーに選ばれていたのである(実はレッドマンは『<em>ターニング・ポイント</em>』に参加している)。それまでのレッドマンのクァルテットは、ピアノを<strong>ブラッド・メルドー</strong>、ベースを<strong>クリスチャン・マクブライド</strong>、ドラムスを<strong>ブライアン・ブレイド</strong>と、若き巧者で固められ日本でも絶大な人気を誇っていたが、ぼくはどちらかというと新しいクァルテットのほうが好きだったりする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なるほど、確かに1999年の１月にレッドマンは自己のクァルテットで来日公演を行なったが、そのステージでピアノを弾いたのがゴールドバーグだったとは、迂闊にもぼくはまったく気づいていなかった。のちに『<em>ビヨンド</em>』がリリースされたときにその事実を知って、ずいぶんと悔しい思いをした覚えがある。しかもレッドマンの弁によると、このクァルテットは実のところ1998年の秋ごろにすでに結成されていたとのことだから、ゴールドバーグは初リーダー作である『<em>ターニング・ポイント</em>』を吹き込んだあと、あまりスパンを置かずにレッドマンのグループに加入したことになる。レッドマンの情報感度の高さや、腕の立つプレイヤーを見極めるその慧眼も然ることながら、ゴールドバーグの精力的な活動ぶりには目を見張るものがある。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8435 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/jazzinnewyork2.png" alt="高層ビル群をバックにグランドピアノを弾く男(色合いは赤)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/jazzinnewyork2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/jazzinnewyork2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　いずれにしてもゴールドバーグが日本でも広く知られるようになったのは、この『<em>ビヨンド</em>』が発表されてからのことだろう。しかもこのアルバム、レッドマンの作品のなかでも飛び抜けて素晴らしい。ぼくはアルバムのオープナーである「カーレッジ(不均衡なアリア)」という曲がすごく好きなのだけれど、タイトルどおりアシンメトリックなグルーヴ感が際立ったユニークなナンバーだ。13拍子のなかを一気に駆け抜けるレッドマンのテナーは、まるで静かで激しい感情の奔流のようである。そのインプロヴィゼーションは、高いインテリジェンスすら感じさせる。ゴールドバーグのピアノも、端正で躍動感のあるフレーズを次々に繰り出していく。その内なる力が徐々に高まっていくようなプレイは、いつになくスリリングだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムでは、拍子というものに真っ向から取り組まれている。当然のごとく捨て曲などひとつもないのだが、個人的には５拍子で演奏される「ア・ライフ」という曲がお気に入り。なんとも軽やかで美しい曲なのだが、ゴールドバーグのリリカルな一面も窺える。メンバーの各々は、互いに触発されながらシンプルなメロディック・ラインとそれにインスパイアされたインプロヴィゼーションを展開する。ノスタルジックなバラード・ナンバーだが、その心地よさの一端は明らかに５拍子のグルーヴ感が担っていると思われる。なお本作では、５拍子、６拍子、９拍子、10拍子、13拍子といった複合拍子や変拍子の曲が満載。ここで繰り広げられている音楽は革新性を求めて創出されたものではあるけれど、そのわりには聴きやすいので、ぜひ手にとっていただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　レッドマンは2000年の６月に、このクァルテットでもう１枚のアルバムを吹き込んでいる。８つのオリジナル曲が繋ぎ合わされたジャズ・スウィート作『<em>パッセージ・オブ・タイム</em>』(2001年)である。本作におけるレッドマンの狙いは、彼自身が奏でるテナーがメインキャラクターとなり、音楽による感動的な物語を主観的に綴るというもので、結果的にアルバムはポストバップ・スタイルの実験的作品といった印象を与えた。ただ、個々の演奏は相変わらず素晴らしいのだけれど、首尾一貫した思慮深いパフォーマンスを間断なく聴きつづけるのは、正直云ってちょっとしんどい。この試行の成否はさておき、レッドマンは本作をもってクァルテットを解散(2019年発表の『<em>カム・ホワット・メイ</em>』で一時復活)。彼の関心は、<strong>ヤヤ・キューブド</strong>や<strong>エラスティック・バンド</strong>に見られるファンク・サウンドに移る。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>アーロン・ゴールドバーグ</strong>は、1974年４月30日、マサチューセッツ州ボストン市に生まれた。現在51歳の現役バリバリのポストバップ系ピアニスト。彼はセンスにしてもテクニックにしても理想的というか模範的というか、とにかくいかなるセッションにおいても揺るぎないピアノ・プレイをするひとだ。その演奏における格別な技巧や能力、あるいは深みのある音楽性や楽曲に対する卓越した解釈などから、てっきりゴールドバーグは音楽家の家庭で育ったのかと思いきや、実際は生化学者の父親と血液学者の母親との間に生まれたのだった。それでも彼は７歳からピアノのレッスンを受け、14歳からジャズ・ピアノを弾きはじめる。地元からすぐ近くのミルトン・アカデミーに進学したゴールドバーグは、同校のジャズ・プログラムにおいて即興演奏を学ぶ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ゴールドバーグは17歳のときにニューヨーク市に移り住み、マンハッタンにあるニュースクール大学のジャズ＆コンテンポラリー・ミュージック科に通うようになる。空き時間はすべて、ピアノの練習とジャズ・クラブでの演奏とに費やされた。ところがその１年後、彼は両親の希望でボストンに戻り名門ハーヴァード大学に入学。哲学、心理学、科学史などを学び、優秀な成績を収め卒業した。とはいってもゴールドバーグは、大学在学中にも音楽に打ち込んでおり、18歳のときには超絶技巧のスキャットで知られるシンガー、<strong>ベニー・カーター</strong>のジャズ・ミュージシャン育成プログラム「ジャズ・アヘッド」に参加したり、毎週末ボストンのクラブ、ウォーリーズ・カフェにおいて地元のレジェンドたちとギグを行ったりしていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">レギュラー・トリオと異彩を放つゲスト・プレイヤー</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ゴールドバーグは学生時代にも、夏休みはマンハッタンで過ごすようにしていた。彼は現地のミュージシャンたちと演奏活動を行うことによって、ニューヨークのジャズ・シーンとの繋がりを維持していたのだ。そんなゴールドバーグも大学卒業後はふたたびニューヨークに戻り、前述の<strong>グレゴリー・ターディ</strong>をはじめ、トランペッターの<strong>ニコラス・ペイトン</strong>、ヴィブラフォニストの<strong>ステフォン・ハリス</strong>といった同世代の新進気鋭から、トランペッターの<strong>フレディ・ハバード</strong>、ドラマーの<strong>アル・フォスター</strong>、トランペッターの<strong>トム・ハレル</strong>などの練達の士まで、その演奏活動においてクロスジェネレーショナルな共演を果たした。そして1997年後半には、ベーシストの<strong>リューベン・ロジャース</strong>、ドラマーの<strong>エリック・ハーランド</strong>とともに最初のトリオを結成したのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ゴールドバーグのキャリアはおよそ30年に及ぶが、そのわりにリーダー作はそれほど多くはない。彼は前述のJ カーブ・レコードの２作を発表したあと、ジャズをはじめ、ブルース、クラシック、ワールド・ミュージックなど、カタログに幅広いジャンルの音楽を網羅するニューヨークのレーベル、サニーサイド・レコードに移籍する。このレーベルにおいてゴールドバーグは、これまでに『<em>ワールズ</em>』(2006年)『<em>ホーム</em>』(2010年)『<em>ザ・ナウ</em>』(2014年)『<em>アット・ジ・エッジ・オブ・ザ・ワールド</em>』(2018年)といった、４枚の自己名義のリーダー作を発表。加えて<strong>ギジェルモ・クレイン</strong>とのコラボレーション・アルバム『<em>ビエネスタン</em>』(2011年)もリリースした。本作でゴールドバーグはアコースティック・ピアノを、クレインはフェンダー・ローズを弾いている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ゴールドバーグはさきにお伝えした<strong>OAM トリオ</strong>のあとに新たなトリオを結成し、自己名義のトリオでの活動と並行してライヴ・パフォーマンスやアルバム制作に取り組んだ。<strong>OAM トリオ</strong>のベーシスト、<strong>オメル・アヴィタル</strong>、ミシガン州デトロイト出身のドラマー、<strong>アリ・ジャクソン</strong>と組んだ<strong>イェス! トリオ</strong>がそれである。<strong>OAM トリオ</strong>にはとき折エキゾティックなムードを醸成するようなユニークな面があったのに対し、<strong>イェス! トリオ</strong>にはひたすらトラディショナルなジャズをソフィスティケーテッドなサウンドで聴かせるような風情がある。ジャクソンは、<strong>マックス・ローチ</strong>と<strong>エルヴィン・ジョーンズ</strong>に師事した、ソウルフルでダイナミックなプレイが光る正統派のジャズ・ドラマーだ。ある意味で、非常に安心感がある。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8436 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/jazzinnewyork3.png" alt="高層ビル群をバックにグランドピアノを弾く男(色合いは緑)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/jazzinnewyork3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/12/jazzinnewyork3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　メンバーはみな1970年代生まれだが、トリオはストレート・アヘッドなプレイを展開しても新鮮で瑞々しい印象を与える。３人の出会いは1990年代のはじめごろだが、<strong>イェス! トリオ</strong>の最初のレコーディングといえば、2009年12月29日、ニューヨーク市ブルックリンの由緒あるシステムズ・トゥー・レコーディング・スタジオでのこと。音源はゴールドバーグが所属するサニーサイド・レコードから、アルバム『<em>イェス！</em>』(2011年)としてリリースされた。その後<strong>イェス! トリオ</strong>は、フランスのパリ市に拠点を構えるレーベル、ジャズ＆ピープルに移籍し『<em>グルーヴ・デュ・ジュール</em>』(2019年)『<em>スプリング・シングス</em>』(2024年)といった２枚のアルバムを発表。現在ではこのトリオが、ゴールドバーグの活動のメインとなっているのかも──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで1999年から2024年までの25年間に、自己名義のリーダー作６枚、クレインとのコラボレーション作１枚、<strong>OAM トリオ</strong>の４枚、<strong>イェス! トリオ</strong>の３枚と、ぼくの知る限り都合14枚のアルバムをリリースしてきたゴールドバーグだが、どれもコンテンツの密度が高い良質の作品ばかりだ。そんななかでも初リーダー作の『<em>ターニング・ポイント</em>』は、やはりもっともフレッシュな魅力に溢れている。ジャズ・ピアニストのデビュー作としてはご多分に漏れず、本作の場合も当時24歳のゴールドバーグの優れた才知と技能がふんだんに盛り込まれるているわけだが、それらが極めて明快に示されていて、実に聴きやすい作品に仕上がっているところに、ぼくは好感を抱くのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　レコーディング・メンバーは、<strong>アーロン・ゴールドバーグ</strong>(acp, elp)、<strong>リューベン・ロジャース</strong>(b)、<strong>エリック・ハーランド</strong>(ds)といったレギュラー・トリオに、<strong>マーク・ターナー</strong>(ts)、<strong>ジョシュア・レッドマン</strong>(ts)、<strong>カーシュ・カーレイ</strong>(tablas)、<strong>カーラ・クック</strong>(vo)らが加わる。トリオのメンバーはおよそ20年間不動で、ゴールドバーグ、ロジャースと同様に、ハーランドもまた<strong>SF ジャズ・コレクティヴ</strong>や<strong>ジェームス・ファーム</strong>といったグループのメンバーということで、レッドマンと関係が深い。なおクックはリズム・アンド・ブルースからクラシックまでジャンルを超越した作品や、巧みなヴォーカリーズで知られる女性ジャズ・シンガー、カーレイは北インドの太鼓、タブラー・バーヤの演奏とエレクトロニカとを融合させるユニークなミュージシャンだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムのオープニングを飾るのは、ハード・バップの名ピアニスト、<strong>シダー・ウォルトン</strong>の「ファンタジー・イン D」で、<strong>アート・ブレイキー＆ザ・ジャズ・メッセンジャーズ</strong>の演奏で有名な「ウゲツ」と同名曲。もともとモダンでアップビートな曲だが、ここでの曲調もほぼオリジナルどおり。ゴールドバーグの水を得た魚のような爽快なフロウに胸がすく。ターナーのアンニュイなソロとのコントラストが鮮やか。クックのヴォーカリーズが曲に洗練されたフィーリングを加味している。ゴールドバーグのオリジナル「ターニング・ポイント」は、ワルツとアフロビートがクロスするコンテンポラリーなナンバー。インプレッショニズムを感じさせるゴールドバーグのフレージングが淀みなく流れていく。後半のクァルテットによる熱いインタープレイもいい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ゴールドバーグの自作曲「ターキッシュ・ムーンライズ」は、寒色系のバラード。ゴールドバーグの叙情的なルバート演奏と頻波を打つようなアドリブが美しい。ターナーの寛いだプレイも、理知的で都会的なムードを高めている。やはりゴールドバーグのオリジナル「ジャクソンズ・アクションズ」は、タブラーが活躍するニュージャズ風ナンバー。ターナーの流線を描くようなソロも素晴らしいが、ここはジャムアウトしまくるハーランドが第一等だ。<strong>ジョニー・マンデル</strong>の「シャドウ・オブ・ユア・スマイル」は、バロック調のテーマ部から４ビートのアドリブ・パートへの移行というアレンジが面白い。レッドマンとゴールドバーグとによるクールかつエキサイティングなパフォーマンスをとくとご堪能あれ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ディジー・ガレスピー</strong>の「コン・アルマ」は、唯一トリオで演奏されるポリメトリックなワルツ。ゴールドバーグのスムースでエレガントなインプロヴィゼーションが全開する。このなだらかで麗しいフレージングを聴けば、いかに彼が卓越したピアノ・テクニックの持ち主かがわかる。さらにゴールドバーグの自作曲「ヘッド・トリップ」では、そのピアノが疾風のようにアブストラクトな展開を見せる。ターナーも雄弁にブロウする。アルバムを締めくくる「マムズ・チューン」は、やはりゴールドバーグのオリジナル。リラクシングかつリフレッシングなミッドテンポ。ゴールドバーグはフェンダー・ローズをプレイ。クックとターナーとのかけ合いが、アーバンなムードを演出する。そんな本作は、瑞々しさばかりでなく口当たりのよさまで際立つ、ゴールドバーグのデビュー・アルバム。何度でも聴きたくなる。 ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p>最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
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<p></p>]]></content:encoded>
					
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		<title>Sonny Clark Trio / Sonny Clark Trio (1960年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/sonny-clark-trio-sonny-clark-trio-by-time-records/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=sonny-clark-trio-sonny-clark-trio-by-time-records</link>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 16 Nov 2025 09:01:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Sonny Clark]]></category>
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					<description><![CDATA[ソニー・クラークが不調を一時的に克服して見せた信じがたいほどハイテンションなパフォーマンスに溜飲が下がるタイム盤『ソニー・クラーク・トリオ』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">ソニー・クラークが不調を一時的に克服して見せた信じがたいほどハイテンションなパフォーマンスに溜飲が下がるタイム盤『ソニー・クラーク・トリオ』</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : Sonny Clark Trio / Sonny Clark Trio (1960)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Sonia</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-16" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-16">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">ソニー・クラークが不調を一時的に克服して見せた信じがたいほどハイテンションなパフォーマンスに溜飲が下がるタイム盤『ソニー・クラーク・トリオ』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">正式にリリースされたピアノ・トリオ作品はたったの２枚しかない</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">こころが和むウェストコースト時代のクラークによる鷹揚なプレイ</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">クラークが気焔万丈となるのはおなじトリオ作でもタイム盤のほう</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">正式にリリースされたピアノ・トリオ作品はたったの２枚しかない</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　もっともよく聴いたという点で、ぼくにとって最上位のジャズ・ピアニストといえば、<strong>ソニー・クラーク</strong>にほかならない。いちばん好きなピアニストというわけではないけれど、いまも昔もぼくは彼のレコードをよく聴く。彼のアルバムでもっともよく聴いたのは、ブルーノート・レコードからリリースされた『<em>ソニー・クラーク・トリオ</em>』(1958年)であることは、まず間違いない。ついでに云っておくと、色違いのジャケットの『<em>ソニー・クラーク・トリオ Vo. 2</em>』(1985年)『<em>ソニー・クラーク・トリオ Vo. 3</em>』(1985年)というレコードがあるのだが、この２枚はもともとシングル盤用に録音された演奏を中心に、別テイクや未収録曲がまとめられたもので、日本の東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)によって発売された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　クラークのピアノ・トリオ作品というと、正式にリリースされたアルバムは実はたったの２枚しかない。ザナドゥ・レコードから発売されたアルバムで、ベーシストの<strong>シモン・ブレーム</strong>、ドラマーの<strong>ボビー・ホワイト</strong>をサイドメンに迎えたトリオでの演奏を聴くことができる『<em>メモリアル・アルバム</em>』(1976年)というレコードがあるけれど、これをクラークのトリオ作に数えるのはちょっと辛い。このアルバム、さもすべての音源がトリオの演奏を収めたものであるかのように、ジャケットにブレームとホワイトの名前が堂々と表記されている。しかし実際は、トリオでの演奏は７曲中２曲のみで、残りの５曲はクラークのソロ・ピアノによるものだ。しかもそのパフォーマンスは、余興の域を出ていない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そもそもこの音源は、クラリネット奏者の<strong>バディ・デフランコ</strong>のバンドでヨーロッパ・ツアーの真っ最中だったクラークが、ノルウェー、オスロのとあるクラブで開かれたパーティに招かれた際、それこそ座興で披露した演奏が録音されたものなのだ。つまりそれはレコーディングを前提としたパフォーマンスではないわけで、彼に必要以上の気合が入っていないのも当然のこと。ただ観かたを変えれば、1954年１月15日に録音されたこのライヴ演奏は、クラークの最初期のものであると同時に、ある意味で胡散臭いほどチルアウトしたものでもある。そういった意味では貴重な記録と云えるのかもしれないが、いっとき入手困難なレコードともてはやされた本盤を、実のところぼくは決して血眼になって探すような類いのものではないと思っている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8301 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/11/Sonny1.png" alt="グランドピアノに重なる鍵盤の模様(緑系)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/11/Sonny1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/11/Sonny1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ということで繰り返しになるが、クラーク自身のあずかり知らぬところで制作されたアルバムを除くと、彼のピアノ・トリオ作品はやはり２枚しかないのである。ブルーノート・レコードに、<strong>アート・ファーマー</strong>(tp)、<strong>カーティス・フラー</strong>(tb)、<strong>ハンク・モブレー</strong>(ts)、<strong>ウィルバー・ウェア</strong>(b)、<strong>ルイス・ヘイズ</strong>(ds)といった、当時のブルーノート・オールスターズとも云うべき豪華なメンバーとともに初リーダー作『<em>ダイアル・S・フォー・ソニー</em>』(1957年)を吹き込んで以来、同レーベルのハウス・ピアニストとして幾多のセッションに参加したクラークだけに、トリオ作が２枚とは極めて少ないと思われる。まあ彼のプロの音楽家としての活動期間はおよそ12年だから、それもまた致しかたないか──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　クラークは周知のとおり、1963年１月13日、薬物の過剰摂取により31歳という若さでこの世を去った。そもそも生前にリリースされたリーダー作は実のところ６枚しかないわけで、その３分の１を占めるトリオ作は、ハード・バップを象徴するピアニストのディスコグラフィとして考えると、むしろ割合が大きいと云えるのかもしれない。なお『<em>ダイアル・S・フォー・ソニー</em>』の吹き込みは、1957年７月21日にニュージャージー州ハッケンサックにおいて行われた。云うまでもなく、レコーディング・エンジニアを務めたのは<strong>ルディ・ヴァン・ゲルダー</strong>だが、録音当日は奇しくもクラークの26歳の誕生日だった。自分の誕生日に初リーダー作を吹き込むというのは、どんな気持ちになるのだろうか──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　しかもこのレコーディング、<strong>ハンク・モブレー</strong>のリーダー作『<em>ハンク・モブレー</em>』(1957年)において、クラークがブルーノート作品に初登場してから１か月余りあとの出来事。この異例の早さから、プロデューサーである<strong>アルフレッド・ライオン</strong>が、クラークに対して大きな期待を抱いていたことがわかる。くだんのモブレーのアルバムでは、彼のリーダー作のなかでは比較的地味なメンバーによるセッションとなっているが、クラークは<strong>ポール・チェンバース</strong>(b)、<strong>アート・テイラー</strong>(ds)らとともに、素晴らしいコンピングを披露。アドリブ・パートにおいても、自然体で臨んでいる。1951年から西海岸を拠点に構え演奏活動をつづけてきた彼は、このときニューヨークに移ってからまだ２か月余りだったが、なかなかどうして堂々としたものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ときに、さきに挙げたブルーノート盤『<em>ソニー・クラーク・トリオ</em>』と並ぶクラークの正式なトリオ盤とうと、彼のファンならご承知のことだろうが、タイム・レコードからリリースされた『<em>ソニー・クラーク・トリオ</em>』(1960年)である。ブルーノート盤とタイム盤とは同名のタイトルが掲げられているが、むろんまったくの別モノだ。タイムはエマーシー・レコードを立ち上げたことで知られる音楽プロデューサー、<strong>ボブ・シャッド</strong>によって1959年に設立された。そのカタログにはジャズ作品のほかにカクテル・ポップ系のアルバムやシングル盤も多数含んでおり、1960年代の半ばごろまで西海岸の人気レーベルとして存在感を示していた。ことにジャズ作品はわが国でも、何度となくリイシューされるほど高い人気を得ている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このレーベルにおいてクラークは、自己のリーダー作をリリースするほか、トロンボニストの<strong>ベニー・グリーン</strong>のアルバム『<em>ベニー・グリーン</em>』(1960年)のレコーディングにも参加している。このアルバムでは「クール・ストラッティン」「ソニーズ・クリブ」「ブルー・マイナー」といった、クラークのオリジナル・ナンバーのなかでも特に人気の高い３曲を聴くことができる。ちなみに、アメリカのオリジナル盤のジャケットには「クール・ストラッティン」を「イッツ・タイム」「ソニーズ・クリブ」を「ソニーズ・クリップ」「ブルー・マイナー」を「クール・ストラッティン」というふうに、誤った表記がなされている。それに反して日本盤では、当初からこの誤記が修正されており、あらためてクラークのわが国での人気を窺い知ることができる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">こころが和むウェストコースト時代のクラークによる鷹揚なプレイ</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このセッションのメンバーを列記すると、<strong>ベニー・グリーン</strong>(tb)、<strong>ジミー・フォレスト</strong>(ts)、<strong>ソニー・クラーク</strong>(p)、<strong>ジョージ・タッカー</strong>(b)、<strong>アルフレッド・ドリアース</strong>(ds)となるが、ちょうどドラムスをドリアースから<strong>ポール・ガスマン</strong>に入れ替えたメンバーで吹き込まれたグリーンのリーダー作で、ニューヨークの超マイナー・レーベル、エンリカからリリースされた『<em>スウィング・ザ・ブルース</em>』(1960年)というレコードがある。このアルバムのレコーディングは1959年の１月に行われたのだが、タイム盤の『<em>ソニー・クラーク・トリオ</em>』は1960年３月、そして『<em>ベニー・グリーン</em>』は1960年９月の吹き込みとなっている。これらの３枚をあわせて楽しむと、1959年から1960年までのクラークの変遷を確認することができるのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　思えばクラークはブルーノートからデビューして以来、ビバップ・スタイルを承継しながらファンキーな味わいを感じさせるプレイで、数多くのハード・バップ作品を盛り上げてきた。にもかかわらず彼は、キャバレー・カードの支給を受けることができなかった。このカードは、1940年から1967年までニューヨークのナイト・クラブで働くために必要とされた許可証。クラークにカードが与えられなかったのは、彼が薬物の常習者だったからだ。ビバップの父と謳われた<strong>チャーリー・パーカー</strong>、アルト奏者の<strong>ジャッキー・マクリーン</strong>、ピアニストの<strong>セロニアス・モンク</strong>、シンガーでは<strong>ビリー・ホリデイ</strong>や<strong>フランク・シナトラ</strong>なども、おなじ理由からカードを取得することができなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　すでに薬物依存症だったクラークは、いつの間にかスタジオ・レコーディングに参加することができなくなるほど、意志や行動を自分でコントロールすることができなくなっていた。彼がそんな状況をなんとかやり過ごしながら奇跡的にプレイしていたのが、ちょうど1960年前後のことである。実はクラークの安定期は、わが国のジャズ喫茶を賑わせ、日本からの注文が殺到したことから<strong>アルフレッド・ライオン</strong>を驚かせ、結局のところニューヨーク・タイムス紙をして不朽のハード・バップ・クラシックと云わしめた『<em>クール・ストラッティン</em>』(1958年)のリリース、あるいはブルーノート作品の研究におけるオーソリティ、<strong>マイケル・カスクーナ</strong>によって発掘された『<em>マイ・コンセプション</em>』(1979年)のレコーディング(1959年３月)あたりまでだった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8302 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/11/Sonny2.png" alt="グランドピアノに重なる鍵盤の模様(紫系)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/11/Sonny2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/11/Sonny2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　クラークがブルーノートに復帰するのは、1961年10月26日に吹き込まれた<strong>ジャッキー・マクリーン</strong>のリーダー作『<em>ア・フィックル・ソーナンス</em>』(1962年)。リーダー作については1961年11月13日に録音された『<em>リーピン・アンド・ローピン</em>』(1962年)まで待たなければならなかった。このアルバムを聴いた限りでは、クラークが完全復活を遂げたようにしか思えない。それくらいそのプレイは、ファンキーでダイナミックに響く。その後、クラークは1962年にもブルーノートのいくつかのセッションに参加したが心臓病で入院、1963年１月に一時的に退院するも、前述のように薬物の過剰摂取で心臓発作を起こし帰らぬひととなった。結局『<em>リーピン・アンド・ローピン</em>』が、彼の存命中に発表された最後のリーダー作となった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　クラークは1931年７月21日、アメリカ、ペンシルヴェニア州のハーミニーという小さな町に生まれた。彼は生まれてから２週間後に鉱山労働者の父親を亡くしている。ピアノを弾きはじめたのは４歳のときで、超絶技巧のブギウギ・ピアニスト、<strong>ピート・ジョンソン</strong>から強く影響を受けたという。６歳のときにはラジオにも出演し、12歳のときにピッツバーグに移住。ハイスクール時代には地元のバンドで、ピアノのほかにヴィブラフォンも演奏した。クラークは正式な音楽教育を受けておらず、実戦でジャズ・ピアノのテクニックを身につけた。後世に残る数々の名演において、息つく間もなく繰り出されるブルージーでメロディアスなインプロヴィゼーションや、屈託なく放たれるファンキーなフィーリングは、彼が感覚的に習得したものなのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　1951年、クラークは母親が亡くなったことを機に、カリフォルニア州ロサンゼルス群パサデナ市に移住する。プロのミュージシャンとして活動を開始した彼は、トランペッターの<strong>アート・ファーマー</strong>、テナー奏者の<strong>デクスター・ゴードン</strong>、おなじくテナー奏者の<strong>ワーデル・グレイ</strong>らと共演。さらにクラークは1953年から、サンフランシスコ市に移りベーシストの<strong>オスカー・ペティフォード</strong>とトリオを組んでプレイするようになるが、年末には<strong>バディ・デフランコ・クァルテット</strong>のピアニストとして、<strong>ケニー・ドリュー</strong>の後釜に座る。彼はデフランコのグループに1956年まで在籍したが、前述したザナドゥ盤『<em>メモリアル・アルバム</em>』の音源はその時代の記録。評論家の<strong>レナード・フェザー</strong>が企画した「ジャズ・クラブ USA」と題されたヨーロッパ・ツアーに参加したときのものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお<strong>バディ・デフランコ・クァルテット</strong>のヨーロッパ・ツアーの模様は、<strong>ビリー・ホリデイ</strong>のライヴ音源とともに『<em>ライヴ・イン・ケルン 1954</em>』(2014年)というCDに収録されているので、興味のあるかたは手にとってみてはいかがだろう。その後クラークは、ふたたびロサンゼルスに戻り一時的ではあるが、ベーシストの<strong>ハワード・ラムゼイ</strong>が率いる<strong>ライトハウス・オールスターズ</strong>のメンバーとなる。このアンサンブルはその名のとおり、ライトハウス・カフェのハウス・バンド。ライトハウスはカリフォルニア州ハーモサ・ビーチ、ピア・アヴェニューの老舗ナイトクラブだ。クラークは過去にこのクラブの慣例となっていたジャム・セッションにおいて、偶然にもアルト奏者の<strong>アート・ペッパー</strong>と共演することがあった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　偶然というのは、当初その晩のピアニストを務めるのは<strong>ハンプトン・ホーズ</strong>だったのだが、彼がよんどころない事情で来られなくなったため、急遽クラークがステージに上がったから。1953年３月30日のことだが、このときまったくの無名だったクラークは、その力強く溌剌としたプレイでバンド・メンバーとオーディエンスのハートをつかんだ。ペッパーのほうもその夜は絶好調で、全11曲のうちピアノ・トリオで演奏された「テンダリー」以外は、切れ目なくノリに乗ってプレイしつづけた。このときの模様は、なにかと有名なジャズ・マニア、<strong>ボブ・アンドリュース</strong>によって録音され、その音源は1974年に彼のプライヴェート・レーベルから『<em>ストレイト・アヘッド・ジャズ</em>』というタイトルで、２枚に分けてこっそりリリースされた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところがどっこいこのアルバムは、<strong>妙中俊哉</strong>が主宰するインタープレイ・レコードから２枚組CDの『<em>アート・ペッパー・ウィズ・ソニー・クラーク・トリオ</em>』(1987年)として正式に発売されて以来、様々な仕様で何度となくリイシューされてきた。音質はお世辞にも良好とは云えないけれど、演奏の妙味から不思議とその点に煩わされることはなく、本作は長いあいだぼくの愛聴盤となっている。しかも好きが高じて、ぼくはすでにインタープレイ盤を所持していたが、1992年に日本のジャズ専門のディストリビューター、NORMAによってニュー・マスタリングが施され、オリジナルに準じて２枚のアナログ・レコードとして発売されたヴァンテージ盤のほうも購入してしまった。それだけクラークの瑞々しいタッチと、伸びやかなフィーリングが魅力的なのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">クラークが気焔万丈となるのはおなじトリオ作でもタイム盤のほう</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　クラークにはアフリカ系アメリカ人特有の感性で、シャープかつエレガントなハーモニーを響かせながら、流れるようにキャッチーなフレーズを連綿と繰り出していくようなイメージがある。そういうクールネスからクラークといえば、1957年以降のブルーノート作品に人気が集中する。しかしながら、西海岸ならではのリラックスしたアンサンブルと抑制の効いたエクスパンションに身を委ねながら、鷹揚なプレイを展開する彼もまたぼくは好きだ。メロディアスでセンシティヴな楽句を繰り出すペッパーとの相性もいい。なおこのときのセッションでは、ベーシストを<strong>ハリー・ババシン</strong>、ドラムスを<strong>ボビー・ホワイト</strong>が務めている。Vol. 2で聴かれるチェロはババシン(ベースは<strong>ハワード・ラムゼイ</strong>が代行)、コンガはクラブのオーナー、<strong>ジョン・レヴィーン</strong>によるものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、クラークのウェストコースト時代の鷹揚なプレイにこころが和む『<em>アート・ペッパー・ウィズ・ソニー・クラーク・トリオ</em>』彼の絶頂期とも云える機知に富んだ叙情味さえ溢れる安定したエクスプレッションに、爽快な気分にさせられるブルーノート盤『<em>ソニー・クラーク・トリオ</em>』そして、薬物依存から精神と身体にきたした不調を一時的に克服した彼が見せる、信じがたいほどハイテンションなパフォーマンスに溜飲が下がるタイム盤『<em>ソニー・クラーク・トリオ</em>』を、聴き比べてみるのもまた一興である。それは、長年クラークのレコードを聴きつづけてきたぼくにとって、いまではちょっとした楽しみになっているほど。それぞれのピアノのタッチは違ったもののように聴こえるけれど、やはりクラークはクラークで、とにかくイケているのだな──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくは冒頭で、彼のアルバムでもっともよく聴いたのはブルーノート盤『<em>ソニー・クラーク・トリオ</em>』と云ったけれど、それには個人的な理由がある。実はぼくは、中学生のころからジャズ・ピアノを自分でも弾いてみたいと思い、教則本を手に入れて練習しはじめた。もともとクラシック・ピアノの個人レッスンを受けていたし、小学校高学年のころにはそれと並行してポピュラー・ピアノも弾いていた。だからコードやスケールについての知識はそれなりに身につけていた。ところがジャズを演奏するための体系的な手順や方法を理解した上でいざ実演に臨むと、ぼくの演奏は意気消沈するほどまったくジャズっぽくないのだ。これではいけないと考えひらめいたのが、ホンモノの演奏を真似することだった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8303 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/11/Sonny3.png" alt="グランドピアノに重なる鍵盤の模様(青系)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/11/Sonny3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/11/Sonny3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　そこでぼくが真っ先に手にとったレコードが、ブルーノート盤『<em>ソニー・クラーク・トリオ</em>』だった。正直なところクラークのピアノのテクニックには、当時の自分が知るほかのピアニストのそれと比較したとき、格別なスゴさは見受けられなかった。しかしながら、その淀みなく連なる簡潔なフレーズとそれが醸し出すブルージーでどこか凛とした雰囲気とに、彼のセンスのよさが感じられた。平たく云えば入門者のぼくには、クラークのプレイがとてもカッコよく思えたのである。耳をそばだてて彼が奏でる音に意識を集中させると、即興演奏のなかにおなじような楽句が何度も出来することに気づかされる。そのなかから気に入ったフレーズを楽譜に転記し、あとはそれを弾けるようにひたすら練習するのみ。これが意外と楽しいのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに云うと、ぼくはマスターしたクラークの楽節をいくつもストックしておいて、いざ実戦に臨んだときそれを引用していた。そんな自分の演奏について音楽仲間に「いまのちょっと<strong>ソニー・クラーク</strong>っぽくない？」などとツッコまれたときのぼくといえば「そうかな？」としらばっくれていたもの。いずれにしても、ぼくがジャズ・ピアノのお手本にしたというか、ずいぶんコピーさせてもらったのは、クラークのレコードだった。その最たるものといえば、間違いなくブルーノート盤『<em>ソニー・クラーク・トリオ</em>』だ。ちなみに、このアルバムでぼくがいちばん好きな演奏は、<strong>リチャード・ロジャース</strong>と<strong>ロレンツ・ハート</strong>による「時さえ忘れて」であり、ふんだんに盗ませていただいたのは<strong>ディジー・ガレスピー</strong>の「トゥー・ベース・ヒット」である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さて、このブルーノート盤については以前このブログでも採り上げたことがあるので、今回は最後にタイム盤『<em>ソニー・クラーク・トリオ</em>』のほうに対するぼく思いの丈を述べておこう。ブルーノート盤のほうが全曲スタンダード・ナンバーで構成されているのに対し、タイム盤のほうはすべてクラークのオリジナル・ナンバーでまとめられている。どちらも稀なケースと云えるが、クラークによるトリオ演奏のふたつの異なる味わいを楽しむことができるのは、実にありがたい。前者の<strong>ポール・チェンバース</strong>(b)、<strong>フィリー・ジョー・ジョーンズ</strong>(ds)に対する、後者の<strong>ジョージ・デュヴィヴィエ</strong>(b)、<strong>マックス・ローチ</strong>(ds)というサイドメンの違いもまた妙趣を生んでいる。ぼくは両盤ともに好きだけれど、前述のようにクラークが気焔万丈となるのは後者である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　収録曲のうち「マイナー・ミーティング」と「ニカ」(「ロイヤル・フラッシュ」と同名曲)は、米国ブルーノートでは未発売だったがのちに東芝EMIによって発掘された『<em>ソニー・クラーク・クインテット</em>』(1976年)や、前述の『<em>マイ・コンセプション</em>』でも採り上げられた曲。また「ブルース・ブルー」「ジャンカ」「マイ・コンセプション」「ソニア」は『<em>マイ・コンセプション</em>』でもプレイされている。聴き比べするのも一興かと──。なお「ソニーズ・クリップ」は、セカンド・アルバム『<em>ソニーズ・クリブ</em>』(1958年)の表題曲とは別の曲である。オープニングを飾る「マイナー・ミーティング」では、アップテンポに乗ってクラークがクールなフレーズを矢継ぎ早に繰り出す。粋のいいローチとの４バースもいい塩梅だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　つづく「ニカ」では、軽い足どりのリズムに誘われて、クラークが気持ちよさげにスウィングしまくる。次第に俊敏な指遣いでファンキーなフィーリングを醸成していくところが、なんとも心地いい。デュヴィヴィエのソロもソツなくスマートだ。ややテンポを上げた「ソニーズ・クリップ」は、クラークのキャッチーな楽句が満載で、その機敏な歌わせかたもお見事。ローチとのソロ交換も溌剌としている。ラテンから４ビートに移行する「ブルース・マンボ」では、ローチの推進力のあるドラミングと、それに感化されたかのように饒舌になるクラークの当意即妙のプレイが痛快だ。B面最初の「ブルース・ブルー」は、オーソドックスな12小節のブルースだが、クラークとデュヴィヴィエとのエスプリの効いたダイアローグに、こころがくすぐられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　快活で洗練された「ジャンカ」では、ピアノ、ベース、ブラシがアンサンブルにしてもソロ交換にしても、とにかく軽妙洒脱。モダン・ジャズならではのウマ味のある１曲だ。つづく「マイ・コンセプション」では、唯一クラークの素朴で淡麗なソロ・ピアノが披露される。機知と叙情味に富んだバラード・プレイに、こころが和む。ラストを飾る「ソニア」では、クラークが軽快なテンポに乗ってビバップ然としたフロウを間断なく展開する。すごく歌っている。しかもそれには、<strong>バド・パウエル</strong>の気迫とは対照的な整合性が際立つ。そしてその集中力たるや、とても薬物依存症のピアニストのものとは思えない。快調なピアノ演奏とトリオによるソロ交換とが相まって、爽やかな余韻を残す。やはりクラークのピアノは、カッコいい。何度も聴きたくなる。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p>最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
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		<title>Al Haig Trio / Invitation (1974年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 26 Oct 2025 08:10:20 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Al Haig]]></category>
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					<description><![CDATA[かつてビバップ全盛期の優れたピアニストだったアル・ヘイグがニュー・メインストリームの熟練ピアニストとして吹き込んだ上質のアルバム『インヴィテーション』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">かつてビバップ全盛期の優れたピアニストだったアル・ヘイグがニュー・メインストリームの熟練ピアニストとして吹き込んだ上質のアルバム『インヴィテーション』</span></h2>

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<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : Al Haig Trio / Invitation (1974)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Holyland</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-18" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-18">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">かつてビバップ全盛期の優れたピアニストだったアル・ヘイグがニュー・メインストリームの熟練ピアニストとして吹き込んだ上質のアルバム『インヴィテーション』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">初期のビバッパー時代──初リーダー作を吹き込むまで</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">はじめて聴いたヘイグのアルバムはイングランドでの吹き込み</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">復活後はニュー・メインストリームの熟練ピアニストとして活躍</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">初期のビバッパー時代──初リーダー作を吹き込むまで</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>アル・ヘイグ</strong>というと、ヨーロッパ系アメリカ人のバップ・ピアニストとしては、草分け的存在だ。1922年７月22日ニュージャージー州ニューアーク生まれの彼は、1940年代の初頭からプロのジャズ・ピアニストとして活躍していた。９歳からピアノのレッスンを受けはじめたヘイグは、ニュージャージーの公立高校ナトリー・ハイスクールに進学し、当時から<strong>ナット・キング・コール</strong>や<strong>テディ・ウィルソン</strong>の影響を受けて、ジャズ・ピアノを弾くようになった。高校卒業後は沿岸警備隊の務めに従事しながら、マサチューセッツ州のボストン周辺でフリーのミュージシャンとして活動した。その後奨学金を受けて、オハイオ州のリベラル・アーツ・カレッジ、オーバリン大学へと進み音楽理論を学ぶも、敢えなく中退。1944年、いよいよニューヨークへ進出する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ヘイグは、かつてバードランドをはじめとするジャズ・クラブが数多く集まっていた、いわばジャズの中心地、ニューヨークのマンハッタン52丁目に活動の拠点を構えた。彼は早々にトランペッターの<strong>ディジー・ガレスピー</strong>のグループに加わり、1946年まで演奏しつづけた。いまもモダン・ジャズ初期の歴史的演奏と高い評価を得る、“ミュージクラフト・セッション”と称される1945年から1946年にかけての吹き込みにおいて、ガレスピーのクインテットやセクステットでピアノを弾いているのは、だれあろうヘイグである。さらに彼は1948年からは、アルト奏者の<strong>チャーリー・パーカー</strong>のグループに加入。その後ヘイグは、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>の若き日の名作『<em>クールの誕生</em>』(1957年)のレコーディングにも参加している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このクール・ジャズの礎を築いたとも云われる歴史的名盤の収録曲のうち、1949年１月21日の吹き込みにヘイグが参加しているのだ。ホーン・セクションにアルト、バリトン、トランペット、トロンボーンのほか、ジャズでは稀なケースだがフレンチホルンとチューバが加えられており、どちらかというと各々のソロ・プレイよりもアンサンブルを味わうべきアルバムと云える。この日のセッションでは、どうしても<strong>ジョン・ルイス</strong>と<strong>ジェリー・マリガン</strong>とがアレンジを手がけた重奏に、注意を惹きつけられてしまうのだが、<strong>ジョー・シュルマン</strong>のベースと<strong>マックス・ローチ</strong>のドラムスとともにリズムを支えているのは、確かにヘイグのピアノなのである。うっかり忘れてしまうのだけれど──。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8198 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/mintal1.png" alt="グランドピアノとミントの葉(シルエット水色)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/mintal1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/mintal1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　正直に告白すると、ぼくはこの『<em>クールの誕生</em>』を一度として真剣に聴いたことのないきわめて不届きなヤツである。そもそもこのレコード、高校生だったぼくは、ジャズ・レコード史上、最重要作品という世評に乗せられて、手にしたまで。一般的には、<strong>クロード・ソーンヒル楽団</strong>のアレンジャーだった<strong>ギル・エヴァンス</strong>のオーケストレーションがイノヴェイティヴだとか、西海岸のジャズ・シーンに多大な影響を与えたとか、いろいろなことが云われているけれど、ぼくにとってはリラックスしたライトなサウンドのBGMとして楽しむことに止まる１枚。ジャズの帝王もまだ22歳、そのフレッシュな演奏には好感がもてる。ただヘイグのピアノ・プレイは、あまり聴こえない。たまに耳に入るコンピングにしても、いいのかどうかわからない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただ、こんなこぼれバナシがある。このころミッドタウン・マンハッタンのシアター・ディストリクト、ブロードウェイ1580番地にあったジャズ・クラブ、ロイヤル・ルーストのオーナー、<strong>モンティ・ケイ</strong>が<strong>マイルス・デイヴィス</strong>に「好きなメンバーを集めて、好きなように音楽をやってみないか」ともちかけたことは、よく知られている。ところで、そのコトバがそのまま『<em>クールの誕生</em>』のコンセプトに繋がったのだとすれば、当時のヘイグはデイヴィスから有能なミュージシャンとして一目置かれる存在だったことになる。このとき彼はまだ26歳だったが、すでにイッパシのジャズ・プレイヤーだったのだ。まあ、ぼくがそんなふうに見識を深めるのはずっとあとのことで、当初はヘイグの名前すら気に留めなかったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ヘイグの初リーダー作は、名門プレスティッジ・レコードからリリースされた。プレスティッジは、もともと音楽プロデューサーの<strong>ボブ・ウェインストック</strong>が1949年に立ち上げたニュー・ジャズというレコード会社だったが、ちょうどこのころ社名が変更されたばかりだった。1950年２月27日に行われたヘイグの吹き込みは『<em>アル・ヘイグ・トリオ</em>』(1950年)という、無策無為のタイトルが付された４曲入りEP盤。その名のとおり、ベースに<strong>トミー・ポッター</strong>、ドラムスに<strong>ロイ・ヘインズ</strong>を据えたトリオ編成によるレコーディングである。このときのセッションは、のちに<strong>スタン・ゲッツ・ウィズ・アル・ヘイグ</strong>名義のLP『<em>プリザヴェーション</em>』(1967年)に収録されたので、広く知られているだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この演奏を聴くと、曲は短めだがヘイグがすでに優れたビバッパーだったことがわかる。アップテンポでの小気味いいシングル・トーン、スロー・バラードでの素早い指遣いによるフィルインなどは、なんとも美しく爽やかだ。しかもヘイグの技巧的なピアノ・プレイはビバップ・スタイルといえども、<strong>バド・パウエル</strong>の演奏のように鬼気迫るエクスプレッションを見せることはなく、飽くまで端正で軽やかなのである。いささか語弊があるかもしれないが、そんなとっつきやすいところがヘイグの魅力のひとつと、ぼくはかねてから思っている。ちなみにゲッツとの初共演は1949年のことだが、ヘイグは1952年にロサンゼルス移り、再度彼のグループに参加している。その後ふたたびニューヨークに戻るのは、1954年のことだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ニューヨークに戻ったヘイグは1954年３月13日、フランスのジャズ・ピアニスト、<strong>アンリ・ルノー</strong>のプロデュースでレコーディングを行うことになる。ベースに<strong>ビル・クロウ</strong>、ドラムスに<strong>リー・エイブラムス</strong>を迎えた、ピアノ・トリオによる吹き込みは全８曲。すぐにフランスのスウィング・レーベルやアメリカのピリオド・レコードによって、10インチ盤として商品化された。アルバムのタイトルは、前述のプレスティッジ盤とおなじく『<em>アル・ヘイグ・トリオ</em>』(1954年)という。ところで面白いことに、さきの吹き込みと同日のことになるが、ルノーが帰ったあとときを移さず、今度はエソテリック・レコードのオーナー兼エンジニアの<strong>ジェリー・ニューマン</strong>が、このトリオのレコーディングを行ったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">はじめて聴いたヘイグのアルバムはイングランドでの吹き込み</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　結局、その際吹き込まれた13曲のうち８曲が収録された10インチ盤が、エソテリックから発売された。ところが、このエソテリック盤のタイトルがまたまた『<em>アル・ヘイグ・トリオ</em>』(1954年)という。なんとも、ややこしい。ただ幸いなことにその３年後、エソテリックは社名をカウンターポイントに変更するとともに、くだんの13曲すべてを収録した12インチ盤を発売した。このときアルバム・タイトルもジャケットも一新されたわけだが、これこそが、ヘイグのファンにとっていまやマストハヴなアルバムとなっている『<em>ジャズ・ウィル・オー・ザ・ウィスプ</em>』(1957年)だったのである。ぼくもまた、数あるヘイグの優れた作品のなかでも、このアルバムがベストワンであると思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、1954年３月13日に<strong>アル・ヘイグ・トリオ</strong>によって行われた、いわゆるマラソン・セッションは、こうしてピリオドの『<em>アル・ヘイグ・トリオ</em>』と、カウンターポイントの『<em>ジャズ・ウィル・オー・ザ・ウィスプ</em>』との２枚にめでたく落ち着いた。この２枚を聴く度ごとに、ヨーロッパ系アメリカ人のなかでは、ヘイグが圧倒的にビバップ期を代表するプレイヤーだったと、あらためて確信させられるのである。またここで告白してしまうけれど、同時期の<strong>バド・パウエル</strong>によるやたらと凄味ばかりが際立つお世辞にもコンディションがいいとは云えないプレイに我慢して耳を傾けるくらいなら、美意識を表現することに比重が置かれた実に調和のとれたヘイグの演奏を聴くべきと、ぼくは思っていたりする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ここまでもっともらしく語ってきたぼくも、実はビバップ全盛期のヘイグについて知ったのは、彼の演奏にはじめて触れてからちょっとあとのことだった。そもそもぼくの場合、ヘイグのアルバムを聴きはじめたのはかなり遅いほう。ジャズには小学校高学年から親しんでいたし、前述のように『<em>クールの誕生</em>』も聴いていたけれど、ヘイグの名前を覚えたのは社会人になってからのことだった。当時の勤め先の上司がたまたまジャズ通だったのだが、ぼくがそれまでヘイグのアルバムを１枚も聴いたことがないと知ると、英国のスポットライト・レコードからリリースされた『<em>インヴィテーション</em>』(1974年)を貸してくれた。そして、イングランドのバーンズで吹き込まれた本作の冒頭を飾る「ホーリーランド」を聴いた瞬間、ぼくはやにわにヘイグのピアノ・プレイのとりこになったのである。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8199 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/mintal2.png" alt="グランドピアノとミントの葉(シルエット桃色)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/mintal2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/mintal2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　この『<em>インヴィテーション</em>』の詳細については後述するが、とにかくこのアルバムから、ぼくは遅ればせながらヘイグを追いかけるようになった。折よくこのアルバムが発表された1970年代の中ごろから、ヘイグはすでにわが国でも人気のピアニストだったのだろう、以降日本のレコード会社が度々彼のリーダー作を制作していた。ぼくはイースト・ウィンド盤『<em>チェルシー・ブリッジ</em>』(1975年)を手はじめに、インタープレイ盤『<em>セレンディピティ</em>』(1977年)『<em>バド・パウエルの肖像</em>』(1978年)プログレッシヴ盤『<em>バースデイ・セッション</em>』(1977年)バップランド盤『<em>ブルー・マンハッタン</em>』(1984年)といったトリオ作品を矢継ぎ早に入手し、とことん聴き込んだものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおインタープレイ・レコードは、1977年にカリフォルニア州ロサンゼルスにおいて<strong>妙中俊哉</strong>と<strong>フレッド・ノースワーシー</strong>とが共同で立ち上げたジャズ専門のレーベル。輸入盤は簡単に入手できたし、一部の作品は国内仕様のレコードもリリースされていた。そういえばインタープレイは、ヘイグやパウエルから影響を受けたピアニスト、<strong>クロード・ウィリアムソン</strong>のアルバムも積極的に制作していたが、そのことも含めて個人的にはずいぶんお世話になったレーベルと云える。またバップランドは当時キングレコードが新しく立ち上げたジャズ・レーベル。妙中さんのプロデュースで1980年の１月に吹き込まれた『<em>ブルー・マンハッタン</em>』は、どういうわけかヘイグの没後にリリースされた(ヘイグは心不全で1982年11月16日に他界している)。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これらのアルバムは、どれも佳作で甲乙つけ難い。なによりもヘイグのスタイリッシュかつエレガントなスタイルのピアノ・プレイが際立っている。それは勢いに任せてスウィングするようなものではなく、メロディアスなフレーズを綴りながらその合間にあでやかな技法を軽やかに鏤めていくような様式だ。その演奏に耳をそばだてていると、彼がことのほか表現上の技巧に重きを置き、常に美を追求しているように思われてくるのだ。ことに玉を転がすようなシングル・トーン、その素早い駆け上がりと駆け下り、そして繊細かつ華美なトレモロなどは、音像に目の覚めるような色彩を与える。そんなヘイグの素晴らしい演奏技術を、当時のぼくは満喫していたのだけれど、彼が過去にビバップ時代のジャズを象徴するピアニストだったことは、まだ知らなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなぼくも過去に遡って、すでに述べたビバップ時代のヘイグの演奏にこころを奪われることになるのだが、その契機は思いがけず早くやってきた。ときは1980年代の末葉だったが、ヘイグの出身地でもあるニュージャージー州ニューアークのマイナー・レーベル、デル・モラル・レコードからリリースされた彼のトリオ作『<em>トゥデイ！</em>』(1964年)が、フレッシュサウンドによって不意を衝くように復刻されたのである。このレコードは、センターラベルにミントの葉が描かれていることから、コレクターたちの間では“ミントのアル・ヘイグ”という呼び名で通っており、入手困難な幻の名盤と謳われていた。ディスクユニオンがディストリビューターとなりDIWレコードから国内盤も発売されたが、ぼくはジャケットの紙材が良質なこちらを購入した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくはいわゆるレコード・コレクターではないし、当時は(まあいまもそうだけれど)浅学非才のジャズ・ファンだったので、この『<em>トゥデイ！</em>』がブートレグまで出まわるほどの希少度の高い超人気盤であるとはつゆほども知らなかったし、過去にそういうレアなレコードをめぐる騒動の渦中に巻き込まれることもなかった。ときにくだんのDIW盤のライナーノーツを、ジャズ喫茶MEGのマスターであり、辛口の批評家として知られる<strong>寺島靖国</strong>が手がけている。氏をして「“ミントのアル・ヘイグ”を手に入れるのは吉永小百合のハートを射止めるよりむずかしく思われた」と云わしめるほどの『<em>トゥデイ！</em>』ではあるけれど、申し訳ないがぼくの場合、このアルバムに対してそれほどの愛着が湧くことはなかった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくにとって『<em>トゥデイ！</em>』は、血眼になって探し求めるような屈指の名盤ではなく、どちらかというと気軽に手にとるような飽きのこない実に楽しい作品。批判を浴びそうだけれど、喩えて云えば様々な具材が入った五目炒飯のようなものなのである。というのも、<strong>ミルト・ジャクソン</strong>の「バグス・グルーヴ」<strong>デューク・エリントン</strong>の「サテン・ドール」はたまたヘイグのオリジナル「スリオ」といった、思わずため息が出るような正統派バップ・スタイルの力強い演奏が展開されるいっぽうで、フランス出身のギタリストでシンガーソングライター、<strong>サッシャ・ディステル</strong>の「ザ・グッド・ライフ」ベルギー出身のハーモニシスト、<strong>トゥーツ・シールマンス</strong>の「ブルーゼット」など、ボサノヴァのリズムが活かされたポップなナンバーもプレイされているからだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">復活後はニュー・メインストリームの熟練ピアニストとして活躍</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムのラストを飾る「サウダージ」という曲などは、タイトルからもわかるように、ソフィスティケーテッドなテイストを帯びながらも、ストレートにサンバやショーロといったブラジルのトラディショナルな音楽を感じさせる。てっきりブラジルのミュージシャンの曲かと思いきや、このトリオでベーシストを務めている<strong>エディ・デ・ハース</strong>のオリジナルだった。彼はジャワ島西部の都市、バンドンの出身だけれど、少年時代にはウクレレを弾いていたとのことだから、ハワイアンにはもちろんのことブラジル音楽にも親しんでいたのかもしれない。それくらい晴れやかさと爽やかさが横溢する、チャーミングな曲だ。ヘイグは軽快なコンピングをキープしながら、鮮明なオクターヴ奏法でメロディを、歯切れのいいシングル・トーンでソロを繰り出している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで、寺島さんはDIW盤のライナーノーツにおいて、氏のヘイグ愛が溢れんばかりに才筆を振るっているのだが、この「サウダージ」やまえに挙げた「ザ・グッド・ライフ」「ブルーゼット」などについて「平凡な流行歌」「硬質のヘイグに不釣合いなボサ風リズム」「これらの演奏が好きになれない──」というようなコメントを付けている。このときぼくは、そんな寺島さんの歯に衣着せぬ物言いから、すっかり氏のファンになってしまったのだけれど、上記の３曲に対して嫌気がさすようなことはまったくない。世代の違いもあるから見解が相違するところもあると思うが、それでも寺島さんの『<em>ジャズ・ウィル・オー・ザ・ウィスプ</em>』をしっかり聴いてほしいという熱いメッセージは、ぼくもしかと受け止めたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくは、なにを差し置いてもこれだけは聴くべきだろうと、すぐにカウンターポイント盤『<em>ジャズ・ウィル・オー・ザ・ウィスプ</em>』を購入した。そこには『<em>トゥデイ！</em>』のなかの「バグス・グルーヴ」「サテン・ドール」「スリオ」といったバップ・スタイルの力強いプレイ、そして<strong>ジーン・デ・ポール</strong>が作曲したラヴ・バラード「あなたは恋を知らない」における、ひたすら美に価値を置くようなあでやかな陰影を湛えた演奏へと繋がるものがあった。そういったヘイグのユニークかつアトラクティヴ なピアニズムが遺憾なく発揮されていること、選曲の妙が際立っていることを慮ると、やはり『<em>ジャズ・ウィル・オー・ザ・ウィスプ</em>』を彼の最高傑作と云わざるを得ない。しかも私感では、噛めば噛むほど味が出る、まるでスルメイカのような作品と思われる。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8200 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/mintal3.png" alt="グランドピアノとミントの葉(シルエット緑色)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/mintal3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/mintal3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　それを機にいつの間にかビバップ期のヘイグに心酔するようになったぼくにとって、もちろんベストワンは『<em>ジャズ・ウィル・オー・ザ・ウィスプ</em>』だが、同日録音の躍動感溢れるトリオ・プレイが冴えるピリオド盤『<em>アル・ヘイグ・トリオ</em>』や、おなじくピリオド・レコードからリリースされたギタリストを加えたクァルテットが軽妙洒脱なセッションを展開する『<em>アル・ヘイグ・クァルテット</em>』(1954年)もまた首位に迫る勢いだ。とはいってもぼくは、さきに挙げたイースト・ウィンド、インタープレイ、プログレッシヴなどのアルバムも含めて、1970年代中盤以降のヘイグ作品も相変わらず愛聴しつづけてきた。ヘイグがフェンダー・ローズも弾いている、ギタリストの<strong>ジミー・レイニー</strong>とのコラボ作『<em>スペシャル・ブリュー</em>』(1976年)でさえ好きだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　スポットライト・レコードからリリースされた『<em>スペシャル・ブリュー</em>』でのヘイグは、ビバップのスタイルを残しながらもジャズ・ロックないしエレクトリック・ジャズにもアプローチしている。それ故往年のファンには見向きもされないだろうけれど、ぼくはわりと好き。また、妙中さんがプロデュースを手がけ、インタープレイ・レコードの前身であるシーブリーズ・レコードからリリースされたソロ・ピアノ『<em>ピアノ・インタープリテーション</em>』(1976年)などは、ヘイグの耽美的とも云える陰影に富んだピアニズムが全開した素晴らしい作品だ。実は1968年以降、ヘイグはプライヴェートのゴタゴタ(３番目の奥さまに関するある事件)でいっとき引退状態にあったのだが、彼の斬新な試みは、不遇の時期を強いられたことに対する反動のようにも思われる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　結局のところ、バップ・ピアニストのヘイグも時代の趨勢とともに、音楽のスタイルを変えざるを得なかったわけだが、これはしごく当然のこと。しかしながらヘイグの場合、たとえジャズにおけるいくつかのサブジャンルを彷徨ったといえども、そのピアニズム自体を変えることはなかったと、ぼくは思うのだ。そして前述の『<em>トゥデイ！</em>』は、その移り変わりにおける過渡期の作品だった。その後ヘイグは、しばらくジャズ・シーンの第一線から退くが、不死鳥のごとき復活を遂げ、ニュー・メインストリームの熟練ピアニストとして上質のアルバムを何枚も吹き込んでいく。そのまさに嚆矢となったのが、ぼくが最初に聴いたヘイグのレコード『<em>インヴィテーション</em>』だった。疑う余地もなく、彼の後期の代表作である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムは、サイドにフランス生まれのベーシスト、<strong>ジルベール・ロヴェル</strong>と、ビバップ時代から活躍する名ドラマー、<strong>ケニー・クラーク</strong>が迎えられたこともあり、その安定感のあるサウンドのなかに洗練されたムードが醸し出され、モダンな味わいをもった作品に仕上がっている。冒頭の「ホーリーランド」は、ピアニストの<strong>シダー・ウォルトン</strong>の曲。彼のナチュラルで華麗な演奏もいいけれど、ぼくは高貴なまでに優雅なヘイグのプレイのほうが断然好きだ。ルバートで12小節、インテンポで12小節、それが交互に演奏されるという珍しい形式のマイナー・ブルース。とにかくヘイグの全身全霊を傾けたピアニズムが美しく、一度聴いたらなかなか脳裏から離れない名演だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ブロニスラウ・ケイパー</strong>の「インヴィテーション」では、シンコペーテッドな軽快なリズムに乗って、ヘイグが敏捷な指遣いで次々に艶かしいフレーズを繰り出していく。ほどよく張り詰めた空気感も素晴らしい。<strong>J. J. ジョンソン</strong>の「エニグマ」では、ほかの吹き込みを選ぶ余地がまったくなくなるような、ビューティフルなバラード演奏が展開される。これを聴いて、ぼくは完全にヘイグに夢中になった。ヘイグのオリジナル「ソウボ・シティ・ブルース」は、オーソドックスなマイナー・ブルースだが、歯切れのいいピアノとしなやかなベースとの絡みが、現代的な印象を与える。B面最初の<strong>タッド・ダメロン</strong>作「イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ」では、ゆったりしたテンポのなかでピアノによる絢爛な楽句が溢れかえる。そこはかとなくブルージーなのもいい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ヘイグのオリジナル「サンバルハザ」は、愁いを帯びたバウンシーなジャズボサ。ヘイグのピアノがときに小気味よくときに力強く跳ねる。ベース・ソロもいい。<strong>ビリー・ストレイホーン</strong>「デイドリーム」では、ヘイグのリリカルでインプレッショニスティックなピアニズムが顕著に現れる。その高貴なバラード・プレイに、身を任せるばかりである。ラストを飾るヘイグのオリジナル「リニア・モーション」は、新時代の彼を象徴するような１曲。モーダル・ジャズのなかにクラシックのイディオムが見え隠れするのがユニーク。ヘイグは従来以上にアクティヴなプレイを展開。ベース・ソロ、ドラムスとの４バースも出来する、ダイナミックかつエレガントな、解釈次第ではヘイグらしいナンバー。ただこういうモダンなセンスは、ビバップ期の演奏では目立たなかった。そういう意味でも、本作は貴重な１枚と云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p>最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
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		<title>Wynton Kelly / Wynton Kelly! (1961年)</title>
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		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 05 Oct 2025 07:15:14 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Jazz]]></category>
		<category><![CDATA[Wynton Kelly]]></category>
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					<description><![CDATA[マイルス・デイヴィス・グループの僚友とともに吹き込まれた、絶頂期にあったウィントン・ケリーの傑作『枯葉』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">マイルス・デイヴィス・グループの僚友とともに吹き込まれた、絶頂期にあったウィントン・ケリーの傑作『枯葉』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : Wynton Kelly / Wynton Kelly! (1961)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Gone With The Wind</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-20" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-20">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">マイルス・デイヴィス・グループの僚友とともに吹き込まれた、絶頂期にあったウィントン・ケリーの傑作『枯葉』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">極めてスタンダードな名曲「枯葉」が世界的に広まるまで</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">ジャズ・スタンダーズの仲間入りを果たした「枯葉」の名演</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">地に足のついたトリオ・プレイをこころ置きなく味わう</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">極めてスタンダードな名曲「枯葉」が世界的に広まるまで</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ようやく暑さが和らいで、季節の変わり目を実感する今日このごろである。ことに朝晩の空気には、かなり秋の気配が深まってきている。例年感じることだけれど、秋は加速度的に季節の息吹を強めてくるから、ぼくの場合、いろいろな面でちょっと対応に苦慮したりする。それに反して感覚のほうは、それこそ明るく冴えた秋空のように研ぎ澄まされてくるから、どちらかというとありがたい時節と云っていい。ところで、ジャズを愛好するものにとって秋といえば、すぐに思い浮かべるのは極めてスタンダードな「枯葉」という曲だろう。実にありきたりな発想で申し訳ないのだけれど、それだけこの曲の存在感が強いというのもまた事実。そして「枯葉」といえば、<strong>ウィントン・ケリー</strong>のアルバム『<em>枯葉</em>』(1961年)だろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　思わず断定的に云ってしまったが、飽くまでぼくの独断と偏見での発言。もしも<strong>ビル・エヴァンス</strong>のアルバム『<em>ポートレイト・イン・ジャズ</em>』(1960年)の邦題が『<em>枯葉</em>』だったら、そちらを挙げていたかもしれない。<strong>キャノンボール・アダレイ</strong>のアルバム『<em>サムシン・エルス</em>』(1958年)においても、また然りである。まったくもって、いい加減なものである。逆に<strong>キース・ジャレット</strong>のいわゆるスタンダーズ・トリオの『<em>枯葉／キース・ジャレット・スタンダーズ・スティル・ライヴ</em>』(1986年)や、<strong>マッコイ・タイナー</strong>のソロ・ピアノ作『<em>枯葉</em>』(1989年)には、日本ではタイトルに“枯葉”が付されているけれど、ぼくとしてはそれらをもち出すことはないだろう。いずれにしても「枯葉」は、多くのジャズ・ミュージシャンに採り上げられた、秋をイメージさせる名曲だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなジャズ・スタンダーズ史上に燦然と輝く「枯葉」であるが、もとはハンガリー出身でのちにフランスに帰化した作曲家、<strong>ジョゼフ・コズマ</strong>が1945年に<strong>ローラン・プティ・バレエ団</strong>のステージ『ランデヴー』のために書いた曲だった。コズマは1930年代初頭から1970年まで銀幕に数多くのスコアを提供したフランス映画音楽の大家。彼は<strong>マルセル・カルネ</strong>の監督作品『夜の門』(1946年)の音楽を手がけたが、この作品が『ランデヴー』をモティーフとした映画だったため、既存の曲が使用される運びとなった。脚本を担当した<strong>ジャック・プレヴェール</strong>が新たに歌詞をつけたコズマの曲を、出演者のひとりで当時まだ新人のシンガーだった<strong>イヴ・モンタン</strong>が劇中で歌った。その際、この曲に「レ・フェイユ・モルトゥ」というタイトルが付された。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8087 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/Autumn-Leaves1.png" alt="紅葉とシャンソン歌手" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/Autumn-Leaves1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/Autumn-Leaves1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　曲名の「レ・フェイユ・モルトゥ」とは、フランス語で表記すると「Les Feuilles Mortes」となり、直訳すると「枯死した葉っぱ」すなわち「枯葉」のことである。あいにく映画もモンタンの歌もヒットしなかったようだが、のちに当時の人気シャンソン歌手、<strong>ジュリエット・グレコ</strong>が歌ったことで「枯葉」は、広く知られるようになった。この曲がアメリカにもち込まれたのは1949年のことで、キャピトル・レコードの創設者のひとりで作詞家の<strong>ジョニー・マーサー</strong>が英語詞を書いた。このひとは外国の曲やイントゥルメンタルに歌詞をつけるのが得意で、おそらく当時フランスで流行っていたこのシャンソンを自国でも売り出そうとしたのだろう。ときを移さず英語詞の「枯葉」は、<strong>ビング・クロスビー</strong>によって<strong>アクセル・ストーダール楽団</strong>をバックに歌われた。</p>
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<p>　しかしながら、1950年にブランズウィック・レコードからリリースされたクロスビーのシングル盤は、それほどヒットしなかったようだ。アメリカで「枯葉」が広く知られるようになったのは、イージー・リスニング系のピアニスト、<strong>ロジャー・ウィリアムズ</strong>によって演奏されてから。1955年にカップ・レコードから発売されたシングル盤は、ビルボード誌のヒットチャートで４週連続第１位を獲得した。その後この演奏は、アルバム『<em>ロジャー・ウィリアムズ</em>』(1956年)にも収録された。<strong>グレン・オッサー楽団</strong>をバックに、左手でメロディをキープしながら右手で素早く駆け下るという、ウィリアムズの(舞い散る枯葉をイメージした？)独特のピアノ・プレイは、すこぶる煌びやか。とはいってもぼくにとっては、けばけばしく感じられる苦手なパフォーマンスなのだけれど──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおオリジナルの「枯葉」にはメロディに入るまえに、テンポ・ルバートで歌われる導入部があった。ところがマーサーは、それを全面的に削除してしまった。当然、その部分の英語詞は存在しない。確かにポピュラー・ソングの序奏としては、いささか長過ぎる。そんな理由からか、<strong>バート・ハワード</strong>が作詞作曲した有名なジャズ・スタンダーズの１曲「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」もまた、いわゆるヴァースの部分が省略されることが多い。シャンソンの愛好者にしてみれば不届き千万なことなのかもしれないけれど、おそらくいまは、ジャズ・ファンのほとんどのひとが「枯葉」のヴァースを知らないという状況にあると思われる。まあこの曲を何度も歌っているモンタンも、その部分を前説的にセリフに変えていることもあるが──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　とにもかくにもこの「枯葉」は、ピアニストを中心に多くのジャズ・ミュージシャンによって採り上げられている。この曲が、メロディック・ラインとコード・プログレッションにおいて極めてシンプルなのにもかかわらず、たとえば紅葉、黄葉といった秋の美しくも儚い印象をストレートに与えるからだろう。また「枯葉」にはそのシンプルさ故に、ミュージシャンが型にとらわれず思うままに演奏することができるというメリットがある。一例を挙げると、<strong>サラ・ヴォーン</strong>がパブロ・レコードに吹き込んだ、それこそ『<em>枯葉</em>』(1982年)という有名なアルバムがあるが、ここで彼女は「枯葉」を歌詞を排除した即興のスキャットで歌っている。縦横無尽に駆け抜ける歌唱は、もはや秋もへったくれもないけれど非常に痛快で、ぼくは好きだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　名盤名演といえば、さきに挙げた『<em>サムシン・エルス</em>』だろう。<strong>キャノンボール・アダレイ</strong>名義のアルバムだけれど、実質的なリーダーは<strong>マイルス・デイヴィス</strong>。1950年代のはじめ薬物中毒だったデイヴィスを支えたのは、ブルーノート・レコードのプロデューサー、<strong>アルフレッド・ライオン</strong>。彼はそれから数年後、すっかり立ち直りハード・バップのトップ・アーティストとなったデイヴィスのリーダー作を制作しようと思った。ところが当時、デイヴィスがコロムビア・レコードの専属アーティストだったため、アダレイをリーダーに据えてアルバムをリリース。それが『<em>サムシン・エルス</em>』である。すでに「枯葉」は他のジャズ・プレイヤーが採り上げていたけれど、この曲のジャズ・ヴァージョンはここからはじまったと云ってもいいのではないだろうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">ジャズ・スタンダーズの仲間入りを果たした「枯葉」の名演</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そのくらい『<em>サムシン・エルス</em>』の「枯葉」は名演だし、アルバム自体も不朽の名盤。一般的に<strong>アーマッド・ジャマル</strong>からの影響と云われるアフロ・キューバン調のリズムが印象的なイントロから、いささかレイジーだけれどすこぶるクールな世界に引き込まれる。それにつづくデイヴィスのハーマン・ミュートが、鋭くも透明感のあるトーンで静謐を湛えたフレージングを展開。それにつられてか、アダレイのアルトは得意のファンキーさは抑えられてエレガントに響くし、<strong>アート・ブレイキー</strong>のドラムスも極めてセンシティヴなサポートに終始する。<strong>ハンク・ジョーンズ</strong>のピアノは、相変わらず歌ごころに溢れたフレーズを淀みなく繰り出している。ただ秋を感じるというよりも、どちらかというと厳粛な気持ちにさせられると云ったほうがいい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　違った意味でやはり名盤名演なのが、<strong>ビル・エヴァンス</strong>の『<em>ポートレイト・イン・ジャズ</em>』である。卓越した表現力とそれが生み出す気品のある雰囲気とが際立つのが『<em>サムシン・エルス</em>』での「枯葉」なら、構造的、論理的、美学的に秀逸な音楽が奏でられているのが『<em>ポートレイト・イン・ジャズ</em>』のなかの「枯葉」だ。まず躍動感溢れるイントロからして、飛び抜けている。ユニークなコード・プログレッションとリズミカルなフレーズとが、聴き手をソフィスティケーテッドな音世界へといざなう。つづくモーダルな解釈と雄弁なメロディのフロウも見事。天才ベーシスト、<strong>スコット・ラファロ</strong>とのインタープレイのあと、アップテンポに乗って疾走するエヴァンスのピアノが知的かつ情熱的。とにかくスタイリッシュなフレーズが矢継ぎ早に放たれる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　エヴァンスの「枯葉」は、ジャズ・シーンにおいてことのほか異彩を放っている。注目すべきは、演奏の技巧においてビバップ・スタイルから大きく飛躍していることも然ることながら、楽曲を再構成する際の感覚や表現方法が優れていること。あまりこういう云いかたはされないけれど、つまるところ彼は、アレンジャーとしての資質に恵まれたピアニストだったと、ぼくは思うのだ。もし彼が単に優れたジャズ・ピアニストだったら、ビバップ・スタイルのままモーダルなジャズをプレイしていたかもしれない。コール・アンド・レスポンスを主眼とする、ベースとドラムスをピアノと対等のポジションに置いたトリオ・スタイルにしても、エヴァンスのアレンジャーとしての視点から創出されたものと考えてもいいのではないだろうか。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8088 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/Autumn-Leaves2.png" alt="紅葉とグランドピアノ" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/Autumn-Leaves2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/Autumn-Leaves2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　そんなエヴァンスの「枯葉」をカッコいいととるか、ちょっと小難しいととるかはひとそれぞれだろうけれど、トリオの演奏はエスプリの効いたものであるが故に、知的好奇心が高まる季節とも云われる秋に聴くのに相応しいようにも思われる。そういう無理な理由づけなしに秋らしさが感じられるという点で、お薦めしたいのは<strong>デイヴ・グルーシン</strong>の「枯葉」だ。エピック・レコードからリリースされた『<em>ピアノ・ストリングス・アンド・ムーンライト</em>』(1962年)に収録されている。ベースに<strong>ミルト・ヒントン</strong>、ドラムスに<strong>オシー・ジョンソン</strong>を据えたトリオにストリングスが加わる。イントロから摩天楼の群れが広がるニューヨークの風景をイメージさせられる。小気味よくバウンスするグルーシンのピアノと流麗な弦のアンサンブルが、都会の秋に溶け込むようだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まあグルーシンはぼくのもっとも敬愛する音楽家だから、私情を挟んでいないと云えばウソになるのだけれど、この『<em>ピアノ・ストリングス・アンド・ムーンライト</em>』はチャーミングなアルバムなので、カクテル・ピアノ作品と決めつけたりせずに、ぜひ聴いていただきたい。ストリングスのアレンジと指揮もグルーシンが手がけているので、彼のファンには親しみやすい１枚と云えよう。ということで、名曲「枯葉」について長々と語ってきたが、ハナシをもとに戻そう。ぼくは冒頭で「枯葉」といえば、<strong>ウィントン・ケリー</strong>のアルバム『<em>枯葉</em>』とキッパリと云い切ったけれど、それはウソ偽りのない気持ちからの発言で、ぼくにとってもっとも聴き込んだという点では間違いなくケリーの「枯葉」がトップなのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ケリーは1971年４月12日てんかん発作を起こし、惜しくも39歳という若さでこの世を去ったが、それ故そのリーダー作は非常に少ないし、トリオで吹き込まれたアルバムは数えるほどしかない。この『<em>枯葉</em>』は、彼のトリオ作品としては３枚目に当たる。このアルバムの原題は『<em>Wynton Kelly!</em>』という。オリジナル盤のリリースからときを移さず、日本ビクターによって国内盤が発売されたが、そのときからこのかた、わが国において本作は『<em>枯葉</em>』というタイトルで親しまれている。実は過去にリヴァーサイド・レコードから『<em>Wynton Kelly</em>』(1958年)というタイトルのアルバムがリリースされている。感嘆符があるかないかの違いはあるものの、ちょっとややこしい。それで『<em>枯葉</em>』という邦題が案出されたのかどうかは定かでないが、この呼称が定着した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおエクスクラメーション・マークなしのほうは、1962年にリヴァーサイドの傍系レーベル、ジャズランドによってリイシューされ『<em>ウィスパー・ノット</em>』と改題されたが、以来日本のファンのあいだではそれが通り名となっている。ちなみにこの『<em>ウィスパー・ノット</em>』は、A面をギター入りのクァルテット、B面をドラムレスのトリオという変則的な編成で吹き込まれた。サイドを務めたベーシストの<strong>ポール・チェンバース</strong>、ドラマーの<strong>フィリー・ジョー・ジョーンズ</strong>は、当時<strong>マイルス・デイヴィス</strong>のグループに属していたけれど、ケリーもまたこの吹き込みのあと同グループのメンバーとして活躍したのは周知のこと。ここではそのトリオに、ブルージーでスムースなギター・プレイでお馴染みの<strong>ケニー・バレル</strong>が加わっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ついでに云うとこの『<em>ウィスパー・ノット</em>』は、プロデュースを手がけた<strong>オリン・キープニュース</strong>の証言によると、もともとは全編にわたってクァルテットでレコーディングされるはずだったとのこと。ところがドラマーのジョーンズが定刻になってもスタジオにやって来ないものだから、それならばとドラムレスのトリオによって、バラードやゆったりしたテンポのナンバーからレコーディングが開始された。奇しくもケリーは、オールド・スタイルのピアノ・トリオでプレイする運びとなったのである。結果的に同日の吹き込みでありながら、２種類の異なる編成のセッションが収録されたアルバムが出来上がった。古い文句だけれど、ぼくにとっては“１粒で２度おいしい”一挙了得な音盤として重宝している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">地に足のついたトリオ・プレイをこころ置きなく味わう</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このレコードの個人的な楽しみかたは、躍動感溢れるクァルテットのセッションが収録されたA面と、鷹揚で上品さを感じさせるドラムレスのトリオによるギグが収められたB面とを、そのときの気分によって順番を変えて聴くというもの。ぼくはどちらかというと、瀬踏みするような感覚でB面からプレイすることが多い。あたかも気の合う仲間による鼎談のごとき、適度なスウィング感で伸びやかなムードを醸成するドラムレス・トリオのプレイには、ぼくのこころを和ますものがある。ほどよく気持ちの準備が整ったところで、レコードをひっくり返してセットする。A面では遅刻してきたジョーンズによる颯爽としたリズム・サポート、ピアノとの貫禄のある８バース、精力に満ちたソロが加わり、クァルテットの演奏がヒートアップする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　どちらかというと、ぼくはこの『<em>ウィスパー・ノット</em>』では、B面のドラムレス・トリオによる吹き込みに魅力を感じる。ここでのピアノ・プレイではケリーのジャズ・スピリッツがありのままに表出しているというか、どの曲もその持ちまえの悠然とした歌ごころで素直に表現されているように感じられるからだ。このアルバムとくだんの『<em>枯葉</em>』と、あと一般的なトリオで吹き込まれた『<em>ケリー・アット・ミッドナイト</em>』(1960年)とが、ぼくにとってはケリーのベスト３となっている。ブルーノート・レコードからリリースされた彼のデビュー作に当たる『<em>ピアノ・インタープリテーションズ・バイ・ウィントン・ケリー</em>』(1953年)もまたトリオによるレコーディングだったけれど、鮮やかなタッチを見せながらもその個性はまだ序の口だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ケリーのリーダー作で一般的にもっとも人気が高いのは、リヴァーサイド・レコードからリリースされた『<em>ケリー・ブルー</em>』(1959年)だろう。セクステットでの２曲とトリオでの４曲といった、ふたつのセッションが交ぜ合わされて収録されている。押しなべて彼ならではのブルージーでスウィンギーなピアノ・プレイが、遺憾なく発揮されている。ぼくの大好きな<strong>ブロニスラウ・ケイパー</strong>の「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」も演っている。そのグルーヴ感といったらゴキゲンのひとことに尽きる。個人的なことで恐縮だけれど、高校時代にジャズ・ピアノを独学していたぼくは、この曲のケリーのアドリブ・ソロをコピーしたことがある。スウィングするとはこういうことなのかと、大いに得心がいった１曲だった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8089 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/Autumn-Leaves3.png" alt="都会の公園 秋の風景" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/Autumn-Leaves3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2025/10/Autumn-Leaves3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ただアルバムとしては、さきに挙げた３枚のほうが好きだ。なぜかというと『<em>ケリー・ブルー</em>』がいくら名盤とはいえ、上記のように編成の異なるセッションがミックスされているという点は、だれがなんと云おうとぼくにとってはマイナスポイントになるからだ。しかもホーン・セクションのアレンジからは、テナー奏者の<strong>ベニー・ゴルソン</strong>の匂いがムンムンしてくる。ゴルソンのアレンジはキャッチーだけれど、正直云ってほかでやってもらいたい。ケリー・ブルーというアイルランドのケリー州原産のテリア犬種にちなんだ美味しいカクテルがあるけれど、異なる酒類とチャンポンするのは性に合わない。違う種類の音楽を交互に聴かされるのもまた、ぼくにとってはいささか厭わしいことなのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういうわけで、ぼくとしては『<em>ケリー・ブルー</em>』よりも、ヴィージェイ・レコードからリリースされた『<em>ケリー・アット・ミッドナイト</em>』と『<em>枯葉</em>』のほうを断固推す。この２枚を比較したとき、多くのジャズ・ファンが『<em>枯葉</em>』をより高く評価するようだけれど、ぼくにとっては双方の出来はおっつかっつ。よく云われるのは『<em>ケリー・アット・ミッドナイト</em>』での<strong>フィリー・ジョー・ジョーンズ</strong>のドラミングがオーヴァーアクティングぎみということ。確かに彼のパフォーマンスは、饒舌というか手数が多い。いささか出過ぎる嫌いがあるのかもしれないが、そんなことはなんのその。ハイテンションなジョーンズに焚きつけられて、陽気にスウィングしまくるケリーのプレイに身を任せていると、こちらまで興が乗るというもの。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なかでもギタリストの<strong>ルディ・スティーヴンソン</strong>が提供した「オン・ステージ」が、途方もなくリズミカルかつダンサブルで最高だ。ジョーンズの変幻自在のドラミングが、なんともドラマティック。<strong>ポール・チェンバース</strong>のアルコ・ベースは得も云われぬ軽快さを見せるし、ケリーのピアノも次々にゴキゲンなフレーズを繰り出してくる。そういえば、ここでのピアノ・ソロにおける数々の楽句を、高校時代のぼくはそのまま拝借して自分の即興演奏に活用していたな。まさしく彼のピアノ・プレイは、ぼくにとってモダン・ジャズのお手本だったのだ。そういう点では『<em>枯葉</em>』と同日のセッションの未発表音源集『<em>サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム</em>』(1977年)に収録された、タイトル・ナンバーもまた然りである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いっぽう『<em>枯葉</em>』のほうは、ベーシストが<strong>ポール・チェンバース</strong>、ドラマーが<strong>ジミー・コブ</strong>といった、レギュラー・メンバーによるレコーディングということで、地に足のついたトリオ・プレイをこころ置きなく味わうことができる。チェンバースとコブとが打ち出すリズムが、ケリーの天賦の才を自然な形で浮かび上がらせていると云ってもいい。そんなあるがままのスウィング感は、いまも瑞々しく響いてくる。そのクリーンなタッチは、まさに抜けるような秋の青空にフィットする。そういったことを踏まえると、ケリーのアルバムのなかでは『<em>枯葉</em>』こそが、だれにも推奨することができる逸品ということになる。なお吹き込みは、1961年７月20日、21日、ニューヨークのベル・サウンド・スタジオにて行われた。また、３曲(レコードのA-1, A-2, B-2)で、ベーシストが<strong>サム・ジョーンズ</strong>に交替する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　オープニングを飾る<strong>ハロルド・アーレン</strong>の「降っても晴れても」は、軽やかなミッドテンポで明るいタッチのナンバーとして演奏される。ピアノの跳ね返るようなスウィング感が痛快。オリジナルのイントロとエンディングもまた鮮やかだ。ケリーのオリジナル「メイク・ザ・マン・ラヴ・ミー」は、ほのかな愁いを含んだバラード。ケリーのリリカルでハートウォーミングな表現に、こころが癒される。つづいていよいよ「枯葉」である。２拍子風にテーマがスタートするところがモダン。さり気ない３小節目のリハーモナイズも効いている。４ビートになってからは、ピアノのしなやかなスウィング感を堪能するのみ。ベースのソロも軽妙だ。<strong>リチャード・ロジャース</strong>の「飾りの付いた四輪馬車」は、スウィンギーでも深みのある色調が際立った前曲に対して、こちらはブライト・トーン。秋空のように爽やかだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　後半の１曲目ケリーの自作曲「ジョーズ・アヴェニュー」は、ほどよいドライヴ感のあるブルース。ファンキーなプレイでも、アクの抜けた清々しさが感じられるところがケリーらしい。やはり彼のオリジナル「サッシー」もまた、ライトなブルース・フィーリングが光るナンバー。こみ上げてくるようなケリーのプレイに、気持ちが浮き立つ。<strong>ダニー・スモール</strong>の「ラヴ・アイヴ・ファウンド・ユー」は、アルバム中もっとも叙情的なバラード。ここでケリーは、美しく繊細なタッチを披露している。<strong>アリー・リューベル</strong>の「風と共に去りぬ」は、アップテンポに乗ってピアノが小気味いいフレーズを次々に綴っていく。そのレイドバック加減が絶妙のスウィング感が、なんとも心地いい。ドラムスとの４バースも爽快。昔から赤道付近の国で生まれたピアニストはリズム感がいいと云われるけれど、その点でジャマイカ生まれのケリーは最高峰である。</p>
<p>&nbsp;</p>
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